近・現代の劇作家と違い,
Shakespeare
(1564-1616
)やその同時代の劇作家が書 いた戯曲の場合,ト書きが極端に少ないということはよく知られている.早い話,あ るのは登場・退場程度で,場面の最初に書かれている場所を示す言葉も,実際には 後世の編集者が書き入れたものである場合がほとんどだ.況や,舞台に関しても演 技に関しても,劇作家本人からの指示は何もないというのが通例である.もちろん,これには理由がある.まず舞台についてだが,当時は台詞が何よりも中 心で,今のような視覚に訴える大道具はなかった.
Shakespeare
が所属した劇団が占 有的に使用していたGlobe
座をはじめ,いわゆるpublic playhouses
は張り出した舞 台を三方から客席が囲む形で,そもそも今日的な意味での大道具・舞台美術など構 造的に思いも寄らなかったし,Blackfriars
座のような屋内劇場も,構造的には近・現代の劇場にやや近づいたとは言え,事情はあまり変わらなかったろう.つまり,ど ういう場面でとか,だからどういう舞台美術でとか,考える必要はなかったのである.
演技についても,
Shakespeare
に限って言えば,彼は座付き作者だったのであり,こ こはこう演じてほしいという思いが仮にあったとしても,いちいち戯曲に書き込まず とも,リハーサルの折,共に舞台に立つ劇団仲間にその場で口頭で伝えれば事足りた.また,自分が書いたものがよその劇団の手に渡って上演されることなど,当時におい てはあってはならないことだったのだ.
従って,登退場以外ほとんどト書きのない
Shakespeare
の戯曲を手にした我々は,研究ノート
Shakespeare 劇の演出について⑴: From A to J (From Antony and Cleopatra to Julius Caesar)
鈴木
邦彦
ここはどう演じたらいいのだろうと戸惑うこともあり得るだろうが,逆に言うと,ど う演じてもよいのだということにもなる.台詞回しをはじめ役者の演技をどうするか というのはもちろんのこと,どんな衣裳を着せるか,また,舞台美術が当たり前にな った今日の劇場で,様々な効果を狙った照明や音響などが自在に使える今日の舞台 環境で,それらをどう採り入れるのか,あるいは
Shakespeare
の時代を模して採り入 れないのかに至るまで,一切は演出家に委ねられていると言ってよい.そんなわけで,同じ戯曲であっても,演出家や劇団が異なれば,時によって全く違 う側面を新たに見せてくれる.全く違う作品に仕上がることがある.同じ戯曲でも観 にいくたび新しい発見があり,
Shakespeare
の場合,それが観劇の醍醐味の一つと言 ってもいいだろう.しかし,残念ながら舞台は生ものである.極めて興味深い演出や,その演出なら ではの発見があったとしても,多くの場合,その一瞬で消えてなくなってしまう.録 画・保存される場合もあるだろうが,市販
DVD
などで誰の目にも触れられるような 形になるのは,ごく稀なことだ.新聞や演劇雑誌に劇評などが残ればまだいい方で,多くはそのまま忘れ去られてしまうのである.
私は学生時代から今日に至るまで日本やイギリスで,千本とまでは言わないまでも,
数百本に上る舞台を観てきた.
Shakespeare
劇に限っても相当な数に上る.そして,芝居を観るたびメモを残すようにしてきた.そのうち
1997
年5
月以降のものであればWeb
上に劇評としてあらかたアップしてきた1が,それ以前のものとなると,むかし 手書きで記した日記帳は家の膨大な荷物の中に紛れて簡単には見つかりそうにない し,かつてワープロ専用機で打ち込んだものは,パソコンが主流となった今,データ を取り出す術もない.わずかに
1996
年の春から夏にかけてイギリスで観た芝居につ いて,txt.
ファイルに変換して取り残しておいたものがあるのみである.今回,
1996
年にイギリスで記した観劇メモに加筆訂正などして紀要の上で活字に することで,かつてこの劇のこの場面でこういう演出があった,あの場面でああいう1仁川演劇研究所のホームページのうち,「劇評メモ」のページ.<http://engeki.art.
coocan.jp/RecentPlays.htm>
演出があったということを改めて記録に残したい.もちろん,それらの中には,演出 として成功と思えるものもあれば失敗としか思えないものもあるのだが,ともあれ,
それらを読むことによって,
Shakespeare
劇の随所々々を解釈する上での新たな可能 性を(舞台の上で一旦開かれながら再び埋もれつつある可能性を)一人でも多くの人 が知ることになり,更にはそこから今後の演出のヒントに繋がっていくものが僅かな りともあるかもしれない.だとしたら,これは,研究者にとってのみならず舞台の現 場に関わる人たちにとっても,貴重なデータの一部分を形作ることになるはずだ.2 以下,データ検索上の利便性を考え,観劇の年月順ではなく,Shakespeare
劇の一 般的なタイトルの(冠詞を除いた)アルファベット順に記していくことにしよう.A
Antony and Cleopatra
(『アントニーとクレオパトラ』)
1996
年6
月22
日夜所見.Tabard Theatre (London
西郊Turnham Green).
The Canterbury Tales
のPrologue
を思い起こさせるTabard
なるパブ.その庭にあ る鉄の階段を上がると劇場の入口である.イギリスにはWest End
の比較的大きな商 業劇場の他,fringe theatres
と呼ばれる小さな劇場がたくさんあり,実験的な演出が しばしば見られるが,パブの一室が劇場というのは,この地ではよくあるスタイルだ.長方形の演技空間をコの字に囲むようにして,壁際に座席.この晩の観客は十人余.
Antony
とMardian
が地球 儀の図柄のビーチボールで戯れる傍らで,全 裸のCleopatra
が水の入った浴槽で湯浴みしているという,刺激的な場面で開演する.エジプト風もしくはローマ風の薄衣を纏った女性がいるかと思えば,現代の何か の制服のような装いをした男性もおり,かと思えば
Enobarbus
を演じるのは女性で,2 1997年5月以降のものも加筆訂正などして活字に残そうかという気持ちはあったが,
数が膨大で断念した.尚,改作の類も含めようと思うが,Shakespeare劇を下敷きにし た作品自体が既に有名で別個のものと考えられるようなもの(例えばTom Stoppardが Hamletを下敷きにして書き上げた不条理劇Rosencrantz and Guildenstern Are Deadな ど)は除外することにする.
しかも彼女の服装と言ったら最初裏方か何かと勘違いしたほど全く日常的な服装な ので,かなり戸惑う.金銭的な理由で衣装を揃え切れなかったのか,確固とした演出 意図があってこうちぐはぐなのかはわからない.その上,男優四名,女優六名の計十 名でこの芝居を進行していくため,一人が二役・三役と兼ねなければならない.
Shakespeare
が属した劇団も今日のRoyal Shakespeare Company
のような大所帯で はなかったはずで,一人が複数役を兼ねることなど日常茶飯事であったろうから,そ れはそれでいいのだが,衣装を変えるわけでも髪型を変えるわけでもなく,そのまま の格好で,例えばOctavia
をやった女優が女性の衣装のままで兵士の役をしたりもす るので,わりとわかりづらい.
Pompeius
を巡るエピソードはカットされていたようだし,Antony
の自刃や廟への 運び込みあたりの場面も順番が少し変えられたりしていたかと思う.そのAntony
自 害の場面だが,Antony
が全裸になる.Eros
はAntony
を浴槽に入れて目隠しをさせ,抜剣して
Antony
を切ると見せつつ,自らこめかみに拳銃を当てて果てる.Antony
は
Eros
の剣を持って浴槽で自害.たぶんどこかに血糊を入れた袋を隠してあったの だろう,浴槽内はおろか,あたりの床一面,すぐ近くに座っている観客の足許まで夥 しい血が飛び散る.廟は,奥の暖炉(ここを劇場に転用する前からこの部屋にあった物か)に脚立を立 て掛けて表わす.
Antony
が横たわる浴槽を乗せた台にリボンを結び,これを引っ張 って(実際は後ろから別の人が押して)暖炉の近くまで寄せる.ずっと倒れていたEros
が突然飛び起きて(蛇を運ぶ)Clown
役.籠の中は毒蛇ではなく,Cleopatra
た ちは注射器を使って自害する.その背後に浴槽から立ち上がった全裸のAntony
とい う構図でtableau
となる.現代服による
Shakespeare
劇というのはそれほど新しい発想ではない.20
世紀初頭
Barry Jackson
によるそれから百年は経とうという演出方法である.以降,その手の「現代化」は舞台でも映画でもしばしば見られる.衣裳のみならず,
Eros
が拳銃を 使ったり,Cleopatra
が注射器を使ったりして自害するというのもその一環だろう.そのことによって四百年以上前に書かれた悲劇が現代の我々に身近なものとして捉 え直されるというのであればいいが,そういう効果が出たのかどうかは甚だ疑わしい.
ただ,頻繁に裸体を見せつけられて,政治劇とばかり捉えられがちなこの作品の 性愛の面を強く意識させられたのは確かだ.
As You Like It
(『お気に召すまま』)1
1996
年4
月26
日夜所見.RSC. Royal Shakespeare Theatre (Stratford-upon-Avon).
言 う ま で も な く,
Shakespeare
の 生 誕 地 に し てRSC
(Royal Shakespeare Company
)の本拠地であるStratford-upon-Avon
に三つあるうちの一番大きな劇場.舞台左右の柱も背景の壁も全てステンレス風の金属色.冷酷な宮廷と
Arden
の森 とを対比するためかと思ったが,森の場面になっても変わらない.しかも森は吹雪だ.老公爵
(Robert Demeger)
がHath not old custom made this life more sweet / Than that of painted pomp?
(II.i
)3と切り出しても,廷臣たちは寒さに凍えて返事 をする気もない.とうとう老公爵は途中から裸足になって訴え続け,ようやく
Amiens (Blair Wilson)
に執り成してもらうという始末.Arden
=the golden world
(
I.i.
)の図式はハナから覆されているというわけだ.前半の幕切れ(
2
幕最後),実直そうなAdam
(John Quayle
)が廷臣たちの腕の中 で息を引き取ってしまう.戯曲上Adam
はこれ以降もう出番がないので,こういうや り方を思い付いてもおかしくはなかったのだが,正直,不意打ちを喰らった.「やら れた」という感じ.Shakespeare
当時は二役か何かする都合だったのかも知れないが,現代の演出では,無言のままであれ,とにかく
Adam
も大団円にも加えられているの が普通なので,ここで死んでしまうというのは,意外過ぎた.
4
幕2
場の鹿狩りの場面では,はらわたを裂いた大きな鹿を舞台中央に引き摺り出 し,皆で鹿の血を手に擦りつけるなど,残酷さを強調.2
幕1
場同様,Arden
の森は 決して理想郷にあらずという演出(Steven Pimlott
)の意図はわかるが,全体が何か 纏まりを欠く感じがする.Amiens
が歌うオペラ調の曲も,この芝居にはしっくり来 ない.3 Shakespeareからの引用には,少々古いのは承知しているが,便利さからW. J. Craig ed., The Complete Works of William Shakespeare (Oxford U.P., 1914) のWeb版を使う.
Celia
役Rachel Joyce
,恋するRosalind
をからかう時など,可愛らしくも女性らし い仕種を巧みに演じた.Rosalind
役Niamh Cusack
は女装時は美しいと思ったが,男装時あまり色気がない.
Frederick
役Colum Convey
,この人物の人間的小ささを 巧く出した.Silvius
とPhebe
(Joseph Fiennes
とVictoria Hamilton
),3
幕の最後,頗るコミカルに演じる.4
Touchstone
役David Tennant
,おかしみのみならず,道化 の奇怪さをも醸し出す.最終場,観客席からふいに老婦人が舞台に上がって,一体何事かと思ったら,こ れが
Hymen
役.
5Adam
の死といい,観客を驚かすことに力を入れているのかと勘 繰りたくなるが,こういうやり方は嫌いではない.As You Like It
(『お気に召すまま』)2
1996
年6
月16
日夜所見.BAC Theatre (London
南郊Lavender Hill).
当時の劇場名
BAC
とは,以前の呼称Battersea Arts Centre
の略.現在はまたBattersea Arts Centre
という名称に戻したらしい.Main House
と呼ばれる,建物内 で一番大きなスペースでの公演(他にStudio
と呼ばれる小さなスペースが二つある).舞台には緑の紗が張り巡らしてあり,宮廷の場面では,その紗が透けて後ろに甲 冑が見える.舞台下手奥の床がやや高くなっていて,木の根を模したと思しき凸凹.
Charles
(Stu Cochrane
)が開幕時から自分の出番までずっと客席に背を向けて舞台 脇に仁王立ちしているが,演出意図がわからない.Adam
(Terence Dauncey
)は馬 具を磨きながら登場.Oliver
(Philip Woodford
)は赤い乗馬服姿.
1
幕2
場,Rosalind
(骨ばった,が,それゆえか男装時は見栄えのするJulia Barrie
) がCelia
(Jane Nash
)の髪を解いてやっている.塞いでいるRosalind
を笑わせようと,Celia
が鏡(鏡があるつもりで実際は客席)に向かって舌を出したりおどけた顔をした4因みに、Joseph Fiennesが映画Shakespeare in LoveのShakespeare役で世界的に有名 になるのは、この2年後である.
5 Hymen役は新たな役者を配する他,歌を歌うことから,他の場面でも歌を歌う
Amiens役が兼ねる場合も少なくない.芝居後半で出番がないAdam役をHymenに配し
た舞台もあった.
りする演出が面白い.
Touchstone
(Paul Kemp
)は現代風のネクタイにスーツ.Le Beau
(他にも多くの脇役を引き受けるJohn Lightbody
)は燕尾服に大きなascot tie
. 胸には花,喋り振りは阿呆の態だが,これは人物造形を間違えているのではないかと 思う.黒 いダブ ル の スーツを 着 たJaques
役 に 頭 頂 部 の 禿 げ たPeter Pacey
.Melancholic
というより,身の程も弁えず気取っている気障野郎に見えてしまう.
2
幕7
場,森の中での食事の場面では,わざわざ天井に吊った食べ物の入った籠を 下ろしてくるが,意図不明だ.
4
幕1
場,love game
の間及びその後のCelia
がものすごく不機嫌な表情をしている.Rosalind
への同性愛的な心情から発する嫉妬心の現れというつもりなのだろう.同3
場,
Oliver
とCelia
が一目惚れする箇所.二人とも気絶したRosalind
なんかそっちの けで見つめ合い,見つめ合ったまま「しっかりなさいな」とばかりRosalind
を足で蹴 ったりするのが面白い.
Lowri Mae
がPhebe
とPage
の二役,Helen Pearson
がAudrey
とPage
の二役.5
幕3
場では,Audrey
として登場しながら,Touchstone
との「やぁ公爵の童が来た」「え,何人」「二人」というような,戯曲にはないやり取りの後,慌てて帽子を被って早替り するという,楽屋落ち的な笑いを挟んでの進行.これはぎこちなさ過ぎて,あまりい ただけない.この場では,途中,他の出演者らも登場して合唱になる.
さて,今回の舞台で一番興味深かったのは,
Duke Frederick
とDuke Senior
が一 人の役者によって演じられたということだ.なるほど両人は舞台の上では決して出会 わないのだから一人二役も可能なはずだが,敵対する二人であるだけに今まで考え もしなかった.Simon Coady
は,黒いフロックコートをぴしっと着こなしたFrederick
の時は如何にも厳めしく,また,同形ながら土埃で薄汚れたコート姿で,くたびれたパナマ帽を被った
Duke Senior
に変じた時は如何にも柔和――.演技力 の為せる技だろう,両者のコントラストが鮮やかに浮かび上がった.大団円で
Jaques de Boys
(John Lightbody
)がFrederick
の改心を伝える.これが 非常に唐突で性急だというので,古来少なからぬ不評を買ってきた箇所である.とこ ろが,一人で両公爵を演じる今回の公演では,今舞台上にいるDuke Senior
がFrederick
なのだ.Duke Senior
が舞台上にいる以上,Frederick
は登場し得ない,存在し得ないのだ.
Frederick
のArden
侵攻はハナから無効にされている,ハナからあ り得ないのである.してみると,Frederick
が戦いを放棄したという知らせが,性急 どころか,至極当然のように聞こえるのだ.演出家(
Peter Brewis
)がここまで考えた上で一人二役にしたのか,劇団員が足り ないという単なる形而下的理由から一人二役にせざるを得なかったのか,どちらかは 知らないけれど,非常に面白い効果をもたらした.偶然だとしたら,こんな偶然は,お金も人材もふんだんに使う
West End
の劇場では起こり得なかったことだろう.実際,
Shakespeare
の時代の劇団も団員は必ずしも多くはなかったし,人によっては一人何役もやったのだから,ひょっとしたらそもそも両公爵は一人二役として企図され たものだったのかもしれない.地下鉄や
British Rail
を乗り継いで,最寄駅Clapham
Junction
からもかなりの距離を歩かされたが,両公爵一人二役の妙に気付かされたことだけでも,こんな辺鄙な劇場まで来た甲斐があったというものだ.
As You Like It
(『お気に召すまま』)3
改作Wicked Bastard of Venus.
1996
年6
月17
夜日所見.Southwark Playhouse (London, Southwark).
Southwark Playhouse
は,当時Southwark Bridge Road
沿いの建物の奥に入った ところにあったスタジオ風の小劇場.かつてここに劇場があったことは,今でもPlayhouse Court
という小路の名前に残されている.
6タイトルの
wicked bastard of Venus
は,As You Like It
の4
幕1
場でOrlando
にし ばしの暇を告げられた後のRosalind
が,自分が如何に愛に溺れてしまっているかCelia
に語る台詞の中で言及する愛の神Cupido
(ギリシャ神話のEros
に相当)のこと である.これをタイトルとした,As You Like It
の改作というので観に出掛けた.
Bar
で開演時刻ぎりぎりまで待たされ,ようやく観客席に.入場料金が通常7
ポン ドのところ,この日は3
ポンドの日だからか,四十人前後の客が三列しかない客席に ぎっしり詰まった.この規模のfringe theatre
としては,驚くほど多い人数だ.6現在の劇場は,元の場所から500mほど南のNewington Causeway沿いにある.
演技空間には茶色い土が敷きつめてあり,中央奥には土の山ができていて,丸太 が何本か挿してある他,古いタイプライターが無造作に捨ててある.下手に本を積 み上げた机に椅子.上手にドラム缶.その更に上手にナイトクラブにありそうなステ ージとマイク.
出演者は三人のみ.
Rosalind
に目の下に隈を作ったSally Giles
,Celia
にアフリカ 系のSara Powell
,Orlando
にRichard Cherry
.まず
Rosalind
が上手端のステージで一曲.全くのアングラ劇か.As You Like It
を 下敷きにしているとは言え,さっぱり理解できないのではないかと恐怖したが,始ま ってみるとAs You Like It
の彼らの台詞そのまま.但し,
Orlando
がWoman / A User
’s Manual
と書かれた大きな本を舞台奥に掲げ,1.
Impress
と書かれた頁を示してはwrestling
に挑み,2. Advertise
の頁を捲ってはlove poems
をあちこちに散らし,3. Play the Perfect Lover
の頁を広げてはRosalind
とのlove game
に興じ,4. Make Her Sweat
の頁を見せてはRosalind
に待ちぼうけを食ら わす.これら全て女をモノにするためのmanual
に従ったOrlando
の手管という訳で,原作にことごとく皮肉な光が投げ掛けられる.
二人の女性が変装する場面がなかなか凄まじい.
Exotic
な音楽が流れる中,宗教 的儀式か何かのようにして顔に白い粉を塗りたくる.薄汚い黒のコートに帽子という 出で立ちで,甚だグロテスクだ.
Orlando
との会話では,Rosalind
が何やら外国語を喋ると,Celia
がそれを外国語 訛の強い巻き舌英語で訳してOrlando
に伝えるという具合で進行する.が,だんだ ん熱してくるや,Rosalind
は堪え切れず英語で話し始め,コートも脱いでしまい,Orlando
と抱擁し合う.Rosalind
を愛するCelia
がRosalind
に訴え掛ける場面は,Silvius
とPhebe
の台詞を流用している.先にも述べた
Woman / A User
’s Manual
のくだりは興味深い.台詞は全く変えず とも,小道具一つでそこに新しい意味が加わる.これはそのまま演出というものの,また(戯曲では完結せず上演されて初めて完成する)演劇というものの面白さを象徴 していると言ってよい.
As You Like It
(『お気に召すまま』)4
1996
年8
月31
日昼所見.Contraband Productions. Queen
’s Park
(London
北西郊).
London
では市内各地に点在する広大な公園を利用して野外劇が催されることが珍しくないが,これもそうしたものの一つ.公園内にある
bandstand
に背を向けるよ うにして椅子が芝生に並べられている.Kingswood Avenue
の方向を背景にして開演.情報誌に
all-female cast
とあったとおり(Touchstone
役を除き)出演者は若い女性ば かり.Orlando
(Pippa Hinchley
)は鉄アレイでトレーニング中.Oliver
(Laura Martin
)のところへくわえ煙草で現れるCharles
(wrestler
に相応しい小太りのSian Jewsbury
)はジャージにサングラス姿である.
1
幕1
場が終わるや,背にしたbandstand
の方で嬌声がするので振り返ると,椅子 を持ってこっちに来いと係員が観客を誘導する.Bandstand
がFrederick
(Julie
Markey
)の宮廷という見立てなのである.取り巻きたちが公爵万歳と唱えている.その前の地面で
Rosalind
(痩せたAnna Gerratt
)が我が身の不遇を嘆いていると,Celia
(Georgina Sutton
)がbandstand
から降りて来て,彼女を慰めに掛かる.この 公演の唯一の男性Touchstone
役Aitor Basauri
は,地か演技かその両方か,ひどい 巻き舌の訛りのある英語を喋る.
1
幕が終わるや,上手方向でまた嬌声がし,係員の誘導でそちらへまた移動するこ とになる.背景に木々が密に生え,ここから見る風景は正にthe forest of Arden
とい う感じだ.Robin Hood
のような揃いの緑色の帽子に上着を着たDuke Senior
(
Frederick
も演じるJulie Markey
)とAmiens
(Charles
も演じるSian Jewsbury
)とも う一人の廷臣(Sarah Howard
)が水鉄砲や玩具の機関銃を持って遊び回っている.Jaques
(付け髭のHelen Johan
)の噂をしては笑い転げ,ミネラルウォーターを飲ん ではビスケットを頬張り,全くピクニック気分.2
幕1
場を終え,ゆっくり退場…と言 うか,脇の衣裳掛けの所に赴いた三人,お喋りしながら緑色の上着を脱ぎ,Markey
は白いシャツの襟を立てて黒いブレザーを,他の二人は黒いジャンパーを着込み,全 員サングラスを填めると,強面のFrederick
とその取り巻きに変身.同じ趣向は2
幕7
場から3
幕1
場に移る時にも使われる.こうした「舞台裏」を敢えて見せる演出は,最 近珍しくはないけれども.
2
幕4
場でArden
に着いたRosalind
他二名.Rosalind
は野球帽のようなものを後 前に被り,黒い皮ジャン.Touchstone
が濃いもみあげもそのままに赤いお下げの鬘 を被り,派手なプリント柄のワンピースを着て女装して出てきたのには驚いた.しかも,Corin
(Charles
やAmiens
を演じるSian Jewsbury
)がこの奇怪なTouchstone
に色目 を使う.3
幕2
場でもCorin
がTouchstone
に言い寄ろうとして話し掛ける.
2
幕5
場で初めてJaques
が登場するが,敷物を敷き,アイマスクをして午睡をしよ うとしているところに,彼を驚かそうとAmiens
ともう一人の廷臣が飛び込んできて 歌を歌う.情報誌Time Out
にはall-singing, all-dancing performance
とあったけれど,ここまで全然歌も踊りもなく,普通の台詞劇だったばかりか,この
Under the greenwood tree
の歌にしろ,決して上手いとは言えない代物.
2
幕7
場でDuke Senior
らがビスケットを広げていると,食べ物を得ようと近づいて来る
Orlando
の姿が遙か後方の木々の間に見える.こういう奥行きのある芝居作りは,普通の劇場ではどんなに舞台が大きくてもできないから,野外ならではと言って いいだろう.それも,こういう木々の生い茂った広い公園ならではだ(
3
幕2
場冒頭でOrlando
が木々に自作の詩を張り付けては森の中を徘徊する場面も,奥行きのある演技空間を印象的に利用し得た).
Orlando
がAdam
(Lucy Christofi
)を連れに一旦退場すると,Duke Senior
は,Thou seest we are not all alone unhappy
(II.vii.
)と,Amiens
やもう一人の廷臣と抱擁し 合い,嘆く.Jaques
が人生七幕説を始めると,他の人たちが,あぁまた始まったとば かり,あからさまにうんざりした顔をする.普通はしんみりした感動的な場面に作り 上げるところだが,それを敢えて手放したのはユニークな演出かもしれない.
Touchstone
が女装しているので,Audrey
とのエピソードは一切なし.従って,3
幕3
場はそっくりなくて,2
場から4
場へすぐ飛ぶゆえ,少し繋がりが不自然.5
幕1
場もなく,4
幕3
場から5
幕2
場へすぐ飛ぶゆえ,ここも繋がりが不自然になってしま った.
5
幕3
場のIt was a lover and his lass
の歌は全員(Jaques
までも)が総出で歌い かつ踊る.Phebe
(Frederick
の手下やDuke Senior
の廷臣などを演じるSarah
Howard
)は,金髪の鬘に青いアイシャドー,赤いミニスカートに網タイツ姿だが,それらが全く似合わない不細工極まりない娘として造形してある.
大団円,
Hymen
はTouchstone
が勤める.Jaques de Boys
も登場せず,Oliver
がFrederick
改心の報告をする(知っていたのなら,早く言えばいいのにという感じだが).森に残ると言う
Jaques
をDuke Senior
が呼び止める台詞も抜けていたように思 うし,Rosalind
によるepilogue
もない.総じて言うと,
all-female cast
にした積極的な理由が見えてこない.All-female cast
によって何か重要な視点が加わったり,大切な意味が浮かび上がってきたりとい うことがないのだ.あと,役者の技量不足のせいか演出のせいかあるいはその両方 のせいかわからないが,力み過ぎていたり役作りが類型的過ぎていたりという部分が 目に付いた.この芝居を
Queen
’s Park
という緑豊かな公園で観ることができたというのが,ほ とんど唯一の収穫か.両公爵を一人二役で演じるという趣向は上記BAC Theatre
で のそれと同じなのだが,今回はあまり感銘を受けなかった.単に二度目だからという わけではなかろう.BAC
では敢えて同型のフロックコートを着て,対比の妙に力点 を置いていたが,こちらではそういう視点がない.サングラスを掛ければほら悪党っ ぽいでしょうと言わんばかりの浅薄な造形が,災いを為したと言っていいだろう.演 出及びプロデュースはRachel Lasserson
.C
The Comedy of Errors
(『間違いの喜劇』)1
1996
年7
月10
日昼所見.New Shakespeare Company. Open Air Theatre (London, Regent
’s Park).
Regent
’s Park
にある有名な野外劇場である.舞台中央から上手に掛けて石造り風 の建物のセット.舞台の敷石の色ともマッチしている上,壁には蔦など絡んで,この 劇場に初めて足を運んだ人なら常設の建造物と思い込んでしまいそうなほどしっか りした造りをしている.それの前部中央に黄色や水色の淡い色彩で模様の描かれた 一角があり,ここが場合によって屋内となる(下手に木のドア).建物の上手端には階段があって,上部もまた舞台として使えるようになっている.その二階部分を舞台 中央奥まで辿って行くと,傍らに鄙びたマリア像が立っており,更にその奥に観音開 きの厳かなドア.丁度自然の木々で囲まれ,如何にも修道尼院に相応しい雰囲気.
舞台下手には,これらとは別にもう一つ建物があり,こちらはトルコブルーのタイル 張り風の建物.こちらの二階部分も,狭いながら演技空間となる(
Designer: Claire Lyth
).開演と同時に
Ephesus
の町の人々が行き交う.『アラビアンナイト』にでも出てきそ うな女たちがいるかと思えば,シルクハットに燕尾服といった紳士もおり,敢えて狙 ったのではあろうが,ちぐはぐな印象(後に分かることだが,アラビアンナイト風の 衣裳の女たちは娼婦役).トルコブルーの建物の二階舞台に現れた
Solinus
(John Berlyne
)は,どこかの発 展途上国でクーデターによって軍事政権を樹立した将軍か何かを彷彿とさせる,辛 子色の軍服姿.町の人々は,引き立てられて来たEgeon
(Michael G. Jones
)に石を 投げつけたり,Solinus
の台詞の合間々々に気勢を上げたりする.両Dromio
(Syracuse
の方がGavin Muir
,Ephesus
の方がPhilip Fox
)は雰囲気をうまく似せてある.両Antipholus
,長靴にカウボーイハットという出で立ち.Ephesus
の方(Peter Forbes
) がSyracuse
の方(David Cardy
)より少し太めだが.修道尼院の扉は,最終場まで待つことなく,早くも
1
幕1
場と2
場の境に開く.中 から白衣に身を包んだ若い尼僧二人(Catharine Duncan, Lucie Florentine
)が現れ,ハーモニーを利かせて時を告げる歌を歌うのだ(この後も,時刻に言及する台詞のあ る場の直前で).
この尼僧役の二人が娼婦役も兼ねているというのは,偶然の配役なのか,意味深 と取るべきなのか.
Hamlet
のGet thee to a nunnery
(III.i.
)を否応なく思い浮かべ てしまう.因みに,娼婦の店は,6
月27
日に観にきたTempest
の公演の折,スタッフ がキーボードだか照明の制御板だかを前にして控えていた小屋を飾り付けた物.カ ーテンを下ろすや,中から嬌声が聞こえたり小屋ごと激しく振動したりする.
Adriana
役にはPaula Wilcox
.Luciana
役には先日のTempest
でMiranda
を演じたDebra Beaumont
.目の覚めるような鮮やかなブルーのドレスに,大きくカールさせた長髪.
Miranda
の時とは全く印象が異なる.
Doctor Pinch
(Christopher Biggins
)は白髪のぼさぼさ頭.医者のような白衣を着 て,顔がなぜか(ところどころ剥げた)白塗り.片方だけガラスの入ったサングラス を掛けている.電気椅子のような物に縛り付けられたAntipholus of Ephesus
は,Pinch
が椅子から伸びた線を繋ぐと,痺れるような仕種をして,大いに笑いを取る.中学生くらいだろうか,五グループほど,それぞれ教員に引率され観劇に来ていたが,
結構笑ったり,非難の声を上げたりと,反応が絶えない.
Shakespeare
がここイギリ スでは(古典や教養というのでなく)本当に「生きている」という感じがして羨ましい.The Comedy of Errors
(『間違いの喜劇』)2
1996
年8
月30
日昼所見.RSC. The Other Place (Stratford-upon-Avon).
Stratford-upon-Avon
に,Royal Shakespeare Theatre
やSwan Theatre
とは 別、 、 、 、 、 、にもう一つ作られたスタジオ風の小さな劇場が
The Other Place
である.開場を待って入ってみると,はやお爺さんが「板付き」状態.舞台の上で手を鎖に 繋がれて座っている.
Egeon
(息子を探して放浪の末…と言うわりにはえらく頑健そ うなChristopher Saul
)だろう.ほぼ正方形の演技空間を三方向から囲む形.舞台面は日干し煉瓦を敷き詰めたよ うな石畳.舞台背面に,上手から下手に向かって,木でできた上り坂.その後ろに,
舞台面と同色の煉瓦の建物.少し傾いでいる.真中に観音開きの木の扉.建物の二 階と思しき高さの,上手に木の板で塞がれた窓が二つ,下手に鐘.木でできた部分 はいずれも使い込んで黒光りした感じに仕上げてある(
Designed by Robert Innes Hopkins
).舞台を三方から囲む二階席のうち上手側の奥が楽士席になっている.開演と同時 に,ギターのような音色で,中近東風か
Islamic Spanish
風か(あるいは,プログラム にはsitar
なども記されているからインド風なのか)の音楽(Music by Adrian Lee
)が 奏でられる.やがて,バイオリンを片手に(後には弾きながら),これまたexotic
な歌 を歌うのがSylvia Hallett
.時を告げるように鐘が鳴り,登場したSolinus
を演じるは,見事な禿頭のアフリカ系俳優
Leo Wringer
.白い詰襟に金ボタン.アフリカのどこかの国の軍事政権の大統領みたいな造形.先に
Regent
’s Park
で観たものと同じく,や はり幕開き時のSolinus
は,情に流されない強権的な支配者というイメージなのだろ う.両
Antipholus
(Syracuse
のそれにRobert Bowman
,Ephesus
のそれにSimon Coates
)は口髭を蓄え,ネクタイにスーツ.両Dromio
(Syracuse
の方がDan Milne
,Ephesus
の方がEric Mallett
)はskinhead
でバミューダズボン.Exotic
な音楽に合わ せて,衣裳ももう少し異国情緒のある物にしたらよかったのにとも思う.Adriana
は,金髪をきれいに結い上げた
Sarah C. Cameron
.整った顔立ちをしている.絹のよう な光沢のある裾の長いドレスに上着.妹のLuciana
はスリランカ出身のThusitha
Jayasundera
.黒い髪をお団子にしている.始終深刻な顔をしているので,非常に重々しい印象だ.
Syracuse
の二人組がAdriana
に招かれて家(建物の中央の扉)に入ると,扉の前に 鉄格子が左右からスライドしてきて閉まる.そこへEphesus
の二人組登場.これまで 見てきた他のどの演出でも,家の内と外と両方同時に見えるように工夫がされていた が,この演出(Tim Supple
)では,家の中は舞台セットの裏で全然見えない.家の内 外を同時に見渡すことによる面白味は欠けてしまうものの,時々Dromio of Syracuse
がほんの一瞬木の扉を開け,Dromio of Ephesus
が振り返るともう閉まっているとか,二階の窓を塞ぐ板が一瞬開いて,
Antipholus of Ephesus
の頭に水を浴びせるとか,別の面白い趣向を生み出した.
Dr Pinch
役は,Solinus
も演じたLeo Wringer
.ソフト帽から上着やズボン,ネク タイに至るまで黒づくめの出で立ち.これまで見た他の演出では怪しげな器具や機 械を使う道化役だったが,今回のPinch
の場合,使う物と言ったら聖水と聖書と十字 架のみだ.この演出では,総じて,台詞と台詞の間に「間」を持たせ,同じ驚くにしても,す ぐに驚きの台詞を口にするのではなく,唖然として声も出ないという演技をし,充分 に「溜めて」から次の台詞に移るという具合だ.その方がリアルだと考えたからだろ うか.大団円で家族一同が再会しても,いきなり喜び合うというのでなく,やっぱり「溜 めた」演技をする.いや,寧ろ間が空きすぎて,何かとても落ち着き払って冷淡とい
う印象さえ受けてしまう.いきなり兄弟だ父だ母だと言われても,俄かには信じられ ず驚くばかりというのが本当なのかも知れないが,どうせこれはお芝居で,しかも喜 劇なのだから,もう少し締め括りにリズムを持たせてもいいのではないか.
Emilia
(
Ursula Jones
)が皆を祝宴に招く台詞を述べた後も,一人一人手招きして,相手が戸口で跪くとその頭に祝福をし…といった具合で,儀式か何かみたいに手間が掛か る.
音楽についても一言すれば,音楽自体はとても素晴らしく印象的だったけれど,劇 中も台詞に被せて頻繁に奏でられ,特に
Antipholus
がDromio
を殴るのに合わせて 擬音を出すようなことまでされると,少し邪魔という感じがしてしまう.因みに,
Stratford-upon-Avon
からLondon
への帰路,今しがた舞台の上で見たば かりの役者たちと同じ列車,同じ車両になった.彼らが談笑する様を至近距離でつ ぶさに見聞きすることができ,舞台上の彼らとのギャップが興味深かったのだが,劇 評とは直接関係ないゆえ,ここでは割愛しよう.Coriolanus
(『コリオレイナス』)
1996
年6
月29
日昼所見.Mermaid Theatre
(London, Blackfriars
駅東隣).当時,上記の場所にあった劇場.その後このあたりの再開発に伴い大改修され,
オフィシャルサイト7を見る限り,現在,立派な
auditorium
はあるものの,主に各種 イベント会場として使われていて,残念ながらかつてのように芝居が掛けられること はないようだ.白黒二色の舞台.奥が一段高くなっていて,そこに黒一色の六本の四角い柱.柱
の奥の
backdrop
に青い照明を当てているため,box
席も二階席もない観客席の階段を降り自分の座席に向かいながら,何か海底に潜っていくような感じがする.
開演と同時に群集が登場.ソフト帽を被り,くたびれた背広に長靴姿.因みに,彼 らが帽子と上着を脱ぐと下は黒ずくめのシャツにズボンで
Rome
の兵士,同じ姿のま まサングラスを掛けるとVolscia
の人々になる.軽快なドラムの音に合わせて,揃っ7 2019.9.7閲覧.https://the-mermaid.co.uk/
て動いたり,揃って動きを止めたりする.非常に様式的もしくは舞踏的だ.
様式的と言えば
1
幕3
場.Volumnia
(Faith Brook
)とVirgilia
(Sara Griffiths
),客 席の方に正対して並んで座り,縫い物をしている手つきのつもりだろう,低い電子音 楽に合わせ,二人揃って右手を大きく振り上げては元の位置に戻すということを何度 も繰り返す(この演出では子どももValeria
も省略されている).母親は赤,嫁は黒と 薄紫.両者ともビロードのような光沢のある生地でできたドレスで,どちらも肩の所 が尖り,斜めに布を継いだりしてある故,spot light
に照らされて,何かSF
劇でも見 るような印象だ.
Griffiths
は無表情な美人.一方でBrook
は俗物っぽい感じがよく出ている.この母親が
Coriolanus
をこんなにも傲慢な人間に育ててしまったのだ!と観客に思わせるという意味では,巧みに造形し得たと言うべきだろう.
その傲慢な
Coriolanus
に扮するのが,演出もしセットの案も出したと言うSteven
Berkoff
だ.ダブルの縞の背広(足には長い軍靴)で登場し,後の戦闘場面では踝まで来るような長い黒革のコート.殆ど剃ったように短く刈り込んだ頭に嗄れ声.演技 か地か,これは正に
Coriolanus
その人,危険な男だと思わせる.こいつはconsul
な んかにしてはいけない.戦場でのみ役に立つ,平時には皆の厄介者になる奴だ.怒 ると青筋立ててでかい声.思わずCoriolanus
の,いやBerkoff
の血圧を心配してしま う.他に,
Menenius Agrippa
にDavid Henry
.口髭を蓄えた恰幅のよい紳士.かつて 戯曲を読んだ時には,もう少し茶目っ気というか,くだけたところのある人物のよう に思えたが,頗る真面目な印象.Cominius
(Titus Lartius
の役をだいぶ兼ねさせている)に
John McEnery
.日本の俳優で言えば,悪役が板についていた故・成田三樹夫にも似た細面の俳優.人望厚き先の
consul
には,もう少し太っていた方がいいか もしれない.二人のtribunes
に頭を剃ったTam Dean Burn
と頭の天辺の禿げたMichael Jenn
.口先だけで「民衆のため」を叫ぶ,この嫌らしい偽善政治屋を実に嫌らしく演じた.
Tullus Aufidius
はアフリカ系の俳優でColin McFarlane
.最後,彼がとどめを刺して
Coriolanus
が果て,その遺体が運び出されると,(戯曲とは違うが)和議の証書を持って随行して来ていた
Cominius
が一人残される.Cominius
が床にうち捨てられ た書類を拾ってアタッシェケースに仕舞い,ケースの蓋をバチンと閉じるや溶暗.この舞台の特色と魅力は,何と言っても,演出と主演をこなした
Steven Berkoff
の圧倒的な存在感だろう.刈り込み頭の強面によってテレビや映画でも悪役で鳴らし てきた彼が,我々に馴染みのない古代ローマのtoga
ではなく,ダブルの縞の背広に 長靴,更に革コート.普通ではあり得ない組み合わせながら,現代の我々には,マフ ィアか何かと当然軍隊を想起させずにはおかない.それらが喚起する恐怖が,シン プルなセットと時に様式的とさえ言える動きの中で,リアルな姿をもって浮かび上が るのだ.J
Julius Caesar
(『ジュリアス・シーザー』)1
1996
年5
月20
日夜preview
所見.RSC. Barbican Theatre (London).
RSC
は当時London
での本拠地として主にBarbican Centre
内の二つの劇場を使用 していたが,そのうちBarbican Theatre
は大きい方の劇場だ(もう一つは地下にある スタジオPit
).舞台奥に
Caesar
(Christopher Benjamin
)の首から上の白い巨大な像が下がってい る.開演と同時に上に吊り上げられて見えなくなり,代わって濃紺もしくは黒の低い 壁.その上には獅子の彫像.上手の壁が屏風状に開くと植物の装飾的な模様.これが
Brutus
邸.下手のそれが開くと,ローマの遺跡にある壁画のような絵で,天上近くに馬の彫像が出る.これが
Caesar
邸.5
幕になると,開演前にあったCaesar
の首 の像がまた降りてきて,いよいよ戦闘になるや,その像の頭から血が流れ出す仕掛け だ.あまり趣味のよい美術(John Gunter
)とは思えない.
1
幕1
場,市民の動かし方が何だかぎこちない.2
幕2
場はBrutus
の妻Portia
が見 せる感動的な場面のはずだが,Portia
役Susan Tracy
がちりちりのショートヘア(日 本で言うところのおばさんパーマ).服の前もだらしなくはだけ,Brutus
役John
Nettles
が抑え気味の演技をしているのに対し,かなり大仰な演技で浮ついた感じ.全然いいところがない.むしろ
Caesar
の妻Calpurnia
を演じるTilly Blackwood
(こ の前見たThe Taming of the Shrew
でBianca
役)の方がずっと魅力的で,Portia
のイ メージに相応しい.
3
幕1
場,暗殺の場面.全員で一気に刺すのではなく,一人一人刺し,Caesar
がそ れを振り払って行くのだが,役者の動かし方がやはりまずい.案の定…と言ってもい いと思うが,客席から失笑が漏れた.同
2
場,演説の場面.市民たち(どこかおずおずとではあるが)揃って掛け声.別 にritualistic
な場面でもないから,揃えてというのはおかしな感じだ.Antony
(この 劇唯一のアフリカ系俳優Hugh Quarshie
)の演技はそれほど悪くはなかったが.休憩なしの二時間半ぶっ通しというのは,比較的珍しい.終演時の拍手は,もう 一つ盛り上がらなかった.演出はかの
Peter Hall
なのだが,やはり上でも書いたとお り舞台美術も演技もおかしなところが散見したからだろう.Preview
(本格的に公演 をスタートする前に数日間観客に公開する,言わば試演.必要ならこの後で演出の最 終的な手直しをすることがある.料金も本公演よりやや安い)だから仕方がないとも 考えたが,前年にStratford-upon-Avon
でさんざん公演した後でLondon
に持ってき たはずだから,あまり言い訳にはなるまい.もっとも,このJulius Caesar
に限らず,(こ の頃の)RSC
の大劇場の舞台美術はごてごてしておかしなものが少なくなかったとい うのが私の意見だが.Julius Caesar
(『ジュリアス・シーザー』)2
1996
年7
月21
日夜所見.劇団off the shelf. Coram
’s Fields (London).
Russel Square
駅近くの公園.公園入口で料金を払って中に入る.鐘が鳴らされ,左手の(公園に元々ある)柱廊の前で芝居は始まった.平民たちが騒いでいるところ に,それを立って見ている我々観客(三十名ほどか)の後ろから,その間を縫うよう にして護民官が駆け付ける.役者は男四人女三人の計七人.皆,比較的若い.その 七人が,ちょっと上に羽織ったり帯を結んだり解いたりするだけで,全ての役を演じ 分けていく.