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中 国 詩 文 論 車 第 十 五 集
﹃和漢 朗 詠 集﹄ 所 収 唐 詩 注 樺 補 訂 ㈹
●1九九番白居易「白羽扇」「盛夏不鋪雪'終年無蓋風。
引秋生手裏、蔵月入懐中」
○大和九年(八三五)'作者六四歳'東都洛陽での作'太子
賓
客
分司在任(花・朱)0本詩は五言排律であり'上抱の部分は二組の封句O金洋文庫蓄蔵鎌倉初期抄本(豊原奉重校訂本)(‑)﹃白氏後集﹄巻第六十五(太子賓客晋陽株開園男賜紫金魚袋
白眉易)に収め'文字に異同はない。太子賓客は東宮府(皇太
子の役所)の官で'「侍従・規諌Lt鮭儀を賛相(あきから助ける)
して先後するを掌る」(﹃大唐六典﹄巻26)正三晶官。白居易に
とっては再任の官であった.中庸以降の洛陽は'天子の訪れ
もな‑なって政治的地位を失い'すでに名利とはほとんど無(2)緑の退老の地、庭園の美しい閑静な文化都市と化していた。
従って「分司東都(洛陽駐在)」は、激しい政争の1時的な敗
植 木 久 行
退者で再起を期する老たちや'劇務を望まない高齢な官僚た(3)ちの就‑閑職であった。埋田重夫「自店易の閑適詩‑詩人に(4)復原力を輿えるものI」にょれば'自店易は分司東都の閑職に
あったわが身の幸福をくり返し表明し'その理由として、①たか官品(三品)が貴い'②俸給(七八番鐘)が良い'③給料支給
は毎月ごとで「虚月」がない'④責任が軽い'⑤閑暇が多い'
⑥束縛が少ない、⑦天子への朝謁の義務がない'⑧病弱な者
が養生するのに最も適している'⑨東都洛陽は黄塵少な‑名
勝も多い'⑬長安政界を隠退した「君子」(知識人)が多‑住
んでいるtなどを指摘する。本詩もそうした環境の中で作ら
れた閑適詩の一首であり、「シロキハウチハ」(﹃名物六帖﹄器
財寒五)を歌う詠物詩.うちわ︹白羽扇︺鳥の白い羽で作った軽い圃扇(左右封柄の合駁
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あし戻)Oこれは'竹や葦を編んで作った費用易'嶺南地方(贋東・ぴんろうじゆほきせん鹿西)特産の
模 糊 樹
の葉を用いた蒲 薬 屋 '
あるいはまた'絹らせんがん製の羅 扇
・執
扇とは異なりへ主な用途に二つある.①将軍が戦いのとき指揮に用いるもの'いいかえれば繰大格の指揮権(5)のシンボルであり'諸葛亮の白羽扇は特に有名O②涼を取る
ために用いる囲扇のl種で'絞潔・高尚なものとして脱俗的
な隠士の風貌に似あう.ここでは'もちろん②のイメージで
ある。この鮎は'白眉易みずからへ仕と陰の撃方を満足させ
る分司東都の閑職に在任するわが身を'いわゆる「吏隠」のスタイ・)生活態度をさらに一歩進めた「中隠」(大隠と小陰の中間)とし(6)て肯定する考え方とも通底して興味深い。李白「夏日の山‑こものうらたん中」詩に'「白羽扇を揺かすに
願
‑'青林の中に裸 担
す」と(7)とありへ孟浩然「(隠者の)白雲先生王廻訪はる」詩に'「手にばう‑つは白羽の扇を持ちへ脚に青空の履を歩‑」とある.本詩と同年かんねつの白詩「 早 熟
二首」其二(巻3'後集巻4 )
の「扇は白き鶴のつ
ばさ麹 を
描かす」に操れば'本詩の白羽扇も鶴の君を用いたもの(8)か。博同欽「古代的扇子」によれば'六朝前期'上流階級のたん
ししき閲で用いられた白い羽毛扇の形態は畢 麹 式
(固形ではなく鳥の片方の麹の形。偏扇︹荘13︺の一種)であったらしいが'本詩しろの白羽扇は'作者みずから冒頭に
「 素
は是れ自然(天然)の色﹃和漢朗詠集﹄所収唐詩江樺補訂餌 ( 植 木 ) まどにして'園かなるは裁製の功に困る」と歌うように'固形に(9)裁断・作成されたものであった.劉宋の謝意連「白羽扇讃」
には'「惟玄白羽'鰹此瞭潔.涼哲清風'素同氷雪.其儀可
貴'是用玩悦。揮之襟袖'以禦炎熱」という。ちなみに'簡さつちい野道明﹃白詩新得﹄は'「現として松の籍を起こすが如く'
瓢として鶴の室に翻るに似たり」を含めてこう評する'とみ「此の六句を詞すれば'三伏の日も頓に炎熱を忘るるに足る'
詠物の巧凡手の及ぶ所ではない」と。
○︹盛夏︺員夏.皆川洪園﹃賓字解﹄時令部・夏の候に'ヽヽ「維じて夏をば'炎夏・長夏・朱夏・盛夏・九夏・陽夏・暑
夏・永夏など栴す」とあるが'唐の鄭除塵撰﹃大唐新定吉凶
書儀﹄年叙凡例第一に'「五月仲夏叙云'中夏・仲夏・盛夏・
炎夏‑」というように'やはりまず奮暦五月を念頭に置‑べ(10)(‖)きであろう。初唐の許敬宗撰?﹃朋友書儀﹄にも'「五月仲
夏'‑‑普思盛夏'暑熱異常」とある。
○︹不鋪雪︺鏑は「滑」にも作る(﹃校異和漢朗詠集﹄)が'
同意.圏扇の清らかな白さを雪にたとえる表現は'もちろ
ん'「ヶ国扇
〃
の短章」(﹃詩品﹄上品・班娃好の候)として名高い(12)が
ん前漠の班捷好作「怨歌行」(﹃文選﹄巻27)の'「新たに酉の執
そさ秦(自絹)を裂けば'較潔にして霜雪の如し」を踏まえる。前48
中国詩文論策第十五集しろ抱の謝意連「白羽扇の讃」にも'「素きこと氷雪に同じ」と
いう。
○︹終年︺一年中。白詩の用例は'このほか「適意二首」
其
一
の「終日一読食'終年1布袋」(笹6)など五例ある(﹃索引﹄)0
○
︹無蓋風︺「晶ノ風ハ'イソモツカへハ有ル故ニ'ツクル
事
ナキ風卜云也」(図台国書館本﹃和藻朗詠荘﹄︹伊藤正義・黒田彰編著﹃和漢朗詠集古江梓集成﹄第二巻上所収︺)。班捷好「怨
歌行」に'「君が懐袖に出入して'動揺して(動かすたびに)
微風記す」とある。謝意連「白羽扇の讃」の「涼しきこと清まか風に斉し」'梁の武帝「圃扇歌」の「清風動かすに任せて生
ず」なども類例。
〇︹引秋︺秋は涼とほぼ同意。秋の涼しさ。自居易「和韓ヽヽ侍郎苦雨」詩(巻19)に'「闇留簡不味'涼引筆先秋」とある。
○︹生手裏︺﹃」ハ江﹄に「生ハ'乗ノ義也」とするが'生うちは文字どおり更生の意でよいO「秋を引きて手
の 裏 に
生ぜし・hノこむ」。梁の何題の詩(「輿虞託宣諸人詠扇」)に'「風を拓かして素手に入る」という。◆‑ど○︹蔵月︺圃扇を園かな月(囲月・囲月)に見立てる表現
も
'
班建好「怨歌行」の「裁ちて合歓の后(柄がまん中にある 左右封栴型の固形のうちわ)と為せば'園圏(まるいさま)として明月に似たり」以来の常套表現。江掩「薙題詩三十首」(﹃文選﹄笹31)其三「班姪好(詠扇)」の候にも「統易は囲月のき上ら如し」とあり、梁の武帝「囲扇歌」にも「手中の自国扇'浮
かなること秋の困月の如し」という.ちなみに'囲形のうち(13)わは'漠代に起こった新型とされ'沓乗の「偏晶」とは異な
るという。
○︹入懐中︺「懐中」は'小島憲之﹃国風暗黒時代の文学(14)
中的」によれば'六朝以来'非詩語(散文用語)であって'韻
文語(詩語)としてはむしろ「懐袖」であるとし'前掲の「怨
歌行」「出入君慎袖'‑」などの用例をあげる。自詩の用例
は'さらに「小歳日'菩談氏外孫女該満月」(巻S.後集等l)
の'「懐中有可抱'何必定男鬼」の一例のみである(﹃索引﹄)O︹折崩︺金子・江見﹃新得﹄は'「製は開閉自在なるが故
に'明月の形と見えし扇も、忽ちをさめて'懐中に入るべL
といへり」と解樺し、大曾根諸にも「明月の形と見えた扇も
たたみおさめると忽ち懐中に入ってしまう」とあって'いず
れも折り畳みできる扇子の類を念頭に置‑解樺である。しかふところし圃易の大きさはさまざまであり'本句は単に
「 懐 に
収むしたれは'満月を抱いたやうである」(佐久節諾)というにすぎな49
い。というのは'開閉自在で折り塵みできる扇子'いわゆるし上うじよう(1)折扇
・ 摺 畳 屋
は'九世紀ご ろ 日
本で狂明され'北宋以降'日
本の重要な贈物・輸出品の一つになり'扇面に描かれた精妙・華麗な大和絵とともに贋く好評を博した。朝鮮ではただ
ちにこの日本扇を精巧に模造して中国への贈物として用いた
ところから'折扇は朝鮮で章明されたとする誤解が'1時中(16)園内にも生じたほどである。森克己﹃日宋文化交流の語間(17)題﹄「l四大陸文化と日本扇」の候には'(18)日本扇はシナでは倭扇・緊頭扇・摺扇・摺畳扇・高摺さつ扇・撒扇等と呼ばれ'大陸の普通の圃扇とは区別されてい
た。すでに十l世紀の後半頃より宋都汗京の相国寺境内の
有名な市場の店頭を飾ったのである。また'高麗では'宣
和五年(二二三)に高寛に侵した宋使徐族が高麗において
日本扇(杉扇・窒摺扇)を見たことを﹃宣和事便高麗固経﹄(巻29)に詑しているのである。従って'これ等の事資より
推して、わが「日本扇」が平安末期には宋・高麗に廉く輸
出されておったことがわかるのである。
と指摘する.ちなみに'北末の蘇轍(1
〇
三九1二二一)「楊(19)圭簿の日本扇」詩に、「扇従日本来'風非日本風Q・・・・・但執日本扇'鳳来自無窮」と歌われるものは、折扇を指すと考﹃和漢朗詠集﹄所収唐詩在韓補訂鋸(植木) えてよい。明中期の陸深﹃春雨堂随筆﹄には'折扇の儒来経
過をt
今世所用摺盤扇、亦名栗頚扇。吾郷張東海先生'以島貫
於東英(日本や朝鮮)O永楽聞(十五世紀前期)'始盛行於中
図.予見南宋以来詩詞'昧罪易者頗多.予収得楊妹子所寓(20)絹扇面'摺痕(折り畳んだ跡)尚存.束妓(蘇餌
) 謂 高
麗自桧扇'展之贋尺飴'合之止雨指許O正今摺扇、蓋自北宋巳
有之。
と述べる。つまり'折扇は北宋時代'日本や朝鮮から俸来(21)(22)Lt元代になっても珍しく'その盛行は明代であった。
ところで'唐代すでに折扇の倦束を推測する説もある。明
の方以智は﹃通推﹄巻三三'器用・古器'摺易の候に「﹃唐(23)韻﹄有拐扇へ殆亦折扇之萌芽乎」とあり'同﹃物理小識﹄巻
八'器用額'官扇類の候に'「智技'孫憶﹃韻﹄荘棉扇'則
唐人己有美」という.近年の博同欽「古代的晶子」も'この
説を踏まえて、日本・朝鮮との交流が盛んな唐代の初期'折
扇はすでに中国に侍来したが'官中内に留め置かれて使用さ
れ'それで梯扇を官扇類のなかに入れるのだtと説明する.
ただこの説は'揺扇そのものの形態が未詳であり'その存在
を傍謹する資料もなく'現時鮎ではやはり「定論にはなりか