作り物語における片仮名の和歌 │ ﹁虫愛づる姫君﹂を中心に │
今 野 真 二 藤 井 由紀子
︻要旨︼ 本稿は︑﹃堤中納言物語﹄中の一編﹁虫愛づる姫君﹂における︑姫君が片仮名で和歌を書く場面に注目し︑日
本語学・日本文学両方の見地から︑片仮名の和歌に対する新たな解釈の提示を試みたものである︒先行研究では︑
片仮名の和歌は︑姫君の男性性を表すものとみなされることが多かったが︑平安後期以降の他の作り物語にも︑
女性が和歌を片仮名で書く場面は存在する︒贈答歌における片仮名の和歌は︑男女に拘わらず通常の様式では
なく︑小さく書かなければならない場合や匿名性が必要な場合に用いられていることを指摘した︒﹁虫愛づる姫
君﹂の姫君が︑隠匿性のない場面において片仮名で和歌を書いているのは︑姫君の人物造型の根幹に﹁本地た
づぬ﹂という思想が置かれていたからであった︒それは︑当時の常識とはかけ離れた設定であり︑安易に仮名
習得の実態として普遍化させてはならないと結論づけた︒
はじめに
﹃堤中納言物語﹄中の一編﹁虫愛づる姫君﹂に︑次のようなくだり
がある︒
ある上達部の御子︑うちはやりてものおぢせず︑愛敬づきたるあ り︒この姫君のことを聞きて︑﹁さりとも︑これにはおぢなむ﹂
とて︑帯の端の︑いとをかしげなるに︑蛇のかたをいみじく似せ
て︑動くべきさまなどしつけて︑いろこだちたる懸袋に入れて︑
結びつけたる文を見れば︑
はふはふも君があたりにしたがはむ長き心の限りなき身は
とあるを︑何心なく御前に持て参りて︑﹁袋など︒あくるだにあ
やしくおもたきかな﹂とて︑ひきあけたれば︑蛇︑首をもたげた
り︒︵中略︶人々︑作りたると聞きて︑﹁けしからぬわざしける人
かな﹂と言ひにくみ︑﹁返事せずは︑おぼつかなかりなむ﹂とて︑
いとこはく︑すくよかなる紙に書きたまふ︒仮名はまだ書きたま
はざりければ︑片仮名に︑
﹁契りあらばよき極楽にゆきあはむまつはれにくし虫のすが
たは
福地の園に﹂とある︒︵四一二頁︶
風変わりな姫君がいると聞きつけた﹁ある上達部の御子﹂が︑姫君
に作り物の蛇に付けた恋文を送る︒その返歌を︑姫君が片仮名で書い
ている場面である︒
現在通行している活字テキストの注を概観すると︑この箇所に関
わって︑大きく分けて二つの言説が提示されている︒一つは︑﹁︵片仮
名は︶普通は︑男子が漢字とともに使用する﹂という前提のもとに︑
片仮名で書かれた和歌は﹁女性的教養の蓄積よりも︑男性的教養を志
向する非女性的あるいは前女性的教養に停滞していることを反映す
る﹂︵新潮日本古典集成︶と捉える言説︑もう一つは︑﹁当時の女性の
習俗として︑片仮名のあと平仮名を習ったか﹂︵新日本古典文学大系︶︑
﹁女性は一般に︑放ち書きできる片仮名によって文字を学び︑やがて 連綿体の仮名を習うようになっていたのであろうか﹂︵講談社学術文
庫︶と︑仮名習得の順序を表すものとして捉える言説である︒
しかしながら︑前者の言説は︑通常の物語の姫君とは異なる主人公
の人物設定に依拠した解釈であり︑後者の言説は︑作品が設定してい
る︿特殊性﹀を考慮することなく︑ここに書かれていることを︑何ら
の検証を経ずにそのまま事実として認め︑さらにそれを一般化しよう
とする解釈なのではないか︒両言説を併記している注も散見されるこ
と︑また︑後者の片仮名先習説に関しては︑注が疑問形で述べられて
いることからも︑当該箇所には検討の余地が残されているように思わ
れる︒ 本稿では︑日本語を片仮名で書くということを視野に入れながら︑
その枠内で︿和歌を片仮名で書く﹀ということを捉え直し︑文学作品
の描写から推測される当時の実態と関わらせながら検討した上で︑改
めて作品内部においての位置づけを考察していくことにしたい︒日本
語学的見地︑文学的見地の両方からこの問題を取り上げることで︑作
り物語に描かれた片仮名で書かれた和歌の役割を再検討してみたい︒
一 片仮名と男性性
まず︑片仮名の性質と位置づけについて確認しておきたい︒
例えば︑﹃日本語学研究事典﹄︵二〇〇七年明治書院刊︶の﹁片仮名﹂
の項目には︑﹁平安時代には﹁かな﹂は平仮名を指し︑片仮名は﹁か
たかな﹂と呼ばれて平仮名とは区別された﹂︵三八二頁中段︶という
記述が見られる︒事実としてはそうであっても︑︿捉え方﹀としては
不十分ではないかと考える︒同事典が右の記述に先立って﹁カナ﹂は﹁﹁かりな﹂の音転である﹂と述べているように︑漢字=﹁真字/真名﹂
に対しての﹁仮名﹂であることは明らかであって︑﹁ヒラガナ﹂とい
う語が使われるようになるまで︑概念の対立軸は﹁真名↑↓仮名﹂で
あったと考えるのが筋であろう︒築島裕氏は︑﹁平安初期に創始され
た訓点の世界の中では︑平仮名・片仮名未分化の状態であっ
1
た﹂と述
べているが︑それはまさしく﹁真名﹂に対して﹁仮名﹂が存在してい
た時期ということになる︒そして︑その﹁仮名﹂の概念の中に﹁カタ
カナ﹂というものがあった︒﹁カタカナ﹂の﹁カタ﹂は︑やはり同事
典が述べるように︵何らかの意味合いにおいて︶﹁不完全の意﹂であ
ると考えられる︒坪井美樹氏は︑﹁虫愛づる姫君﹂を対象として片仮
名について検討し︑﹁誤解を恐れずに言えば︑︿片仮名﹀は︿不正確に
書かれた平仮名﹀をも指し得たのではないか︑と思うのであ
2
る﹂と述
べているが︑まさにその通りで︑︿何らかの意味合いにおいて十全で
はない仮名﹀が﹁カタカナ﹂であるとまず捉えておきたい︒
従来︑文学研究において︑﹁虫愛づる姫君﹂の片仮名で書かれた和 歌が取り上げられる際には︑姫君の男性的な側面を強調するものとして位置づけられることが多かった︒例えば︑三谷栄一氏は︑﹃源氏物語﹄
梅枝巻で語られる︑明石の姫君のために集められた習字の手本に片仮
名が入っていないことなどを引き合いに出し︑﹁﹁虫愛づる姫君﹂が︑
妙齢に及んでなお平仮名を書き馴れていないのが︑きわめて異常なこ
と﹂であるとし︑﹁右馬の佐の蛇の形と歌に対して︑男性原理で対応
している様相が読みとれる﹂と述べ
3
る︒また︑立石和弘氏は︑﹁姫君
の男性化﹂を表す顕著な点の一つとして︑﹁仮名ではなく︑﹁片仮名﹂
﹁真名﹂を用いる点﹂を挙げてい
4
る︒このような解釈が成り立つのは︑
先に確認した活字テキストの注にも書かれている通り︑︿片仮名は男
子が漢字とともに使用する﹀という理解が前提となっているからであ
ろう︒片仮名が︑漢文訓読の場などにおいて︑漢字のある部分を採っ
て生まれたということはたしかなことである︒そして︑僧侶や学者な
ど︑主に男性によって用いられていたこともまた事実である︒しかし︑
そのような︑片仮名のいわば始原的な性質を︑平安時代後期頃に成立
したと目されている作り物語の中の贈答歌にまで敷衍させることは妥
当なのであろうか︒
ここで︑作り物語における片仮名で書かれた和歌の用例を見ておき
たい︒平安時代後期︵十一世紀後半︶成立の﹃狭衣物語﹄には︑主人
公・狭衣が片仮名で書く場面が三箇
5
所ある︒
a
﹁いかなるすき者ならむ﹂とほほゑみて問はせたまへど︑言はむやは︒心とき御随身そのわたりに硯もとめて奉りたるして︑畳紙
に片仮名にて︑
見もわかで過ぎにけるかなおしなべて軒のあやめのひましな
ければ
﹁いまわざと参らむ﹂と言はせたまひて︑⁝⁝︵巻一・二三頁︶
b
御前なる人々の︑絵などかきちらしたる筆ども見ゆるを取りたまひて︑紙のはしに︑
かつ見れどあるはあるにもあらぬ身を人の人とや思ひなすら
む
手すさみのやうに片仮名に書きたまひて︑懐なる猫の首綱に結び
つけて︑人すこし立ちのきたるに︑﹁あな︑いぎたなや︒今は起
きて参りね﹂と押し出でたまへれば︑⁝⁝︵巻三・一二四頁︶
c
薄香なる御扇のあるを︑せちに及びて取り寄せたまへれば︑なつかしき移り香ばかりは昔に変らぬ心地するに︑はなやかならぬ下
絵などのさま変りたるは︑なほいとあはれに︑飽かずかなしくお
ぼされけり︒
手に馴れし扇はそれと見えながら涙にくもる色ぞことなる
と片仮名に書きつけて︑もとのやうに置きたまひつ︒
︵巻四・二〇二頁︶
a
は︑路傍の家の女から歌を送られ︑返歌をする場面︑b
は︑秘めた恋心を抱き続ける相手・源氏の宮への歌を︑猫の首に付けて送る場
面︑
c
は︑若き日の密通相手・入道の宮への思いを断ち切れず︑宮の扇に歌を書き付けて立ち去る場面である︒いずれも︑和歌を送る相手
がおり︑その相手に自らが書いた和歌が見られることを前提として書
かれた歌であることを確認しておきたい︒
次に挙げるのは︑鎌倉時代︵﹃風葉和歌集﹄成立︵一二七一年︶以前︶
の成立とされる﹃石清水物語﹄からの用例である︒
d
文の中にいささかなるものあり︒見せきこゆべきものと見れば︑ひき隠して置きつ︒︵中略︶人々立ちぬる間に︑中にありし物広
げて見せ奉れば︑ことばはなくて︑片仮名にて︑
君ゆゑに尋ぬる法の道なれば同じ蓮の身ともならなん
とばかりあり︒︵下・一五一頁︶
主人公の伊予の守は︑ともに育った姫君と契りを結ぶが︑姫君は入
内し︑帝の寵愛を得る︒思いが叶わないことを悟った伊予の守は出家
するが︑事情を知る女房に手紙を遺していた︒その手紙の中にさらに
小さな紙が入っており︑そこに書かれていた姫君宛ての和歌が片仮名
で書かれていたというくだりである︒この片仮名の和歌も︑姫君へ送
るものとして書かれている︒
﹁虫愛づる姫君﹂の成立には諸説あるが︑遅くとも十二世紀中の成
立と見るならば︑右に挙げた
a
〜d
と︑同時代的な背景があるものと考えられる︒﹁当時の流行か﹂︵日本古典全書﹃狭衣物語﹄︶とまでは
言えないまでも︑﹃源氏物語﹄以後の作り物語においては︑片仮名で
和歌を書くということが一つの物語的趣向として定着していくことは
明らかであろう︒
ただし︑
a
〜d
は︑片仮名の書き手が男性であるという点において︑﹁虫愛づる姫君﹂とは異なる︒一見すると︑このような用例と比較す
ればなおさら︑姫君の男性性が裏付けられるかのようにも思われる︒
しかし︑ここで確認しておきたいのは︑
a
〜d
の用例は︑いずれも︑﹁片仮名に︵て︶﹂という説明の一文を伴っているという点である︒も
ちろん︑そうでなければ︑読者には︑その和歌が片仮名で書かれてい
ることがわからないのであるが︑それは︑裏返して言えば︑何も説明
がない限り︑和歌は平仮名で書かれているのが当然であるということ
を示している︒言うまでもないことだが︑贈答の和歌は︑平仮名の連
綿で︵美しく︶書くのが基本なのである︒つまり︑書き手が男性であ
ろうが女性であろうが︑和歌を片仮名で書くことは異例だということ
になる︒﹁虫愛づる姫君﹂の用例についても︑女性が片仮名で書くこ
とが﹁異常なこと﹂なのではなく︑片仮名で和歌を送ること自体が﹁異
常﹂なのだと捉え直さなければならないだろう︒そして︑今見てきた
a
〜d
の用例のように︑そのような異例な和歌を送ることが許容され なお︑周知の通り︑﹃うつほ物語﹄蔵開中・国譲上巻には︑片仮名 する︒ れはどのような場合なのか︑次節において詳しく検討していくことと る場合が︑少なくとも平安後期以降の作り物語にはあるのである︒その和歌について述べられた最も古い用例があるが︑それは歌集や習字
の手本の和歌が片仮名で書かれたと示すものであり︑贈答歌ではない
という点において︑本稿では︑考察の対象からは外すこととする︒ま
た︑片仮名で書かれた歌集は実在し︑平仮名本よりも学問的・権威的
であると説かれることもあ
6
るが︑それは︑一冊の歌集を書写する際に︑
︵平仮名ではなく︶﹁片仮名﹂という文字種を選んだという意識に関わ
る問題であり︑本稿が考察対象とする︑相手に送る和歌を片仮名で書
くこととは︑別の現象として扱われるべきものであると考える︒
二 作り物語における片仮名の和歌
前節で確認した通り︑作り物語における片仮名の和歌の早い時期の
用例は︑男性が書き手であることが多く︑﹁虫愛づる姫君﹂は例外的
であった︒しかし︑物語史をさらに辿り見ていくと︑女性が片仮名で
和歌を書くことは︑必ずしも稀な設定ではないことがわかる︒
次に挙げるのは︑﹃夜寝覚物語﹄からの用例である︒この作品は︑
平安時代後期成立の﹃夜の寝覚﹄の改作本であるとされ︑南北朝期の
成立と見られている︒
e
その日になりて︑世にうつくしくせられたる御装束一襲︑扇など︑勝るる程にて︑少将が文具して︑御乳母のもとにつかはす︒︵中略︶
御文はなくて︑袿のもとに︑
うれしさもかつ包みつつ世の中をはぐくむ程の袂ともなれ
と︑片仮名に小さく書かれたるを見給ふに︑さばかりの祝ひの中
にも︑慣らひぬることとて︑御涙はせきあへず︒
︵巻三・二一一頁︶
石山の姫君の裳着の場面である︒現在︑関白の北の方となっている
寝覚の上は︑秘密裡に産んだこの姫君に和歌を送る︒その和歌が﹁片
仮名に小さく﹂書いたものであったとされるのである︒この場面は︑
﹃夜の寝覚﹄の中間欠巻部に該当するため︑もともとあったものなのか︑
改作本が独自に付け加えたものなのかが判然としない︒ただし︑石山
の姫君の裳着の場面自体は古本にもあったと考えられるため︑和歌が
片仮名で書かれていたという設定も︑古本以来のものである可能性は
低くない︒
次に挙げる二例も︑南北朝期から室町時代初期にかけて成立したと
される二作品からの用例である︒
f
中納言の君ときこえしは︑中に親しく馴れ睦び給ひければ︑︵中略︶ 常に寄りゐ給ひし障子のつまに︑いと小さくものの書かれたるを︑寄りて見給へば︑その人の手にて︑
ながらへばなほも憂き身は白雲の八重立つ山を分けぞ見るべ
き
と片仮名にて書き付け給ひしを見出で給うて︑いとどあはれに悲
しくて︑⁝⁝︵﹃兵部卿物語﹄三七頁︶
g
還立︑夜に入りてあるに︑過ぎ給ふ御簾のうちより御袖をひかへて︑いささかなるものを御手に入るるを︑さすが落とさじと
引きそばめて見給へば︑
いろいろの挿頭の花もなにならず君がにほひにうつる心は
片仮名に︑なべてならぬ書きざまなり︒︵﹃風に紅葉﹄上・一三頁︶
f
は︑出奔した主人公・按察使の君の書き残した和歌を︑同僚の女房が見つける場面︑
g
は︑主人公の大将に憧れる宮中の女房が︑通りがかった大将に和歌を書いた紙を握らせる場面である︒いずれの和歌
も︑片仮名で書かれていたとされる︒
もちろん︑
e
〜g
の用例は︑かなり時代が下ってからのものであり︑そのまま﹁虫愛づる姫君﹂と比較することはできない︒また︑﹁虫愛
づる姫君﹂がそれほど広汎に享受されていたとは考えにくいため︑影
響関係を説くのも難しいであろう︒しかし︑ここで注目しておきたい
のは︑いずれの物語においても︑片仮名で和歌を書いたからといって︑
その女性が男性的であるとはみなされてはいないという点である︒前
節で見た
a
〜d
の用例においても︑男性が片仮名で和歌を書いたからといって︑ことさらその人物の男性としてのセクシュアリティーや
ジェンダーが強調されているわけではなかった︒やはり︑無条件で片
仮名自体に︑男性的/非女性的といった性質を読み取るべきではない
と考える︒
では︑
a
〜g
の用例を一覧したときに︑指摘できる共通点とは何であろうか︒
まず︑書かれているものが︑
b
﹁紙のはし﹂︑c
﹁扇﹂︑e
﹁袿のもと﹂︑
f
﹁障子のつま﹂など︑通常和歌を書くような︵美しい︶紙ではないことがあり︑また︑紙に書かれた場合であっても︑
a
﹁畳紙﹂のように間に合わせのものであったり︑
d
・g
﹁いささかなるもの﹂とかなり小さいものであったりと︑正式な手紙の体裁をとっていない
点が指摘できる︒また︑文字自体が︑
b
﹁手すさみのやうに﹂書かれていたり︑
e
・f
﹁小さく﹂書かれていたりと︑美しく書くことを目指していない点が挙げられ
7
る︒
a
〜c
の﹃狭衣物語﹄の用例について︑日本古典全書は︑その共通点を︑﹁正式でない場合であり︑又︑料紙
も改まった色紙などでない事﹂と注しているが︑首肯すべきであろう︒
つまり︑片仮名の和歌は︑極めて非公式的な体裁で書かれているので
ある︒ そのような正式ではない体裁をとっていることに対しては︑物語の内容から説かれるべき理由がある︒実は︑
a
〜g
の用例には︑もう一つ共通点があり︑それは︑秘めた相手に送られる場合が多いという点
なのである︒
b
・c
・d
は道ならぬ恋の相手︑e
は隠し子に送られた歌である︒いずれも︑公にできない関係性がある︒
f
もまた︑出奔後に遺された和歌であるため︑多くの人の目にさらされることを望んで
はいないものであろう︒つまり︑あえて非公式でなければならない場
面で︑片仮名は用いられているのである︒
a
・g
のように︑行きずりの相手に送る和歌にも片仮名が用いられることも考え合わせれば︑片
仮名には︑筆跡がわかりにくいがゆえの匿名性という性質があったと
考えられるかもしれない︒
そもそも︑片仮名は︑余白に素早く書き込むために発生したもので
あった︒小さく書くことに適した文字︑そして匿名性が保たれるとい
う性質が︑物語の中にあっては︑隠蔽しなければならない関係性の相
手へ送る和歌という設定に活かされていると言えよう︒ゆえに︑小さ
く書く理由さえ明らかであるのならば︑女性が和歌を片仮名で書くと
いう設定も不自然なものではなくなっていったと考えられるのである︒
さて︑以上のように片仮名の和歌の特性を定義していくと︑﹁虫愛
づる姫君﹂の用例が︑従来とは異なる意味において﹁異常﹂であるこ
とに気付かされる︒﹁虫愛づる姫君﹂の片仮名の和歌は︑女房たちも
周知の状況で贈られた恋文への返歌という︑なんら隠匿性を伴わない
場面で使われているのである︒他の用例に共通していた非公式性とい
う要素が欠落しているという点において︑たしかに︑この片仮名の和
歌は例外的なのである︒では︑なぜ︑﹁虫愛づる姫君﹂の和歌は︑片
仮名で書かれたという設定にされなければならなかったのか︒問題の
始発に戻り︑考察し直していくこととしたい︒
三 ﹁虫愛づる姫君﹂における片仮名の和歌
﹁虫愛づる姫君﹂の当該箇所について︑片仮名の持つ別の性質に注
目して論じたのは︑小松英雄氏であっ
8
た︒小松氏は︑片仮名には︑習
慣的な表記とともに︑﹁社会的制約
︱ convention ︱
にとらわれない表音的な表記﹂があったと述べ︑それが﹁仮名と片仮名との最大の
違い﹂だとする︒そして︑和歌の﹁まつはれにくし﹂の部分を﹁まつ
我にくし﹂と表記する写本が多いことに注目し︑﹁この部分が片仮名
で﹁マツワレニクシ﹂と表記されていた可能性を想定﹂する︒しかし︑
例えば︑﹃平家物語﹄のテキストの一つ︑斯道文庫蔵百二十句本は︑
テキスト全体が﹁漢字片仮名交じり﹂で書かれている︒そして︑巻第
七の﹁忠教都落﹂に見られるよく知られている和歌は﹁サヽナミヤ志
賀ノ都ハアレニシヲ昔シナカラノ山櫻カナ﹂と書かれている︒この箇 所に関して︑︿実際には平仮名と漢字とで書かれていたことが疑いな
い和歌がここではなぜ片仮名と漢字とで書かれているのか﹀という問
いをたてる必要があるだろうか︒斯道文庫本が︑︿漢字片仮名交じり﹀
で書くということを最初に選択しているのだから︑それにしたがって
書いているということに尽きる︒﹃堤中納言物語﹄のそもそものテキ
スト︵というものが想定できるとして︶が︿平仮名漢字交じり﹀で書
かれていたことも疑いがなく︑そのことからすれば︑﹁虫愛づる姫君﹂
が片仮名で書いたと作品中で述べている和歌も︑当然︿平仮名漢字交
じり﹀でテキストに書かれていたと考えるべきである︒
この点に関しては︑小松氏自身も︑﹁﹁かたかんなに﹂という添え書
きがあることは︑この和歌が物語の本文では最初からふつうの仮名で
あったことを意味しているとみなすのが順当﹂と認めている︒それで
もなお︑﹁読者は仮名を﹁かたかんな﹂に並行移動して理解する﹂こ
とによって︑﹁まつはれにくし﹂と﹁マツワレニクシ﹂という仮名違
いの掛詞を成立させたとするのだが︑だとすれば︑先に挙げた
の用例にも︑すべて﹁片仮名に︵て︶﹂という但し書きが付いている
ということをどのように説明すればよいのだろうか︒当然のことなが
ら︑
a
〜g
の和歌には︑仮名違いの掛詞を想定する必要はないのである︒そもそも︑﹁待つ我憎し﹂または﹁先づ我憎し﹂という掛詞を読
み取らなくても︑﹁纏はれにくし﹂という意味のみで︑この和歌は十
分に解釈できるものであ
9
る︒少なくない現存テキストが︑﹁まつはれ
にくし﹂を﹁まつ我にくし﹂と書いていることに対しては︑ハ行点呼
音現象後に﹁ワ﹂と発音されるようになった﹁まつはれ﹂の﹁は﹂に︑
語中尾に存在する﹁ワ・バ﹂音にあてられることが多かった異体仮名
﹁ハ﹂をあてた﹁まつハれにくし﹂という書き方を媒介にして︑この﹁ハ﹂
を仮名﹁わ﹂を表すものと見て︑﹁まつわれにくし﹂という置き換え
が起こり︑さらにその﹁われ﹂に漢字﹁我﹂をあてたというプロセス
も考えられる︒小松氏は︑片仮名に﹁表音的な表記法があった﹂と述
べているが︑そう言えるほど片仮名が﹁表音的﹂であったかどうか︑
十分に検討されているとは言いがたい︒そして︑仮にそうした傾向を
認めたとしても︑ここに︑その片仮名の︿表音性﹀という性質を無理
にあてはめる必要もない︒
今ひとつ︑片仮名の性質として見落としてはならないのが︑仏教と
の結びつきである︒﹁極楽願往生歌﹂などに端的に見られるこの性質は︑
たしかに︑﹁契りあらばよき極楽にゆきあはむ﹂というこの和歌と内
容と連関するものである︒先に見た他作品の用例においても︑
d
・f
の和歌は︑出家前に読まれたものであり︑小さく書かなければならな
いと同時に︑仏教的な側面を強調する働きがあったと考えられ︑﹁虫
愛づる姫君﹂と類似する傾向を見てとることができる︒しかし︑﹁虫
愛づる姫君﹂の場合︑
d
・f
と決定的に違うのは︑姫君が意図的に﹁片 の和歌にふさわしい﹁片仮名﹂を積極的に選んだのではなく︑﹁仮名 仮名﹂を選択したのではないという点である︒姫君は︑仏教的な内容はまだ書きたまはざりければ﹂という条件下において︑片仮名で書く
しかなかったと設定されているのである︒だとすれば︑むしろ︑この
場面で重要なのは︑﹁仮名はまだ書きたまはざりければ﹂の部分の解
釈ということになるだろう︒
この﹁仮名はまだ書きたまはざりければ﹂は︑片仮名先習説の根拠
とされてきた箇所であった︒しかし︑そのような説が本当に成り立つ
のであろうか︒周知のものであるが︑確認のために︑﹃源氏物語﹄若
紫巻の次の用例を見ておきたい︒
﹁書きそこなひつ﹂と恥ぢて隠したまふを︑せめて見たまへば︑
かこつべきゆゑを知らねばおぼつかないかなる草のゆかりな
るらん
と︑いと若けれど︑生ひ先見えて︑ふくよかに書いたまへり︒故
尼君のにぞ似たりける︒今めかしき手本習はば︑いとよう書いた
まひてむ︑と見たまふ︒︵三三四頁︶
光源氏に引き取られた紫の上が︑初めて光源氏に手習いを見せる場
面である︒ここで紫の上が和歌を書いたのは︑﹁ふくよかに﹂という
筆跡が﹁故尼君のにぞ似﹂ているとされることから︑疑いなく平仮名
によってであろう︒一見してわかる通り︑ここに﹁片仮名に﹂という
説明はない︒この直前︑祖母尼君は︑紫の上が幼いことを﹁まだ難波
津をだにはかばかしうつづけはべらざめれば﹂︵三〇三頁︶と表現し
ていた︒まだ︑手習いの初期にある紫の上が︑それでも平仮名で和歌
を書いたという設定は︑片仮名を先に習うという常識があったのであ
れば通用しないはずである︒
一方の﹁虫愛づる姫君﹂の姫君も︑手習いをしていないわけではな
かった︒
白き扇の︑墨黒に真名の手習したるをさし出でて︑﹁これに拾ひ
入れよ﹂とのたまへば︑童べ︑取り入る︒︵四一六頁︶
姫君は︑﹁真名の手習﹂を熱心に行っているのである︒このくだり
もまた︑従来︑姫君の男性的な側面を表すものとして捉えられてきた
が︑はたしてそうであろうか︒
この姫君ののたまふこと︑﹁人々の︑花︑蝶やとめづるこそ︑は
かなくあやしけれ︒人は︑まことあり︒本地たづねたるこそ︑心
ばへをかしけれ﹂とて︑よろづの虫の︑恐ろしげなるを取り集め
て︑﹁これが︑成らむさまを見む﹂とて︑さまざまなる籠箱ども
に入れさせたまふ︒︵四〇七頁︶
立石和弘氏が︑﹁姫君が化粧をしないのも︑虫を愛するのも要する
にこの﹁本地たづぬ﹂という観念によって自らを規制しているためで
あ
10
る﹂と述べるように︑姫君の人物設定の根幹には︑﹁本地たづぬ﹂ という思想が置かれていた︒だとすれば︑﹁真名の手習﹂もまた︑
地たづねたる﹂行為の一つとして行われていたもの︑つまり︑この物
語に必要な設定だったと捉えるべきなのではないか︒平仮名も片仮名
も︑もとを尋ねれば﹁真名﹂に行き着く︒姫君の﹁真名の手習﹂は︑
一貫した人物造型の上に描かれているものだと言えるだろう︒
さらに言うならば︑姫君は︑当時の習俗として︑妙齢の女性が平仮
名の連綿で和歌を書くことを十分理解していたと思しい︒なぜならば︑
姫君は︑習熟していたはずの﹁真名﹂で和歌を書くことは選ばず︑
仮名﹂で和歌を書いたからである︒まだ自分は﹁本地たづぬ﹂段階で
あって﹁末を見﹂︵四〇九頁︶るところまで及んでいない︒けれども︑
恋文の返歌を﹁真名﹂で書くことは非常識なことだと理解はしている︒
だからこそ︑﹁末﹂にあたる﹁仮名﹂ではないにせよ︑その代替とし
て︵まさに︿十全ではない仮名﹀という位置づけで︶﹁片仮名﹂によっ
て和歌を書いたのである︒その事情を説明しているのが﹁仮名はまだ
書きたまはざりければ﹂の一文であり︑そうして書かれた片仮名の和
歌が︑期せずして和歌の仏教的内容と符合するものであったという設
定こそが︑この物語の狙ったおもしろさなのだと理解すべきであろう︒
このような物語的趣向を達成するために︑﹁虫愛づる姫君﹂の和歌は︑
片仮名である必要があったのであった︒
当然のことながら︑この姫君の﹁本地たづぬ﹂姿こそが︑この物語
の主題でもある︒そしてそれは︑﹃源氏物語﹄が︑﹁ひたぶるにそらご
とと言ひはてむも︑事の心違ひてなむありける﹂︵蛍・二〇四頁︶と︑
物語を称揚したのとはまったく正反対の世界を構築することへと繋
がっていた︒土方洋一氏が︑﹁虫愛づる姫君﹂の到達点を︑﹁まさに独
立した小宇宙である物語そのものとして︑物語でしかないものとして
存在しうることを示したという
11
点﹂にあると述べたように︑あくまで︑
姫君の姿は﹁物語でしかない﹂のである︒﹁蝶めづる姫君﹂の﹁かた
はら﹂︵四〇七頁︶に設定されたこの姫君は︑その人物造型において︑
当時の常識からはかけ離れた異数な設定がなされていることは疑いな
い︒だとすれば︑﹁仮名はまだ書きたまはざりければ﹂の部分だけを︑
短絡的に
︿事実﹀として受け取ってはならないことは言うまでも
な
12
い︒妙齢の女性が平仮名で和歌を書くことができないという事態は
ありえないことだと︑作者も読者も承知しながら︑あえて片仮名で和
歌を書くという設定は織り込まれていたのであった︒
﹁虫愛づる﹂姫君は︑あくまでもフィクションとして存在している︒
しかし︑それは︑一方では︑物語史を先取って︑片仮名で和歌を書く
女君の先駆的な姿ともなっている点において︑この作品の先見性を表
す重要な箇所でもあったと位置づけられるだろう︒ おわりに
ここまで︑﹁虫愛づる姫君﹂に描かれた︿片仮名で書かれた和歌﹀
をめぐって︑他の作り物語の用例と併せて︑物語史の流れの中で考察
することによって︑新たな解釈を示してきた︒従来の説は︑いずれも︑
﹁虫愛づる姫君﹂という︑物語史においてもかなり特異な作品を対象
としながら︑あまりにも事柄を普遍化させすぎたものではなかったか︒
片仮名は︑︿表音性﹀︿男性性﹀ということと無条件で結びつけられ
ることが少なくない︒しかし︑先にふれたように︑片仮名がどのよう
な場で発生し︑そのことによってどのような性質を始原的に備えてい
たかということと︑ある時期に︑ある場面において︑片仮名が日本語
を書くために︑あるいは和歌を書くために使用されるということとは︑
結びつくこともあれば︑結びつかないこともある︒片仮名によって日
本語を書くということについての考察はまだ十分に行われているとは
言えない︒今後とも︿時期﹀と︿︵使用︶場面﹀に留意しながら︑そ
うした考察を蓄積していく必要がある︒
日本語学・日本文学の両面からこの問題を照らし出すことによって︑
作り物語に描かれた片仮名で書かれた和歌に関しては︑その位置づけ
が明らかになったと考える︒ただし︑本稿では扱わなかった﹃うつほ
物語﹄の例など︑物語におけるさまざまな表記の問題については︑な
お課題は多いと思われる︒今後も継続して考察していきたい︒
﹇注﹈︵
1
︶築島裕﹃日本語の世界
5
仮名﹄中央公論社一九八一年︵
2
︶坪井美樹﹁︿片仮名﹀で書かれた和歌︱
︽虫愛づる姫君︾の詠んだ和歌をめぐって
︱
﹂︵﹃文藝言語研究言語篇﹄29
一九九六年︶︵
3
︶三谷栄一﹁︵本文鑑賞︶片仮名の手紙﹂︵﹃鑑賞日本古典文学第12
巻 堤中納言物語・とりかへばや物語﹄角川書店 一九七六年︶
︵
4
︶立石和弘﹁虫めづる姫君論序説︱
性と身体をめぐる表現から︱
﹂ ︵ ﹃
王
朝文学史稿﹄
21
一九九六年三月↓﹃研究講座堤中納言物語の視界﹄︵新典社 一九九八年︶所収︶
︵
5
︶諸本により異同がある︒特に︑a
の用例は︑﹁片仮名にて﹂の部分が﹁あらぬ筋に紛らはして﹂となっている本も多い︒
︵
6
︶例えば︑徳永良次氏は︑﹃古今和歌集﹄の平仮名本と片仮名本の比較検討において︑﹁片仮名﹂の機能を﹁情報の蓄積・学際的﹂とし︑片仮名本の性
格を︑﹁学問研究の資料として﹃古今和歌集﹄を捉えようとした意識が用字
面で顕在化したのではなかろうか﹂︑﹁﹁家統﹂を重んじ︑﹁家﹂の名誉をかけ
て﹁秘伝﹂を伝承するためには︑片仮名の性格の方がふさわしいと思われた
のであろう﹂と述べる︵﹁用字法と書写意識
︱
平仮名本と片仮名本の比較を通して
︱
﹂︵﹃北海学園大学人文論集﹄
5
一九九五年一〇月︶︶︒︵
7
︶g
の﹃風に紅葉﹄の用例のみ︑﹁なべてならぬ書きざま﹂とあり︑片仮名の筆跡が美しいことが強調されている︒はたして︑片仮名に鑑賞に堪える美
しさがあったかどうか︑時代的な変遷を含めて︑今後の検討課題としたい︒
︵
8
︶小松英雄﹁かたかんなの和歌﹂︵﹃徒然草抜書︱
表現解析の方法﹄講談社学術文庫 一九九〇年︶ ︵
9
︶﹁はふはふ﹂﹁長き﹂と詠み込まれた和歌への返歌であるのだから︑﹁纏はれ﹂の意味で十分呼応していると考える︒坪井美樹氏︵前掲注︵
2
︶論文︶も指摘している通り︑﹁まつはれ﹂と﹁まつ我﹂を掛けた和歌は︑他に見いだす
ことができない︒小松氏自身も︑﹁待つ我﹂の掛詞は文脈的に不成立と見て
おり︑﹁先づ我﹂の掛詞を﹁なによりもまずこの虫の姿がにくにくしいと姫
君が言ったところで︑不思議はない﹂と述べる︒しかし︑﹁まづ我○○﹂と
いう形の場合︑︿他の何にも先んじてまず私が○○﹀と解釈しなければなら
ないのではないか︵例えば︑﹁立ち寄りてまづ我折らむ女郎花荒き風にもあ
てじと思ふを﹂︵﹃清慎公集﹄五八︶という和歌は︑女との贈答歌で︑続く五
九番歌では﹁我ならで誰かは折らむ女郎花﹂と詠みかえられていることから
も︑﹁まづ我﹂の箇所は︿他の誰でもない︑まず私が﹀の意で解釈すべきも
のであることがわかる︶︒小松氏の﹁まずこの虫の姿がにくにくしい﹂とい
う解釈は︑﹁先づ虫憎し﹂という本文でなければ成り立たないであろうし
仮に︑︿誰よりもまず姫君が︵蛇を︶憎い﹀と解釈したとしても︑意味が通
らない︒よって︑﹁待つ我﹂﹁先づ我﹂いずれの掛詞も不成立と考える︒
︵
10
︶前掲注︵4
︶論文︵
11
︶土方洋一﹁物語のポスト・モダン︱
虫めづる姫君︱
﹂ ︵﹃
物 語 史
析学﹄風間書房 二〇〇四年︶
︵
12
︶この点に関しては︑小松英雄氏の︑﹁この姫君の強烈な個性を考慮することなしに
︱
あるいは︑ヒロインを個性的に描こうとした作者の意図を斟酌することなしに
︱
︑﹁仮名はまだ書き給はざりければ﹂という表現を皮相に理解して︑当時における文字習得の一般的なありかたを論じたりするこ
とは明らかに誤り﹂︵﹁うしのつの文字﹂︵前掲注︵
8
︶書︶︶という主張に︑全面的に賛同するものである︒
※本文の引用は︑以下のテキストに拠った︒なお︑読解の便宜上︑表記を私に改
めたところがある︒・﹁虫愛づる姫君﹂⁝⁝新編日本古典文学全集︵小学館︶・﹃源氏物語﹄⁝⁝日本古典文学全集︵小学館︶・﹃狭衣物語﹄⁝⁝新潮日本古典集成︵新潮社︶・﹃夜寝覚物語﹄﹃風に紅葉﹄⁝⁝中世王朝物語全集︵笠間書院︶・﹃兵部卿物語﹄﹃石清水物語﹄⁝⁝鎌倉時代物語集成︵笠間書院︶・﹃清慎公集﹄︵実頼Ⅰ︶⁝⁝私家集大成︵明治書院︶
﹇付記﹈本稿は︑﹁片仮名で書かれた和歌﹂と題して行った︑今野・藤
井の対談形式の学内講演︵二〇一一年十二月一日/主催・清泉女
子大学日本語日本文学会︶を基にしたものである︒