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株式発行市場と流通市場の関係

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(1)

株式発行市場と流通市場の関係

その他のタイトル On the Relation between the Stock Emission Market and its Circulation Market

著者 今西 庄次郎

雑誌名 關西大學經済論集

巻 1

号 3‑4

ページ 17‑33

発行年 1951‑10‑15

URL http://hdl.handle.net/10112/15879

(2)

業者からなされたととは去う迄もないが︑

株式獲行市場と流通市場の闊係

昭和二十四年後半から二十五年前半にかけ我國事業会社の多くは︑愈々本格的た再建整備の計蜜を立て︑その資金

を社債の発行︑就中増資株式により調逹せんとしていた︒それら株式社債の発行希望額がインフレ進行による物債高

で頗る亘額に上つていたこと勿論である︒が︑発行市場としてはこの事情から齋される以上の硬塞朕態にあったので

ある︒当時我が株式市場は前年来の金より物へのインフ>動向にお相伴した高い水準から瓦落し︑株債の低迷と取引

不振に喘いでいたのであった︒斯くてその発行市場の碩塞をこの株式流通市場の低迷︑不振に滞し︑流蓮市場が活濃

でない限り発行市場はうまく行かぬという主張が隧分となされるに至ったのであった︒この穂の主張が最も多く証券

は発行市場を規定するものであらうか︑延いて政策的に発行市場を通するため流通市場に働きかけてよいものであろ

うか︑これ吾人が検討を思ひ立ったテーマの第一である︒

昭和二十六年に入るや右に述べた先年の朕態と恰も立場を異にする朕態が現はれるに至った︒多数会社の一斉増賽

株式癸行市場と流通市場の関係 一般識者の中にも支持を得たものであった°今︑

問 題 の 提 起

一般的に株式の流蓮市場

西

(3)

株式癸行市場と流通市場の関係

に株式の量は莫大ならんとし︑株式相場が圧迫せられているが如くなった情勢これである0株式相場が圧迫せられて

いるという証拠は︑株式利廻が極めて高い所に置かれている事実によつて指摘せられて来た︒つまり近来の会社牧盆

増には朝鮮畢変による臨時的なものが多分にある点は之を割引くも尚株式利廻は異常に高く︑これは株式相場が不当

に圧迫せられているものに外ならないというのである︒而してそれらの増資は殆ど全部が株主割当方法がとられ︑証

券業者としても啄を容れる余地がなかったという関係からか余b反対の声を出さなかった所であるが︑最近に至り一

般識者と共に次第に過度の増資株式の増加を調節すべしと主張するに至った︒この事態からは株式市場︑つまり流蓮

市場は又発行市場によつて規定せられると考へられ易いが︑果してそうであろうか°更に進んで発行市場の過度な繁

EEはこれを調節してよいものであらうか︑これ吾人の検討せんとするテーマの第二である︒

株式の発行は商品の生産に該当するものである0商品の場合︑生産供給は需要と直接に結合することが行はれ商品

の市場とl云へぼ其の間の市場のみである︒従てそこで生まれる相場は生産供給と需要の直接結合の結果として直裁

ゲンベ的︑現場的に生産を規定する°然るに株式の場合︑その発行は既発株式の供給と需要の結合する市場︑所謂流蓮市場

から別の系統に於て行はれんとするのである︒その発行過程は叉それとして市場的に行はれるのが普適であるが︑今

発行過程が流通市場よb別系統にあることは︑仮りに流通市場に生まれる相場が発行過程を規定するとしても︑商品

の場合の如く現場的︑直裁的でないとなるわけである︒以上の事は一般に知られている所と思うが︑根本的た事項で 1

(4)

あるので敢て冒頭に一言して置く次第である︒

1 凡そ企業への投資々本が有利な投資先に向つて出動することは改めて去う迄もないが︑貸付的投資でなく出資的投資をなす投資者としてほ︑それとして現に好牧盆を挙げている事業界を選ばんとする所である︒貸付的投資でも事業をみないのではないが間接的であり︑主としては相手方企業の支彿う利子に着眼せんとする︒斯の如く出資的投資々本は事業界を選ばんとするとして︑その判定は一般に必中しも容易でないのである°処が︑今株式会社企業に於ては恰も出資すべき事業なりやの判断資料を具有するのだ°尤も具有すると去つても当該会社自体に就て現はれるのでなく︑同種事業を営む既存の会祉株式の流通市場に於ける朕態を去うのである︒既存の同種事業株の流通市場に於て受けている地位︑待遇と一云つても亦種々あるであらうが︑今謂う所の資料となるのは当該株式の相場の高さと賓買取引高である︒株式相場は当該会社の配当力を資本化した牧盆債値を中心として奥へられるので︑当該会社事業の景況が反影され︑又取引高は原則的には当該株式に対する投資需要が中心となる所で︑程度標示されるのである°勿論株式市場が健全で且つ活澄でないと夫等の標示は不完全となり︑延て新規投資指導に役立たないとなる︒この点今日多くの國の株式市場は大体よく備つており︑我國のそれも決して駄目なものでない︒或は進んで︑株式流通市場が信頼し得る指様を典へ得るようなっていても投姿者がそれを投資出動の判断に用いなければ何もならないと去はれるであろう︒この質問は会爵増資に対する投資の場合には問題とならないが︑新規に設立せられる会社えの投資の場合には一応問題となると去えよう︒蓋し新規投資々金の境遇が既存会社株式資本の地位︑

株式発行市場と流通市場の関係 抜︑株式の発行は其の流通市場によつて規定されるであらうか︒

これ亦当該会社事業の好望さが或る

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株式癸行市場と流涌市場の関係

境遇と全く同じにたると限らないからである°併し乍ら新規投資々金にとり紙存会社株式ほ謂はゞ先輩に当りそれの

置かれている境遇に自己も置かれると考えることは︵新設会社の経営の巧拙如何にもよるが︶︑決して夢想というよ

うなものでないのである︒多くの國の実情をみるに︑今日︑投資者はこの信念を持つているが如くで新規投資に当り

てほ多分に既存会社株式の流通市場に於ける地位朕態を眺めて其の出所進退を決せんとしつよある所である°要する

に︑新規株式投資々本は流通市場が不振なる時は投査を行はす活濃なる時に限b投資出動を行うものである︒

株式投資々本の出動だけで株式の発行となるものでないが︑その投資々本の出動があって始めて株式発行は行はれ

得るのである0斯くて株式の発行は流通市場によって規定せられるやということは︑これを肯定し得ると結論してよ

いとなるのである︒

以上︑株式発行は株式流源市場によつて規定せられるとして︑其の規定は流蓮市場によつて実力的に支配せられる

というようなものでなく︑流通市場の朕態︑就中相場に追隧して行はれるというものである︒郎ちそれは商品界に於

て流通市場に出来る相場が生産を規定するのと同じ性質に属するものである°併し株式発行の場合は︑流通市場がよ

い場合に始めて活濫になるとして︑商品生産の場合のように後者がよい場合常に活澄になるとは限らないのである︒

これは一っには商品と投資々本の性質の相違から来るものである︒或る社会の或る時期に於ける︑蓄えられ出動せん

とする資本兼は諸種の事情によりて一定せ中︑可成りに大きく開くものである︒つまり出資々本たるものはいつも多

叢に出動態勢に於て存在するとは限らないのであり︑延て流源市場の好況に比例して出動が行はれるとはたらないの

である︒次に仮令資本が豊富に待機しているとしても︑相場による反応そのものが商品の場合のように敏感でない︒

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待機力が大と一ぞうか落付き挑つている恰好であが°勿論既存株式相場が愈々高まれば出動意欲は愈々高められるが︑

更に叉一方に出資々本の出動性を薄める事態があるのだ︒それは彼等の中に既存会註の増資株式のみに向う︵新設会

耽株式には一切手を出さぬ︶ものと寧ろ新設会社の株式に向うのを欲するもののあることである︒会社出資々本に斯

る二穂あることは自ら全体としての出動資本の額を二分し夫々少くせられることとなるのである︒

右に述べた︑株式発行は其の流通市場に追陵するも商品の場合の如く後者の活漉に常に活醗となるものでないとい

う事は︑株式需要側に於ける特性から来るほかに︑他の方向からも齋されることを知らねばならぬ°株式の発行は商

品の生産と異り流通市場と別系統にあるのみならす︑その発行活動そのものが市場朕態にあるのが通常であるのであ

る︒発行面が市場をなすということは色々の内容を含むが︑今はその根本的な︑株式発行には資本供給側のほか資本

需要側の都合も働いているものだという点を指摘し渡いのである︒いったい紙存会社'の拡張資本獲得は単純でなく︑

借入金︑社債︑増資株式の三稲がある0周知の如く之等三稲は前者から後者に至るほど長期の性質を帯びると共に︑

その資本対債も通常では後者に至るほど多いものである︵株式配当は時と場合によりては無くてもよいというような

意味では負担軽いとも去はれるが︑それは正常な場合のことでない︶︒従て︑会註の拡張事業の性質が余り大規模で︑

たど場合︑新規投資分が牧盆期に入るに相当期間を要する場合などは︑必すしも資本が必要だからと一云つて株式発行

の方法に訴へられるとは限らないのだ︒郎ちこの事情は︑流通市場が活滋であり︑然も株式資本供給側が豊富で待ち

望んでいる情勢の時でも︑直ちに株式発行となると断定出来なくするわけである︒つまり流蓮市場が発行︑否発行市

場を規定する鋭敏さが薄らぐこととなるのである︒先年我國に於て発行市場剌戟のために流通市場の活漉たることが

式株発行市場と流通市場の関係

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l a t i o n  

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株式発行市揚と流涌市場の関係 求められた時は︑会社側としては株式発行を切望していたので右の事情はなかったわけであるが︑

の発行市場規定に就てはこの事は取上げられねばならない所である︒

一般的に流通市場

要するに︑株式発行市場は流通市場によつて規定せられるやの答は︑肯定せられると共に︑其の規定は諸稲の事情 から商品の場合の如く鈍敏でないと一云はざるを得ないのである︒

株式発行市場の活動は流通市場の活歳さによって動かされると一云へば︑直ちに人為的に流通市場を活歳ならしめて 発行市場を活漉にする政策の可能に想到せられる所である°然らばこれは可能であろうか︒

流通市場の活漉さは株式債格の高さと其の商内の繁忙さの二内容があること紙述の如くである︒今︑株式流迪市場 に取引所乃至実物市場が既に存立しているなど流通市場が一応整備しているが如き場合には︑株式相場は会註の配当 力を資本化した牧盆債格に近い所に定められんとし︑人為的に或る高さに置かんとしてもそれは容易なことでない︒

簡言すれば流通市場の活濫さは自然的産物たる性質の範囲大なるものである︒尤も紙存の数量が循環的流通をなす株 式市場として相当の資金を以て相場を或`る高さに買支へることが全く妓かないというものでない°殊に資本金が少額 で株数の少い実物市場銘柄に就ては其の可能性は大きいわけである︒従来この点を利用した処置が実際に行はれたこ とがあり︑我國などに於ては多かった所である︒所謂株債工作である︒株債工作は広い意味では相場操縦

Ma ni pu

通常相場操縦と一ぞうときは投機者流がその思惑を逹せんとして相場を動かさんとするのを指すの

(8)

に対し︑相場利得以外の目的を有った者が行う株債吊上げを称する︒其の目的としては必すしも一でないが︑勿論今 取上げてよいのは会社が増資を可能ならしめんとして企てるものである

0而して従来我國では斯る工作が放いて株債

が高値に支持され増資が成功した例︑就中増資可能すれ

`の会社が増資を遂行した例がないでもない︒併し斯る成

功の例を以て直ちに一般的に発行市場の活漉化策が可能であるとなすのは過りである°会社筋のエ作貿はそう永く続

けることは出来す︑増資の済むと共に外されるを常とするが︑工作買によつて高められた会社株債はそれの外される

と共に正当絲に下落せざるを得ないのである︒勿論そういう会祉の増資株式に応募した大衆は損失を傘きることとなる

̀A

9この痛手の経験︵直接の体験だけでなく︑体験者からの側へ聞きも含む︶は大衆をして増資計饗のある会社の株

債を次第に憤重にみる︑否警戒するに至らしめることとなるのだ︒つまり株債工作による増資成功は大衆の市場知識

の未発迪な所にみるもので︑彼等の知識の向上するにつれ次第に限られるに至るのである︒

株債工作が政府乃至政府の意を受けた機関によって行はれるときは︑余り不当設されない︒蓋し何等か國民経済上

有意義な目的を逹せんとしているからである°然も政府機関によって行はれるときは相当亙額の資金を以てせられる

一面に於て対象とされる株式銘柄が多数となるので買支へがそう強大となるとは限らない︒それ

にしても政府機関がやる以上︑買支への放果の現はれないような程度に止められることは︑先づないと一云つてよい︒

而してその放果は皐に株債の回復︑値上りの程度だけをみて判定さるべきでなく︑工作をやる目的と結付けて行はる

べきである︒而して斯る判定の下に放果をみた場合︑勿論色々となる所であるが︑今発行市場剌戦の目的の場合は殆

ど放果なしと去はれるのだ︒蓋し発行市場を規定する流通市場の活漉さは︑皐に株債の高いことだけでなく︑その取

株式発行市場と流通市場の関係 のが瓶常であるが︑

(9)

株式穿行市場と流涸市楊の闘係

引商内の多いUとも内容となるからである︒皐に株債の吊上bのみでは︑発行市場に於ける株式投査々本をして︑餌

実流適市場活濫なりと信ぜしめるに足らないのである︒

或は政府機関が其の流蓮市場工作を株債のみに向けす取引商内の方にも向けることにすれば如何との論が起るでも

あろう0取引商内を盛にする方法としては一般大衆の投資並びに投機資金を潤沢にする途と︑取引所や実物市場の証

券業者の手許活動資金を潤沢にする途とが考へられる︒後者は実は権逍であり本筋は前者であらねばならぬが︑我國

の朕態として証券業者の賓買が仲々に多く︑それは大衆相手のもののみならす仲間間の取引として行はれている所で

ある︒抑ち我國では流通市場の商肉を活漉にする捷径としてこの証券業者に対する金融澗沢が直接︑有放となってい

るのだ︒今我國現在の賽本金額を例とし株債挺入れに十億円︑東京︑大阪の証券業者に五億円の融通をして流蓮市場

の活義化を計つたとした場合の放果を考へてみるに︑常態に於ては恐らく次の如き計算となるのでないかと豫想され

るのである︒郡ち発行市場に於て株式投資に待機せる資本のうち十億円内外が愈々賣出される株式に向うという程度

である︒勿論この程度は現実には新設︑増資する事業会祉の如何によって相違すべく︑上は極めて大愴た推測であ

る︒それは兎も角︑この推測に従へば政府機関は流蓮市場剌戦のために十数億円使用し然も発行市場に於て十数億円

の株式発行を増加せしめたというわけで︑皐に発行市場を振興した放果だけに就て去えば︵流通市場の業者を潤すと

いう副放果などもあるが︶︑政府機関が直接発行会祉の株式を所有したのと変らないものとなるわけである︒

勿論政府機関の行う発行市場振興のための株債並びに市場商内に対する工作が常に右の如き放果に終るものと限ら

, s . o

時としてそれが動機となりて流蓮市場の活漉さが本調子となる場合もある0凡そ國民の投資々金の蓄積は経済

一 四

(10)

一 五

界の好況と共に行はれるものであるが︑その好況が地味に続いて来たときは︑それらは多く既存株式へ投資する資金

のものとして成長しつiある所である︒而して之等は或る程度昂まると自ら流蓮市場の活躍となって環はれる筈であ

るが︑然も何等かの事惰でその発現が遅れているようなことがないでもないのだ︒即ち今斯る情勢の所に当局のエ作

が行はれたとすれば俄に流通市場は活漉化するに至るのである︒併し注意しなければならないのは︑このような流蓮

市場の活證化︑延いて発行市場の活漉化に於ける政府機関の市場工作の放果は謂はゞその誘い水となって働いたとい

うに過ぎないことである°斯くてこれを一般的に去えば︑発行市場活親化の人為工作は︑特別な事情の場合を除き︑

原則的にはその放果薄いものと去はざるを得ないのである︒

先の流通市場が発行市場を規定するやの時は︑株式投資々金を新規株式への投資々金と旧株式えの投資々金の二穂

に分つと共に各々の資金は其の投資分野を固守するという前提に立つていた°確に前者は大体新株式の発行に向い後

者は大体流通市場の紙存株式に向い夫々の分蜀を守らんとする︒けれども夫々の資金の或る部分は融通性を有ち他の

株式投資にも同うものであり︑例へば新規株式投査々金の或る範囲のものは都合によりては流通市場の既発株式の投

資にも赴くのである°斯くて前の流通市場は発行市場を規定するやの検討に於てもこの点を取上ぐべきであったわけ

である0唯︑流通市場が活漉なれば新規発行株式への資金の或るものが流通市場に吸い寄せられるという動きはない

でもないとしても︵流蓮市場が不振なれば既存株式投資の資金の或るものは発行市場に赴くという方は殆ど問題にな

株式発行市場と流通市場の関係

(11)

は活澄になるというようなものではないわけである︒

株式発行市場と流通市場の関係 らない︶︑大したものでないので実は不問にしたのであった︒併し今発行市場の活歳︑不振の場合に於けるそういう 資金の動きは可成り著しく行はれるのである︒

先づ発行市場が不振の場合に就て吟味するが︑株式の発行が皆無或は極めて少い時はそれらに向う株式投資々金の 或る部分が流通市場の既発株式に赴くのは必然である︒従て発行市場の不振は流通市場を活毅にする作用を有つと云 つてよぃ°併しそこに注意しなければならないのは︑株式の商内なるものは其の分布が広くなるによ.つて旺になると いう事象である°吾々は株式数の少い小型会社株式が時に纏った買物で暴臆し一時商内旺となるも線香火花のように 沈衰することを目撃する所である︒郡ち︑経済界︑延いて株式流通界の景況がよくなり取引活證にして株債が上昇し

i

ある時︑発行市場が休業朕態であり本来それに向う査金の或る分菰が流通市場に注がれるにより流通市場の活濫 さを助長することは認めざるを得ないとして︑然も発行市場が開かれて相当最の株式が発行され夫等が流追市場に流 入した方が流通市場の商内を堅実且つ多批ならしめるものであるのだ︒つまり発行市場が沈獣している匠ど流蓮市場 株式発行市場は流通市場を規定するやに於て︑吾人の吟味が主として発行市場の活澄な場合に向けられること改め︱

竺ぞう迄もない0

序論にも述べた如く︑吟味の動機は︑近来に於ける我が発行市場の過度の股賑によって流通市場が

圧迫を受けつiありと5

う主張に基くからである︒初︑発行市場が過度に殷賑となれば流通市場は圧迫せられるかで あるが︑確に其の事実は生する︒先づ発行市場が過度に繁忙を来している時は︑それら新株式投資々金の中に本来流 通市場に向う筈のものが吸引されているとみなければならないのである︒その吸引の朕態︑程度は新株式の発行の種

一 六

(12)

一 七

一概に既発株式の流通市場に向う資金と去うも細

かくは投機的な資金と投資的な資金に分たれるのであり︵両者の割合は其の時の情勢によりて相違するが︑この点は

暫く論外とする︶︑投資々金は一度喪買すれば相当長期間経過せねば再び流源市場に現はれないが︑投機資金はこの

点頻繁に往来︵賣買︶し従て株式流蓮市場を一層賑はすのである︒而して之等が発行市場に向う場合は︑投機的資金

の新設会祉株式に向う性向大なるに対し︑投寮的資金はその堅実なる性質から増資株式に向うを好み︑こょに他の事

情にしてコンスクントとすれば︑発行市場が新設会祉設立によって賑つている方が流蓮市場に奥へる影響が大きいこ

4なるのである︒何れにしても発行市場の過炭の繁忙は通常右の如き筋逍から流通市場の活漉さにネガラィヴの影

糊を典へるのであるが︑その影響は株式債格を下げるというよりも主として流通市場の商内を淋れさすという方であ

右に述べた所は発行市場の過炭の繁忙進行中に始まる影轡であるが︑更にその繁忙が終るにつれて起る影響があ

る︒それは流通市場に大量の株式が投入され︑所謂株もたれの事態を惹起することである︒発行された株式が流通市

場に流入すれば︑厳密には既に流逍市場それ自体の問題とも一云えるのであるが︑暫く発行された新規株式が流通市場

に流れ込む所の事象として考察するわけである°勿論株もたれと去うのは︑機会だにあらば賣放たんと狙つている株

式の存在を指すのであるがゆえ︑新株式消化の朕態によりては必すしも生するとは限らないわけである︒けれども発

行市場が過度に活躍すれば比例的にどうしても此の穂株式の増加するを免れないのである︒而してこの株もたれによ

ナサつて流通市場に起る影響としては︑商内は直接減少しないが︑株式債格が圧へられるに至るのである°念のため

lk

る ︒

株式発行市場と流遜市場の関係 類︑つまり既存会社の増姿か新規会社の設立かによって幾分異る︒

(13)

る ︒

株式発行市場と流通市場の詞係

て置くが︑今株もたれとは或る特定の株式だけの事態でなく多数銘柄に就て起つていることであるがゆえ︑株債圧迫

ももたれている会社株式だけでなく︵之等に就て著しいことは一k

う迄もないが︶株式全体に就て現はれるものとす

以上︑株式発行市場は流蓮市場を規定するやを吟味して来たが︑発行市場の不振が流通市場を活蓋にする作用は微

であるとしても発行市場の過鹿の殷賑は流蓮市場を不振にする作用のあることを知った︒即ち発行市場の流通市場規

定は︑規定の方向は流通市場の発行市場規定の場合と異り反対の方向であるが︑規定することは大体肯定出来る所で

ある°処で︑今その事態を一歩進んで考察するならば吾々は或る認識に到達するのである︒先の流蓮市場の発行市場

規定論に於て其の規定は一に発行市場が流適市場の情勢をみて動く所に成立つことを明にした°流適市場が活濫でな

ければ新規株式の発行はその不利にして困難なるを知つて手控へられ︑流通市場が盛なるに於て新発行が有利︑必要

とせられて起るというのであった°而して其処では流蓮市場の活濃に応じて発行市場が必すしも活濫とならない事例

のあることを述べたが︑実は発行市場が活濫になり過ぎる事例の有無をも問題とすべき所であるのだ°純理的に去え

ば︑発行市場の殷賑が次第に流適市場を重苦しくすれば発行市場としてはそれを眺めて次第に殷盛を解消する筈で︑

従て発行市場の過炭の殷賑ということはあb得ないと考えられる︒けれども発行市場としては流蓮市場の言う事を醜

かないことがありて︑こ上に過度の発行市場の活況ということが成立つのである︒而してこれが恰も流逝市場に対す

る圧迫という事態を齋すものとなることは一ぞう迄もな竺0郎ち斯く観じ来ると︑発行市場の流蓮市場を圧迫するとい

う規定も流遥市場の発行市場規定と無関係でなく︑関聯を有つ事態であるとの認識に達するのである︒

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調節するに及ばぬからである︒

右の叙述に関聯し恐らく問題とされるであろう︱つの事項がある︒それは既に流通市場が重苦しくなりつi

に何故尚発行が行過ぎて行ほれるのかである︒既述の如く発行面も通常市場朕態をたすのであり︑従て流通市場の不

振に応じて新株式需要の投資々金の躊躇は自ら発行債格に影響し︑延いて新株式供給側も発行を不利として躊躇する

に至る筈であるのだ︒併し今注意しなけれぼたらないのは︑株式の発行面は常に市場朕態をなすと限らないことであ

る︒つまり新株式の発行が会社増資による場合にてそれを株主に割当てるやり方の採られるときこれである0割当発

行は勿論相当優良会社に限られるが︑この場合発行債格は旧株の相場から判断し株主に可成り有利な大いさに定めら

れるのが常であり︑従て株主としては一応無理しても引受けんとし︑自ら発行は安易に進められるのである︒最近我

國で唱えられる発行株式過剰の原因は実にこ上にあるのだ°若し会社側にして増資株式を一般喪出の方法により出来

得る限り高値を以てする︵安い時は供給郁ち増資を見送る︶態度を持するならば︑

ば︑現下の我が株式過剰は殆ど解消するに至るであろう︒

調

株式癸行市場と流涌市場の関係

つまり発行が市場的であるなら

先の発行市場に活を興えんとする流通市場えの働きかけ問題に於ては︑それは放果があるかを中心とする論議をな

したが︑今流通市場が発行市場から受ける圧迫に就ては︑それを調整し得るやよりもそれを調節することが必要であ

るかが問題となると思うのである︒藍しそれが株式界の︱つの自然的な事象として眺めてよいものであるならば敢て

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株式発行市場と流涌市場の関係

流通市場の活澄︑不活澄に就て先づ利害関係を有つのほ証券業者である︒尤も証券業者が旧証券の賣買業務と新証

券の引受販喪業務︵勿論︑壻資の場合は株主割当方法でないことが望まれる︶を営むものであれば彼等の反対は緩か

であろう°けれども我胴の如く引受業務は少数の大証券業者に限られ大多数の証券業者は専ら旧証券の喪買を営む所

にありては︑流通市場の不振はどうしても証券業者として媛う所とならざるを得ないわけである°而してこのように

証券業者の反対は尤もだとしてもそれを以て直ちに発行市場を抑制すべしとまではなし難いのだ︒蓋し如何なる営業

にも盛衰はあり︑証券業者としても致命的でない以上その不振は耐え忍ぶべきであるからである°殊に発行市場の殷

賑そのものは事業界に資本の注がれる事態に外ならす︑経済社会に有意義な動きであるのである︒

然らば流通市場の圧迫せられるのを不可とする︑より一般的︑強力な立場があるであろうかと一ぞうに︑斯る立場は

ないでもない︒それは一般株主の立場である°流通市場が圧迫せられるにより諸株一般に採算上当然あるべき高さ以

下に置かれること先に論じたが︑これは株式の財産としての債値を減するものであるのだ︒

最近我國に多く行ほれている既存会耽の増資は︑事業会社としてインフ>による物債高のため必要資本額が増加し

︱つには過去の菩積︑固定設備の値上り利盆を株主に

典え彼等を潤さんとする意図が多分に含まれている︒これが増資株式をプレミヤム附で一般に賣出さす︑額面償格で

株主に割当てる方法をとりつしある事由である︵嵌近部分的には一般賣出では消化が困難なので株主割当により増資

を確保せんとすろのも匠つl\出ている︶︒この場合︑株主の中には資力の関係から一応引受けた株式を賣放つ者が

ありて︑当該会計株式の賣物は現実に又潜在的に増加し︑正当た牧盆債格以下に置かれるのが普通である°至当な標 それに対応すべく資金を確保せんとする必要に出でているが︑

(16)

準債格に回復するとしても少くとも一年︑通常はそれ以上の歳月を要する所である°併しこれを当該会社株主に就い

て計算すれば︑増安株式に附くプ>ミヤム盆で増賽後の株債下落に拘らナ全体として財産債格は増加する所である︒

斯くてこの点だけを見れば︑増資による流通市場の不振はあっても株主としては何等不利盆とはならす︑かの流蓮市

場が圧迫せられると株主の不利盆となるという立言と一致しないが如くである︒けれども事態を正当に把握するため

には親野広く考察しなければならないのだ°換言すれば壻資をしていない他の多くの会計株主の立場まで計算に入れ

なければならないのである︒

凡そ株式の債格は当該会社の配当力を資本化した牧盆債値に所謂市場性の程度等の加えられたものを中心とし︑其

の需要供給の董関係によつて奥えられるものである︒而してその需要供給関係であるが︑株式投資者の中には一種或

は数種の特定会社株式のみを対象とし他の銘柄には目もくれないものもあるが︑多くの投査者はそういう特定銘柄を

定めす債格次第何れにも赴くという性質を有つものである︒従て今或る会社に増資が行はれ其の株債が低まるにつれ

次第にそれに対する投資即ち需要が起りやがて或る位置に落付かんとする所であるが︑

株式発行市場と流蓮市場の関係 この事はそれだけ諸他の株式

に向う需要が減少することとなるのだ︒即ち凡ての会社株式は競争関係にあり︑換言すれば供給面から凡ての株式の

I

ヽ ヽ

債格は一蓮托生的な境遇に置かれているのである︒私は仮りにこれを株債一体の原則と去おうと思つているが︑株式

に斯の原則の行はれるによって︑或る増資会社の株主は当該会社株式の増加を不利としないとしても︑他の多数会社

株主は︑時の情勢により軽重はあれ︑必す不利な影響を受けることとなっているのである︒

この一國株主全体の中の多数者が不利を受けるということは確に由々しき事態である︒勿論会社増資は皐にその会

(17)

株式癸行市場と流涸市場の関係

社株主を潤すために行はれるのでなく︑正式には事業経営に必要な資金調逹の仕事であるがゆえ︑産業発達に貢献す

る発行市場の活澄な活動を一方に考え之と充分に脱み合はすべきである︒が︑この資本調達の放果ありとしても︑新

株式の増加による流通市場圧迫が株債の低迷を来し︑國民財産としての株式全体の債値が増加せ中寧ろ減少するが如.

き場合には︑最早これを擁護するの態度に出づぺきであるのだ︒事業会耽資金の調逹は株式増資によらすとも金融機

一國財産としての株式債格擁護の立場は︑株式発行市

以上︑流冠市場を圧迫する株式発行の調節問題を︑調整することが必要であるかを中心として論じて来たが︑それが

肯定せられた以上調節する方法に就て述ぶべしとなる0繰返す迄もなく発行面が市場的になっている時は流蓮市場を

圧迫するほどの過度の発行ということは先づ起らす︑株主割当増資の場合が危瞼なのである︒従て事業会社が増資を

するに当りて軍に自己会社の都合や株主の利盆のみを考えす︑諸他の会社株主の利益を害せぬため同種事業会社株式

の株債水準︵紡績会社ならぼ紡績事業株債水準︶︑進んでは凡ての事業会社株式の一般株債水準を眺め︑忠実にそれ

と相談することが望まれるのである︒既に株債が採算債値を逝かに割つているが如き時︵之は極度に高利廻となって

いることによって判断してよかろう︶は厳に増資を遠慮すべきであるのだ︒従来我國の例をみるに斯る態度は殆どみ

られない︒即ちそのような態度が一つの社会慣行として確立せられることが今問題解決の鍵となるわけである︒たゞ

慣行の樹立となれば矢張り相当の歳月を要する所でもあり︑こ上にそれに到るまでの処置として事業会社に対しアド

バイスする機構の設立が提案されるのである°而して斯る機構としては矢張り全証券業者を代表する団休がそれに当 場の流通市場圧迫を調整すべしの主張を当然ならしめるものである︒ 関からの借入︑社債発行等他に途がないでもない0

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株式発行市場と流通市場の関係

ること証券業という職責からみて当然と一云はれる︒勿論この場合証券業者団体の行う所は彼等の営利的利害を一切捨

我國に於ては昭和二十四年末噌賽調整懇談会が設けられ︑毎月︑翌月分の会祉壻賽額を醐整することを行うている︒即ち上 末吾人が述べた趣旨は恰も我國に於ては実現せられているわけである°但し吾人としてその機構に対し注文がないでもな

0

それは其の糠構の構成メンパーは興銀`勧銀︑六大銀行など銀行業者が多く︑証券業者は四大引受業者が加はつている に過ぎないが.証券業者の使命という点から証券業者全体を代表する機構たらしむべきことである︒尚其の機構の調整浩動 に法的拘束力を有たせという見解が一部に行はれているが︑これも過去の統制経済時代の考に捉れたものとして賛成出末な

0

法的拘束力なくてもそのア

Fメイスは充分に尊重せられるという民主的な朕態の現出に向つて飽く迄邁瀧すべきである︒ て去った國民経済的立場に立ったものでなければならぬ︒

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