社会の安全保障
その理論的・政治的含意目 次 1.はじめに 2.社会の安全保障 (1) 背景 (2) 概念 3.社会的構成をめぐって (1) 脅威の構成 (2) 客体の構成 4.おわりに キーワード:社会の安全保障,コンストラクティヴィズム, アイデンティティ
1.は じ め に
冷戦構造が弛緩し,最終的に消滅する1980年代後半から1990年代前半に かけて,国際政治上のこの大きな歴史的変動を反映しながら,また,学問 内部の自律的な力学にも影響されながら,国際関係論は大きな変容を遂げ 始めた。一方では,冷戦構造の陰に隠れてそれまであまり注目されてこな かった,例えば内戦のような問題が,国際関係論が取り組むべきテーマと して位置づけられていった。そして他方では,それまでアメリカの国際関 係論において大きな影響力を持っていた合理的選択理論への批判が高まり, コンストラクティヴィズムをはじめとする多種多様なアプローチが登場し た。その結果,現在の国際関係論は,何を,どのように研究するかという 点に関して,支配的見解といえるものが存在しない状態にある。 こうした百家争鳴の観を呈する冷戦後の国際関係論において,数多くの 新しい概念が提示されてきたが,本稿はその中でも,イギリスの国際政治 学者であるブザン (Barry Buzan) によって提唱された「社会の安全保障 (societal security)」という概念について検討していく。社会集団のアイデ ンティティに関わるこの概念は,同じく冷戦終結前後の時期に提唱された 「ソフト・パワー」や「知識共同体 (epistemic community)」等の概念と 比べると,必ずしも広く定着しているわけではない。しかし,この社会の 安全保障という概念は,イギリスの EU 離脱やアメリカ大統領選挙でのト ランプ (Donald Trump) の勝利,さらには文化や宗教に関連する紛争や対 立など,きわめて今日的な問題と深く関わっている。また,この概念は, 現実の社会的構成に着目するいわゆるコンストラクティヴィズム (構成主 義) との関係をめぐって活発な論争を引き起こしたが,この論争は,国際 関係論におけるコンストラクティヴィズムの意義という純粋に理論的な問 題だけではなく,研究者の政治的な役割や中立性などに関わる重要な問題 も浮き彫りにしてきた。 そこで以下ではまず,社会の安全保障というこの聞き慣れない概念が,どのような背景のもとで提唱され,どのような意味内容を有しているのか 概観していく。そのうえで本稿では,コンストラクティヴィズムとの関係 をめぐる論争で浮かび上がった,社会の安全保障という概念が有する理論 的なあいまいさや政治的な含意を,脅威の構成と客体の構成という観点か ら検討していく。
2.社会の安全保障
(1) 背景 社会の安全保障という概念は,安全保障という用語が使われていること からもわかるように,安全保障研究の文脈の中で打ち出されたものである。 しかし,既に述べたように,社会の安全保障は社会集団のアイデンティティ の問題に関わる概念であり,それが,一般に軍事分野との関連が強いと考 えられている安全保障研究とどのように結びつくのか,必ずしも自明では ない。したがって,以下では,ブザンが社会の安全保障という概念を提唱 した際の安全保障研究の状況を,ごく簡単に確認しておく。 (1) 安全保障研究は比較的新しい研究分野で,学問的に体系化されたのは第 二次世界大戦後だが,米ソ両超大国が核兵器を持って対峙する緊迫した情 勢下にあって,多くの下位分野を抱える国際関係論の中でもとりわけ重要 な地位を占めてきた。しかし,ソ連の脅威という問題の切迫性や自明性の ために,安全保障研究においてはその中心概念であるはずの「安全保障」 について掘り下げて考察されることは,ウォルファーズ (Arnold Wolfers) 等の一部の例外を除けば,ほとんどなかった。 (2) むしろ,「国家の軍事的安 全保障」という,現在から見るとやや狭い安全保障観が無批判に前提とさ れていた。 こうした中,1970年代半ばになると,徐々にではあるが変化の兆しが現 れてくる。当時は,石油危機などの影響もあり,経済的相互依存の進展や, 環境・資源に対する関心が高まった時期だが,こうした変化を受けて,一 部の論者が安全保障概念の再定義を試みていく。例えば,アメリカの環境問題活動家のブラウン (Lester R. Brown) は,第二次世界大戦以降,軍事 的脅威に関する考慮があまりにも支配的になってしまい,国民の安全に対 するその他の脅威が無視されてきたとし,資源の枯渇や生態系の破壊,食 糧の問題等を含めた幅広い観点から国家安全保障を捉えなおすことを提唱 している。 (3) また,同じ時期の日本で,エネルギー安全保障や食糧安全保障, 大規模地震対策を含めた概念として「総合安全保障」が提唱されたことも 有名である。 (4) 1970年代半ばに始まった安全保障概念を問いなおす動きは,1980年代に なるとさらに加速し,国家の軍事的安全保障という伝統的な安全保障観に 様々な角度から修正が加えられていく。一方では,ブラウンの議論と同様 に,経済や環境等の非軍事的脅威を含めた包括的な概念として安全保障を 再定義する論文が,1980年代には安全保障研究の学術雑誌 International Security や国際政治の専門誌 Foreign Affairs といった権威のある雑誌にも 掲載されるようになる。 (5) こうした分野の拡大は冷戦終結以降さらに進み, 様々な問題が安全保障上の問題として位置づけられていく。 他方では,守られるべき客体としての「国家」を相対化する動きも出は じめる。例えば,「第三世界」の安全保障について論じたアヨーブ (Mo-hammed Ayoob) は,従来の安全保障研究が想定していた,国家が外部か ら脅かされるという安全保障観は第三世界の現状にはそぐわず,国家とし ての凝集性が低い第三世界の国々が直面するのは,むしろ国家の内部に端 を発する脅威であり,したがって,「体制の安全保障 (regime security)」 の問題であるとしている。 (6) また,ブース (Ken Booth) はより明確に,守 られるべき客体はあくまでも「人々」であり,国家はそのための手段に過 ぎないとする,独自の安全保障観を提示している。 (7) そして1994年には,国 連開発計画 (UNDP) の報告書で「人間の安全保障 (human security)」と いう概念が提唱され,この概念はその後,広範に受容されていく。
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このように,分野としては軍事分野を,守られるべき客体としては国家 を暗黙の前提としていた安全保障研究は,1980年代以降,根本的な批判に 晒されるようになり,そうした流れは1990年代に入ってさらに強まっていっ
た。もちろん,安全保障研究が対象とすべきはあくまでも国家の軍事的な 安全保障であり,研究対象の拡大は学問的な一体性の喪失につながりかね ないという見方もいまだに強い。 (9) こうした伝統的安全保障観と非伝統的安 全保障観の間の見解の相違は現在でも解消されたわけではないが,いずれ にしても,冷戦終結前後の安全保障研究は大きな転換点にあり,様々な立 場から新しい安全保障論が提唱されていった。そして,そうした背景の中 で,社会の安全保障という概念も登場することになる。 (2) 概念 既に述べたように,社会の安全保障という概念を提唱したのはイギリス の国際政治学者のブザンだが,安全保障研究においてブザンは,こうした 安全保障概念を再考する流れの中で,特に重要な役割を担った人物と考え られている。その著書,People, States and Fear (初版1983年,第 2 版1991 年) は,守られるべき客体という点でも,分野という点でも安全保障概念 を徹底的に再検討しており,その点で既存の安全保障研究に対する最も体 系的な批判の書となっている。 (10) そのブザンが同書で,伝統的な安全保障研究の軍事偏重を是正する目的 で提示したのが「セクター」という枠組みであり,その中で,軍事,政治, 経済,環境と並ぶセクターの一つとして位置づけられたのが「社会」であっ た。ただ,同書自体の主眼は包括的な枠組みを提示することに置かれてい たため,社会の安全保障そのものについては,必ずしも詳細な説明はなさ れていない。 (11) 社会の安全保障という概念がより明確なかたちで提示されたのは,ブザ ンがプロジェクト・ディレクターとして1988年から参加したコペンハーゲ ン平和研究所 (Copenhagen Peace Research Institute) での,「欧州安全保 障の非軍事的側面」に関する共同研究を通してだった。
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1993年にはその成 果として,共著 Identity, Migration and the New Security Agenda in Europe が公刊され,社会の安全保障の概念的な整理が行われるとともに,詳細な 事例分析がなされた。
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の分析枠組みを示した Security (1998年) では,さらなる概念的彫琢が図 られている。 (14) では,社会の安全保障とはいったい何か。1993年の共著では,次のよう に定義されている。 現代の国際システムにおいて,社会の安全保障は,変化する諸条件と, 潜在的あるいは現実的な脅威の下で,社会がその本質的な特徴を維持 し続ける能力に関わっている。より具体的には,社会の安全保障とは, 伝統的な言語,文化,結びつきの様式や宗教的・国民的なアイデンティ ティと慣習の,許容可能な変化の諸条件内での持続可能性のことであ る。 (15) 具体的な事例としては,旧ユーゴスラヴィアの内戦やヨーロッパと中東と の関係,さらにはテロリズムなど,多種多様な問題が挙げられている。そ してこれらは,後に以下の 3 つに類型化されている。 まず一つ目は「人の移動 (migration)」で,中国人のチベットへの移住 やロシア人のエストニアへの移住のように,外部からの人の流入によって 人口構成等が変化し,共同体がかつてあったものとは異なるものに変容し てしまうようなケースである。二つ目は「水平的競争 (horizontal competi-tion)」と呼ばれるもので,隣接する文化圏の圧倒的な影響によって生活 様式等が変化するケースである。具体的には,ケベック人が抱く英語圏の カナダに対する恐怖や,そのカナダ人のアメリカ化に対する恐怖などが挙 げられている。そして三つ目は「垂直的競争 (vertical competition)」で, これは,一方では EU やかつてのユーゴスラヴィアのような統合プロジェ クトによって,また他方では,ケベックやカタルーニャのような分離主義 的,地域主義的プロジェクトによって,アイデンティティが垂直的に変容 したり,競合したりするようなケースである。 (16) 最近のスコットランドとイ ギリスとの関係や,そのイギリスの EU との関係は,まさにこの垂直的競 争の典型的な例といえるだろう。
コペンハーゲン学派によって提唱されたこの社会の安全保障という概念 は,国家の軍事的な安全保障という伝統的な安全保障観とは明らかにかけ 離れたものとなっている。おそらく,この概念が想定している問題の重要 性自体は認めつつも,それらを安全保障研究の一部として位置づけること には懐疑的な研究者も,とりわけアメリカでは多いだろう。 (17) 安全保障研究 の境界を画定すること自体は本稿の目的ではなく,ここではそうした問題 を安全保障研究に含めるべきかどうかの判断は行わないが,当時のヨーロッ パで,文化やアイデンティティをめぐる問題がいかに重大な問題として認 識されていたかを理解しておく必要はあるだろう。 冷戦終結前後のヨーロッパでは,一方では,旧ユーゴスラヴィアや旧ソ 連で民族間の緊張が高まり,それらは時に,大量の殺戮をも伴う武力衝突 にまで発展した。また他方では,1992年に,マーストリヒト条約がデンマー クの国民投票で拒否されるという,今日の EU の危機の前触れともいえる ような事件も起きている。さらにドイツでは,有名なロストックでの衝撃 的な事件をはじめ,難民が襲撃される事件が頻発している。この他にも, フランス国民戦線のような移民排斥を訴える極右政党が存在感を増すなど, 当時のヨーロッパでは,文化や宗教,アイデンティティをめぐる問題が, 他国による軍事的侵攻よりもよほど現実的で深刻な問題として位置づけら れていたのである。社会の安全保障は,まさにこのような冷戦終結後のヨー ロッパで顕在化した諸々の問題を捉えるための「レンズ」として提示され たのである。 (18)
3. 社会的構成をめぐって
(1) 脅威の構成 前節では,コペンハーゲン学派によって社会の安全保障という概念が提 唱されたこと,そして,社会の安全保障は文化やアイデンティティの問題 に関係していることを見てきた。しかし,社会の安全保障という概念を 「提唱する」ということは,いったいどのような意味を持っているのだろうか。もう少し具体的に言うと,安全保障セクターの一つとして社会の安 全保障を提示し,その社会の安全保障に例えば移民や異文化の流入の問題 を含めているということは,コペンハーゲン学派がそれらを安全保障上の 脅威だと見なしているということなのだろうか。 社会の安全保障を包括的に論じた Identity, Migration が出版された1993 年 は , 奇 し く も , 世 界 的 な 波 紋 を 呼 ん だ ハ ン チ ン ト ン (Samuel P. Huntington) の論文「文明の衝突」が発表された年である。 (19) この論文でハ ンチントンが主張したのは,冷戦後の新しい世界において人類を分断し, 紛争の主要な原因となるのは,イデオロギーや経済ではなく文化であると いうこと,そして,文明間の衝突,特に西洋とイスラムをはじめとするそ れ以外の文明との衝突がグローバルな政治を大きく規定するということで ある。文明間の対立は不可避であるかのような印象を与えるこのような議 論は,当然ながら様々な立場からの激しい批判を招いたが,コペンハーゲ ン学派の立場は,ハンチントンの立場とは異なっているのだろうか。少な くとも,扱っている具体的な問題は重なる部分も多いように思われる。 実際,ハンチントンの方は,コペンハーゲン学派の議論にある程度の共 通性を見出していたようである。ハンチントンは2004年にアメリカのナショ ナル・アイデンティティの問題を詳細に論じた Who Are We ? (邦訳タイ トルは『分断されるアメリカ ) を出版している。同書では,移民の問題, とりわけメキシコからの移民がアメリカのナショナル・アイデンティティ にとっていかに脅威であるかが論じられているが,その際にハンチントン は,「1990年代,移民に脅威を感じて,ヨーロッパの学者の一団が『社会 的安全保障』という概念を展開した」,とコペンハーゲン学派に言及した うえで,「現代社会のなかでは,国の社会的安全保障にたいする最大の脅 威は移民によって生じる」と議論を進めている。 (20) コペンハーゲン学派自体が移民を脅威に感じているというハンチントン の評価は必ずしも正確ではないが,こうした誤解は,初期のコペンハーゲ ン学派の理論的なあいまいさに少なからず起因している。例えば,ブザン が People, States and Fear で人の移動について言及している箇所では,「人
の移動に関連する社会の不安全な状態 (societal insecurities) が,当分の 間,国家安全保障の課題において重要な役割を占めるであろうことは間違 いないだろう」と述べている。 (21) このブザンの議論は,あくまでも中立的な 観点から現状を把握しようとする「観察者 (observer)」の立場からなさ れたものであり,「愛国者」として積極的に移民の脅威を主張するハンチ ントンの「唱道者 (advocate)」としての立場とは異なっている。 (22) しかし, 安全保障上の問題として移民の問題を挙げている点で両者の間に違いはな く,ブザンの議論にも,移民は脅威であるという認識の形成を助長しかね ない側面があるのである。 このように,ブザンの議論にはその理論的含意に関して検討が十分にな されていない部分が残されていた。しかし,こうした理論的なあいまいさ は,コペンハーゲン学派としての共同研究が進み,ヴェーヴァー (Ole ) の理論的視点が組み込まれるにしたがって,徐々に解消されてい く。この点は,まさに,ハンチントンがコペンハーゲン学派の議論を紹介 する際に引用した Identity, Migration に,しかも,ハンチントンが引用し た社会の安全保障を定義した部分の直後に見て取ることができる。 (23) この部 分はヴェーヴァーが執筆しているのだが,社会の安全保障の定義を示した 直後にヴェーヴァーは次のように述べている。 この定義は,いつ社会の安全保障に対する脅威が生じているのかにつ いて,客観的な定義を示すことを困難にしている。それを理解する最 善の方法は,集団がどのようなプロセスでそのアイデンティティが脅 威に晒されていると認識するようになるのか,その集団がいつ,そう した認識の下で安全保障の様式で行為するようになるのか,そしてこ れによりどのような行動が誘発されるのかを調査することである。 (24) つまり,ヴェーヴァーが言おうとしているのは,何が脅威であるかについ て研究者が客観的に定義をすることはできず,それを決めるのはあくまで も社会であるということ,そして,研究者の役割は,社会が何かを脅威と
して認識していく過程やその帰結を考察することである,ということであ る。 ヴェーヴァーのこのような立場は,広い意味でのコンストラクティヴィ ズムに依拠したものといえる。1980年代末頃から社会学や心理学等の成果 を援用しながら国際関係論に導入されたコンストラクティヴィズムは,そ れ自体がきわめて多様な立場を内包しているが,根底にあるのは,その名 称が示しているとおり,現実は社会的に構成されるということである。 (25) ヴェー ヴァーの場合は,イギリスの哲学者オースティン ( J. L. Austin) の「言語 行為論 (speech act theory)」に依拠して「安全保障化 (securitization)」と いう概念を打ち出すことで,社会の中で安全保障問題が構成されていく過 程,とりわけ,何かを脅威として社会に提示する政治家等の役割に注目す るという視点が明確にされた。 (26) この安全保障化論の視点に立てば,何らかの問題を安全保障上の脅威と して位置づけることは,それ自体が,まさにその問題を脅威として構成す る過程に参与していることになり,その意味で政治的行為となってしまう。 したがって,ハンチントンの立場は言うに及ばず,ブザンの当初の議論も, 純粋な観察者という意図とは裏腹に,少なからず唱道者の役割を帯びてし まうことになる。それゆえコペンハーゲン学派は,安全保障化論を導入し て「唱道者の観察者」という立場に徹することで,こうしたジレンマの克 服を目指したのである。 (27) (2) 客体の構成 安全保障研究の軍事偏重を是正しようとする潮流の中で提唱された社会 の安全保障は,移民や異文化を脅威として位置づける極右政党等の言説と 同列に扱われかねない危険性をはらんでいた。こうした危険性は,これま でに見てきたように,脅威は社会的に構成されるという視点に立ち,そう した構成の過程そのものの解明を目指す安全保障化論を導入することで大 きく解消された。しかし,社会の安全保障という概念は,社会的構成とい う点でもう一つのあいまいさを抱えていた。それは,脅威から守られるべ
き客体,すなわち「社会」の存在論上の地位をめぐるあいまいさである。 そもそも,社会という概念はきわめて多義的である。コペンハーゲン学 派はこの概念をどのように捉えているのだろうか。この点に関しては, Identity, Migration の中で,ルソー ( Jean-Jacques Rousseau) の『社会契約 論』に始まり,テンニース (Ferdinand) の有名なゲマインシャフ ト と ゲ ゼ ル シ ャ フ ト の 区 分 を 経 て , よ り 最 近 の ギ デ ン ズ (Anthony Giddens) の議論に至るまで詳細に検討されている。そして,それらを踏 まえ,社会に不可欠な要素として,成員の帰属意識や,制度及び慣行上の 基盤等が挙げられている。 (28) また別の場所では,「社会はアイデンティティ, つまり,共同体や,自身をある共同体の成員として自認する諸個人の自己 に関する観念に関わっている」と述べられている。 (29) このように,コペンハーゲン学派が定義する社会においては,ある程度 アイデンティティが共有されていることが必要条件となっている。 (30) しかし, 集団によって共有されるアイデンティティは,成員の間主観的な了解によっ て成り立っている以上,たとえ容易に変化するものではないとしても,や はり可変的なものであり,社会的に構成されるものである。したがって, 脅威に関して安全保障化という構成主義的な視点に立つコペンハーゲン学 派ならば,当然,アイデンティティの問題に関しても構成主義的な視点に 立つのが自然である。実際,アイデンティティの社会的構成というテーマ は,1990年代の国際関係論で広く論じられたものであり,特に安全保障研 究では,脅威の社会的構成と客体やアイデンティティの社会的構成との不 可分な関係が重要なテーマになっていた。 (31) しかし,客体やそのアイデンティティの社会的構成に関するコペンハー ゲン学派の立場は,脅威の社会的構成の場合とは異なり,中途半端なもの となっている。 (32) この点は多くの論者によって指摘されており,例えばマッ クスウィーニー (Bill McSweeney) は,1993年の共著 Identity, Migration に関しては集団のアイデンティティを客観的なものとして捉える観点と社 会的に構成されるものと捉える観点の間であいまいな部分もあるものの, コペンハーゲン学派の議論全体としては,アイデンティティの生産や再生
産のプロセスを排除した「物象化 (reification)」のレベルにとどまってい るとしている。 (33) こうした批判に対して,コペンハーゲン学派は概ね次のような反論を行っ ている。それによると,確かに集団のアイデンティティは,多くのプロセ スを経て社会的に構成されるものであり,その意味で可変的である。しか し,構成されたものすべてが,常に変化すると考えるべきではない。なぜ なら,構成されたアイデンティティはしばしば堅固なものとなり,相対的 に安定した要素となるからである。したがって,研究が対象とする期間を 通じてアイデンティティが安定しているならば,それをあたかも客観的な 現実として扱うことに何ら問題はない。 (34) 存在論上は構成主義的な視点に立ちながら,分析上は客観主義に近いア プローチを採用するという議論は,必ずしも批判者を納得させるものでは なかった。 (35) しかし,研究の目的に照らして何かを与件として扱うこと自体 は,正当なものだと言えるだろう。コンストラクティヴィズムの視点に立 てば,およそあらゆるものが社会的に構成されることになるが,そうした ものすべてを同時に研究の対象とすることは不可能である。社会のある側 面に焦点を当てて研究するとき,別の側面が不鮮明になってしまうのは, 避けがたいことである。 (36) また,脅威の場合と比べて,守られるべき客体と しての社会は相対的に安定しており,客観主義的に扱いやすいという議論 も,例えば日本のケースを考えれば,妥当なようにも思われる。 しかし,問題は,こうしたコペンハーゲン学派の分析上の選択が,その 分析の目的に照らして,はたして有益なのかという点である。前節で述べ たように,そもそもコペンハーゲン学派を社会の安全保障の探究へと駆り 立てたのは,ヨーロッパ統合の進展とそれに対する反発,そしてソ連やユー ゴスラヴィアの解体といった,当時のヨーロッパにおける情勢であった。 しかしこれらは,コペンハーゲン学派自身が「垂直的競争」と表現してい るように,異なるレベルの間で,守られるべき社会の範囲をめぐって争わ れた事例なのではないか。 例えばユーゴスラヴィアの場合,たとえユーゴスラヴィア人というアイ
デンティティが広く深く浸透していたわけではないとしても,自らを何よ りもユーゴスラヴィア人と考える人や,クロアチア人やセルビア人という アイデンティティを重視しながらも,必ずしもそれらのアイデンティティ に政治的な意味を付与していなかった人も少なくなかった。ユーゴスラヴィ アの解体とはまさに,そうした複合的なアイデンティティが存在する状況 を敵と味方に分断していく過程,つまり,脅威を構成すると同時に,脅威 にさらされた「われわれ」を構成,あるいは再構成する過程であった。 (37) 脅威の構成と客体の構成の不可分な関係は,ユーゴスラヴィア解体のよ うに明確な社会の空間的再編を伴わない移民のケースにも当てはまる。例 えば,メキシコからの移民をめぐるアメリカでの論争を考えてみよう。し ばしば厳密に定義されることなく用いられる「移民」というカテゴリーに は,国外から移住し,アメリカ国籍を持たない「移民」であり「外国人」 である人々だけではなく,国外から移住し,アメリカ国籍を取得した「移 民」ではあるが「アメリカ人」である人々や,本人は「移民」でも「外国 人」でもない移民の子孫まで含められることがある。こうした人々のどこ までが脅威の側に位置づけられ,どこまでが「われわれ」に位置づけられ るのか。そもそも,移民国家といわれるアメリカのアイデンティティを規 定するものとは何なのか。このように,移民の脅威に関する論争は,同時 に,アメリカ人とは誰で,アメリカ社会はどのようにあるべきかに関する 問いでもあるのである。移民の脅威を論じたハンチントンの著書のタイト ルが Who Are We ? であったことは,そのことを明確に物語っている。 (38) このように,コペンハーゲン学派を社会の安全保障の研究へと向かわせ た諸問題とは,まさに脅威の構成と客体の構成が,これ以上ないほどの明 確さで結びついている事例なのである。換言すれば,安全保障化という脅 威を構成する過程は,客体を構成,再構成する過程そのものなのである。 したがって,脅威に関しては構成主義的アプローチを採用しながら,客体 に関しては客観主義に近いアプローチを採用するというコペンハーゲン学 派の選択は,理論的に正しいかどうかは別として,コペンハーゲン学派自 身の研究目的から考えれば賢明なものとは言えない。
4.お わ り に
本稿では,ブザンによって提唱され,コペンハーゲン学派の安全保障論 における重要概念の一つとなった社会の安全保障について検討してきた。 安全保障概念の再考という潮流と,アイデンティティや文化に関連する対 立の激化という時代情勢を背景に提唱されたこの概念は,脅威と,その脅 威に晒された客体の客観性をめぐって活発な論争を引き起こした。前節で 見たように,脅威に関しては,当初はあいまいな点もあったものの,安全 保障化という視点を導入することで,脅威を社会的に構成されるものと位 置づけ,その構成過程を分析対象にするという立場が明確化された。他方, 客体に関しては,その被構成性を認めながらも,分析上は客観主義的なア プローチを採用するという立場が表明された。こうしたやや中途半端な選 択には,コンストラクティヴィズムが国際関係論に導入される前に形成さ れていたブザンの理論枠組みの影響や,コペンハーゲン学派が主張する社 会の相対的な安定性など,様々な要因が関係しているが,もう一つ指摘で きるのは,理論的な立場の選択に伴う政治的含意の問題である。 脅威に関して客観主義的な立場をとることは,脅威を煽ることにつなが りかねない。したがってコペンハーゲン学派は,安全保障化という観点か ら,何が脅威かという点に関しては社会の中で決められる,という立場を 選択した。さらにコペンハーゲン学派は,「脱安全保障化 (desecuritization)」 という言葉を用いて,脅威として位置づけられた問題も,一般的には,安 全保障の論理によってではなく,通常の手続きに従って対処された方が好 ましいとも述べている。 (39) 他方,客体の問題に関しても,政治的含意に関す るコペンハーゲン学派なりの懸念が関係しているように思われる。客体や アイデンティティは社会的に構成されるという議論は,多くの場合,ポス ト構造主義者やラディカルなコンストラクティヴィストによってなされて いる。コペンハーゲン学派はそうした論者に対し,あらゆるアイデンティ ティを問題に付し,断片化されたアイデンティティを称揚するという,ある種の政治的な意図を感じているのである (40) この点に関しても,特定の政治的主張を伴うことなく客体の社会的構成 を分析するという選択肢もあるように思われるが,いずれにしても,この 一連の論争において,いかに理論的立場の選択が帯びる政治的な含意が重 要な問題であったかがわかる。もちろん,社会的構成の過程における研究 者の影響力は,有力な政治家やメディアのそれと比較すれば決して大きく ない。しかし,ハンチントンの「文明の衝突」のように大きな反響を呼ん だ例もあるし,ブザンの影響力も決して小さなものではない。また,より 身近な例でいうと,例えば教育の場で移民の問題をどのように提示するか が,聞き手の認識に少なからぬ影響を与えることもあり得る。コペンハー ゲン学派が提唱した社会の安全保障は,本人たちの意図とは別に,こうし た,研究者が研究や教育を行ううえで留意すべき問題を浮き彫りにしたと 言えるだろう。 最後に,以上の点と関連してもう一点だけ触れておきたい。それは,社 会的に構成された認識枠組みが,単に認識の問題だけにとどまらないとい うことである。例えば,移民は脅威だという認識が社会の中で広く共有さ れると,今度はそうした認識枠組み自体が,脅威とみなされた移民のアイ デンティティや振る舞いを大きく規定し,時にはそうした人々を実際に脅 威とみなされるような行動へと駆り立てることもある。これは,マートン (Robert K. Merton) が「予言の自己成就 (self-fulfilling prophecy)」と呼ん だものである。マートン自身が「危惧の念から社会的災厄が生じ,逆に災 厄のために危惧の念が強化されるという,両者の悲劇的循環」と述べてい るように,いったん形成された認識は,その現実化を通してさらに強化さ れていく傾向がある。 (41) マートンはアメリカの人種問題を念頭に議論してい るのだが,最近のアメリカの情勢は,この悲劇的循環を断ち切ることがい かに困難であるかを物語っている。 注
Evolution of International Security Studies (Cambridge : Cambridge Univer-sity Press, 2009) が詳しい。
(2) Arnold Wolfers, Discord and Collaboration : Essays on International Poli-tics (Baltimore : Johns Hopkins University Press, 1962).
(3) Lester R. Brown, ‘Redefining National Security’, Worldwatch Paper, 14 (1977).
(4) 詳しくは,中西寛「総合安全保障論の文脈―権力政治と相互依存の交 錯」日本政治学会編『危機の日本外交―70年代 (年報政治学1997)』 (岩波書店,1997年) を参照。
(5) Richard H. Ullman, ‘Redefining Security’, International Security, 8 : 1 (1983); Jessica Tuchman Matthews, ‘Redefining Security’, Foreign Affairs, 68 : 2 (1989).
(6) Mohammed Ayoob, ‘Security in the Third World : The Worm About to Turn ?’, International Affairs, 60 : 1 (1984).
(7) Ken Booth, ‘Security and Emancipation’, Review of International Studies, 17 : 4 (1991).
(8) UNDP, Human Development Report 1994 (New York : Oxford University Press, 1994).
(9) 代表的なものとして,Stephen M. Walt, ‘The Renaissance of Security Studies’, International Studies Quarterly, 35 : 2 (1991).
(10) Barry Buzan, People, States and Fear : An Agenda for International Security Studies in the Post-Cold War Era, 2nd edition (Boulder : Lynne Rienner, 1991). (11) 同書では,許容可能な変化の諸条件内での,言語,文化,宗教の伝統 的な様式や国民的なアイデンティティ及び慣習の持続可能性,という定 義がなされている (Ibid., p. 19)。また,具体的な問題の例としては,西 洋思想の浸透に対するイスラム原理主義者の反応などが挙げられている (Ibid., pp. 122123)。
(12) このあたりの経緯については,Jef Huysmans, ‘Revisiting Copenhagen : Or, On the Creative Development of a Security Studies Agenda in Europe’, European Journal of International Relations, 4 : 4 (1998) を参照。
(13) Ole,Barry Buzan, Morten Kelstrup and Pierre Lemaitre, Identity, Migration and the New Security Agenda in Europe (London : Pinter, 1993). ブザンの People, States and Fear では,社会の安全保障はあくまでも軍 事以外の「セクター」の一つという位置づけだった。しかしこの共著で
は,社会の安全保障がセクターの問題だけではなく,守られるべき「客 体」の問題にも関わっていること,つまり,国家の安全保障の一部とし て社会の安全保障があるのではなく,「社会」自体が国家とは別個の客 体であるという立場が明確にされている。
(14) Barry Buzan, Oleand Jaap de Wilde, Security: A New Framework for Analysis (Boulder : Lynne Rienner, 1998). コペンハーゲン学派という 名称は,Bill McSweeney, ‘Identity and Security : Buzan and the Copenha-gen School’, Review of International Studies, 22 : 1 (1996) で最初に用いら れ,定着したものである。以下では,この論文が発表され,ブザンらも コペンハーゲン学派という名称を用いるようになる以前の段階について も,便宜的にコペンハーゲン学派という名称を用いる。
(15) et al., Identity, Migration, p. 23. (16) Buzan et al., Security, p. 121.
(17) この点については,塚田鉄也「ヨーロッパの批判的安全保障研究―非 アメリカ的アプローチの成功例か」葛谷彩編『「アメリカの社会科学」 を超えて』(晃洋書房,近刊) を参照。なお,編集者や出版社に左右さ れるところが大きいものの,安全保障研究のテキストの中には,「社会 の安全保障」という独立した章を設けているものもある。例えば,Paul Roe, ‘Societal Security’, in Alan Collins (ed.), Contemporary Security Stud-ies, 4th edition (Oxford : Oxford University Press, 2016) ; Tobias Theiler, ‘Societal Security’, in Myriam Dunn Cavelty and Victor Mauer (eds), The Routledge Handbook of Security Studies (Abingdon : Routledge, 2010). (18) 当 時 の 状 況 に つ い て は ,et al., Identity, Migration, pp. ix-x;
Buzan and Hansen, Evolution of International Security Studies, pp. 212213 で説明されている。
(19) Samuel P. Huntington, ‘The Clash of Civilizations ?’, Foreign Affairs, 72 : 3 (1993)〔「文明の衝突」フォーリン・アフェアーズ・ジャパン編・監 訳『フォーリン・アフェアーズ傑作選1922-1999―アメリカとアジアの 出会い (下)』 (朝日新聞社,2001年)〕.
(20) サミュエル・ハンチントン/鈴木主税訳『分断されるアメリカ―ナショ ナル・アイデンティティの危機』(集英社,2004年),255頁。
(21) Buzan, People, States and Fear, p. 95.
(22) ハンチントンの立場については,ハンチントン『分断されるアメリカ , 1315 頁 を 参 照 。 観 察 者 と 唱 道 者 と い う 分 類 に つ い て は , Johan Eriksson, ‘Observers or Advocates ? On the Political Role of Security
Analysts’, Cooperation and Conflict, 34 : 3 (1999) を参照。なお,後述す るように,唱道者と観察者を分けることは,実際には困難である。 (23) ハンチントンが引用したのは,et al., Identity, Migration, p. 23
であり,本稿でも前節で引用した部分である。 (24) (25) 国際関係論におけるコンストラクティヴィズムの展開については,大 矢根聡編『コンストラクティヴィズムの国際関係論』(有斐閣,2013年) を参照。また,安全保障研究におけるコンストラクティヴィズムの多様 性や,その中でのコペンハーゲン学派の位置づけについては,塚田「ヨー ロッパの批判的安全保障研究」を参照。 (26) 安全保障化論については以下を参照。 On Security (New York: Co-lumbia University Press, 1995) ; Buzan et al., Security, chapter 2 ; 塚田鉄 也「安全保障化―ヨーロッパにおける移民を事例に」大矢根聡編『コン ストラクティヴィズムの国際関係論 。
(27) 安全保障化論によってジレンマが本当に解消されているのかという点 を含めて,安全保障の研究者が意図とは別に帯びてしまう政治的役割に ついては多くの論者によって議論されている。詳しくは以下を参照。 Eriksson, ‘Observers or Advocates ?’ ; Jef Huysmans, ‘Dire et la : le dilemme normatif des de , Cultures et conflicts, 3233 (1998); Andreas Behnke, ‘The Message or the Messenger?: Reflec-tions on the Role of Security Experts and the Securitization of Political Issues’, Cooperation and Conflict, 35 : 1 (2000). また,コペンハーゲン学 派のこの問題に関する立場は,1993年の共著の時点で説明されている。 et al., Identity, Migration, pp. 188189.
(28) Ibid., pp. 1723.
(29) Buzan et al., Security, p. 119.
(30) したがって,例えば (南スーダンが独立する以前の) スーダンに居住 する住民は,この意味では一つの社会を構成しておらず,むしろ,複数 の社会に分断されていると考えられる (Ibid., 120)。周知のように,南 部スーダンは2011年に南スーダン共和国として独立している。
(31) Jef Huysmans, ‘Migrants as a Security Problem : Dangers of “Securitiz-ing” Societal Issues’, in Robert Miles and Dietrich !(eds), Migra-tion and European IntegraMigra-tion : The Dynamics of Inclusion and Exclusion (London : Pinter, 1995), pp. 5657; Keith Krause, ‘Critical Theory and
Security Studies : The Research Programme of “Critical Security Studies”’, Cooperation and Conflict, 33 : 3 (1998), pp. 309314; David Campbell, Writ-ing Security : United States Foreign Policy and the Politics of Identity, revised edition (Minneapolis : University of Minnesota Press, 1998).
(32) この点に関しては,塚田鉄也『ヨーロッパ統合正当化の論理―「アメ リカ」と「移民」が果たした役割』(ミネルヴァ書房,2013年),114 116頁も参照。
(33) McSweeney, ‘Identity and Security’.
(34) Barry Buzan and Ole , ‘Slippery? Contradictory? Sociologically Untenable ? The Copenhagen School Replies’, Review of International Stud-ies, 23 : 2 (1997), pp. 242244; Buzan et al., Security, pp. 204207. 構成さ れたアイデンティティが堅固なものとなり,安定化することを,コペン ハーゲン学派はしばしば「沈澱化する (sedimented)」という言葉で表 現している。この「沈澱化 (sedimentation)」という概念については, コペンハーゲン学派が直接言及しているわけではないが,ピーター・バー ガー=トーマス・ルックマン/山口節郎訳『現実の社会的構成―知識社 会学論考』(新曜社,2003年),104110頁を参照。
(35) Bill McSweeney, ‘Durkheim and the Copenhagen School : A Response to Buzan andReview of International Studies, 24:1 (1998); Behnke, ‘The Message or the Messenger ?’. コペンハーゲン学派により共感的な 議論として,Tobias Theiler, ‘Societal Security and Social Psychology’, Re-view of International Studies, 29 : 2 (2003), pp. 253256.
(36) Buzan and,‘Slippery? Contradictory? Sociologically Untenable?’, p. 250.
(37) ユーゴスラヴィアの事例を社会の安全保障という観点から分析したも のとして,Ali Bilgic, ‘Towards a New Societal Security Dilemma : Compre-hensive Analysis of Actor Responsibility in Intersocietal Conflicts’, Review of International Studies, 39 : 1 (2013). また,植村和秀『ナショナリズム 入門』(講談社現代新書,2014年),第 5 章では,紛争の概要に加え,当 事者の興味深い証言も紹介されている。 (38) ハンチントン『分断されるアメリカ 。なお,ハンチントンは同書の 第 2 部で,ハンチントン自身がアメリカのアイデンティティを規定する 要因と考えているものについて詳細に説明している。 (39) この点は批判者との論争の中で特に強調されるようになるが,1993年 の 共 著 の 時 点 で も す で に 議 論 さ れ て い る 。et al., Identity,
Migration, pp. 189.
(40) Buzan and,‘Slippery? Contradictory? Sociologically Untenable?’’, p. 246. この部分で具体例として挙げられているのは,ウィリアム・E. コノリー/杉田敦ほか訳『アイデンティティ\差異―他者性の政治』 (岩波書店,1998年) である。
(41) ロバート・K.マートン/森東吾ほか訳『社会理論と社会構造』(みす ず書房,1961年),397頁。