五島列島に於ける災害構造の地域的研究
石
井
泰
義
一︑
二︑三︑
四︑
五︑六︑
災害の取扱い 序
五島災害からみた台風の進路型
上五島に於ける災害の諸類型
下五島に於ける災害の諸類型
五島列島に於ける災害の地誌的展示と問題の所在
一︑序
本研究は︑五島列島に於ける災害対策の基礎的資料として︑災害の地
域性を類型的に把握することを愚輩の目的とするものであるが︑今次︑
実施された五島地方綜合学術調査︵一九五八年入閣より十月に至る間に
於ける二十日闇の現地調査︶による資料を地誌的に整理することに依っ
て︑上五島及び下五島における特定の地域に関する災害型の特殊性を明かにし︑究局の目的への一段階として︑その覚書を概報として展示した
い考えである︒従って本稿は五島地方綜合学術調査報告の序報をなすも
のである︒本報告の善報は次の機会を得て︑その発表を試みたいと考え
る︒尚︑ここに当該調査の主導者である吉田教授を初め調査員各位の貴
重な御示唆と御指導を感謝すると共に︑本調査に関し︑各種行きとどい
た御便宜と御支援を与えられた長崎県庁企画室御一同︑南松支庁長大野
薄之助氏を初めとする支庁各位︑南松町村会事務局長︑南松各町村長及
び関係各位に深甚の謝意を表する次第である︒ 二︑災害の取扱い
五島災害の地域的展示を試みるに先だち災害の取扱いについて一言し
なければならない︒
災害はそのとりあげ方により各様の定義付けがされ︑さまざまの災害
論が展開されているが︑筆者は人間関係の力と自然関係の力との相互作
用の過程に発生する社会集団への不利益な事象を災害の当面の課題とし
てとりあげ^人間諸関係それ自体の矛盾を主原因として発生する社会集
団への不利益な事象を災害事象として︑当面の課題とすることをしばら
く差し控えた︒従って︑ここにとりあげる災害は︑換言すれば︑吾々の
地域社会に極めて顕著に不利益な事象として把握される諸事象のうち︑
その事象源としての︑特にドミナソトな要因が明かに自然に求められる
事象であり︑現段階における人間諸関係の力がこの社会的不利益な事象
を未だ自然との相互作用の過程に於いて消滅し得ないという関係に所在
する事象を災害としてとりあげることとしたのである︒従って︑筆者は
先づ災害の自然的経過の解明を災害調査の出発点とし︑社会構造との有
機的結合経過を明かにすることを災害の地域的展示の拠点と心得てその
叙述に努めることとしたのである︒
災害をかかる観点からとりあげると顕著な災害として台風・突風・干
ばつ・地震・地ししり等に起因するものが挙げられる︒五島列島に於いて
は前者の四つによるものが最も顕著であり︑筆者はここに台風による災
害から順次取扱ってゆくこととした︒
G
の五島列島に於ける災害構造の地域的研究
五島列島に於ける災害構造の地域的研究
三︑五島災害から見た台風の進路型
長崎県気象災害誌︵昭和二七年六月長崎海洋気象台編︶並びにその後
の資料によって明治二八年七月二四日以降肥前半島並びにその周縁の離
島に多大の災害をもたらした四十三の台風進路の吟味を行い︑その中特
に五島地方にも大きな災害をもたらした凡そ二〇の台風進路についての
吟味を加えた︒それによると︑五島列島に大きな災害をもたらした台風
の頻度は凡そ三年半一度の割で︑その進路の類型は次の五つに分類され
る︒ 第一の型︵十二号型︶として東支那海中央部を北上し五島の西方から
対馬海峡を通過し日本海南部に抜けるものが挙げられ︑前述の明治二
八年七月二四日の台風から昭和三一年九月九日発生の十二号台風に至る
間に︑明治三八年八月八日︑大正=二年八月二〇日︑大正一四年九月六
日︑昭和六年九月一一日︑昭和一一年七月二三日置昭和二五年六月二四
目発生のエルシー台風︑昭和三一年八月一六日発生の九号台風︑以上の
九本が挙げられ︑ 頻度は約七年に一回の計算で︑ その被害は最も大き
い︒ 次にこれに準ずる第二の型︵マージ型︶として東支那海の東部寄り
から朝鮮南岸叉は西岸を経て日本海北部から沿海州に抜けるものがあ
り︑これには︑明治三七年八月二〇日発生し男女群島附近でさんご採取
船一〇〇風帯を波没︑真浦に千人塚を生ぜしめた台風︑明治三三年八月
一八目発生のもの及び大瀬崎J・0・Rの大電柱を倒壊せしめた大正一
一年七月七日発生の台風∵昭和八年八月三日発生のものと昭和二六年八
月二一日発生のマージ台風が挙げられ︑その被害頻度は凡そ十四年に一
回となっている︒
台風による五島災害の大きい第三の型︵ルース型︶としては︑昭和二
六年一〇月一四日発生のルース台風の如く︑その進路は東支那海より九
州西岸の中央部に上陸し︑九州山脈に沿って九州島を横断するもので︑ 五島に災害をもたらす進路型としては特異な型であり︑大陸高気圧のすでに張出し始めた十月中旬乃至それ以後の台風で発生期にも特異性を有する︒五島においては︑前述の第一型の十二号台風型とその風向も全く対照的であり︑後述する如く︑その被害の地域分化も全く対照的模様を呈している︒これに属するものには明治三九年一〇月二四日発生し富江のさんご採取般二五〇余隻の遭難をもたらした台風が挙げられ︑発生期が早い点で特異性を有する大正三年六月三日に発生し男女群島附近のさんご接取船三〇余隻の遭難をもたらした台風がルース型に準ずるものとして挙げられる︒ 以上の日=一号型昌マージ寒国ルー入型が五島に甚大な災害を与えている主な台風進路型であるが︑このほか第四型︵迂回型︶として東支那海を管領に大きく迂回して対馬海峡附近を経て東進し申国︑近畿地方に向うものがあり︑この型の特色としては豪雨による災害が主なものとなっている︒昭和八年九月四日発生及び昭和一〇年八月一〇日発生のものがこの型に属し︑その災害頻度は小さい︒第五型︵変則型︶として昭和
一八年八月一四日台湾東岸に発生の台風は硫球の南から屋久島・富江を
経て右廻り東支那海上を一回転して対馬海峡を経て日本海北部に抜けて
いる︒この間十八日を要し︑五島では異⁝常降雨による災害が現われてい
るが前三者の進路型に比してその程度は低い︒
以上の各類型別の台風による災害は夫々特殊の地域分化を呈するこ
とが考えられる︒各型のうちで最大の被害をもたらした台風を各型を代
表する災害として把握することが災害対策上での基礎資料としては最も
価値高いものと考え︑先づ各週のうちで来襲頻度︑被害共に最も大きい
第一型をとりあげ︑ 第一型を代表するものとして十二号台風を選択し
て︑それによる災害調査を手始めとした︒従って以下の叙述は主として
十二号台風による災害を主題としたものである︒マージ型︑ルース型等
による災害については豪雨災害︑干害などと共に稿を改めて叙述したい
考えである︒ の⑬
四︑上五島に於ける災害の諸類型
十二号台風による申通島北部の災害状況を薪
魚目町・有川町・上五島町各町の災害資料に基
いて集落別被害地図︵第二図︶を作成した︒被
害の内容は家屋・農業・林業・水産・土木の五
種に分類されているが︑先づこれらの集落別被
害総額並びにその相対的被害額として住民一人
当りの被害額を算出し︑ その分布模様によっ
て︑災害の地域分化の概観をうかがうこととし
た︒勿論︑ここにとりあげた被害額は台風の直
接的破壊による災害の申で統計的処理の可能な
ものについての役所に於ける集計である︒景観
的には具象化されない漁場の荒廃や諸施設など
の生産手段の破壊等による稼働不能による損失
等は換算されて︑その集計の中には含まれてい
ない︒五島の特に漁村においてはかかる潜在的災害が小さくないことを考慮に入れなければな
らない︒
は︑落災害の中に︑
は︑
醐 韻 蕨
は
隙
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備
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助
34任
部 鴎 助 助 剛任 σ 仔 任晒 鵬 脳 鵬L 街 η 吻 鴎任 任脇 鵬
⑤
A倣 A個 二丁 型灘 ハ ︶ ●.
一方統計以外に現地調査の要請される理由でもあるがここで
資料の都合上一応かかる被害額を除外して叙述をすすめる︒又︑集
特に公共の土木施設被害を除外しなかった理由として
離島における隔絶的性格を有する集落に於いては︑公共の道路・漁
港・港湾などの土木施設が各﹇集落の或は各戸の経済活動に密接に直結し
ている場合が多く︑集落の経済活動とその集落領域内の公共施設とがか
なり遊離している事例として︑例えば︑主要幹線道路とその経済的・丈
化的通過地帯をなす集落との経済的関連をあげよう︒この場合両者聞に
は密接︑ 強靱な紐帯を認め難いのが一般である︒ 後述する田尾集落等
はこれに該当するけれども︑ 一般にはその事例に乏しいからである︒こ
斎く ハム 農業被害率 四∴林業被害率 水産被害率 土木被害率
家屋被害率
︵凡例︶
艦磯艦型鳴型方御製谷A立B赤B小C頭C青C青C竹 ︵ ︵ ︵ ︵ ︵ ︵ ︵うした処理による被害額の分布は︑申通島北部では︑その東南岸に被害
総額並びに相対被害額の大きいことをその第一の特色としている︒有川
半島の北岸魚目半島部・及び若松瀬戸に臨む沿岸では比較的小さく青方
附近はその総額は大きい︒被害総額の内訳をなす家屋・農業・林業・水
産・土木の各部門の災害比重に従って︑その災害類型を第一図に示すご
とくA型︒B型・C型に分類した︒
A型災害集落は土木被害が五〇%以上を占め︑他は家屋・農業・林業 ・水産に分散するA型のものと農業・林業被害を欠くA型のものとに分
類される︒A型災害集落は東南岸に位する友住・江ノ浜・太田・阿瀬津
・鯛ノ浦・船隠が挙げられA型には魚目半島東岸に位する津和崎・小瀬 ①
6
五島列島に於ける災害構造の地域的研究
五島列島に於ける災害構造の地域的研究
風に
中よ 通る 島集 北落 部別 ︵被 新害 魚総 目額 町並 ・に 有住 川民 町− ・人 上当 五り 島の ︶対町相 に的 お被 け害 る額 第の 十分 二布 号図 台
図
第二
例 0
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0︒器 .∂ ︑留瓢 ②ク ②
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②②②8⑭・
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…
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ロ ロ⁝・︸皿・ ロ ロ怖︸︸.・円円額上上下旧識蹴 臥oo印50 民−同同 住 ・ 汐︒汐露〃
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︑ ㌔ ﹁..︐
㌧ξ.
、、
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の⑬
良・立串がこれに属する︒
次に土木被災が二〇%乃至五〇%を占めるB型災害集落のうち︑他の
セ 被害が家屋・農業に集申するB型と家屋・水産或は林業に集申するB型
エ とがあり︑B型には有川湾岸の赤尾及び若松瀬戸に臨む青木・焼崎・B
型には魚目半島東岸の小串︒一本松・赤波江・及び密通島の東南岸の湾
奥に位する神浦が挙げられる︒
C型災害集落は土木被害を欠く集落で︑被害が家屋に集中しているC
ヨ型︑家屋・農業・林業を主とするC型︑農業・林業・水産を主とするC 型農業被害を含まず林業︒水産が主をなすC型に分類される︒
C型災害集落としては︑頭ケ島が特殊の災害型を示し家屋被害が八七
%を占め︑南岸の田尻はほとんど倒壊している︒元来︑離島の離島とし
て︑近代的土木施設を欠く後進翁島喚の一性格として土木被害を有しな
尊 中風 通に 島よ 北る 部災 に害 お地 け域 る区 十分A 二図2 号
図
郎三
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偶侮亀
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C2
4
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A
馬︒A
隻
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クぽ¢ ら
一槍
、、 \も 亀︽・
、
い︒被害総額も小さいが家屋被害は住民一人当り五〇〇〇円を上廻って
おり︑十二号台風の強烈さ乃至家屋の脆弱性を示している︒魚目半島の
大浦・曾根一︒もこの型に加えられる︒ C型としては︑樽見︒熊高・佐ノ原・三日ノ浦・跡次︒二方・相河・船崎・奈摩・網上・冷水・飯ノ瀬戸・続・浜ノ浦・小浜・三本松・浦桑
・榎津・高崎・茂串︒蛤︒七目︒小河原・中野・猪ノ浦・道土井・真手
浦・今里が地域的一集団をなして挙げられ︑中通島申央部の中核地帯に
相当している︒これらの地域では土木被災を欠くが︑十二号型台風と風
向を異にするルース型台風の場合には︑浜ノ浦湾︒今里湾・有川湾南岸
の地域に当て前者の南東乃至南風の所謂﹁ひきだし﹂め風に対して︑後
者では北叉は北西風の﹁おしこみ﹂の風による土木・水産被害が特に大
きく災害の形態を全く異にする︒叉諫早水害と時を同じくする昭和三二
年七月二五日には奈摩湾沿岸の山津浪及び佐ノ原・相河・青方の各河谷
に於ける護岸決潰及び水田流失などの災害があり︑地域的特徴を有する
ものとして注目される︒ ヨ C型としては人心湾に面する青砂浦︒青方湾の大曾︒折島・及び魚目
の.丸尾がこれに該当する︒ C型としては魚目半島部に散在する竹谷・伸知・曾根・米山・大瀬良
●上立串が挙げられる︒
被害のほとんど現われない集落をD型集落とするが︑これには曾根二
・大水・上小瀬良などの魚目半島の隔絶的集落が挙げられる︒
以上の災害諸類型の地域分化は第三図に示すごとく︑A型は有川半島
コ の南岸に︑A型は魚目半島東岸に分布し︑B型及びB型はA型地域に隣
コ ゑ接して所在する︒C型は頭ケ島・及び魚目半島に偏在し︑C型は中通島
ヨ の中核部を形成しており︑C型はC型に隣接している︒C型及びD型は
魚目半島に分布し︑半島の急傾斜地の階段耕作の普遍的なこの地域に農
業被害の現われていない点は注目に価する︒
D
⑬
五島列島に於ける災害構造の地域的研究
五島列島に於ける災害構造の地域的研究
脚は
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五︑下五島における災害の諸類型
前項に述べた中通島北部における集落別被害分布図︵第二図︶の作成
と同一の方法で福江島における三井楽町・岐宿町・富江町三町の集落別
被害分布図︵第四図︶を作成した︒なお第五図は又前項と同一手段によ
る災害類型化によって作成した災害地域区分図である︒ アスピーテ火山京ノ岳︵一二八米︶が形成する三井楽火山地域におけ
る被害は東西両岸で鋭い対比を示している︒西岸に於けるC型地域には特徴がある︒C型は上五島においては頭ケ島及び魚目半島に局地的分布
を示したが︑ここでは一地域を形成していることである︒塩水・波砂間
︒貝津の南南西向きの海岸ではA型及びB型となっている︒これは漁港
施設の被害の比重の大きさを意味するが︑この西海岸では︑冬期の北西
季節風による常習的波浪を避けて南西向きの湾入が漁港として選択され
ているためであり︑ 一人当りの相対的被害額が大きいのもこれら三つの ヨ集落である︒これに対し東岸ではC型地域を形成して家屋・農業・水産
被害に三分され︑水産被害は漁船のそれが主体をなしている︒
十二号台風はその強烈な風向が東南から西南に転じ︑以上の如く東西
両岸の被害の様相を対立せしめているが︑ルース台風による北西方向の
強風はこれと全く対照的な災害をもたらし東岸の柏・高崎・浜畔の漁港
施設を破壊している︒ コ ヨ 尚京ノ岳南部のC及C地域の家屋被害の中には煙草乾燥小屋の多くを
含み煙草耕作者への打撃は少しとしない︒
第三紀丘陵の侵蝕と岐宿熔岩の流入によって複雑な湾入を示す白石浦においては水ノ浦及び白石共にB型を示している︒ここでは湾岸の道路
被害が主体をなしているが︑その総額は大きくはない︒熔岩台地面上の ヨ 岐宿はC型としたが︑水産被害は極めて小さくC型に準ずべきものであ
る︒これら岐宿北岸地域もルー入型或はマージ型台風による被害は水産比重の大きいA型災害に転化する傾向を有する︒マージ台風の際の北ご
五島列島に於ける災害構造の地域的研究 図
分
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56
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臨
⇔
ちによる鮮魚運搬船正力丸︵三井楽︶・松栄丸︵岐宿︶の岐宿湾口にお
ける遭難もこの間の事情を物語っている︒
以上は福江島北部における災害の諸類型であるが︑福江島南部の富江ペデイォナイトよりなる海岸地域に於いては︑火山海岸先端部にB地域
が形成され︑女生・坪・山崎に於いては船溜の被害が共通しているが一
人掛の相対的被害額は低い︒ 半島の頸部を占める富江及び黒瀬では夫々A型・B型を示し︑富江は
①
9
五島列島に於ける災害構造の地域的研究
田ノ江と共にA地域を︑黒瀬は丸子と共にB地域を形成している︒更に ヨ天保・岳では水産被害を含むC型地域をなしている︒
特徴的被害型を示すのは田尾のA型集落であり︑被害総額も大きく且
つ一人当りの相当的被害額も特に大きい︒ 三井楽半島・岐宿北岸地域及び富江半島を除く残余の地域は広汎なC型災害を示しているが︑更にその災害内容によって区分すれば︑特に農
災害の比重の大きい地域として︑山内盆地地区と富江半島と山地の接触
部をなす横倉低地地区及び岐宿心奥の河魚︑唐船浦︑謡講湾奥の戸岐首
︒二里木場河谷の大曲があげられる︒次に家屋と農業を主な被害とする
地域には︑城岳南部熔岩台地上の楠原地区及び道蓮寺・繁敷などの山間
盆地地区が区分される︒ 農業・家屋以上に林業被害の大きい地域とし
て︑天一を水源とする大川原河谷及び小川原河谷からなる川原地区及び
南西部の海蝕崖間の小谷地に隔絶立地する太田・琴石を含む長峯地区が 明瞭に区分され︑同じC型災害地域内に於いても夫々の特殊性を有す
る︒ 離島の離島としての姫島・嵯峨島︒黒島は夫々災害型を異にし︑姫島
を ヨ はC型・嵯峨島はB型︒黒島はC型で隔絶性の島嘆に於てもその災害型
に特異性を示している︒
六︑五島列島に於ける災害の地誌的展示と問題の所在
1
下五島に於ける災害の諸類型の項に於いて特徴的災害集落型として田
尾集落を挙げたが︑この集落は福江・富江間を結ぶ道路に沿い︑両者の
境界に近く富江町に属している︒
高岳︵三七九米︶南麗に沿う断層崖は高度二〇〇米の鞍部を経て︑繁
敷山間盆地に達するが︑この線に沿う断層無煙は︑傾動盆地状をなし︑
盆底は埋積され︑谷の出口には海岸砂丘が発達しその背後にはバックマ
ーシュを有する︒埋積谷は侵蝕のステージに入り︑現在では比較的水利 図
潮 血
近 の
心
田 尾
図
六
第 の校舎も同様で児 思わせる︒小学校 東風のはげしさを 南東方向をとり南 路に沿って直角な 藩 方向は例外なく道
難︒
る︒集落の屋根の 落が発達してい 街村形態の田尾集 走り︑それに沿う 岸砂丘上を道路が 開かれている︒海 に恵まれた水田が童の健康上望まし
い東南或は南向き
の教室はここでは
見られない︒
昭和三一年九月
九日午后からこの集落では台風一二号の来襲に備えて青年団・消防団に
よる土のう積上げ作業が六時半までつづけられた︒第六図申のDは戦后
の干拓造成の宅地であったので︑この軟弱な宅地上の家屋の解体作業も
つづけられた︒しかし午后七時頃から風波が強烈になったため︑これら
の作業を中止し︑各戸共に家族並に畜牛の待避を初めた︒待避先は後背
崖錐面︵第七砂海∬面︶上の学校並に住居である︒八時すぎには︑つい
にD地点の宅地及び解体作業後の家屋資材を流動した波浪は更に学校前
から砂丘上に達し砂丘の一部と砂丘上の家数戸を流失せしめ全戸に浸
水︑つづいてA︵第六図︶地点の田尾鉱山のろう石積出淺橋を流失せし
の
⑭
めている︒ ここで注目すべきはC地点︵第六図︶に於けるDと同様に軟弱な干拓
造成による宅地並に家屋は流失から免かれておりB地点附近一帯には彩しい造礁珊瑚︵菊目石・この地方ではカセと呼ばれる岩石︶が散布して
いる︒更に砂丘上からの分流はバックマー
化 変 形 地
岸 の
海 尾 田
図
第七
S 藍 き 峯● 賜.. ﹂α一← ︒・ 獄
@轟聯
@
@ ︒煎
ノ ρ豊罪
@綿
・●990㌦R藍馨 ︒恥h.
職蕊監墨Ψ
πμ1←u
皿
6
9S︐
︒.△︐ム
6 4
W
シュに流下して潮害をもたらしている︒ 筆者は︑当時の聞込みと現況調査とによ
って田尾に於ける海岸型の変化を次の如く
推定した︒ 第七図によってこれを述べると︑台風前
においては海岸砂丘の第−面は次第に東南
に低くなり砂質斑面を形成していた︒ 当
時この砂浜は高潮時の汀線sまで約一〇〇
米︑低潮時の汀線までは一五〇米余であっ
た︒砂浜に生息するハマグリの量は多く畜
力︵牛︶と鋤によって砂浜を耕してこれを採
取したもので珍しい景観を展開していた︒
なお九号台風の際には鉄鉱石輸入を目的と
するチセーター船宗像丸︵四〇〇〇トソ︶
が香港に向う途中に︑富江湾に待避中をこ
の海岸に吹きつけられて砂中に座り込み船体の損失は少く数日後に離岸している︒
以上の如く豊富であった砂は十二号台風
によって瞬時に波蝕掃流されている︒ 即
ち︑第−面の前面を道路︵R︶を含めて一
時に波蝕し︑砂質面④は瞬時にして脹面 ア をに低下し︑高潮汀線はSからSに移動して
いる︒ 更に恥面上には新たに前述の径三
五島列島に於ける災害構造の地域的研究 ︑ ○糎乃至四〇糎の造礁珊瑚を堆積しているが︑この造礁珊瑚の供給源を最も近くに求めるとしても︑大白瀬或は小石瀬附近のバンク上と推定され︑少くとも三粁以上を離れたバγク上から一挙にして搬入されたものであろう︒更に砂質部の起伏変化としてRから凡そ一五〇米附近に海岸線に平行な海底砂丘dの発達が確認されている︒ この間破壊された全長五〇〇米に及ぶ道路は当局者によって昭和三二年八月再建された︒それ以後における漂砂の堆積は急速でありdは次第 ユにその高さを減じ︑恥は亀へ︑SはSへ漸次復帰しつつある︒道路建 設当時︑Sから道路面までの比高は約二︑五米であったが現在︵昭和三三年一〇月一一日調査︶ではa線は路面下僅か三〇糎乃至五〇糎にまで達している︒申央部では路面上に漂砂の散布しているのが見られる︒しかし路面から高潮汀線までは約五米︑低潮汀線まで約三〇米が目測され︑叉dは完全に消失の段階には達しておらず︑恥から鋳への推移過程にある︒漸次潮流による漂砂の供給によって原型に復することが予想される︒ここに高潮時と台風通過時と一致するような十二号型台風の再来を仮定すれば︑強化された道路崩壊を再現することはないであろうとしても︑現在の著しい漂砂堆積の進捗は︑道路をして防波堤の役割をも兼︐用させる機能を低下させていると言えよう︒ この集落は十二号台風によるA型災害集落に属するが︑実はこの道路被災が総額の九〇%以上を占めているのである︒しかしこの道路の高度の公共性はこの集落をA型集落とすることを不当としている︒それは前述の如く︑この集落は経済的にも丈化的にも通過地帯に相当し︑道路との密接強靱な紐帯は認められないのである︒この点後述する有川町太田集落とその漁港並に道路災害との経済的結合関係とは全くその性格を異にしているのである︒田尾の海岸道路は五島に於ける交通上の動脈的役割を果しておりこの集落自体の当該道路の利用度は極めて低い︒今後のこの集落の土地利用の高度化が当該道路の意義を更に高めることになる
D
⑭
五島列島に於ける災害構造の地域的研究
であろうが現状に於いては︑道路が防波堤機能を兼備することの副次的
役割にかなりの期待を寄せているものと思われる︒しかし︑この期待に
対しては現在の路面高度では十分でなく叉波返し等の防波機能にも欠け
ているのである︒道路に沿う家屋では防風・防波の石垣︵高さ約二米︶
を囲らして今后に備えているが︑こうした自主的対策も望まれよう︒一
般に砂丘上の集落は防風防水林を有しているが︑ここでは明治初期の道
路建設の際伐採した疑いがある︒ 一方台風によって常習的に既述の如き
海岸の砂地形の変化が繰返されるためこの集落は漁業的要素を欠く海に
背を向けた集落である︒
五島列島のような幼壮年期のリア入海岸では︑岩石海岸の間に僅かな
砂質海岸が各地に見られるが︑漁村の多くは岩石海岸利用の漁港を有し
ているのが一般的であり︑岩石海岸に見られるガケ棚︵網干棚︶の景観
は特徴的であり︒砂質海岸利用の漁村は極めて稀である︒
このことは台風或は季節風災害による砂地形の変化が︑その有力な.要
因の一つをなすものと考えられる︒田尾海岸に於いては富江漁民による
鯛網利用が時に見られるにすぎないのである︒
砂丘のバック︒マーシ及び埋積工地底の水田地域における潮害も常習
的である︒この集落︵農家戸数七〇戸︶に属する水田は約四〇町歩︑畑
二三町歩で平均耕作面積は水田五︑七反畑江︑三反である︒
十二号台風の際の水田流失埋没は三反︑冠水による潮害は約十五町歩
に及んでいる︒平年下士一石三斗乃至一石入斗の低位生産地帯であるが
潮害はその平均反牧を五分の一乃至六分の一に低下させている︒こうし
た災害の対策として稲の早期栽培が初回として示されたのは︑昭和二八
年である︒
水田一町歩︑畑三反歩を経営するS氏︵当時四二才︶によるものであった︒二入年には農林二九号を採用三月二八日播種五月一二日植付によ
ったが三分の二の牧穫不能であった︒この失敗のため一時中断したが︑ 昭和三二年は農林一七号による四月一〇目播種︑五月一八日植付八月十日頃牧穫によって反当三石九斗︵原米︶を得た︒三三年度には一町歩のうち二反歩を前年通りに作付︑反当四石︵産米︶を得ている︒早期の裏作として秋鈴薯を予定したが二二号台風の余波による潮流浸水によって作付不能に終っている︒ 異常潮流に極めて敏感なこの地域における稲の早期栽培は先述のS氏
の成功によって来年度は七〇戸のうち四〇戸が約一〇町歩のそれを希望
している段階にある︒
台風常習地帯である南九州から急速に進展し地域的にも九州一円に拡
大されている早期栽培は︑離島ではかなり遅れた段階にある︒上五島町︐及び有川町では次第に進展しているが︑福江島では二里木場河谷の駆通
宿に集団的栽培が見られるほかには顕著なものは指摘されない︒富江町
では開拓団を交える繁敷山間盆地で︑本年度は三〇町歩のうち=町歩
が早期栽培を行い︑来年度は二〇町歩が予定され︑職人町では低湿凹陥地に七反歩の早期栽培が成功しているが︑集団的水田地域の横倉低地地
区では未だ初象の段階にも達していない︒ し図生19暗れの︵農さ理作林彫る置針て二一け販をめ農牧於中墨求る金に物資をけ現町産計器於る自生卸量によ迎接の百町にの直のの︶江物年のもそた量産57覧たてし
図八 第
、
来 麦
汁諾 液
仔牛
柚鵡
躰
比
益
王船 詰
鴨︑
モ・他 木 三 二混
そ・他 さて︑田尾集落の畑地被害は︑潮霧による甘藷被害が主で二三町歩のうち約七町歩が減牧
畑となってい
る︒畑作による
現金牧入源は甘
藷がその主体をなすが︑近年七〇戸のうち=三 によって柑橘が導入さ
れ︑最高を一町歩とし平均一戸二反歩の植樹が行われ︑間作に甘藷の作 の
⑭
付が行われている段階にある︒牛の飼育は平均一戸当一・五頭で子牛の
売却による牧入は再現金輪入の約一〇%を占め富江町全体の農牧林の生
産物による現金牧益比︵第八図︶に於ける仔牛帯却の九・八%に近似
し︑畑作地帯とほとんど変りない︒
田尾鉱山は常雇の人夫五〇人を要しているが︑ この集落からは男一〇
人︑女二人が参加し︑外に臨時雇として︑農閑期に結的な組を作って参
加している︒他地域への出稼は︑青年層の出稼が著しく︑災害以後にそ
の傾向を増大しており︑ 在郷の青年層︵一八才から二六才まで︶ は一
五人︵男九人︑女六人︶にすぎず︑男女共三五人つつの出稼がある︒出
稼先の職業は男は板場・漁業労働者・自衛隊員︑女は店員・女中が主と
なっている︒在郷青年層の欠如はこの地域の生産性の増強と共に解決さ
れねばならぬ重要な課題であり且つ又災害を消滅化するための今後の主
要な課題の一つであろう︒
2
富江・ペデイォナイトの熔岩台地面は︑只狩山︵六〇米︶番所山︵六
五米︶の円頂丘をのぞけば︑高度三〇米の低平な平坦面であるが海岸部
ではゆるやかにその高度を減じ︑末端部に急崖を欠いでいる︒
十一では︑周縁約二二にわたってその底質は岩石を早した海蝕棚をな
している︒一見平坦な熔岩台地面も微地形的観察を加えると多数の凹陥
地を交えている︒この凹寸地の形成は熔岩流出当時の流動模様を示す一
次的地形に起因するものか或は流出後の熔岩トンネルの陥没による二次
的地形に属するものであろう︒台地東南部の井坑は熔岩トンネルとして
天然記念物に指定されているが一部は崩壊して一一地を形成している︒
流動性に富む熔岩流表面の急激な冷却による凝結と表面下の流動との差
によって形成される熔岩トンネルは台地の各所に複雑な発達をしたもの
であろう︒その崩壊に起因すると推定される凹陥地が円形或は谷型をな
して台地面の随所に見出される︒
五島列島に於ける災害構造の地域的研究 これらの二二地を含む台地面は開拓されて畑地となり︑散在する小起伏は松林として残され水源滴養並に防風の役割を果し︑この松林の北側にはかんころ乾燥棚及び麦桿小屋が附設されている︒この景観は台地上に普遍する︒ 海岸部では︑凹陥地への浸水に起因する湾入が見られ後述する冠水被害と関連しており︑又海蝕棚上の微細な凹陥地の所在は︑並並被害と深い関係を有する︒海岸部に於ける松林は防風・防潮の保安林で国有が多い︒この林帯は南部のカナデ鼻・笠山崎から山崎に至る間に最も厚い相をなしている︒これらの保安林は旧藩時代に於いても災害対策の一環として重要視され﹁辺崎並木掛り﹂の制度が設けられ海辺防潮林の保護政策がとられていた︒ 一方藩の政策以外に農民の自主的災害対策として防潮の石垣建造が行われており︑山下郷美江海岸に見られる高さ約三米︑厚さ約二米︑長さ約一〇米にわたる石垣は交政年間一農民によって築かれたものとされ︑現在も附近の耕地は災害からまぬがれている︒ う
︶
脈 一
拐
八
坪 女
山 崎
落
掛
目項
食 込
5戸
戸戸
∩∠ り乙
4戸
乱丁水水 浸浸 上下全半床床
住
家
戸戸
2 ﹈山
2戸
戸戸
ワ4 ﹇○
壊壊全半
非住家
助阪
5反
反 反罪
没 水
端 失 冠
耕地︵畑︶
2町
35町 藷 甘
楽農作 付髭馬.機3伝花動船損5発漁破船付隻機2動船損凶漁破 船
漁水 産
溜 団
肝円
御
溜 船
肝台
御
ラ路溜円 軒 ヨ道船σ
その他 の
⑭
五島列島に於ける災害構造の地域的研究
この熔岩台地東南部に位する山崎は女亀・坪と同様明治以后の開拓集
落である︒ 一の木戸以南のこの附近一帯は山林として利用されていた
と云われ︑山崎は明治九年山手郷よりの入植によって畑地開墾が進捗し
たものである︒
十二号台風による災害型は女亀・坪と共にn地域を形成している︒土
木被害は三者重三陥地起源の湾入を利用した船溜りの災害である︒更に
この地域の特異な災害は家屋浸水・畑地冠水及び潮霧による均害であ
る︒ ︵別表一参照︶
なお︑これらの集落は凹陥地の内部に立地している︒凹陥地の一部分
には海水が侵入して円形或は楕円形の湾入を示し湾口部はせばめられて
型ニル十︻は︶ホ分地・部畑トのたツ線しポ三水の︵冠近畑て附水つ崎冠よ山のに・地風亀腰台女戯号
図
九 第
里ノ
絶好の船溜りの平面形が示されている︒一方凹陥地の沈水していない部分は宅地や畑地に利用されている︒台風に伴われた高潮は︑水深の浅い
極めて緩傾斜の縦断面を示す凹面地の湾内に集積してくる︒湾口の狭隆 性と砂礫を欠く底質は集積量と集積速度を増大し更に湾内水位を高め︑押形につづく陸上凹陥地に浸水現象をもたらし家屋浸水・畑地冠水による災害を現わしているのである︒ こうした大型のポットホール型の湾入地形を示さない単調な海岸線地帯に於いては︑海岸は極めて緩かに海蝕棚に移行しているが︑その棚上には径五乃至一〇米のポットホール型の小凹裏地が二重構造を示して分布している︒この二重構造の小凹陥地の発達は坪から女亀にかけて多く分布し︑この地方では﹁つぼ﹂と呼称されている︒このポットホール型の小凹陥地の二重性は若し特有な火山地形に起因するものでないとすれば︑地質時代における最近の地盤運動乃至波浪の風紀的盛衰を意味しており︑景観的にも特異な存在である︒ このような海岸地形の地域では︑台風の際︑渦動を伴う波動運動が激しく︑その飛沫は潮霧となり強風に運ばれて内陸に侵入し︑山崎の場合では︑倭冠趾附近の防潮保安林を越えて約五〇〇米の内部にまで達し︑その潮霧による被害地は広汎である︒しかし防潮林近くの畑地は潮害からまぬがれて防潮林に沿う帯状の被害低位地帯をなしている︒ 台地面に於ける凹売地の畑地と平担面のそれとの台風による被害率の差については未だ発表の段階に達していないが早ばつに関しては更に顕著な両者の差異が予想される︒こ玉では微地形的調査によって凹陥地の分布を更に明確にし熱水を受けやすい地域及び潮解常習地帯を指摘することが今後の課題であり︑その要所に防水・防潮の諸施設が要請されよう︒
3
富江熔岩台地と山地部との接触部は横倉低地区をなし︑その東部の富
江と西部の黒瀬には人口が集中している︒
西海岸の黒瀬は山手川河谷の水田地帯を北部に有し熔岩台地西北部の
畑地利用と共にその農業経営は南部の畑単作地と趣を異にしている︒一
の
⑭
方︑黒瀬集落の起源は︑元急呈間奈摩漁民が津多良島附近に捕鯨業を営
み︑黒瀬を根拠地としたため︑その漁夫等が永住するようになったこと
に初まるとされ︑この集落の漁業は長い伝統を有する︒しかし︑現在その
経営は零細で一本釣︒延縄・小型定置を主体とし︑わかめ・ふのり︵お
ご︶てんぐさの黒藻が加えられている︒近年における年間最高水揚は三
三万余メで第一種漁港に指定されている︒
この半農半漁村の十二号台風による被害は総額九六割余万円にのぼる
が︑その住民一人当りの相対的被害額は四〇〇〇円程度で︑被害類型か
らみるとH型に属する︒土木被害のうちでは漁港被害が大きく︑その他
は家屋・農業被害に集中している︒ 第一〇図は漁港附近の略図であるが︑この附近は九月九日午後八時す
ぎ東南方向の強風と波浪に見舞われ︑波浪は防波堤Aを破壊し︑Bの家
屋群を倒壊︑ 更に潮流は山手川に沿って逆流し︑ C及び埋立地Dに侵
水︑更にEへも侵水をつづけ︑増水した山手川の流水を塩水を交えて逆 流させ︑F地域
の水田地帯への
冠水をもたらし
図 ている︒曙 この沓地帯瞳 の冠水による塩 港 害は相当額を予灘︐ 想させたが・実 黒 はその冠水面積欄 に比べて馨は 第 一子である︒そ
れは深さ一米余
の冠水現象と風 N→一1一 速三〇米を越え
五島列島に於ける災害構造の地域的研究 る暴風通過との時間的ズレによるものとされる︒即ち︑冠水現象は午後八時すぎからおこり︑ 十時置ぎの暴風通過時には︑ 稲はすでに一米余の冠水のままであったため︑台風による風害から保護されていたのである︒叉︑その後の減水過程に於いて︑一たん浸入した十分は山手川の真水によってかなり完全に洗浄されたものと考えられる︒ この地域における潮流の逆流は台風毎に起る常習現象であり︑叉台風時以外のおぼんじお︵大潮︶の際にも向様の現象を呈する︒この逆流現象によって珍奇な災害がもたらされている︒逆流が海岸部のサワガニを搬入するからである︒搬入されたサワガニは護岸の石垣を根拠地として活動を初める︑ その活動は水田下に石垣に通ずる穴をあける結果となり︑そのために水田の漏水現象や海水の侵透現象を惹起し︑これがためこの地帯には立枯れ現象の災害が頻発している︒ 農家ではこの対策として水田に杭を打ちこむ作業が慣習化されている︒こうした原始的対策の解消は近代的護岸施設にまたねばならないであろう︒珍しく且つ些細な被害であるが︑海面上昇と河水増加に起因するその混合地域の冠水現象に附随する副次的災害である︒こうした冠水常習地帯での稲の早期栽培は初象段階にも達していない︒なおこの地方の稲作技術に関する後進性は次の事例にも現われている︒即ち︑毎年訪れる稲作先進地越中富山の入れ薬商人が好意的に稲作技術についての助言を与えている︒この事例は喜ばしい事象ではあるが︑技術導入の方法としては更に積極的効果的方法が購ぜられねばならない︒こうした後進性は前述の田尾集落と同様出稼による青年層の欠如にも関連しているものと思われる︒ここでは農家経営の担当者が老人婦女である点に多くの問題が潜在していると言っても過言ではない︒ 次に十二号台風による被害としては特色があり且つ重要なものに︑黒瀬の上流に当る導水管の破損がある︒ 山手川の上流には横峯川との分水界にウイγド・ギセップを示す鞍部 の
⑭
五島列島に於ける災害構造の地域的研究
が見られ現在この鞍部の約六〇米間に径一〇〇粍の鋼管を埋め自然流下
施設によって横峯川の水を人工的に引水している︒
封水地域として広汎な富江熔岩台地を町域とする富江町では大正二二
年らか横峯河谷よりの引水計画を樹て︑昭和四年置第一期工事に際して
は︑横長集落の水田を町で華氏した︒そのため地元民は富江その他へ離
村し︑現在ここでは屋敷跡・神社・墓地・町有の荒地を残す集落荒廃景
観が見られる︒ その後︑山手川に沿い黒瀬までの導水管を敷設し︑昭和三〇年度には
沈砂地及び減圧井を設備し︑叉配水管の一部を敷設した︒昭和三一年度には台地縁辺部まで配水可能を予定した浄水場及配水池を既設のものを
並存して︑黒瀬町に新設した︒昭和三二年度には横臥の集水ダム施設を
一新し叉浄水場施設の改善と共に︑台地縁辺部までの配水管を新しく敷
設している︒これによって女亀を除く全町に水道施設が行きわたり︑長
年月にわたる天水依存の飲料水問題の解決を得ようとしている︒ この
間︑ 十二号台風は山手河谷の谷斜面の崩壊並に倒木などの風水害を与
え︑同時に導水管を破壊しているのである︒こうした災害が若し常習化
すれば︑上述の飲料水のための諸施設は必ずしも完全な水の解決を意味
するものとはならない︒
黒瀬上流の山手河谷に於ける導水管保全の問題は二瀬との用水問題と
共に富江町における水の解決を完成させる今後の主要な課題であろう︒
4
山内盆地は福江島の中央部に位し︑五島では最も広い集団的水田地域
を形成している︒
地形的には荒神山︵一六五米︶を境として南部と北部に二分される︒
南部は中尾・仁田附近を驚倒とする二本楠の複合扇状地と柿木場河谷及
び丑平小扇状地並に善次木場を扇頂部とする中世扇状地に区分される︒
盆地の北部は︑父岳からの流水による扇状地の二分された寺脇扇状地と 居川扇状地及び荒神山東北麓の河谷︑更に︑その北の松山扇状地及びその対岸の寺脇北部低地に区分される︒開田のすすんだこれら扇状地の扇頂部は︑湖岸段丘的平坦面を保存している︒寺脇・居川・坂上・丑平・越地などは最も明瞭な湖岸段丘面上の集落である︒更にこれらの扇状地的段丘面の背後は花山岡岩の丘陵からなり荒地叉は雑木林として利用度の低位な地帯となっていたが︑近年開拓の対象となり五島秀峯・二本楠開拓団が入植開懇を行っている︒その背後には七ッ岳︵四三一米︶︑行者山︵三四二米︶等の珊岩からなる急峻な山地が囲噂している︒ こうした地形概要を有する山内盆地における十二号台風による災害は凸型で︑そのうち農業災害の比重が最も大きく上述の段丘面及び扇状地面上の水田被害を主体としている︒そして︑その災害の特色として①︑溢流による災害が極めて低位で冠水被害はほとんど見られないこと②︑災害の大部分が風害であることが挙げられ水田の約八○%が風害によって減牧を来している︒ 豪雨を伴った台風にも拘らず盆地内の洪水を欠き︑冠水被害の僅小であった理由は主として盆地内における上述の地形的特異性に関連するものであろう︒即ちこの湖盆の低地を形成する扇状地はすでにその成長を停滞し︑面上の河川は乱れ川の状態から安定期に移行し河道は定まって侵蝕過程に相当している︒ 第十一図に示される申岳扇状地はすでに解析されつつあり︑その下刻作用は鰐川本流に於いて最も薯しい︒従って水田面と河床面の比高が中岳附近で約三米︑本流では中岳前方で約四・五米︑寺脇前方で約五米を示している︒このような比高は河谷幅員と共に洪水をもたらさなかった
一因をなすものである︒叉扇状地面上の灌概水路は水量を配分し・つつ比
高と幅員の更に大きな下流への排水の役割を果しているのである︒しか
し︑一方︑渇水期に於ける扇状地では用水に枯渇する︒この問題解決の
ため各扇状地の扇頂部には各所に溜池の構築がなされているが︑旱魅に ①
⑭