• 検索結果がありません。

価値形態の秘密とは何か

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "価値形態の秘密とは何か"

Copied!
38
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

目 次

価値形態の秘密とは何か

はしがきI問題の所在 一 価値形態の謎  i自然的事例との本質的相違 二 価値形態の成立要件 三 価値関係と価値形態 四 価値形態の秘密 五’価値実体から価値形態ヘ  ー宇野弘蔵氏の所説の根本欠陥 はしがきI問題の所在  ﹁資本論﹂第1巻第一章第三節﹁価値形態または交換価値﹂は、﹁資本 論﹂体系で展開された労働価値論の試金石をなす一つの決定的箇所であ る。けだし、価値をもって市場で相対する異質な具体的有用労働の等置 頭  川     博 ︵人文学部経洪学科︶ 関係の中でのみ成り立つ抽象的人間労働に還元する労働価値論にとって、 価値実体を本来的属性として含有しない使用価値がその必然的な現象形 態としてあらわれる価値形態の秘密を謎解きしえて初めて、[方で需給 ・関係のバロメーターである価格形態に理論上到達しうると同時に、他方で すでに定立済みの価値実体の規定のもつ正当性が検証されうるからであ る。しかし、われわれの包括的サーヴェイによれば、公表論文の本数に 反して価値形態の秘密とは何かをめぐる論争はますます混迷の度合を深 めつつある。というのも、第三節の中心テー。マは、一方で価値実体が市 場で相対する異質な具体的有用労働の関係の中でのみ成り立ち、他方で 使用価値には価値実体がその本来的属性として含有されないのに、なお かつ使用価値が価値実体の必然的現象形態に転化するいわゆる価値形態 の秘密を解決することにあるが、価値形態の形成メカニズムをめぐる従 来の議論では﹁価値形態の秘密﹂︵﹁資本論JI、六三ページ﹂とは一体 何かが皆目不明といって過言でない現状にあるからである。単刀直入に いって、マルクスが第三節で解決を目指した価値形態の秘密つまり市場 で相対する異質な具体的有用労働の等置関係の中でのみ成り立つ本質と しての価値実体と価値実体を本来的属性として含蓄しないその現象形態 としての使用価値とを架橋する内在的媒介項とは何か。  さしづめ価値形態の秘密に関する代表的見解である久留開鮫造氏の所 説によれば、リンネルの価値が上衣の現物形態で表現されるのは、上衣の

(2)

二   高知大学学術研究報告 第三十三巻 社会科学 現物形態がリンネルによる等置により価値の直接的定在になることによっ てである。﹁リンネルは、自分に上着を価値物として等置することによっ て上着に価値体としての、抽象的人間労働の体化物としての形態規定性 を与え、これによって、はじめて自分も価値物であることを表現する。﹂ ︵︹2︺ 一一五ページ︶従って、久留間氏の所説によれば、価値表現の秘 密はリンネルによる上衣の等置によって上衣の現物形態が直接的な価値 定在になることにある。しかし、われわれは、価値形態の秘密に関する 久留間説に対して、以下の三つの根本的な疑問をもつ。  第一点。久留間氏によれば、単純な価値形態の成立に際してリンネル は市場で上衣と相対する必要がなく、上衣はげンネルに対して観念的に 表象された存在でよいと主張される。﹁等価形態にある商品は、それが 等価形態に置かれている価値関係の内部においては単に表象されたもの としてあるにすぎない。﹂︵久留間︹1︺九九ページ︶しかし、もし価値 形態の成立にあたって上衣がリンネルに対して観念的な存在で事足りる とすれば、リンネルが自分に上衣を等置するとは如何なる事態を表わす のかそしてリンネルが上衣に直接的な価値定在たる形態規定性を付与す るとは如何なる客観的な事実を示すのかというごくプリミティブな疑問 が発生する。なぜならば、リンネルと上衣とが市場の交換関係にないな らば、両者の間には何の客観的な連絡関係も存在せず、リンネルによる 上衣の等置とは実はリンネル所有者の観念の中での両者の等置にしかす ぎなくなるからである。価値形態とは商品所有者の観念中に存在する関 係なのであろうか。結論は断じて否である。というのも、第三節表題  ﹁価値形態または交換価値﹂通り価値形態と交換価値とは文字通りの同 義語であるが、第一節﹁商品の二つの要因 使用価値と価値﹂でのマル クスの規定に従えば、交換価値とは時と所の違いに応じて変動する或る 使用価値と別の使用価値との市場での量的交換割合であるから、価値形 態は市場での相異なる使用価値の量的交換比率という客観的な関係であ  るからにほかならない。だから、交換価値を市場での相異なる使用価値  の量的交換割合と規定するマルクスの理論に照らしていえば、価値形態  の成立に際して二つの異質な使用価値が市場で相対する必要がないとい  う主張は根本的に成立しない。そもそも二つの異質な使用価値が単純な  価値形態の成立に際して市場で相対する必要がないという議論は、価値  形態論の根本前提が交換過程論と違って商品所有者の捨象にあるという  それ自体絶対的正当性をもつ立脚点や価値形態の成立そのものが商品所  有者の意識から独立した客観的過程だという立脚点と抵触する関係にあ  ︵駆しかも、価値形態の成立に際して二つの異質な使用価値が市場で相  対する必要がないとすれば、価値形態とは一方の商品所有者による他方  の商品の価値の主観的な評価にすぎないととらえる宇野弘蔵氏の主張の  方が首尾一貫することになる。また、価値形態の成立に際して異質な使  用価値が市場で相対する必要がないという考え方のより根本的な欠陥は、  そこに価値の成立要件に関する致命的な取り違えが含まれるところにあ  る。なぜならば、価値形態の成立に際して異質な使用価値が市場で相対 ’する必要がないという見解は、詰まる所価値形態という必然的な現象形 態をとる本質としての価値が市場ではなく生産過程ですでに成り立つと いう議論に帰着するが、しかし、価値は相異なる使用価値が交換される 市場部面でしか成立せず、価値がその成立要件を欠く場合にはその必然 的な現象形態である価値形態もまた成立する客観的な条件が存在しない からである。価値という特殊歴史的な範鴫が生産過程ですでに成立する という見解は、抽象的人間労働を超歴史的範鴫と見誤り、価値が生産過程 ですでに成立すると説いたリカード価値論の単純な再版にすぎない。マル クスは、相異なる使用価値の市場での交換関係の中から価値を析出した のであるから、価値の成立要件は相異なる使用価値が実際に相対する市 場での交換関係そのものにある。﹁商品の交換関係または交換価値のう ちに現われる共通物は、商品の価値なのである。﹂︵﹁資本論JI、五三

(3)

ページ、傍点−1頭川︶因みに、久留開鮫造・玉野井芳郎共著﹁経済学 史﹂には、市場の交換関係の中で初めて相異なる労働生産物は相互に価値 として等置されるという確たる主張がある。﹁直接には私的な彼等の労 働は、その生産物の交換の関係においてはじめて独自の社会的形態を獲 得する。すなわち彼等の労働の生産物は、それらの交換の関係において、 使用価値としての千差万別の姿にもかかわらず価値として相互に等置さ れるのである。﹂︵︹4︺八二1三ページ︶’従って、価値が市場の交換関 係の中で初めて成立するというマルクスの立場に立ちつつ、価値形態が 市場の交換関係をその成立要件としないというのは、経済学上の背理で しか切で  第二点。久留間説によれば、価値形態の秘密はリンネルが上衣を自分 に等置して価値。の塊としての資格を上衣の現物形態に与えるところにあ るが、われわれの疑問は、それ自体価値実体を本来的属性として含蓄し ない使用価値が何故に無媒介的に相異なる具体的有用労働の等置関係の 内部でしか成立しない価値実体の現象形態に転化しうるのかという点に ある。けだし、﹁リカードは、価値をその形態I価値実体としての労 x six xxix 3xx4x働か取るところの特定の形態−に関して研究することをまったくやら ない﹂︵﹁剰余価値学説史Jn、一六九ページ傍点丿頭川﹂というマ ルク・ス自身による価値形態の概念規定が示すように、価値形態とは、価 値実体である抽象的人間労働のとる必然的現象形態であるが、・価値実体 である抽象的人間労働は、それが市場で相対する異質な具体的有用労働 の等置関係の内部でのみ抽象的に成り立つにすぎない限りでは、その固 有な存在様式を頭越しに飛び越えて直接的に価値実体=抽象的人間労働 を本来的属性とし・て含有しない使用価値をその現象形態とすることがで きないからである。。久留間氏が価値形態の秘密をもってリンネルが上衣 に価値体たる資格を与えるとこ石にあると考えて満足した理由の一つは、 価値形態の謎とはそもそも何かという問題の所在認識の曖昧さにあるよ 三   価値形態の秘密とは何か ︵頭川︶ うに思われる。なぜならば、価値形態の﹁謎﹂︵﹁資本論JI、七四ペー ジ﹂とは、重さなどの場合と違って、価値実体を本来的属性として含蓄 しない使用価値が、市場で相対する異質な具体的有用労働の等置関係の 基底にのみ成り立つ価値実体をあたかもそれがもつ自然的属性であるか のように現象形態となすことにあるが、もしリンネルによる上衣の等置 によって価値実体を本来的属性として含有しない使用価値が直接的に価 値実体の現象形態に転化しうるとすれば、価値実体の固有な存在様式が 否定されて使用価値が価値実体をその本来的属性として含蓄することに なり、価値形態の固有な謎はもともと存在しないことに結果するからで ある。二つの異質な事物の等置によって他方の事物が直接無媒介的に一 方の事物に内在する一属性の現象形態に転化しうるのは、天秤の上で鉄 片の現物形態が棒砂糖の重さの現象形態になる自然的事例のように、事 物に内在する或る本質がその事物に本来的に内属する自然的属性である 場合に限定される︵﹁資本論JI、七四ページ﹂。従って、価値実体を 本来的属性として含蓄しない使用価値が無媒介的に価値実体の現象形態 に転化するという主張によれば、価値実体は、棒砂糖の重さと同じよう に使用価値が本来的にもつ自然的属性に転化せしめられ、価値形態とい う特殊歴史的な現象が自然的事例に対してもつ本質的相違は存在しない ことに帰結する。因みに、﹁相対的価値形態の内実﹂第三文節が価値形 態の秘密を解決した決定的箇所だとみなす久留間氏の解L一雌、価値形態 という特殊歴史的現象と超歴史的な自然的事例との間に伏在する本質的 差異を看過し、価値形態の固有な謎を見失ったところから生じたその論 理必然的な所産にほかならない。’つまり、特殊歴史的な現象形態である 価値形態と歴史貫通的な自然的事例との間に横たわる本質的違いが見失 われ、価値形態の特有な謎が不分明であるからこそ、﹁相対的価値形態 の内実﹂第三文節が価値形態の秘密を解決した決定的箇所だという的を 逸した解釈が生じるのである。価値形態の謎が自然的事例と本質的に同

(4)

四   高知大学学術研究報告 第三十三巻 社会科学 一・であるならば、価値形態の秘密にあえて経済学的解剖のメスをいれる 特別の理由は少しも存在しない。価値形態の秘密を経済学的に解く必要 性は、価値形態の謎が超歴史的な自然的事例と本質的に異なるからこそ 生じるのである。価値形態の謎が超歴史的な目然的事例と本質的に違う のは、前者の場合、本質である価値実体がその現象形態である使用価値 の内在的な属性をなさず、異質な具体的有用労働の等置関係の中でのみ 成り立つ特殊歴史的存在であるのに反して、後者の場合、現象形態をも っ本質が自然的物質そのものに本来的に、内在する自然的属性であるとこ ろにある。超歴史的な妥当性をもっ自然的事例を例証として用いる﹁相・ 対的価値形態の内実﹂第三文節がもし価値形態の秘密の解決箇所だとす れば、価値形態と自然的事例との間に横たわる本質的相違をマルクスが 認識していないという事実誤認の責めをマルクスに負わせることになる。  第三点。価値形態の秘密に関する久留間説は、宇野弘蔵氏の所説との 対抗関係の中で生まれたその所産であるが、われわれの疑問は、価値形 態の秘密に関する久留間説の中には、価値実体規定抜きに価値形態の成 立を結論する宇野説の根幹に触れる根本的批判論点が本質的に内包され ていないというところにある。終戦直後の座談会の席上、宇野氏は、直 結論できると唱える宇野氏の異論は、実のところ価値実体規定を峻拒し てもなおかつ価値形態の成立を説きうるという固有の立論から必然的に 生じるその一系論でしかない。価値実体規定を拒否するならば、商品A と商品Bとの間には何の客観的連絡関係も存在せず、商品Bの使用価値 は、単に商品Aの所有者にとって観念上の欲望対象である位置に留まる ことになるからである。その意味では、宇野説の核心は、﹁価値の形態 は、その実体を明らかにしうるに先きだって解明しうる﹂︵宇野︹6︺ 一九〇ページ︶という文言にみられる価値実体規定抜きでの価値形態の 成立の主張にある。従って、商品所有者の欲望を導入して価値形態を論 じる宇野説に対する根本的批判は、`価値形態の秘密を価値実体の固有な 存在様式そのものの中にみいだす積極的見解の構築によってのみ果たす ことができる。価値実体を本来的属性として含蓄しない使用価値が価値 実体の現象形態に転化する価値形態の固有な秘密を、価値実体の独自的 な存在様式それ自体の中に内在的にみいだすならば、それはとりもなお さず価値実体規定を前もって与えないがゆえに商品所有者の欲望を密輸 入する宇野説を根底から揺るがす批判たりうるのである。ところが、価 値形態の秘密に関する久留間説にはJ概念上宇野説の根幹を揺さぶる根 本的批判論点が内蔵されていないのである。なぜならば、超歴史的な妥 当性をもつ自然的事例を例証として用いる﹁相対的価値形態の内実﹂第 三文節が価値形態の秘密の解決箇所だとみなす解釈に立脚する限りでは、 価値実体規定の中核をなすその固有な存在様式は、価値形態の秘密の中 にとりこまれないからである。そもそも論理的にいってリンネルによる 上衣の等置により上衣の現物形態が直接的価値定在に転じると説く久留 間説は、リンネルと上衣との質的同一性である価値が何であっても、十 分に成立する。換言すれば、リンネルが上衣を自己に等置して上衣の現 物形態が価値の塊に転化するという価値形態の秘密についての久留間説 の中には、価値実体が抽象的人間労働でなければならない所以は少しも 内包されていないのである。つまり、如何に逆説的にみえようと、価値 実体または抽象的人間労働という語さえ登場しない﹁相対的価値形態の 内実﹂第三文節をもって価値形態の秘密の解決箇所だとみなす解釈は、 その解釈者の主観的意図と無関係に、概念上は価値形態が価値実体規定 抜きに説きうるという見解に帰着する。価値形態の秘密の解決を意図す る見解が価値実体規定抜きに価値形態の成立を説く宇野説批判の決め手 を欠くのは、価値形態の秘密の謎解きとしては失格であるといって決し て不当ではない。けだし、先ず第一に、価値形態の秘密の解決を意図す

(5)

る見解が宇野説の急所を衝く批判論点を内包しないとすれば、価値実体 から価値形態へと上向する﹁資本論﹂の展開方法のもつ正当性が主張で きなくなるからである。第二に、価値実体規定を軸点とするマルクスの 価値概念の正当性がここで検証されないことになる。第三に、価値形態 とは価値実体それ自体が必然的に着用するその現象形態であることが全 然いえなくなるのである。従って、価値形態の秘密の解決を意図する見 解が宇野説批判の決め手を内包しているか否かは、価値形態の秘密の解 決そのものの正当性を判定するメルクマールである。  以上、われわれは、価値形態の秘密をめぐって提起された久留間説に 対して三つの基本的な疑問点を提示したが、突き詰めていえば、久留間 説の基底に横たわるその根本欠陥は、ノ価値形態という現象形態を必然的 にとる本質としての価値実体の固有な存在様式の曖昧な理解にある。第 一に、価値形態の成立に際して異質な使用価値が市場で相対する必要が ないという論点は、価値実体が市場で相対する異質な具体的有用労働の 等置関係の中でのみ成り立つというマルクスの創見と決定的に背馳する。 第二に、価値形態の秘密そのものに関していえば、一方の使用価値が自 分に他方の使用価値を等置することで他方の使用価値が直接無媒介的に 価値の現象形態に転化すると考える立場は、使用価値が価値実体をその 本来的属性として含蓄しておらず、価値実体が市場での異質な具体的有 用労働の等置関係の中でのみ成り立つ所以の不分明な理解に起因する。 第三に、久留間説が宇野説批判の決め手を内包していないのは、価値実 体の固有な存在様式が無視されたその必然的結果として、価値形態の秘 密が価値実体の固有な存在様式の中に見いだされなかづたことに由来す る。従って、久留間説ではマルクスのい今価値形態の秘密は未解決であ るというのがわれわれの到達した基本的評価であるが、われわれは、久 留間氏が戦後いちはやく従来未開拓であった価値形態論に本格的考察を 加え以前の研究水準を飛躍的に高めた確固不抜の功績をもつことを評価 五 価値形態の秘密とは何か ︵頭川︶ するに吝かではない。たとえば、初版﹁資本論﹂に固有に登場する﹁形 態Ⅳ﹂が一般的等価物の成立不可能性を指示するものではなく、価値形 態論の理論的限界性を確定して価値形態論と交換過程論とを内在的に連 繋する役割を演じるものだという指断ごヽ当時としては群を抜いた洞察 力を示す文字通りの独創的見解にほかならない。  ところで、近来久留間説再検討の試みが一種の流行傾向にあるが、久 留間説の超克を意図する殆んどの議論は、その実久留間説の単純な延長 線上にあってマルクスのいう価値形態の秘密を解決していない。なぜな らば、価値形態の秘密の解決を指向する久留間説以降の試みは、﹁相対 的価値形態の内実﹂第三文節が価値形態の秘密を解決した決定的箇所だ とみなす久留間説と同じ取り違えの上に位置するからで軋胆しかトベ 既述の通り、価値実体を本来的属性として含有しない使用価値が自然的 事例と同じように無媒介的に価値実体の現象形態に転化すると主張する ことは、マルクスの構築した特殊歴史的な価値概念のマルクス経済学内 部からの否定に等しい。けだし、使用価値が自然的事例と同じように無 媒介的に価値実体の現象形態に転化できるとすれば、価値実体は使用価 値のもつ本来的な属性だということになるからである。因みに、﹁相対 的価値形態の内実﹂第三文節が価値形態の秘密の解決箇所だとみなす解 釈が生じる初発の原因は、自然的事例との間に本質的相違が横たわる価 値形態の固有な謎の漠然たる理解にある。従って、現状では価値形態の 秘密が未解決だという基本理由は、価値実体の固有な存在様式が等閑に 付され、使用価値があたかも価値実体を本来的属性として含蓄するかの ように直接無媒介的に価値実体の現象形態になると説明されるところに ある。価値形態の秘密を価値実体の固有な存在様式の中に求めない従来 の議論は、剰余価値の必然的現象形態である利潤範鴫発生の秘密を剰余 価値生産それ自体の中に内在的に発見せずに、剰余価値生産との理論的 脈絡なしに利潤範鴫の成立を説く無概念的な論法と同一線上にある。そ

(6)

」 _ / ゝ 高知大学学術研究報告 第三十三巻 社会科学 して、更にI歩突っこんでいえば、価値形態の秘密を価値実体の固有な 存在様式の中に求めないならば、それは概念上価値実体規定抜きに価値 形態の成立を結論できると豪語する宇野説とその本質的性格を同じくす ることになる。また、価値形態の成立要件についていえば、久留間説は。 一’方で等価商品が欲望対象である必要性を認めつつ、他方でそれが観念 的な存在であってよいと主張して’理論上不徹底な論点を提起したのに対 して、久留閲説を克服する意図をもつ議論では、・等価商品は観念的存在 であるという・一方の前提を承認した上で、他方それが欲望対象である必要 がないという﹁資本論﹂から逸脱した方向を進みつつあるといった現状 にある。従って・、価値形態の秘密とは何かをめぐる連綿たる論争は、そ れが如何に華々しく見えようとも、久留間説と﹁資本論﹂との間に横た わる絶対的距離を依然として埋めていないのである。因みに、久留間説 批判を意図する試みが久留間説の基本的枠内にある根因は、久留間説そ のものと同じく、価値形態という現象形態を必然的にとる本質としての 価値実体のもつ固有な存在様式の曖昧な理解にある。  それゆえに、本稿の課題は、価値実体を本来的属性として含蓄しない 使用価値が、相対する異質な具体的有用労働の等置関係の中でのみ成り 立つ価値実体の現象形態となる価値形態の秘密を謎解きすることによっ て、マルクスに独自な価値概念の正当性を検証する反面、価値形態に固 有な謎を自然的事例一般に解消した上で価値形態の成立を結論する議論 に根本的批判を加えることに札馨実をいえば、生産体系と実質賃金率 とが与えられれば、生産価格が価値概念抜きで導出可能だという労働価 値論に対する最大の批判論点の一ふ財、価値実体の特殊歴史的な存在様 式従ってまた価値形態の秘密の無理解の論理必然的な産物でしかないの である。というのも、生産体系と実質賃金率さえ与えられれば価値概念 抜きで生産価格が導出可能だという批判の根本的立脚点は、価値実体の 大きさが直接計量可能だとするマルクスの価値概念を根底から覆す想定 にあるからである。従って、価値実体の特殊歴史的な存在様式に即して 価値形態の秘密を解決するならば、それは、即自的に価値概念の不要性 を提唱する批判に対してマルクスの立場からする根本的な反批判論点を 含むことになる。従って、本稿は、価値形態の秘密を価値実体の固有な 存在様式の中に発見することによって、マルクスの独自な価値概念の正 当性を回帰的に検証する目的をもつと同時に、価値概念抜ぎに生産価格 が導出可能だとして価値概念の不要性を唱える労働価値論批判に対して 本格的反批判を加えるための布石としての目的をもつ。 ︵1︶ ﹁等価形態に置かれた商品の使用価値が相対的価値形態にある商品の    価値の形態になるのは所有者の意識から独立した過程であ︵る︶。﹂︵久  。留間︹1︺八二ページ︶ ︵2︶ 久留間氏にとって等価等品が観念的存在で事足りると考えられた一つ    の重要な根拠は、終戦直後の委託交換所でたとえば煙草百本に対して酒    五合の交換という値札が掲げられた事例にある︵向坂逸郎・宇野弘蔵編    ︹12︺︼五八ページ︶。しかし、戦後の委託交換所での値札の事例は貨    幣の現実的生成を根本前提にした基礎上での事実にすぎず、貨幣形態成    立以前の価値形態の成立要件の根拠づけには全然ならない。委託交換所    での値札の事例はむしろ貨幣が価値尺度機能を発揮する際には観念的な    姿態で機能することの証明でしかない。勿論、委託交換所での物々交換    はインフレ高進の下で貨幣よりも物質的財貨が選好された事情に起因す    る。なお、委託交換所での値札の事例をもって単純な価値形態の具体例    とみなす久留間氏と同︸の考え方は宇野︹5︺三二ページにある。︲ 八 八 へ5︶ 。価値形態に関する宇野説の中心論点は価値実体規定抜きで価値形態の 4︶ 向坂・宇野編︹12︺ 一五七−六七ページ。 3︶ 久留間︹2︺ 一〇六ページ。   成立を論証できるという主張にあることについては、下平尾︹29︺九   八ページにシャープな指摘がすでにある。・また、価値実体規定抜きに   価値形態の成立を結論できるという主張こそ宇野説の眼目をなし、価   値形態論への商品所有者の欲望導入はその核心的論点の一つの必然的   系論にすぎないという正当な指摘については尼寺義弘︹32︺三三ペー   ジをみよ。

(7)

︵6︶ 拙稿﹁価値形態と交換過程﹂︵︹44︺︶は初版﹁資本論﹂の﹁形態Ⅳ﹂    に関する久留間氏の独創的な洞察をより発展させる立場から価値形態論    次元上での全体的価値形態の逆転による一般的価値形態の成立根拠を論    証しようとした一つの試論である。 ︵7︶ ﹁相対的価値形態の内実﹂第三文節で価値形態の秘密が本質的に解明    済みだと解釈する代表的文献には、久留間︹1︺のほかに、富塚良三    ︹16︺・武田信照︹34︺・尼寺義弘︹32︺がある。 ︵8︶ われわれは、前稿﹁価値概念と価値形態﹂︵︹超︺︶で、使用価値には    価値実体が本来的に含蓄されておらず価値実体が相対する異質な具体的    有用労働の等置関係の中でのみ成り立つがゆえに、使用価値が価値実体    の現象形態に転化する際の価値形態の秘密は、異質な具体的有用労働の    等置関係の中で他方が一方に対して価値実体の実現形態に転じる内在的    媒介項にこそあるという積極的見解を提示した。しかし、前稿ではマル    クスの規定する価値形態の秘密に関する積極説を構築する一方で、価値    形態の固有な謎を鉄片の現物形態が棒砂糖の重さの現象形態になるよう    な自然的事例と同一の事柄に解消した上で価値形態の成立を説く議論に    単純明快な批判を加える面で不十分さを残した。それゆえに、本稿の主    要な力点は、価値形態の固有な謎を自然的事例︸般に妥当する事柄に解    消した上で価値形態の’成立を結論する議論に明快な根本的批判を加える    ことにある。従って、前稿と本稿とは本来一本の論文に凝縮されるべき    われわれ自身の考え方の有機的部分として一体の関係にある。 ︵9︶ さしあたり玉野井芳郎編著︹M一︺ 一三二−ニ○四ページをみよ。 ﹁ 価値形態の謎、  −自然的事例との本質的相違  はしがきでのべたように’、本稿の課題は、価値実体を内在的属性とし て含蓄しない使用価値が異質な具体的有用労働の等置関係の中でのみ特 殊歴史的に成り立つ価値実体の現象形態に転化する秘密を謎解きするこ とにあるが、。価値形態の秘密を謎解きする際の根本前提は価値形態の謎 の明確化にある。価値形態の秘密とは何かが皆目不明である現状の基底 七 価値形態の秘密とは何か ︵頭川︶ には、価値形態の謎の不分明な理解が実在すると思われるから・である。実 際、価値形態の謎と自然的事例とを本質的に同一だとみる根本前提があ るからこそ、自然的事例を例証とする﹁相対的価値形態の内実﹂第三文 節をもって価値形態の秘密の解決箇所だと考える解釈が、その論理必然 的帰結として固定化するのである。それゆえに、﹁相対的価値形態の内 実﹂第三文節が価値形態の秘密の解決箇所だという解釈を発生ぜしめた 一因は、価値形態の謎とは何かという根本問題の不明瞭な理解にある。 概念的にいって価値形態の秘密を解決すべき必然性は、価値形態が自然 的事例と本質的に異なる固有な謎をもつことにある。そこで、本節では、 マルクスの規定する価値形態の固有な謎とは何かを概念的に規定して、 価値形態の秘密の謎解きのための布石を固める。  ﹁商品の価値対象性には一分子も自然素材ははいっていない﹂︵﹁資本 論JI、六二ページ﹂あるいは﹁商品の価値対象性は純粋に社会的であ る﹂︵同ページ︶という一命題は、﹁資本論﹂体系中でマルクスが樹立 した数多くの命題のうち最も著名なものの一つである。それでは、価値 が一分子の自然素材も含まない純粋に社会的な定在であるとは如何なる 意味か。価値が純粋に社会的定在である所以を解く鍵はマルクスによる 価値実体の固有な抽象方法の中にある。価値実体のマルクスに固有な抽 象手続きをコンパクトに要約すれば、それは以下の通りである。すなわ ち、労働生産物の特殊歴史的形態である商品の一方の要因は何よりも先 ず超歴史的な使用価値である。しかし、その超歴史的な使用価値は同時 に商品生産に固有な交換価値の素材的な担い手でもある。因みに、交換 価値は或る一種類の使用価値が市場で別の種類の使用価値と交換される 量的割合としてあらわれる。たとえば、市場では或る量の小麦は靴墨や 絹や金などの特定量と交換されるが、それぞれ特定量の靴墨や絹や金な どの使用価値はすべて或る量の小麦の交換価値にほかならない。従ってぃ 商品生産に・固有な範鴫である交換価値は超歴史的に存在する使用価値の

(8)

八   高知大学学術研究報告 第三十三巻 社会科学 姿態であらわれるのである。ところが、小麦のいくつもの交換価値は、 それぞれの使用価値が千差万別の相違をもつにもかかわらず相互に質的 同一性をもち置き換え可能であることを示しているから、同じ一つの単 位を表わしその単なる現象形態にすぎないということになる。実際、小 麦のいくつもの交換価値のうちから、小麦の交換価値が鉄の使用価値で おらわされる小麦=鉄の交換関係を例にとりあげれば、小麦と鉄との異 質物の等置関係は、両者のうちIに小麦にも鉄にも本来的に内属しない共 通な第三者が市場という特殊歴史的な部面で成り立つ限りでのみ、成立 しうると推論することができる。それでは、一歩議論を進めて、相異な る使用価値の等置関係を市場で成立せしめる両者に共通の第三者とは何 か。商品として登場する異質な使用価値は市場においてその異質性に反 して同質性をもち量的比例関係に立つから、如何に逆説的であれ、両者 を等置せしめる共通の第三者には一分子も自然素材が含まれていない。 そこで、小麦=鉄なる等置関係から相異なる使用価値を捨象すれば、両 者に労働生産物という属性だけが残る。しかし、小麦=鉄なる等置関係 からの異質な使用価値の捨象は、同時に労働生産物を使用価値たらしめ るすべての自然的属性の捨象を内包する。それゆえに、小麦=鉄なる等 置関係から相異なる使用価値を捨象して最後に残る両者に共通の第三者 とは、異質な使用価値に結実した相異なる具体的有用労働からその異質 性を捨象して残る抽象的人間労働である。それだから、使用価値に凝固 した抽象的人間労働こそまさに価値であって、抽象的人間労働は相異な る使用価値をその現物形態にもかかわらず市場で等置関係におく社会的 実体をなす。従って、超歴史的な規定である使用価値が商品の一方の要 因であるとすれば、他方の要因は市場での相異なる使用価値を等置せし める抽象的人間労働という社会的実体の結晶としての価値である。それ だから、相異なる使用価値の市場での数的比例関係である交換価値は、 実をいえば、凝固した抽象的人間労働としての価値の必然的な現象形態 にほかならないのである。  以上、第一節﹁商品の二つの要因 使用価値と価値﹂での価値実体の マルクスによる固有な抽象方法を要約的に紹介したが、価値実体のマル クスに独自な抽象手続きに内在する特色は以下の二つにある。第一の特 色は、価値実体抽象の基礎前提が相異なる使用価値の市場での客観的な lχ44 14 s s       ︵︱︶ 交換関係それ自体にあるという点てある。けだし、価値実体析出手続き の出発点は、時々刻々変動する異質な使用価値の量的交換割合としての 交換価値にほかならないからである、従って、相異なる使用価値の市場 での交換関係は、価値実体である抽象的人間労働が客観的に成り立つだ めの必須要件をなす。﹁﹁価値﹂の概念は事実上生産物の﹁交換﹂を想定 している﹂︵﹁剰余価値学説史﹂Ⅲ、ご一七ページ︶というマルクスの陳 述は、市場の交換関係こそ価値の唯一の機成要素である抽象的人間労働 の成立の必須要件であるという規定に等しい。価値実体のマルクスに固 有な抽象手続きに内包される第二の特色は、価値実体が凝固状態で相対 する異質な具体的有用労働のもつ異質性の捨象という手続きによって析 出されている点にある。つまり、マルクスにとっては、抽象的人間労働 は、具体的有用労働と別々に存在するのではなく、凝固状態で相対する 異質な具体的有用労働から両者のもつ異質な属性を捨象して最後に残る 具体的有用労働そのものの抽象的形態にほかならない。マルクスが価値 実体抽象の最終的手続きをもって﹁労働生産物に表わされている労働の 有用性﹂︵﹁資本論JI、五二ページ﹂の捨象あるいは﹁労働のいろいろ な具体的形態﹂︵同ページ︶の捨象と呼んだのは、具体的有用労働それ 自体が抽象的人間労働の母胎である不動の典拠である。また、理論上価 値実体が異質な使用価値の等置関係を成立せしめる両者に共通な第三者 であるのは、価値実体が使用価値の本来的属性として含蓄されておらず、 市場の交換関係の内部でのみ具体的有用労働の抽象的形態として初めて 成り立つ場合に限定される。けだし、小麦や鉄などの使用価値がそれ自

(9)

身価値実体をその本来的属性として含有するならば、価値実体をもって 小麦=鉄なる等置関係を成立せしめる両者に共通の第三者だと規定する ことは、第三者という語の乱用だという批判を免れないからである。  かくて、これまでの考察において、価値実体のマルクスによる固有な 抽象手続きに潜む二つの特色は、価値実体抽象の現実的基礎が相異なる 使用価値の市場での交換関係にあることと相対する異質な具体的有用労 働のもつ異質性の捨象によって価値実体が析出されていることの二つに あることをみたが、以上の二つの特色から価値実体の固有な存在様式に 関する一つの根本命題が樹立される。すなわち、価値実体泡しての抽象 的人間労働は、市場で相対する異質な具体的有用労働の等置関係の中で 両者のもつ異質性が客観的に相殺され合う限りでのみ成り立つにすぎな い、と。従って、市場で実際に相対する異質な具体的有用労働の等置関 係こそが、そこで初めて客観的に成り立つ価値実体としての抽象的入間 労働の固有な存在様式にほかならない。商品生産という特殊歴史的な生 産形態の基礎上では、労働における人と人との関係が必然的に物と物と の関係に変装されるのは、相異なる具体的有用労働の同等性が物と物と の交換関係の中での抽象的人間労働の生成によって初めて実現されるこ とに起因する。。抽象的人間労働が市場の交換関係という特殊歴史的な生 産関係の基礎上でのみ客観的に成り立つことは、裏返していえば、生き た流動状態にある労働がそれ自体としては超歴史的に実在する具体的有 用労働でしかないということに等しい。つまり、労働力の合目的的な発 揮によって支出される流動状態にある生きた労働は、それ自体としては 超歴史的に実在する具体的有用労働でしかなく、超歴史的な具体的有用 労働は、市場の交換関係という特殊歴史的な生産関係の基礎上で初めて、 そこから抽象的人間労働を分出して二重的形態にある労働に表現される ので札付。それゆえに、抽象的人間労働が市場の交換関係に立つ異質な 具体的有用労働の等置関係の中で成り立つという独創的理論と具体的有 九   価値形態の秘密とは何か ︵頭川︶ 用労働と抽象的人間労働とが同一労働のもつ二面であるという一命題と は、同じコインの表と裏の関係にある。  ﹁商品の中に、正直にいって、二種類の労働が存在するのではないが、 それでもなお、商品の中で同じ労働がそれ自身に対して対立的になって いる﹂︵Le Capital   Paris。   Editeurs。   Maurice  Lachatre  et  Cie。 1872-1875。 p. 18。   ^i^。 WW︶。  それだから、以上の考察を小括するならば、価値が純粋に社会的定在 である所以は、価値の唯一の構成要素である抽象的人間労働が、市場の 交換関係という特殊歴史的な生産関係の基礎上で初めて成り立つところ にある。抽象的人間労働は、それが市場の交換関係の中で相対する異質 な具体的有用労働の等置関係それ自体の客観的にして必然的な産物であ るがゆえに、使用価値や具体的有用労働とは概念的に違って、一分子の 自然的属性も含蓄していないので 札琴 ﹁真珠やダイヤモンドの中に交 換価値を発見した化学者はまだI人もいない﹂︵﹁資本論JI、九八ペト ジ﹂とマルクスがいう通り、真珠やダイヤモンドの中に価値を発見した 自然科学者がいないのは、価値実体が市場で相対する異質な具体的有用 労働の等置関係の必然的産物として生成するところに起因する。従って、﹃ 鉄片の現物形態が天秤の上では棒砂糖の重さの現象形態に転化するよう な自然的事例と価値形態の場合との間には本質的な相違が存在することに なる。というのも、前者の場合も後者の場合もともにその現象形態が自 然的属性をもつ現物形態である点では同一であるが、前者の場合、本質 としての重さは、。棒砂糖そのものに本来的に内在する自然的属性をなす。 ところが、後者の価値形態の場合には、本質としての価値実体は、使用 価値やそこに結実した。具体的有用労働には本来的属性として含蓄されて おらず、その具体的有用労働が別の具体的有用労働と市場で相対する両 者の等置関係の中でのみ成り立つにすぎない。つまり、特殊歴史的な現 象形態としての価値形態の場合には、超歴史的な普遍性をもつ自然的事

(10)

一〇 高知大学学術研究報告 第三十三巻 社会科学 例一般と本質的に違って、使用価値は、そこに価値実体を本来的属性と して含蓄しないのに反して、相対する異質な具体的有用労働の等置関係 の中でのみその存在を主張する価値実体の現象形態に転化するのである。 従って、特殊歴史的な価値形態が超歴史的に妥当する自然的事例と本質 的に異なる相違点は、価値実体を本来的に含蓄しない使用価値が、市場 での異質な具体的有用労働の等置関係の中でのみ成り立つ価値実体の現 象形態に転化するところに払む。あるいは言葉を換えていえば、価値形 態が自然的事例に対してもつ本質的相違点は、本質としでの価値実体が 使用価値の本来的属性ではなく、市場で相対する異質な具体的有用労働 の等置関係の中でのみ成り立つところにある。’マルクスが経済学史上初 めて価値形態のもつ固有な謎を発見しえたのは、価値実体を超歴史的範 鴫として固定化した古典派的考え方を超克しえたことに起因する︵拙稿 ︹45︺をみよ︶。まさしく価値形態に固有な謎の発見と価値実体の特殊歴 史的な存在様式の発見とは相即不離の関係に 的な存在様式の発見は経済学理解の跳躍点て あーあ るこる。価値実体の特殊歴史  翻っていえば、従来価値形態の固有な謎が不分明である基本原因は、 抽象的人間労働=超歴史的範鴫説の限強い影響力にある。なぜならば、 抽象的人間労働=超歴史的範鴫説に立つ限りでは、価値実体の現象形態 に転化する使用価値は、具体的有用労働とともに価値実体をその本来的 属性として含蓄することになり、価値形態の謎は、鉄片の現物形態が天 秤の上で棒砂糖の重さの現象形態に転化するような自然的事例に解消さ れてしまうことになるからである。しかし、更に一歩踏みこんでいえば、 抽象的人間労働=超歴史的範鴫説に立脚して価値形態の謎を主張するの は、文字通りの前後撞着の立論にほかなら心心・というのもヽ抽象的人 間労働=超歴史的範鴫説に従えば、抽象的人間労働は生きた労働が歴史          χ%4 1 s      ︵7︶貫通的にもつその自然的属性をなすことになり、価値形態という特殊歴 史的現象形態とは使用価値という自然的なものが抽象的人間労働という 労働の自然的属性の現象形態に転化することだという﹁資本論﹂から根 本的に逸脱した逆説が生じるからである。価値形態と自然的事例との間 に本質的相違点がないとすれば、価値形態に固有な謎は概念上成立せず、 価値形態の秘密に経済学の光をあてる必要性も存在しないことになる。 しかも、抽象的人間労働=超歴史的範鴫説に立つ限り、マルクスの規定 する価値形態の固有な謎そのものが消滅することになるばかりか、価値 表現の必然性それ自体が理論上存在しないのである。なぜならば、理論 上社会的総労働の各生産部門への均衡的配分を単純化仮定として想定す’ れば、或る使用価値の生産に必要な投下労働量は、生きた労働の一面と して超歴史的に実在する抽象的人間労働の生産過程での継続時間によっ て直接計量可能であることになるからで扮ぴ。マルクスの価値概念に従 えば、抽象的人間労働は、それが市場で相対する異質な具体的有用労働 の等置関係の中でのみ成立するがゆえに、労働時間で1 接計測すること ができず、それとは別個の現象形態をもつ必要性が生じるので糾び。従っ て、抽象的人間労働=超歴史的範鴫説は、価値形態の固有な謎を解消さ せるばかりか、価値表現の必然性をも理論上否定する点て二重の誤りを 含むのである。思うに、自然的事例を例証として用いる﹁相対的価値形 態の内実﹂第三文節が価値形態の秘密の解決箇所だという取り違えが生 じる根因は、価値形態の固有な謎の明確な理解の欠如にある。抽象的人 間労働=超歴史的範鴫説に立つ限り、価値形態とは、労働生産物である 使用価値に本来的に内属する価値実体の現象形態であることになり、価 値形態と鉄片の現物形態が棒砂糖の重さの現象形態に転化するような自 然的事例との間の本質的区別が消滅することになるからである。その意 味では、抽象的人間労働=超歴史的範鴫説は、価値実体と価値形態との 間の特殊歴史的関係を棒砂糖の重さとその現象形態との超歴史的関係に 解消してしまう陥穿をもつことに最大限注意してよい。  以上、われわれは、本節において、価値形態の固有な謎とは、価値実

(11)

体を本来的成分として含蓄しない使用価値が、市場で相対する異質な具 体的有用労働の等置関係の中にのみ成り立つ価値実体の現象形態に転化 することにある事実を確定した。 ︵1︶  マルクスによる価値実体の抽象方法に内在する一つの特色が価値実体    を異種の使用価値の市場での交換関係から抽象するところにあるという   指摘は、すでに正木八郎︹39︺三〇八ページにある。 ︵2︶ 具体的有用労働と抽象的人間労働とが同一労働の二側面をなすとマル    クスが規定する場合の同一労働とは、使用価値に表現される具体的有用   労働そのものを指すことに関して、われわれは、拙稿﹁価値論の一基本    問題﹂︵︹46︺︶の一論点として初めて指摘したつもりであった。しかし、    昨年︵一九八三年︶宮川実﹁資本論研究﹂第三号に、マルクスの発見し    た労働の二重性とは具体的有用労働それ自体の二重性であるという論及    がすでに存在する事実を知った。﹁具体的労働と捨象的労働という二つ   ’の別々の労働があるのではなく、一個同一の労働1たとえば織物労    働‘−−が具体的労働であると同時に捨象的労働である﹂︵︹’一い︺二Iペー    ジ︶。但し、価値を形成するがそれ自体価値ではないとマルクスのいう    流動状態にある労働をもって抽象的人間労働とみなす宮川実著﹁資本論    講義JTI︵︹28︺九七ページ︶の解釈は、具体的有用労働こそ生きた労働    の唯一の姿態であるという卓見と整合しない。具体的有用労働こそ生き    た労働の唯一の姿態であるといいつつ、具体的有用労働が流動状態のま   までそのうちに抽象的人間労働を含むと主張するとすれば、それは事実    上抽象的人間労働︱超歴史的範鴫説に帰着する。 ︵3︶ 価値実体をなす抽象的人間労働は、具体的有用労働のように生きた労    働の自然的属性ではないがゆえに、抽象的人間労働の純粋な凝固である    価値は一分子も自然的属性を含んでいないのである。従って、抽象的人    間労働=超歴史的範鴫説に立脚しながらもマルクスにならって価値には    一分子も自然的属性が含有されていないと主張するのは二律背反の論法    である︵赤堀︹30.︺二ページ、武田︹34︺四四−五ページ、尼寺︹32︺    四七ページなど︶。抽象的人間労働=超歴史的範鴫説に立つ人々にあっ    ては、具体的有用労働はそれ自体生きた労働の自然的属性であるという    認識に乏しいがゆえに、一方で抽象的人間労働が生きた労働に含まれる    と唱えつつ、他方で価値には自然的属性が含まれていないと主張する二律 -価値形態の秘密とは何か ︵頭川︶ ︵4︶ 背反の論法が生じるのである。というのも、具体的有用労働が生きた労 働の胞鰹昨1 をであるという基本認識に立てば、生きた労働の一面と4  て超歴史的に存在するという抽象的人間労働もまた生きた労働のもつ自 然的属性であるということになり、抽象的人間労働を唯一の構成要素と する価値には一分子も自然的属性が存在しないという主張は微塵も提起 する余地がないからである。     ゛゛y  通常、価値形態の謎とは、価値という社会的なものがその正反対物で ある使用価値という自然的なものをその現象形態とする摩詞不思議さに    あると説明ヽされる場合が多い︵たとえば久留間︹1︺四ページや尼寺    ︹32 ︺七〇ページをみよ︶。しかし、価値形態に固有な謎の通常の説明    と﹁相対的価値形態の内実﹂第三文節が価値形態の秘密の解決箇所だと    みなす解釈との間には論理矛盾がある。けだし、価値形態が自然的事例    に対してもつ謎の固有性は、本質としての価値が自然的事例の場合と違っ    て純粋に社会的なものである一点にこそあるとすれば、自然的事例を例    証に用いた﹁相対的価値形態の内実﹂第三文節=価値形態の秘密の解決    箇所という解釈は成立する余地がないからである。一方で価値形態の謎    の固有性を本質としての価値のもつ純粋な社会性に求めながら、他方で    ﹁相対的価値形態の内実﹂第三文節をもって価値形態の秘密の解決箇所    と解釈するのは、価値の社会的性格に関する無理解を単刀直入に表わす    その証明にほかならない。価値が純粋に社会的なものであるといいつつ    価値形態の謎が自然的事例と本質的に同じならば、純粋に社会的である    とマルクスのいう価値の性格規定は単なる空語に等しいことになる。従っ    て、価値形態の固有な謎の確定に際して、本質としての価値が純粋に社    会的なものであるというだけでは決定的に不十分である。 ︵5︶ わが国では、価値形態の考察の有無こそがマルクスと古典派との価値    論を本質的に区別する分水嶺であると考える傾向が根強く存在する。    ﹁ここでわれわれが思いおこしてみなければならないのは経済学史のう    えで、価値の実体がまず古典派経済学者によって発見され、価値形態は    それよりのちに、マルクスによってはじめて発見されたという事実であ    る﹂︵見田石介︹14︺三三ページ︶。しかし、マルクスが古典派の価値    概念を単純に継承したとすれば、価値形態の真の秘密がマルクスによっ    て初めて謎解きされた所以に合理的説明かつかないことになる。マルク    スが経済学史上初めて価値形態の秘密を暴露しえたのは、古典派に固有    な価値実体の超歴史的な把握を突破して、価値実体の固有な存在様式を

(12)

-一 一 高知大学学術研究報告 第三十三巻 社会科学    発見しえたことによる。 ︵&︶ 抽象的人間労働=超歴史的範鴫説に立脚しつつ価値形態を論じる文献    に宇野︹5︺・見田︹13 ︺・赤堀︹31︺・尼寺︹32︺・武田︹34︺・関    根︹38︺などがある。 ︵7︶ ﹁価値の実体である抽象的労働は、具体的労働とならんで、人間の労    働の自然的な永遠の一性質である。﹂︵見田︹巧︺ 一七ページ︶ ︵8︶ 従って、抽象的人間労働=超歴史的範鴫説に固執しながら﹁資本論﹂    にならって価値表現の必然性を主張する見解は、みずからがよって立つ    立場そのものを理論上掘り崩す手前勝手な主張にほかなら’ない。実際、    抽象的人間労働=超歴史的範鴫説に立つ文献に、何故に価値が労働時間    で直接表示できないのかという一基本論点に関する本格的回答がないの    は、その回答の提起が超歴史的範鴫説それ自体の否定に通じるからであ    る。そもそも、超歴史的範鴫説に立つ人々は、その説の理論的根拠づけ    として、生産形態の如何を問わず社会的総労働の各生産部面への均衡的    配分に際して、種々の具体的有用労働からその異質性を捨象した抽象的   ︲人間労働こそ労働時間の共通の尺度として機能すると主張して、抽象的    人間労働の超歴史性を導出するが、超歴史的範鴫説の最大の理論的根拠    それ自体が実は価値の労働時間による直接的表示の根拠づけをなし、価    値表現の必然性の理論上の否定に帰着するのである。けだし、超歴史的    範鴎説によれば、抽象的人間労働は、歴史貫通的に千差万別の具体的有    用労働の大きさを測る上での共通の尺度として機能するのであるから、    抽象的人間労働それ自体の直接的な計測可能性は超歴史的範鴫説の成り    立つ根本前提として内包されているからである。抽象的人間労働が歴史    貫通的に種々の具体的有用労働の大きさを測る際の共通の尺度だという    ことは、抽象的人間労働の直接的計測可能性と同義である。従って、抽    象的人間労働=超歴史的範鴫説と価値表現の必然性の主張とは根本的に    両立しない。因みに、抽象的人間労働=超歴史的範鴫説に立脚しつつ、    抽象的人間労働の直接的計測可能性を確言する首尾一貫した主張は長岡    豊﹁労働と資本﹂にある。     ﹁労働価値説で価値実体とされている抽象的人間労働という概念は、   。価格とは無関係にヽいかなる体制においても11的に確定できる概念でか    る。﹂︵︹40︺ コ二五ページ︶ ︵9︶ 以上の考察からわかるように、マルクスのいう労働の二重性とは、市    場の交換関係にはいりこむ物質的財貨を生産する具体的有用労働にのみ 妥当する経済学的規定である。従って、物質的財貨を生産する労働だけ が価値を生む理由は、生きた労働の唯一の姿態をなす具体的有用労働が 対象化された形態にある場合に限って、それのもつ具体的有用形態が客 観的に捨象され抽象的人間労働に還元されることによる。それだから。 マルクスが第一章﹁商品﹂で分析対象を物質的財貨に限定した所以は、 物質的財貨に凝固した具体的有用労働だけが価値実体に客観的に抽象さ れることにある。逆にいえば、マルクスが第一章﹁商品﹂で分析対象か らサーヴィス労働を除外したのは、サーヴィス労働がそれ自体流動状態 にある具体的有用労働でしかない限り、価値実体を含まないという積極 的理由にもとづくのである○      ︲        ﹄  二 価値形態の成立要件  われわれは、第一節で、価値実体の特殊歴史的な存在様式を確定する ことによって、価値形態という商品生産に固有な現象形態と歴史貫通的 に妥当する自然的事例との間に潜む本質的懸隔をえぐりだした。従って。 一歩議論を進めていえば、価値実体成立の必須要件である市場の交換関 係は、それ自体同時に価値実体の必然的な現象形態である価値形態の成 立要件にほかならない。つ。まり、価値形態は、それが価値実体の必然的 な表現様式である限りでは、本質としての価値実体が客観的にその存在 を主張する市場の交換関係で初めて成り立つことができるのである。そ こで、本節では、異質な使用価値が実際に相対する市場の交換関係こそ 価値形態の成立のための本質的要件である事柄を全面的に裏づけて、価 値形態の成立に際して、異質な使用価値が市場で相対する必要がないと 主張する一部の見解に本格的批判を向ける。以下の本格的吟味によって、 異質な使用価値が市場の交換関係の中で相対しなくても価値形態が成り 立つという議論は、一部の人々が﹁資本論﹂に背反して独断的につくり あげた理論的虚構でしかないと同時に、究極的には価値がすでに生産過 程で成立するというS・ベーリによって手痛い打撃を受けたリカード価値

(13)

論の立場に帰着することが明確化することになろう。  先ず最初に、価値形態の本源的な成立要件は相異なる使用価値の市場 での相対にあること、に関する最も確実な典拠を示せば、それは以下のい くつかの引用文の指し示す通りである。  。﹁諸商品の交換過程のなかで表わされ現われる商品の交換価値﹂︵﹁剰 余価値学説史﹂﹂Ⅲ、一二二ページ、傍点−頭川︶  ﹁諸商品の価値としての定在は⋮⋮他の使用価値がその商品と交換さ れる関係のなかに、現象する。﹂︵同上、こ一四ページ、傍点︱頭川︶  ﹁ある一つの商品の単純な価値形態は、異種の一商品に対するその商   f一。一 一 一   ・      33s’s品の価値関係のうちに、すなわち異種の一商品との交換関係のうちに、 含まれている。﹂︵﹁資本論JI、七四ページ、傍点−頭川﹂ ’﹁商品は、孤立的に考察されたのでは、この交換価値という形態をけっ してもたないのであり、つねにただ第二の異種の一商品にたいする価値 関係または交換関係のなかでのみ、この形態をもつのである。﹂︵同上、 七五ページ、傍点−頭川︶  ﹁交換過程は、自分が貨幣に転化させる商品に、その価値を与えるの ではなく、その独自な価値形態を与えるので齢び・﹂︵同上、一〇五ペー ジ、傍点︱頭川︶  従って、市場での交換関係こそ価値形態の最も本源的な成立条件であ るという一命題を拒否する議論は、価値形態の成立条件に関するマルク ス自身の確固不動の規定の真っ向からの否認である。市場の交換関係こ そ価値形態の本源的成立要件であるのは、本質である価値が市場の交換 関係の中で初めて成立することに起因する。  ﹁労働生産物は、それらの交換のなかではじめてそれらの感覚的に違っ た使用対象性から分離された社会的に同等な価値対象性を受け取るので かぴ・﹂^同上ヽ八七ページ。゛  従って、市場の交換関係以外の場でも価値形態の成立を承認する議論 一 一 一 一 価値形態の秘密とは何か ︵頭川︶ は、本質としての価値が市場の交換関係の中で初めて成立すると説くマ ルクス価値論の否定をなす。価値が市場の交換関係の中で初めて成立す るとい、うことは、価値の唯一の構成要素である価値実体としての抽象的 人間労働が市場で相対する異質な具体的有用労働の等置関係の中で初め て成り立つことに等しい。そもそも一方で﹁資本論﹂に逆ららて価値形 態が市場の交換関係以外の部面でも成り立つと主張しつつ他方で市場の 交換関係以外の部面でも価値関係が成立するというのは、価値論の根本 的修正である。二つの異質な使用価値が市場の交換関係の中で相対しな いならば、両者の間には何の客観的な連絡関係も存在せず、単に他方の 使用価値が一方の使用価値の所有者にとっての観念上の欲望対象たるに すぎないからである。二つの相異なる使用価値が市場の交換関係の中に ある場合にのみ、等置された異質な具体的有用労働のそれぞれからその 具体的有用形態が捨象され価値実体に整約される価値関係が客観的に成 り立つのである。﹁価値関係または交換関係﹂︵﹁資本論JI、七五ペー ジ﹂という規定が示すように、マルクスにあっては価値関係と交換関係 とは同義語である。価値形態の成立に際して市場の交換関係の不要性を 提唱する人々は、二つの相異なる使用価値を橋渡しする価値関係とは何 かを概念的に規定すべき責務を負う。等価形態に立つ商品が相対的価値 形態に立つ商品にとって観念的存在であってよいと主張する議論におい ては、価値関係の何たるかの説明は、その議論の死命を制するアキレス 腱で札付。そもそも、・等価形態に立つ使用価値が観念的存在でしかない のになおかつ二つの相異なる使用価値が価値関係にあるとすれば、・以前 に等価形態にあったその使用価値が、価値関係の外部に存在する場合で さえ、生まれながらにして直接交換可能性という属性をもつようにみえ るという﹁資本論﹂の叙述は理解不能となる。けだし、二つの異質な使 用価値が市場で相対しなくても価値関係が成り立つとすれば、価値関係 には本来その内部と外部との区別が成立しえないからである。つまり、

(14)

一四  高知大学学術研究報告 第三十三巻 社会科学 異質な使用価値が市場で相対しないのに価値関係を取り結ぶという見解 の落とし穴は、価値関係の外部と内部との概念的区別が成立しないとこ ろにある。  しかし、﹁資本論﹂第1巻第一章の第一節と第三節との上向的脈絡そ のものの中に、実は市場での交換関係こそ、価値形態の本源的な成立要 件をなすという一命題が内包されていることにわれわれは極力注意すべ きであろう。すなわち、時と所の相違に応じて変動する異質な使用価値 の市場での量的交換割合である交換価値こそ、第一節での価値実体抽象の       I      −        ﹃   。 出発点であることをここで想起する必要がある。まさしぺ、第一節では、・ 異質な使用価値の市場での量的交換割合である交換価値が分析対象をな` す根本前提上で、異質な使用価値を数的比例関係にすえる共通な第三者 として価値実体が析出されたのである。従って、第一節の範囲内ですで に、析出された価値実体と市場の交換関係の中でのみ成立する交換価値 とが本質とその必然的現象形態との一義的な照応関係にあることは、理 論上確認済みの事柄をなす。実際、価値実体規定直後の第一節の文脈で ﹁研究の進行は、われわれを、価値の必然的な表現様式または現象形態 てしての交換価値につれもどすことになるであろう﹂︵﹁資本論JI、五 三ページ﹂とマルクスはのべているが、これは、価値実体を抽象する際 交換価値を分析対象に据えた最初の根本前提に立ち返って、価値実体と       I一lχ   s4  34 sslIχ s%市場でのみ成立する交換価値とが本質とその必然的現象形態との一義的 関係にある事実をもう一度再確認したものにほかならない。・従って、第 三節では、価値実体と市場でのみ成り立つ交換価値とが本質とその必然 的現象形態という一義的な対応関係にあるという第一節での確認事項を 大前提に据えて、単に理論上価値実体からその必然的現象形態である価 値形態へと上向して両者の間の内在的連繋をつけるにすぎない。だから、 価値実体から価値形態への展開とは、市場の交換関係という同一基礎上 でともに成り立つ価値実体と価値形態との間に横たわる概念上の天地の 隔たりを理論的に埋めることを意味するだけである。けだし、価値実体と 価値形態とがともに市場の交換関係という同じ基礎上で成り立つとはいっ ても、価値実体は、相対する異質な具対的有用労働の等置関係の中でのみ 実在するのに反して、その現象形態である使用価値は、それ自体としては 価値実体を含有せず、本質とその現象形態との間には架橋しがたい断層が あるからで蓼。もし第一節で価値実体を抽出する際の分析対象に市場で のみ成立する交換価値を据えながら、第三節で価値実体から交換価値と同 義語としての価値形態へと上向する際、二つの異質な使用価値が市場で相 対七ないとすれば、価値実体からの上向の道は、それを抽象する際分析 対象に据えられたその必然的現象形態である交換価値に戻らないという 不条理が生じることになる。また、市場の交換関係こそ価値形態の本源 的成立要件であるという第三節での明示的な指摘に背反して、価値形態・j が市場でのみ成り立つ事実を否定する議論はい交換関係という語の不当          ︵5︶  χssχ   χχ4な拡大解釈に起因する。交換関係とは相互に自己の所有物と引き換えに 相手方の所有物を掌中に納めることである。異質な使用価値が市場で相 対しないならば、一方の使用価値の所有者が他方の使用価値を欲望対象 として観念上表象に思い浮かべたとしても、二つの異質な使用価値の間 には交換関係は全然成立しない。従って、一方で価値形態が異質な使用 価値の交換関係の中で成り立つと主張しつつ、他方で両者が市場で相対 しなくても交換関係が成り立つという理解は、交換関係という語の不当 な拡大解釈だというそしりを免れない。  ところで、市場の交換関係こそ価値形態の本源的な成立要件であると いう事実は、S・ベーリの批判によってリカード価値論がもろくも破産 した事情を反省してみればより確かに検証される。周知の通り、経済学 史上特異な位置を占めるベーリ︵一七九〇−一八七〇年︶は、価値が交 換価値または価値形態としてのみ現象する客観的事実だけに一面的に固 執して、価値の現象形態にすぎない価値形態をもって価値そのものとみ

参照

関連したドキュメント

或はBifidobacteriumとして3)1つのnew genus

• また, C が二次錐や半正定値行列錐のときは,それぞれ二次錐 相補性問題 (Second-Order Cone Complementarity Problem) ,半正定値 相補性問題 (Semi-definite

自発的な文の生成の場合には、何らかの方法で numeration formation が 行われて、Lexicon の中の語彙から numeration

瓦礫類の線量評価は,次に示す条件で MCNP コードにより評価する。 なお,保管エリアが満杯となった際には,実際の線源形状に近い形で

その問いとは逆に、価格が 30%値下がりした場合、消費量を増やすと回答した人(図

[r]

地震 L1 について、状態 A+α と状態 E の評価結果を比較すると、全 CDF は状態 A+α の 1.2×10 -5 /炉年から状態 E では 8.2×10 -6 /炉年まで低下し

地震 L1 について、状態 A+α と状態 E の評価結果を比較すると、全 CDF は状態 A+α の 1.2×10 -5 /炉年から状態 E では 8.2×10 -6 /炉年まで低下し