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為家書礼とその妖艶幽玄体 : 付、越部禅尼消息等の伝本ならびに紫明抄のことなど (松蔭女子学院大学開学記念特集)

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Academic year: 2021

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Kobe Shoin Women’s University Repository

Title

為家書札とその妖艶幽玄体 ―付、越部禅尼消息等の伝本な らびに紫明抄のことなど―

On a Letter of Tameie—The Idea "Yoen Yugen Tai"

Author(s) 谷山 茂(Shigeru Taniyama)

Citation 研究紀要(SHOIN REVIEW),第 8 号:92-110

Issue Date 1966

Resource Type Bulletin Paper / 紀要論文

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Right

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付 、 越 部 禅 尼 消 息 等 の 伝 本 な ら び に 紫 明 抄 の こ と な ど ー

標 題 の ﹁ 為 家 書 札 ﹂ は 、 藤 原 為 家 が 和 歌 そ の 他 の 条 々 に 関 し て 、 そ の 所 存 を 開 陳 し た 書 札 で あ る 。 こ の 書 札 の 内 容 は ま だ 紹 介 さ れ て い な い よ う だ か ら 、 と り あ え ず 架 蔵 の 一 本 に よ っ て 、 こ れ を 翻 刻 し 、 あ わ せ て 若 干 の 考 察 を こ こ ろ み る 。 最 初 に 、 そ の 本 文 と 奥 書 と を 底 本 の ま ま に 翻 刻 す る 。 た だ し 、 閲 読 の 便 を は か っ て 、 適 当 に 改 行 し 、 句 読 点 ・ 濁 点 ・ 訓 点 な ど を ほ ど こ す 。 な お 、 底 本 に は 、 読 み 仮 名 な ど も 付 し て あ る が 、 そ れ ら は 省 略 す ろ 。 -1 ・ O l 条 々 御 詠 所 存 少 々 注 進 候 。 自 二 先 度 一彌 見 二 御 詠 一者 、 地 躰 殊 神 妙 之 上 、 被 二思 食 入 一 候 、 姿 詞 尤 珍 重 々 々 候 。 凡 世 字 事 、 父 祖 庭 訓 と て は か ぐ し く 存 分 た る 事 も 不 レ 候 。 只 為 ・ 先 二 理 世 一 廻 二 風 憤 、 叶 二 義 理 一 兼 二 華 実 一。 思 = 比 類 一 、 取 二讐 喩 一候 も 妖 艶 幽 玄 躰 を 存 候 は 宰 、 を の つ か ら 不 レ 可 レ 背 i ハ 義 一。 且 者 、 古 今 序 ﹁ 花 を た つ ね 月 を こ ふ と て ﹂ と 賢 愚 を 書 顕 候 欺 。 又 、 千 載 集 序 に ﹁ 本 文 法 門 を も さ と ら ず 、 只 仮 名 四 十 七 字 之 内 、 思 ふ こ と を 詞 に 計 一 字 に い ひ つ ら ぬ る 故 に 、 八 雲 の 底 を し の ぎ 敷 嶋 の さ か ひ に 入 す ぎ た り と の み 思 へ る 成 べ し 。 し か は あ れ ど も 、 ま 事 に は き れ ば 弥 か た く 仰 ば

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弥 た か き 物 は 寄 道 也 L と 書 候 。 寂 蓮 、 ﹁ い な ば を わ た る さ ほ し か の 聲 ﹂ と よ み て 自 讃 つ か ま つ り 候 け る を ば 、 祖 父 俊 成 、 ﹁ 末 代 の 舟 損 ぜ む ず る 再 也 。 誠 す く な し 。 恋 ・ 述 懐 な ど に は 利 口 も ゆ ろ す 事 な れ ど 、 四 季 嵜 は 虚 誕 は 不 レ 可 レ 然 候 ﹂ 由 、 申 候 け る 。 千 載 集 に い れ ず 候 け る を 、 絵 に な く ノ \ 申 け る 不 便 さ に 、 父 定 家 、 平 に 申 入 て 候 き 。 ﹁ 今 思 食 候 へ ば 、 猶 よ く 申 候 け る 。 近 代 再 、 此 風 出 来 て 、 ひ た 虚 言 に 成 に た り ﹂ と 申 候 き 。 如 ・ 此 事 、 此 中 風 、 い と Ψ 手 振 候 て 委 不 ・ 申 候 。 又 、 新 勅 撰 の 比 、 橘 長 政 と 申 候 し 好 士 、 自 讃 寄 に ﹁ さ き に け り 雲 の は た て の 山 ざ く ら あ ま つ 嵐 に 物 思 へ と て ﹂ と 詠 候 て 、 平 に 可 レ 入 之 由 、 懇 望 候 き 。 亡 父 、 い と を し げ に ﹁ さ く ら 程 の 物 を 、 人 の 物 思 へ と て さ く と い ひ な さ む 、 い ま く し ﹂ と 申 候 き 。 就 レ 之 、 近 年 見 及 候 へ ば 、 春 の 明 ぼ の ・ 秋 の 夕 暮 ・ 秋 の 夜 の 月 、 み な 此 義 に 罷 成 候 。 只 、 時 節 す ご く 身 に し み 、 景 物 の 心 を う こ か し 、 た へ が た き 事 を 賞 翫 ご と く 思 給 候 へ 。 是 等 事 、 次 、 私 存 知 申 候 。 不 レ 可 レ 有 二 御 披 露 一候 。 如 レ 此 事 は 、 祖 父 に 亡 父 四 十 除 年 、 亡 父 に 融 覚 四 十 鯨 年 、 承 を き 候 し 間 、 さ す が に 多 候 へ ど も 、 老 病 相 侵 、 心 神 衰 疲 、 無 下 に よ は く 罷 成 候 て 、 忘 脚 候 し 上 、 右 筆 不 レ 合 レ 期 候 し 間 、 き と 存 事 を 申 候 し 。 返 々 片 腹 痛 も 候 欺 。 愚 鮎 之 事 、 師 鮎 な ど 無 二 左 右 一合 候 。 撰 再 之 時 、 臨 レ 期 、 寄 次 第 も 違 説 、 作 者 つ サ き も 無 骨 候 し 時 、 相 違 出 来 候 し 間 、 ﹁ さ て や 、 い か に 師 鮎 は 合 た り し そ ﹂ と つ め ら れ 候 。 難 レ 堪 に 候 し 間 、 少 々 略 候 を 、 被 レ 庭 二 奇 惟 不 審 一 、 公 私 難 レ 堪 候 也 。 一 、 九 品 事 、 凡 無 二 才 學 一候 。 嵜 事 は 、 ロ ハ 重 代 好 士 、 構 々 面 々 に 勇 を な し 興 を も よ ほ し て 、 い よ く 道 の た め 広 大 な る べ き 事 に て 候 殿 。 而 を 近 来 先 達 の 世 に も ち ゐ 候 姿 を あ ら た め て 、 い ま 我 人 に た が ふ お も む き を 思 事 出 来 候 て 、 花 鳥 の な さ け 、 月 雪 の 光 ま で 、 得 を す げ、 て 失 を 賞 、 ま 事 を し り ぞ け て 、 い つ は り を も て あ そ ぶ 事 、 是 風 情 す ぎ て お も し ろ か ら ん と 案 じ 候 程

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に 、 聞 に く き 事 も 候 欺 。 是 を か く 存 候 へ ば 、 宗 論 に な り て 、 む つ か し く 候 へ ば 、 身 ひ と つ 、 お や . お ほ ぢ 申 候 し 事 思 て 、 さ て 候 な む と 思 候 て 罷 過 候 程 に 、 此 風 躰 を よ ま ぬ 物 は 寄 よ み に て も な く 、 我 に し た が は ぬ 物 は な が く す て ら れ 候 事 、 難 治 の 事 に て 候 へ ど も 、 重 代 は か ま へ て た ら ぬ や う に な だ め も ち ゐ 、 非 重 代 好 士 を ば い さ み あ る や う に 候 べ し と は 思 候 へ ど も 、 自 他 み な 平 等 、 大 會 は か な は ず 候 。 ま こ と に 凡 夫 の 程 は 力 不 レ 及 候 。 一 ・ 少 將 殿 御 意 之 趣 、 是 又 不 レ 可 レ 及 二 御 制 止 一候 。 光 行 子 孝 行 入 道 も 、 何 と や ら ん 、 書 て 候 物 は 、 至 極 道 理 な ど 申 人 に 候 と 承 候 。 身 に は 無 レ 益 候 へ ば 、 如 レ 此 事 ま こ と に 無 レ 詮 事 と 存 候 へ ど も 、 顯 然 偏 頗 な ど は 不 レ 可 レ 有 二 其 隠 一候 。 さ 候 へ ば こ そ 首 鼠 お り に よ る 事 に て ば 候 へ 。 關 束 將 軍 辮 蹄 繍 御 詠 合 鮎 之 頃 、 遣 二左 兵 衛 督 勲 経 齪 子 聯 祖 父 入 道 大 納 言 爲 家 卿 書 札 也 。 可 秘 藏   。 椹 中 納 言 藤 原 朝 臣 爲 秀 判 本 云 故 了 俊 奥 善 云 此 一 帖 、 貞 世 得 二 古 今 説 一之 時 、 自 二 爲 秀 卿 一相 傳 也 。 此 外 更 力 無 二 類 本 一、 可 二 秘 藏 一云 、 。 於 二 彼 御 門 弟 一 者 一 身 面 目 者 欺 。 正 五 位 下 判   號 二 光 行 子 孝 行 入 道 一者 、 源 氏 紫 明 抄 作 者 鰍 。 定 家 卿 源 氏 之 説 事 、 難 申 事 欺 。 可 二 尋 明 一 候 也 。 嘆 水 廿 二 年 90 月 + 二 日 ・ 以 二 了 俊 庵 主 本 ネ レ 違 二 字 書 爲 了 ・ 彼 本 爲 秀 卿 自 筆 也 云 ・ 。

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-O ー ミ ・ こ の 架 菓 は ・ 袋 綴 ・ 近 世 書 写 の 一 奎 ・ 近 代 秀 鶴 和 歌 + 讐 毎 月 鴨 未 来 稿 雨 中 臆 越 部 禅 尼 臨 と 合 冊 さ れ て お り 、 外 題 に は ﹁ 爲 家 書 札 ﹂ 、 内 題 に は ﹁ 条 々 ﹂ と あ る 。 ひ と ま ず 、 本 書 の 奥 書 を 信 用 し て 、 そ の 成 立 年 次 ・ 伝 来 経 路 な ど を 検 討 す る 。 1 奥 書 は 四 通 に わ か た れ る が 、 そ の 第 ↓ 奥 書 ( 冷 泉 爲 秀 の 奥 書 ) に よ れ ば 、 本 書 は 爲 家 入 道 が 關 東 將 軍 中 務 卿 宗 尊 親 王 の 詠 歌 に 合 点 を 加 え た ﹁ 頃 ﹂ ( 底 本 、 ﹁ 合 点 之 頃 ﹂ の ﹁ 頃 ﹂ の 書 体 は ﹁ 次 ﹂ と も 読 め そ う で あ る ) に 、 關 東 祇 候 の 左 兵 衛 督 飛 鳥 井 教 定 ( 雅 経 息 ) に 書 き 送 っ た 書 札 で あ る 。 そ れ を 信 用 し う る な ら ば 、 宗 尊 親 王 が 鎌 倉 将 軍 と し て 束 下 し た の は 建 長 四 年 ( か 一じ 三 月 ( 将 軍 を や め て 帰 洛 し た の は 文 永 三 年 七 月 ) で あ り 、 前 左 兵 衛 督 教 定 が 他 界 し た の は 文 永 三 年 ( = 一 六 六 ) 四 月 で あ る の で 、 本 書 札 の 成 立 時 は 、 ま ず そ の 間 に 求 め ら れ ね ば な ら な い 。 と こ ろ で 、 こ の 期 間 内 に 、 同 じ く 為 家 が 鎌 倉 に い る 教 定 に 与 え た 書 簡 と し て は 、 す で 注 ⑦ に 文 永 元 年 ( ⊥ぺ 鴎 ) 九 月 十 七 日 付 の も の ( 砂 巌 第 五 冊 所 収 ) が 紹 介 さ れ て い る 。 し か し 、 そ れ は 、 続 古 今 撰 者 中 の ひ と り 衣 笠 内 府 家 良 が 亮 じ て 、 撰 者 に 欠 員 が 生 じ た の で 、 こ の 機 会 に 新 古 今 撰 者 雅 経 卿 の 息 た る そ な た ( 教 定 ) も 宿 望 の 撰 者 に 追 加 さ る べ く ﹁ 御 秘 計 ﹂ を め ぐ ら す べ き で し ょ う な ど 、 と い っ た 内 容 の 書 状 で あ る 。 し た が っ て 、 そ れ は 本 稿 で 紹 介 す る 為 家 書 札 と は 全 く 別 物 で あ る 。 も っ と も 、 こ こ に 紹 介 す る 書 状 で も 、 そ の 本 文 中 に ﹁ 撰 歌 之 時 、 臨 期 、 可 可 次 第 も 違 乱 、 作 者 つ 雲 き も 無 骨 候 し 時 、 相 違 出 来 候 ﹂ な ど と あ り 、 そ れ は や は り 続 古 今 撰 進 中 に 、 各 撰 者 の 意 見 が 対 立 し 事 態 が 紛 糾 し た こ と を 述 べ て い る も の と 考 え ら れ る 。 だ か ら 、 本 書 状 成 立 の 上 限 は 、 は じ め 為 家 ひ と り が 続 古 今 撰 者 に 任 命 さ れ た 正 元 々 年 ( = 一 五 九 ) 三 月 以 後 で あ る こ と は 勿 論 の こ と 、 さ ら に 真 観 ら 四 人 の 撰 者 が 追 加 さ れ た 弘 長 二 年 ( 一 二 六 二 ) 九 月 以 後 に 限 定 さ れ る 。 そ の 弘 長 二 年 九 月 か ら 文 永

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三 年 四 月 ( 教 定 他 界 ) ま で の 間 で 、 宗 尊 親 王 が 為 家 の 批 点 を 求 め た の は 1 文 献 に 明 徴 が あ る 限 り で は -次 の 二 度 で あ 庄 ⑧ る 。 そ の 一 つ は 、 吾 妻 鏡 に (弘 長 三 年 七 月 五 日 ) 將 軍 家 今 年 中 御 詠 歌 数 巻 中 、 抄 二出 三 百 六 十 首 一、 致 一一清 書 一。 是 為 二 合 点 一可 レ被 レ 遣 二 入 道 民 部 卿 ( 為 家 卿 ) 一云 々 。 と 見 え る も の で あ り 、 今 一 つ は 同 じ く 吾 妻 鏡 に 、 し か も 同 月 中 の 記 事 に 、 注 ⑨ (弘 長 三 年 七 月 二 十 三 日 ) 將 軍 家 五 百 首 御 詠 歌 、 付 二前 右 兵 衛 督 教 定 卿 一、 為 二合 点 一被 レ 遣 二 入 道 民 部 卿 之 許 一。 範 元 清 書 之 。 と あ る も の で あ る 。 が 、 三 百 六 十 首 ・ 五 百 首 な ど と い う 大 量 の 詠 歌 に 対 す る 合 点 を 、 同 月 中 に 引 き 続 い て 求 め る と い う こ と は 、 い さ さ か 異 常 で あ る 。 あ る い は 、 七 月 五 日 の 三 百 六 十 首 は 更 に 増 補 さ れ て 同 二 十 三 日 の 五 百 首 に ま と め ら れ た の で は な い か と も 考 え ら れ る 。 そ れ は と も あ れ 、 二 十 三 日 の 五 百 首 は 、 親 王 の 近 臣 で も あ り 、 為 家 の 縁 者 で も あ る 教 定 を 通 じ て 、 確 か に 為 家 の 許 に と ど け ら れ 、 そ れ に 対 す る 為 家 の 合 点 ・ 返 状 が 到 来 し た こ と も 、 吾 妻 鏡 に 、 (弘 長 三 年 十 月 二 十 八 日 ) 將 軍 家 五 百 首 御 詠 、 民 部 卿 入 道 融 覚 加 点 返 上 。 則 副 二 一 巻 状 、 六 義 奥 旨 一、 猶 可 レ 被 レ 凝 二 御 沈 思 一之 由 、 申 二條 々 調 諌 一云 々 。 と 明 記 さ れ て い る 。 こ の 吾 妻 鏡 、 弘 長 三 年 十 月 二 十 八 日 の 記 事 に 見 え る 為 家 の コ 巻 状 ﹂ が 、 直 ち に 本 稿 の 為 家 書 札 に 当 る な ど と は 、 も ち ろ ん 言 え ま い 。 し か し 、 こ の 将 軍 五 百 首 合 点 の こ と も 明 ら か に 教 定 を 取 り つ ぎ 役 と し て い る 。 ま た 本 書 札 の 第 一 奥 書 ( 為 秀 奥 書 ) に い う と こ ろ は そ の こ と に 矛 盾 し な い 。 だ か ら 、 か り に 本 書 札 が こ の 弘 長 三 年 十 月 ご ろ に 成 立 し た と し て も 、 決 し て 不 都 合 で は な い 。 の み な ら ず 、 前 掲 の 吾 妻 鏡 記 事 中 の ﹁ 六 義 奥 旨 ﹂ な ど の こ と ば は 、 こ の 書 札 本 文 中 に ﹁ 妖 艶 幽 玄 躰   む を 存 候 は ば 、 を の つ か ら 不 レ 可 レ 背 二 六 義 一 ﹂ な ど と あ る こ と と も 、 い さ さ か 符 合 し て い る よ う に も 思 わ れ る 。

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た だ し 、 そ う で は あ っ て も 、 こ の 教 定 宛 為 家 書 札 は 、 あ く ま で も 教 定 宛 に 書 か れ た も の で あ っ て 、 直 接 に 宗 尊 親 王 宛 に 書 か れ た も の で な い 。 じ じ つ 、 本 書 札 の 内 容 は 親 王 を 対 象 と し て 言 っ た と お も わ れ る 言 説 の み で は な い 。 さ ら に い え ぱ 、 為 秀 奥 書 中 に 、 関 東 将 軍 の 詠 に 合 点 し た 頃 ( ま た は 次 ) と 言 っ て い る の は 、 た だ こ の 為 家 書 札 が し た た め ら れ た 時 期 の み を 限 定 す ろ も の で 、 書 札 の 内 容 が 将 軍 詠 に 関 連 し た も の か ど う か ま で を 限 定 し な い と も 考 え ら れ る 。 と す れ ば 、 本 書 札 は 、 為 家 が 将 軍 詠 に 合 点 し た つ い で に 、 そ の 仲 介 者 教 定 の 要 請 で 、 教 定 自 身 も し く は そ の 息 雅 有 の 詠 に も 批 点 を 加 え 、 そ の 指 導 の た め に 年 来 の 所 存 な ど を 開 陳 し た も の 、 と い う ふ う に も 十 分 に 考 え ら れ る 。 た だ し 、 教 定 自 身 は 完 成 し た 歌 仙 と 注 ⑩ い う ほ ど で も な く 詠 歌 量 も 多 く は な い が 、 す で に 続 後 撰 歌 人 で も あ り 、 か な り 高 齢 で も あ り 、 ま た 前 述 の 如 く 新 古 今 撰 者 雅 経 の 息 と し て 続 古 今 撰 者 を 競 望 す る ほ ど の 歌 人 で も あ っ た の で 、 今 か り に 続 古 今 撰 歌 資 料 と し て の 詠 草 を 為 家 に 送 り 、 そ の 合 点 を 求 め た と し て も 、 本 書 札 本 文 に あ る よ う な 基 本 的 指 導 を 受 け る 必 要 が 今 さ ら に あ っ た か ど う か 。 そ の 点 、 い さ さ か 不 審 が 残 る か も し れ な い 。 と す れ ば 、 ま た 教 定 を 通 じ て で は あ る が 、 そ の 息 雅 有 を 対 象 と す る 訓 説 と い う 線 が 今 一 つ 注 ⑪ う か び あ が っ て く る 。 書 札 本 文 中 に ﹁ 少 将 殿 ﹂ と 見 え る の も 、 お そ ら く は 当 時 の 左 少 将 雅 有 を さ す か と 思 わ れ る 。 雅 有 は そ の 童 侍 従 ま た 左 少 将 の 時 代 に 、 父 教 定 と と も に 、 関 東 祇 候 の 廷 臣 と し て 宗 尊 親 王 の 側 近 に つ か え て い る 。 ま た 、 隣 女 和 歌 集 に よ れ ば 、 彼 は 正 元 ご ろ か ら 歌 を 詠 み は じ め て い る ら し い が 、 そ の 正 元 元 年 ( 一 二 五 九 ) 十 九 歳 の 春 、 宗 尊 親 王 の 召 に よ っ 崖 ⑫ て 三 百 首 を 詠 進 し 、 ま ず こ れ に 親 王 と 為 家 と の 批 点 を 仰 い で い る 。 そ し て 、 そ の 後 も 引 き 続 い て 、 為 家 や そ の 一 族 の 指 導 を 受 け て い る 。 ま た 、 教 定 自 身 は す で に 長 い 歳 月 に わ た っ て 為 家 と 交 渉 を 持 っ て い た の で 、 こ れ ま で に 何 回 か 為 家 の 批 点 を 乞 う 機 会 が あ っ た で あ ろ う 。 し た が っ て 、 こ の 為 家 書 札 の 内 容 は 、 教 定 を 通 じ て 、 宗 尊 親 王 詠 へ の 訓 説 を 中 核 と す る も の か 、 雅 有 ま た は 教 定 自 身 の

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詠 へ の 訓 説 を 中 核 と す る も の か 、 そ の 点 は な お 俄 か に は 決 定 し が た い が 、 そ の 成 立 の 年 次 は 、 か り に 弘 長 三 年 ご ろ と 考 え て 差 支 え な い 。 と す れ ば 、 時 に 将 軍 宗 尊 親 王 は 二 十 二 歳 、 左 少 将 雅 有 は 二 十 三 歳 、 為 家 入 道 融 覚 は 六 十 六 歳 で あ り 、 左 兵 注 ㊥ 衛 督 教 定 は 五 十 四 歳 で あ っ た か と お も わ れ る 。 な お 、 為 家 の 孫 為 秀 が 本 書 札 を 書 写 し て 、 第 一 奥 書 に 見 ら れ る 識 語 を 加 え た の は 、 彼 の ﹁ 権 中 納 言 ﹂ 時 代 と い う こ と だ か ら 、 貞 治 五 年 ( = 二 六 六 ) 十 二 月 か ら 応 安 元 年 ( ⊥矩 ) 四 月 ま で の 問 で あ る 。 次 に 、 第 二 奥 書 (今 川 了 俊 が 正 五 位 下 貞 世 で あ っ た 時 代 に 記 し た 奥 書 ) に よ れ ば 、 こ の 為 家 書 札 ] 帖 は 、 貞 世 が 師 為 秀 か ら 古 今 伝 授 を う け た と き に 、 為 秀 か ら 相 伝 し た 秘 蔵 本 で 、 世 に め ず ら し い も の で あ っ た ら し い 。 了 俊 の 一 子 伝 に よ れ ば 、 貞 世 は 二 十 歳 あ ま り ( し た が っ て 、 貞 和 元 年 呼 記 以 後 ) に 為 秀 門 に 入 っ て い る 。 そ し て 、 四 十 一 歳 (貞 治 六 年 山径 ) ご ろ に は 出 家 し 、 了 俊 と 号 し て い る の で 、 こ の 第 二 奥 書 は 、 そ の 貞 和 か ら 貞 治 ま で の 間 に 、 在 俗 中 の 貞 世 ( 了 俊 ) に よ っ て 書 き 添 え ら れ た も の で あ る 。 こ の 奥 書 に よ っ て も 、 了 俊 が 為 秀 か ら ﹁ 古 今 説 ﹂ の 伝 授 を 受 け た こ と が 確 認 さ れ る わ け だ が 、 そ の 年 次 ( 同 時 に 本 書 を 相 伝 し た 年 次 ) は 、 お そ ら く 彼 が 為 秀 に 師 事 し は じ め て か ら 数 年 後 の こ と で あ っ た ろ う 。 な お 、 了 俊 が 為 秀 自 筆 の 歌 書 抄 物 類 を あ ま た 相 伝 し て い た こ と は 、 徳 川 美 術 館 蔵 和 歌 秘 抄 ( 詠 歌 一 体 ) お よ び そ の 転 写 本 の 蓬 左 文 庫 蔵 為 家 卿 和 歌 之 書 に 書 き 添 え ら れ た 了 俊 の 長 文 の 奥 書 に よ っ て も 、 具 体 的 に う か が え る 。 そ こ に 列 挙 さ れ た 書 名 の な か に 、 詠 歌 ] 体 ・ 詠 歌 大 概 ・ 和 歌 秘 々 ( 近 代 秀 歌 か ) な ど と と も に 、 ﹁ 書 札 和 歌 説 一 帖 鴫 蠕 蔀 ﹂ と い う も の が 見 ら れ る 。 井 上 宗 雄 博 士 は 、 そ の 著 ﹁ 中 世 歌 壇 史 の 研 究 ・ 南 北 朝 期 ﹂ で は 、そ れ を ﹁ 和 歌 書 様 、 或 は 下 官 集 の 類 か ﹂ (六 六 = 責 ) 、 ま た ﹁ 冷 泉 家 関 係 者 の 記 し た 奥 書 を 持 つ 歌 書 類 に つ い て ﹂ ( 立 教 大 学 研 究 報 告 ・ 人 文 科 学 一 八 ) で は 、 ﹁ 為 秀 以 前 成 立 の 歌 学 書 ? ﹂ と 推 察 し て い る の で あ る 。 け れ ど も 、 そ れ は 、 ど ち ら か と い え ば 、 書 札 に よ っ て 和 歌 の 所 説 を 開 陳 し た も の と 見

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る べ き で あ っ て 、 た と え ば 、 消 息 の 形 態 で 書 か れ て い る 毎 月 抄 ・ 越 部 禅 尼 消 息 ・ 夜 の 鶴 な ど も そ れ に 擬 し う る し 、 同 時 に こ の 為 家 書 札 も ま た そ れ に 相 当 す る 資 格 や 条 件 を 十 分 に そ な え て い る 。 次 に 、 第 三 奥 書 の 右 肩 注 に ﹁ 同 ﹂ と あ る の は 、 第 二 奥 書 の 右 肩 に 了 俊 残 後 の 某 人 が ﹁ 本 云 故 了 俊 奥 書 云 ﹂ と 注 し た 八 字 全 部 を 受 け る の か 、 そ れ と も ﹁ 本 云 ﹂ の 二 字 だ け を 受 け る の か 、 明 ら か で な い 。 け れ ど も 、 第 四 奥 書 の 右 肩 注 に は 、 改 め て ﹁ 本 云 ﹂ と 書 い て い る の で 、 第 三 奥 書 右 肩 注 の ﹁ 同 ﹂ は 、 第 二 奥 書 右 肩 注 の 八 字 全 部 を 受 け る 、 す な わ ち 第 三 奥 書 も 了 俊 の 書 き 添 え た も の と 解 し て よ か ろ う 。 と す れ ば 、 こ の 第 三 奥 書 で は 、 そ の 了 俊 が 書 札 本 文 中 の ﹁ 光 行 子 孝 行 入 道 も 、 何 と や ら ん 、 書 て 候 物 は ﹂ と あ る 部 分 に 対 し て 、 若 干 の 推 測 と 不 審 と を さ し は さ ん で い る こ と に な る 。 源 氏 六 帖 抄 な ど に よ れ ば 、 了 俊 は 河 内 本 よ り も 青 表 紙 本 を 高 く 評 価 し て い る 。 そ う い う 彼 だ か ら 、 本 文 の こ の 部 分 は い さ さ か 気 に な っ て 、 ﹁ 定 家 卿 . 源 氏 之 説 . 事 . 難 .ソ申 . 事 欺 ﹂ な ど と 書 き 付 け た の で あ ろ う 。 そ れ よ り も 、 こ の 第 三 奥 書 で 注 目 す べ き こ と は 、 す で に 源 孝 行 を 紫 明 抄 の 作 者 か 、 と 言 っ て い る 点 で あ る 。 紫 明 抄 は 同 書 に お け る 著 者 の 自 署 自 記 に よ っ て 、 確 か に 素 寂 ( 源 光 行 子 ) の 著 作 と 知 ら れ る 。 し か し 、 そ の 素 寂 が 果 し て 光 行 息 の 誰 で あ っ た か に つ い て は 、 今 だ に 定 説 を 見 な い 。 そ れ を 孝 行 と す る 説 は 、 故 池 田 博 士 に よ っ て お お か た 否 定 さ れ 、 珊 瑚 秘 抄 ( 応 永 初 年 成 る ) の 奥 書 に ﹁ 保 行 法 師 素 寂 ﹂ と 見 え る の 注 ⑭ が 、 い ち お う 有 力 な 一 説 に な っ て い る が 、 そ の 珊 瑚 秘 抄 と ほ ぼ 同 時 代 に 、 こ の 第 三 奥 書 は 、 す で に 孝 行 か と い う 説 を 提 示 し て い ろ わ け で あ る 。 最 後 の 、 応 永 二 十 二 年 ( 一 四 一 五 ) 卯 月 十 二 日 付 の 第 四 奥 書 の 筆 者 は 何 人 か 知 る 由 も な い 。 応 永 二 十 二 年 当 時 、 了 俊 庵 主 は ま だ 存 世 中 だ か ら 、 第 二 奥 書 の 右 肩 注 に ﹁ 故 了 俊 奥 書 云 ﹂ な ど と 書 き つ け た 人 と は 別 人 で あ る 。 あ る い は 、 他 の 了 俊 秘 蔵 書 の 多 く を 伝 写 し て い る 今 川 範 政 あ た り も 、 こ れ に 擬 し う る か も し れ な い 。 そ れ は と も あ れ 、 こ の 奥 書 で は 、 本 書 札 の 了 俊

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蔵 本 が 為 秀 自 筆 で あ っ た こ と を 確 認 し て い る の で あ る 。 な お 、 こ の 第 四 奥 書 も そ の 右 肩 に ﹁ 本 云 ﹂ と 注 し て い る の で 、 架 蔵 本 は も ち ろ ん そ の 応 永 二 十 二 年 当 時 の も の で は な く 、 は じ め に 言 っ た よ う に 、 近 世 に 下 っ て の 伝 写 本 で あ る 。 × 以 上 の よ う な 、 本 書 札 の 成 立 時 と 伝 来 経 路 と を 念 頭 に お き な が ら 、 そ の 内 容 に つ い て も 若 干 の 吟 味 を 加 え る 。 i ま ず 、 冒 頭 の ﹁ 御 詠 ﹂ 以 下 ﹁ 姿 詞 尤 珍 重 々 々 候 ﹂ ま で は 、 為 家 が 某 人 の 御 詠 に 関 す る 所 存 な ど を 注 進 す る に あ た っ て 、 今 度 の 御 詠 ば 先 度 の 御 詠 よ り も ま す ま す 上 達 し て 珍 重 だ 、 と 一 ま ず の 挨 拶 を し て い る の で あ ろ 。 そ の ﹁ 御 詠 ﹂ と い う の は 、 前 述 の ご と く 、 未 だ 誰 の 詠 か 速 断 は で き な い が 、 宗 尊 親 王 か 雅 有 あ た り の 詠 と み て も 不 都 合 で な い 。 そ こ に ﹁ 自 二 先 度 一弥 見 二 御 詠 一 者 ﹂ と 言 っ て い る の で 、 為 家 が ﹁ 御 詠 ﹂ を 見 せ ら れ た の は 、 こ の た び が 最 初 で は な い 。 こ れ を 宗 親 尊 王 の 具 体 的 な 詠 歌 に 当 て は め て み れ ば 、 今 度 の 詠 は 弘 長 五 百 首 に 、 先 度 の 詠 は 文 応 三 百 首 な ど に 当 る か と 考 え ら れ る 。 ま た 、 雅 有 の 場 合 な ら ば 、 そ の 今 度 の 詠 は 宗 尊 親 王 五 百 首 と 同 じ こ ろ の 詠 、 先 度 の 詠 は 正 元 々 年 の 三 百 首 な ど に あ た ろ で あ ろ う か 。 以 下 、 為 家 は 和 歌 に 関 す る 年 来 の 所 存 な ど を 開 陳 す る わ け だ が 、 そ の 間 に 、 類 従 本 宗 尊 親 王 三 百 首 和 歌 ( 文 応 三 百 首 ) 付 載 の 資 平 宛 為 家 書 札 の 内 容 と い さ さ か 相 似 た 文 言 も 二 一二 見 ら れ る 。 た と え ば 、 老 後 中 風 で 手 が ふ る え る こ と 、 定 家 は そ 注 ⑮ の 父 俊 成 に 、 自 分 ( 為 家 ) は 父 定 家 に 、 そ れ ぞ れ 四 十 余 年 も 付 き 随 っ て 庭 訓 を 受 け た と い う こ と な ど で あ ろ 。 し か し 、 こ れ ら は い わ ゆ る 老 の 繰 り 言 で あ る う え に 、 文 応 と 弘 長 と で は 数 年 を 隔 て る に 過 ぎ な い の で 、 両 者 間 に そ れ ぐ ら い の 相 似 が あ っ て も 不 思 議 で は あ る ま い 。 け れ ど も 、 全 体 と し て は 、 資 平 宛 書 札 に は 歌 説 と い う ほ ど の も の が 見 ら れ な い が 、 こ の 教 定 宛 書 札 に は い ち お う 歌 説 と し て も ま と ま っ た 見 解 を う か が う こ と が で き る 。 と く に 、 そ の は じ め に 、

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只 為 先 理 世 廻 風 情 、 叶 義 理 兼 華 実 。 思 比 類 取 馨 喩 候 も 妖 艶 幽 玄 躰 を 存 候 は ワ 、 を の つ か ら 不 可 背 六 義 。 ︹ た だ 理 世 を 先 と な し て 風 情 を め ぐ ら さ ば 、 義 理 に か な ひ 華 実 を 兼 ぬ ( べ け む ) 。 比 類 を 思 ひ 讐 喩 を 取 り 候 ふ も 、 妖 艶 幽 玄 の 体 を 存 し 候 は ば 、 お の つ か ら 六 義 に 背 く べ か ら ず 。 ︺ な ど と 述 べ て い る あ た り は 、 や や 概 念 的 な 一 般 論 で は あ る が 、 和 歌 師 範 家 の 継 承 者 た る 為 家 の 、 中 庸 を 行 く 無 難 な 姿 勢 を お も わ せ る 。 ﹁ 理 世 を 先 と し て ﹂ と い う の は 、 む し ろ 文 学 自 体 に 対 す る 自 信 を 喪 失 し か け た 当 時 の 人 び と 一 般 の う た い 文 注 ⑯ 句 で も あ ろ が 、 一 方 こ こ に ﹁ 妖 艶 幽 玄 躰 ﹂ と い う こ と ば を 端 的 に 提 示 し て い る こ と は 、 注 目 に 値 す る 。 幽 玄 が 感 覚 的 に 具 象 化 し 、 妖 艶 が 余 情 的 に 抽 象 化 す る 傾 向 は 、 か な り ふ る く か ら も あ っ た 。 そ れ ら の 傾 向 を 受 け て 、 と く に 為 家 の 世 界 で は 、 色 調 的 属 性 に お い て も 、 妖 艶 の 幽 玄 化 、 幽 玄 の 妖 艶 化 が 著 し く 、 そ の こ と は 、 彼 の 判 詞 な ど か ら 、 だ い た い に 帰 納 さ れ る と こ ろ で は あ っ た 。 が 、 そ の 妖 艶 と 幽 玄 と の 結 合 を 、 こ こ に ﹁ 妖 艶 幽 玄 躰 ﹂ と い う 一 語 で 明 示 し て い る こ と は 、 単 に 為 家 研 究 の 立 場 だ け で は な く 、 妖 艶 美 や 幽 玄 美 の 展 開 史 研 究 の 立 場 か ら も 、 大 き く 取 り あ け て い い の で な い か と 思 わ れ る 。 ま た 、 次 に 、 古 今 序 と 千 載 序 と を 特 に 援 用 し て い る あ た り も 、 い か に も 為 家 ら し い 。 寂 蓮 の 自 讃 歌 ﹁ 稲 葉 を 渡 る 小 男 鹿 の 声 ﹂ に つ い て の 定 家 の 言 談 は 、 す で に 先 達 物 語 に も 見 え る と こ ろ で あ り 、 信 用 し て い い 伝 承 で あ ろ う 。 し か も 、 こ の 部 分 に 引 用 さ れ た 祖 父 俊 成 の こ と ば の う ち に は 、 ﹁ 恋 ・ 述 懐 な ど に は 利 口 も ゆ る す 事 な れ ど 、 四 季 耳 は 虚 誕 は 不 可 然 候 ﹂ と あ る が 、 夜 の 鶴 で は 、 こ れ に 相 似 た こ と を 、 ﹁ 四 季 の 歌 に は そ ら ご と し た る は わ う し 。 ( 中 略 ) 恋 の 歌 に は 利 口 そ ら ご と 多 か れ ど 、 わ ざ と も 苦 し か ら ず 。 (中 略 ) 四 季 の 歌 に 異 る べ し と 申 さ れ 候 ひ き ﹂ と 述 べ て い る 。 そ こ に 阿 仏 尼 が ﹁ と 申 さ れ 候 ひ き ﹂ と し て 引 用 し て い る の は 、 も ち ろ ん 夫 為 家 の 言 説 で あ る 。 が 、 そ の 為 家 の 言 説 は 、 こ の 為 家 書 札 の 出 現 に よ っ て 、 実 は 祖 父 俊 成 の 訓 説 を 敷 衙 し た も の に 過 ぎ な か っ た こ と が 判 明 す る 。

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橘 長 政 の 自 讃 歌 ﹁ あ ま つ 嵐 に 物 思 へ と て ﹂ を め ぐ っ て の 定 家 か ら の 伝 承 は 、 同 時 代 の 他 書 に 見 ら れ な い 説 話 だ が 、 明 月 記 に よ れ ば 、 長 政 も 確 か に 定 家 の 指 導 を 受 け た 好 士 の 一 人 で あ り 、 嘉 禄 前 後 か ら 定 家 邸 の 歌 会 に も し ば し ば 参 会 し 、 そ う 注 ⑰ い う 際 に 為 家 も 彼 と 同 席 し て い る の で 、 こ の 説 話 も た ぶ ん 信 用 し て い い で あ ろ う 。 為 家 は こ れ ら 寂 蓮 ・ 長 政 ら の 自 讃 歌 の 具 体 例 に 即 し て 、 ま た そ れ ら に 関 す る 父 祖 の 訓 説 に 立 脚 し て 、 近 来 の 軽 薄 な 風 情 や 激 甚 な 趣 向 を い ま し め よ う と す る の で あ る が 、 ﹁ 只 、 時 節 す ご く 身 に し み 、 景 物 の 心 を う こ か し 、 た へ が た き 事 を 賞 翫 ( ス ル ) ご と く 思 給 候 へ 。 是 等 事 、 次 、 私 存 知 申 候 。 不 レ 可 レ 有 二 御 披 露 一候 凶 と 言 う あ た り に な る と 、 実 情 を 重 ん じ 、 平 易 素 直 で 着 実 な 詠 風 を 庶 幾 す る 為 家 の 中 核 的 な 主 張 、 主 体 的 な 志 向 が 、 率 直 に 表 明 さ れ て い る と い え よ う 。 そ の 点 は ﹁ た け 高 く 遠 白 き ﹂ 姿 や ﹁ 身 を せ め 心 を く だ き 、 詞 を 残 し 物 を 思 は せ た る ﹂ 姿 (簸 河 上 ) を 庶 幾 す る 真 観 の 主 張 と は 、 確 か に 対 照 的 で あ る 。 ﹁ 愚 鮎 之 事 ﹂ の 条 は 、 具 体 的 に ど う い う 事 実 に つ い て 言 っ て い る の か 、 第 三 者 に は そ れ が 明 瞭 に つ か め な い の で 、 そ の 文 意 も ま た た ど り に く い 。 が 、 強 い て そ の 具 体 的 事 情 を 臆 測 す れ ば 、 某 人 に 対 す る 為 家 の 先 度 の 批 点 に つ い て 、 何 か ケ チ が つ け ら れ た ら し く 、 為 家 は そ れ に 対 す る 弁 明 を こ こ ろ み よ う と し て い る の で な い か と 思 わ れ る 。 そ し て 、 為 家 は 撰 歌 の と き に む つ か し い 問 題 が か ら ん で 、 そ の 混 乱 の た め に 、 批 点 の ほ う に は 十 分 の 力 を そ そ ぐ こ と が で き な か っ た の だ 、 と 言 い わ け し て い る よ う で あ る 。 そ の ﹁ 撰 歌 ﹂ と い う の は 、 や は り 続 古 今 の 撰 歌 の こ と を さ し て い る で あ ろ う 。 前 述 の ご と く 、 続 古 今 撰 進 の 勅 命 は 、 は じ め 正 元 々 年 ( 二 一 五 九 ) 三 月 に 為 家 ひ と り に 対 し て 下 さ れ た が 、 門弘 長 二 年 ( 山バ ニ ) 九 月 に は 基 家 ・ 家 良 ・ 行 家 ・ 真 観 ら も 撰 者 に 追 加 さ れ た 。 為 家 は そ の 弘 長 二 年 ま で に も ぽ つ ぽ つ 撰 歌 に 着 手 し て い た だ ろ う が 、 他 の 撰 者 た ち が 加 わ っ た こ と に よ っ て 、 作 者 の 選 考 や 歌 の 配 列 な ど に つ い て も 、 撰 者 相 互 間 に 意 見 の 相 違 ・ 対 立 が 生 じ 、 さ ま ざ ま

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に 紛 糾 し て い た ら し い 。 こ こ で は 、 そ う い う 現 在 の 情 況 下 の 為 家 の 苦 し い 立 場 を も 訴 え て い る よ う で あ る 。 次 の ﹁ 九 品 事 ﹂ と い う の は 、 お そ ら く 和 歌 九 品 の こ と で あ ろ う 。 八 雲 口 伝 ( 詠 歌 隙 体 ) は 、 為 家 自 身 の 奥 書 に ﹁ 弘 長 之 比 、 任 二 先 人 之 庭 訓  為 二 後 学 之 遺 観 一 、 不 レ 顧 二 老 眼 之 不 堪 一 、 雨 中 記 レ 焉 ﹂ と あ り 、 弘 長 ご ろ に 成 立 し た も の だ が 、 そ し て お そ ら く 本 書 札 よ り も 前 に 成 立 し て い た で あ ろ う が 、 そ の 八 雲 口 伝 (但 し 広 本 ) に も 和 歌 九 品 を 引 用 し て い る の で 、 そ れ に つ い て の 質 問 か 何 か が あ っ た の で な い か と 思 わ れ る 。 し か し 、 為 家 は 今 さ ら に 九 品 に つ い て 述 べ る 必 要 を 認 め な か っ た の か 、 こ の 条 で も ﹁ ま こ と を し り ぞ け て 、 い つ は り を も て あ そ ぶ ﹂ 輩 1 そ れ ば 具 体 的 に は 真 観 と そ れ に 同 調 す る 一 派 を さ す で あ ろ う に 対 す る 非 難 を 繰 返 し て い る 。 が 、 そ う い う 自 分 の 主 張 や 詠 風 は か え り み ら れ ず 、 一 世 の 弊 風 は 凡 庸 な 自 分 ひ と り の 力 で は 、 も は や ど う に も な ら ぬ と 嘆 い て い る の で あ る 。 最 後 の ﹁ 少 將 殿 御 意 之 趣 ﹂ の 条 は 、 こ れ も 文 意 が つ か み に く い が 、 第 三 奥 書 の 筆 者 が 推 測 し た よ う に 、 源 氏 物 語 の 講 説 を め ぐ っ て の 問 題 に 触 れ て い ろ ら し い 。 吾 妻 鏡 、 建 長 六 年 十 二 月 十 八 日 の 記 事 に も ﹁ 於 二 御 所 一 、 光 源 氏 物 語 事 、 有 二御 談 義 一。 河 内 守 親 行 候 レ 之 ﹂ と 見 え る よ う に 、 当 時 の 柳 営 で は 実 証 的 な 河 内 守 一 派 が 源 氏 学 の 指 導 権 を 握 っ て い た よ う で あ 注 ⑱ る 。 そ の 講 説 の な か で 、 あ る い は 俊 成 ・ 定 家 の 訓 説 に 背 く よ う な 言 説 が 、 ま ま あ っ た の か も し れ な い 。 し か し 、 光 行 父 子 注 ⑲ は か つ て 定 家 父 子 と 親 交 が あ り 、 と く に 孝 行 は 為 家 の 家 人 で あ っ た こ と も あ る 。 為 家 は そ の 親 行 ・ 孝 行 兄 弟 ら に 多 少 は 家 説 と 違 う 言 説 が あ っ て も 、 す く な く と も 真 観 ら の 裏 切 り に 対 す る ほ ど の 激 し い 敵 意 は 感 じ な か っ た の で あ ろ う 。 だ か ら 、 為 家 は 河 内 守 家 一 派 の 実 証 的 学 風 は 自 分 に と っ て は 無 益 だ と い い な が ら も 、 そ れ も 振 る べ き は 取 り 入 れ る べ き だ 、 と 考 え 注 ⑳ て い た ら し い 。 そ し て 、 こ こ で は 、 ﹁ 少 将 殿 ﹂ が 鎌 倉 で そ う い う 他 家 ( お そ ら く 親 行 ら ) の 源 氏 学 を も 聴 聞 し よ う と し て い た の で は あ る ま い か 。 し か し 、 為 家 は そ れ も 制 止 す る に 及 ぼ ぬ 、 と 言 う の で あ る 。 こ こ に ﹁ 少 将 殿 ﹂ と あ る の は 、 前 に

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も 述 べ た が 、 も は や 教 定 の 息 、 左 少 将 雅 有 を さ す と 考 え て よ か ろ う 。 た だ 、 こ の 条 で は ﹁ 孝 行 入 道 も 、 何 と や ら ん 、 書 て 候 物 ﹂ と お ぼ め か し て い っ て い る が 、 そ れ が 何 で あ っ た か が 問 題 で あ る 。 第 三 奥 書 で 了 俊 が 推 察 し た よ う に 、 果 し て そ れ が 紫 明 抄 で あ っ た な ら ば 、 紫 明 抄 の 著 者 お よ び 成 立 年 代 に 関 す る 年 来 の 問 題 も 一 挙 に 解 決 さ れ る 。 が 、 こ の 本 文 で 孝 行 入 道 が 書 い た と い う も の を 、 直 ち に 紫 明 抄 に 擬 す る の は 、 や は り 軽 率 む で あ り 、 お そ ら く 間 違 っ て い る で あ ろ う 。 し か も 、 為 家 が こ こ で ﹁ 孝 行 入 道 も ﹂ と い っ て い る と こ ろ に 注 目 し た い 。 孝 行 の 父 光 行 ・ 兄 親 行 は 父 子 二 代 が か り で 水 原 抄 を も の し て い る 。 ( そ の 他 に も 関 東 に は 西 円 な ど の 源 氏 物 語 学 者 が い た は ず で あ る 。 ) ﹁ 孝 行 入 道 も ﹂ の ﹁ も ﹂ は 、 そ れ ら 光 行 ・ 親 行 (あ る い は 、 そ の 他 ) の 源 氏 物 語 の 注 釈 ま た は 講 説 の 他 に 、 ﹁ 至 極 道 理 な ど 申 す 人 ﹂ 孝 行 入 道 が 書 い た 何 か が あ っ た こ と を 思 わ せ る 。 そ う い う 前 提 条 件 の も と に 、 源 氏 物 語 に 関 す る 孝 行 作 の 書 物 と は 果 し て 何 か 、 と 考 え ね ば な る ま い 。 が 、 そ の あ た り の こ と は 後 考 を 倹 つ こ と に し た い 。 要 す る に 、 こ の 為 家 書 札 は 、 為 秀 の 奥 書 に よ れ ば 、 お お よ そ 弘 長 三 年 ご ろ ー す く な く と も 、 弘 長 二 年 か ら 文 永 三 年 ま で の 間 -に 成 立 し た も の で あ る 。 そ の 伝 来 に つ い て も 、 為 家 -為 秀 -了 俊 と い う 経 路 を 信 用 し て よ さ そ う で あ る 。 ま た 、 そ の 内 容 は 為 家 の み じ か い 断 片 的 言 説 で あ る が 、 む し ろ そ う で あ る だ け に 、 ま た 為 家 の 和 歌 や 源 氏 学 に 対 す る 主 体 的 な 所 存 が 重 点 的 に う か が え る も の で あ っ た 。 も っ と も 、 為 家 の 歌 説 を 知 る た め に は 、 す で に 八 雲 口 伝 が あ り 、 そ れ で 十 分 だ と い え る か も し れ な い 。 し か し な が ら 、 一 般 啓 蒙 書 ・ 秘 伝 書 ・ 随 筆 ・ 消 息 な ど 、 そ の 形 態 は い ず れ に よ る に せ よ 、 ま た 奥 に ﹁ 可 秘 ﹂ と か ﹁ 不 可 他 見 ﹂ と か と 書 い て い よ う が い ま い が 、 ま た そ の 一 冊 の 分 量 が 厚 か ろ う が 薄 か ろ う が 、 真 に 個 人 的 主 体 的 意 識 を も っ て そ の 所 存 を 述 べ た も の と 、 多 少 と も 不 特 定 多 数 の 披 見 を 予 想 し つ つ 一 般 的 客 観 的 意 識 を も っ て 述 作 し た も の と で は 、 同 一 著 者 の 著 述 で あ っ て も 、 そ の 間 に 大 き な 懸 隔 が 生 じ る 。 八 雲 口 伝 に お い て は 、 規 範 的 一 般 的 な 意

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識 が む し ろ 顕 然 と 全 巻 に 流 れ て い る 。 そ こ で は 、 い わ ば 教 科 書 か 何 か の よ う に 、 右 に も 左 に も 傾 か ず 、 八 方 に 気 を く ば っ て い る の で 、 1 そ う い う 態 度 こ そ い か に も 為 家 的 だ と も い え る が 、 -真 に 為 家 の な ま 身 の 声 と そ の 中 核 的 な 主 張 と を 端 的 に つ か み だ す こ と は 、 必 ず し も 容 易 で な い 。 す な わ ち 、 そ こ で は 、 ど う い う 歌 や 詠 み 方 が よ ろ し い か と い う 当 為 的 規 範 に つ い て は 、 比 較 的 懇 切 に 述 べ て い る が 、 為 家 個 人 が ほ ん と う に 好 き な 歌 や 詠 み 方 に つ い て は 、 む し ろ 敢 え て 言 明 を 避 け て い る と さ え 思 わ れ る 。 そ れ に 反 し て 、 こ の 書 札 で は 、 む し ろ 第 三 者 に は そ の 文 意 を 捕 捉 し が た い ほ ど の 、 主 体 的 立 場 か ら 、 1 そ こ に は 、 真 観 一 派 か ら 突 き あ け ら れ た 神 経 の た か ぶ り も 手 伝 っ て は い た で あ ろ う が 、 1 た と え ば ﹁ 妖 艶 幽 玄 躰 ﹂ と か 、 ﹁ ロ ハ 時 節 す ご く 身 に し み ⋮ ⋮ ﹂ を ﹁ 賞 翫 ﹂ す る と か な ど 、 い か に も 思 い 切 っ た 所 存 が 開 陳 さ れ て い る 。 し た が っ て 、 た と い 部 分 的 に は 八 雲 口 伝 と 相 似 た 言 辞 が あ る に し て も 、 為 家 の 主 体 的 生 地 に お け る 重 点 的 中 核 的 志 向 を 把 握 す る た め に は 、 ま こ と に 好 資 料 と い う べ き で あ ろ う 。 ︿ 註 ﹀ ① こ こ に 合 綴 さ れ た 近 代 秀 歌 は 、 外 題 も 内 題 も 持 た な い が 、 奥 書 に ﹁ 此 一 帖 、 先 年 貞 和 為 秀 卿 以 筆 同 奥 書 、 相 傳 早 。 於 鎮 西 紛 失 之 間 、 或 人 之 以 本 、 書 篤 庭 也 。 少 々 相 違 事 等 有 之 欺 。 但 以 家 本 、 可 書 改 者 也 。 応 永 八 年 十 月 日 、 了 俊 在 判 ﹂ ﹁ 右 帖 了 俊 自 筆 、 重 加 判 形 。 有 判 ﹂ と あ る 。 そ の 内 容 は 、 い わ ゆ る 遣 送 本 の 全 貌 と 自 筆 本 の 秀 歌 例 ( 但 し 八 十 二 首 ) と を あ わ せ も っ て お り 、 故 吉 沢 義 則 先 生 旧 蔵 本 ・ 久 松 潜 一 博 士 蔵 本 ・ 京 大 平 松 家 本 等 の ﹁ 秘 々 抄 ﹂ ( 近 代 秀 歌 ) と 同 系 統 の も の と 思 わ れ る 。 ② こ の 和 歌 十 体 は 、 い わ ゆ る 定 家 十 体 で あ り 、 奥 書 に は ﹁ 星 野 殿 依 所 望 、 盤 秘 本 、 免 申 者 也 。 但 如 此 抄 物 事 者 、 本 所 冷 泉 家 口 傳 可 然 哉 。 但 於 其 説 者 、 不 可 替 哉 。 応 永 十 三 年 三 月 日 、 了 俊 在 判 ﹂ と あ る 。 こ こ に ﹁ 本 所 冷 泉 家 口 傳 ﹂ と あ る の は 、 師 説 自 見 集 で い え ば 、 お そ ら く ﹁ 和 歌 に ば 十 体 あ り 。 多 分 こ の 内 を ば 不 可 出 哉 。 こ の 内 に い つ れ の 躰 に て も あ れ 、 わ が 学 び 得 ぬ べ き 一 体 に ま つ も と づ き て 詠 み 習 ひ て

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残 の 九 の 姿 を も 次 第 次 第 に 読 み 習 ふ ぺ し と 云 へ り ﹂ な ど と い う あ た り の 口 伝 に 照 応 す る で あ ろ う 。 ま た 、 ﹁ 如 此 抄 物 事 者 ﹂ 以 下 の 文 言     は 、 冷 泉 家 に は 真 偽 さ ま ざ ま の 抄 物 が 数 多 く 相 伝 さ れ て い た こ と を お も わ せ 、 同 時 に そ れ ら 抄 物 の 価 値 に っ い て は 、 そ れ ぞ れ の も の に よ っ て お の ず か ら 軽 重 の 差 を つ け る 口 伝 が あ っ た の で は な い か と 思 わ せ る 。 な お 、 こ の 家 蔵 本 に お け る 十 体 は 、 麗 体 ・ 濃 体 ・ 長 高 体 ・ 幽 玄 体 ・ 有 心 体 ・ 一 節 有 体 ・ 面 白 体 。 見 様 体 。 事 可 然 体 ・ 拉 鬼 体 と い う 配 列 順 序 で 、 各 体 の 例 歌 は そ れ ぞ れ 十 首 ず つ で あ る 。 (但 し 、 幽 玄 体 と 事 可 然 体 と で は 、 そ れ ぞ れ 九 首 だ が 、 そ れ は 一 首 ず つ 脱 落 し た も の か 。 ) こ れ ら の 点 は 日 本 歌 学 大 系 本 な ど の そ れ と 大 き く 相 違 す る が 、 師 説 自 見 集 所 引 の 十 体 の 順 序 と は 全 く 一 致 す る 。 了 俊 は 師 説 自 見 集 に 十 体 の 例 歌 を 抄 出 す る に 際 し て も 、 恣 意 に よ っ て そ の 順 序 を 改 め た の で は な く て 、 確 か に 家 蔵 本 系 統 の 定 家 十 体 の 伝 本 か ら そ の ま ま の 順 序 で 抄 出 し た の で あ る 。 ま た 、 各 体 の 例 歌 が 十 首 ず つ で あ る 点 は 、 寛 文 十 二 年 板 の 和 歌 指 南 に 収 め ら れ た 十 体 抄 と 同 じ で あ る が 、 そ の 十 首 の 具 体 例 は 相 互 に く い ち が っ て い る 。 と に か く 、 定 家 撰 と 称 せ ら れ る 和 歌 十 体 の 内 容 に は 、 多 分 の 疑 点 が あ る (佐 々 木 忠 慧 氏 ﹁ 定 家 十 体 の 批 判 ﹂ ・ 聖 和 三 号 、 昭 和 三 六 . = 等 参 照 ) の で 、 こ う い う 異 本 が 更 に 多 く 発 掘 さ れ る こ と に よ っ て 、 そ の 問 題 の 解 決 が 一 歩 で も 前 進 す れ ば あ り が た い 。 ③ こ の 毎 月 抄 は 、 外 題 に ﹁ 毎 月 抄 ﹂ 、内 題 に ﹁ 和 歌 用 心 号 毎 月 抄 ﹂ と あ り 、 奥 書 に は ﹁ 本 云 、承 元 元 年 七 月 二 日 、 或 人 返 報 云 々 ﹂ ﹁本 云 、 以 彼 草 本 、 為 備 後 生 之 用 心 、 柳 染 筆 認 。 藤 原 朝 臣 為 家 在 判 ﹂ ﹁ 建 長 五 年 八 月 二 日 、 以 父 卿 自 筆 本 、 令 書 寓 早 。 藤 原 朝 臣 為 氏 在 判 ﹂ と あ る 。 毎 月 抄 の 伝 本 に は 、 冷 泉 家 系 統 の 人 び と の 奥 書 が 多 い よ う だ が 、 井 上 宗 雄 博 士 は ﹁ 冷 泉 家 関 係 者 の 記 し た 奥 書 を 持 つ 歌 書 類 に つ い て ﹂ ( 立 教 大 学 研 究 報 告 ・ 人 文 科 学 18 ) 等 に お い て 、 た ま に 二 条 為 氏 の 奥 書 を 持 つ 毎 月 抄 も 、 国 会 図 書 館 ・ 京 大 ・ 三 手 文 庫 等 に 現 存 す る こ と を 紹 介 し 、 そ の 為 氏 奥 書 は 実 は 為 実 あ た り が 後 に 書 き 加 え た も の か と 疑 っ て い る 。 国 会 図 書 館 本 や 高 野 辰 之 博 士 旧 蔵 本 等 で は 、 建 長 む む む む む 五 年 当 時 、 為 家 は ま だ 在 世 中 で あ っ た の に 、 こ れ を す で に ﹁ 亡 父 卿 ﹂ と 呼 ん で い る 矛 盾 が あ る が 、 こ の と こ ろ 、 家 蔵 本 で は ﹁ 以 父 卿 自 筆 本 ﹂ 云 々 と あ る の で 、 少 な く と も 年 次 的 に は 不 都 合 を 生 じ な い 。 ④ こ の 未 来 記 は 、 内 題 に ﹁ 詠 五 十 首 和 歌 ﹂ と あ る 。 そ の 奥 に は 、 冷 泉 為 臣 編 藤 原 定 家 全 歌 集 に 紹 介 さ れ た 未 来 記 と 同 様 に 、 阿 仏 尼 の 添 状 ・ 弘 安 十 年 卯 月 十 三 日 書 写 の 日 付 ・ 正 応 三 年 林 鐘 廿 六 日 の 某 人 の 勘 物 が 付 記 さ れ て い る 。 ⑤ こ の 雨 中 吟 は 内 題 に ﹁ 雨 中 吟 十 七 首 ﹂ と あ り 、 奥 に は 流 布 本 と 同 様 に ﹁ 此 風 体 を 盛 に こ の み よ ま ん と き ⋮ ⋮ 前 中 納 言 藤 原 朝 臣 在 判 ﹂

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と あ る 。 ⑥ こ の 越 部 禅 尼 消 息 は 、 外 題 に ﹁ 嵯 峨 禅 尼 詞 ﹂ 、 内 題 に ﹁ 中 院 殿 へ の 御 文 、 さ が の 尼 御 前 俊 成 卿 女 ﹂ と あ る 。 奥 書 に は ﹁ 本 云 、 先 年 於 中 院 書 写 、 引 失 之 間 、 更 以 任 本 書 之 早 ﹂ ﹁ 以 愚 本 被 写 早 。 正 応 二 年 卯 月 廿 六 日 、 書 写 誰 。 比 在 阿 ﹂ ﹁ 嘉 暦 二 年 七 月 廿 三 日 、 書 写 了 。 年 来 相 傳 之 後 、 不 出 函 底 。 錐 然 依 労 友 之 命 、 一 本 所 染 筆 也 。 於 有 外 見 者 、 定 為 道 、 多 其 悼 欺 。 誠 是 霊 禽 之 翅 、 奇 獣 之 角 、 可 挙 之 、 可 構 之 者 也 。 干 時 、 椀 花 含 雨 、 萩 葉 帯 風 、 視 聴 触 物 、 感 思 断 腸 耳 。 半 目 乞 士 通 春 ﹂ ﹁ 暦 応 己 卯 商 律 白 露 、 染 免 毫 綴 魚 網 而 巳 。 高 宗 ﹂ ﹁ 応 永 廿 三 年 九 月 廿 日 、 書 写 詑 。 刑 部 少 輔 家 範 ﹂ と あ る 。 こ の 消 息 の 伝 本 奥 書 中 、 正 応 二 年 ・ 嘉 暦 二 年 ・ 暦 応 己 卯 ( 二 年 ) な ど の 奥 書 は 、 時 代 も 比 較 的 ふ る く 、 そ れ ぞ れ に め ず ら し い の で な い か と お も わ れ る 。 な お 、 嘉 暦 の 奥 書 の 通 春 は 、 和 歌 密 書 や 三 五 記 や 愚 秘 抄 の 諸 伝 本 に も 、 延 慶 や 正 和 の 年 次 の 奥 書 を 残 し て い る 通 春 と 同 一 人 で あ る ら し く 、 村 上 源 氏 通 親 流 の 通 春 (参 議 時 通 息 ) 、 あ る い は 同 通 資 流 の 通 春 ( 左 少 将 忠 顕 息 ) で な い か と お も わ れ る 。 ま た 、 暦 応 の 奥 書 の 高 宗 は 、 新 千 載 の 作 者 に 平 高 宗 、 草 庵 集 に 三 河 守 高 宗 と 見 え る 人 か 。 ⑦ こ の 文 永 元 年 九 月 十 七 日 付 の 為 家 書 状 は 、 辻 彦 三 郎 氏 が ﹁ 歌 史 拾 露 ﹂ ( 国 史 学 51 、 昭 和 二 四 ・ 一 〇 ) に 、 福 田 秀 一 氏 が 岩 波 講 座 日 本 文 学 史 第 六 巻 付 録 の ﹁ 月 報 12 ﹂ ( 昭 和 三 四 ・ 四 ) に 、 そ れ ぞ れ 紹 介 し 翻 刻 さ れ て い る 。 ⑧ 弘 長 二 年 か ら 文 永 三 年 ま で の 間 と い う 限 定 を は ず し て い え ば 、 宗 尊 親 王 詠 に 対 す る 為 家 の 加 点 は 、 こ の 他 に も 再 三 あ っ た こ と が 確 認 さ れ る 。 た と え ば 、 宗 尊 親 王 三 百 首 和 歌 に 対 す る 文 応 元 年 ( = 一 六 〇 ) 十 月 の 加 点 ( こ の ば あ い は 基 家 ・ 真 観 ら も 加 点 ) や 中 書 王 詠 (桂 宮 木 双 書 所 収 ) に 対 す る 文 永 四 年 ( 一 二 六 七 ) 十 二 月 の 加 点 な ど で あ る 。 ( そ の 他 、 今 日 の 文 献 で は 知 ら れ ぬ も の も 、 な お 若 干 あ っ た で あ ろ う 。) そ し て 、 群 書 類 従 本 に よ れ ば 、 文 応 の 三 百 首 加 点 の 際 に も 、 為 家 は 一 通 の 書 状 を し た た め て い る が 、 そ れ は 蔵 人 頭 宮 内 卿 源 資 平 宛 の 書 札 で あ っ て 、 こ こ に 紹 介 す る 教 定 宛 の 書 状 と は 別 内 容 の も の で あ る 。 な お 、 文 応 三 百 首 と そ の 合 点 の こ と ば 、 吾 妻 鏡 に は 記 録 さ れ て い な い 。 臆 測 を た く ま し う す れ ば 、 文 応 三 百 首 は な お 親 王 の 習 作 期 の 詠 で あ る 。 そ れ に つ い て 、 京 の 歌 仙 た ち 数 人 の 批 点 を 求 め る と い う こ と は 、 親 王 自 身 の 企 画 ま た は 幕 臣 の は か ら い と い う よ り も 、 む し ろ 京 の 父 帝 後 嵯 峨 院 あ た り の 内 命 で あ っ た の で は あ る ま い か 。 も し 、 そ う で あ れ ば 、 そ の 事 の 取 り つ ぎ 役 が 在 鎌 倉 の 親 王 の 近 臣 教 定 で は な く て 、 京 宮 廷 に お け る 蔵 人 頭 宮 内 卿 資 平 で あ っ ヘ へ た こ と も 当 然 で あ る し 、 ま た そ れ が 吾 妻 鏡 で は つ い 記 載 も れ に な っ た わ け も う な ず け る で あ ろ う 。

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⑨ 吾 妻 鏡 の こ の 部 分 の 記 事 に は ﹁ 前 右 兵 衛 督 教 定 卿 ﹂ と あ る が 、 公 卿 補 任 に よ れ ば 、 教 定 は す で に 文 応 元 年 ( 一 二 六 〇 ) 八 月 二 十 五 日 に 左 兵 衛 督 に 任 ぜ ら れ て い る 。 し か し 、 関 東 で 編 述 さ れ た 吾 妻 鏡 で は 、 京 都 側 の 資 料 を 十 二 分 に は 使 用 で き な い こ と も あ っ た で あ ろ う か ら 、 こ の 程 度 の く い ち が い は し ば し ば 見 ら れ る 。 な お 、 教 定 は 雅 経 の 息 で 、 そ の 母 は 鎌 倉 幕 府 の 重 臣 大 江 広 元 の 女 で あ っ た 。 そ う い う 縁 故 も あ っ た か ら か 、 教 定 も 関 東 砥 候 の 廷 臣 と し て 、 早 く か ら 鎌 倉 に 下 向 し 、 そ こ に 邸 宅 も 持 っ て い た よ う で あ る 。 す な わ ち 、 吾 妻 鏡 に よ れ ば 、 彼 は す で に 藤 原 将 軍 時 代 か ら 鎌 倉 に 下 向 し 、 歴 代 の 将 軍 (頼 経 ・ 頼 嗣 ら ) を 扶 持 し 、 時 に 京 に 帰 る こ と は あ っ て も 、 お お か た は 鎌 倉 に 在 住 し 、 か た わ ら 家 芸 た る 鞠 や 歌 の 師 範 な ど を し て い る 。 教 定 の そ う い う 生 活 は 、 親 王 将 軍 宗 尊 の 時 代 に な っ て も 変 っ て い な い 。 と く に 、 鎌 倉 の 亀 谷 泉 谷 に あ る 右 兵 衛 督 教 定 亭 が 宗 尊 親 王 の 方 違 本 所 と さ れ る ( 吾 妻 鏡 、 建 長 四 ・ 五 ・ 一 九 ) と い う こ と な ど も あ っ て 、 親 王 と 教 定 と の 関 係 は 密 接 で あ っ た 。 ま た 、 一 方 、 教 定 は 為 家 息 為 氏 の 岳 父 で も あ る 。 為 氏 と 教 定 女 ( 雅 有 姉 ) と の 間 に 為 世 が 生 ま れ た の は 、 建 長 三 年 ( 一 二 五 一 ) で あ る か ら 、 す く な く と も そ れ 以 前 に 為 家 家 と 教 定 家 と の 姻 戚 関 係 は 成 立 し て い た わ け で あ る 。 ⑩ 教 定 ば 続 後 撰 以 下 の 勅 撰 歌 人 で あ る が 、 公 私 の 撰 集 に 採 ら れ た 彼 の 歌 の 主 な る も の は 、 前 大 納 言 (将 軍 ) 頼 経 家 月 十 首 ( 万 代 集 ) ・ 建 長 三 年 九 月 十 三 夜 影 供 歌 合 ・ 宗 尊 親 王 家 百 首 (続 古 今 集 等 ) ・ 宗 尊 親 王 家 五 十 首 歌 合 (夫 木 抄 ) 等 の 歌 で あ っ て 、 そ の 一 生 の 作 歌 量 も あ ま り 多 く は な か っ た か と 思 わ れ る 。 な お 、 隣 女 和 歌 集 に よ れ ば 、 教 定 に は 日 記 が あ っ た ら し い 。 そ の 日 記 が 出 現 す れ ば 、 本 書 札 に 関 す る こ と も 今 す こ し 詳 し く わ か る か も し れ な い 。 ⑪ 雅 有 が 左 少 将 で あ っ た の は 、 公 卿 補 任 に よ れ ば 、 正 嘉 二 年 ( = 一 五 八 ) 十 二 月 か ら 文 永 十 一 年 ( 一 二 七 四 ) 九 月 ま で の 間 で あ る 。 な お 、 公 卿 補 任 に 雅 有 母 を 北 条 実 時 女 と し て い る の は 、 雅 有 の 年 齢 ( 一 二 四 一 生 ) お よ び 実 時 の 年 齢 ( 一 二 二 四 生 ) か ら 考 え て 、 不 自 然 で あ る 。 尊 卑 分 脈 ・ 飛 鳥 井 系 図 等 に 実 時 女 を 雅 有 妻 。 雅 顕 母 と し て い る の に 従 う べ き で あ る 。 ⑫ 雅 有 は 正 元 以 前 に も 若 干 の 私 的 習 作 を 詠 ん で い た で は あ ろ う 。 し か し 、 彼 の 公 表 さ れ た 初 学 百 首 類 は 、 や は り こ の 正 元 元 年 三 百 首 あ た り が 最 初 の も の だ ろ う 。 な お 、 別 本 隣 女 和 歌 集 は 彼 の 弘 安 頃 の 詠 草 集 で 、 類 従 本 系 の 隣 女 和 歌 集 に 後 続 す べ き も の で あ り 、 そ こ に は 初 期 の 作 品 は 含 ま れ て い な い (植 谷 元 氏 ﹁ 別 本 隣 女 和 歌 集 に つ い て ﹂ ビ ブ リ ア 一 四 、 昭 和 三 四 ・ 六 、 参 照 ) 。 ま た 、 石 田 吉 貞 博 士 は 、

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山 文 応 元 年 為 家 等 加 点 の 宗 尊 親 王 三 百 首 も 、 そ の 詠 作 時 は こ の 正 元 元 年 か と 疑 っ て い ら れ る ( 群 書 解 題 七 参 照 ) 。 ⑬ い わ ゆ る 雅 経 筆 本 古 今 集 の 奥 の 識 語 は 、 教 定 の 年 齢 を 推 定 す べ き 一 つ の よ り ど こ ろ で あ る 。 久 曽 神 昇 博 士 は 、 こ れ を 教 定 の 識 語 と 認 め た 上 で 、 そ こ に ﹁ 下 官 為 十 二 歳 、 別 離 先 考 ﹂ と あ る こ と に よ っ て 、 下 官 (教 定 ) は 、 そ の 先 考 ( 雅 経 ) が 麗 じ た 承 久 三 年 に 十 二 歳 で あ り 、 し た が っ て 、 そ の 誕 生 は 承 元 四 年 ( 一 二 一 〇 ) で 、 そ の 残 年 の 文 永 三 年 ( 一 二 六 六 ) に は 五 十 七 歳 で あ っ た 、 と 推 定 し て お ら れ る ( ﹁ 崇 徳 天 皇 御 本 古 今 和 歌 集 ﹂ 解 題 ・ 参 照 ) 。 お そ ら く 、 こ れ に 従 っ て よ い で あ ろ う 。 ⑭ 素 寂 を 孝 行 と 見 る 説 は 、 故 山 脇 毅 博 士 の ﹁水 原 抄 紫 明 抄 の 撰 者 ﹂ ( 芸 文 、 大 正 一 〇 ・ 一 ) や 山 岸 徳 平 博 士 の ﹁ 源 氏 物 語 初 期 の 研 究 ﹂ ( 国 語 と 国 文 学 、 大 正 一 四 ・ 一 〇 ) な ど に よ っ て 、 ほ ぼ 定 説 に な り か け て い た が 、 故 池 田 亀 鑑 博 士 は 、 ﹁ 珊 瑚 秘 抄 と そ の 学 術 的 価 値 ﹂ ( 国 語 と 国 文 学 、 昭 和 七 ・ 五 ) や ﹁ 紫 明 抄 の 撰 者 素 寂 は 源 孝 行 な る か ﹂ (国 語 と 国 文 学 、 昭 和 = 二 . 一 ) な ど で 、 お お か た 孝 行 説 を 否 定 さ れ た 。 ま た 、 曽 沢 太 吉 氏 は ﹁ 紫 明 抄 の 成 立 事 情 に つ い て ﹂ ( 国 語 国 文 、 昭 和 三 一 ・ 五 ) 、 ﹁ 紫 明 抄 の 撰 者 素 寂 は 源 孝 行 で な い ﹂ (国 語 国 文 、 昭 和 三 三 。 二 ) 等 で 、 素 寂 が 孝 行 で な い こ と を 決 定 的 に す る と と も に 、 珊 瑚 秘 抄 奥 書 の 信 愚 性 を も 疑 い 、 光 行 の 猶 子 光 重 あ た り を -探 る 必 要 が あ ろ う と 主 張 さ れ て い る 。 ⑮ 為 家 の 資 平 宛 書 札 に も ﹁ 定 家 は ( 中 略 ) 俊 成 に 四 十 余 年 そ ひ て 候 ひ し か ば 、 申 事 を 承 り 候 ひ け む 。 融 覚 は 八 十 ま で 候 ひ し 定 家 に 四 十 余 年 う ち そ ひ て 申 事 も 時 々 承 り 候 ひ き 。 ﹂ と か ﹁年 老 候 後 は 心 も う せ た る や う に 罷 成 り て 、 手 も わ な 、 き ﹂ と か と 書 い て い る 。 ま た 、 為 家 集 ・ 雑 下 に も ﹁ 身 よ は り て 中 風 無 術 ノ 身 に な り て 、 日 吉 ま う で も ち ・ そ し に け る ﹂ と い う 詞 書 を 付 し て 、 ﹁ 老 の 身 の 風 に つ け て も く も り な き 日 吉 の か げ を あ ほ ぐ と を し れ ﹂ な ど と 詠 ん で い る 。 ⑯ 為 家 が 主 体 的 究 極 に お い て 温 雅 平 淡 な 詠 風 を 庶 幾 し た こ と は 、 や は り 否 定 で き な い で あ ろ う 。 が 、 そ の こ と は 、 彼 の い う 幽 玄 も 、 そ の 色 調 的 属 性 に お い て 、 平 淡 美 を 意 味 す る 、 と い う 結 果 に は な ら な い 。 そ の 点 、 中 島 洋 一 氏 著 ﹁ 日 本 文 芸 理 論 に お け る 象 徴 的 表 現 理 念 の 研 究 ﹂ ( 一 〇 八 頁 ∼ = ○ 頁 ) で 指 摘 さ れ た よ う に 、 私 の 旧 著 旧 稿 に お け る 見 解 i 為 家 の 平 淡 美 に そ の 幽 玄 を も 結 び つ け た 見 解 1 は 訂 正 さ れ ね ば な ら な い 。 と く に 、 こ こ に ﹁ 妖 艶 幽 玄 躰 ﹂ の 一 語 で 、 妖 艶 と 幽 玄 と の 結 合 体 を 示 し て い る こ と は 、 為 家 の 妖 艶 と 幽 玄 と ー そ れ は 依 然 と し て 全 く の 同 義 語 で は な い が ー の 属 性 を 理 解 す る た め の 恰 好 の 手 が か り で あ る 。 ⑰ 明 月 記 に よ れ ば 、 た と え ば 、 嘉 禄 二 年 九 月 十 九 日 ﹁ 招 請 長 政 朝 臣 、 好 士 禅 尼 同 来 臨 。 午 終 始 連 歌 、 賦 物 何 々 事 ﹂ 、 同 二 十 二 日 ﹁ 言 談

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之 間 、 能 州 又 来 、 皆 連 歌 之 鹸 興 、 数 奇 之 故 也 ﹂ 、 同 二 十 六 日 ﹁ 早 旦 能 州 来 談 。 令 見 三 十 首 歌 。 事 外 尋 常 之 由 相 示 。 悦 喜 退 帰 。 多 年 好 士 也 ﹂ な ど の 如 く 、 長 政 は 定 家 の 指 導 を 受 け 、 定 家 ・ 為 家 の 邸 を し ば し ば 訪 れ て い る 。 な お 、 こ の 前 後 の 明 月 記 に ﹁ 能 州 ﹂ ま た は ﹁ 前 能 州 ﹂ と 見 え る の は 、 前 能 登 守 長 政 の こ と で あ る 。 ⑱ 原 中 最 秘 抄 の 聖 覚 ( 源 親 行 子 、 俗 名 義 行 ) の 奥 書 に も 、 ﹁ 親 行 、 鎌 倉 右 大 臣 家 並 入 道 大 納 言 家 。 三 品 中 務 卿 親 王 家 三 代 之 間 、 為 和 歌 所 奉 行 、 為 彼 物 語 之 御 師 範 ﹂ な ど と 見 え る 。 ⑩ 明 月 記 、 嘉 禄 元 年 四 月 三 日 に 、 源 孝 行 宅 焼 亡 の 記 事 が 見 え る が 、 そ の 孝 行 に つ い て ﹁ 光 行 入 道 子 、 式 部 。 中 将 家 人 ﹂ と 注 し て い る 。 (中 将 は 為 家 ) 。 そ の 他 、 同 記 、 寛 喜 元 年 十 二 月 十 日 、 同 二 年 八 月 十 日 、 天 福 元 年 五 月 二 十 七 日 、 同 六 月 十 九 日 な ど の 記 事 に も 定 家 一 族 と 光 行 ] 族 と の 親 交 が 見 ら れ る 。 ⑳ 雅 有 は 為 家 の 縁 者 (為 氏 妻 の 弟 ) で あ り 、 そ の 日 記 に よ れ ば 、 和 歌 そ の 他 に お い て 確 か に 為 家 お よ び そ の 一 族 の 指 導 を 受 け て い る 。 し か し 、 一 方 で は 親 行 に も 師 事 し た ら し い 。 原 中 最 秘 抄 の 聖 覚 奥 書 に も ﹁ 二 条 相 公 (雅 有 卿 ) 、 年 来 依 為 親 行 之 門 弟 、 可 伝 受 件 説 之 由 懇 望 ﹂ な ど と 見 え る 。 ま た 、 そ こ に ﹁ 件 説 ﹂ と い う の は 、 源 氏 物 語 中 の 一 大 秘 説 と い わ れ る 楊 名 介 に つ い て の 口 伝 の こ と だ が 、 隣 女 和 歌 集 に よ れ ば 、 雅 有 は 後 年 ( 文 永 九 年 以 後 ) 、 た し か に 河 内 入 道 覚 因 (親 行 ) に 、 そ の 楊 名 介 口 伝 を も 懇 里 し 、 そ の と き の 両 者 の 贈 答 歌 も 残 し て い る 。 1 昭 和 四 一 ・ 九 ・ 二 八 稿 1

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