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台湾の経済発展とその後の課題: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

台湾の経済発展とその後の課題

Author(s)

平良, 朝男

Citation

沖大経済論叢 = OKIDAI KEIZAI RONSO, 17(1): 55-91

Issue Date

1992-09-30

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/6845

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台湾の経済発展とその後の課題

平良朝 男 目次 はじめに (1)台湾の工業化への軌跡 1)農地解放 2)アメリカの援助と自助努力 3)外資導入 4)産業構造の変遷 (2)産業高度化の課題 1)紡績アパレル 2)電器電子産業 3)台湾の自転車産業 おわりに はじめに 一般的に国の経済が発展してゆくためには、労働、資本、技術の高度化、そ して市場の拡大が不可欠な要素だと考えられている。こういった要素が人為的 に結びつき人間の生活、社会活動に便益をもたらすような製品が作り出される。 そして、このような製品を購入し、使用する圏域に住む人々、あるいは社会が その製品の便益を享受しながら、「文化の発達」という尺度で見る限り優位性 を保ってきていた。このようなプロセスが歴史の発展の過程で、当初は緩慢に、 そして時代の経過とともに次第にその展開のスピードを上げてきた、というの -55-

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がこれまでの経済発展の歴史的な展開であろう。 そして、現代の各企業は新しく生み出された技術を基に商品化を進め、その 商品を国内市場はもとより、海外市場へ販売することによって、より大きな利 益を得、資本蓄積を進めている。その課程で得られた利益が市場メカニズムを 通じて国民に行き渡り、これが国民の経済的豊かさを生み出す。これが国民の 経済発展である。また、その商品を生産し、販売を通じて利益を上げる事が出 来た企業は、更により優位性のある商品およびその生産体制・技術開発を進め るために蓄積された資本を投資して技術開発・先行投資を間断なく繰り返し、 つまり拡大再生産を繰り返し貿易を拡大している。これが工業化のメカニズム であり、市場経済のダイナミズムである。 このような観点からすると経済発展を指向するということは、必然的に工業 化を押し進める事になる。現代社会はまさにその展開の渦中にあるといえる。 そしてまた、その先陣を切っているのが先進諸国であり、遅れを取っているの が発展途上国であるといえる。 従って、この展開が競争の原理に追い立てられながら先進国ほど加速してい る今曰、発展途上国が先進諸国にキャッチアップし、工業化の面で先進諸国に 肩を並べることは並大抵の事ではない。事実、G5ないしはG7を除く国々が それを指向しながらも停滞の渦中で苦悩しているのはそれを物語っている。 このような意味で石油危機以降、世界経済が停滞している中で、アジアNI ESが、なかでも台湾が、低迷している発展途上国の中から浮上し、先陣を切 って先進諸国にキャッチアップしている状況に世界のエコノミスト達の注目が 集まっているのは当然である。この様な事から、近年アジアNIESについて の研究もにわかに増えてきた。 ここでは、台湾経済の発展の原動力を成している工業化の軌跡をたどり、現 在工業化発展のリーディングセクターをなし、輸出の主役をなしている繊維、 電器電子産業および機械産業の一般に共通する最も分かりやすい例としての自 転車産業等から、今後とも台湾が工業化路線の延長線上で独自の得意とする技 術を開発しながら持続的発展を続けてゆけるのか、と言う点について考察する。 -56-

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(1)台湾の工業化への軌跡

図1-1は戦後の台湾の社会、経済発展の展開を鳥鰍したものである。台湾 の社会は1949年の農地改革によって近代化されたが、これがその後の経済 発展の活力の源泉になった。これは国民の意志と云うよりは時局の緊迫の中で 為政者が追いつめられて打った手であるが、その後の諸施策の成功の基になっ たと云う意味では正しかった。 また、1947年から69年まで続けられたアメリカの援助が戦後の混乱期 の急場を救いつつ、その時代の潮流に通じた人材を育てた。そしてこれらの人 材が資本無し、技術無しの当時の台湾に世界の一流企業の進出を「外資導入」 という形で招き入れた。台湾はこの企業進出によって技術と資本を一挙にビル トインして、他の発展途上国に差をつけ工業化の緒についた。以後、国内では 農地解放によって農民の生産意欲が高まり、次第に所得も向上する。この所得 の向上によって国内市場も拡大する、という循環過程で、生活必需品を中心と した民需を当て込んだ群小の産業が発達し、経済活動は活況を呈し始めた。こ の時期の企業は基本原料や半製品、部品を輸入して消費財を生産するという労 働集約型の軽工業が中心であった。こういった弱小、零細産業が60年代から 70年代にかけて外資と提携、合併、下請け等の形で結びつきを強めながら国 内需要を満たし、輸出志向型産業へと変身して行き、輸出を拡大して台湾経済 は大きく発展して行く。 しかし、1973年には石油ショックが起こり、これまで比較的順調に進ん でいた世界経済を混乱に陥れた。丁度この頃、台湾は国内の産業の隆盛の過程 で、インフラ不足や原料不足のため国内産業活動の効率があやぶまれている時 期であった。このため十大建設が行われたが、これがタイミングよく、世界経 済が低迷し、輸出不振の輸出産業を内需の拡大によってカバーした。 この間、国内産業は順調に成長を遂げ、特に石油化学コンビナートが完成し、 化繊原料の国内供給体制が整った事で紡績アパレル、プラスチック産業は国際 競争力をつけ、官業に匹敵する中小企業群の成長を見る。 70年代の世界経済の不況を内需で乗り切ると、貿易も黒字基調に転じ、外 -57-

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貨保有高も堅調に増加し、90年代には700億ドル台を越え、日本に次ぐ貿 易黒字大国にまで成長する。 80年には発展している国内産業の高度化を促進するため「新竹科学工業団 地」を建設する。しかし、この思惑は必ずしも順調には進んでいない。産業が 発展し高度化が進むためには常に新しい技術の取り入れや研究開発投資が旺盛 で、生産設備の高度化のためのスクラップアンドピルが繰り返されなくてはな らないのだが、投資意欲が停滞し、金余り現象が起き経済のバブル現象が生じ ているからである。 85年には「プラザ合意」が持たれ、円高(ドル安)時代が始まるが、-時 的には台湾にはこれはむしろ有利に働いた。円高に耐えられない日本の各種産 業が台湾に以前にも増して押し寄せたからである。しかし、こういう状況は長 くは続かず、ついに元高の時代をむかえる。ここで起きている現象は、かつて 先進諸国が国内賃金の高騰の中で生産基地をNIESにシフトしたように、台 湾の各企業もより低賃金を求めてASEAN諸国へと企業進出するという変わ り身の早さを見せている。 この様に台湾経済は困難な局面をクリアーしながら順調に発展してきている が、今後を展望する場合にいくつかの問題点が指摘される。ここでは特に技術 移転の問題に焦点を当て、今後の施策の参考にしたい。 1)農地解放 台湾社会の近代化の第一歩は1949年より52年の3年間にまたがって実 施された農地解放によってもたらされた。これは国民党の強権によって行われ たわけだが、台湾の農村社会が引きずっていた一掴みの大地主による農業支配 という封権的社会制度を解体し、小作人に既存の農耕地を10年間の割賦返済 で割譲するいうものである。これは、農業分野という限られた分野ではあった が、その後の社会・経済発展の基礎を成す社会構造に近代化をもたらしたとい う点で大きな意味を持っている。いうまでもなく、本来の資本主義社会の市場 -59-

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経済の活力の根元は国民の自由意志の縦横するところに在るからである。 台湾は曰本の植民地統治の間、終戦直前の南進基地としての機能を付与され るまで、その土壌の肥沃さから米糖を中心とする食糧供給基地として位置づけ られ統治されてきたため、-次産業を中心とする産業構造が形成され、人口の 大半が農業と関わる農業社会であった。ちなみに52年当時の農家人口は総人 口の52.4%を占め、農業就業人口は56%を上回っていた。従って、農業 に関連・付随する産業の就業人口、社会構造を想定した場合、農地解放がもた らしたインパクトは極めて絶大なものであった事は想像に難くない。 しかし、私がここで強調したい事は農地改革によって社会構造が激変したと いう事実ではなく、このように農地改革によって近代化された農業分野がその

後の工業化への素地・出発点としての使命を果たしたという点である。そして、

台湾農業は工業化への展開の過程でその使命を終えて退化していった。

このような大きな変革をもたらした農地改革が、このような時期に何故出来

たのか、という事は前稿達:'で言及してあるのでここでは割愛し、農地改革に

よって活力を得た農業部門の果たした時代的使命を挙げて見る。

①戦後の混乱の時期に、既存の600万人の人口に加えて急増した100

~200万人の人口の食糧需要に応えて農業生産を回復してきた。

勿論、土地が肥沃で農業が発達していたとはいえ、当時の100~200万

人の人口の急増に対する食糧の全てを台湾の生産だけで賄った訳ではない。こ

のような人口急増に対処してアメリカは食糧・衣類はもとより肥料をも含めて

緊急援助を自立の目途が立つまで続けた。しかし、農民は農地改革で農地所有

が出来たことによって、戦時体制下での政府統制による糧米の調達、農地の1

0年割賦返済という重圧に耐えて、アメリカ援助の中に含まれている生産資材

(肥料、農薬等)供給を受けながら農業生産技術や品種改良にも積極的に取り

組み、生産性を上げ、当時の食糧需要に応え、戦前の生産水準を回復した。こ

こに国民の自由意志に基づく経済活動の源泉を見る事ができる。

②当時の政府の政策である米糖農業を中心とした外貨獲得面で大きな役割

を果たし軍事体制、工業化政策展開を支えてきた。

当時、米糖の輸出は年間約1億ドルで、これは丁度当時のアメリカの援助額

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にも匹敵する金額であった。しかも、アメリカの援助が固定されているのに対 し、米糖で得られる外貨は自由裁量が利く分だけ政府の政策展開の源資として 重宝であった。というのは、これを似って当時は生産財を輸入し、輸入代替産 業を起こす事ができ、工業化への素地をつくる事ができたからである。 また、軍事財政を支えたという点では、1951年から65年までの15年 間に、総生産の30%に当たる1,050万トンの米穀が徴収・集荷され、そ の内、70%が軍用糧抹及び公務員食糧に供出されている。このような観点か らするならば、農業は当時の軍事体制のかなりの部分を支えたという事がいえ るし、そのぶん商工業者の税負担を軽減したことにもなる。 ③1960年代から工業化が進展し、工業化への労働力供給源の役割を果 たし続けてきた。 先にも見たように復興期の台湾は農村社会であった。従って、当時の労働力 は農村部が吸収していた。このような経過で一時期は約100万人の過剰労働 人口が農村部に滞留していたといわれている。このような状況を反映して労働 集約型の輸入代替産業である食品加工、繊維、化学産業、その他日常雑貨を主 とした中小企業は農村部の低賃金を当て込んで農村部に立地する傾向が多かっ た。しかし、外資が高雄加工特区等に集中し、関連企業が大都市に集中するよ うになるにつれて農村部の過剰人口も次第に都市部へと集中しはじめた。 ④当時の地主層に払い下げられた官業四大公司(セメント、製紙、林業、 鉱業)はその後の民間企業の発展の担い手となっていった。 官業は当時最大の糖業をはじめ肥料、ソーダ、石油、アルミ、機械、船舶、 塩業といった曰本資産を引継ぎ、基幹産業部門を独占的に抑えており、民間企 業はそれ以外の食品、繊維、セメント、製紙、農産品加工といった周辺産業分 野しか企業活動の余地は残されていなかったが、当時の国内需要を賄い、輸出 余力を持つまでにいたり、外資との結びつきを強めながら輸出を拡大し、輸出 主導型産業の下地を築いていったのである。 以上のように、農業部門の発展は工業化への下地の役割を果たし、スケープ ゴートとなり消えて行くのである。 その消長を示したのが表1-1である。 -61-

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表1-1農産品輸出入の推移(1952-89年) (100万ドル,96) 額 輸 金 入 一 対総輪入比 輸出入 収支差額 67 66 79 154 376 1,244 3,090 3,381 5,881 1952 55 60 65 70 75 80 85 89 114 124 121 260 310 909 1,877 2,108 3,545 580871594 0●●●●●●●● 521717965 997521 151779793 ●●●●●●●●● 240740561 333222111 454063173782665336 1△型皿皿叩 △△△ 資料:行政院農業委員会編『中華民国農業統計要覧』1990年度,31頁.(出典:同委員会編『農 産貿易統計要覧』) 戦後、台湾の農業は戦前のピーク時の半分にまで低落していた。しかし、戦 後急速に回復し、52年にはほぼ戦前のピーク時のレベルにまで回復し、その 後は年平均5.5%の持続的な成長を遂げている。 この表が端的に示しているように1952年代は台湾の伝統的な糖業を中心と する農産物の輸出が輸出額の95.5%を占め、輸出入収支の面でも黒字を生 み出しているが、工業化の進展と反比例するように急速に輸出の割合を落とし、 70年代には農産品の輸出入収支は赤字に転じ、その後は急速に赤字幅を広げ、 完全に農産物輸入国に変遷してしまっている。 2)アメリカの援助と自助努力 国民党政権が敗走して台湾になだれ込んだ時期、アメリカの共産圏封じ込め 政策という政策転換は台湾の窮乏の危機を救った。前述したよう国家体制、そ してそれらの家族、軍隊の短期間の流入に伴う食糧、住宅、その他の需要は、 いくら肥沃な土壌を持つ台湾といえども対応出来るものではない。そこでアメ リカの緊急援助が始まるのだが、台湾の場合、このアメリカの援助を無策に享 受していたわけではない。この当時の最大の課題は食糧を中心とする生活物資 -62-

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の自給体制の確立であったから、アメリカも援助物資の中に肥料、綿花を含め、 農業の生産性向上の為の技術移転に努めた。このような援助国の政策意図が思 惑どうりに展開されたのも前述の農地解放によって農民が生産意欲を高め、自 発的に技術移転に取り組み生産性を高めていったからである。この辺に農地解 放による農業部門の民主化・近代化の効果が窺える。これは大戦後、植民地支 配から独立した国々が軍事政権の下で社会の民主化が進められず、軍事政権の 独裁が続き、古い社会体制を引きずり、自助努力を欠いたまま援助の取り組み だけに専念している実態が多い実状とは対照的である。 ちなみに、フィリッピンにおいてはマルコス独裁体制が長年続き、先進国の 援助を受けながらも私服を増やす事こそすれ、国内の民主化に手をつけなかっ たために、公用語を英語とするほどアメリカの影響を強く受けながら、後進性 を囲って今だに発展の糸口を見いだせないままに低迷していたのはその典型と 言える。その後、アキノ政権の登場によってマルコス体制は崩壊し、フィリッ ピンにも民主化がもたらされるのでは、という時期が持たれたがくアキノ大統 領自身が大地主出身のため、ついに農地解放を行わないままに退陣している。 このような状況を見ると、フィリッピンの経済発展はまだまだ先のように思え てくる。 これに引換え、台湾の場合、混乱期の苦境を乗り越え、農業分野では前述し たように52年にはすでに戦前の生産水準を回復し、その後58年までの長期 にわたり年平均5.5%の持続的成長を遂げている。これは極めて驚異的であ り、曰本を含め、他の発展途上国においても希にみる記録とされている。 また、アメリカは援助項目の中に「教育」と言う項目を設け、多岐にわたる 近代的なエンジニアを中心とするテクノクラート、経済プロパーのピュアロー クラートその他の近代化に不可欠な人材を育成した。そして、これらの人材が その後の台湾経済発展に果たした役割は大きい。当時の台湾は、農業分野で自 給率を高め、繊維産業が国内需要を満たし、輸出余力を持つまでになってはい たが、55年~56年代は国民所得は最貧国の150ドル台で、製品を輸出し、 外貨を獲得し、生産財、生産設備を購入し、工業化を進めたくても、産業は幼 稚で、安価な労働力をもってしても台湾の製品は品質的に国際競争力を持つよ -63-

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うな段階ではなかった。このような段階で経済発展の為の工業化を押し進める ことは到底不可能である。というのは工業化を進めるためには前述したように 労働、資本、技術そして市場が不可欠だったからである。いわば物無し、金無 し、技術無しの無い無いづくめの状況だった。 このような段階で、にわかに高度な技術と資本、そして雇用機会をもたらした のは「外資導入」であり、これを画策し、展開したのは、外ならぬ上述のテク ノクラート達だった。この「外資導入」によって台湾の工業化への基盤は一挙 にビルトインされた。これが明確に工業化の出発点になっている。 3)外資導入 外資導入政策は、戦後の混乱がおさまり、復興に向けての1953年の「第 一次経済建設計画」実施当時、良質・低廉で豊富な労働力を持ちながら資本と 技術を欠いている国内事情と、長期的に安定成長を持続している世界経済が国 内賃金上昇の圧力から、多国籍企業が生産部門を賃金の安い海外へシフトする 機運が出始めていた海外事情を結びつけようという画策であった。外資導入策 としては華僑帰国投資条例、外国人投資条例、投資奨励条例と技術提携条例の 四つで、これによって法的に外資に対する各種の特恵および保障を供与した。 これらは税制面での減税、工業用地取得についての優遇措置を含めたもので、 グローバルに展開している多国籍企業にとっては十分にメリットのある条件で あった。そのためアメリカ、日本の企業をはじめ各国企業は台湾への進出を始 めた。 この外資導入の成功によって、台湾は他の発展途上国を後目に飛躍的に工業 化への基盤を固め、経済発展のスタートを切ることが出来たのである。これは 韓国に先んずること10年も早かった。これはまた、当時の最先端の技術を装 備した先進国諸国の多国籍企業が進出してきたのであるから、その進出形態は さまざまであるが、それのもたらした雇用効果を含めた資本および技術移転の 効果は極めて大きい。 -64-

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この辺の状況は次の表を一瞥しただけでも窺えよう。 表1-2時期別外国資本進出の推移(1952-90年) (100万ドル,96) 外国人資本の内訳 アメリカ 喬本 パEf本ヨーーロツ その他

TiT

計 952-63 64-73 74-85 86-90 1986 87 88 89 90 45 (100.0) 770 (100.01 3,170 (100.0) 7,313 (100.0)

鑑 熟

3675 3880 123

ili

73 1,024 4,062 8,092 4851 1844 1964 1 189 1,746 1,536 2,302

LIll

706 (100.0) 】,223 (100.0) 1,061 (100.0) 2,241 (100.0) 2,082 (100.0)

I3fijl

399, (32百6) 432 (40万) 641 (28.6) 827 (39.7)

灘I

64041 57656 q10P 夕 206 363 438 478 376 88 207 212 233 179 56170 69272 1112 07905 81878 1 770 1,419 1,183 2,418 2,302 60781 88246 24554 注:1.件数の集計に不一致があるが,その玄主にした. 2.金額と(%)は四捨五入により末端の数に1の誤差がある. 資料:CEPD,Taim口冗SZaZisZicaZDaZaBooA,1991,pp、264-266. これによると、これまでの総投資金額は133億ドルに達し、投資件数は曰 米を中心に5,700件を上回っている。この総投資金額の133億ドルはイ ンフレ率を度外視し、十大建設の58億ドルとくらべても2倍以上の金額であ り、これだけの資本が工業化の分野で投資されたことになる訳であるから、他 の発展途上国に工業化への過程で優位に立った事は明らかである。 また、投資件数を各国別に見ると、日本、アメリカ、ドイツ、イギリス、オ ランダ、スイス、フランス、その他と主要先進国が進出しているが、日本とア -65-

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メリカで85%近くを占め、実質的にはアメリカー日本一台湾というトライア ングル貿易構造の基礎を浮き彫りにしている。 さらに、進出企業単位あたりの投資規模を見ると、アメリカ系の企業はその 規模が大きいのに対し、日本企業の規模は相対的に小さくなっている。これは アメリカ系の企業が低賃金労働だけをあてこんで生産基地の海外移転という限 定した戦略で進出してきたためである。従って、アメリカ系企業進出形態は装 置系資本集約型でワンセット型になっている。これに対し、日本系企業の場合 は単独出資と合併形態の二つのタイプがあり、特に最初は現地資本との合併形 態が多かった。その背景には市場動機の相違があり、アメリカ系企業が製品の 本国への逆輸出を専らの狙いとしているのに対し、日本企業の場合は現地生産 と同時に現地市場開拓の戦略をも意図しているからである。このため日本企業 の場合は大企業だけでなく、多数の中小企業が進出しており、現地資本の大企 業及び中小の企業とも提携している。このような点から云えば、日本の企業は アメリカ系企業に較べ台湾工業発展に与えた影響は大きなものがある。 次に、これまでの進出企業の業種を見ると、電器電子969件、化学686 件、機械設備442件、金属395件等と、在来型の国内需要を中心に成長し ているプラスチック、紡績、食品飲料、非鉄金属といった輸入代替型産業とは 明らかに異なる外需志向の新たな業種が圧倒的に多い。これは進出企業の都合 に基ずく結果であるが、これがまたその後の台湾の工業化の方向を規定した。 さらに注目に値するのは、年を経るに従って曰本の企業進出が増えてきてお り、プラザ合意がもたれた85年後は圧倒的に日本企業の進出が多いという事 である。このことからも最近は、台湾の工業化が進展するにつれて技術面で日 本に依存する傾向が強まって来ており、対アメリカの貿易量が増えるにつれて 日本からの資本財、生産財の輸入が目立って増大しており、日本に対して貿易 不均衡是正対策が産業構造改善の観点から緊急の課題になっている。 以上のように、外資導入の成功は台湾は国際収支を改善し、対外経済関係の 強化、就業機会の増加、工業基盤・生産技術の引き上げ、海外市場開拓等の分 野で大きく貢献した。 -66-

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4)産業構造の変遷 台湾の経済発展は工業化とその工業製品の輸出によって支えられてきた。次 の表がそのことを如実に物語っている。 表1-3国民総生産と産業構造の推移(1952-90年)

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。■二・コ 〒番佐駆 合計 (千人)合計(% 注:1.1952-65年の1人当りGNPは,当年価額GNPと人口,対ドル為替レートで算出した. 為替レートの変化のため1960年の金額が1955年より低く,また,1989年は1985年に比ぺて 急増している. 2.産業の第1次部門は農林水産牧畜案,第Ⅱ次部門は鉱工,建設,電力ガス水道案,第Ⅲ 次部門は商業,金融,交通運輸,その他サービス業を含む. 3.工業化率とは純国内生産に占める製造業の割合である. 資料:1.EconomicPlanningCouncil,Taizua元SZatjsZicaZDaZaBooA,1975,p、66. 2.CouncilforEconomicPlalmingandDevelopment(CEPD),Tα伽α刀 SZqfi3Zicα/DaZaBooA,1991,pp、15-16,41,213. 3.CEPD,〃。…ryq/F「BeCノM2α,VoLLXXIV,No.6Decemberl990,pp、40-41,48-49,andVoLLXXVNo、lJanuaryl991,pp、6-7. 表1-3は1952年から1990年までの人口、-人当たりのGNP、国 内産業の産業部門別構成、工業化率、就業構造および輸出に占める工業製品の 割合等の推移を5年間隔で示したものである。これによると人口は約50年間 で813万人から約2,000万人と約2.5倍に増加している。一方、GNP は52年の170億元から90年の4兆3,510億元と約256倍と飛躍的 に増加した。そのため-人当たりのGNPも52年代は136ドルと最貧国並 のレベルだったものが、90年には約8,000ドルと中心国の上位レベルに -67-

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人口 (万人) GNP 当年価 額(10 億元) 当Nル9 人GF算脚 1りP換く 園内総生産の産業 部門別櫛成 (%) 合計 I Ⅱ 、 工業 化率 (%) 就業人口の産業部門別構成 総人数 (千人〉 櫛成(%) 合計 I Ⅱ 、 38938 10766 89024 5 1 6 1 8 7 66 23 90 7909099 1111112 702 136 2 1 1 5 2 2 1851 8695 5433 979 124 6342 3542 1112 94470 86499 39329 900 237 000000000 □●●●●●●●● 000000000 000000000 111111111 215657782 ●●●●●●●●● 298352754 322211 729289833 0●●●●●●●● 936069562 122333444 176274695 ●●●●■●●●● 874677673 444444445 961329061 ●●●●●●●●● 259290674 111223333 914755542207672428 983361783 999990909 233345678 000000000 ●●●●●●●●● 000000000 000000000 111111111 162574559 ●●●●●●●●● 630660972 555433111 905309449 ●●●●●●●●● 680284210 112223444 043237113 ●●●●●●●●● 789154816 222333344

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まで増加してきた。これらは専ら工業化の進展と輸出拡大によってもたらさ れたものである。このことは輸出に占める工業製品の割合が、52年代には 8.1%と一桁台だったものが早い勢いで増加し、90年代には95.5%台に までなっていることからもうなづける。 また、そのことを裏付けるように国内産業も構造的変化を遂げながら飛躍的 に発展した。復興期の国内食糧需要を満たし、砂糖の輸出で外貨を稼いだ農業 部門は次第に衰退し、国内総生産で見ると65年には2次産業とその割合を入 れ換えており、以後2次産業部門がその比率を高めている事から、台湾は65 年を似って農業社会から工業化社会へと転身した、と云える。そして、産業部 門別就業人口も産業の構造的変化と符合する形で変化している様子が読み取れ る。 また、同時平行してサービス部門の増加が見られ、脱工業化社会あるいは先 進型社会への移行の徴候も窺える。

しかし、この事が必ずしも先進国並の産業の高度化を意味しない注:2、と言

う所に今後の台湾の工業分野の問題が残されている。 台湾の工業化の過程を見る場合、特徴的なのは官営企業と民営企業との二重 構造である。官営企業は戦後の日本資産を独占的に接収し、金融をはじめ、糖 業、肥料、電力を基幹産業の柱に据え、主要な産業を抑えていた。従って、民 間企業はこれ以外の民需部門の食品、農産物加工、衣料、曰常雑貨等の生産分 野しか残されておらず、企業形態も極めて零細な状態からのスタートであった。 せいぜい大陸から流入してきた紡績、官業払い下げによるセメント、製紙、そ れに在来の食品加工を主とする企業が中小企業の態をなす程度であった。 ちなみに、54年度の商業統計によると官営企業は52社で全企業件数の 0.1%を占めるにすぎないが、資本額では約6割を占めている。一方、民間 企業は企業件数で99.9%を占めているのに資本金額では4割を占めるにす ぎない、と言う状況であった。 出発点はこのような状況であったが、民間企業は外資の進出等の工業化の進 展の過程で、進出企業との合弁や技術提携を通して技術のビルトインを果たし ながら、国内市場を満たし、提携企業を通して海外市場を開拓して輸出産業へ -68-

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と成長を遂げていったのである。この間、糖業、肥料、電力、紡績及びセメン トは政策的に優遇処置を受けながら成長をして来たが、それ以外のあらゆる分 野で民間企業の飛躍的発展が見られた。次の表はその状況を示している。 -41954年と1961年の業種別資本形成状況 (100万元) 表1 (%) (100.0) (28.7) (3.3) (3.8) (15.1) (1.6) (4.6) (0.7) (3.0) (1.4) (0.3) (1.0) (13.1) (3.0) (5.9) (3.3) (2.6) (1.5) (2.2) (3.4) (1.6) 計 在庫 固定資産 5,800 29,539

計(燗潅)

食品 飲料 夕ハコ 紡按 靴・帽・服 製村・竹木 家其装飾 製紙 印刷装丁 皮革 ゴム イヒ学 石油 非鉄金属鉱物 一次金属 金属 概械 電機 輸送機器 その,他 2,082 7,990 3,718 21,549 34996958708414294614 ● ●●●● ●● ● ● ● ●●● ● ● ● ● ● ●■ 55447572444554583474 1 2364871731185878091427755431769723913717 9074213250202890912869137912867051373418 541921954231314 27818481971551914 ,0 09 0 0 0 9 18 14 1 1 3 1 679 1,788 42 271 96 664 327 1,386 19 68 103 467 10 23 87 240 30 93 12 34 14 103 274 958 48 318 115 300 101 391 22 190 44 159 17 230 25 241 20 65 3543234143815508069084377681657784218612 113735043314161662549472792875105240092 961614613181383 148152555133174 0 0 0 0 6 3 2 1 6,811 768 889 30596 348 1,087 163 711 329 63 235 3,118 719 1,408 779 628 361 532 814 376 注:1.名項上段は1954年=,下段は1961年のそれぞれの数字. 2.倍率とは1954年の数字に対する1961年のそれの増大倍数を示す. 3.貨幣値は修正せず,当年の貨幣値のままで表示した.なお,貨幣値を物価指数で比較し てみると,1954年の物価指数を100とすれば1961年のそれは183である.したがって,実質 倍率と実質増額は表示された数字のほぼ55%程度とみてよい. 資料:1.台湾省工商業普査執行小伍編『台湾省エ商業普査総報告(1954)』1956年。38-45頁. 2.同『中華民国台湾省第二次エ商業普査総報告(1961)』第三冊,1962年,2-11頁. -69-

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先ず、金額でみると食品の68億元、紡績の36億元、化学の31億元、次 いで非鉄金属鉱物の14億元、製材・竹木の11億元が目につく。これはいず れも国民生活の安定と向上に伴って、衣食が満たされ、家具、調度品その他生 活必需品がプラスチック等の石油化学製品で生産され、需要を満たして来てい る状況を物語っている。 次いで、資本形成の増加倍率を見ると、各産業とも軒並みに飛躍的発展を遂 げている様子が窺えるが、ここでも分かるように電機の14.6倍を筆頭に金 属の8.9倍、輸送機器の7.1倍等と、次期主役を担う産業の萌芽が現れてい る事は注目に値する。というのは、このような下請け産業の成長が特に曰本企 業の進出の前提になっていた事を考え合わせると、この分野の産業の台頭は重 要な意味をもっている。 その後、海外要因として、多国籍企業の進出、IMF・GATT体制下での 貿易の自由化、ベトナム特需等に支えられ、内部要因としては、低廉で良質な 労働力、戒厳令下での使用者側の有利性等に支えられて、中小企業群は輸出産 業の主役を果たしつつ飛躍的発展を遂げてきた。次の表にあがっているのがこ ういった企業群であり、官営企業に匹敵する企業も幾つか出現するまでに至っ ている。 また、各種企業を含めたある程度のグループ化、系列化も進んでおり、大企 業への進化も見られる。台湾プラスチック(プラスチック、化繊)、霜園(保 険、信託、リース、食品、建設)、台南紡績(紡績、セメント、食品、建設、 貿易)、祐隆自動車(自動車、紡績)、遠東(紡績、セメント、デパート、運 送)、新光(保険、紡績、化繊、ガス)、大同(家電、電子、電器、通信機材) 、永豊(製紙、化学、機械)等がその代表であり、南亜プラスチック(411 位)と大同(473位)は世界トップ企業500社に顔を出している。(19 88年) しかし、これらの企業群は金融資本を持っていないと言う事で、日本や韓国 の企業グループと決定的に異なった特徴を持っている。台湾では制度金融は官 業によって独占されているために金融資本が育たず、資本主義市場経済として はいびつな経済を強いられている。しかし金融は経済活動の血脈であり、民間 -70-

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企業は自然発生的に自力で非制度金融を醸造しながら、国民の活力によってこ

こまで成長を遂げてきた。ここにも世界のエコノミスト達が注目する由縁があ ろ。

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表1-5台湾の輸出企業上位100社(1986年) (100万元) 位 Ⅱ234567890 1234s67890 1234s67890 1234s⑧了Bq 11111111ⅡZ 222Z222Z23 33333333角 癩 率 42053543020019267401060089005574807000愛 比aqqa44a証qaqqaa4aa弘q正弘a4q弘a0Qaqaaaq征aQq正 sz0g6362o900873190089990370873280038009 1 1 11 1 1 1 1 1Ⅱ 出 輸 i且車妨劇MR 南ヨ匝塑露エ乗 台湾英国無6忠良矼 亡了湾飛禾U癩璽元冠子 牛、輿紡繊 大同 台湾飛詞1桐W冠子 倉了潤リイヒ学圃禽鰹 台潅5F吹函ロ王冠恩8 台i湾王安泪毬瞬 go76B BD531 8.147 7,340 7,267 6,810 6,250 9 8C O 20 3 0C D ■0 6 s5 亡『潤『毎 台湾ヌ函用g騒 交鑓K頭;躍 置『元絨i 窪『湛図松下冠 台嗣零日a歴エ 宝感とエ 台湾有力河[ 自国吉多冠 ヲE梁 智材外織器栗桑子瞬連 40682 4063s 4,255 40034 3077, 3.429 3,427 3,42, 4,056 3,814 虐了泥;夕后鱈f 全量Z旬[子エ割匡 巨大観$皮エ乗 さ『湾率納禾11電子 〕種元愈槌■ 酸沙11 台湾i凶6カF智 1台芳食品エ劃佳 日辰承]秤V密紡旧MQ 奇蘂§廷桑 3.104 3.011 2,988 2.985 2.832 Z,755 2,697 20689 2,650 2.744 宝麗子垂鰹乗概子嚢

電『

》毒一一一蕗一一

戸宏済台釿瀕白声声 2,624 2D619 ZD563 a44g ZO3g7 2,546 2.320 ZD260 a2S4 5048oz7305 9073059585 2038059503 0 0 1234567890 s 4 4444444445 裾ヨ冠僧虜3男上 台M臼稚脚リエョE 華新函麺KnE憾冠氏 中国p健一裂衣ル覆 欣NHL企到E 正釘テ槌【摩エ引住 注『湾t墨力日 豊群zK国f 自巴牢エ劃[ 台湾三脚占冠偲巴 2.143 2,131 2,105 zoOg7 ZDO75 Lg67 2.080 2,005 1,046 10874 j、 田十 51-100 外声系11t'二 管守 ロ十 l-10C - (%) (100.0) に5-9) 注:会社名は中国語の固有名飼で表示. 安料:中華徴値所『中率民国企乗排名Top500』1987年匹魅ビ.92-93頁. -72-

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(2)産業高度化の課題

台湾の経済社会も成長し、成熟化するにつれて必然的に困難な問題が内部か ら生じてきている。先ず、経済が発展し、国民の所得つまり賃金が上昇するに つれ、これまでの労働集約型産業分野での国際優位性が崩れて来ていると言う 事である。また、国民生活が豊かになるにつれて、国民の教育レベルも上昇し、 公害問題、環境問題に対する意識の高まりから、公害を出すような装置系産業 の立地が次第に困難になってきている。 他方、政治的には民主化の波が高まり、長い意味では社会全体が民主化の方 向へ進んでいる事から好ましいものの、一時的には政治の混乱が経済活動にも 好ましからざる影響を与えかねない。 さらに、外部環境としては世界経済が長期停滞期に入っており、アメリカを 中心とする先進国が輸出のインバランスの是正を求めて市場解放、元の切り上 げを迫って来ている。 このような中にあっても深刻なのは、飛躍的な工業化の発展が成されたもの の、見かけより工業化の発展を主導してきた産業分野の高度化が進んでいない と云う事である。 この事は700億ドルという膨大な貿易黒字を累積しながら、これらの資金 が工業の持続的発展に不可欠な自主技術開発や生産性向上のための投資に廻ら ず、つまり工業発展の原動力である拡大再生産のメカニズムが産業分野に定着 せず、株や土地投機に集中し、バブル経済の温床になっている事に集約される。 ここではこの辺に焦点を当てて今後の課題を検討する。 1)紡績アパレルと電器電子産業 台湾の輸出品目の大宗は紡績アパレルと電器電子関連である。この2業種が 1970年代~80年代の輸出全体の4~5割を占めてきた。次の表はこの2 業種の輸出依存度の推移を表したものだが、双方とも輸出比率を高め、特に紡 -73-

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績アパレルは6割台を輸出に依存している。しかし、電器電子も89年には輸 出額で紡績アパレルを上回りs相対的に輸出額を拡大している。この事からも この2業種が輸出を主導してきたことが分かる。 表2-1主導工業部門(紡績、電子)の輸出依存度 (100万元,96)

雨『一声等ifih=t-蔬砺ト室蘆壷-f蒜子

輸出比率 11.0 26.9 58.6 48.9 64.4 42.6 44.1 2,206 6,484 39,235 61,398 172,061 239,055 272,271 22.7 34.9 66.1 62.3 73.2 58.4 60.2 1,824 11,467 33,335 57,528 191,712 428,720 718,544 200 3,080 19,538 28,132 123,470 182,692 316,986 9,732 18,573 59,337 98,489 235,092 409,669 452,336 4825059 6677888 9 1 資料:】・経済部統計虚鰯『中華民国台湾工業生産統計月報』110号,1978年11月,74-79頁,同 160号,1981年12月,83-86頁,同258号,1991年2月,174-183頁. 2.CEPDI刀。…ryq/゛舟eeCAj〃α,Vol、XXXVNo、1Jan、1971,pp、145-147; Vol、LmNo、2Feb、1980,pp、158-162;VoLLXINo、1Jan、1984,pp、 170-173;Vol、LXXVNo2Feb‘1991,pp、70-73. 3.CEPD,Taizua刀SZaDj3〃cqZDa2aBooA,1990,p、212. ここで簡単にこの2業種の発展過程を概観しておく。先ず紡績は1960年 代の繊維、セメント、雑貨等を主とした既存工業の輸入代替から輸出指向へと 転換してきた地場産業にその源を持つ。これは当時日本の塩ビ、化繊プラント の増強による原料供給能力の過剰傾向、日本国内の賃金の上昇、円高傾向等の 圧力から、日本の繊維メーカーには海外市場拡大と低廉労働を求めて海外へ生 産基地をシフトする機運が高まっていたが、台湾がその受け皿の役割を果たし ていたのである。日本の繊維メーカーは既存の繊維産業や関連の中小企業と合 弁、技術提携を通して化繊原料を持ち込み、加工して合成繊維の台湾市場を開 拓すると同時に、アメリカ市場へ輸出していった。つまり曰本の高賃金を避け、 台湾の低賃金を活用して加工し、アメリカ市場へ輸出するという流れをつくり だした。この過程で台湾の繊維産業も化繊の加工技術をビルトインしながら、 この流れに便乗してアメリカ市場を開拓していった。従って台湾の繊維産業が -74-

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成長するにつれ化繊原料の日本からの輸入は拡大してゆく、と言う構造になっ ていた。このような状況を受けて1970年代に入ると、十大建設が行われる が産業部門の強化策として石油化学コンビナートが建設され化繊原料の供給体 制を整えた。この事により、台湾の化繊産業は原料供給から加工生産、輸出体 制をも含めた一貫体制が形成され、製品も綿紡一合成繊維一化繊一アパレルと 市場のニーズに合わせて高級化を進め、一層国際競争力を高めることが出来た。 そのため輸出の割合に於いては次第に電器電子産業に主役の座を譲っているが、 今なお大きなシェアーを維持している。 しかし、この事によって石油化学プラントを頂点とする化繊産業やプラスチ ック加工産業が台湾の地場産業として根付いたかというと、そうは言い切れな い。石油産業は戦後に石油化学分野での高分子化学の技術革新で、化学反応の 誘導の仕方によってあらゆる物資・素材が創り出される所に革新的な大きな特 徴がある。その主流が今の所、ガソリン、軽油、重油等の燃料であり、化繊で ありプラスチックというわけだが、その生産ラインがまた画期的で、徹底した システム化・合理化とスケールメリットの追求と言うコンセプトで造られてい るため、その生産形態は典型的な技術集約型・資本集約型の巨大な装置型産業 になっている。 この出現は在来の化学産業に取ってはその化学技術レベルの高さと言い、生 産様式の規模と言い、資本の規模と言い追随を許さない、まさに圧倒的な技術 ・産業文化をもった巨人の出現にも似ていた。そのため在来の化学産業が食い つく余地はなく、曰本でもこの新しい石油化学産業は住友、三井、三菱等の1日 財閥系の化学資本の巨額の資本の調達によって導入されている。この様な事情 から、ある専門家は「日本の化学工業は借り物の工業である。化学コンビナー

トは技術者が作ったのではなく、銀行屋が作った」…とさえ云っている。

この様な事情は台湾も似ているものと思われる。極端な言い方をすれば、こ の石油化学プラントは巨大な装置だが、前述のコンセプトで出来ているので原 料の投入から製品の産出までがワンセットになっている。そのため、金さえ出 せばプラントの建設が出来、それをオペレートする技術者を養成すれば生産が 開始される。つまり、後述する電気産業や機械産業のように下請けや部品が調 -75-

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達出来る産業の成熟を前提としないのである。この様な事から金さえ出せば、 どこの国でも石油化学産業は出現する可能性があり、資本が豊富な企業であれ ばどこの国へも進出出来る可能性がある。前者が最近のASEANの動向であ り、後者が台湾プラスチックの動向であると言える。 曰本に於いても石油化学産業の発達につれて巨大な石油化学コンビナートが 出現したが、国民の公害に対する意識の高まりから国内での新規の増設は難し く、60年代から台湾や他のNIES諸国に生産基地を求めるようになってき た。これは国内の公害排出基準が次第に厳しくなってきているため、大気汚染 防止のための脱硫装置や水質汚染防止のための設備投資を余儀なくされ、企業 採算ベースを割る傾向が出てきたからである。 台湾でも今や公害に対する意識は高まっており、化繊、プラスチック産業の 発達でエチレン等の原材料の需要が高まってきているにもかかわらず、林園石 油化学コンビナートの建設は住民の反対運動によってストップがかかる状況が

生じており、台湾の石油化学産業も厳しい企業環境に直面塗:‘している。

以上のような事から石油化学産業は、①発展途上国の追い上げによる競争力 の低下、②公害意識の高まりによる企業環境の悪化等により産業の鈍化を余儀 なくされる状況にある。ここに石油化学産業に今後を期待する限界がある。 ここで問題は、工業発展が技術の積み重ねによって次期の新しい技術が生み 出され、これがまた新製品を生み出す種になり、商品化の生産技術が生み出さ れて行く、という工業発展のメカニズムに従った観点から見るならば、借り物 の技術とはいえ、長年産業として定着してきた分野において技術の定着と集積 があることが望ましい。 日本の場合、エレクトロニクス、自動車、機械産業では欧米と較べても抜群 の競争力を持つまでになっているが、化学工業分野ではかなりの差があると云 われており、この差はそのまま企業規模に現れている。 -76-

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表2-2世界化学会社ランキング(1979) (単位100万ドル)

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(出所)ChemicalAgeoFbrtune,一郎NRIで悠正. 欧米では一般的に鉄鋼、電気、自動車、機械、光学等は軒並みに日本の企業 に遅れをとって停滞しているが、化学工業だけは曰本企業の追随を許していな い。特に西ドイツはトップランキングの一位から三位までを独占し、化学工業 分野での圧倒的な競争力を誇っている。アメリカでも他の産業が停滞する中で デュポン、ダウ・ケミカル、UCCなども活気を失っていない。その他、イギ リス、フランス、イタリア等の化学工業は曰本の大手二社と較べても3~5倍 の売上高である。 欧米がこのように化学工業分野で強いのは曰本のように全体とのバランスを 重視する国と違って、個人の多様性を重視する風土が化学の研究に適している からである、とする見方が強い。特に西ドイツが化学産業に強いのは、「そも そも化学という学問がドイツ人に向いているためと考えられている。物質を徹 底的に分析し、分類し、一つの体系を作って行くのを最も得意としている」と いうのである。有機化学の出発点になった「ベンゼン分子」の亀の甲型分子模 型を考えだしたのもドイツのケルクであり、高分子の構造を考え出して合成繊 維の端緒を開いたのもドイツの科学者シュタウデインガーであった。第二次大 -77-

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戦前のノーベル化学賞の受賞者はドイツが全受賞者の四割を占めており、人数 で見ると16名で、次いでイギリス6名、フランス5名、アメリカ3名であっ た。 化学という学問は、個人的な色彩が強い学問だと云われている。-つの物質 を長年にわたってこつこつと執念深く追って行くのが化学研究の基本的な性格 である。こういった諸々の事を考え合わせると、化学という学問も、それを基 礎とした産業も個人主義的色彩の強い欧米の風土に向いている、と言えそうで ある。 それでは所詮、化学産業は曰本に於いては“借り物”で終始するのか、と言 う懸念が起きるが、50年代からの借り物の化学・技術をペースに改良・向上 を重ねて来て、品質の高度化、技術開発に於いて欧米先進国へ技術輸出できる 分野もでてきている。高分子の関係では、炭素繊維、エクセーヌ(東レ)、感 光性樹脂(旭化成)、イオン交換膜(旭硝子)、クラリーノ(クラレ)、二軸 延伸フイルム(東洋紡)等がそれである。 曰本には個人の頭脳から生まれる革新的な発明や発見は少ないが、このよう な革新的な発明や発見を基礎とした積み重ね、改良等による高度化、高品質化、 製品化、量産化等と云った分野では得意なものを持っている。この辺が日本の 科学・技術の得意分野であり、アンデンティティーと言える。 また、石油化学プラント等は公害への意識の高まりの中で、その最前線に立 たされた分野だが、「公害反対」という圧力に屈して国内から生産部門を撤収 し、全て海外へ生産基地を移したかと云うと、そうではなかった。既存の生産 部門は国内に踏みとどまって、公害防止技術を生みだし、公害防止の為の追加 設備投資を続けながら、上述の新製品の開発を重ね、存立基盤を確保してきて いる。そしてこの過程で生み出された公害防止技術は今や世界のトップレベル である。これなどは、これまでの日本経済は外圧によって強くなってきたと云 われているが、こういったミクロの分野の積み重ねの結果だといえる。 以上は後発の利益を活用してきた日本の化学産業の過程だが、20年遅れて 石油化学プラントを導入した台湾の石油化学産業も、日本企業が取った企業行 動をとるものと思われるが、果たしてどうだろうか。 -78-

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総合的に見ると、台湾の石油化学産業の動向は ①資金力さえあれば、石油化学プラントの発注は買い手市場であり、その建設 を受け入れる国がある。この事は海外市場開拓にもつながる。②繊維産業が発 展途上国の得意分野でASEAN諸国、中国、その他の東南アジア諸国からの 追い上げが厳しく、輸出実績が鈍化傾向にあり、将来の期待が薄い、③国内に 賃金の上昇、公害反対圧力が高まりつつあり、公害防止装置に資金をかけては 企業ベースに乗らない。④この分野での技術の定着が少ないため、賃金高、公 害防止装置への投資を上回る程生産性を高める事が出来ない。等の事から、生 産基地を東南アジアや中国大陸に建設する傾向がある。 この変わり身の早さは、この分野での生産技術、生産設備、研究開発投資を 通して拡大再生産の方向を志向する産業資本というよりも、時流に乗って短期 間で効率的に利益を追求する、という商業資本の本質を現わしている。 この様な事から、今後とも台湾の石油化学産業は、海外投資の形でアメリカ、 東南アジア、中国大陸へ進出して行くものと思われる。 しかし、この分野の技術定着が少なく、生産基地の海外進出が進んだ場合、 国内に産業の空洞化と、それによって引き起こされる失業の増大という問題が 出てくる可能性がある。ここで、これまでの商業資本的性格の産業が、本来の 産業資本的企業行動を取る為の誘導策が課題となろう。 2)電子産業 電子産業は完全に外資の進出によってもたらされた。従って台湾の電子産業 も外資との合弁や技術提携等によって設立されたものが多い。そしてこの場合 も、欧米の企業がワンセット方式や委託生産方式の形態を取っているのに対し て、日本からの進出企業は台湾での市場開拓をも兼ねた合弁、技術提携方式を 取っているのが多く、数の上ではこちらの方が遥かに多い。これは機械、家電、 自動車、自転車部品等の関連産業に於いても同様である。 電子関連の外資の品目を年代別に見ると、60年代には白黒テレビ、トラン -79-

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ジスターラジオの組立加工が中心で、主に輸入代替的段階であった。 そして70年代にはカラーテレビ、テープレコーダー、電卓に変わるが、こ れらの大半は輸出に向けられた。 また、この頃から電器電子産業が石油ショック後の重化学工業の低迷に代わ って、FA、OA、HA化の世界的需要の拡大の波に乗って飛躍的に生産、輸 出を拡大し、20年来台湾の輸出のトップを占めていた繊維製品に入れ替わっ て輸出の比率を拡大した。 80年代には従来の品目に加えて電子部品、半導体ICの生産が開始され、 情報処理機器に関連した部品の生産も加わり、電気製品のレベルも高度化して きた。しかし、このような電器電子産業は外資系企業の生産と地場産業のOE M生産(注文先ブランドによる委託生産)が中心で、台湾ブランドの生産はま だ少ない。つまり、製品の中枢部分を日本やアメリカ等から輸入し、付属、関 連部品をアッセンブルして完成品としてアメリカ市場に輸出するというパター ンであったり、付属、関連部品の生産とその輸出だけであったりと云うのが大 部分である。 しかし、この様な委託生産、加工、輸出という学習過程の中から、台湾のパ ソコンを中心とした空前の電子産業の隆盛は起った。 これは当時アメリカのコンピュータ会社に勤めていた技術者達の帰国によっ てもたらされたと云われている。 これは前稿でも述べたように台湾では台湾大学とか精華大学といった一流大 学の卒業生(特にエンジニア系)の3割以上がアメリカへ留学するという潮流 が定着しているが、こういった留学生達の中には、当時アメリカでコンピュー タを中心にしたシリコンバレーでブームを起こしたベンチャービジネスに就職 した者は多い。そして、シリコンバレーのベンチャービジネスに一時陰りが出 始めた頃、台湾での電子産業の成熟を見定めて帰国を決意した者も幾人かはい た。当時アメリカでは第二次石油ショック後、経済が停滞し、彼らの勤め先の 企業も停滞期に入っていた。そこで、そのうちの幾人かは、会社を辞め、台湾 に戻ってアメリカで身に付けた技術を基に小資本でパソコン産業に乗り出し、 成功をおさめた。この様な状況を見て、台湾の外資系電子産業に勤めていた技 -80-

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術者達や電子工学出身者達が独立して電子産業に乗り出した。このようにして、 青年技術者達が自分達の技術を基に小資本で、いわばベンチャービジネスを展 開していったのである。そしてこれらの企業群は国内外の急速な需要の拡大に 支えられて飛躍的に成長した。 この様に電子産業が短期間に急速に発展した理由を台湾の中央標準局局長の 呉恵然氏は次のようにまとめている。 ①金型と生産設備の投資額が少なく、周辺産業が発達していれば、設計開発 の技術者と部品組立ラインだけでまにあう。 ②会社自体の生産設備が小さくてすみ、自動車産業のように量産効果がコス トダウンに与えるメリットはそれほど大きくないので、開発設計技術者の賃 金コストが先進工業国より安ければ国際競争力はある。 ③パソコンに必要なものは、設計ソフトを除けば、一般のテレビや卓上計算 機などに必要な部品とあまり変わらない。 ④半導体の供給に対する条件は日本、米国などの先進国に較べて劣るが、パ ソコンとかメモ付き電話器などに必要な半導体は大型コンピュータのように 大量を要しないので、全体的な製造コストに占める比率は小さい。かつ、一 般の半導体は国際的にも自由に流通しているので、特殊なものと非常時以外 は値段はそれほど先進国と変わらない。 ⑤その他の部品は台湾で電子、電気産業がすでに成熟し、多くの部品産業が 周辺に存在しているので安価で調達ができる。 以上の様な事から、コンピュータ産業は他の自動車産業、造船、飛行機産業 に較べて多くの優位性を持っている、と述べている。 これは正に商業資本的体質を身上とする台湾の企業にフィットしていると言 える。 これはまた、全く別の側面だが、この様に加熱した産業のブームの中で、1 983年にアメリカの大手パソコン会社が台湾のパソコン会社を知的財産権の 問題で告訴すると言う事件が起きた。これはパソコンの設計、製作のコンセプ トについての特許権の侵害だが当時の世界のマスコミが「台湾製パソコンとア ップルツーは非常に類似しており、デザインも性能もほとんど区別できず、値 -81-

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段は台湾製が極端に安い」という主旨の報道塗:5を流した。ところが、逆にこ

のことが台湾の電子産業の水準の高さをPRする結果となり、各国から台湾製 のパソコンの注文や、先進国のコンピュータ産業から委託生産、周辺機器、関 連部品の発注が増えつづけている、というビジネス界のしたたかな-面を浮き 彫りにする現象が生じている。これに似たような事は曰本でも幾度か起きてい る。これは化学製品と違って電気製品の場合は製品自体に技術が体現してい る場合が普通であり、他社の製品を買ってきて分解すれば、その技術は直ちに 解明できるという宿命がある。従って企業間の商品開発の競争を招きやすく、 商品寿命は短い。しかし、この様な競争がこの産業分野の発展の原動力にもな っているのである。特に今日はエレクトロニクス技術、なかでも半導体素子が 急速に進歩を続けており、性能が大幅に向上した新しい素子がめまぐるしいほ どの早さで登場している。それを次々に使いこなして小型で高性能の便利な新 機種を次から次へと矢継ぎ早に出していけるかどうかが勝負所であり、電卓、 カメラ、電子ウオッチ、ラジカセなどがその典型である。ラジカセなどは新機 種が次から次へと出てくる度合いの高い商品で、営業からの新機種への強い要 求に対して、開発・設計・生産部門からは、せめて1年は同じ商品で営業をし てくれと悲鳴を上げているのが現状である。曰本の家電業界では昭和30年代 の白黒テレビの頃からこの様な競争が構造的にできあがっている。各企業はこ の様な中にあって新素子、技術の導入、改善、新商品開発等と機敏性を発揮し てきており、これがまた国際競争力の強さにもなっている。 翻って欧米を見てみると、アメリカでは優秀な技術者達は華々しい国家プロ ゼクトのスーパーコンピュータ、航空業界、宇宙産業へと流れ、民需部門の家 電産業はマイナー落ちてしまい、ヨーロッパでは圧倒的な競争力を誇る化学産 業に較べ、エレクトロニクス化に乗り遅れ、競争力を失っている。 ヨーロッパでは一般に、それぞれの国に大手家電メーカーが1~3社ある程 度で、それぞれの企業はそれぞれの特徴を持ちながら、他社のテリトリーを犯 さないように棲み分けている。従ってトップ企業は他社からの競争を仕掛けら れることもなく自社製品の特徴を誇りながら悠然と同じ製品を作り続けている。 この様な事から、ヨーロッパの企業には消費者が望む新商品を開発し、それ -82-

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を積極的にマーケティングしてゆく意欲に乏しい。それはヨーロッパでは伝統 のあるブランド志向が強く、消費行動をあまり変えようとしないのは、服飾、 食器、家具類に見られる傾向だが、工業製品についても同様な消費傾向がある ようである。 また、アメリカでは膨大な予算を持つ航空産業、宇宙開発産業がピッグビジ ネスであり、民間需要はそれほど先端技術発展の余地が無いとみなされており、 大手企業が民需消費財に関心を示していない。従って、コンピュータ部門も大 型のスーパーコンピュータにはウェイトを置くが、パソコンは海外の委託生産 で間に合わす、という具合になる。 おかげで台湾では委託受注がアメリカ国内の需要拡大とともに増えている、 という図式が成り立つ。ここに台湾のパソコン産業隆盛のバックグランドがあ る。従ってアメリカに上述のようなトレンドがある限り、台湾のパソコン産業 はアメリカ市場の拡大に比例して今後とも輸出を拡大する事が出来るだろうし、 ヨーロッパをも市場開拓の視野に入れる事ができる。また、これから広がる発 展途上国の市場も市場開拓の視野に入れる事が出来よう。 3)台湾の自転車産業 曰本の自転車産業は60年代から70年代にかけては世界市場、特にアメリ カ市場で圧倒的な優位性を誇り、70年代当初には約3割の輸出シェアーを占 めていたが、75年以降はその輸出の主役を台湾にゆずった。以後、台湾は自 転車の輸出では70~80%と独占的な地位を占めている。そして、80年代 には比率は低いが韓国が第三位を占め、近年は中国が第二位を占めるようにな ってきたのが注意を引く。 -83-

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表2-3アメリカヘの完成車輸出国別比率 (単位:%) 第2位 年度 第1位 第3位 イギリス 日本 日本 日本 日本 中国 オーストラリア イギリス ポーランド 韓国 韓国 韓国 本両潤湾滴滴 日台台台台台 212 17.5 15.7 17.8 69 12.7 320988 ●■●●●■ 914.280 225777 847689 ●●●●●● 469368 1I I97I I975 I979 I983 1987 I990 資料:アメリカ自転巾輸入統31 自転車産業は、これまで日本が輸出市場で優位性を維持してきた、技術集約 度がそれほど高くなく、労働集約型の比較的高い工業製品が次第にNIES諸 国にシフトされて行く状況を示すシンボリックな例として興味深い。 日本の自転車産業は、機械産業の一般的構造を反映して、完成車メーカーと 部品メーカーから構成されている。完成車メーカーは、部品メーカーから部品 を購入し、これを組立、溶接、塗装を施して出荷する。 しかし、部品メーカーは、自動車産業のように完成車メーカーの下請けない し系列という関係ではなく、独自性を保っている。これは、①自転車部品には 国際統一規格があり、どこの国、企業の部品でも互換性を持つこと、②曰本の 自転車産業は明治時代に輸入自転車の修理業として始まり、補修部品製造が完 成車よりもさきに発展したこと、③また完成車メーカーは自転車産業のように 資本力がなく、市場変動に対応するためにいくつもの下請けを抱えるような選 択をしてこなかったこと、等からこのような形態が出来上がったと云われてい る。従って、曰本の自転車産業は、現在でも部品メーカーの方が国際的にも名 が知られている。例えば、部品メーカーである(株)シマノは、曰本一の自転 車メーカーであるとともに、世界一の部品メーカーでもある。 しかし、60年代の賃金の上昇や、70年代の円高圧力等から競争力がNI ESに移っていった。特に台湾の既存の、あるいは新参のメーカーはこのよう な状況を契機にあるものは独自に、あるものは合弁、提携で、低廉労働の有利 性を活かし、工業化への段階としては手ごろな自転車産業へ乗り出したのであ る。 -84-

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