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Notch シグナルとがんの増殖・浸潤 Notch signal and the growth and invasion of cancer

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(1)

Ⅰ.はじめに

 Notch とは「刻み込み」「切り込み」の意味で,

Notch 遺伝子の変異が最初に見つかったショウジョ ウバエの羽の縁の形態異常から来ている(図 1).

Notch 遺伝子が発見された当初はその切り込み様の 目立たない形質からあまり注目されなかったが,そ の後ハエ遺伝学の進歩で Notch が細胞の増殖・分化 全般で重要な働きをすることが判ってきた

1)

.寧ろ Notch の機能が重要であるがためにこの遺伝子の変 異の多くが embryonic lethal(胚性致死)になり,軽 微な影響の変異体のみが生き残って成虫の表現型を 見ることができたと考える方が正しかった.

 Notch はハエ遺伝学の分類では「neurogenic」(神 経原性)という遺伝子群に分類されているので,神 経細胞の発生を例に Notch の機能について説明し てみる

2)

.ハエでも脊椎動物と同じく,神経細胞は 胚の時期体表面の上皮幹細胞の一部が分化してでき る.幹細胞は神経細胞への運命付けがされると,体 表からこぼれ落ちるように陥入して体内に入ってい く.この上皮細胞になる運命の幹細胞から神経細胞

【総説】

Notch シグナルとがんの増殖・浸潤

Notch signal and the growth and invasion of cancer

勝部 憲一 Ken-ichi KATSUBE

東都医療大学ヒューマンケア学部看護学科

が分かれる時,必ず将来の上皮細胞と交互に発生す るのが特徴である(図 2).Notch 遺伝子に人工的 に変異を起こさせて調べると,隣接する細胞間では Notch を発現し続ける幹細胞が上皮細胞となり,隣接す る Notch が発現しなくなる幹細胞が神経細胞となること がわかった.もう少し詳細な実験をおこなうと Delta と いうシグナル因子で刺激された Notch 発現細胞は神経 細胞分化を抑制されて体表を覆う上皮細胞に分化する一 方,Delta を発現する細胞は隣接した細胞でそれが神経 細胞に分化することがわかった

3)4)

.このような隣接細

要  旨

 Notch シグナルはさまざまな場所で働くシグナルであるが,当初その増殖・分化への影響から発生期での役割が注目さ れた.がん細胞への影響も細胞増殖との関わりから考察されてきたが,その関わりは造血系腫瘍を中心とした狭い範囲の 腫瘍でしか観察されなかった.最近 Notch シグナルががんとの関係で脚光を浴びているのはがん浸潤との関係である.腫 瘍転移で血行性転移は重要な経路で,がんが誘導する血管新生は悪性度と相関する.Notch シグナルは血管新生で重要な 役割を果たす.がん細胞は Notch シグナルを通じて安定した血管構築をおこない,より効率のよい転移をおこなうと考え られる.Notch はがん浸潤を進めることで悪性度に関与している可能性がある.がん治療の観点から Notch シグナルを制 御できる薬剤の開発は制がんへの重要な一歩になる.

キーワード:Notch シグナル,がん遺伝子,脈管形成,血管新生,がん治療

図1. ハエNotchシグナル変異で見られる羽形成の異常

Notch

Delta

Serrate

(2)

胞間で神経細胞への分化を抑制する Notch シグナル の効果を「側方抑制」(lateral inhibition)と表現し た

5)

.また羽の縁形成異常の別の型 Serrate が Notch と遺伝学的な相互作用を示したことから,Serrate も Notchシグナルに関連する遺伝子として認識されるよ うになった.そして Serrate は Delta と同じく Notch を刺激することが解明された.まとめると Notch 遺 伝子発見のきっかけとなった羽の縁の形態形成では,

羽の縁を形成する細胞の分化に Notch シグナルが必 要であった.遺伝子変異で Notch シグナルが働かな いと縁細胞ができず欠損するため,Notch,Delta, Serrate などの形態が見られたというわけだ

6)

.  このような Notch シグナルの作用機序から,その 遺伝子産物が細胞膜に埋め込まれたないし付着して いることが予想された.同定された遺伝子から合成 されたタンパク質は予想通り膜タンパク質であるこ とが確認され,リガンドの Delta も同様に膜タンパ ク質であることが実験的に確認された

7)

.その後こ れら Notch シグナル系の遺伝子ホモログは脊椎動物 でも発見され,動物界で普遍的な働きをする細胞間 シグナルのひとつであることがわかった

8)

.しかし そのシグナル調節はかなり複雑で,今でもはっきり わからない挙動が多く知られている.本稿では特に Notch シグナルががんの増殖に与える影響と,その 応用によるがん治療への道筋について述べてみる.

Ⅱ.Notch シグナルとは何か

 Notch 遺伝子が産生する Notch 蛋白は膜蛋白で,

膜貫通ドメインが一個しかない直鎖状の巨大な蛋白

である(約 300 kd)

9)

.細胞外ドメインで特徴的な のは繰り返される上皮増殖因子(EGF)様モチーフ で(EGF リピート),ひとつひとつのモチーフがシ ステイン残基を要としてユニット構造を示している

(図3).Notch は基本的に受容体として働き,その リガンドとして知られるのが Delta, Jagged である.

Delta(デルタ,三角形), Serrate(鋸歯)も Notch 同様最初に見つかったショウジョウバエの変異個体 での羽の縁または翅脈の形態異常の特徴から命名さ れた.Delta, Serrate とも Notch と同じく細胞外ドメ インに EGF 様モチーフが繰り返されるが

10)

,Notch と比べると若干リピートが短い.受容体・リガンド とも膜蛋白である系はこの Notch 系と細胞膜型チロ シンキナーゼの Eph/Eph 受容体系くらいしか知られ ておらず

11)

,隣接する細胞でしかシグナル連絡が起 こらない特殊なものである.Notch、 Delta, Serrate

(脊椎動物では Jagged)ともこの細胞外ドメインの

EGF リピートが受容体とリガンドの結合部位で,そ

れぞれ数個の特異的な EGF モチーフが認識されてい

12)

.なお Eph/Eph についてシグナル交換が双方

向性で単純なリガンド / 受容体の関係でないことが

知られているが,Notch でも似た点がある.Delta と

Serrate には Mindbomb (Mib) と呼ばれる特異的な

E3 型ユビキチンリガーゼが知られている

13)

.Delta

や Jagged が Notch と結合した後,ガンマセクレター

ゼによって Notch 細胞外ドメインが切断されてリガ

ンドリガンド発現細胞に移行する.Mib によってこ

のリガンド / 受容体細胞外ドメイン複合体が分解さ

れていく.ところが Mib に何らかの変異があって活

性が低下すると,この分解が阻害されて結果として

(3)

Notch シグナルが抑制されてしまうことが知られて いる

14)

.なぜリガンド側の代謝が遅延するとシグナ ルが阻害されるか不明な点が多く,さまざまな仮説 がある.今後の解明が待たれる点である.

 さて Notch ではリガンドと接触すると,蛋白プロ セシングが進行して細胞内ドメインが切り離される.

切断過程にはガンマセクレターゼに呼ばれる巨大な 蛋白複合体による蛋白質プロセシング(切断)が関 与している

15)

.このガンマセクレターゼによって切 断された Notch の細胞内ドメインは NICD(Notch intracellular domain)と呼ばれ,そのまま核内まで 移行する

16)

.核内では Notch シグナル関連蛋白であ る RBJK と Mastermind と呼ばれる核内タンパク質 と結合して 3 量体を形成する

17)

.この 3 量体蛋白複 合体が転写調節因子として転写調節部の DNA に直接 結合して,シグナル下流となる各遺伝子の mRNA 発 現をおこなう.遺伝子としては Hes と呼ばれる basic helix loop helix 型の転写因子群が中心だが

18)

,他に も色々な遺伝子の発現活性化が報告されている.こ のように書くと比較的単純なシグナル系に見えるが,

実はこの下流遺伝子がどのような組み合わせになる かは細胞の種類やその細胞の状態(分裂や分化)に よってかなり異なる.一般に状況に応じて可変性が ある遺伝子発現組み合わせ変化を context dependent と表記するが,Notch シグナルはその中でも特に変 化に富んでいる

19)

.そのため Notch シグナルの作用 は器官・組織や発生時期によってかなり変化する.

例えば Notch 細胞内ドメインのリン酸化の寄与につ いても議論されている.Notch 細胞内ドメインには 幾つかのリン酸化部位及びそのリン酸化酵素が報告 されている.その中で注目されているのは GSK3beta という wnt シグナルで重要な役割を担うセリン / ス レオニンキナーゼによる Notch 細胞内ドメインのア ンキリンリピート(ankyrin repeat)のリン酸化であ る

20)

.GSK3beta によるこの部位のリン酸化が進むと 上記した 3 量体形成が阻害されて,Notch シグナル が抑制されるのだ.ただしハエ遺伝学で shaggy と呼 ばれるハエの GSK3beta は他の wnt シグナル因子と 同じく segment polarity(体節極性)と呼ばれる遺 伝子群に属しており,neurogenic に属する Notch と の関係性は高くない

21)

.一般に細胞増殖因子では細 胞内のリン酸化カスケードが重要だが,Notch シグ ナルでのリン酸化が vivo でどの程度重要かはまだ評 価がはっきりしない.

 Notch 遺伝子は最初ショウジョウバエで発見され たが,今はほぼすべての動物にその相同遺伝子の存 在が確認されている.ヒトの場合,Notch 遺伝子は NOTCH1, 2, 3, 4の4つが存在し,リガンドに関して は Delta, は Dll1, 3 ,4 の 3 つ

22)

, Jagged(Serrate の 脊椎動物での名称)は JAGGED1, 2 の2つが

23)

存在 している.また Notch シグナルの下流遺伝子群にも 沢山の相同遺伝子が存在することがわかった.ショ ウジョウバエでは単一の遺伝子でも脊椎動物では複数 の相同遺伝子が存在する例は,Notch に限らず数多くの 遺伝子で知られている.これは脊椎動物の体の構造が ハエのような無脊椎動物と比べて複雑なため,複雑な形 態形成の調節機構の一環として遺伝子重複を起こしてき たと考えられている.実際 NOTCH に関しても 1, 2, 3, 4 の発現が,組織や発生期に応じてさまざまなパターン を示し,それぞれが違う役割を担っていると考えら れている

24) 25) 26)

Ⅲ.がん遺伝子としての Notch

 がん遺伝子の概念が出現したのは 1970 年代に遡

る.ニワトリやマウス,ミンクなどの実験動物に感

染するウイルスの中に肉腫を形成させるウイルスの

存在が知られるようになり,がんウイルスという考

え方が浸透した.DNA のクローニングや細胞への導

入ができるようになってくると,これらのがんウイ

ルスが細胞に導入されるとどうやってがんを誘導す

るのか調べられるようになった

27)

.その結果ウイル

ス遺伝子全体でなくてもその一部を導入するとがん

ができることがわかってきて,それらを発がん遺伝

子(oncogene)と定義するようになった(発がん遺伝子

は後に単に「がん遺伝子」と呼ぶようになった)

28)

.で

はがん遺伝子は必ず細胞の外から来るウイルスのよ

うな病原体が運んでくるのかというと,そうではな

かった.最初ウイルスで確認されたこれらの遺伝子

は,間もなくその相同遺伝子が続々と動物細胞のゲ

ノム中から見つかってきたのだ.結論から言うとが

んウイルスが運ぶがん遺伝子はもともと細胞内に

あった遺伝子を取り込んだもので,その取り込み過

程で若干の変異を起こしたものであることが判って

きた

29)

.実際細胞にある proto oncogene(「前がん遺

伝子」と訳せる)を何らかの方法で活性化してやる

と,ウイルスなしでも細胞ががん化することが判明

した.ここで言うがん化とは細胞の自律的な増殖や

(4)

通常受ける増殖制限を乗り越えて増殖が続くことを 指す.この後がん遺伝子は我々が細胞内にもつ細胞 増殖シグナルを構成している重要な遺伝子であるこ とがわかってきた.その遺伝子の一部が変異したり,

欠失・融合が起こったりすると発現に抑制がかから なくなってがん細胞になるわけで,本来我々の生命 活動に欠かすことができない遺伝子だったのであ る

30)

.このがん遺伝子の概念にやや遅れて出現した のががん抑制遺伝子である.増殖を促す遺伝子があ れば,当然それを抑える遺伝子がないと無限増殖に なってしまう.そのためがん抑制遺伝子(suppressor oncogene)の存在が予言されたが,その実像はすぐ はっきりしてきた.1980 年台後半から p58 類似遺伝 子などのやはり細胞増殖制御に関わる遺伝子群が最 初に発見されたが

31)

,その後細胞周期制御や細胞死 に関わる遺伝子が次々とがん抑制遺伝子として同定

された

32)33)

.特に興味深いのは細胞死に関わるがん

抑制遺伝子である

34)

.ここでいう細胞死とはいわゆ るアポトーシス(apoptosis アポプトーシスともいう)

で,プログラム細胞死と呼ばれる現象である.主と して発生期に活発に作用するもので,身体の構造形 成で最初余分につくられる細胞を抹消する機構を構 成している(神経細胞やリンパ球の成熟過程でよく 観察される).成体になってからは何らかの理由で変 調を来した細胞の自殺シグナルとして働いている.

ウイルス感染した細胞をキラー T 細胞や NK 細胞が 殺すのは,これらのリンパ球が直接殺細胞物質を出 すのではなく,プログラム細胞死の引き金を引く物 質を分泌して相手の細胞が自ら死ぬように導いてい る.同じ機序ががん細胞でも発動する.がん細胞の 場合も同じようにリンパ球によるアポトーシスを起 こす.しかし必ずしもリンパ球の手助けがなくても,

自発的に変調を感じ取ることでがん細胞になる前に アポトーシスが引き起こされることもある.このア ポトーシスに関連したがん抑制遺伝子が壊れると例 え細胞機能が正常でなくなってもアポトーシスを起 こさなくなってリンパ球とも反応しなくなり,がん 細胞となって無限増殖を続けることになる.

 さて Notch ががん遺伝子のひとつとして認識され た歴史は,かなり古い.最初にわかったのは MMTV

( マ ウ ス 乳 が ん ウ イ ル ス mouse mammary tumor virus)というマウスウイルスの一種の感染で起こる 乳がんであった.MMTV は RNA ウイルスでレトロ ウイルスの一種である.レトロウイルスが細胞に感

染するとその遺伝情報はただちに RNA から DNA に 移し替えられる.この現象を逆転写と呼び(DNA か ら RNA に情報を写し取る通常の転写と逆方向なの で),DNA になったウイルス遺伝子をプロウイルス と呼ぶ.プロウイルスは核に移行するとゲノム DNA のいずれかの場所に挿入され,自らの遺伝子転写を おこなわせて増殖を図る.それと同時にプロウイル スには組み込まれた周囲の遺伝子の活性化を起こす 力がある.これはプロウイルスの DNA 末端にある LTR(long terminal repeat) と呼ばれる繰り返し塩基 配列構造には,エンハンサーと呼ばれる強力な遺伝 子発現活性化配列があり,この作用で挿入された周 囲のゲノム遺伝子も活性化される.この MMTV 感 染とプロウイルス DNA 挿入が起こると時々細胞がん 化が起こる.そのため MMTV はがんウイルスのひと つと考えられている.一般にがんウイルスは大きく 分けて二つに分けられ,ひとつはウイルス遺伝子自 体にがんを起こす遺伝子(がん遺伝子)をもつもの で,がんウイルスとして当初発見されたタイプであ る.もうひとつはウイルス自体にはがん遺伝子がな いが,ウイルス遺伝子が細胞の DNA に挿入されると,

その周囲にあったがん原性遺伝子(proto oncogene と呼ぶ)を活性化してがん化を起こすものである.

挿入部位はランダムに選択されるのでがんが発生す る確率は前に述べたものより遙かに低いが,ウイル ス自身がもつ強力な遺伝子活性化作用でそれを起こ すと考えられる.MMTV はそれ自体にがん遺伝子が 見つからないので,後者のタイプと考えられた.つ まり MMTV 感染と挿入で活性化された周囲の遺伝 子の中に,眠っていたがん遺伝子があるのでないか と推定された.これらの遺伝子は int と名付けられた

(挿入 insertion から来ている).int 遺伝子は全部で 4 個同定された

35)

.いずれも当時は機能がよくよくわ からなかったが,後に発生で細胞増殖と関連する遺 伝子であることがわかってきた.そのうちの int3 が Notch 遺伝子のひとつだったのである(Notch4)

36)

. つまり Notch はがん遺伝子だったのである.MMTV の挿入でなぜこの Notch シグナルの活性化が起こる かだが,よく考えると Notch4 は受容体なのでリガン ド刺激がなければ幾らタンパク質の量が増えても増 殖などの作用はおこなえないはずだ.実は MMTV は この Notch4 遺伝子を切断する型で挿入されていた

36)

この挿入によって Notch4 は遺伝子の 3‘側のみが

持続的に発現するようになり,タンパク質の細胞内

(5)

ドメイン(notch intracellular domain, NICD)だけ が産生されるような型になっていた.この NICD は Notch シグナルとしては活性化型で,核内に移行し て下流遺伝子の発現を持続的におこなった結果,細 胞増殖がとまらなくなったと考えられている.一般 にシグナルがなくても常に活性化されるような遺伝 子変異を恒常活性化型(constitutive active form)と 呼ぶが,int3 の誘導はまさにこの恒常活性化型変異 を Notch4 に引き起こしていた.

 がん遺伝子としての Notch の存在はヒト白血病で も明らかになった

37)

.白血病は比較的単純な組み合 わせの遺伝子変異で起こされることが知られており,

固形がんと異なって原因遺伝子がはっきりしている ものが多い.染色体異常をともなうことも多く,遺 伝子の部分欠失あるいは転座などによる異種遺伝子 との融合が多い.その白血病のひとつにヒト T 細胞 急性白血病がある(TALL, T cell acute leukemia).

これはレトロウイルスの一種 HTLV-1 感染で起こる ATL(adult T cell leukemia)とは全く異なる病態で,

Notch 遺伝子の変異で活性化型になったため起こる ことがわかってきた.現在 TALL の半分以上の症例 で,Notch 遺伝子の変異と活性化があると考えられ ており,Notch 遺伝子ががん遺伝子と働く重要な証 左となっている

38)

Ⅳ.血管形成と Notch シグナル

 上記のようにがん遺伝子として認識されるように なった Notch だが,奇妙な点もある.それはがん遺 伝子としての普遍性があまり高くないことである.

通常のがん遺伝子やがん抑制遺伝子は発見された状 況にはそれぞれ固有の経緯があるが,同定された遺 伝子は細胞増殖や細胞周期と深く関わっており,さ まざまな病態でその活動とがん化の関係が確認され ている

39)

.その点 Notch は最初発見された乳腺腫瘍 を除くと圧倒的に白血病に偏っており,主に造血幹 細胞の増殖と関係することが想定される

40)

.他の腫 瘍に関しては Notch シグナルの活性化があったとし ても,それががん化の主たる原因とはみなされてい ない.従って Notch が細胞のがん化に関係するのは 元々の性質である context dependent を反映してが ん遺伝子としての側面は Notch シグナルの一面に過 ぎないと言える.

 しかし最近まったく別の面から Notch とがんの関

係が注目されるようになってきた.それは血管新生 との関係である.Notch と血管の関係には大きく二 つのステージがある

41)

 初期の内皮前駆細胞は管状構造をつくり血管網を 形成する過程で,脈管発生(vasculogenesis)と呼 ぶ.最初血管内皮前駆細胞が中胚葉組織で誘導され ると,徐々に集合して中空構造をつくる.この管状 構造が同時期に進行している発生中の心臓と接続す るとただちに血流が動き出す.この時期発生中の各 組織は活発な細胞増殖で厚みを増しており,その呼 吸活動のために組織内の酸素濃度が低下する.こ の低酸素による刺激は血管内皮増殖因子(vascular endothelial growth factor, VEGF)の誘導を促し,内 皮細胞の増殖を促す

42)

.増殖した内皮細胞は wnt, shh など各種の細増殖・分化シグナルが誘導され,た だちに管状構造の形成と網状の高次立体構造を形成 していく

43)

.一般的な臓器は発生が完了するまで完 全な機能発現がないことが多いが,血管は例外で形 態形成をしながら血液循環という機能も発揮していく

44)

. Notch シグナルはこの過程で動脈と静脈の分化に大 きく寄与している

45)

.Notch シグナルが誘導された 血管系は内皮細胞の周囲に平滑筋細胞や線維芽細胞 が集まって増殖し,次第に血圧変動に耐えられる発 達した中膜組織を持つ動脈系が形成される.この機 能分化の過程で生じるこの変化は,広い意味での側 方抑制と関係していると考えられる.

 それに対して一旦形成して循環する血管網の一部 から新しく血管の分枝が起こり新しい血管網を形成 する.この過程を血管新生(angiogenesis)と呼ぶ.

血管新生は発生期でも後期のステージでは連続して 起こる.これは大きく発達する器官や組織の増殖に は初期の脈管形成で形成された血管だけでは不足な ためで,次々と枝を伸ばしていく.この過程でも使 用されるシグナルは脈管形成と同じで,VEGF や wnt, Notch, shh などの各種増殖・分化シグナルが作 動している

46)

Ⅴ.がんの浸潤とNotchシグナル

 発生期を過ぎると Notch シグナルの発現部位がか

なり限局してくる.多くは脊髄中心管壁の上衣細胞

など組織内幹細胞と関連がある組織が多い

47)

.しか

し例外もあり,そのひとつが血管である.血管のと

ころどころに Notch1 の発現が残存するが,その部位

(6)

に幹細胞が残存する証拠ははっきりしていない.し かし何かの原因で血管新生が起こると血管の Notch1 発現が急速に高くなる.一般に成体で血管新生が起 こるのは,何らかの血管障害で血液循環が阻害され た時である.そしてがんの血管新生に Notch が直接 関与していた

48)49)50)51)

 血管との関係が指摘される Notch は Notch1 だけ ではない.成人ヒトで起こる脳卒中疾患疾患の中に は,家族性発症をするタイプが少数だが知られてい て,そのひとつが CADASIL と呼ばれる遺伝性脳血 管 障 害 で あ る

52)

.CADASIL は cerebral autosomal dominant arteriopathy with subcortical infarcts and leukoencephalopathy(皮質下梗塞と白質変性をと もなう脳常染色体優性動脈障害)という長い名称の 略称である.この病気は北欧と日本で多いことこと が知られている.組織学的な特徴として脳の表面か ら白質に向かって穿通する中動脈の中膜に変性が 起こる点があり,この変性部位に GOM(granular osmiophilic material:顆粒状好オスミウム性物質電 顕のオスミウム染色像から来ている)と呼ばれる特 殊な顆粒が沈着する.この血管障害にともなって血 管が破綻して脳梗塞や脳出血が起こり,皮質下の白 質に浮腫が起こる.この CADASIL の原因遺伝子 が NOTCH3 であると判明した

53)

.Notch 3の発現 は発生期には血管内皮に到達する周皮細胞に見られ る.KO マウスを用いた実験から Notch 3は内皮細 胞の Jagged1 と反応して付着すると考えられてい る.つまり血管新生で新たに形成された血管に周皮 細胞をまきつかせて構造を安定化していくと考えら れる.Notch 3が欠損するとこの過程に不具合が起 こり,血管が脆弱になると考えられている.しかし CADASIL で見られる血管異常は脳の穿通動脈付近 に限られる.理由ははっきりしないが,血圧などの 物理的な抵抗の特異性と脳血管特有なグリア細胞の 血管内皮との接触(血液脳関門を形成する)が関係 する可能性がある.

 血管形成と深い関係がある Notch 3に腫瘍浸潤時 の血管新生との関係が報告されるようになった

54)

. 悪性腫瘍が増殖すると血管新生が起こることはよく 知られている.大きな理由は腫瘍細胞が増殖すると 酸素が不足するようになり,結果として VEGF など 血管新生に関係する因子が分泌されるからと考えら れる.また VEGF を自発的に発現する腫瘍も知られ ており,高い増殖性と転移能がある.Notch 3の詳

しい位置づけはまだはっきりしないが,周皮細胞と の関係から腫瘍周囲の間質に働きかけて血管誘導に 関わる可能性がある

55)

 このように Notch シグナルはがん浸潤時の血管 新生と密接な関係があるが,Notch シグナルを抑制 すればがん浸潤や転移を抑制できる可能性がある.

Notch シグナル活性化にはガンマセクレターゼが共 通して必須なので,ガンマセクレターゼを抑制すれ ば Notch シグナルが抑制できるはずである.しかし ガンマセクレターゼの基質は Notch だけでなく,ベー タカテニンや APP など複数の細胞膜周辺蛋白があ る.最近 Notch 活性化に関わるガンマセクレターゼ を抑制する物質候補も開発されてきた

56)

.この方面 から画期的な抗がん剤の開発ができる可能性がある.

実際にこの種のガンマセクレターゼ阻害剤を用いて,

脳腫瘍,肺がん,乳がんなどの悪性腫瘍患者に対し ての phase 1 臨床試験もおこなわれ,効果があるこ とが報告された

57) 58)

.しかし同時に下痢など消化管 系へのかなり強い副作用も報告されている

57) 59)

.こ れには腸管上皮幹細胞のターンオーバーに関係する Notch シグナルの抑制,他のガンマセクレターゼ基 質反応へのクロス反応など幾つかの理由が考えられ る.従来ガンマセクレターゼ阻害剤はアルツハイマー 病治療のため APP 特異性があるものの開発が先行し ており,他の基質特異的なガンマセクレターゼ阻害 剤の研究は遅れている.しかし候補物質は多数報告 されているので,今後その中からの十分な探索が求 められている.

用語解説

シグナル

 一般に細胞内外における物質を通した情報伝達を 指す.例えばホルモン分泌もシグナルの一種である.

その他細胞内の物質相互作用による情報伝達もシグ ナルのひとつで,例えばホルモンが細胞の受容体に 作用して遺伝子発現を調節するのもシグナルと定義 できる.シグナルは一般に色々な物質を含むが,そ の中で特に目立つ物質の名前を冠して,〜シグナル と称することが多い.

転写因子

 転写とは DNA から RNA を作る過程を指し,一般

に DNA の遺伝情報を RNA の遺伝情報に転換するこ

とを指す.この RNA を作る時 RNA ポリメラーゼと

(7)

呼ばれる酵素が働くが,それだけでは転写は起こら ない.特定部位の DNA を指定しどれくらいの RNA 量を作るかを決定するには別のタンパク質が必要で,

これを転写因子と呼ぶ.一般に転写には複数の転写 因子が関与し,RNA ポリメラーゼと複雑な複合体を 形成する.

ドメイン

 元々の語意は「区域」の意味であるが,分子生物 学では物質の中の機能区分を指す.特にタンパク質 は 1 分子に多くの機能単位を含むので,それに対応 した「ドメイン」も多数存在する.

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受理日:2016 年 2 月 8 日

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