〈 ・
書 評
〉David
N
.Gellner
:ハ
40nk
,Householder
,and
Tantric
P
ア’
θ∫’島
岩
L
は じ め にヒ ン ドゥ ー教 国ネパ ール に ネ ワ ール が信
奉
す る独 自の 仏 教 (ネワー ル仏教 ) が 存 在 する こ と は, 今 世 紀 初 頭に はすで に紹介
され てお り [L6vi
!go5
]
, そ の 後 もチベ ッ ト仏 教との 関わ りで ネワ ール 仏教 につ い て論
じ ら れ るこ ともあ っ たLSnellgrove
1957
]。 だ が ,1950
年
以前
の入 国さ え困難な状況の も とで は , 文 化人類 学の 側か ら も ま た仏 教 学の 側か ら も, ネワ …ル 仏 教 に関する研 究を 行 うこ と はほ ぼ不 可 能 な状 況にあっ たの で あっ た。 その 後, 入 国が 可 能 とな っ たの ち発 表 さ れ た ネワ ー ル に関 す る最 初の 本 格 的 な研 究 には,Fi
’ rer−Haimendorf
(1956
)が ある が, そ れ は ネワ ー ル の 親 族や カー ス トな どの 社 会組 織 を 中心 とする 文化 人類 学の 側か らの もの で あっ た。 次 に1970
年 代 に 入 る と,Pa1 (
1974
:1978
), vanKooji
(1978
),Lenhard
(1974
)などの ネワー ル
仏教
に関す
る もの を含
む研 究
が見
ら れ る が , それ は雫 に図像
と説話
を中心
とする研 究で あっ た。 また 日本で 仏 教 学の 側か ら初め て ネワ ー ル 仏 教が取 り .ヒげられ た[
氏 家1974
:1976]
の も, また ネワ ー ル の 社 会 組 織 に 関 す る文 化 入類学
側か らの 本 格 的 な研 究が 開始 され たの も[
石 井1980
]
, ともにこの 時 期の こ とであっ た。 その 後1980
年 代 以 降, ネワ ー ル仏 教 研 究が本 格 化 して くる こ と になる が, そ こで は, それ まで の 社 会組 織や 図像に関する関心に 加 えて, 寺 院や儀 礼 に関 する研 究が 中心 と なっ てい っ た。 た と え ば ,数 多 くあ る カ ース ト等
の社 会組織
につ い て の 研究
は さてお き, まず, 図像
お よ び寺
院Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
NII-Electronic Library Service Soolety for the Study of Pall and Buddhlst Culture
104 ハ ーリノ
デ:でム教 文 イヒ参≠
の建 築や 配 置 などを 中 心 とす る研 究 と して は,
Gutschow
(
1982
),Slusser
C1982
)
,Nippon
IRstitute
ofTechnology
,Res
¢ archMission
(1985 )
, 高 岡(
1982)
, 立 川 (1986
:/990
)な ど が見ら れ る ,,他方 ま た, 宗教 的実 践の 場 と して の 寺 院お よ び宗教的実 践 と しての 儀 礼 を中心 とする研究
と して は, 文化 人類 学の 側か らはLocke
(1980
) , 石 井(
1993
:1995
) な どが , 仏 教 学の側 か ら は高
岡 (1984
),Shima
(1991)
,島 (
1991
),服 部 (1991
),吉 崎(
1991
)
な どが ある。 そ して この時
期,特
に儀礼
研究
を中心 と して 問 題に され たの が, ネワ ール仏 教 とヒ ン ドゥ ー教の 類 似性
〔た と え ば , カース ト制度 を備 え, 儀札次第
は ヒ ン ドゥ ー儀 礼 と酷 似 した ネワール仏教 ) を どうとらえるか とい う 問題で あっ た。こ の 問題は, 一方で は ,
儀礼
な どの宗
教 実 践の 持つ 社 会 的機能
や意義
につ い ての 考 察 (文 化 人類 学の得
意な 分 野) と同時 に, 他 方で は, そ れ らの 宗教 実践 に伝 統 的に付 与 され て きた教義
的意
味 や その 歴 史 的変化 につ い て の考察
(
仏 教 学の 得 意 な分 野 )が必要
な問
題である。 その ため, この 問 題 は , 一 方 じ で は人類 学 と仏教 学との 共同研 究が必 要 な 問題で ある と も言 えるが, 他 方で は , 共 同研 究で は, ネワ ール 仏 教の 諸 側 面は明 らか に なる もの の, 人類 学の 持つ 「共 時 的視野」 と仏教学
が持つ 「通 時 的 視野 一1 の ズ レお よび 人類 学の 上 部構 造へ の 関心の 欠如と仏教 学の下部 構 造へ の 関 心の 欠如 とい うズ レ が原 因 と なっ て , 同一の視角
・方 法か ら統一一的に論 ずるこ とが 困難にな りやすい 問 題ともな りう
るの である。 従っ て , 本 来 的に は , 人 類学と仏 教 学の側か らそ れぞ れ, 両 分 野 に 目配 りを きか せ たE
で, この 問題につ い て論ず る こ との で きる研 究者が 出て くる こ とが望ま しい の だが,つ には学 問 的
方法
の相 違を ある意味
では超 えなけれ ば な ら ない とい う困難か ら , も う 一つ に は ,現 地語(
ネパ ー ル 語 ・ネワール 語 ) と ネワ ール仏 教の 古 典 的な 聖典 言 語(
サ ン ス ク リッ ト語)
の 両方
をマ ス ター し なけれ ばな らない という困難
か ら , 現 実 的に はその ような研 究 者 がこ れ まで現れて くる こ と は な かっ た。 とこ ろ が, 本書 の 著 者Gellner
は ,学 問 的 方法 と して は文化
人類 学に基づ きなが ら も, 言 語 的には現地語 (ネパ ール 語 ・ネワ ール語)
ばか りか古 典語(
サ ン ス ク リ ッ ト N工 工一Eleotronlo Llbrary<書:
評>David N . Gellner:M ‘冫nk , Householder , and ア盈擢厂‘c Priest
105
語
)
を も駆 使 しうる(
従っ て ネワール 仏 教の教 義 的 側 面 も扱い うる)
研 究 者 とい う非常 に稀 な形で, これ まで ネワール イム教研 究を行
っ て きて い る の で あ る(
な お, 彼び)ネワ ール仏教研 究
に関して は ,参考
文 献のGellner
の箇
所を参
照の こと)
。 そ して こ の よ うな研 究 者の 出現 は, い ま だ現地語 もで きる仏 教研 究 者 を十 分には養
成で き ない で い る仏 教学
の側
か ら言え ば (ただし仏教
学の側か らも,吉崎氏
の よ うにネワ ール語 とサ ン ス ク リッ ト語に堪 能な研 究者
が 現れて きつ つ は あ る)
,驚 異で あ りかつ脅
威である と書える で あろ う 。ll
.所 説
の紹 介
1
.本 書の テ ーマ と構 成ネワ ー ル 仏 教は , (
1
>カ トマ ン ドゥ 盆 地を中心 にネワ ール が信奉
する仏教
で(
た だ しネワ ー ル の 約 半 分は ヒ ン ドゥー教徒)
, (2
)密 教(
金 剛 乗 )であ り, (3
咄 家主義を と らず(
僧 侶 は剃 髪
せ ず結 婚し て お り飲 酒 肉食
も許 さ れ る)
, (4
)カース ト制 度 をは じ め ヒ ン ドゥ ー教の 影 響 を強 く受け た 仏教
で ある。 こ の よう
な特徴
を備 えたネワー ル 仏教
は, こ れ まで ヒ ン ドゥ ー教 との関わ りと い う視 点 (た とえばシ ン ク レテ ィズム など)や, 残 存 した後期
仏 教 という視
点な どか ら研 究され て きたが, ネワ ール 仏教 に たいす
る評価
は ,「ヒ ン ドゥ ー化
した仏 教」, 「衰 退 ・堕 落 し た仏 教 」 (ヒ ン ドゥ ー化 した もの とい う意 味 あ い以外に,密教とい う現 世 利 益 的 ・儀 礼 中心主義 的な堕 落 し た 仏教 とい う意味
あい を含む場 合 もある)
とい っ た形の もの が多
く , ネワ ール仏 教
を仏教 と しての ア イデ ン テ ィテ ィ ーの明確
な独 自の 仏 教 と して評 価 しよ うとする試み は , ネ ワール仏 教 内 部か らの 評価 は別 に して , その 外側 か らはほ とん ど見ら れ な か っ た。 その 意 味で は , こ れ か ら紹 介 して い くよう
に, ネワ ール仏 教 を仏教
と して の ア イデ ンテ ィ テ ィ ーの 明確
な独自
の 仏 教 と して評 価 し て い こ う とする本 書の 試み は , ネワ ール 仏 教の 新たな理 解の あ り方
を提 示 する もの と して , 研 究 史上 こ れ か ら も きわ めて重要 な位 置 を占め て い くこ とに なる もの と思われ る。そ こ で ま ず, そのよ うな新たな理 解 を可能に し た
Genner
の ネワ ール仏教Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
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106 パ ー
i
!翌’仏 教 文 化 学 理解
の 枠 組み と方法につ い て,第
一章
「序
論 」(
「1
.1
.目的と方法
」)
に基づ き な が ら簡 単に説 明 する こ とに したい 。まず
彼
は, ネワ ー ル 仏教が 南 アジア に現存 する唯 .・の 大 乗 仏教で ある点に 注 目 し, その 意 義を南ア ジア で優勢
な ヒ ン ドゥ ー教とス リ ラ ン カ に現存
する ヒ座仏 教 との 比 較 を通 して考 えて い こ うする。 す な わ ち, 南ア ジ ア 的 な宗 教 の 文 脈の 中で , ネワ ール 仏教
の 意義
を明ら か に し よ う とす るの である。 そ し て, その た めに彼が 用い る方 法が, エ ミッ ク な方法
である 。 すな わち, 理 解 の枠組み(
たと えば西欧 的な宗教 理解の 枠 組み) を外 部か ら持ち込んで きて 理 解 して い こ う とす
るエ テ ィ ッ クな方 法は と らず に, 現地 の 人 た ちの 埋解の 枠 組み に徹 頭 徹尾 そ い な が ら ネワ ー ル仏 教 を理 解 し て い こ うとするの で あ る。 従っ て,彼
が提示 す るネワ ー ル仏 教理解の 枠 紲み は , ネワール 仏 教の 現 地の 用 語に基づ き な が ら形 作 ら れ る こ とになる。 そ して その 大枠は次の 二つ で ある。 まず ’一’」つ は ,宗
教(
dharma
) を, 現 世の苦
し みか ら逃
れて魂の救
済を 日指 す 「救 済宗
教 (1
)
」(
marga , mata)
と その 対 極 に位 置 する 匿俗
的 宗 教 (vyavahara ,10k5cfira
)に分け, さらに後
者 を, 祭 ・人 生儀 礼 な どの 社 会性の 強い 一 社 会 的 宗 教 (II
[)」 と個 人的 ・現 世利 益 的で 呪 術 的な 「道 具 的 宗教(
皿)
」 に分 けて , こ の1
一皿の 三つ の 枠 組み か らネワール 仏 教 を理解 し て い こ うとする もの であ る。 次 にもう
…つ は , ネワ ール仏 教の 中に 「声
聞乗 」(
Sravakayana
)・「大 乗 」 (Mahayana
)・「金 剛 乗」(
Vajrayana )
の 三 つ の 要 素を見い だ し, その 三つ の複
合 体 と して ネワ ール仏教を理解 し て い こ うとす る もの で ある。 そして こ の枠組
み は,本 書の タイ トルMonk
(
声
聞乗 の僧侶
),Householder
(大 乗の 僧侶
), andTantric
Priest (
金岡1
乗の 僧 侶 ) に反映
さ れて い るだけで な く , 「カ ー ス トと
宗
教 的帰 属」(
二章 )・「ヒ ン ドゥ ー教 と仏 教 :競合 と共存
」 (三章)
・「ネワ ール 仏 教の 基 本 的 諸概 念」(
四章 )・[ネワー ル仏 教 の基本的儀 礼」(
五章)
で ネワー ル仏 教の 基 本 的事
柄につ い て説 明 し たの ち, 「声 聞乗 :ネワ ール仏 教 に お ける僧 院的 理念
」(
六章)
, 「大
乗(
第
一 部)
:仏 教 在 家 僧 の 義 務 と宗 教」 (七章 )・ 「大
乗 (第
二部)
:グテ ィ(
講)
」(
八章)
, 「 金 剛 乗 (第一部)
:司祭性
と イニ シエ ーシ ョ ン」(
九章)
・「金 剛 乗 (第 N工 工一Eleotronlo Llbrary< ,】
i
.評>David N . GeUncr :M ・醜 Househo’ゴε厂.砌 47襯 砒 Pr匿2∫! 107 二部)
:通常
の信仰
」(
卜章)
・ 「タ ン トラ の 諸機能
」 (卜一章 )へ と論を進め, 最 後 に結 論
と して 「社 会 的 ・宗 教 的 階層 制」 (十二章
) につ い て論 じ る とい う形で, 本書の 構 成 全体
を も形作
っ てい るの で ある。2
.各
章の内 容 紹介で は次に, 以 ヒの ような
本書
の章
立て に従
っ て, 個 々 の 内容 を紹 介 して い くこ とに したい 。 まず 第一章 「序 論 」 の後半
で は , 「1
.2
.歴 史的 背 景と現状」 の 中で, カ トマ ン ドゥの 歴 史, ネパ ール お よ び カ トマ ン ド ゥ の 地理的状
況, ネパ ール の諸 民 族の中で の パ ル バ テ ・ヒ ン ドゥ ー(
ネパ ール語
が母語)
の優位
と ネワール (ネワ ー ル語が 母 語)
の位
置な どが 紹 介 され る。 次に 「L3
.調 査地 の状 況 」 で は ,著者が 住み込んで 調査 を行っ た , カ トマ ン ドゥ盆地 の都
市
ラ リ トプル のNag
Bahah
地 区の 町の様
子, そこ の ネワ ー ル の家族 制度
,婚姻制度
,女
性の 地位,住
居の 構 造,食事の 形 態 と規 制, 社 会 的名誉
の 重要 性,杜 会生活の 中で 宗 教の 占め る位
置な どにつ い て説
明さ れ る。 な お ,著 者 が 主 に調査 した有 名な仏 教寺
院Kfi
Bahah
は, こ の 地 区の す ぐ近 くに位 置 してい るの である。以 上 の ような簡 単な背
景説
明の の ち, 次に第
二章
「カース トと宗
教 的 帰 属 」 で は, その 内部に仏教徒
とヒ ン ドゥ ー教 徒の 両 者 を含
む ネワール の カー ス ト と宗 教 的 帰 属 の 関係が 問 題 と され , ヒ ン ドゥ ー教 徒(
Sivamargi
), 仏 教 徒 (Buddhamargi
) と はそ れ ぞ れ具 体 的に どの カ ー ス トの 人た ち を指
すの が論 じ られ る。 まず 「2
.1
.ネワ ール の カース ト」 では ,、司祭
カ ース ト (ヒ ン ドゥ …教 はRa
.jopadhyaya
バ ラモ ン,仏 教 はVajracarya 〈
家 庭 司 祭 に なれ るが 現 実に は大 部 分が 金 細工 師な どの職 人〉&SSkya
〈
家
庭 司 祭には なれ ず大 部 分 は金細 工 師な どの 職 人〉
)
を頂点
あるい は中心 と し, その 下 あるい は周 辺 に順次
SreStha
(ク シ ャ トリア)
,Maharajan
(耕 作 カ ー ス ト) な ど が , そ し て 最 ド層ある い は最 周 辺 部に不可触 民が位
置 する ネワ ール の カース ト制 度 に つ い て 説 明 さ れる。 次に 「2
.2
.ヒ ン ドゥー 教 と仏教 徒」 で は, 信仰
の 問題 と して は,Rajopadhyaya
を代
々 家 庭司祭 と して き た者が ヒ ン ドゥー教 徒で,Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
NII-Electronic Library Service Soolety for the Study of Pall and Buddhlst Culture
108
パ ニ1
丿学仏翌⊆文f
匕学Vajracarya
を そう
して きた者が仏 教 徒 なの だが, ヒ ン ドゥ ー教 国ネパ ー ル で は ヒ ン ドゥ ー教
と して 政府
に登 録 し た ほ うが有 利 な た め,Vajracarya
を 家庭
司祭
と し な が らヒ ン ドゥ ー教 徒 と して 登 録 し, そ れ が国勢
調査の結
果 と し て現れ る とい う,信
仰 の 現実 と統 計 資料 に は ズ レ が あるこ とが指摘
さ れ る。そ して 「
2
.3
.仏 教 とヒ ン ドゥ ー教
の中間
に位 置す
るSre
$tha
.i で は,Srestha
(
ク シ ャ トリア )がVajracarya
を家
庭司祭
と しな が ら他の ネワー ル か らは模 範 り 的な ヒ ン ドゥ …教 徒 と考え ら れて い る点 を問題 に し, その 理 由を , (1
)ヒ ン ドゥ ー政 権 下にお ける彼
らの高
い 地位
と, (2
)Karmacarya
(
ヒ ン ドゥ ー ・タ ン トラ司祭
)・Jo
≦i (
占
星術 師
)をその内部
に含
む点 と に求めて い る。次
に 「2
.4
. 仏 教 徒 の 宗 教 的 ア イ デ ン テ ィ テ ィ ー」 で は, 仏 教 司 祭 カ ー ス トのVajracarya
とSakya
は, 見た とこ ろ は在家
の 僧 とい うあ り方を し て い る が , 僧 院へ の 入 門式 (
得 度)
で は剃髪
し , また毎年
Paficadan
祭
で は托 鉢 を行 う な ど, パ ー ト タ イム の 出家 僧 とい う側 面 を持
ち , そ して, その 僧 院 主義 的 な 出家の 理 念が よ り高い 金剛乗へ の 道へ の第
一歩
と して位 置
づ け られて い ると い う点が, ネワ ール 仏 教 徒の 宗教 的ア イデ ン テ ィテ ィ ー を考
える際に重要で ある と指 摘されてい る。 次 に 「2
.5
,ヒ ン ド ゥ ー教 と仏教 との い くつ かの 相 違」 で は, 仏 教 司祭 (
Vajracarya
)は宗
教 的 師(
グル)
と司祭
の 両機 能
を備
えて い る の に 対 して , ヒ ン ドゥ ー教 司 祭の ほ うは ,宗
教 的師 (
Rajopadhyaya
Guru
), 家 庭司祭(
Rajopadhyaya
Brahman
), タン トラ司祭 (Karmacarya
)
,占
星 術師 (
Jo
訓 , 死 者 儀 礼 専 門 司祭 (
Kapali
)
な どの多
くの機 能
に分か れ てい る な どの 相 違 点が指 摘 され て い る。 次 に 「2
.6
.カース トの ア イデ ン テ ィ テ ィー一と名 称の 問 題」 で は, カ ー ス ト(
jat
,thar
)名
にネ ワ ール 語名
とサ ン ス ク リ ッ ト名
の 二種がある こ と, カ ース ト内 部に さ らにサ ブ ・カース ト , サ ブ ・グル ー プ (さら には ク ラ ン, リ ネー ジ)
の区別
が見
ら れ るこ と, だが そ の どの レベ ル に カース ト (jat
)が アイデ ンテ ィ フ ァ イ さ れ てい る か は場 合 に よ り異なる こ と な どが紹 介
さ れてい る。 そ して 最後
に 「2
.7
.宗
教 的ア イ デ ン テ ィ テ ィ ーの決定要因
」 で は, 道具
的宗
教の レベ ル で は, ヒ ン ドゥ ー教 徒 と仏 教 徒の 区別は 問題に な ら ない こ と,社 会 的宗 教の レベ ル で は , 宗 教の区 N工 工一Eleotronlo Llbrary.一く r弖
1
二;計17
冫Pav
重d N .⊆えcUgcr :鯉o声rん2がoα乏e皇014σ厂, and Tcrntric Priest109
別 よ りは むしろ カース トの 慣 習の ほ うが優 先し, ヒン ドゥ ー教か仏教か とい う区別
が意 識 されて い るのは高
カー ス トに限 ら れる こ と,救済宗
教の レベ ル で は,Vajracfirya
−9
.akya
が ヒ ン ドゥ ー教 にな っ た りバ ラモ ン が仏 教 徒に な っ た りす る こ と は ない が, そ れ 以外の カース トで は個人の 選 択 の 余地 がある こ とな どが指 摘
さ れ る。 そ して そのE
で ,最 終 的
に は,Vajrficarya
とsakya
と個 人 的 に仏 教に 強 い 帰 属意
識を持つ 者 を 「仏 教 徒 」, バ ラ モ ン とSrestha
と個人 的に ヒ ン ドゥ ー教に強い 帰 属 意 識を持つ 者を 「ヒ ン ドゥ ー教徒
」, そ の他
の ネワ ール を 「普
通の ネワール 」 (また その宗
教 は 「民俗 宗 教」 あ るい は 「 民衆宗
教」)
と そ れ ぞ れ呼
び , さ らに カー ス トに固有の 慣 習につ い て は 「 カース トの 伝 統」 と呼ぶ こ とにする とい う形で, 用語
の 規定
が行
わ れて い る、, すなわ ち, 以下で 「仏 教 (ネワ ール 仏 教)」 とい う書 葉が指
す 中 味 は , 主 と し てVajracarya
とSreStha
の 宗 教に限定 され るこ とに な るの で ある 。次に第三 章 厂ヒン ドゥー教と
仏教
:競 合 と共存
」 で は, ネワ ール の神々 と 儀礼を 中心に ヒ ン ドゥー教 と仏 教 との 関わ りが論
じ られ る。 まず 「3
.1
.ネワ ー ル の パ ン テ オ ン の構 造
」 で は, ヒ ン ドゥ ー教の神
か仏教の尊
格 か,血の 供 犠 を受け取
る か神か受け取
ら ない神
か とい う基準に基づい て,図1
の よ うな パ ン テ オ ン が提
示 さ れ る。次
に 「3
.2
.象 徴 の多
義 性」 で は, 一一一つ の神
(
Karunamaya
−matsyendranath ) が, ヒ ン ドゥ ー教 徒 に はMatsyendranatha
神 と して, 仏 教徒 にはKaruqamaya
(観 音 ) と して , 普 通の ネワ ー ル に はBUgadyab
神
と して崇
拝 され る とい うよ うに, 三 重 の 象 徴 的 意 義 を担わ さ れ るこ とが ある こ と が取 り上 げられ る。 そ して , 「3
.3
.仏 教 に たい す る ヒ ン ド ゥー教の優 位」 で は ,両 宗教が共 有 する儀 礼の うち, ヒ ン ドゥー教が優
位な もの と して, ガネ … シ ャ神 供 養,祖霊 祭な どが紹 介 さ れ る。 他方
, 「3
.4
.仏 教 が優 位 な 例」 と して は, 仏 教 司 祭が 中心 的な役 割 を果た すKumari
女神
崇 拝 とKarupamaya
−matsyendranRth崇
拝な どが あ げ ら れて い る。 だ が, こ の ような優 劣 関係が さま ざま な局面で認 め ら れる もの の, ネ ワ ールの 両宗 教 は, 互 い の 宗 教だ けを きちん と した宗
教だ と認め あい (つ ま り イス ラ ーム 教Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
NII-Electronic Library Service Sooiety for the Study of Pali and Buddhist Culture
1
]0
バ ーリ学 仏 教 文 化 学図 1
The
structure of 【he Hindu −Buddhistpantheon
of Lalitpur according ヒowhich castesperfbrm
daily worship and !orkeep
the daiiy offerings (i
.e.have
the right to
be
god −guard量an ,pnj
囓々rT ordya
ろpfi
右idh).Notes.・
(a)
AU
thc gods mentloned have at least one tempiein
Lalitpur, except three,GuhyeSvarI , BijeSvarl, and H且riti, whose temples are
in
I
(aしhmandu
.
(
b
)SGmetimes
a Sakya oldcr maypcrR
)rm the daily worship of a BuddbistTant「ic deity, rather than
have
aVajracarya
performit
,ifthere
are noVajracaryas
jn
the monastcry or8
μ‘毎 inquestlon
,(c)All Buddhists, except
hardline
Theravada
modernists , would acceptbo
出categories
B
andC
as Buddhist deities. Many Buddhists wou 】d
deny
that しhe
gods of category D are Buddhist;others say that the point ofMahayana
Buddhism isヒo worship all
gods
.Practising
Vajracaryapriests
, whoseparishioners worship category
D
gods
, areparticularly
]ikely
toinsist
on this,DElTIES NOTACCEPTING Bし00DSACRtFICE DEITIES ACCEPTING BLOODSACRIFICE Brahman , Kerm5c吾rya , andVair 言c苔rya prleStS perform worship at these 5hr 「nes only on a monthI or occesional ba5i や キ リス ト教はそ うだ と認め ら れ て い ない ),また, 業, 輪廻, 解 脱, ダル マ , 供 養, バ ク テ ィな どの基 本的 な
宗
教 概念 を共 有 しなが ら, 調 和 共 存 して い る の で ある(
「35
.仏 教 と ヒ ン ドゥ ー教 との .調和 共存
」)。 その な かで , 仏 教徒
N工 工一Eleotronio Library.< ,
’1
}:評>Davld
N .
Gcthner
:一厘塑 々,.Uottseholder
, and Tatitriv Priest111
側 は, ネパ ール 全 体で は圧倒 的に ヒ ン ドゥ ー教 が優 勢 な状 況の もと, パ シュ パ テ ィ (シ ヴァ
)
神 がKarup
巨maya の 仲裁で広目天 の怒 りをまぬ が れ た とか , ヒ ン ドゥ ー教の すべ て の 神々 を体か ら放射
してい る観音 菩 薩な どの 「3
.6
. ヒ ン ドゥ ー教を従 属 的 地位 に位置づ け よ うとす る仏 教 的 な神 話や図像 学」 を一..」 方では発展 させて きた。 こ の ような 「3
.7
.仏教
とヒ ン ドゥー教 との 関係の 概念化
亅 を行 う際に, ネワ ー ル仏 教 を安 易に衰退 ・堕 落した仏 教 とか シン ク レ テ ィズ ム とい う形で と らえるの は、 正 し くない だろ う。 ヒ ン ドゥ ー教に完
全 に包 囲さ れ た状 況の 中で,菩 薩
の方便
な どの方法
を駆 使 しな が ら, 仏 教に よ る解 脱 とい う仏 教の 基 本構 造 を崩す こ と な く, ヒ ン ドゥ ー教の 宗 教 実 践 と平 行 関係にある宗教 実践 を仏 教 的意義付
けの も とに発 展 さ せ , また象徴
の多義
性 を使
い こ な し, さ らには金 剛乗が大 乗を, 大 乗が声 聞 乗を, そ して仏 教が ヒ ン ドゥ ー教を ヒか ら階層 的に包 含 してい くとい う構 造を理論 的に作
り ヒげ て い くこ とで 生 きの びて き た ネワ ール 仏教は, そ うする こ とで 逆に仏教 とし て の ア イデ ン テ ィテ ィ ー を保持 して きたの だ と, む しろ考
えるべ きであろ う。 そ して この こ とは , イン ドばか りで な くア ジ ア各
地 に伝
わっ た大 乗 仏教 白体
に も, 程 度の差 は あ れ言える こ と なの であ
る。次に第四章 「ネワー ル 仏 教の基 本的 概 念」 で は, まずネワ ール 仏教 にお け る
供
養 (puja
)の 重 要性が指摘 さ れ (「4
.1
.供養
の宗
教」) , 次に声
聞乗 ・大乗
・ 金剛 乗の 「42
.三乗 と そ れ らが ネ ワ ー ル に とっ て持つ意
味」 につ い て説
明さ れ る。 そ して その 中で, 声 聞乗か ら大 乗へ の 哲 学 的 変 化と して は無我か ら 空 へ の 変 化が, また神 学 的 変化 と して は菩 薩の 理念の 登 場が重要
で あ る こ と が 指摘 され , なか で も特に,菩
薩 (ネワ ール 仏 教で は観 音と文殊が重要
)の慈
悲
と方便 とい う考
え方
は, 一 方で は, 金剛乗 (タ ン トラ的 神々 の 崇 拝, タン トラ ・イニ シエ ー シ ョ ン〈
d
τk
爭且〉
を受
ける こ と, 強 力な神
々 あるい は曼 陀 羅な どの その 秘 密の 現れ に厳 格な 規定
に従っ て帰依 する こ とで 神通 力と高度 の 精神
状態
を獲 得 する こ と を特 徴 とす る)・大乗 (神々 崇 拝 ・祭や 入 生儀 礼 な どの在
家の義
務の遵 守,布 施 を行い 功 徳 を積む こ と,菩
薩の理想を特 徴 と す る)
・声 聞 乗 (僧院 主 義, 苦 行 的 な戒や律
の 遵守
, 仏 陀 崇 拝 を特 徴 とSociety for the Study of Pali and Buddhist Culture
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112
バ ・.リ学 仏 教 文 化 学図 2
Types
ofreligionfrom
thepoint
ofvlew eftheindividual
Newar
Buddhlst (cf.Figurc
1
),
freligion
】「
⊥
「
obSigetory rites「
一
「
socialreligion {ofon げs fam臼yand caste: ku!dh∂ 厂〃13) regulerobligatory rites (the consequence of individuaily acts)゜
幣
al宀
supe 陀rogatory instrumente【
rite5 for religion
merit
{soterielogy }
chosen soteriolegical
L:一:・LLL−・一一一一一一一一一 一一一一一一・
r−一一一一一一一
「etigion of the ind「viduai
する
)
の 階層 的な包 含の 構 造形 成へ の 道 を, 他 方で は, 出家 ・在 家の 区別 を 問わ ない 僧侶
の 世俗
的な宗
教 活動の 拡 大 と仏 教パ ン テオ ン の 拡大 との 道 を開
い た もの と して重視
さ れてい る。 その後
「4
.3
.宗 教 的 諸 概 念の考察
」 で は,法
(
dharma
)
, 悪(
papa
)
,業 (
karma
),布施 (
Parry
−Raheja
モ デ ル の批判を含む),不 殺生
(
ahippsa)
,宗
教的禁
止事 項 (
tyah , ma tyah)
,吉
兆 観,菩薩
i
, 成 就 者 (siddhi ),神
々 , シ ャ ク テ ィ, 涅槃
・極楽
, 六 道輪 廻 な どの ネ ワール 仏教の 基本
概 念につ い て 説明 さ れ る。 そ して最後
に ( 「4
.4
. 解釈
の階 層制
」)
,祖霊崇拝
が 回向 (
祖先
の霊 に功徳
を振
り向
ける)
という形
で行
わ れ てい る一方で輪廻転生 し た祖先 に回向
は不 要で あ るとす る考え も あ り, ま た 仏 陀は神
として崇拝
され る一方で 人 間で あ ると も考
えら れて い る とい うよう な, ある種
の瞹昧
さが ネワ ール仏 教の宗
教 概 念にはつ き ま っ とて い るが, そ れ は , ネワ ール 仏 教が さ まざま な解
釈の レベ ル を含
み こ ん だ階層 的な宗
教 シ ス テム で あ る とい う点 を抜
きに は 理 解 しえない と してい る。次
に第
五章
「ネ ワール仏教
の基本
的儀 礼
」 で は,救済論
的観点
か ら ネワ ー ル 仏教の 諸儀 礼 を諸 類 型 に分 類 し(
図2
参
照)
, そ れ をヒ ン ドゥ ー教 儀 礼の 伝 統 的類 型 論 (日々義 務 と し て行 う儀 礼<
nitya>
, 臨 時の 儀 礼く
naimittika>
, N工 工一Eleotronlo Llbrary.旋IL}評>D・ ・id N G・11・ ・曜 ・nk, H・磁 ・・撫 ,祕 rα1塑c・Priest 113
図
3
Five
w αア5 (pfdescrib
ing
rotes in the religion (ゾノVewar
Buddhists
.Context Superio厂 rotど Inferfor 厂ole P厂cstatiOtt
frominferiorto5uperio
厂 ノn 厂eturn M 。nas しic Temple 〔Way of Disciples) bi置iksu (monk ) 星〜アdisak (layman), gヴro訂ん「 (house− helder) ddin (alms ) blcssing 4yα肋 あ’ati or ρのd厂i (templepricst ) bhaktaorbhaktOjan (devotee 【s]) chdiyeguor ρ萌 sdi厂dditn (offerings ) ρrasfitlof deityEx・rerpies Paficadan. Tempic
・
f
Samyak w。rship coπ’ext (§6.3) (§6
、2) O【herBuddhis 匙 ri定uals (Great Way and Diamond Way ) gu厂u (tcacher ) 趣アα (pupi1) 40々卿 δ (fee) anddiin rituai , tcaching . b]essingObservances (§7.5), 丁antricInitiation (§9.3) Social Medical re }ations (Hindu) Pμrohit (farnilypriest ) ノψ 置伽 r /a ア廂 (patron, sponsor rparish − ioner) mainly ゴα胸功々, Onoccasion ddinritual , tcaching , b【essingAny ]ire・ cyc 】eri ヒc (§7.2−3) vaidya (hcalcr) kydi 脚 ψr (liLthosewho come to show , pa【孟cnts ) ゴδ money (orgoods ) curc , counte 卜 maglCWhenill orothercrisis (§1L4) 欲望 達 成 のた め の儀 礼<
kamya
>)
と比較
した結 果 として, ヒ ン ドゥ ー教 儀礼
の類
型は個 入の 観 点か ら行
わ れて お り, 社 会 的宗 教に相 当 する儀 礼の 類型 が 欠落 して い る点 をま ず指摘
してい る。 その の ち, 儀 礼 参 加 者の 宗 教 的役割
の 観 点か ら, 声 聞乗, 大乗
, 金 剛 乗, ヒ ン ドゥ ー ,医療
の比較
を行い , そ こ に図3
の よう
な対 応関係 を見い だ して い る (「5
.1
,救済論
的諸 定 義」)、, 次に 「5
.2
. 儀 礼 と儀 礼 行 為の 宗 教 的 ・礼 拝 的類 型論
」 で は, まず, ネワ ール 仏教
の 三乗の 区別の 基 礎に は, 顕 教 と密 教の 区別が あ り, そ れ が儀 礼の 面 で は図4
の ような対 照 を示 して い る こ と が 述べ ら れ る。 そ して次 に, ネワ ール仏 教 儀礼の 類 型論が ヒ ン ドゥ ー教お よ びチベ ッ ト ・タン ト ラ仏 教の 儀 礼の類 型論 (Pradhan
1986
:Beyer
1973
) と比 較 され, 人 生儀 礼 と祭な どの 公 的 儀 礼 をSociety for the Study of Pali and Buddhist Culture
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114
パ ーリ学仏教 文 化 学図
4 1deal
イ〃 ’cα’cont 厂astsbetrveen
S
厂dvaka
ンdina
riies on ごん召 o肥hand
andValrayana
riごes on the other .R’榔 qr’he Disciples’耳!αア
Wo τshlP on】y using Pure sロ
bslances
Dance and song forbidden
Chastity required
Calmncss
requiτcd :hostility
星o po5sessionWQrship(爾 の
Alm :meri 【and blessing。rdcity
Access open to all clean castes
Rites of tノ置e Diamonゴm ロア
Wor5hやmust inciude impure substanc ¢s,
in par【icular meat and alcohol
Dance and song essentiar parts o「worship
SexuaT imagery central
Controlled
possessionby
deity requircd ofwomen , permitted for men
Yogic Visualization(sddhana ) Aim;powcr,1ibc【a旺on thτough
identification
with deityAccess only toヒhe量nitiated,圭nitia 【ion only
「Qr high castes and specified others
ム厂o’θ’【npraGticc Ncwar Buddhist cxo虹eric rltcs are Sr盞》akayana during the rl【es
themselves, but brack¢ted by an unoffcnsive e其oIeriG versiQn of the Vaj raytina (c 匚§9」), In
practice es。に ric rites are Vajrayanist from st側 しo 鯒 sh buUnc。rporate c巳rtain values 。f
こhc§ravakayana (w。 ∫ship, purs・it・f mcri匣),
浄 ・不
1
争と吉 凶とい う観点
か ら分類 し たPradhan
の ヒ ン ドゥ ー儀 礼の類 型 はネワール 仏 教 儀 礼に もほぼ妥 当
する こ と, ネワ ール 仏教の 密 教 儀礼 はチベ ッ ト ・タン ト ラ仏 教の 儀 礼の 類型論
に対 応 するが, 誓 戒(
vrata ) な どの 儀礼
は その類
型 論の中には収ま ら ない こ と な どが指
摘さ れてい る。 その後, グ ルマ ン ダラ供 養, 瓶 供 養(
kalaliapttja
)
,護摩 (
homa )
の 三 つ が,誓
戒 ・人 生儀礼 ・デ ィー ク シ ャ ー ・灌頂な どの その 他の 儀礼の 基 本 となる 「5
.3
.ネ ワ ール仏 教の 基 本 的儀礼 」 と して , その 次第
が詳
し く紹介され , その 際, それ らの儀 礼が形 式 的に は ヒ ン ドゥ ー教儀礼
の構造
と致 してい て も, 内容 的に は 仏教 的意 義付けの もとで 行われ る仏教的 な もの で あ るこ とが強調 さ れてい る。
以 上で ネワール仏 教 理 解 に必 要な基
本的事柄
につ い ての説
明が終わ り, 第 六章
以 降で は ネワ ール仏 教 における三乗(
声
聞乗 ・大乗
・金 剛 乗)
とその 関 わ りにつ い て ,本格
的に論 じ られ る こ とに なる。 まず第
六章
「声聞 乗 :ネワ ール仏教
に お ける僧 院 的理念 」 で は,声
聞乗の 僧 院 的理念
が 現在
で も以 下の 『点 に認 め ら れ生 きてい る こ とが指 摘 さ れ る。 す なわ ち, (1
)現 在で は実際 に は世 襲僧 とい う形 を とっ て い るもの の , 得 度 ・受 戒 して一H
寺的に しろ 出家 の 形を とる こ とに よっ て , 僧 院コ ミュ ニ テ ィ ーの メ ン バ ー と なる資 格が与え N工 工一Eleotronlo Llbrary<E≒
1
,評>David N . Gel]ner ;Monk , Househoider , and 蹟”〃 ρズc Pt・ieSt115
ら れ る こ と (6
.1
.世襲 僧 と して のSakya
とVajracarya
」), (2
)タ ン トラ的 色彩
の強
いBahal
]型の 僧 院 とは異 な り、Bahi
刑の 僧 院で は, 二 階 には タン トラ神の 仕が ある もの の , 一 階本
堂 の釈尊
を本 尊とする簡 素な作 りにする と い う形で 意識的 に声
聞乗 的 要 素が保 持 され て お り, また, 両 型の寺
院を聞わ ず朝夕
の 儀 礼は, 本尊
が 釈尊
以外
の もの(
人
日等
の 五仏 など)の 場 合があっ た り, 儀 礼 に大 乗的 あるい は金剛 乗 的影 響が多
く (た と え ばグル マ ン ダラ 供 養)認め ら れる もの の , 基 本 的に は釈 尊へ の 供 養がモ デ ル と なっ て い る こ と (「6
.2
.僧 院にお ける儀 礼」)
, {3
)燃 燈 仏(
Dlpahkara
)崇拝
をモ テ ィ ーフ とす る祭
(paficadan
祭と samyak 祭 )では, 燃燈 仏 に法 身 とい う大乗 的 解 釈が 付 与さ れ た り, 金剛 乗 的な儀 礼の 付 加に よ り儀 礼が増 大 する とい う点が認め ら れ る もの の , 司 祭へ の 布施
と して で は な く出 家 僧 と して のSakva
とVajracarya
お よ びその 僧 院の 托鉢
に たい する布 施 とい う形で,声 聞 乗 的な 理念が保 持 さ れて い るの で ある (「6
,3
. 燃 燈 仏 崇 拝」:)。 要 するに, 以一ヒの 三 点 に, 大 乗 的要素
と金剛乗
的要 素に包 まれ た形で はあ る が,声
聞 乗 的 核が 明 確に認 め ら れ る と考
える わ けである。次に第七章 「大 乗
(
第一部)
:仏
教 在 家僧の義務
と宗教
」 で は,大
乗 的 な 宗 教 実 践 として以 ドの もの が あげ ら れて い る。 (1
)カ トマ ン ドゥ 盆 地 各地に マ ン ダラ状に配置 さ れ た 聖 山 ・聖 河 ・十二 沐 浴地(
よ り大乗 的聖 地 ) ・八霊 場(
八 母神
に対 応 し よ りタ ン トラ的 聖 地)
などの 聖 地を巡礼
するこ と に よ り 功 徳 を積
むこ と(「
7
. ユ.地方
巡礼に よ る功 徳の 積み 重ね」)
。 [.2
)命
名 式 ・食初 め ・得度式 (
在
家は 入 門式 )・結 婚 式な どの 人生儀 礼
の 遂 行(
こ れ らの 人生 儀礼の リス トはほ ぼ ヒ ン ドゥ ー教の もの と同 じだ が, 常に グル マ ン ダラ供養
で始
め られ る こ れ らの 儀礼 は大 乗的救
済理念と金 剛 乗 的 方法に基づ い て 行わ れて い る) (
「.7
.2
.仏 教 と 人 生儀 礼」)。 (3
)葬 式 ・喪に服 す こ と ・祖霊祭な ど の 死者 儀礼 を行うこ と(
こ れ も用い ら れ る用語
な ど に は ヒ ン ドゥ ー教の もの との 相 違はない が , ヒ ン ドゥ ー側が 死の 汚れ をは らい 祖 霊 に供 物 を捧 げて養 うとい う考
え方な 0)にたい し, 仏 教 側は功徳 を積 むとい う面 を強 調 す る点が 異 なる) (「7
.3
.仏 教の 死者 儀 礼Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
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116
パ ーリ学 仏 教 文化 学 祭 などの 地 方 祭, 雨期の 前後に行わ れるMohini
祭とSwanti
祭な どの 暦に 基づ い て 冂程の 決 まっ てい る数多
くの祭
(「7
.4
.仏教 と暦に基づ く祭」)。 (5)毎
月八 日に不 空 羂索 観 音 に帰依
し て行
わ れる八斎
戒の 遵守 (
不 空羂 索 観 音に帰
依 する儀 式であ り, かつ 八 斎 戒は司 祭に よっ て読みあ げられる だ けで参
加者
には 八斎
戒 という
一つ の ま と まっ た戒 という
意 識が希薄
な点
は上 座仏教
の もの と は異な り, 不 空羂 索 観 音に帰 依 する儀 式 とい う点で は 同 じだが, 参 加 者に八斎 戒 とい う一つ の まとまっ た戒 とい う意 識が明確な チベ ッ ト仏 教の も の と も異
なる)
や年
に 一度行
われ るVadundhara
神
に帰依
して行
わ れる八斎
戒 の遵守
な どの誓
戒(
vrata) (
「7
.5
.誓
戒 :在
家の た めの苦行
主義
」)。次 に第八 章 「大 乗
(
第二 部)
:グテ ィ(
講)
」 で は, 大乗 的 な もの と して, 日本
の 講組織
に似た グテ ィが取
りあ げら れる。 そ して まず 「8
.L
グ テ ィ の 基 本 的諸 原理」 で は, 最年長者
を長老 とす る年
功序
列制, グテ ィ の責任
者の輪 番 制, グテ ィ の持
つ 地域性 (
な お グテ ィ維持
の た めの 共有
地 を保有
する)と い う, グ テ ィ運営
の 三基本
原理 が説 明される。次
に 「82
. グ テ ィ の タイ プ と 例」 で は, ある種
の協
同組 合 的 な経 済グテ ィ, 公共 施 設の 建設 ・維
持管
理 の た めの公 共施
設 用 グテ ィ, カ ース ト規範維持
の た めの カー ス ト評議 会
グテ ィ, リネー ジ神 を祭 るため の リネー ジ神
グ テ ィ,Vasundhara
神 な どの 特 定の 神 を祭る た め の グ テ ィ,葬 式を行 うための 葬 式 グ テ ィな どの さま ざ ま なグテ ィ が紹 介さ れ る。 そ して最 後 に 「8
.3
.グ テ ィ と して の仏 教 僧 院 :グ テ ィ と仏教」 で は.グ テ ィ運 営の 三基 本
原 理が僧 院運営
の 原 理 ともなっ てい る (た とえば, 年 長者の 順で輪 番 制で 朝 夕の 儀礼や年 中行 事の 引 き受け手が決 定さ れる とい う形の 年功 序 列 制と輪 番 制, その よ うな義 務は憎 院に限 ら れ また僧 院の メ ン バ … と なる得 度は僧 院で行
われ る とい う地域
性)
とい う点
が指
摘さ れる。 そ し て年 功 序列 制 と輪番
制に見られ る平等
原 理 とカース ト制度の持つ 階層 原理(
ヒ ン ドゥ ー的 ) との 矛盾
に注 目し, こ の ような{F
等 原理 の 背 後 に は仏 教 的 なる もの の存在
があっ たの で は ない か と示唆
し て い る。次に第九章 「金 剛乗
(
第一部〉
:司 祭 性 と イニ シエ ー シ ョ ン 」で は, ま ず 「9
.1
. 二種 類の 金剛 乗 :顕 教 と密 教」 で , 大乗か ら金 岡乗 へ の 発 展の 過 程で , 第 一 N工 工一Eleotronlo Llbrary_< 、II;/−
i
,IF
.>Davld N . Ge ]lner:Mo ’訛, Househθtder, and 7朋 ’r’c Priest117
段
階と して 肩 ム(
大H
・宝
生 ・不 空 成就 ・阿 弥 陀 ・阿 闔)の 成立 ,第二段 階 と し て 妃 を 伴 う 荒 ぶ る 神(
Cakrasapavara
,Hevajra
,Yogambara
,Capdamah
[irasai )a な ど) と性 的儀礼
の導
入 が 重要で ある と指
摘 され る。 その 後
,
Kriya
,Carya
,Yoga
,Yogottara
(Tib
:父 ),Yoganuttara
(Tib
;N
:)とい うタ ン トラ の 階層 制に触れ たの ち, 大 乗 と金
剛乗
との橋渡
しをする, 金剛乗の 中では 顕教 的な もの と して,
金
剛 薩 蕪(
原 初仏
として も崇拝
さ れ , タン トラ ・イニ シ エ ー シ ョ ン を受 けて い な い 者 に も崇 拝 さ れ る
), 文 殊 (