自給的能力の回復と芸術的自己表現の活性化 : 現
代社会の課題
著者
本城 昇
雑誌名
経済学論究
巻
69
号
1
ページ
1-29
発行年
2015-06-20
URL
http://hdl.handle.net/10236/13377
自給的能力の回復と
芸術的自己表現の活性化
現代社会の課題
Recovery of our Ability
to be Self-sufficient and Revitalization
of our Artistic Self-expression
Pressing Problems of Modern Society
本 城 昇
The market economy applies to all of modern society. Our lives almost totally depend on goods and services that we purchase from the markets concerned. As the degree of self-sufficiency in our lives has lessened tremendously, we generally no longer produce anything by ourselves. And we live most of our lives separated from nature. The author is quite worried that this situation is likely to discourage our imaginative ability.Furthermore, artistic self-expression is commercialized and monopolized by professional artists, which deprives ordinary people with simple and bright minds of opportunities to express themselves artistically in their society and of the vitality that would be brought about by their self-expression.
As a result of the above-mentioned situation, the degree of self-sufficiency of local societies has been weakening and their originality and vitality have continued to be lost.
Universities are large culture centers in their local societies and are expected to play an important role to improve this situation and help local societies recover self-confidence and pride.
Noboru Honjo
JEL:Z190
キーワード:自給、芸術的自己表現、有機農業
はじめに
市場経済が現代社会を覆い尽くし、人々の暮らしは、便利になったとはい え、暮らしに必要な物資やサービスを外部からの購入に著しく依存するように なっている。人々の暮らしにおいて、自給的な部分は著しく縮小し、ほとんど ないと言っても過言ではない。人々は、自ら物をつくることがほぼなくなり、 また、自然からも切り離されている。こうした中で、自分達で何かをつくり出 していく意欲や能力は大きく減退し、それは、豊かに発想する能力を損なうこ とにもなっているのでないかと懸念される。 また、現代社会では、人々は、サラリーマン化し、その労働は、所得を得る ための労働と化し、その労働も、分業化された小さな範囲の分野に押し込めら れている。そこで専門知識をつけたとしても極めて限られた範囲のものに過ぎ ない。また、五感を駆使して、自然と向き合いながら労働することもない。 人々の暮らしは、自然から切り離され、地域社会は崩壊し、人々は孤立して いる。心に感動を覚える機会も減り、また、心に感動を覚えたとしても、それ を聞いてくれる身近な人達も限られている。まして、自分達が心に感じた素朴 な美しさを、身近なところで気の利いた形で芸術的に自己表現する場も容易に 見つからない。それを社会的に表現する場は、職業芸術家に独占され、普通の 人達の素朴な芸術的な自己表現は、入り込む隙間がない。人々は、自分自身に 小さな誇りや自信を持って生きることが難しくなっている。 現代社会は、「今だけ、金だけ、自分だけ」と揶揄されるように、総合的、長 期的視点が欠け、長い時間軸・広い空間軸から本質的に暮らしを問い直そうと する気配が稀薄である。人々は、自分自身の人格や社会での生き方、自然や社 会の持続性について思いを巡らせることもなくなってきている。 このような状況の中で、私達は、どのような方向で暮らしのあり方を見直し ていけばよいのか、本稿では、宮澤賢治の『農民芸術概論綱要』や筆者が現在 埼玉大学経済学部で地域交流型の授業を実施する機会をつくって下さった教育 学者の大田堯先生1) のご著作、さらには日本の有機農業運動・思想の成果を 1) 大田 堯(おおた・たかし)1918 年生れ、東京大学名誉教授,元都留文科大学学長。紹介しながら、地域社会の大きな文化センターでもある大学の役割も考えなが ら、考察を進めていくこととしたい。
1 宮澤賢治の農民芸術概論綱要
宮沢賢治は、その作品『農民芸術概論綱要』2)において、「農民芸術の興隆」 と題して次のように述べている。 農民芸術の興隆 · · · · 何故われらの芸術がいま起らねばならないか· · · · 曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた そこには芸術も宗教もあった いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである 宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い 芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ 芸術をもてあの灰色の労働を燃せ ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある 大田先生は、さいたま市東浦和にお住まいで、その近くの広大な緑地空間の「見沼田んぼ」を そのままフィールドミュージアムとし、子供達や市民が自然とふれあい、学び、人と人とのつな がりを取り戻す場とすることを提唱されている。見沼田んぼは、江戸時代に第 8 代将軍徳川吉宗 が見沼を新田開発し、現在も市民団体の保全運動により、緑地空間として存続してきている。大 田先生は、そのお考えとの関係で、地元の国立大学の埼玉大学も、もっとこの見沼田んぼにしっ かりとかかわってほしいとのご意向を持っておられ、そのために多額の寄附も埼玉大学にされた。 筆者は、先生のお考えに賛同し、2011 年度以降、埼玉大学経済学部で、見沼田んぼとかかわ る授業(「農的暮らしと交流」、「流域自給と社会」等の授業)を設け、学生達が見沼田んぼにつ いて学び、ガイド、紙芝居、語り等の交流手段を用いて、地域の人達と交流する実践形式の地域 交流型の授業を展開してきている。 2) インターネットの青空文庫の『農民芸術概論綱要』による。 (http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386 13825.html)都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ この文章は、現代社会の中で打ちひしがれた私達の状況を見透していると思 われる。 現代社会においては、人間が自己の内面を表現しようとする各分野が、専門 家によって占拠され、職業化・専業化されてしまっている。普通の人達は、こ れらの分野において専門家を凌ぐことができず、専門家の表現が尊重され、優 先される。科学の分野がそうであり、芸術や宗教の分野もまた然りである。 人間が自分の内面を表現しようとするとき、口頭や文字、絵、音、動作と いった表現手段を用いて表現することになるが、それは、自分の気持ちに合わ せて、随筆、絵画、歌、詩、舞などといった形をとる。そこでの表現は、自己 の人生の表現であり、自己実現や自己の全面的発達に不可欠なかけがえのない ものといえる。その表現は、気の利いたものとなれば、美しさの感じられる芸 術性のある表現とならざるを得ないであろう。 しかし、そうした普通の人達の自己表現は、小説家や芸術家などの表現より も稚拙な表現として世間から軽んじられる。芸術的表現は芸術家に、宗教的表 現は宗教家に、科学的表現は科学者によって独占され、普通の人達の表現は、 軽視される。普通の人達は、人間として、自由にのびのびと自己を表現したい と思っているはずであるが、その表現は、現代社会では、専門家にならないと、 気の利いた表現とは認められず、埋没する。普通の人達は、その暮らしの中で、 社会的に自由闊達に自己表現し、社会的に自己実現できず、自分らしく生き生 きと生きる心を持つことが難しいといえる。現代社会は、職業的専門家によっ てそうした表現をすることを実質的に奪われてしまっているとも言える。 それでは、職業的専門家であれば、現代社会で生き生きと自己を表現できる のかというと、必ずしもそうではない。職業的専門家は、顧客が自己の作品を 認め、購入してくれるかどうかがいつも気になる。購入してもらうためには顧 客にへつらい、媚を売ることになる。そのために、技巧に走り、その表現は、 自己の本当の心からの生き生きした表現から外れてしまうことにもなる。 宮澤賢治は、前記の記述で、「宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は
冷く暗い 芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した」と指摘している。 この状況は、正に、職業的専門家が陥ってしまっている問題状況そのものであ る。宮澤賢治は、この近・現代社会の問題性を鋭く問うているといえる。 職業的専門家により、表現の分野が職業化され、専業化された結果、普通の 人達は、宮澤賢治が前記の記述で指摘するように、「曾つてわれらの師父たち は乏しいながら可成楽しく生きてゐた」にもかかわらず、その労働は、「灰色 の労働」となり、「いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである」と いうみすぼらしい状況に陥っている。 このため、宮澤賢治は、この『農民芸術概論綱要』の序論で、「もっと明る く生き生きと生活をする道を見付けたい」として、前述のとおり、「いまやわ れらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ 芸術をもてあ の灰色の労働を燃せ ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある」とする。 「灰色の労働」をもっと芸術で生き生きとした明るいもの、楽しい創造あるも のに変えるべきだと言う。農民・民衆による民衆芸術の復興を図れとする。
2 教育学者の大田 堯先生の指摘
宮澤賢治と同じように、教育学者の大田 堯先生は、現代社会では、その労 働が人間のそれぞれの持ち味を活かして、こころよく働くものとなっていない と指摘されている。 大田先生は、「労働市場」と平気で言えるのは、「賃金で人間を考える、商品 として人間を考えるのが当たりまえになっているという感覚ではないですか。 人間まで商品として市場で取引される、そのような状況というのは、人間とい う有機的な生命体というものまでも無機化し、社会全体を無機化した状態にし てしまっています」3) と喝破されている。大田先生は、「一人ひとりの持って いる持ち味が,その持ち味にふさわしい社会的価値のある出番を持つというこ と」、「自分の持ち味が、社会的価値のある出番を獲得するということ」、それ が、私の言う「完全雇用」であり、より正確には「完全就業」というべきだ4) 3) 大田 堯『かすかな光へと歩む 生きることとまなぶこと』一ツ橋書房、2011 年 172 頁。 4) 大田 堯『大田堯自撰集成 2 ちがう・かかわる・かわる 基本的人権と教育』藤原書店、2014 年、39 頁。とされる。 現代社会においては、私達の暮らしに必要なものを自ら自給することがほ とんどなくなっている。ほとんど全てを外部からの購入に依存している。経済 の市場化、企業化が進展すればするほど、自給する領域が縮小し、人間は、自 給しようとする意欲を失い、自らが物をつくる等、自らいろいろなことを試み る機会が減っている。現代社会は、雇用労働が増大し、専門分化し、人々は、 個別の分業化された小さな限られた範囲の労働の分野で、ただ所得を得るため に働き、正に、宮澤賢治のいう「灰色の労働」に陥っている。人々は、自己の 能力をいろいろな違った角度から試し、発展させる機会が減り、人間の働き方 は、精神的に生き生きとこころよく働き、わくわくするような生命感溢れる働 き方から遠ざかっている感がある。 生命体を扱う農業においてすら、そこに従事する人達は、多くの所得を得 ることに熱心であり、自然を功利主義的にとらえ、いかに自然から人間に都合 の良い部分を搾りとるかに汲々としている。生命体をまるで「物」のように扱 い、生命体を総合的に生き生きと捉えようとはしない。まして、生命体を対象 としない労働の分野では、生命体を身近に感じることがなくなる。 社会全体が、生命感を感じない世界、無機的世界となり、労働は、「灰色の 労働」となり、功利主義的な気持ちの蔓延で、精神的に生き生きとした心輝く 気持ちが失われる。生命体すら物質として扱われ、無機的世界が社会全体を覆 う。人間自体が生命体であることすら感覚的に麻痺させられる。 大田先生は、生命体は、かかわり合いの中にあるのであり、「学習を重ねて自 分を環境に適応させている」とされる。「およそ脳と脊髄を通しての神経系と いうものを持った動物は、外的刺激に対して感覚運動を持って対応していく、 そういうことによって生きている」5)とされる。即ち、感覚運動による学習が 起り、その学習を通じて、生命体自身を環境に適応させていく。生命体は、そ ういう自ら変わる力、自らを自らで変えていく自己創出力を持つ、つまり根源 的自発性を持つとされる。 5) 大田・注 1 前掲『かすかな光へと歩む』52 頁。
そして、大田先生は、生命体が外部の環境に自らを適応させるに当たって、 学習を通じ、その適応の仕方を「選択する」ことで自らを変えていくのだとさ れる。特に、人間については、他の動物と異なり、「外的刺激に対して、いろ いろ多様な反応の仕方を頭の中に思いうかべながら、慎重にその中の反応の仕 方の一つを選ぶという能力に人間としての特質があるといってもよいのだと思 います」6)と言っておられる。 人間の新生児は、他の動物と比べると、未成熟で、外界への適応能力の劣 る状態で生まれる。外界への対応という点では、本能的な行動様式が十分に備 わっていないひ弱さが見られる。そして、人間の場合、脳が特大で複雑につく られており、その発達に格別に長い時間を必要とし、それに見合って身体の成 熟の速度も調子を合わせ、ゆっくりしたテンポで発達するという未熟さがあ る。大田先生は、そこにこそ、他の動物には見られるような、環境にすばやく 適応できる「特殊化」を、人間の場合は、あえて避けている状況が見られるの だとされる7)。大田先生は、人間については、「幅広い創造的適応力の可能性 を秘めた「未熟さ」、やさしく表現すれば、早く固まって動きのとれないよう なものとして生まれてこない」8)という特異性があるとされる。 人間は、未熟であり、固まっていないところにこそ、その柔軟性、可能性が あるのであり、他の動物のように、外的刺激に対するただ一つの反射か、条件 反射の現れるだけの時間しか抑制できないという状況を避けて、「刺激に対す る反応の延期、「まわり道」して反応する能力」があり、それこそが人間の特 質だとされるのである。 つまり、大田先生は、人間は、「環境に直面して自ら提起する問いに対して、 それを解決するために考えられるいろいろな手段や方法を選んで、それぞれの 場合・場面のなかに自分をおいてみる、同じ自分をいろいろなパースペクティ ブの中でとらえなおしあらかじめ見とおして、その見とおされた結果から、一 6) 大田・注 2 前掲『大田堯自撰集成 2』451 頁。 7) 大田 堯『大田堯自撰集成 1 生きることはまなぶこと 教育はアート』藤原書店、2013 年、 117-121 頁。 8) 大田注 5『大田堯自撰集成 1』121 頁。
つの自分を選択」9)できるとされるのである。そして、その反応の一時延期に おいては、言語と思想とが大きな役割を果たすが、「そういう言語や思想さえ も、本来的には人間の選びながら生きてきた過程そのものの一部、ないしその 過程の中での所産なのであろう」10)とされる。この刺激に対する反応の延期、 「まわり道」という人間の選択的反応力は、人間の根源的自発性に由来し、他 から強制されて育つものではなく、好奇心が尊重される中において、じっくり とゆたかに育てられなければならない11) とされるのである。 筆者は、この人間の好奇心は、機械化された自然の感じられない無機的な 世界ではなく、人間が五感を駆使して、森羅万象の自然と生き生きと出会い、 触れ合う中でこそ、最も活性化されると思う。また、人間は、語りや詩、絵、 歌、踊り等といった表現手段を用いて人生を表現し、生きる思いや思想を展開 してきたが、その高次な所産も、人間が自然とのかかわりの中で選びながら生 きてきた過程の中での所産であり、人が相互に生きることを励まし合い、心響 き合って生きていく人間の知恵の輝きだと思うのである。 人間が持つ遺伝子は、一人ひとり違い、その人間の生まれた場所や家族など の状況も異なる。したがって、外的刺激への対応・選択も、個々の人間によっ て異なるといえる。人生は、その人が全力をもって磨き上げる、いや、磨き上 げざるを得ないものであり、その結果としての人生は、本来、一人ひとり自ず と異なり、その人の渾身の作品といえるものでなければならないのではないだ ろうか。大田先生は、「人間が人間になるというプロセスというのは、まさに芸 術だと私は思うんですよ。多様な選択肢の中から、一期一会、その時その時の 選択の蓄積が、その人のその人格と生涯というものを形成していくんだと考え れば、子どもが育つということは壮大なアートだというふうに思うんです」12)、 「人間が自分を創っていくというそれ自身がアートです。」13)とされ、人生その 9) 大田 堯『大田堯自撰集成 4 ひとなる 教育を通しての人間研究』藤原書店、2014 年、243 頁。 10) 大田・注 7 前掲『大田堯自撰集成 4』243 頁 11) 大田・注 2『大田堯自撰集成 2』451 頁。 12) 大田・注 1 前掲『かすかな光へと歩む』119 頁。 13) 大田・注 7 前掲『大田堯自撰集成 4』73 頁。
ものがアートであると指摘されている。 宮沢賢治は、前記『農民芸術概論綱要』において、「曾つてわれらの師父た ちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた」と言い、そこには芸術もあったとす る。賢治は、その農民・民衆の文化的な楽しさをとり戻すべきとして、「いまや われらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ 芸術をもて あの灰色の労働を燃せ ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある」と言っ ている。 語りや詩、絵、歌、踊り等といった形での表現は、人間にとっての自己の 人生の表現であり、自己実現、自己の全面的発達にはかけがえのないものであ る。それは、気の利いたものとなれば、美しさの感じられる芸術性のある表現 となるであろう。現代を生きる私達も、自然と生き生きと触れ合う中で、自然 性をとり戻し、職業芸術家に奪われた表現手段をとり戻し、民衆の芸術的自己 表現の復興を図り、自己の全面的な発達が可能になるようにしていきたいもの である。 その芸術的自己表現の復興の場こそ、宮沢賢治が前記の「都人よ 来ってわ れらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ」と言うように、都人の住む自 然から切り離された都市ではなく、自然豊かな農村に依拠する必要があり、そ の自然と触れ合える農的暮らしのある場こそが重要になってくるといえよう。 大田先生は、「ちがうこと、自らかかわりつづけること、そして、そういう 固体生命の事実をふまえて、新しいかかわりを創り出しつづけること。この自 然があたえた生命の特質に立って、一人ひとりが自らの人柄で、世の中に生き る手ごたえを感性から分かち合う、そういう地球上のみんなのしあわせを夢 みること、私のあこがれは、そんなものかと考えています」14) とされている。 人が、心の響き合いの中で生き、自分を知り、その社会性を発達させるために は、自然と生き生きと触れ合える農的暮らしの感じられる場で、人と自然を思 いやる心優しい自由闊達な地域のコミュニティーが形成されていることが何よ りも必要であると思う。 14) 大田・注 1 前掲『かすかな光へと歩む』209 頁。
筆者は、そのことを思うとき、有機農業がその重要な役割を果たすのでは ないかと思う。日本の有機農業のこれまでの展開過程とそこで形成された思想 は、正に、その可能性を示すものであると思われる。このため、次に、その展 開過程と思想を紹介することとしたい。
3 日本の有機農業の展開過程
(1) 有機農家と消費者の提携 日本の有機農業は、1970年代に、消費者が有機農家から直接有機農産物を 共同購入する形で始まっている。消費者側は、この共同購入により有機農家と 直接結びつき、「顔と顔の見える関係」の中で相互の信頼関係を形成・保持しな がら、有機農家から有機農産物の継続的な供給を受ける。この形態は、「提携」 と呼ばれる。日本の有機農業において、この「提携」が広がった理由は、その 草創期である「1970年代前半には、安全な食べ物を求める消費者たちは多く の場合、全国に点在する有機農業生産者を探しあてて結びつき、産直・共同購 入方式によって有機農産物を手に入れるしか方法がなかった」15) ことにある。 この「提携」にかかわる消費者達は、1970年代前後において、食品添加物 を使用しない安全な食品の供給を既存の供給ルートでは受けられないという不 安から、自ら生産側に直接働き掛け、無添加の食品を生産してもらい、それを 地域で共同購入しようとした消費者運動の流れを汲む。彼らは、安全な食べ物 を求め、共同購入していくうちに、自分達の食生活が便利さを追求した安易な ものであり、それが農業に歪みを与え、安全な食べ物の供給自体を困難にして いることを知る。 その辺りの事情について、「提携」に長年携わった消費者側のリーダーの白 根節子(埼玉県の「所沢生活村」という組織を創設)は、その著書において、 消費者の生活が「毒づいた豊かな生活」であったことを「私たちが農とかかわ りを持ち、本当の食べものを求めたとき、はっきり認めざるをえなかった」と 15) 桝潟俊子・久保田裕子著/国民生活センター編『多様化する有機農産物の流通』、学陽書房、1992 年 3 月、10 頁。し、「まず、都市生活者自身の生活が問い直されなければならなかったことが、 体験として思い知らされました」としている。自ら主宰する有機野菜の共同購 入の会を止めていく人達の共通の理由は、いずれも「キャベツを食べたいとき にキャベツがなく」、「収穫に合わせた食生活にしろといわれても、夫や子供に、 何日も同じ物を食べさせることはとても辛い」、「私は我慢できても、夫を説得 するのは無理です。とくにアオナばかりたくさん献立すると、本当にいやがら れます」というものであり、首都圏に住んで“農”とは「かかわりのない」消 費者たちが便利さや自己の食欲に即応した勝手な食事内容を改めることは容易 なことではなかったとしている。続けて白根は、「都市生活者も生産の現場に おもむき、知ることです。土を嫌い、ことごとくコンクリートで覆い尽くして きたのが都市です。大地から遠のき、自然から遊離した生活からは、生産を理 解することはできません。· · · · 自らも耕す人間にならなければ、生活を変革 すると言っても、頭だけで終わってしまいます」としている16)。 これは、提携に携わった消費者達の基本的に共通した経験である。彼らは、 有機農家と直接かかわることによって、自己の好みの献立を優先した食生活を 見直し、土壌に消費者の口を合わせる、つまり農地の自然条件に即した食べ方 をし、有機農家とともに歩んでいくことの重要性を学ぶ。 一方、この提携は、有機農業に取り組もうとする生産者にとっても大きな励 みとなった。山形県高畠町で有機農業を営む星寛治は、消費者への「なれない 配送をすることは、作物をつくる以上の困難を伴った。けれど、· · · · 消費者 との相談の中で自ら価格をつけ、中間の流通を介さずに提供できることは、ま さに画期的なことであった」と述べている17)。そして、星は、「一年を通して 消費者の台所に直結することが望ましいとするならば、農家の生産形態も変え なければならない。つまり、作物を限定した大量生産の形から、多品目少量生 産へと転換することが求められる、併せて、資源の再生循環をはかるなら、必 16) 白根節子『たかが菜っぱの話から』ダイヤモンド社、1979 年 12 月、196-197 頁及び 178 頁。 同「食卓から “農” を問う」、日本有機農業研究会編『消費者のための有機農業講座 2 食卓か ら暮らしを問う』JICC 出版局、1981 年 12 月、17-18 頁。 17) 星寛治「共生社会を拓く有機農業運動」、日本村落研究学会編『有機農業運動の展開と地域形成』 農山漁村文化協会、1998 年 3 月、93-95 頁。
ず家畜を入れ、有畜複合経営をめざすことが望ましいという考えに到達した」 とし、提携により農家側の農業経営のあり方が大きく変わったとしている。 (2) 本来あるべき姿の農業 この提携の推進において重要な役割を果たすのは、一楽照雄と日本有機農業 研究会である。日本有機農業研究会は、一楽照雄の呼びかけにより1971年に 設立された。「有機農業」という呼称は、この研究会の結成に当たって、一楽 が名付け親となって使われ始めた。これが、日本において「有機農業」という 呼称が使われた初めである18)。 この「有機農業」という呼称は、研究会が探求しようとする「本来在るべき 姿の農業」を簡潔に表現する呼び名として選択されたものであり、現行の農法 が余りにも無機的であることへの反語的意味合いを含めたものであったとされ る。一楽は、この言葉によって「正しい農業あるいは本当の農業、あるべき形 の農業とでもいうようなことを追及しようというわけですから、本当は有機農 業という言葉自体がなくなることが望ましいと思う」と述べている19)。この 日本有機農業研究会が、それまでに全国に自然発生的に存在していた有機農家 と安全な食物を求めていた消費者グループの消費者、それに有機農業に関心を 示す学識者を結びつけ、「提携」を推進する中心的な存在となる。 こうした「有機農業」という名称の経緯からしても分かることは、有機農業 を特別視せず、付加価値農業としてではなく、正しい農業、本来在るべき姿の 農業としてとらえていることである。同研究会の設立趣意書は、経済合理主義 の見地から促進された農業の近代化が生産者の健康を害ない、環境破壊、地力 減退等を招き、消費者には残留毒素による脅威を与えたとし、このような見地 からは、わが国農業の今後に明るい希望や期待を持つことは甚だしく困難であ るとし、農業における経済合理主義を強く批判している。 日本有機農業研究会は、「提携」の原則を1978年11月に「生産者と消費者 18) 一楽照雄「日本農業転換への道 有機農業の提唱」(1995 年 5 月)(日本有機農業研究会『有機 農業運動資料 No.1 有機農業の提唱』、1992 年 10 月、4 頁所収)。 19) 一楽照雄「有機農業の取り組み=報告に入るまえに」協同組合研究月報 No271 所収、1976 年 4 月。
の提携の方法」10ヵ条(以下、「提携10ヵ条」という。)にとりまとめ、定式 化している。その中で、「生産者と消費者の提携の本質は、物の売り買いの関 係ではなく、人と人との友好的な付き合い関係である」とし、農産物を商品と して取り扱わず、有機農家と消費者が顔と顔の見える中で信頼を土台とする相 互扶助そのものであるとする。 一楽は、食生活は人間生活の「もと」であり、農業は人間の仕事としてもっ とも人間的なものであり、この仕事を金儲けの手段としてはならないとする。 そして、提携について、「農家が作った物は先ず自家で消費して、余ったもの を消費者に提供するという関係なんです。それに対してはもらった人からの謝 礼が行われるのが当然であり、生産者と消費者の間では、売買取引ではなく、 贈与と謝礼の関係、提携の関係が生まれるのです」とする。モノの売り買いで あれば、利害で取引する以上、売手と買手の利益が相反する関係となるが、そ うではなくて、「相互扶助の原理に則って、自分が犠牲を払うのではなく、ど ちらかといえば時には自分も得をしながら、相手に得を与えるというよろこび こそ、ほんとうのよろこびなのです」としている20)。この考え方が提携10ヵ 条にも強く反映されている。 このように、一楽や日本有機農業研究会は、経済合理主義の視点に立って農 業を見ることを排し、有機農業を付加価値農業としてとらえることに反対し、 有機農業を本来あるべき姿の生業としての農業ととらえなければならないとす る。そして、そこでの農家と消費者の関係は、モノの売り買いの関係であって はならず(食べ物を商品にしてはならず)、相互扶助の原理に則った顔と顔の 見える中での贈与と謝礼の関係、提携の関係であるべきだとする。一楽は、相 互扶助は、協同組合の基本原理であり、協同組合思想が有機農業運動の思想的 基盤となるべきであるとする。この思想が有機農業における生産者と消費者の 関係に正に合致していると見る21)。一楽は、農林中央金庫に長く勤め、退職後 は協同組合経営研究所の理事長を勤め、協同組織はいかにあるべきか不断に問 20) 日本有機農業研究会・注 18 前掲『有機農業運動資料 No。1』48 頁、69 頁、67 頁及び 26 頁。 21) 一楽輝雄「運動に協同組合思想を」(日本有機農業研究会・注 16 前掲『有機農業運動資料 No.1』) 16 頁。
い続けてきた実務家兼理論家であり、その一楽にとって、提携は、追い求めて きたあるべき姿の協同のあり方でもあったのである22)。 (3) 自給・自立と互助 一楽の考え方で、さらに留意されるべき点は、自給である。一楽は、提携に ついて前述のとおり「農家が作った物は先ず自家で消費して、余ったものを消 費者に提供するという関係なんです」と述べている。これは、農家が自給する ことを前提とし、その上で、消費者がその自給に協力する形で自らの消費生活 をおくることを求めている。あくまでも自給を根底に置いた思想である。 提携は、有機農家にも、消費者にも、自給・自立できることあるいはその潜 在力を持つことを可能にする。有機農家にとっては、多品目の作物を栽培する ことにより、自らの食生活をまず自給し、その余剰を消費者に提供することに より、自然災害にも経済的リスクにも備える対応力をつけ、農家経営の自立性 と生活の持続性を維持することが可能になる。ところが、農家が自らの農場全 てを単作型の商品生産にしてしまうことは、商品経済にその経営のすべてを委 ねてしまうことになる。農家は、大きな経済的リスクを抱え込むのみならず、 自然にも大きな負担をかけてしまう。しかし、その農家の農業が、外部資材に 多くを頼らない有機農業であって、多品目の作物を栽培し、農家自らも自給で きる農業であれば、経済的リスクに備えることができ、農場では自然循環が維 持され、その農家は、自然の汚染と自然の収奪を避けて、経済的にも自立した 持続的な農業を営むことが可能となる。そして、自己の農場を多品目栽培によ り自給できる農場とし、その余剰を提携により信頼関係をとり結んだ消費者に 届け、その食卓を支える経営を営めば、大きな経済的リスクを抱え込むことな く、消費者との間で自然の恵みに感謝しながら人間的に交流し、思いやりのあ る親愛な人間関係をとり結ぶことができる。 消費者にとっても、有機農家に出向き、自然を堪能し、有機農家と親戚のよ 22) 一楽照雄の著作をまとめて収載した『暗夜に種を播く如く 一楽照雄−協同組合・有機農業運動 の思想と実践』(発行(財)協同組合経営研究所、発売(社)農山漁村文化協会、2009 年)は、 「提携の理念」は、「一楽が長年にわたって追求してきた協同組合思想を根底にすえ、より本質に 迫った思想の到達点でもある」としている(285 頁)。
うに付き合うことが可能になり、有機農家を中心として消費者相互の人間的な 交流も進む。消費者は、自らの食生活を正すのみではなく、農的暮らしを身近 なものとし、有機農家の助言を受けながら、その意欲次第で自給菜園を営むこ とも可能になる。命の糧である食料を自給する有効な潜在力を身につけておく ことは、失業したとき等に、自らの生活を維持する可能性を高め、人生におい て、自己の良心に従った自立した生き方を貫く心の支えとなる。 提携は、自然の恵みに感謝し、人々を結びつけ、人々が相互に思いやる基盤 となる。人それぞれが自立性・自主性を持てる状況を意識的につくり出し、心 に余裕を持って他者と結びつき、困った場合にも互助し合えるところに、本来 の協働と共助が成立し、自然にも、人にも優しい社会環境が成立するといえる。 (4) 有機農業の魅力 有機農業は、「提携」という有機的関係性を「見出す」ことにより、単なる 農法や経営の領域を遙かに超えて、自然との調和の上に立脚した自立と互助と いう社会のあり方を求め、社会を変革する射程を獲得する。 埼玉大学経済学部で非常勤講師を務め23)、有機稲作で先進的かつ極めて優 秀な農業技術を持つ有機農家の舘野廣幸さんは、一般的に有機農業は化学合成 農薬と化学肥料を使わない農業と受け止められているが、表面的にはそうでは あっても、実は、その本質は、生命や自然の法則に沿った世界に農業や社会や 生き方を変えることにもつながっているとし、「広大で深遠な世界観の転換に あると思う」とする24)。 舘野さんは、「提携において生産者が農産物を育てる目的は、自分と消費者 の健康で安全な生活と健全な環境の維持による幸福で平和の世界の構築であ る。· · · · 田畑はそのバランスを破壊しない農業を行うことによって、毎年安 定した恵みを生み出す。· · · · その恵みである農産物を共に分け合う仲間と して消費者が関わるのである。生産者は消費者を思いながら必要な農作物を必 23) 舘野廣幸さんは、2008 年度から 2010 年度までの各後期開講の特殊講義「有機農業と暮らし」 と 2011 年度及び 2014 年度後期の社会環境設計論特論の非常勤講師を務められた。舘野さん は、現在、日本有機農業研究会の理事であり、日本有機農業学会の理事でもある。 24) 舘野廣幸『有機農業 みんなの疑問』筑波書房、2007 年、9 頁。
要な分量だけ育てる。消費者は商品として農産物を買うのではなく、田畑の恵 みとしての農産物を通じて健康で豊かな生命の営みのためにお金を支払うので ある」とする。館野さんは、「生産者と消費者は、直接に接することで、共に 多くの情報を得ることができる。· · · · つまり、提携においては生産者と消費 者の情報は双方向性を持つことができるのである。相互扶助や互恵の精神はこ うした相互理解の上に成り立つ。生産者は、わが子のような自分の農産物が消 費者の元に届いて、美味しく食べられていることに喜びを感じるのである」と している25)。また、「商品としての農産物の購入は、売買の決済という意味の 言わば『縁切りのお金』であるが、提携のお金は有機農産物を通じて田畑と結 び合うための『縁結びのお金』である」とも指摘する26)。 舘野さんは、「『有機農業』の持つ意味は、いのちある生き物たちに共通する 『生き方』を求める過程でもあります。· · · · 有機農業への道を歩む ことが、『有機的でない社会』を作ってしまった私たち人間がしなければなら ない多くの生き物たちへの償いの道だと思います。『有機農業』は『有機社会』 へ、そして『有機地球』という平和な『有機世界』へ向かう第1歩なのではな いでしょうか」27)と述べているが、その言葉は極めて重い。 提携により、人々が自立性・自主性を持てる状況を意識的につくり出す。そ こで、人々は、心に余裕を持って他者と結びつき、困った場合にも互助し合 う。そうしたところに、本来の協働と共助が成立し、自然にも、人にも優しい 社会環境が成立する。そして、そのような世界は、お互いを尊重する世界であ り、分権的であり、大きな政治権力は必要でなく、他者や他の社会に対して暴 力的、搾取的になることもない。提携と結びついた有機農業は、こういった可 能性と強い魅力を持っているといえる。 25) 舘野廣幸「生産者から見た提携の意味」、日本有機農業研究会『腐植がつなぐ森・里・海の「提 携」ネットワークをつくろう 「流域自給」と「提携」から広がる有機農業』2010 年、20 頁。 26) 舘野・注 25 前掲 21 頁。 27) 舘野・注 24 前掲 10-11 頁。
4 見えてくるもの
これまで、宮澤賢治の『農民芸術概論綱要』、大田堯先生の指摘、日本の有 機農業における「提携」の展開とその思想について見てきたが、そこから、今 後の私達の暮らしや仕事・労働のあり方として見えてくるものとして、次のよ うなことが指摘できるのではないだろうか。 (1) 総合性の回復 現代社会においては、先に述べたとおり、専門分化が進み、人間が自ら自給 する領域が極端に縮小している。現代人は、自給しようとする意欲を失うとと もに、自給していた領域が大きかったときよりも、自分自らが物をつくる等、 自らでいろいろなことを試みる機会が減っている。そのことにより、自分がど のような能力があるのか、気付く機会が少なくなるおそれが強い。また、現代 人は、特定の分野のことしか自分で分からず、バランスある全体的な知識に欠 け、総合的な視点を持つのが難しくなっている。労働は、雇用労働が圧倒的と なり、分業化された小さな範囲の分野で「灰色の労働」に陥っている。精神的 にこころよく働き、わくわくする生命感溢れる働き方から遠ざかっている。 昔であれば、人間は、自然の中で暮し、自給する領域が大きく、自分の暮 らしの相当の部分を自ら責任を持って全うする暮らしを送っていた。その中で は、自分を全力でもって試さざるを得なかったといえる。自分を全力で持って 試すというその自給の良さを再認識し、今一度、自給的能力の回復により総合 性の回復を図ることを考えていく必要があるのではないだろうか。 大田先生は、前にも述べたとおり、生命体は、感覚運動による学習を通じて、 生命体自身を環境に適応させ、自らを自らで変えていく自己創出力、つまり根 源的自発性を持つと指摘されておられるが、前述の自給的能力の回復は、別の 言葉で言えば、大田先生の指摘される生命体の持つ根源的自発性を尊重し、そ の回復を図ることだと言うことができる。 人間は、この根源的自発性の中に、精神的な創造的能力、つまり想像力も備 えており、この想像力により、身近な時空間を遙かに超えた時空間まで想像す ることができる。人間は、本来、現代のような切り刻まれた小さな労働・仕事分野に押し込められるような存在ではなく、自然とかかわる中で、その身体的 能力と精神的能力とを駆使して、物事を長大な時間軸・空間軸から総合的に捉 えてその本質を学んでいく、生命感溢れるわくわくする働き方ができるはずで ある。 (2) 自然に対する感受性の回復と非暴力性の確保 現代の暮らしは、自然から切り離され、人工人為のものに取り囲まれてい る。うっかりすると、人間すら生命体であることを忘れてしまいかねない状況 であり、自然の中で生かされているという実感が希薄になっている。 その人工人為を支える知的営為も、元は自然界からの刺激への学習・反応を 通じて自らを自然界に適応させていくことから発展してきたものである。人間 は、動物であり、体を使って五感を働かせることが重要であり、その中で、自 分自身の想像力がかき立てられ、自分自身の中で新しい気づきや発見が生み出 されるのであり、そのことで、人間は、生き生きとした心の躍動や輝きを実感 できるといえる。高度な発想も、自然と向き合う中で、自然から学ぶことで豊 かな着想を得てきたのではないだろうか。 有機農業は、自然への優しい眼差しで、畏敬の念を持って自然に接し、地球 上の生命体とともに生き、天地の恵みに感謝して暮らす農の営みである。殺生 を最低限にし、地球上の生命体とともに生きる営みといえる。これは、自然に 対する非暴力の思想であり、自然を人間の生きる手段として利用し、人間の利 益のために生命体を殺傷し、搾取することをはばからない近代の人間中心主義、 経済合理主義とは異なる。この非暴力性、つまり、生命体全体への深い思いや りが人々の心を洗い、人々の感動を呼ぶのだと思う。この非暴力性こそ、極め て大切であり、その自然への非暴力性の中においてこそ、人は、自然を満喫で き、生きていることを実感し、感謝することができるのではないだろうか。そ れは、心が満たされることでもあり、人の生きる大きな力になり、豊かな発想 の源泉になると思われる。自然に対する感受性の回復と非暴力性の確保が求め られていると思われる。
(3) 有機的関係性の回復 自然への非暴力性の確保、つまり、生命体全体への非暴力性の確保というこ とは、そこから、自ずから、生命体である人と人との関係についても、非暴力 であるべきだということが帰結されよう。そして、人と人との関係が非暴力な 関係であるには、人と人の意思疎通・相互理解が不可欠であり、日本語には、 「思いやり」という素晴らしい言葉があるが、この人を「思いやる気持ち」の 醸成が不可欠である。コミュニケーション・交流が極めて重要となる。 日本の有機農業思想の形成に貢献した一楽照雄は、有機農家と消費者が顔と 顔の見える関係の中で交流・協働・学習することを重視し、自然との有機的関 係性のみならず、人との有機的関係性を発展させる「提携」を提唱した。一楽 は、虫や微生物等の生命体を殺傷する農薬等を用いない、つまり自然への非暴 力性のみならず、人への非暴力性も視野に入れている。 一楽は、人への非暴力性ということでは、「食べ物は商品ではない。食べ物 や農業を金儲けの手段としてはならない」と主張していることに典型的に見ら れるように、経済面での暴力、つまり市場経済や企業社会の攻撃性、暴力性を 問題とする。商品の売買関係は、打算で取引しているというだけの打算の関 係であって、人と人との出会い・つながりには結びつかず、人格と人格が出会 い・つながり、心を響かせ合うことにはならない。「提携」に見られる有機的 関係性は、この現代経済社会の持つ攻撃性・暴力性から抜け出そうとするもの であるといえる。 提携は、自然の恵みに感謝し、人々を結びつけ、人々が相互に思いやる基盤 となる。人それぞれが自立性・自主性を持ち、思いやりを持って他者と結びつ き、困った場合にも互助し合う心響き合う人と人の結びつきである。こうした 有機的関係性が自然にも、人にも優しい社会環境を成すのであり、一楽らの日 本有機農業研究会の関係者は、この有機的関係性こそ、人が生きていく上で不 可欠であると見るのである。
(4) 美しさを感じる表現のとり戻し 宮澤賢治は、その著作『注文の多い料理店』の序28)において、次のように 述べている。 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつ た風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちば んすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをた びたび見ました。 わたくしは、さういふきれいなたべものやきものをすきです。 筆者には、宮澤賢治が自然の美しさに感動し、その主観的真実ともいうべ き自己の内面の感動した気持ちをこの文章で見事に表現しているように思われ る。この文章に続けて、賢治は、「ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひ とりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしま すと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです」と言っている。 人間が自己の内面を表現しようとする場合、口頭や文字、絵、音、動作と いった表現手段を用いて表現することになり、自分の人生を反映した自分らし い表現手段をとらざるを得ない。それは、随筆、絵画、歌、詩、舞等といった 形をとることになろうが、自分の感動した気持ちを外部に表現する場合には、 美しさの感じられる芸術性のある表現にならざるを得ないであろう。美しさが 感じられる表現でなければ、自分自身の心が輝かないばかりでなく、その表現 を見たり聞いた人達の心を揺さぶることにもならないからである。美しさが感 じられるからこそ、人の心は揺さぶられ、心の響き合いが生じ、人々は、意思 疎通・相互理解できた喜びに浸ることができるのである。 賢治は、自然の美しさや人の心の機微を素直に感じ取る繊細な感性で、童話 等の作品を著し、それだからこそ、賢治の童話等の作品は、私達の心にすっと 28) インターネットの青空文庫の『注文の多い料理店』序による。 (http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43736 17656.html)
入り込み、読む人に大きな感動を与えるのだ思われる。人間が自然の美しさや 人を思いやる心の美しさに触れ、その美しさが自分の心にしみ入ることで、人 間の心は輝き、人間は、その心の輝きを自分らしい表現手段で自己表現しよう とする意欲を持つことになると思われる。自己の感性面において自分の満足の いく渾身の自己表現をするとすれば、それは、美しさの感じられる芸術性のあ る表現とならざるを得ない。 現代社会は、職業芸術家によって、芸術的自己表現の美の世界が独占され ている。普通の人達による社会に向けての芸術的自己表現が入り込む隙間がな い。それだから、賢治は、『農民芸術概論綱要』の「農民芸術の興隆」におい て、「いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ 芸術をもてあの灰色の労働を燃せ」と言ったのであり、芸術的表現を民衆の 手にとり戻すことを提起したのである。 自然との優しいかかわりや人々の心響き合う有機的なつながりのある世界 があれば、私達は、素直な心・開かれた心で自然や人と向き合えるであろう。 そして、自然の美しさや人を思いやる心の美しさが私達の心にしみ込めば、私 達の心が輝き、私達がその心境を自分らしい表現手段で美の感じられる形で容 易に自己表現できることになるであろう。その自己表現が他の人々に伝達され れば、他の人々の心を輝かせることになり、共に心が響き合う世界が広がって いくことになる。 戦前、民芸復興運動を展開した柳宗悦は、無名の工人が生み出す日常的で健 康な美に着目したが、柳は、そのような美は、新奇なものを作ろうとするたく らみや、自分の名前を売り出そうとする作為から離れ、ひたすら実用に即した ものを作ろうとするとき、材料がもっともよく活かされ、労働と美が結合し、 優れた美が生まれると見た29)。柳は、そこには、華美も他への威嚇もみられ ず、素直で親しみがもてる静寂な美が保たれていると見て、民芸の復興を提唱 した。現代社会は、当時よりも機械化、企業社会化が遙かに進んでしまってい る。現代社会においてこそ、自給的能力をとり戻すとともに、有機的関係性を 回復させ、民衆の芸術的自己表現を活性化する現代版の民芸復興運動が求めら れているといえるのではないだろうか。 29) 中見真理『柳宗悦 ─「複合の美」の思想』岩波新書、2013 年、32 頁。
(5) コミュニティーの回復 社会において有機的関係性が存在することは、換言すれば、その社会にコ ミュニティーが存在していることを意味する。一楽らの有機農業思想は、有機 農業の営みを核として、自然と調和し、人々が自主性、自立性を維持しながら、 想像力と思いやりを持って、お互いに助け合う、そういう自立と互助に立脚し たコミュニティーをとり戻そうとする考えである。 日本においては、コミュニティーを自分達でどう形成するか、つまり自治 的社会をどう築くか、第2次世界大戦後の時代においてすら、そのことを真 剣に考え、実現させようとする問題意識が育ってきたとは言い難い。都市は、 ただの人の集まりに過ぎず、コミュニティーからは程遠い。また、農村の集落 は、旧態依然としている。コミュニティーをどう形成し、地域を再生していく のか。これこそ、グローバル化が進展し、地域が疲弊し、人々がますます孤立 していく中で、大学が知恵を出し、貢献していく緊急性のある重要な課題では ないだろうか。 筆者には、有機農業の営みを核とする自然にも人にも優しい自治的社会の形 成、そうしたコミュニティーの形成を目指すという、この有機農業思想の考え 方は、非常に重要な意味を持っているように思われる。 戦前の足尾銅山鉱毒事件、戦後の公害に見られる近代産業による悲惨な環 境破壊と住民の健康被害は、近代国家が成立し、近代所有権が確立していく中 で、川や多くの山林等が国家によって管理・所有されたことにより、自然の大 元がコミュニティーによる自治的な管理から外されてしまい、国家が産業に有 利なように都合良く自然を管理・支配できたことが関係していると思われる。 田中正造がなぜあのように国と古河に対して闘ったのか。それは、江戸末期に 名主として集落を守る立場にあった経験を持つ田中正造にとって、国家が産業 と癒着し、国策で産業に都合の良い政策を推進し、昔から集落が自治的に守っ てきた自然とその集落自体を平気で破壊し、農民の暮らしを奪い、甚大な被害 を与えていることが許せなかったからだと思われる。近代に入って、自然の自 治的管理が破壊され、それ以降、それに代わるコミュニティーによる自治的管 理も形成されず、近代化・軍事化の中で自治意識やコミュニティーを形成する
問題意識も醸成される状況になく、戦後は、企業社会化の進展の中で、個々人 がますます孤立していった。 こうした状況の中で、有機農業の営みを核とする自然にも人にも優しい自 治的社会、コミュニティーの形成を目指す有機農業思想は、前述の舘野廣幸さ んが指摘するように、「広大で深遠な世界観の転換」であり、生命や自然の法 則に沿った世界に社会や生き方を変えようとするものであると思う。そして、 そうした自然にも人にも優しいコミュニティーを形成するためには、意思疎 通・相互理解、思いやりの醸成が不可欠であり、人々の出会い・つながりをも たらす交流が極めて重要となる。この交流を確かなものとするためには、人々 の出会い・つながりを演出できる人々の交流のスキルとして何が適切なのか、 また、その場が、誰もが入り込め、気がつけば質の高い心の響き合いと学び・ 協働の場になるにはどのような要件が必要か等について、高いレベルでの実践 的な考察が必要である。筆者は、2011年度以降、大学が地域の人達と協働し、 学生・教員が地域にしっかり入り込める交流型の授業を試みてきたが、そうし た考察は、大学こそ最も取り組みやすい事柄であると思うに至っている。
5 大学の役割
大学は、学びのための語らいと集いの場である。しかし、この場が交流の場 になっているとは言い難い。大学は、20歳前後の特定の若い世代に授業とい うサービスを提供しているに過ぎず、学生達は一方的に講義を聴いているだけ で、受講している学生間には交流がほとんどない。まして、地域の人達と交流 し、地域に溶け込み、コミュニティー形成の一翼を担うという雰囲気もない。 大学と地域との関係は希薄である。 しかし、筆者が2011年度から地域交流型の授業を試みてきて分かったこと は、授業を工夫して、学生達が単位を取得できる形で、地域に入っていくきっか けを与える授業をするならば、学生達が地域を意識し、地域と交流し、地域の 人達もそれを歓迎する雰囲気を容易に醸成できると強く感じたことであった。 そして、その場合、学生達に地域の人達と交流できるきっかけを容易につくり 出す簡単な交流手段を持たせる工夫をすることが重要であるとも強く感じた。筆者は、2011年度以降、埼玉大学経済学部で次の地域交流型の授業を実施 し、受講学生達に地域交流のために使用する交流手段を授業で体験させてきて いる。 (注)1.寄附講義は、NPO 法人日本有機農業研究会による埼玉大学経済学部への寄附講義である。 2.上記授業は、すべて埼玉大学経済学部の専門科目である。 授業は、当初は、交流手段として学生達に地域ガイドを体験させることから 始まったが、その後、もっと地域の人達と直接心が通う交流ができないかと考 え、紙芝居や絵本、語り、わら細工等をとりあげ、学生達にとっても地域の人 達にも、学生の演じる交流手段がより親近感・臨場感を持てるものにするよう 工夫し、交流手段の進化を図っている。 また、授業で試みる交流手段が効果的であることが判明すると、さらにその 改善を図って、質の高いものとするため、筆者は、埼玉大学において「埼玉大 学有機農業研究会」というサークルを創設し、その学生達にその質を高める取 組みをしてもらっている。 例えば、紙芝居であれば、授業で学生が創作した紙芝居で優れた作品につい て、専門家の指導を得て、埼玉大学有機農業研究会の学生達が脚本の抜本的な
充実を図るとともに、より出来映えの良い絵に仕上げ、時代考証も十分に加え て、質の高い作品に仕上げている。こうした取組みの最近の成果として、例え ば、紙芝居の分野では、紙芝居『やそべえとみぬま』の制作がある30)。この 紙芝居は、さいたま市の広大な緑地空間である見沼田んぼ地域をとりあげ、江 戸時代に第8代将軍吉宗の命を受けて、見沼田んぼが井沢弥惣兵衛為永(いざ わ・やそべえ・ためなが)の指揮によってつくられた経緯を紙芝居化した。 紙芝居『やそべえとみぬま』の最初の場面 この紙芝居では、見沼の水を抜いて、利根川から見沼に水を引く工事の経過 が紹介され、弥惣兵衛が、農民の出身であったことも関係して、工事を地元の 農民に優しいやり方で実施し、地元の農民に慕われたこと等が紹介されている。 この紙芝居をつくった学生らは、将軍吉宗が弥惣兵衛の腕の確かさを評価 30) 紙芝居『やそべえとみぬま』は、筆者が大田堯先生の見沼フィールドミュージアム構想に共感し て始めた授業から生まれた。2013 年度後期の埼玉大学経済学部の授業において、紙芝居づくり を試みたとき、岩 龍太郎君(当時経済学部 3 年)がその原案をつくった。その原案が良かっ たので、子ども文化研究家で紙芝居がご専門の中平順子さんにご指導いただき、同じ授業をとっ ていて大学サークルの埼玉大学有機農業研究会メンバーの吉岡和泉さん(当時教養学部 4 年) と押井那歩さん(当時教育学部 1 年)がその脚本の内容を追加充実させた。また、紙芝居の絵 については、吉岡さんがその腕をふるって大学卒業後に素晴らしいものに仕上げた。この紙芝 居『やそべえとみぬま』は、その全場面がさいたま市(見沼田圃政策推進室)制作の『見沼たん ぼ見どころガイド 2015』(2015 年 3 月発行)において「見沼の紙芝居」と題して 3 頁にわ たって掲載された。
し、弥惣兵衛につぎつぎに新田開発や大きな河川の改修を命じたので、弥惣兵 衛がとうとう故郷に帰ることができなかったことをとりあげ、この弥惣兵衛の 故郷を思う気持ちも推し量って、月を見ながら故郷を懐かしがる弥惣兵衛の気 持ちを描き、紙芝居を趣あるものにしている。 さらに、埼玉大学有機農業研究会の学生や社会人は、地域交流をより前進さ せるため、喜劇にも取り組み、さいたま市役所等が主催する地域の交流イベン ト「みぬま秋フェス」のために創作喜劇『吉宗と見沼』31) を、 2014年11月1 日、さぎやま記念館において来館者の前で上演している。 この喜劇は、紙芝居『やそべえとみぬま』と同様に、見沼田んぼが将軍吉 宗の命を受けて、井沢弥惣兵衛の指揮によってつくられたことを内容にしてい るが、この喜劇では、より焦点が将軍吉宗やその享保の改革に当たったものに なっている。 出演した配役の学生ら。弥惣兵衛役は左から二人目、吉宗役は右端。 この喜劇では、まず、吉宗が、享保の改革で倹約策を実施し、出費を切り詰 めるため、江戸城大奥に仕える器量の良い女性に暇を言い渡したことをとりあ げている。続けて、収入を増やす方策として、吉宗が積極的に新田開発を行っ たことをとりあげ、その方策の一つとして、井沢弥惣兵衛によって見沼田んぼ がつくられたことを紹介し、見沼田んぼが享保の改革による政策の中でつくら れたことを面白く学べるようにしている。 31) この喜劇『吉宗と見沼』の脚本は、2014 年 10 月に筆者と押井那歩さん(当時教育学部 2 年) が創作した。
吉宗が大奥に仕える腰元に暇を言い渡す場面 弥惣兵衛(左端)が吉宗に工事の計画を説明する場面 学生達がこうした交流手段を持って、地域の人達と交流することは重要であ り、その交流手段が地域の人達とのコミュニケーションを大変とり易くする。 また、学生達のスキルも、専門化、洗練化されている必要性はなく、むしろ、 素人的で、その下手なところが紙芝居や劇等を見ている人達に親しみを与え、 話しかけ易くし、交流を促進する。学生達は、こうした紙芝居や劇等を演じる ことで、地域の歴史、文化、自然環境を臨場感を持って具体的に把握でき、地 域の人たちと容易に交流できることで、その充実感・達成感が大変大きい。ま た、学生達が演じる場が、まるで小さな心の花々が咲き出しているようで、そ
こに集う人達が憩いと地域の良さを感じる楽しい場となる。 地域の人達が柔和に出会い・つながる優しい地域社会を取り戻す。そうし た地域おこしは、大学を核として可能であると考えられ、こうした試みがあ れば、コミュニティーの形成も容易に進むのではないかと思う。そして、その 際、人々の出会い・つながりを演出できる交流のスキルとしてはどのようなも のがあるのか、また、その交流の場が、庶民的な雰囲気で誰もが入り込め、し かし、気がつけば質の高い交流と学びの場になっているようにするにはどうい う要件が必要か等について、高いレベルでの実践的な考察が必要である。そう した実践的な考察こそ、高等教育・研究機関の大学の場であれば容易にできる ことではないかと思う。
むすび
大学は、本来、地域の大きな文化センターであり、地域社会に有機的な世界 をつくり出す上で、その役割は大きいと思われる。 大田堯先生は、「子どもたちから自然が奪われる、大人とのかかわりがはず されていくというような、つまり、生々しい感覚で自然に触れる、生身で人と 触れ合う、そういう機会、経験の蓄積がなかったら、どのような立派な鍵にな る概念であっても身につかない、ということになるのではないかと心配するわ けです。· · · · 生身の人間と生身の自然というものとの交わりの蓄積なし に、つまり、そういう学習なしに、その上にピラミッドのような科学・文化を 伝えようとしても、それは伝わるわけはない。· · · · そういうことになっ てはいないかという憂いが私には深くあります」32) とされている。前述のよ うな地域交流型の授業等の試みで地域交流を通じて、大学の学生達が地域社会 の自然環境、歴史、文化を臨場感を持って具体的に学んでいくことは、正に、 この大田先生の指摘される「生々しい感覚で自然に触れる、生身で人と触れ合 う、そういう機会、経験の蓄積」である。大学にとっても、授業でそうした効 果が期待できることは好都合であろう。 32) 大田・注 1 前掲『かすかな光へと歩む』46-47 頁。現代社会は、「今だけ、金だけ、自分だけ」と揶揄されているように、長い 時間軸・広い空間軸から地球を越えて宇宙にまで及ぶような深い促しから物事 を総合的にその本質を捉えようとする視点に欠ける面がある。目先の利益に踊 らされているような短絡的な発想では、自然や社会の持続性を本質的に考えて いくことはできない。そうした発想では、人気とりの客寄せ主義に陥り、人々 の出会い・つながりに失敗し、地域内の自給能力も高まらず、経済的な持続性 を維持することもできないであろう。それは、地域の人達の表現・発信が内心 の深いところから納得してわき出る内発的なものになっていないためであり、 地域の歴史的、文化的、自然環境的な魅力が地域の人ならではの身についた表 現・発信となっていないことによる。 自然、歴史、文化を長大な時間軸・空間軸から捉え直し、地域の自然や社会 の魅力を把握し、そこでの人間の暮らしと人間らしい心の輝きをとり戻し、自 分自身と地域に誇りと自信をとり戻し、人柄がにじみ出る文化性の質の高いも のをつくり出し、人々の出会いとつながりを確かなものとする。そうしたこと によってこそ、経済的な持続性も確かなものとなると思われる。 大学は、地域の大きな文化センターであり、地域の魅力を新鮮な視点で発 見し、目先の利益に走ることなく、人々の営為や自己表現を文化性の高い質の 高いものとできる十分な実力を持つ。大学は、そうした取組みを通じて、思慮 深く心優しい人材を送り出し、地域社会を生き生きとした楽しさに輝くものに し、地域内の自給能力を高めていく重要な役割を果たすべきだと思う。 また、それのみならず、筆者は、制度的なこととしては、グローバリゼー ションの中で、地域社会を衰退させている現代の経済システムの改革が必要で あり、そのシステムを法制面で支えている国際経済法制を自然環境や地域社会 の維持、人格の陶冶の視点を入れたものに抜本的に改革されていく必要がある とも考えている。