はじめに 本論文は、長野県信濃美術館において実施した平成 29 年度文化庁・地域の核となる美 術館・歴史博物館支援事業での取り組みの実践報告を交え、取り組んだ事業への考察・理 論化に取り組むことで、映像表現に対する方法論、または映像教育のスキームアップを目 的とする。 一般に映像分野での実践報告では、映像活用、映像視聴に力点を置いて取り組まれたプ ログラムが多く見られる。本論においては実践報告に留まることなく、今日におけるメ ディア・リテラシー、映像教育への考察を踏まえながら展開を行なっていく。その中で筆 者がディレクターを務めた「アーカイヴ映像制作ワークショップ」の実施報告と合わせて、 メディア・リテラシーの実践としてのワークショップを通して映像教育、映像表現への考 察を行なうことでまとめとしたい。 現在、街を歩いていても、部屋の中でも、至るところに「映像」が蔓延っている。10 年前には「映像が溢れかえる」などと形容されていたが、現在では「溢れかえる」などと うに過ぎてしまい、日常生活を営む上で「映像」から逃れることは不可能になっている。 しかし、「映像」という語は、その実「Image」や「Picture」、「Build」などの多様な言 葉に相応しており、その指示する範疇が定まっていない言葉である。近年日本では、映画、 写真、アニメーション、漫画、WEB などを「映像」 という言葉で指し示しており、また現代美術にお いて「映像」は、ひとつの手法として用いられる こともある。 本論の射程は、今日におけるデジタルメディア の凄まじい台頭の中で求められるメディア・リテ ラシーに基づく実践的取り組みによる映像教育の スキームアップである。そこで本論では、あえて
ワークショップ型映像制作へ、新たな映像表現および映像教育への考察
― 長野県信濃美術館における平成 29 年度文化庁
地域の核となる美術館・歴史博物館支援事業での取り組みから ―
岡 田 翔
キーワード:メディア・リテラシー、メディアデザイン、メディアプラクティス、ワークショップ、映像教育 fig 1 秋葉原の風景範疇のさだまらない「映像」という言葉を用いることで、逆説的に新たなメディア・リテ ラシー、現代の視覚表現における多様な経験に迫ることが可能になるのではないだろうか と考える。 まさしく、日本における映像の氾濫は、秋葉原(fig1)を例に挙げるまでもなく海外で は例をみない。それには映像を媒介するメディア、とりわけデジタルメディアの発展が関 係している。日本では、デジタルメディアの発展が著しく、次々と高性能な映像メディア、 アプリケーションが大量にそして、低価格に生み出されている。現在のこのような事態は、 かつては考えられないことであったが高度経済成長を経た 80 年代後半から顕著となって いる。 このような事態がなぜ日本にだけ特異的に発生したのであろうか。その理由のひとつと して第二次大戦の敗戦が関係していることを挙げておきたい。海外において、先端技術 を用いたデジタルメディアの発展・普及は、軍事産業が第一優先に進められる。例えば、 インターネットの集約場所が軍事拠点を意味する「Base」と呼ばれるのは偶然ではなく、 インターネット技術が軍事のために開発された技術であることに由来する。また、この他 にも近年注目を集めるドローンや顔認証システムも軍事技術として開発されたものであ る。 しかし、海外では一般的ともいえる軍事とデジタルメディアという組み合わせは、日本 においては成立しなかった。それは周知の通り、敗戦を経て軍事開発が禁止されたことに 起因する。ならびに 1950 年代後半から高度経済成長を迎えたことにより当時の最新技術 は、軍事にではなく「三種の神器」、「新三種の神器」などの「家電」として家庭に向けら れた。その結果、現在では凄まじい勢いでデジタルメディアが組み込まれた新商品が次々 と開発され、使用者すら何が変わったのか分からないほどの改良点、機能が含まれた家電 が販売されている。同様にデジタル技術はカメラなどの映像メディアへの開発、普及へも 向けられた。そのため日本国内において、デジタルカメラは海外ではみないほどの価格の 低さと普及率の高さを誇っている。 このような上記の事柄は、日本に稀な映像環境を育むことになった。それが異様に発達 したデジタルメディアの普及に伴う映像の氾濫である。このような稀な環境は、「デジタ ルデバイド」と呼ばれる情報格差を生むこととなった。この問題は国内外においても問題 視されており、2001 年に開催された九州・沖縄サミット首脳会合においては、G8 首脳 より発表された「グローバルな情報社会に関する沖縄憲章」では、デジタルデバイド解決 が強調されている。国内では、総務省においてデジタルデバイドの解消への取り組みが 様々に行われており、特異な映像環境を背景にメディア・リテラシー、映像教育の必要性、 重要性はますます高まっている。 次では、上記を踏まえて必要とされる「メディア・リテラシー」の基本概念からみてい きたい。
1.メディア・リテラシーとは 1-1. メディア・リテラシーの基本概念 先に述べたデジタルメディアの変化の中、近年頻繁にメディア・リテラシーという言葉 を耳にする。それは、SNS や動画投稿サイトなどにおける受発信が、デジタルメディア に関する専門教育を受けたことがない多くの人たちにとって一般的になった現状からもみ てとることができる。2011 年 3 月 11 日に、未曾有の災害が発生し、同時に東京電力福 島第一原子力発電所の事故に直面した。その際に私たちがテレビ、ラジオ、Web、SNS といった大量の情報の取捨選択に迫られたことからもメディア・リテラシーの重要性、必 要性は理解に難くない。上記からも分かるように今日の社会におけるデジタルメディアの 在り様は、旧来的な「作り手」と「受け手」という区分に基づいてのみ理解されるべきで はなく、その区分を超えたデジタルメディアへのリテラシーが求められている。 いまやデジタルメディアへのアクセスは、社会レベル、文化レベル、生活レベルにおい ても欠かせないものとなった。その影響力の大きさは「受け手」であるユーザーにおいて 顕著である。今日の過剰なデータは、これまでのユーザーとは一線を画す「ヘビーユー ザー」/「パワーユーザー」1と呼ばれるユーザーの誕生を促した。このような社会に生き る私たちはデジタルメディアに対して能動的態度を取ることが自ずと求められている。さ しあたってメディア・リテラシーとは、このようなデジタルメディアへの能動的態度を指 し示す言葉だということができる。日本の大学における社会学系専門科目として日本のメ ディア・リテラシー黎明期である 1994 年に「メディア・リテラシー論」を開講したメディ ア研究者である鈴木みどりはメディア・リテラシーを以下のように定義している。 「市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディアにアクセ スし、多様な形態でコミュニケーションをつくりだす力をさす。また、そのような力の 獲得をめざす取り組み」[鈴木 2015 p.17] メディア・リテラシーという用語は、イギリス、カナダなどのメディア・リテラシー教 育先進国をはじめ海外の多くの国で用いられているが、国内の主に大学をはじめとした教 育機関のカリキュラムでは「メディア・リテラシー」、「情報リテラシー」、「情報演習」と いう言葉が使われており、同一の目的を持ちながら様々な名称で呼ばれることが多い。本 論では、国内外のメディアによる教育、メディアの教育を「メディア・リテラシー」とい う用語を用いて進めていく。 メディア・リテラシーが必要とされる理由は、先にも述べたようにデジタルメディアを 介したコミュニケーションが一般化した現代において、それらの情報に対し主体的な思考 を教育によって身に付けなければならないという論点によるものである。メディア・リテ ラシーという用語に用いられる「リテラシー」の語源は、教養(Literature)である。そ
の教養を意味するリテラシーという言葉に「言葉の読み書き」、「識字能力」という意味が 付与されるのは、教育制度が整備された 18 世紀以後のことである。現代においては、鉛 筆で文字を書くことに並列してキーボードを用いて文字を書くことや、タブレットを用い て指を画面になぞらせて文字を書くことが一般化した。また、映画からテレビ、メール、 交通案内までひとつのディスプレイを通して様々なアクセスが可能となった現在において は、鈴木が挙げるように「メディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディ アにアクセス」する能力が必要であり、そこでは情報の信憑性を見極めるためのクリティ シズムが不可欠であることも 3.11 を再び例に挙げるまでもなく理解できるだろう。 このように現代においては、様々なレベルにおいてメディア・リテラシーの必要性が説 かれている。その必要性の高まりは一般社会のみならず、大学などの高等教育、または芸 術系教育においても同様にみられる。もちろん、今日におけるメディア・リテラシーの必 要性は先に述べた通りであるが、映像制作におけるメディア・リテラシーの必要性につい ては、以下のような反論もありうる。映像表現は、今日こそ絵画、彫刻等の芸術表現のひ とつとしてみなされているが、映像表現の代表として扱われる映画は見世物として表現を 発展させてきた経緯をもつ。例えば、映画以前に発明さ れた図(fig2)にあるようなパノラマ、ジオラマ、クレ オラマなどの映像装置は、1900 年のパリ博覧会におい て初期の映画と同様にアトラクション装置として展示が 行われた。つまり、絵画表現において想定されてきた貴 族などの教養をもった特権階級的な鑑賞者(受け手)と は異なり、映像表現には、作り手と大衆的な観客(受け 手)という構図が存在することになる。教養を前提とす る表現ではなく、見世物として表現が発展してきた映像 表現において、それを享受する大衆的な観客に対し、ク リティシズムの必要性をメディア・リテラシーは説明で きない。 このように映像教育におけるメディア・リテラシーの 必要性を指摘する際には、様々な立ち位置を取ることができる。この点については後に改 めて考察を行ないたい。では、メディア・リテラシーという概念はどのような経緯を経て 形成されてきたのであろうか。国外のメディア・リテラシーの出発と展開を参照していき たい。 1-2. 国内外のメディア・リテラシー 1-2-1. 国外のメディア・リテラシー ここではメディア・リテラシーの先進国として知られるイギリス、カナダを参照項に各 国での取り組みからメディア・リテラシーを概略的にまとめたい。はじめに、イギリスに fig 2 パノラマ
おいてメディア・リテラシーに注目が集まった経緯をみていきたい。 他国に先駆けてメディア・リテラシーへの取り組みが行われたイギリスにおけるメディ ア・リテラシー(イギリスにおいては「メディア教育」と呼ばれることが一般的である)は、 1930 年代のリーヴィスとトンプソンの取り組み2にその端緒をみることができる[上杉 2008]。この 1930 年代は、第一次世界大戦の影響からイギリスにおいて技術革新や産業 化が著しく進んだ時代であった。その時代において、リーヴィスとトンプソンは映画、新 聞、ラジオ、広告などのマス・メディアの普及に対する危機感に基づきメディア・リテラ シーへの取り組みを行なっている。この危機感とは、当時の文学などをはじめとした高尚 な文化に対し、「俗悪」である大衆的なマス・メディア[上杉 2008]が際限なく普及し ていく現状に対してのものである。リーヴィスとトンプソンによるメディア・リテラシー の取り組みは、高尚文化を低迷させる危険性があるマス・メディアへの批判的アプローチ であったといえる。 加えて、1930 年代はドイツのヒトラーによるプロパガンダ映画の時代でもあった。演 出、撮影、編集技法を駆使したプロパガンダ映画は、国民に大きな影響を与え、大衆操作 への危惧が懸念される対象であった。そのためイギリス国民放送の BBC は、プロパガン ダ映画に対して国民が見分けられる術を身に付けるための番組製作を行っている[菅谷 2000]。 このようにイギリスにおけるメディア・リテラシーの発展には批判的思考を基盤にして、 現在に至るまでメディア・リテラシーの発展を遂げることになる。以後も批判的思考が最 重要概念として捉えられていることは、メディア・リテラシー(メディア教育)に大きな 影響を与えたレン・マスターマン3によって 1995 年に提唱された「メディア・リテラシー の 18 の基本原則」(表 1)からもみることができる。 (表 1)メディア・リテラシーの 18 の基本原則 1. メディア・リテラシーは重要で意義のある取り組みである。その中心的課題は多くの人 が力をつけ(empowerment)、社会の民主主義的構造を強化することである。 2. メディア・リテラシーの基本概念は、「構成され、コード化された表現」(representation) ということである。メディアは媒介する。メディアは現実を反映しているのではなく、 再構成し、提示している。メディアはシンボルや記号のシステムである。この原則を理 解せずにメディア・リテラシーの取り組みを始めることはできない。この理解からすべ てが始まる。 3. メディア・リテラシーは生涯を通した学習過程である。ゆえに、学ぶ者が強い動機を獲 得することがその主要な目的である。 4. メディア・リテラシーは単にクリティカルな知力を養うだけでなく、クリティカルな主 体性を養うことを目的とする。 5. メディア・リテラシーの方法は探究的である。特定の文化的価値を押し付けない。 6. メディア・リテラシーは今日的なトピックスを扱う。学ぶ者の生活状況に光を当てる。 そうしながら「ここ」「今」を、歴史およびイデオロギーのより広範な問題の文脈でと らえる。
7. メディア・リテラシーの基本的概念(キーコンセプト)は分析のためのツゥールであっ て、別の内容を示すものではない。 8. メディア・リテラシーの内容は目的のための手段である。その目的は別の内容を提示す ることではなく、発展可能な分析手段の開発である。 9. メディア・リテラシーの効果は次の 2 つの基準で評価できる。 1)学ぶ者が新しい事態に対して、クリティカルな思考をどの程度適用できるか 2)学ぶ者が示す参与と動機の深さ 10. 理想的には、メディア・リテラシーの評価は学ぶ者の形成的、総括的な自己評価である。 11. メディア・リテラシーは内省と対話の対象を提供することによって、教える者と教えら れる者の関係を変える試みである。 12. メディア・リテラシーはその探究を討論によるのではなく、対話によって遂行する。 13. メディア・リテラシーの取り組みは、基本的に能動的で参加型である。参加することで、 より開かれた民主主義的な教育の開発を促す。学ぶ者は自分の学習に責任を持ち、制御 し、シラバスの作成に参加し、自らの学習に長期的視野を持つようになる。端的にいえ ば、メディア・リテラシーは新しいカリキュラムの導入であるとともに、新しい学び方 の導入でもある。 14. メディア・リテラシーは互いに学びあうことを基本とする。グループを中心とする。個 人は競争によって学ぶのではなく、グループ全体の洞察力とリソースによって学ぶこと ができる。 15. メ デ ィ ア・ リ テ ラ シ ー は 実 践 的 批 判 と 批 判 的 実 践 か ら な る。 文 化 的 再 生 産 (reproduction)よりは、文化的批判を重視する。 16. メディア・リテラシーは包括的な過程である。理想的には学ぶ者、両親、メディアの専 門家、教える者たちの新たな関係を築くものである。 17. メディア・リテラシーは絶えざる変化に深く関係している。常に変わりつつある 現実 とともに進化しなければならない。 18. メディア・リテラシーを支えるのは、弁別的認識論(distinctive epistemology)であ る。既存の知識は単に教える者により伝えられたり、学ぶ者により「発見」されたりす るのではない。それは始まりであり、目的ではない。メディア・リテラシーでは既存の 知識はクリティカルな探究と対話の対象であり、この探究と対話から学ぶ者や教える者 によって新しい知識が能動的に創り出されるのである。
出所: LenMasterman“Media Education: Eighteen Basic Principles”, MEDIACY, vol.17, NO3, Association for Media Literacy, 1995(宮崎寿子・鈴木みどり訳、1997) 一方、カナダにおけるメディア・リテラシーは、隣国であるアメリカの映画・テレビを 中心としたマス・メディアからの文化侵食に対抗する術として取り組まれてきた[後藤 2004]。このようなイギリスから一定の影響を受けた取り組みは、1960 年代に登場した マクルーハン4のメディア論を携えた教師たちがさらに草の根運動的に展開して進めてい くことになる。そして、1980 年代後半にオンタリオ州がメディア・リテラシーを学校教 育のカリキュラムに位置づけるという形でこの運動は結実した。この運動を経て、オンタ リオ州のメディア・リテラシーは以下の 8 つを基礎概念として挙げている(表 2)。
(表 2) 1. メディアはすべて構成されている。 2. メディアは現実を構成する。 3. オーディエンスがメディアから意味を読み取る。 4. メディアは商業的意味をもつ。 5. メディアはものの考え方(イデオロギー)や価値観を伝えている。 6. メディアは社会的・政治的意味をもつ。 7. メディアの様式と内容は密接に関連している。 8. メディアはそれぞれ独自の芸術様式をもっている。 出所:鈴木みどり編 1997『メディア・リテラシーを学ぶ人のために』世界思想社 カナダのメディア・リテラシーの基礎概念は、レン・マスターマンが提唱した「メディ ア・リテラシーの 18 の基本原則」の影響を受けている。それは、メディアによってイデ オロギーが伝えられるという点、メディアが現実を構成している点などの共通項からみる ことができる。このように国外で示されるメディア・リテラシーの基礎概念は批判的思考 が共通して中心にあることがわかる。次に国内のメディア・リテラシーを取り上げる。 1-2-2. 日本のメディア・リテラシー イギリス、カナダのメディア・リテラシーの影響を受けながら各国がメディア・リテラ シーに取り組んできた。その中で日本において、批判的思考が重要視されるようになっ たきっかけとして、メディア社会学者である水越伸は 1994 年の松本サリン事件報道をは じめとするマスコミ不信を挙げている[水越 2002]。それを踏まえて、水越はメディア・ リテラシーを「人間がメディアに媒介された情報を、送り手によって構成されたものとし て批判的に受容し、解釈すると同時に自らの思想や意見、感じていることなどをメディア によって構成的に表現し、コミュニケーションの回路を生み出していくという、複合的 な能力」[水越 2002]と定義する。これは鈴木が提唱するメディア・リテラシー[鈴木 2015]よりも、マスコミ報道に対しての批判的姿勢が強調されている。 また、水越は、批判的読み書きだけでは 21 世紀のメディア社会を主体的に生きていく ことは困難だと指摘し、表現を重視した新しいメディア・リテラシーの方法を提唱してい る。それは実践を伴いながら、メディアを固定的なものとして捉えるのではなく、「関係 性の形成過程を動的に捉えていくこと」を目指す、「メディアプラクティス」という概念 である。この新しいメディア・リテラシーは、混沌としたメディア状況において新しい意 義を生み、メディアを受け手として批判的に読み解くと同時に、送り手として能動的に表 現する。このような循環は受け手と送り手の間にコミュニケーションの回路を生み出し循 環を促すことができる[水越・吉見 2003]としている。
1-3. 日本の映像教育 近年、日本の総合大学に設置されている多くのメディア系学部において映像制作・メ ディア制作が授業として取り組まれている。そのカリキュラムの多くは、芸術系大学の作 品制作とは異なり表現を重視する実践的なメディア・リテラシーとして、メディアから発 信される情報を批判的に読み解き、また再発信できる能力を身に付けるべく取り組まれて いるものである。このような実践的な取り組みに関しては、1990 年代前後にかけて映像 制作、メディア制作に関するカリキュラムの立案や映画スタジオのシステムを大学教育に 移植する試み、1990 年代以降は大学においてプロジェクト型の制作プログラムなどが実 施されてきた。このような映像教育を踏まえ、日本を代表する映像作家である松本俊夫は、 『映像学』所収の「映像教育の現在課題に関する試論」において、映像が与えている芸術 的・社会的変化を俯瞰しつつ、芸術系大学を中心に各大学におけるカリキュラムの多様性 と映像表現を育むことを目的とした映像教育手法の開発とその実践の重要性を論じている [松本 1993]。この松本の映像教育における指摘は、メディア・リテラシーの実践的な取 り組みであるメディアプラクティスと重なるところが多い。 つまり、メディアプラクティスという概念を踏まえれば、映像表現におけるメディア・ リテラシーの必要性とは、批判的思考を踏まえた実践的考察であり、そのメディアプラク ティスを通した創作過程において新たな表現、送り手と受け手においてコミュニケーショ ンの回路が模索されるという点にあるといえるだろう。 このような映画やテレビに留まらない、映像に対する技術、態度、表現までも範疇に入 れた映像教育における試みは、大内茂男による取り組みがある。戦後 1960 年代以降、映 画に取って代わりテレビが映像を受信するメディアとしての立ち位置を確立すると、テレ ビというメディアが人々に与える影響は映画の比ではないとみなされた。この現状に際し、 大内は、互いのメディアに共通するスクリーンに着目し、Screen Education を映像教育 という言葉に訳した[大内 1963]ところから、日本の「映像教育」は始まることになる。 大内の取り組みによる映像教育の変化は、「見る」ための映画・テレビ教育から、映像に 対する技術、態度、表現を取り入れた教育への転換である。大内は欧米の映像教育として、 以下の教育内容を示している(表 3)。 (表 3) 1. 青少年に映像言語を教えること 2. 青少年の映像芸術に対する審美的受容性および創造性を発展させること 3. 映画やテレビ番組に消費的態度でなく、評価的態度がとれるようにすること 出所:大内茂男 1963『欧米における映像教育の現状』『視聴覚教育研究集録』5 号 , pp.39-47 この(表 3)に基づく映像教育の転換において「映像芸術に対する審美的受容性および 創造性を発展させること」、「消費的態度でなく、評価的態度がとれるようにすること」と
明記されている点に着目したい。この点は、メディアプラクティスにおいて「関係性の形 成過程を動的に捉えていくこと」で、受け手と送り手の間にコミュニケーションの回路を 生み出し循環を促すことができることと同様であるといえる[水越・吉見 2003]。この ような、初期の映像教育とメディアプラクティスとの接点を見ることで、松本の映像教育 における指摘[松本 1993]は、メディアプラクティスを踏まえた映像制作が映像教育に おいて求められていると言い換えることができる。 次では、上記を踏まえ今回の事業で取り組んだメディアプラクティスとしてのワーク ショップを実施するにあたってのワークショップデザインについて考察をしたい。 2.ワークショップ 2-1. メディアプラクティスとしてのワークショップ 近年、メディア・リテラシーと同様に「ワークショップ」という言葉を目にすることが 多い。しかし、ワークショップが実施される行政、大学、市民団体においても同様の内容、 方法が用いられているわけではない。 ワークショップとは、主に演劇の分野で「共同作業場」または「工房」を意味する言葉 である。そこでは互いに意見の交換、技術公開が行われ、交流をもとに新たな表現を模索 する場を指して使われることが多い。しかし、1970 年代後半から「先生や講師から一方 的に話を聞くのではなく、参加者が主体的に議論に参加したり、言葉だけでなくからだや こころを使って体験したり、相互に刺激しあい学びあう、グループによる学びと創造の方 法」[中野 2001]として学校教育だけでなく、まちづくりの市民団体、企業研修の場に おいてもワークショップと名付けられた取り組みは様々に行われている。1970 年代以降 の日本における芸術分野以外での取り組みも、中野によれば同様に「講義など一方的な知 識伝達のスタイルではなく、参加者が自ら参加・体験して共同で何かを学びあったり創り だしたりする学びと創造のスタイル」[中野 2001]という点において共通の目的を持っ たワークショップと言うことができるだろう。そして、本プロジェクトにおいて実施した 「アーカイブ映像制作ワークショップ」もまた、参加者の学生がアーカイブに自ら参加し、 機材を持ちながら体験し創作するという点において演劇で用いられてきたワークショップ と同様に、新たな表現を考察し生み出すためのワークショップとして位置づけることがで きる。 「アーカイブ映像制作ワークショップ」は、映像制作における技術公開のみならず、参 加者である学生は、ワークショップを通して無意識的に保存・記録される美術館を意識的 に読み解くことを試みるワークショップである。このようなデジタルメディアに対する能 動的姿勢を踏まえた今回のワークショップは、「メディア状況において新しい意義を生み、 メディアを批判的に読み解くと同時に、能動的に表現する」[水越・吉見 2003]、メディ アプラクティスとしてのワークショップであると言える。
2-2. ワークショップデザインについて 実際にワークショップを行なうにあたり、「アーカイブ映像制作ワークショップ」では これまで述べてきたメディア・リテラシーの問題を扱い、メディアプラクティスとしての ワークショップを行なうことで、映像教育のスキームアップが図れるものと考える。そこ で、教育現場、社会の中でデジタルメディアを介して行われるコミュニケーションに方法 論を提案しているメディアデザイン5の視座からワークショップデザインを行なった。 先に述べたように、「アーカイブ映像制作ワークショップ」は映像制作における技術公 開だけでなく、長野県信濃美術館の建築アーカイブとしての側面を持つ取り組みである。 その点を踏まえ、ワークフローを考案した。 ワークショップデザインの考案にあたっては、カナダのメディア・リテラシーから現在 のメディアプラクティスに至るまで一定の影響を与え続けている、レン・マスターマンに よって提唱された「メディア・リテラシーの 18 の基本原則」から、(2)、(4)、(6)、(13) を参照項として項目設定を行なった。 ・ 参加者は、ワークショップにおいて画コンテなどの前もったヴィジュアルを用意せず、 実際に対象を何度もカメラで撮影することから自身の考えをまとめていく、カメラを通 した思考を行なうこと。((2)参照) ・ ワークショップの講評にあたっては多様なレファレンスを用意し、「場所性」、「時代性」 において同一のイメージ・行為の意味が変化することをディスカッションにより伝える。 ((4)参照) ・ アーカイブという取り組みに際し、かつての意味ではなく現在の自身の問題から対象を 捉え直すこと。((6)参照) ・ ワークショップでは、プレゼンテーション、ディスカッションを行なう。((13)参照) 3.アーカイブ映像制作ワークショップについて 3-1. 長野県信濃美術館における事業概要 ワークショップの事例に進む前に、長野県信濃 美術館(以下、信濃美術館)における事業概要、 ならびに「アーカイブ映像制作ワークショップ」 の目的をここでまとめておきたい。 信濃美術館では、平成 25 年度から「善光寺門 前研究プロジェクト」6に取り組んでおり、本年 度採択された「平成 29 年度文化庁 地域の核と なる美術館・歴史博物館支援事業」において、「アー カイブ映像制作ワークショップ」は実施された。 fig 3 長野県信濃美術館
信濃美術館は、平成 28 年度までの「善光寺門前研究プロジェクト」7において、若手 作家との協働事業の一環として県内の民話・伝説を紙芝居やアニメーションといったメ ディアにおいて保存・公開するといった活動を取り組んでいる美術館である。また、その 中で平成 28 年度には国内最古級とされ、約 100 年の歴史を有する劇場「相生座」8との 協働事業を実施するなど、地域の有形・無形の文化・歴史を保存・活用する試みを行って きた。信濃美術館は、故・林昌二9氏の設計による、現存する数少ない「HP シェル」10 工法の建築であり、また国内でも早期に開館した県立美術館という歴史的経緯を有してい る。その館が平成 29 年度には、開館 50 周年を迎え、建て替えに伴う取り壊しが予定さ れている。そこで、これまでの信濃美術館の取り組み、建築としての信濃美術館をテーマ に、「アーカイブ映像制作ワークショップ」に取り組んだ。 「平成 29 年度文化庁 地域の核となる美術館・歴史博物館支援事業」の取り組みのひ とつである、「アーカイブ映像制作ワークショップ」は、アーカイブとし一般的に対象に される「ハード面(図面・建築写真)」に対してアーカイブとして対象にされてこなかっ た「ソフト(記憶・個人的な出来事)」を対象にした映像記録を主とするワークショップ である。 ワークショップでは、各参加者の興味のもと美術館、美術館に付随する公園、展覧会の 感想、周辺地域である善光寺などをモチーフとして撮影を行なった。また、ワークショッ プの実施にあたっては、長野県信濃美術館学芸員である松井正氏、写真家の篠田優氏、映 像作家の大野隆介氏、筆者をファシリテーターとして取り組んだ。 3-2. ワークショップ事例 ワークショップでは、2-2. で設定した項目を取り入れ、計 3 回に分けて実施を行なった。 3-2-1. ワークショップ 1 □ 目的: ワークショップ 1 では、ワークショップを実施した信濃美術館をテーマに映像制作に おけるアイディアから実際に撮影に至るまでの構想をワークショップ 1 のテーマとし た。近年の実験的な映像表現の場では、フィクション/ノン・フィクションの境界やメ ディアを横断した映像のあり方を模索する取り組みが行われている。ワークショップ 1 では、実際にカメラを回しながらリサーチやブ レインストーミングを行い、アイディアの拡張 を目指す。 □ 方法: 1. 建築物としての美術館の説明、美術館周辺の 散策。 2. 参加者の好きなモチーフを決める。 3. 信濃美術館または信濃美術館周辺において決 fig 4 2017 年 8 月 9 日 -10 日の WS 風景
めたモチーフをもとに撮影を行なう。 4. 撮影してきた映像をもとに撮影者がプレゼンテーションを行なう。 5. ディスカッションを行なう。 □ 日程: 2017 年 8 月 9 日(水)-10 日(木) 3-2-2. ワークショップ 2 □ 目的: ワークショップ 2 では、カメラの基本的な構 造を学びながら、信濃美術館周辺の撮影を行な う。映像表現においては、使用する機材やレン ズが表現の違いとして直接的に影響する。近年、 インディペンデント映画の代名詞とされてきた 8mm フィルム、16mm フィルムといった機材 に代わって使用される機会が多くなった、一眼 レフカメラ、ミラーレス一眼レフカメラの動画撮影機能を用いる。 レンズにおける表現の変化、ライティングにおける印象の変化についての理解を目指す。 □ キーポイント: レンズのミリ数における表現 □ 方法: 1. カメラの構造・レンズのミリ数における表現の変化についての説明。 2. 信濃美術館または信濃美術館周辺において決めたモチーフをもとに撮影を行なう。 3. 撮影してきた映像をもとに撮影者がプレゼンテーションを行なう。 4. ディスカッションを行なう。 □ 日程: 2017 年 8 月 16 日(水)-17 日(木) 3-2-3. ワークショップ 3 □ 目的: ワークショップ 3 では、主に人物を被写体と してインタビューの撮影を行なった。インタ ビューは、単に被写体を写すだけでなく、音声 の録音など総合的な映像マネジメントの能力が 必要とされる。映画、写真、ニュースなどにお いても当たり前のように行われる、カメラを被 写体に向けて撮影するという行為は、その目的 fig 5 2017 年 8 月 16 日 -17 日の WS 風景 fig 6 2017 年 8 月 23 日 -24 日の WS 風景
によって様々なものを記録する。今回は前回までのワークショップを踏まえて、「イン タビューを通して友だちになる」というテーマのもと、コミュニケーションツールとし てのインタビュー撮影を目指した。 □ キーポイント: インタビュアーとインタビュイーとの距離による会話の変化 □ 方法: 1. ドキュメンタリー、ニュースにおけるインタビューの目的の違いについての説明 2. 参加者同士インタビュー撮影を行なう。 3. 撮影してきた映像をもとに撮影者がプレゼンテーションを行なう。 4. ディスカッションを行なう。 □ 日程: 2017 年 8 月 23 日(水)-24 日(木) 4.まとめにかえて 4-1. 新たな表現および映像教育へむけて 各ワークショップでのディスカッションでは、映像において一般的に「失敗」とされる 音割れや見切れなどの技術面や、デジタルメディアについて映画、写真、アニメーション、 現代美術の立場から多面的な意見が数多く取り交わされた。 また各 3 回のワークショップのプレゼンテーション、ディスカッションを通して、以 下の意見を聞くことができた。 ・ インタビューにおいて距離が離れることで、初対面同士でも気兼ねなく話すことが出来 た。 ・ 撮影の際に音割れが起きてしまったが、それは撮影現場のテンションの高さを示すこと にも繋がることが分かった。 ・ スマートフォンのカメラを使うことで、普段のカメラでは撮ることの出来ない目線で撮 影することができた。 ・ 今まで画角やミリ数をそこまで気にしないで撮影していたが、意識すると撮れる画の違 いがはっきりと分かった。 ・撮り直しを何度も行なうことで、はじめに自分が考えていたものと違うものが撮影で きた。 本論でみてきたようにメディア研究の現場からはメディア・リテラシーの更新が多く試 みられている。それは、今日におけるデジタルメディアの著しい変化と普及に基づく社会 やコミュニケーションの変化によるものである。近年、芸術に限らずビジネスの場におい
ても展開されるワークショップという形式において、今回の取り組みでは、メディア・リ テラシーおよび映像教育における諸問題に対してワークショップを通した実践的取り組み を行なった。今回の取り組みは、参加者のみならずファシリテーターにとっても新たな知 見が得られるものであった。ディスカッションにおいて取り交わされた参加者からの意見 から、ワークショップデザインの項目設定と重なりがみられたことは一定の成果とみなす ことができるだろう。 また、今回のワークショップ実施にあたって使用した機材は、ミラーレス一眼レフカメ ラ、ウェアラブルカメラ、スマートフォン、レファレンスとしての動画投稿サイトなど、 今日的なデジタルメディアである。このような映像機器の普及は 2007 年に発売された iPhone を筆頭に近年凄まじい勢いで変化を遂げている。iPhone において一般化した撮影 行為(送り手)から鑑賞行為(受け手)までの一連の行為は、図(fig7)のようにディス プレイのみを通して行われる。 今回の一連の取り組みは、メディア・リテラシーの 問題を踏まえた、今日的なデジタルメディアである ディスプレイ映像に対するメディアプラクティスであ る。今後は Screen Education としての映像教育では なく、今日的な Display Education としての映像教 育に取り組んでいきたい。 今後の課題は、メディア・リテラシーでの取り組み と同様に Display Education としての映像教育をス キームアップに取り組み、実証していくことである。 そのためにも、「メディア状況において新しい意義を 生み、メディアを批判的に読み解くと同時に、能動的に表現する」[水越・吉見 2003] ことが必要となる。メディアプラクティスとしてのワークショップは成果物だけでなく、 各参加者とワークショップ経験との今後の繋がりを視野に入れなくてはならない。今後は、 今回のワークショップを下地に中長期的な実践研究を重ねることで、今回取り扱うことが 出来なかった教育効果の側面についても論じていきたい。 謝辞 本ワークショップは長野県信濃美術館にて採択された「平成 29 年度文化庁 地域の核 となる美術館・歴史博物館支援事業」のもと、信濃美術館ならびに学芸員である松井正氏 の全面的な協力、支援のもと実施することができた。また、松井氏、篠田優氏、大野隆介 氏と共にワークショップに取り組めたことを大変嬉しく思う。この場を借りて感謝申し上 げたい。ありがとうございました。 fig 7
〈参考文献〉 源田悦夫 1999「大学における映像教育」『映像情報メディア学会誌』vol53, No3, pp.325-326 松本俊夫 1993「映像教育の現在課題に関する試論」『映像学』48 号,pp.4-15 中野民夫 2001『ワークショップ―新しい学びと創造の場―』岩波書店 吉田貞介編 1985『映像時代の教育 ―そのカリキュラムと実践―』日本放送教育協会 鈴木みどり編 2015『Study Guide メディア・リテラシー【入門編】』リベルタ出版 鈴木みどり編 1997『メディア・リテラシーを学ぶ人のために』世界思想社 鈴木みどり編 2001『メディア・リテラシーの現在と未来』世界思想社 鈴木岳海 2011「感覚横断的映像教育手法としてのワークショップ開発に関する一考察 ―2007 年か ら 2010 年にわたる映像学部学生を対象とした夏期ワークショップの事例から―」『立命館映像 学』 後藤康志 2004「日本におけるメディア・リテラシー研究の系譜と課題」『現代社会文化研究』No29 上杉嘉見 2008『カナダのメディア・リテラシー教育』明石書店 土田環編 2014『こども映画教室のすすめ』春秋社 大内茂男 1963『欧米における映像教育の現状』『視聴覚教育研究集録』5 号,pp.39-47 菅谷明子 2000『メディア・リテラシー ―世界の現場から―』岩波書店 水越伸 2002『デジタル・メディア社会』岩波書店 北野圭介 2009『映像論序説 ― “デジタル / アナログ” を越えて』人文書院 東京都写真美術館 2006『映像体験ミュージアム―イマジネーションの未来へ』工作舎(増補版) 水越伸・吉見俊哉編 2003『メディア・プラクティス―媒体を創って世界を変える』せりか書房 総務省『情報通信白書 平成 23 年度版』 総務省『情報通信白書 平成 16 年度版』 注 1 一般にパワーユーザーとは、パソコンの構成や動作の仕組みなどに関して詳細な・豊富な知識を 持っており、アプリケーションソフトの様々な機能を用いることができるユーザーを指す。また、 ヘビーユーザーとは、パソコンや携帯電話・ゲーム機などの操作に精通しているおり、利用時間 が長くさまざまな機能を進んで活用するユーザーを指す。 2 メディア教育への端緒はリーヴィスとその弟子トンプソンの共著『文化と環境』(1933)に求め られることが一般的である。 3 教育学者。子どもにおけるメディア教育への必要性を提唱し、現在におけるメディア・リテラシー の基盤となる研究に取り組んだ。 4 英文学者。批評家。著書『グーテンベルクの銀河系』(1951)、『メディア論』(1964)などは、 現在のメディア研究において重要な位置を占めている。 5 早稲田大学総合研究機構メディアデザイン研究所ホームページにおいて、メディアデザインは次 のように定義されている。「今日のメディアを介して提案する方法論をメディアデザインと定義 し、基礎研究、制作、 教育を通して検証、および実践する。社会・文化の様態、そして大学と地 域との連携に関する方法論を、より高度に、そしてより実践的な事象から捉える。」 <https://www.waseda.jp/inst/cro/other/2017/03/31/3118/>(2017 年 9 月 10 日閲覧) 6 長野県信濃美術館が位置する長野市中心部の善光寺および善光寺周辺地域との連携をはかり、信 濃美術館の文化資源を中核に共働して同エリアの賑わいを創出することを目的としている。 7 アニメーション作家である榊原澄人氏を招聘し、信濃の民話「黒姫物語」を題材にした「黒姫と 竜」の制作・上映を行なった。 8 1892 年に芝居小屋「千歳座」として開館。1919 年に長野演芸館(現:長野映画興行)に買収され「相 生座」の名称となる。建築年数が正確に判明している高田世界館(新潟県越後市)の 1911 年よ りも開館が古い。
9 建築家。「パレスサイドビル」(東京:1966 年)、「日本 IBM ビル」(東京:1971 年)などのオフィ スビルの設計に多く携わり、組織事務所を代表する建築家として活躍する。
10 Hyperbolic Paraboloid Shell 構造の一種。双曲線外殻構造と呼ばれ、双曲放物線面をもつ殻構 造となっており、壁面が柱の役割も兼ねている。