社会学部1982〜86
著者 池田 進
雑誌名 関西大学社会学部紀要
巻 19
号 1
ページ A8‑A11
発行年 1987‑11‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/00022700
社 会 学 部 1982‑‑‑86
池 田
進
昭和5
7年1
0月に学部長の職に着任するにあたって前任者の上田達三元学部長から私がうけたひきつぎはつ ぎの唯一点,「人事にはとりわけ細心の注意を払うこと」だった。以来, 昭和5
9年 9月に離任するまで人事 になやまされ続けることになった。いま思うと人事に明け人事に暮れたような
2年間であった。
もっともつらいでき事は,小川肇教授の急逝だった。事故のあったその日,ちょうど新年で私は家族と親 元を訪問していたので所在がとらえられず,発生の一報から渉外のいっさいを一手にひきうけて急場をしの いでくださったのは,学部長代理をお願いしていた大石準ー教授だった。
さかのぼって,小川先生を松山商科大学からお招きするにあたっては,私のもって生まれたうかつさと着 任早々の不なれから,学部としてたいへん困難な事態を背負いこむことになってしまった。何度か先方の学 部長先生と電話で接渉し,マスコミュニケーション学専攻の田宮武教授には直接松山にまで出向いていただ いて,ようやく当初の計画から半年おくれで小川先生を本学にお迎えすることができた。おだやかな風貌の 先生にはじめてお目にかかって,ほんとうによい方をお迎えすることができたとほっとしたつかの間のでき 事だったので,受けたショックも一段と大きいものであった。心から先生のご冥福をお祈りしたい。
それとはちがった形で心痛の種はいわゆる「 0 講師問題」だった。 0 問題というのは,社会学部 1• 2