13 画面 説 〔東女医大誌 第62巻 第11号頁1071∼1078平成4年11月〕
DNA思考一唯識哲学の現代医学的考察一
1)群馬大学教育学部,東京女子医科大学小児科 2)筑波大学哲学・思想学系 ハラミチコ タケムラマキ雪
原
美智子1)・竹村焼絵2)
(受付 平成4年7月31日) 緒 言 今日我々は,医学,医療の進歩に伴い,遺伝子 治療,胎児診断,人工受精,脳死判定,臓器移植, 超未熟児医療,高度脳障害児(者)医療など,かつ て入湯が経験したことのない,人聞存在に深く関 わる多くの重大な問題に直面している.それらの 取り扱いについて,いかなる社会的コンセンサス が成立したにしても,最終的実施の決断は,当事 者である医師本人の責任においてなされなけれぽ ならない.入間存在の探求は,本来,哲学の領域で あるが,医療関係者にも,ますます哲学的思考が 求められるようになってきたと,著者らは考える, 哲学というと,通常,西洋哲学を想起するが, インド哲学を源流として,中国,日本,チベット などにも西洋哲学に劣らない,むしろ,より論理的 な哲学が数多く存在している.また,これら東洋 哲学は,18世紀以降のヨーロッパの哲学者を初め とする知識階級に,多大な影響を与えてきた.特 にスイスの心理学者C,G.ユングは東洋哲学に深 い理解を示し,さらに易の研究,瞑想体験等を通し て,彼の無意識の心理学の研究を深めていった. ニーチェが,仏教は医学であると評価したよう に,東洋哲学あるいは仏教哲学は医学的洞察を多 ユイシキ く含んでいる.中でも唯識哲学は我々の意識感 覚などを厳密に分析していく点で,医学,神経学 にも匹敵,もしくはこれらをも凌駕するものであ ると考える.しかし,この哲学は仏教哲学者の専 門的学問として継承されてきたものであり,あま り一般には研究されていない.ましてや科学者, 医学者による検討もほとんどなされていない. 本稿は,人間観察の科学ともいえる,この唯識 哲学を分析,検証したうえで,この哲学の説く人 間存在,自己存在とはいかなるものであるかを現 代医学的知見の観点から示したものである. 1.唯識の構造:C.G.ユングの集合無意識と同 等概念のアラや識を基盤とする意識の構造 唯識哲学(サンスクリット語でViliaptimatra) とは,我々の認識しているすべての存在は絶対的 なものではなく,唯だ識(情報)としてあると説 く仏教哲学である.この哲学は,仏陀没後の紀元 後4,5世紀頃にインドにおいて慮った,仏教ユ が行派の行者達によるヨーガ(瞑想)の実践の果 てに導かれた,仏陀の教理に関する理論体系であ る(図1).唯識哲学は人間存在を深く洞察し,我々 の感覚,意識言語などを詳細に考察する厳格な 哲学的理論体系であり,現代の大脳生理学,心理 学をも凌駕する驚くべき科学でもある. との理論は,日本には7.世紀(奈良時代)に, 中国を経て伝えられた.インドから中国にこれを 伝えたのは玄 (602∼664)という一人の中国の 哲学者である.彼は629年,中国の唐の時代に国禁 を破ってインドの仏教大学に留学し,17年後この 唯識論を初め多くの仏教哲学を中国にもたらし た.日本の唯識仏教は,その殆どすべてを彼の業 Michiko HARA〔Faculty of Education, Gunma University and Department of tediatrics, Tokyo Women’s Medical College〕and Makio TAKEMURA〔Institute of Philosophy, The University of Tsukuba〕:The DNA thinking:Modern medica豆insights into the ancient philosophy−Vij溢aptimatra(Yuishiki)__.
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ゆいしきさんじゅうじゆ 図1 唯識三十頬(文献4)より引用) 唯識の代表的経本.教学内容をコンパクトに三十の韻文にまとめてある.15 績に負っているということができる。その後中国 では,この唯識学派は短期間のうちに衰退して いった.しかし世界で唯一,日本においては,奈 良仏教法相宗の僧侶を中心とする仏教哲学者達に よって1000年以上にわたる教学の研究が持続さ れ,今日まで伝えられている1)∼11). ところで,いわゆる西洋哲学(理論哲学)と仏 教哲学(ヨーガ哲学)とのちがいは何か.ドイツ の哲学者Hermann Beckh(1875∼1937)の「仏 教」12)の記述の中に,それは的確に示されている. 一通常の哲学思考とは,与えられた意識形式の範 囲内に止まり,この意識に基づいて通常の理論的 思考の方法を用い,認識を獲得し,実存問題の解 答を得ようとするものである.これに反しヨーガ は瞑想的精神方向であり,意識をいわぽ変化し得 る要素と考え,与えられた意識形態を超越し,単 に悟性的であるにすぎない思考を否定ないしは抑 圧することによって高次認識に達しようとするも のである.すなわち近代科学にとって実質的であ り,実在的であるものすべては,仏教者にとって はすでに初期の瞑想段階において消去されるもの である.一ヨーガ(瞑想)すなわち禅定(心の統 一を深めること)が,仏教の真髄である.ここに おいて初めて,存在の本質を正しく見極めること ができると思われるが,しかしこのことは禅定経 験を踏まえて初めて実感され,理解される事であ ると思われ,この高次意識の存在13)が一般に認め られるには,まだ長い時間を要するであろう. さてこのような瞑想による高次認識により,す べての存在は唯だ情報にすぎないと説く唯識は, 人間の感覚・知覚をどのような存在であると分析 したのか. 現代神経学では,人間の感覚とその認識は,五 感と意識によって行われると解釈している.しか し唯識においては,意識構造は八つの要素より成 り立っているとし,その第八識阿頼耶識(アラ や識)に意識の根源的潜在的主体が存在すると説 く(図2). まず感覚としての五感(五識または前五識)を 考察する.第一から第五識までは,直接的認識(無 分別)であるなどの共通特性を持つため,まとめ 1∼Vth Consciousness 工 五 皿 1『 V eye ear nose tongue body 日 Ψ【th ConsCIousness WthMana Consclousness
expression memory expresslon
別th Aiaya Consclousness (seif) memory 図2 Structure of consciousness in Vi泌aptimatra (Yuishiki) て前五識とも言う.現代神経学でいう視覚,聴覚, 嗅覚,味覚,触覚にあたる第一から第五識すな わち眼(ゲソ)識,耳(二)点鼻識,舌識,一 面である.この内,触覚は体全体に存在し,さら に粘膜,関節,内臓感覚までを含むものであれぽ, 身体の識すなわち身識という表現のほうがより的 確にその特徴を表現していると思われる.またこ の1から5番目の感覚(識)の順序は,刺激と感 覚器官の距離の遠いものの順になっているところ が興味深い. 唯識の用語では,刺激内容すなわち認識される キヨウ 対象を境(色境,声境,香境,味境,触境)と呼 コンび,その各々に関与する器官を根(眼根,耳根, 盤根,舌根,身根)と呼ぶ.根すなわち感覚器官 は,さらに感覚を発動する主体となる細胞(勝義 根)と,それを助ける付属器(扶塵根)とより成 り立っていると解説する. 次に第6番目の識すなわち意識は,主に言語活 動を司り,判断,推理等を行う,いわゆる知性の 領域である.その器官を意根と呼ぶ.これは大脳 を中心とする中枢神経系を指すと考えられる. 現代医学では,五感と意識までを感覚,知覚, 認識の領域と見徹している.しかし唯識では,幾 多の瞑想の果てに,我々の意識の奥深い部分に根 源的な意識の存在を見出し,これを第七末那(マ ナ)識,第八アラや識と名づけた.マナ識は自我 意識であるが,第六意識に見られるような概念を 用いた自覚的なものではなく,人間の内部にあっ
て,意識下にありながらも,常にあくまでも自己 (アラや識)に強く執着する先天的,根源的我執と 解釈されている.さらにその奥に根源的な識,究 極の自己の根源体としてアラや識が存在すると説 く.アラヤ(alaya)とはいれもの,舎,蔵の意味 を持つ.以上のように唯識では八識を意識の構造 とする.瞑想下に自己存在の探求を行い,我々の 五感・意識といった表層意識㊧奥に,より根源的 な深層意識が存在することを発見したのである. このことは,19,20世紀に精神病理の臨床を通 して深層心理を発見したフロイト,コ・ングの出現 より遙か昔の4,5世紀のことであった.フロイ トは,抑圧された自我意識が無意識層を形成する と考えたが14)15),ユングは本来,意識の深層にまず 広大な集合無意識層があり,そこから表層の意識 が生まれると考えた16)17).ユングの認識した無意 識の存在様式は唯識におけるアラや識の概念と極 めて似かよったものである.唯識教理に基づくこ の無意識層の理解は,日本において今日ユング心 理学が広く受け入れられている一因となっている と思われる。ユングによる自己の解釈,世界と個 人の関係の解釈などの多くの観点において,仏教 哲学,特に唯識学との類似性が認められる. 2.唯識アラや識の医学的考察一無意識層は体 内のどこに存在するか?それはDNAの中にある一 スイスの偉大な精神心理学者であったC.G.ユ ングは,彼の臨床経験から,人の無意識層には, 個人的な記憶の他に原始時代からの人類共通の膨 大な量の記憶が存在していることを観察した.こ れは動植物の祖先までも含んだ古代の祖先から引 き継いでいる巨大な精神的遺産であり,宇宙の底 から沸き上がり,個人の心において再生する意識 であると述べている.また彼は物理学者パウリと の交流の中で,この無意識層は根底において物質 とつながっていると考察した.しかしそれが我々 の身体のどこにあり,また何であるかは明言しな かった. 一方,唯識学はアラや識とその機能について詳 細に解説している.その概略は以下のようである (図3).一アラや識は根源的な自己である.それ は我々の身体を内に現出し,それを維持する機能 棚士h AIaya Consciousness (serf>
↑1
↓↑ 工∼V士handV[th bonsciousness Wth lana Conslciousness 図3 Dynamic function of Alaya (VIII th)con− sciousneSS を有する.自ら感覚器官(根)を成立させ,刺激 (境)に接して感覚を現じるところの認識の根源的 主体でもある.ただしこの認識(感覚・知覚)の 根源的主体は,アラや識の中にあるが,しかしア ラや識そのものではない.それはアラや識の中の シユウジ 種子の機能に求められるべきである.アラや識は むしろその種子を蓄えている場所である.すなわ ちアラや識は構造(体),種子は機能(用).その 体・用関係は不一不二である. 種子とは先天的,すなわち初めもわからない宇 宙始まって以来(無始来)の記憶と,後天的に獲 得したすべての記憶のことである. 種子はある縁に接して機能を発現するが,我々 の身体もまたこの発現による。またある縁によっ て感覚・知覚を現出し,あるいは記憶を再現して 意識にのぼらせる,一方,我々の見たこと,聞い たこと,行為などの感覚,認識の一切は即座に, アラや識の中に種子として記録され維持される. その感覚,行為の発動とその記録は,時間的に同 時に生じる.さらに種子は種子を非同時的に生成 し維持する.このダイナミックなアラや識と7識 との間の機能の総体をアラや識縁起といい,この シユウジシヨウゲンギヨウ ゲンギヨウクンシユウ3つの機能をそれぞれ種子生現行,現行黒種
ジシユウジシヨウシユウジ 子,種子生種子と呼ぶ.この機能は激流のよう ゴウテンニヨ ボ な速さで生成,消滅を繰り返している(憎憎如暴 ル 流).なお,種子はすべての人に完全に備わってい るとは限らず,人によってはある種子を先天的に 欠いている場合もある.また,アラや識もアラや 識自身の種子から生まれるものであることを考え れば,種子は生まれ代わり,死に代わりしつつ相 続して行く生命の本体である.一仏教者は生命,17 人間の根本的存在をこれによって理解したのであ る. しかし,瞑想による思考方法を実践できない 我々にとっては謎めいたこれらの言葉は,謎解き ゲームのようである.現代のことぽに置き換える ならば,それらは何を指しているのか.現在アラ や識,種子の解釈は学者間で一定していない.大 半の仏教学者は身体にその具体的な存在を求め ず,哲学的形而上学的解釈をしている.またある 科学者は脳神経系のハードウエアーの機能をアラ や識,メモリーを種子であると解釈している18).し かし著者らは細胞生物学,分子遺伝学的認識によ り,この記述にあまりにも似かよった生体内の存 在があることに驚きの念を禁じ得ない.ついに著 者らは,ここに初めて最新の医学的知見に基づい たアラや識,種子の解釈を行い,まさにそれらは それぞれDNA,遺伝子であると理解しうると洞 察した.すなわち,アヲや識はDNAに,種子は遺 伝子に対応すると考えられるのである.ここにお いて驚くべき新しいDNAと遺伝子の解釈が成立 し,それらの機能が明らかとなった.唯識学の記 述の中にはDNA複製や遺伝子欠失を想起させる 解説も含まれており,その観察の完全さに驚かさ れる. 3.認識と記憶の本体,DNA思考一記憶は海馬 を経てどこにあるのか? それは身体全細胞体の
ゲノムDNAの中にある一
現代科学では感覚器官により捕えられ,認識さ れた外界の物体は,そのまま実体として,外界に 存在していると考えている.しかし唯識ではその ような実体の存在を否定する.この理論は現代医 学的にも考察可能である.すなわち我々は外界の 対象物からの刺激を,我々一人一人のDNAが発 現した身体(有法身)の感覚器官の神経細胞によ り電気信号に変換して脳に伝える.そこにおいて すでに対象はその物自体ではなくなっている.さ らにその信号は,主に言語に基づいた知識,感情, 先入見,記憶などの複:雑に絡み合った過程を通し て認識され,その物体の存在を成立させているの である. 今感じているままに,そのように物体は外界に 存在しているのではない.と説くこの哲学の論理 性は,万人を納得させるものであると著者らは考 える.もし我々がヒトではなく例えば昆虫であっ たと仮定すれぽ,彼独自のDNAにより形成され た,ヒトとは構造を異にする器官によって認識さ れる対象は,我々のものとは当然異なったもので あり,そこには我々とは全く異なった世界が立ち 現れているはずである.我々は,唯一絶対的な世 界というものを,決して認識することはできない のである.したがって,たとえいかに覚醒してい ようとも,我々の認識は実体を捉えていないとい う意味で,それは幻と変わるものではな:い.眠り の中で見る夢や,砂漠で非実在のオアシスを見る 錯覚等と,本質的に何も変わるところがない.こ の認識のありようを,つまり日常的感覚の一切の 虚妄性を,唯識哲学は極めて論理的に,言語を尽 くして説くのである. その上で唯識は,識の何たるかを鋭く究明する. 対象(外界の事物)と認識く自己)の存在二元論 を否定し,対象は認識する側より生じるものとし て一元的に考えるのである(唯識ではこれをアラ や識の種子から現れたものと定義している).いわ ぽ究極的には,根源的自己アラや識(DNA)が認 識を成立させている,と説いているのである.こ の認識の原理が理解されてはじめて,生命体の正 しい理解がえられる.すなわち脳は認識の究極の 主体ではない.脳は本来の自己ではない.脳は意 根という知覚の器官として,主に言語に関連して 概念を生み出す機構であり,無意識層を意識化す る器官である.もちろん,それと同時に,感覚・ 知覚を現実に働かせている機構かもしれない.し かし,それらをも成立させるさらに究極的な認識 の主体がそれとは別にある.表層意識の奥に存在 する,深層機構にこそ,DNA思考とも呼ぶべき認 識の主体が存在しているのである.この深層機構 と表層機構とは互いに有機的に密に関係しあい休 止することなく激しく流動し続けているのであ る. 我々は認識する.その認識は我々のアラや識 (DNA)の中の種子(遺伝子)より生じまた,瞬時 にその中に記録される.認識と記憶は時間的に同時に生じる.その連続が我々の意識である.これ が我々の認識の実体である.現在の大脳生理学で は,記憶のメカニズムを瞬間記憶,短期記憶と長 期記憶とに分けて研究しており,それぞれは異な る方法で記録が行われていると推測しているが, 果たしてそれは現実の現象そのものに即している のだろうか.たった一度の一瞬の出来事であって も生涯それを忘れることなく記憶していることも あり,また何気なく見ていた車窓の風景が何かの 機会に鮮明に思い出されることもある.著者らは, 唯識論的考察により,それら瞬間,短期,長期記 憶の差はその記憶のされ方の差ではなく,恐らく その再生のされかたの違いによるのであろうと推 測する. 著者らは種子は遺伝子であると解釈した.それ ゆえ先天的のみならず,後天的な記憶もすべては
遺伝子としてDNAの中に蓄えられると結論し
た.遺伝子はDNAの塩基配列で構成されている. が,DNAすべてが構造遺伝子ではない.トリプ レットをなす構造遺伝子として機能しているエク ソン部分は,全DNAの5∼10%に過ぎないとい おれている.残りの90%以上の非構造遺伝子領域 は,未だその機能の殆どが不明である.高等動物 のDNAにみられるイントロン部分は,現在考え られている様に本当に不要で意味の無い存在,い わゆるlunk DNAなのか.タンデムリピート等の 不可思議な塩基の反復配列の意義は何か.根源的 自己,認識の究極の主体がDNAの中に存在する のであれぽ,ここが記憶のメカニズムに関与して いると考えることはむしろ論理的な結論といえよ う. 著老らはDNAの構造の上で記憶のメカニズム の研究が行おれるべきであると考える.最新の分 子生物学的神経生理学においても,記憶をDNAの変化として観察する研究が開始されてい
る19)∼22).しかしその研究対象は,今のところ神経 細胞に限られている.唯識では記憶はアラや識に 蓄えられるのであるから,丸山らの解釈によれば, それは全身のDNAの瞬時の変化であると推測さ れる.DNAが自己であれぽ,その一部のみが記憶 に関与すると考えるのは不合理ではないか. 4.もう一つの深層意識マナ識とは? 一それ は自己すなわちDNAを守護する免疫システムで ある一 唯識学はアラや識の存在の発見の他に,もう一 つの深層意識の存在を発見した.それは先天的, 無意識的な我執であり,これはアラや識より発生 して,しかもアラや識を対象とし,我々が眠って いる間であろうと意識の無い状態であろうと休む ことなく,アラや識すなわち根源的自己を見てこ れを自分であると執着し続け,あくまでも他者か ら区別する識である.また第一から第六識までの 他の6つの識と深い関連性を保ってはいるが,あ くまでも恒常的な我執のみを機能とするものであ ると唯識は解説している. アラや識をDNAであると結論すれぽ,このマ ナ識がなにを指しているか,その解釈は容易であ る.これは,医学的視点からは,まさに免疫シス テムの存在を指していると解釈される.現代医学 的にいいかえれば,マナ識すなわち免疫システム はDNAの中の遺伝子より発生し,本来は免疫性 を有しないDNAを見て,あくまでもこれは自分 であると片時も休むこと無く執着し続ける,先天 的に備わっている複雑な意識である.唯識には, この複雑な機能についての膨大かっ詳細な記述が ある.免疫学的にマナ識に関する経論の解読がす すむならぽ,免疫学研究に多大な示唆が与えられ ることになると著者ら・は期待している. ユングは,無意識層とこの免疫システムの関連 性については,言及していない.一方唯識哲学は ここに至り,遂に人間の,そして生きとし生ける ものすべての命の構造を看破したのである.神経 系と免疫システムの存在の基本的意義は,自己の 当体であるDNAを認識し保護し安全に維持する ことにあることが,これによって理解される. DNAの本質と,その保護システムとしての神経 系と免疫系の構造とそのダイナミックな機能的関 係を,著者らは図4のように考察した.我々が肉 体的に,または心理的に他者と戦うことも,体内 で微生物と戦うことも,根源的には自己,DNAを 守護する意味において同一の機能である. 最近の神経免疫学領域の医学的研究において19 human
DNA
(seif) dlfferentiation↑↓
↓↑
Nervous System lmmune Syste田 図4 Dynamic function of DNA and DNA protec− tion system of conscious stage(nervous system) and unconscious stage(immune system)in Vi一 海aptimatra(Yuishiki) も,神経系と免疫系の密接な関連性がいよいよ認 識されはじめている23)∼25).その中には,免疫系の 整然とした情報伝達のシステムをHoating sen− sory nervous systemとみなす考えも出されてい る.ニューロトランスミッターは神経細胞間の情 報伝達のみならず,免疫細胞にも影響を与えてい る.一方サイトカインも中枢神経系へ作用してい ることが明らかにされた.神経系と免疫系はそれ ぞれ閉じられた系ではなく,互いに密にコミュニ ケートしており,切り離して考えることのできな い渾然一体の統御機構であるとする神経免疫共同 統御理論が,新たな生体機構として認識され始め ている.このことからも,著者らが唯識哲学より 考察したDNA保護,維持システムにおける神経 系と免疫系の共通構造の正当性が確信される. 5.結語:自己存在の意味一The donor’s heart is not a mere stupid p㎜p. lt is himself.一 著者らは唯識哲学の現代医学的考察を行い,根 源的な自己は生体全細胞内のゲノムDNAの中に あると考察した.胎生何週からヒトと見なすかと いう議論があるが,この哲学に従えば,自己の始まりは2コピーのゲノムDNAをもつ1個の受精
卵そのものである.我々は一人一人,唯一度だけ 与えられた独自の1個の細胞の霊力とも呼ぶべき 計り知れない能力によって,60兆個までの細胞増 殖と何百種類もの細胞分化と,それらの整然とし た細胞遊走とによってヒトの形に形成されているノ
celI prolifera重ion 図5 ヒトの形成 のである(図5).それらすべての機能に関与した ものが,1個体全体として同一の形で存在するDNAである.生体におけるDNAは,1個であり
また全体である存在である.DNAが自己の本体 であるならぽ,個体を構成しつつ生きている細胞 はすべて彼自身である.1個の細胞の機能の細密 さ,また生体細胞間の相互作用の驚異的な綿密さ については,細胞生物学の進歩により我々はその ほんの一部を今,垣聞見ることができるように なったばかりである. この観点から臓器移植を考えるとき,ドナーの 心臓は,現在移植医が自己であり中枢であると思 いなしている脳を失った単なる愚かなポンプとい えるのだろうか.最近では多臓器移植の技術もあ り,実際に心肺同時移植も行われている.しかし 体内の多くの部分が他者のDNAに置き換えられ たキメラの自己は,一体誰なのであろう.まして 異種動物の臓器が移植に利用されるに至っては, そのレシピエソトの自己存在の危機性は,死より も深刻な問題を含んでいると思われる.技術の進 歩と,その応用とは,別の次元で考えられるべき である. また脳は自己の当体ではなく,生きている体全 体比自己が存在するのであれぽ,脳死者を含む高 度脳障害に陥った人間に対する尊厳の生が再考さ れるべきである.我々は長い間,脳が中枢であり 自己であるとするドグマ的専制に支配されて来 た.しかしその脳でさえ,一粒の受精卵の分裂により増殖した細胞の一部が神経管となり,そのマ トリックス細胞層より140億個の神経細胞のすべ てが生み出され,感動的な細胞遊走の末に形成さ れたものであった.60兆個もの体全体の膨大な DNAの存在を考える時,脳だけを自己と呼ぶこ との不合理に気づくべぎであった. 唯識学は徹底した理論的哲学体系である.だか らこそ日本において1000年忌上もの間生き残って 来た理論であるといえる.一語一語十分に細心の 注意をはらって,唯識の伝える内容を吟味しなけ ればならない.唯識があくまでも言っている通り, 自己の本体はアラや識もしくは,それをも生み出 す種子に求められる.いいかえれば我々はDNA という物質そのものではない.DNAに基づいて はいるがそれ自身ではなく,DNAの上に立ち現 れてくる機能なのである. 以上,著者らは,唯識の洞察が,現代医学的知 見と見事に対応することを示してきた.もちろん, 唯識説が現代医学と全く同一の視点をもっている というわけではない.むしろ本稿はあくまでも, 唯識の哲学に触発されて,現代医学に基づく人間 観を再解釈したものである.しかし,おそらく唯 識は科学が未だ到達していない知の領域を既に見 ているに違いない.現在,ヒューマゾ・ゲノム・ プロジェクトが進行しつつある.近い将来,我々 はヒトDNAの全塩基配列を知るであろう.その 先には生命は物質であるとする短絡的解釈に基づ く危険な生命観人間観が生まれてくることが予 想される.今こそ唯識学的哲学思考が医学を初め とする諸科学者によってなされ,唯識の説く生命 の構造と自己存在の意味を探求すべき時と著者ら は考える.なぜならぽ「哲学は,人間存在を根源 的に問うと同時に,その添う知のあり方そのもの をも反省していく営みである.」2}と認識できるか らである. 本論文を恩師福山幸夫教授の東京女子医科大学小 児科三教室開講25周年記念論文として捧げます, 文 献 D竹村牧男:唯識の構造.春秋社,東京(1985) 2)竹村牧男:唯識の深求一『唯識三十頸』を読む.春 出社,東京(1992) 3)横山紘一:唯識思想入門(レグルス文庫66)。第三 文明社,東京,(1976) 4)太田久紀訳:唯識三十頬要講.中山書房仏書林, 東京(1989) 5)佐伯良謙:唯識学概論.法蔵館,東京(!985) 6)保坂玉泉:唯識根本教義.比物社,東京,(1961) 7)深浦正文:唯識論解説.第1書房,東京(1934) 8)結城令聞:唯識三十頒 仏教講座19.大蔵出版, 東京、(1985) 9)勝又俊教:唯識思想と密教.春秋社,東京(1988) 10)小川弘貫:唯識と道元禅の要諦.中質書房仏書林, 東京(1985) 11)梶川乾堂:唯識論大綱.山聡叡仏書体,東京(1909) 12)渡辺照宏,渡辺重朗訳:(ヘルマン・ペック著) 仏教,上下,岩波書店,東京(1962) 13)川崎信定:」切智思想の研究。春秋社,東京(1992) 14)木村 敏,中井久夫監訳:(アンリ・エレソベル ガ一著)無意識の発見一力動精神医学発達史,上 下.弘文社,東京(1980) 15)福本 臣服:フロイト(ロラン・ジャカール著). 法政大学出版局,東京(1987) 16)河合隼雄:ユング心理学入門.培風館,東京(1967) 17)依田 新,本明 寛監修:現代心理学のエッセン ス.意識の心理学から行動の科学へ,ぺりかん社, 東京(1972) 18)泉 美治:科学者の説く仏教とその哲学 創造と 国際化のために.学会出版センター,東京(1992) 19)Hunt SP, Pini A, Evan G:Induction of c− fos−like protein in spinal cord neurons follow・ ing sεnsory stimualtion. Nature 328:632−634, 1987 20) ]Morgan JI, Curran T: Rol宇of iron flux in the control of c−fos expression. Nature 322: 552−555, 1986 21)Cole AJ, Sa登en DW, Baraban JM et al: Rapid increase of an immediate early gene messenger RNA in hippocampai neurons by synaptic NMDA receptor 3ctivation. Nature 340:474−476, 1989 22)Doug藍as RM, Dragunow M, Robertson HA: High・frequency discharge of dentate granule cells, but not long term potentiation, induces c−fos protein. Mol Brain Res 4:259−262,1988 23)堀 哲郎,海塚安郎,森 俊憲:脳・免疫系関連. ネ整経精ネ申薬至里 12(1) :5−19, 1990 24)西尾健資,古川昭栄:神経系と免疫系をつなぐ活 性因子.神経精神薬理 12(1):21−31,1990 25)横山三男:神経系と免疫系の相互調節.最新医学 46(4) :52−57, 1991