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〈東北地方の民俗〉海と山をつなぐ民俗--被災地・三陸海岸での出来事を緒にして

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Academic year: 2021

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(1)海 と山をつ な ぐ民俗. 海 と山 を つな ぐ 民俗. へ. 1 被 災 地 ・三 陸 海 岸 で の 出 来 事 を 緒 に し て ー. はじめ に. ヘ. 戸井 田 克. 己. 平 成 二 四 (二〇 一二) 年 八 月 二 五 日未 明 、 宿 泊 先 の気 仙 沼 ホ テ ル観 洋 の 風呂 場 で の出 来 事 であ る。 こ こ で私 は異. 様 な る 一団 と 出 く わ し た 。 風 呂 場 は大 き め の、 観 光 ホ テ ルな ど に よく あ る いわ ゆ る大 浴 場 であ る。 そ の浴 場 で数 十. 人 の若 い男 子 た ち が 入 浴 を 終 え 、 た だ 黙 々と 服 を 着 て は、 風 呂 場 を 後 に し て いく 場 面 であ った。 逆 に、 私 は そ こ で. 浴 衣 を 脱 ぎ 、 これ か ら 浴 室 へと 入 って い こう と し て いた 。 誰 も いな く な った 浴 室 の湯 船 に しば し浸 か り、 やが て お も む ろ に シ ャ ワー を 浴 び は じめ た 。. 目 を 閉 じ て髪 を 洗 う 間 、 も の の数 分 も 経 過 し て いな か った と思 う が 、 再 び 目を 開 け て み る と浴 場 の 風景 が 一変 し. (1 ). て いた 。 誰 も い な く な った はず の浴 場 に 再 び 多 く の 人 が お り 、 湯 船 も 、 洗 い場 も 若 い男 子 た ち で 一杯 に な って い. た 。 十 ほど も あ るカ ラ ン の座 椅 子 に陣 取 り 、 体 を 洗 う 男 子 のす ぐ 後 ろ に は、 別 の男 子が それ ぞ れ 一人 ず つピ タ リ と. 立 ち 、 計 十 人 ほど が 順 番 待 ち を し て い る。 残 る 二十 人 ほど が 湯 船 に浸 かり 、 さ ら に そ の順 番 待 ち を し て いる。 体 を. 洗 い終 え た 男 子 は 脱 衣 場 へと 向 か い、 カ ラ ンは 次 の 男 子 へと 引 き継 が れ る。 私 は そ の男 子 た ち の 一群 と 一群 と の. ち ょう ど 入 れ 替 え の狭 間 に浴 室 へと 入 り こん だ も の の よう であ り 、 誰 も いな く な った (と思 いこ んだ ) 浴 場 で、 ひ. 107.

(2) ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. へ. ヘ. へ. と り のん び り と 入 浴 に興 じ て いた わ け であ る。 私 が も た も た と 体 を 洗 って い る問 、 新 し い 一群 が 押 し寄 せ て はま た 引 き 上 げ て い った の で、 ま こと に申 し訳 な いよ う な 気 分 にな った 。. 問 題 は そ の時 刻 であ る。 早 朝 四時 頃 であ った か 、 窓 の外 はま だ 真 っ暗 な 、 文 字 通 り の未 明 であ った。 一人 あ た り. の入 浴 時 間 は 数 分 ほど 、 脱 着 衣 の時 間 を 含 め ても せ いぜ い十 分 位 だ った ろう か。 浴 衣 や ス リ ッパ も 身 に付 け て おら. ず 、 外 着 と外 履 き (そ れ も 山 登 り に 履 い て いく よ う な 堅 牢 な 代 物 ) のま ま だ った 。 最 初 、 私 が 浴 場 に着 いた と き 、. 浴 室 の入 り 口 に何 十 足 も のゴ ツ い靴 が 整 然 と 揃 えら れ て いた 光 景 を 異 様 に思 った も の であ る。 そ の履 き 物 の主 たち. は 誰 一人 無 駄 口を た た か ず 、 軍 隊 さ な が ら に黙 々と 体 を 洗 って は、 そ そ く さ と浴 場 を 後 に し て い った。 ま る で狐 に. つま ま れ でも し た か のよ う な 体 験 だ った が 、 そ れ も 私 の早 起 き と、 朝 風 呂 のな せ るわ ざ だ った と いえ よう 。. 翌朝 (と 言 って も 、 た か だ か こ の 三時 間 ほ ど 後 の こ と だ が )、 ロビ ー で 出 発 待 ち を す る 彼 ら の 一行 に出 会 った 。 そ の世 話 役 であ ると いう 女 性 に、 立 ち 話 な が ら 話 を 聞 く こと が でき た 。. 彼 ら は ﹁青 年 塾 ﹂ と いう 、 松 下 政 経 塾 の下 部 組 織 にあ た る団 体 の 一行 で、 本 部 は大 阪 にあ る。 全 国 に 五 つの支 部. が あ り 、 毎 回各 支 部 が 回り 持 ち で研 修 を 企 画 し て い るが 、 今 回 は東 北 支 部 の主 催 で、 震 災 を 受 け た気 仙 沼 地 区 と の. 交 流 行 事 を 主 体 に し た 二泊 三 日 の 研 修 であ ると いう 。 ﹁青 年 塾 ﹂ の塾 生 は 男 性 が 主 体 であ る も の の、 女 性 も 一割 ほ. ど お り 、 今 回は 各 支 部 よ り 約 二十 名 ず つ、 計 百 名 ほど が 参 加 し て い る。 そ こ に彼 女 の よう な O B の世 話 役 が 何 人 か. つき 、 さ ら にそ こ に啓 発 を 意 図 し て 一般 か ら 募 集 した 人 た ち も 加 わ って、 総 勢 二百 人 ほど の 団体 にな って いる と い う 。 一行 は 大 型 観 光 バ ス数 台 に分 乗 し、 一連 のプ ログ ラ ム に参 加 し て い る。. 昨 日が 初 日 で、 最 初 の行 事 は昨 年 ( 平成 二一 二年 ) の震 災 時 に避 難 所 とな った 気 仙 沼 の M会 館 で夜 を 明 かす プ ログ. ラム だ った 。 地 震 直 後 と 同 じ電 気 も ガ スも な い環 境 で 一夜 を 過 ご し、 震 災 の状 況 を 疑 似 体 験 す る のが ね ら いであ っ. た 。 ただ し 、 こ の避 難 所 体 験 は参 加 者 に知 ら さ れ て お ら ず 、 被 災 者 と 同 じ よ う に 、 当 日突 然 に こ の状 況 が 降 り か. 108.

(3) 海 と山をつ な ぐ民俗. か って く る と いうプ ログ ラ ム に な って いた (これ を 女 性 O B は ﹁サ プ ライ ズ ﹂ と 呼 ん で いた )。 全 国 各 地 か ら の長. 時 間 の移 動 と 、 一日 のプ ログ ラ ムを な ん と か 終 え、 や っと ホ テ ル に着 い て風 呂 と夕 食 にあ り つけ る はず だ った参 加. 者 を 襲 った 突 然 の ﹁避 難 所 生 活 ﹂ と いえ よ う 。 彼 ら にと って はそ の試 練 を や っと乗 り越 え た直 後 、 ま だ 明 け やら ぬ. (2 ). ホ テ ル に到 着 し てす ぐ の入 浴 だ った の であ る。 筆 者 は 一般 の宿 泊 客 のう ち で はた だ ひ と り、 彼 ら と未 明 の入 浴 を と. も にし た わ け であ る。 彼 ら の 口数 が 少 な か った ( ま る でな か った ) のも な る ほど 道 理 であ る。. (3). ホ テ ル の玄 関 先 に はす で に大 型 観 光 バ スが 並 ん で い る。 ま も な く 彼 ら はそ れ に乗 り こ み、 午 前 中 は宮 脇 昭 氏 から. 多 く の木を植え藁. ﹂ と呼ば れる学者 であ 似 宮 城県気仙沼市唐桑. 講 演 を 聴 き 、 午 後 は畠 山 重 篤 氏 の植 林 事 業 を 手 伝 う と いう 。 未 明 の入 浴 から ま だ 三時 間 ほど し か経 って いな い時 間 であ る。. 横浜 国立 大学名誉教授 の宮脇 氏は・﹁日杢. の畠 山 氏 は ﹁森 は海 の恋 人 ﹂ を キ ャ ッチ フ レー ズ に山 の植 林 を 推 進 し てき た 漁 師 であ る。 本 稿 で は、 今 回、 震 災 後. 一年 を 経 て 三陸 海 岸 を 訪 れ た 折 、 た ま た ま ﹁青 年 塾 ﹂ と いう 団 体 と未 明 の入 浴 を 共 に した のを 機 縁 と し て、 こ の 二. 海 と 山 を つな ぐ 思 想. 人 のう ち 地 元 出 身 の畠 山 氏 の取 り 組 みを 中 心 に し て、 ﹁海 と 山 を つな ぐ 民 俗 ﹂ に つ い て考 え てみ る こと に し た い。. 二. (一) 魚 付 き 林. 海 と山 を つな ぐ 民 俗 の最 た る も の は 、 一見 遠 く 離 れ た よ う に 見 え る海 と山 と が じ つは 密 接 に関 係 し あ って お り 、. ㎜.

(4) (5). 豊 か な 森 が 恵 み多 き 海 を 育 て ると いう ﹁魚 付 き 林 ﹂ の思 想 であ ろう 。 こ の思 想 に つ いて筆 者 は、 か つて北 海 道 奥 尻 島 の事 例 を 簡 単 に報 告 した こと が あ る。. 昔 か ら 、 漁 師 た ち の間 に は、 海 岸 近 く の森 が 魚 を 引 き 寄 せ る と いう 伝 承 が あ り 、 そ のた め 海 岸 林 や離 れ小 島 の森. を 守 ってき た 歴 史 が あ る。 そ のよ う な 森 林 は ﹁魚 付 き 林 ﹂ と 呼 ぼ れ た が 、 岬 の岩 場 に見 ら れ る海 岸 性 の林 や、 湾 内. の島 の森 な ど に神 社 や 祠 を 設 け 、 立 ち 入 り を 制 限 す るな ど し てき た 。 これ は、 森 の木 影 に は魚 が 集 ま る と か、 林 に. よ って風 当 た り が 弱 ま るな ど と い った 経 験 知 を も と に、 森 林 が あ る から こ そ魚 が 集 ま る のだ と いう こ とを 認 識 し て. き た 現 れ と いえ よ う 。 こ のよ う な 森 林 は、 往 々 に し て神 社 林 の よう に神 聖 な も の と し て扱 わ れ、 島 の海 岸 に鳥 居 が 作 ら れ た り 、 小 さ な 祠 が 建 てら れ た り し て い る場 合 が 多 い。. 森 林 の生 態 系 で は、 生 産 者 であ る木 や 草 は、 消 費 者 であ る昆 虫 や 小 動 物 、 鳥 類 な ど の餌 とな る ほ か、 葉 を 落 と し. た り 、 自 身 が 枯 れ た り し てバ ク テリ ア に分 解 さ れ て養 分 と な り 、 ふた た び 生 産 者 のも と に戻 って いく 。 ま た、 そ の. 養 分 の 一部 は 川 を 下 って海 へと 至 り 、 海 にお い て海 藻 の栄 養 分 とな る。 海 で は陸 に比 べ て無 機 塩 類 の供 給 が 制 限 さ. れ る の で、 陸 上 か ら の養 分 の流 入 は貴 重 であ る。 海 藻 は魚 に食 べら れ て蛋 白 質 とな り、 それ は蛋 白 源 と し て人 間 の 用 に供 し て い る。. こ のよ う に、 海 の生 態 系 で は光 合 成 と 無 機 塩 類 を 材 料 に海 藻 や 植 物 プ ラ ンク ト ンが 生 産 者 と し て活 動 し、 そ れを. 小 魚 が 食 べ ると い った 食 物 連 鎖 が 続 く ほか 、 食 物 残 些 や 海 藻 の粘 膜 、 そ の他 微 小 な 有 機 物 塊 は バク テ リ アな ど が そ. れ を 分 解 す る過 程 で重 要 な 栄 養 分 と な る。 これ も 食 物 連 鎖 へと 続 く 入 り 口 であ る。 そう し て育 った魚 の 一部 は、 地. 上 の哺 乳 類 や 鳥 類 の餌 と な り、 陸 上 の生 態 系 へと 運 ぼ れ る こと で、 よ り 大 き な ス ケ ー ル で養 分 の循 環 が 完 結 す る 。. さ ら に は 、 動 物 の糞 や 死 骸 は土 に 返 って 森 の栄 養 と な る 。 か く し て、 海 の生 態 系 と 陸 の生 態 系 は つな が って い る が 、 これ ら は 森 と 海 の間 で行 わ れ る物 質 循 環 のあ り 方 に ほか な ら な い。. ㎜.

(5) 海 と山をつ な ぐ民俗. 畠 山 重 篤 氏 は漁 師 であ るが 、 こう した 伝 統 的 な ﹁魚 付 き 林 ﹂ の思 想 を 継 承 し、 現 代 的 な 形 で市 民 運 動 を 組 織 し て. き た 実 践 家 でも あ る。 彼 は ﹁森 は海 の恋 人 ﹂ と いう 粋 な キ ャ ッチ フ レー ズ の下 に、 こ の運 動 を 展 開 し てき た。. (二 )﹁森 は 海 の 恋 人 ﹂. 語源. 海 は森 を 恋 いな が ら. 悠 久 よ り の愛 紡 ぎ ゆ く. (6 ). ﹁森 は 海 の恋 人 ﹂ と いう ロ マ ンチ ック な 言葉 は 、 気 仙 沼 市 在 住 の歌 人 ・熊 谷 龍 子 氏 の 一句 が 母 体 に な って い る と いわ れ る。. 森は海を. (7 ). ヘ. へ. ﹁森 は 海 の恋 人 ﹂ は、 こ の 一句 よ り 畠 山 重 篤 氏 が 連 想 し た も の と さ れ、 同 名 の著 書 が 北 斗 出 版 か ら 一九 九 四年 に 出 版 さ れ て い る。. ま た 、 こ の標 語 は ﹁森 は海 の恋 人 運 動 ﹂ と いう 具 合 に、 ﹁運 動 ﹂ の語 を 付 け て 表 現 さ れ る こと も 多 い。 こ の場 合 、. 推 進 の母 体 にな る の は氏 が 代 表 を 務 め る ﹁牡 蠣 の森 を 慕 う 会 ﹂ であ る。 こ の会 は平 成 元 (一九 八九 ) 年 に設 立 さ れ. た が 、 のち に小 学 校 の教 科 書 に教 材 と し て採 用 さ れ 、 全 国 にそ の活 動 が 紹 介 さ れ た 。 こう し た経 緯 な ど も あ り、 現. 在 で は漁 師 た ち の伝 統 的 な 山 林 保 護 に と ど ま ら ず 、 子供 た ち の環 境 教 育 の教 材 と し て も 著 名 な も の と な って いる 。. こ のよ う に、 畠 山 氏 の ﹁森 は海 の恋 人 運 動 ﹂ は、 単 に旧 来 の漁 師 た ち の民 俗 意 識 に とど ま ら ず 、 子供 たち を 介 し た 市 民 運 動 へと 発 展 し た こと に大 き な 意 義 が あ ろう 。. 111.

(6) 運 動 の背 景. 昭 和 四、五 十 年 代 に か け て気 仙 沼 湾 の環 境 が 大 き く 悪 化 し た 。 赤 潮 が 発 生 し 、 湾 内 はま る で醤 油 を 流 し た か の よ. う に茶 褐 色 の海 と な った 。 一個 の牡 蠣 は、 呼 吸 のた め に毎 日 二〇 〇 リ ット ルも の海 水 を 吸 って いる。 そ の際 、 水 と. 一緒 に 吸 い込 ん だプ ラ ンク ト ン が 牡 蠣 の餌 にな る のだ が 、 赤 潮プ ラ ンク ト ン を 吸 った 牡 蠣 の身 は赤 く染 ま り 、 ﹁血 牡 蠣 ﹂ と 呼 ば れ てま った く 売 り 物 にな ら な く な った 。. 原 因 は 水 産 加 工場 か ら 垂 れ 流 さ れ る汚 水 や 、 一般 家 庭 か ら の雑 排 水 、 農 業 現 場 で使 用 され る農 薬 や除 草 剤 、 手 入. れ のさ れ て いな い針 葉 樹 林 か ら 流 出 す る赤 土 な ど 、 多 岐 に渡 って いた 。 ま た 、 海 に流 れ こ む こ の よう な 汚 染 水 の問. 題 の ほか にも 、 気 仙 沼 湾 に森 の養 分 を 運 ん でく れ る はず の大 川 の、 河 口わ ず か 八キ ロの地 点 にダ ム建 設 の話 が 持 ち. (8 ). 上 が って いた 。 縦 割 行 政 と はよ く 言 った も のだ が 、 お 役 所 の セク ト 主 義 に よ って、 森 ・川 ・海 の循 環 を 分 断 す る行 為 そ のも のが 海 の汚 染 を 助 長 し て い った 。 ﹁ 牡 蠣 の森 を慕 う会 ﹂ の結 成. 牡 蠣 の漁 場 は 川 が 海 に注 ぎ 込 む 汽 水 域 に形 成 さ れ る。 川が 運 ぶ 森 の養 分 が 、 牡 蠣 の餌 とな る植 物 プ ラ ンク ト ンを. 育 ん でく るか ら であ る。 こ の こと は、 川 の流 域 のあ ち ら こち ら ( 上 流 ・中 流 ・下 流 ) に暮 ら す 人 々 と価 値 観 を 共 有. でき な け れぼ 、 き れ いな 海 、 豊 か な 漁 場 は 戻 って こな い こと を 意 味 し て い る。 そ こで 大 川 上 流 の室 根 山 に 、 ﹁自 然. の母 な る落 葉 広 葉 樹 の森 を 創 ろう ﹂ を 合 い言 葉 に、 平 成 元 (一九 八 九 ) 年 、 ﹁牡 蠣 の森 を 慕 う 会 ﹂ が 結 成 さ れ た 。. 平 成 元 年 か ら 毎 年 植 樹 祭 が 続 け ら れ 、 これ ま で に 三 万本 の落 葉 広 葉 樹 が 植 えら れ た。 ま た、 川 の流 域 に暮 ら す 子. 供 た ち への環 境 教 育 の意 味 合 いか ら 、 平 成 二年 よ り 体 験 学 習 が 開 始 さ れ た 。 これ ま で に植 樹 に招 いた 子供 たち は有 に 一万人 を 超 え て い る。 N P O法 人 ﹁森 は 海 の恋 人 ﹂ の設 立. 112.

(7) 海 と山をつ な ぐ民俗. ﹁牡 蠣 の森 を 慕 う 会 ﹂ は 、 結 成 以 来 、 多 く の 人 々 に 活 動 の意 義 を 知 って も ら う こと を 大 き な 目 的 と し てき た 。 こ. の目 的 は あ る程 度 は達 成 さ れ た も のと 考 え ら れ るが 、 活 動 の現 状 維 持 が 精 一杯 と いう 状 況 も あ り、 さら な る発 展 が. 停 滞 し て いた 。 そ こ で平 成 二 一 (二〇 〇 九 ) 年 五 月 、 こ の 活 動 に対 し て年 々高 ま って い る社 会 ニー ズ に 応 え る べ. く 、 次 の世 代 で の再 出 発 と 新 た な 展 開 を 期 し て特 定 非 営 利 活 動 法 人 (N P O) を 設 立 す る に至 った。 そ れが N P O 法 人 ﹁森 は 海 の恋 人 ﹂ であ る。. ﹁森 は 海 の 恋 人 ﹂ は 、 ① 豊 か な 自 然 環 境 の中 で 人 と 自 然 の つな が り を 体 験 的 に 学 習 で き る 環 境 教 育 を 主 軸 に し て、. ② 森 林 を つく る こと 、 ③ 自 然 環 境 を 保 全 す る こと 、 と い った 三 つの分 野 の事 業 を 展 開 す る 団 体 と し て活 動 し て い. る。 な か で も 、 主 軸 の環 境 教 育 事 業 で は 、 次 世 代 を 担 う 子供 た ち のた め の宿 泊 型 体 験 学 習 (﹃森 は 海 の恋 人 子 ど も. スク ー ル﹄) を 実 施 し、 多 く の子 供 た ち に自 然 を 肌 で体 感 し ても ら う と と も に、 自 然 そ の も の を よ く 知 り 、 よ り 深 く 学 ぶ 機 会 を 提 供 し て い る。. ま た 、 こう し た 素 晴 ら し い自 然 環 境 を 未 来 の 子供 た ち に手 渡 し て いく こ とを 目的 に、 自 然 環 境 保 全 事 業 と し て各. 種 の自 然 環 境 調 査 を 行 い、 そ の結 果 を も と に自 然 と 共 生 す るま ち づ く り に つ いて提 言 を 行 って いる。 未 来 へ向 け て. 一﹂ の東 日本 大 震 災 であ る。 これ を 契 機 に地 域 の状 況 は 一変 した 。 津 波 に襲 わ れ た直 後 、 生 き 物. ﹁森 は 海 の恋 人 ﹂ が 設 立 さ れ た 二年 後 の 平成 二 一 二年 春 、 や っと 豊 か さ を 取 り 戻 し つ つあ った 三 陸 の海 を 巨 大 津 波 が 襲 った 。 ﹁三 ⊥. た ち は 消 え 失 せ 、 ﹁海 は 死 ん だ ﹂ と 誰 も が 思 った 。 し か し 一年 あ ま り を 経 た 現 在 (平 成 二四 年 八 月 )、 多 く の生 き 物. た ち が こ こ唐 桑 の海 に戻 ってき て い る。 生 き 物 の こう した 力 強 さ と、 全 国 から 寄 せ ら れ た 支 援 に支 えら れ、 震 災 前. の事 業 を 再 開 でき るま で にな った 。 体 験 学 習 も 少 しつ つで はあ るが 、 徐 々 に再 開 さ れ て いる。. いま 、 ﹁森 は 海 の恋 人 運動 ﹂ は 、 あ れ ほど の被 害 か ら も 立 ち 直 る こと の でき る 生 き 物 た ち の 強 靱 な 生 命 力 と 、 命. m.

(8) ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. へ. の尊 さ を 子 供 た ち に伝 え る と と も に 、 地 域 の人 々 とも 協 力 し な が ら 、 新 た な 地 域 づ く り に 向 け て取 り組 ん で いる 。. 筆 者 が 未 明 の風 呂 場 で出 会 った あ の ﹁青 年 塾 ﹂ の面 々も 、 こう した 趣 旨 に賛 同 し て、 植 林 ボ ラ ン テ ィ ア に参 加 し て いた わ け であ る。. (三 ) 聞 き 書 き か ら. 以 下 は 、 平 成 二 四 (二〇 一二) 年 八 月 、 気 仙 沼 市 唐 桑 地 区 復 興 支 援 協 同 体 お よ び 唐 桑 地 区 に あ る 早 馬 神 社 の宮 司 ・梶 原 忠 利 氏 か ら 聞 いた 話 であ る。 唐 桑 の海 の復 興. 大 津 波 の翌 朝 、 海 は黄 緑 色 に染 ま って いた 。 見 た こと も な いそ の色 に、 誰 も が ﹁海 は 死 んだ ﹂ と思 った。 唐 桑 で. は 養 殖 筏 の ほと ん ど す べ てが 流 さ れ 、 船 も 大 半 が 流 さ れ るか 火 災 で焼 失 す る か し て しま った。 し か し、 牡 蠣 養 殖 家. たね. の畠 山 政 則 さ ん の牡 蠣 筏 だ け は幸 い にも 二台 が 残 り 、 船 も 火 災 と流 失 を 免 れ た 。 そ の筏 は ほ と んど 壊 れ かけ て いた. が 、 牡 蠣 の種 が 付 いた ま ま であ り 、 ワカ メ の種 ( メ カブ ) も わ ず か に残 って いた 。 かく し て、 畠 山 さ ん の牡 蠣 種 と. ワカ メ 種 が 生 き 残 り 、 そ れ を 頼 り に唐 桑 の海 の復 興 が 始 ま った 。 種 を 育 て、 以前 の よう に美 味 し い牡 蠣 や ワ カ メを. 養 殖 す る こと に希 望 が 託 さ れ た わ け であ る。 種 を 残 す こと にな った 畠 山 政 則 さ ん は、 ﹁奇 跡 の人 ﹂ と も 言 わ れ た 。. 湾 内 の瓦 礫 処 理 に は全 国 か ら た く さ ん の人 が 集 ま ってく れ た 。 当 初 、 海 は濁 って 死 んだ よう であ ったが 、 海 底 の. 瓦 礫 を 取 り 除 い て み ると 、 見 る見 る海 水 が 澄 ん で い った 。 海 が 澄 む と そ こ に小 魚 が 戻 って来 、 急 速 に海 が 回復 し て いく のが わ か った 。. 津 波 前 の状 態 に養 殖 筏 を 戻 す に は、 ま ず は筏 そ のも のを 大 量 に作 ら な け れ ば な ら な いが 、 筏 を 固定 す る重 石だ け. 皿.

(9) 海 と山をつ な ぐ民俗. でも 、 五〇 キ ロ袋 を 十 万個 は作 る必 要 が あ った 。 これ ら の作 業 を 全 国 から の若 者 ボ ラ ン テ ィ アが 本 当 に よく や って くれた。. はる ま. 養 殖 事 業 の復 興 はま ず は ワカ メ か ら 始 め ら れ た 。 養 殖 ワ カ メ は数 か 月も す れ ぼ 採 取 でき る の で、 さ しあ た って の. 即 効 性 が あ るか ら であ る。 残 った メ カ ブ は 一級 品 だ った の で、 数 か 月 後 、 良 質 の ワ カ メが 収 穫 さ れ、 ﹁春 馬 ﹂ と い. う ブ ラ ンド 名 で の販 売 が 始 ま った 。 復 興 支 援 への意 味 合 いも 込 め て、 震 災 以前 の 二倍 ほど の高 値 が つ いて いる。. ワカ メ の次 に帆 立 、 そ し て牡 蠣 へと 着 手 し て い った 。 牡 蠣 は種 が 成 長 し て出 荷 でき るま で に は ふ つう 二年 半 から. 三年 か か るが 、 経 験 した こと も な い急 速 な 成 長 に驚 い て い る。 昔 か ら ﹁津 波 の後 は育 ち が 良 い﹂ と言 ったが 、 津 波 で ヘド ロが 洗 い流 さ れ て しま った 分 、 餌 のプ ラ ンク ト ンが 多 く 入 ってく る のだ ろう か。. 震 災 か ら 一年 半 に満 た な い 現 在 (平 成 二 四年 八 月 )、 ワカ メ と 帆 立 の 出 荷 は す で に軌 道 に 乗 り 、 牡 蠣 も 九 月 下 旬. いき. には 本 格 的 に出 荷 でき る見 通 し にな って い る。 唐 桑 活 帆 立 ﹁海 音 ﹂. あまね. 震 災 か ら 一年 を 経 て、 本 格 的 な 出 荷 が でき る よう にな った 帆 立 は通 信 販 売 が 始 め ら れ て いる。 唐 桑 の海 で獲 れ た. (9). 直 径 一ニ セ ンチ 、 二百 グ ラ ム以 上 のも の であ り 、 か つ漁 協 が 厳 選 した 活 帆 立 に ﹁海 音 ﹂ と いう ブ ラ ン ド名 を つけ 、. 十 個 一セ ット 三千 円 ( 送 料 込 み) で販 売 し て い る。 そ の宣 伝 チ ラ シ に は、 次 の よう に記 され て いる。. 唐 桑 の帆 立 が 復 活 しま した 。 震 災 直 後 の昨 年 (二〇 一 一年 ) 五 月 から 再 出 荷 を 目指 し、 多 く の支 援 にも 助 け ら. れ て準 備 し てき た 唐 桑 の帆 立 が 、 驚 異 的 な 海 の 回復 にも 助 け ら れ 、 予 定 より も 早く 出 荷 を 迎 え る こ とが でき ま し. た 。 ﹁森 は 海 の恋 人 運 動 ﹂ で も 知 ら れ る唐 桑 は 、 昔 か ら 森 と 海 と が 共 生 す る 、 帆 立 や 牡 蠣 の養 殖 に 最 適 な 場 所 で. す 。 森 の養 分 が 海 へと 流 れ こ み、 三陸 の海 の ミネ ラ ルと あ わ せ 帆 立 貝 に と って栄 養 価 の高 い、 唐 桑 な ら で は の品. 鵬.

(10) 質 が 生 ま れ る の です 。 帆 立 の美 味 しさ は貝 柱 の色 でわ か り ま す 。 海 の栄 養 を 含 んだ 甘 み のあ る帆 立 は貝 柱 の色 が 真 っ白 では な く 、 少 し黄 色 が か った 白 色 を し て いま す 。. 通 常 ﹁養 殖 ﹂ と いえ ば 悪 いイ メ ー ジ で想 像 しが ち です が 、 唐 桑 の帆 立 の養 殖 は、 単 な る生 産 効 率 だ け を 追 い求. め た粗 悪 な も の で は な く 、 産 物 に と って 最 適 な 環 境 下 で 生 育 さ せ る 独 自 の も の です 。 人 間 に も 寿 命 が あ る よ う. に、 帆 立 にも 寿 命 と 食 べ頃 が あ り ま す 。 一般 的 に は帆 立 は 三年 を 経 過 す る と老 貝 とな り味 が ど んど ん落 ち る と言 わ れ て いま す 。. 他 の地 域 で は帆 立 を 従 来 通 り に海 の底 に放 って餌 を 与 え る ﹁地 ま き ﹂ と いう 生 育 方 法 を 取 りま す が 、 海 底 は 日. 光 も 届 き にく く 、 養 分 も 少 な く 、 ま た 病 気 も 発 生 しや す いた め 、 唐 桑 で は漁 師 が 試 行 錯 誤 を 重 ね た結 果 、 海 の栄. 唐 桑 番 屋 ﹂ が 二〇 一二年 四 月 、 唐 桑 半 島 鮪 立 の海 辺 に オ. しび たち. 養 分 を 最 大 限 に採 り 込 む 独 自 の育 て方 を し て いま す 。 こ の生 育 方 法 に より 、 帆 立 の食 べ頃 であ る生 後 一∼ 二年 の. へ. 時 期 に、 通 常 な ら 二∼ 三年 か か る大 き な 帆 立 を 出 荷 す る こと が でき る の です 。. 唐桑番屋 ヘ. 帆 立 養 殖 の 回復 に呼 応 さ せ るよ う に、 ﹁復 興 か き 小 屋. ー プ ンし て い る。 こ の時 、 牡 蠣 養 殖 は ま だ 完 全 に は軌 道 に 乗 って いな か った が 、 帆 立 の販 路 を 確 保 す る 必 要 も あ. り 、 や が て復 興 す る であ ろう 牡 蠣 の こと を 見 越 した 先 行 オ ー プ ン であ る。 美 し い海 の景 色 を 楽 し みな が ら 、 獲 れ た. て の海 の幸 を 賞 味 し ても ら お う と いう も の で、 気 仙 沼 市 唐 桑 地 区 復 興 支 援 協 同体 が 運 営 し て いる。. 小 屋 は 三十 二名 収 容 の食 堂 と 土 産 物 コー ナ ー を 併 設 した 簡 易 な 建 物 であ る。 牡 蠣 のイ ンタ ー ネ ット販 売 を 手 が け. る アイ リ ンク ( 仙 台 市 青 葉 区 ) と いう 会 社 が 提 供 し てく れ た 建 設 資 材 を 使 い、 宮 城 大 学 を は じめ とす る 四 つの大 学 の学 生 た ち が 休 み のた び に通 って来 て は建 て てく れ た 。. 鵬.

(11) 海 と山をつ な ぐ民俗. 復 興 支 援 で は、 全 国 、 世 界 の各 地 か ら 温 か い励 ま しを いた だ いた 。 広 島 は牡 蠣 の商 売 敵 だ が 、 いち 早く 支 援 を 寄. せ てく れ と ても 感 謝 し て い る。 ま た 、 か つて フ ラ ン ス牡 蠣 が 打 撃 を 受 け た 際 に支 援 を 申 し出 た こ とが あ るが 、 そ の. お 返 し と し て フ ラ ン ス政 府 や 、 ルイ ・ヴ ィト ンな ど か ら も 支 援 が あ った 。 こ の ほ か、 復 興 費 用を ま かな う た め、 牡 蠣 の 一ロオ ー ナ i 制 度 な ど も 実 施 し、 多 く の賛 同 者 、 支 援 者 を 得 て い る。. な お 、 ﹁唐 桑 番 屋 ﹂ は 牡 蠣 が シ ーズ ンを 迎 え る 平 成 二 四 年 十 月 六 日 、 見 事 本 格 オ ープ ンし た 。. 三 北限 の海女. (一) 三 陸 の 海 女 漁. 三陸 海 岸 と し て は南 部 に位 置 す る唐 桑 半 島 。 こ こを 北 上 す る こ とお よ そ 二百 キ ロの地 点 に、 岩 手 県 久 慈 市 の小 袖. (10 ). 海 岸 が あ る 。 こ の海 岸 は、 ﹁北 限 の海 女 ﹂ の漁 場 と し て知 ら れ る と ころ で、 今 年 (平 成 二 五年 ) 四 月 、 こ こ の海 女. ヘ. ヘ. へ. た ち の 日常 を モチ ー フ に し て、 N H K の朝 の連 続 テ レビ 小 説 ﹁あ ま ち ゃ ん﹂ の放 映 が 開 始 さ れ た。 こ の朝 ド ラ で は. (11 ). あ っか. ﹁北 限 の 海 女 ﹂ で は な く 、 ﹁北 の海 女 ﹂ と 名 称 を 変 え て い るが 、 ﹁北 限 ﹂ に せ よ 、 ﹁北 ﹂ にせ よ、 こ の海 が 類 ま れな る. 豊 か な 海 であ り 、 海 女 た ち の生 活 を 支 え てき た こと に変 わ り はな い。 北 上 高 地 の深 い森 と、 久 慈 川、 安 家 川 と い っ た 自 然 豊 か な 水 流 が そ れ を 可 能 に し て い る の であ る。. こ の地 で、 海 女 漁 が 始 ま った の は明 治 の初 頭 と いわ れ る。 遠 洋 漁 業 が 発 展 す る中 で、 男 たち が 何 日も 家 を 空 け る. よ う にな ると 、 女 た ち も 畑 仕 事 の合 間 に海 に出 て ア ワビ や ワ カ メ、 コンブ を 採 り、 それ を 換 金 し て家 計 の足 し にす. るよ う にな って い った 。 子 供 た ち も 母 に した が って潜 って遊 ぶ う ち 、 自 然 に潜 水 の技 術 を 身 に つけ て は、 やが て立. 117.

(12) (12 ). 派 な 海 女 に な って い った。 当 初 は ﹁海 女 ﹂ と 言 わ ず に ﹁か つぎ ﹂ と いう 名 で呼 ぼ れ た が 、 ﹁か つぎ ﹂ と は 、 本 来 は ウ ニを 素 潜 り で採 る漁 法 の こと であ る。. 素 潜 り の海 女 た ち にと って、 や っか いな のが 水 の冷 た さ であ る。 三陸 の海 は水 温 が 低 く 、 漁 を 続 け るう ち にぐ ん. ヘ. へ. ぐ ん 体 温 が 低 下 し て いく 。 そ のた め 、 性 器 が 体 外 に飛 び 出 し て い る男 子 で は生 殖 機 能 を 冒 さ れ て しま う の で、 北 限. の地 では 世 界 中 ど こ でも 男 の海 士 は存 在 し てお ら ず 、 みな 女 の海 女 であ る と いう 。 女 性 器 は体 内 に収 ま って いる こ と か ら 、 低 水 温 への適 応 力 が 強 い こと が 原 因 し て い る。. そ れ でも 冷 た い水 は 体 に こた え る か ら 、 小 袖 で は素 早 い潜 水 が こと に重 要 に な る 。 上 手 な 海 女 は ひ と か き で ニ. メ ー ト ルも 進 み、 獲 物 の多 い水 深 一〇 メ ー ト ル 以上 の地 点 ま で 一気 に潜 水 す る こ とが でき る。 そ し て 一回 で十 個 ほ ど も ウ ニを 採 って は、 ヤ ツカ リ ( 腰 に付 け る網 の袋 ) に入 れ て浮 上 す る。. (二 ) 海 女 を め ぐ る 民 俗. 小 袖 の海 女 は 、 ラジ オ ド ラ マや テ レビ 小 説 に取 り 上 げ ら れ た の で、 大 い に観 光 化 し た感 は否 め な い。 そ れ でも 明 治 以 来 の風 俗 を と ど め て い る部 分 も あ る。 海 女 の出 で立 ち. 現 在 、 小 袖 で は、 海 女 はウ エ ット スー ツを 着 用 し、 水 中 眼 鏡 を か け 、 足 袋 と草 履 を は いて素 潜 りを 行 う 。 手 に は. かす り. ソ エカ ギ と い って、 獲 物 を 岩 場 か ら 引 き 剥 が す 道 具 を 持 つが 、 ウ ニ用 と ア ワビ 用 と で形 が 違 って いる。 腰 に は網 袋. の ヤ ツ カ リ を つけ 、 採 った 獲 物 は こ こに 入 れ る。 ま た、 時 に素 潜 り の実 演 を す る が 、 そ の際 には 伝 統 的 な 緋 の着 物 を 着 け て潜 水 す る。. 118.

(13) 海 と山をつ な ぐ民俗. 海 女 の ■年. 海 女 の漁 期 は 、 こ の北 限 の海 で は七 月 か ら 九 月 と 短 い。 そ れ だ け 水 温 が 低 い証 でも あ る。 ま た、 漁 期 の中 程 に当. た る 八 月 の第 一日 曜 日 に は、 ﹁海 女 フ ェス テ ィ バ ル ﹂ と いう も のが 催 さ れ 、 素 潜 り の実 演 や、 採 って き た ウ ニを そ. の場 で味 わ っても ら う 試 食 会 な ど が 行 わ れ る。 こ の ほか 、 新 鮮 な 魚 介 類 を は じめ と した 海 産 物 の 即売 や、 工夫 を 凝 ら し た 各 種 イ ベ ント な ど も あ る。. (三 ) 山 海 の 幸. (13 ). 海 と 山 と に恵 ま れ て い る久 慈 市 に は、 様 々な 山 海 の幸 が あ る。 そ の 一部 を 紹 介 し よう 。 木炭. き りす み. 北 上 の豊 か な 山 地 は 、 岩 手 木 炭 の産 地 で あ る 。 岩 手 木 炭 は 黒 炭 の 一種 であ り 、 火 が つき や す い こ と に 特 長 が あ. る。 程 良 い長 さ に切 った ﹁切 炭 ﹂ と し て出 荷 さ れ 、 火 の つき や す さ ゆ え に、 バー ベキ ュー な ど にう って つけ の炭 で あ る。 木 工品. 森 林 資 源 が 豊 富 な 久 慈 市 で は 、 様 々 な 木 工品 が 作 ら れ て き た 。 な か でも 、 ﹁県 木 ﹂ と し て 県内 いた る と ころ に自. 生 し て い るナ ンプ アカ マツ ( 南 部 赤 松 ) は、 木 目 の美 しさ と 堅 牢 さ を 兼 ね 備 え て お り、 高 級 木 工品 の材 料 とな って. い る。 こ の木 は磨 けぼ 磨 く ほど 優 雅 な 光 沢 を 醸 し出 す と いわ れ 、 贈 答 品 と し て も 人 気 が 高 い。 これ ら の 森 林 資 源. は 、 椀 、 菓 子 皿、 子供 用 玩 具 、 家 具 な ど に加 工さ れ て売 ら れ 、 木 の ぬく も り を 消 費 者 に伝 え て いる。 まめぶ汁. ㎜.

(14) ク ル ミや 黒 砂 糖 を 包 ん だ 団 子を 、 野 菜 、 焼 き 豆 腐 、 油 揚 げ 、 か んぴ ょう な ど と とも に昆 布 と煮 干 し の出 し汁 で煮. 込 ん だ 郷 土 料 理 であ る。 ﹁ま め ぶ (豆 ぶ )﹂ と は、 中 に入 って い るク ル ミ入 り の 団 子を 指 す 。 冠 婚 葬 祭 の ハレ食 と し. て作 ら れ る料 理 だ が 、 慶 事 に は団 子 を 大 き く し、 凶 事 に は小 さ く す る。 ま た 、 凶 事 に は出 し汁 を 昆 布 の み の精 進 料 理 にす る こと でも 区 別 し て い る。. もとは、旧山形村 ( 現 山 形 町 ) の八 つの集 落 だ け に伝 えら れ て いた が 、 二〇 一〇 年 頃 から 久 慈 市 で認 知 さ れ る よ. う にな り 、 二〇 = 年 の東 日本 大 震 災 で炊 き 出 しと し て利 用 さ れ た こ と から 、 以後 、 地 域 全 体 に広 ま った。 さら に. は 、 朝 ド ラ の ﹁あ ま ち ゃん ﹂ でま め ぶ 汁 が 登 場 した こと か ら 、 一気 に全 国 区 へと上 り つめ た。 久 慈 市 発 行 のパ ン フ. レ ット には 、 ﹁ま り ふ ﹂ に 似 て いる こと か ら ﹁ま め ぶ ﹂ と 呼ぼ れ る よ う に な った と いう 記 述 が あ る が 、 ﹁ま り ふ﹂ が 何 であ るか は 不 明 であ る。 山形村短角牛. 美 し いサ シ ( 脂 身 が ま ん べん な く 入 った 状 態 ) を 売 り にす る いわ ゆ る ﹁和 牛 ﹂ と は対 照 的 に、 歯 ご た え のあ る赤. 身 を 身 上 と す る牛 肉 であ る。 北 上 山 中 で放 牧 さ れ て自 然 の牧 草 を 食 べ、 適 度 な 運 動 に よ って し っか り と し た赤 身 肉. にな る。 肉 本 来 のう ま 味 を 味 わ え る上 質 な 牛 肉 で、 ス テー キ の ほか 、 煮 物 な ど に使 っても 素 晴 ら し い風味 を 醸 し出 す。 魚介類. 黒 潮 と親 潮 が ぶ つか り 合 う 三 陸 沖 は 、 世 界 三大 漁 場 の 一つに 数 え ら れ、 様 々 な 魚 介 類 に恵 ま れ て いる 。 ワ カ メ 、. コンブ な ど の海 藻 類 や 、 そ れ を 食 べ て成 長 す るウ ニや ア ワビ と い った 高 級 食 材 の宝 庫 でも あ る。 ま た、 港 に はサ ン マや サ ケ な ど 数 え き れ な い魚 介 類 が 水 揚 げ さ れ る。. ㎜.

(15) 海 と山をつ な ぐ民俗. 四. おわり に. 筆 者 は 勤 務 校 で担 当 し て い る ﹁環 境 民 俗 学 ﹂ と いう 授 業 科 目 にお い て、 海 と山 を つな ぐ 民 俗 に つ いて拙 い講 義 を. 行 って い る。 こ の講 義 は ﹁森 の維 持 管 理 ﹂ と 題 す る九 〇 分 一コ マの授 業 のう ち 、 お よ そ半 分 の時 間 を 充 て ただ け の. 断 片 的 な も のだ が 、 本 稿 で 取 り 上げ た 魚 付 き 林 や 、 ﹁森 は 海 の恋 人 運 動 ﹂ な ど も 紹 介 し て いる 。 そ の際 、 映 像 資 料. 三重 県 紀 北 町. ﹂ と いう 一〇 分 間 のビ デ オ を 併 用 し て い る。. の利 用 が 学 生 の理 解 に資 す ると 考 え 、 N H K制 作 の ﹁ニ ッポ ン の里 山 ﹂ の中 から 、 魚 付 き 林 に言 及 し た ﹁漁 師 たち が 守 る森. こ の授 業 を 受 け た 学 生 の感 想 のう ち 、 主 だ った も のを いく つか紹 介 し よう 。 いず れ も 文 章 自 体 に手 を 加 え て いな. いが 、 授 業 テー マが や や 広 い ﹁森 の維 持 管 理 ﹂ であ った た め 、 本 稿 に関 連 す る部 分 の みを 抜 粋 し た。. 森 林 が あ る こと によ って落 ち 葉 な ど が 分 解 さ れ 、 そ れ が 栄 養 分 にな って 川を 通 じ て海 へと流 れ、 海 の生 き 物 た. ち が そ の恩 恵 にあ ず か る。 自 然 界 の循 環 や 食 物 連 鎖 の よう な も のが あ り 、 非 常 に おも し ろく 、 興 味 深 く 感 じら れ. た 。 森 林 を 守 る こと によ って、 私 た ち の生 活 が 守 ら れ て い る よう に感 じた 。 (地 球 環 境 コー ス、 三 年 、 男 子 ). 森 と 海 に つな が り が あ ると は全 然 知 り ま せ ん で した 。 森 を 手 入 れ し てち ゃ ん と守 れ ば 、 魚 が い っぱ い獲 れ るな. ん て、 棚 を き れ い に掃 除 した ら ぼ た 餅 が 落 ち てき た 並 み の ラ ッキ ー です ね 。 昔 の人 は、 な ぜ 魚 が 獲 れ やす く な る. のか 理 由 は よ く わ か ら な く ても 、 な ん と な く と い った 感 じ で森 を 守 るな ん て、 や っぱ り知 恵 と いう も の はあ な ど. れ ま せ ん ね 。 温 故 知 新 と いう 言 葉 が あ り ま す け ど 、 本 当 にも っと ﹁温 故 ﹂ す べき だ と思 いま す 。 知 ら ず に、 適 当. にそ の へん の森 を 伐 採 と か し て しま って は良 い こと が 何 も あ り ま せ んね 。 昔 の文 化 や伝 統 を 守 る って、 大 切 な ご. 121.

(16) と だ と 思 い ま す 。 (都 市 ・ま ち づ く り コ ー ス 、 三 年 、 女 子 ). 漁 師 さ ん が 森 にお 祈 り を し に いく 姿 はと ても 印 象 的 で した 。 海 の保 全 と いう と、 ど う し ても 海 にぼ か り 目を 向. け が ち です が 、 山 にも 目 を 向 け 大 切 に し て いく こと が 必 要 な のだ と思 いま した 。 海 はす べ て の生 物 の 母 と いう 言. 葉 が あ り ま す が 、 山 も 同 様 、 す べ て の生 物 の母 だ と 思 いま す 。 (地 球 環 境 コー ス、 三 年 、 女 子 ). 私 は 、 森 林 を 維 持 す る利 点 は 二酸 化 炭 素 を 減 ら す こと と 、 動 物 の住 み か にな る と いう こ とく ら いし か知 りま せ. ん でし た 。 森 を 育 て る こと によ って、 海 も 育 て て い る こと にな る と知 って と ても 驚 き ま し た。 森 と海 は、 正 反対 の機 能 を 持 って い るよ う な 気 が し て いた か ら です 。 (心 理 コー ス、 三 年 、 女 子 ). 山 を 切 り 開 い て始 め る事 業 に町 の人 は賛 成 が 多 い の に、 漁 業 組 合 が 反対 し て いる と いう ニ ュー スを 以前 見 た こ. と が あ り ま す 。 町 の活 性 化 にも つな が る し、 環 境 保 護 団 体 な ら わ かり ま す が 、 な ぜ 漁 業 組 合 が 反対 す る の か、 当. 時 は わ か り ま せ ん でし た 。 で も 、 今 日 の 話 や 映 像 を 見 て 、 理 由 が わ か り ま し た 。 海 と 山 は 別 々 に考 え が ち です が 、 一体 の自 然 と し てと ら え る べき だ と 思 いま した 。 (地 球 環 境 コー ス、 三 年 、 男 子 ). 今 回学 ん だ こと は、 森 は動 物 や 植 物 はも ち ろ ん、 海 の生 態 系 にも 影 響 を 与 え る こ と です 。 日が あ た り健 全 な 森. 林 では 、 様 々な 植 物 が 育 ち 、 そ れ によ って虫 や 鳥 や 動 物 た ち が 営 みを 行 い、 森 が 維 持 され ま す 。 ま た、 森 の樹 木. や 落 ち 葉 の養 分 が 海 に渡 る こと で、 海 の生 態 系 にも 大 切 な 栄 養 源 とな り ま す 。 森 に人 が 手 を 加 え る こ と ( 例 えば. 間 伐 ) は 、 豊 か な 森 林 を 育 て る手 助 け にな ると 思 いま す 。 定 性 間 伐 や 魚 付 き 林 の考 え方 は、 昔 の人 々が 生 活 し て. 122.

(17) 海 と山をつ な ぐ民俗. いく 中 で、 ど れ だ け 森 林 に手 を 加 えれ ぼ よ いか わ か って いた か ら こそ でき た こ とだ と思 いま す 。 現 在 の よう に短. 期 的 な 経 済 効 果 を 重 視 す る の で はな く 、 これ か ら も 長 いあ いだ 共 生 し て い かな く て は いけ な い森 林 たち にも っと. 目 を 向 け て行 動 し て いか な く て はな ら な いと 思 いま した 。 (現 代 社 会 コー ス、 三 年 、 女 子 ). こ れ ら の感 想 を 読 む と 、 海 と山 と の 一体 性 を 学 生 たち が ま った く と 言 って よ いほ ど 認 識 し て いな か った こと や 、. そ の結 び つき の深 さ を 知 った 今 、 感 動 を も ってそ れ を 受 け と め て い る こ とが 伝 わ ってく る。 ま た、 日本 の伝 統 文 化. の中 に価 値 を 見 いだ し、 いま な お 継 承 さ れ 、 あ る い は忘 れ ら れ よう と し て い る数 々 の実 践 を 再 評 価 し て いく べき だ. と の考 え を 持 って いる (今 回持 った ) こ と も 読 み 取 れ る 。 これ ら の 感 想 は、 筆 者 に と って大 変 う れ し いも の であ. る。 ま た そ れ は 、 畠 山 重 篤 氏 が ﹁森 は海 の恋 人 運 動 ﹂ を 進 め てき た 思 い とも 通 じ るも の であ ろう 。. 畠 山 氏 と は 違 って、 筆 者 が 相 手 にす る の は大 学 生 であ り 、 しか も 現 場 で の実 践 を 伴 わ な い知 的 な 側 面 だ け で はあ. る。 し か し、 そ う し た 営 みを も 含 め て 社 会 全 体 の裾 野 が 広 が って いく と き 、 ﹁海 と 山 を つな ぐ 民 俗 ﹂ は 次 の世 に継 承 さ れ て いく も のと 考 え ら れ る。. 注. (1 ) 湯 や 水 の注 ぎ 口 で あ る水 栓 金 具 の こと 。 ウ ェブ サ イ ト の ﹁ 語 源 由 来 辞 典 ﹂ に よ れば 、 語 源 は オ ラ ンダ 語 で. ﹁鶴 ﹂ を 意 味 す る ﹁ク ラ ー ン (寄 9帥昌)﹂ に由 来 す る と いう 。 長 い管 が 鶴 の首 か ら 頭 に か け て の部 分 に見 え る. 昭 (み や わ き. あ きら、. か ら ら し い。 ち な み に、 工事 現場 の ﹁ク レ ー ン (9 磐 ①)﹂ も 、 元 を た ど る と 鶴 を 意 味 す る言 葉 と いう 。 両者 は 同 根 の言 葉 であ るよ う であ る。 (2 ) ウ ィ キ ペデ ィ ア の ﹁ 宮 脇 昭 ﹂ の項 は次 の よ う に説 明 し て い る (一部 抜 粋 )。 ﹁宮 脇. 鵬.

(18) 一九 二 八 (昭 和 三 ) 年 一月 二九 日 ∼ ) は 、 生 態 学 者 、 地 球 環 境 戦 略 研 究 機 関 国 際 生 態 学 セ ンタ ー 長 、 横 浜 国. 立 大 学 名 誉 教 授 。 国 内 外 で土 地 本 来 の 潜 在 自 然 植 生 の木 群 を中 心 に 、 そ の森 を 構 成 し て いる 多 数 の種 類 の樹. 種 を 混 ぜ て植 樹 す る ﹁混 植 ・密 植 型 植 樹 ﹂ を 提 唱 し活 動 し て い る。 ﹁日本 の 常 緑 広 葉 樹 を 主 と す る 照 葉 樹 林. 帯 で は 土 地 本 来 の 森 は ○ ・〇 六 パ ー セ ント し か残 って いな い。 ほ と ん ど 人 間 が 手 を 入 れ て 二次 林 や 人 工的 で. 単 一樹 種 の画 一樹 林 に し て し ま った 。 こ れ が 台 風 や地 震 、 洪 水 など の際 の自 然 災 害 の揺 り 戻 し (二次 災 害 ). が 起 こる 諸 悪 の 根 源 であ る。 そ の土 地 本 来 の潜 在 植 生 は 、 ﹁鎮 守 の森 ﹂ を 調 べ れぼ わ か る。 大 抵 、 シイ 、 タ ブ ノキ 、 カ シ類 の木 々が 茂 って い る はず だ 。﹂ と 言 う 。. (3 ) 畠 山 重 篤 ﹃ 森 は海 の恋 人 ﹄ 文 春 文 庫 、 二 〇 〇 六 年 の巻 末 にあ る著 者 紹 介 では 、 氏 は次 の よ う に 紹 介 さ れ て い. る。 一九 四 三年 中 国 上 海 生 ま れ 。 ﹁牡 蠣 の森 を 慕 う 会 ﹂ 代 表 。 京 都 大 学 フ ィ ー ル ド 科 学 教 育 研 究 セ ンタ ー 社. 会 連 携 教 授 。 高 校 卒 業 後 、 牡 蠣 、 帆 立 の養 殖 に 従 事 す る 。 家 業 の か た わ ら ﹁森 は 海 の恋 人 ﹂ を 合 い 言 葉 に 、. 気 仙 沼 湾 に 注 ぐ 大 川 上 流 の 室 根 山 へ植 樹 運 動 を 続 け る 。 森 は 海 の 恋 人 運 動 は 各 方 面 で 高 く 評 価 さ れ 、. 一九 九 四年 朝 日 森 林 文 化 賞 を は じ め 、 表 彰 多 数 。 二〇 〇 四年 に は宮 沢 賢 治 イ ー ハト ーブ 賞 、 河 北 文 化 賞 を 受. 賞 し た 。 主 著 に 、 ﹃日 本 く 汽 水 V 紀 行 ﹄( 文 藝 春 秋 / 日 本 エ ッ セ イ スト ・ク ラ ブ 賞 )、 ﹃漁 師 さ ん の 森 づ く り ﹄. (二〇 〇 五 ) 年 、 N H K教 育 テ レ ビ (当 時 ) は 、 宮 脇 氏 を講 師 に 連 続 テ レビ 講 座 を 実 施 し た 。 そ の. (講 談 社 / 産 経 児 童 出 版 文 化賞 J R 賞 ・小 学 館 児 童 出 版 文 化 賞 ) が あ る 。 (4 ) 平 成 一七. テキ スト の表 紙 には 次 のよ う に記 さ れ て い る。. 宮 脇 昭 ・七 十 七 歳 。 日 本 一多 く の木 を 植 え た 男 。 日 本 全 国 で 一二 二〇 か 所 、 世 界 中 で 一五 〇 〇 か 所 以 上 も の. 森 づ く り を行 い、 現 在 も 精 力 的 な活 動 を 続 け る 。 ド ング リ か ら 苗 を つく り 、 そ の土 地 に 合 った 樹 種 を 混 植 ・ 密 植 す る植 樹 法 は ﹁宮 脇 メ ソ ッド ﹂ と 呼 ば れ る。. 124.

(19) 海 と山をつ な ぐ民俗. ﹄ 文 春 文 庫 、 二〇 〇 二年 と いう 著 書 の中 で次 の. (5 ) 戸 井 田 克 己 ﹁江 差 ・奥 尻 民 俗 紀 行 ﹂、 ﹃民 俗 文 化 ﹄ 第 一九 号 、 近 畿 大 学 民 俗 学 研 究 所 、 二〇 〇 七 年 、 二〇 六 頁 。. 森 は海 の恋 人. (6 ) 畠 山 重 篤 ﹃森 は 海 の恋 人 ﹄ 北 斗 出 版 、 一九 九 四 年 。 (7 ) ただ し 、 畠 山 氏 は 、 ﹃リ ア ス の海 辺 か ら. よ う に述 べ (四頁 )、 そ れ が フラ ン スに 牡 蠣 養 殖 の視 察 に 行 った と き の着 想 であ った こと を 記 し て いる 。. ﹁名 づ け て ﹁森 は 海 の恋 人 ﹂ 運 動 で あ る 。 そ れ は 私 が 、 昭 和 五 九 (一九 八 四 ) 年 、 フ ラ ン ス のブ ル タ ー ニ ュ の海 辺 に、 牡 蠣 の養 殖 事 業 を 視 察 に い った こと が き っか け だ った 。. ひ. がた. う こめ. や ど か り. かに. こ. え. び. な ま こ. フ ラ ン ス最 長 の 河 川 、 ロワー ル 川 河 口 の養 殖 場 を 訪 れ た お り 、 見 事 に 育 って いる 牡 蠣 と出 会 った の で あ る 。. ま た、 干 潟 に点 在 す る 潮 溜 り に 蚕 く 、 寄 居 虫 、 竜 の落 と し 子 、 蟹 、 小 海 老 、 海 鼠 な ど の多 さ に も 驚 か さ れ. ぶ. な. みず なら. く る み. くり. た のだ った。 小 動 物 が 多 い と い う こと は 、 川 が 健 全 であ る こと の何 よ り の証 拠 で あ る 。 そ れ は 、 私 が 子 供 の. み なも と. 頃 の宮 城 の海 そ のも の であ った 。. 川 の 源 は森 。 私 は ロ ワー ル 川上 流 に 足 を 運 ん で み た。 そ こに は 、 思 った 通 り、 山 毛 棒 、 水 楢 、 胡 桃 、 栗 な. ど の、 広 葉 樹 の大 森 林 地 帯 が 広 が っ て い た の であ る 。 そ れ は 、 杉 山 に 変 わ る 前 の 三 陸 の森 の 原 風 景 で あ っ た。 広 葉 樹 の森 は 海 を も 支 配 し て い る。 そ のと き 私 はそ う 確 信 した 。﹂. 復 興プ ロジ ェク ト 通 信 ﹂ 二〇 一二年 五 月 に よ る 。. (8 ) 以 下 の 本 文 は 、 N P O 法 人 ﹁森 は 海 の恋 人 ﹂ のホ ー ム ペ ー ジ を 参 照 し た 。 (9 )宮 城 県 漁 業 協 同 組 合 唐 桑 支 所 ﹁三 陸 特 選 市 場. (10)﹁北 限 の海 女 ﹂ と いう ネ ー ミ ング は 、 久 慈 の 海 女 を 取 り 上げ た ラジ オ ド ラ マ ﹁北 限 の海 女 ﹂(昭 和 三 四年 放 送 ). が 語 源 と な って いる 。 脚 本 を 手 が け た 水 木 洋 子 は 、 ﹁ひ め ゆ り の塔 ﹂﹁裸 の 大 将 ﹂﹁浮 雲 ﹂ な ど 数 々 の 名 作 を 生. み だ し た が 、 ﹁北 限 の海 女 ﹂ では 都 会 の女 性 と 小 袖 の海 女 の出 会 いと 生 き 方 の違 いを モチ ー フに し て いた 。. 125.

(20) な お 、 現 在 放 映 さ れ て い る N H K の朝 の連 続 テ レ ビ 小 説 ﹁ あ ま ち ゃん ﹂ は 、 全 編 を 通 じ て パ ロデ ィー が も う. 北上 山 地 ・村 の民 俗 生 態 史. ﹄ 大 河 書 房 、 二〇 〇 八 年 。 な お 、 こ の研 究. 一つの モ チ ー フに な って い るが 、 この ラ ジ オ ド ラ マ ﹁北 限 の海 女 ﹂ の スト ー リ ー も モ チ ー フに さ れ て い る よ う であ る。 (11 ) 岡 恵 介 ﹃ 視 えざ る森 の暮 ら し. し ろず み. 書 に つ い て は 以 下 の文 献 で拙 評 し た。 ﹃民 俗 文 化 ﹄ 第 二 三 号 、 近 畿 大 学 民 俗 学 研 究 所 、 二〇 一 一年 、 二九 一 - 二九 七 頁 。. く ろず み. (12 ) 岩 手 県 久 慈 市 産 業 振 興 部 商 工 観 光 課 ﹁ 北 限 の海 女 ﹂ に よ る 。. る。 白 炭 と 比 べ て、 黒 炭 は 着 火 しや す く 火 力 も 強 いが 、 燃 焼 時 間 は半 分 程 度 であ る。. る。 同 じ 原 木 を 焼 いて も 、 黒 炭 と 白 炭 と で は 硬 さ や 発 熱 量 、 火 つき や 火 も ち のよ さ な ど が 違 った も の にな. く り と 焼 き、 ゆ っく り 冷 ま し て作 る の に対 し て、 白 炭 は 高 温 で 一気 に 焼 き 、 灰 を か け て 一気 に 冷 ま し て作. ほど 大 き な違 いは な いが 、 焼 き 上 が る 際 の火 の消 し 方 で炭 質 が ま った く 違 ってく る。 黒 炭 は や や 低 温 で じ っ. (13 ) 日 本 で焼 か れ て いる 木 炭 を 、 そ の炭 質 に よ って分 け ると 黒 炭 と白 炭 の 二種 類 が あ る。 ど ち ら も 焼 き 方 にそ れ. 付記 本 稿 は 、 主 と し て 二〇 一二年 八 月 に行 った 現 地 調 査 に基 づ い て執 筆 した も の であ る。. 調 査 に あ た っては 、 早 馬 神 社 宮 司 ・梶 原 忠 利 氏 (気 仙 沼 市 唐 桑 地 区 復 興 支 援 協 同 体 副 代 表 )、 津 波 体 験 館 ・小 松. 勇 次 氏 、 陸 前 高 田観 光 ガ イ ド ・森 るり 子氏 ほか 、 多 く の方 々 より ご 教 示 を いた だ き ま した 。 記 し て感 謝 の意 を 表 し ます。. 鵬.

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