090 彦根論叢 2013 summer / No.396
李蓮花著
『東
アジアにおける
後発近代化
と
社会政策
─韓国
と
台湾
の
医療保険政策』
ミネルヴァ書房
2011年、310pp.
本書のねらい
本書は東アジアにおける社会政策の歴史的発
展およびその核心的な特徴をとらえることをねらい
として執筆された書籍である。東アジアの中でも
韓国と台湾を取りあげ、それぞれの国民皆保険制
度について、単なる二か国・地域の事実解明や差
異を挙げるにとどまらず、“一般性に基づいた理論
化”に努めて検証が行われている。
本書の構成
本書は、序章、第
1
章、第
2
章、第
3
章、第
4
章、終
章から構成される。
序章では
1990
年代後半から、社会政策研究の
本拠地であるイギリスを中心に東アジア社会政
策研究が「登場」したが、当時は限られた文献の
中で研究が行なわれたため、誤った認識に基づく
抽象的な「東アジア福祉モデル」が一人歩きしたこ
とを的確に指摘している。またこの章では、本書が
なぜ、東アジアの中でも韓国と台湾を選んだのか、
さらには、なぜ医療保険制度に焦点をあてるのか、
という点についても明らかにしている。それは、韓
国と台湾はともに工業化、民主化、皆保険におい
ても発展レベルが似かよった「同期生」であること
から、比較の結果を効果的・生産的なものにでき
ると考えたためであるという。
第
1
章では、東アジア社会政策研究の源流であ
る東アジア地域研究と社会政策研究の二つの流
殿仁美
Hitomi Madono
城西大学現代政策学部 / 助教
れについて詳細な検証が行われている。その上で、
東アジア社会政策には比較社会政策論からのア
プローチと、制度主義アプローチの二種類がある
ことを分析している。これらのアプローチはそれぞ
れ十分ではないことを指摘し、本書は、工業化と
民主化の相互作用の中でとらえる政治経済的視
点、および工業と民主化の歴史を重視する後発性
視点から韓国と台湾の公的医療保険制度を検証
するとし、著者の研究分析視点を明確にしている。
第
2
章では、
1970
年代までの韓国と台湾におい
て、権威主義体制のもとで公的医療保険制度がど
のような意図で導入されたのかについて分析が行
われている。ここでは、当時の韓国と台湾の社会
政策を、冷戦体制という大きな文脈の中でとらえ
る必要があることに言及し、それぞれの国で見ら
れた特徴を詳細に整理している。
第
3
章は前章に続いて、韓国と台湾それぞれの
国の医療保険政策の考察が行なわれている。ここ
では、
1980
年代から
90
年代初頭にかけて二つの
国が、権威主義政治体制から民主主義政治体制
へ移行するといった政治変化を遂げていることを
踏まえ、なぜこの時期に医療保険の普遍化が行な
われたのかについて詳細な分析がなされている。
本章での分析を通じて、韓国と台湾の皆保険に見
られた共通の特徴として、医療保障における国家
責任の強化、および医療保険政策の政治化を指
摘している。
書評
091
李蓮花著『東アジアにおける後発近代化と社会政策』 殿仁美
第
4
章では、第
2
章、第
3
章において整理した共
通点や相違点の中から普遍的な意義を有するも
の、および国や地域特有のもの、を見分け、整合
性のある理論的解釈を行なうことを試みている。
結果として、韓国と台湾の医療保険政策の共通性
を、制度の導入期は後発工業化、皆保険期には
民主化で説明ができるとし、相違点では工業化と
民主化が韓国と台湾それぞれでタイプが異なって
いたことなどを指摘している。その上で、東アジア
社会政策の全貌および多様性をバランスよく立体
的にとらえるには、このような共通性と相違性をあ
わせて考える必要があると述べている。併せて、社
会政策分野における東アジアの歴史的経験が十
分に発掘・整理できていないことも踏まえる必要
があることにも言及している。
終章では、これまでの検証から導かれた結論を
まとめるとともに、著者が近年の中国の変化から、
日中韓台の比較の土台が形成されつつあることに
期待を寄せ、「東アジアにおける社会政策」を今後
さらに追及していく考えを明らかにしている。
本書の特長
後発的な工業化と民主化の文脈の中で韓国と
台湾の公的医療保険政策を比較分析し、韓国・
台湾の事例に基づいて「東アジア型社会政策」の
可能性を展望した本書は、読みごたえが十分にあ
る。また、本書は韓国と台湾の医療保険政策およ
び東アジア社会政策研究への理解を広げるにと
どまらず、東アジア社会政策が日本にとっても「自
らを映す鏡」であることを改めて思い起こさせてく
れる。
本書の特長は何といっても、著者の東アジア社
会政策研究の視点にある。本書において著者は、
近年みられる福祉国家形成の後発性やタイミン
グを重視する「後発福祉国家論」とは異なり、その
国や地域の工業化と民主化の後発性に分析の重
点を置いて論を展開している。
著者は本研究に臨むにあたり、これまでの東ア
ジア研究の動向を振り返り、次のように分析してい
る。東アジアの社会政策や福祉への学問的な関
心は低く、効力を発する問題提起が行われていな
かったことから、この地域の社会政策は「社会科
学化」していなかった。それが
1990
年代末頃から
東アジアの国や地域においても、格差や高齢化な
ど深刻な社会的課題を抱えるようになり、この地
域において社会政策の「主流化」が見受けられる
ようになる。この動きに伴い、東アジアの社会政策
へ関心を示す人が増え「研究ブーム」現象が表れ
た。しかしながら、この研究ブームにおいても未だ
明らかにされていないことが多々あると著者は指
摘する。それは、東アジアの国や地域で形成され
た制度がどのような歴史的経緯を経てかたちづく
られたのか、またこの地域の内と外と比べ、類似
点や相違点がみられるのか、など制度研究を行な
う上で根源的な課題を指している。その上で著者
は、既存の理論を東アジアに当てはめるような手
法で研究をすすめるのではなく、歴史的・実証的
研究に挑み、東アジア社会政策研究を次の段階
に推し進めたいとの考えから本研究に取り組んだ
という。
本書は、著者のねらいどおり、東アジア社会政
策研究を新たな段階へと前進させる役割を十二
分に発揮していると言えるだろう。本書への評価は
社会政策学会においても高く評価され、第
18
回
(
2011
年)学会賞(奨励賞)を受賞するに至った。
本書が多くの人々の目に触れ、東アジア社会政
策研究への理解の輪がより広がり、この分野の研
究がさらに深化していくことを期待している。