不確実性下の選択に基づく脆弱性の厚生評価に関する考察
― 厚生理論の一般化によるリスク費用便益分析の方法論 ― 朝日 ちさと 1 はじめに
21 世紀に入ってからの日本の公共事業関係費の予算は、人口減少に伴う社 会経済構造の変化及び財政制約から 2010 年までほぼ毎年減少を続けた。『構 造改革と経済財政の中期展望』(閣議決定、 2002)を契機として、2002 年度 予算においては約 11%の削減、2003 ~ 08 年度までの当初予算では毎年 3%
以上の削減が行われてきた(内閣府政策統括官、2012)。一方、2013 年 1 月 の政権交代にともなって経済政策の様相が変化し、「日本経済再生に向けた緊 急経済対策」(閣議決定、2013)では、経済対策関連として 10.3 兆円の国の 財政支出が決定した。当該経済対策では、東日本大震災からの復興加速、事 前防災・減殺のための国土強靭化の推進等の分野においてインフラの整備や 再構築の施策が謳われており、支出の少なくない割合が社会資本の整備や維 持更新に充てられると考えられる。これらの支出規模の変化の一方、財政制 約を取り巻く状況は変化しておらず、社会資本は整備や維持にあたって効率 化かつ重点化に向けてなお改革の途上にある。
このような状況のもと、社会資本ストックの課題のひとつとして内閣府政 策統括官(2012)が挙げるのが、「社会資本サービスのより正確な評価と維持」
である。すなわち、「社会資本の費用対効果分析の更なる精度向上等による真 に必要な個別の事業に対する「選択と集中」と併せて、マクロレベルで現下 の社会資本の状況を正確に把握するとともに、将来の適切な社会資本サービ スの水準を評価するため、今後社会資本が将来に渡って提供できるサービス 量(残存能力量)の評価方法を検討していく必要がある」と述べられている。
社会資本ストックの目的及び効果は生産力効果及び厚生効果に分けられるが、
本研究は、「基礎的なサービスの供給(国土・生命・財産の保全、居住環境・
保健衛生)」による厚生効果に着目する。近年、高度経済成長期に整備された 社会資本ストックの多くが経年化により維持更新時期を迎えていることに加 え、1990 年代の大型景気対策時のストックの維持更新および東日本大震災の 復興による大きな整備需要の負担が将来的に見込まれる。このような状況は、
厚生効果の維持と効率化とのトレードオフの問題を喫緊に検討する必要性を 生じせしめていると言える。
朝日・萩原(2012)では、以上の問題認識に基づき、社会資本整備による 脆弱性改善の便益評価モデルを提示するとともに、実証のために上水道サー ビスを事例として脆弱性評価モデルの前提を予備的に検証した。その結果、
脆弱性評価モデルの適用にあたっては、社会資本によって対応されるリスク に関する家計の知識や家計が直面する被害確率認知、すなわち社会資本整備 が対象とするリスク下における家計の選択に関する特徴を踏まえた検討が必 要であることが示された。特に、予備的検証においては、脆弱性評価モデル が家計の確率認知に基づくリスク下の意思決定を前提としているにもかかわ らず、リスクの種類によっては確率によるリスク認知が有意ではないという 結果が見られた。このことは、リスク認知が確率ではなく被害の大きさに拠る、
あるいは限定合理性に基づく確率認知のヒューリスティクスによるという仮 説も成立するが、一方で、家計にとって確率が未知である不確実性下の意思 決定の状況である可能性も示唆される。その場合、家計の選択に基づく便益 評価の枠組みの適否に関する論点も提示される。
本研究は、以上の問題意識に基づき、不確実性下の家計の選択という条件 のもとで、社会資本整備による脆弱性改善の便益評価モデルがいかなる条件 のもとで適用可能であるかを検討することを目的とする。次章では、 朝日・萩 原(2010)および朝日(2010)に整理されるリスク下の厚生測度、脆弱性の 概念とその評価モデルを概観し、検討課題を整理する。第 3 章において、便 益評価理論におけるリスクの前提を確率解釈および期待効用理論の特徴から 整理し、第 4 章において、その整理に基づく脆弱性評価モデルの条件を検討 する。第 5 章では、不確実性下における厚生の測定に関する考え方を、便益 評価が基礎をおく新厚生経済学のみならず、一般化された厚生理論 Branolini
(2011)の観点に基づいて整理する。さらに第 6 章では、一般化された厚 生理論を適用するツールとしてのリスク費用便益分析の方法論を Shrader- Frechette(1991) に基づき概観し、それらの知見を踏まえて、脆弱性の便益 評価モデルが、不確実性下の家計の選択という条件下で評価目的に対してい かなる根拠で妥当性と方法論が提示され得るかを考察する。
2 社会資本の経済的評価における脆弱性と厚生測度
2.1 リスクに対する政策の補償テスト
朝日・萩原(2010)は、経済主体の効用関数及び直面するリスクについて は同質であることを仮定できるとした上で、政策の費用および及びリスクの 種類について適合する厚生測度を Just, Hueth and Schmitz (2004)により整 理し、上水道システムの整備を事例として信頼性向上の便益に適する厚生測 度を整理した。ある結果とその確率を属性としてもつ条件付き財の市場が存 在しない場合には、適用すべき厚生測度は図 1 のように整理される。分類の 基準は、政策費用が固定的か状態依存的か、およびリスクが集合的か個別的 かという点にある。他方、そのような条件付き財の市場が存在する場合には、
fair bet point の期待値と政策の費用とを比較することで補償テストを行う。
たとえば、渇水リスクに対応するための整備が多系統の水源保有であるとす ると、そのための費用は固定的であり、断水・減水が生じる確率の低減は集 合的に生じることから、事前の補償変分であるオプション価格と費用との比 較により、費用便益による補償テストを行う。
事前の 補償変分
(オプション価 格)
事後の 補償変分
fair bet point の期待値
一般補償問 題の解 集合的リスク
個別的リスク 政策費用
固定的
政策費用 状態依存的
図 1 リスク回避的経済主体の厚生測度(朝日・萩原、2010)
2.2 脆弱性の評価モデル
リスクに対応する社会資本整備の便益評価に際し、 朝日(2010)では Alwang, Siegel & Jorgensen(2008)をはじめとする脆弱性の概念および貧 困研究における脆弱性の経済学的なモデル化をレビューし、社会資本整備が 脆弱性を改善する効果を便益評価に反映させることの有効性を考察した。 さ らに朝日・萩原(2012)では、脆弱性の便益評価モデルを提示した。ここに 再掲しよう。
家計による水道水の消費水準を y とする。家計が生存あるいは生活に最低 限必要とする水の消費水準は z であるが、災害や施設事故による突然の断水 や渇水による減圧給水・断水の影響により、y が最低限の消費水準 z を下回 る状態が生起する可能性がある。その被害確率をπaとする。πaは、公的な 水道施設の整備水準 G および家計のボトル水購入等の回避行動(私的投資 R)
によって低減させることができる。すなわち、πa = πa (R,G,z)と定義され、
結果として実現する消費水準も私的投資 R および公的な整備水準 G によって 決まる。家計の水消費に関する意思決定問題は、公的な整備水準 G および所 得 M を所与として、選好関数 I を最大化するように回避行動への私的投資 R を決定することである。
Max I = f
(
M, y(
R, G)
, πa)
(1)πa = Prob
(
y(
R, G)
< z)
(2)このとき、家計はなおも最適選択の結果として実現する水の消費水準 y が 最低限の消費水準 z を下回るリスクに直面しており、その確率をπpとする。
家計の最適な水への投資 R*のための 1 階の条件および確率πpは次のように 表される。
∂I
∂R = ∂f
∂y
∂y
∂R + ∂f
∂πa
∂πa
∂R ― ∂f
∂M=0 (3)
πp = Prob (y (R*, G) < z ) (4)
すなわち、家計は所得 M と公的な水道の整備水準 G を所与として水への 最適な私的投資 R*を決定するが、確率πaの認識が完全ではないため、結果 として実現する水の消費水準 y は最低水準 z に満たない可能性がある。この とき、事後の確率πpは最適選択 R*に依存する。ここで「確率πaの認識が 完全ではない」とは、「πaを実現するつもりで R の最適選択を行ったが、y の消費水準が実現した時点(事後)からみるとπaと異なる確率πpに直面し ている」ことを表す。よって、ここでは、πaを事前確率、πpを事後確率と し、 πa =πpとなる最適選択R*が実現する状態を完全予見と呼ぶこととする。
最適な水への投資 R*が行われているときに実現する水の消費水準を y*とす ると、y*は(1)式、(3)式および(4)式より次のように表される。
y* = y (M, y (R*, G), πp (R*,G ,z )) (5)
この最適な消費水準がある絶対水準を平均的に下回ることを脆弱性と呼び、
公的な水道の整備水準を変化させたときの脆弱性の変化を厚生として把握し たものが、脆弱性の経済的な評価である。
2.3 脆弱性の概念における選択の状況
脆弱性の評価モデルにおける家計の選択の状況は、通常のリスク下の意思 決定と異なる。リスク下の家計の選択では、家計はある選択による効用水準 が実現する確率を知っており、その上で期待効用を最大化するような選択を 行う。脆弱性のモデルでは、家計は事前にリスクに対して最適な意思決定を 行っているが、それでも損失を被る可能性、すなわち事後のリスクに対する 評価を行っていることになる。すなわち、自らの選択による効用が実現する 確率を完全には知らない状況が想定されている。もし家計が認識する被害の 事前確率と事後確率とが一致するのであれば、家計は私的投資によってリス クを意思決定に内部化することができ、公的投資の価値のうち、家計が把握 できない事後の被害確率を低減することの効果はなくなる。反対に、家計が 被害確率に関して完全予見ではない場合、公的投資を脆弱性の観点から評価 する必要性が生じることになる。
このように脆弱性モデルでは、家計の選択の状況が、選択による結果の確 率を予見できるリスクの状況ではなく、それが想定を外れる不確実性の状況を 対象としている。選択がリスクの状況にある場合の厚生測度については 2.1 に 整理したが、不確実性下の選択を基礎とする厚生測度については、リスク下 のそれを拡張した考え方が適するか否かの検討が必要である。検討の視点は 2 つある。第一に、家計の選択が実際に不確実性下の状況にあるかについての 実証的視点であり、第二に、不確実性下の選択を基礎とする厚生測度とはど のようなものかという理論的視点である。朝日・萩原(2013)では、前者につ いては予備的検証方法を提示し、アンケートと水道業務指標データを利用し た試行により、家計による水道システム由来の量的リスクは客観的な事後確率 ではなく事前のリスク認識によって選択される可能性が高いことを整理した。
本稿では、第二の視点について、不確実性下の選択に基づく厚生測度の規範 的な意味についての考察を試みることとする。次節では、脆弱性評価モデル を検討する基礎として、不確実性下の選択と厚生経済学的基礎を整理する。
3 不確実性下の選択と厚生経済学的基礎
経済主体のリスク下における意思決定は、便益評価理論が基礎をおく厚生 経済学において、どのような設定のもとにあるかを概観する。脆弱性評価モ デルにおいて問題となる点は、結果の確実性を欠いた不確実な状況で家計が どのような確率判断を形成するのか、にある。よって、はじめに、不確実性 下の意思決定の状況の記述法としてのリスクと不確実性の考え方と、意思決 定モデルにおいて用いられる主観的確率の特徴について概観する。次に、便 益評価理論が基礎をおく新厚生経済学における期待効用理論の位置付けを整 理する。
3.1 リスクと不確実性 (1)リスクと不確実性
ミクロ経済学における経済主体の行動原理は、効用最大化であれ利潤最 大化であれ、目的に対して合理的な選択の意思決定を行うことである。で は、選択による結果が確実でない状況では、合理的な意思決定はどのように 行われるのか。Branolini(2011)によれば、伝統的な意思決定理論は、結果 の確実性を欠く状況における意思決定はある制約された推論のモデルに当て はめることによって記述してきた。その前提として、経済学では結果が確実 ではない状況を記述するために、リスクと不確実性の違いを区別してきた。
Knight(1921)による「計測可能な不確実性(リスク)」と「計測不可能な 不確実性」との区別は、経済学におけるリスク下の意思決定の基礎となる考 え方でありよく知られているが、それよりも前に Keynes(1921)は「2 つの 異なる変数がある場合、それらの 2 つの確率と確実性が序列で位置づけられ るという一般的な前提は存在しない」と述べており、確率が測定不能である 状況を想定している。また、Hicks(1939)では、「2 つの選択肢について、A は B より可能性が高い、B は A より可能性が高い、A と B は同じくらいの可 能性である、A と B は比較不可能である」という場合分けができることを述べ、
やはり可能性の比較が不可能である場合を分類している。そして、確率が測
定できるときにのみ、すなわち Knight(1921)のリスクの状況でのみ、合理 的な推論の意思決定モデルによって選択問題を扱うことができるとされる。
(2)確率の解釈
確率が測定可能であるか否かが合理的な意思決定の要件であるならば、確 率はどのように設定されるのか。 Gilboa(2009)によれば、事象の確率の考 え方は、古典的アプローチ、頻度アプローチ、主観的アプローチと展開して きた。さらに、Gillies(2000)によれば、今日における主要な確率解釈は、主 に 5 つ挙げられる。認識論的確率に分類される①論理説、②主観説(ベイズ 主義的解釈)、客観的(偶然的)確率に分類される③頻度説、④傾向説、そし て認識論的確率と客観的確率をつなぐ立場を主張する⑤間主観的確率である。
古典的アプローチとは、不十分な理由の原則(the principle of indifference)
により、すべての結果に同じ確率を付与する。つまり、n個の結果の可能性 があり、ひとつがその他よりも起こりやすいとみなす理由がないとき、それ ぞれの確率は 1/n とみなす考え方である。確率は、想定する結果の数 n 次第 で変わるため、起こり得る状態をもれなくすべてリストアップすることが必 要となる。ここで想定される状態空間は、言語によって表現されるため、理 解可能で言語化される限りにおいてすべての状態を記述することが可能であ る。しかしながら、ランダムに生起する変数 X が 0 から 1 の状態空間にある とき、X に関して何も知らないからといってそれが一様分布であると仮定す ることに必然性はないことを主な理由として、無差別の原理による古典的ア プローチには裁量の余地が大きく、本質的にアドホックであるとみなされる。
次の頻度アプローチおよび主観アプローチは、今日における 5 つの説に分 かれる。はじめに、①論理説では、確率を合理的信念の度合いであるとみな す。仮説に対して、また予測において、同じ確証を持つすべての合理的人間 は同じ度合いでそれを信じることを前提とする。この論理的アプローチを採っ た Keynes(1921)によれば、確率は個人の気まぐれに左右される信念ではな く、ある証拠が与えられれば合理的な信念に基づいて客観的に決定されるも のであると考えた。したがって、合理的な信念を形成するための経験が不十
分である場合、確率判断は直感や何等かの先験的原則の助けを借りるほかな く、そのようにして形成された信念とは必ずしも数値的に測定可能でもなけ れば、比較可能でもないことになる。
次に、②主観説では、確率とはある特定の個人がもつ信念の度合いであるが、
論理説と異なり、同じ確証をもつすべての合理的人間が同じ度合いで信念を もつとは前提されない。すなわち、曖昧な信念と直感を数学的にモデル化す るために、個人のある事象の生起に関する信念の度合いを確率とする。主観 的確率は、戦争の勃発や医学的治療の効果など、その生起を条件づける要因 が複雑であり頻度も観察困難であるような事象を、コインの裏表の生起確率 のように頻度が観察可能な事象と同等に扱うことを可能とする強力なツール であるが、その値を合理的に設定するために公理的なアプローチにより定義 や計算がなされる。
③頻度説は、同じ事柄の長い系列において、それが起こる一定の有限な頻 度を確率と定義する。すなわち、過去に観察された事象の相対的な頻度を確 率とみなすものである。大数の法則と中心極限定理に基づき、事象 A の確率 が p であるとは、A が起こるか起こらないかの実験を繰り返したとき、実験 の回数が無限になるにしたがって、生起の相対頻度が p に近づくことである と定義される。この考え方の背後には、過去の相対頻度が将来的にも起こり 得ることを信頼するという帰納的な推論がある。Hume(1748)の批判等によっ て、その帰納には論理的根拠はないことが指摘されている。ただし、相対頻 度による確率評価は、このような恣意性にもかかわらず科学的研究や日常的 な意思決定において用いられている。その理由として、意思決定者が単純さ を選好する傾向から、過去の相対頻度という分かりやすい考え方が採用され やすいことなどが指摘されている。
④傾向説では、確率とは繰り返される一連の条件に内在する傾向であると みなされる。ある結果の生じる確率が p であるとは、ある条件が何度も繰り 返される場合にその結果の生じる頻度が p に近づくという性質を、その条件 自体が持つと考える。たとえば、さいころをころがして 5 の目が出る確率は、
頻度説によれば、さいころ投げの回数が繰り返されると 5 の目が出る相対頻
度が近づく 1/6 となる。傾向説は、1/6 になる理由を、相対頻度ではなく「偏 りのないさいころ投げ」という条件に 求める。相対頻度ではなく事象が備え る条件や性質によって確率を表すことによって、1 回きりの事象に対する客観 的な確率が導出できると考える。
最後に、⑤間主観説では、主観説を拡張し、特定の個人ではなく、合意に至っ た社会集団が持つ信念の度合いを確率とみなす。これは信念の社会的な性質 に目を向けたものであり、信念は多くの場合、社会的な集団が共有している ものであり、個人が信念を形成するときにはその集団との相互作用が影響を 及ぼす。よって、集団の成員に共通の利益があり、かつ情報の流れと考え方 の交流があるならば、間主観的確率が形成されると考える。
3.2 便益評価理論におけるリスクの設定
(1)経済学における確率:認識論的確率と客観的確率
確率の哲学的解釈は、 Gillies(2000)によれば、論理説に対する主観説、お よび頻度説に対して傾向説が今日における有力な解釈であると主張されるも のの、広く受け入れられる唯一の解釈は存在しない(藤見、 2011)。特定の分 野における確率解釈の適用について、Gillies(2000) は一元論的な解釈ではな く、適用の分野あるいは文脈により有効な確率解釈が異なるとする多元主義 的な確率解釈を提唱する。その上で、経済学・社会科学には認識論的な確率 の採用が適しており、自然科学には客観的解釈が適していると述べている。
認識論的確率解釈とは、確率を人間の知識や信念に関係すると考える。つ まり、確率とは、知識、合理的信念、信念の度合いを表す尺度であり、論理説、
主観説、間主観説が認識論に分類される。客観的確率解釈では、確率は人間 の知識や信念とは関係のない客観的な物質世界の性質であると考える。つま り、人が知っていようがいまいが、どう信じようが、それとは関係なく存在 するものであり、頻度説、傾向説が分類される。
客観的確率は独立した試行を産み出す繰り返し可能な条件の集合の上に成 立する性質を持つ。繰り返し可能な条件は自然科学的な実験手法がうまく適 用されれば成立するが、経済学では繰り返され得る性質の試行ではない事象、
たとえば「投資判断を戦争終結に関する確率判断に基づいて行う」ことなど が必要となる。すなわち、「経済学における確率は、何かもっと広いものを意 味しなければならない(Hicks(1939))」。また、客観的確率は事象が互いに 独立であることを要件とするが、経済主体の意思決定は、互いに予期された 意思決定への反応としての性質を持っており、行為の独立性が確保されてい ないため、客観的確率とは異なることが指摘されている。
(2)便益評価におけるリスクの理論的基礎
① 期待効用理論
2.1 節で概観したリスク下の厚生測度は、Savage(1972)の期待効用理論 から導かれる。期待効用理論は、リスク下の意思決定において、効用を主観 確率で重みづけて期待値をとりそれを最大化する選択を行うものである。
期待効用の計算に用いられる確率は主観説による主観的確率であるが、期 待効用理論を構築した Von Neuman and Morgenstern(1947)は、Branolini
(2011)によれば、経済主体は主観的確率ではなく、ランダムな過程を支配す る客観的確率分布を知っていると仮定している。その理由は、期待効用理論 において確率を用いる目的は、個人の効用の数値的な推定を構築することに あるが、効用は主観的な概念であるから主観的確率による記述は、客観的な 数値化の目的に適さない。よって、最も単純な手続きとして、代替的に確率 を長期的な頻度として解釈することを主張している。しかしながら、確率の 認識論的な立場に立てば、経済主体はそのような客観的確率分布を知ること は困難であると考えられる。よって、ベイズ的な過程によって客観的確率の 推定値としての主観的確率を用いて期待効用を最大化するというモデル化が 標準となっている。
② 公理的アプローチの問題
主観的確率は、Savage(1972)の定理を中心とする一連の公理によって求 められる。すなわち、意思決定主体がそれらの公理を満たす well-defined な 選好を持っているときに、主観的確率を求めることができる。逆に言えば、
選好があまりにも不完全にしか定義できず Savage の公理を満たさない状況 では、主観的確率を導出することができない。これらの公理を満たすことが 合理的意思決定の基準を満たすか否かについては様々な批判がある。さらに、
一連の公理を満たす選好による選択は、現実の状況における意思決定の記述 とは乖離することが指摘されている。 Gilboa(2009)は、ほとんどの選択理 論の公理は実証および実験による知見から攻撃されており、あらゆる公理に ついてそれを論駁する実験が存在するであろうことを指摘している。リスク 認知に関するヒューリスティクスについては意思決定理論や心理学において 多くの知見が存在するが、代表的なものとして、フレーミング効果(Tversky and Kahneman, 1981)や Ellsberg のパラドックス(Ellsberg ,1961)がある。
このように、確率判断や選択に関して合理的な意思決定プロセスが期待で きない場合、公理的アプローチによる期待効用最大化は成立しない。その場合、
後述するように、Simon(1955)の限定合理性の考え方に基づき、効用の最 大化ではなく、意思決定におけるヒューリスティクスを考慮した上である目 標を満たすことを行動原理である満足化原理などによる選択理論が提示され る。ただし、これらの期待効用理論に代わる意思決定プロセスを採用した場 合の厚生測度に関する示唆は明らかではない。
4 脆弱性評価モデルにおける条件の整理
第 2 章でレビューされた脆弱性評価モデルにおける不確実性下の厚生測度 に関する検討課題を、第 3 章で整理された知見に基づいて整理しよう。
4.1 脆弱性評価モデルにおける確率解釈 (1)意思決定の文脈における確率の分類
2.2 節に述べた脆弱性評価モデルにおける確率がどのように解釈されるかを 考察するために、事前確率πaと事後確率πpに着目する。また、消費者が事 前確率πaを形成する際に参照すると考えられる当該事象の情報における確率 を情報・知識としての確率πIとして考慮に入れることとする。
例として、突発的な断水による不便を被る確率について考えよう。被害の 事前確率πaは消費者が、たとえば、突発的な断水が 5 年に 1 度は起こると認 識する見込みであり、それはボトル水の備蓄などの行動に「賭ける」契機と なる見込みであることから、主観的確率の概念に該当すると考えられる。
πaは、これまでの消費者の個人的な断水の経験、断水が生じるメカニズム に関する知識、行政やマスコミが発する事例やリスクの情報によって形成され ると考えられる。これらのリスク情報における種々の確率πIの性質は多様で あることが指摘されている(広田、2012)。たとえば、水道管路の損傷の確率 はそれまでの発生頻度に基づく統計によって導出される場合には頻度説に立 ち、それが管路の老朽化等によって条件づけられたモデルによって予測され る場合には傾向説による確率となる。また、水道管路の損傷といった事象の 発生予測が様々なモデルやモデルの特定化の可能性がある場合、複数の確率 が導かれる「科学的曖昧性」(藤見、2011)の状況となる。科学的曖昧性の場 合には、リスク情報を発する専門家や行政は、彼ら自身が複数のモデルや確 率に対して持つ信念や確信の度合いを反映した主観確率を採用せざるを得な い。実際に、安全工学や気象・経済予測等の領域では専門家による主観確率 が社会で利用されていることが指摘されている(広田、2012)。すなわち、πI は客観的確率と主観的確率が混在した形で消費者に提示される確率である。
そして、πpは家計が意思決定の後に直面する確率であり、意思決定の上 では政策的意思決定の際に用いられる確率である。すなわち、政策の評価者 および意思決定者が認識する確率である。πpは、モデルの上では個々の家 計のπaに応じて決まるが、πaは観察可能ではないことから、πaを含む家 計の選択がどのようにモデル化されるかに依存する。そのモデル化や特定化 が真であるか否かを科学的に検証することは困難であろうから、やはり科学 的曖昧性の状況にあり、政策の評価者あるいは意思決定者の認識する主観的 確率と解釈される。
さらに、πa、πI、πpの主観的確率の部分では、専門家集団や特定の災害 の経験者などの間で一致した主観確率が合意される間主観的確率が形成され る場合もあると考えられる。以上の脆弱性評価モデルにおける確率解釈を表
1 に整理した。
表 1 脆弱性評価モデルにおける確率の分類
脆弱性評価モデルの確率 意思決定の主体 確率解釈 条件 事前確率πa 消費者・家計・個人 主観説
間主観説
ある選択に賭ける見込み 共通の利益・情報の交流
事後確率πp 政策の評価者 政策の意思決定者
主観説 間主観説
ある選択に賭ける見込み 科学的曖昧性 共通の利益・情報の交流
情報確率πI 専門家・マスコミ
頻度説・傾向説 主観説 間主観説
科学的根拠
ある選択に賭ける見込み 科学的曖昧性 共通の利益・情報の交流
(2)主観的確率と不確実性下の厚生評価
前節の確率解釈による分類によれば、脆弱性の評価における確率は、消費者、
政策の評価・意思決定者、専門家等のどの段階の意思決定においても科学的 曖昧性の影響を受けており、このような不確実性のもとで形成可能な確率は 主観的確率および間主観確率のみであるといえる。一方、3.2 節(2)で述べ たように、Savage の公理に従う主観確率は、現実の選択との乖離が指摘され て久しく、厚生評価の推定における信頼性が必ずしも高いとはいえない状況 にある。たとえば、「100 年に 1 度」の洪水や地震等の災害に対応するインフ ラの整備について、家計が必要十分な情報のもとに主観的確率や選好を形成 できるか否かは定かではない。また、道路や水道管路などのインフラの老朽 化によって事故、通行止め、断水等の被害に遭う可能性についても、老朽化 に関する知識の専門性や体験の不足から、同様の困難が予想される。すなわち、
家計の選択は、主観的確率や選好が設定可能ではないような不確実性にさら されていと考えられる。不確実性を考慮するための主観的効用理論に代わる 意思決定理論は、藤見(2011)のレビューによれば数少なく、かつ公理的な 体系化がなされていないため、厚生評価における規範的な意味が不明である。
このような状況において、不確実性下の厚生評価の実施は、評価目的に対 する合理性という観点から、どのような見方が可能であるのか。すなわち、
公理的な体系に基づく意思決定理論から厚生評価が導出されることが望まし いのはむろんであるが、それが不可能である状況において、不完全な主観的 確率の採用や限定合理的な想定による厚生の評価がいかなる根拠で妥当と考 えられるか、という問いが生じる。この問いに関し、Gilboa(2011)は、実際 の選択が主観的確率の考え方と非整合的であるなら、主観的確率と整合的な 意思決定をしたいのかどうかに関するメタ的な決定が必要である、との趣旨 を述べている。メタ的な決定のためには次元の異なる基準や規範が必要であ る。次項では、主観的確率を用いた意思決定理論である期待効用理論に基づ く厚生測度を相対化するために、Branolini(2011)による不確実性下におけ る厚生理論の一般化の考え方を概観する。
5 不確実性下における厚生の考え方
5.1 厚生理論の道徳的分類
経済学は実証経済学と規範的経済学に分かれるが、便益評価理論の基礎を なす新厚生経済学は規範的経済学である。実証経済学では、稀少性制約のも とで、設定した目的を達成できるような手段を選択する行動が、経済主体の 合理性とみなされる。他方、規範的経済学では、経済法則のみならず、社会 の道徳的な善と価値に基づいて、資源の配分と分配がどうあるべきかが問題 とされる。このとき、経済主体の合理性には、2 つの側面が生じる。すなわち、
①道徳的価値の選択に関する合理性と、それぞれの道徳的価値のもとでの② 正しい行為に関する合理性である。
道徳的価値については 2 つの基礎概念があり、どちらを選択するかによっ て厚生経済学のモデルが異なる。ひとつは「動機の倫理(ethics of motive)」
であり、選択の動機に価値を見出す考え方であり、選択をなす主体の主観的 価値が社会的に追求すべき価値であると認識される。いまひとつの「目的の 倫理(ethics of end)」は、選択を行う主体の主観とは独立な固有の客観的価 値が存在し、それを選択の目的する考え方である。客観的価値は他の財と代 替不可能である、生存に必須であるなどの条件により、個人の選好とは独立
な原初的に善とみなせる価値であり、持続可能性が今日的な例として挙げら れている。
前者の「動機の倫理」の立場をとる厚生の理論として、ベンサムの功利主 義に基づく社会的効用の理論、ネオ・ヒューム主義に基づく新厚生経済学と 社会選択理論、それらの仮定を組み合わせた規則功利主義が挙げられている。
後者の「目的の倫理」の立場をとる厚生の理論は、ケインズのマクロ経済学 における厚生の考え方である。
選択の結果が確実ではない不確実な状況において、どのような行動原理が 正しい行為とみなされるかは道徳的価値に依存する。さらに、不確実性に関 する正しい行為は、「動機の倫理」と「目的の倫理」のそれぞれの道徳的価値 が不確実性をどのようにとらえているかによる。
5.2 「動機の倫理」に基づく厚生理論における合理性と不確実性 (1)動機の倫理における善と新厚生経済学
動機の倫理は、人間の行為の動機に価値を求めることであり、その動機は 基本的に快楽主義に基づき、欲あるいは快楽の探求であるとされる。よって、
選択の対象は快楽を達成するための手段に関連するとき、またはそれ自身が 欲されるときに善であると認識される。どちらの場合も、焦点は常に主観的 な欲あるいは快楽である。このように人間の選択の動機を快楽あるいは選好 とともに認識するとき、道徳的な善は欲の対象であり、倫理は主観的な選好 の追求を是認するための基準となる。
動機の倫理の立場をとるのは、快楽主義(エゴイズムと功利主義)および ネオ・ヒューム主義であり、便益評価理論の基礎である新厚生経済学はネオ・
ヒューム主義に属する。新厚生経済学は、効用の個人間比較を認めず、選好 は順序のみで把握され、個人の選好をもとに社会的な選好の順序が社会的厚 生関数として生成される。したがって、社会厚生の設定については個人の選 好の集計問題が生じる。価値判断の基準はパレート最適性であり、次のよう に記述される。すなわち、
① 経済主体はそれぞれ自身の厚生を判断する。
② 少なくとも配分 B を選好し、だれも B より配分 A を選好しないとき、B は最適配分である。
政策(社会的選択)による犠牲者は補償を必要とするという分配の制約が 満たされれば、非パレート最適な配分は、パレート最適となる。これを道徳 的に見るならば、補償されない犠牲者は道徳的に容認されないということに なる。この補償原理は、したがって、補償可能性が原理的にない場合には道 徳的に望ましいか否かを判断できない基準である。たとえば、持続可能性の 観点に基づき、意思決定者が将来に配慮する政策を採択するとき、その政策 は世代間公正という別の道徳的価値は満足するが、効率性のパレート基準と は整合しない。なぜなら、現世代に補償できる主体は、未だ存在しないから である。
(2)動機の倫理における合理性
ある選択が結果に照らして善であると判断されるとき、その選択は目的に 対する手段であるとみなされる。このとき、選択が目的に対する手段となる 場合が合理的であることになる。よって、手段は倫理的に選択されるもので はなく、善である目的の達成に資するか否かに関する科学的な基礎に基づい て選択される。
動機の倫理に基づく厚生理論の場合、選択はそれが効用を増加させるか減 少させるかによって合理的か否かを判断され、その判断は一連の公理による 推論によって成立している。したがって、不確実性な状況における選択を考 える際に、唯一の選択基準は期待効用の最大化である。このとき、選択が不 確実な状況でなされることによって、合理性の考え方は 2 つに分かれる。ひ とつは「実質的合理性」であり、いまひとつは「限定合理性」である。
実質的合理性は、認知上の制約がなければ、期待効用を最大化する選択は、
選択によって実現する価値、また生じ得る結果そのものに関する完全な知識 を持っているという条件のもとで可能となる。すなわち、将来に関する完全 な情報を持っているので、確率の計算において、確実性そのものと同様に計 算可能な状態まで不確実性を減らすことができると仮定されるため、選択問
題は確実性等価問題に転換される。このような実質的合理性は、個人が合理 的期待仮説にのっとって選択を行うときに実現する。すなわち、①主体はあ る制約のもとで効用関数を最大化するが、②その制約はすべての主体に互い に整合性をもって知覚される(信念の相互整合性)とき、意思決定者は信念 を確率分布として表現することができ、その主観的確率分布は客観的確率(頻 度確率)と一致する。
実際には、主観的確率が客観的確率と一致するとみなすのは困難であり、
選択の状況や結果等に関する客観的確率は意思決定主体には知ることができ ないと仮定するほうが現実的である。そこで、合理的期待仮説のうちの 2 番 目の要件のみを緩めたものが「限定合理性」モデルである。客観的確率分布 を知ることは困難であることを認識する限定合理的な主体は、ベイズ的な文 脈において期待効用を最大化する。ベイズ的文脈とは、主観的確率は利用可 能な情報を最大限利用して決められる客観的確率の推定値であり、意思決定 主体によって異なるという設定である。
(3)動機の倫理における不確実性
したがって、動機の倫理の立場に立つ厚生理論における不確実性下の選択 は、認知上の制約がないならば実質的合理性に基づき客観確率による期待効 用を最大化し、認知上の制約により客観確率と主観確率が一致しないと考え られる状況であれば、限定合理性に基づき主観的確率に基づく期待効用を最 大化するように行われることになる。3.2 節でみたとおり、主観的確率は公 理的アプローチであり、選好に関する条件を満たさないと導出できない。そ のような不確実性の状況については、動機の倫理における厚生理論は何も述 べることができない。動機の倫理のうち規則功利主義を提唱した Harsanyi
(1958)は、主観的確率を設定するのに十分な情報すらなく、かつある選択肢 を他よりも選好する理由がないならば、確率が等しいとみなすのが理にかなっ ていると述べている。これは確率解釈の古典的アプローチである無差別原則 に従うことに他ならず、それを採用する倫理的あるいは合理的な根拠がある わけではない。
5.3 「目的の倫理」に基づく厚生理論における合理性と不確実性 (1)目的の倫理における善とケインズの経済厚生
厚生に関して、「目的の倫理」の立場をとるのはケインズの経済学であり、
ムーアの観念論(Moore, 1959)がその道徳的価値と厚生の考え方の理論的基 礎となっている。目的の倫理の立場では、動機の倫理に基づく功利主義やネ オ・ヒューム主義が主観的価値のみを認識し、客観的な固有の価値を排除し た単純化を行っていることを疑問視する。たとえば、「目的の倫理」の立場で 持続可能性を考える際には、生態系には固有の客観的(原初)価値が備わっ ていることを考慮する。原初価値は、個人の選好とは独立である。なぜなら、
生態系の機能は人間の生存に必須であり、そのサービスは他の財と交換不可 能であり、生態系の代替は人間の能力を超えるからである。よって、人間の 選好のみに追求すべき価値(善)を帰属させる「動機の倫理」とは立場を異 にする。
また、目的の倫理に基づく善は、動機の倫理の基礎である快楽主義と異なり、
道徳的価値の複数性を認める。そのため、動機の倫理では個人の選好の実現 が唯一の追求すべき道徳的価値であったが、目的の倫理では、目的それ自身 が望ましいか否かを設定する理由が必要である。この観点にたてば、善は実 在するものであるが、その定義は不可能であるとされる。なぜならある物事 がよいというとき、その善さとは思考の対象であり、心の状態である。主体 は直感的に何が善であるかを知っているが、ある物事の善さが真であるとい う主張を証明するものは何もないからである。ムーアは、高度にそれ自身善 であることを観念と定義する。生命、自然、徳、知識、真実、個人的な愛、美、
正義などはそれらの目的そのものとして善いとされる。
(2)目的の倫理における合理性
Keynes(1921)は、このような道徳的善に関して、目的は合理的に設定し うるという立場をとる。この場合、合理性とは、動機の倫理の場合のように「目 的に対して選択が有効な手段となること」を意味する手続き的合理性のみな らず、人間の客観的な価値に基づく究極的な目的に対する整合性を表すもの
であり、より普遍的な意図を持っている。
道徳的善を社会的に追求すべき善として設定することが可能であるならば、
個人的な善と社会的な善が競合することを避けることはできない。社会的な 善、すなわち高度にそれ自身が善であるとされる観念は客観的性質をもち、
それによって社会的善の追求のための個人的利益の犠牲は正当化されると考 える。この見方は、個人的利益と社会的善の調和を想定する動機の倫理の功 利主義を否定し、だれもが損失を被らない限り妥当であるという新厚生経済 学のパレート基準とも対立する。ただし、動機の倫理の理論のうち、より高 い社会的効用を産み出すための道徳ルールを尊重するためには個人的善を犠 牲にできるという、規則功利主義の Harsanyi(1958)とは一致する見方である。
さらに、政策決定者が公的な善を追求する場合、その倫理的善と経済厚生 との間の関係に問題が提示される。動機の倫理では追求すべき善は個人の欲 求であり、それに基づく経済厚生が定義されるため、社会的善の追求が物質 的厚生を高めることになる。しかしながら、目的の倫理において設定される 社会的善と厚生との間に論理的な関係は存在しない。物質的な厚生の追求が 社会的な善につながるかどうかは意図とやり方次第(art・術)である。つまり、
目的の倫理の立場では、経済主体は効用を最大化し厚生を追求することによっ ては倫理的善の追求にはつながらない。厚生は、社会的善に至るひとつの要件、
すなわち中間財でしかないことになる。
(3)目的の倫理における不確実性
動機の倫理に基づく厚生が倫理的善にどの程度寄与するかという問題はさ ておき、目的の倫理における倫理的善の追求に対応する正しい行為はいかな るものかという問題がある。Moore(1959)はこれに関して、正しい行為を 設定する手続きについては観念論的功利主義という功利主義的アプローチを 採った。すなわち、代替的な行動選択肢がある場合、最も理想的だと期待さ れるものを決定することが必要であり、その決定には、以下の 2 つの仮定に 基づき、善の程度とその確率を掛け合わせる期待値計算を用いる。
仮定 ① 善の程度は数値的に測定可能であり、代数的に加法的である。
仮定 ② 確率の程度は、数値的に測定可能である。
Keynes(1921)はこの 2 つの仮定と功利主義的アプローチを批判し、特に 仮定②に対して 3.1 節に整理した論理的確率と合理的直観主義を提示してい る。すなわち、経済構造の変化は量的質的な観点からみると連続的な社会的 相互作用によるものであり、その確率計算のためには科学的基礎が欠如して いる。これが、経済現象の根本的な不確実性、すなわち計算可能な確率を設 定する科学的根拠がないことによる不確実性をもたらす。その場合、確率は 測定不可能であるし、比較不可能である。
ここでいう確率は、論理的確率を指している。Keynes(1921)によれば、
ある証拠によって論理的に演繹される確率が、すべての主体が同じ環境で同 じ確率を設定するという意味において、客観的に設定された合理的信念の程 度を表すことができる。よって、経験や知識による科学的根拠が不十分な場合、
ある証拠が与えられても、そこから直感や何らかの先験的原則の助けを借り ずに確率判断を引き出すことは期待できない。その意味において、論理的確 率は数値的に測定可能でもないし、比較可能でもない。
確率が測定可能でない不確実性の状況において、倫理的善に対する正しい 行為としての意思決定は、直感的判断が重視される。この場合における直感 とは、意思決定主体を帰納的な推論に導く先験的な知識の集合を意味してい る。ただし、今日の心理学的研究によれば、直感とは印象を直接的に反映し たものであり、印象とは主観的な刺激によって構成されるもので、先験的な 知識に基づく論理的な推論によって構築されるとは限らない。今日的な解釈 では、不確実性に関する直感的判断とは、確率判断がどのように形成される かという問題に関わるものであり、確率判断のヒューリスティクスに該当す ると考えられる。
5.4 厚生理論の一般化
社会の倫理的価値が合理的に追求されるべきであるならば、厚生理論が依 拠する倫理的価値が異なる場合、厚生は単一の倫理的基準によって規範的 な意味づけをすることはできず、厚生を形成する経済主体の選択の正しい行
為もひとつの手続き的合理性によって分類することはできないことになる。
Branolini(2011)の主張は、善を動機と関連付けるか目的と関連付けるかに よって競合する倫理的システムの間では、合理的な社会的選択はできないた め、厚生の一般化理論が必要となることである。
便益評価理論が理論的基礎とする新厚生経済学は動機の倫理に基礎をお く。すなわち、効用関数に表される主観的価値のみを考慮する。一方、ケイ ンズの経済学理論は目的の倫理に基礎をおいており、主観的価値を測る経済 厚生は、それのみでは価値を判断できず、客観的な善の目的に資する限りに おいて価値を持つ。
不確実性下における正しい行為の面では、功利主義とネオ・ヒューム主義 では、主観確率と客観確率は一致するとみなせる場合には、結果と確率に関 する完全情報のもとでの経済主体の行動を記述するので、実質的合理性のケー スとなる。客観的確率と主観的確率が一致しないと仮定される場合には限定 合理性を認め、さらに、主観的確率を設定するための情報も不十分である場 合には、無差別の原則が適用されるが、そこにはもはや実質合理性の場合の ような規範的な意味付けは見出しにくい。一方、ケインズ経済学では、そも そも経済主体は根本的な不確実性の状況で行動すると認識され、限定合理性 の状況にあると考える。この場合、限定合理的な手続きは、中間目的や直感 的判断のような非最大化手続きを採用する。そして、それらの限定合理的な 手続きにはもともと規範的な意味は与えられておらず、その手続きの結果は、
客観的な善の目的に資するか否かを判断するためのツールとしての意味しか 持たない。
これらの不確実性下の正しい行為は、不確実性下の厚生測度の見方につい て一定の示唆を与えているとみなすことができる。動機の倫理の枠組みでは、
不確実性下では主観的確率が設定できない場合には、導出される厚生測度の 規範的意味付けができなくなる。目的の倫理の枠組みでは、もともと厚生測 度を価値づけるには外生的な基準が必要である。すなわち、双方から示唆さ れることは、不確実性下という状況では、限定合理的な手続きによって厚生 測度を導出することは可能であるが、その規範的な意味はそれのみでは主張
しがたいということである。特に、新厚生経済学における厚生測度の意味は、
政策による資源配分の変化に規範的な評価を与えることにあるため、不確実 性下において導出された厚生測度の政策評価における意義と活用については、
改めて検討の必要が生じると考えられる。この課題に対し、次節では、リス ク評価を前提としたリスク費用便益分析(RCBA)について、その科学的曖 昧性と不確実性に焦点を当てて論じた Shrader-Frechette(1991)の議論を概 観する。
6 リスク費用便益分析の必要性―厚生理論の一般化の観点から
脆弱性の厚生測度は、不確実性を前提として政策の費用便益分析を行うた めに導出される。Shrader-Frechette(1991)は、厚生評価を政策という社会 的選択の評価に応用する費用便益分析が、厚生理論の一般化の立場から、す なわち功利主義とは異なる倫理的な立場をとるとしても、政策の評価手法と して正当化されうることを論じる。その議論を概観しよう。
Shrader-Frechette(1991)によれば、一般的にリスク評価は、典型的な不 確実性に取り囲まれているため、方法論上の戦略を間違い易い。リスク費用 便益分析(Risk Cost-Benefit Analysis:以下、RCBA と略記する)は、リス クの科学的な評価を前提としてリスクを含む政策の帰結を経済的に評価する 手法である。Shrader-Frechette(1991)は、不確実性を前提とすると RCBA も方法論上の戦略ゆえに重大な欠陥をもつが、それでもなお、原理的にはそ れを使用し続ける理由があると論じ、方法論上の間違いを回避しつつ RCBA を改善する方向性を提示している。その議論を、リスク費用便益分析に対す る一般的な批判とそれに対する反証の順に概観しよう。
6.1 リスク費用便益分析に対する批判
RCBA は新厚生経済学、すなわち 5.1 節の整理では「動機の倫理」に則る 功利主義的な基礎を持ち、便益や費用の導出のために選択モデルの設定と実 証的な計算が行われる。RCBA に対する批判の典型は、次の 4 点に整理される。
① RCBA を支える合理性に関する受容された理論が存在しないこと
② 数学的・経済学的技術だけでなく、民主的過程もリスク政策を決定すべき であること
③ 配分の公平性と多様な変数の共約不可能性のような諸要因を無視している こと
④ データベースが不適切であること
これらの批判では、RCBA に関して、まずその支持・不支持を論じるため の基準に関する意見が一致していない。すなわち、規範的な観点と実証的な 観点が混在している。まず規範的な論証についてとりあげると。その典型的 な過程は次の通りである。
① RCBA は功利主義的構造をもつ。
② 功利主義は深刻な欠点をもつ。
③ 功利主義が退けられるべきであるのと同様、RCBA の技術も退けられるべ きである。
一方、記述的な論証の典型的な過程は、次の通りである。
① RCBA は人間の状況理解と意思決定のためのあらゆる事例をモデル化でき るわけではない。
② 人間の状況理解と意思決定のためのあらゆる事例をモデル化できないこと は、深刻な欠点である。
③ 人間の状況理解と意思決定のための間違ったモデルが退けられるべきであ るのと同様、RCBA の技術も退けられるべきである。
それぞれの論証の論拠は、次のようである。まず規範的な論証の論拠は、
RCBA が意思決定に関するすべてを価格で評価することが適切ではないとい うことにある。つまり、道徳的関与、権利、基本財は侵犯できず、共約不可 能であるため、それらを便益に換算する(すなわちそれらを「売る」ことを 仮定する)RCBA の考え方にはなじまないと考える。これらは古典的な功利 主義と同様の欠陥であり、意思決定が権利と正義に基づくべきである社会で は、リスク分析やリスク管理は RCBA に基づくべきではない、という結論に 至る。一方、記述的な論証の論拠については、RCBA のような意思決定モデル、
すなわち、選択肢集合があり、選択の帰結があり、それぞれに確率が付与され、
といった形式的なモデルは、個人の意思決定をあまりに狭く単純化しすぎて おり現実を反映していない、ということにもとめられる。個人の意思決定過 程は、選択と選択による結果を計算し得点化するわけではなく、直観、議論、
論争、熟練による無意識による事例が多い。したがって、個人の意思決定の 多くの場合をモデル化できない RCBA は、社会的意思決定も同様にモデル化 できない、という結論に至る。
6.2 批判への反論
フレチェットは、これらの論証の過程に対して、RCBA の使用が退けられ るべきであるという結論が正しくないことを主張する。以下、その反証を要 約しよう。
(1) 規範的論証および記述的論証の前提である①、②が正しいとしても、結 論③の推論は正しくないため、結論③が受容されるべきであるか否かは 明らかではない。
(2) 規範的な論証の前提②が正しいとしても、前提①は明らかに正しくない ので、結論③が受容されるべきであるか否かは明らかではない。
まず(1)の主張を見よう。この主張の第一の論点は、規範的論証および 記述的論証の前提である①、②は RCBA の支持者も認めている欠点である が、だからといって RCBA を放棄する決定的な理由にはなっていないという 点である。すなわち、支持者にとっては、RCBA の欠点は社会的意思決定に RCBA を採用するか否かの論点にはならず、真の論点は、RCBA が政策立案 のために用いられるあらゆる方法の中で最も反論が少ないものを表している か否か、にある。RCBA の支持者と不支持者の論点の相違は、前者が RCBA の社会に供する一定の便益と欠点とを比較したうえで RCBA の使用を結論し ているのに対し、後者は RCBA の利点を評価する視点を持たない点にある。
後者の論点に立てば、RCBA の欠陥を指摘するだけでは RCBA を放棄する 理由とはならず、RCBA の利点と欠点を比較したうえで欠点のほうが大きく、
さらに RCBA に代わる評価方法の対案を出すことができて初めて、RCBA を
放棄することができる。不支持者の主張はこの要件を満たしていないため、
RCBA を放棄するという主張は退けられるべきであることになる。
第二の論点は、不支持者の推論を受け入れると、社会的な意思決定のあら ゆる組織的な形式が締め出されることである。まず記述的な論証については、
RCBA が採用する意思決定モデルは現実における意思決定過程を記述しきれ ていないことを論拠とするが、同様の状況に用いられるあらゆる組織的な社 会的意思決定の方法がこの批判の対象となる。政策の意思決定は、恣意的で ないならば、その形式は政策目標と成功を判断する基準とが要求される。さ らに民主的な形式をとるならば、そのような目標と基準を国民が認識し、評 価できるように、明示的であることが要求される。意思決定モデルが十分に 記述的でないという理由で形式的モデルによる分析や評価を拒絶するならば、
政策的意思決定は暗黙裡に行われることになり、社会的意思決定において恣 意性を排除することや民主的であることがさらに達成し難くなる。
また、個人的な意思決定に RCBA のような形式を用いないという論拠につ いては、個人の意思決定と社会的意思決定の相違がまさに RCBA の存在意義 であることが論じられる。個人的意思決定において RCBA を用いない理由は、
個人の経験、価値観、目標が一体化していて、それがリスク評価と行為の価 値判断に関する個人的意思決定の統合された基盤となっているからである。
社会的意思決定の場合には、多様な社会の構成員がリスク評価と政策の価値 判断に関する社会的意思決定を行うための、統合された経験、価値観、目標 という基盤がない。社会的意思決定においては、社会の構成員の様々な経験 や価値観の間で折り合いをつけ、それらを一体化させる分析のための「論理」
ないし方法が必要とされる。RCBA がそれを担うと考えれば、個人の意思決 定における方法との対比による RCBA の拒絶は適切ではない。
次に(2)の規範的な論証については、不支持者の議論は功利主義の諸問題 を蒸し返すに過ぎず、功利主義的な政策評価であっても倫理的な政策評価で あっても、そこには理論的な残余が生じることを認めないことが問題である とする。たとえば、ベンサムとロールズはともに幸福の倫理的な判断に必要 な評価を提供する。功利主義者は次元の異なる幸福の評価は理論的な残余で
あり、それを扱うことはできない。一方のロールズ主義者は幸福の損益の評 価については理論的な残余であり、それを説明することはできない。したがっ て、RCBA が功利主義に基づくという理由のみでは、RCBA を拒否するのに 必要な根拠ではあるが、十分な根拠とはなりえない。さらに、RCBA は功利 主義的であるという議論の前提そのものにも、3 つの理由から疑問を呈する。
第一に、RCBA では代替案を評価するが、その代替案を無限の選択肢集合の 中から絞り込むためには、無限の選択肢の効用を計算することは不可能であ ることから、功利主義の原理だけでは正当化できない何らかの価値判断を前 提とせざるを得ない。つまり先行する何らかの功利主義的ではない価値判断 を前提とする。第二に、RCBA の計算の過程では、政策の帰結に数値を付与 するための基数的あるいは序数的な測度が存在し、社会的割引率が選択され、
帰結の貨幣換算が行われる。それらの数値の付与は、功利主義的ではない倫 理的な考察を前提としており、選択された数値そのものが倫理的な考察を説 明している。そして第三に、第二の理由を前提とすると、政策の帰結に対す る何らかの倫理的考察や価値観を、費用や便益の数値として「表現」するこ とができる。これは RCBA が合理性に関しては不完全な理論であり、結果と して、多様な倫理的な価値を表現可能な計算形式となっていることによる。
以上の論証を通して、Shrader-Frechette(1991)は、RCBA に方法論上の 重大な欠陥があるからといって、直ちにそれを使用し続けるべきではないと いう結論が正当化されるわけではないことを主張する。RCBA を拒否する結 論が正当化されるのは、以下の条件が満たされる場合のみである。すなわち、
① RCBA に関する問題が量的かつ経済学的な方法の使用にとって本質的であ る。
② より優れたリスク分析とリスク管理を実現するために、他のより優れた道 具が存在する。
今日のリスクに対する政策の状況は、いずれにも該当するとは言い難いため、
RCBA の使用を拒否する合理的な理由は存在しないことになる。
6.3 RCBA の意義と脆弱性評価モデルへの示唆 (1)RCBA の意義と改善方法
前節の論証に基づき、Shrader-Frechette(1991)は RCBA を使用するほ うが何も使用しないよりもよい理由を次のように主張する。すなわち、十分 に定義された方法論を用いることによって、方法論と内容の両方が恣意的で あるという批判には耐えうることである。RCBA を構成する技術とその根 底にある価値判断は認識可能であり、議論の対象とすることができる。よっ て、分析や評価の内容が問題となることはあっても、意思決定の手続きとし ての方法論が恣意的であるとの批判にはあたらない。すなわち、意思決定の 基準が不完全であるとしても明示されており、結論に至る材料を誰もが確認 し評価することができるという、社会的意思決定の要件としての有用性が重 視されている。そのように、RCBA が功利主義的な合理性については不完全 であることと、そのために社会的意思決定の道具として十分に有用であるこ とをより明示し活用するために、RCBA に倫理的な重み付けを行うことが提 案される。RCBA に対する理論的批判の典型は、暗黙裡に功利主義的な価値 体系を社会に強制するような評価結果が提出されることに向けられていた。
RCBA の功利主義的な基礎が不完全さを前提とするならば、この批判は当た らず、むしろ功利主義的なそれを含め多様な価値体系を社会に対して提示す る手段とすることが可能である。
Dasgupta, et.al.(1980)は、RCBA におけるリスク、費用、便益に重みを つけるために、少なくとも 4 つの倫理体系が可能であることを論じている。
その 4 つとは、ベンサム的功利主義、ロールズ的平等主義、ニーチェ的エリー ト主義、パレート的自由主義である。これらによる重み付けは、伝統的な効 率性と公平性のトレードオフの議論に洩れず、「それによって競争経済の正 当性が証明されることになる配分の原理と衝突する」という反論に曝される。
また、分配の公平性に関わる価値体系に関しては、経済学的分析に持ち込む べきではなく、政治および民主的過程にゆだねるべきであるというマスグレ イブ主義とも相容れない。しかしながら、リスク評価の不確実性あるいは科 学的曖昧性という社会的な文脈を前提とするならば、リスク評価の過程で専