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「ワシントン軍縮」下の日本製鋼所の経営再建策と役員人事

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(1)

一トップ・マネジメントをめぐる三井・海軍省・英国側株主一

奈 倉 文 二

1 はじめに

@      の諸結果は,同社の経営戦略に大きな変更を迫る 日本製鋼所は,日英合弁会社であると同時に,  ものであった。

日本海軍の兵器工場としての性格を兼ね備えてい   筆者は,日本製鋼所の複雑な経営戦略の諸側面 た。すなわち,同社は,日英同盟を背景として,  を,主として英国側出資者の態度・要望等の検討 海軍のバックアップのもとに北海道炭磯汽船(北   を通じて解明すべく既に二つの論稿を纒めた 炭)と英国兵器会社ヴィッカーズ及びアームスト  が,(2)本稿では,それらをふまえて,「ワシント ロング両社(以下V社・A社と略)の共同出資に   ン軍縮」下の日本製鋼所の経営再建策と役員人事 より設立された兵器鉄鋼メーカーであった(1907  を中心に,同社のトップ・マネジメントをめぐる 年設立,資本金・出資比率は第1表参照,13年に  三井財閥・海軍省・英国側出資者の関わり合いを

日本側出資者の北炭は三井財閥傘下に入る)。( 〉   明らかにすることを企図している。(3)

日本製鋼所のこうした複雑な性格の故に,日英   その含意をより明瞭にするために,今少し,前 資本間では様々な軋礫が生じたが,とくに輪西製   2稿で解明されたことと本稿の課題との関連を示 鉄所の合併(19年)とワシントン会議(21−22年)  しておこう。

第1表 日本製鋼所・資本金及び出資者の推移

(単位:千円)

出   資   者 1907年  1909年  1919年  (1928年) 1931年

北 海道 炭 磯 汽 船

5,000         7,500       15,000       7,500

三  井  合   名

3,750      1,875

三  井  鉱   山

3,750      1,875

ヴ ィ ッ カ ー ズ社

2,500        3,750        3,750

(ヴィッカーズ・アームストロング社) (7,500)        3,750

アームス トロング社

2,500        3,750        3,750

合     計

10,000       15,000       30,000       15,000

(出典) History of Capital of Japanese Companies in statement form [VA−1239],株式会 社日本製鋼所『日本製鋼所社史資料(上)』1968年,422頁。

(2)

まず,第1論文で明らかにしたごとく,輪西製  注目されることは,日本製鋼所に対する補償金額 鉄所の合併を日本側が英国側に提起したのは第1  (980万円余)が他社に比し断然トップだったこと』

次大戦末期(1918年9月)のことであって,英国  である。これは特別な補償方法(大口径砲設備に 側株主は当時詳細な情報も知らされず,大戦直後   対する原価補償と同設備の政府への「無償譲渡」)

にかけて当該問題を十全に検討する余裕もなく,  が採用されたことによる。

合併目的(銑綱一貫経営または鉄鉱資源確保)に   軍備補償問題に対する英国側株主の対応は困難 は疑念を抱きつつも,やむをえず承認したのであっ  を極め,必ずしも十分な効果をあげ得なかった。

た。合併の結果,日本製鋼所における英国側出資   詳細は略すが,本稿の課題との関連で重要なこと 比率は4分の1へと半減し(第1表),日本側   は,本問題をめぐる英国側の要請行動の過程で,

(とりわけ三井財閥)の支配権が確立したのであ  英国側の情報不足と日本製鋼所のトップ・マネジ るが,同時に,輪西合併の強行は,以後の日英株  メントからの疎外が歴然となったことである。ま 主間の様々な軋礫の根源となっていった(とくに  た,特徴的なこととして,英国側の要請が殆ど日 英国側の三井に対する不信感を譲成)。しかも,  本政府(海軍省)に対してなされたことが指摘さ 懸念された通り,銑鋼一貫経営は実現しなかった  れ得る。すなわち,本来,英国側株主の本問題に ので,日本製鋼所は,大砲等の兵器及びその原料   関する要請は,日本製鋼所の日本側関係者に対し 用高級鋼材を製造する室蘭工場と普通銑鉄製造の  て向けられるべきものであったが,しかしながら,

輪西製鉄所(輪西工場)の2本柱の会社へと変化   輪西合併以降,英国側株主は少数者の立場におか し,後者は,とりわけ戦後恐慌(1920年)以降,  れ,しかも,日本側多数者(三井財閥関係者)に 日本製鋼所にとって経営負担となっていった。   対して強い不信感を抱いていたために,そのよう

さらに,ワシントン会議の諸結果は,日本製鋼  な方向も事実上閉ざされていたのである。

所の経営環境を激変させるものであった。すなわ   すなわち,前2稿の考察を通じて,大戦後しば ち,四力国条約(21年12月調印)に伴う日英同盟   らくの間,日本製鋼所の英国側株主は,日本側多 の廃棄決定は,同社の創立事情からも明かなごと  数者(三井)に対して不信感を抱いており,同社 く,日英資本の協力関係のよりどころが揺らぐこ  のトップ・マネジメントに殆ど関われなかったば とを意味した。そして,海軍軍縮条約の締結(22  かりか,重要な経営情報すら正確に入手し得ない 年2月調印)は,大戦期以来膨張を続けてきた日  状態であったことが明らかとなった。

本製鋼所の海軍受注を激減させ,同社の「兵器工   しかしながら,英国側株主は,ただ手をこまね 場」としての存立をも脅かすこととなった(「軍  いていたわけではなかった。軍縮補償問題に関す 縮」下にも補助艦艇建造競争は持続したが)。    る要請行動の過程で,V社が代理人の油谷堅蔵

日本製鋼所は,「ワシントン軍縮」下に経営再   (海軍少将)を日本製鋼所取締役に選任させたの 建の課題に直面したのであるが,同社は,当初必   も(25年6月),こうした事態の改善を追求した ずしもその課題に真正面から取り組んだわけでは  からにほかならない。あたかも丁度その頃,海軍 なかった。すなわち,補助艦艇関連受注等の「軍   省は,日本製鋼所の経営再建のためには役員人事 縮」下の軍需に依存したり,「軍縮補償金」の受   に介入するしかないとの判断を固めていた。その 領を「当て」にするという感が強かった。「軍縮   ことは,また,英国側株主の利害とも関わるもの 補償問題」については第2論文で詳細に検討した   であった。

が,その概要は,次のごとくである。        そこで,以下では,まず,日本製鋼所の役員人 本問題の解決には長期間を要したが,最終的に  事に対する英国側株主と海軍省の関与のあり方に は,軍縮補償法の成立(26年3月第51議会)を受   ついて,その実状と意義を明らかにする(第H節)。

けて,13社に計2千万円の補償公債が交付された。  次いで,経営再建策について,海軍省のバックアッ

(3)

プによって常務に復帰した水谷叔彦(海軍少将)   アメリカ・イギリス」(一寸木俊昭編r現代の経営組 の再建策の内容と推移を明らかにする(第IU節)。   織』有斐閣,1983年)。高橋由明「株式所有構造とトッ 最後に,英国側にとっては経営再建の根本策とし   プ・マネジメントの構造」(中央大学『商学論纂』第

ての意義を有していたはずの輪西製鉄所分離案の   33巻第4・5号,1992年3月)。

帰結と役員人事について検討する(第IV節)。(4)   (4)本稿で使用する英国側の一次資料は,前2稿同様,

主として次の二つからなる。

(注)       ①ケンブリッジ大学図書館所蔵(元Vickers PLC

(1)日本製鋼所についての記述は,断わりない限り,     所有) Vickers Archives ([VA− ]と略 株式会社日本製鋼所『日本製鋼所社史資料(上)』〔     記)。

同社,1968年,以下単に『社史資料(上)』と略〕に   ②Tyne and Wear Archives Service(Newcas一 依拠している。また,拙著『日本鉄鋼業史の研究』    tle upon Tyne)所蔵の Armstrong Papers 近藤出版社,1984年,339−348頁,をも参照。        Rendel Papers など旧A社関係資料([TWA

日本製鋼所の英文名称は (the)Japan Steel     S− ]と略記)。

Works (略称JSW)であるが, Nihon Seiko    また,かつて筆者が日本製鋼所(本社及び室蘭製作 Sho (略称N S S), Nihon Seikosho (略称N S)  所)で収集した諸資料も使用している (NSS資料と あるいは単に Seikosho とも呼ばれる。以下の英   略記)。

文資料の表記では略称を用いる。ヴィッカーズ社の    V・A両社の歴史に関する刊行文献等については第 正式名称は Vickers Limited (1911年以降)で   1論文を参照されたい。

あり,アームストロング社の正式名称は SirW.G.   なお,本稿でも,年号は西暦を用いる。

Armstrong&Co., Ltd. である。

(2)拙稿「両大戦間期における日本製鋼所の経営戦略

とイギリス資本_輪西製鉄所の合併と分離をめぐっ   H 役員人事への英国側株主と海軍省の関与 て一」(茨城大学人文学部『紀要(社会科学)』第

      q)油谷堅蔵の取締役選任25号,1992年3月)(以下第1論文と言う)及び拙稿

「『ワシントン軍縮』下の日本製鋼所とイギリス資本   V社は,第1次大戦期以来の日本製鋼所のトッ 一軍縮補償問題と英国側株主の要求一」(『茨城   プ・マネジメントからの疎外と経営情報の不足と 大学政経学会雑誌』第60号,1992年8月)(以下第2  いう事態に対して,1920年代半ばから改善策を試 論文と言う)。      みる。その事例を油谷堅蔵の日本製鋼所取締役選

(3)「トップ・マネギメント」という用語について1ま,  任経過から明らかにしておこう。

より厳密な規定に基づいて使用する必要があると思   油谷堅蔵(海軍少将,1923年予備役編入)は,

われるがここでは,基本的な経営方針や役員人事  同年8月からV社日本代理人(Vickers Repre一 など会社の最高意志の決定のあり方,そこにおける  sentative in Japan)となり,海軍艦政本部から 株主等の利害と取締役及び会長・常務等との関係な  得た軍縮補償問題等に関する情報をV社に送って

どを問題にしている。詳しくはP.F.ホールデン他  いた。その過程で,同問題について日本製鋼所経

(岸上英吉訳)rトップ・マネージメント』ダイヤモ  営陣へ働きかけを強化するには,同社の株主総会 ンド社,1951年。Alfred D. Chandler, Jr.,7加   や取締役会への出席が必要と判断し(田中盛秀海 岡s弼εHα砿 (Harvard University Press,  軍中将・日本製鋼所顧問,元常務からの勧めもあ 1977)(鳥羽欽一郎・小林袈裟治訳r経営者の時代』  り),V社にそれが可能となるような取り計らい 東洋経済新報社,1979年,とくに第12・13章)。済藤   を自ら依頼した(24年9月)。(1)

友明「トップ・マネジメント組織の国際比較:日本・   V社は,油谷の要請を受けて,その方向で対応

(4)

することにした。すなわち,日本製鋼所創立以来,  いた広沢金次郎伯爵(2>の後任として,油谷を据 同社取締役中の英国側株主の枠はA社・V社とも  えようとした。つまり,V社は, A社の極東居住 に各2名であったが,V社は,当時1名しか取締  代表の日本製鋼所取締役F. B. T. Trevelyan(3)と 役を派遣していなかったので(第1図参照),も  同様な役割,あるいは,それ以上の役割を油谷に果

う1名の取締役を要求することとし,かつてV社   たさせようとすべく,彼をV社側の日本居住の取 側の代表として日本製鋼所の取締役に選任されて  締役(residential director)に推した。(〃)

第1図 日本製鋼所取締役・監査役一覧(1915−33年)

1915  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  32   33

 [取締役]  所属 (出身)

テ     土;貴族院議員 会16,1  社  20,6 同 崎 親 早…

@       (海軍) 常    21,5     25,10 常  29,12常・会31,10

水谷叔 彦i

輔…諸団体役員 常      2a6 常・会  2712会29,12 横 山 愛

D・uglas Vickers i

28.7

JohnHB.Noble i  A 社 Arther T.Dawson i  V 社

18.3

27.6

A社

EB. T.Trev・lyan i

{   亘… (北炭)

18.9

雨 呂

@  豊太郎1(物産)北炭 15,12  常   20,12       31,10会 磯 村

広 沢 金次郎i V社

c 中 盛 秀i (海軍)

18,2    20,12

@ 19,12 21,7常23,6

│  19,12    22,12

栗 田 代 作i(鉱山→輪西)

19,12    22,12

江 藤 捨 三i (輪西)

19.12

牧 田   環i三井鉱山

19,12      23,5

池 上 仲三郎i 北炭 c   琢 磨i三井合名

?@部 孫四郎i(三井物産)

20,6 会 23,6

Q0,12        常      31,10

23,6      31,10

一 色 虎 児i(三井物産)

23,6     26,6

米 村 敏 郎i (海軍)

25.6

油 谷 堅 蔵i(海軍)V社

26,6 27,6

寺 島 誠一郎i (北炭)

27.6

山 田 泰 作i(住友)日鋼

28,11     31,11

Antony Vickers i V−A社

31,10常

石塚粂蔵i 日鋼 31.10

松 田 義 一1 日鋼

31.10

村  越  八  良β} (海軍)

31.10

伊 勢 喜之助i (陸軍)

1915  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  32  33

(5)

1915  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  32  33

[監査役]  所属 (出身)

Saxton W.A,Noble i  A 社

28.6

寺 島 誠一郎1 (北炭)

26.6

坂 東 宣 八i (海軍)

20.6

有 賀 長 文i三井合名

19.12

赤 羽 克 己i(物産)北炭

26.6

RB.T.Treセelyan i  A 社

27.6   29,6

G.G.Sim     V−A社

28,6   30,8

J.DBallantine   V−A社

29,11 31,2

J.B.Neilson    V−A社

30.10−31.11

J.A.F.Vaユentine i V−A社 31.5−11一

川 部 孫四郎i(三井物産)

31.10

1915  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  32  33

(出典)株式会社日本製鋼所「営業報告書』(各期),前掲『社史資料(上)』(各所「役員略歴」)より作 成。イギリス人の氏名は英国側資料([VA],[TWAS])にて確認。

(注) 数値は就任または退任の年月,太線部の「会」は会長,「社」は社長,「常」は常務(ナカグロ は兼任)を示す。監査役の太線は常勤監査役。所属(出身)欄の括弧内は出身母体を表す。

「日鋼」は日本製鋼所「生え抜き」を示す(ただし「(住友)日鋼」は住友鋳鋼所から日本製鋼所 入社)。「北炭」は北海道炭磧汽船,「輪西」は北炭輪西製鉄所もしくは北海道製鉄,「物産」は三 井物産,「鉱山」は三井鉱山,V社はヴィッカーズ社, A社はアームストロング社(両社とも1928 年以降V−A社),V−A社はヴィッカーズ・アームストロング社をそれぞれ表す。

そして,V社は, A社に事情を説明して理解を  されずになされたことに驚いている。その結果と 得たうえで,(5)日本側に働きかけることにした。  して,我々の利益を代表する一人の日本居住取締

しかし,V社は,その過程で,ある重大な事実に  役も残されていないことは大変遺憾であり,改善 気づいた。かつてV社の代表として広沢が占めて   を望むものである,と。(7)

いた取締役の席を,彼の辞任後,三井側が埋めて   しかし、広沢の後任を三井側が埋めたというの しまい,取締役の定員(9名)は一杯になってい  は,事実誤認であった。すなわち,団及び樺山は,

る,と♂6)      次のように回答した。

そこで,V社は,日本側に事実確認をしつつ要    広沢の辞任が報告された株主総会(1920年12月 請した。すなわち,Douglas Vickers(V社会長  16日)の議事録は数日後にH. Harrison(JSW で日本製鋼所取締役)は,団琢磨(日本製鋼所顧   English Seretary:第2表参照)に送られてい 問・前会長)と樺山愛輔(日本製鋼所会長)宛書   ること,政府高官は民間会社の役員を兼任できな 状の中で次のように言う。      いし,実際広沢が取締役に留まることは出来なかっ 広沢取締役のスペインへの派遣は一時的で,彼  たこと,しかし,広沢の分のみならず,取締役の は取締役に留まっているものと思っていたが,実  定員には数人の空きがあるので,彼の後任を推薦 際には取締役から彼の名前が消えており,代わっ  してもらって結構であること,油谷を正式に推薦 て他の者が占めているということに気がついた。  されれば,その申し出はすぐに受け入れられるだ 我社は,当然二人の代表を取締役として占め得る  ろう,と。(8>

と理解していたし,この取締役選任が我々に知ら

(6)

第2表 日本製鋼所英国側セクレタリー一覧

氏  名 所  属 就 任 日 退 任 日

H.Harrison A 社 (脚注参照) 1926年  6月30日

B.H. Winder V 社 1926年 11月9日 1927年 12月31日

L.G. Abe1 V−A社 1928年  1月1日 1930年 12月31日

J.R. Young V−A社 1931年  1月1日 1936年 5月30日

(出典)Sir Armstrong Whitworth&Co. Ltd., Pr θM η碗θBooん1>o.ノ,[TWAS 一130/1278],日本製鋼所第459回取締役会議事録(英文)[VA−R312],前掲『社 史資料(上)』308頁。

(注)H.Harrisonの就任日は不詳だが,既に1914年4月21日の日本製鋼所英国側取締役会

(aMeeting of the English Directors of the JSW, Ltd.)には, Secretary して出席していることが確認される[VA−1.16]。

@      馳

実際,取締役の定員9名というのは旧定款の規    さて,V社は,上記の団及び樺山からの書状受 程であって,輪西合併時の定款改正で取締役の定   領後,取締役会の議を経て,正式に油谷を日本製 員は14名に増員されていた。ただ,軍縮後の経費  鋼所取締役に推薦した。(11)V社の正式要請を受け 削減策の一環として取締役退任後は不補充の方針   た日本側は,要請通り受け入れる方向で必要な段 が採られたため,(9)1924年時点の取締役の定員は  取りをとると回答した。( 2)この間,油谷は軍縮補 たまたま9人となっていて,結果的に実員が旧定   償問題解決のために自らの取締役就任を急ぐ必要 款による定員と一致していた。この間のV社側の  があることを強調したが,㈹取締役選任に必要な 調査では,旧定款が使用されていたために,( °)広   事務手続き(V社所有の50株分の名義貸の広沢か 沢辞任後の取締役の空席を三井側が占めたという   ら油谷への変更,株主総会へのA・V両社関係株 誤解が生じたのである。       主の委任状取り付け等)に手間取り,油谷の取締

このような事実関係が,輪西合併から5年近く,  役就任は,最終的には1925年6月となった。(14)

広沢取締役辞任から4年近く経過して初めて判明    ともあれ,これ以後,油谷は,V社を代表する するという事態のうちに,いかに英国側(とくに  日本居住の取締役として活動することとなった。

V社)が日本製鋼所のトップ・マネジメントから  その際,従来からの海軍省とのコネクションをも 疎外されていたかがわかるであろう。基本的かつ  利用して活動することに予め注意しておきたい。

重要な経営情報が,V社側には全然伝わっていな      (2)水谷叔彦の常務への復帰

かったのである。

A社の場合も,F. B. T. Trevelyanを極東居住   油谷の取締役選任の手続きが進行していた丁度 代表として日本製鋼所取締役に派遣していたとは  その頃,海軍省は,日本製鋼所の経営再建のため

いえ,彼が取締役会に出席した形跡は見られない   には役員人事に介入するしかないとの態度を固め ので,トップ・マネジメントへの関わりという点   ており,水谷叔彦技術顧問(海軍少将・1913年予 ではV社とさほど大した違いはなかったであろう。  備役編入,14年1月から21年10月まで日本製鋼所 しかし,英国側セクレタリーがA社から出ていた  常務)( 5)を常務に復帰させた(25年10月20日)。

ため(第2表参照),日本製鋼所からの報告はA  つまり,水谷の常務復帰は,海軍省の強い要望で 社にはV社よりは伝わりやすかったと考えられる。  実現したのであるが,田中盛秀(海軍中将・日本

(7)

製鋼所顧問)や油谷の働きかけも寄与し,また,  海軍側は,困難な状況にある日本製鋼所の舵取が 英国側株主はその実現を支持した。以下,こうし  出来るのは水谷しかいないと考えており,自分 た諸点を明らかにしておこう。(16)         (油谷)は,日本製鋼所の再建策等も含めて海軍

まず.海軍省の考えは,次の通りであった。(エ7)  側の考えを樺山会長に伝えたが,彼は他の諸点に 海軍側としては,「軍需専門工場」故に軍縮に  ついては同意したが,水谷の復帰については大変 よる大打撃を蒙った日本製鋼所を戦時に利用する  困難と考えている,と。(18)

ため,同社をして平時における維持策を「慎重考    さらに,油谷は,取締役就任後の25年9月には,

究」させようとした。しかし,会社側は「到底工  日本製鋼所の再建策についての海軍側の考え方を 業ノー音陣云換ナドハ不可能」との態度であって,  V社に詳しく伝え,その中で,水谷復帰について,

民間注文を積極的に吸収する努力もせず,軍縮補  次のように述べている。(19)

償金受領にのみ期待する有様で,「徹頭徹尾海軍   田中中将と自分(油谷)は,海軍当局の考えを ニノミ依頼シ自ラ活路ヲ開ク」努力が全く見られ   再三樺山会長に伝え,同意するように働きかけた ず,「会社ノ前途ハ実二暗澹タルモノ」と思われ   (同意しないとこれ以上の海軍受注の確保は困難 た。そこで,唯一の手段として,会社人事につい  となるなどと言いつつ)。しかしながら,三井側 て「適当ナ助言ヲ与フル」必要を痛感し,水谷叔   が日本製鋼所の再建に関する海軍側の諸見解を受 彦顧問を起用して「氏ノ卓越シタル技能ヲ以テ会  け入れるかどうかは未定であるとし,前記の海軍 社ヲ救済スルノ外途ナシ」と判断した。水谷は  艦政本部の観察と同様,日本製鋼所内部では三井

「稀二見ル活動家」であって,日本製鋼所の現状   の力が大変強く,団と磯村の意見が会社の重要政 につき憂慮し,一日も早く再建策を講ずる必要を  策をコントロールしていて,会長と常務は半ば形 認めていた。水谷自身は,顧問の立場で努力する  式的代表に過ぎないこと,川部常務が日常的なビ 意向であったが,会社の重要事項については樺山  ジネスのための三井側の代表だが,水谷が常務に 会長・川部常務等は決定権能なく,背後の三井の  復帰し,日本製鋼所全体を実際にコントロールす 団琢磨とその参謀長とも言うべき磯村豊太郎取締   るならば,三井の力は自然と滅じるであろう,と 役(北炭代表)の意向により万事決定されるとい  の見通しを述べている。そして,さらに,最新情 う実状であったから,水谷が顧問の位置で活動す  報として,9月22日の取締役会における合意の諸 るには限界がある,と判断した。        事項が記され,その中で,水谷の常務指名と全て

海軍省は,以上の考えに基づき,艦政本部長の  の技術的なビジネスが彼の手に委ねられることに 意を体し,第一部長(武藤)が対策を講じた。と  なる旨が述べられている。⑳

くに田中盛秀中将・日本製鋼所顧問に上記の主旨   以上のような情報を,V社は次のように受けと を伝え,彼が樺山や団への説得に努力した。    めていた。ω全体として水谷を高く評価しており

次に,水谷の常務復帰に際しての油谷の判断と  (呉海軍工廠時代及びかつての日本製鋼所常務と 行動については,以下の通りである。       しての経験・活動的知性等),彼と海軍省との円 油谷は,当時,海軍艦政本部からの軍縮補償問  滑な関係が多くの諸困難の解決を可能にした,と。

題に関する情報をV社に伝えていたが,その過程  注目されることは,彼が公平に対処したため三井 で,日本製鋼所の再建策や役員人事についての重  の利益を損なったこと,とりわけ三井が企図した 要な情報をも得て,一方では会社幹部に働きかけ  輪西合併に対して水谷が反対したことが彼の解任 つつ,それらの諸結果を自己の判断を含めてV社   につながった,と記されていることである。そし に伝えた。      て,水谷の常務への復帰と日本製鋼所の経営再建

すなわち,油谷は,既に1925年5月時点(自己  に関する海軍省の要求について,英国側は支持す の取締役選任直前)で,次のように伝えている。  る用意がある,としている。

(8)

(注)       (8)1924年11月10日付,Takuma DanよりD, Vickers

(1)1924年9月5日付,K, YutaniよりV社宛書状    宛書状,及び,同年ll月11日付, A. Kabayama

[VA−Ll6&L55]。      よりD. Vickers宛書状(ともに[VA−Ll6&R

(2)広沢の取締役在任期間は,1918年2月から20年12   284])。

月であり(第1図参照),取締役辞任はスペイン大使   (9)上記樺山書状。

発令に伴うものである。彼がV社側代表の取締役と  (1◎  Extract from Articles Association of JSW して実際にどのような働きをしたかは定かでない。   (前掲1924年10月1日付,B. H. WinderよりV社会 なお,前掲r社史資料(上)』277頁によると,彼は    長宛書状の付属書類)。

V社側の取締役Arther T。 Dawsonの後任として     なお, V社は,1924年12月上旬時点では,上記の 任命されたが,日本製鋼所創立時からV社側代表の    団や樺山の書状を受領しておらず,日本製鋼所株主 取締役代理であったという。      総会の議事録確認を行いつつ,広沢辞任後の取締役

(3)A社のF.B. T. Trevelyanは1914年1月以来日本    の空席を誰が占めたかとの照会を日本製鋼所に対し 製鋼所取締役だが,21年2月に極東居住代表(Resi一   て行なっている(1924年12月3日付, V社アジア管 dent representative of the Comany in the Far   理部門より会長宛文書 NSS(JSW) [VA−L16],

East:主に中国と日本を担当)となった(A社    及び,12月4日付, DVよりCount Kabayama宛

.MINU7E BOOK 1>o.4[TWAS−130/1269]の    書状[VA−Ll6&R284])。

1921年2月3日分参照)。      (11)VICKERS.LIM17ED 1四ヱVσTE−BOOK OF

(4)1924年10月1日付,V社アジア管理部門B. H.   BOARD MEE皿VG 2Vo.10(1924−29)[VA一 Winderより会長宛書状 The JSW [VA−Ll6    1368]の1924年12月19日分参照。1924年12月30日付,

&R284]。       DVよりCount Kabayama宛書状,及び,同日付,

なお,V社が代理人油谷を日本製鋼所取締役に適    V社会長より日本製鋼所会長宛正式要請状(ともに 任とする理由としては,彼が日本海軍の将校として    [VA−L55&R284])。

立派な業績を残し,かつ,西洋的な考え方に理解が   (1⇒1925年3月14日付,樺山よりDouglas Vickers あり,また,商工省行財政改革委員会のメンバーで    宛書状[VA−R284]。

もあったことが挙げられている。同書状,及び1924  (13 1925年2月6日付,K. YutaniよりB. H。 Winder 年10月2日付,B. H. WinderよりCartwright宛    宛書状 Re:NS, etc, [VA−Ll6&L55]。なお,

書状 NSS [VA−L16&L55]。         油谷は, A社の支援もV社に要請して取りつけた

(5)1924年10月2日付,DV(Douglas Vickers)よ    (同年2月27日付, B. H. WinderよりV社会長宛書 りSir John H. B. Noble宛書状 Seikosho [V    状[VA−L55&R284]3月3日付, H. Harrison A−L16&R284],及び,同月3日付, J. H. B.   よりKabayama宛電報,及び,同日のV社より油 Noble(推定)よりDouglas Vickers宛書状[VA一    谷宛電報。ともに[VA−Ll6&L55])。

Ll6]。       個 これらの手続き関係資料は,[VA−L16, L55&

(6)前掲1924年10月1日付,B. H. WinderよりV社    R284]各所にあり。

会長宛書状。      (15)前掲『社史資料(上)』199・200頁。

(7)1924年10月8日付,DVよりDoctor T. Dan宛   (1⑤ 水谷の常務復帰について,前掲『社史資料(上)』

書状,及び,同日付同入よりCount A. Kabayama   では,「当社経営の推移に多大の関心を寄せられた海 宛書状(ともに[VA−L16&R284])。なお,前    軍当局とも数次の交渉の結果,その斡旋により」水 会長の団へ依頼したのは,三井の代表(三井合名    谷を再び常務として迎えた(372頁),と記されてい 理事長)としての影響力を考慮してのことと思わ    るだけである。

れる。       (切 以下の内容は,武藤海軍艦政本部第一部長「日本

(9)

製鋼所幹部移動ノ経緯」1925年10月8日(海軍   313]。

省用箋使用)(NSS資料)より。

(1㊨ 1925年5月3日付,K. YutaniよりMajor      皿 水谷常務主導の経営再建策とその推移

Winder宛書状[VA−L55]。この直後の6月

12日付書状[VA−L55]では,油谷は,樺山か      (1)経営再建の課題と水谷の再建策案

らの情報として,水谷と樺山が日本製鋼所の再

建を担当すると記している。これを受けた    「ワシントン軍縮」下の日本製鋼所の営業状態 B.H. Winderは,海軍は三井の抵抗を克服し,  について詳しくふれている余裕はないが,(1)受 水谷を再任させることになったようだと報告し  注高全体の動向は海軍受注の激変に左右され(第 ている(1925年7月7日付,V社アジア管理部   3表),1923年以降,利益金・利益率は顕著に低 門(BHW)より会長宛書状[VA−L55])。   下した(第4表)。しかし,利益金・利益率の低

(191925年9月26日付,K. YutaniよりMajor  下傾向のもとでも,25年上期までは比較的高い配 B.H. Winder宛書状 Re:NSS [VA−L55  当金・配当率を維持していたこと,輪西製鉄所の

&R313]。      成績悪化が日本製鋼所全体の利益低下をもたらし

⑫◎現存する1925年9月22日の取締役会議事録  ていたことなどにひとまず注意しておきたい(第

(英文)[VA−R288]には,この点何も記され  4表の25年上期までの「部門別損益」の数値は英 ていない。       国側株主が日本側に輪西合併に伴う不利益を主張

(21)1925年IO月21日付, V社アジア管理部門(B  する根拠として提示したものである)。

HW)より会長宛 JSW [VA−L55&R

第3表 日本製鋼所得意先別受注高(製銑関係を除く〉

(単位:千円,括弧内は構成比%)

年 度 海  軍 陸  軍 他官庁 民  間 合 計

1919 16,095(79.1)

1(0.0) 335(1.6) 3,915(192) 20,346

20 9,008(70.0)

970(7.5) 320(2.5)

2,572(20.0)

12,871

21 21,993(87.7)

914(3.6) 122(0.5) 2,043(8.1) 25,072

22

2,931(50β) 67(1.2) 886(15.2)

1,941(33.3) 5,824

23 16,011(82.6)

439(2.3) 600(3.1)

2,329(12.0)

19,379

24

2.297(42.7)

363(6.7) 481(8.9)

2,240(41.6) 5,383

25

645(19.4) 386(ll.5) 329(9.8)

1,999(59.3)

3β69

26 1,793(29.1)

308(5.0) 863(14.0) 3,192(5L9)

6,155

27 4,951(53.2) 1,012(10.9)

557(6.0)

2,809(30.2)

9β09

28 6,395(63.7)

403(4.0) 525(5.2)

2,725(27.1)

10,047*

29

5,461(5L2) 544(5.1) 968(9.1)

3,703(34.7)

10,676

30

2,649(45.2)

718(12.3) 240(4.1)

2,253(38.4) 5,860

31 2,627(57.0)

542(11.8) 126(2.7)

1,311(28.5)

4,606

(出典)前掲『社史資料(上)』405,490頁,及び「創立以来註文引請得意先大別表」(NSS資料)。

(注) *印は同上資料ではともに10,097となっているが,訂正した。合計欄の千円の位の数値が各欄 の合計値と若干異なることがあるのは,原資料の数値の千円未満を四捨五入したことによる。

(10)

第4表 日本製鋼所・営業成績

(単位:千円,比率%)

1) 2) 3) 4)

5)営業損益

6)

7)部門別損益

利益金 利益率 配当金 配当率 (製銑関係

を除く)

輪西損益

Iron Steel

  (上)1920  ㈲

1,635*

P,200

10.9 W.1

1,500 P,200

10

W

4,672

△70**

1,095

@16

1,941 Q,623

  (上)21 (下)

  2*

Q,042

0.O

撃R.6

 一

P,500

6,182

△255 △93

「162

2,567 Q,204

 (上}22 (下)

2,006 Q,017

13.4 P3.4

1,500 P,500

10

P0

6,052

149 240

X0

3,287 R,972

 (上)23 (下)

1,616 P,410

10.8 X.4

1,200 P,050

87

5,190

△172   29「159

3,072 Q,895

 (上)24  (下)

1,406

?C286

9.4 W.6

1,050 P,050

77

4,175

△190 △27

「113

2,509 Q,471

  (上)25  (−D 798

P19

5.3 O.8

7讐

1,930

△55 △39

「16

1,733

@● ■ ●

  (上)26  ㈲

102 T6

0.7 O.4

: :

502

Q72 85 59

Q7

:::

(上)

ll9

0.8

184 80 o ● o

27@(下〉 100

0.7

226 150

70 ● ● ■

 (上)28 (下)

561 T14

3.7 S.1

450 R75

33

919

X92 108 59 S9

:::

  (上)29  (下)

619 U10

4.1 S.ユ

450 S50

33 1,191

P,260

164 86

i78)

:::

 ω30 (下)

615

S36

4.1 Q.9

450 R00

32 1,096

X51 △101  (38)i△lll) :::

 ω31 m

 161

「400

 1.1

「2.7

: :

 289

「262 △262

(△158)

i△202)

:::

(出典)(1)〜(4)株式会社日本製鋼所『営業報告書」(各期)。(5×6)前掲『社史資料(上)』361・409・493 頁。(7)Maurice Jenks&Percival Co., Q〃 c αZ Repor亡oπKK1>SS(JSW L (孟)[VA−L 16]及びV−A社,K. K 1㎎S:Proposθd S¢ραrα εoπoゾWα疵s雇1roπωorんs∫rom NSS(21st

January,1930) [VA−R338].

(注) 営業期は,1928年上期までは,上期=前年12月〜5月,下期=6月〜ll月,28年下期=6月〜

10月,29年上期より,上期=前年11月〜4月,下期=5月〜10月。*印,前記繰越金を収入に含 むので,これを差し引くと,20年上期1,425千円,21年上期△4,0ユ3千円。

**印,前年の輪西合併益1,095千円を含まない。…不詳。29年下期以降の Iron 損益は推定値

(富士製鉄株式会社室蘭製鉄所『室蘭製鉄所五十年史』140頁記載の輪西製鉄所損益中から「輪西 製鉄組合規約」第13条に基づき日本製鋼所取分45%を計上)。

(11)

「ワシントン軍縮」下の日本製鋼所の経営再建   来の経験・信用・事業の性質・政府との関係など の課題は様々であるが,予めその概要を整理して  「無形ノ資本」を活用するとの方針のもとに,新 示すと次の通りである。ω       事業の選択をすべきであると提言したもので,こ

①全般的事業整理(経費節減,人員整理等)。   の観点から適切と思われる諸事業を「製鋼部」・

②本社・工場間(東京・室蘭・輪西・広島)の  「広島工場」・「現設備二直接関係ナキ新事業」の 関係整理。      それぞれについて具体的に列記している(「製鉄

輪西工場の合理化と独立組織化(「輪西製鉄   部」については「暫ク現状ノ侭」)。

組合」→完全分離)。      それらは,いずれも予算的裏付けが示されてい

③新規事業の立案と経営転換方策(民需開拓)。  るわけでもなく,現実的に直ちに採用し得るもの

④資金調達方策(軍縮補償金の受領とその使途  とは言えないものの,軍縮下の日本製鋼所の活路 も関連)。      について,技術顧問としての立場から同社の特性

⑤ 販路拡張策と販売組織(地方出張所の廃止)。  をふまえた新事業の採用を積極的に提示した点で

⑥ 海軍及び英国側株主との関係改善と役員人事。  注目される。

ここで注意しておくべきことは,上記諸課題の   水谷は,さらに約1年半後の25年4月,再び提 多く(とくに①②③⑤に関わる内容)は,従来,  言を行った。㈲

水谷常務の経営再建策として示されているだけで   すなわち,23年11月の「私見」においては,

あり,(3)⑥との関係は殆どふれられず,また,  「製鉄部」については,政府の政策が定まらない その実際の推移と評価については不明確であった。  ので,しばらく現状のままとしていたのであるが,

しかし,前述のごとく,水谷の常務復帰は,日本  その後の製鉄鋼調査会の設置・審議,輪西工場へ 製鋼所の経営再建を希求する海軍省の意向による  の資金投下による製鉄設備の改善をふまえて,積

ところ大であるとともに,英国側株主の期待する   極的な設備充実計画を提言した。その内容は,銑 ところでもあった。とすれば,本問題の検討に当  鋼一貫経営の有利さを説き,輪西工場に一日も早 たっては,海軍省の意向や英国側株主の動向は無   くある程度の製鋼設備を設置すべきことを訴えた 視し得ないはずである。      ものであった(室蘭工場の製鋼設備と輪西工場の

そこで,以下では,「軍縮」下の日本製鋼所の  製銑設備とは技術的に一貫経営が成立し難かった 経営再建策の内容・推移・評価を海軍省及び英国   ことに注意されたい)。

側株主の意向をも考慮しつつ検討する。考察の中   その具体的内容は,鋼材の需給状態調査をふま 心は,最も重要な③の経営転換方策におかれ,②  え,「薄板事業ノ前途有望」との判断に立って,

④⑤については,それとの関連で必要な限りで言   まず最小単位の薄板設備を設置する,製品は比較 及するにとどめる。      的容易な「ブラックシート」及び「亜鉛鍍板」よ 水谷は,1921年10月の常務辞任後も,日本製鋼   り始める,薄板製造用の「シートバー」は当分社 所の経営に関心を有し,技術顧問として積極的に   外から購入し,設備拡張の際に「シートバー・ミ 提言していた。      ル」を設置する,というものであった。

すなわち,まず23年ll月,「本社将来ノ事業二   この薄板製造計画は,設備費や収支予算等の具 関スル私見」を樺山会長宛に提出した。(4)     体的数値をも示した詳細なもので,しかも,さし

その内容は,大戦終了に続く軍縮により「軍器   あたり小規模の設備で開始し,漸次拡張するとい ノ製造ヲ専門トスル我社」は甚だしい苦況に陥り,  う現実的な方針を提起したものとして注目される。

何も策を施さないと自滅の運命にあると厳しく警   この計画は,日本製鋼所の従来の事業とは大き 告するとともに,仔細に調査・研究すれば適切な  く異なる性格のものだけに直ちに採用されるとこ 事業を見出し得るとの判断に立って,我社創立以   うとはならなかったが,積極的な民需開拓方策と

(12)

して海軍省等からも着目された。         常務の常駐(東京オフィスの削減),室蘭と輪西 すなわち,海軍側は,25年9月下旬の日本製鋼   の事務重複の除去,広島工場を室蘭のコントロー 所取締役会が水谷の意見を入れた再建方策案を認  ル下に置く,などである。(9)要するに,輪西・

めたことを歓ぶとともに,水谷の薄板製造計画が  広島の合併以来の業務を整理し,現場の室蘭工場 胸算通りに実現するかどうか楽観を許さないが,  に本社機能をも備えさせ,室蘭を中心として統括 積極的に一般工業界に踏み出す方針を立てたこと  し直すというものであった。

は「前途ニー道ノ光明」と評価したのである♂6)   このような案(とくに室蘭の本社化と東京オフィ なお,この時点の水谷の薄板製造計画につい   スの削減)に対しては,三井関係者からの強い反 ての英国側株主の受け止め方は定かでない。水谷   発があったが,大多数の重役の賛成を得て議決さ の常務復帰と再建策案を全体として支持していた  れたという。(1°)実際,水谷の常務復帰後,上記の ことは明らかであるが,英国側は元々日本海軍の   主旨に沿った職制の全面改正が断行された(25年 勧誘により兵器会社としての日本製鋼所(室蘭)  12月1日付実施,第2図参照)。ただ,室蘭の完 に投資してきたという立場であり,輪西製鉄所合  全本社化は実現していないことを後の議論との関 併に伴う不利益を一貫して主張してきたのであっ  係で注意しておきたい。つまり,東京本店の事務 て(第1・第2論文参照),輪西に一般工業用の  事項の大部分を室蘭工場に移すという形であった。

設備を設置する計画よりは,むしろ輪西分離に期   しかしながら,水谷常務が室蘭に常駐して統括す 待することになる(後述)。       るとともに,広島工場長を室蘭工場長の兼務とし,

水谷は,常務復帰半年後の26年3月,あらため  広島工場の技術上の事項を室蘭の指示のもとにお て新事業方針(=薄板製造計画)を提起した。の  いたので,少なくとも室蘭と広島の技術上の事項

すなわち,水谷は,懸案の軍縮補償法の議会   と日常的な事務事項の殆どが水谷常務の管轄下に 通過が確実となった機会を捉え,「此際万難ヲ排  置かれることになったと言える。

シテ何等力有利ノ新事業二着手」すべきことを主   次に,⑤販路拡張策と販売組織の概要について 張し,新事業の選定に当たっては一般鋼材の供給   は,一般商業市場での注文の確保,販路調査員・

に基礎を置くことが有利と述べ,その起業には莫   技術調査員の設置,海軍軍港所在地の出張所の廃 大な資金を要すると認識しつつも,会社存立の方   止,海軍関係営業事務の三井物産出張員への代理 策としては「此ヲ措テ他二途ナク実二本社盛衰ノ  委託,などがあげられる。(11)要するに,海軍受注 分ルル処」と捉え,「御勇断」を会長に迫ったの   の激減のもとで,一般民需の開拓・製品開発を図 であった。      るとともに,販売機構を簡素化するという営業再

具体的には,一般鋼材の製造を行うには輪西工  建策である。

場の現設備を利用するのが有利であり,これに新   これら②⑤の再建策についても,英国側(V社)

たに製鋼設備を設けること,製品としては,需給   は油谷情報を受けて全体的に肯定的に受けとめて 関係から「電気銀・鉄葉飯・薄銀」を挙げ,薄板   いるが(一部の内容については油谷に確認を求め とその材料の「シートバー」を製造するのが最も  ている),ただ,最後の海軍関係営業事務の三井 有利なことを説いた。(8)       物産出張員への代理委託については,懸念を表明

水谷常務の新事業方針(=薄板製造計画)が実   している。⑫

際にどのように推移したかは次項において検討す      (2)再建策の推移ることにして,ここで,その他の再建策(とくに

前述の②⑤関係事項)について簡単に述べておく。   さて,上述のような水谷常務主導の経営再建策,

②本社・工場間(東京・室蘭・輪西・広島)の  とりわけ薄板製造計画等の民需分野の積極的開拓 関係整理について,その概要は,室蘭の本社化と  を図る経営転換方策は,どのように推移したので

(13)

第2図 日本製鋼所・業務組織図

(1925年12月1日現在)

(取

樺i 締 山 役

輔耳

_長

一受西

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  輪

製色業鉄虎務組児担合

(((

室      東

西 島       蘭      京

工      工       本

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紛        英  大東   製工事     病技販研機鋼溶工営会庶     秘 川         国  阪京   作務務      院術路究械材鋼務業計務      書 鉄         出  出出   係係係       調調係係係係係係係係

山        張  張張      査査 事        所  所所      員員

(出典) 前掲『社史資料(上)」374頁。

(14)

あろうか。      水谷は,薄板製製造計画が退けられた後は,上 結論を先回りして言えば,実際の経営方策とし  記「新経営方針」を前提として,さらに,室蘭工 ては採用されなかったというべきであり,新規事  場の主要設備を広島工場に移転・合併する案を提 業の立案・実施は尻つぼみとなる。        起している( 6)。

すなわち,1926年末に「新経営方針」が決定さ   この室蘭の主要設備の広島への移転・合併案に れ,27年初頭から実施されたが,その内容は次の  ついては,詳細は定かでないが,元々は1925年頃,

通りである。       一方で鉄道省が室蘭工場の敷地一部の鉄道用地へ

(1)当社創立本来の目的とする兵器製造及び高級   の編入を希望し,地方で海軍省が軍縮補償問題に 鋼製作を中心事業とし,これに向かって全力を  際して日本製鋼所への特別な補償方式(大口径砲 傾注し,これと密接ならざる関係事業の着手は,  関係設備の海軍への「無償譲渡」を条件に補償公 この際差し控えること。      債交付:第2論文参照)を考慮していた折に,日

(2)中心事業の基盤となるべき鋼の改良・研究に  本製鋼所内部で検討されたもので,海軍へ「譲渡」

全力を注ぎ,同業他社の追随を許さない優秀鋼   後に残る室蘭工場の設備を広島に移転・合併する の製作に努力すること。      というものであった。軍縮補償問題解決後,海軍 そして,当面の具体的施策としては,     への「譲渡」設備の日本製鋼所による利用が可能

(イ)高級鋼の研究推進のため,研究所施設を拡  となったため,本問題は一旦立ち消えになったも 張・充実する。      のの,その後も海軍省の一部と水谷常務を中心に

(ロ)仕上げ及び機械作業の殆どを広島工場に移   論議されていた。〔 7)

転・集約する。      しかし,結局は,この室蘭の主要設備の広島へ

(ハ)広島工場内に3トン電気炉1基,3トン蒸   の移転・合併案も実施されなかった。つまり,民 気鎚1基を新設する。      需分野の積極的開拓を図る経営転換方策は否定さ なお,室蘭工場は,漸次材料工場として使命を  れ,それと異なる「新経営方針」が採用され,電 発揮させる。( 3)      気炉等の一部設備の設置・移転は実施されたもの

以上の「新経営方針」の内容については,水谷   の,より規模の大きい設備の新設・移転は実施さ 常務自身も表明している(「高級鋼ノ研究製作及   れ得なかったと言えよう。( 8)    ・

兵器ノ製造二全力ヲ傾注」するとして,上記の   なお,水谷は,31年6月時点でも,次のように

「当面の具体的施策」と同じ内容を述べる)。(ユ4)し  述べている。

かしながら,この「新経営方針」は,前項で検討  (ユ)将来ハ兵器註文ハ到底我社経営ノ本幹ト為ス した水谷の経営再建策の内容とは異質なことは明   二足ラザルガ如シ果シテ然ルヤ詮議スルコト らかである。すなわち,水谷の提起する新事業方  (2)果シテ兵器註文ハ多クヲ期待シ得ズト認メタ 針は,民需分野の積極的開拓を図る経営転換方策    ル場合ハ全然軍事当局二椅頼ヲ要セザル製品即 であったが,そのような方針は採用されなかった   チ換言スレバー般工業上需用アル製品ニシテ我 と言える。       社二有利ト認メラルルモノニ就キ調査シ速カニ

この点,水谷自身,後に次のように回顧してい   之二着手ノ途ヲ講ズルコト(19)

る。       つまり,氏の持論である一般工業上重要な製品

「我社将来ノ為メニハ薄板製造二着手スルノ最  を製作すべく,調査・準備すべきとしているので モ機宜二適シタルコトヲ認メ之ガ具体的提案ヲ為  ある。しかし,これを述べている時点では,後述 シタルコトアリシモ遺憾ナガラ遂二其実行ヲ見ル  のごとく,水谷は既に常務退任の意志を固めつつ 能ハズ」と述べ,26年12月に至り,前述のごとき  あったと思われる。つまり,退くに当たり,持論

「新経営方針」に一決した,と。(15)        を再度整理して後進に託したものと推察される。

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2 当会社は、会社法第427 条第1項の規定により、取 締役(業務執行取締役等で ある者を除く。)との間

① 新株予約権行使時にお いて、当社または当社 子会社の取締役または 従業員その他これに準 ずる地位にあることを

第 98 条の6及び第 98 条の7、第 114 条の 65 から第 114 条の 67 まで又は第 137 条の 63

貸借若しくは贈与に関する取引(第四項に規定するものを除く。)(以下「役務取引等」という。)が何らの