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再生産表式論 と 「 生産 と消費の矛盾」

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(1)

再生産表式論 と 「 生産 と消費の矛盾」

花 田 功 一

は じめに

マルクスによって 「すべての現実 の恐慌 の究極 の原因

」1

)と規定 され た生産 力の無制限的発展傾向 と労働者階級 の制限 された消費 との間の矛盾 (‑いわゆ る 「 生産 と消費 の矛盾

」2))

の解明が再生産表式論 の課題 で あ る ことは レ一 二

1)K、マル クス 『資本 論 』 第3巻 『マ ル クス ・エ ンゲ ル ス全 集 』 第25巻 ,大 月書店 ,

619貢。

2)生産力 の無制限的発展傾向 と労働者階級 の制限 された消費 との間の矛盾 を 「生 産 と 消費 の矛盾」 と呼ぶ ことには必ず しも問題 がないわ けで はない。 レー ニ ンの市 場 理 論 に関す る論文 の中で 「生産 と消費 の矛盾」 とい う表現 が出て くる主 な箇 所 は 「経 済学的 ロマ ン主義 の特徴づ けによせて」 の 「七 恐慌」で あるが,そ こで はた とえば

生産 と消費 との矛盾 とい う事実 ,不十分 な消費 という事実

」(

『レー ニ ン全集 』 第2 巻 ,大月書店,151頁 ,以下 『レー ニ ン全集』か らの引用 はⅡ一151のよ うに略 す) と

,

生産物を実現す ることの不可能 とい うことによって,生産と消費 との矛盾によっ て,恐慌 を説 明す るな らば, ‑・」(Ⅱ‑156)とい ったよ うに,明 らか に 「生 産 と 消費 との矛盾」 とい う表現 を,シスモ ンデ ィ流 の過少消費説 を特 徴 づ け る もの と し て使用 しているのであ る。 また,「ペ ・ネ ジダー ノフ氏への回答」 で もこの表現がた びたび使用 されてい るが,そ こで は 「資本主義的生産 は,生 産 と消 費 との あいだ の 矛盾 な どとい うものは,もっていない」 (173)と主張す るペ ・ネジダー ノフを批 判す るために この表現 を用 いたのであ り,レー ニ ン自身が積極 的 に この表現 を使 用 しよ うと したわけで はない と思 われ る。 レー ニ ンは混乱 を避 けるた め に, こ こで の

生産 と消費 とのあいだの矛盾」 は過少消費説 的な意 味 で の それで な い こ とを示 す ために,生産 と消費 とのあいだの矛盾」 とい う表現 に しば しば 「資本主義に固有な

とか 「資本主義社会 における」 とい うよ うな表現 をかぶせてい るが,そのことはレー ニ ンは元来 「生産 と消費 とのあいだの矛盾」 とい う表現 を過少消費説 的 な意 味 で の それ として使用 しよ うと していた ことを示す ものであろ う。 その他 の箇所 で レー ニ ンが生産力 の無制限的な発展傾 向 と労働者階級 の制限 された消費 との間 の矛 盾 につ いて述 べて いるところで は 「生産 と消費 の矛盾」 という表現 はい っ さい使 わ ず,そ れをそのままの形 で表現 して いる (Ⅱ‑137144,Ⅱ‑3335,Ⅳ‑5456,Ⅳ‑8081,91

照)。 こうい うわ けで,レー ニ ンは,基本的 に,「生産 と消 費 の矛 盾」 とい う表 現 を 過少消費説 を特徴づ けるもの と して使用 しよ うと していたのであ る。 したが って,

〔55

(2)

56

4 0

3

ン以来 自明の こととされて きたが,故久留間鮫造氏 が 『レキ シコ ン』,及 び,そ の付録 の 「 莱

」 3)

の中で , 「 生産 と消費 の矛 盾 」 の解 明が再 生 産表 式論 の課題 であ ることを否定 されて以来 ,この問題 をめ ぐって久留間氏 や久留間氏 の見解 を支持す る論者 と通説 の立場 に立っ論者 との間で論争 が展開 されている

久留間氏 や久留 間氏 の見解 を支持す る論者 に対す る批判 の主 な もの と して は 二瓶敏氏 の見 田右介 ,大谷禎之介両氏 に対す る批判,および,富塚 良三 氏 の久 留間鮫造氏 に対す る批判 を挙 げることがで きるが,前者 の場合 にー は再生 産 表式 と 「 生産 と消費 の矛盾」 との関連 につ いての二瓶氏 自身 の理解 の仕方 に問題 が ある し

,4

)後者 の場合 には文献考証 と して は富塚氏 の久留間批 判 は成 功 して い ると思 われ るが,批判が文献考証 にかたよ りす ぎているとい う問題 が あ る

そ うい うわ けで,通説 の立場 か らの久留間民 らに対す る批判 はまだ必ず しも十 分 で はな く,そのため反批判 の余地 を残す もの とな っている

そ こで,本稿 で は久留間氏 の立場か らの二瓶氏 や冨塚氏 に対す る反批 判 の比 較的最近 の試 みである水谷謙治氏 の見解 を手 がか りに しなが ら,通説 の立 場 か

ら改 めて この問題 に検討 を加 えてみ ることに したい。

1

節 「 生産 と消費の矛盾」 の解 明は再生産表式論 の課題である

水谷謙治氏 は著書 『再生産論』 ( 有斐 閣

,1985

年)

5)

の第 一篇 「理論 」 第 三 章 「 再生産論 といわゆ る内在的矛盾」 の中で 「 生産 と消費 の矛盾」 と再生産表 式論 との関係 につ いて問題 にされ,その前半第‑節 「『 矛盾』 の解 明 は再生 産 論 の課題 か

?」

で は 『資本論』 に即 して この問題を検討 され,後半第二節 「レー ニ ンの見解 の批判 的検討」 で は レー ニ ンの見解 に即 して この間題 を検討 されて

生産力ゐ無制限的発展傾向と労働者階級の制限された消費との間の矛盾を 「 生産 と 消費の矛盾」と呼ぶのはレーニンの意に反 しており適当ではないと思われるが,現 在ではそのように呼ぶことが慣例となっているので,本稿でも一応そのように呼ん

でおくことにする。

3)

『レキシコン』⑦ 「 恐慌

」,大月書店

,1973

,167

頁 ,

」NO.6,1972

,2124

,莱」NO.7,1973

,6

頁参照。

4)

この点については後の注

12)

を参照。

5)

以下水谷氏からの引用はすべて本書からであるので真数のみを記す。

(3)

再生産表式論 と 「 生産 と消費の矛盾」

57

いる

そ こで,我 々 もこの順序 で氏 の見解 を検討 してゆ くことに したい。

水谷氏 は 「 生産 と消費 の矛盾 」 と再 生産 表 式論 との関係 の問題 に入 る前 に

『 資本論』第

1

部,第

3

部 にお ける 「 生産 と消費 の矛盾」 に関 わ るマル クスの見 解 を整理 してお られ るが,第

3

部第

15

章第

1

節 におけるマル クスの周知 の 「直接 的搾取 の諸条件 とこの搾取 の実現 の諸条件」 に関す る叙述 につ いての氏 の解釈 には重大 な誤 りが含 まれてお り,「 生産 と消費 の矛盾」 と再 生産表 式論 との関 係 に関す る氏 の誤 りもすべて基本的 には この誤 りに起因 して いる。 そ こで,そ のマル クスの叙述 に関す る氏 の解釈 につ いて検討 す ることか ら始 めることに し たい。

氏 はそのマル クスの叙述 を次 のよ うに解説 されて いる。

「『 市場 の限界 を顧慮 しない生産 こそ資本主義 的生産 の本質』 で あ る

(MG

Ⅱ3/3・1143)

。 しか し,この本性 によって生産力 と生産がどんなに増大 していっ て も,その増大が要求す るとお りに市場 が並行 して拡張 してゆ くとは限 らない。

『直接的搾取 の諸条件 とこの搾取 の実現 の諸条件』 とは同一 で はな い。 前者 は 社会 の生産力で制 限 され るだ けだが,後 者 は,①種 々 の生 産部 門 間 の比 率性

(Proportionality)

と,②社会 の消費力 とで制限 されている

」(7

1 貢)

「 以上 のよ うに,搾取 の条件 と実現 の条件 は,それぞれちが った諸要因によっ て制約 されている

したが って,生産力 の発展 にともな って市場 も拡張 されね ばな らないが,市場 の諸関係 もそれを規制す る諸条件 もい っそ う生産者 た ちか ら独立 し,彼 らの手 におえな くな ってゆ く

生産 と市場 との不均衡 は,市 場 を 外面 的 に拡大す ることで一 時的 に解決 されて も,生産増加 が継続 されれ ば され るほど,い っそ う不均衡 の程度 と緊張 を高 めつつ,消費関係 が立脚 す る狭 い基 礎 との矛盾 を深 めざ るをな くな る

」 (72

頁)

このよ うに氏 は,マル クスは当該箇所 で,生産力 の発展 にともな って市 場 も

拡張 されなければな らないが,市場 は生産諸部門間の比率性 や社会 の消費 力 に

よ って制限 されてい るか ら,生産力 の発展 が要求す るとお りに拡張 され る とは

限 らず,生産力 の発展 にともな って生産 と市場 との不均衡が拡大 してゆか ざ る

をえな くなるとい うことを述 べている,と考 えてお られ る

(4)

58

40

3

しか し,マル クスのそ こでの叙述 はそのよ うに解釈 され るべ きであろ うか。

我 々は上 の氏 の解釈 には重大 な誤 りが含 まれていると考 え る

そ こで,その マ ル クスの叙述 につ いてやや子細 に検討 してみ ることに したい。

マル クスは 「直接的搾取 の諸条件 はその実現 の諸 条件 とは同 じで はな」 く,

「直接的搾取」 は 「ただ社会 の生産力 によ って制限 されて い るだ け」 だが

,

「そ の実現」 の方 は 「いろいろな生産部 門のあいだの均衡関係 によ って,また社 会 の消費力 によ って,制限 されている」 と した後 ,社会 の消費 力 につ いて,それ が 「 敵対 的な分配関係 を基礎 とす る消費力 によ って規定 されて いる」 とともに,

「 蓄積‑ の欲求 によ って,すなわち資本 の増大 と拡大 され た規模 で の剰 余 価値 生産 とへの欲求 によ って,制限 されている」 と述べ,この後者 につ いて 「これ こそ は資本主義 的生産 にとっての法則 なのであ って,それ は,生 産方 法 そ の も のの不断の革命,つね に これ と結 びつ いている既存資本 の減価 ,一 般 的 な競争 戟 ,没落 の脅威 の もとでただ存続す るだ けの手段 と して生産 を改良 し生産 規模 を拡大す ることの必要 によ って,与 え られている」 と述 べた後 ,続 いて次 の よ

うに言 っている

「それだか ら,市場 は絶 えず拡大 され るにちがいな いので あ り, 6 ) したが っ て,ます ます市場 の諸関連 もそれを規制す る諸条件 も生産者 たちか らは独立 な 自然法則 の姿 を とるよ うにな り,ます ます制御で きない ものにな るのであ る

内的な矛盾 が生産 の外 的な場面 の拡大 によって解決 を求 め るのであ る

ところ が,生産力 が発展すればす るほど,ます ますそれ は消費関係 が立 脚 す る狭 い基 礎 と矛盾 して くる

」 ( 以上 ,前掲 『マル クス ・エ ンゲル ス全集 』 第 2 5巻 ,307 頁)

マル クスはこのよ うに,資本主義 的生産 の諸条件 によ って蓄積 ‑生産 規模 の 拡大が強制 されてい るか ら,生産力 の発展 にともな って市場 は拡大す るにちが いないが,市場 が拡大 されればされ るほどそれ は 「ます ます制御 で きない もの

6)

この部分は全集訳では 「 市場は絶えず拡大されなければな らない

(muB)

のであ

り」となっているが , 拡大されるにちがいない」と訳 した方が,前後関係か ら見て

適切であると思われるのでそのように訳 しておいた。

(5)

再生産表式論と 「 生産と消費の矛盾」

59

にな る」 とい うことを指摘す るとともに,他方 こう して,「内的 な矛 盾 」 ( 「剰

余価値が生産 され る諸条件 とそれが実現 され る諸条件 とのあ いだ の矛 盾

(同 上)) は 「 生産 の外的な場面 の拡大」 による市場 の拡大 に よ って解 決 が はか ら れ るが,だか らこそまた生産力が発展すればす るほ ど,「ます ます それ は消費 関係が立脚す る狭 い基礎 と矛盾 して くる」 とい うことを指摘 しているのである

つ ま り,マル クスは,水谷氏 のよ うに単純 に,生産 力 の発 展 に と もな って, 搾取 の諸条件 とその実現 の諸条件 とが同 じでない ことによ って,生産 と市 場 と の 「 不均衡」 が拡大 してゆ くとい うことを述 べているので はな く,生産 力 の発 展 はそれ 自身が市場 を拡大 してゆ くが,生産力が市場 を拡大 しつつ発展 す れ ば す るはど生産力 は 「ます ます ‑‑ ‑消費関係 が立脚す る狭 い基礎 と矛盾 して く

る」 と述べているのであ る

したが って,マル クスは,氏 が考 え られ るよ うに, 市場 が拡大 しない ことか ら生 じる矛盾で はな く,市場が拡大す るに もかか わ ら ず生 じる矛盾 を指摘 しているのであ る。つ ま り,マル クスは,個 人 的消費 を狭 い範囲 に制限 しなが ら,白. 6市場 を拡大 しっつ進展す る生産力 の発展 そ の もの の中 に,したが ってまた,資本 の有機 的構成高度化 にともな う第 Ⅰ部 門 の不均 等発展 その ものの中 に矛盾 を見ているので ある

「 生産 と消費 の矛盾 」 に関 してマル クスが述 べ て い る他 の箇所 ,た とえ ば,

『 資本論』第 3 部第 5 篇第 3 0 章 における周知 の 「すべての現実 の恐慌 の究 極 の原 因 は,や は り,資本主義的生産 の衝動 に対比 しての大衆 の窮乏 と消費 制 限 なの であ って,この衝動 は,まるでただ社会 の絶対 的消費能力だ けが生 産 力 の限界 をな してい るかのよ うに生産力を発展 させ よ うとす るのであ る 」( 同上

,619

亘)

とい うよ うなマル クスの文言だ けか らで は 「 生産 と消費 の矛盾 」 の内容 が必ず しもはっきりせず,水谷氏 のよ うな解釈 の余地 も残す よ うに も思 われ るが, し か し,マル クスが 「 生産 と消費 の矛盾」 につ いて述べて いる主要 な箇所 で あ る 上 甲箇所でマル クスは上述 したよ うに述 べているので あ るか ら , 「生 産 と消費

の矛盾」 は上 に述 べたよ うな意味で理解 されなければな らないのであ る

そ うだ とす ると,この矛盾 の解明のためには,何 よ りもまず,個 人 的消費 を

狭 い範囲 に押 えなが らいか に して生産力 は自 ら市場 を拡大 しなが ら発展 してゆ

(6)

60 第40 3

けるのか とい うことが明 らか にされなければな らない し,それがいかな る性 格 の矛盾で あるのか とい うことが明 らかにされなければな らないであろ う。 この よ うに問題 を立 て るな らば,この矛盾 は再生産表式論 において基本的 に解 明 さ れなければな らない ことはあま りに も明 らかであると思 われ るのであ る。

以上 のよ うなわ けで,『 資本論』第

3

部 におけるマル クスの 「 生産 と消費 の矛 盾」 に関す る叙述 を正 しく解釈 す るな らば , 生産 と消費 の矛 盾」 の基 本 的 な 解 明 は再生産表式論 で行 わなければな らない とい うことが明 らか にな るのであ るが,水谷氏 はそのマル クスの叙述 につ いての根本的 に誤 った解釈 を土 台 と し て , 生産 と消費 の矛盾」 の解 明が再生産表式論 の課 題 で あ る ことを真 向か ら 否定 され るので あ る。 そ こで,次 に,氏がそれを否定 され るため に提 出 されて

いる根拠 につ いて検討 してみ ることに したい。

氏 は三点 にわた って根拠 を述 べてお られ るが,第一点 として まず次 の よ うに 言 われて いる

「 第一。再生産 の諸条件 ,た とえば, ⅠのⅤプラス

M

Cは相互 に補 填 さ れねばな らない とか, I Cおよび Ⅴ, ⅡM はそれぞれ当部 門内部 で補填 され るとい う関連 は,再生産 の進行 が正常か不正常か,均衡 か不均衡 か にか か わ り な く存在 す る必然 的条件 であ る

こうした法則 を純粋 に明 らか にす ることが再 生産論 の課題 であ る

だか ら,それを唆味 にす る諸契機 はすべて排除 しな くて はな らない。 だか らその手続 きと して,均衡 の とれた円滑 な再生産 ‑ したが っ て また生産 と消費 との一致 ‑ とい う前提が もうけ られ るのである

その研究対 象 に規定 せ られて生産 と消費 との一致 とい う手続 きが要求 されているの に,そ の分裂 ・不一致 に関す る問題 が主要 な研究対象 にな るな どとはおよそ考 え られ ない 。

」 (75

頁)

すでに見 たよ うに,氏 にあ って は 「 生産 と消費 の矛盾」 とは 「 生産 と市場 と の不均衡」 を意味す るもので あ った。 だか ら,上 のように,氏 の場合 には , 十生

産 と消費 の矛盾」 を研究 す るとい うことは,直 ちに, ,生産 と消費 との 「分 裂 ・ 不一致 に関す る問題」 を,つ ま り,均衡 の破壊 の問題 を研究す る とい うことに

な るのであ る

しか し,すでに述 べたよ うに , 「 生産 と消費 の矛盾 」 とは,まず

(7)

再生産表式論と 「 生産と消費の矛盾

61

何 よ りも,個人的消費を狭 い範囲 に制限 しなが ら,自 ら市場 を拡大 しつつ進展 す る生産力の発展 その ものを意味す るのである。 したが って , 「生産 と消費 の

矛盾」 とは均衡 を保 った拡大再生産 の中にすで に存在 しているものなのである。

だか ら,再生産表式論で は生産 と消費 との 「 分裂 ・不一致 に関す る問題」 が研 究対象 にな りえないとい う氏 の見解 が仮 に正 しいとして も,そ こか ら,そ こで は 「 生産 と消費 の矛盾」 の問題 が研究対象 にな りえない とい う結論 を引 き出す ことはで きないのである

氏 は続 いて第二点 として次 のよ うに言 われている

「 第二。再生産論 で は,生産力の無限の発展傾向 とい う生産 と消費 の矛盾 を 構成す る決定的契機 は,必要 な手続 きとして度外視 されている。単純再生産 と い う前提 その ものが右 の ことを意味 してお り,この前提上で再生産 の諸 法則 が 析出されている。/拡大再生産 のばあいに も,表式的叙述 では生産力 は不変 と され,蓄積率 も有機的構成 の高度化 も,同様 に不変 とされて い る (・ ・ ・ ‑‑

‑)。

‑‑‑・ 単純再生産で も拡大再生産で も,このように生産 と消費 の矛盾 を構成 す る決定的契機 が捨象 されている以上,右 の 『 矛盾』 の析 出がそ こで問題 にな り えない ことは明白である

」 (76

頁)

なるほど,氏 の言われ るように,『 資本論』 の再生産表式論 で は生産 力 の上 罪 ‑資本構成 の高度化 は捨象 されているが,しか し,だか らとい って拡大再生 産表式 に関す る一般的基本的な諸問題 の考察 の後で,生産力の上昇 ‑資本構成 の高度化 の問題 を導入 して きてその場合 にお ける生産 と消費 の問題 を考察す る のは誤 りであるとい うことにはな らな いで あ ろ う

氏 も言 われて い るよ うに

「 生産力 の無制限的な発展傾向 と労働者階級 の消費 を制 限す る傾 向 は,基本 的 には 『 資本論』 の第‑部で解明 されている

」(66

頁) ので あ るか ら,第

2

部第

3

篇で,すでに基本的 に解明されているその問題 を導入 して くることに何 ら問題 があるとは思 われないのである。氏がそ こに問題があると考え られるとすれば,

「 生産 と消費 の矛盾」 につ いて氏が全 く誤 った理解 を持 たれて い るか らにす ぎ ないので はないだろうか。

この問題 とも関連す るが,氏 は 「 生産 と消費 の矛盾」 の解明が再生産表式論

(8)

62

40

3

の課題であ る ことを否 定 され る第 三 の理 由 と して

,

「生 産 と消 費 の矛 盾」 に

「関す る直接 的叙述 が再生産論 の膨大 な草稿 中 に存在 して いない,とい う事 実」

(76

貢) を挙 げてお られ る

しか し,拡大再生産 を解 明 した第

2

部 第

3

篇第

21

章 が最後 の 『 資本論』卓稿 か ら編集 された もので あ ることを考 え るな らば,マル クスが 「 生産 と消費 の矛盾」 の解 明を再生産表式論で行 う意図を持 っていなか っ た とい うことは断定 で きないであろ う。

この点 は,周知 の現行 『 資本論』第2 部第2篇 第1 6章 第3節 中 の [注32]の問 題 ,及 び,これをめ ぐる冨塚良三氏 と久留間鮫造氏 との論争 と関連 して い る

この [注32]につ いて は,水谷氏 は,冨塚説 を容認 され, 7 ) 「その時点 [第二 稿 の第

2

章執筆 当時 一引用者 ] 、 で は,右 の矛盾 に関す る事 柄 に もふ れ て お こ うと い う意図があ った とみ る方 が素直 なみかただ と思 われ る

」(80

頁) と言 われ な が ら,第二稿第

3

章 の中 に 「 生産 と消費 の矛盾」 に関 す る直接 的叙 述 が な い こ とを もって,マル クスが第

3

章 でそれ につ いて述べ よ うと して いた内容 が 「付 随的な ものであ った

」 (81

頁)

8)

と同時 に 「 矛盾」 に関 して言 及 しよ うとい う マル クスのプランが 「ごく一時的で派生的な ものであ った」 (同上 ) と断定 さ れ るのであ る

しか し , 「 生産 と消費 の矛盾 」 の問題 は拡 大 再 生 産 の問題 で あ るとともに,拡大再生産 の一般的基本的諸 問題 の解 明がな された後 で は じめて 問題 に しうる事柄 である

ところが,第2 部第一稿 で も第 二稿 で も拡 大再 生 産 の一般 的基本 的諸 問題 が まだ解 明 されてお らず,第八稿で よ うや くその解 明 が 成 し終 え られたのであ る

第一稿 には拡大再生産 に関す る叙述 はあるが,表 式 展開 はおろか,蓄積部分 に関 して一方的購買額 と一方 的販売額 とが等 しくなけ

7)富塚氏の見解 について は

,

恐慌論体系の展開方法 について一久留間教授‑の公開質 問状

商学論集』,第41巻第7,1974,251257貢,「再生産 論 と恐慌 論 との関 連 について一久留間教授への公開書簡 (その二) ‑『商学論纂』,第17巻 第3号 , 1975,2227頁,及 び

,

再生産論 と恐慌論 との関連 につ いて (二) 一久留 間教授 の公開回答状 (二) にたいす る再批判『商学論 纂』,第19巻第1,1977,35

49,6671貢を参照。

8)氏 はこの ことについて

,

言及 の内容 は,おそ らく恐慌 の過少消費説 を批判す る とき とか部門間不均衡 における過剰生産 に言及す るさいに,個人的消費制 限 の役割 を指 摘 してお くとい う程度 の ものではないか と思われ る」(81貢) と言われている。

(9)

再生産表式論 と 「生産 と消費の矛盾」 63

ればな らないといった最 も基本 的な ことにつ いての解 明 さえ な い し, 9 )第二 稿 には目次 には拡大再生産 の項 目があ るが,「 本文 中 には拡大再生産の叙述 はまっ た くみあた らない

」 10)

のである

また,第 八 稿 で さえ十 分推 敵 され た もので はない ことが明 らか にな ってい る

。 11

)こ う した事 情 を考 慮 す るな らば,マル クスが 「 生産 と消費 の矛盾」 の問題 を再生産表式論 で解 明す る意図を持 って い なか った,あるいはその意図を途 中で放棄 して しま った と考 え るよ り,マ ル ク スは先ず拡大再生産 の一般 的基本 的諸 問題 の解 明 に全 力 を尽 くし,そ の後 で

「 生産 と消費 の矛盾」 の解 明 に進 もう と して いたが,つ い にそれ がで きな いで 終 わ って しま った と考 え る方 が正 しいので はないか と思 われ るのであ る

以上 のよ うなわ けで,氏 が 「 生産 と消費 の矛盾」 の解 明が再生産表式 論 の課 題 であることを否定す るため に提 出 されてい る根拠 は到底納得 で きる もの とは 言 えないので あ るが,それ はその根拠が 「 生産 と消費 の矛盾」 について の氏 の 全 くの誤解 に もとづ いた ものであ るか らに はかな らないのであ る。

ところで,もちろん,氏 にあ って も再生産表式 論 が 「生 産 と消費 の矛 盾」 の 解 明 と全 く無関係 であ ると考 え られて いるわ けで はない。 それ どころか,氏 は 再生産表式論 は 「 生産 と消費 の矛盾」 を 「 解 明す るうえで重要 な意義 を もつ」

(74‑75

頁) と言 われてい る

そ こで,最後 に この点 に関す る氏 の見解 につ いて 検討 してお くことに したい。

氏 は再生産表式 にお ける生 産 と消費 との関連 につ いて説 明 され た後 ,そ の

「 意義」 につ いて次 の よ うに言 われてい る。

「す なわ ち,再生産論 は,生産 と消費 との不均衡 の諸形式 またはあ りか たを, 総資本 の実現諸条件 と して明 らか にす る。 いいかえれば,生産 と消費 の関連 な

り比率性 な りが部門間不均衡 と して現 れ る可能性 を明 らか にす る。均衡 を前提

9)マルクス 『資本 の流通過程≪資本論≫第2部第1稿』 (中峯,大谷他訳),大月書店 , 266頁以下参照。

10)水谷謙治,名和隆央

『資本論』第二部第二草稿

(

「第三章」)の未公 開部分 につ い 立教経済学研究』,第33巻第1,1979,152頁。

ll)大谷禎之介 「(蓄積 と拡大再生産)

(

『資本論』第2部第21章)の草稿 について U⊃

(下) ‑ 『資本論』第2部第8稿か ら

経済志林』,第49巻第1,2,1981年参照.

(10)

64

4 0

3号

と して解明 され る実現 の諸条件 は,無計画 な資本主義 の基礎上 で は,つ ね に不 均衡 の条件 に転化す るのである

」(75

貢)

「さ らに,再生産論 は,個人的消費が社会的総資本 の再生産 を制約 す る態様 を解 明す る

換言すれば,生産 と消費 の矛盾 における一側面 の内容 一部 門 間 の 補填で個人的消費 が しめ る究極 的な地位 とい うことの内容 ‑を解 明す るのであ

」 ( 同上)

「 生産 と消費 の矛盾」 とは生産力 の無制限的発展傾 向 と労働者大衆 の制限 さ れた消費 との間の矛盾である

だか ら , 生産 と消費 の矛 盾」 に関 して は,再 生産表式論 は,何 よ りもまず,労働者大衆 の消費 を狭 い範囲 に制 限 した ま まで いかに して生産力が無制限 阜言 え るほどの勢 いで発展 してゆ くことがで きるの か とい うことや,その発展 の構造 を解 明 しな くて はな らない。 そ うした観点 か らすれば,マル クスの表式 に即 して言 えば,再生産表式 が 「 ●●●●●●●●●●●●●● 生産 と消費 の矛盾」

を解 明す るうえで持っ意義 は‑ 7 , I

C

部分 が個人 的消費 か ら一応独立 して い る こ とを再生産表式が解 明 して いることに求 めなければな らない。 レー ニ ンもこの よ うに考 えていた ことは以下 の文章 か ら十分窺 うことがで きる

「だが,実現 され る生産物 のすべての部分 が ( 紘)所得 の形態 を とるわ けで はない ことに こそ,かん じんな点 があるのだ。 マル クスは,まさに ス ミスの こ ●●

の誤 りを明 らか に し,そ して,実現 され る生産物 の うちの一部分 はけ っ して所

得 の形態 を とることな く,また と りえない ことを解 明 したのであ る

この部 分

は,生産手段 の製造 のために役 だっ不変資本 ( マル クスの用語 に したが え ば,

第一部門 における不変資本) を補填 す る社会的生産物部分であ る

‑‑‑社会

的総資本 の再生産 と流通 の過程 は,総生産物 の うち,資本 と して のみ役 だ ちえ

て けっして所得 の形態 を とりえない部分が区別 されなければ,理解で きな いの

であ る

発展 しつつあ る資本主義社会 で は,社会的生産物 の この部 分 は,必 然

的 に,社会 的生産物 の残 りのすべての部分 よ りも急速 に増大 しなければ な らな

い。 この法則 によ ってのみ,資本主義 の もっとも深刻 な矛盾 の一 つ が,す なわ

ち国民 の富 の増大 は非常 に急速 にすすんで い るのに人民 の消費 の増大 は ( た と

えすすんで いるとして も) きわめて緩慢 に しかすす まない とい うことが,説明

(11)

再生産表式論 と 「生産 と消費 の矛盾」 65

され うるのであ る

」(Ⅳ‑808

1,傍点 ‑ レ‑ ニ ン)

氏 の上 の指摘 の第一点 は,生産 と消費 の関連 と不均衡 の発生 の可能性 との関 連 の問題 ,つ ま り,再生産表式 と恐慌 の可能性 との関連 の問題 にす ぎな い。 し か し・上 に述 べた ことか ら明 らかなよ うに , 「生 産 と消費 の矛 盾」 はまず均 衡 を前提 と して解明 されなければな らない問題 であるか ら,不均衡発生の可能性‑

恐慌 の可能性 の問題 とは直接関係 のない ことで あ る

。 12)

氏 が この よ うな と こ ろに再生産表式論 が 「 生産 と消費 の矛盾」 の解明 に対 して持っ意義 を詑 め られ るのは,氏 が 「 生産 と消費 の矛盾」 を もっぱ ら 「 生産 と消費 との不均衡 」 と考 えてお られ るか らにはかな らないのであ る

また , 「さ らに」 と して言 われていることは,再 生 産 表式 にお け る生産 と消 費 との関連 を説 明 されているところで , 「したが って, I

C

はあ る程 度 個 人 的 消費 か ら独立 した運動 をす るが,それ は

ⅡC

で実現 され る

(Ⅴ+M)

と一 定 の比率 を保 ち,また

ⅡC

Ⅱ (Ⅴ+M)

に制限 され,その個人 的消費 の増 加 に 応 じて拡大 され るか ら,最終的 には個人 的消費 によ って制 限 されて い る」 (

74

頁) と言 われていることと関連 して言 われているもの と思 われ るが,もし氏が,

12)この ことに関連 して二瓶敏氏 の見解 について述べておけば,再生産表 式 が 「生 産 と 消費 の矛盾」 の解明に対 して持っ意義 についての氏の見解 は必ず しも明確 とは言 え ないが,狭陰な消費がいかに して総生産物 の実現 を制約す るか とい うその道薪 を解 明 し,生産 と消費 との内的統一 ‑矛盾の構造 をあばき出 した」 (再生 産論 と 『一 層 発展 した恐慌 の可能性』 ‑表式 における 『内在的矛盾』把握 の否定論 によせ て ‑」

岡崎 ・大 島編 『資本論 の研究』,日本評論社,1974,178頁) とい うと ころに再生 産表式が 「生産 と消費の矛盾」 の解明 に対 して持っ意義を認 めるとい うのが氏 の基 本的な考 え方であることは間違 いないであろ う。だ とすれば,氏 もここで の水谷 氏 の見解 と基本的に同様 な見地 に立 ってお られ ると言わなければな らず,水谷氏 に対 す る批判 は氏 に対 して も同様 に当て はまると言 わなければな らない。 こ うした氏 の 誤 りは,せ っか く 「直接的搾取 の諸条件 とこの搾取 の実現 の諸条件」 に関 す るマル クスの叙述 を引用 されなが ら (上掲書,182頁),引用 を 「社会 の消費 力」 が 「敵対 的な分配関係を基礎 とす る消費力」 と 「蓄積‑の欲求」 によって制限 されて い る と

い うところでやめ られ,肝心 な 「それだか ら,市場 は絶えず拡大 され るにちが いな いのであ り, ‑・内的な矛盾が生産の外的な場面 の拡大 によって解決 を求 め るの である。 ところが,生産力が発展 すればす るほど,ますます それ は消費 関係 が立脚 す る狭 い基礎 と矛盾 して くる」 とい うところまで及んでいないところに も現 われて いる

(12)

66

40

3

このよ うにマル クスの再生産表式 が I C部分 の個人的消費か らの相対的独立 と 個人的消費 による最終的な制 限を解 明 して い る とされ るな ら,

13)

マル クスの 再生産表式で は生産力 の上昇 が捨象 されて いるか ら,まだ多分 に限定的 な意 味 でで はあ るに して も,マル クスの再生産表式で も 「 生産 と消費 の矛盾」 が解 明 されているとい うことを認 めなければな らないはずで あるが,氏 はそれ を認 め よ うとはされないのである

これ もや は り,氏 が 「 生産 と消費 の矛盾」 とはあ くまで 「 生産 と消費 との不均衡」 であるとい う見地 に立 ってお られ ることか ら 来 てい ることであ る

以上 のよ うなわ けで,氏 の場合 には,「 生産 と消費 の矛 盾」 とは直接 関係 の ない点 に再生産表式 が 「 生産 と消費 の矛盾」 の解 明 に対 して持つ意義 を認 め ら れ , 「 生産 と消費 の矛盾」 の解 明その もので あ る点 に, ‑解 明 そ の もの と して の 意義 を認 め られない とい うことにな っているのであ るが,そ うした氏 の理解 の 問題点 もや は り,氏 が 「 生産 と消費 の矛盾」 とは何 か とい うことにつ いて全 く 誤 った理解 を持 ってお られ ることに起因 して いるのであ る。

2

節 水谷氏の 「レー ニ ンの見解の批判的検討」 の検討

本節 で は水谷氏 の レー ニ ン批判 につ いて検討す る。

前節 で明 らか に したよ うに,マル クスは個人的消費 を狭 い範囲 に制限 しなが ら,自 ら市場 を拡大 しつつ進展す る生産力 の発展 の中 に矛盾 を見ていた ので あ り,したが って,その矛盾 は当然 の ことと して再生産表式論 で基 本 的 な解 明が な されなければな らないので あ った。 だか らこそ,レー ニ ンはマル クスの表式 に生産力 の発展要因 ‑資本構成高度化要因を導入す ることによ って第 Ⅰ部門の 不均等発展 を導 き出 し,これ こそが 「それに照応す る消費 の拡大 のない生 産 の 拡大」 (

Ⅱ‑33)

,つ ま り , 「 生産 と消費 の矛盾」であ ることを明 らか にす るとと

13)

我々は再生産表式における,氏が言われているような価値 ・素材補填上の関連が

I

C 部分の個人的消費による最終的制限を解明しているかどうかということについて

は疑問を持っているが,その間題については別稿で検討することにし,今 はとりた

てて問題にしないことにする。

(13)

再生産表式論と 「 生産と消費の矛盾」

67

もに,その矛盾 の性格 の解明を行 ったのであ る ( た とえば

Ⅱ‑3335

を参照)。 だ か ら,マル クスの見解 と レー ニ ンの見解 との間 にはいかな る不一致 も存在 しな いのであ り,レー ニ ンはマル クスの見解 を全 く正 しく発展 させたのである。

ところが,水谷氏 は 「 生産 と消費 の矛盾」 に関す る誤 った理解 を もとに レー ニ ンの見解 の検討 に向かわれ,レー ニ ンの見解 を全面的 に批判 しよ うとされ る のである

氏 は , 「 再生産論 で は消費資料 に対 して生産 手 段 が先行 的 に拡 大 す る法則 ,あ るいは ( それに もとづ く)生産手段 の急速 な増大法則が解 明 され て お り,生産 と消費 の矛

闘 まこの法則 に表 れている,こうした点 に レー ニ ンの見 解 の特徴 があ る

」 (92

) とい うよ うに レー ニ ンの見解 を特 徴 づ けた うえで,

それ ら両方 の法則 が 「 生産 と消費 の矛盾」を表現す ることを否定することによっ て レー ニ ンの見解 を批判 されてい る

そ こで以下 ,こうした氏 の レー ニ ン批 判 につ いて検討 してゆ くことにす るが,氏 はまず,「消費 資料 に対 して生 産手 段 が先行 的 に拡大す る法則

「 生産手段 の先行 的拡大法則」 (同上) が 「生 産 と消費 の矛盾」 を意味す るとい う考 え方 を畔判す ることか らレー ニ ン批判 を始 めてお られ るので,我 々 もこの批判 の検討 か ら始 め ることに したい。

氏 は,氏 に とって 「 生産手段 の先行的拡大法則」 につ いて述べ られて い る と 見 え る レー ニ ンの 4 つの文章 を引用 され , 「右 の法則 自体 は,資本主 義社 会 に 限 らず,どの社会 の拡大再生産 に も妥 当す る

」(93

貢) か ら 「生産 と消費 の矛 盾 は右 の法則 に現 れ るとか,この法則 その ものか ら矛盾が生ず るとい う見解 に

は同意 しがたい」 ( 同上) と レー ニ ンを批判 されて い る

この よ うな氏 の レー ニ ン批判 は当を得 ているであろ うか。 引用 され た 4 つの文章 を検討す ることに よ ってその点 を考察 してみ ることに したい。

最初 の引用文 は 「 経済学 的 ロマ ン主義 の特徴づ けによせて」か らであ り,吹 のよ うな ものであ る

o

T 蓄積 は,実際 に,所得 ( 消費資料) に対す る生産 の超過 であ る

生 産 を拡

大す る ( ・ ・

‑・ ‑ 『 蓄積 す る

)

ためには,まず始 め に生 産手 段 を生産 す る こと

が必要 である。 だが,そのためには,生産手段 を生産す る社会 的部 門 の拡 大 が

必要であ り,労働者 をそ こへ吸引す ることが必要 であるが,彼 らは消費 資料 に

(14)

68

40

3号

対 して も需要 を もた らす。 したが って ●●●●●●●●●●● , 『 消費』 は 『 蓄積』 のあ とについて‑・ ●●●●●● ‑

‑・ 発展す る

」(Ⅱ‑138

,訳文 は水谷氏 の もの,傍点 ‑ レー ニ ン)

氏 は,レ⊥ ニ ンはここで 「 生産 と消費 の矛盾」 につ いて語 ろ うと して い る と 考 えてお られ るわ けであ るが,はた してそ うであろ うか。 レー ニ ンは この文章

の数行後 で次 のよ うに述 べて,そ こで初 めて 「 生産 と消費の矛盾」について語 っ ている

「 周知 の とお り,資本 の発展法則 は,不変資本 が可変資本 よ りもい っそ う急 速 に増大す ること,す なわち,新 たに形成 され る資本 のます ます多 くの部分 が, 生産手段 を製造す る社会経済部 門 にむ け られ るとい うことにあ る。 したが って,

この部 門 は,消費資料 を製造す る部門 よ りも,必然 的 により急速 に成長す る。‑

‑‑ したが って,個人 的消費 のための生産物 は,資本主義 的生産 の総 量 の うち で は,ます ます よ り小 さな部分 を占め ることにな る

そ して この ことは,資本 主義 の歴史的 『 使命』 とその独特 の社会 的構造 とに照応 してい る。す なわ ち,

その使命 はまさに,社会 の生産力 の発展 ( 生産 のための生産) にあ るが,そ の 社会構造 は,住民大衆 による生産力 の利用 を排除 しているのである

」 ( 同上)

この文章 か らわか るよ うに,レー ニ ンは,資本構成高度化 に と もな う第 Ⅰ部 門の不均等発展 の中 に 「 生産 と消費 の矛盾」 を見て いたのであ って,先 の文 章 での 「 生産 を拡大す る ・

‑ ‑ためには,まず始 めに生産手段 を生産す る ことが 必要 であ る」 とか ,「 『 消費』 は 『 蓄積』 のあ とにつ いて ‑ ‑ ‑発展 す る」 と か とい うこと自体 の中 に 「 生産 と消費 の矛盾」 を見ていたわ けで はないのであ

レー ニ ンは,生産 の拡大 を 自己 目的 とす る資本主義社会 で は生産手段 の生 産 が先ず 自己 目的的 に拡大 され,消費手段生産 はその結果 と して拡大 され るにす ぎないので あるが,資本主義社会で はさ らに不変資本 が可変資本 よ りい っそ う 急速 に増大 す るとい う条件が加 わ るので,必然的 に生産手段生産部門が消費手 段生産部 門 よ り急速 に成長 す ることにな り,これが 「 生産 と消費 の矛盾 」 を意 味す る,とい うことを主張 しよ うと しているのであ る

だか ら,氏が引用 した文章 は 「 生産 と消費 の矛盾」 を意味す る資本構成高度

(15)

再生産表式論 と 「生産 と消費 の矛盾」 69

化 にともな う第 Ⅰ部門の不均等発展 の前提 と しての位置づ けを与 え られてい る

にす ぎないのであ る

もし,生産 の拡大が 自己 目的なので はな く,逆 に消費 が 生産 の目的であるな ら,したが って また,生産 が消費 の後 につ いて ゆ くな ら, 資本構成 が高度化 して も第 Ⅰ部門の不均等発展 はそ もそ もあ りえない ことは明

らかであ るか ら,生産が 自己 目的的 に拡大 され るとい うことが第 Ⅰ部門 の不 均 等発展 の最 も基本 的な前提 なのである。 資本主義社会で は生産 その ものが 自己 目的であることは言 わば 自明の ことであるか ら,資本構成 の高度化 か ら第 Ⅰ部 門の不均等発展 を主張す る場合 に レー ニ ンは普通 その ことにつ いて改めて述 べ ることは していないが,ここで は シスモ ンデ ィの 「 消費が生産 を規定す るのだ か ら生産 が消費 を追 い こす ことはない とい う

」 (Ⅱ‑139)

見 解 の批 判 が 目的 で あ ったために,逆 に 「 生産 が消費 を規定 す るのだか ら生産が消費 を追 い こす の であ る」 とい うことを主張す るために,わざわざ 「 生産 が消費 を追 い こす」 と い うこと,つ ま り,資本構成 の高度化 にともな う第 Ⅰ部門の不均 等 発展 を主 張 す る前 に

,

「 生産 が消費 を規定 す る」 とい う内容 の氏 が 引用 した文 章 を入 れ た

もの と思 われ る

。 14)

以上 のよ うなわ けで,レー ニ ンは資本構 成 高度 化 に と もな う第 Ⅰ部 門の不均 等発展 こそが 「 生産 と消費 の矛盾」 を意味す ると考 えてい たのであ り,氏 が引

14)以上 の点 について は,拙稿 「資本構成高度化 にともな う第 Ⅰ部門 の不均 等 発 展 につ いて

『商学討究』,第40巻第1,1989,7476頁 も参照 されたい。 な お

,

「ペ ・ネ ジダー ノフ氏 への回答」 における次 の文章 にお いて もここでの レ‑ ニ ンの考 え方 と 基本 的 に同様 な考 え方 が語 られていると思 われ る。「こうして,小 ブル ジ ョア的経済 学者 たちの見解 がマルクスの見解 と異 な るところは,前者 が一般 に資本 主 義社 会 に おける生産 と消費 との関連 をみ とめたが,後者 は一般 に この関連 を否定 した (こん な ことは不合理 であろ う) とい うことにあ るので はない。 その相違 は,小 ブル ジ ョ ア的経済学者 たちが生産 と消費 とのあいだの この関連 を直接 的な もの と考 え,生 産●●●●●● ●●

が消費 のあ と●●●●●●

についてい ●●●●●

くと考 えた ところにあ る。 ところが,マ ル クス は, この関 連 がただ間接的な ものにす ぎない こ‑i,それ は究極 において のみ現 われ る こと,な●●●●●●●●

ぜな ら資本主義社会 で は消費が生産 のあとにつ いてい くか らであ る とい うことを, しめ したのであ る しか し,た とえ間接 的な ものにせ よ,や は り関連 はあ る。 消費 は,究極 においては,生産 のあ とにつ いて いかなければな らないのであ る。 そ して, もし生産力が生産 の無制限 の増大 にむか ってすす もうとす るのに,消 費 が人 民 大 衆 のプロ レタ リア的状態 によ ってせばめ られてい るとすれば,ここに矛 盾 が あ る こと

(16)

70 40 3号

用 した文章 で レー ニ ンは生産 を拡大す るためには生産手段 を拡大す ることが必 要 で,そのためには生産手段生産部門の拡大 が必要 だ とい う 「どの社会 の拡 大 再生産 に も妥 当す る」法則 につ いて述べて はいるが,それ 自体が 「 生産 と消費 の矛盾」 を意味す ると考 えていたわけで はない し,さ らに,その文章 の全 体 の 内容 である,生産拡大 を 自己 目的 とす る資本主義社会 で は生産手段生産 部 門 の 拡大 が先 で消費 手 段生 産 ( 消費 ) はそ の結 果 にす ぎな い とい うことで さえ,

「 生産 と消費 の矛盾」 を意味す ると考 えていたわ けで はないのである

0

ところで,氏 は,先 の レー ニ ンの文章 の最初 で 「 蓄積 は,実 際 に,所 得 ( 潤 費資料) にたいす る生産 の超過 であ る」 と言 われて い る ことに対 して , 「蓄 積 が所得以上 の超過 だ と主張 しうるのは,部 門 Ⅰでの生 産手 段 の蓄積

(500M)

に応 じて消費資料 の一部

(Ⅱ500C)

が縮小 させ られ るので,従 来 の よ うに Ⅰ

(+M)‑ⅡC

で はな く, Ⅰ

(Ⅴ+1/2M)‑ⅡC

‑ したが って, Ⅰ

(Ⅴ+M)

> ⅡC

一にな らざるをえない,とい う意 味であ る

」 (94

貢) と言 わ れ , 「この こ と自体 は,どの拡大再生産 に も不可欠 な条件 だか ら,レー ニ ンが生 産 と消費 の 矛盾 と解す るよ うな 『蓄積 のための蓄積

,『 生産 のための生産』 とはいえない 」

( 同上) と レー ニ ンを批判 されている

また さ らに氏 は, これ に続 けて,これ との関連 で,レー ニ ンが 「 実現 は,消費資料 によるよりもむ しろ生産手段 によっ て,よ り多 く行 われ る,‑ これ は明 らか にマル クスの表式 か らそ うな る

だが, 今度 は,この ことか ら不可避 的 に,『 生産力 は発展すればす るほど,消費関係 が

よ って立っ狭 い基礎 とます ます矛盾す るよ うにな る』 (マル クス) とい うこと がでて くる

」 (Ⅳ‑176

,訳 文 は水 谷氏 の もの) と言 って い る ことにつ いて も,

「マル クスの表式で説 かれ る 『 実現 は消費資料 よ りも生産 手段 によ って よ り多

は疑いない

」(Ⅳ‑177178

,傍点‑レーニン)ここでも,まず , 「資本主義社会では

消費が生産のあとについていく」ということが語 られているが,これによる生産 と

消費との間の間接的な関係が直ちに 「 矛盾」だとされているわけではな く,これを

前提 とする , 「 生産力が生産の無制限の増大にむかってすすもうとするのに,消費が

人民大衆のプロレタリア的状態によってせばめられている」という事態 こそが,し

たがってまた,資本構成高度化にともなう第 Ⅰ部門の不均等発展こそが 「矛盾」で

あるとされているのである。

(17)

再生産表式論 と 「 生産と消費の矛盾」

71

く行 われ る』 とい う意味が既述 した とお りだ とすれ ば

,

『この ことか ら不 可避 的 に』生産 と消費 の矛盾 をひき出す ことはで きない

」(9495

頁) とレー ニ ンを 批判 されている

O

しか し,まず,「蓄積 は,実際 に,所得 ( 消費資料) にたいす る生産 の超過 で あ る」 とい うのは氏 の言 われているよ うな意味で言 われているので はない。数 頁後 で レー ニ ンは 「シスモ ンデ ィにとって は単 な る誤 りであ り,リカー ドー の 学理 における矛盾であ るとお もわれた こと,すなわ ち,蓄積 は所 得以 上 に出 る 生産 の超過 であるとい うこと,‑ これ は,実際 にま った く現実 に照応 してお り, 資本主義 に固有 な矛盾 を表現 しているのである

この超過 はあ らゆ る蓄積 のば あいに必然的な ものである し,そ して この蓄積 は,消費資料 にと って それ に照 ●●●●●● ●●●●●●● ●●●●●

応 した市場 の増大がな くて も,また この市場が縮小す るばあいに さえ,生 産手 ●●●●●●●■●●●●● ●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●

段 のために新 たな市場 をひ らくのであ る ● ●● ●●

」(Ⅱ‑142143

,傍点 ‑ レー ニ ン) と述 べ るとともに,「また この市場 が縮小す るばあいにさえ」 とい うと ころに注 を つ けて 「 前述 の分析 か らおのずか ら結論 され るところであるが,新 しい資本 が どの程度 に不変部分 と可変部分 とに配分 され るか,また可変資本 の相対 的減少 が どの程度 に古 い生産 を と らえ るか に応 じて,そのよ うなばあいが可能である」

(

Ⅱ‑143)

と述 べ て い る。 こ こか ら明 らか な よ うに,「蓄積 は,実 際 に,所 得 ( 消費資料) にたいす る生産 の超過 である」 とい うの は,蓄積 とそれ に と もな う資本構成 の高度化 とともに,生産手段 の生産 が,したが って また,全 体 と し ての生産 が消費資料 の生産 を越 えて増大 す るとい う意味なのであ り, し

た が っ

て,それ は レー ニ ンが言 って い るよ うに 「資本 主義 に固有 な矛 盾」,つ ま り,

「 生産 と消費 の矛盾」 にはかな らないのである

また,レー ニ ンが 「 実現 は,消費資料 によるよ りもむ しろ生産手段 によ って,

よ り多 く行 われ る‑ これ は明 らか にマル クスの表式か らそ うな る」 と言 って い

るの も上 と同 じ意味である。 「マル クスの表式 か らそ うな る」 と言 って い るの

は,マル クス自身 が数式展開 して見せた表式 か らそ うな るとい うことを言 って

いるわけで はない。 なぜな ら,レー ニ ン自身が別 の ところで 「マル クスの表式

か らは,第二部門 にたいす る第‑部門の優位 な どとい う結論 は,い ささか も引

(18)

72

4 0

3

きだす ことがで きない」 (ト80) と言 って い るか らであ る。 だか ら, こ こで は レー ニ ンは I

C

部分 と個人的消費 との関係 が間接 的であるとい うことを解 明 し たマル クスの表式か らの結論 と してそ うな ると述べて いるにす ぎないのである

「 実現 は,消費資料 によるよ りもむ しろ生産手段 によ って,よ り多 く行 われ る」

とい うことによ って,蓄積 とそれ に ともな う資本構成高度化 による第 Ⅰ部 門 の 不均等発展 を主張 しよ うと していたがゆえに,レー ニ ンは後半でマル クスを引 用 しつつ 「だが,今度 は,この ことか ら不可避 的 に , 『 生産力 は発展すればす る ほど,消費 関係 が よって立っ狭 い基礎 とます ます矛盾 す るよ うにな る』 (マ ル クス) とい うことがでて くる」 と述べてい るのである

氏 のよ うな解釈 だ と, レー ニ ンは文章 の前半 で は生産力 の発展 とは直接関係 のない単純再生産 か ら拡 大再生産への移行 の問題 につ いて語 っているのに,後半 で は生産力の発 展 に と

もな う矛盾 について語 ってい るとい うことにな り,レー ニ ンは全 く首尾 一貫 し ない とい うことにな って しま うであろ う

2

番 目の引用文 は 「プロコポヴィチ 『西欧 における労働運動 』 の書 評」 か ら であ り,次 のよ うな ものであ る。

生産 の拡大 は生産 的消費 を前提す る』 とい うことか らは,

‑‑資本主 義 に固有 な,またそれを必 ず滅亡 に導 くべ き,生産 を無制限 に増大 させ よ うと す る志 向 と,消費 の制限性 との矛盾 こそがでて くるのであ る 。 」 (

Ⅳ‑197

,訳 文 は水谷氏 の もの)

最初 の 「 生産 の拡大 は生産的消費 を前提す る 」 とい う言葉 はプロコポヴィチ の言葉 であ るが,彼が言 お うと したのは,生産 の拡大 は生産手段 の市 場 が拡 大 しなが ら進展 してゆ くか ら,生産が拡大す るに もかかわ らず市場 は拡大 しな い か ら資本主義 の破産 は必然的であるとい うカウツキー の説 は誤 りであ るとい う ことであ る。 しか も,ここで問題 にな ってい る生 産 の拡 大 は , 「急 速 に進行 し

て」 いる 「 技術 の変革 と資本 の蓄積」 ( 以 上

,Ⅳ‑196)

に と もな うそれ な ので

あ る

したが って,ここで問題 にな っているの は,技術 の変革 に と もな って主

に生産手段市場 の拡大 によって進行 してゆ く生産 の拡大 の過程,つ ま り,資本

構成高度化 にともな う第 Ⅰ部 門の不均等発展 の過程 なのであ って,決 して,早

(19)

再生産表式論 と 「 生産と消費の矛盾」

7:3

純再生産か ら拡大再生産への移行 とい うよ うな もので はないのであ る。 こうし て,ここで もレ‑ ニ ンは資本構成高度化 にともな う第 Ⅰ部門 の不均等発 展 を問 題 に しているので あ り,それ につ いて 「 生産 と消費 の矛盾」 を語 ってい るので

ある

3

番 目の引用文 は 「ロシアにおける資本主義 の発展」 か らであ り,次 の よ う な ものであ る.

「 生産 の ( ‑

‑)発展が,主 と して生産手段 の増大 によるということは,‑

‑‑・ 疑 い もな く矛盾であ る.これが,本 当の 『 生産 のための生産』,すなわ ち, それ に照応す る消費 の拡大 のない生産 の拡大で ある. 」 (

Ⅲ‑33)

ここで は,レー ニ ンが 「マル クスの実現理論 か ら出て くる主要 な結 論 」 (Ⅱ‑

3

1 ) と した 「資本主義的生産 の,したが って また国内市場 の発展 は,消費 資料 の増大 によるよ りも,む しろ生産手段 の増大 によって行 わ れ る」 (同上 ) とい うこと,つ ま り,資本構成高度化 にともな う第 Ⅰ部門の不均等発展 につ いて述 べ られてい るとい うことは,前後 の脈絡 か ら全 く明 らかであ って,いか な る読 み方 をすれば ここで レー ニ ンが単純再生産か ら拡大再生産への移行 について語 っ ているとい うことにな るのか全 く不可解 であ ると言 わ ざるをえない.

4 番 目の引用文 は 「ペ ・ネジダー ノフ氏‑の回答」 か らで,次 のよ うな もの である.

「 生産 と消費 との不一致 ‑‑‑ は ( マル クスの表式 で明確 に示 されてい るよ うに),生産手段 の生産 は消費資料 の生産 に先 行 す る ことが で き る し,また先 行 しなければな らない,とい うことに現 れて いる.

」 (Ⅳ‑175

,訳文 は水 谷 氏 の

もの)

ここで は氏 は,おそ らく,レー ニ ンが 「 ( マル クスの表式で明確 に示 され て、\

い るよ うに)

と言 っていること,及 び

,

「生 産 手段 の生 産 は消費 資料 の生産

に先行す る」 と言 っていることに着 目されたのであろ う.しか し, この少 し前

の ところで , 「 資本主義 に固有 な生産 と消費 との あ いだ の矛 盾 は,国民 の富 が

人民 の貧困 の増大 とな らんで増大す るとい うこと,社会 の生産力 が,それ に照

応す る人民 の消費 の増大 な しに,これ らの生産力を勤労者大衆 のために利 用 す

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