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<論文>

外国人労働者研究への試論

日系ブラジル人調査を通して

エリア・リサーチ・グループ石田信義 第1節はじめに 本研究は、近年急速に増加したわが国における日系ブラジル人労働者の動向に 着目し、出稼ぎ労働現象の背景を捉えながら、彼らの国際間移動を通してブラジ ルの変化過程の一側面の理解を試みるものである。 ブラジルは、失われた80年代の後90年代の新経済自由主義の潮流の中で新たな 経済的発展の段階を踏みつつあると言われる。研究の面からは、グローバル化す る国際的政治・経済備勢の中でのブラジルの経済的発展過程に関する研究と並ん で、資本と人の国際間の移動が主に経済的な面から国家レベルで全体的に捉えら れる他に、「就労」並びに「定住化」の問題の観点から日本における日系ブラジ ル人に関する実態調査が最近比較的豊富になされてきている(1)。一方そうした 中にあって、移動を成す送出社会と受け入れ社会の両者の歴史を踏まえた栂造的 或いは社会階層的な問題点の把握は比較的踏み込まれていない。 この点でのアプローチのため、小論においては、日系ブラジル人の出稼ぎのた めの移動の現状と背景を捉え、その上で、筆者が日本において行ったインタビュ ー調査の結果を事例として、日系ブラジル人に関する社会移動研究の問題の所在 を明らかにしたい。方法的には、全体的傾向の把握に加え、インフォーマントに 関する個人史的な描写に基づき、より具体的な実態へのアプローチを試みた。こ れにより、本稿においては、日系ブラジル人の出稼ぎ労働者の理解に関し、ブラ ジル社会並びに日本社会における位置づけ、及び、彼らの多様な階層分化に関す る理解の視点の必要性を述べるものである。 第2節現状 -1-

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(1)実態 かつて新大陸における主要な移民受け入れ国であったブラジルにおいて、ここ 最近、特に1980年代のブラジル経済の後退と悪化による国内インフレと失業の増 加の中で、ブラジル人によるいわゆる「母国就労」としての出稼ぎが一般的にみ られるようになった。 日系ブラジル人に関し、その傾向を日本の入国管理統計に基づいてみれば、 「表1」にみられる通り、ブラジル人による日本における外国人登録者数は、19 85年から5年後には29倍、94年迄の10年目には80倍を超えるに至った。ブラジル の高インフレと好景気下の日本の円高による両国の賃金格差、及び日本企業の人 手不足に呼応する形で80年代半ばから末までブームが訪れ、特に1990年6月の入 管法(出入国管理及び難民認定法)の在留資格の一部改正が、日系2世及び3世、 4世の日本入国を容易にしたことはよく知られる。即ち、改正入管法施行以前は 日本国籍を持たない日系2世、3世は、「短期ピザ」による入国のみ認められる ために、入国後資格変更手続きをしない限り、就労は資格外活動であったものが、 改正後には就労に制限のない「日本人の配偶者等」、「定住者」として在留資格 が明確化され、またビザ申請手続きの簡素化も加わってその入国が急増した(2)。 「表2」は出入国者数の推移を示したものであるが、92年からの対前年比の減 少は、日本のバブル崩壊期及び特に不況下での自動車産業、家電産業等の雇用状 況の変化による企業の人員削減の時期に対応している。新規入国者は、90年前後 には全入国者の94.5%を占めたものが、94年には63.4%と92年以降減少をみせた。 一方、ブラジル人の日本からの出国数をみれば、92年をピークにしてその後増加 の程度が低くなり、94年には対前年増減比がマイナス%となった。出入国者数の 差をみれば、93年には出国者数が入国者数を凌いでおり、こうした傾向は、全体 として日本の景気動向の影響をそのまま直接反映した形となっている。 ところで、外国人登録についてその在留資格(在留目的)の内訳をみれば、 「表3」にみる通り、94年現在「日本人の配偶者等」「定住者」が、それぞれ 59.6%と37.1%と日本への総外国人登録者数にみる比率(各17.1%及び10.1%) を大きく上回っている131. 外国人登録を次に職業別にみたものが「表4」である。ここでは、技能工・生 産工程従事者が全体で58.4%と他の職業別に比し極めて突出した比率を示してお り、また全ての国籍を総合した総数におけるこの項目の比率が11.83%であるこ -2-

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とから、日系のブラジル人労働者の職種が限られた分野に集中している傾向が認 められる。当然これは日本の労働需要に応じたものであり、それは、図1に示し た日本におけるブラジル人による外国人登録者の全国分布状況に対応する。府県 別分布では愛知、静岡の数が群を抜いており、次いで神奈川、埼玉、群馬と続く。 また、図の中の下段に示した通り、絶対数は少ないものの、富山、長野、福井、 岐阜、岡山は、当該県の全外国人登録者のほとんどをブラジル人が占めている。 こうした状況は、ブラジル人の居住空間が、自動車産業、食品工業を中心とした 工場地域を持つ大都市周辺の中小都市や、地方の中小都市に限られ且つ集住して いることを示す。 また、日本へのブラジル人入国者の年齢鰯をみれば、「表5」にみられる通り、 20~24歳、25~29歳と20代のブラジル人入国者が34.4%と多く、また15~19歳も 10%を超えている(1985年には3.2%)。この就労可能な青年層の入国増加の傾 向は90年の法改正以降顕著になった結果であり、全地域からの入国者数の年齢別 の割合に比較すると明らかにその若年層入国の特徴が数的に示される。 以上の統計数値に示された通り、80年代のブラジルの経済不況を背景として、 日本の経済の好況と人手不足に呼応する形で、出稼ぎ(4)のブームが到来し、19 90年の日本における入管法の一部改正を機に2世3世による主に組立生産工程に おける就労が増加した。そしてその後迎えた日本の不況の中で、地方及び大都市 周辺の中小都市に家族と共に居住する傾向を持った日系ブラジル人は、ブラジル における雇用機会の有無の問題も加わって、一方では日本における外国人として の定住化の問題、他方ではブラジルでの帰国後の生活という複雑な問題に直面し ていると言えるであろう。 (2)ブラジルからの日系人出稼ぎ労働者送出の背景 (i)日本人移民のブラジル社会成層への参入 ブラジルが歴史的発展過程において、常に-極的な発展の中心への人口の集中 化をみせ、多様な出自を持つ人々が常にその中心地へ富と社会的上昇を求めて地 域間移動する特徴のあることはよく知られる。植民地時代から20世紀までのそう した歩みの中で各地域に特徴的な社会の櫛造を形成させつつブラジル全体として の社会の成周化が成された。主に貴族家系、及びヨーロッパに出自を持つ大土地 所有者よりなる上層と、奴隷制度下でのアフリカ出自の黒人奴隷及びその子孫よ り主になる下層の間で、ブラジルの中間層は主に19世紀のヨーロッパ移民の導入 -3-

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と社会参加によって育まれたものである(5)。そこにみられる社会的移動、特に 階層移動に関しては、人種という生得的要因と、富・財産という経済的要因及び、 これらに基づく職業地位の達成及び教育機会の痩得という諸要因が歴史的に積層 化されてきたことから、各階層内での垂直.水平的な移動はみられるものの、下 層から中間層への、及び中間層から上層への階層移動は比較的限られる硬直的な 性格があった。 ヨーロッパ移民に遅れて20世紀初めからブラジルに渡った日本人移民は、その 多くがサンパウロ州とパラナ州のコーヒー栽培地帯に入植し、定着し、遅れてパ ラー州においても入植した(6)。主にこれらの地方を中心として当初契約労働者 として主にコーヒー農園で働いた初期移民とその子孫達は、各地でのコロニア社 会の形成と発展の過程を経て、一定の富を築いた層は中小の農園主へ、ある層は 個人企業家としてブラジル中間層の中に組み込まれていったものである。 1930年代以降のブラジルの急速な工業発展のプロセスは、農村の労働者のサン パウロへの急激な移動をもたらし、日系人も同じように都市への移動をみせたが、 サンパウロ市においては先着のヨーロッパ移民が工業分野での労働市場を占めて いたため、日系人の社会上昇の手段としては日系人組織や組合等を通じた日系人 社会の連帯と子弟の高学歴化による高い職業地位の獲得という形がとられた。 ブラジルにおいて日系人に対する関心が高まったのは、1940年代における第二 次世界大戦をめぐる米国主導の反日プロパガンダと、戦後のいわゆる「勝ち組」 「負け組」の抗争をめぐる彼らの行動である。同時にドイツ系を除くスペイン、 イタリア、ポルトガル等ヨーロッパ系移民にとっては日系移民独特の民族的連帯 性の強さ、言語、生活様式等の文化的な異なりが注視され、特に同一人種間にお ける結婚等は人種混交が広くみられるブラジル社会においては日系人に独特なも のとして受け止められたと言われる(7)。日系人に対して肯定的な評価が一般的 にみられるようになった要因としては、特に1970年代半ばのセラード開発におけ る日系人の農業分野での技術的、経済的貢献、日系進出企業の定着をはじめ、日 系人の職業の多様化、ブラジルと彼らの母国日本との国家レベルでの共同プロジ ェクトや交流の発展等に基づくものであろう。また富の獲得に関連した勤勉さや 子弟の高学歴化という日系人の戦略がブラジルの各社会層に認識されるようにな ったのは、一方ではブラジルにおける政治的民主化に伴う社会成層の分化、他方 では経済の悪化による階層下降の傾向が顕著になった80年代以降であると考えら れる。 -4-

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【表1】外国人登録者数の推移(1985~1994年) 出典:法務省入国管理局資料、「出入国管理関係統計概要」及び「在留外国人統計」、入管 協会、平成2~7年版に基づく。 【表2】日本でのブラジル人出入国者数の推移(1989~1994年) 出典:法務省入国管理局資料、「出入国管理関係統計概要」及び「在留外国人統計」、入管 協会、平成2~7年版に基づく。 -5- 1985 1989 1990 1991 1992 1993 1994 南米 ブラジル 指数 ブラジル /南米(%) 3.608 1,955 (100) 54.2 21,899 14,525 (743) 66.3 71,495 56,429 (2.896) 78.9 1530099 119,333 (6,104) 77.9 187,140 147,803 (7,560) 79.0 l96p491 154.650 (7,911) 78.7 203,840 159,619 (8.165) 78.3 1989 1990 1991 1992 1993 1994 入国者数(A) 対前年増減比(%) うち新規入国者数(B) 新規比率B/A(%) 出国者数(C) 対前年増減比(%) 出入国差(A)-(C) 290241 27,819 95.1 16,931 12,310 67,303 130.2 630462 94.3 24,607 45.3 42,696 96,337 43.1 83,785 87.0 41,389 69.7 54,948 81,415 -15.4 57,574 70.7 590828 44.6 210587 700719 -13.2 44,804 63.4 73Ⅲ104 22.2 -29385 72,236 2.1 45,790 63.4 34,287 -53.1 37Ⅱ949

(6)

【表3】在留資格別外国人豊録者-1994年 法律会計 業務 人文知識 国際業務 企業内転勤 文化活動 短期滞在。 on 家族滞在 特定活動 日本人の 配偶者等 永住者の配偶者等 未取得者 一時庇護 その他 】H7Ild mqL 薊lpI秤 蝋光1.970人、親族訪問79 JJ1Im 、日本人のFRIIH 捌撮ヨェ9年汪砥K野189劃E)園I8H7婆の兜の控 の在留鰯 唱忽5入ロヨmEF悪 正一■_口 出典 ②…シW緬辿シダ「.WEU冨吊ル1,コUUへ、コワUn天吻I則rゴノh、岡'n.ノミ、七uJ1巴ロハノ

b日本人の配偶者若しくは民法(明治29年法律第89条)第817条の2の規定による特別養子又は日本人の子と

c法務大臣が特別な理由を考魍し一定の在留期間を指定して居住を認める者 :法務省入国管理局資料、「在留外国人統計」、人智協会、平成7年版に基づく して出生した者 総数 教授 芸術 宗教 報道 投資経営 法律会計業務 医療 研究 教育 総数 (%) 南米 (%) ブラジル (%) 1,354.011 100 203,840 100 159、619 100 3 8141 532010 7・ ■ 凸 ,0 0 0 3 20 024023 0 0 2. B G 0 0 0 5,631 0.4. 51 0.03 15 0.01 931010 10 0 0 4. ■ 巳 0.00 8 3251 433010 5. ■ G ,0 0 0 4 70 20 0 一一 177 0.01 1 0.00 732111 912010 6. ● ■ ’0 0 0 1 2 4030 55 0 0 7. ● □ ,0 0 0 6 技術 人文知識国際業務 企業内転勤 興業 技能 文化活動 短期滞在. 留学 就学 ・研惨 総数 (%) 南米 (%) ブラジル (%) 956272 174020 1. ■ ■ ?(nv nm) nU 八期〕 1 7.1. 780030 431532 C O■ロュ 0 0 4 2 8. 444020 136292 s 白 6(皿U (皿U (皿U 戸局) 34,819 2.57 383 0.19 304 0.19 0 5454 957060 7. ■ ■ ,0 0 0 6 5. 923020 273201 ■ 白 ,0 0 0 3 呵夕】《■】句、6 句DU(u⑭ (氏)4缶(【)』民)(『)、色 凸邑凸(u)巴(叩)。 ↑ふく)巾孑r■白■ユ (氏) 1 2 4 1 548 62 150042 5.6.3. ,4 3 0 1 6 6. 576040 389303 G G ,2 0 0 7 3 17,305 1.28 449 0.22 255 0.16 家族滞在 特定活動 永住者 配偶者等日本人の b 永住者の配偶者等 定住者C 特別永住者 未取得者 一時庇護 その他 総数 (%) 南米 (%) ブラジル (%) 53.252 3.93 601 0,29 357 0.22 874211 143010 4. ● の ,0 0 0 6 9 4433 699372 8.6.3. ・3 0 0 2 5 231,561 17.1 109.704 53.82 95.139 59.6 225242 054030 0・ ● ● ,0 0 0 7 136,838 10.11 77,078 37.8 59,280 37.14 7 1010 87 0 0 6. 白 ● ,2 0 0 84 7 5 穴皖)。《【)ロロュ● nJ勺3A詮(x】勺■▲斤J0 〈、》日上(u》1▲(x) 、(mU6nU?〈卯U (u〉 1 1 165 0,01 203694 441060 4。1. ■ 、(叩) nV (mU l院)

(7)

【表4】職業別外国人登録者-1994年 医蝦・保健 技術者 芸術家芸能家 文芸家著述家 科学研究者 管理的戯業 従咽者 事務従醐者 従事者農林業 漁業従事者 -4 採鉱・採石 従酬者 運輸・通信従事者 技能工・生産工程 一般労働者 サーヒス業従事者 獣協会、干瑛7年鰯 山興:法扮衝入園哲理局質料、|汪圏外国人統計」、入管協会、平成7年版に基づく。 総数 医療・保健技術者 技術者 教員 芸術家芸能家 著述家文芸家 記者 科学研究者 総数 (%) 南米 (%) ブラジル (%) 1,354.011 100 203.840 100 159,619 100 6.169 0.5 285 0.1 247 0.2 (】) [『) 〈尻U nU(HU⑨凸へ毎)●8-の『) 列伍心〈(〉白←nJS 7(nV (mv n皿) 1▲ 1▲. 22.925 1.7 117 0.1 59 0.0 13,303 1.0 225 0.1 168 0.1 1,051 0.1 29 0.0 16 0,0 813 0.0 22 0.0 17 0.0 2.431 0.2 36 0.0 18 0.0 宗教家 他専門家.技術家 管理的職業 従鞭者 事務従事者 貿易従事者 販売従事者 農林業従事者 漁業従事者 総数 (%) 南米 (%) ブラジル (%) 1 2 3 457030 1. 0 ● ■(nU n叩》 (nV 〈【〉 z 2 UL nU7J②〉①凸民)冗色 (n》。⑪□。、色。 ◆nU nU nU (u〉 26,211 1.9 144 0.1 100 0.1 ⑤色 『ごJ nU の2A缶(u〕の『)、其》nU (五)e(又)①■ユ中 -0(【〉9〈【〉7句夕‐ (、) ⑨凸 1 8 1 1 9 5 1 922010 1・ 甲 山 InU nU 《nV ⑨色 7 6 4 516444 5.7.6. ,3 0 0 1 4 1.956 0.1 495 0.2 399 2.4 284 0.0 78 0.0 65 0.0 採鉱・採石 従襲者 運輸・通信従事者 技能工。生産工程 一般労働者 サービス業従事者 無職 不詳 総数 (%) 南米 (%) ブラジル (%) 195 0.0 36 0.0 29 0.0 2 8鼠 P偽》 (く)(u》(u》ロロユF局)⑥夕』 (【)on々凸・の、P凸の 、(ⅢU (Ⅲ) (叩U □Ⅱ△ ■Ⅱ▲ 160,168 11.83 109,353 53.6 93,248 58.4 n『) (Ru 《nu m二)(x)ムニニEu△句壬(、》 冗夕】白白■ユ甲■■ユ。 ?〈mv.i⑫凸?⑦② nU F『) △ユ。 ■ユ (u) ⑤『u (叩) 九コ】(u)ハベ)●扣云(【)(】) 、クニ。(u〉▲●曰込D P⑤『》P句『)7のべ) ③『) (【U・ ([) |璋凹 0 7 5 534323 2.7.9. ・502,6 465312 8 6 4 8 1,931 0.1 183 0.1 138 0.1

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【表5】性別年齢別入国者数-1994年 。◎ 出典:法務省入国管理局資料、「平成6年における出入国管理の概況」に基づいて作成。 総数 15歳未満 15~19歳 20~24歳 25~29歳 30~34歳 35~39歳 40~49歳 55~59歳 60歳以上 j j j 計%男女 計%男女 計%男女 1 - ! 人 数米ル ジ |総南ラ プ 7 70 5 05 6 42 6j51 6j97 3j58 3021 6023 2001 凸。土■▽■F ●▼七一P▲● 。■。▲汀ウ。 1065 2084 2011 3011 0054 7043 8126 11 1 0JⅡ、91 FIL ・J1、 3 21 ▲ユ。nhJ⑥色⑪色 勺上h8J(x)①、) (【U■Ⅱ〃《x)(又) 、こ』の夕凸【x)頁U 刈王臣】⑥色1▲ 血色(其)|■)〈、) (ベリBaユニ(x) 〈【〉ロム強⑤色 (】〉●一児)〔こ) ⑩』、)99 8(【)?▽ け(民)白■ (、)FIIQ】〈【) 【【uJ■、、ご〕(く) A丑〃Ⅱ、⑤凸⑥⑫ nU。、)nコ ⑤シ】 1 Ruh■〃F『》、リ ワ〃hⅡ〃(◎HL nUhⅡP尻〉RJ A舌兵)⑤色⑨凸 nU【、)F【〕底U o。■ユ⑤。△紐 1▲・白。■ユnV 且】。、。くり-⑨色・1上■L Pのニニ.IP P(xU97 ■nU曰■ ?6丘Ⅲ、口)幻哉 、(》ザⅡ、△邑句⑪ ワ〃■■ユムユニの二J (】》 幻紐臣) く 5』50 3』21 3112 9654 3.121 2266 9.63 5.69 4.67 ?ワ汀bp 0(【〉C7 i旬Ⅱ。F0 nUFHL貝)芦民】 〈【〉二1▲、兵〕ワi ⑨』1▲〈【〉・氏) (u) nV◎。 1く 1く 2 11 ▽』、2J(u)(ZU n与白、Ⅲ〃守6反リ ワ0IJP曰)4缶 、毎】▲4-口1▲1L nU7〃⑤こ)Ru 句ご)⑤色F『】(xu つ0-●二尾】《、) ■■▲●⑨凸(x) 句』①4詮⑨色 0m『』p9 B〈【〉9勺 日(n》00 ワ】1ユnU1ム ワ6訂ユ(u)7J 白日(1▲(【)二院) 1▲fⅡ、|R)(、》 1I 1I 5 22 553,141 (14.4) 340,403 212,738 13.469 (13.1) 8,140 5,329 8,970 (12.4) 5.442 3,528 ヘリ、3J⑨凸且U 〈、〉LBJ□4。』 (又)IJF■缶■缶 nU⑥色」Ⅵ」(x) F『』⑨凸nU・民〕 。》△紐1▲nK》 《、)中▲処一出J 24・反】(u》 句●,の向クニE() Pの『》11 9nU78 9(u)77 △牡1▲R)7, nuつ0一(【〉⑧二J (【)JⅡ、ATの〃』 (皿)FHE⑨凸句Ⅲ 11 5.31’ 760,959 (19.9) 506,737 254,222 16,123 (15.7) 10 5 ?125 998 11,247 (15.6) 6,884 4,363 78HBJ7Jnu n】】Ⅱログ穴亘凹(、) 、ぺ)h3J句び,((U (u)の夕]■ユニ臣J nJ(u〉n百JnmU 《u〉万グリ句I■0+ ■■ム凸〈【)臣】 勺■▲□(叩)刊口」 、夕』●(モリ(】》 ?⑤『】09 9(又)Pp P(又)■■ (【〉1▲⑥色冗■U nw)J■1宮尾)△△C 虞uF]Ⅱ、q〉⑪凸 nUP5Ⅲ1▲(】) 【【) ⑰⑪1▲ (u》■Ⅱ〃70n夕凸 区)61J■)〈U ⑰夕』10JnU⑨凸 F【〕〈【)7F(又) (】)〈『)A冠反J (【〉』氏】、ぺ)冗垂) AT。⑥色1▲ ⑤こ〉。のべ)nU F氏】。m■】mシ』 9(mU▽▽ ■扣辻p1 1(二】P■ (。1ユ7r(u) A詮〃Ⅱ、⑨凸句色 呵色FIE可込1△ nUJⅡ、⑨@句i n巴二 句夕』■ユ

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<図1>ブラジル国籍外国人登録者都道府県別分布(1,000人以上)-1994年末 上:実数 下:ブラジル国軽豊 録者全体に占d ろ割合(%) 27,545 (17.3) 22,571(14.1) 13,434(8.4) 10,160(6.4) 10, )00人 8,941 (5.6) 7,096

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84.589.572.779.078.485.287.687.289.992.374.090.097.085.863.963.067.277.175.766.877.8 出典:法務省入国管理局資料「在留外国人統計」4入管協会、 平成7年版に基づいて作成。

(10)

(ii)人口移動の傾向の変化 ブラジルにおいて地域間の人口移動が繰り返される特徴のあることは前述の通 りである。1940~1970年頃までの人口移動は、農業フロンティアの拡大と大都市 の工業化の進展に応ずる形で、北東部やミナス・ジェライス州からリオ、サンパ ウロ等を中心とした南東部や西部のマットグロッ州、南部のパナラ州への農村部 人口の移動が基本的な傾向であった。その後、70年代半ばまで、経済悪化に伴う 工業地域の失業が増加し、また南部の農業フロンティアの拡大がおさまり、北部、 北東部からサンパウロへの人口移動は、70年代半ばをピークに減少した。他方、 50年代以降サンパウロ州やミナス・ジェライス州からの急激な人口流入のあった パラナ州は、資本集約的な農業近代化による農村部雇用削減、及び自営農者の経 営難によって人口が再びサンパウロ及び北部マット・グロッソ州、更にはロライ マ州等のフロンティアへ移動をみせるようになった(8)。 80年代の経済悪化の長期化に伴い、この人口移動の傾向は、国内的には、失業 や治安等多くの社会問題を抱えた南東部の大都市から、各地方都市の開発に応じ て地方都市での雇用の機会や生活を求めての地方別の拠点への移動傾向をみせ、 一方、パラナ州からはイタイプー発一電所に関わる隣国パラグアイへ農村部低所得 層の移動が急増し、他方ミナス・ジェライス州からは、米国への移動が増加して 各々の都市で集住する傾向をみせた(9)。ここでは、かつては国内人口移動に比 して限られた影響しかみせないとされた国際間の移動('o)が、その規模において 80年代末以降90年代になって変化をみせてきたことが指摘できる。「表6」に示 される通り、ブラジルの各層は世界の各地において就労しており、その高まる国 際間の移動の影響は経済的面のみならず、社会・文化的にも等閑視できない状況 であろう。 (iii)日本の労働力需要と法改正の動き ブラジルが経済的な後退をみせていた時期は、日本の労働市場で特に中小企業 における単純労働者を中心とした人手不足の時期に相応した。日本においては、 社会的には女性の社会進出、余暇の増加に応じたサービス産業の発達と若年層の 製造業離れを迎え、企業が過密化する大都市から地方への進出等の傾向をみせた。 またかつて地方から都市部への季節労働等も雇用の情勢に応じて減少し、90年6 月の入管法改正以前は、慢性化する労働力不足の中でピル建築現場での労働やい -10-

(11)

【表6】ブラジル人の国外居住者政一1994年 砺厭 出典:ITAMARATY調査。VEJA-1996年4月3日号、pp、26-28に基づく。 -11- 国 人数 % 国 人数 % 鶴 1

、皿血皿皿咽血皿血、

0 印

血血皿血血靱麺

1 4 9

即却卸、仰嘔晦皿皿

3 1 7 6529633 釦 1 2

血麺

21 、 7

100.0 0.7 45.5 2.3 5.3 24.2 ヨーロッパ計 ドイツ ポルトガル イギリス イタリア スペイン フランス スイス スウェーデン ベルギー ギリシャ オランダ オーストリア デンマーク ノルウェー フィンランド ポーランド ロシア ハンガリー アイルランド チェコ共和国 ユーゴスラビア ルーマニア ブルガリア アフリカ計 日本 アジア(日本を除く) オーストラリア

廼汕血麺卸血麺珈皿皿知血皿卸卿埋翅、印汚弱湊型、

弱 溺濁墾田吃哩8772221 4

血暉四

m皿⑫ 1 9.4 0.3 12.7 0.7 0.9

(12)

わゆる3K労働への従事者はバングラディッシュ、フィリピン、パキスタン等ア ジア系の外国人による不法就労者によって多くを占められるようになった。 単純労働力不足の慢性化と不法就労者の激増の中で、日本企業が安定的に労働 者を確保する戦略の一つが、日本国籍を有する日本人の容姿をした日系のブラジ ル人やペルー人('1)の合法的導入であり、日本の政府がそれを容認した。特に、 在留資格の一部改正に関しては、ブラジルの日本人会や日系人のサンパウロ州議 員、更には日系人の購読者でなる新聞社等が、80年代半ばより積極的に「日本国 籍を所有しない日系子弟の日本就労についての長期ピザ交付」のキャンペーンを 行い、日本政府への働きかけを行っていたことが知られているm2)。 日本の斡旋業者(主に人材派遣会社)は現地ブラジルでの斡旋業者を介して日 系人の集住地を中心とした大々的な出稼ぎ推進のための募集や、講習会等を繰り 返し行った。また、現地の日系の旅行業者、出稼ぎ経験者や協力者等が積極的に リクルート活動を繰り広げて、ブラジルの各地で大々的な出稼ぎのキャンペーン をはった。斡旋業者を仲介しての出稼ぎの形態がほとんどの場合にとられた理由 は、日本がブラジルから距離的に遠いこと、旅行業者や現地の斡旋業者が旅費等 を事前に立て替えるシステムをとったこと、更には、その仲介する業者の利益追 求である。 日本における法改正の動きに加えて、ブラジルにおいても刑法206条の改正が あった。この刑法206条は、ブラジルが積極的に海外からの移住者を受け入れた 当時の1940年に発効の刑法で、ブラジルにおける移住目的の労働者の勧誘を禁じ たものであり、「国外移住の目的をもって労働者を勧誘する場合」収監刑及び罰 金支払いに処せられることを規定したものであるが、1993年7月、当該箇所が 「詐欺または不法行為により外国領土に送り出す目的で労働者を募集した場合」 と改正された(’31。この背景には、1日206条に基づいて悪質な斡旋業者やブロー カーの取締りが一斉に連邦警察によって行われて現地の関係企業等が混乱に陥っ たことがあり、この刑法への見直しが論議され、実質的には適正な派遣業務は認 めるというブラジル政府の政策の一部変更をみたものである。 以上のように、社会の階層の分化と中間層の分解及び階層下降がみられる中で、 日系人層の中で経済的な打撃を受けた層が、生きる戦略の一つとして、賃金格差 の大きな母国就労による富の獲得を社会上昇として選択し、これに日本企業の利 害並びに両国政府の施策の方向が一致する中で特にサンパウロ州を中心として日 本への急激な労働移動のブームが起こったのが現状であるいい。 -12-

(13)

以上の全体としての理解に基づき、部分としての個人レベルでの事例を次節で 述べることにより、より全体としての日系ブラジル人の国際間の移動に関する実 態と問題の所在が明らかになると思われる。 第3節事例一個人的生活描写 ここで取り上げる事例は、1995年10月から1996年5月までの間に筆者が京都府 及び大阪府内においてランダムに行った面接の結果に基づく。尚、この面接に関 しては、事前に質問紙を作成してある種の定量的分析の結果を論ずる目的で行っ たものではなく、インフォーマントの個々の生活とこれまでのプロセスを可能な 範囲で聴きとって全体的な姿を記述する目的で行ったものである。本論では、以 下の3例を事例としてあげ、日系ブラジル人の層が多様であることを述べるもの である。 「事例1」-Aさん(日系2世)の社会上昇 Aさんは、1989年5月に21歳で単身日本へ出稼ぎに来て各地で就労し、1996年 現在、京都の国立大学の経済学部で学ぶ大学2年生の28歳独身男性である。大学 キャンパスに隣接した当大学学生寮で他の日本人寮生2人と8畳間に相部屋で暮 らしている。 Aさんが日本へ出稼ぎに来た目的はブラジルに住む兄弟への仕送りのためであ ったという。Aさんの父は、戦前9歳で群馬県出身の両親と他の兄弟3人の計6 人家族の1人としてサンパウロ州アリアンサに移住し、母は生後半年の時に鳥取 県出身の両親と共にパラナ州アサイに移住した。父はコーヒー苗栽培やその他の 仕事を行ってアリアンサからモジ・ダス・クルーゼスヘ転居した。モジ・ダス・ クルーゼスで35歳で現在の母と結婚してその後カンピーナスで暮らし、娘2人と 息子4人の6人の子どもをもうけた。 Aさんは、その6人兄弟の次男としてカンピーナスで生まれ、上に兄、姉、下 に妹、弟2人を持つ。Aさんは小さい時から仕事を手伝い、中学へは昼働き、夜 通学した。高校時代は家を離れ、卒業後帰って父と共に農場経営(借地)を行っ てゴイアバ等の果物を輸出用に栽培していた。Aさんによれば、父は長男と長女 を他の子どもと区別し、特別の期待感と教育熱心さがあったといい、そのことが 今日をも含めてAさん自身の生き方に大きな影響を与えているという。ブラジル -13-

(14)

経済の悪化で農場が打撃を受け、Aさんが日本への出稼ぎを決心した当時、兄は、 農業高校を卒業後家を離れており、姉は、地元の公立大学の大学院の研究生、妹 は公立の高校生、弟達は中学生であってAさんが主たる働き手であったという。 Aさんは、斡旋業者との契約を通し、来日後すぐに名古屋の染色工場で半年間 住み込みで働いた。主に機械の運転作業の中の乾燥機のボタン調節の仕事を行っ た。この6カ月間で平均日給は7,200~7,600~8,000円と上昇したという。その 後そこでの単純労働だけでは技能が残らないと思ったAさんは、同じ名古屋の大 手自動車メーカー下請けの機械の組立工場へ転職して、2年半無人搬送システム の運転の仕事に従事した。91年3月の日給は12,000~13,650円であったという。 この3年間、平均22万円の月収の中から約16万円ずつ家族へ仕送りした。 Aさんは、ブラジルでは両親や知人から日本語を一切習わなかったために来日 直後は日本語は全く分からずに苦労した経緯があり、3年間で家族への仕送りの 必要が無くなった段階で、1年間だけ日本語を学んで帰国しようと東京へ移った。 日本では夜間の外国人対象の学校施設が無く、また学費が高額で且つ一括払いを 必要とするため、食事付の中華料理店で働きながら昼の2時から5時半までの店 の休憩時間を利用して昼間の日本語学校へ通った。東京での2年間は手取り19万 円の月収の中から学費4万円を支払い、月10万円前後は貯金したという。その後 日本語学校や私塾の日本語教材を利用した勉強で日本語が少しずつ理解できるよ うになり、日本語で露かれた書物が読めるようになってから初めてAさんは大学 進学を決意した。 しかしながら、Aさんにとっては、日本に関する情報不足と制度的な違いに苦 労したという。ブラジル人の大学進学に関する電話での問い合わせに対して日本 の文部省と法務省とでは説明の異なることがあったという。結局、日本の大学へ 進学するためにはブラジルの高校卒業時の11年では就学年数が1年足らないとい うことを初めて知ることになり、Aさんは日本の文部省指定校で勉強する必要が あった。そのために大阪へ移り、パチンコ店での住込みの仕事をしながら外国人 に必要な各種の試験を通って1995年4月大学に入学した。 大学では学生の友人には恵まれているとのことであるが、奨学金制度に関して、 文部省による奨学生の対象は規定により26歳までの年齢制限があり、またI間報を 伝えてくれる人がいないこと、多くのアジア系の留学生には様々な奨学金のシス テムに基づいて在籍できることに対して、ブラジル人のためのシステムは無く、 そうしたことから留学生間での差別的待遇を感ずることがあるという。寮の部屋 -14-

(15)

も-度変わったが、前よりは良くないとのことで、それも、自分が外国人である からなのかも知れないという。日本で扱われているラテン・アメリカに関する書 物については、スペイン語圏諸国及びラテン・アメリカ全体に関する総合的な内 容のものがあるが、ブラジルに関しては、インフレーション、ストリート・チル ドレン等の社会問題を扱ったものがほとんどで、ブラジルの国家としての可能性 については横に追いやられているという印象を持つとのことである。 今、兄はブラジルにいるが一度来日、姉はカンピーナスの大学院博士過程に在 籍、妹は高校卒業後一度来日して8カ月間滞在した後帰国、弟の-人は高校卒業 後建築の短期大学に入学して、休学して一度来日、末の弟は、農業高校を卒業後 来日して、現在新潟県下で就労している。兄弟とのコミュニケーションは電話で 時々とる程度だといい、Aさんはブラジルから来た友人や日本人学生と交流して いる。Aさんによれば、出稼ぎブームの起こる前の80年代半ばに、ブラジルの国 立大学生をはじめ優秀な若者が、休学もしくは卒業後すぐに意欲的に日本で何か を学ぼうと来日したり、また企業の研修生として技術の修得に来たが、実際に日 常のアルバイト等でブラジルの20~30倍に近い高収入を得ることにより消費を楽 しむ考え方に変わる層が多くなったという。また、Aさんが来日した当時に比べ、 最近は日本人のボランティア活動や物の流通等で比較的生活する上で恵まれてい るにもかかわらず、日系ブラジル人はお金儲けのみを考えているように感ずると のことである。Aさん自身はブラジルに関する情報の入手は、週刊のインターナ ショナル・プレス紙及びEXAME誌の定期臓読をしたり、市内にある国際交流 会館でのVEJA誌等の閲覧を行っているという。 大学卒業後は帰国し、独力で日本の大学で学んだというキャリアを生かして政 治家を目指したいとのことである。 「事例2」-Bさん(日系3世)とCさん(日系3世)の暮らし Bさんは32歳のブラジル国籍の男性、Cさんは39歳のブラジル国籍の女性で、

2人は1996年5月現在京都府内K市の住宅地のアパートに夫婦として3歳8カ月

の子どもと3人で暮らす家族である。Bさんは同市内にある機械工業の自動車部 品プレス工場に勤務し、Cさんは同市内にある託児所付の民間の医院で入院患者 の付添いのヘルパーの仕事に就いている。 Bさんは、1964年、サンパウロ市のリベルダーデで、日系2世の父と母の間の 4人兄弟の2番目に長男として生まれた。父は亡くなり、現在56歳の母がサンパ -15-

(16)

ウロ市内のアパートでBさんの末の妹夫婦と同居している。このアパートは、B さんが日本で就労して得た収入の中から、1995年6月に約5万ドルで購入したも のであるという。 Bさんの父方の祖父母も、母方の祖父母も共に沖縄県の出身である。サンパウ ロ州のオスワルド・クルス付近のコーヒー農場で働いていたらしいが、正確な移 住の年月は聞いていないという。父は、5人兄弟の次男として育って、ルセリア で暮らし、31歳で現在の母と結婚してサンパウロ市へ移り、食堂・レストランに 対する衛生・殺菌剤散布のサービス会社を経営した。母は、コーヒー農場で働く 祖父母の間で三女として育ち、結婚してサンパウロ市に移った。母とBさんとの 会話は、ほとんどがポルトガル語であったという。 Bさんは市内の高校を卒業してから市内の土地書類登記所の事務員を行ってい たが、個人的にお金を稼ぐ目的で、1990年9月に26歳で日本の斡旋会社を通し、 大阪へ出稼ぎにきた。飛行機運賃は当斡旋会社が予め負担して支払い、日本での 出稼ぎ開始後6カ月間に給与の中から返済した。大阪では機械工業会社の工場で 組立工程作業を行って、時給1,400円の収入を得た。住まいは会社の寮で、ブラ ジル人2人、ペルー人1人と共に8畳間に相部屋で暮らした。寮の質料は月15,0 00円の定額であった。Bさんは、同じ斡旋会社を通して大阪に出稼ぎにきていた Cさんと出会う。 Cさんは、1990年に来日し、大阪にあるストーブ等の電気製品の部品組立工場 で時給850円前後で就労した。住まいは遅れて来日した妹と2人でアパートに暮 らし、Bさんと同じく住宅費15,000円の定額を支払っていた.Cさんは、サンパ ウロ州のマリリアで、日系2世の両親の間で1957年に長女として生まれ、下に4 人の妹と5人の弟を持つ。父方の祖父母は福岡県の出身でサンパウロ州のパオ・ マーレスのコーヒー農場で働き、母方の祖父母も福岡県の出身で同州のドゥアル チーナで暮らしていた。両親はこの両家の間での見合い結婚で結ばれて、マリリ アに引っ越した。父は9人兄弟の中の5番目に生まれた次男で現在68歳になり、 母は、6人兄弟の中5番目に生まれた三女で現在65歳になる。 Cさんの記憶を辿ると、父の仕事は最初コーヒー苗づくり、米作、次いで野菜、 果物栽培、商店経営、そして土地を売却してからタバコのベンデドールを行い、 その後、養蚕業を営んで、現在は住宅の管理を行っているという。Cさんは、高 校を中退してマリリアで時計、ブローチ、土産物等の販売店で働いていたが、日 本へ渡った親類の従兄弟の情報や、地元斡旋業者の講習会等を通し、お金を稼ぐ -16-

(17)

目的で来日した。最初は2年間だけのつもりの来日だったという。 Bさんは来日後1年2カ月で京都の現在の職場に転職してCさんと同居し、二 人の間に子どもが生まれて、現在は家賃47,000円のアパートに暮らしている。二 人の会話はポルトガル語で行われるが、子どもは託児所での日本人の子どもとの 交友が主であるため、日本語だけしか知らない。cさんは、ブラジルで小さい時 から母親に日本語を教わり、また日本語学校にも通っていたため、日本人との日 本語での日常会話はそれほど不自由していない。母は、幼い時からサンパウロ市 内にある洋裁学校に親と一緒に通い、第二次大戦中も周囲に隠れて日本人の先生 から日本語を学んでいたため、cさんに直接日本語を教えていたという。一方、 Bさんのほうは日常会話で日本語の単語が個々に理解できる程度である。 BさんとCさんの来日後、Bさんの母と末の妹、Cさんの両親、兄弟のうち7 人がそれぞれ来日し、兄弟は大阪、名古屋、兵庫、愛知県下で就労を経験してい るという。 2人のアパートの居間には壁の中央に日本の新興宗教の祭壇が置かれている。 Bさんの両親の代からの信徒であるという。もう一方の壁沿いにはオーディオの 設備が置かれ、週一度大阪のブラジル人から配送されてくるレンタルピデオでブ ラジルの最新ニュースを見聞きし、台所の食卓にはブラジル産のコーヒー、お菓 子類が用意されている。ブラジルの情報は、新聞は週刊のインターナショナル・ プレスを購読している。 Bさんによると、仕事はきつく大変で、休日は家で休んでいるのがほとんどだ という。Cさんによると、人間関係は職場や地域の人、そして福岡の親類等親切 な人に恵まれたという。Cさんの勤務する病院では、4人の日系人が付添いの仕 事を行っているが、うち3人がブラジル人であり、住居もすぐ近くにあっていつ も行き来しているという。しかしながらBさんの職場に関しては、転職した91年 11月に工場には約50人の日系ブラジル人がいたが、それが4年半後の今は2人に まで減ったという雇用の備勢がある。BさんもCさんもいずれブラジルに帰るつ もりだとのことであるが、3歳8カ月の子どもは今日本語のみを使っていてポル トガル語は分からない。帰国してからの生活については二人ともまだはっきりし ないとのことであった。 「事例3」-Dさん(日系2世)と子ども(日系3世)とのかかわり Dさんは現在大阪府内の縫製工場で働いているブラジル国籍の日系2世の女性 17-

(18)

である。1991年6月に斡旋会社を通して長男と共に来日し、近畿圏内のゴルフ場、

自動車の部品選別工場、病院でのヘルパーの仕事を行った後、現在の職場で働い

ている。

Dさんはマット・グロッソ州で生まれた。父は沖縄県出身で16歳の時、家族で

ブラジルの同州に移住した。父は大型トラックの運転手として生計を立て、その

後非日系のブラジル人女性と結婚した。Dさんはその2人の間の4番目の子ども

で、地元の大学にて看護学を修めた後、地元の病院に看護婦として勤務していた。

そして、同州内で列車運転手をしている非日系人の男性と結婚し、4人の子ども をもうけた。 Dさんは日本での高収入を求めて来日し、約1年後に次男と夫が相次いで大阪

府内に出稼ぎに来た。その後Dさんは一旦帰国し、娘と当時13歳の三男を連れて

1994年に再び来日した。夫は機械組立工場に勤務して同会社の寮に住み、Dさん は勤務先が管理する共同住宅で子どもと共に暮らした。子ども達は夫の勤務する 工場や他の木工所、クリーニング店、売店等でアルバイトを行っていた.それぞ れの仕事の時間帯の違いや交友関係があって、家族が一緒になる機会は多くなか ったという。 中学校を途中休学の形で家族の元にやってきた三男は、約1年間アルバイトを するかたわら、大阪府内の日本語学校で日本語を学んでいたが、専門学校へ通う 日本人女性と知り合い、交友を深める内にDさんの元へ帰宅することが少なくな った。三男は知り合った女性と共に家出を繰り返し、二人は小遣いに困ったため に非行にはしり、大阪府内で補導されて施設に収容された。 Dさんによれば、三男はブラジルにいる間、学校の成績が良く、カトリックの 教会へも通い、何一つ非行歴のない子で、彼がそうした行為にはしった主な原因 は、その知り合った女性との交友関係にあるのではないかと感じ、本人の問題も あったとはいえ、特に相手の女性が成人であったことの責任の重さを語った。本 人のためには、そうした関係を絶つためにもブラジルへ帰国させて、勉強をし直 させたいと考えた。夫は収容中の彼に面会することはなかった。結局三男は未成 年者としての一般的処分を受けたが、その後のいきさつもあり、本人の更正及び 家族の受け入れ体制や交友関係が考慮されたことにより、最終的には府外の外国 人未成年者を対象とした更正施設での指導の処置が与えられた。 夫は、自分達の目の届かない交友関係の中にあるよりは、公の機関で訓練・指 導を受けてくることが本人にとっても自分達にとっても望ましいと語り、長男は、 -18-

(19)

家出している本人との連絡や捜し回ったりする心配や苦労がなくなり、安心して 自分の仕事に就けると言った。長女は手紙のやりとりをしたいと言っていた。三 男を除く子ども達全員にはそれぞれ日本で知り合ったフィアンセがいる。 第4節日系ブラジル人の日本における就労の構造と問題点 (1)日系ブラジル人の日本の労働市場への参入の枠組み 以上の事例の位置づけに関しては、より全体的な日系ブラジル人の移動の枠組 みを考慮する必要があり、その点を図示すれば図2のように表される。 図の左はブラジルの社会成層図であり、右図が日本の労働市場に関する一般的 概念図である。 階層分化及び中間層の階層下降のみられる中にあって、円で囲んだ日系ブラジ ル人の層は、高学歴化が社会上昇の主たる手段たりえなくなり、ブラジル全体の 上から押し出される形で高収入を求めての国外への移動をみせた。この国外での 就労機会を求める動きは前述の通り日本への出稼ぎのみに限られたものではない が、日本社会の持つ「属人主義」即ち「日本人の子弟は日本人に準ずるものとみ なす」という基本的な了解と認識及び、日系1世による「里帰り」意識も日系人 の母国就労を加速化させた要因となったものと考えられる。 右図の労働市場に関し、企業全体の労働は、社内教育によって正社員向けの昇 進のシステムがあるが、その場合、未熟練労働者がその枠組みに参入するが、非 熟練労働という労働力部分は主婦のパートタイム労働やアルバイト及び、派遣労 働者によってなり、この部分に外国人労働者が労働力として導入される。知的労 働部分としての労働移動に比し、この非熟練労働力部分は企業の雇用調節部分と なる。 日本及び現地の斡旋業者を通す間接雇用の形態及び、企業の直接雇用の形態を 通して、この部分に個人的な富の獲得を主な動機として参入した外国人労働者は、 日本的経営の枠組みの中で昇進システムから分断された雇用調節部分内で就労し、 富を貯えて帰国する。しかしながら、日系ブラジル人の場合、帰国した場合の本 国での雇用機会の喪失に直面する場合が多い。他方では日本における高収入に基 づく消費面での欲望の増幅がみられ、一旦帰国した後で家族帯同で出稼ぎを反復 する。 出稼ぎ経験者の職業移動については、1993年3月に日本労働力機樹が行った調 -19-

(20)

<図2>日系ブラジル人労働者の日本社会への移動 <日本の労働市場> <ブラジル社会からの送出 新経済自由主護化

弱1

-政府間経済・技術協力一一し (知蹴労働)

(外国人)=>

層(白人) (日本的経営方式) 中間層 非日系ブラジル人との 同化と差異化一 社会的上昇志向用

/(日系ブラジル人層)、

高字腿化が社会上昇の手段でなく蛾る 高収入を求めての母国就労

&.

幽些|」静。

(非熟辮働):

1主婦・高齢i

鰯!??鮎!《…’

 ̄学生アルパi

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化断 斡旋案者(日本・ブラ ジル)等を通しての間 接就労 日本企業との直接蹴労 碑。 出稼ぎ )一 新規小企粟投資 熟練を要 ない労働 世代llll愈園 コロニア社 '、'、 帰国

_L

欲H1の墹棡 労働愈欲喪失 失翼一 日系ブラジル人層の分極イ日系ブラジル人層の分極化 下層 (低所得者圃) 定 住 化 独自のネットワークづくりと 築住 非日系外国人労働者との差異 化及び階屈化 非日系ブラジル人との

箒で裁f:ヅン

注:「日本の労働市場」に関する図は、経済企画 総合叶画局、1989年資料(今田、友枝藩『社会学 有翌閣、1995年、p、248)に基づいて加簸・作成。

(21)

査を参考にすると、「表7-1」「表7-2」「表7-3」に示した通り、出稼ぎ直前

の職業よりも日本での就労はより単純な職種への移動がみられる。そして帰国後

の職業にみられる変化は、企業の事務・営業職の減少と失業の増加である。

【表7-1】出稼ぎ経験者の「渡日直前の職業」 出典:日本労働研究機榊、「日系人労働者の需給シ ステムと就労経験一『出稼ぎ』に関する現 地調査を中心に-」1995年3月、p、125

1iii熱騨,欄騨獅1

【表7-2】「日本で就労した仕事」(複数回答)

出典:日本労働研究機構、「日系人労働者の需給シ

ステムと就労経験一『出稼ぎ」に関する現 地調査を中心に-」1995年3月、p、129 -21- 職種 回答数 % 順位 企業の事務・営業 農業等 在学中 企業の技術・技能 銀行員 失業中 教師 公務員等 その他 無回答 計 16574743232 32211 520 2 39449505740 ●●●G□□●●●●● 52286321510 111 210 1 123456789 職種 回答数 % 123456789 ■■●●●■●●● 機械工業系工場の技能工 食品系工場の生産工 建設現場の単純作業担当 繊維系工場の技能・生産工 病院での付添い 風俗、飲食店での接客担当 クリーニング店での接客担当 ピルメン会社の単純作業担当 販売店での接客担当 その他 1 5 1 65 11 984410 5 2 8945000504 ●●●●。●●●●● 4774422002 7 1

(22)

【表7-3】出稼ぎ経験者の「帰国直後の職業」 出典 日本労働研究機栂、「日系人労働者の需給シ ステムと就労経験一「出稼ぎ』に関する現 地調査を中心に-」1995年3月、p、136 一方、日系ブラジル人の多くは、出稼ぎで得た資金を、飲食店、衣料品店、フ ァーストフード店等の主に商業部門での中小の個人事業への投資に意欲的である として、日本での労働による高収入を元手にサンパウロの商業部門での新規事業 を起こす動きもあるm61。 (2)事例の位置づけ 本稿で示した事例1は、図2においては日本での個人的な教育機会の獲得とキ ャリアに基づき、ブラジルでの社会上昇を志向する層に位置づけられる。農場経 営を行う親から学歴を中心とした社会上昇を求められる子どもと、それを支える 労働を求められる子どもという、子どもの役割分担もしくは層化⑪。)の中で、後 者に当たる個人が日本に渡ったケースであろう。ここでは、日本とブラジルの両 者の間での情報の不足と偏り、制度的な差異に関わる苦労に常に直面してきてい る。その経緯の中で他の-部日系ブラジル人に対する批判の思いもつのらせてい る。 事例2は、ブラジルでの日系コロニア社会の中、祖父母の代から両親の代へと 比較的大家族的な紐帯を保つ中で、ブラジルにおいて生育した3世のケースとみ られる。日本においてもブラジルでの親類関係に基づきながら、ブラジル社会に おける彼らの生活の様式を可能な範囲で日本社会に持ち込む形をとっていると恩 -22- 職種 回答数 % 順位 企業の事務・営業 農業等 在学中 企業の技術・技能 銀行員 失業中 教師 公務員等 その他 無回答 計 60 12 924 0 5 31 162 540 2 99500855280 ●●●●巳0■●ら●● 79412410520 2 220 1 32475168

(23)

われる。日系3世のBさんとCさんには、ブラジル人としてのアイデンティティ ーはあるものの、日本で生まれ、日本語を中心として育っている3歳8カ月の4 世の子どもの今後の教育の問題は、Bさん、Cさんにとり帰国後あるいは滞日中

も残される。K市は自治体レベルとしてはブラジルとの姉妹都市提携等による国

際的交流が推進されているが、仮にBさん家族が長期的な滞在の方向へ向かうと した場合には、個人レベルでの就労内容に関する意識の持ち方、及び日本的な生 活様式との関わり、近隣社会との関係の問題が残される。 事例3は、日本における家族それぞれの多忙な就労の生活の中で遅れて来日し た思春期の子どもの日本社会への不適応のケースとみられる。Dさんは日本人と 非日系人との混血の日系2世であり、そのDさんと非日系人の夫との間で生まれ た3世の子どもにとっては、未成年の段階での急激な消費生活、教育環境、人間 関係、社会諸制度の変化への対応において、ブラジルにおける生活の様式とのギ ャップが大きかったことが考えられる。このケースは、家族の成員が、それぞれ の行動の結果を通して個々に問題に直面している層と位置づけられる。 一方こうした個人レベルに比し、図2の上部で示した通り、ブラジルと日本と の外交レベル及び企業レベルでの関係は90年代に入って更に発展・緊密化の傾向

をみせている('7)。グローバル化する国際的諸関係の中で、経済的活動をはじめ、

学術・文化交流等の推進や発展が政府間並びに社会の上層の部分での人的交流を もって主に行われてきている。 このようにみてくると、最近のいわゆる日系人の「出稼ぎ」現象に関しては、 かつて日本の移民会社等を通してブラジルへ渡った日本人移民の子孫に当たる層 が、現在は、日本及び現地の企業、並びに斡旋業者等の直接的、間接的雇用の形 態を通して来日しているという現実が理解される。従って、その移動は、それぞ れの社会における階層上層の閉ざされた限られた層の国際間移動であると位置づ けられるのではないかと考えられる。即ち、富の獲得という個人的動機に応じて 政治・経済的必要のみの諸施策が両国家レベルで優先される中で人々の移動が促 され、その結果もたらされる社会・文化的問題は二次的に認識され、対応される 傾向を持つと思われる。 他方、日系人であることによる優先的な日本での就労と富の獲得は、国際間を 移動する他の外国人労働者との間での確執を生み出す可能性のあることは否めな い。外国人登録における在留資格の一部改正にみられる通り、日本における-民 族一国家観に基づく属人主義は、日本での就労を求める非日系の外国人にとって -23-

(24)

は-つの差別として認識される可能性があろう。またブラジルにおいて、一方に 両親もしくは祖父母の母国における就労によってブラジルでの不動産購入等をな し、また高収入を元手に新規事業を起こし得る日系ブラジル人層がいることに対 し、他方に制度的に日本での就労の不可能なブラジル人層が存在することは、ブ ラジルにおける一つの差別的構造として問題化されることも考えられる。従って、 そうした問題点を包摂する形で日系ブラジル人の労働移動現象が図2に示したよ うな全体的な輪郭において位置づけられるものと思われる。 第5節結鰭 以上のように、日系ブラジル人の日本への出稼ぎ就労はブラジル社会において階 層上昇の閉ざされた限られた層の移動であるという特徴が示される。即ち、その 層はブラジルの社会成層における中間廟の分化過程にある-つとして位置づけら れる。本稿における個人史的考察に基づけば、日本に出稼ぎ就労に来ている日系 ブラジル人は、その出自、家族関係及び生活史において多様な姿をみせ、その行 動にはブラジルにおける生活のプロセスが背景として影響していることが認識さ れた。更に日本における労働システムの中での就労経験や生活経験によって、多 様に分岐化されていく傾向が理解された。同時にその過程において日本社会とブ ラジル社会が歴史的、構造的に抱えている諸問題との直面が明らかとされた。 80年代よりの日系ブラジル人による出稼ぎ就労に対して、否定・肯定・推進鐘 をはじめ、両社会への影癬が主に経済的な側面並びに日系コロニア社会の空洞化 の問題を中心にして論議されてきている’'8)。一方、日系人のブラジル社会への 参入は、他のヨーロッパ系移民に比して適応の歴史が浅い。従って、ブラジル社 会の変化過程の理解の一つとしては、国際間の移動を行って分化をみせる日系人 の層が、ブラジル社会の他の民族集団によってどのように評価され、且つどのよ うに影響し合って行くかについての視座が今後求められるであろう。 国際労働移IMI研究における様々な問題領域にアプローチするに当たっては、一 国から移動する労働者を画一的な層として捉えることなく、一方では部分として の個人史的な考察を社会・文化的側面を踏まえた全体的脈絡において深め、他方 では全体としての送出及び受け入れ社会の民族的形成のプロセスや社会構造的問 題にそれを関連・整合させて考察する方法により、具体的な実態の把握を進めて いくことが肝要と思われる。 -24-

(25)

【注釈】 (1)最近の主な実態調査報告書としては、 手塚和彰、駒井洋、小野五郎、尾形隆彰續「外国人労働者の就労実態一 総合的実態調査報告集」明石書店、1995年・田島久蔵「ラテン・アメリカ 日系人の定住化一出身国別の-考察」(駒井洋編、『定住化する外国人」 講座、外国人定住問題第2巻、明石書店、1995年、pp、163-198.)。渡辺雅 子編「共同研究・出稼ぎ日系ブラジル人』上・下巻、1995年、明石書店。 (2)一般にこの入国管理法の改正を境として、85年から90年5月までを出稼ぎ の第一期、90年6月から日本における景気後退を迎えた91年末までが二期、 92年以降から現在までが三期とされる。 (3)この2項目を年次別にみれば、全在留資格に占める「日本人の配偶者等」 の割合は、1990年13.8%、91年25.7%、92年42.4%、93年41.7%、「定住 者」が1990年4.1%、91年2.0%、92年6.6%、93年10.8%となっている。 (4)ここで言う出稼ぎとは、「自分や自分の家族の生活基盤をブラジルにおき ながら、より多くの労働報酬を得るために臨時に日本に働きに行くこと」 である。この日本語に関して蔑視的ニュアンスがあるという意味での議論 もあったが、ブラジルにおいては、既に゛dekassegui”という言葉が日系 人の母国就労をさす用語として一般的となっている。

(5)この点に関しては、拙稿「ブラジルの社会成層化に関する考察一社会経

済的格差の要因分析」において考察を試みた。(ラテン・アメリカ論集

No.29,1995年ppl-22.)

(6)日本移民が-州にのみ入植・定着することからブラジル政府が日本移民の

入国制限の動きをみせた(1923年、ミナス州議員による黄色人入国制限法

案の連邦下院への提出)こともあって、その入国制限を避ける目的も、日

本からアマゾン流域への移民を送り出す要因となったとされる。(藤崎康 夫『出稼ぎ日系外国人労働者』明石書店、1991年、pp,198-199.) (7)ブラジルにおいて日系人がブラジルの民衆のレベルでどのようにみられて きたかを論じたものの-つとして、JosephMLuyten「リテラトゥーフ・ デ・コルデルのなかの日本人」(「ブラジル民衆本の世界一コルデルに みる詩と歌の世界」中牧弘允他訳、お茶の水書房、1990年、pp、178-207.) -25-

(26)

(8)中川文雄「ブラジルにおける国内人口移動と首位性の動向」(中川、細野、 高橋、山田、矢ヶ崎、MiltonSantos「ブラジル南東部の都市発展一複 合大都市圏の形成と都市首位性変動の諸要因に関する学際的研究』昭和61

年度文部省科学研究費・海外学術調査報告書、1988年、pp5-10.)

(9)特に雇用の機会を米国のニューヨークやボストンへ求め、ブラジルでの事 業資金獲得のために肉体労働、靴磨き、皿洗い等の仕事に従事している層 (月収2,000~3,000ドルという)が、新たな海外でのコロニア社会を形成 しているとされる。しかしながら、本国から離れての職業地位の低下は、 現地の同業種の他の社会層との間での摩擦や問題をはらんでいるとも指摘 されている。また、雇用機会のないパラナ州北部の農村の貧困層はパラグ アイへ移動しているが、パラグアイの経済規模では彼らを十分に吸収する 力がなく、結果として、多くが浮浪民としてパラグアイ社会の下層に位歴 しているとされる。(VEJA-3deabril,1996,pp、26-29) (10)中川文雄、前掲書、P、6. (11)1990年の入管法改定後、不法就労者の雇用者に対する罰則規定が設けられ たことにより、日本人と区別のつきにくい「非可視的な」外国人の雇用の ‐傾向が強まった。(今田高俊、友枝敏雄鶴『社会学の基礎」有斐閣Sシリ ーズ、1995年、pp272-273) (12)藤崎康夫、前掲書、pp、79-89. (13)日本労働研究機樹「日系人労働者の需給システムと就労経験一《出稼 ぎ》に関するブラジル現地調査を中心に-」1995年、p、20、参照。 (14)VEJA誌において、(7deSetemb「0,1994.pp、58-79.及び同誌3deAb- ri1.1996.pp26-29)人口の移動の傾向及び、最近の分布状況が特集記 事として掲載された。ブラジルから日本への出稼ぎ就労者の出身地に関し ては、国際協力事業団の1991年時のアンケート調査によればサンパウロ州 76.1%、パラナ州14.5%、その他9.4%であった。また、1995年1月から

5月までの間にブラジルのSEBRAE(ServigoB「asileirodeApoioasMic-roePequenasEmpresas)が日本にいる日系人に対するアンケート調査を 行った中では、サンパウロ州出身者59.4%、パラナ州19.1%、ミナス・ジ ェライス州3.6%、マット・グロッソ州3.3%、その他14.5%という結果が 示され(FolhadeSiroPaulo-30dejulhodel995)基本的にサンパ ウロ州及びパラナ州出身者が大部分であることには変化がみられない。 -26-

(27)

(15)SEBRAE(Se「viSoBrasileirodeApoioasMicroePequenasEmpresas)

によるブラジル銀行東京支店内での融資相談窓口での調査(1995年1月~ 5月)によれば、日系人の約45%は帰国後商業部門への投資を望んでおり、 次いで、24%が工業部門、19%がサービス部門、11%が農牧業であったと されている。(1995年7月30日付FolhadeS:oPaulo紙) (16)この2世における二属性に関しては、日系人の子孫の社会上昇戦略を理解 する上での一つの枠組みとなっている。前山隆「異文化接触と文化変動 一ブラジル日系人の事例に照らして」『文化と哲学」6号、静岡大学哲 学会、1987年。 (17)中でも、両国政府及び関係機関が融資等をはじめ積極的に支援する製鉄、 紙パルプ、腿業、アルミ、鉄鉱山等の分野のブラジルの「ナショナルプロ ジェクト」の発展が、ブラジルの資源開発や両国関係の緊密化に具体的に 貢献してきており、また現在はそのプロジェクトの進展や両国の経済関係 に影響を与える主要因がブラジルの国営企業の民営化の問題であろうと指 摘されている。小坂允雄「『ナショナルプロジェクト」の役割と評価」 (水野一監修、日本ブラジル交流史編集委員会編『日本ブラジル交流史』 日本ブラジル中央協会、1995年。pP211-229)参照。 (18)出稼ぎの日系コロニア社会に与えた経済・社会的影響に関する主な調査論 文としては、森幸一「日系集団地にとっての「出稼ぎ』の意味-3日系 集団地の出稼ぎ形態と影,饗の対比を通して-」『移住研究」No.31、国 際協力事業団、1994年。 【上記以外の主な参考文献】 (1)ブラジル日本移民八十年史編纂委員会「ブラジル日本移民八十年史」日本 移民八十年祭.ブラジル日本文化協会、1991年。 (2)A「lindaRochaNogueira, Ⅱ旦旦_dQ-nエ旦旦」_1,S面oPaulo,CentrodeEstudosNipo-Bmsileiros,1984. (3)堀坂浩太郎「出稼ぎ現象と日伯の国際化」(水野一監修、日本ブラジル交 流史編集委員会縄「ブラジル交流史」日本ブラジル中央協会、1995年。) (4)二宮正人、労働省職業安定局業務調整課鰯「日本・ブラジル両国における -27-

(28)

日系人の労働と生活』日刊労働通信社、1994年. (5)前山隆「日系外国人労働者のその後一「日本国民』とは誰か」(法務省 入国管理局「国際人流」No.38,入管協会、1990年。 (6)前山隆「日系人(ブラジル)-中間マイノリティの問題」(綾部恒雄編 『文化人類学7-世界の少数民族』アカデミア出版会、1990年。) (7)小林恵露「ブラジル移住家族3代の意識調査」及び栗原智恵子「日系人の 心理」(「移住研究』No.30、国際協力事業団、1993年。) (8)江成幸「外国人労働者と家族一日系ブラジル人・ペルー人の事例から」 (『名古屋短期大学紀要」第33号、1995年。) (9)国際協力事業団「日系人本邦就労実態調査報告書」1992年。 (10)梶田孝道、伊糠谷登土翁編『外国人労働者論一現状から理論へ』弘文堂、 1992年。 (11)Lamphere,Iouis, Chicago,TheUniversityofChicagoPress, 1992. -28-

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