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カ ス ペ 事 件 を め ぐ る 在 ハ ル ビ ン・ ロ シ ア 人 社 会 と 日 本

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三三カスペ事件をめぐる在ハルビン・ロシア人社会と日本 一九三三―一九三七

カ ス ペ 事 件 を め ぐ る 在 ハ ル ビ ン・ ロ シ ア 人 社 会 と 日 本

一 九 三 三 ― 一 九 三 七

嶋 毅

は じ め に

まから八〇年前の一九三三年八月、ハルビンの著名なユダヤ人富豪ヨシフ・カスペの息子で有望な若手ピアニ

ストであったセミョーン・カスペが誘拐され、身代金三〇万円(三〇万米ドルに相当)を要求される事件が発生し

た。父カスペは身代金支払いを拒み、犯人側との交渉と警察当局の捜査の末、同年一二月にはロシア・ファシスト

の犯人グループが逮捕されたが、セミョーンは遺体となって発見された。今日では知る人も少ないが、当時この事

件はハルビン在住ユダヤ人のみならず世界中のユダヤ人コミュニティを震撼させた。それは、犠牲者セミョーンが

フランス国籍者であり、同事件が世界的に報じられて一大センセーションを引き起こしたためであった。また当時

から事件の背後に日本軍の存在が噂されており、事件の裁判も不可解な結末に終わっていた。

この事件をめぐって欧米諸国のユダヤ人コミュニティは、日本の在外公館に対して問い合わせや各種の請願をお

こなった。これをうけた在外公館は東京の外務省に対して情報を求め、外務省は在ハルビン日本総領事館に対して

事件についての報告を求めた。こうして外務省にカスペ事件に関する史料が残ることになった。関東軍ハルビン特

(2)

三四人文学報 第四九〇号 二〇一四年三月

務機関およびハルビン憲兵隊の史料は一九四五年八月に焼却されたため残存せず、ハルビンの日本総領事館史料も

また同様の運命をたどったと推測される。したがって日本側の一次史料で現存するものは、外交史料館所蔵の外務

省記録のみと考えられる。

在外ロシア史・極東ユダヤ史におけるミステリーの一つであるこの事件は、古くから人々の関心を引きつけてき

た。バラクシンの古典的著作『中国における終焉』や、ステファンの『ロシアのファシスト』は、大きな紙幅を割

いて本事件を紹介している 。近年では、フランスの歴史家ブルイヤルが、フランス外務省文書館にある在哈フラン

ス領事館報告の中から、カスペ事件を担当したシャンボン副領事が作成した報告書を発見して公表し、フランス側

捜査が明らかにした情報を元に事件を再検討する可能性を開いた 。同じくフランス外務省文書を利用してカスペ事

件を扱った黒竜江大学のダン・ベン‐カナーンは、同事件を日本の中国侵略と異文化衝突の文脈の中で位置づけよ

うと試みた 。日本では、外務省記録「民族問題関係雑件・猶太人問題」を用いた坂東宏と丸山直起が、満洲の反ユ ダヤ主義の高揚を引き起こした事例としてカスペ事件について多く触れている 。近年では、読売新聞の記者であっ

た砂村哲也が著作の中で事件を取りあげ、事件に対する日本側の関与について核心に迫る貴重な証言を発掘したこ

とが特筆に価する

カスペ事件に関して残された史料や情報は必ずしも多くはなく、事件にかかわる情報も錯綜しているため、利用

に際しては十分な史料批判が必要である。関連史料の多くは従来から利用されているものの、それらが持つ意味を

比較検討して事件を総体的に考察した研究はほとんどないといってよい。

本稿は、外務省外交史料館にあるカスペ事件関連史料と同時代にハルビンで発行されていたロシア語新聞『暁

Заря)』および同時代人の回想に依拠しつつ、在ハルビン日本総領事館がこの事件にいかに対処したかを分析する

ことを通じて、カスペ事件についての従来の知見を再検討することを試みる。現存する一次史料の精査と他の史料

との比較検討を通じて、この事件の本質をとらえる手がかりを得ることができるかもしれない。その際、事件を「ロ

シア愛国者によるユダヤ人に対する政治的犯罪」とする日本側の評価が定まった一九三四年末を、在哈ロシア人社

会と日本当局との関係の転機ととらえる視点を提示したい。なお煩雑さを避けるため、「満洲国」および「満洲」は

括弧を省略した歴史用語として使用する。

カ ス ペ 事 件 の 概 要

ピアノ演奏会を控えてハルビンでの休暇を楽しんでいたセミョーン・カスペは、一九三三年八月二四日深夜、三

人の女友達と食事をしたのち彼らを自動車で家に送り届ける途中、埠頭区ペカルナヤ通(麺麭街)のИ・А・チェ

ルネツカヤ=シャピロ(リディア・シャピロ)の自宅近くで車ごと誘拐された(図1)。誘拐犯は運転手とシャピロ

を解放し、父ヨシフ・カスペに対して身代金三〇万円を要求した。ハルビン警察庁は事件の捜査を開始したが、ヨ

シフは身代金の支払いを拒み、犯人グ

ループと交渉を続けるとともに懸賞金

を出して独自に犯人の探索を試みた。

一方、誘拐されたセミョーンがフラン

ス国籍保持者であったため、在哈フラ

ンス領事館はロシア人探偵を雇って副

領事アルベール・シャンボンの指揮の

下で捜査を開始した (図2)。

九月二八日、誘拐犯はセミョーンの耳

を切り取って脅迫状とともに父親に送

図1 誘拐されたセミョーン・カスペとリディ ヤ・シャピロが松花江岸で撮影した写真(1933 年)。

典拠 :Isaac Shapiro, Edokko: Growing Up a Foreigner in Wartime Japan (N. Y.: iUniverse, 2009), p. 16(著者はリディヤの子息)。

(3)

三五カスペ事件をめぐる在ハルビン・ロシア人社会と日本 一九三三―一九三七 シア愛国者によるユダヤ人に対する政治的犯罪」とする日本側の評価が定まった一九三四年末を、在哈ロシア人社

会と日本当局との関係の転機ととらえる視点を提示したい。なお煩雑さを避けるため、「満洲国」および「満洲」は

括弧を省略した歴史用語として使用する。

カ ス ペ 事 件 の 概 要

ピアノ演奏会を控えてハルビンでの休暇を楽しんでいたセミョーン・カスペは、一九三三年八月二四日深夜、三

人の女友達と食事をしたのち彼らを自動車で家に送り届ける途中、埠頭区ペカルナヤ通(麺麭街)のИ・А・チェ

ルネツカヤ=シャピロ(リディア・シャピロ)の自宅近くで車ごと誘拐された(図1)。誘拐犯は運転手とシャピロ

を解放し、父ヨシフ・カスペに対して身代金三〇万円を要求した。ハルビン警察庁は事件の捜査を開始したが、ヨ

シフは身代金の支払いを拒み、犯人グ

ループと交渉を続けるとともに懸賞金

を出して独自に犯人の探索を試みた。

一方、誘拐されたセミョーンがフラン

ス国籍保持者であったため、在哈フラ

ンス領事館はロシア人探偵を雇って副

領事アルベール・シャンボンの指揮の

下で捜査を開始した (図2)。

九月二八日、誘拐犯はセミョーンの耳

を切り取って脅迫状とともに父親に送

図1 誘拐されたセミョーン・カスペとリディ ヤ・シャピロが松花江岸で撮影した写真(1933 年)。

典拠 :Isaac Shapiro, Edokko: Growing Up a Foreigner in Wartime Japan (N. Y.: iUniverse, 2009), p. 16(著者はリディヤの子息)。

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三六人文学報 第四九〇号 二〇一四年三月

りつけ、身代金を支払わなければさらに手の指を切って送ると脅

迫した 。一方、フランス領事館が雇ったロシア人探偵は独自の捜

査を続け、犯行グループが亡命ロシア人ファシスト集団であるこ

とをつきとめた。焦った犯行グループは、身代金の額を引き下げ

て父親から早期に身代金を奪取しようと試みたが、ヨシフ・カス

ペとシャンボン副領事は身代金支払いを拒否して犯行グループ

の逮捕を目指した。

フランス領事館の捜査によって犯行グループの一人がコミサ

レンコなる人物であることが判明し、この情報に基づいてハルビ

ン警察庁は一〇月一四日にコミサレンコを逮捕したが、彼は一か

月後には釈放されてしまった。そこでフランス領事館側は直ちに

コミサレンコを逮捕し、尋問の結果犯行グループのリストを作成

した。フランス領事館側が提供したコミサレンコの情報に基づき、一一月一七日にはハルビン警察庁・ハルビン憲

兵隊およびフランス領事館探偵により犯行グループの潜伏先の捜索が行われたが、犯行グループはすでに移動した

あとであった。

一一月二二日には主犯格のニキフォル・キリチェンコが、モデルン・ホテルに電話を入れて身代金交渉をおこな

うも交渉は決裂、二四日にキリチェンコは被害者セミョーン・カスペを殺害した。この間も捜査を続けていたフラ

ンス領事館探偵は、一一月二八日にキリチェンコの弟ゲオルギーを逮捕し、翌二九日に予定されていた待ち合わせ

場所を探知した。この情報に基づいて二九日夕刻、ハルビン警察庁の警官、憲兵隊の憲兵ら総勢一六名が犯行グル

ープとの待ち合わせ場所を急襲し、銃撃戦となった。犯人の一人コンスタンチン・ガルシコは射殺され、キリチェ

図2 リディヤ・シャピロの家に送られた脅迫状。

典拠:東京タイムス社会部編『世界の誘拐事件』137 頁。

ンコは逃走した。

一二月三日、セミョーンの遺体が、ハルビンからおよそ五〇キロ南東に離れた中東鉄道東部線小嶺(Сяолин)駅

南方の山中で発見されたとの公式発表がおこなわれた。一一月二九日の銃撃戦のさなかに逃亡したキリチェンコは、

一二月一八日にハイラル東方五五キロの中東鉄道西部線札羅木特(Чжаромтэ)駅において、中東鉄道路警処警官に よって逮捕された

その後事件が動き出すのは、一九三四年一一月末にハルビン警察庁がカスペ事件に関する書類をハルビン検察庁

に送致してからである。カスペ事件の裁判は一九三五年六月から一二月にかけてと一九三六年三月から六月にかけ

ての二度にわたってハルビン地方法院においておこなわれ、六月一三日にハルビン地方法院は暫行懲治盗匪法第一

条により四名の被告に死刑、二名の被告に無期徒刑を言い渡した。同法は第五条において「盗匪ニ関スル案件ハ上

訴ヲ許サス」と定めた厳しい法律であったが、ハルビン高等法院は地方法院の判決を承認せず、同月一八日には同

法第六条に基づいて提審を命じた 。高等法院は同月二三日、第一審訴訟手続きにより本件の再審を命じ、翌三七年

一月一一日にハルビン高等法院は事件の再審を開始した。同月二九日、高等法院第一法廷はハルビン地方法院の原

判決を覆し、本件犯罪は刑法第三七一条第一項により無期徒刑又は七年以上の有期徒刑に属すべき重罪ではあるが

一九三四年の満洲国帝政施行時の大赦令に該当するとの判決を下して、被告六名全員が釈放された

10

。事件そのもの

は、こうして幕を閉じたのである。

ブルイヤルやベン‐カナーンも指摘したように、この事件の背景にはいくつかの要因が複雑に作用していた。第

一に、ハルビンにおける反ユダヤ主義的風潮の高まりがあった。ロシア革命前のハルビンでは、ユダヤ人を含むロ

シア帝国民は中東鉄道の存在を基盤に安定した社会を形成していたが、ロシア革命後に流入した大量のロシア難民

はハルビンのロシア人社会の経済的分極化を進行させた。一方、革命という災厄をもたらしたボリシェヴィキとユ

ダヤ人とを同一視する偏見は、ハルビンのユダヤ人をもまきこんだ

11

。早くも一九二五年には、ハルビンの大学生が

(5)

三七カスペ事件をめぐる在ハルビン・ロシア人社会と日本 一九三三―一九三七 ンコは逃走した。

一二月三日、セミョーンの遺体が、ハルビンからおよそ五〇キロ南東に離れた中東鉄道東部線小嶺(Сяолин)駅

南方の山中で発見されたとの公式発表がおこなわれた。一一月二九日の銃撃戦のさなかに逃亡したキリチェンコは、

一二月一八日にハイラル東方五五キロの中東鉄道西部線札羅木特(Чжаромтэ)駅において、中東鉄道路警処警官に よって逮捕された

その後事件が動き出すのは、一九三四年一一月末にハルビン警察庁がカスペ事件に関する書類をハルビン検察庁

に送致してからである。カスペ事件の裁判は一九三五年六月から一二月にかけてと一九三六年三月から六月にかけ

ての二度にわたってハルビン地方法院においておこなわれ、六月一三日にハルビン地方法院は暫行懲治盗匪法第一

条により四名の被告に死刑、二名の被告に無期徒刑を言い渡した。同法は第五条において「盗匪ニ関スル案件ハ上

訴ヲ許サス」と定めた厳しい法律であったが、ハルビン高等法院は地方法院の判決を承認せず、同月一八日には同

法第六条に基づいて提審を命じた 。高等法院は同月二三日、第一審訴訟手続きにより本件の再審を命じ、翌三七年

一月一一日にハルビン高等法院は事件の再審を開始した。同月二九日、高等法院第一法廷はハルビン地方法院の原

判決を覆し、本件犯罪は刑法第三七一条第一項により無期徒刑又は七年以上の有期徒刑に属すべき重罪ではあるが

一九三四年の満洲国帝政施行時の大赦令に該当するとの判決を下して、被告六名全員が釈放された

10

。事件そのもの

は、こうして幕を閉じたのである。

ブルイヤルやベン‐カナーンも指摘したように、この事件の背景にはいくつかの要因が複雑に作用していた。第

一に、ハルビンにおける反ユダヤ主義的風潮の高まりがあった。ロシア革命前のハルビンでは、ユダヤ人を含むロ

シア帝国民は中東鉄道の存在を基盤に安定した社会を形成していたが、ロシア革命後に流入した大量のロシア難民

はハルビンのロシア人社会の経済的分極化を進行させた。一方、革命という災厄をもたらしたボリシェヴィキとユ

ダヤ人とを同一視する偏見は、ハルビンのユダヤ人をもまきこんだ

11

。早くも一九二五年には、ハルビンの大学生が

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三八人文学報 第四九〇号 二〇一四年三月

組織していたロシア学生協会の下にロシア・ファシスト運動グループが組織され、同グループはその後ロシア・フ

ァシスト組織と名称を変更して徐々に学生を組織化していった。ロシア・ファシスト組織の活動家たちは、一九三

一年にロシア・ファシスト党を結成して、同年五月には第一回党大会を開催して本格的な活動を開始した

12

。世界恐

慌の影響を受けたハルビン経済界の不況の中でロシア人の若者の失業も増大し、彼らの間ではファシストの言説が

徐々に受け入れられていったのである。

第二に、一九三一年九月の満洲事変から一九三二年三月の満洲国成立にかけての時期、ハルビンをはじめとする

中国東北は混乱の極みにあった。そもそも満洲は匪賊の活動が活発な地域として知られていたが

13

、この混乱の中で

ハルビンでは、中国人匪賊やロシア人犯罪者集団による犯罪が急速に増大していた。満洲国の成立後、中国東北政

権の正規軍を構成していた兵士たちが動員解除された結果、中国人匪賊と元兵士との区別がきわめて曖昧なものと

なり、中国人匪賊の犯罪が頻発した

14

。他方ハルビンでは、犯罪取締りにあたる警察機関が錯綜しており、ハルビン

警察庁、中東鉄道路警処、ハルビン憲兵隊、領事館警察などがそれぞれ独自に警察権を行使する状況にあった。社

会情勢の混乱を背景にロシア人のあいだでも犯罪組織の活動が活発化していたが、とくに一九三二年頃からはロシ

ア・ファシスト党の特別部隊による犯罪行為が展開されており、内部抗争による殺人事件も発生した

15

。こうした中

で、亡命ロシア人ファシストによるユダヤ人資産家を標的にした誘拐事件も目立つようになった。一九三三年夏に

起こったカスペ事件は、一連のユダヤ人資産家誘拐事件の頂点に位置するものでもあったのである

16

第三に、満洲国における日本軍部と諸外国の利害の衝突が事件の背景として指摘されている。被害者セミョーン

の父ヨシフ・カスペが経営するホテル・モデルンはハルビン随一の高級ホテルであり、満洲国成立後に国際連盟か

ら派遣されたリットン調査団が一九三二年五月にハルビンを訪問した時に宿泊したのもこのホテルであった

17

。ステ

ファンによれば、関東軍ハルビン憲兵隊やロシア・ファシスト党はヨシフ・カスペの財産を狙っていたものの、ヨ

シフはホテルなどの所有権をフランス国籍者である二人の息子に変更して財産の保全を図ったという

18

。ブルイヤル

もまたヨシフ・カスペの資産保全策に注目し、ホテルをフランス人名義とすることでヨシフは日本軍当局によるホ

テル接収を免れたと指摘している

19

。セミョーン誘拐事件の犯人グループが亡命ロシア人ファシスト集団であったこ

とから、事件の背後には当初からロシア・ファシスト党を支援していた日本軍部の存在が見え隠れしていたのであ

る。

カ ス ペ 事 件 に 対 す る 在 ハ ル ビ ン 日 本 総 領 事 館 の 対 応

セミョーン・カスペが誘拐された翌日の一九三三年八月二五日、在ハルビン総領事の森島守人は外務大臣内田康

哉宛の公信で事件について報告した

20

。この報告はきわめて短い実務的なものであり、こののち在哈総領事館は本件

について外務省に対する報告をおこなわなかった。

しかし本件を重く見たフランス当局は、一〇月二日に東京の駐日代理大使に外務省アジア局長を訪問させて、被

害者セミョーンの父は犯人から巨額の身代金を要求されるとともに「片耳ヲ切リ取リテ送付シ来タリ右金額ノ一部

ニテモ直ニ送金セサルニ於テハ更ニ右手ノ指ヲ切リテ送ルヘシト脅迫シ居ル由」であると伝え、被害者の救出につ

いて日本側の援助を要請した。さらに同日、フランス大使館附駐在武官が陸軍大臣秘書官を訪問して同様の依頼を

おこなった。これに対し大臣秘書官の有末少佐は、外務省にこの情報の真偽を確認した。おそらく外務省は情報を

把握しておらず、急遽同日夜に在哈総領事館に情報の確認を求めた

21

。この時点で外務省は、外交問題としての事件

の重要性に気づき始めたものと推測される。

ハルビン総領事の森島はこの要請に応じて、一〇月四日にようやく本件についての詳細な報告を本省に打電した。

この報告で森島はフランス側から外務省にもたらされた情報を初めて確認し、九月二九日に在哈フランス領事が本

件解決のための援助を日本総領事館に対して要請したことを報告した。しかし同時に森島は、フランス領事が本件

を「刑事事件ヨリハ政治的色彩ヲ帯フル事件」であると理解していること、被害者はロシア人ファシスト集団に監

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三九カスペ事件をめぐる在ハルビン・ロシア人社会と日本 一九三三―一九三七 もまたヨシフ・カスペの資産保全策に注目し、ホテルをフランス人名義とすることでヨシフは日本軍当局によるホ テル接収を免れたと指摘している

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。セミョーン誘拐事件の犯人グループが亡命ロシア人ファシスト集団であったこ

とから、事件の背後には当初からロシア・ファシスト党を支援していた日本軍部の存在が見え隠れしていたのであ

る。

カ ス ペ 事 件 に 対 す る 在 ハ ル ビ ン 日 本 総 領 事 館 の 対 応

セミョーン・カスペが誘拐された翌日の一九三三年八月二五日、在ハルビン総領事の森島守人は外務大臣内田康

哉宛の公信で事件について報告した

20

。この報告はきわめて短い実務的なものであり、こののち在哈総領事館は本件

について外務省に対する報告をおこなわなかった。

しかし本件を重く見たフランス当局は、一〇月二日に東京の駐日代理大使に外務省アジア局長を訪問させて、被

害者セミョーンの父は犯人から巨額の身代金を要求されるとともに「片耳ヲ切リ取リテ送付シ来タリ右金額ノ一部

ニテモ直ニ送金セサルニ於テハ更ニ右手ノ指ヲ切リテ送ルヘシト脅迫シ居ル由」であると伝え、被害者の救出につ

いて日本側の援助を要請した。さらに同日、フランス大使館附駐在武官が陸軍大臣秘書官を訪問して同様の依頼を

おこなった。これに対し大臣秘書官の有末少佐は、外務省にこの情報の真偽を確認した。おそらく外務省は情報を

把握しておらず、急遽同日夜に在哈総領事館に情報の確認を求めた

21

。この時点で外務省は、外交問題としての事件

の重要性に気づき始めたものと推測される。

ハルビン総領事の森島はこの要請に応じて、一〇月四日にようやく本件についての詳細な報告を本省に打電した。

この報告で森島はフランス側から外務省にもたらされた情報を初めて確認し、九月二九日に在哈フランス領事が本

件解決のための援助を日本総領事館に対して要請したことを報告した。しかし同時に森島は、フランス領事が本件

を「刑事事件ヨリハ政治的色彩ヲ帯フル事件」であると理解していること、被害者はロシア人ファシスト集団に監

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四〇人文学報 第四九〇号 二〇一四年三月

禁されていると考えていること、を報告しつつ、フランス領事の見解には疑問の余地ありと指摘した

22

既述のように、フランス領事館はシャンボン副領事の指揮下で独自に事件の捜査を展開していた。そして一〇月

一八日にはフランス領事レノーが日本総領事館を訪れて、セミョーン・カスペの所在について「確実ナル情報ヲ得

タリトテ場所ヲ指示」して森島総領事の斡旋を求めた。しかし森島は、警察と憲兵隊が当該家屋とその付近を捜査

したものの「別段容疑ノ点ヲ発見スルニ至ラス」と報告した。さらに森島は、フランス領事館が雇っていたロシア

人探偵キムスタチがハルビン警察庁に逮捕されており、フランス領事がその釈放を森島に求めたものの「警察庁側

ニ於テハ犯人捜査上必要ナル為之カ釈放ニ応セサリシ」と報告して、暗にフランス側が事件捜査を妨害しているか

のような印象を与えていた

23

。さらに同日付続信は、次のように伝えた。

「キ」〔キムスタチのこと―引用者〕ハ仏国領事ニ対シ犯人ハ露人「ファッショ」首領ノ一名ナル「ボロトフ」

ニ相違無キ旨語リ仏国領事モ之ヲ信シ居ル模様ナルモ警察庁ニ於テハ「ボ」ハ全然犯人ニアラサルコトヲ承知

シ居ルノミナラス本件犯人捜査ニ「ボ」ヲ利用シ居リ「ボ」ハ前記家屋ノ捜査班ニモ参加シ居レリ) ノ虚偽ノ

報告ヲ信シ本件犯人ハ露人ノ「ファッショ」ニシテ且ツ「ファッショ」ノ裏面ニハ日本軍部アルヲ以テ本件救

出ハ日本側ニ願ウノ外無シト誤解シ右趣ヲ北平公使館ニ報告(…中略…)セル趣ナリ…〔中略〕…「本件犯罪

ニハ何等カ日本側当局カ関係アリトノ噂モアル模様ナル処右ノ如キ噂ノ絶対事実無根ナルコトハ言ヲ俟タス日

本側トシテハ被拉致者救出ニ関シ總ユル努力援助ヲ惜ムモノニアラス」トノ旨ヲ個人トシテ説明セシメ置キタ

ル…〔中略〕…(本項部外極秘ニ願度シ

24

こうして森島総領事は、犯人がロシア人ファシストのボロトフであるとするフランス側主張は根拠のないものであ

り、したがってロシア人ファシストを支援している関東軍は事件とは無関係であると力説したのである。

一方フランス政府は、被害者の救援のために日本当局の援助を熱心に求め続けた。一一月一八日には東京のフラ

ンス大使館附駐在武官が陸軍大臣秘書官を再訪し、「満洲国軍隊ハ内々匪賊トモ連絡アルヤノ趣モアリ或ハ此ノ辺ヲ

通シテ『カ』〔カスペのこと―引用者〕ノ所在其他同人ニ関スル消息ヲ得ルコトモ困難ニ非ルヘク」と述べて、日本

側当局の協力を改めて強く要請した。これに応じて外務省は、森島総領事に対して事件のその後の経過と今後の見

込みを報告するよう命じた

25

。外務省は、事件の背後に関東軍の存在を感じ取っていたのかもしれない。これに対し

て森島は一一月二五日付返信において、「仏国側ハ本件ノ裏面ニハ日本側カ動キ居レリトノ邪推ヲ今尚懐キ居ル」よ

うなので「コノ点ニ関シ先方ノ蒙ヲ啓ク」ことにすると述べたうえで、本件捜査が進捗して犯人の目星もついた様

子であるため「仏国大使館側ニ対シテハ右御含ミニテ然ルヘク御処置ヲ請フ尚仏国側ニ対スル貴方ゴ説明ハ直ニ当

地仏国領事ニ打電セラレ捜査上支障ヲ来ス虞アリ右様御取扱ヲ請フ次第ナリ」と、フランス側が事件捜査に干渉し

ないよう外務省から要請することを求めた

26

上述のように、この間事件は大きく動きつつあり、捜査当局は犯行グループへの包囲網を狭めつつあった。しか

し不運な被害者セミョーン・カスペは、一二月三日に遺体となって発見された。翌日森島は、被害者カスペの殺害

と事件捜査の経緯についての公式発表を手短に報告した

27

。警察当局は一二月三日に事件についての公式発表をおこ

なったが、探偵を雇って独自に捜査していたフランス領事館は、ハルビン警察庁の発表は領事館側が調査した事実

に反するとして捜査当局を非難し、公式発表に対する反論を印刷し配布しようとした。これに対して一二月七日、

ハルビン警察庁が印刷所の捜索を実施して印刷済み露文発表物八〇〇部を押収するという事件が発生した。フラン

ス領事館側のこうした対応に対して森島総領事は、本件を主に処理したシャンボン副領事自身がユダヤ系フランス

人であり、「年少ニシテ功ヲ焦リ其ノ態度行動常ニ猶太人的下品性ヲ有シ今回モ去就慎重ヲ欠クモノト認メラレタル」

と説明した

28

以上のように、カスペ事件が発生した当初、在ハルビン日本総領事館は本件を必ずしも重要案件とはみなしてい

ない旨の報告を外務省に送っていた。一方外務省は、フランス当局からの圧力をうけつつ、次第に事件に関心を示

すようになっていった。外務省の要求に応える形で日本総領事館は事件の詳細を報告したが、フランス領事館が疑

(9)

四一カスペ事件をめぐる在ハルビン・ロシア人社会と日本 一九三三―一九三七 通シテ『カ』〔カスペのこと―引用者〕ノ所在其他同人ニ関スル消息ヲ得ルコトモ困難ニ非ルヘク」と述べて、日本

側当局の協力を改めて強く要請した。これに応じて外務省は、森島総領事に対して事件のその後の経過と今後の見

込みを報告するよう命じた

25

。外務省は、事件の背後に関東軍の存在を感じ取っていたのかもしれない。これに対し

て森島は一一月二五日付返信において、「仏国側ハ本件ノ裏面ニハ日本側カ動キ居レリトノ邪推ヲ今尚懐キ居ル」よ

うなので「コノ点ニ関シ先方ノ蒙ヲ啓ク」ことにすると述べたうえで、本件捜査が進捗して犯人の目星もついた様

子であるため「仏国大使館側ニ対シテハ右御含ミニテ然ルヘク御処置ヲ請フ尚仏国側ニ対スル貴方ゴ説明ハ直ニ当

地仏国領事ニ打電セラレ捜査上支障ヲ来ス虞アリ右様御取扱ヲ請フ次第ナリ」と、フランス側が事件捜査に干渉し

ないよう外務省から要請することを求めた

26

上述のように、この間事件は大きく動きつつあり、捜査当局は犯行グループへの包囲網を狭めつつあった。しか

し不運な被害者セミョーン・カスペは、一二月三日に遺体となって発見された。翌日森島は、被害者カスペの殺害

と事件捜査の経緯についての公式発表を手短に報告した

27

。警察当局は一二月三日に事件についての公式発表をおこ

なったが、探偵を雇って独自に捜査していたフランス領事館は、ハルビン警察庁の発表は領事館側が調査した事実

に反するとして捜査当局を非難し、公式発表に対する反論を印刷し配布しようとした。これに対して一二月七日、

ハルビン警察庁が印刷所の捜索を実施して印刷済み露文発表物八〇〇部を押収するという事件が発生した。フラン

ス領事館側のこうした対応に対して森島総領事は、本件を主に処理したシャンボン副領事自身がユダヤ系フランス

人であり、「年少ニシテ功ヲ焦リ其ノ態度行動常ニ猶太人的下品性ヲ有シ今回モ去就慎重ヲ欠クモノト認メラレタル」

と説明した

28

以上のように、カスペ事件が発生した当初、在ハルビン日本総領事館は本件を必ずしも重要案件とはみなしてい

ない旨の報告を外務省に送っていた。一方外務省は、フランス当局からの圧力をうけつつ、次第に事件に関心を示

すようになっていった。外務省の要求に応える形で日本総領事館は事件の詳細を報告したが、フランス領事館が疑

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四二人文学報 第四九〇号 二〇一四年三月

っていた日本軍部の関与についてはこれを一貫して強く否定し続けた。しかしこのことは逆に、実際には日本軍が

事件に何らかの関係を持っていたことを外務省に印象づけることになったかもしれない。

三 反 ユ ダ ヤ 主 義 の 高 揚 に 対 す る 日 本 当 局 の 対 応

セミョーン・カスペの死と犯人逮捕を公表したハルビン警察庁の江口治刑事科長は新聞への談話の中で、この事

件には政治的な特徴づけがなされたがそれは正しくないと主張した。江口によれば、政治的側面が取り沙汰される

のはユダヤ人が誘拐されたために過ぎず、誘拐の実行犯は何よりまずは犯罪者なのであった

29

一九三三年一二月五日に執り行われた犠牲者セミョーンの葬儀の際の葬列は数千の人々が参加した大規模なもの

となり、階級や民族の違いを超えて事件がハルビン全体に大きな衝撃を与えたことを改めて示すものとなった

30

。セ

ミョーンの葬儀ではユダヤ教ラビに加えて、ユダヤ人コミュニティの指導者で医師であったアブラハム・カウフマ

ンが弔辞を読んだ。新聞報道によれば、そこで彼は「私たちは報復を考えはしないが、このような卑劣な犯罪を許

容し殺人者の手から無抵抗な住民を保護する能力を持たない権力の無為には断固として抗議する」と述べて、事件

の処理をめぐってユダヤ人コミュニティに渦巻く大きな不満を強い口調で示したという。この弔辞は満洲国の当局

筋の強い反発を引き起こし、カウフマンは「当局に対する公然たる敵意を示す分子に満洲国の領土から去ることを

勧める」との警告を受けることになった

31

ハルビンのロシア・ファシスト党機関紙『ナーシ・プーチ(我らの道)』はこのカウフマン演説を大きく取り上げ、

指導的機関の代表者たちが「カウフマンがすべてのユダヤ人を代表してこの話を語るならば、当局は全ユダヤ人を

立ち退かせねばならない」と述べたと紹介して、「モーゼがエジプトからユダヤ人を引き連れていったのだから、カ

ウフマンは満洲国からユダヤ人を引き連れていってはどうか?」と主張した。さらに同紙は、こうした「卑劣な声

明」への回答はカウフマンを満洲国から追放することであると論じた

32

『ナーシ・プーチ』紙は、カスペ事件の実行犯としてファシスト党員が逮捕された直後から、大々的な反転攻勢

を展開した。同紙は、在哈フランス副領事シャンボンがファシスト党指導者の逮捕を当局に求めたことを指摘しつ

つ、欧米およびソ連の新聞がこぞって事件をファシストの犯罪と書きたてたのは「極東のフリーメーソンとコミン

テルンの密接な関係」を示すものだと指弾した。そして、ロシア・ファシスト党はこの事件にいかなる関係も持た

ず、ありふれた刑事事件がセンセーショナルにみえるのは非常に著名なユダヤ人が犠牲になったためだ、と強調した

33

ロシア・ファシスト党は、コミンテルンと世界のユダヤ・ロビーがカスペ事件を利用してロシア人ファシストに対

する挑発行為を展開していると主張したのである。

セミョーン・カスペの葬儀におけるカウフマン演説以後、ロシア・ファシスト党によるユダヤ人攻撃はさらに強

まり、『ナーシ・プーチ』紙はユダヤ人とソ連およびボリシェヴィズムをことさらに結びつけて批判する中傷を展開

した

34

。カスペ事件で被害者となったのはユダヤ人であったにもかかわらず、セミョーンの葬儀が図らずもハルビン

のユダヤ人コミュニティの影響力を示すことにつながり、ファシスト党が事件に関与したとみるシャンボン副領事

の事件捜査への介入に対する白系ロシア人ファシストの反発と相俟って、ユダヤ人と白系ロシア人との間の対立関

係を昂進させる契機となったと考えられる。

ロシア・ファシスト党による反ユダヤ主義的宣伝の高揚に対して、ユダヤ人コミュニティでは危機感が強まった。

満洲里では、白系ロシア人からのユダヤ人に対する圧迫を憂慮したソ連国籍ユダヤ人の共産党員が同地のユダヤ人

有力者と在満洲里ソ連領事との間を仲介して、在満ユダヤ人に対するソ連当局の庇護を要請した

35

。ユダヤ人の中に

は、ヨシフ・カスペがそうであったように、中ソ合弁企業である中東鉄道およびその関連企業とかかわる取引に従

事する事業者も多数存在しており、政治的観点というよりはむしろ生活の必要からソ連国籍を取得した人々も少な

くはなかった。無国籍の白系ロシア人からの圧迫が強まったとき、彼らソ連系ユダヤ人が在満ソ連当局に庇護を求

めるのは必ずしも不自然なことではなかったが、こうした動きはユダヤ人全般に対する白系ロシア人側の反感をい

(11)

四三カスペ事件をめぐる在ハルビン・ロシア人社会と日本 一九三三―一九三七 『ナーシ・プーチ』紙は、カスペ事件の実行犯としてファシスト党員が逮捕された直後から、大々的な反転攻勢

を展開した。同紙は、在哈フランス副領事シャンボンがファシスト党指導者の逮捕を当局に求めたことを指摘しつ

つ、欧米およびソ連の新聞がこぞって事件をファシストの犯罪と書きたてたのは「極東のフリーメーソンとコミン

テルンの密接な関係」を示すものだと指弾した。そして、ロシア・ファシスト党はこの事件にいかなる関係も持た

ず、ありふれた刑事事件がセンセーショナルにみえるのは非常に著名なユダヤ人が犠牲になったためだ、と強調した

33

ロシア・ファシスト党は、コミンテルンと世界のユダヤ・ロビーがカスペ事件を利用してロシア人ファシストに対

する挑発行為を展開していると主張したのである。

セミョーン・カスペの葬儀におけるカウフマン演説以後、ロシア・ファシスト党によるユダヤ人攻撃はさらに強

まり、『ナーシ・プーチ』紙はユダヤ人とソ連およびボリシェヴィズムをことさらに結びつけて批判する中傷を展開

した

34

。カスペ事件で被害者となったのはユダヤ人であったにもかかわらず、セミョーンの葬儀が図らずもハルビン

のユダヤ人コミュニティの影響力を示すことにつながり、ファシスト党が事件に関与したとみるシャンボン副領事

の事件捜査への介入に対する白系ロシア人ファシストの反発と相俟って、ユダヤ人と白系ロシア人との間の対立関

係を昂進させる契機となったと考えられる。

ロシア・ファシスト党による反ユダヤ主義的宣伝の高揚に対して、ユダヤ人コミュニティでは危機感が強まった。

満洲里では、白系ロシア人からのユダヤ人に対する圧迫を憂慮したソ連国籍ユダヤ人の共産党員が同地のユダヤ人

有力者と在満洲里ソ連領事との間を仲介して、在満ユダヤ人に対するソ連当局の庇護を要請した

35

。ユダヤ人の中に

は、ヨシフ・カスペがそうであったように、中ソ合弁企業である中東鉄道およびその関連企業とかかわる取引に従

事する事業者も多数存在しており、政治的観点というよりはむしろ生活の必要からソ連国籍を取得した人々も少な

くはなかった。無国籍の白系ロシア人からの圧迫が強まったとき、彼らソ連系ユダヤ人が在満ソ連当局に庇護を求

めるのは必ずしも不自然なことではなかったが、こうした動きはユダヤ人全般に対する白系ロシア人側の反感をい

(12)

四四人文学報 第四九〇号 二〇一四年三月

っそう強めることになったと推測される。

ハルビンにおける反ユダヤ主義的傾向が急速に高まりゆく状況をうけて、上海シオニスト運動の指導者で『イス

ラエルズ・メッセンジャー』誌編集長であったN・E・B・エズラは、ハルビンの反ユダヤ主義運動を抑制すべく

積極的な工作活動を開始した。一九三四年一月、彼は日本人の友人で日猶同祖論者の著述家小谷部全一郎を通じて、

外務省の重光葵次官に対してハルビン在住白系ロシア人の迫害からユダヤ人を救済するよう要請した

36

。その後もエ

ズラは重光次官に対して幾度も書簡を送り、ハルビンでの白系ロシア人による反ユダヤ主義運動とりわけファシス

ト党機関紙『ナーシ・プーチ』による激しいユダヤ人攻撃を抑えるよう、外務省の善処を繰り返し求めた。

こうした中で、反ユダヤ主義的風潮の高揚を憂慮するユダヤ人コミュニティを揺るがす出来事が起こった。一九

三四年一一月末、カスペ事件に関する一件書類がハルビン警察庁から検察当局に送られたとき、ハルビン警察庁刑

事科長の江口治が、カスペ誘拐殺人の実行犯に同情すら示す悪名高い声明をハルビンの露字紙に発表したのである。

警察庁の捜査によって明らかにされた事件の経緯を説明したのち江口は、事件の容疑者たちが反ソ運動の資金難を

一挙に解決するために、ソヴィエト・ロシアと結託して巨利を得たといわれたユダヤ人ヨシフ・カスペからその資

金を奪取しようと犯行に及んだと述べて、犯人たちを「熱烈なロシア愛国者」と特徴づけ、事件が政治的性格を持

つものであると論じた。さらに彼は、カスペを殺害したとされたガルシコが警察側との銃撃戦で死亡した以上、他

の容疑者たちは、殺人を犯さずとも極刑に処せられる可能性を含む暫行懲治盗匪法ではなく無期徒刑又は有期徒刑

を定めた刑法三七一条の条項で審理されるべきであると主張した。そして最後に江口は、犯行の政治的動機に鑑み

て、司法当局が容疑者たちに寛大な措置をとることを希望した

37

はたしてカスペ事件は反ユダヤ主義を標榜した政治的犯罪だったのであろうか。当然ながらハルビンのユダヤ人

コミュニティは、この事件をユダヤ人に対する迫害であるととらえていた。しかしすでに触れたように、事件の実

行犯が逮捕された一九三三年一二月の段階では、捜査責任者の江口自身が事件の政治的性格を否定していた。また

一九三四年五月七日にハルビン警察庁長は満洲国民生部警務司長宛報告「白系露人ノ猶太民族迫害ニ関スル件回答」

(哈警特秘第二八三号)において、同事件が「資産家ヲ脅迫シ不当利得ヲ目的トスル刑法上ノ犯罪ニシテ何等政治

的民族的背景ヲ有スルモノニアラサルコト明白トナレリ」と指摘して、ハルビンにおける反ユダヤ主義的風潮の高

まりは「特ニ白系露人ノ猶太民族ニ対スル迫害ト認ムルヲ得ス」と結論していた

38

。にもかかわらず、一一月の江口

刑事科長の声明は、カスペ事件の動機に反ソ活動展開の観点からユダヤ人に対峙するファシストの「愛国心」を見

出して政治的性格を改めて強調したのである。

事件に対するハルビン警察庁の評価を変化させた要因は何だったのだろうか。この点について、在ハルビン総領

事代理であった長岡半六は一九三五年一月一四日付外務省宛報告において、前年一一月末の江口声明は「同科長ノ

洩ラス所ナリトテ内聞スル所ニ依レハ右情状酌量意見ハ某方面ヨリノ註文ニ基キ特ニ政治的考察ヲ加ヘタル結果ニ

依ルモノナル趣」であると述べるとともに、この声明が「猶太人側ヲ必要以上ニ刺戟スルニ至リタルコトニ対シテ

ハ関係方面ニモ多少ノ異論アルヤニ認メラレル」と指摘していた

39

。ここでいう「某方面」とは明らかに関東軍を指

すものであり、おそらくハルビン特務機関であったと考えられる。江口刑事科長自身もまた、日本軍部の強い圧力

の下に置かれていたのである。

では関東軍はなぜこの刑事手続に介入したのであろうか。この点では、カスペ事件についての評価の変化が一九

三四年五月から一一月末のあいだに生じているという事実が重要である。この時期ハルビン特務機関は、白系ロシ

ア人を満洲国に統合し特務機関のもとで彼らを統制するためのロシア人機関を組織化しつつあり、それは同年一二

月二八日に「満洲国白系露人事務局」の創設となって実現された

40

。同事務局は一二月に組織化の最終段階にあり、

関東軍参謀長西尾壽造は一二月七日付「白系露人関係事項ノ処理ニ関スル件」(関参謀第一〇八号)で在満洲国日本

大使館の谷正之参事官宛に次のように通知していた。

満洲国ノ統治上並ニ軍事上ノ要求ニ基キ在満洲国白系露人ノ組織化並ニ清党ヲ計ル為メ其ノ目的ニ相応シキ白

(13)

四五カスペ事件をめぐる在ハルビン・ロシア人社会と日本 一九三三―一九三七 一九三四年五月七日にハルビン警察庁長は満洲国民生部警務司長宛報告「白系露人ノ猶太民族迫害ニ関スル件回答」

(哈警特秘第二八三号)において、同事件が「資産家ヲ脅迫シ不当利得ヲ目的トスル刑法上ノ犯罪ニシテ何等政治

的民族的背景ヲ有スルモノニアラサルコト明白トナレリ」と指摘して、ハルビンにおける反ユダヤ主義的風潮の高

まりは「特ニ白系露人ノ猶太民族ニ対スル迫害ト認ムルヲ得ス」と結論していた

38

。にもかかわらず、一一月の江口

刑事科長の声明は、カスペ事件の動機に反ソ活動展開の観点からユダヤ人に対峙するファシストの「愛国心」を見

出して政治的性格を改めて強調したのである。

事件に対するハルビン警察庁の評価を変化させた要因は何だったのだろうか。この点について、在ハルビン総領

事代理であった長岡半六は一九三五年一月一四日付外務省宛報告において、前年一一月末の江口声明は「同科長ノ

洩ラス所ナリトテ内聞スル所ニ依レハ右情状酌量意見ハ某方面ヨリノ註文ニ基キ特ニ政治的考察ヲ加ヘタル結果ニ

依ルモノナル趣」であると述べるとともに、この声明が「猶太人側ヲ必要以上ニ刺戟スルニ至リタルコトニ対シテ

ハ関係方面ニモ多少ノ異論アルヤニ認メラレル」と指摘していた

39

。ここでいう「某方面」とは明らかに関東軍を指

すものであり、おそらくハルビン特務機関であったと考えられる。江口刑事科長自身もまた、日本軍部の強い圧力

の下に置かれていたのである。

では関東軍はなぜこの刑事手続に介入したのであろうか。この点では、カスペ事件についての評価の変化が一九

三四年五月から一一月末のあいだに生じているという事実が重要である。この時期ハルビン特務機関は、白系ロシ

ア人を満洲国に統合し特務機関のもとで彼らを統制するためのロシア人機関を組織化しつつあり、それは同年一二

月二八日に「満洲国白系露人事務局」の創設となって実現された

40

。同事務局は一二月に組織化の最終段階にあり、

関東軍参謀長西尾壽造は一二月七日付「白系露人関係事項ノ処理ニ関スル件」(関参謀第一〇八号)で在満洲国日本

大使館の谷正之参事官宛に次のように通知していた。

満洲国ノ統治上並ニ軍事上ノ要求ニ基キ在満洲国白系露人ノ組織化並ニ清党ヲ計ル為メ其ノ目的ニ相応シキ白

(14)

四六人文学報 第四九〇号 二〇一四年三月

系団体ノ代表者ヲ網羅シテ居留民会ニ近キ中心機関ヲ構成中ニシテ近ク実現ノ運トナルヘキニ就テハ白系露人

ニ関スル政策、人事其他ノ諸問題ハ事ノ軽重ニ応シ悉ク軍若ハ之カ中心的指導ニ任シツツアル哈市機関ヲ経由

シ以テ本目的ノ達成ヲ容易ナラシムルト共ニ他面本件ニ関スル之カ反対策謀宣伝等ハ厳ニ之ヲ取締ルヘキコト

ニ定メラレシニ付承知相成度尚本件ハ別ニ示ス時機迄極秘扱トスヘキ儀ニ付申添フ

41

ハルビン特務機関は、自らが組織しつつある白系露人事務局の主要構成員として、長年にわたり日本軍と深い関

係を持っていたザバイカル・コサックの元首領グリゴリー・セミョーノフの配下と併せて、コンスタンチン・ロザ

エフスキーが率いるロシア・ファシスト党のメンバーを登用した。それはファシスト党指導部が早い段階から特務

機関に積極的に協力していたためであり、ファシスト党は特務機関にとって利用価値の高い実働部隊だったからで

ある

42

。特務機関は、影響下に置いていたファシスト党を日本軍の忠実な協力者として利用し続けるために、ロシア

人ファシストを強力に支援しなければならなかったと考えられる。

一九三四年一一月の江口声明は、当然のことながら世界中のユダヤ人コミュニティで強い反発と憤慨を引き起こ

した。上海の『イスラエルズ・メッセンジャー』誌編集長のエズラもまた江口声明に強い衝撃を受け、事件の調査

をおこない不当な判決を阻止するよう強く訴えた

43

。外務省はこうした要請を無視しえず、エズラは「白系露人ノ背

後ニ日系官吏アリトノ邪推ヲ廻ラシ居ルカ如ク」であるので、広田外相は森島総領事に対してこの間の事情を報告

するよう要求した

44

。またアメリカ合衆国では、カスペ事件の裁判が公正におこなわれることを求めるようエズラか

ら依頼を受けて、アメリカ・ユダヤ人会議議長でユダヤ教ラビのステファン・ワイズとユダヤ人哲学者ホレイス・

カレンが一九三五年二月四日に齋藤博駐米大使を訪問して日本当局の協力を求めた。これに対し齋藤大使は、本件

の真相を外務省に問い合わせることを約束した

45

。齋藤大使の求めに応じて外務省は、森島在ハルビン総領事に対し

てカスペ事件のその後の経緯とハルビンにおける反ユダヤ主義の状況についての報告を要請した

46

これをうけた森島総領事は、二通のハルビン警察庁資料を外務省に送付した。そのうち江口声明後の状況を報告

した一九三五年一月二三日付警察資料(哈警特秘第一〇一号)は、ハルビン警察庁がファシストら過激な白系ロシ

ア人を保護してユダヤ人迫害を黙認しているとの「風評」は根拠がないこと、純然たる刑事事件以外には組織的な

ユダヤ人迫害は発生していないこと、反ユダヤ主義運動の背後に日本軍部の存在があるというのは根拠のない想像

であること、を指摘していた

47

。さらに森島は、「本件ノ背後ニ日系官吏カ潜在シタルコト絶対ニナク犯人ハ満人検事

ノ手ニ依リ取調ヲ受ケ居レリ」と強調し、上海やニューヨークのユダヤ人の見解は「誇大ナル宣伝」であると論じた

48

ハルビン総領事館は、カスペ事件への日本人の関与を強く否定するとともに、ハルビンでの反ユダヤ主義的風潮

は組織的な運動ではないと強調した。しかし外務省は、事件への現地日本軍の関与を疑い、ハルビンの状況が国際

社会に与える影響を憂慮していたと考えられる。外務省の雰囲気は満洲側でも察知していた模様で、関東軍司令官

で在満特命全権大使兼帯の南次郎大将は広田外相に対し、ユダヤ人を激しく攻撃しているファシスト党機関紙『ナ

ーシ・プーチ』が関東軍の支援を背景に有していると想定されていることに鑑みて、関東軍参謀長が白系ロシア人

の反ユダヤ主義的傾向の取締りと新聞その他の宣伝に一層注意するよう関係方面に命じたことを報告した

49

。また森

島総領事は一九三五年二月、ハルビンでの反ユダヤ主義的傾向の高まりについて特務機関長の安藤麟三大佐と協議

し、対ユダヤ人工作は対白系ロシア人工作とは別に講ずることを取り決めた

50

こうして江口声明は世界中のユダヤ人社会に大きな衝撃を与えたとともに、日本の外交官をも動揺させた。外務

省はハルビン総領事館に対して、現地での反ユダヤ主義的傾向の鎮静化に努めるよう要請した。しかしハルビンの

ロシア・ファシスト党は関東軍ハルビン特務機関の指導下にあったため、総領事館や警察当局は白系ロシア人ファ

シストによるユダヤ人に対する攻撃の抑制に有効な手立てをとることができなかったのである。

(15)

四七カスペ事件をめぐる在ハルビン・ロシア人社会と日本 一九三三―一九三七 した一九三五年一月二三日付警察資料(哈警特秘第一〇一号)は、ハルビン警察庁がファシストら過激な白系ロシ

ア人を保護してユダヤ人迫害を黙認しているとの「風評」は根拠がないこと、純然たる刑事事件以外には組織的な

ユダヤ人迫害は発生していないこと、反ユダヤ主義運動の背後に日本軍部の存在があるというのは根拠のない想像

であること、を指摘していた

47

。さらに森島は、「本件ノ背後ニ日系官吏カ潜在シタルコト絶対ニナク犯人ハ満人検事

ノ手ニ依リ取調ヲ受ケ居レリ」と強調し、上海やニューヨークのユダヤ人の見解は「誇大ナル宣伝」であると論じた

48

ハルビン総領事館は、カスペ事件への日本人の関与を強く否定するとともに、ハルビンでの反ユダヤ主義的風潮

は組織的な運動ではないと強調した。しかし外務省は、事件への現地日本軍の関与を疑い、ハルビンの状況が国際

社会に与える影響を憂慮していたと考えられる。外務省の雰囲気は満洲側でも察知していた模様で、関東軍司令官

で在満特命全権大使兼帯の南次郎大将は広田外相に対し、ユダヤ人を激しく攻撃しているファシスト党機関紙『ナ

ーシ・プーチ』が関東軍の支援を背景に有していると想定されていることに鑑みて、関東軍参謀長が白系ロシア人

の反ユダヤ主義的傾向の取締りと新聞その他の宣伝に一層注意するよう関係方面に命じたことを報告した

49

。また森

島総領事は一九三五年二月、ハルビンでの反ユダヤ主義的傾向の高まりについて特務機関長の安藤麟三大佐と協議

し、対ユダヤ人工作は対白系ロシア人工作とは別に講ずることを取り決めた

50

こうして江口声明は世界中のユダヤ人社会に大きな衝撃を与えたとともに、日本の外交官をも動揺させた。外務

省はハルビン総領事館に対して、現地での反ユダヤ主義的傾向の鎮静化に努めるよう要請した。しかしハルビンの

ロシア・ファシスト党は関東軍ハルビン特務機関の指導下にあったため、総領事館や警察当局は白系ロシア人ファ

シストによるユダヤ人に対する攻撃の抑制に有効な手立てをとることができなかったのである。

(16)

四八人文学報 第四九〇号 二〇一四年三月

事 件 に か か わ る 情 報 の 混 乱

日本当局者がカスペ事件に関与したとすれば、それを論証することは可能であろうか。残念ながら現在の史料状

況のもとでは、それはきわめて困難な課題である。しかし当時から、事件にかかわるさまざまな情報に矛盾や食い

違いが存在したことが広く知られており、上述のように在哈フランス領事館で事件の捜査を担当したシャンボン副

領事が警察当局の無為無策を批判する声明文を密かに作成して配布しようとしたという事件も起こっていた

51

。この

文書そのものは現存しないものの、ハルビン警察庁の江口治刑事科長が詳細な反論を新聞に発表したため、その概

要を知ることができる。それによれば、シャンボンは九項目にわたって警察当局の発表に鋭い疑問を投げかけ、フ

ランス領事館の捜査に警察側が協力していれば事件を解決することが可能であったと主張していた

52

警察当局による事件の公式発表(および日本のハルビン総領事館報告)とシャンボン声明(およびフランス領事

宛シャンボン報告、以下両者を合わせて「シャンボン報告」と表記)との相違点は多岐にわたるが、ここでは(一)

警察当局によるフランス側捜査の妨害、(二)実行犯究明の過程、(三)犯人逮捕時の銃撃戦の模様、について双方

の主張を比較検討してみたい。第一の点についてシャンボン報告は、フランス領事館が雇ったロシア人探偵キムス

タチがカスペ誘拐犯を発見したかもしれないと考えたハルビン警察庁刑事科のニキフォロフ捜査員が前者を逮捕し

て、フランス領事館の要求にもかかわらずキムスタチを釈放しなかったと糾弾した(本稿四二頁参照

53

)。これに対し

江口は、キムスタチがカスペ誘拐事件をファシスト党の犯行とみて警察の捜査を妨害した、と反論した

54

。第二の点

については、シャンボン報告では実行犯グループ解明の端緒を、一〇月に逮捕されたにもかかわらず釈放された実

行犯の一人コミサレンコをフランス側が逮捕して一一月一五日に自白させたことによるとする一方、公式発表は、

一〇月九日にイワノフなる人物が逮捕されて彼の自白により犯行グループが判明したと説明していた

55

第二点に関連して奇妙なことは、日本総領事館の報告では事件解明の端緒についての説明が錯綜している事実で

ある。事件の公式発表の翌日である一二月四日に外務省に送られた報告では、一〇月九日に「白系露人ノ密告ニ基

キ同日犯人ノ一味」イワノフを逮捕したと、公式発表に沿った説明がなされている

56

。しかし同報告の一〇日後に在

満特命全権大使菱刈隆宛に送られた報告では、一〇月一三日にファシスト党員ボロトフが憲兵隊に出頭して、カス

ペ拉致事件がイワノフやハルビン警察庁刑事科捜査員マルトゥイノフ、ファシスト党員シャンダリらのグループに

より実行されたと密告し、この情報が実行犯グループの解明の端緒になったと指摘されていた。ただし同報告は一

一月一六日に犯行グループの一人コミサレンコがカスペ拉致犯行の一切を自白するに至ったとも指摘して、フラン

ス側主張にあわせるかのような説明もおこなっている

57

第三の犯人逮捕時の銃撃戦については、双方の主張が大きく異なっている。カスペ誘拐犯グループとの接触に協

力したコミサレンコの案内で実行犯の新たな潜伏先に赴いたハルビン警察庁の警官、フランス領事館のロシア人探

偵、ハルビン憲兵隊の憲兵および同憲兵隊通訳コンスタンチン・イワノヴィチ・中村(コースチャ中村)の一行は、

新市街の鉄道管理局に程近い一角で実行犯のキリチェンコとガルシコに遭遇して銃撃戦となった。シャンボン報告

では、銃撃戦となるや領事館探偵は犯行グループに応戦した一方、警察当局および憲兵隊は地に伏したまま何の対

応もとらなかった。身の危険を感じたコミサレンコは、中村通訳の銃を奪ってガルシコを射殺、キリチェンコはそ

のまま逃亡したという

58

。これに対し公式発表および総領事館報告は、銃撃戦をおこなったのは捜査部隊であり、約

二〇分の銃撃戦ののちガルシコを射殺、キリチェンコはナハロフカ方面に逃走したため四時間に及び捜索したが発

見できなかった、と説明した

59

シャンボン報告と警察当局の公式発表および日本総領事館報告のいずれの情報が正確なのかを判断するのは難し

いが、後者の内容にはいくつかの矛盾が存在することは注目に値する。すでに触れたように、日本総領事館報告は

フランス領事館の捜査に先んじて実行犯グループを解明していたと説明しているが、事件解明の端緒となった情報

についての説明が錯綜している。また、一一月一五日にフランス側の取調べに対して自白したコミサレンコの情報

参照

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