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シカ骨角器文化の発見から非人工品説まで-沖縄旧石器時代研究概観-: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Title

シカ骨角器文化の発見から非人工品説まで−沖縄旧石器

時代研究概観−

Author(s)

安里, 嗣淳

Citation

史料編集室紀要(24): 117-160

Issue Date

1999-03-26

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/7542

Rights

沖縄県教育委員会

(2)

史料編集 室紀 要 第24号 (1999)

シカ骨 角器文化 の発見 か ら非 人工 品説 まで

- 沖縄 旧石著誹寺代研究概観

-安里 嗣淳☆

は じめ に

現時点 までに、沖縄 において明確 に旧石器時代 に属す る石器などの文化遺物 は、一切得 られていない。周知の ように、港川人や山下町第一洞穴人などの化石人骨 は

2-3

万年前 の年代測定値が出ていることから、旧石器時代 に相当する時代 とい うことになる。 また、 土器や磨製石器 を伴 わないことも、その証左 とされている。 しか しなが ら、旧石器時代文 化 を示す人工品 も伴 なっていないわけで、それが共伴 しては じめて港川人は 「安住の地」 を得 ることとなるのである。 ところで、 これ まで沖縄 における旧石器時代の調査研究 においては、絶滅種 のシカ化石 骨角 のなかにみ られ る 「叉状骨器」 や 「ノ ミ刃状鹿角器」が人工品 と見 なされ、「骨角器 文化」 こそが沖縄 の旧石器時代文化の特質だ と言われてきた。 しか し、最近ではそれは人 工品ではな く、同種の動物 による 「較みキズ痕」であるとする説が有力 となって きた。 この ような状況か ら、沖縄の旧石器時代 は再びその存否その ものか ら論ず る必要がある のである。近年、南西諸島の うち種子 島では明確 な旧石器時代遺跡 ・遣物が検出 された。 琉球諸島で も奄美大島や徳之島で剥片石器が発見 されるなど、島喚地域で も旧石器時代末 期の文化が存在 していた可能性が指摘 されるようになって きた。筆者 もその可能性 に期待 し、沖縄諸島における発見 をめざしているのであるが、 ここでこれ までの沖縄の旧石器時 代研究史の うち、主要分野 となったシカ骨角器研究 を概観 し、あわせて今後の調査研究の 方向性 を考 えてい きたい。

1.シカ骨角器の発見 と人工品説の展開

(1) 徳永重康 。直島信夫の中国顔郷屯における骨牙製品発掘

(

1

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3

3。1

9

3

4

)

第 1次満蒙学術調査研究団 として

1

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3

3

年の

6

月 と

1

9

3

4

年の

6-7

月に、中国東北部の吉 林省顧郷屯で発掘調査 をお こなった徳永重康 と直良信夫 は、単なる化石産地にとどまらず 旧石器時代 の居住地であるとして、石器のほかに多数の動物化石製品を報告 した (徳永 ・

直良

,1

9

3

3

,1

9

3

4

,1

9

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6

・To

,

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a,1

9

3

3

a,

b)

。動物骨 にキズや破砕面があ

るの を人工の証拠 として、形状か ら11種の骨器 に分類 した。槍身状骨、鈷状、整状、包丁

状、椀状、匙状、鉄状、斧状、枚状、杓子状、箆状骨器がそれである0

☆あさと しじゅん (史料編集室)

(3)

7-シ カ骨角器文 化 の発 見 か ら非 人工 品説 まで 徳永 ・直 良 は遺跡 か ら多数 の骨片が得 られたが、 これ らは、① 大型動物 が散乱 した骨 を 踏 み割 った もの、(診食 肉類 の動物 の岐枠 に よる もの、③水流 による運搬 の際 の破損 、④乾 燥 に よ り自然 に割裂 した もの、 な どの原 因が考 え られ るが、明 らか に人工 とみ られ る もの のみ を報告 した と してい る。その他 に、マ ンモスの牙 を加工 した製品 と して長刀状牙器、 槍 身状牙器 、斧状牙器、ス コ ップ状牙器、短冊状牙器 な どを報告 してい る。総 じて、骨や 牙 にキズ痕 や破砕 面があ り、いか に も人工 を思 わせ るのだが、定形 的 な形状 の もので はな い。 したが って用 途 を示す明確 な器具名 はつ けに くいので

、「

○状骨 器」 の如 く形状 の イメー ジで仮称 してい る。 この報告書 を取 り扱 うのは、徳永重康 はその数年後 に沖縄伊江 島 カダ原 洞穴のシカ化石 骨 を発掘 し、直良信夫 の協 力 を得 て研 究室 で整理作業 をお こなった ところ、その中か ら同 様 に人工 品 を発見 した として報告 してい るか らで ある。す なわち、 この中国東北部 旧石器 遺跡調査 が、沖縄 産 シカ化石人工 品説 の伏線 となった もの と推定 で きるか らである。 また 次 に紹介す る蓑文 中の非 人工 品説 において、吉林省顧郷屯 の骨牙製品が誤 認例 と して指摘 されてい る こ ともここで取 り扱 う理 由の ひ とつで ある。 なお、 この報告書 を もとに 「顧郷屯文化」の呼称 が生 まれ、その後 中国の旧石器時代 に お ける骨器文化 の一例 として紹介 されてい った。

(

2

)

徳永重康 らの伊江島 カダ原洞穴 シカ化石骨調査 (

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6

)

沖縄 において旧石器時代 に関連す る論考が最初 に発表 されたのは、石器 についてで はな く 「シカ化石骨」 についてであった。沖縄 諸 島には隆起サ ンゴ礁 か ら成 る石灰岩丘陵が広 く分布 してお り、その なか に洞穴や裂 け 目 (フィッシャー)が数多 く形成 されてい る。 こ れ らの 中に堆積 した土 や壁面 な どか ら、現在 では絶滅種 となってい る リュ ウキュウジカや リュウキュ ウム カシキ ョンな どの シカの骨 や角が化石状態で発見 され るこ とが多い。

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(昭和

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)

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1

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日よ り

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日まで、 岡田弥一郎 らは沖縄 の動物分布調査 をお こな った (岡 田

,1

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3

8

)

。その際、本部村 で鹿野 忠雄 と合流 した後 一緒 に

3

2

3

日の朝伊 江 島に渡 り、伊江小学校 に赴 き当時の訓導 (教諭 )上里音義 か ら島の北海岸 で採集 したシ カ化石 を見せ て もらった。上里 は釣 りに行 った際 に昼食 を とっていた ところ、付近 か らシ カの化石骨 を見 つ けた との こ とであ った。 岡田 らは現場 に も案内 して もらい

、2

0

分 ほ ど発 掘 を してか らのその 日で本部村-帰 った。東京へ化石資料 を持 ち帰 った岡 田は これ を徳永 重康 に提供 したのであ る。 徳永 はこれ に興味 を抱 き

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0

年の地質 ・地形調査 以来

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年ぶ りの

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3

6

8

月、高井冬 二 を同道 して伊江 島 を再訪 した。そ して上里訓導 の協力 を得 て、島の北海岸 カダ原 (島で はハ ダパ ル と発音)半洞穴 で多量 の シカ化石 を発掘 したのである。 この調査 は古生物学、 地質学上の調査 であ ったが、研 究室へ資料 を持 ち帰 った後 に直良信夫 の協 力 を得 て、徳永 はそれ らの なかか ら数十点の 「骨 製品」 を検 出 し、英文でそれ を学界 に報 告 した。人工 品 とみ な され たの は次 の ような ものであ った (徳永

,1

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3

6

)

・118I

(4)

史料 締集室紀 要 第24号 (1999)

A.

シカの骨 の両端が叉状 になった もの。 これ らは自然 にで きた もの とは考 え られな い。理由は① それ らの多 くはほぼ同 じ長 さである。② わずかの例外 を除いて、ほ と ん どは軸部 の骨 (管骨部) を使用 している。(彰不規則 に削 られた痕跡がみ られる.

B.

一例 は中手骨 の遠位端 にこっの孔 をもつ ものである。下位 の孔 は神経孔で、人の 手 によって拡張 されている。 もう一つの孔 は明 らかに新 たな人為 的加工 による もの である。 これ らの孔 は、おそ ら く魚骨の如 きものの先端 を尖 らした工具 で穿 たれた のであろう。 C.一例 は下 アゴの前面部が、Aの ように叉状 になった ものである。他 の完全 な下 ア ゴ骨 との類似性 をみて も、おそ ら く自然の破砕 による ものではない。 D.完全 な形 ではないが、二又状 の もの、三叉状 の もの、一端 だけに加工 された もの などが多数得 られている。 そ して徳永 はこれ らのシカ骨が加工 されたのは、すでに化石化 した ものに対 して新 しい 時代 になされたのではな く、その シカが生息 していた時代 になされた ものである と考 えた。 これ らのシカは周辺 地城 のシカとも異 なってお り、 また沖縄 にはシカは人間によって もち こまれた ものを除いては生息 していない。 したが って、 このシカ骨角製品は月壕 時代 よ り も古い時代 に属す る ものである、 と結論づ けたのである。 これは旧石器時代 に届 す るとい うことで もある。周知の ように当時は 日本列 島全体が旧石器時代 の人 と文化 は存在 しなか った地域 と見 られてお り、徳永の見解 はその常識 を崩す役割 を担 うべ きものであ った。 しか しなが ら、旧石器時代 の人工 品の提言 としては主要 な遣物 と しての明確 な旧石器 を 伴 っていなかったこと、論文が英文であ ま り一般 に普及 していなかった ことなどもおそ ら く影響 して、戦前 まではほ とんど注 目されることはなか った。

(

3

)

直良信夫の 「叉状骨器」命名

(

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)

戦前、徳永重康 と共 に中国東北部の化石調査 、沖縄伊江 島の化石整理 にかかわ った直良 信夫 は、戦後

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4

年 「琉球伊江島の半洞窟遺跡」 と題す る論文でカダ原洞穴出土資料 の内 容 を再報告 した (直 良

,1

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4

)

。 そのなかで管骨の先端が加工 された もの に対 して 「叉状 骨器」 の名 を与 える とともに、人工 品のほ とん どは叉状骨器で、鹿角の先端 を尖 らせ た も の と角座 を加工 した ものはわずかであった。叉状骨器 は二又が十数個 で、三叉は二個 ほ ど であった。人工品は徳永 ・高井の発掘資料 よ りは、その前 に岡田 らが持 ちかえった ものの 中か ら多 く得 られた とい う。 さらに岡田に同道 していた鹿野忠雄の話では、石英岩製 と思 われ る巴旦杏形の打製石斧の ような ものが一個あった との ことだが、直良は早稲 田大学の 研 究室 に届いた資料 中にはその ような遺物 は見 なかった とい う。 直良の この論文 は

1

9

4

9

年の岩宿 の発見以後、 日本 に も旧石器時代が存在 したこ とが確実 となった学界の趨勢 をうけて、 これ までの資料 の見直 しを した ものである。その機運が な ければ、恐 らくなお しば ら くは伊江 島の鹿化石が注 目され ることはなか ったであろう。 直良によって広 く学界 に紹介 されたことで、伊江 島の叉状骨器 は沖縄 の旧石器 時代 にお .11

(5)

9-シ カ骨角器文 化 の発 見 か ら非 人工 品説 まで ける人類遺品 として扱 われるようにな り、その後の旧石器時代研究に大 きな影響 を与えて いったのである。当時は末だ伊江島カダ原洞穴だけであったが、その後類例が那覇市など で発見 されるに及 んで、その説得力 は高 まってい くこととなった。 なお徳永の報文 はそれ以前、戦前 には三宅宗悦が、戦後は八幡一郎が南 島の先史時代 を 概観するなかで取 り扱 っているが、事実の紹介だけに とどめている。

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)

山下町第一洞穴における鹿化石製品の発見 (

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2

年、沖縄 島の那覇市山下町第一洞穴で、神事のために洞穴 を掘 っていた女性が鹿の 化石 を発見 した。 これを受けて多和 田真淳、高宮贋衛が発掘 をお こない、多量のシカ化石 のなかか ら叉状骨器、斧刃状角器 な どの製品を入手 した (高宮

,1

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)

。 これによって、 初めて伊江島カダ原洞穴 と類似のシカ骨角器が出土 したことにな り、沖縄 の旧石器時代 は 骨角器文化 をその特徴 とすると言われるようになったのである。

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年暮れか ら

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年初 にかけて、沖縄の旧石器人類の調査 を進めていた東大の渡辺直 経 らのグループに加 わって、高官 らによって再び山下町第一洞穴の発掘がおこなわれた。 この時 に もわずか なが ら叉状骨器 などが得 られてい る (高宮 ほか

,1

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5

b)

。 また同市の 識名で も叉状骨器 が発見 され、骨角器文化の可能性 は高 まっていった (高宮

,1

9

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)

。こ うして人工品 として定着 をみた沖縄の旧石器時代骨角器文化 は、沖縄の先史時代 のあらま しを叙述する際に筆者 も含めて多 くの研究者 に引用 され、広 く普及 してい った。

(

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伊江島ゴヘズ洞穴における鹿化石製品の発見 (

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7

5

年、島の青年 らによって中央部石灰岩台地の タテ方向の洞穴か ら多量の鹿化石が発 見 された。これを受 けて現地調査 を した者の一人であった筆者は、かれ らが採集 したもの のなかか ら叉状骨器 と斧刃状角器 を検出 し、 これを

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6

年に報告 した(安里

,1

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6

)

。筆者 も当時の研究状況か ら、 これを人工品であるとする従来の立場で説明 している。 この発見 によってさらに遺跡の数 と資料が補強 されることとな り、沖縄旧石器時代 の骨角器文化 と い う概念が形成 されていったのである。 (6) 叉状骨器 。斧刃状角器の用途の推定 シカの叉状骨器 と斧刃状角器が人工品 として定着す るともに、その用途の検討 もなされ た。直良信夫 は 「おそ らく利器の一種であろ う」 とした (直良

,1

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)

。研究者の多 くは 直良の説や、海外 で叉状骨器は動物の腔 を裂いた り、皮 をなめ した りする用途が考 えられ るとする想定 もあ るなどの例 を紹介するにとどま り (高宮

,1

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7

)

、用途 は不明であると してきたが、首真嗣-は漁労用のヤスではないか とす る見解 を想定図を付 けて示 した (普 真

,1

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7

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)

。想定 自体 は資料 の制約上思いつ きの域 を出ない ものの、積極 的に遣物 に語 ら せ ようとした試みの意義 は正当に評価 されなければな らない。 また、シカ骨角器があればそれを作成 した道具があるべ きにもかかわ らず明確 な旧石器

-1

2

(6)

0-史料 編集室紀 要 第24号 (1999) が一個 も得 られていないことは、人工品であるとする立場の研究者 にとって も不可解 なこ とのひとつ とされて きた。

(

7

)

海外の類例 との比較研究

(

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,1

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1) 高宮廉衛 は山下町第-洞穴の発掘 における層位 関係 か ら、角器が叉状骨器 よ りも先行す るとの編年上の見通 しを示す一万

、1

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0

年代 には海外の類例情報 との比較 も進めた。 さき に触れた中国の顧郷屯 の情報のほか、イン ドネシアなどに類例があ り、沖縄 との直接的関 連はない ものの、世界 的にも骨器文化 自体は旧石器時代 に存在することを提示 した (高宮,

1

9

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5

b)

. しか し、当時は海外 の文献入手が困難 な時期 であ り、第一次文献 (報告普)で はな く研究者の論文 で挙 げられている情報 に頼 らざるを得 ない状況であった。 したが って 高宮の当該論文 も、相互の資料 を直接比較検討で きない とい う制約 をかかえていたが、海 外 との比較研究の必要性 を例示 した もの といえる。 高宮 はその後 自身で さらに海外情報 を入手 し、近隣諸国の旧石器時代末期の骨器文化 と の比較 を進めた (高宮

,1

9

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1

)

0

2.

シ カ骨 角 器 非 人 工 品説 の展 開 (1) 袈文中の 「非人工破砕之骨化石」論文 (

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)

実 はすでに中国の周 口店遺跡 における北京原人の発見で知 られる中国の蓑文中は

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年、「非人工破砕之骨化石」 と題する論文 (本文 は仏語) を発表 し、中国周 口店上洞の骨 化石 について、 これ らは非人工であってヒ トの製作 によるものではないと指摘 していたの である (襲文 中

,1

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3

8)

。寄歯類動物 ・食肉類動物 による岐砕の骨化石、食肉類動物の爪 痕や骨格腐蝕後の曲文、化学作用 ・水の作用 を受 けた後の変化などについて資料 を例示 し て論述 した。 この論考 のなかの資料 に沖縄のシカ化石骨 の 「叉状骨器」 に類似す るもの も 含 まれている。 この論考 は伊江 島の鹿製 「骨角器」の是非 を考 えるのに重要な指摘 を している文献であ る。 しか し仏語のせい もあってか広 く知 られていなかった こと、米国の支配下におかれた 状況下で文献情報 に恵 まれなかったことなどか ら、戦後 になってか らもしば らくの間、沖 縄の研究者 は直接 その文献 を入手する機会に恵 まれなかった。直良の

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4

年論文 にもこの 文献のことは触れ られていない。

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)

袈文中の非人工砕骨化石再論 「関於中国猿人骨器問題的説明和意見

」(

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襲文中は戦後 の

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年、砕骨人工品説に対す る再批判 を展 開 した (襲文 中

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)

。 こ のなかで襲文 中は、報告 されたい くつかの中国旧石器時代 の骨器 について非人工 品である ことを再度強調 し、同時 に徳永重康が中国東北部吉林省顧郷屯の発掘で得 た骨器 も、沖縄

.1

2

(7)

1-シカ骨角 器文化 の発 見 か ら非 人工 品説 まで の伊 江 島で得 た シカ化石製品 も同様 に非 人工 品で ある と指摘 した。 しか しこの論考 も沖縄 側 の研 究者 には、後 に加藤晋平 によって紹介 され る まであ ま り知 られ るこ とはなか った。 (3) 加藤菅平 の擬骨器説の展開

1

9

7

6・1

9

7

7年 に長谷 川 ・加藤晋平 らが伊江 島 ゴヘズ洞穴 の発掘調査 をお こない

、2

度 の 概報 を刊行 した (加藤 。長谷 川 ほか

,1

9

77

,1

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8

)

。加藤 は この報告書 の なかで従来 の シ カ骨 角器説 に対 して疑問 を呈 し、叉状骨、斧刃状角 は人工品ではな くシカの岐傷痕 である とす る 「擬骨器」 説 を提起 した。 この見解 はさらに

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7

9

年の論文 で も展 開 され、その際 に 海外 の例 を挙 げ て論 証 した (加藤

,1

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7

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)

。それ に よる とシカは石灰 岩地帯 な どで は リン 分 の欠乏症 に陥 るこ とが あ り、その場合 これ を補 うため に本来草食動物で あるはずの シカ が、 同種 の シカの骨 を しゃぶ る異食症 オステオフ アギオ病 に雁 る とい う。 ゴヘズのいわゆ る叉状骨器 や斧刃状角器 も人工 品ではな く、その ような症状 によるシカの岐傷痕 であろ う とい うのが加藤 の見解 であ る。 これ に対 し、例 えば稲 田孝司 もこの説 を紹介 し (稲 田

,1

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2

)

、 シカ骨角器 を旧石器 時 代 文化 としては扱 わない傾 向が沖縄以外 の旧石器 時代研 究者 に一般 にみ られ る。加藤 は さ らに

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6

年 に も詳細 に擬骨器説 を主張 してい る (加藤

,1

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9

6

a,

b)

沖縄在住者 で も古生物学 の側 か らは加藤 の説 を積極 的 に支持す る論 が だ されてい る (野 原

,1

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9

4

)

(4) 擬骨器 説 への反応 加 藤晋平 か ら出 され たキズ痕のあるシカ化石 は擬骨器 であ る とす る説 に対 して、沖縄在 住 の考古学研 究者 か らは積極 的な反論 はみ られない。 しか し擬骨器説 を認知 して従来の人 工 品説 を撤 回す るので もな く、両論併 記 的 に処理 されてい る とい うのが現状 である。早 い 時期 の もので は

1

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7

8

年 に沖縄考古学会が編集 した 『石器 時代 の沖縄』 の なかで

、3

頁 にわ た って旧石器 時代 の港 用人や骨角器文化 について述べ、末尾 に 「とこうで、最近 一部 の学 者 か ら前述 の叉状骨器 が人工 品 なのか どうか疑問 が出 されてい ます。」 と付 け足 してい る だけであ る。 これ までの約

2

0

年 間沖縄在住 の研究者 に よって書かれた多 くの沖縄先史時代 概 説 は、おお むね同様 の手法 によってい る といえる。 か く言 う筆者 も加藤 の指摘 をうけて、 これ に対 す る疑問 を提示 しつつ も技術論 的検討 の 必要性 を表明 したが、結果 的 には まず はシカ骨角器文化 を解説 し、最後 に擬骨器説 を紹介 す る とい うこ とを くり返 して きたのであ る (安里

,1

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77

,1

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6

)

。安里 は

1

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7

7

年 の論考 の なかで、加藤 の疑骨器説 に対 して次 の ような対応 を示 した。 (D草食動物 (シカ)が沖縄 において も骨 を咲 む こ との必然性 を しめす条件 を兄 いだ さね ば な らない。 ② 筆者 (安里 ) はシカ骨 を形態論 的 に人為 的加工 と し、実験 的な検証 も含 めて技術上 の

-1

2

(8)

2-史料締 集室紀 要 第24号 (1999) 検討 を怠 って きたが、今後 この方面の研究の進展 にまちたい。 しか し加藤の指摘 を受 け止 めつつ も、一方では次の ような疑問 を里 した。 (∋叉状骨片 (器 ?)がほぼ同 じ長 さであることについて、加藤はシカが骨 を較 む際のシ カの左右臼歯 間の幅 に規定 されているとしているが、歯列内にシカ骨がある場合の運 動 もそれで説明で きるだろ うか。 しか し、動物の生態 を全 く知 らないので、 これは無 意味 な疑問か も しれない。 (参すで に現物がないので議論 に限界 はあるが、徳永が報告 した神経孔 を拡大 した ものに ついて加藤は説 明を していない。 これは人工の可能性があるのではないか。 (彰高宮康衛が報告 した那覇市嵩下原第一洞穴の叉状 シカ骨器 は、 よ く研磨 され、かつ先 端が鋭利 である。 これは人工 の可能性が ある。以上の疑問について も、あるいは草食 動物が骨 を岐 む とい う行為 を前提 として説明 しうるか も知れないので、形 としては反 論 になって しまったが、 ご教示 を仰 ぎたい。 シカ骨角器 のなか にはどう して も人間による加工 と しか考 えられない ものが含 まれてい る とす る見解 はすで に加藤 らの調査報告書 に も掲載 されている。 ゴヘズ洞穴調査 の第2次 概幸酎こ、長谷川善和 ・大山盛保 らは那覇市識名採集資料 や ゴへズ採集資料 の例 をあげて、 磨耗 面 のみ られ るシカ骨角 は人工 の可能性がある と している (長谷川 ・大 山 1978)。 し たが って、両説紹介 とい う対応 は しば らく続 くもの とみ られる。

おわ りに

現在 の資料 的状況 か らは、加藤晋平の説 くようにキズ痕のあるシカ骨片 は人工 品ではな く擬骨器 とす るのが安 当であろ う。 冒頭 に述べ たように、沖縄 では明確 な旧石器 も未 だ得 られていない。そ うす ると旧石器時代 に属す る人工遣物 は、沖縄 には一点 も発見 されてい ない ことになる。 もともとシカ骨 にみ られるキズ痕 は別 の動物の絞傷痕 ではないか とい う 検討 もなされた うえで、 これは人工 品 と しか考 え られない として きたのであるが、意外 に も別 の動物 ではな くシカ自体 の異食症 による ものであることがわかったのである。 この ような問題 はシカ骨角のキズ痕 それ 自体の観察 は当然の ことなが ら、沖縄 における 旧石器文化の存否 に関 していえば、や は り真正の旧石器 を真正の文化層 か ら発見 す ること であろ う。近年種子 島で も旧石器時代遺跡の存在が明 らか とな り、 さらに奄美諸 島におい て も土器文化層 よ りも下の層 か ら剥片石器が出土す るなど、その可能性が開けつつある。 以上 シカ骨角 「器」 をめ ぐる研究史 を概観 して きたが、以下 に主 な文献 の主要部分や資 料 図 を掲 げて便宜 を供与 したい。 -123_

(9)

シカ骨角器文化の発見から非人工品説まで 引用 .参考文献 安里嗣淳 (1976)「伊江島ゴヘズ洞穴発見の鹿骨角製品」『琉大史学』第8号 琉球大学史学会. 安里嗣淳 (1977)「伊江島の先史時代」『南島考古

No.5, 沖縄考古学会. 安里嗣淳 (1995)F石器時代 の伊江 島』 伊江村教育委員会. 八幡一郎 (1950)「琉球先史学 に関する覚書 一考古学上 より見 た琉球

-

」『民族学研 究』15巻2号. 稲 田孝司 (1982)「旧石器時代」『日本 の美術』No.188 文化庁監修. 加藤晋平 ・長谷川善和 ほか (1977

)

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Pei,Wen-chung (1938)Le R61edesAnimauxetdesCausesnaturellesdanslacasuredesOs. palaeontologiaSinica,new seriesD.No.7.<袈文中 (1936)「非人工破砕之骨化石」『中 国古生物誌』 新丁種第7号 > 襲文中 (1960)「関於 中国猿人骨器問題的説明和意見」『考古学報』 2. 高宮贋衛 (1968)「那覇市 の考古資料」『那覇市史』資料篇第1巻 1. 高宮贋衛 ほか (1975a)「那覇市 山下町洞穴遺跡発掘経過報告」『人類学雑誌』第83巻第2号. 高宮贋衛 ほか (1975b)「山下町出土の人工遺物」『人類学雑誌』第83巻第2号 . 首真嗣- (1975)「沖縄 の旧石器時代遺跡 とその発見」『沖縄思潮』第7号 . 高宮贋衛 (1987

)

「うるまの島 じま

『地方文化の 日本史 (1)- 光は西か ら- 』文一総合. 高宮廉衛 (199

1

)

「近隣の後期 旧石器文化 に見 られる骨角器

『肥後考古 - 三島会長古希記念号-過. 徳永重康 ・直良信夫 (1933)「ハル ビン近郊発掘 ノ洪積世人類遺品」『人類学雑誌』第48巻第12号. Tokunaga,S.andN.Naora,(1933a)FossilMammalsandHumanArtefactsexcavatednear

Harbin,MancllOukuo.Proc,Imp.AcadリVol.Ⅸ.No.8.

Tokn naga,S.andN.Naora,(1933b)FurtherNotesonAncientHumanArtefactsfoundnesr Harbin'-Proc.Imp.Acad.,Vol.Ⅸ.No.10.

徳永重康 .直良信夫 (1934)「満州帝国吉林省顧郷屯第一回発掘者研究報文」『第一次満蒙学術調査 研究団報告』第二部第-篇.

徳永重康 ・直良信夫 (1936)「満州帝国吉林省顧郷屯発掘 ノ古生人類遺品」『第一次満蒙学術調査研 究団報告』第六部第二篇.

Tokunaga,S.(1936)BoneAlltifactsUsedbyAncientManintheRiukiuIslands.Proc.Imp. Acad.Tokyo,Vol.12,No.10.

(10)

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Tokunaga, Shigeyasu: Bone Artifacts Used by Ancient Man in the

Riukiu Islands, Proceedings of the Imperial Academy,·

Tokyo Japan. Vol. XIII , 1936.

2 6

7

3 4

Explanation of Figures

Fig.l,2. Leg-bones with both ends forked.

Fig.3. Metacarpus with two holes made near articular part.

Fig.4. Metacarpus of recent Formosan muntjac for comparison with Fig.3. Fig.5. Mandible bone forked at one end.

Fig.6. Bone shaved into a fork at one end. Fig.7. Three-pronged fork.

(11)

-These artifacts are as follows:

(A) Figs.1,2. Deer leg-bones with both ends forked. The author considers that these

were not formed by natural agency because, (1) many of them are of nearly equal length, (2)

all except for a few are made of the shaft but not articular part, (3) there are signs on the

bones of their having been shaved unevenly.

(B) Fig.3. One specimen has two holes at the distal end of metacarpus, the lower hole is

a nerve-pore enlarged by human hand, while the other is obviously made a new artificially. Probably the holes were made from both sides with the aid of a pointed implement, like fish-bone.

(C) Fig.5. A specimen with front part of the lower-jaw bone forked like that of (A). The

similarity in shape of the compact mandible bone to others is most probably not due to natural crushing.

(D) Although not perfect in shape, there are many which are, forked (Fig. 6) and with

three-prong fork (Fig. 7) only at one end as in (A).

The above artifacts were found imbedded together with the deer fossils in the same rock, and since I cannot give evidence to show that the already-fossilized bones touched by the human hand of a younger geological age became mingled with the deer fossils by secondary process, it appears most natural to regard the artifacts and deer fossils of contemporaneous age.

The fossil bones discovered in the present investigation comprise many antlers, fragments of

jaw bones and teeth. These, except for a few cases, are crushed and water-worn. Since these

fossils are now heaped more than one meter thick at the base of the aforementioned cave, they were probably crushed and drifted into the cave along the fissures before they had been completely decomposed.

There are more than five species of deer discriminated among the materials and their age is taken to be old for the following reasons:

(1) The fossils differ from the species now living in Japan, China and other East Asian districts.

(2) There are no deer living in the Riukiu Islands, except for those introduced by man. In

the shell-mounds scattered here and there in the Riukiu Islands (Neolithic age), numerous

boar bones but no deer bones are known to occur. In Ie-jima, this is just the reverse.

From the above, it seems more proper to regard the fossils in Ie-jima as belonging to an age much older than that of the shell-mounds (Neolithic) in the Riukiu Islands, and accordingly, the artifacts were touched by man of an older time than the shell-mound age.

(12)

-史料 編集室紀 要 第24号 (1999) 〔資料

2〕

直良信夫 「琉球伊江 島の半洞窟遺跡

『日本旧石器時代 の研 究』早稲 田大 学考古学研究室報告 第二冊

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4

.

抄 録 「発見 された人工 品は、凡 て鹿の遺骨角 に加工 された ものばか りであった。鹿角の先端 を僅 かに削 って尖 らせ た もの と角座 の部分 を切 りとって白銅貨 の ような円形平板状 とした ものはそれほ ど多 く はなかった。多か ったのは鹿の掌骨 を三、四糎 の長 さに切 断 して、その両切 り口を第74図示の よう に二又 もしくは三叉 に した遺品であった。私 は今伐 りに、 これ らの ものに対 して叉状骨器の名 を附 してお こう。量 か らす れば二又の ものが多 く精粗合 して十数個三叉の ものは二価ほ どであった。遺 品の加工 は管状骨片 の切 口両端 を長珠状 に取 り残 し、内側 を削 り取 った ものであって、 この削 り口 には鈍器 による加工痕 が若干ついていた。工跡か らみて決 して精巧 な作 品 とは思われ ない。ただ一 品、徳永博士 が学士院紀要 に記 された物 には、同報告の写真 に もみ られるように、掌骨上端部 の一 部 に、穿孔 した例 があった。孔の開け方は比較的に精巧 だ と思 うこれ らの骨角器 は、 どれ も小型 で あって、何 に使用 された ものかわか らない。 しか し、叉状骨器の大部分 は、おそ らく利器の一種 で あったろうし、円形平板状 の角器 は装飾品の類であったか もしれない

Fig.74.琉球伊江 島第二号半洞窟 出土人類遣物 (骨器) 岡田弥一郎 鹿野忠雄両博士採取 早大獣類化石研究室消失標品 〔資料

3〕

八幡一郎 「琉球先史学 に関す る覚書 -考古学上 よ り見 た琉球

-

『民族学 研究

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抄録 「これ らの化 石が古 い ものだ と見 られることは、 (中略)月塚 時代以降 には同島に鹿 が棲息 した 事実が認め られず、従 って これ らを以 って貝塚 時代以前 に属 させ ることは不可能だとい う点である。 (中略)先史学 的 に時代 を決定 しようとすれば、先ず人為加工 と した ものが果た して然 か認め られ るか、仮 にこれ を認 めて も、時代決定 に資 し得 るような類例 は、 日本 は勿論、東亜諸地域 で もまだ ・1

(13)

27-シカ骨角器文化の発見か ら非人工品説 まで 知 られてい ないo その上伊江 島の化石発見地では、鹿骨以外 に土器 とか石器 とかが発見 されてお ら ないのであるか ら、そ うした標準で時代 を決めることは甚 だ困難である。 時代決定 に対 して以上 の ような留保 を しなが らも、沖縄 で絶滅 した鹿の祉骨や掌骨 に遺 されたこ の ような痕跡 を以 て、単 なる偶然、或いは人類以外 の動物 の所為 だ として しまう根拠 もないのであ る」 2 那覇市山下町第-洞穴等の調査 と骨角器文化説の展開 〔資料4

高宮贋衛 「那覇市の考古資料

『那覇市史』第-巻1,1968. 図抄録

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山下町第-洞穴出土の鹿化石骨 「製品」 ・128_

(14)

史料 編 集 室紀 要 第24号 (1999) 山下町第一洞穴出土の鹿化石骨 「製品」 閲 鮎 鰍 識名原A遺跡 (1)・識名原 B遺跡 (2, 3)出土のシカ骨 「製品」 3 「叉状骨器」の用途椎定例 〔資料5〕 酋真嗣- 「沖縄の旧石器時代遺跡 とその発見

『沖縄思潮』第七号,1975. -12

(15)

9-シカ骨 角器文 化 の発 見 か ら非 人工 品説 まで

4

伊江島 ゴヘズ洞穴の シカ化石骨発見 と人工晶説の継承 〔資料

6〕

安里嗣淳 「伊江 島 ゴヘズ洞穴発見の鹿骨角製品

『琉大史学』第

8

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0 伊江 島 ゴヘズ洞穴発見の鹿骨角 「製品」 -1

(16)

30-史料 編 集 室紀 要 第24号 (1999)

5

ゴヘズ洞穴調査 とシカ骨角器人工品説の否定 〔資料7〕 長谷 川善和 ・加藤晋平編集執筆 伊江村教育委員会発行 『沖縄県伊江 島 ゴへズ洞の調査 (第一次概報)』伊江村文化財 調査報告書2,1977. 『沖縄県伊江 島 ゴヘズ洞の調査 (第二次概報)』伊江村文化財 調査報告書5,1978. シカの骨 を唆 む図 (Cigar-likemanner)0 Sutcliffc(1973)の図に加筆 。

中足骨 にみ られ る偶 の推 移 J

6 シカ骨角器非人工説の展 開 〔資料8〕 加藤晋平 「沖縄のいわゆる叉状骨器 について

『考古学 ジャーナル』 No.167,1979. 要点 (1)1976年次 の調査 において得 られたいわゆ る叉状骨器 お よびキズのある骨 片 は172点で、その骨格部位 の内訳 は上腕骨、尭骨 、尺骨、 中手骨 、頚骨、 中足骨 、下顎骨、角枝。

(2

) これ らの骨角 のキズ痕 は直線 ない し弧状 の もので、すべ て等質、同一、同 種 であ る。 (3) これ らはバ ラバ ラにな りやすい部位 であることに注意す る必要がある0 (4)以上 の骨角片 は、 とて も人為 的な結果であるとは考 え られ ない。何故 なら ば、下顎体、下顎枝片 とい うとて も道具 としては考 え られない骨片 について いるキズ痕 と、四肢骨 の叉状骨片のキズ痕 とが まった く一致 してい るか らで ある。叉状骨片 は、人間が意企 した目的物 ではな く上下か ら平行 に同時 に加 -131_

(17)

シカ骨 角器文 化 の発 見 か ら非 人工 品説 まで ぇ られた何 らかの力 によってつ け られ たキズが進行 し、骨角 の破損 が大 き く なる時、扇平管状 の場合、叉状 の形 態 を必然 的 に生 じた もの と考 え られ る。

(5

)その力 は、 キズ痕か ら考 えて、草食動物 の ような直線 的 な、上下平行 な歯 列 を持 つ もの と推測 され る。

(6

)草 食動物 が 「骨 を暖 む」行為 は、燐分 欠乏 による異食症 オステオフアギア に罷 った こ とによる もの と考 え られ るo (7)す で に同様 の類例 についての非人工 品説 は、 中国の周 口店上洞出土骨片 に 対 して嚢文 中が、 ク レタ島の旧石器文化 "骨器文化" に対 してサ トクリエ フ が提 起 している。 図 キズおよび叉状骨片(1:角枝片,2A:下顎枝,2B:下顎体,3:上腕骨・4:尭骨, 5:尺骨, 6:中手骨, 7:大腿骨,8:頚骨,9:中足骨)(中央は概念図) _1

(18)

32-史料 編 集 室紀 要 第24号 (1999) 〔資料

9

野原朝秀 ・大城 園子 「沖縄 県産 の鹿化石 に見 られ るキズ痕 について」 『琉球大学教 育学部紀要』 第

4

4

集 第二部

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1

6

7

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8

3

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9

9

4

要点 (1)沖縄 県 内の

1

0

箇所 の産地 か らキズ痕 のあ る鹿化石 を入手 し、紹介。

(2

) これ らは加藤晋平氏が伊江村教育委貞会の調査報告書で述べ た、 シカに よる較傷痕 と同 じく、鹿 が岐 んでで きた ものである。 ▲ ■ e ー13 3-A J) カ チ ャパ ル A ゴヘズ 8

(19)

シカ骨角 器文 化 の発 見 か ら非 人工 品説 まで 〔資料 10〕 加藤晋平 「南西諸島への旧石器文化の拡散

『地学雑誌』vol.105

,

No.3,1996. この論 文 で、加藤氏 は さきに 『考古学 ジ ャーナル』No.167,1979年 において引用 した 装文 中の論文 に掲載 された中国の周 口店上洞出土骨片 の実測図を紹介 し、 あ らためて沖縄 産の、いわゆる鹿骨角器の非人工品説 を主張 した。 8 斐文 中による中国発見骨片の非人工説

〔資料11] pei,Wen-Chung (蓑文 中):Le Rらle des Animaux et des Causes naturellesdanslacassuredesOs.Palaeontologl'aSl'nl'ca, newseriesD.No.7,1938. -ト1 - -・ー .・r l _} L -JJE・ -- ヽ-_ 6 0 ∴ -. . : ' ・・.: . IT: . ll︰ .. TliilI h T'W つJ ..酌 ..: ; H .: :A.,. ・:日 . :i. :. I 二 三 毒 襲文中博士 による周 口店上洞の叉状骨片 -13

(20)

4-史料編 集 室紀 要 第24号 (1999)

PAL/EONTOLOGIA SINICA

W.C Pe主;-LeR8ledesAn呈maux

NewSeT・.D.No.7.I WhoteSeT・.No.//a

Pei(1936)より :原図は写真

(21)

シ カ骨 角 器 文 化 の発 見 か ら非 人工 品説 まで

PALjEONTOLOGIA SINICA

W.C.Pe主:-LeR6Iede3Animaux

NeuJSer.D.No.7.・ WhotESe,I.No.//8.

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(22)

史料 編 集室紀 要 第24号 (1999)

PAL/EONTOLOGIA SINtCA

W.C.Pe主:-LeR81edesArlimaux PJ.Xl(.

Pe主(1936)より :原 図は写真

(23)

シカ骨角 器文化 の発 見 か ら非 人工 晶説 まで 〔資料 12〕 裳 文 中 「関於 中国猿 人骨 器 問題 的説 明和 意 見

『考古学報』第 2期 ,1960. 抄録 「責蘭坂先生這様 引用歩 日耶的説法、昔時我非常担心、因薦我順 走入了在欧州争論的 "曙着器"(Eoliisi)的膏道路,特別是在中囲 奮石器時代研究剛開始的階段。這個意見,我在非人工破砕之骨化石 中,早巳合説過 :" - 其情形 (指骨器)正如四十年前,史前 学者封於古石器 (Eolish)之争論相 同。一旦争端一関,定格不知何 所止,後之学者亦賂不知何所韓"。所以宙時我不賛同責先生引用歩 日郡的説法。在今天看来,這種説演,是否符合某所提侶 的 "百家争 鳴"的放策,還値得考慮。但在常時,是必要的。 責先生在 中固猿人這本書中,最便人不能同意的是引用了我 自己葺 的所謂 "骨器"的囲。他引用的這幾張固,是我社1932-1933年時, 受了歩 日耶的影響,也誤認許多砕骨是 "骨器"時, 自己練習着槍蘭 和試着按形態分類。這許多園和寓的骨器文箱,在1933年編輯中国原 人史略時,曾篤編輯歩連生和徳 日進拒絶収入。我得了這桂一個教訓, 開始更探人地研究,和封於周 口店的石器我堅持了我的意見的情形相 反,封於骨器的問題,我則承認了 自己的錯誤。但是貴先生却把我的 錯誤的東西舎来襲表。 在這裏我不能不先説明-下,歩 日耶教授在 "骨器"問題上,野世 界上菅石器考古界的影響根大。遠的,如英国恨道的騨爾首人 (p上lt downman)的恨 "骨器",現在己徹底掲穿了,我僧可以不談了 ;只 談一瓢輿 中国啓石器的研究有 閑的例子。 歩 日耶教授1931年来我国,直接影響了周口店的 "骨器"的研究。 昔時我是初学奮石器,他是世界上的構成,他講的話,我乗酎床件地接 収了。我接受了他的意見,也 間接影響了貢蘭吸先生。因此皆時我イ門 都認篤周 口店的許多砕骨,都像歩 日耶所説,如責先生存 中国猿人書 中所説一様 ,有尖状器,有割削器,有骨砧 ,盛水器皿 - 。経 過了我封周 口店砕骨幾年的研究,封其他世界各地 "骨器"和禅骨的 観察,我才認識到従前我的錯誤,不磨該無保留地接収歩 日耶的意見 一 首然我 自己也従他那裏学習了許多非常賓貴的科学知識。 其次影響最大的,是 日本人野恰爾漆顧郷屯的砕骨的研究。 日本人 徳永重康和直良信夫,也接受了1931年歩 日耶過喰爾演時,野他僧従 顧郷屯所採集的砕骨 的看法,寓了一本書,用了21個固版 ,用37個括 固,講解了歩 日耶的-套説法,如尖状器 (旦文鵠鎗状器,鈷状器等), 鈷削器 (日文案庖丁),以及盛水器皿 (日文馬皿状器,椀状寄)0 -1

(24)

38-史料 編 集 室紀 要 第24号 (1999) 在我看来,這大批標本中,従画上着,可能稀之馬骨器的,只不過-爾件而巳 ! 再次是法図人在印度支那牌洞穴内所発現的箭猪所暁的和水磨触的 砕骨,著作了人類使用的工具。ヱ外還有 日本人在琉球島蔑視的禅骨, 雷作人類使用的=具6㌦ 美園人蒲爾斯在西康 (四川)所饗規的土状 堆積中的砕骨,他也都作為骨器馨表了。 -直到最近,拾爾演博物館的熱爾納科夫,還牌犀牛一段破肋骨作 為骨器。這根清楚地看出,走破裂的肋骨,但接骨紋破裂,爾段都生 成了尖。在熱爾納科夫的照像囲中 (園版 II;画 1),我僧還可看見 破裂的痕跡,但没有打製或使用的痕跡。 這個情況,正如幾十年前,封於曙石器的争論一様。石器和骨器都 存在着這様一個問題。有許多標本上的人=痕跡根清楚,也有些標本 的人工痕跡不清楚,是否人工的問題,則要弄研究人的知識和経験, 更重要的是研究人的主観想法。例如英国 ReidMoir的一系列的封曙 石器的研究,在考古学上,賓在是一個非常厳重的問題 !

6)Tokunaga,Shigeyasu1936.BoneArtifactsUsedbyAncientManintheRiukiuislands.

〔資料13〕 徳永 重康 ・直良信夫 「満州帝 国吉林省顧 郷屯発掘 ノ古生 人類遺 品

『第一 次満蒙学術調査 団研究団報告』 第六部 第二編,1933. この文献 は、徳永重康 が団長 となって進 め られた 「第一次満蒙学術調査」 の一環 と して 昭和8年 (1933)年 と翌年 に実施 された中国東北地域書林省 の顧 郷屯遺跡 の発掘調査報告 であ る。 徳永重康 らは少量 の打 製石器、マ ンモスの牙 のほか に大量 の骨片 を得 た。 と くに骨片 に ついてその ほ とん どを人工 品 とみな し

、○

○状骨 器 の名 を与 えて実測図、写真 をかかげて 報告 した。 その二年後 に徳永 は沖縄伊江島の カダ原 洞穴の シカ化石骨 の調査 をお こない、 そのキズ 痕 は人工 品である と したの である。徳永 の伊江 島にお けるその ような理解 は、 この吉林省 顧 郷屯遺跡 の発掘体験 が基盤 になっていた もの と考 え られ る。 す で に1938年 に周 口店上 洞 の骨片 につい て非 人工 説 を主張 していた装文 中は、戦後 の 1960年 に この論文 を取 り上 げ、伊江 島 カダ原洞穴例 とともに非 人工 と したのであ る。以下 、 写真資料 を掲 げる。 ー1

(25)

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(26)

史料 編 集室紀 要 第24号 (1999)

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(29)

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(30)

史料編集室紀要 第24号 (1999) 漸依解す -特 殊鎗身 欺 骨 讃鼻炎 油 I'JH.jl.'こ トい二:Ll-I--・・r・.I・一一,、ち†し、し:'i:i.l、 ,川!・t日日i、r・:・・ I.三 Ai主軸もireSは 3i筏LSi監ey 徳永 ・直良 (1933)より :原図を80%縮小 ー145_

(31)

シ カ骨 角 器 文 化 の発 見 か ら非 人工 品説 まで

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(32)

史料 編集 室紀 要 第24号 (1999) 胤板額 1 二 もへ )判 締 緑 樹 身 紋 常 長臣 旗 帝大 -147. 叶 ∴L.hLこてLl,11ニート・Ll t-・_mL.∼1:1ll】tH.し・二l卜 1.i ・1・し・LL・llh.lh.. /LてHll≧ここ::こ・・二二日1..1∴ ト【. ∴ 徳永 ・直良 (1933)より :原図を80%縮小

(33)

シ カ骨角器 文 化 の発見 か ら非 人工 品説 まで i主吋i・ltIllL】 箆批 骨 錐 米 飽 2 火 2 /‡ 飽 細 波軌i t・ 1■1. \ハ' ㍉八、∴iL'中 小 卜- こ】小 ・7m-.、∴ _l∴し∴.・t・し. 卜・・-tL、、m l.紬、rlL・二・卜. 徳永 ・直島 (1933) より :原 図を80%縮小 ・148_

(34)

史料 編 集室紀 要 第24号 (1999) 施版鶴 十九 】'】′. ∴\ ∴ lI-A.'Lヽ・・ht-・・-1h hLllLいtlい∴l:二Elll加、川し・11:I;, 1ul翁gllrll,S細 工三atSfze, 徳永 ・直良 (1933)よ り :原図を80%縮小 _1

(35)

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(36)

史料 掃 集 室 紀 要 第24号 (1999) i)L. XV五三 Iy鎧 JA批√1,3・着S:弗 触 7bt絢大 _151_ がさ什・1.il=L・丁・.17L∴:tl︻て卜. ・\:日: ,.. 1・・・;::丁、'・li,・︼i. 徳永 ・直良 (1933)よ り :原 図 を80%縮小

(37)

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(38)

史料 編集 室紀 要 第24号 (1999)

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参照

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