韓国の地域社会と老人の地位 -伝統と近代化をめぐ
って一
著者
高橋 統一, 清水 浩昭, 松本 誠一
雑誌名
アジア・アフリカ文化研究所研究年報
巻
24
ページ
79(166)-122(123)
発行年
1989
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00011198/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja-伝統と近代化をめぐって一一
I 序論:韓国の文化伝統と老人問題 ー一一問題の所在と研究方法一一 高 橋 統 一 E 人口と世帯の日韓比較 一一老人問題の背景一一 1. 人口高齢化の日韓比較 2 世帯構成の日韓比較 清 水 浩 昭 E 韓国の老人処遇政策の展開とその動向 金 龍 津 はじめに 1. 伝統的社会における老人処遇 2. 老人処遇問題の拾頭と大韓老人会結成 3. 老人福祉法の制定と処遇論理 4. 社会福祉政策における老人処遇 5. むすびにカ通えてI 序論:韓国の文化伝統と老人間
題
一一問題の所在と研究方法一一高 橋 統
東洋大学アジア・アフリカ文化研究所は大学 創立100周年を記念して, 1987年10月17日に “伝統と近代化"と題する「日韓国際シンポ ジウム」を開催した。これには韓国から朴在侃 (韓国老人問題研究所所長・韓国老年学会会長), 柳時中(慶北大教授,社会学),郭泳宇(全北大 教授,教育学〉の3氏をお招きし,日本側から は河野調果・厚生省人口問題研究所所長の他に, アジア・アフリカ文化研究所から所員の倉内史 N ソウルと全羅南道の老人亭 高 橋 統 1. 大韓老人会と老人亭 2. ソウルの蚕室団地と孝昌公園の老人亭 3. 金羅南道長城郡長城邑の聖寿老人亭 V 慶尚北道の老人問題に関する地域特性と両 班老人会 松 本 誠 一 1. 慶尚北道の老人問題に関する地域性 2. 両班老人会の現代化 一一淡水会の事例を通して一一ー (1)両班化と婚班 (2)淡水会 a)淡水会の沿草と組織 b)むすび VI 概括:韓国の地域社会と老人の地位 一一ー伝統と近代化をめぐって 高 橋 統 郎教授(教育学)と私(社会人類学)がパネリ ストとして参加して,それぞれ専門の立場から 研究報告を行い,相互の質疑討論の後,さらに 一般聴衆も参加した総合討論がもたれたのであ る。その成果は,東洋大学アジア・アフリカ文 化研究所『研究年報~ 22号で詳細に紹介されて いるように,日韓それぞれの問題関心による各 専門分野からの問題点の指摘がなされ,そして それらの交錯から国際的および学際的な問題提 起が試みられるなど,当初の予想をはるかに越 えるものがあった,と言えよう。ところで,こ のシンポジウムの冒頭で実質的な基調講演(r近 代化に伴う社会構造とその意識J) を 行 っ た 朴 氏は,韓国の伝統的な社会構造とその変化につ いて,概ね次のように問題点を指摘している。 ~ 79-(166)韓国の地j或社会と老人の地位(1) 要約すると,こうである。 「韓国の伝統的社会構造は士農工商で区別さ れる徹底的な階級社会であり,士大夫階級(両 班)は権力もあり社会的身分も高く,商工人は 賎民同様であった。しかし, 日韓併合で国権を 喪失したため,士大夫階級は次第に自然消滅し, とくに1930年代以降,かつての階級社会は解体 されたのだが,伝統的家族制度とその儒教的倫 理基盤は,韓国が農耕社会であるため,さほど 崩壊しなかった。さらに,日本支配下でキリス ト教が抑圧されたことも,ー商では,この崩壊 を防いだわけだが,し、ずれにしろ,韓国人の意識 には国権を失ったとしても,家門と家族制度に 結びついた儒教的伝統だけは,そのまま守って ゆきたい,という欲求がつよかったのである。」 「第二次大戦後,朝鮮は解放されたが南北に 分断され,そして朝鮮動乱を経て,韓国は1960 年から80年代にかけて著しい経済成長と生活水 準の向上,および高学歴の増加を来たした。反 面,さまざまな社会的矛盾や国民の不満が高ま り,硬直化した体制jへの反対運動も現われたの である。とはいえ, 20年前までは,無知,貧困, 失業が深刻な社会問題であったのに比べれば, 今日の韓国は教育水準も高く,中産層が全人口 の過半数を占める安定した社会に変ってきてい る。しかしながらこのように社会構造の変化が 激しい今日でさえ,韓国の伝統的家族制度とそ の基盤をなす儒教的倫理規範が根底から崩れる ような徴候は,いまのところ見られない。」 「ただ,最近の若者たちの家族観は,従来の と下関係よりは,横的な平等関係が強調されて いるし,核家族も普遍化しつつあるなどの点か らすれば,韓国も近い将来,高齢者の扶養は, 社会がその責任の多くの部分を担うような時期 が到来することは必然であろう。」 この朴氏の視点には,専門の如何にかかわら ず,私たち日本人の問題関心にとっても多くの 示唆が含まれているように思われる。ところで, 東洋大学アジア・アフリカ文化研究所では, このシンポジウムに先立つて,すでに1986年か ら, 日本私学振興財団の学術研究振興資金助成 をうけ, 1"韓国の近代化と伝統的価値観」とい う研究課題の総合プロジェクト・チームを編成 し 3年計画で調査研究を実施中であった。し たがって,このシンポジウムは,こうした研究 プロジェグトの一環でもあったのである。本稿 の執筆者のうち金龍津氏を除く 3名は,このプ ロジェグトの第1グ、ループとして「人口変動と 地域社会における価値観J をサブ・テーマに 1986年 8月15日- 9月 3日に,韓国のソウル, 光州および全羅南道,大郎および慶尚北道で現 地調査を行ったのだが,この調査では,上述の 本卜在
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会長をはじめ韓国老年学会会員の方々か ら数々の助言と御協力を得ることができた。私 たちが老人層に特に注目したのは,老人が伝統 的価値観の主な担い手であること,そして人口 ・家族の変動の中で老人がどのように位置づけ られ,そのことと地域社会がどのように結びつ いているのか,を通して課題へ接近したい,と 考えたからである。 1987年の現地調査は,同様 に3名により 7月16日- 8月 5日,済州島で実 施された。済州島を調査地に選んだのは,ここ が社会ェ文化的に本土(半島)とは,歴史・地 理上の環境条件を異にし,日本(沖縄も)との 関係からみても,その文化伝統がかなり特有の ものがあるとみられるからである。済州島調査 は, 1988年にも松本によって実施されたが,調 査資料の整理分析が不十分なため,今回の本稿 ではあえて取上げず,ひとまず1986年の調査に もとづいてまとめたわけで、ある。済州島に関し ては,いづれ何らかのかたちで,報告するつも りである。なお,前述のシンポジウムでは,夜、 も「地域社会からみた伝統と近代化一一一日韓比 較の試み」とし寸研究報告をしたのだが,これ は勿論, 1986, 87年の調査体験がもとになって おり,老人問題に関しては,済州島にも若干言 及している。それから,本稿の執筆に参加して いただいた金龍津氏(東国大・専任講師)は, 最近まで東洋大学大学院社会学研究科に留学し, 社会福祉学の立場から在日韓国人問題の調査研 究をしておられた方で、ある。もちろん韓国の老 人問題にも詳しく,私どもにとってもかけがえ - 80ー(165)のない助言者であり,また研究協力者でもある ので,御参加ねがった次第である。
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人口と世帯の日韓比較
一一老人問題の背景一一清 水 浩 昭
1. 人口高齢化の日韓比較 人口高齢化とは,総人口に占める老年人口 (60歳以上あるいは65歳以上)割合が相対的に 増大することをいう。したがって,老年人口の 絶対的増加とは異なった概念である。今日まで のところ,人口高齢化は,欧米先進諸国でその 進展が著しく,アジア・アフリカ諸国ではその 進展が緩慢である。 このような動向をふまえて,ここでは.65歳 以上人口を老年人口とし,日本と韓国における 人口高齢化の進展状況を比較検討してみたい。 1985年時点、における日本と韓国との老年人口 割合をみると,日本は10.3%を示しているのに 対して,韓国は4.3%にとどまっている。 このような状況は,今後どのように変化する (資料) 総務庁統計局「国勢調査」 のであろうか。 日本については,厚生省人口問題研究所推計 を,韓国については国連推計を用いて両国にお ける今後の人口動向をみてみよう。 日本についてみると.1995年には14%を超え, 現在の人口高齢化先進国の水準に達し, 2000年 には16%水準に, 2025年には23%に達すると予 測されている。つぎに,韓国についてみると, 1995年に 5.3% (日本の 1965年の老年人口比率 の水準)に達し,その後,人口高齢化が進展し, 2025年には現在の人口高齢化先進国の水準に達 すると予測されている。したがって,日本と韓 国の人口高齢化には, ほぼ30年の違いがある 表 1老年人口の現状と将来(日本・韓国) (単位%)い年丙件lJ.99占両副示年
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u 1 1 9 1 Uぺ
23.4 4.3 I 4.7 I 5.3 I 6.3 I 13.9 総務庁統計局「国勢調査J. 厚生省人口問 題研究所「日本の将来推計人口J.National Bureau of Statistics, Economic Planning Board Kor官a,1985, Population andHousing Census Report, Vol.l.UN, Population Newsletter. Number 45, June 1988. _14%以上 阻皿 12-14%未満 ~ 10-12%未満
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8-10%、未満 仁コ 8%未満/
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-図1 老年人口比率(1985年〉 - 81 -(164)
韓国の地域社会と老人の地位
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表 2 地域別年齢 (3区分)別人口(韓国・ 1985年) 地 域l
総 数 ! 0-14歳 15-64歳 65歳以上│
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詳 実 数(単位:人) 全 国 40,419,652 12,094,890 26,574,793 1,749.549 420 ソウル特別市 9,625,755 2,719,335 6,626,464 279,647 309 釜 山 直 轄 市 3,512,113 1,049,389 2,371,004 91,7.07 13 大 郎 直 轄 市 2,028,370 581,245 1,385,288 61,837 仁 川 直 轄 市 1,384,916 416,459 928,019 40,438 尽 畿 道 4,792,617 1,420,997 3,172,481 199,083 56 江 原 道 1,724,146 540,054 1,095,709 88,383 忠 清 北 道 1,390,326 414,013 891.418 84,895 忠 清 南 道 2,999,837 914,319 1,921,333 164.177 8 全 羅 北 道 2,201,265 698,981 1.374,250 128.034 全 羅 南 道 3.747,506 1,211,276 2,332,581 203,649 慶 尚 北 道 3,010,001 887,622 1,915,390 206,973 16 慶 尚 南 道 3,514,500 1,087,062 2,252,132 175,288 18 済 州、│ 道 488,300 154,138 308,724 25,438 構成割合(単位:%) 全 国 100.0 29.9 65.8 4.3 0.0 ソウル特別市 100.0 28.3 68.8 2.9 0.0 釜 山 直 轄 市 100.0 29.9 67.5 2.6 0.0 大 郎 直 轄 市 100.0 28.7 68.3 3.0 仁 川 直 轄 市 100.0 30.1 67.0 2.9 京 畿 道 100.0 29.6 66.2 4.2 0.0 │江 原 道 100.0 31.3 63.6 5.1 忠 清 北 道 100.0 29.8 64.1 6.1 忠 清 南 道 100.。
30.5 64.0 5.5 0.0 全 羅 北 道 100.0 31. 8 62.4 5.8 全 羅 南 道 100.0 32.3 62.2 5.4 慶 尚 北 道 100.0 29.5 63.6 6.9 0.0 慶 尚 南 道 100.0 30.9 64.1 5.0 0.0 済 トチI
道 100.0 31.6 63.2 5.2(資料) National Bureau of Statistics, Economic Planning Board Korea, 1985, Population and Housing Census Report, Vol.1.
(表1参照)。 i→過密(流入)→若い年齢構造→高い自然増加率→過密 人口移動→│ l→過疎(流出)→老年齢構造→低い自然増加率→過疎 (出所) 黒田俊夫『日本人の寿命dI(日経新書),日本経済新聞社.1978年, 156ページ. 図2 地域人口変動の模式図 このような人口高齢化の動向をふまえて日・ 韓両国における地域別の状況をみてみよう。 を示しているのが島根県の15.3%,つぎが,高 知県の14.5%,鹿児島県の 14.2%とつづいてお り,一般に西南日本で人口高齢化の進展が著し し 東 北 日 本 と 大 都 市 圏 地 域 で は そ の 進 展 が 緩 日本は, 1985年時点で最も高い老年人口比率 - 82ー(163)
表 S 自然動態(韓国・ 1984年) 地 域 人 亡 自 然 増 加 実 数(単位:人) 全 国 40,430,137 618,938 227.410 391,528 ソウル特別市 9,501,413 153,781 30.569 123,212 釜 山 直 轄 市 3.495.289 55.942 13,674 42,268 大 郎 直 轄 市 2,012.039 27.424 7,910 19,514 仁 川 直 結 市 1,295.107 24,203 4.995 19.208 京 畿 道 4.581,009 81.091 23,942 57.149 江 原 道 1,816.365 25.243 12.142 13,101 忠 清 北 道 ,1419. 921 20.221 11,149 9,u72 忠 清 南 道 3,056.198 41.920 21,037 20.883 全 羅 北 道 2.288.707 30,011 18,233 11.778 全 羅 南 道 3.824,332 50,127 30,814 19.313 慶 尚 北 道 3,083,690 43,881 26,200 17,681 慶 尚 南 道 3,574,036 59,076 23,917 35,159 I 済 チH 道 482,031 5,243 2,559 2,684 率 (単位:0/00) 全 国 1,000.0 15.3 5.6 9.7 ソウル特別市 1,000.0 16.2 3.2 13.0 釜 山 直 轄 市 1,000.0 16.0 3.9 12.1 大 郎 直 轄 市 1,000.0 13.6 3.9 9.7 仁 川 直 轄 市 1.000.0 18.7 3.9 14.8 京 畿 道 ,1000. 0 17.7 5.2 12.5 江 原 道 1,000.0 13.9 6.7 7.2 忠 清 北 道 1,000.0 14.2 7 9 6.4 忠 清 南 道 1,000.0 13.7 6.9 6.8 全 羅 北 道 1,000.0 13.1 8.0 5.2 全 羅 南 道 ,1000. 0 13.1 8.1 5. 1 慶 尚 北 道 1,000.0 14.2 8.5 5.7 慶 尚 南 道 ,1000. 0 16.5 6.7 9.8 済 外
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道 1,000.0 10.9 5.3 5.6 (資料) National Bureau of Statistics. Economic Planning Board Korea, 1985, Vital Statistics 慢である(図1参照)。一方,韓国では,慶尚 北道が6.9%で最も高い老年人口比率を示し, つぎが忠清北道の6.1%,全羅北道の5.8%と なっており,韓国においても農村部で人口高齢 化の進展が著しく,都市部ではその進展が緩慢 である(表2参照)。 黒田俊夫教授は,わが国における人口高齢化 の地域差発生のメカニズムをつぎのように図式 化している(図2参照)。 この図式について若干の説明を付け加えてお こう。 1960年代の「高度経済成長政策」に伴っ て農村から都市への労働移動が生じた。この農 村から流出した人口は,若年層を中心としたた めに子供が生める人口が都市に流出してしまっ たことになる。その結果,農村では出生率が低 下し,死亡率が上昇することになり,自然増加 率も下がり,人口高齢化が進展することになっ た。一方,都市では,若年層を受け入れること になったため,農村とは逆の現象,つまり,出 生率が上昇し,死亡率が低下することになった。 - 83 -(162)韓国の地域社会と老人の地位 (11) その結果,自然増加率は上昇し,人口の若返り 現象が生ずることになったというのが黒田教授 の地域人口に関する変動図式である。 このような地域人口変動図式に基づいて,韓 国の自然動態をみると,この図式は,韓国にも 妥当するように思われる1)(表 3参照)。 2. 世帯構成の日韓比較 1985年時点における日本と韓国の世帯構成を みると,日本では「核家族世帯」が最も多く, 全世帯の 61.1%を占めており,つぎに多いのが 「単独世帯」の 18.4%,1"三世代世帯」の 15.2%, 「その他の世帯」の 5.3%とつづいている。つ ぎに韓国についてみると, 1"核家族世帯」率は 68. 8 %を占め,つぎが「三世代世帯」の 14.9%, 「その他の世帯」の9.4弘「単独世帯」の6.9% とつづいている。 この結果をみると, 1"核家族化」は日本より も韓国の方が進展していることになる(表4お よび表5参照〉。 この世帯構成を「核家族世帯」と「核家族的 世帯J(核家族世帯+単独世帯) に限定して地 表 4 地域別世帯構成(日本・ 1985年) 核 家 族 世 帯 三 世 代 その他の 域 総
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主婦のみの(夫婦と未婚│片親と未婚 計 帯皇子のみのの子のみの 世 帯 世 FmMfe 帯 世 帯 推計数(単位.千世帯) 全 国 37,226 6,850 22,744 5,423 15,604 1,718 5,672 1,959 北海道 1,748 298 1,222 337 798 87 148 81 東 北 2,568 381 1,353 347 875 132 637 196 関東 I 9,663 2,368 5,990 ,1289 4,258 443 892 412 関東E 2,931 348 1,750 376 1,247 126 673 161 北 陸 1,673 262 889 196 627 66 421 100 東 海 4, 137 576 2,578 523 1,875 179 784 200 近 畿I 5,057 944 3,361 790 2,329 243 533 219 近 畿 E 1,069 148 634 133 462 39 224 62 中 国 2,422 408 1,388 433 868 86 457 170 四 国 1,305 243 752 222 471 58 222 89 北九州 2,756 466 ,1690 461 1,069 161 440 160 南九州 1,899 408 1, 139 315 727 98 241 111 構成割合(単位:%) 全 国 61.1 14.6 41.9 4.6 15.2 5.3 北海道 100.0 17.0 69.9 19.3 45.7 5.0 8.5 4.6 東 北 100.0 14.8 52.7 13.5 34.1 5.1 24.8 7.6 関東 I 100.0 24.5 62.0 13.3 44.1 4.6 4.3 関東E 100.0 11.9 59.7 12.8 42.5 4.3 23.0 5.5 北 陸 100.0 53. 1 11.7 37.5 3.9 25.2 6.0 東 海 100.0 13.9 62.3 12.6 45.3 4.3 19.0 4.8 近 畿I 100.0 18.7 66.5 15.6 46. 1 4.8 10.5 4.3 近 畿 E 100.0 13.8 59.3 12.4 43.2 3.6 5.8 中 国 100.0 16.8 57.3 17.9 35.8 3.6 18.9 7.0 四 国 100.0 57.6 17.0 36.1 4.4 17.0 6.8川
100.0 16.9 61.3 38.8 5.8 16.0 5.8 南九州 100.0 21.5 60.0 16.6 38.3 5.2 12.7 5.8 (資料) 厚生省統計情報部「昭和的年厚生行政基礎調査」 - 84一 (161)表 5地域別世帯構成(韓国・ 1985年) i也 域
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総 核 家 族 位 帯 ~ "',.I-l' I 一一一一一一一一一一│三世代!その他の 計 │ 雪 昨l
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技 師 司 世 帯 │ 世 帯 実 数(単位.世帯) 全 国19, 571, 361I 660,941I 6,586,2271 680,621I 5,057,810I 847,796 I 1,422,830 I 901,363 ソウル特別市I2,324,219I 156,207 I 1,620,047 釜 山 直 轄 市I838, 929I 49, 436I 612, 128 大 郎 直 轄 市I499,592I 41,764I 337,498 仁川i直 轄 市 338,978I 22,0711 240,582 京 畿 道 1,1164, 738I 8,1913I 815,205 江 原 道 403,174I 27,523I 281,931 忠 清 北 道 321,4021 21,7721 208, 863i
忠 清 南 道l
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6.717 全 羅 北 道 489,567I 30, 806I 330, 220 全 羅 南 道 834,211I 50, 317I 556, 997 慶 尚 北 道 733,080I 66,284 I 480,257 慶 尚 南 道 851,128I
66,234I
585,272 済 州 道I118, 144I 14,972 I 80,510 136, 421I 1, 276, 633I 206, 993 50,723I 477,775I 83,630 28, 772I 261, 753I 46,973 21,886I 190,243I 28,453 94, 869I 628, 586I 91, 750 30, 283I 214, 849 I 36, 799 26,844 I 155,930 I 26,089 45, 780I 336, 552I 54, 385 35,055I 247,400 I 47,765 58, 137I 419,331I 79,529 73,905I 347,007 I 59,345 71,595I 44,1511I 72,166 6,351I 60,240I 13,919 構成割合(単位:%) 9 7 n h u A U 巧 4 民 υ , , c o o o 勺 ' ウ 4 n r 白 a u o o nwuZ3 7 A O O , , y i o o ヴ ' Q d o ゐ 60,055 42,255 168,675 66,542 63,642 132,202 92,177 150,761 133,630 129,583 13,254 60,275 34,070 98,945 27,178 27,125I 53,638I 36,364 76,136 52,909 70,039 9,408 4 9 4 1 1 5 7 4 2 4 j n J 2 心 一 d 9 1 9 2 0 8 6 8 8 7 9 7 8 8 一 n 一 a 一 n 一 0 9 7 8 0 5 5 5 8 2 8 1 2 2 2 7 h 4 1 L Z Z 4 ふ 白 山 仏 & & & ふ L 一 川 1 1 1 1 1 1 2 1 1 1 1 1 一句 一 P 4 ↑ F h υ 一 n E l i l i -1 -1 l i l i -l i ! 1 1 1 l i l i -1 -1 1 1 1 1 1 1 l i l l i t -! l i l i -9 Q d Q d 白 U 4 ‘ 4 4 0 d 1 A 1 4 n O 公 U R U 噌 i 戸 b 只 U 一 τ i 8 8 0 9 8 7 9 8 8 9 9 8 8 1 一 t, ム 一 日 u 一 ρ L V 一 O 一 K 8 9 0 4 1 0 3 5 4 5 3 3 9 0 一 d Z 4 1 z a 4 a & L a 仏 に L 1 一 向 5 5 5 5 5 5 4 5 5 5 4 5 5 一 B 一 g l I l l 1 1 1 I l l i -l I l l i -1 I l i -B I l l i -i l l i t -n 1 9 1 8 5 1 5 4 0 2 0 1 4 4 一 叩 7 5 6 5 6 8 7 8 7 7 7 0 8 5 一 P 一 ρ i w 一 m i l l i l i -I l l I l l 1 1 1 1 1 1 1 -l l l l I 1 1 1 1 1 1 i l L o l l l l l l l l l l l l l l ー l l l l l l i l l l l l l l : l i 一 n 8 7 0 6 0 0 9 0 8 5 8 5 8 2 一 O 一 C 8 9 3 7 1 4 0 9 5 6 7 6 5 8 8 一 E p o n b ヴ 4 F O ワ a 門 d p o n u n り P O ︽ b n b a u 氏 U ↑ 1 J 一 丸 l 一 p i V Illi--i!Illi--li1ill-i1・
M h 9 7 9 4 5 0 8 8 8 3 0 0 8 7 一 五 a n 弘 5 & a z n 弘 ふ 4 a a a z z 一 円 切 u d 唱 - - 一 n u v 一 c i n u r 一 n u ρ L 一 R 1 1 1 l i l -I l l i -I l l 1 1 1 1 1 1 i l -1 1 1 1 1 1 1 I l l i -一 u ; 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 一 沼 以 一 n s n U A U n u n U ハ U ハ U A U -0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ∞ ア ・ 刻 印 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 一 I C 一 4 g 一 乱 川 1 1 i l i l l 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 I l l i -L m 問 国 市 市 市 市 道 道 道 道 道 道 道 道 道 一 M U 一 N H 籾 轄 轄 轄 北 南 北 南 北 南 ! 一 J? 直 直 直 畿 原 一 ヰ 加 山 郎 川 清 清 羅 羅 尚 尚 , 一 献 全 ソ 釜 大 仁 京 江 忠 忠 全 全 慶 慶 済 一 ( 域別に考察すると, I核家族世帯」については, 日本では,最大値と最小値との差が17.2ポイン トなのに対して,韓国ではその差が 8.0ポイン トとなっている。つぎに, I核家族的世帯」に っし、てみると,日本では,最大値と最小値との 差が 19.4ポイントなのに対して,韓国ではその 差が 9.2ポイントとなっている。 したがって,I
核家族位帯J,I
核家族的世帯」 とも日本の方が韓国よりも地域差が大きいこと になる(表4および表 5参照)。 この地域的差異を仔細に検討すると,日本で は,東北(青森,岩手,宮城,秋田,山形,福 島),北陸地域(新潟,富山,石川1, 福 井 〉 で 「核家族的世帯」率が低いのに対して,南関東I (埼玉,千葉,東京,神奈川),近畿1(京都, 大阪,兵庫)および南九州(熊本,宮崎,昆児 - 85 -(160)韓国の地域社会と老人の地位 (II) 島,沖縄)ではその比率が高くなっている。一 方,韓国では,忠清北道,忠清南道で「核家族 的世帯」率が低いのに対して,済州道,釜山直 轄市,仁川直轄市,京畿道でその比率が高くな っている。 しかし,この「核家族的世帯」率の高さが65 歳以上の者のいる世帯の「核家族的世帯化Jと 直結するかどうかについては検討を要する課題 である。というのは, 1"厚生行政基礎調査」によ れば,日本でも1985年時点における65歳以上の 者のいる世帯の世帯構成は, 1"単独世帯J9.3%, 「夫婦のみの世帯J23.0%であり, 1"子と同居」 が64.6%,1"その他の親族と同居J2,8%,1"非親 族と同居J0.2%となっているからである2)。 ともあれ,これらの結果をみると,人口高齢 化については,日本が韓国よりも著しい進展を 示しているが,世帯構成,とりわけ「核家族的 世帯」率については,類似した傾向を示してい ることになる3)0 注 1) この点については,大友篤・嵯峨座晴夫編,11ァ ジア諸国の人口動態J], アジア経済研究所, 1982 年および大友篤,
r
韓国の人口 (1),(2), (3), (4,)j 『世界と人口J], 183号, 184号, 185号, 186号, 家族計画国際協力財団, 1989年5月, 6月, 7月J 8月を参照されたい。 2) したがって3 この「核家族的世帯J率を指標に して世帯の構造的変化,つまり「直系家族制」か ら「夫婦家族制」への変化ととらえることについ ては疑問の残るところである。 この点については,原田 尚, 11現代家族の研 究J],久華山房, 1981年および清水浩昭, 1"現代家 族の変貌一一人口学的・社会学的にみた家族の構 造と機能の変容←一J,星野 命編, 11講座家族心 理学 1 変貌する家族一ーその現実と未来J], 金 子書房, 1989年, pp.15-36を参照されたい。 3) 韓国についても「核家族的世帯率」の高さが, 世帯構造の変化と直結するかどうかについては疑 問の残るところである。 この点については, 日本総合研究所編, 11アジ アの家族構造と機能に関する研究J], 総合研究開 発機構, 1987年を参照されたし、。 - 86一(159)IV
ソウルと全羅南道の老人亭
高 橋 統 一
1. 大韓老人会と老人亭 「ヨーロッパが1
0
0
年かかった工業化を日本 は50年で成し遂げましたが,韓国は20年でやろ うというのですから,これはたいへんで、すよ。 韓国の老人福祉が欧米や日本に遥かに遅れてい るだけでなく,老人と若者の価値観のズレだっ て,日本よりずっと大きいですしね。いまの60 歳以上の老人は日帝時代にせいぜ、い小学校教育 しかうけていませんし,高学歴志向の若者から みたら文盲に等しいといっても過言ではありま せん。端的に云って,伝統的価値観を伝えるべ き老人にその能力がなく,若者には受け皿がな い。日本は,その点で透かに恵まれています。」 これは,私たちが調査に先立つて訪れた韓国 老人問題研究所で,朴在侃所長がしみじみ述懐 された言葉で、ある。 日本が欧米先進諸国に追いつくには,特殊な 条件に対応する「後発効果」がかなり有利に作 用したのは事実であろう1)0 NIESの先頭を切 って,近年すばらしい躍進をとげている韓国の 場合,如何なる条件下でどんな「後発効果」が 働いているのか,専門外の私には分らないが, 工業化のピッチがさらに早いだけに,一方で日 本と較べ,より多くの矛盾が伴うのは止むを得 ないこかもしれない。 ところで,韓国社会の高齢化はまだ日本ほど ではないとしても,老人問題へのとりくみには, ある意味で日本以上の積極性がみられるよう に思う。そして,よく云われる儒教社会なれば こその特色が,やはりそこにあるとも考えられ る。調査プランを立てる段階で,ある程度,予 想し,さらに調査に入ってから,そうした思い を一層つよくしたのが,r
大韓老人会」であり, その運営の中核としての「老人亭」である。そ こで調査事例を考察する前に,大韓老人会と老 人亭の概要を,私たちが知り得た範囲で、記して みよう。 『社団法人大韓老人会現況~(刊行年が記載 されていないが, 1982年頃とみられる)の「沿 革」によると,大韓老人会の創立は1969年であ るが,これには若干の前史がある。そして,そ れは老人亭と深い関わりがあるようだ。韓国の 伝統的な家屋,とくに農村では一般に男女の居 住空聞が,当主の居間である舎廊房(サランパ ン)と主婦の内房(アンパン)に明確に区別さ れている。とくに富裕な家には舎廊房がし、くつ かあって, これらがその家の男たちで、ある老 人・中年・若者のそれぞれの客間でもあったわ けである。大概の集落には,そうした富裕な家 がし、くつかあり,その舎廊房では集まってくる 老人たちに,茶菓を出しでもてなしたので,そ こがおのずと情報交換の場ともなり,いわば老 人亭のような機能を果していたとみられる。 こうした情況が,先の朴在侃氏によると,第 二次大戦中の食糧事情の悪化などで舎廊房の閉 鎖となり,これに代って空家などを利用し,費 用をワリカンで集まることが多くなったのだと いう。戦後になると,韓国でも農地改革がすす み,その結果,富裕層がなくなるのだが,これ が他方では,老人亭を必要とする事態ともなり, おのずから各地で貧弱な設備ながらも老人亭が 増えてきたので、ある。このような地方毎の事情 をふまえて,これを全国的に組織化する運動が おこり,先の「沿革」によると, 1969年1月に 全国老人亭会ができるわけである。そして同年 8月には大韓老人会と改称し,初代会長に李銘 漁民が選出されたので、ある。 これ以降の経過を先の「沿革」でみると,次 の如くである。 1970年に第2代会長・金公平氏 選出。同年に文化弘報部の法人設立認可により 社団法人となる。 1974年に第3代会長に朴寛株 博士選出 (2期日も勤め第 4代会長となる戸。 1975年に主務部署を文化弘報部から保健社会部 (日本の厚生省に当る)に変更。 1978年に定款 の一部を改正して,公益社団法人となる。 1981 - 95一(150)韓国の地域社会と老人の地位 (IV) 年に第5代会長に李圭東将軍選出3)。 同年に付 設・老人問題研究所が発足4)0 1982年に第6代 会長に李晴氏選出。 いずれにしろ,大韓老人会はその前史で、みた 如く,そもそも農村地域の舎廊房=老人亭を核 として,基盤が地方毎に広がり,それが全国的 な統一組織にまでなったものである。しかし, おそらく,こうした組織化のプロセスには,下か らよりも,むしろ上からの強力な働きかけがあ ったものと思われる。そうした諸事実に関して, 先の「沿革」などから具体的におさえること が難しいし,私たちには当面それに代る手立て もないのだが,少くとも都市部には,本来,老 人亭は存在しなかったにもかかわらず,今日で はどんな都市でも一定地区毎に,農村と同様に 老人亭がみられるのである。こうしたことは, 李光歪教授(ソウル大・文化人類学)によれば, 例の「セマウル運動」によるものであって, 「老人亭」あるいは「敬老堂」なる統一的名称 をつけて設置するように,という上からの全国 的な指示の結果に他ならない,という日。 この点は,後でも触れるが,都市部で100世 帯以上の集合住宅を建てる場合には,老人亭 (敬老堂)を設けることが義務づけられている こと(最近までは, 300世帯以上),そしてその 運営に若干の公費補助があること,などをみて もたしかに肯けられよう。 さて,大韓老人会の組織は先の『社団法人 大韓老人会現況』によると,図1の如くである。 一見して判るように,極めて整った中央集権 〔全国機構〕 中央会 l一 一 連 合
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会(13) 一 一i 老人l大学│
老 人 刷 会 館 「一一一支部(227) 一一一寸 老人l学校i
老 人 組 会 館 「一一一学区単位老人会(6,484) 老人l教室i
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一福﹁ 輯
教 国 1 表 1全 国 組 織 現 況 連 合 会 │ 会 員 │ 支 部 │ 分 会 │ 老 人 亭l
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ザ雲│老人大学│老人学校 ソ ウ ル 市 60,323 17 419 868 300 4 34 仁 川 市 8,832 4 89 91 48 1 4 大 民 日 市 12,715 6 182 184 80 1 6 釜 山 市 22,199 11 204 401 150 2 10 京 畿 道 10,1605 28 297 905 680 1 28 江 原 道 28,459 21 208 404 582 1 21 忠 北 道 46,837 13 186 850 390 1 13 忠 南 道 69,989 18 246 870 655 1 18 全 北 道 26,459 18 247 827 581 l 18 I 全 南 道 78,733 29 384 680 1,055 1 29 慶 北 道 84,613 31 352 655 956 1 31 慶 南 道 98,812 27 545 1,084 892 l 27 済 州 道 15,689 4 40 67 115 1 4 計 243 - 96 -(149)的な組織であって,中央で決定される活動方針 が各レベノレを順次経て,末端まで浸透する仕組 みになっている。もちろん,中央の機構自体も そのための中枢機能を十分に発揮で、きるように つくられている。なお,行政上の4つの特別市 と9つの道を単位に計13の連合会が地方毎に組 織されているが,その現況を数字で示すと表1 の通りである。 ところで,大韓老人会の活動方針については, まず「老人綱領Jが次の如く謡われ,また「目 的」が掲げられている。 〔老人会綱領〕 われわれは社会の大人として,常に若い人々 に率先垂範する姿勢を保っと同時に,過去にわ れわれが経験した高貴な経験と業績,そして民 族の精神を後孫に継承させる伝授者としての使 命を自覚し,以下の実践のために皆と共に努力 する。 1. われわれは家庭や社会で尊敬される老人 になるように努力する。 2. われわれは孝親敬老の倫理観と伝統的家 族制度が維持発展されるように力を注ぐ。 3. われわれは青少年を善導し,若い世代に 奉仕し,社会正義具現の先頭に立つ。 大韓老人会の目的 本会は老人相互の親睦と健康管理および老人 福祉を増進するなど,社会に寄与することを目 的とする。 そして,これらにもとづく活動の内容として は,具体的に次のようなものが個条書きで示さ れている。 〔老人会の主要な活動〕 老人会は地域別に設立されている連合会およ び支部を通じて,関係機関および地域社会と協 力して主に,次のような活動をする。 (1) 会員の教養涌養,健康管理など新らしい 知識を修得するために本会付設老人大学と 学区単位老人会で各地域国民学校別に老人 教室を運営する。 (2) 固有の美風良俗を維持発展させ,伝統文 化を伝授するために孝子,孝婦と良い子を 表彰し,また家司116)をもっ運動を展開する。 (3) 汎国民的に遂行している意識改革の次元 で,交通秩序の確立,青少年の善導,およ び自然保護運動を展開する。他方, K A L 機被撃に憤激し,ソ連の蛮行とピルマ事件 の元凶,全日成・金正日徒党を糾弾するな ど反共啓蒙の先頭に立つ。 (4) 社会奉仕活動の一環として農村の多忙な 手作業の手伝いをし,国土防衛に余念のな い前方将兵を慰問する。 (5) 会員は余暇善用と小遣い稼ぎのために老 人能力銀行を通じて仕事を求め,または共 同作業場で仕事をする。 (6) 会員相互間の親睦と健康管理のために運 動会,観光などレジャー活動をする。 これらには,南北分断による緊張関係を反映 した政治的スローガンとか,どちらかといえば タテマエと思われるものもなくはないが,全体 にかなり幅広い活動内容になっているといえよ う。こうした点は,後で調査事例によって具体 的に検討することになるが,もちろん末端の支 部・分会でも,かなり徹底している。例えば,後 で触れるソウル市の蚕室団地の老人会で、入手し た「会員手帖」にも,それが窺われる。この手 帖の冒頭には先の「老人綱領」があり,次に,自 体修養・率先垂範・社会奉仕・財政自立の四つ の目標が掲げられ,続いて「大韓老人会地方組 織運営規程」にもとづく会則が9章30ケ条にわ たって記されているのだが,その第3条(目的) と第4条(事業)をみると,いずれも上述した 中央会のものと,ほぼ同じ内容になっている。 ところで老人亭について,もう少し立入って 検討しておく必要があろう。先の「全国組織 現況」には, (恐らく1982年に〉全国で7,886の 老人亭があるとされているが,私たちが入手し た保健社会部(厚生省)の資料『家庭福祉施設 (老人・児童・婦女福祉).!I (1985年10月) によ ると,表2の如くである。 これでみると全国13の連合会に各 1つずつ老 人福祉会館が設置されているが,いわゆる老人 - 97 -(148)
韓国の地域社会と老人の地位 (N) 表 2 老人福祉施設現況(1985年8月末〉 区 分
I
養老施設I
療養施設I
養有老施料設I
福老祉会人館I
敬 老 堂 備 考 施 設 数 │i
収及び容利人用者員I
ホームないし,介護のための施設が,日本など に較べ大幅に遅れてしる。その反面,全国到る ところに老人亭(敬老堂)があって,現状では これが老人のための施設のほとんどすべてであ る。(なお,1986年8月には,もう少し増えて敬 老堂は11,000を数える) 韓国と日本では,老人の地位・役割や処遇を めぐって,文化伝統に微妙な違いがあり,また 近代化の理念や老人福祉政策にもそれぞれどこ に力点をおくかに相異もあろうから,もとより 単純な比較はできないし,そうした数字上の比 較はあまり意味がないともいえよう。 また,ここでは老人福祉そのものを云々する 必要もなし、から,あえてそれをしないが,それ にしても,韓国の地域社会において老人亭が一 定の機能を担っていることだけは想像に難くな し、。いずれにしろ,日本でも類似のものが少し は散見されるかもしれないが,老人亭は韓国独 特のもので,それだけに,これを核として全国 的に組織された大韓老人会L
私たちにとって たいへん興味をそそるユニークな対象であった わけである。 さて,老人亭が都市部の集合住宅で設置が義 務づけられていることについては前に触れたが 普通,農村・都市を間わず,大韓老人会の末端 レベル(最下部の組織単位)である分会毎に, Iないし数個ずつ設けられてし倍。つまり行政 地区単位としては,概して洞邑や面の分会に少 くとも 1つは老人亭があることになる。 そして,そこが地区老人会(分会)の活動拠 点でもあるのだが,場合によっては,そこが同 時にいわゆる公民館的な機能を兼ねていること もあるようだ。なお,老人亭には,道・布一一一 郡・区一一色・面といった行政経路で(大韓老 人会の組織としては,連合会一一一支部一一分会), 9,909 有料養老院新築中 558,401 1986年末完工予定 一定額の運営費補助が交付され7), また運営の 優れた老人亭に対しては,これを模範老人亭に 指定し (228ヶ所),とくに実績顕著なものには優 秀老人亭として特別運営費を支給してし、る。そ して,興味ふかいのは,保健社会部が老人亭を 都市型・団地型・農村型・漁村型の四つの地域 類型に区分し,それぞれの活動内容に即して, 具体的な事項をチェックし,上述の模範老人亭, 優秀老人亭の指定を行っていることである。も ちろん,これには大韓老人会の各支部や連合会 からの上申を,中央会で然るべく検討し,それが 最終的に保健社会部にゆくのだが,このような 地域類型区分がそれぞれ地域社会の性格を反映 するわけだから,私たちとしても,調査対象の 選定に当って,これに従うこととしたのである。 即ち私たちは,保健社会部の資料にある模範老 人亭,優秀老人亭のリストを携えて若干の地区 連合会を訪ね,そこでより詳細な関係資料を拝 見し,地域類型を考慮した上で,調査の便宜や 日程など具体的な条件を勘案して,調査対象を 選定したわけで、ある。2
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ソウルの蚕室団地と孝昌公園の老人亭 韓国の高度経済成長を象徴する“漢江の奇 跡"とし寸言葉通り,ソウルの漢江の南一帯の 発展はめざましく,高層集合住宅が林立する団 地群は正に眼をみはる壮観である。その一つ, 江東区の蚕室団地は都心から地下鉄で数十分, 巨大なニュータウンの一角を占め,オリンピッ ク公園にほど近いところにある。団地は約10 km2の敷地に,蚕室 1洞から 6洞まで,ブロッ ク毎にさまざまの建物が配置されている。開発 ・造成にはいくつかの大手企業が関係しており, もちろん商業地区や1戸建の区域も多少はある が,ほとんどが14,5階の高層アパートである。 - 98一(147)アパートといっても 1戸あたりの床面積が 120 -150 m2はある 4LDK, 5LDKの広い間取り だから,日本の公団住宅よりもずっと広く,ちょ っとしたマンションよりも余裕がある。殊に広 いリビング、ルームは,何か祝いごとがあれば親 類や隣人・知人,同僚、同級生を自宅に招く慣 習のある韓国ならではの「集いの場J,1"憩いの 場」として使われるようだが,この他に,老人 専用の部屋があり,老人が快適な余生を送れる 住宅構造になっている。韓国でも日本と同様に, 官公庁主導で大規模ニュータウンの建設が行わ れたのだが,こうした点への配患には,日本と はだいぶ違うものがあるようだ8jo さて,私たちが崖信徳教授(当時,梨花女子 大・社会学)の紹介で訪問した老人亭は,蚕室 6洞の蓄額アパート・ブロックのほぼ中央にあ る八角型2階建の立派な建物で,正面入口には 「忠孝亭」 とし、う額が掲げられてあった。 ここ は大韓老人会ソウル市連合会の江東区支部に属 する一分会で,会員数は前節でも少し触れた 「会員手帖」の会員名単(名簿)によると男子 67名である。会員資格は60歳からだが, 65歳以 上が多く大部分が70歳前後といったところであ る。この男子が老人亭の2階を使用し,女子が 1階を使っている。(なお,地下が団地の管理事 務所になっている)女子には会員手帖がないの で,会員名簿の閲覧をお願いしたのだが,先方 の都合で見ることができなかった。 ただ女子の会長Sさん(江東l区支部の副会長 を兼ねる)によると,女子の会員は150-180人 で,これも60歳以上だが,やはり 65歳以上が多 く,最高は93歳,そして老人亭へよくやってく るのは男子と同様に60-70人だということであ った。この蓄積アパート・ブロックは管理事務 所の話によると,蚕室6
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同の0.23km2 (約7万 坪)の敷地に14階の建物が31棟あって, 1979年 の第一次造成で2,100世帯,その後の第二次造 成で1,300世帯が入居し,現在では約3,400世帯 15,000人が居住している。そして 65歳以上の老 人が約1,500人,そのうち 70歳以上が約400人だ としづ。女子の場合も, 日常よく老人亭を利用 する者を実質的な会員とみなせば,男女あわせ て150人ほどになり, 65歳以上の老齢人口の約 1 割, 70歳以上では 3-4割が老人会員というこ とになる。この組織率は都市部としては,おそ らく高いと思われるが,団地だからなのだろう か。この点は比較資料がないため何ともいえな いが,一つには組織率の良さが1984年の模範老 人亭指定,最優秀老人亭表彰につながったのか もしれない。 先の佳信徳教授は「社会経済的にうんと上流 ならば,おそらく老人亭などに来ないでしょう し,さりとて貧しい下層も老人亭へ来る余裕が なく,結局,中流の老人たちが来ることになる のでしょう」と云っておられるが,この団地居 住者の社会階層は大方が中流以上,まあ中ノ上 くらい, というのが私たちの印象である。この 点は,次にみる孝昌公園老人亭の場合では,同 じ中流でも少し低いように見うけられた。 ところで,男女が老人亭を階上と階下に使い 分けているだけでなく,その運営を含め,老人 会の分会組織も別個だから,ここでは「男女有 別」の儒教倫理がかなり徹底している。私たち が訪問したのは月曜日の午前10時頃であったが, 2階では100坪ほどの広いフロアーに, 50人くら いのハラボジがし、くつかの車座になり,碁,将 棋(朝鮮将棋),花札,麻雀などを娯しんでいた。 フロアーの窓際が衝立で仕切ってあり,大きな 事務机とソファがあって会長以下,数人の役員 がそこに詰めていた。その傍には立派な本棚が あって漢籍も並んでいるし,机には筆硯もみえ なかなか落着いた雰囲気である。ここで会長の R氏はじめ副会長・理事の方々に話を聴き,し ばらくして1階に下りてみると,ここでも 50-60人のハルモニがあちこちで双六(朝鮮双六) や花札に打興じ,たいへんな賑わいであった。 ここにも一式の事務机とソファがあり,会長の Sさんと副会長が詰めていて,私たちを応待 して下さったが,この二人はそれぞれ戦前,大 阪の天王寺高女と福岡の香樵高女を出ており, 日本語が堪能で,私たちの訪問の趣旨や質問を ハノレモニたちに即座に通訳してくれた。このフ - 99一(146)韓国の地域社会と老人の地位 (IV) ロアーには何とカラオケまで装え付けてあり, っていないようで,この老人亭でも格別の行事 私たちの聴取りがすむと,会長さんが先にたつ をくんでいない。 て日本語の歌を披露し,私たちを歓迎してくれ たのである。おそらく普段は,このカラオケで 韓国民謡や踊りを思い思いに娯しむのだろう。 次に老人亭の運営費について,男子の場合で みると,毎月の収入は概ね次の如くである9)。 会 費 (1人1,500ウォン, 67名) 有志賛助金(寄付) 管理事務所(政府)補助 チリ紙販売利益金 煙草販売利益金 清掃会社事務代行の収益 100,500 70,000 150,000 300,000 90,000 180,000 計 890,500 即ち,毎月約89万ウォンの収入があるが,老 人亭専属の小使いさんじ月額15万ウォンの報酬 を支払うので,残りffi万ウォンを積立てておき, これを随時,支出にあてるのだとし、う。支出の 細目について聴くことはできなかったが,もち ろん役員報酬はなく,むしろ役員ともなれば若 干の寄付は当然とされる。なお,先述の如く, 一切の運営は原則として男女別々だが,年に2, 3回,男女合同の「野遊」が行われ,この費用 は積立ての中から支出されるという。ハラボジ とハルモニが一緒になる機会は,この野遊だけ である。野遊は,ここでは要するに運動会で, 男女がそれぞれユニホームを着ていろいろな対 抗競技をするが,ハルモニの方がよく勝っそう である。しかし,これで男女が親しくなるとい うことはなく,また夫婦して一緒に老人亭にく る,といったこともないという。 女子の方の行事で特色があるのは,毎月,そ の月に誕生日があった人のために,月例のお祝 い会があることと,毎月の5日に全会員が出席 し踊りの会をすることで,こうした折には各自 が御馳走をもちよる。 なお,日本の「敬老の日」に相当するものと して,政府では5月8日からの1週間を「敬老 週間」と定めているが,これはいまのところ政 府の PRだけで,まだ行事として定着するに至 さて,次にソウルでも旧市内の竜山区孝昌公 園の老人亭についてみてみよう。ソウル駅の東 に有名な南山公園があり,その周囲に旧市街が あるわけだが,国鉄線の西側の街中にも小規模 な公闘があって,それが孝昌公園である。この 辺り一帯の孝昌洞は起伏のある台地で,緩い斜 面の表通りには落着いた構えの民家や商庖が並 び,横町の露地裏に入ると小さな家々が雑然と 軒を接している,といった風情,かつてのソウ ルの趣きを残している。そんな街中にあるだけ に,公闘は地域住民にとって貴重な憩いの場に なっている。老人亭はこの公闘の一隅にあるが 通りに面した狭い入口に掲った看板も,それと 気付かずに素通りしてしまいそうな,ありふれ た小さな二階建である。二階屋といっても外見 は平屋で,入口が2階部分にあって,斜面に沿 って下りると 1階である。ここでも蚕室団地と 同様に男女は別々で, 2階を女子が, 1階を男 子が使用している。上も下も広さは12, 3坪で, 二聞に仕切られ,片隅に寝具や炊事道具があり 寝泊りできるようになっている。私たちが訪問 したのは午後 2時頃だったが, 2階にはハルモ ユが7, 8人, 1階には20人ばかりのハラボジ が来ていて,それぞれ花札や碁・将棋を娯しん でし、た。ハラボジのうち,二,三のグループは 戸外の公園に張り出したテントの中でゲームを やっていた。たしかに,夏は狭い座敷よりもこ の方がずっと快適にちがいなかろう。 ここは大韓老人会ソウル連合会の竜山区支部, 孝昌洞分会で, 1983年の『地方行政要覧』によ ると,孝昌澗は面積0.43km2 (13万坪)で,世 帯数2,490,人口 10,965である。 会員数は男子85名(女子は不明)。活動内容に ついて具体的なことは聴取できなかったが,蚕 室団地のような付帯事業はせず,老人亭の運営 費調達は会費収入の他に,有志の寄付金に負う ところが大きいようだ。例えば,ここの会長に はシカゴで成功した息子がおり,会長はよくシ -100一(145)
カゴに出かけ,シカゴでも老人会の会長をした りしている関係で,この分会には会長として相 当額の寄付をするのだとし、う。もちろん,会員 の組織化と会費調達には積極的で,壁には個人 別の会費納入状況が一目で分る一覧表が張り出 されてあった。いずれにしろ,このように何ら かの付帯事業(運営費の足しになる収入を伴う もの)をしなければ,社会奉仕や老人教室を除 くと,老人会としてのこれといった活動はない わけで,老人亭はし、わば老人の暇つぶし,余暇 の場に他ならないのである。(なお,ここは模範 老人亭の指定をうけてはいない。) ところで,この余暇の意味あ¥",受けとめ方 において,男子と女子ではだいぶ違うのではな かろうか。前節で、触れたように,老人亭がそも そもハラボジたちの溜り場である舎廊房に由来 したことからみても,彼らにとっての余暇は, ごく当り前の自由気健な時聞にすぎない。他方, ハルモニたちの場合,事はそう単純ではない。 嫁との間,あるいは息子や孫など家族との車
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離 が,老女たちの余暇をめぐる心理に複雑に影を 投げかけるからである。彼女らにとって余暇は, そうした人間関係を思いやり,どう過すかを思 案しなくてはいけない厄介な時間なのである。 この老人亭のハルモニたちとの歓談でも,彼 女らは,r
家に居たら嫁の邪魔になる,ここに来 れば友だちがいて気楽だJ,r
何か手助けになる 仕事があれば家に居るが,そうでなければここ に来る, 孫は可愛くて一緒にいたいが,嫁に は勝てなし、」などと口々に語ったのである。そ して嫁が弁当を作ってくれるので,それを持っ て朝10時ごろにここに来て,夕方6時ごろに帰 るのだとし、ぅ。それでも「私たちは嫁に大事に されているので幸せだ,嫁にいじめられ,暴力 までうけているハルモユだつであるのだから」 とも云うのである。老女たちの年齢は70-80歳 で, 20歳のときソウルに嫁に来たという 1人を 除き,幼時から中年すぎまで、ずっと田舎暮しを 続け,誰もが貧しくて満足に小学校にもゆけな かったとし、ぅ。このような老女たちが背負って きた貧しい農村の生活背景と,若い嫁とのズレ が,この都会では何かと車L
みやすいのは容易に 想像がつく。韓国老人問題研究所の朴在侃所長 によると,r
孝」のような伝統的価値観は学歴が 高いほどずれており,息子に低学歴の嫁をのぞ む母親が多いそうである10)。いずれにしろ,嫁 の立場からすると,姑を朝から老人亭に出して やることは,一面ではたしかに孝行にみえる。 しかし実際には,姑がいなければ自由で,自分 の友だちを呼べるし,姑だって老人亭でハルモ ニどうし気楽に遊べる,という計算がある。他 方,姑の立場からすれば,自分は家庭では厄介 者,だから老人亭へくるのだが,飽きても早く 帰れず嫌われるので夕方までいるのだ,という ことになる。 嫁姑の聞には,こうしたタテマエとホンネが 常にあるのだが,私たちが老人問題の専門家か ら聞かされた共通の意見は,要するに老人亭は 老人,ことにハルモユたちの避難所で、ある,と いうものであった。そして,その避難所に来れ るのは恵まれた老人たちで、あって,来たくても 来れない者もまだ多く,ここの例のように弁当 まで持参するのは少ないようである1110 ところで,余眼で問題なのは時間ばかりでは ない。老人だとてまだ働けるし働きたい,もう 少し経済的ゆとりが欲しい,いやそれ程でなく ても,もっと自由になるお金,要するに小遣い が欲しい,のである。この点では男も女もそれ ほど違いはなく,多くの老人会でもそれなりの 対応はしているようだが,なかなか適当な仕事 がない,というのが実情である12)。先述の蚕室 団地老人会ではチリ紙や煙草販売,清掃会社業 務代行などの収益が老人亭運営の7割を占める ほど付帯事業に力を入れているが(本文および 注9参照),これはむしろ例外的というべきであ る。そして,この場合でも老人会としての収入 であって,個々の会員の収入ではなし、から,小 遣いの足しにはならなし、。かなり恵まれた境遇 と思われる蚕室団地老人会だから,それでよい のかもしれないが,他ではそうはゆかないだろ う。この孝昌洞老人会の場合でも,小遺が足り -101一(144)韓国の地域社会と老人の地位 (N) ぬ,とし、う不満の声は大きかったのである。い ずれにしろ,日本などと較べ,年金制度がまだ まだ不十分な韓国では,この点での老人処遇に は難かしい問題があるわけだが,当の老人たち にとってはかなり切実なことなのである。 いずれにしろ,老人問題はむしろ,老人会に 入りたくても入れない,そして老人亭にも来れ ない老人たちにおいて一層深刻で、ある。前にも 指摘したように,老人会に入り老人亭に来るの は,概して中流以上の人々であり,生活にゆと りのない下層の老人にとって,それらはほとん ど関係がなし、。韓国も経済の急成長で中間層が 増えつつあるが,貧富・上下の格差はなお決し て小さくはなく,加えて各種の福祉対策も先進 諸国に較べ,たち遅れているのは否めない。老 人福祉施設の整備をはじめさまざまな老人対策 が計画されているが,その実現は一朝一夕には ゆかず,社会経済的な歪みが老人たちに,しわ よぜされるとし、う事態が多くの場面でみられる のである。そして新聞などマスコミにも,そう した情況が報ぜられ13),一種の社会問題として 関心をよんでいるのだが,こうした問題につい ての立入った考察は,ここではしばらくおき, 問題の指摘にとどめておくことにする。
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全羅南道長城郡長城邑の聖寿老人亭 大韓老人会全羅南道連合会の事務所は光州市 間区西一洞にある。私たちが佳在律教授(全南 大,社会学)の案内で,そこを訪ねたのは真夏 の日盛りであった。巷中の雑踏をぬけて坂道を 上ってゆくと急に視界がひらけ,白い繍酒なピ ルがみえた。汗ばんだ肌に木立をわたってくる 涼風が気持よく,辺りは,下の雑踏が嘘のよう な静けさである。三階建のこのビ、ルは光州市の 所有で連合会が借りているそうだが,老人福祉 会館を兼ねており,いろいろな施設が整ってい る。事務所は一階にあって,会長・副会長以下, 事務局長,事業部長,業務部長その他の職員が 十数名執務し,かなり広いスペースである。職 員の多くが60歳前後の年輩で,どうやら定年退 職後の勤めらしい。屋教授と顔見知りのある職 員は,この閉まで全南大の事務局にいて,定年 後にここに入ったそうである。〔なお,余談であ るが,この人と崖教授とは同じ「契」仲間であ ある由一一契は日本の頼母子講・無尽にあたる, 後述〕そして,連合会のこれら役員の俸給は市 から出ているとのことである。 また,連合会に市から若干の財政的な補助も あるとしづ。とにかく公務員が退職後にも何ら かの形で大韓老人会の組織・運営と関わりをも つわけである。 この連合会は全羅南道全体で, 29の支部, 38 4の分会をもつのだが,そのうち光州市内には国 民学校(小学校)の通学区域を目安に80の分会 があるとし、ぅ。ソウルと比較するためには,都 市部の光州市内の老人亭を見たいとも考えたが, やはり農村部の老人亭をきちんと見ておきたい ので,どこがよろしいか,連合会のP事務局長 に相談すると,とりあえず長城郡支部にゆき, そこで調査する分会・老人亭を当ってもらった らどうか, ということでP氏が長城までグルマ で同行して下さることになった。 光州から北へ,水田地帯を幹線道路で小一時 間走ると長城である。半島南西部の湖南地方は 韓国で、も有数の穀倉地帯で,青々とした稲田が どこまでも続く。長城はそうした豊かな農村部 にできた町で,眼につく大きな建物もなく,小 さな庖や町工場などの家並が周囲の稲田とよく 調和し,何となく心が安まる風景である。(1985 年のセンサスによると,長城郡全体で、は人口が 81,631,世帯数が 18,565で , 長 城 邑 の 人 口 は 23,081,世帯数は5,0150) メインストリートの中程に警察と長城郡及び 長城邑役所があり,その前の古びた小さな建物 の2階が老人会長城郡支部の事務所であった。 折悪しく支部長R氏が不在だったが,長城老人 学校長のK氏が私たちを待ちうけていた。この 人は高校の英語教師を永年勤め,定年退職後は 悠々自適の生活だが,たいへん閥達な方で日本 語も英語もベラベラ,みるからに能弁,且,多 才,私たちにも支部長代りにテキパキと応待さ れた。 K氏の案内で警察と邑役所に挨拶に出向 -102一(143)いてから,調査地の選定をした結果,聖寿分会 の老人亭を訪問することになった。 その老人亭は長城の街からクルマで7,8分の 聖山里の入口近くにある。聖山里は6つの集落 からなり約300世帯, 1,500人だが,隣の寿山里 (3集落からなる)の250世帯, 1,000人と扶輿 里(l集落)の42世帯, 220人を合わせた,計約 600世帯, 2, 700人が行政上の一区域になってい て,老人会もこれをもとに聖寿老人会と称する 分会となっている。老人亭には門と生垣に固ま れたかなり広い庭があり,平屋の建物も 30坪ほ どの立派なものである。張り出しの玄関に向っ て右に「長城郡長城邑聖寿老人会」と書いた大 ている。 これは“仁義礼智三綱五倫を紀綱とし,郷堂 の民心醇和と相扶相助の気風を昂揚鼓吹する" ことを目的として“閑良なる地方有志土班"で ある 38名の契員によって組織された親睦契であ る (i三八親睦契J)o i土班」とは,おそらく在 郷の農民たる両班のことで,ここでは当地の由 縁正しき家柄の農家をさしているのであろう。 両班といえば,嶺南(慶尚道)の安東などが夙 に知られているが, その安東に対して,湖南 (全羅道)ではこの長城がそれに匹敵する一一 少くとも長城ではそう云うーーとされるように, この辺りでは,いわゆる両班の気風がつよし、。 きな看板, 左に「松波奨学会
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14)とし、う木札が 「土班」は,そうしたことが背景にあると思わ あり,軒下の正面には「敬義軒」と書かれた額 れる。 が掲げてある。中に入ると真正面に「松寿鶴 他方, 1925年に“民族精神を鼓吹し,労働の 齢」という墨痕鮮やかな額があり,その下に賛 神聖なることを明示して新時代の思想とし,日 助会員と会員一同の名札がずらりと並んでいる。 帝に直面してわが民族の責任と進路に対処す 他にも「聖寿老人会韻」と題した漢詩が掲け'て る"ことを目的に「労働組合」が発足した。こ あったりして,なかなか落着いた雰囲気で、ある。 居間には碁・将棋(朝鮮将棋)や花札を娯しむ ハラボジたち,裏手にまわると寝具を置いた小 部屋と炊事場があり,寝そべって雑談している 老人もいる。私たちの来訪を聞きつけて,やっ て来る者も多く,しばらくすると居間はハラボ ジで一杯になった。多くのハラボジは,かつて 学校で日本語を習ったので私たちの日本語は大 体わかるのだが,話すのは不自由なため,細か い点、はK氏の通訳で補い,一通りの聴取り調査 をすることができた。 K氏の当意即妙な応答や 駄じゃれに,感心したり大笑いしたりの楽しい ひとときであった。この時の聴書きと,帰り際 に入手したガリ版刷りの『聖寿老人会会誌』 (1980年)の内容からみると,この老人会の場 合は,かなり歴史が古く,また老人亭の運営に も特色があって,それはやはり,この地方の文 化的伝統を反映しているように,思われたのであ る。 『会誌』の「聖寿老人会沿革概要」によると, 先の余談で触れた「契」が1921年に38名によっ て組織され,これが会のそもそもの発祥とされ こで労働組合とは,おそらく農民組合のことで, 当時の朝鮮における日本の農地政策に対する一 種の自衛組織だったのではなかろうか。なお, 組合長が先の契の総務と同一人物であることか ら,二つの組織はあるいは,ほぼ同じメンパーだ ったのかもしれなし、。いずれにしろ,その後, 1941年にこの二つが合流し,聖寿老人会と称し て再発足するのである(会長と総務は「三八親 睦契」と全く同じ〉。そして次第に会員も増え, もとの三八契の残金で旧面事務所の建物を買入 れ,会館とするに至った。 やがて 1945年に日本の敗戦で祖国が解放され ると,民主化と自由の反面,美風良俗が害われ るのを憂慮し,老人会は門戸を開放して会員を 増やすなどの強化がはかられたが, 1951年の朝 鮮動乱で会館が焼失してしまう。しかし動乱が 治まると,会館の再建と組織の一層の強化が一 段とすすんだのである。かくて 1955年には,会 の基本金および会員有志の拠金によって水田2 反を購入し,他方,正会員の他に敬老会員や賛 助会員を設けるなど,財政基盤の確立に努めた。 その後,在日僑胞(当地出身の在日韓国人)の -103ー(142)韓国の地減社会と老人の地位 (IV) 支援などもあり,水田の購入が増え,現在では 7反の水間(これによる年収が約80万ウォン), 他に前記の会館(老人亭)とその敷地250坪な どの基本財産を所有しているのである。 さて,先の『会誌』にある会則をみると,大 要はこの種の会則にみられる内容と同様だが, 他にはあまりないと思われる若干の特色もある ようだ。それらを少し検討しておこう。まず, 会員資格は他と同じで,管内居住の満60歳以上 (男子)だが,その他に出郷者でも希望によっ て積極的に受入れている。また,年齢は明記し ていないが,敬老会員若干名をおき,正会員と 区別している一一この場合,敬老会員の後継者 (家を継承する者)は60歳未満でも,人物がし っかりしていれば,希望により準会員として入 会できる。なお,入会希望者は会員3名以上の 推薦を必要とし,審査をうけなければならない (このために,役員の中に審査委員をおいてい る)。これらをみると, 加入への門戸が聞かれ ているが,一方でチェックも厳しい。この点は, 新入会員が白米1斗の代金相当の入会金を納め ることにもみられるように, やはりかつての 「契」の名残りではなかろうか。(なお会費は年 に500ウォン)このことは基本財産の運営にも 認められる。即ち老人会長名儀で金融機関に預 入れてある財政基金が,役員会の議を経て特定 人に殖利貸付けられることが明文化されており, これら財産の管理運営を担当する役員として財 務がおかれている。(なお,会員は脱退に際し, 財産の持分に対して請求することはできない。) 「契J(親睦契)の名残りをさらに色濃くみせ ているのが,会則の「礼俗相交J(第5章)で “本会は礼儀と倫理慣習により相扶相助の精神 を昂揚して会員聞の親睦を敦篤するために哀慶 相聞をする" (第28条)と掘っている。そして会 員の慶弔時には一定額の祝儀・購儀を老人会の 財政基金から支出することが,こと細かに規定 されている一一例えば醇儀は,本人なら白米1 斗代金,配偶者なら5升代金,病気見舞なら 2 升代金など。また哀慶は役員はもとより,全会 員に漏れなく通知し,ことに本人が死亡したと きは,特別の事由がない限り,全員が葬儀に出 席すべきである,としている。 なお, JI会誌』には1980年12月現在の会員名簿 が載っており,正会員45人,敬老会員24人,計 69人である。また,この老人会には,女子は全 く無関係で,女子だけの会もなし、。 ところで,大韓老人会の分会ではないが,一 面で老人会と類似の機能を果しているとみられ る事例があるので,それに触れておきたい。こ れは先の