都 市 研 究 の 現 状 と 課 題
一 一 都 市 研 究 の 集 約 と
将 来 の 展 望 の た め に 一 一 一
(中)
東京都立大学都市研究組織委員会編
東 京 都 立 大 学 都 市 研 究 組 織 委 員 会
1 9 7 4・3
都市研究報告41
目 次
第..都市史研究の立場から(太田秀道・北島正元・石塚裕道〉
まえがきH・H・.....・H・.....・H・−−……...・H・.....・H・...・H・....・H・H・H・.......・H・−… 1 第5:1韓都市行政研究の回顧と展望〈赤木須留喜J
第1節都市行政研究の回顧・...・H・....・H・H・H・......・H・...・H・−…....・H・...1 7 第2節都市問題・H・H・...・H・−−−……....・H・...・H・−−…・………....・H・H・H・....25 第3節都市行政の展望
ー制御と統制の契機を求めてー…H・H・...・H・...・H・.......38 第6章都市施設研究の立場から Ull名古エ門・長倉康彦・高見沢邦良旬
序....・H ・.............・H・....・H・.....・H・...・H・.....・...・H・...・H・−…−…....・H・−−−…・ 51 第1節地域社会の変容・H・H・...・H・−−…H・H・....・H・H・H・.......・H・....・H・.....55 第2節地域社会の変容と施設整備H・H・−……H・H・.....・H・.......・H・...・H・.72
〈以下下巻J
まえがき
第 4 章 都市史研究の立場から
は田秀通・北島正元・石撮裕道)
歴史発展の過程で,継起的に登場・交替する諸国家 t民族Jないし社会に照 応する都市の諸形態は,都市史研究のうえで,古代都市・封建 t中近世j 都市・近現代都市として類型化される。しかも,それらの諸都市では,社会的 生産の諸関係と生産力の発展との聞に醸成される矛盾とその解決のための社会 変革がもたらす社会構成体の段階的移行という,世界史の基本法則の貫徹を前 提tら人類ないし人閣の多様な生存の様式が展開される。
ここでは都市史研究の立場から,そうした都市の歴史的展開をめぐる研究の 現状の課題を,都市発展の諸形態にあわせて,以下,要約しよう。
I 古代都市研究の課題
一ーオリエントおよびギリシ7 ・ローマの都市研究について一一 古代オリエントおよび古代ギPシァ・ローマの都市についての研究は,この 一世紀聞における考古学および社会人類学の長足の進歩の結果,従来の制度史 的研究の砕をこえて,長期の人類史の展望のもとに都市の発生と発展を観察す ることができるようになった。その結集まず都市起源論の深化がみられ社会 的分業および階層分化の進展との蝿係において都市の発生をとらえることが一 般化した。それと同時に,各地における都市の研究が進んだため,都市の発生 は自生的か文化伝播の結果かという古くて新しい問題が前面に現われてきた。
都市研究の多面化は,都市を機造と機能との不可分の調達においてとらえる
−]:ー
ことを方法的に要請することとなョた。この要請は三つの局面を内包する。す なわち, (jf都市を構成する諸要素の結合の仕方およびそれぞれの機能, (jj祉 会 構造のなかにおける都市と農村の位置およびそれぞれの機能, OiD以上二つの局 面の内的関連などである。
したがって現代における古代都市研究は,古代国家諸形態ないし諸段階一 的東洋的専制国家,(ロ)東地中海周辺の小規模な貢納王政,十湖中海・黒海周辺 のポリス国家,判へレユズム世界およびローマの世界帝国ーのそれぞれに 即して展開されなければならない。
これらの古代国家はいずれも何らかのかたちの共同体と階級関係とのいろい ろな結合として実現されていたから,そうした園家構造の原理が都市の構造・
機能の三局面にどのように実現されていたかとし、う問題は,都市研究の重要な 課題とならなければならない。
古代オリエントの都市は,その主要特徴として,専制j国家機構と密接に関連 する行政中心,軍事中心,宗教中心,貿易中心といョた性絡をもら農民共同 体の自生的発展の結果として都市が形成されたのかどうかは疑わしい。しかし 港復農業の発展,王権強化による専制的領域国家の形成と都市の発生との関連 を解明することは,古代都市研究の重要な課題の一つであり,ことに研究資料 にめぐまれたシ且メール社会について,このプロセスを究明することが重要な 意味をもョ・ている。このばあい,デスポテイズムを運命的にはじめから固定さ れた結果としてとらえることなく,歴史的発展を,矛盾した可能性を包蔵しつ つそのなかのどこかが現実に転化する動的な過混としてとらえることが必要で あり,こうした可能性の幅を考えておくことによョて,例えば国家形成過程の オリエントの道と古典古代の道との対比といった比較史的研究に素材を与える ことができる。ジzイコプセシの原始民主政書偽吟味にあョても,こうした視 角が必要である。
東地中海周辺の貢納王政のもとにおける都市は,王宮所在地のほかは未発達
‑2‑
であっ たようにみえるが,それは手工業の発達がそれほどめだたなかったこ担 と関連するのであろう。線文字B文書が明らかにした王国の社会構造は,従来(~)
一世に考えられてきた未聞から文明へ,あるいは原始的農民共同体からポリス 共同体への過渡期という歴史像を修正することを要請している。したがって都 市研究も,この歴史像の修正に伴って,王宮周辺は都市といってよいようなも のになョていたといえるか,という根本l渇遍から再出発しなければならなし、o'
もしそれらが都市の名に値するものであョたとすれば,それらは沿海都市と いう性質を多分にもョていたはずであり,貿易はどの程度発達していたのか,
また貿易は都市の様相にどんな作用を及ぼしていたのか,といったことが明ら かにされなければならない。
古典古代のポリス国家においては,都市はポりスの中心にすぎず,ポリスは 農村に住む農民を含む市民共同体の国家であョた。この騨皆における古代都市 の研究は,古典古代学の伝統である制度史的研究ないし国制史研究という性格
‑ ' ,, (3) (4) 』>1
を強くもっているが, クーフノν品,プルクハルhエーレンベルグゐような 理念型的特徴づけは,依然必要である。ここでの基本的問題は,ポリス国家の 形成とその形態変化が奴隷嗣jおよび商工業の発展と内的にどのように調達して いたかということであろう。貴族政・轡主政・民主政を経てポリス国家の衰 退に至る政治過程の動態を,奴隷制の展開過程からどれだけ説明できるかとい うことが問題の核心であり,外函の研究を含めて現代の古典古代学は,これに 十分答えられるに至ってはいない。自由の傍らに隷属ありとするルソーの鋭い 指品位,科学的に統一あるものとして解決されなければならないはずであョて,
このことなくしては古典文明と古代民主政の正しい評価は不可能である。ポリ ス社会の変質過程は,土地所有・相続権・海上貸付などの面からしだいに明ら かにされてきているが,市民共同体解体の原因とそのプロセスを明らかにする のが基本問題であり,奴隷制の発展や商工業の発展や貨幣関係の発展や愛国心 の喪失を平行現象としてとらえるにとどまらず, この全過程の発展の論理を追
‑3‑
跡することが必要である。このばあい,ギリシア史を氏族・国家・個人の相互.の
(
絡みあいの発展としτとらえたグロッツの考え方は,改めて検討されなければ句
ならなL。、
ヘレニズム世界およびローマの世界帝国支配下の都市については,まず 第一に都市建設とその役割が論定されなければならない。ついで古代社会の没 落における都市の役割いかんという開通が解明されなければならない。このば あい, ロストフツェ J~らウ茸ールパン凡,中流市民没落によョてひきおされ
る都市と都市文明の衰退に古代社会没落の原因を見る見解と,奴隷制および土 着農夫制の相調的変化がどのようにつなが宮ていたかを検討することが必要で
‑0) !JI)
ある。したがョてまた, ドープシz学説やピレンヌ学説のこの視角からする再 検討も必要となョてくるであろう。蛮族の移動と都市衰退の関係,キリスト教 の都市の機能と様相に与えた影響といョたこともまた,都市研究の諜題となっ てくる。沿海部市から内陸部市への繁栄中心の移動もまた,当然研究の視野に 入ってくることとなる。
!l)Thorkild Jacobsen. P rimitive Democracy in Ancient Mesopotamia・, JNESll, 2 ( 1943 ),
P ・ 1 5 9 f f. Cf, J am es B. Pr i t ch a rd ( e d ), An c i en t Near Eastern Texts. Princeion University Pres s 1950, P, 4 5. M, Di a k on of f,Main Features
。f the Economy in the Monarchies of Ancient Western Asi a, T hird International Confe r一
e n c e t o f E c o n om i c H i s t o r y, Mu n i c h 1 9 6 5, P. 13‑3 2 (2) Mi ch a e 1 Vent r i s ーJohn Chadwi c弘 Documents in
Mycenaean Greek. Cambridge University Press 19 5 6.太田秀通『ミケーネ社会崩壊胡の研究』岩波書店1968.
‑4‑
(S) Numa Denis Fustel de Coulanges, La ci te antique‑Etuede sur le cu lte, le droit, les institutions de la G re ce et de Rome.
Huchett e』 Paris 18745.
(4) Jakob Kristoph Burckhardt (Herausg. von Jakob Oeri), Griechische Kulturgcschichte. 2 Bde. Spemenn, Berl in unrd Stuttgart 192 43. (5) Vi ct or Ehr en be r島 Der St aat der Gri echef¥ 2
B de. Te u b n e r Ve r 1 a gs g es e 11 s ch a f t, Le i p z i g 1 9 5 7.
Polis und lmperium・Artemis Verlag, Zurich und Stuttgart 19 6 5.
(6) 『社会契約論』 岩波文庫, p・13 5.
(7) Gustave Glotz, La cit'e grecque. La Renaiss‑
ance du Livre, Paris 1928.
(8) Michael Rostovtzeff, the Social and Hconom‑
ic History of the Hellenistic Worl<¥ 3 vols.
Oxford University Pres s 1941. A History of the An c i en t Wore d, 2 v o ls. Oxford at the Clarendon Press 1927.
(9)F.W.Walbank. the Decline of the Roman Empi‑
re in the West. Cobbett Pres s』 London 1946.
(It) Alfons Dopsch,Wirtschaftliche und soziale Grundlagen der europaischen Kulturentwick‑
1 an g, Se i de 1, w i en 1 9 2 O.
(U) Henri Pirenne, Histoire 'econonique et soci‑
‑5一
ale du moyen age. Paris, Presses Universit‑
a i r e s d e F r a n c e , 1 9 6 3.
I 封建都市の研究動向と問題点 一 江 戸 に つ い て 一
日本における封健都市の分折は,歴史学および歴史地理学の立場から,商業 都市とならんで,城下町・門前町その他をめぐって,すでに明治期後半からす すめられ,江戸の研究も,その一環として展開されてきた。
とくに,西欧の都市研究法を前提とした康史地理学の研究者杭ます対象と したのは,日本の古代都市であり,ついで,歴史学研究者も,その検討の中心 を封建都市へと拡大していョた。
しかし,そうした状況のなかで,その後の研究成果の集積にもかかわらず,
現在でもなお,江戸を含む封建都市の解明には,きわめて多くの課題が残され ており,とくに農村研究の進展と対比して,都市の構造的分折出遅れている といってよL。、
その理由を,当面指摘するとすれば,およそ,つぎの2点に集約できょう。
すなわち,第1は,都市研究に不可欠の前提である関係史料杭社会変動による 都市在住の諸階層の流動也あるいは頻発する大火災その他の都市災害などに
よョて,著しく散失、した結民そのことに由来する史料的制約が,都市研究の推 進を,阻止ないし停滞させてきたという状況に,われわれは注目する必要があ る。第2は,封建都市とくに「江戸」の科学的分折に必要な研究方法の確立の 必要性である。従来,江戸の研究については,風俗・趣味・文化などに関する
「好事家j的観察が多かョた。それらは江戸の分折については,一応の素材に なりえても,科学的な研究それ自体とは,別個のものであるといわなければな らない。
以上のような史料的制約と研究方法の未開拓の状況のもとで,封建都市=江
‑6,.‑
戸に関する研究成果がいかに蓄積され,またそこ民どのような胡題点が,今 後の課題として残されているかをみよう。
戦前,とくに昭和期において,江戸研究の先駆的役割を果したのは,大阪と は
ともに,江戸をその対象にとりあげた幸田成友,中世都市の分析をすすめた原) 田伴長)また江戸の職人などについて検討した遠藤誠それに近世人口抗
(4) まとめた関山直太郎ら諸氏の業績である。
ここでは,幕藩体制下での江戸の都市域の拡大過程や都市の社会開通都市 人口構成や人口問題その他,江戸の市街地の内部構造,あるいは,その特質が 具体的な史料解析をふまえてとりあげられ,究明されてきたといえよう。しか いその場合,考察の対象は,おもに完成された市街地域に限定されていたの みならず,なお,静態的な制度史分析の枠を克服したとは,認め難い。
こうした戦前段階で,封建都市ないし江戸の研究は,歴史学の領域において,
質量ともに,まだ,ょうやく,その基礎を築いたにとどま宮ていたことを,指 摘しなければならない。
戦后段階 (19 4 5年以降Jでの江戸の歴史研究は,戦前にすでに刊行を開 始していた『東京市史祷J(東京都・続刊中Jなどの基本史料に加えて, 『旧 幕府引継書』【マイクロ・フィルムjあるいは問屋関係・近郊農村史料などを 加えた多彩な史料群の発掘とあいまョて,隣接人文・社会科学の方法論をも摂 取・利用しながら,新たな研究領域を拡大した。
そうした比較的に早い時期の戦后研究成果の代表的事例には,城下町の形成 と構造を総合的にまとめた豊田武の封建都市分説)また,職人層の態様などを 含む江戸研究をおこなョた野村兼太郎の業£それ国本又次による株仲間の実
証的分#lf~ どがあり,さらに歴史地理学の部門では松本豊寿が城下町の都市機
18)
能を追求している。しかし,この研究成果には,なお社会経済史的視点にたョ た問題意識の導入が必要であろう。
このような先駆的業績に続いて,e江戸の歴史的考察は,ょうやく幕藩体制社
会のなかでの都市的機能と,その構造の特貨を解明するための個別研究の深化 と蓄積にむかつてきた。
,(9) jJO)
それらは,例えば,北島正元その他,また林玲子による近世の問屋と問屋仲 間を中心とした江戸の都市商業資本の経営史的分析,あるいは,江戸の奉公人 などの社会問題を恥鳩糊の研殺そ制こ近年の世直し状ぬの問題視点を
.02)
ふまえた松本四郎の誠市民衆斗争などの業績か,江戸研究の最新の動向を代表 するとともに,理論・実証のうえでも,たかい水準を示している。
ところで,そうした個別研究の発展と蓄積がもたらす今後の課題の一つt丸 それらの研究成果を前提に,封建都市=江戸の全歴史像とその特質を,いかに 再構成するかということであり,いわば総合作業への指向を,どのように具体 化するかという問題である。その点で,西山松之助を中心とする江戸町人分析 の共同研究と, 『東京百年史』(第 1嘗仰 jの内容は,そうた併究の総合化への 一つの試みとして,有意義であろう。
ついで,従来の江戸の歴史的分析について指摘される方法論上の問題点山 都市を戦後における農村史の飛躍的進展とその成果との関連で理解しなければ ならないことである。とくに江戸をその J地廻り経済圏」の形成・変質との 結びつきにおいて,換言すれば都市と農村との有機的ないし総合的理解杭よ り積極的に推進される必要がある。この分野で伊藤好ーの研究成果必貴重な データを提供した。さらに,これまで恋意的または趣味的に観察が加えられて きた江戸文化についても,幕議体制社会内部での機能や特質を考慮したうえで,
理論的な追求もあわせておこなうことが今後の課題であろう。
そうした作業の基礎として,研究史の整理や関係文献目録の刊行など偽有
益であ g~
(1) 『江戸の市制J(岩波書店, 1933年J
(2) 『日本封建都市研究J(東大出版会, 1957年J
−&−『
(3) 『職人の歴史J怪文堂, 1 9 5 7年J
(4) 『近世日本の人口構造』〈吉川弘文館, 1 9 5 8年J
(5) 『日本の封建都市J(岩波書底 1 9 5 2年J
(6) 『江戸』怪文堂, 19 5 8年J
(7) 『株仲間の研究J(有望調, 1 9 5 8年J
(8) 『近世城下町の歴史地理学的研究J(吉川弘文館, 1 9 6 7年} (9) r江戸商業と伊勢店』〈吉川弘文館, 1 9 6 2年J
帥 『江戸問屋仲間の研究』〈お茶の水書房, 1 9 6 7年J
ω r江戸の社会構造Jc塙書房, 1 9 7 2年J
(1~ 「幕末・維新期における都市の構造j er三井文庫論叢』 4)その他,
(l:f 『江戸町人の研究J4巻(吉川弘文偽 1 9 7 2年以降)
ω r江戸地廻り経済の展開Jc柏書房, 1 9 6 6年J
側北島正元「日本の町ーその研究史と問題点j t地方史研究協議会編
『日本の町ーその歴史的構造Jc雄山閣, 1 9 5 8年J,関東近世史 研究会編『蝿東近世史研究論文目録』〈柏書房, 1 9 7 3年J
I 近代都市研究の成果と課題 一・明治期の東京を中心に
日本における都市の歴史研究カL封建都市の諸類型や内首帰造,あるいは商 業資本の特質ないし都市民衆運動などの領域において,しだいに多彩な成果を 集積しつつあることは,前述した通りである。
それに対して,近代都市の検討は,最近,産業史・スラム問題・民衆運動史・
都市政策史などの立場から,しだいに推進されるようになったが,まだその端 緒的段階にあるにすぎない。
ここで,それらの事例と問題点を要約すれ叫まず,直也都市史研究の成 果ではないが,各種統計事4や胡係史料の整理・加工を通じて,明治初年以降の
全国的産業発展に関する鳥撤的展望を試みた山口和雄・古島敏雄の作莱のなか
よ1)
いわれわれは,資本制諸産業の展開と推移の過程における東京での産業発展−
の位量づけとその特質を見出すことができる。こうした全産業構造のなかでの 東京の地位を確認しておくことは,今後の諸史料の収集と錬作による具体的な 実態分析の基鑓としての意味をもっている。
これらの諸業績に対して,津田真徽t:t,都市への農村人口の流入とスラムな (2)
どに関する考察を中心に都市下膚民の実態にせまり,また宮地正人も,帝国主 義成立期の東京における都市住民の諸階層の追求を試みぜ)ともに都市民衆運 動の展開の前提について,注目すべき研究成果を収めた。
さらに近代都市として形成された東京は,当時の国際的条件のもとで「首都j として縫定され,その後の展開を保証される過程で,国家権力による都市政策 が,その近代部市としての発展の方向を,いかに規定したか,その問題を都市 計画史に視点をあわせて解明を試みた作業がある。こうした事例として,もョ ともはやし高木鉦作が,都市法制の角度から, f都市計画法Jの規定につ
(4)
いて展望を試みた。さらに石塚裕道は,その研究成果をふまえ,明治10年代 (1 8 8 0〜9 0年前後Jを中心に,東京改造の諸構想と築港論を具体的な史
(5)
料を通じて明らかにした。なお大正期の東京を対象に,その住宅・都市計画構 J6)
想を追求した福岡俊治の論稿も,明治期からの展望を含んでおり,多くの問題 を提起しているが,明治国家論や大正デモグラシー運動との関連が希薄で,都 市史研究の角度からみると多少不十分の側面が指摘されよう。
すでに,紹介した若干の研究成巣とあわせて,近年, r東京都財政史』3巻,
r百京百年史』 6巻などが,東京都の事業として編纂の完結をみているが,こ れらを含め,今後の研究課題を,筆者の問題関心に焦点をあわせて,つぎに整 理しておこう。
まず,われわれは,近代都市=東京を,都市史の直接の研究対象としてとり あげる場合,そこでの問題意識と分析視角を明確にする必要がある。それは,
‑10‑
例え叫無目的な静態論的考察であヲてはならないし,また好事家的関心に終 始することは回避されなければならない。その点が確認されたうえで,東京研 究については,都市の形態・構造分析とともに,現状での無秩序な膨張と破局 的混乱杭過去一世紀聞の歴史的堆積の結果であることの認識を前提に「都市 問題J' 〈社会問題と環境問題Jの歴史的解析の緊急性と重要性が強調されな ければならない。
以上の指摘を具体化するうえで解明を要請される第 1の問題は,明治期・東 京の都市構造の分析を通じて,明治国家のもとで,資本主義の移植・育成と,と
もに, 「上からJ形成された「首都J〈=政治都市Jとしての東京の特質を明 らかにすることである。とくにこの時期での東京の産業構造が,商人・職人膚 などの都市小営業者による雑貨・手工芸品生産を内包したかたちで産業資本の 確立をみた点は,東京における都市零細小市民による民衆運動のあり方をも規
定したーと考えられi~
第2の問題は,産業資本の確立期以降,とくに顕在化する都市問題への着目 と,関係史料収集の必要性であろう。すでに紹介したように,都市問題の一部 分を占める社会問題について,都市スラムと都市民衆運動などに闘してti,若 干の研究成果がまとめられている。とくに,東京近郊農村から流入した没落小 農民膚や農家ニ・三男の余剰人口詳の都市スラムへの流入とかれらの雑業者イじ
そうした都市零細小市民の婦層的形成とその動きを前提とした都市民衆暴動
〈たとえば日露戦争直後の日比谷焼打事件などJの激発と伝播などについて分 (8)
析がすすめられた.さらに現在,研究のたちおくれから,緊急にその分析を要 請されている都市問題の一つに環境 t公害J問題がるる。たとえば都市大阪な どについては,すでに明治10年代に設立された大阪紡績会社による蒸気動力 の採用にらて,石炭による煙害が問題化し始めていた鞍に対しぞ)東京に おける誠市産業公害は,明治初年,殖産興業政策の屍掃の過程で,工部省深川
工作分局後の「浅野セメント j の前身J のセメント粉盛による降灰事,~.注
目される以外には,とくに知られていない。資本主義成立期には,まだ産業公 害の発生源も少なし汚染も局地的範圏に止まり,広域的な公害開通などは,
まだ発生していなかったが,以上の実例のみからみても,各都市の公害はそ れぞれの産業構造の特質とふかく関連をもっているといわなければならない。
こうした公害史の研究は,各都市の公害規制や反公害住民運動などをも含めて,
資本主義の再生産構造のなかでの位置づけを試みつつ推進される必要がある。
第3の悶遍は,都市計画ないし都市政策の歴史的検討の重要性である。明治 初年以降東京は,その「首都Jとしての性絡から,国家権力による都市造成 の比重が大きく,その意味で,東京の歴史的発展の過程に占める都市計画史追 求の意義はみのがせない。明治期・東京の都市計画は,幕議体制社会での江戸 の市街地構成をロンドン・パリなどの西欧都市をモデルに改造することから開
。
始された。それは「条約改正。 JとL、う明治国家の直面した国際条件のもとで推
進された「文明閥化J政策の意図をも内包していた。したが宮て,国家権力に よる東京の改造はモデルがその土療に適合するか‑e‑かの検証を無視した強制 的移植のかたちをとる過去との断絶であョたため,そこでは急速に矛盾が露呈 せざるをえなかった。さらに東京の都市改造計画は,それが「富国強兵Jとい う明治国家の対外的侵略政策に従属しつつ縮小ないし挫折をよぎなくされたこ とが.現段階での東京の破局的混乱のー要因になョている点を挙げておかなけ ればならない。このことは明治前婦における東京市区改正事業とその准移を検
討するとき,きわめて明縫になるであろ~~
われわれは,以上の間緬点を指摘したが,近・現代都市史の分析に.i~ そ
の研究方法ないし理論の深化と隣接社会諸科学との緊密な共同研究体制の確立 とが要請されていることを,改めて再認識したい。
(1) 山口和維『明治前期経済の分析』〈東大出版会, l 9 5 6年J,古島 敏雄『資本創生産の発展と地主制J(お茶の水書房, l 9 6 3年J,同
‑1'2ー
r産業史』 E【体系日本史叢番12,山川出版社, 19 6 6年J (2) 『日本の都市下層社会J(ミネルバ書房, 1 9 7 2年J
(3) 『日露験後政治史の研究ーー日本帝国主義形成期の都市と農村ー』
【東大出版会, 1 9 7 3年J。
(4) 「都市計画法J縄飼信成他繍『日本近代法発達史J9 (動車書房,
1 9 6 0年J
(5) 「19世紀後半における東京改造論と築港問題j t東京都立大学都市 研究組織委員会編『都市の成立とその歴史的展開』2所収}。
(6) 「大正期の都市政策ー住宅・都市計画構想の展開ーJ十和国t東 京都立大学『法学会雑誌』 11‑2, 1 2 ・‑1, 1 3 ‑1)
(7) 例えば,石塚裕道『日本資本主義成立史研究』(吉川弘文也 1 9 7 3年J第6章参照。
(8) 中村政則他「帝国主義と人民ーくゴL・五民衆暴動〉〈日比谷焼打事 件Jを め ぐ ョ て ーJ C『歴史学研究』 32 7号)e
(9)小田康徳「戦前大阪の煤煙問題JL『歴史と神戸』 53号J,向f『公 審』概念の形成J〈『日本歴史』 299号Jなどを参照。
帥 神 岡 浪 子 編r資料近代日本の公害J(新人物往来社, 19 7 1年 九
『東京百年史』第2巻 t東京都, 19 7 2年J第4編 第2章参照。なお 神奈川県立川崎鍋書館編『京浜工業地帯公害史資料集』〈明治43争 唱 和16年う( 1 9 7 2年)も重要史料として挙げておきたい。
ω 注.(5)の前掲論文参照。
{1~ 東京市区改正事業については,まだ本格的な研究がないが,当面L
『東京市区改正事業誌』 C東京市区改正委員会編, 19 1 7年 九 石 嬢 裕 道 「 明 治 期 に お け る 都 市 計 画 一 東 京 に つ い て ー J(東京都立大学 都市研究会編『都市精進と都市計画』東大出版会, 19 6 8年Jなどを 義障されたい。
仰なお,近・現代都市史研究の全体にわたって,柴田徳衛『現代話市諭』
〈東大出版会, 1 9 6 7年jも,参照文献として,重要である。
IV むすび
われわれは,これまで,三か年にわたり, 「都市の成立とその歴史的展開J
の課題のもとに,前記の研究状況をふまえて,世界の諸都市ーその場合,と くに江戸・東京の分析にも焦点の一つをあわせてきたがーについて, !fl史的 検討をかさねてきた。そこでは,おもに,歴史学・経済史学と建築史学の諸分 野の研究者から成る共同研究体制を前提に,語科学の密接な協力と成果の交換 が,同一の大学において学部や学科の枠を越えたかたちで推進さ九学間交流 が意図されてきた。
また各研究者のもつ個性と独自な分析の方訟が,それぞれの学聞を支える個 有な発想、と問題意識に支えられ,自から,各自の併究の視点を,かたちづくっ た。それらは,巨視的にみれば,各都市の社会構造・機嫌・制度,あるいは都 市内部の生産・流通関係,または都市政策〈とくに都市計画jなどの諸編成を 主要な分析の対象にすえた社会科学C歴史学・経済史学Jと,都市の形態・景 観などの研究を重視しながら,人編ないし人間生活について,そのフィジカル な「容器Jとしての郡市の構造〈たとえば建造物Jに関心をよせる都市工学
Cさ築史学Jというこつの併究部門から構成されている。各研究者は,それぞ れ,古代から近・塊代まで, 日本・中央アジア・ヨーロブパなど,多様な研究 対象としての誠市を分析の素材にすえながらも,各自の問題関心と研究成果を 基礎に,分析をすすめてきた。
しかし,現在,研究課題の総括の段階において,筆者は,なお,以下の問題 を指摘すると同時に,反省の一つの材料にしたし、と考えている。
第1の胡題点は,世界史の発展段階に照応する都市の形成・展開の法則性の 漫論的追求について,なお共通の認識に到達するための共同討議が不十分であ
‑14‑
ゐたことであろう。これは「都市概念Jの共同研究の一定の成果に対して,わ れわれの都市史研究の部門で,研究方法論に関する意見の交換が,なお不足で あ宮たことを示すものと思われる。
第2の問題点は,現時点における都市研究の重要性と緊急性をめぐョて,各 研究者が,都市史研究に課された現実の課題の解決を,いかに考えるかという ことである。これは,たんに,現代の東京における都市政策や都市問題に分析 の焦点をしぼって,その都市史考察を推進すれば,それで解決するという間越 ではなく,都市史研究者の全構成員が,いかなる立場から,なぜ都市を研究の 対象に設定するかという,最も基本的問題にかかわるものといわなければなら ない。
く付i!C>
本稿~1,当初,都市史研究グループの全構J官員の口頭報告と討議を基礎に,
筆者〈石塚裕道)の責任で,まとめる予定であ9たが,各研究者の個人的事情 もあョて,それが呆せなか宮た。
l古代都市研究の課題については,担当者太田秀通氏から,直接,執筆され た報告書を提出していただいた。
E封建都市の研究動向と問題点については,担当者北島正元氏の口頭報告を もとに,奉者の責任において執筆した。
Wむすびについては,口頭報告と討議とは別に,都市研究組織委員会の要請 により,まったく筆者の個人的私見のかたちで付け加えた。
なお建築史学の研究担当者からも,口頭報告と討議をいただいたが,筆者の 能力と締切り時間の制約から,まとめることができなかョた。
この結果,全体として,研究グループ全員の意見と成果を,十分に反映した ものとはならなかーた点を読者におわびしたい。
第 5 章
都市行政研究の回顧と展望
( 赤 木 須 留 喜 )
第1節都市行政研究の回顧
わが国の都市行政研究会回顧するばあい,都市の勃興とともに都市研究があ り,またありうるという立場にたてば,都市研究の回顧も,歴史をさかのぼ宮 てその源流をつきとめなければならないことになろう。これは,見方にょうて は,歴史学の領域に立入ることを意味する。そうではなく,問題をより現実的 にしぼョてみると,わが国の都市行政研究の起点t丸東京市長後藤新平が,ア メリカのC・A・ゼーアドを大正中期にわが国に招袴した時点にはじまる,と い宮てよい。このζと出戦後,都市行政研究が新たにその端緒にっこうとす
は
るときに,行政学の第ー入者,蟻山政道が認定しているところでもあるh)筆
者は筆者なりに,この見解に賛成である。たしかむ明治末以降大正期にかけ ては,片山潜,とくに安部磯維によョて「都市社会主義Jが紹介され,都市社 会主義理論家といわれる先学の研究業績があョたことは,誰しも認めなければ ならないことではあるが,その研究水準と研究内容It,欧米における都市社会 主義の直訳的輸入・紹介という性格が強く,それらは,今日の研究水準からみ ると,都市行政の研究前史とみることができても,学問的な内容をもつものと は認められない。やはりわが国の都市行政学ないしは市政論研究のパイオユア は,アメリカ人のC・A ・ピーアドその人であ宮たというほかない。
ピーアドの「東京における行政と政治j (The Administration and Po 1 it i cs of Tokyo, 1 9 2 3)は,彼の日本に蝿する数ある論
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丸講演のうちでも, 「東京問題」に正面からとりくみ,その「行政jと「政 治Jの間遍を縦備に分析した名著である。ここではその内容に立入る余裕はな いが,東京に代表される日本の都市問舗の問題性,すなわち都市間起を都市開 通たらしめる諸条件を的確に摘記し,日本の都市がなぜ,そして,どのような
「都市同題。Jに直面しているのか?また直面しなければならないのか?それら を明確に解析した意味において,ピーアドは,わが国の都市行政のパイオユア だといわざるをえない。ピーアドの研究業績が,わが国の行政実務家によョて,
どれだけの評価をうけたかということとは別に,まず, このことを指摘しなく てはならないであろう。
ところで,ピーアドの東京研究すなわち戦前からの用語を借りていえ叫ピ ーアドのいわゆる「東京市政論jは,東京問題にどのような視角から接近して い宮たのであろうか。ピーアド東京市政論の第一の視角は, 「都市政府=t品
ユシパル・ガグアメント【municipal government Jの成立可能性を 米英型の理論と溢識を武器として,わが東京に適用しようとしたことにある。
いわば地方政府論からの比較研究がピーアドの般大の関心事項であョたといえ る。東京における地方自治ー「都市政府」を成立させる要件があるのかどうか。
それを阻害する諸条件があるとすれば,それはなにか。これがピーアド東京市 政論の第一の研究課題である。第二の視角は,第一のそれとの関連において当 然予測されるように,ピーアド東京市政論がアメリカ型,イギリス型の地方自
治をその分析の武器としていることがあげられよう。イギリスにおけるロイヤ ル・チャーターによるミ且ユ、ンパル・ガヴァメントのあり方,あるいはアメリ カにおけるホーム・ルールと州憲法との胡係は,米英流の地方自治にとーでは,
与件であョて,これが地方自治体を地方政府一都市政府たらしめる契機であ った。ピーアドは,この論理と歴史的・通験的事実を東京市政研究の基準とし て採用している。第三の視角は,右のーとこの視角から当然ひきだされること ではあるが,自治体が都市計画ならびに誠市計画事業の主体であるのかそれと
も客体かという閑語提起である。米英型の誠市政府は,右の二重要件を具備する が放に当然に都市計画の主体ー自治の主体として位置づけられる。ピーアド にとって出この点は,全く自明の事理というほかなく,疑問の余地すらもな い。それに対して東京市政の実態はどうであったのであるうか。日本の都市計 画の主体は誰で,客体は誰であり,またなぜそうでなければならないのである うか。何故郁市計画と都市計画事業が分断されたしくみにな9ているのか。こ れらの同題点は,戦前戦後を一貫して現時点にいたョてもなおくりかえされる 質問である。われわれが,ビーアド東京市政論をひもとけば,誰しも否応なし 鮮明な都市理論に接するであろう。それは,ピーアドの東京市政理論が以上三 つの要素をふまえた比較研究だからであろう。
以上の3点杭 ビーアド理論の基礎的要素である。そしてピーアド市政論の 切れ味は,これらの3要素を都市政府の不可欠の条件と設定して,それを東京 市政の分析にそのまま適用したところにある。したが司て,行政実務家はもと よりドイツ流の池方自治制度と理論によって守り固められたわが圏の;池方自治 制度のあり方に対して, ピーアド理論が鋭角的な胡れ味を示せば示すほど,そ の市政論が現実の行政になじまないという批判がでるとしても不思議ではない。
ピーアドの東京市政論がビーアド個人の東京市政論にとどまり,大陸流のそれ もドイツ流の地方自治理論を圃守して殆んど疑問すらも抱かなかった公法学者 側にも,いわゆる行政実務家側にも,これというた反応を引き出さなか4たこ との連自は,まさにここにあるのである。この対応関係は,いわば双方が双方 にと宮て観念論議であ宮たといってもよかろう。反面からいえば, ドイツ流の 官治行政と自治行政,固有事務と委任事務,さらには随意事務と必要事務とい う理論構成が, ビーアドの市政理論にと9ては,まーたく異質の,理解しがた い彼岸の存在だ宮たといョてもよい。しかしピーアド市政理論の基本枠組と分 析力,ひらたくいえばかれの東京市政論の切れ味は,右の三つの視角から東京 問題を地方政府論として解析し,組みたてようとしたところにあーて,それ以
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上でもそれ以下でもないのである。
さて,ピーアドの東京市政論が,まさにピーアドの東京市政理論であョたこ とti.,左に指摘したとおりである。ところが,そうであればあるほど,ピーア ドの東京市政論はピーアド限りであって,その後継者はなく,また,積極的に も消極的にも,ピーアド東京市政論を否定しようというこころみすら見られな
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かった。その結果,ピーアド東京市政論の名声のみ高しその理論構造の枠組 なり,比較研究の手法なり,さらには,能率と節約の理論とその具体策をその 清純な形のままで継受・発展させようという努力の痕跡は,都市行政の分野に 関する限り殆んどみられなかうたといョてよい。この点は, W・A・ロプソン の東京診断ーロプソン報告がほぼ同じ処遇をうけていることと極めて類似し
(3)
ている。ピーアド理論はいわばピーアド一代限りであーた。その理由』為すで に指摘したように,ヨーロヲパ大陸とくにプロイセン・ドイツ型の地方自治制 度,自治理論が,地方自治の制度として,教義として普通化され,それらがわ が国において土着化し風土化し定着していたからである。地方自治制度が鰯 度の理論を具備して教義化すれば,制度そのものはもとより,制度における精 神をその源流に遡ョて追究しようという姿勢はほぼ絶無となる。これがピーア
ド理論がうけつけられない根本の原理といえよう。
第2に,戦前期における,都市開通の内政にしめる比重について考察しなけ ればならない。ピーアド東京市政論が発表された時点から後,都市化とこれに ともなう都市問題の比重はかなりの深刻さをともなョてあらわれた。しかし,
戦前のわが国では,農村の比重が決定的に重いことと関連して,戦後の都市問 題が爆発的な問題状況を迎えたのと比較すれば,むしろ,ささやかな間愚農 村開通にi撤 す れ ば 副 次 的 存 在 に す ぎ な か 山 「都市問題
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いう認識すらも卒直なところなかョたといってもいいすぎではない。認識されていなかョ たという表現がきつければ,ややマイルドな表現を使用すべきであろう。だが いずれにしても,都市似都市問題なるものは,当時の農村間昆とりわけ昭