芥川龍之介論--『点鬼簿』における父母と僕の関係
著者
草薙 聖子
雑誌名
清心語文
号
3
ページ
84-94
発行年
2001-08
URL
http://id.nii.ac.jp/1560/00000352/
会 学 文 本 日 語 本 日 学 大 子 女 、し 一 圭目 、︶﹂ー ム ダ ル ト ー ノ 月
8
年 01 20 号3
第 文 語 、し 一 圭目 、︶﹂1芥川龍之介論
﹃点鬼簿﹄
はじめに
における父母と僕の関係
﹃点鬼簿﹄は、芥川が﹁僕の母は狂人だった﹂として、主人公の く僕Vに狂人だった実母について告白させる作品である。﹁髪を櫛巻き﹂ にし、﹁長煙管ですぱすぱ煙草を吸っている﹂︿母﹀は、﹃少年﹄・﹃大 道寺信輔の半生﹄で登場していた母と明らかに異なった存在として登 場する。﹃点鬼簿﹄成立以前まで自伝的小説の母は養母トモを指し、そ してトモが養母であることは作品上で隠されてきた。その芥川が実母 の存在を明かすには一体どのような理由があったのか。従来の研究で は﹃点鬼簿﹄が﹁母を恋うる記﹂とする論一注−一を始め、実母を求め る芥川の切実な心情が語られている作品だと捉えられてきた。他に、 虚構を最大限に生かして母について告白したのではないかとする論一注 2一もあるが、それも母からの視点中心で読まれていることと変わりな い。つまり、これまでの研究史の流れは、堅く禁じていた実家につい て書かねばならなかった理由として芥川が狂気の母についてを告白し草 薙
聖 子
たことに重点を置き、母を求めていた彼の内面に視点を当ててきた。 だが本論では新しく父に焦点を当てて論を展開している三嶋譲一注3一の 論に着目して、﹃点鬼簿﹄における父の役割について私なりにさらに論 及を試みていくことにする。二 父への感情
﹃点鬼簿﹄は四章で構成され、各章の照応とそこに見られる意図に ついては早くから荻久保泰幸一注4一の指摘がある。従来の研究では母 と照応する父の章について芥川の父への拒否の感情を読み取る傾向に あった一注5一。だがそれだけの意味だと捉えても良いのだろうか。本論 では︿僕﹀と︿父﹀の関係について探りながら、︿父﹀の章の創作意図 を考えていく。 僕は母の発狂したために生まれるが早いか養家に来たから、僕の 父にも冷淡だった。一中略一養家から僕を取り戻そうとした。︵中 略一露骨に実家へ逃げて来いと口説かれたことを覚えている。 一 84 ■︵傍線・引用者、以下同じ︶ まず、﹁僕の父にも冷淡だった﹂の﹁父にも﹂とは、︿僕﹀が︿母﹀ に対してだけでなく︿父﹀に対しても冷淡だったという意味と解せよ う。これは物心ついた時には︿父﹀と別れて養家で暮らしていたこと や﹁僕が養家の父母を、 殊に伯母を愛していたからだった﹂とあ るように、養家の父母や伯母を愛していたことが原因であったためだ と理由が示されている。また、養家から子供を取り戻そうとする︿父﹀ の姿が描かれる。ここには﹁露骨に実家へ逃げてこい﹂と口説き﹁頗 る巧言令色を弄した﹂︿父﹀に対して、﹁一度も効を奏さなかった﹂と いう︿僕﹀の︿父﹀への嫌悪感が見て取れる。三嶋譲は、この場面に おいて次のように述べる一注6一。 発狂という不可抗力なもの、いわば宿命ともいうべきものによっ て隔てられた母と子と異なり、父と子との隔たりは﹁養家に来た﹂ ために生じた後天的なものである。したがって、たとえば実家に 戻るという手段で、空問としてのその距離を縮めることは決して 不可能ではない。 三嶋はこのように述べ、それにも関わらず父と子の隔たりが縮めら れないのだとしたら、そこに介在するのは﹁父と子の精神的な距離の 問題﹂一注7一であると指摘する。確かに父と子の問には精神的な距離が あり、︿母﹀とは生まれて問もなく離れたことや発狂によって母子の関 係を築くことが出来なかった。そのために、物理的にも精神的にも ︿僕﹀だけでは︿母﹀との精神的・物理的距離を縮めることが出来なか ったといえる。つまり、一方的に︿僕﹀が︿母﹀を想っていても、︿母﹀ がく僕Vの存在を認識しない限りいつまでも距離は埋めることが出来 ないのである。そして、︿僕﹀が愛していたからという理由のみで養父 母や伯母を選び、反対に︿僕﹀が血縁である︿父﹀を意識的に拒むの は何故であるかの問題についてだが、本文でその理由に直接触れてい る箇所はなく、我が子を懸命に取り戻そうとする︿父﹀の内面に触れ ている箇所も同様にない。もし︿父﹀が愛情から子を取り戻そうとし ていたと想定すれば、︿僕﹀の態度はいささか冷たすぎるとの解釈も出 来よう。しかし、︿僕﹀の意志で︿父﹀を拒む理由については後述する 予定であるため、ここでは︿父﹀に対する︿僕﹀の様子と子に拒まれ る父親の関係について見ていくことにする。 僕の父はまた短気だったから、たびたび誰とでも喧嘩をした。僕 は中学の三年生の時に僕の父と相撲をとり︵中略︶僕の父は起き 上ったと思うと、﹁もう一番﹂ξ言って僕に向かって来た。︵中略︶ 血相を変えて飛びかかって来た。︵中略︶ もしあの時に負けなかっ たとすれば、僕の父は必ず僕にも掴みかからずにはいなかったで あろう。 この場面は、客観的に見ると父と子が相撲を一緒にする父子の微笑 ましい姿が描かれているともいえる。だがそれにも関わらず﹁誰とでも 喧嘩をした﹂り﹁血相を変えて飛びかかって来た﹂と短気な︿父﹀を 強調する。これは︿父﹀に対する︿僕﹀の感情の冷たさを表現してい よう。また﹁必ず僕にも掴みかからずにはいなかったであろう﹂という ’ 85 ・
︿僕﹀の言葉は、﹁誰とでも喧嘩をした﹂︿父﹀が自分にもそうやって掴 みかからずにはいられないだろうことを暗に示し非難している。ここで は父子関係が上手くいっていないことを見ることが出来るだろう。よ って、父と子の相撲をとる場面からは次の二つのことが分かる。まず 一つは、発狂によって︿母﹀とは精神的・物理的な距離の融解を︿僕﹀ 一人の努力では行えなかったことである。二つ目は、︿父﹀は白分から く僕Vに対して実家に帰って来いと誘う行動を起こしていることからも 考えて、︿僕﹀にさえその気があればく母Vと違って︿父﹀とは話し合 う方法で精神的距離と物理的距離の解決が出来たことである。つまり、 三章で懸命に子を取り戻そうとする︿父﹀と、その︿父﹀に対して冷 ややかな眼差しを向ける︿僕﹀が描かれていることは、︿僕﹀がいかに 父親を忌み嫌っているかを如実に表しているかが分かるのである。
三 父の死
︿母﹀が︿僕﹀の意志に反して狂気に奪われたのに対して、︿父﹀は ︿僕﹀の意志によって拒まれてきた。ここでは前述した︿僕﹀が血縁で ある︿父﹀を意識的に拒む理由について探っていくことにする。左の 場面は、入院した︿父﹀に退屈し﹁懇意にしていた或愛蘭土の新聞記 者﹂が﹁近く渡米するのを口実にして﹂出かけるく僕Vと、︿父﹀が死 の問際に妻との思い出を涙を浮かべながら子に話す場面である。 僕は二十八になった時、一中略︶僕の手を握ったり撫でたりしなが ら、僕の知らない昔のことを、 僕の母と結婚した当時のこと を話し出した。一中略︶しかし僕はその話のうちにいつか胆が熱く なっていた。僕の父も肉の落ちた頬にやはり涙を流していた。 この場面では二十八歳になっても消えない︿僕﹀の︿父﹀への拒否感 と、︿父﹀の死に直面した時に︿父﹀へのわだかまりが消える︿僕﹀の 心情の変化が書かれている。︿僕﹀は﹁僕はその癖実父の命日や戒名を 覚えていない﹂、﹁僕は僕の父の葬式がどんなものだったか覚えていない﹂ という場面からも分かるように、︿僕﹀は︿父﹀の葬儀の様子も命日も 戒名も覚えていないとしている。だが二十八歳になっている︿僕﹀がこ の歳で行われた︿父﹀の葬儀について一切を覚えていないということは 考えにくい。というのも何故なら︿母﹀の死は︿僕﹀が十一歳の時であ るのに対し、︿父﹀の場合は二十八歳だからである。つまり、﹁僕は僕の 父の葬式がどんなものだったか覚えていない﹂、﹁僕はその癖実父の命日 や戒名を覚えていない﹂とした二十八歳時の︿僕﹀が意識的に︿父﹀を 拒んだことが分かる。ならばその理由は何か。それは前述したように血 縁である。︿父﹀を何故拒むのかという疑問と同様であり、後者の理由に ついてこれまでの研究ではく母Vに重点を置いて﹃点鬼簿﹄を論じるも のが中心であった。その中心である登尾豊は次のように述べる一注8一。 実父の話は家庭の幸福というものの回想であり、それを失った者 が自分だけでなく実父もそうだったという発見が芥川を涙ぐませ たものと思われる。ここにも母の不在感が影をおとしている。し かし、右の挿話は例外であって、芥川は実父に冷淡である。 ■ 86 −登尾はく僕Vの求めるものがく母Vであって︿父﹀でないのだとい うことを強調し、さらに論中で三章と四章の役割白体が︿母﹀を求め るく僕Vの感情を確認するものだったとしている。私としても、幸福 な家庭を持てなかったのは自分だけでなく、︿父﹀も同じであったこと をく僕Vが発見し、それに対して涙を流すのだという意見には賛成し たい。そこに︿母﹀の不在が影を落としていることも理解出来、確か に今まで冷淡に接してきた︿父﹀に涙を流す場面は意外であるが、﹁例 外﹂をわざわざ使うことに意味があったのではないだろうか。次に宮 坂費は以下のように述べている一注9一。 実父への冷淡さ、会うことのなかった姉への羨望は、裏返しにす れば︿母﹀に求心されて行く。一中略一︿僕の知らない昔﹀の幸福 を聞かされたこの部分を記しながら、芥川は父を許す気になった かもしれぬ。しかし、それ以上に感じられるものは、︿母Vがもっ たであろう幸福の時であり、狂える以前の母への想いである。 宮坂は︿父﹀を許すことは出来たとしても、︿父﹀の告白を聞いてな おいっそう︿母﹀を求めるく僕Vの想いが存在するのだという。確か に︿父﹀を許す気持ちになったのは、冷淡に接していた︿父﹀に涙を 流している︿僕﹀の描写から分かる。確かに許す気になっていること に関しては、︿僕﹀が胆を熱くしていることから推測されるが、では何 故﹁それ以上に感じられるものは、︿母﹀がもったであろう幸福の時で あり、狂える以前のく母Vへの想いである﹂とするのか根拠が不明で ある。ともあれ、登尾と同じく︿僕﹀が求めているものは︿父﹀では なくく母Vであることを強調している。 したがって、従来の研究はく僕Vが︿父﹀に向ける冷淡な感情は︿僕﹀ の父に対する拒否を表すものであり、︿父﹀と︿母﹀を対置して描くこ とで、︿僕﹀がいかに︿母﹀だけを求めているかを示しているとする見解 が中心であった。確かに三章における︿僕﹀は、入院している病気の ︿父﹀を残して出かけ、考えるのは病気の︿父﹀ではなく芸者のことで あったが、帰ってきた︿僕﹀の手を握ったり撫でたりしながら、︿僕Vの ︿母﹀との思い出を涙ながらに話すく父Vに、︿僕﹀は知らないうちに胆 を熱くする。これはく僕Vが初めて︿父﹀に対して拒絶以外の感情を向 ける姿が描かれた場面である。このことについて木村一信は、﹁冷淡に 終始するのではなく、父への愛情の片鱗をうかがわせる﹂一注10一と指摘す る。また三嶋は、﹁僕の手を握ったり撫でたりしながら﹂、﹁僕の知らな い﹂︿母﹀との結婚当時の様子を話し出した︿父﹀に対し︿僕﹀が睡を 熱くした場面に触れて、次のように述べている一注11一。 母との涙による呼応が、そうあってほしかった母、︿懐かしき女 人﹀との出会いだったとすれば、父とのそれは、白分の中にある ︿父﹀の発見であった。︵中略︶︿僕﹀にとっての二十八年間が、 ︿幻の母﹀への希求を秘めた人生であったとしたら、同じく父の二 十八年間は、︿奪われた妻﹀への思いを秘かに抱き続けた人生であ ったに違いない。そうした父の内面に触れたとき、拒み続けた子 は父を受け入れ、 このように︿僕﹀が その血のつながりを確認するのである。 ︿母﹀との結婚当時の様子を話す︿父﹀ に胆を ■ 87 ■
熱くしている姿は、−︿僕﹀の︿父﹀に対する気持ちが表現されている。 しかし、︿僕﹀の気持ちが︿父﹀への愛情から生じたものか否かについ ては本文に理由が書かれていないために分からないが、結婚当時の様 子を話す︿父﹀に胆を熱くする場面で、︿僕﹀は初めて白分と同じく ︿母﹀を失っていた︿父﹀に気付いたのではないか。つまり、﹁僕の知 らない昔﹂に、︿父﹀にとって妻との思い出の日々が確かに存在してい た事実を、︿僕﹀は自分に話しかける︿父﹀に胆を熱くした瞬問に知 り、ようやく︿父﹀を己の父として受け入れることが出来るようにな ったのではないと思われる。また三嶋が、﹁父の内面に触れた﹂︿僕V がその時に拒み続けてきた︿父﹀を受け入れて﹁その血のつながりを 確認﹂したのだと指摘するように、まさにく僕Vが︿父﹀を僕の父と して受け入れたことは、単に血の繋がりという事実だけでなく精神的 な意味においても︿僕﹀が︿父﹀と血縁関係である事実を認めたと考 えられよう。そして︿僕﹀は﹁冷淡に終始するのではなく﹂一注12一︿父﹀ への愛情を見せているのである。 以上のように、︿僕﹀に意識的に拒まれて始まった三章は、︿母﹀と 対置し︿僕﹀が冷たく接する︿父﹀を書くことで、いっそう︿僕﹀が 自分の一生を見守ってくれる︿母﹀を求めていることを示そうとした だけでなく、︿僕﹀が僕の一生を見守って欲しかった存在を見つけ出す ために︿母﹀と対時した一注13一ように、︿父﹀にも向かい合った章であ ったと考える。そして︿父﹀と対時したく僕Vは、死ぬ間際で︿母﹀ が正気に戻った際に︿母﹀の内面を見たように、︿父Vが涙を流す場面 において︿父﹀の内面を垣問見、︿僕﹀の知らない頃の幸せだった︿父﹀ の姿を感じたのである。だからこそ︿僕﹀が、︿父﹀の葬儀の様子も命 日も戒名すらも覚えていないとしたにも関わらず、四章の中で﹁ 僕は僕の父の骨が白じらと細かに砕けた中に金歯の交っていたのを覚 えている。⋮⋮﹂と、骨の中に残った金歯を強調したことは、自分の 父はこル︿父﹀であることを明確にしたかったためだったと思われる。
四 父と僕
では次に、﹃点鬼簿﹄の四章見ていくことにする。 僕はこの墓の下へ静かに僕の母の枢が下された時のことを思い出 した。これはまた﹁初ちゃん﹂も同じだったであろう。ただ僕の 父だけは、 僕は僕の父の骨が白じらと細かに砕けた中に金歯 の交っていたのを覚えている。 ︵中略︶一体皮等三人の中で は誰が幸福だったろうと考えたりした。 結びとして書かれている四章は、一章から三章がすでに他界してい る人々のことについて書かれているのと違い、﹁三月半ばに﹂三人の墓 を訪れている︿僕﹀の心境から描かれた章である。この場面で︿僕﹀ は、﹁石塔を眺めながら﹂枢を静かに墓の中へ下ろされた母、そしてお そらく母と同じように静かに墓へと入ったであろう姉や、その二人と は異なり﹁骨が白じらと細かに砕けた中に金歯の交っていた﹂のを覚 えているとした父の中で、一体誰が﹁幸福だったろうと﹂かと考えて ’ 88 ■いる。この問いに対し荻久保泰幸は、﹁娑婆苦にあることのもっとも短 かった姉が、一番幸福だったろう、っいで母。︵中略一芥川からすれば 俗臭ふんぷんたる父もまた、そのゆえに芥川よりは幸福だったという ことになるだろう。﹂一注14一と述べる。荻久保は論中で四章にこの作品 の主題があり﹁娑婆苦﹂を知らずに死んでいった︿姉﹀や狂人となっ て︿僕﹀が生きている現実世界を認識しなくなった︿母﹀の二人は幸 福で、その二人よりも﹁娑婆苦﹂に生きる苦しみを知っていただろう ︿父﹀が一番不幸であったと指摘する。つまり、幸福であったのは︿姉﹀ であり、反対に不幸だったのは︿父﹀であると述べている。しかし、 ︿僕﹀と比べれば︿父﹀もまた幸せであり、墓の下に眠る三人より未だ に﹁娑婆苦﹂に苦しんでいる︿僕﹀の方がよりいっそう不幸なのだと の見解を示している。確かに、︿母﹀は発狂し︿姉﹀は幼くして死んで しまったために、︿僕﹀が隠し通してきた実父母のことについて書かね ばならぬほどの苦しみを受ける世界を知らずにいられた人達である。 そして、その二人よりはく僕Vの苦しむ﹁娑婆苦﹂の世界に近かった だろう︿父﹀も、四章においての︿僕﹀とは同じ世界にいないために ︿僕﹀にとって︿父﹀も自分よりは幸せであるといえる。しかしそれな らば、父の葬儀の様子も命日も戒名も覚えていないとする︿僕﹀が、 わざわざ﹁父の骨が白じらと細かに砕けた中に金歯の交っていた﹂の を覚えているとした理由は何だろうか。荻久保はこの金歯の意味につ いて論じておらず、解釈も暖味である。 一方、三嶋譲氏は次にように述べている一注15一。 狂人の母の内面は空白であり、夫折した姉はいわゆる︿娑婆苦﹀ に身をさらさずにすんだ︵中略︶それに対して、おそらく︿僕﹀ の窺い知れぬところで︿娑婆苦﹀ を背負いっづけたにちがいない ︿父﹀は、その︿娑婆﹀の痕跡たる﹁金歯﹂を残したまま葬られて いったのである。﹁実父の命日や戒名を覚えてゐない﹂と言い、さ らにその葬式も﹁どんなものだったか覚えてゐない﹂と語る︿僕﹀ の心の裡では、︿父﹀の物語はいまだ完結していない。 このように、発狂した︿母﹀と早くに死んでしまった︿姉﹀が、い わゆる﹁娑婆苦﹂を知らずにいたのだとする三嶋の見解は、荻久保と 同じである。しかし三嶋は︿母﹀や︿姉﹀と違い、葬儀の様子も﹁ど んなものだったか覚えていない﹂、﹁実父の命日や戒名を覚えていない﹂ とされる︿父﹀は︿僕﹀の中で未だに﹁完結﹂されていないのだと述 べる。つまり、︿母﹀と︿姉﹀は、︿僕﹀が二章で﹁僕の母とも姉とも つかない四十恰好の女人﹂が何処かから﹁僕の一生を見守ってくれて いる﹂ように感じているとしたことによって、︿僕﹀の中で答えが出さ れたとする。だが反対に葬儀の様子や戒名、命日も覚えていないとさ れる︿父﹀は、﹁︿娑婆﹀の痕跡たる﹃金歯﹄を残したまま葬られてい た﹂ために︿僕﹀の心の中に生き続けているのだという。よって、不 幸であったのは︿僕﹀の中で解決が成されている︿母﹀や︿姉﹀より も、﹁金歯﹂を残したまま葬られた︿父﹀だったのだと三嶋は指摘する。 三嶋のいうように、三人の中で誰が不幸だったかを考える時に、金 歯を残したまま葬られていった︿父﹀が、一番不幸な人物であったと ’ 89 ’
いう見解には説得力がある。それは、︿僕﹀が静かに葬られていったと する︿母﹀や︿姉﹀と︿父﹀を明らかに異なった表現で描いているこ とからも分かるだろう。そのことから三嶋は、﹁︿僕﹀の心の裡では、 ︿父Vの物語はいまだ完結していない﹂と述べ、金歯を残したまま葬ら れた︿父﹀に︿僕﹀の拒否の感情を読み取るのではなく、﹁点鬼簿中の 人物になり得ないまままだおのれの心の中に生き続ける父の確認﹂で あったとする。さらに、︿僕﹀が﹁︿父Vの物語を引きついだ﹂のだと 指摘するが、はたしてそうであろうか。確かに、静かに墓の下へと眠 りについたと描かれるく母Vやく姉Vと違って、︿父Vは現世のしがら みとでもいえる金歯を残したまま葬られる。金歯の意味は三嶋の指摘 通り、点鬼簿に記入されない︿父﹀という意味で解釈してもよいが、 私は金歯の意味を現世から解放されない体の一部ではないかと考えて いる。つまり決して娑婆苦の世から逃れられない︿父﹀の姿を象徴し ているのではないか。そしてく僕Vは自分を苦しめる世界から︿父﹀ も決して逃れられないことに気付き、そこで︿父﹀と自分の繋りを感 じたのではないだろうか。だからこそ︿父﹀は点鬼簿に記されないの であり、金歯を覚えていることはその時点において︿僕﹀が︿父﹀へ の想いを整理できていないことを表しているのではないかと考える。 よって四章では、三章において︿父﹀に涙した︿僕﹀が︿父﹀にとっ て︿母﹀との思い出やそして苦しんできたく父Vと、自分も同じ一人 の人問であることを改めて確認している意味が込められていると思わ れる。そして︿僕﹀が三人の墓の前に件んだことにより、初めて︿父﹀ は︿僕﹀から切り離され、点鬼簿に入ったのではなかろうか。 したがって、同じく︿僕﹀が意識的に︿父﹀を拒んだ理由も作品中 では明らかにされていないためにここでは分からない。だが、あえて述 べるならばく僕Vとく父Vが相撲を取る場面で登場する叔母の存在が 関わっていたと考えられよう。叔母が登場する場面は次のようである。 僕は中学の三年生の時に僕の父と相撲をとり、︵中略︶僕の父は三 度目には﹁もう一番﹂生言いながら、血相を変えて飛びかかって 来た。この相撲を見ていた僕の叔母 僕の母の妹であり、僕の 父の後妻だった叔母は二三度僕に目くばせをした。 叔母はく僕Vの母の妹である。当時中学生だった︿僕﹀は、︿父﹀の 後妻である叔母をどう思っていたのだろうか。叔母はく僕Vの心情変 化において重要な人物となったのではないかと思われる存在である。 しかし︿僕﹀が叔母に対してどういった感情を持っていたかについて の記述は、本文中に記されていないために想像するしかない。そのた め現段階では、︿僕﹀が︿父﹀を意識的に拒んだ理由はおそらく、︿父﹀ とく母V。の妹であり︿父﹀の後妻である叔母への拒絶の感情によって 彼女を素直に受け入れることが出来ない︿僕﹀の複雑な心理状態に原 因の一つがあったのではないかという解釈のみに及んでおく。したが って、叔母の存在と何故彼女が︿僕﹀にとって重要な人物となったか にっいては、次に作家論に広げて芥川が何故︿僕﹀に︿父﹀を拒ませ たのかをも含めて論じていくことにする。 ■ 90 −
五 芥川家と新原家
以上、登尾や宮坂などのこれまでの研究によって、﹃点鬼簿﹄は実母 フクについての告白一母が狂人であったこと、自分が養子に出されて おり、実母の手で育てられてないこと︶の作品だと捉えられてきたが、 実は自己の中の母像確認と訣別、そして母と同じように重要視された であろう父についても書かれた作品ではないかという私なりの考察を 展開してきた。そうして母と父について書かれた方法が芥川にとって 素直なものではなく、母の章と父の章を類似させたりするなどの構成 上の虚構の中で告白を行うといった作品であったとも述べてきた。し かし、虚構を利用して告白を行った作家としての意味付けを詳しく取 り挙げていなかったため、ここからは何故虚構を利用してまで実父母 にっいて書かねばならなかったのかを作家芥川の周辺に触れながら探 っていくことにする。 芥川は、明治二十五年三月一日、東京の京橋区入船町八丁目一番地 に牛乳販売業耕牧舎を営む新原敏三と、その妻フクの長男として生ま れた。その数ヶ月後実母が発狂し、発狂後は明治十一年に女の子を亡 くし当時子供がいなかった実母の兄である芥川道章に引き取られるこ とになる。フク突然の発狂の原因については﹁母といふ人はとても気 が小さかつた人で、口に出すより自分の胸にたたんで居るといふ性質 らしかつた﹂という次姉ヒサの延言が有力となっている一注16一。確かに ハツの死と、実母がそれを自分の所為だとして責めていた時に重なっ た芥川の出産、そしてその子を旧来の迷信から一度は捨て子の形にし なければならなかった事実を考えれば、フクの心は罪意識で限界に近 かったことであろう。 次に新原敏三についてだが、これまでの調査をまとめた三嶋譲一注17一 によると次のようになる。 ふくとの結婚は明治十八年、はつ、ひさ、龍之介の子供をもうけ たが、はつは明治二四年、七歳で夫折した。翌年、龍之介誕生の 八ヶ月後にふくは発狂するが、その原因の一っにこのはっの死が 数えられている。しかし、 その年に敏三と他の女性との問に敏二 という私生児が生まれ、それが発狂に関係しているのではないか という推定も、森啓祐によってなされている。 実父敏三の人柄は、﹁丈が高く、剛気で﹁滴癩﹂持ちで、 またし つこい虜もあつた。が、一面では、やさしい心の持ち主でもあつた﹂ というヒサ一注18一の延言や、﹁温和な、商人らしい感じの顔だち﹂一注19一 であったいう第三者からの延言から考えると、優しい面も持ち合わせ ていたようである。だが芥川が﹃点鬼簿﹄三章で﹁短気だったから、 たびたび誰とでも喧嘩をした﹂と表現したように、﹁滴の強さうな性 質﹂一注20一の一面が強かったと考えてよいと思われる。また敏三はかな りの放蕩ぶりで女性関係に問題があり、龍之介の他に新原家の除籍謄 本を入手した森啓祐一注21一によって﹁龍之介に、ハツ、ヒサ、得二の 姉弟のほか、もう一人、敏二という名の弟が出生している事実﹂が確 ’ 91 ’認されている。森はフクの発狂にっいては﹁さまざまな不幸な出来事 が重なりあって誘発したとみられる﹂が、その原因の一つに﹁龍之介 と同年の庶子﹂の出生事実が関わっていたことは否定出来ないと述べ ている。さらに得二という弟は、実父と実母の妹であるフユとの問に 生まれた子供である。フユは実母発狂の後に手伝いの名目で新原家に 入り、明治三十二年七月に得二を出産している。得二は戸籍では三男 となっており、一方、生まれて間もなく死亡したのだろうと考えられ ている敏二が次男として入籍されていることが分かっている。得二と 敏二はフクの存命中に生まれ、その二人ともフクの子供として届け出 されている。フクはヒサの延言によれば得二のことは知っていたよう だが、その時のフクの胸中はどのようなものであり、得二誕生時七歳 だった龍之介がこの事実をどう受け止めたのか。このことは︿僕﹀が ︿父﹀に対して冷淡に接した意味と通じると考えられまいか。フクとい う妻がいるのに他の女性との問に子供を設けてしまった父に対して、 龍之介はどんな気持ちであったろうか。 実母の発狂によって龍之介を預かった芥川道章は﹁いかにも江戸の 通人らしい趣のある﹂一注22一、﹁大柄な、ゆつたりとした人で、額の禿げ 上った、ふつくらとした顔つきをもち、いつも頬のあたりに微笑をふ くんで話す癖があつた﹂一注23一人物のようである。その妻であるトモは、 ﹁至つて気だてのやさしい、よく物事に気のつく夫人で、いかにも人な つこい口調で淀みなく、もの柔かに話す人﹂一注24一だったと伝えられて いる。その二人よりも龍之介を溺愛し、熱心に教育を行ったのが伯母 のフキである。フキは﹁道章氏とおなじく額の広い、やや眼のくぽん だ顔だちであつたが、少し藪にらみで、中々勝気の人﹂で、﹁物腰な り、話ぶりなりが芝居に出て来る御殿女中を連想させる﹂一注25一ような 人物であったといわれている。
六 龍之介と父
このようにして龍之介は引き取られてからも実家との交際が途絶え ず、芥川家と実家新原家を行き来する生活を続けることになる。しか し芥川家に引き取られた後、実父は当時の珍しい食べ物を与えたりし て龍之介を実家へ連れ戻そうとしたといわれている。しかし実家に取 り戻そうとする実父の努力も実らず、龍之介が戸籍上においても芥川 家の養子になったのは明治三十七年八月、新原家の推定家督相続人廃 除・廃嫡の手続きを経てからのことであった。だが当時の民法によれ ば戸主に予定されている子供は養子に出せないことになっており、養 子に出すには法律的に認められる理由が必要である。その家督相続人 であり長男であった龍之介が養子に入ることが出来たのは何故なのか。 その背景には龍之介の意志が尊重されたのではなく、新原家・芥川家 それぞれの思惑が存在していたと考えられている。っまり、フク発狂 により新原家に手伝いに来ていた叔母と実父との問に子供が生まれた こと、また芥川道章夫妻には当時子供がいなかったこと、さらにフキ が龍之介を手放さなかったなどの理由があったことが考えられよう。 ■ 92 ■他にも前述した実父の女性問題のことがあったのではないかとも思わ れるが、最終的には東京地方裁判所で家督相続廃除の判決をうけた実 父が、得二を生んだフユを自分の妻として入籍させることを交換条件 に芥川家との養子縁組を結んだと考えられている一注26一。しかし、実父 が龍之介以外の二人の子供を設けたにもかかわらず、名前に﹁二﹂と いう文字をつけていることにより、実父は長男である龍之介に家督を 継がせようとしていたことが分かる。だが、家督を継がせたがってい た実父と養父との言い争いについて指摘する森一注27一によれば、実父 は龍之介を手放すつもりはなかったが、道章が育てた側の権利を主張 したために交換条件を出して敏三はやむなく龍之介を手放したのだと いう。このような経緯を経て芥川家に養子に入った龍之介が、︿僕Vが 愛していたからという理由のみで養父母や伯母を選び、血縁である く父Vを拒んできたのは仕方のないことだと考えられよう。ヒサによれ ば実父が月一回息子を招いて食事をすることを何よりも楽しみにし、 彼は後年に龍之介を実母の病気のために預けて養子としなければなら なかったことを後悔していたという。しかし、子の側からすると自分 が母の手で育てられなかったことや養子に出された事実は変わらない。 よって﹃点鬼簿﹄において実父に冷淡だったのは、母を裏切り自分を も裏切った人間として父を許すことが出来なかったことを示す作品で はなかったろうか。そう考えれば、相撲の場面で見せた叔母との複雑 な人間関係の一面について芥川が実父同様に、彼女へも母を裏切り苦 しめたという気持ちがあったのではないかと考えられる。また叔母を あえて登場させたのは、断罪する意味をも含めていたのかも知れない。 したがって当時、芥川の心中が悲しみや憎悪を抱えていた状態であっ たことが想像出来よう。 以上、﹃点鬼簿﹄を従来の研究のように実母フクを求める芥川の心情 が書かれていると作品のみ考えるのではなく、他の意味をも探りつつ ︿父﹀に冷淡に接しながらそれでも︿父﹀の臨終の問際に涙を流すとい った︿僕﹀の矛盾した心理ついて順を追って考察してきた。また芥川 の出生問題や父の女性関係、養子に至るまでの出来事をも調べ、客観 的な立場からしても彼が実父に冷淡に接してきた意味を考えた。なら ば芥川にとって父とはどういった存在だったのだろうか。はじめ、母 とは違う別の女性との交友関係や母の発狂によって、芥川にとって父 は憎むべき存在となり、嫌悪の対象となった。しかし死に直面した父 が話した母との思い出に涙した芥川は、父と真正面から対時し、父も 自分と同じ苦しんできた一人の人問だと気付いた。そして芥川が最終 章においズ三人の墓前に什ませ父のことにも思いを馳せる︿僕﹀を描 いたことは、彼の中で父は憎み嫌悪することは変わらないまでも、父 を一人の人間として、そして白分の父親として認め改めて考えていく ことが出来たのだと、私は考えている。それは父という自分にとって 母と等しく禁忌であった存在を自分なりに受け止めたことにもなろう。 また、芥川がひたすら眼を逸らし逃げていた両親の存在を主人公︿僕﹀ に告白させ、自分なりに解決を行ったことは、芥川にとって人生でも 作品の上においても大きな転機であったろう。したがって、﹃点鬼簿﹄ ’ 93 ’
は芥川が狂人でポ一た母を初めて告白した、一との重大貰自分にと っての父の存在を考えた重要な作品であったと私は考えている。 注− 宮坂篭﹁芥川龍之介小論−その湖行・﹃点鬼簿﹄への軌跡−﹂ ︵﹃日本近代文学﹄28、昭和五十六年九月一 2 荻久保泰幸﹁﹃点鬼簿﹄小考﹂、編者菊池弘﹃日本文学研究大成 芥川龍之介1﹄、国書刊行会、平成六年九月︶ 3 三嶋譲﹁﹃点鬼簿﹄を読むー︿母﹀の物語からく父vの物語へ ー﹂一﹃福岡大学日本語日本文学﹄3、平成五年十月一 4 注2に同じ 5 注1に同じ 6 注3に同じ 7 注3に同じ 8 登尾豊﹁︿告白﹀への過程 大正十二年−大正十三年﹃点鬼簿﹄ 論﹂﹃国文学﹄︵昭和五十年二月一 9 注1に同じ 10 木村一信﹁﹃少年﹄と﹃点鬼簿﹄と−︿言葉﹀の虚実をめぐっ て﹂一﹃方位﹄4、昭和五十七年五月一 u 注3に同じ 12 注に同じ 13 拙稿二〇〇一年卒業論文﹁芥川龍之介論﹃点鬼簿﹄−父母と僕 の関係﹂で母について言及している。 14 注2に同じ 15 注3に同じ 16 葛巻義敏﹁築地入船時代の事など︵母の手紙から︶﹂﹃岩波普及 版全集月報第二号﹄、岩波書店、昭和九年十二月︶ 17 三嶋譲﹁﹃点鬼簿﹄補説−虚構のゆくえー﹂︵﹃福岡大学日本語 日本文学﹄4、平成六年十二月︶ 18 葛巻義敏﹁叔父芥川龍之介のことども−母久子の﹃思い出﹄か ら1﹂一﹃世界﹄二四三、昭和四十一年二月一 19 恒藤恭﹁青年芥川の面影﹂、吉田精一編﹃近代文学鑑賞講座第 十一巻芥川龍之介﹄︵角川書店、昭和三士二年六月一 20 恒藤恭﹁芥川龍之介のことなど 六芥川家の人々﹂、﹃旧友芥川 龍之介﹄︵朝日新聞社、昭和二十四年八月︶ 21 森啓祐﹃芥川龍之介の父﹄︵桜楓社、昭和四十九年二月︶ 22 注に同じ 23 注に同じ 24 注に同じ 25 注に同じ 26 注に同じ ︵くさなぎ せいこ/平成十二年度卒︶ ■ 94 ’