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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

精神薄弱教育における教育課程の研究 ― 生活単元 学習と教材単元学習の関連性について ―

著者 津曲 裕次, 小野村 胤昭, 今西 政弘

雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要

巻 6

ページ 99‑110

発行年 1970‑02‑27

URL http://hdl.handle.net/10105/6182

(2)

精神薄弱教育における教育課程の研究

 生活単元学習と教材単元学習の関連性について

津曲 裕次・小野村胤昭・今西 政弘      (障害児学教室)

I はじめに

 本研究の共同研究者の一人である津曲は,本研究所紀要において,過去二回にわたり,教育課程 論への問題提起をおこなってきた。具体的には,埼玉県K小学校特殊学級の実践記録を分析の窓口 としながら,「特殊学級(精神薄弱)成立経緯の研究」(津曲1968),「特殊学級(精神薄弱)

に対する親と教師の期待」(津曲1969)をとりあげ,教育課程を論ずるにあたっての諸要因を追 究してきた。こうした研究において,徐々に明らかになってきたのは,精神薄弱教育における教育 課程の研究は,精神薄弱児の特性に加えて,精神薄弱教育をとりまく,教育学的・社会学的諸要因 の分析も不可欠なのではないかということであった。K小学校特殊学級の実践を通しての研究は,

さらに継続中であるが,私どもの教室では,一方において,専攻科に学んだ現場の教師,研究室の 学生,研究者による教育課程に関する共同研究が進められていた。ここでの問題意識は,現場での 実践をよりよいものにしたいということであり,そのために現在の精神薄弱教育の教育課程の主流 をなしているところの生活一単元学習を中心とする教育課程をあらゆる角度から分析してみようとす ることである。

 昭和41年からはじまったこの共同研究は,はじめは,現場の実践を中心にした話し合いであった が,昭和42年ごろから,養護学校学習指導要領(精神薄弱教育編)(文部省 1963)一以下では 学習指導要領と略す一をいかに読むかということを中心に討議を重ねた。ここでの問題は,いずれ 稿をあらためてのぺる予定であるが,結論としては,学習指導要領に用いられている諸概念や論理 が必ずしも明確でないということに至った。しかしながら,私たちにとって,そのあいまいさを十 分に説き明かすには,まだ多くの問題点があると考えられたので,学習指導要領の分析はひとまず 置いて,次の作業にとりかかった。

 かくて,昭和43年に入り,私たちは,学習指導要領をうけて.さらに具体的な形をとった各都道 府県教育委員会による教育課程編成のための資料を分析し,学習指導要領の研究を深めようとした。

上述の如く,学習指導要領にみられるあいまいさ,矛盾点があるとする私たちの見方が正しければ,

各県の教育委員会の解釈・展開の中にも,そうした点があらわれているのではないかということが ひとつの出発点でもあった。しかも,学習指導要領を全体としてみるとき,それぞれの概念や論理 の範囲が広すぎることも感じていたので,まず,生活一単元学習を中心とする教育課程を前提とした 上で,その論理構造を追究し,その過程で矛盾あるいは問題点を探ることにしたのである。

 学習指導要領の分析を総括することによって,私たちは,精神薄弱教育における教育課程論は生 活一単元を中心とした現在において主流的な教育課程の批判的分析なしにはなりたちえないという結 論にいたった。勿論,私たちは,こうした教育課程そのものへの批判(藤本1969)もかなり有力

一99山

(3)

であることも十分に承知している。私たちは,こうした批判のある部分には無視することのできな いことを知りながら,現在の段階では,一応,生活単元学習を中心とする教育課程論を考察してみ

ようとしているのである。

 本研究は,こうした三年間の共同討議をもとにして津曲がまとめた。大学問題の進展や,現場の 特殊学級担任としての実践たどのために,まとめの段階で十分な話し合いの時間をとることができ なかったが,これをくぎりとして,さらに討論を深めていこうとしている。なお,私たちの討論に は,研究室で学ぶ小石百一々代さん,富田みつさんが記録の整理,資料の提出などの任にあたってく れた。二人とも卒業論文に教育課程に関するテーマをもっていたこともあって,その参加は,大い に参考になった。来年には現場人として私たちの共同討論に参加してもらえることを期待して,こ

こに感謝の意を表したい。

血生活単元学習と教材単元学習の関連性の分析

 1 研究の経過

 戦後20年余にわたる精神薄弱教育の歩みの中で,現在の当面する最大の課題は,その教育課程の 問題である。1963年(昭和38年),学習指導要領が文部省によって示されて以来,それまで各地 でじょうせいされて来た教育課程への試案や議論が一気に花を咲かせた感があった。

 各都道府県では,教育委員会や特殊教育研究連盟の手によって,各種の教育課程試案や指導事例 集が作成された。たとえば,1965年8月現在では,30都道府県の教育委員会で教育課程の試案が 完成したといわれる。また,教育課程に関する多くの文献が出され,現在までにI33号を教えるに 至った全国特殊教育研究連盟機関誌「精神薄弱児研究」でも,最近号において,85.96,1O1,

105,117.114,13湯で教育課程を特集し,さらに,87.89,96,11O,I16,124号など でもそのスペースを教育課程のためにさいている。

 こうした状勢の中で,私たちは,精神薄弱教育の教育課程を考察するために,まず,学習指導要 領の検討に着手した。しかしながら,この学習指導要領は,各学級の実態に即して,担任者自らが 具体化するという原則のもとに,一般的な指針とその内容の傾向を示した段階で止め,これより後 は現場の実践を伴う研究を待つという段階であったこと,さらに,学習指導要領がこの分野での始 めての試みであっただけに,その構造,使用されている用語の概念及びその相互の関係が必ずしも 明確でないなどという理由のために,学習指導要領の内容のうけとり方にいろいろな相違がでてき た。したがって,学習指導要領の分析をさらに進めるためには,現場において,学習指導要領がど のようにうけとめられ,実践されているかということを検討する必要があるのではないかと考える に至った一本研究は,それへ至るステップのひとつとして,教育課程分析の方法論をさぐるための 目的を加えて,各都道府県の教育委員会が学習指導要領をどのように解釈し教育課程の試案として いるかということを明らかにしようとした。

 本研究は,まず,可能なかぎり,各都道府県で最近の教育課程試案を集め,分担して分析をはじ めた。ここにおいて,最初にぶつかった問題は,学習指導要領のあいまいさが,そのまま,各試案 にもあらわれているということであった。このことは,学習指導要領のいう生活単元という概念を 問題にするかぎり,同じ問題にぶつかることでもあるので,私たちは,一応,生活一単元学習を中心

{oo一

(4)

とする教育課程を前提とし,その構造を考察の対象とすることにした。周知の如く,現行の学習指 導要領による教育課程は,生活単元学習,教材単元学習,日常生活指導,学校行事等,道徳などか ら構成されている。生活単元による教育課程という場合は,こうした諸領域が,生活一単元理論によ って統一的に把握されねばたらないものといえよう。こうした各領域間の論理は,教育課程論その ものではないが,教育課程の理論分析の有力な手がかりとなるものと考えた。

 上述の諸領域は,いわゆる教育課程の構造図として多くの試案の中でみられるところのものであ り,そのどの部分をとっても多くの問題をもっている。そこで,私たちは,まず,生活単元学習と 教材一単元学習の接点を問題とした。その直接のねらいは,生活単元学習と教材単元学習がどのよう な論理でもって結びつけられているかということを明らかにすることであるが,その分析を通じて,

生活単元学習を中心とした教育課程の論理を明らかにすることが究極のねらいであったのである。

 2 作業仮説の設定

 生活一単元学習について,学習指導要領解説編(文部省66)怯,「ドクロリーやデクードルの考 え方の発展したものとして,児童・生徒の興味を中心とした一つのまとまりを持たせた学習活動」

として,教育課程の第一に重要な要素としているが,一方では,「そうしたやり方によって必要な 経験をもれたく与えることができるかどうか,またしゅうぶん身につくまで系統的に反復学習する 機会があるかどうかという点が問題になる。」とも述べている。そしてその結果「生活単元,作業 一単元以外の学習形態が必要になってくる。」特に「国語,算数については指導の時間を特設してい

る場合が多い。」と述べ,生活単元学習の限界性をも示唆している。

 学習指導要領にみられるこの二つの考え方が,生活単元学習を中心とする教育課程をさまざまに 解釈させてきた。具体的には,学校・学級の経営目標,児童・生徒の能力との関連において,生活 一単元学習と他の学習形態はいろいろに位置づけられる可能性をもったのである。私たちは,各県の 教育課程試案をざっと分析したあとで,その関連づけの論理を,生活単元学習と教材単元学習にし ぼって,次のように分類し,今後の分析の仮説とした。この作業仮説を設定した段階では,各県の 教育課程試案は,このうちのどれかに分類されるのではないかと考えたのである。

①生活単元学習を中心とした学習形態ですべての必要な経験や学習内容が統合・合併され,児童

・生徒に与えることができるという考え方である。したがって,こうした学習形態で不十分なとこ ろができたり,必要な経験が欠けたりするのは,指導する教師の技術的な問題あるいは教育課程編 成の方法上の問題であるということになる。したがって,学習形態としては生活単元学習以外には 予想されないのである。

② 生活単元学習という学習形態では,どうしても偏りがあり,必要な経験や学習内容がもれおち たり,あるいは,不十分たままに通りすぎてしまうおそれがあるとする考え方である。したがって,

ここでは,生活単元学習による学習形態のほかに,それを補うためになんらかの学習形態を考慮す る必要性を認める。この考え方は,生活単元学習の受けとめ方によって,更に,次の四つの型に分 けることができる。

 イ,生活岸元学習では押えられる内容と押えられない内容(もれおちる内容)がある。したがっ  て,。押えられない内容を補足するために他の学習形態を導入する。具体的には,生活一単元学習に  組みこみ得ないとする内容を教材単元学習において導入する形態をとる。

→01一

(5)

 口,生活単元学習において,必要な経験や内容は指導することができるという前提に立つが,そ  の深さ,系統性・反復性の面では不十分になりやすいとし,生活単元学習の内容をさらに他の学  習形態で指導しようとする考えである。ここでは,国語・算数などのいわゆる用具教科や音楽・

 図工・体育のように,生活単元学習では十分に指導しにくい内容・経験が,教材単元学習として  編制される。この場合は,生活単元学習の内容・経験と教材単元学習のそれらとは関連づけられ  ているのがふっうである。

 ハ,生活単元学習をさらに限定的に理解する立場である。ここでは,生活単元学習は,いわば日  常生活指導的に理解され,児童・生徒に必要な経験や内容は,教科として教えようとする。した  がって,ここでは,教育課程編制上教科的な内容の選択・配列がおこなわれ,方法的にも系統性  や反復性が重視される。

 二,いわば折衷型であって,ある内容によっては生活単元学習を補充し,ある内容によっては生  活単元学習の内容の強化をねらうもの。生活単元学習を前提とするかぎり,この論理には疑問が  あるが,一見したところ,この方式が一番多いように思われた。

 私たちは,こうした作業仮説を,一単純化して,①生活単元一元論,②生活一単元限定論(イ,もれ おち方式,口,だめおし方式,ハ,別だて方式,二,折衷方式)と名づけ,各県の教育課程試案を 分類しようとした。この際の分析の対象は,教育課程試案の理論的解明の個所と,具体例としては,

展開例のうち1O月又は11月の部分であった。こうした作業を通じて,一方では作業仮説そのものの 検討と,教育課程試案の分析を試みたのである。

 3 分   析

1.生活単元一元論,結論を先にいえば,私たちが分析したかぎりにおいて,上記の作業仮説にそ のままあてはまるタイプの教育課程試案は存在しなかった。そこで,私たちは,作業仮説を中心と した分析をやめて,各県の教育課程の具体例を分析することにした。

 島根県の場合:上記の事情は,特に,生活一単元を一単一の柱として教育課程を編制しているタイプ の試案を求める作業にはっきりとあらわれた。30にのぼる各県の教育課程試案は,なんらかの意味 で生活一単元学習を限定してかかり,他の学習形態をつけ加えていたからである。しかし,ここでと

りあげる島根県の場合は,読みとり方によっては,やや生活単元一元論に近いと言える。

 同県試案は言う:「教育的視点は「生活経験の流れ」の中の教科的改色彩の強い経験内容とこれ に関連する教科の系統的な内容(精薄児でも学習可能な)やドリルを必要とする内容を教科のまど をかりて配列したものである。したがって,ここに示された内容はその一つ一つを各個にとりあげ て指導するものではなく『生活経験の流れ.日の中で指導すべきものである。」(島根県教育委員会

1965)したがって,ここでは,「生活経験の流れ」という概念のもとに,教育課程を統一的にと らえようとしていると理解できる。第1表にみられるように,島根県の教育課程試案の展開からは,

教材一単元学習や日常生活指導がはずされているのは,この事情によるものであろう。

づ02一

(6)

第1表特殊学級(精薄)教育課程基準(11月)小学校・中学校       1965,3.(島根県教育委員会)

単 小 生活経験の 教  科  的  視  点 一単元の目標

一単一

兀 流れ 国 語 社会 算 教 理 科 音 楽 図 工 家 庭 体 育

1.田畑で 1.家の人 ・家の ・家の ・さつ ・球根 ・「か ・本立 ・ぶか ・べ一 は収かくの の仕事の様 人や仕 人の仕 まいも の水さ かし」 などを しいも スボー 時期が来る 子について

こうした多 事の名 事のよ の目か いはい

話しあう。 (遊) つくる づくり ルあそ

虻の中で家 (1)お父さん 前を読 うすを たをは をする 「ゆり (組立 び・な 族の一員と す お母さんの んだり しらべ かる。 ・学級 かごの セット) わとび

い一

して家庭生

しごと(2)兄 書いた る。お はかり 園のさ 歌」「 ・働く

ろ一 短なわ

活を理解さ 姉のしごと りする 父さん のっか つまい 中国地 人を絵 長たわ

。、

せ協力でき ん 2.自分に

るようにす もできるお ・お手 やお母

い方, もの収 方の子 や粘土

る。 で 手伝いのあ 伝いの さんの

な 佃,9 かくを 守歌」 で表現

し 働 ることを知 (鑑賞)

ご り,実行す

こ る。(1)実行 と

の計画(2)自

分の手伝い の発表

3.みんな のために働

L一一」 一L一 1一一へ_ I一、

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一 ㌧ 、_  、、■ 、・へ_ へr(し一 、一、

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 上の表でもわかるように,「生活経験の流れ」に含まれる経験・内容が,それぞれの教科の内容 となっている。しかも,その関連性がかなり一貫していることが読みとれる。しかしながら,音楽,

体育だとの内容の中には,あまり関連性のない内容も含まれていることや,実際の指導場面で,教 科のもつ系統などをどのように考慮するかという疑問は残った。

2.生活単元限定論,私たちの分析の対象になったほとんどの教育課程試案がなんらかの意味でこ の立場にあることは前にのべた通りである。こうした事情の背景には,学習指導要領のもつ拘束性 や地方教育委員会の中央への依存性等さらに分析しなければならないものがあるが,一般的にいっ て,これらの教育課程試案は,生活単元(作業単元)学習による学習形態を中心に,教材単元学習 を関連づけようとしていた。

 本研究のねらいは,ここでみられる関連性を分析することであるが,この作業は必ずしも容易で はなかった。それは,分析の過程で,私たちがまえもって用意していた作業仮説が必ずしも適切な ものではないということが明らかになってきたからである。したがって,私たちは,作業仮説を前 面に出すことはやめて,実例の分析を通して,作業仮説そのものを再検討する形での分析をすすめ たのである。

 佐賀県の場合:佐賀県では,教育課程は,生活単元学習,作業単元学習,教材単元学習,日常生

活指導,道徳の六領域で構成され,「生活一単元と教材単元,作業単元と教材単元との間には密接な

関係があるから統合したり,補充して指導することが望ましい」(佐賀県教育委員会,同特殊教育

      →Oεト

(7)

研究会,1966)としている。

 こ1こでいう教材単元学習とは言語・数量・健康・情操(音楽・図工)で構成され,生活単元の学 習内容と関連づけて位置づけられる。その関連の仕方には,統合・補充の二つが予想されているよ

うに,生活一単元の学習内容によって,関連のさせ方が違うということになる。

 たとえば,11月単元「働く人々」では,生活単元学習において「家族調べをする。」という学習 活動がとりあげられているが,教材単元学習の言語領域では「自分や友だち,家族の名を漢字で書 けるようにする。」,数量領域では「家族の年令を棒グラフや計算で大体比較できるようにす昼」

という学習活動が展開される。ここでは,教材一単元学習は,生活単元学習の学習内容を利用して教 材的内容をおしえ,さらに,教科的内容によって,生活単元をたしかなものにするという関係にあ る。私たちの仮説でいえば,rだめおし」と「別だて」の結合形態である。

 しかしながら,佐賀県の場合は,一方では,生活単元学習の学習活動が,一般的にいって理科的,

社会科的内容が多いとして,言語,数量との関係は,生活単元を補充するという関係にあるともい う。私たちのいう「もれおち」の論理である。さらに,健康.情操(音楽・図工)においては,生 活単元学習が行事を基調とした学習活動の場合には,生活単元に統合される。たとえば運動会,学 習発表会という単元が組まれている場合には,健康領域では「ラジオ体操の練習をする」,情操(

音楽・図工)では「運動会の歌を練習する」「運動会のようすを絵にかく」という学習内容が組み こまれる。しかし,生活単元学習が,行事以外のものである場合には,この間の関係はうすくなる。

たとえば 11月単元では,健康領域のドッジボール,情操領域の歌「もみじ」「たのしいうた」

「村のかしや」図工「秋の風景をかく」などを,季節題材とでもいわれる学習内容となる。

 このように,佐賀県の場合は,生活一単元学習と教材単元学習とを関連づけようとしながら,生活 単元学習そのものが明確でないために,一貫した論理がたてられず,私たちの仮説がいろいろな形 であらわれているのである。

 広島県の場合:広島県の試案では,教育課程を「中心課程(生活単元学習,作業学習)」と「関 連・系統・ドリル課程(教材一単元学習)」に構造化している。ここでいう生活単元学習とは「生活 のために」「生活の手段として」「生活を学ぶ」ものであり,「発達の系統性」を中心に経験をま とめようとしている。一方,教材単元学習は,生活単元学習においてもれてくる面や,さらに発展 的,または系統的に掘り下げて行くべきものや,反復練習していく必要のあるものについては,こ れを補い,関連的に,系統的に,また必要に応じて反復練習的に取扱う学習であるとしている。言 葉をかえていえぱ,教材単元学習とは、生活単元学習を深め,生活一単元学習の前提となり,生活単 元学習を補い,時には反復練習によって強化する学習形態汰のである。

 したがって,ここでは,私たちが,生活一単元学習と教材単元学習との関連において予想した全部 の論理がみられる。しかし,問題はその展開である。

 11月の生活単元は「働く人」であるが,さらに,小単元として,①文化の日,②いろいろな仕事,

③おてつだいに州ナて学習活動・学習内容,教材一単元学習を展開する。「文化の日」一単元では,学 習活動として,11月のカレンダーをとりあげ,学習内容「カレンダーなどに親しみ,日付けや曜日 がわかる。」,教材単元「算数」(きのう,きょう,あした,おととい……などのことぱがわかる。

「社会」(文化の日,勤労感謝の日)などとつながっている。また,「いろいろな仕事」一単元にお

      →⑫ト

(8)

いても,「近くの工場を見学する」学習活動において,「簡一単な記録などを書く」学習内容があり,

教材単元「国語」(工場見学で見たり聞いたりしたことを順序よく話す,礼状の書き方を知る)と なっている。(広島県教育委員会,五968)

 このように,広島県の教育課程試案では,生活単元学習において,包括的な学習内容を展開し,

教材単元学習において,さらに具体的にとりあつかおうとしている。その意味では,教材単元学習 は,生活一単元学習の「だめおし」的性格をもっている。

 しかし,・一方では,同じ11月の展開例において,理科(火の正しい扱い方,ゴムやバネを使った おもちゃをつくる。糸電話をつくって遊ぶ),音楽(皆と声をそろえて歌う,リズム楽器で演奏す る,和音をきいてきめられた動作をする。),図工(木の葉や実を使って構成する,針金,板金を 使ってごく簡一単なものを作る,ダンボールなどを使って自分の意図した表現をする),体育(フッ

トベースボールやドッジボールをす孔走り中とぴをする,簡単なリレーをする。)などの学習活 動は,11月の「働く人」一単元との関連性はとぽしい。他の月の例をみても,6月の「つゆの頃」一単 元における国語・算数・音楽・図工・体育もこれにあたる。ここでは,生活単元学習と教材単元学 習は別だて構造をとっているのであ机

 このように,生活単元学習と教材単元学習との関連は,その月の生活単元学習の内容如何に左右 されることが多いのであって,広島県の教育課程試案にみられる如き論理は,それぞれの月の生活 単元学習の内容との関連で吟味されねばならないものと考えられる。

 群馬県の場合;群馬県では,生活単元と教材単元の関連について次のように述べている。「生活 単元などにおいて読み書き計算を含めたあらゆる指導内容が,学習形態で取りあげられるにしても,

繰り返し系統的に指導しないと子どもたちの身につかないものがある。これらは,生活一単元におい てもいろいろな機会にさまざまの方法で考えられなければならないが,その上,更に反復練習して 系統的に子どもたちに与えられる機会が必要である。この必要を満たすのが教材単元である。」

(群馬県教育委員会:1968)したがって,群馬県では,第2表にみられる如く,全ての教科的内 容が生活単元学習の中でおこなわれている。教材単元学習では,算数,国識こついてドリル的た扱 いをしていること,社会,理科については教科単元としての時間を特設していないこと,音楽,図 工,体育については,器楽合奏,鉄棒,マット運動などは教材単元としてとりあげた方がよいとし ていることが特徴的である。

第2表 群馬県教育課程試案三1月

単一

月 兀 目標(具体目標) 学習活動(内容) 指導上の留意点

名 材

1.父母が自分たちのた I.みんなの家や近所の ・おとなになれば,誰でも働 は

』、

た ろ めに働いていることがわ 家の人の仕事についてし かなければならないというこ

レ、

かり,感謝の気持を養う らぺる。 とをわからせる。

ろ とともに,働くことに関 (1)父母や家族の仕事につ ・生活していくためには,い

1工 人

々 仕 心を持たせる。 いて ろいろな仕事をする人がいな

事 (2)友だちの家,近所の家 ければな1らないということに

→05←

(9)

2.日常生活に関係の深 い公共施設や職業などに ついて関心を深め,それ らのはたらきがわかりし だいにそれらを利用する ことができるようにする。

3.金銭をたいせつにし,

の仕事について

(3)いろいろな職業や仕事 について

(4)どんな職業が多いか 2.商店の仕事をしらべ

る。

(1〕市内の商店のようすを 見てまわる

(2)デパートとはどういう ところか

(3)みんなの家の近所とま ちのまん中の店をくらぺ

る。

(4)いろいろな店の種類を くらぺる

3.役所の仕事について くらぺる。

気づかせる。

・特に知能の高い児童には,

仕事の種類を統計的に扱って みたい。

・専門の店とデパートとの違 いについて考えさせる。

・いなかの店と町のまん中の 店の違いに注意させる。

、しrJへ一八一、一 へ一㌧ 、ヘノ舳一肌〜㌧

 上の表にみられるように,教材一単元として表面にはでてこないが,時間配当では教材一単元学習の 時間を全体の30パーセントとしているから,生活一単元学習の中でなんらかの形で消化していくので あろう。私たちの仮説でいえば,ドリルを軸にしただめおし方式と,学習内容(音・図・体)によ

っては,はじめから生活単元学習からきりはなした別だて方式の折衷といえよう。

 三重県の場合:三重県においては「教科中心の指導にも無理がある。また,生活中心の指導にも 限界がある。「生活の中で生活を」というぱくせんとした言い方ではよりどころとして不明確であ

るとのぺ,生活単元学習は「具体的経験を通して,人間としてのくらしの理解,態度,・技能を習得 させる。従ってこれは全生活,全教科にわたるものであえて特定の教科内容からなるものでは机・」

(三重県教育委員会地,1966)としている。したがって,教材単元学習は「くらしの中にある理 解,態度,技能を特定の教材を媒介として習熟させ深化させることをねらいとした学習」であり,

「生活単元学習とは強いて関連を持たない」し, 「重複するものもある。」(同上)とのべている。

 三重県の基準案によれば,第3表にも明らかなように,教材一単元学習は,普通教科に沿った展開 をみせている。教材単元学習は,最初から教科としての系統をおっており,このかぎりでは,生活 単元学習とは強いて関連していない。ここでの生活単元学習は,子どもの生活そのものであり,教 科への導入あるいは動機づけとしての色彩が強い。したがって,私たちの仮説でいえば,別だて方 式のひとつの典型である。

 鹿児島県の場合:鹿児島県の教育課程試案においては,生活単元学習は,各教科をあわせたもの となっている。これに対して,教材単元学習は,生活一単元学習を深めるもの,生活一単元学習の前提 となるもの,生活一単元学習に含めにくいものとして規定されている。

イ06一

(10)

第3表 三重県改訂特殊学級教育課程基準(案)n月小学校       (三重県 教育委員会,1966)

一単一

生活単元 生活単元

兀 目  標 内  容 教     材     隼     元

美しいも ・美に対 内        容

のをみて する関心 目  標

国 元 聞く・語ナ 読  む書  く

自分たち をたかめ

ごとは  …

の環境を 環境美化 1.読物をよむ ・話のす ○物語の ・おもし 文 美化しよ の気持を ことに興味を じやおも 文   ろいとこ

うとする おこす

も もたせる しろかつ ・さし絵ろをノー

気持ちを (図) ろ 2.話の内容を たところ とくらペ トにかく つくる (展開例)

レ、

話したり説明 を話しあ ながら話 ・紙芝居

1.文化の 童 したりできる

の内容をつくり

日の話を 読みとる

きく ・いるい

2.展らん む ろな本を

会や美術 語 よみ読書

展をみに 生活を高

いく める。

3.学校の

祭 文化祭に エ.もののできる 身辺生活 集団生活1詰合へ息 経済生活 出品する までのようすが

の ・物ので ・物を大

4.作品た で 体わかる。

きるまで 切にする とで教室 2.物を大切にし (スライ ことの必 をかざる 会 むだをしない

ドによつ 要 で うになる。

て)

算 形

L

1.ま四角と長四 の区別 数計算雛図形醤暴実務

一㌔ノ へ一.

へ.!

 したがって,鹿児島県では,生活単元学習と教材単元学習との関連は,生活一単元学習の内容を 各教科の枠組で分類し,さらに教材単元学習の内容との重複をさけるようにしてはいるが,もれお ち,だめおし,別だての三つの論理が同時に予想されている。

 たとえば,生活一単元学習の中心でも教材単元学習としての系統をおって内容がおさえられている もの(カレンダー・時刻),教材一単元学習の内容の系統性は大体において一貫しているが,生活一単 元学習が行事的内容であるために,別だてのような型になっているもの(?月「たなばた」単元に おける50までの数の指導,9月「十五夜」単元における50までの数の指導),教材埣元学習の内容 が,生活単元学習の内容の発展・深化となっているもの(1O月「遠足」単元におけるお金の計算)

などとなっている。ここでも,生活単元のとらえかたによって,その論理の様相がちがってくるも のといわねぱならない。

       一{㎝一

(11)

 4 考   察

 私たちは,こうした分析によって,各県の教育課程試案を分類し,大まかな傾向を知ろうとした のであったが,そのための作業仮説を再検討することが第一の問題となった。既にのぺたように,

私たちは,先の学習指導要領の分析を通して,生活単元学習と教材単元学習との間には,大きくわ けて二つ,更に細分して五つの関連づけの論理があるのではないかと予想し,それを証明する形で 分析をすすめたのであった。即ち,その作業仮説を簡単にまとめれぱ次のようである。

1 生活単元一元論, 2 生活単元限定論(イ,だめおし一深化,ドリル,  口,もれおち_

補充1  ハ,別だて, 二,折衷)の論理である。

 その作業を通して,まず明らかになったことは,こうした作業仮説にそのまま該当するような試 案は,全く見出すことができなかったということである。そのいずれをとっても,二ないし三の論 理を組合せて両者の関連を考えていた。とすれば,いわゆる折衷方式がとも思えるが,むしろ,混 合方式と呼んだほうがふさわしいように思われた。こうした分析の結果は,まず第一に作業仮説そ のものの再検討をせまった。私たちは,あらためて作業仮説に検討を加えたが,問題は教育課程試 案の論理に一貫性がないことであり私たちの仮説は,そのままの形ではあてはめることはできない けれども,分析をすすめる上での視点としての役割をはたすことは十分に可能であると考えた。こ こにおいて,私たちは,教育課程試案における生活単元学習と教材単元学習の関連づけの論理が一 元的でたく,きわめて多様であることを確認し,その要素的分析の視点として先の仮説を役立てる ことにしたのである。

 こうした視点については,その内容について若干の変更が必要となった。それは,前にもふれた ように,折衷方式という分析視点が,実情にそぐわないということがでてきた。私たちが作業仮説 を設定した段階では,生活単元学習をなんらかの意味で限定的に考える立場において,生活単元学 習の内容によっては,教材単元学習と生活単元学習をつなぐ論理に,「だめおし」の論理と「もれ おち」の論理が同時に想定される場合もあるのではないかと考えた。この意味を追究すれば,生活 一単元限定論の中にも,積極的生活単元論一もれおち,だめおし一,と消極的生活単元論一別だて一 があると予想し,前者を折衷方式の中に入れようとする意図があった。

 しかるに,分析のプロセスでも明らかなように,そのほとんどが折衷といえぱいえる論理であっ たが,よく考えてみると,上記のような意味のものではなく,生活一単元学習の内容如何によって,

もれおち,だめおし,別だてが混在しているという形をとっていた。上にのぺたように,この三つ の論理も,生活単元学習をどのように考えるかということによって,お互いに相入れない内容をも っているはずである。しかるに,その点の吟味もなく,無雑作に用いられているということが,ひ るがえって,生活単元を中心とする教育課程の論理のあいまいさを示しているものと思われたので ある。

 したがって,私たちは,こうした論理を折衷方式と区別して,混合方式と呼んだ。ここでは,部 分的には生活単元一元論も入ってくる可能性をもっている。ここでは,もはや,教育課程の論理講 造ではなく,教育課程を成り立たせている論理の追究の問題が提起されるのである。

 このようにして,作業仮説を分析の視点ととらえた私たちは,そのいずれをとっても,現在の教 育課程の分析には可なり有効であるとの確信を得た。今後は,具体的な実践を通しての検討を加え

→08一

(12)

ることによって,あらためて,作業仮説をつくりあげる仕事があるのである。そのために,私たち は,残された問題を明らかにするために,さらに作業をすすめたいと考えている。

皿まとめにがえて

 私たちは,学習指導要領の分析,各都道府県の教育課程試案の分析をつづけてきたが,これらの 分析を通じても,なお,生活一単元を中心とする教育課程には,不明確な点が多いと思われた。そこ で,私たちは,再び出発点に立ちかえって,次の諸点を問題として整理した。即ち,(1)養護学校と 特殊学級の親近性と相違性,(2)精神薄弱児における学習の構造(特に学習の転移と能力)その他の 要因との関係及ぴ精神薄弱児の学習の順序段階,(3〕教育の限界に対する教育学的把握,(4)精神薄弱 児における「心理特性」と「行動特性」の間にあるもの,15)「生活Jの概念,(6)社会的白立の撮念、

(7〕作業を中心とする学習における生産的作業と非生産的作業に対する考え方,(8)生活一単元学習と日 常生活指導の関連性などであった。

 したがって,今後は,以上の諸点を明らかにしつつ,生活単元学習そのものを堀り下げることに なるものと思われる。そのためには,さらに,各現場の段階における考察を進める必要性を感じる

とともに,日常生活指導と生活単元学習とのかかわり,作業と生活一単元学習,教材単元学習などと のかかわりを分析していきたい。

 さきにふれたように,学習指導要領が公示されて以来。現在は各現場こおける実践の集大成の時 期であると考える。こうした実践の評価の上に,新しい教育課程が編制されることになるのであろ

う。そのためにも,本研究が何らかの役に立では幸いである。

文  献

1 藤本文朗(1969):ちえ遅れの子にも全面発達を一自立のための教育でなく,科学と生きか たを学びあう教育を一,「精神薄弱児研究」133:39,

2 広島県教育委員会事務局指導課(1968):広島県小・中学校特殊学級教育課程編成資料一改 訂版一,.

3 三重県教育委員会・三重県特殊教育振興会(1966):三重県改訂特殊学級(精神薄弱)教育 課程基準(案)小学校

4 文部省(1963):養護学校学習指導要領(精神薄弱教育編),教育図書,

5 文部省(1966):養護学校学習指導要領,(精神薄弱教育編解説),教育図書,

6 佐賀県教育委員会,佐賀県特殊教育研究会(1966):小学校・中学校特殊学級用並びに精神 薄弱養護学校小学部・中学部 佐賀県精神薄弱教育課程,

7 島根県教育委員会(1965):特殊学級(精薄)教育課程基準,小学校・中学校,

8 津曲裕次(1968):特殊学級(精神薄弱)成立経緯の研究一教育課程論への問題提起r,

奈良教育大学教育研究所「教育研究所紀要」4:4ト57,

9 津曲裕次(1969):特殊学級(精神薄弱)への親と教師の期待一教育課程論への問題提起一 奈良教育大学教育研究所「教育研究所紀要」5:73−83,

→09一

(13)

註 本研究の執筆者のうち,小野村胤昭,今西政弘は,心理学教室を卒業し,教育専攻科を 修了,現在は,小野村は奈良市立椿井小学校,今西は吉野町立吉野小学校の特殊学級(精  神薄弱)を担任している。

       一1969. 11. 7一

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参照

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