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翻訳二編

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(1)

翻 訳 二 編

Z w e i   U b e r s e t z u n g e n   a u s   H e s s e l s   P r o s a

Na

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SO

NO

DA

フランツ・ヘッセル(一八八〇〜一九四一)の小品を二編翻訳し

てみた︒最初の﹃散歩という難かしい芸術について﹄のドイツ語題

"

Vo nd er sc hw ie ri ge nK un st sp az ie re nz ug eh en

"

.

ヘッセルの遊歩論のエッセンスを展開しているこの文章をヘッセル

は一九三二年に﹁文学世界﹂に発表している︒ここでは︑FraロZ

He ss ek Er mu nt er un gz um ge nu /3 .V er la gB ri nk ma nn

&

Bo se ,

Berlin1981を利用した︒

﹃怪しい男﹄は︑ヘッセルの有名な﹃ベルリン散歩﹄の最初の一

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Be rn ha rd ,M ii nc he n1 96 8を 使用 した

(2)

散歩という難しい芸術について

フランツ・ヘッセル

散歩︑二本の脚で動‑︑このまことに古風な形の運動は︑はるか

に目的に合致した輸送手段がか‑もた‑さん存在するわれわれの時

代にはまった‑目的を度外視した楽しみになるべきだろう︒さまざ

まの乗物︑自転車や電車︑私的な︑公的な︑ちっぽけな︑あるいは

巨大なガソリンの火山が︑あなたの目的地に運んで‑れる︒都会の

現代人であるあなた︑スキーもヨットもできず︑かなり複雑な器械

を使ってボートを漕ぐことしかできない︑都会の人間であるあなた

は︑健康のためいわゆるフ‑ティソグをする︒しかしこれは散歩と

はまった‑関係がない︒これは一種の軽快な訓練で︑この訓練にあ

っては︑動きを正しく遂行し︑正しい呼吸と結びつけるのに忙しい

ので︑散策し︑ゆったりと右や左を眺めるというわけにはいかない

のである︒散歩というのは損得とは関係がないし︑衛生学と関わる

ものでもない︒散歩が正当に行われるとき︑散歩はそれ自身のため

になされるのである︒散歩は︑ゲーテに従えば︑詩作と同じように

はめをはずすことである︒散歩は他のすべての歩行と同じ‑自らを

歩かせることである︒ひとは片方の足から他方の足に身を移し︑こ

の気持ちのよい出来事の均衡をとる︒子供のよろめきと︑均衡と呼 五二

ばれるあの幸せな漂いが︑わたしたちの歩行のなかにはある︒

わたしはこの﹁真面目な時代﹂に︑い‑ぶんか元気なすべての人

に安んじて散歩を勧める︒これは確実にもっとも金のかからない娯

楽であり︑けっして特別なブルジョア的︑資本主義的楽しみではな

い︒散歩は貧者の宝であり︑今日ではもっぱら貧しいものの特権で

ある︒﹁全然時間がないんだ﹂という忙しい人︑仕事のある人たち

のいっけんまともに思われる意見に抗して︑散歩の芸術をまなんで

いる人︑かってそれを所有していた人で︑それを失いた‑ない人に

わたしは次のような提案をする︒﹁ときどきは目的地よりひとつ手前の駅で乗物を降りて︑一部の距離を徒歩で歩きなさい﹂と︒時間

に正確な人︑時間を節約する人︑省略を考え︑それを利用する人で

あるあなたは︑どんなにしばしばあまりに早‑目的地に着き︑事務

所や待合室で俺しい空虚な時間をいらいらしながら︑新聞を読みな

がら過ごさなければならないことか︒そのような機会に数分間の休

暇をとりなさい︑ちょっとの距離ぶらぶら歩いてごらんなさい︒﹃遊

歩なんてもうない﹄︑﹃遊歩は私たちの時代のリズムに合わない︒﹄

と言われるが︑私はそうは思わない︒まさし‑遊歩できるものだけ

が‑私に言わせれば‑この有名なリズムが彼を捕らえ︑気ぜ

わし‑︑目的に向かって動かすとき︑この私たちの時代をよりいっ

そう楽しみ︑理解するだろう︒しかし世間の躍動から一度も外に出

ない人は︑そもそもそのようなものが存在することにまった‑気が

つかないだろう︒私たちのなかには秘かな怠け者が住んでいて︑こ

の怠け者は厄介な移動の理由をときたま忘れたがっている︒理由な

(3)

‑移動したがっている︒これがうま‑いったときは︑街路を眺める

ということしかこの暇人は望まないので︑街路は暇人に奉仕する必

要がないので︑街路はとくにこの暇人にとって好ましいものになる︒

かれにとって街路は覚醒夢になる︒ショーウィンドーはもはや厚か

ましい宣伝ではなく︑風景である︒つまり会社の名前︑と‑に真ん

中にしばしば非常にことなっているものを結びつけている&をもっ

た二重の名前は神話的人物に︑童話の人物になる︒いかなる新聞も

屋根に沿って広告の表面を滑ってゆ‑光輝‑動‑文字のように興奮

して読まれることはない︒本のように前の頁を繰れない︑この文字

の消滅は厚さをはっきりと示して‑れるシンボルである︒真の楽し

み手が楽しみと無限の瞬間の重要性と唯一性を意識に止めてお‑た

めに‑りかえし心に刻んでいる事柄のシンボルである︒

私はこの時代の散歩志願者であるあなたを見知らぬ土地や名所に

送りだしたりしない︒あなた自身の街を訪ねなさい︒あなたの街の

地区で散歩を行いなさい︒石造りの庭を散策しなさい︒その庭には

あなたの職業や義務や習慣があなたを案内する︒通りすがりに二︑

三ダースの街路の注目すべき話を体験しなさい︒ついでに街路がお

互いに生命を運び合い掃き捨てるさまを観察しなさい︒街路がどの

ようにしてしずかになるか︑そしていきいきとなるか︑どのように

して高貴にまた惨めになるのか︑しっかりとまとまり︑もろ‑なる

のか︑古い庭がどのようにしてまたどこで糸杉︑つげ︑といった珍

しい木々とともにそして雨にうたれた立像とともにひっそりと残さ

れているのか︑あるいは荒れ果てて︑防火壁に圧迫されて死に絶え てゆ‑のかを観察しなさい︒どのように︑そしていつ街路が熱を帯び︑眠たげになるか︑どこで生活が激し‑押し進む交通になるのか︑どこで快適な賑やかさになるのか体験しなさい︒ますます静かになってゆく敷居と知り合いになりなさい︒未知の足がそれを踏むことがますます稀になり︑毎日やって‑る足が年取った女管理人の半睡のなかでそれを再認識をすることが稀になってゆ‑ので︑敷居は寂れていっている︒これらすべての後々まで残るものや次第に消え去ってゆくものと並んで︑あなたの移動する眼差し︑移動する思考の前に一時的建物︑取り壊しのための足場︑新建築物の柵︑板仕切りの部屋が現れる︒それらは宣伝に役立つ輝‑光の斑に︑街の声に︑叫んだり︑呼びかけたりしながらさまざまの要求や誘惑をもってあなたにおそいかかって‑るものとなる︒一方︑古い家々はみずからあなたから離れてい‑︒野地板の背後には︑隙間ごLに石の戦場が見える︒仕事が中断しているときは︑つまり再び石鋸が音を立てて空気を切り裂き︑無抵抗な塊に鉄のクレーンと鋼鉄の挺がつかみかかるまでは︑そこは戦場であり︑荒涼としている︒

通りすがりに商店やレストランの歴史を追ってみなさい︒有利な

位置に見えながら︑幸運に恵まれない場所について︑所有者や売り

に出されているものが絶えず変わっている場所について︑ひとを迷

信深‑ならせる法則について学びなさい︒だめになりそうな時︑こ

れらの店は大売出しや大きく書かれた安値でどんなに極端なことを

することか︒あなたはドアを開けて中に入らないでも︑オーナーと

従業員を見なくても︑陳列品と外に吊るしてあるメニューによって︑

五三

(4)

運命と成功と失敗を読み取ることができる︒そこには再び散歩者の特権がある︒散歩者は中に入る必要がないし︑関わり合いになる必要がない︒散歩者は街路を書物のように読む︒家の壁に沿って眺める時には︑運命をめ‑るのである︒そしてもし︑彼が再び対象や事物から眼を離す時には︑側を通り過ぎる見知らぬ顔も突然多‑のことを語る︒散歩者と同じ道をたどり彼の人生の隠れた共演者になった︑日毎すれ違う他人だけではな‑︑全‑見知らぬ顔もまた語りか

散歩がわれわれを多少とも不愉快な私生活から離して‑れること

が︑散歩において比類な‑魅力的なところである︒私たちはまった

‑未知の状態や未知の運命と交わり︑コミュニケーションを行なう︒

本当の散歩者はそのことを遊歩の夢の街で突然に知人に出会うとき

に︑そしてその人が一挙に誰かわかり︑何の某が事務所から帰宅し

ているときに感じる奇妙な驚きのなかで認めるのである︒散歩はほ

んの稀な場合しか社交的事柄ではない︒それは(今では辛うじて一

種のコルソがある衝においてのみそうであったような)優美な社交

的遊戯︑魅力的で劇的状況あるいは小説的状況ではない︒連れと一

緒に散歩するのはまったく簡単ではない︒わずかの人しかこの芸術

を理解していない︒多‑のことにおいて模範的存在である子供たち

は秘密の規則をもった遊びをする︒彼らは舗石を歩‑とき︑縁や砂

の裂け目を避けることに忙しいので︑顔をあげてみることがまった

‑できない︒あるいは子供たちは側を通り過ぎるものの順序を迷信

深い計算に利用している︒彼らは不規則に動くし︑ぐずぐずしたり︑ 五四

急いだりする︒彼らは散歩しない︒観察を仕事にしている人たち︑

つまり画家や著作家はしばしば迷惑な連れである︒というのも彼ら

は見るものを切り取り︑縁取るからである︒あるいはそれをさまざ

まに解釈するし︑動‑イメージを無心に自らのなかにとりいれるか

わりに︑しばしば立ち止まりもするからである︒音楽家の場合はう

ま‑いくし︑女性も多くの場合うま‑ゆ‑︒彼女たちは男性を用事

に連れてゆき︑熱心に買い物に没頭し︑買い物のことが分からない

つれの男に︑ただ眺めるだけという幸福を保証して‑れる︒

しかし︑大抵の場合︑本当の遊歩者は一人である︒そしてあの暗

夢な小説の人物にならないように少しばかり用心しなければならな

い︒そのような人物は小説の作者に物語の説明の機会をあたえるた

めに︑憂彰な足音を残しっつ通りを歩‑ときに︑家々の書き割から

自分の運命を読み取るのである︒幸福に散歩するためには,ひとは

自分自身を忘れなければならない︒

本当の散歩者は実際︑自分の暇つぶしと楽しみのためにのみ本を

読む読者のようなものである︒‑このようなひともまた今日では

稀になっている人種である︒というのも大抵の読者や観劇者は判断

をすることを自分たちの義務と考えているからである︒(この判断

ということの多さ!芸術批評家と認められている人でさえもっと判

断を少な‑し︑もっとそれについて語るようにすべきだろう︒かれ

らが取り扱わなければならないものについて昔の魔術師や医師が病

気と語り合ったように語り合ったらどんなに素晴らしいだろう︒)

このように街路が一種の読書であるなら︑街路を読んでみなさい︒

(5)

あまりに多く批評してはならない︒あまりに早‑美しいとか醜いと

か思わないではしい︒それは実際︑あまり信頼のおけない概念であ

る︒すこし自分を欺いて︑照明や日中の時間やあなたの歩行のリズ

ムに身を任せなさい︒昼の名残と薄暗さが競い合う時分の人工の明

かりは︑偉大な魔術師であり︑すべてを多様にし︑新しい遠近を作

りだし︑ぱっと点いたり︑消えたりしながら︑また行ったり︑戻っ

たりしながら︑もう一度︑建物の高低と輪郭を変化させる︒これは

おおいに利用価値がある︒と‑に個人建築のもっともひどい時代の

ものでぞっとする高さの建物︑ひどい出っ張りがあって長々と延び

たものが残っている地域では︑と‑に利用価値がある︒ちなみにこ

れらの建物は徐々にしか排除できない代物である︒これらの鋸のよ

うな残存物は宣伝用の間に合わせの建築物の後ろで消えてしまう︒

それらを見ると︑もうそれほど悪‑ない︒むしろコミカルで感動を

誘う︒親しみをこめて眺められると︑いやなものもある種の美しさ

を獲得する︒このことを唯美主義者は知らない︒しかし遊歩者はそ

れを体験で知っている︒

いつも道の半ばにあって︑決して急がない遊歩老だけが知ってい

る物柔らかな疲れは素晴らしい︒遊歩者のもっとも美しい体験のひ

とつは新しい躍動であり︑遊歩者はそれを長い歩行の際︑最初の疲

れのあとでようやく手にいれる︒そのとき舗石は母親のように遊歩

者を運ぶ︒舗石は彼をゆりかごのように揺する︒自ら疲労と称する

この状態において遊歩者は何を見ることか︒彼の五感はどれほど多

くのことを思い出すことか︒そのとき︑以前のたくさんの見知らぬ 街路が遊歩者がいま通っているよ‑知っている街路と混じり合う︒そしてどんなに多‑のものが遊歩者を見ていることか︒街路は現在という層をとおしてその古い時代をほのかに照らしだす︒そのときひとはどんなに多‑のことを体験することか︒たとえば公共の歴史的場所においてではな‑︑どこかまったく評判にならない土地で︒もし散歩志願者をあまりに無意識的なものに誘いこんだとしたら︑わたしはここではまった‑あてなしという状態では歩かないように勧めたい︒﹁あてずっぽうに﹂ということのなかにも危険になるかもしれないディレッタンティズムがある︒あなたが散歩するときは︑どこかに到着しようと務めなさい︒そうするとあなたはひょっとすると道を間違えるかもしれない︒しかし間違った道はつねにひとつの道を前提にしているのた︒

あなたが途中でなにかをもっと念入りに見てみたいと思うときに

は︑食欲にそれに近づいてはならない︒さもないとそれはあなたか

ら離れてゆ‑︒それがあなたを眺める時間を与えなさい︒ものとの

あいだにも目と目を見合わせるということがある︒あなたが街路と

衝を見るというのでは十分ではない︒街路と街があなたと十分に親

しくならなければならない︒

いままで私は都会での散歩だけについて語ってきた︒注目すべき

中間地帯や移行の地域における散歩については語らなかった︒これ

らの地域は置きっぱなしのもの︑残っているもの︑突然途切れる家

並み︑小屋︑倉庫︑レール︑家庭農園の祭り︑シュレーバー農園が

ある郊外や市内の遠隔地︑禁止区域からなっている︒これらの地域

五五

(6)

における散歩にはすでに田舎への移行︑そして徒歩旅行への移行がある︒徒歩旅行は散歩という楽しみの学校とは異なった別の一章である︒楽しみの学校?そのようなものがあるだろうか︒そうしたものがあるべきなのである︒こんにちでは以前よりもっと必要なのである︒そして私たちはみんな人間愛からこの学校で教え︑学ばねば

(7)

怪 し い 男

フランツ・ヘッセル

賑やかな通りをゆっくりと歩‑ことは特別の楽しみである︒ひと

は他人の急ぎ足にすっかり身を浸される︒それは打ち寄せる波のな

かでの水浴である︒しかしわがベルリン市民は︑たとえうまい具合

に彼らから身をよけても︑簡単にその楽しみを許して‑れない︒私

が忙しい人々のあいだを遊歩するときには︑いつも不信の眼差しを

向けられる︒私はスリとまちがえられるのだと思う︒もの欲しげに

口を開いた︑敏捷な︑姿勢のよい大都会の少女たちは︑私の目がかなり長‑彼女たちの張った肩とよく動く頬に注がれていると︑腹を

立てる︒見られるということ自体に反感をもっているからというわ

けではない︒しかしこの私のスローモーションのまなざしが彼女た

ちの神経を疲れさせるのである︒彼女たちは私には底意がないこと

私にはまった‑底意がないのだ︒私ははじめての出会いにとどま

っていたいのだ︒私は私が生活している都市との初めての出会いの

瞬間を手に入れたいし︑再発見したいのだ︒

ところで静かな郊外では私は少なからず不愉快に目立ってしま

う︒市の北部に木組のある広場や市場の骨組みがあり︑さらにその 側にコールマン未亡人の農産物売り場がある︒彼女はポロ服も扱っている︒古紙の包みやベッドの場所︑毛皮の上にある木のヴェランダにゼラニュウムの植木鉢が置いてある︒淀んだ灰色の世界のなかの印象的赤であるゼラニュウム︑それを私は長いあいだのぞき込む︒コールマン未亡人は私のことを罵しったりしない︒彼女は私のことを秘密警察だと思っているのかもしれない︒つまるところ彼女の身分証明書はまっとうではないのだ︒でも私は彼女に好意を持っている︒できれば私は彼女の仕事や生活上の意見をたずねてみたい︒彼女はやっとこさ私が立ち去るのを見る︒そして横丁が登り道になっているところで壁にむかってボールを蹴っている子供のひかがみを私が眺めているのを見る︒魅力ある長い脚の少女たち︑彼女たちはかわりばんこに手や頭や胸でボールを返し︑‑るりと回転する︒ひかがみは少女たちの動きの中心であり︑出発点にみえる︒私の背後で農産物商いの未亡人が首をのばして私を見ているのを感じる︒彼女は私が何者かということに秘密警察の注意を向けるだろうか?見物する者の疑がわしい役割!

薄暗くなると︑老いた女や若い女たちがクッションに座って︑窓

に身をもたせかける︒私と彼女たちのあいだに︑心理学者が感情移

入という言葉で片づける事が起こる︒しかし彼女たちは私がかたわ

らで彼女たちと一緒に︑来ることがないものを待つことを許さない︒

対象もなしにただ待つことを私に許さないのだ︒

何か叫びながらものを売っている露天商は︑彼らのところに立ち

どまるのに反対しない︒しかし私としては頭に前世紀からの多くの

五七

(8)

髪をもった︑青い紙の上に刺繍をゆっ‑りと広げ︑黙って客を見やる年とった婦人のそばに立ちたいと思う︒ところがまさし‑私は買い手ではないのだ︒この年とった女は︑私が品物を買うだろうなど

ときどき私は中庭に行きたいと思う︒古いベルリンでは︑通りに

面していない家に行‑ほど人生は密度が濃‑︑親しみ深‑なる︒そ

してそこでの生活は中庭を︑隅にちっぽけな録をもった中庭︑ドア

をノックするための棒やバケツがある中庭を︑水道ができる前の時

代から残っている泉をそなえた中庭を豊かにする︒時として午前中

に中庭に入れることがある︒そんなときは歌手やバイオリン奏者が

いいところを見せようとしたり︑手まわしオルガン弾きがあいてい

る指で指笛をサーヴィスして‑れたり︑(右の‑るぶしのカギから

背中のティソハニーとシンバルにひもを結び︑足踏みをすると棒が

ティンハニーにぶつかってシンバルが鳴る)びっ‑りさせる男が前

で太鼓を︑後ろでティソハニーを演奏する︒

そのとき私は年とった女管理人と並んで立つことができる0‑

それはむしろ管理人たちの母と言ったほうがよい︑それほど彼女は

年とって見える︒習慣にしたがって彼女はここで自分の折りたたみ

椅子に座っている︒彼女は私がいても少しも気にかからないのであ

る︒私は庭に画した窓を見あげることができる︒それらの窓にはタ

イピストや事務所や会社のお針子たちがこの演奏をきこうと集まっ

ている︒幸せそうに彼女たちは休憩をとっている︒最後には気を悪

‑した上司がやってきて︑彼女たちの仕事へ引張ってゆ‑︒窓はみ 五八

んなむきだしである︒ただ最上階の下の階の窓にだけカーテンが掛

かっている︒そこには烏龍が吊してある︒バイオリンが心から鳴咽

し︑手廻しオルガンが悲しみに沈むとき︑静まり返った窓の列から

唯ひとつの声であるカナリヤが鳴きはじめる︒これは美しい︒しか

し私はこれらの中庭の晩の分け前にあづかりたいと思う︒‑り返し

上に帰って来るようにせきたてられている子供たちの最後の遊び

や︑若い娘たちの帰宅と再度の外出を体験したいと思う︒しかし私

は中に押し入る勇気も口実ももっていない︒私に入る権利がないこ

とは︑はっきりと見てとられるのだ︒ここでは義務に従わねばなら

ぬ︒それ以外は許されていないのだ︒ここではどこかを歩‑ことは

できない︑どこかへ歩かねばならない︒それは私たちのような者に

とっては簡単ではないのだ︒

思いやりのある女性が用事があるとき︑幸運なことに私がお伴す

るのを許してくれることがある︒﹁網み目のほどけたものを受けつ

けます﹂とドアに書かれているストッキング補修に連れていってく

れる︒この暗い︑つなぎの階には背むしの女がひび臭い羊毛のあふ

れた部屋を急がしく動きまわっている︒新しい壁紙がその部屋を明

る‑している︒商品と裁縫道具がテーブルや戸棚のうえに置いてあ

り︑陶器の上履きや素輝きのアモレットや青銅の少女像をとりまい

ている︒それはちょうど古い泉や廃嘘のまわりに家畜が横たわって

いるようだ︒私はそれをじっ‑りと挑めることができるし︑それに

よって都市の歴史と世界史の一端を学ぶことができる︒そのあいだ

女性たちは話を続けている︒

(9)

ときにはクーアフユルステン通りの奥まった家の一階に住んでい

る洋服修繕業者のところに連れていってもらう︒そこでは床に届か

ない一枚のカーテンが仕事場と寝る場所とを分けている︒カーテン

の上にかかっているフリンジをした布の上には皇太子のときの皇帝

フリードリッヒが色彩豊かに表わされている︒私の視線を追ってい

た仕立屋は﹁このようにして彼はサン・レモからやってきたので

す︒﹂と言う︒それから彼は王室びいきの自分の宝物になっている︑

膝にのせた娘がふち取りになっているヴィルヘルムの最後の写真を

見せて‑れる︒さらに子供と孫と曾孫に囲まれた老皇帝のよ‑知ら

れた絵を見せて‑れる︒彼は私の連れの共和主義者の女性のために

緑色のジャケットの端縫いをしたがっている︒しかし彼はそれを心

のなかにしまっている︒私は彼の気持ちを変えさせようとはしない︒

品物でもって私の政治的認識に合わせてもらうことなどできないの

だ︒仕立屋は私の女友だちの犬に対してとても親切である︒この犬

はすべてを喚ぎまわり︑ちょうど私みたいに好奇心に富み︑いつも

何か手がかりを捜している︒

この小さなテリアと一緒に私はよ‑散歩に出かける︒そのときは︑

私たちはともに考えに歌っている︒この犬はまた︑私に︑私のよう

な疑わしい人間に許されているよりももっとしばしば立ちどまるき

っかけを与える︒しかし最近ひど‑不味いことが起った︒私も犬も

行ったことのない家にこの犬を私は迎えに行った︒私たちは格子つ

きのエレヴェ‑タIがとりつけられている階段を降りていた︒この

エレヴェ‑タIは︑かつてはゆったり広がっていた階段室のなかで は憂欝な侵入者であった︒色あざやかな窓のふ‑らんだ︑ワッペンをつけた女性がぼんやりと動‑地下牢を眺めていた︒そして装身具や付属品は彼女たちの手の中でゆるんでしまった︒異なった時期のアンサンブルは確かにまった‑相容れない臭いがした︒それが犬を現在と習慣からひき離してしまったので︑犬は中二階からエレヴエータIの足に続いている急な階段の一段目で我を忘れてしまった︒そんなこと!そんなことはこの部屋を汚さない生き物にあっては私と一緒のときだけに起ることだと︑私の女友達は請合ったものだ︒

その言葉を私は甘んじて受け入れた︒しかしこのいたたまれない

事件の瞬間にこの家の管理人が私に向けた非難はよほど私の身にこ

たえた︒この管理人はまずいことに私たちがわれを忘れたときに小

屋から鼻をつきだしたのだった︒私が同罪であることを正し‑認識

して管理人は犬にではな‑私に向かって言った︒彼は指で脅しなが

ら粗相の場所を示して私を怒鳴りつけた︒﹁何ですって︒あなたは

これで教養がある人だっていうんですか?﹂

( )

参照

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