<シンポジウム>近代イングランド農村における民衆
儀礼
著者
大嶋 渚
雑誌名
関学西洋史論集
号
37
ページ
3-12
発行年
2014-03-28
URL
http://hdl.handle.net/10236/12812
はじめに イングランドでは議会エンクロージャーが進行する18世紀後期になると、専ら女性 とその子供たちを中心とした農業労働者家族が大挙して落ち穂拾いに出かけるように なり、落ち穂拾いが大規模に集団化するようになった。この時期、落ち穂拾いが私有 財産の侵害として問題になり、ファーマー側から落ち穂拾いの権利をめぐる本格的な 裁判が起こされた。サフォーク(Suffolk)のティムワース(Timworth)で争われた1788
年のスティール対ホートン及びその妻(Steel v. Houghton et Uxor)の裁判である。それ
まで落ち穂拾いは、概ね、法律家のブラックストーンが『英法釈義』の中で、「イング ランドのコモン・ローや慣習によって、貧民は不法侵入(trespass)の罪を犯すことな く、収穫後、他人の土地に入って落穂を拾うことが許されている。」1 と述べているよ うに、コモン・ローや慣習によって貧民に認められている権利とされていたが、この 裁判では、近代的な排他的所有権の観点から、「コモン・ロー上、いかなる者も収穫期 の農地で落ち穂拾いをする権利を有せず、また法律上、教区に定住している貧民も少 しもそのような権利を有しない」2 という判決が出され、落ち穂拾いは全面的に否定 されていくこととなる。しかし、この裁判において落ち穂拾いの権利が否定されても、 労働者側はその慣習的権利を要求し続け、落ち穂拾いそのものは19世紀においても「最 も広く行われていた慣習的行為」3 として存続していくことになる。ただし、ファー マー側はその無秩序なやり方を改めるため、ファーマー側も労働者側も、次第にそれ を規制し管理していった。この落ち穂拾いの規律化に、19世紀イングランド落ち穂拾 いの顕著な特徴を見いだすことが出来る。 本報告では、労働者側の主要な規制手段となった、落ち穂拾いの開始と終了の時間 を告げていた落ち穂拾いの鐘を主に取り上げる。 落ち穂拾いに関しては、主に先述の裁判事件を分析したキング(Peter King)の一連 の研究論文が挙げられる4。その他に、収穫期における慣習的権利としての落ち穂拾 いを社会史的、経済史的に論じたブッシュアウェイ(Bob Bushaway)やモーガン(D. H. Morgan)、ハッセー(Stephen Hussey)、福士氏の論文があるが、いずれの論文におい
近代イングランド農村における民衆儀礼
大 嶋
渚
ても、断片的な史料に基づいて、いくつかの事例を紹介するに留まっている5。 本報告は、これまでの農業史研究ではあまり取りあげられることのなかった鐘学の 本を主な史料として用いながら、落ち穂拾いの鐘を分析し、その鐘とその鐘がもたら した規律化の意義について考察しようとするものである。なお、本研究の詳細は別の 論文で紹介する予定である。 1.18世紀的な「悪名高いやり方」 早くも18世紀中頃、ハートフォードシャー(Hertfordshire)に暮らす農場経営者で農 業書の著者でもあったウィリアム・エリス(William Ellis, d. 1758)は、「夜の落ち穂拾
い人」(“the Night Gleaner”)と呼ばれている「悪人」(evildoer)のことを報告している。
“the Night Gleaner” とは、ファーマーたちが重労働からぐっすりと睡眠をとっている 夜中に落ち穂拾いをする人のことで、エリスによれば、そのような人たちが「今では あまりにも一般的になりすぎて」いて、この慣行は結果として「刈り束から幾分くす ねること」になっていったと指摘している6。こうした悪質なやり方が本格的に問題 視され、何らかの規制の必要性が叫ばれてくるのは18世紀後期からである。代表的な 例を一つ挙げると、落ち穂拾いが女性と子供を中心に集団化して行われるようになり つつあった1770年代、農業経済学者のアーサー・ヤング(Arthur Young)は、『ファー
マーの暦』(The Farmer’s Kalendar, 1771)の中で、「貧民は刈り束の間で落ち穂拾いを
し、また、たいそうしばしば、たいそう悪名高いやり方でその刈り束から落ち穂拾い をしているので、それに対する不満はおびただしいものとなっている……落ち穂拾い の悪弊は、多くの地域で、ファーマーが受ける最悪のものの一つと考えられるに値す るほど甚大なものである」として、その悪質なやり方を非難している。そして、落ち 穂拾いが「過度に行われているところではファーマーが落ち穂拾い人のために規則を 設け、それらの規則がいかなる口実の下でも破られることのないようにする必要があ る」と主張し、穀物が片付けられるまで落ち穂拾い人を畑に入れないとする規定を導 入することを勧めている7。 このように18世紀後期から大いに問題とされるようになっていった落ち穂拾いのや り方に対して、ファーマー側は、それを規制し、管理するようになっていったが、興 味深いことに、その慣習的行為を要求し続けた落ち穂拾い人側も自主的な規制を設け、 管理していくようになる。ファーマー側によるものとして「見張りの束」(the guard sheaf)と呼ばれた規制、落ち穂拾い人側によるものとして「落ち穂拾いの鐘」と「落 ち穂拾いの女王」と呼ばれた規制が、この時期特有の規制として注目に値する。本報 告では、これらの規制のうち、主に落ち穂拾いの鐘をとりあげ、労働者側の規制・管
理のやり方を見ていくこととする。
2.落ち穂拾いの鐘
落ち穂拾いの鐘(the gleaning bell)とは、収穫期の午前と、ときには午後に、落ち穂 拾いの開始と終了の時刻を知らせるために鳴らされた鐘のことである。 イングランドでは、19世紀半ば以降に鐘学(campanology)が発達を遂げ、イングラ ンド各地の教会の鐘の歴史や用途等を記録した本が続々と出版されるようになった が、それらの本の中に落ち穂拾いの鐘への言及が見出され、19世紀における落ち穂拾 いの鐘の貴重な史料となっている。現在までの調査で、10州に関する鐘学の本に落ち 穂拾いの鐘への言及が確認されている。 以下、主にこれら10州の史料の分析を通して、実際には落ち穂拾いの鐘とはどのよ うなものであったのかを見ていくこととする8。 ⑴ 落ち穂拾いの鐘の起源と存続期間について 中世の時代にも落ち穂拾いの時間を大まかに定めた規定は存在していたが、その時 間を通知する落ち穂拾いの鐘は鳴らされていなかった。サフォーク(Suffolk)のブラッ クスホール(Blaxhall)では、18世紀末、寺男が落ち穂拾いの鐘を鳴らしていたという 記録が残っており、ブラックスホールでは、すでに18世紀末には落ち穂拾いの鐘が鳴 らされていたことが確認できるが、その鐘がいつ頃鳴らされ始めたのか、その起源は 今のところ明らかではない9。その鐘の導入の時期が読み取れる史料は,現在調査で きた限りでは,わずか6例しか見つかっていないが、いずれも19世紀に、特に19世紀 前期に、導入されている。 サフォーク10、ノーサンプトンシャー(Northamptonshire)11、ハートフォードシャー (Hertfordshire)12 では、落ち穂拾いの鐘がそれぞれ、1815年から49年、1846年から52 年、1828年から95年まで鳴らされ、ヨークシャー(Yorkshire)13 とバッキンガムシャー (Buckinghamshire)14 では1840年代半ばころから落ち穂拾いの鐘が鳴らされ始め、19世 紀末頃までには中止されている。ハンティンドンシャー(Huntingdonshire)のウッド・ ウォルトン(Wood Walton)ではその導入時期は明らかにされていないが、少なくとも 19世紀において数年間、教区牧師によってその鐘が導入されたということが知られて いる15。18世紀末にすでに鳴らされていたブラックスフォールの例を考慮すると、落 ち穂拾いの鐘は、18世紀末頃から19世紀前期、まさに落ち穂拾いが大規模に集団化し て、規律が求められるようになった時期にはじめて導入され、19世紀の中頃にその最 盛期を迎え、やがて19世紀後期が進むにつれて、その鐘は次第に消滅していったと言
えるようである。 ⑵ 落ち穂拾いの鐘の割合と分布 先述の10州の史料から落ち穂拾いの鐘が鳴らされていた割合を見ていくと、エセッ クス(Essex)では491教区教会のうち、54教区教会で鳴らされており、その割合は11% となる。以下、同様に見ていくと、これらの州の中の、最低でバッキンガムシャー (Buckinghamshire)のわずか2%から最大でラットランド(Rutland)の4割弱の教区で 鳴らされており、平均ではほぼ1割の教区で鳴らされていたことになる。
概して、東側の穀作地帯の州(Essex, Huntingdon, Bedford, Hertford, Lincoln)で割合
が比較的高く、西側の牧畜地帯の州(Leiceter, Warwick, Buckingham, Northampton,
Rutland)では低くなっている。これら10州の数値(最大で4割、平均で1割)から判 断すると、落ち穂拾いの鐘は州の大半の教区で鳴らされていた鐘では決してなく、州 の限られた教区で鳴らされていた鐘であったといえる。 ⑶ 落ち穂拾いの鐘の時刻 続いて、落ち穂拾いの鐘の鳴らされていた時刻を見ていきたい。先述の10州の史料 から調査すると、落ち穂拾いの鐘が鳴らされていた教区教会は287教区教会で、その時 刻が記載されていたのは155例であった。 その155例を整理すると、午前では8時に鳴らされているのが過半数を占め、99例で、 次に多いのが7時の37例、両者を合わせると136例で約9割になる。午後では、午後6 時が過半数を占め、73例、午後5時が39例、両者を合わせると112例で約8割となった。 つまり、落ち穂拾いの鐘は,朝は8時か7時に、夕方は午後6時か午後5時に鳴らさ れるのが最も一般的であったと言える。 そもそも落ち穂拾いの鐘は、開始の時刻を管理して、落ち穂拾いの参加者に「公平
な開始」(a fair start)を保証しただけでなく、その終了時刻も管理して、落ち穂を拾う
「公平な機会」(a fair chance)と「公平な分け前」(a fair share)を保証しようとしたもの
だった16。この鐘の合図は、ウォーリックシャー(Warwickshire)では「最も厳格に守 られるべき暗黙のルール」であり、エセックスではその鐘の合図を守ることは「名誉 に関わる問題」であったと言われている。この鐘の合図は落ち穂拾い人が何よりも守 るべきルールだったのであり、このルールの違反者には、他の落ち穂拾い人から制裁 が加えられた。例えば、ケンブリッジシャー(Cambridgeshire)ではその鐘が鳴らされ る前に落ち穂拾いを始めた女性は、彼女が集めた落ち穂を取りあげられて地面にばら まかれるという制裁を受けている17。さらには、「公平な分け前」を確保するために、
落ち穂拾いの鐘が、同じ収穫の時期に鳴らされていた収穫の鐘(harvest bell)よりも、 朝はかなり遅く、夕方はより早く、鳴らされていたことに注意する必要がある。 収穫の鐘は、刈り取り人たち(reapers)に刈り取り作業の開始と終了の時刻を知ら せるための鐘で,その起源は遠く中世の、お祈りの時刻を知らせるアンジェラスの鐘 にまで遡る。その鐘が近世以降、世俗の労働の開始時刻を知らせる鐘となり、収穫期 には特別に「収穫の鐘」と称されていたのである18。収穫の鐘は、例えば、ヨークシャー では朝の5時と夕方7時に鳴らされていた19。 しかし、同じ収穫期に鳴らされる鐘ではあっても、すでに見たように、落ち穂拾い の鐘は朝は8時か7時に、夕方は午後6時か午後5時に鳴らされるのが最も一般的で、 収穫の鐘と比べると、鳴らされる時刻に差がある。これはまさに、19世紀イングラン ドにおいて落ち穂拾いが専ら一家の主婦と子供たちが集団化して行う活動となってい たことが大いに関係している。例えば、ウィルトシャー(Wiltshire)では村の妻たちの ほぼ全員とその子供たちが落ち穂拾いにでかけていたことが明らかにされている20。 ケンブリッジシャーやハートフォードシャー、ウィルトシャー、サフォークでは、収 穫期に、落ち穂拾いのために村の学校が休みになっていた。この収穫期の休暇が児童 にとっては夏休みだったのであり、その夏休みは落ち穂拾いで過ぎていったのであっ た21。 こうした事情を背景にして、大家族をかかえる一家の主婦が、夫や子供たちを含む 家族の世話を十分に行うことができるように すなわち、子供たちに朝食をしっか りと食べさせてから、落ち穂拾いに出かけ、夫が仕事を終える前に帰宅して夕食の準 備ができるように22、また、時には、退職した男性農業労働者(例えば、老齢の元刈り 取り人など)なども落ち穂拾いに加わったので、そうした村の老齢者や虚弱者も参加 しやすいように配慮して、落ち穂拾いの参加者が皆 老いも若きも、独身者も家族 持ちも 同時に開始して終了し、できるだけ「公平な分け前」が確保できるような 時間帯に、つまり、収穫の鐘に比べて、朝はより遅く、夕方はより早い時刻に、落ち 穂拾いの鐘が鳴らされていたと言える。 ⑷ 落ち穂拾いの鐘の鳴らし手と鐘代等 落ち穂拾いの鐘の鳴らし手(ringer)は、その仕事に対して、たいていの場合、手間 賃(鐘代)を受け取っていた。これまでに調査した史料の中で、鐘の鳴らし手が誰で あるかがはっきりと述べられていたものを整理すると、全部で16例しか確認できな かったが、一例を除いてそのうちの半数の8例は寺男(sexton)によって鳴らされ、7 例はclerk(教会庶務係)によって鳴らされていることがわかった。概して東の穀作地
帯の州ではsexton か clerk、牧畜地帯は clerk という傾向が窺えるが、例外もあり、一 般化はできない23。 調査史料から、これらの鳴らし手たちに支払われた鐘代とその鐘代の支払人に関わ る 情 報 が 見 出 さ れ た も の を 分 析 す る と、ウ ォ ー リ ッ ク シ ャ ー の オ フ チ ャ ー チ (Offchurch)のようにファーマーが支払ったり、ハンティンドンシャーのセント・ ニィーオッツ(St. Neot’s)のように特別な土地の地代から支払われたりしている例が あるものの、それらはまれな例で、それら以外はみな、落ち穂拾い人たちによって支 払われている。リンカシャーやラットランド、などでは各落ち穂拾い人がそれぞれ半 ペニーから2ペンスを支払い、レスターシャーやエセックスのヘニー・グレイト (Henny, Great)では各家庭が1ペニー程度を支払い、エセックスのラークフィールド
(Larkfield)では sexton が gleaning の終わり頃に刈り株畑を訪れて、各落ち穂拾い人の
裕福さ等に応じて、1ペニー程度を集金している。いずれにせよ、個人や家庭、教区 単位で、落ち穂拾い人たちが少額を出し合って支払われていたことがわかる24。 このように、落ち穂拾いの鐘の大半は、村の落ち穂拾い人たちが少額のお金を出し 合って、教会のclerk や sexton に、その鐘を鳴らしてもらっていたのである。まさに この意味において、落ち穂拾いの鐘は、落ち穂拾いの開始と終了を統制して、落ち穂 拾いに参加する「全ての人への公平な分け前」を確保するための、村人たち、すなわ ち、落ち穂拾い人たちによる自主規制だったのである。 この自主規制の根底にある「公平な分け前」という考え方の中に、ポリティカル・ エコノミー的な自由競争ではなく、平等を重んじ、共同や相互扶助を尊ぶ、中世以来 の民衆文化の長い伝統が息づいているのを いいかえれば、「市場関係を越えて共 生[coexistence]を求めるモラル・エコノミー」の伝統が息づいているのを、認めるこ とができるといえよう25。 ⑷ 落ち穂拾いの女王と落ち穂拾いの鐘 落ち穂拾いの女王が選出されている地域では、この女王が落ち穂拾いの鐘を取り仕 切っていた。落ち穂拾いの女王とは、落ち穂拾い人の中から毎年選ばれて、落ち穂拾 いの段取りを取り仕切る女性に与えられた名前である。 落ち穂拾いの女王は、現在調査したところでは、ノッティンガムシャーやケンブリッ ジシャー、エセックス、ハートフォードシャーの4州でその存在が知られているが、 イングランドの各州でどの程度、落ち穂拾いの女王が選出されていたのか、詳しいこ とはよくわかっていない。おそらく、その存在はごく一部の地域に限られていたのだ ろうと思われる。
選出された落ち穂拾いの女王は、落ち穂拾いに関する確立されたルールを維持・強 化し、村の大多数が参加する集団化された落ち穂拾いを一定の秩序ある規律化された 行為にまとめ上げる中心的役割を担っていた。 ケンブリッジシャーのリトル・シェルフォード(Little Shelford)では、落ち穂拾いの 女王は、落ち穂拾いの開始と終了の時間を管理するだけでなく、休憩の時間まで厳密 に管理し、落ち穂拾いを完全に統制していたことが知られている26。 落ち穂拾いの開始と終了の時間、時には休憩の時間まで厳密に管理して、落ち穂拾 いの無秩序化を防ぐとともに、落ち穂拾い人が「全ての人への公平な分け前」を確保 することが、落ち穂拾いの女王の重要な任務だったのである。落ち穂拾いの鐘と同様、 落ち穂拾いの女王も、農業労働者たちの間で共有されていたモラル・エコノミーに基 づく規制であり、時間の厳重な管理によってもらされる規律化を通して、公平と共生 を実現する手段であったと言える。 おわりに 18世紀後半から19世紀前半の産業革命期は、私的所有権の浸透に伴い、慣習を認め ることは「財産権が絶対的ではないことを意味」する27と危惧したファーマーたちが 慣習を破棄しようしたため、そのファーマー側と貧民側での利害対立が激化した時期 であった。このような背景のもと、貧民たちは伝統的に自分たちに継承されてきた慣 習を消滅させないために防御するように迫られるようになった。落ち穂拾いの鐘が鳴 らされることや落ち穂拾いの女王が選出されたことは、落ち穂を拾う労働者側の自主 規制の役割を果たしただけに留まらない。落ち穂拾いの女王を選出したり、特定の時 間に鐘を鳴らしたりする一種の儀式的な振る舞いは、落ち穂拾いという慣習を守るた めの「社会的結合の象徴」として機能し、広く地域にその慣習の正当性をアピールす る意図があったと考えられる。 このように、伝統ある慣習を儀礼化することで、自主的規制の維持・強化を図るだ けでなく、その慣習を権威あるもの・神聖なものとしてその正当性を主張していたと 言えるであろう。 〈註〉
1 Blackstone, Sir William. Commentaries on the Laws of England. Vol. II. Chicago: Callaghan1899. 2 “Worlledge v Manning 1 H Blackstone 51 n, 126 ER 32” English Reports, CD-ROM(Oxford: Jutasta,
c. 2001).
Books, 1982, p. 138.
4 King, Peter. “Gleaners, Farmers and the Failure of Legal Sanctions in England 1750-1850,” Past and
Present 125 (November 1989): 116-25; King, Peter. “Customary Rights and Women’s Earnings: The
Importance of Gleaning to the Rural Labouring Poor, 1750-1850,” Economic History Review 44.3 (1991): pp. 461-476.; King, Peter. “Legal Change, Customary Rights, and Social Conflict in Late Eighteenth-Century England: The Origins of the Great Gleaning Case of 1788,” Law and History
Review 10.1 (Spring 1992): pp. 1-31.
5 Bushaway, Bob. By Right: Custom, Ceremony and Community in England 1700-1880. London: Junction Books, 1982.; Morgan, D. H. “The Place of harvesters in Nineteenth-Century Village Life” in
Village Life and Labour. Ed. Ralph Samuel. London: Routledge & Kegan Paul, 1975.; Hussey,
Stephen. “‘The Last Survivor of an Ancient Race’: The Changing Face of Essex Gleaning,”
Agricultural History Review 45 (1997): pp. 61-71; 福士正博「慣習社会の変容:産業革命期イギリ
スの落穂拾い」『東京経済大学会誌』第191号 東京経済大学、1995年、231-249頁。 6 Bells, Vicars. To Meet Mr. Ellis; Little Gaddesden in the Eighteenth Century. London: Faber, n.d. pp.
142-43.
7 Young, Arthur. The Farmer’s Kalendar. London: Robinson and Roberts, 1771. September 1, 2012〈http://www.unz.org/Pub/YoungArthur-1771〉
8 10州に関する史料は次の通りである。 東側(耕作地帯の州)
・Deedes, Cecil & H. B. Walters. The Church Bells of Essex: Their Founders, Inscriptions, Traditions,
and Users. 1909. N.p.: BLTM, n.d.
・Owen, T. M. N. The Church Bells of Huntingdonshire: Their Inscriptions, Founders, Uses,
Traditions, etc. 1899. N.p.: Bibliolife, n.d.
・North, Thomas. The Church Bells of Bedfordshire: Their Founders, Inscriptions, Traditions, and
Peculiar Uses, with a Brief History of Church Bells in That County, Chiefly from Original and Contemporaneous Records. 1883. N.p.: Nabu, n.d.
・North, Thomas and John Charles Stahlschmidt. The Church Bells of Hertfordshire: Their Founders,
Inscriptions, Traditions, and Peculiar Uses. 1886. N.p.: Nabu, n.d.
・North, Thomas. The Church Bells of the County and City of Lincoln: Their Founders, Inscriptions,
Traditions, and Peculiar Uses, with a Brief History of Church Bells in Loncolnshire, Chiefly from Original and Contemporaneous Record. 1882. N.p.: Kessinger, n.d.
西側(牧畜地帯の州)
・North, Thomas. The Church Bells of Leicestershire: Their Inscriptions, Traditions, and Peculiar
Uses, with Chapters on Bells and the Leicester Bell Founders. 1876. N.p.: Nabu, n.d.
Uses, with Chapters on Bells and the Northants Bell Founders. 1878. N.p.: Kessinger, n.d.
・North, Thomas. The Church Bells of Rutland: Their Inscriptions, Traditions, and Peculiar Uses, with
Chapters on Bells and Bell Founders. 1880. N.p.: Nabu, n.d.
・Tilley, Henry Timothy and Henry Beauchamp Walter, The Church Bells of Warwickshire; Their
Founders, Inscriptions, Traditions and Uses. 1910. N.p.: Nabu, n.d.
・Cocks, Alfred Heneage. The Church Bells of Buckinghamshire; Their Inscriptions, Founders, Uses
and Traditions, etc. 1894. N.p.: Nabu, n.d.
9 Evans, George Ewart. Ask the Fellows Who Cut the Hay. London: Faber, 1977, pp. 99-100. 10 Doughty, Henry Montagu. Chroicles of Theberton: A Suffolk Village. London: Macmillan, 1910. pp.
234-235.
March 25, 2012〈https://archive.org/details/chroniclesoftheb00dougiala〉
11 Madge, Sidney Joseph. Moulton Church and Its Bell: With a Complete Summary of the Bells in the
Several Parishes of Northamptonshire; Also, a Comprehensive Bibliography on Bells. 1895. N.p.:
Nabu, n.d., pp. 52-53.
12 Jones-Baker, Doris. The Folklore of Hartfordshire. London: Batsford, 1977, p. 160. 13 The Notes and Queries, Nov. 3, 1860, p. 356.
14 Cocks, Alfred Heneage. The Church Bells of Buckinghamshire; Their Inscriptions, Founders, Uses
and Traditions, etc. 1894. N.p.: Nabu, n.d., p. 543.
15 Owen, Theodore Montague Nugent The Church Bells of Huntingdonshire: Their Inscriptions,
Founders, Uses, Traditions, etc. 1899, N.p.: Bibliolife, n.d., p. 145.
16 The Essex Review, vol. 34, no. 134, 1925, p. 107.; Hussey. op. cit., p. 64. 17 Bushaway. op. cit., p. 50.
18 North, Thomas. English Bells and Bell Lore. 1888. N.p.: Kessinger, n.d., pp. 102-103; Gatty, Alfred.
The Bell: Its Origin, History, and Uses. London: George Bell, 1818, pp. 18-20; Morgan, op. cit., pp.
157-158.
19 Ibid., pp. 174-175; Madge, op. cit., p. 49.
20 Williams, Alfred. A Wiltshire Village. 1912. London: Duckworth & Co., 1920, p. 269.
21 Chamberlain, Mary. Fen Women: A Portrait of Women in an English Village. 1975. London: Virago, 1977, p. 27; Williams. op. cit., p. 269; Doris. op. cit. p. 160; Evans, George Ewart. The Farm and the
Village. 1969. London: Faber, 1977, p. 79.
22 North. English Bells. p. 176; The Essex Review, vol. 34, no. 135, 1925, p. 162.
23 Evans. Ask the Fellows, pp. 99-100; Evans, George Ewart. The Farm and the Village. 1969 .London: Faber, 1977, p. 80; Warren, C. Henry. Happy Countryman. N.p: Geoffrey Bles, 1939, p. 52; The Essex
Review, vol. 34, no. 134, 1925, pp. 56-57; Northamptonshire Notes and Queries, vol. 1, 1886, p. 248;
no. 134. 1925, p. 109.
24 Walters, Henry Beanchamp The Church Bells of England. 1912. N.p.: Kessinger, n.d. p. 79. 25 高橋 彰、「訳者あとがき」、ジェームズ・C・スコット『モーラル・エコノミー』勁草書房、
1999、301頁。
26 Porter, Enid. Cambridgeshire Customs and Folklore. London: Routledge & Kegan Paul, 1969, pp. 124-25.
27 Bushaway. op. cit., p. 138.; Bushaway, R. W. “Rite, Legitimation and Community in Southern England 1700-1750: The Ideology of Custom,” in Barry Stapleton ed., Conflict and Community in
Southern England: Essays in the Social History of Rural and Urban Labour from Medieval to Modern Times. New York: St. Martin’s Press, 1992, p. 11