Title
中国におけるビジネス行動のグローバル化−企業の戦略
構築と組織再編の分析を中心に−
Author(s)
陳, 晋
Citation
沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of
Humanities and Social Sciences(10): 15-26
Issue Date
2007-12-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/6202
沖縄 大学 人文学部紀 斐 第10号 2007
中国におけるビジネス行動のグローバル化
一企 業 の戦略構築 と組 織 再編 の分 析 を中心 に -陳 晋 要 約 本論文は 「世界の工場」 の主役 にな りつつある中国の企業 を取 り上 げ、経営学 の枠組 を適用 し つつ、 中国上位 メーカーの ビジネス行動 を分析 したo 計画統制か ら市場競争への移行 に伴 って、 中国企業 に対す る政府 の統制力は中央か ら地方 に移 りなが ら、次第 に弱化 していったQ一方、市 場環境は閉鎖的な ものか ら開放へ、 さ らにグローバル化へ進み、企業 に対す る影響 力が ます ます 強 くなって きた。 こうした環境変化 のなか、企業 の行動は次第 に方向を修正 し、従来 の政府 に働 きかける方向か ら市場変化 に適応す る方向へ と中心 を移 しは じめた。本論文は中国企業 の戦略構 築 (製品開発、生産、販売、輸 出、海外現地生産な ど) と組織再編 (企業構造や所有制 の変革、 人材の移転、組織慣性な ど) の両面か ら各分野 を分 けて分析 し主要な特徴 を抽 出 し、 あわせて、 wTOへの加盟後, 中国企業 の国内行動 と海外進 出お よび グローバル化 を踏 まえた これか ら経営 の行方 を分析 していた。 キー ワー ド :中国企業、戦略構築、組織再編、経営学、 グローバル化 1、は じめ に 本論文はいま 「世界の工場」 の主役 にな りつつ ある中国の企業 を取 り上げ、経営学の枠組 を適 用 しつつ、最 も代表格 にあげ られ る 自動車産業 とエ レク トロニ クス産業 に参入 して、世界 ブラン ドの確立 を目指す 中国上位 メー カー の ビジネス行動(戦略構築 と組織再編)を分析す る。企業経営 論の視点か ら、 いままであま り解 明 して いなか った 中国独特 の企業経営特徴 を探究 してみたい。 現在、 中国製DVDプレーヤー、エアコン、電子 レンジ、冷蔵庫、洗濯機、 カ ラーテ レビ、オー トバイな ど製品の生産量は世界 トップのシェアを持 って いる し、 中国国産 ブラン ドの これ ら製品 の販売は国内市場 シェアの70%以上 を占めて いる。 また、 中国のメーカーが生産 したエ レク トロ ニ クス と自動車 製 品 の相 当の部分 を海外 へ 輸 出 し、 しか も年 々増 えて いる。 そ して、 中国 の wTO加盟 と経済のグローバル化 に伴 い、 中国のメーカーは相次 いで積極的 に海外市場 に進 出 し、 現地生産や販売ネ ッ トワーク作 りな どに乗 り出 しつつあるO しか し、 「世界の工場」 の主役 として積極 的な役割 を果 た して いるにもかかわ らず、 中国企業 の行動 に対す る研究 はまた少ない。特 に企業経営論 の視点か ら中国企業 を主体 とした戦略構築や 組織再編 を研究 して いた著作は ほ とん ど見 当た らな い。 これ ばか りか、1980年代 の後 半か ら経 済学界 に流行 して いたハ ンガ リーの経済学者ヤー ノジュ ・コルナイ (JanosKornaiハーバー ド大 学教授) の 『不足の経済学』 に述べ られた 「伝統的社会主義経済 システム にお ける国家 と企業 の 間の温情主義的関係」(盛田[1984]169-189頁)と小宮隆太郎 に下 られた 「中国には企業がない」 (小宮[1989]66-76頁) という結論は長年経済学界だけではな く、経営学界 にも深 い影響 を与 え て、主流の学術見解 になっていた。 このよ うな影響は今 日に至 るまで依然 として強 く残 されて い る。 - 1 5-沖縄大学人文学部紀要 第10号 2007 以上の現状 にかんがみ、本論文は中国経済の改革 と開放 にともない、 中国企業のビジネス行動 は どのよ うに進化 してきたか、 どのような特徴 を持 っているかを注 目し、戦略構築 (製品開発、 生産、販売、輸出、海外現地生産な ど) と組織再編 (企業構造や所有制の変革、人材の移転、組 織慣性 な ど) の両面か ら各分野 を分 けて分析 し主要な特徴 を洗 い出 して いきた い。 あわせて、 wTOへの加盟後、 中国企業の国内行動 と海外進出およびグローバル化 を踏 まえた これか ら経営 の行方 を分析する。 一般的に、企業の行動に影響を与える要因 として、産業構造 ・ライバル間競争,需要条件、技 術や人材の要素条件、関連 ・支援産業な どがあげ られる
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。 しか し、中 国では政府 の産業政策や市場変化、企業間競争による状況変化は他の要因を大きく左右 し、企業 行動 に対 して最 も重要な要因 となっているため、本研究はできるだけ他の関連がある要因にも触 れなが ら、政府の産業政策や市場変化、企業間競争状況な どを外部要因の主要要因として、企業 の戦略構築や組織再編の動向を解明 していく。 中国の経済環境は 日本や欧米 と違 って、 これ までの三十年間、純粋な市場経済ではな く、政府 の計画統制か ら市場の 自由競争へ と移行 している最中である。 したがって、中国企業の行動 (戟 略構築や組織再編)は変化が激 しい経済環境のなかで、以下の図に示 したように政府政策の変化 と市場環境の変化 に対 して、同時 に 「両面作戦」 を強い られている。そのなかで生 じる中国企業 の能動的な対応、すなわち環境創造、能力蓄積 と組織慣性 (既存ルーチンの硬直性)打破の行動 な どに注 目すべきである。 分析枠組 :中国企業行動の政策適応か ら市場適応への修正プロセス 50年代初-70年代後 半 ・70年代末-80年代 前半 ・80年代 半ば-90年代前半 ・90 年代半ば-(計画経済統制期) (市場開放 ・技術導入期) (導入技術Ba産化期) (グローバル化移行期) 政府政策の変化 (強力統制か ら次第に弱化,中央集権か ら地方分権) >政
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政策変化 と市場変化の間にタイムラグが生 じる 出所 :筆者作成。 本論文はいままで筆者の研究成果 を基盤 にして、経営学の視点か ら中国企業のこれ までの30年 来の戦略構築や組織再編の各分野を細分化 し分析 し,中国企業 ビジネス行動の特徴を解明 していく0 2、 中国 ビジネス活動 に関する政府政策 と市場環境の変遷 企業の戦略構築や組織再編が、企業の外部環境制約 に対する能動的な対応である以上、外部環 境の変化は当然なが ら企業の ビジネス活動に大きな影響 を与える。 ここで、中国の自動車 とエ レ ク トロニクス産業 におけるメーカーの ビジネス行動 を立体的 に理解するために、両産業を中心 と す る中国製造業発展の背景条件 を説明する。陳 :中国 にお ける ビジネス行動 のグローバル化 2. 1 産業政策の移 り変わ りと計画統制の弱化 1949年、建国当時の中国の工業基盤は極めて弱かった。政治 ・軍事 の情勢は、 中国が迅速 に 工業基盤 を強化す る ことを要請 し、その鍵 を握 っているものが重工業 にはかな らな い ことを認識 させた。ただ し、後進的な農業国で、重工業の発展 を最優先 の課題 とした工業化は、大 きな困難 が伴 った。乏 しい資金 と物資 を国が集 中的 に管理 し、国の計画順位 に従 って投入 しなけれ ばな ら ないため、 中央政府は50年代の中期か ら高度集権的な計画手段 を用いて資源 を配分 しは じめた。 長年の重工業優先政策が、 中国 を農業生産 の停滞や国民の生活水準の停滞 ・悪化、厳 しい失業 問題な どに直面 させて いた。70年代の末か ら、政府は軽工業 と繊維産業 に対 して原材料 ・エネル ギー、基本建設投資、銀行融資、技術導入のための外貨割 当な どを優先 させ る政策 を打 ち出 した。 また、東西冷戦の緩和 に対応 して政府 は、すで に1979年か ら生産割 当引き下 げによる過剰生産 能力を抱えていた軍需企業 に対 し、国家 による調達計画 の達成 を条件 として、遊休設備 を使 って 民生品の生産 に転換 してよいという方針が出 した。 また、 中国政府 は改革 ・開放 の政策 を実施 し、企業が積極 的 に先進国の技術 を導入 し始 めた。 さ らに、企業が国に対す る一定 の利益 を上納す る請 け負 う方式が、1987年か ら国有 の大 中型工 業企業 に導 入 され た。企業収益が増大すれ ば、企業 の 自由にな る留保利益 (企 業 の生産発展基 金 ・福祉基金 ・報奨基金 に使用 され る) も相応 に増 える。 同時 に、国の指令性計画 による生産額 が国有企業総生産額 に占める比率は、1984年の80%か ら88年 には16%、93年 には 7%にまで 低下 した。 一方、長年、 中央政府は、高関税で国内市場 を保護 し、導入 された製品の国産化 を促進 して い く方針 を続 き、エ レク トロニ クスや 自動車 メーカーの乱立 に対 しては参入 メーカー数 を厳 しく制 限 し、指定 した国有 メーカーに対 して全面的 に優遇育成政策 をとって いた. しか し、90年代半ば か ら
、WTO
(世界貿易機 関)への加盟 に備 え、 中央政府 は産業 ・企業 に対す る監督部 門や規制 内容 をしだいに縮小 して撤廃 し、 内外企業 を競争 させ る政策 に転換 し、エ レク トロニ クス製品お よび乗用車の輸入関税率 を半分以上 引下 げ、乗用車な どの 「輸入商品許可証」 制度 も撤廃 しは じ めた。 2. 2 中央集権か ら地方分権への財政改革 50年代か ら、中央政府 に直属す る大型国有企業への投資 を優先的に確保するために、中央政府 を中心 とした計画投資体制は、長年 にわた って続 いた。 中央政府 と地方政府 を合わせた全財政収 入の うち、地方財政収入の占める比率は50年代末まで 3分の 1にも満たず、その後、次第 に高ま ったが、80年代前期 になって も半分にも満たなかった。 しか も、地方政府の投資は各地 ごとに行 われてお り、分散 していた。そ うしたなかで、 中央政府 の投資はほ とん ど原材料産業やエネルギ ー産業な ど、重工業 における大企業 に偏 っていた。 80年代か ら、一連の経済管理権が中央政府か ら地方政府 に移管 され、地方政府の財政請負制度 が導入 されて、地方政府 の国有企業管理権が拡大 した。84年 まで、省級の地方政府が許認可でき る固定資産投資限度額 は1件 当た り1000万元で、その後3000万元 にまで引き上 げ られた (河 地 ・藤本 ・上野[1998]112頁)。 これ らの改革 によって、各地方政府は積極的に地方産業の育成 政策 を打ち出 し、地方企業 の 自主権 を拡大 して市場ニーズに応 えてエ レク トロニ クスや 自動車な どの生産 に新規参入 し、 同時に技術導入 を促進 して いった。 経済体制の改革 に したがって、地方政府 の財政分配機能が 引き続 き上昇 して いった。 国家財政 支 出総額 の うち地方財政 の支 出比率 は、80年代半ばの約50%か ら86-90年 には65. 6%、91-95年には70.0%へ と上昇 した。地方財政機能の上昇や企業 自主権 の拡大 によって、中央政府がエ-
17-沖縄大学人文学部紀要 第10号 2007 レク トロニクスや 自動車生産 ライ ン導入禁止の通達 を出 した り、 メーカー数を絞 り込む政策が実 施 されたにもかかわ らず、 これ ら産業では投資額が さほど大きくないため、地方が勝手に参入す るのを中央はなかなか止め られなかった。 90年代の半ばか ら中央政府 は、地方分権主義 を財政の面か ら抑制 しは じめた。94年に 「分税 制」が実施 され、 中央財政の収入 を厚 くする ことを目指 した0-万、国有企業 に現代企業制度を 確立す る試行が始め られ、所有制の多元化、公有制のあ り方の多様化が認め られた。98年か ら、 本格的な国有企業の改革が実行 の段階に入 り、国有企業の株式化や株式合作が推進 された。同時 に国有企業に対 して、外国資本 を含めた多数の出資者の投資が許され、企業を行政への所属か ら 脱却 させ る独立 した法人制度 も導入 されは じめた。 2. 3 市場閉鎖か ら市場開放への環境変化 70年代の末 まで、重工業の発展 を最優先させるために、農産物の価格 と賃金を強制的に抑制す ることで企業 に大 きな利潤 を上げさせ、それ を財政 に吸い上げることで貯蓄を中央政府 に集中 し、 国は重工業 を中心に投資を していた。消費財の供給能力は最小限に抑えられて売 り手市場が形成 された。農民の生活向上は甚だ しく遅れ、 また、農民と都市労働者の生活水準 との格差 を是正す るため、都市部 にも 「合理的低賃金制」が導入 され、労働者の生活水準 も切 り下 げ られた。 80年代か らの改革 によって、農村や都市住 民の収入は増加 し、購 買力が高 まった。全国の都 市 ・農村居住者の貯蓄預金の年末残高が国民総生産 に占める比率は、 1980年には8.8%であった ものが、95年 には51.8%と大 きく上昇 した。国民の生活向上に伴って、都市部の住民や農民たち の冷蔵庫、洗濯機、テ レビやオー トバイ、 自動車な どに対す るニーズが拡大 していった。一方、 導入された生産 ライ ンの生産量が急速に拡大することに従 って、一部の自動車やエ レク トロニク ス製品は次第 に買い手市場 に移 った。 90年代の後 半になると、80年代後半の市場 の高度成長期 に購入 された 自動車やエ レク トロニ クス製品は更新時期 に入 り、消費者はエ レク トロニクス と自動車製品の性能や品質 に対する要求 杏高め,新 しい機能 に敏感 になって きた。 また、国民全体 の収入が増えたが、同時に沿海地区の 都市には90年代の半ばか ら 「中産階級」という一部富裕層 (ニ ュー リッチ)が形成 されつつあ り、 次第 に拡大 している。 これ ら新 しい消費階層は、従来の都市部の消費スタイル を大きく変えよう としている。
近年、 中国の都市部 に 「3M (乗用車-Mycar、住宅-Myhome、携帯電話-Mobiletelecom)」 という消費ブームが起 きている。04年、乗用車の生産量は01年に比べて3.2倍 に増加、同 じく携 帯電話の保有台数は2.3倍 に拡大、都市部の住宅建築面積 は00年か ら03年で倍増 した。 また、一 般家庭 においてエ レク トロニクス製品が急速 に普及 し、エアコン、DVD機、デジタルカメラ、パ ソ コ ンの保有 率 も急 増 して いる。 乗用車 のニー ズが従 来 の集 団消費か ら個 人消 費へ移行 し、
WTO
加盟に伴 って02年か ら3
年連続で乗用車の購入 ブームが続 いた0 2. 4 対外開放 と競争のグローバル化 50年代の初めに、中国は 『中ソ友好互助同盟条約』 を締結 し、156工業建設 プロジェク トとい われた生産技術や設備 を、全面的に旧ソ連か ら導入 した。その後 まもな く、 中国は西側か らの全 面禁輸 という情況下でソ連 との関係 も悪化 して しまい、先進国 との技術交流か らほぼ全面的に隔 離 され るに至 った。 このよ うな隔離 された状態は、80年代 の初めに外国か ら技術導入が行われ、 生産が本格化す るまでの20年以上にわたって続 いた。 そ して、70年代の末か ら、先進国 との技 術格差 を解消するため、政府は対外開放政策 を推 し進めた。陳 :中国 における ビジネス行動 のグ ローバル化 1979年7月に 「中外合資経営企業法」が公布 され,直接投資が受け入れ られ ることとなった。 ただ し、90年代の前半 まで中国側の出資比率は50%以上 に しなければな らず、 また合弁企業の 製品はできるだけ多 く輸出す ることを政府 に要求 されていた。 さ らに、技術導入のための外貨が 不足 していることか ら、政府は 「技貿結合」政策、すなわち先進国のメーカーか ら一定量の完成 品を輸入することを条件 に技術供与の ロイヤルティを支払 うという、 いわゆる完成品輸入 と技術 導入を結合 した政策を実施 した。 01年末 に、中国のWTO加盟が承認された。 中国は、WTO加盟 にともなって関税障壁 を引き下 げ、市場開放を進めるとともに国内企業の優遇政策 を撤廃 しは じめた。例 えば、関税率 について は段階的な引き下げを約束 し、全工業品の平均は1998年 の16.6%か ら2010年 までに8.9%、乗 用車は同80%∼100%か ら06年 に25%、 トラックは50%か ら05年 に25%、冷蔵庫 は30%か ら 04年に15%、エアコンは40%か ら05年に20%な どとした。同時 に、政府は輸出の拡大や 「走出 去」 (中国企業の海外進出)な どの政策 を提唱 した。 また、中国のWTO加盟 にともない、多数の多国籍企業が中国で現地生産 に乗 り出 し、市場競 争がますますグローバル化 していた。例えば、外資の中国に対する直接投資嶺は90年代半ばか ら 01年 まで、一貫 して400億 ドル前後 を維持 していたが、WTO加盟直後 の02年 には一気 に500億 ドル台を突破 し、04年 にさ らに600億 ドル を超えた。外資系の進出によって、 中国の市場競争は ます ます激化 し、商品輸出入 も急増 した。 中国の対外貿易額は、02年の5000億 ドルか ら04年の 10000億 ドルに倍増 し、 日本 を超えて世界第3位 になった。 3、中国企業の ビジネス行動- 戦略構築 以上、中国ビジネス活動 に関する政府政策 と市場環境の変遷 を概観 してきたが、 これか ら中国 のビジネス環境変化 にしたが い中国企業の ビジネス行動は どのよ うに移 り変わ ったか を見てみ る。 ここには主 に企業の戦略構築、すなわち企業の生産、販売、R&D活動、及び海外進出の展開 を重点的に観察 していく。 3. 1 生産管理の強化 と製造能力の向上 建国初期、ソ連の設計院や工場が一部中国国有大企業の技術設計 と工程設計 を担当 した り、企 業の建設 と生産 を指導 した り、企業の幹部や技術者、労働者 を訓練 した りして、製造技術や計画 管理のノウハウを伝えた0-万、地方の中小企業は大量生産方式の設備はな く、そのため少量生 産で部品の製造か ら完成品の組立てまで、すべで手作業で行 っていたのである。品質は悪 く、 い ったん製品が市場 に出た後 も故障が多 く、つね に修理 しなければな らないため、 メーカーは長年 専門の修理チームを持 っていたO その後、80年代半ばまで、ニーズの拡大 と製品の供給不足の市場環境の中では、物 を作ればす ぐ売れるため、生産管理や品質管理な どにつ いての関心 を、 ほとん どの企業は持つ ことがな く、 また製造能力の進化 も緩慢であった。企業間には競争がなか ったため、企業は政府の生産認可 と 生産量の拡張以外 に,品質の向上や性能の改善、新製品開発な どには強い関心 を持つ必要がなか った。従業員が出勤の時間を守 らず、生産現場 に定め られたルールを守 らないな ど、職場の規律 が乱れていた。 80年代後期か ら,厳 しい市場競争に対応 して企業は、積極的に日本 をは じめ とす る先進国か ら 生産管理のノウハウを導入 し、品質管理 に力を入れ始めた日。企業の経営陣は、従業員の教育 と 晶質に対する意識の改革 に最優先 して取 り組んだ。基本的な企業管理体制の整備 を経て、品質管 理システムの確立に着手 した。具体的には従業員一人一人が担 当するその 日の仕事の内容 を責任 - 19
-沖縄大学 人文学部紀要 第10号 2007 を持 って遂行 させ るということにした。 また、評価値 に基づき、業績評価 と報酬基準値が確定 さ れ、 ミスが出た場合の罰金額 まで明示 されていた。 90年代末か ら、中国のWTO加盟 と市場競争のグローバル化 に従 って、 中国の企業は、企業内 部の管理 を強化 し、外部市場の競争圧力を企業内の競争圧力へとプラスに転換 してきた。各企業 は社内での競争力を高めるために、企業内部で も徹底 した実績主義 を実施 していた。そのために 明示的な 目標管理 と、厳格な罰則を伴 うモニタ リングのメカニズムが採 られている。予め 目標を 決め、その達成度 によって給与が決 ま り、 目標達成率が比べ られ、上位の担 当者が奨励され、連 続 して最下位 になった ら、責任者は解雇 され る。 3. 2 販売活動の強化 とマーケテ イングの展開 計画経済の管理体制の下で、企業は、政府計画 に従 って生産 し、販売活動 を行わなかった。長 年、製品の売 り手市場の中、 自動車の販売について、ほとん どの企業は80年代の半ばまで計画経 済の販売ルー トを通 じて行 い、 自社販売ネ ッ トの構築や販売促進 に力を入れていなかった。エ レ ク トロニクス製品の販売で も、 メーカーが直接 に扱 う必要がな く、国有卸売や小売企業のルー ト を通 じて販売 していたのである。 80年代の後半か ら、競争の激化 にしたがって、企業は販売やサー ビスに力を入れは じめた。 ま ず、大都市か ら中小都市 にいたるまで 自社 ブラン ドの専売店 を相次 いで設立 し、 自社の販売ネ ッ トワークを構築 していった。それ と同時 に、専門知識 を持 った販売員 ・サー ビス人材 を養成 し、 サー ビス面 を強化 した。顧客 に対 しては、徹底的に自社製品の性能や特徴、使用方法 を説明 し、 販売後は無料で製品を配達 して取 り付け、 また定期的に訪問 して使用状況 を把握 し、修理な どの アフター ・サー ビス を提供 した。 さ らに、実力ある中国企業は一定の レベルのアフターサー ビス、た とえば24時間ないし48時 間以内の訪問修理サー ビスな どを実現 したが、競争の激化 にしたがって、ユーザー意見のフイ-ドバ ックと改善、訪問修理マニ ュアルの公示 と厳守、製品の修理保証な ど、 さらにサー ビスの水 準を向上させていた。90年代の半ばになると、中国国内のエ レク トロニクス企業の製品は、品質 や技術 レベルの面で輸入品 と互角であったが、サー ビスの レベルでは輸入品を上回った。 そのうえ中国上位企業は、顧客の注文書 を受けることか ら製品の販売、アフター ・サービスま で、企業内部の購買、生産、販売な ど関連部門の仕事 を 「市場バ リュー ・チェー ン」 として細分 化 し、各部門 ・従業員の責任 を明確 にして、完成の度合いによって報酬や賠償制度 を整えた。 こ の制度は、生産効率や品質 ・サ- ビスを改善す るためのもので、下流の部門や従業員は社内であ って も上流部門や従業員を顧客 と同様 に見な し、部門の一つ一つ、従業員の一人一人が、 ともに 独立採算の単位 になって、直接、市場競争に参加する仕組み として作 り上げたのである0 3. 3 技術進歩 と製品開発の学習 計画経済の管理体制の下で、-汽な ど中国の大型国有企業は50年代に、工場設計か らプラン ト 設備、製品、生産方式までワンセ ッ トでソ連か ら導入 した。60年代以降、先進国 との技術交流か らほぼ全面的に隔離 された。新製品の研究開発は政府の研究所 (院)・設計所 (院) によって行 われて いた。 国内の技術移転は、国家のR&D機構 によって開発 された新製品 を、 まず国有大型 企業に量産化 させ、成熟化 させてか ら中小企業 に移転 していくパター ンが採 られていた。 対外開放 に従 って、 中国企業が先進国企業 との間に存在 していた技術格差は歴然であ り、各企 業は先を争って先進国か ら自動車やエ レク トロニクス製品な どの製造 プランを、ワンセ ッ トで導 入 していった。こうしたなかで、国有企業の技術基盤は集団企業や郷鎮企業よ りも強かったため、
陳 :中国 にお けるビジネス行動 のグロ-パル化 構造が比較的複雑な製品の生産 に参入す るケースが多かったoただ し、国有 にして も非国有 にし て も中国メーカーは、 いずれ も自らの開発能力を持っていないため、導入 した技術 の初歩的な勉 強か らせざるをえなかった。 その後、激 しい市場競争に対応するために、 中国企業は導入 した技術 を吸収すると同時に、 コ ピー的な改造や開発をスピーデ ィに行 い、ニーズに応えていった. また、 自社のR&D組織 を充実 させると同時に、大学や国家の研究機関 と連携 して外部の人材資源 を活用 していった。技術導入 と開発能力の強化 を通 じて、製品の技術 レベルはすでに世界の先進 レベル に近づいていた。 しか し、積極的に外国製品を模倣 して次 々と新製品を市場 に出 したが、外資系メーカーか ら知的所有 権損害で提訴されるケースが相次 いで発生 していた。 こうしたなかで、中国企業は、 自前の技術 によって商品の差別化 を図るよ りは、既存の技術 を 導入 して組み合わせ ることで新 しい製品を作 り、 いち早 く市場 に投入 した。全 く新 しい技術の場 合には、外国企業 との提携で技術導入 を行 うが、ある程度の技術 を把握す ると、独 自に改造や開 発を行 う。よ り安 く劣悪な素材 を使って、同 じよ うなデザイ ンと性能 を出すために設計を工夫 し た り、機能を減 らしてコス トを抑えた り、中国独特の多様化ニーズに対応 して、差別化の工夫 を 凝 らしていた。 3. 4 輸出の拡大 と海外進出 90年代の初期 まで中国企業が生産 したエ レク トロニクス製品や 自動車製品を海外 に輸出するの はまだ少なかった。逆 に、中国市場 における海外か らの輸入品は多かった。90年代の半ば以降、 エ レク トロニクス製品やオー トバイ、21世紀か ら自動車、特 に商用車は、大量 に輸出されるよう になった。例えば、2003年 に、 中国のカラーテ レビ生産量6541万台の約半分の3268万台、冷 蔵庫生産量2208万台の約 4割 の881万台、エアコン生産量4813万台の約 3分の 1の1644万台、 洗濯機生産量1943万台の約 3割の363万台が輸出された2)O 製品輸出について、多 くの中国企業はまず新興工業国や途上国か ら国際市場 を開拓 し始めた。 例えば、IT大手の聯想や華為は、97年に中国に返還 される香港 を海外進出の橋頭堕 として選んだ。 香港 に続 き、 ロシア、イ ン ド (主 に人材吸収 と開発協力)、中東 とアフ リカ、東南 アジア と南米 な ど、新興工業国や発展途上国に次々と進出していった。 これ ら新興工業国や発展途上国におい て、中国企業は先発の世界上位 メーカー と競争するために、主 に低価格 とサー ビス強化 の戦略で 事業を展開 した。 一方、家電最大手の海爾は 「先難後易」戦略、すなわちまず品質に対する要求が厳 しい ドイツ や 日本、アメリカな どの先進国の市場 を狙って輸出 し、それか ら途上国に輸出してい く戦略を実 行 した。91年 にアメ リカのUL認証、92年 に国際ISO9001品質認証 を取得 してか ら次 々 と国際認 証を取得 した。 また、海爾の製品輸出は初めか ら先進国ブラン ドのOEMではな く、 自社 ブラン ド を全面に出す方針 を堅持 したO しか も、 「安かろう悪か ろう」 という従来の中国製品のイ メー ジ を転換 させ、高い品質に相応 しい価格 を設定 した。 中国企業は海外への輸出を拡大すると同時、海外の非関税障壁 を乗 り越えるために、東南アジ ア、中東、アメリカ, ヨー ロッパな どの海外で多 くの生産拠点 を作 り、現地生産を拡大 していっ た。 また、直接海外の技術者や経営者 を雇用 した り、 自社株 を海外や香港で上場 して国際資本の 調達 に努め、積極的に海外の経営資源や ノウハウの導入 を図っているO さらに、 中国の上位 メー カーは、外資系多国籍企業 との連携 を拡大 した り、独 自に海外で製品開発や グローバル化 に努め、 国際競争にも本格的に挑戦 しは じめた。 ー
21-沖縄大学人文学部紀要 第1O号 2007 4.中国企業の ビジネス行動- 組織再編 ここには主 に中国企業の組織再編、すなわち企業の組織慣性、組織構造、人材の移 り変わ り、 及び企業所有制の変革を重点的に観察 していく。 4. 1 組織慣性 と環境対応の格差 50年代か ら長 い間、投資決定 を含めた企業の 自主的な意思決定や市場競争メカニズムの欠如 し たなかで、国有企業は計画経済の一単位 として、市場の変化 には関心 を持たずに政府の政策投資 を受け、政府 の政策 を忠実に順守 し、政府の計画通 りにしか活動 しない受け身の経営 に立ってい た。ただ し、中央政府 に直属する国有の大企業は資源配分の面では優遇 され,重工業関連製品を 量産 して いた。そのため、地方の中小企業や集団所有企業は分散資源 を活用 しなが ら、消費財分 野で ローカル市場のニーズを開拓 していた。 70年代の末か ら、新 しい市場ニーズの出現 にしたがい、多数の地方中小企業、軍需企業 と集団 所有制企業が消費財の生産 に新規参入 してきた。 さ らに、豊かになった農民の出資で設立 された 郷鎮企業が製造業 に参入 し、積極的 に市場のニーズに応えは じめた.一方、市場経済化 にともな って、80年代半ばか ら国の計画による生産額は、国有企業の総生産額 に占める比率を急速に低下 させていった。 これ に応 じて、国有企業は従来の政府の投資を受動的に受け入れ る態度か ら、積 極的に限 られた資金を勝 ち取る姿勢に転換 した。 ただ し、政府計画の作成や プロジェク トの実行は、つね に市場の変化 に追いつかないので、そ れ を追求する国有企業のマーケテイング行動 も、 また遅れかねない という問題は残 されていた。 これに対 して、都市部の集団所有制企業や農村部の郷鎮企業及び多数の個人 (私営)企業は市場 経済化 にともなって 自力で設立 された ものが多 く、初めか ら市場ニーズの変動 に適応 しなが ら利 益の最大化 を優先 していたC これ らの非国有企業が、生産 を急速 に拡大 してきた. 90年代の半ば以降、経営業績の悪い一部の国有企業は身売 りされ,非国有企業に買収 ・合併 さ れた り、あるいは中国市場 に進出 してきた外資系企業 と提携 し、合弁企業 として生き残ったので ある。企業間の買収や合併が行われ、業界には巨大な総合 メーカーが誕生 していった。 これ らの メーカーは、販売や製品開発力を強化 しなが ら、独特かつ多様化する中国の市場ニーズにス ピー デ ィに応えて、製品の差別化 を行 っている。 さ らに、国際市場での競争にも加わ り、輸出や海外 での現地生産 も増加 させた。 4. 2 人材資源の移 り変わ り 50年代初期、 中央政府は、国有企業の設立で大規模な投資をす ると同時 に、国を挙げて大企業 の建設 と生産 を支援 した。各地の優秀な管理幹部、技術労働者 と建築労働者が集め られ、彼 らは 国有大企業の建設 と生産の主力になった。その うえ政府は、各地の産業の技術者、専門家、海外 留学経験者、大学生な ど多数の人材 を集めて国有大企業に送 った。 また、ソ連の大型企業 と同様 に、 中国の国有大企業は保育園、小学校、 中学校、大学、病院、商店、食堂、宿舎な ど、ほとん どのサ- ビス部門を企業の一部 として管理 していた。 しか し、企業体制改革 に従 って、国有企業 も利益 を中心 とす る経営方針 を打ち出 した。その重 要な手段の一つは組織のス リム化 と合理化である。そ もそ も、従業員のなかには病院、商店、学 校、宿舎、食堂な ど多 くの福利部門の人員 も含 まれていた。国有企業は、 これ らの福利部門を本 体か ら分離 させて、それぞれ独立採算の制度 を導入 させたo また、生産部門 も従来の政府 に決め られた計画 を基礎 に組み立てる方法か ら、商品開発か ら生産量にいたるまで市場のニーズを汲み 取る体質へ転換 し、人員の再配置な どに取 り組んだ。
陳 :中国 にお けるビジネス行動 のグローバル化 一方、財政体制の改革 にしたがって、地方政府が人材や資金 を重点的に所在地方企業 に投入す ることになった。 こうしたなか、張瑞敏 (現在、海蘭 のCEO)、李東生 (同TCLの社長) な ど、 従来は地方政府工業管理部門の幹部だった人び とを地方企業 に移籍 させた り、長虹や南京無線電 な どのように、従来の軍需企業が地方政府 に属す る地方企業へ変身させ られた りして、各 メーカ ーは地方政府か らの人材や資金 を活用 しなが ら規模 を拡大 していたD また、郷鎮企業、私営企業 や外資系企業 も人材の争奪戦 に加わってきた。 経営不振のなかで国有企業は、製品開発 ・販売 ・経営管理な どの重要な人材 を民営企業 に流出 し、そ もそ も強かったR&D組織 を持 っているにもかかわ らず、 自己ブラン ド製品の拡大ができな いまま、 ますます衰退 している.一方、後発のエ レク トロニクスや 自動車 メーカーは、積極的 に 先発の大企業の技術や人材 を受け入れたO例えば、奇瑞は、-汽の長春汽車研究所か ら100名以 上の技術者 を引き抜 き、吉利は上海
vw
の前社長 を、華農は-汽vw
の前社長 と前販売部長な ど の上級幹部 を引き抜き、経営資源 を充実 させている。 4. 3 企業組織構造の変化 計画体制の下で、 中国の国有企業は政府か ら与 え られた生産計画 と利潤計画 の数値 目標 ( -「ノルマ」)にもとづいて生産任務 を遂行す るだけで、製品開発、販売、資材供給や利潤管理な ど の本社機能を抜きにした、単なる一生産工場 に位置付け られたのである。たいていの場合、特定 の一地点 (一定の敷地あるいは地域内) に存在 していた.すなわち 日本の企業のように全国 (さ らに海外) に複数の事業所 を持 っているよ うな存在ではなかった。 日本の一つの企業に所属する いくつかの工場のうちの一つに対応 していたのである。 しか し、市場の拡大に従 った、中国企業は、次第 にローカル地域 を出て多地域 に工場 を建てる ようになったo例えば、海爾は95年、エアコンメーカーの武漢希鳥公司を買収 し、初めて山東省 を出てか ら、97年に、洗濯機 メーカーの広東順徳愛徳集団を買収 し、杭州西湖電子集団 と合弁で 杭州海爾電子集団を設立 し、安徽黄山電子集団を合併 してきた。 また、業界間の相互浸透 によっ て、企業間の買収 ・合併 を加速 させ、多地域 にまたが り、複数の製品で生産量の上位 に立つ巨大 なメーカーが順次形成 されていった。 製品多角化の展開 と生産規模の拡大 にともなって、 中国企業は従来 の本社が直接 に工場 を管理 する方法を変えて、事業部制を導入 していた。すなわち、本社一事業本部-事業部一工場-作業 場 という管理体制を確立 したのである。本社は、投資決定の司令塔 として、企画発展、資金調達、 品質標準管理、企業文化、資産管理な どのスタッフ部門を設けたOそ して、事業本部は経営戦略 決定を中心 に、事業部は利潤管理 を中心 に、工場はコス ト管理 を中心 に、作業現場は品質管理 を 中心に行 うことになった。 また、上位 メーカーは海外に進出 し、海外の現地生産 を拡大 していたため、海外事業部 も設立 していったOさらに、外資系の企業を買収 した り、独 自に海外で製品開発や グローバル化 に努め、 国際競争にも本格的に挑戦 しは じめた。例えば、2004年、聯想はIBMのパ ソコン事業 を買収 し た。 この買収は、IBMパ ソコンに関す るR&D、製造部門、販売ルー ト、 ブラン ド、特許の他 に、 アメリカと日本にある2つの研究セ ンター、160カ国にいる9,600名の従業員 も含んでいたのであ る。 4. 4 国有企業 と非国有企業の消長 50年代か ら、中国の国有企業は、隷属的な関係 によって中央政府 に直属す る大型国有企業 と、 各級地方政府 に所属する中小国有企業 に分け られる。 中央政府 に所属す る国有企業は、 ほとん ど-23-沖縄大学人文学部紀要 第10号 2007 が重工業に関連する基幹産業であったo国有企業のほかに、手工業的な生産協同組織や町内工場 か らで きた中小零細集団所有制企業が存在 していた。長年、集団所有制企業の労働者は、国有企 業の労働者 と賃金 ・労働条件 ・労働保険 ・福利厚生 ・食糧配給な ど、あ らゆる面で格差を強いら れてきた。 しか し、80年代以降、企業は導入 した生産能力によって国内の需要を上回って在庫が増え、製 品は売 り手市場か ら買い手市場へ と転換 した。製品の価格競争が勃発 し、企業 にとっては規模の 拡張か ら優勝劣敗の淘汰時代 に突入 した。特に、集団企業や郷鎮企業な どの後発の非国有企業は、 厳 しい国内市場競争で しのぎを削ることになった。 こうしたなかで、非国有企業は現場の生産管 理能力、市場の販売 ・サー ビス能力や製品の開発能力な どを高めて、先発の国有企業に入れ替わ って頭角を現 し、ついに業界の上位 に上ってきた。 中国の市場経済化の進展 に従 い、非国有企業は速いス ピー ドで成長 し、=業全体の高度成長に 対 して も大 き く責献 した。1978年では、工業総生産顔 中のシェアは国有企業が77.6%、集団企 業 は22.4%であった。それが1996年では国有企業が28.5%、集 団企業 (郷鎮企業 も含む)が 39.4%、私営企業15.5%、その他外資系企業な ど16.6%となっている。すなわち、70年代末か ら 工業総生産額 に占め る非国有企業の比率が毎年3%ポイ ン ト近 く上昇 し、78年の22%か ら96年 の72%に上昇 してきたのである (江[1999]14頁)。 90年代の末 には、国有企業の改革が急速 に進め られていった。国有 ・国有持株企業数は、97 年 には7万4388社であった ものが、02年 には4万2696社 と大幅 に減少 したo閉鎖、破産、合併、 リス トラが強行 された。国有企業の衰退 に対 し、株式企業、私営企業、特 に外資系企業の成長が 著 しい。工業総生産額 に占めるシェアでは、株式制企業 (有限責任公司、株式有限責任公司)は 02年 に21%、私営企業は同 じく11.7%、外資系企業 (香港、マカオ、台湾 を含む)は29.3%で ある (高橋[2004]209頁)0 5、むすび 70年代末、改革 ・開放の政策が実施 してか ら今 日まで、 中国の自動車 とエ レク トロニクス企業 の外部環境 をまとめて見れば、計画統制か ら市場競争への移行 に伴 って、中国企業 に対する政府 の統制力は中央か ら地方 に移 りなが ら、次第 に弱化 していった。一方、市場環境は閉鎖的なもの か ら開放へ、 さらにグローバル化へ進み、企業 に対する影響力がます ます強 くなってきた。 こうした環境変化 のなか、中国企業は、導入 した生産能力によって国内の需要を上回って在庫 が増え、厳 しい国内市場競争で しのぎを削ることになった。 メーカーは現場の生産管理能力,市 場 の販売 ・サー ビス能力な どを高めは じめた。 さ らに、 中国のWTO加盟 に したが って、製品開 発力を強化 しなが ら、独特かつ多様化す る中国の市場ニーズにスピーデ ィに応えて、製品の差別 化 を行 っている。 また、国際市場での競争にも加わ り、中国国産 ブラン ドの力を伸ば しつつ、輸 出や海外での現地生産 も増加 させた。 企業の組織構成を見れば、集団企業や郷鎮企業な どの後発の非国有 メーカーは、初めか ら政府 計画投資を依頬 しな く、厳 しい市場競争の中で闘いなが ら競争力を高めて、国有企業の人材 を吸 収 し、先発の国有 メーカーに入れ替わって頭角 を現 し、ついに業界の上位 に上ってきたoさらに、 企業間の買収や合併が行われ,多地域 を跨 り業界の境界 を越えて巨大な総合メーカーが誕生 して いった。 また多国籍企業 と連携 して、グローバル市場の競争を対応できるように、大規模な組織 再編 を行 っている。
陳 '中国 にお ける ビジネス行動の グローバル化 注 1)例 えば、洗濯機生産大手 の小天鷲 は88年 に品質 の問題で赤字 に転落 したため、89年 に松下 か ら品質管理の ノウハ ウと自動制御 の設備 を導入 してか ら、90年 に全国で唯一 の洗濯機品質 金賞 を獲得 し、利益 も大幅 に増加 した。 2) ここの各家電製品の総生産量は外資系が中国で生産 した ものも含まれたD 参考文献 陳晋[2007]『中国製造業の競争力』信 山社。 コルナイ ・ヤー ノシュ著 盛 田常夫編訳[1984
]
『「不足」 の政治経済学』岩波書店. 小宮隆太郎[1989]『現代 中国経済』東京大学出版会。 M ・E・ポーター[1992]
『国の競争優位』 ダイヤモ ン ド社。 河地重蔵 ・藤本昭 ・上野秀夫[1998]『中国経済 と東アジア圏』 世界思想社。 江小泊[1999]
「体制転換 中的産業発展与産業政策 :以家用電器行業為例」 (江 小泊等著 『中国体 制転軌中的増長、績効与産業組織変化一対 中国若干行業的実証研究』 上海三聯書店 ・上海 人民 出版社)0 高橋満[2004]『中葉新経済 システムの形成』創土社。 -2 5-The Globalization of Business Performance in China - the analyse focusing
on the strategy construction and reorganization of enterprise
Jin CHEN Abstract
This paper analyzes the business performance of Chinese high ranking car makers and electronic makers by looking at Chinese enterprises which are becoming leaders in "the world's factory" , and applying a business administration framework. Along with the shift from plan control to market competition, the control capability of government for Chinese enterprises decreased gradually from the center to the local. On the other hand, the market environment shifted from closed to open and proceeded into globalization, and the influence upon enterprises became stronger and stronger. In such a change of environment, the direction of enterprise performance was gradually revised and began to be focused on the adaptation to market change instead of pressured control by the government. This paper analyzes each field separately and extracts their main characteristics from the two perspectives of strategy construction (product development, production, sales, export, overseas local production) and organization re-construction (reform of enterprise structure and the ownership, transformation of human resources, organization inertia) and focuses on the upcoming whereabouts of the management by discussing the local performance, overseas advancement and globalization of Chinese enterprises after China joined the WTO.
Keywords: Chinese enterprise, strategy construction, organization re-construction, business administration, globalization