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ばっくとぅざぱすと その四 : 東海道本線貫通の民間代行と近江商人

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Academic year: 2021

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ばっくとぅざぱすと その四

東海道本線貫通の民間代行と近江商人

明治期の近江の商人達のベンチャー精神に富むエピソードを紹介しましょう。まず滋賀県の交通に関する クイズに挑戦してください。Q1「東海道本線の全通は明治 22 年 7 月ですが、最後の開通区間は?」Q2「平 坦で、さして難工事でもない滋賀県が最後になったのは?」Q3「後回しにされた当時の滋賀県民の反応 は?」 答えは順に「米原~大津間」「琵琶湖があったから湖上を汽船で代行」「大いに憤慨し、民間資本で同区間 を建設、経営しようとした」です。 それでは問題の解説をしてみましょう。当時は湖面に面した大津駅(現在の浜大津)とやはり湖畔の長浜 駅の間は太湖汽船(現在の琵琶湖汽船)が鉄道連絡船を運行しました。しかし貨客とも乗換が不便で、後回 しにされて大いにプライドを傷つけられた県民らは、彦根の殿様だった井伊直憲を先頭に立て「一、早く鉄道 を敷いて欲しい。二、政府に金がないなら公債を引受けよう。三、さもなければ一種の第三セクター(民設官 営形態)はどうか?四、それも駄目なら湖東鉄道という純粋私鉄でやらせろ」という物知り顔の提言をしまし た。出願者は近江商人として名高い富豪、現在の滋賀銀行の前身・百三十三国立銀行の幹部連中、滋賀 大生協前に碑がある旧彦根藩士の日下部鳴鶴など、文武両道にわたる豪華キャストでした。 が、石頭のお役人は「東海道はお上自らが敷くべき本線なるぞ。下々の出る幕ではないわい」と冷たく却下。 当時金がなく、国の鉄道の払下げまで検討した明治政府の役人にとって、ひたすらに政府にご許可を嘆願 する他県の申請とは異なり、近江商人の財力と、大老を生んだ旧彦根藩のインテリぶりを誇示(?)する態 度にカチンときたのかも。門前払いを食らった出願者も頭にきて、別に関西鉄道という名で草津から四日市、 名古屋方面に至る私鉄を三重、京都等他府県資本家と組んで申請したのです。(関西鉄道は後に大阪・名 古屋を直結。お上の東海道線に競争を挑み、運賃の大幅割引、豪華賞品付の関西商法で客を集め「生意 気なヤツ」とお役人の憎しみを一身に浴びる悪役的存在となりました。)当時の滋賀県知事中井弘はなかな かの人物で、こうした県下の商人達の果敢な企業設立に大いに手を貸し、先頭に立って支援しました。 (ファイナンス学科 小川 功)

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