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一方 (B) に分類される先行研究は クリントン政権時とオバマ政権時の 経済状況の変化や 民主党内での対立の推移を論じたもので 説得力あるものが多い 4 しかし ややするとこれは たとえ 2010 年のアメリカ大統領がヒラリー クリントンであったとしても ( 社会 政治情勢の変化から ) 医療制度改

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224 アメリカ政治外交史演習 西田尚史、法学部 3 年 2011 年 01 月 26 日 題名:2009-10 年の医療保険制度改革法案の政治過程――オバマ大統領の役割から はじめに 2010 年 03 月 23 日にアメリカ合衆国のオバマ大統領は医療保険制度改革の法案に署 名をし、セオドア・D・ルーズヴェルト以来の民主党の悲願であった国民皆保険制度を 成立させた1。本稿は、オバマ政権の医療制度改革法案の成立について論じるものであ る。つまり、多くのジャーナルや論文で取り上げているように、「なぜクリントン大統 領の医療制度改革は失敗に終わったのに、オバマ大統領の医療制度改革は成功したのか」 という問いかけに答えようとするものである。 この問いかけに対して、先行研究は大まかに二つの答えを用意してきた。(A)オバ マ大統領のリーダーシップに因るもの(つまり、クリントンはリーダーシップを発揮で きず、政権運営も間違えた)と、(B)1993-1994 年と 2009-2010 年の社会・政治情勢 の変化を比較した上で、後者は改革が通りやすかったと結論付けるもの、がそうである。 (A)に分類される先行研究は、ややジャーナリスティックなトーンのものが多く、 しばしば実証的な論証のプロセスが欠けており、論文としての説得力に欠くものが多い 2。また、オバマ政権が医療制度改革を実現するために打ち出した戦術について論じた ものがあるが、やや意地悪な見方をすると、「2010 年 3 月に医療制度改革の法案が可決 したのだから、それまでのオバマ大統領のとった戦術は正しかった」という視点から論 じられているものが散見される。これは、やや説得力に欠く3 1 実際上の保険加入者は合法的な人口の 94%にとどまる。

2 たとえば、James A. Morone, “Presidents And Health Reform: From Franklin D. Roosevelt To Barack Obama,” Health Affairs, June 2010.

3 たとえば、Jonathan Oberlander, “Long Time Coming: Why Health Reform Finally Passed,” Health Affairs, June 2010.

目次 はじめに

第一章 医療制度改革の挫折の歴史――1980 年代後半からの民主党の特徴 第二章 2009-10 年の医療制度改革はなぜ成立したのか?――先行研究の紹介 第三章 Barak Hussein Obama と医療制度改革法案

一節 Leadership を発揮しない leadership?――受動的な大統領

二節 Super Majority の消失から成立まで――能動的な大統領の leadership 三節 オバマ大統領の役割の分析――「政治的妥協」についての考察 おわりに

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225 一方、(B)に分類される先行研究は、クリントン政権時とオバマ政権時の、経済状 況の変化や、民主党内での対立の推移を論じたもので、説得力あるものが多い4。しか し、ややするとこれは、「たとえ 2010 年のアメリカ大統領がヒラリー・クリントンで あったとしても、(社会・政治情勢の変化から)医療制度改革が可決されたのは必然的 であった」という結論に陥りがちであり、これでは、医療保険制度改革にあたってのオ バマ大統領のリーダーシップという要因がほとんど無視されてしまう。また、オバマ大 統領が実際に変動する上院・下院の政治状況にどのように対応したのかを丹念に追った 研究はないのが(B)の特徴であろう5 本稿は、「たしかに経済・社会・政治の構造的な変化が今回の医療保険制度改革の成 立に追い風となったが、オバマ大統領という存在も成功の大きな要因であった」という 仮説の下に議論を組み立て、「なぜオバマ大統領の医療保険制度改革は成功したのか」 という問いかけに答えることを目的としている。つまり、(A)と(B)をつなげるよう な研究を目的としており、そして、それがこのペーパーの意義であると考えている。 最後に、本章の構成について述べる。まず第一章では、民主党の国民皆保険制度の導 入の挫折の理由を簡単に述べる。ここではもっぱら、民主党のリベラル派と、1990 年 代から勢いをつけてきた穏健派(Centrist)の党内対立を描き、医療保険制度改革をめぐる 複雑さを説明する。オバマ政権の医療保険制度改革のアプローチは、クリントン政権の 同改革へのアプローチから学んだ点が多いと考えるので、クリントン政権の改革への試 みについても若干説明したい。次に、第二章では、「なぜクリントン大統領の医療制度 改革は失敗に終わったのに、オバマ大統領の医療制度改革は成功したのか」についての 先行研究を紹介する。そして、第三章では、オバマ大統領が医療保険制度改革に着手し てから、それが成立に至った翌年の 3 月までの政治状況の変動を描き、オバマ大統領が どのように上院・下院との交渉プロセスに関わっていたかを論じて、先行研究を参考に しながら、成立における彼の意義を説明したい。おわりにでは、このセミナーペーパー の意義をあらためて述べ、そして、問題点をいくつか指摘したい。 第一章 医療制度改革の挫折の歴史――1980 年代後半からの民主党の特徴6

4 たとえば、Jacob S. Hacker “The Road to Somewhere: Why Health Reform Happened,”

Perspectives on Politics, September 2010.また、天野拓『現代アメリカの医療改革と政党政治』、 ミネルヴァ書房. 5 確かにオバマ大統領他政権担当者の手記などが公開されていないため、実証研究は時期尚 早かもしれない。しかし、政権発足から医療保険制度成立までのプロセスをじっくり読み 込むことで、新しい気付きなどがあると考え、また、不完全ながらも公開されている情報 をまとめること自体に意義があると考え、これを行うことにした。 6 紙面が限られているため、本稿では主に民主党がどのように医療制度改革に向き合ってき たかを論じる。共和党も重要なカウンターパートであるが、オバマ政権の医療保険制度改 革では、すべての共和党員は反対に回り、民主党の議席だけで成立させたものであるから、 今回は民主党の歴史に焦点を絞ることにした。

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226 共和党と違って、民主党はF.D.Rの時代から一貫して国民皆保険制度の導入に積極 的であった。だが、1980 年代後半から、民主党内では同じ医療保険制度改革をめぐっ て二つの政策的立場が出来上がり、改革の内容や方向性が大きく二つに分かれ対立が激 化したために、政治的な合意形成やそのための政治的な妥協が困難となったのである。 1980 年代後半までの民主党では、リベラル派が支配的勢力であった。政府が果たす 役割を重視するリベラル派は、政府が資金を拠出しこれを運営する公的医療保険制度を 追求してきた。それゆえ、その最終的な目標は、1930-1940 年代のアメリカで急速に発 展した民間医療保険制度の縮小や破棄であり、「シングル・ペイヤー・システム (single-payer system)」7である。 しかし、医療保険改革に限られないことではあるが、リベラル派の「大きな政府」、 「高福祉・高負担」路線はしばしば「特殊利益」(Special interests)と結びつき、このよ うな急進的な主張は穏健派の有権者から支持を得ることができないとして、異なる立場 を主張するようになったのが穏健派(Centrist)である8。実際、リベラル派の民主党は 1980 年、1984 年、1988 年の大統領選挙で負け続けており、これが穏健派勢力の政治的な影 響力の拡大を助長した9。そしてこのように、1980 年代以降台頭してきた穏健派は、医 療保険改革について従来のリベラル派とは異なる方向性を打ち出した。つまり、財政均 衡を重視することから、政府の役割を必要最小限にとどめ、民間保険の拡張や市場原理 のもとでの発展を期待する立場である10。このような、リベラル派のアプローチと穏健 派のアプローチの対立が、「リベラリズムに依拠したものであれ、「第三の道」に依拠し たものであれ、民主党が抜本的な改革を内容とした大胆な政策を打ち出すことを困難と しているのである」11 しかし、民主党内ではリベラル派と穏健派の対立が先鋭化する一方で、無保険者の数 の飛躍的な増加に加えて、医療費の高騰などへの不安が、医療保険制度改革をたびたび 大統領選挙の争点としてきた。このような状況の中で、1993 年 1 月に発足したクリン トン政権は、重要な政治的争点として浮上した医療保険制度改革に着手することを表明 したのである。「世論調査の結果でも、医療システムは十分に機能しており小規模な改 革しか必要ない、と答えた割合が、全体の六%にとどまる一方、抜本的な変革や再編成 が必要であると答えた割合は、九二%にものぼった」とあるように、改革遂行には絶好 の機会であったといえよう12。閣僚を中心としたメンバーからなる国民医療保険改革に 7 政府が医療費を一元的に管理する国民保険制度で、カナダが典型例。リベラル派の基本的 な立場については、Thomas Bodenheimer, 2005 を参照。 8 久保文明、2002 年 9 1992 年に大統領となったビル・クリントンは穏健派であり、2000 年に大統領候補の指名 を勝ち取ったアル・ゴアもやはり穏健派である。詳しくは、久保文明、2002 年を参照。 10 穏健派の基本的な立場については、David Kendall, 2005 を参照。 11 天野、2009 年、12 頁. 12 天野、2009 年. 129-130 頁.

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関するタスクフォース (Task Force on National Health Care Reform) をクリントン大統領 は創設し、穏健派とリベラル派の双方に配慮した改革案を提案した。しかし、タスクフ ォースが改革の試案を作成するのに時間をかけ過ぎたこととも原因の一つではあるが、 改革の内容が議論の都度に公開されると、党内の不協和音は大きくなっていった。そし て、リベラル派と穏健派の双方から不満や反発が起こり、クリントン政権はこの党内対 立を解消できないまま、医療制度改革の失敗に追い込まれたのである13 以上のような、とりわけ医療保険改革の方向性や内容をめぐる民主党の党内対立は解 消されることなく、2009 年、オバマ大統領の誕生を迎えることになったのである。次 章では、2009-2010 年の医療制度改革法案の実際の政治過程におけるオバマ大統領の役 割という観点から見る前に、「なぜオバマ大統領の医療制度改革は成功したのか」とい う問いに対する先行研究をいくつか紹介したい。 第二章 2009-10 年の医療制度改革はなぜ成立したのか?――先行研究の紹介 「なぜクリントン大統領の医療制度改革は失敗に終わったのに、オバマ大統領の医療 制度改革は成功したのか」という問いかけに対して、まず、オバマ大統領のパーソナリ ティの側面から答えようとする研究がある。例えばジェームズ・モローンは、オバマ大 統領が七つの面において優れていたとし、七つの要諦のうち三つはオバマ大統領の「改 革者」としての性格を挙げている14 あるいは、クリントン政権の改革失敗から、オバマ大統領は見事に教訓を引き出し、 愚直に実行したから成功した、という論旨の物がある。実際、オバマ大統領はクリント ン政権とは異なるアプローチをとっており、クリントン大統領のアプローチから学んだ 節がある。しかし成功の裏返しは失敗かもしれないが、失敗の裏返しが成功につながる とは限らない。ジョナサン・オーバーランダーの論文ではクリントン政権の改革の失敗 とオバマ政権の改革の成功を比較しているが、百花繚乱のように次々と成功要因を挙げ ているばかりで、本稿の「はじめに」でも書いたが、やや意地悪な見方をすると、2010 年3 月に医療制度改革の法案が可決したのだから、それまでのオバマ大統領のとった戦 術は正しかったという視点から論じられているものであるため、やや説得力に欠くので ある15 13 もちろん、共和党の存在も大きい。天野は民主党内だけではなく、1980 年代後半までは 現状維持的な姿勢を保っていた共和党において、保守派勢力が支配的となり、「個人が直接 保険料を負担して選択・購買する民間保険や、個々人による医療費の拠出・管理を重視す る」ラディカルなアプローチを選択したことから、民主党・共和党間の立場が先鋭化し、 政治的妥協が困難であったという分析もしている。詳しくは、天野、2005 年を参照。 14 James A. Morone. ちなみに、七つの要諦は、”Have Passion, Act with Speed, Master the Congressional Process, Go Public, Get your Philosophy Straight, Learn to Lose, What Next?” 論 文のそもそもの趣旨が将来の改革者のため、というものであるから、この論文からは、実 際の政治過程を検証する際に有益な視点はあまり得られない。

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228 一方、ローレンス・ジェイコブとデズモンド・キングの、オバマ大統領の業績を彼の 生来のパーソナリティから分析するのではなく、政権を取り巻いていた構造的な制約条 件(Structured Agency)を前提に分析しようとした論文は説得力あるものといえよう16 この論文では、経済状況や議会の状況(そもそも大統領に議会の議員を動員する力はな い)を分析し、オバマ大統領の業績を評価している。ただ、この論文は医療保険制度改 革だけを取り扱っているわけではないため、何が決定的要因であったかについての言及 は避けている17 これに言及しようとしたのが、ジェイコブ・ハッカーである。彼は論文の中で、医療 保険制度改革が成立した背景を、オバマ大統領のリーダーシップという切り口からでは なく、ジェイコブとキングが指摘した構造的要因から説明している。つまり、① 1993-1994 年と比べて経済状況は 2009-2010 年には悪化しており、高まる公的医療保障 制度への不安が「たとえどんな法案でも、通らないよりマシ」という世論を作り出して いたこと、②無保険者の増大が、医療関連の利益団体にとってはマイナスにしかならず、 保険者数の拡大を目指すオバマ大統領の案は利益団体にとっても収益増につながった こと、③既に 2008 年の予備選挙の時点で、オバマ・ケリー・クリントンの三候補は「類 似したものではなくて、そもそも全く同じといってよい」医療保険制度改革案を掲げて おり、民主党の中では既に有力者の間でどのような法案を通すべきかについてのコンセ ンサスが出来上がっていたこと、などが主な理由である18 しかし、このような、クリントン政権と比べれば改革により適した条件がそろってい たとしても、改革は自動的には起きないものであるし、結局、人を動かすのは人である。 また、このような前提条件がそろっていたとしても、改革が途中で頓挫する可能性はあ った。ハッカーも指摘しているが、議会が休会中の 2009 年の 8 月にティーパーティー の反対運動が激化した時期と、2010 年の 2 月に共和党の新人が上院議員の議席を確保 し、民主党がフィリバスター阻止の 60 議席を割った時期がそうである。第三章でくわ しく述べるが、2010 年 2 月にオバマの大統領が公開討論大会の開催、予算調整(Budget Reconciliation)の検討、穏健派、そしてローマ教会を支持基盤とする民主党員の支持獲 得のための「妥協」を手掛けたことは、たとえ2010 年のアメリカ大統領がヒラリー・ クリントンであったとしても、(社会・政治情勢の変化から)医療制度改革が可決され たのは必然的であった、という考えに異議を唱える事実であろう。 実際に、エミィー・グットマンとデニス・トンプソンは、ハッカーの論文を素地に、 上院と下院で民主党の改革法案の反対にまわった議員の意見をよくききいれ、それを新 しい法案に反映させるプロセスである、「政治的妥協」(Political Compromise)を成し遂げ

16 Lawrence R. Jacobs and Desmond S. King, September 2010.

17 ただ、オバマ大統領が、「法案形成の制約と取り巻く利益団体」の中で、医療保険制度改 革を成立させたことは「異例ともいえる成果である」と評価はしている。

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たオバマ大統領の手腕を評価している19。これら先行研究の視点は、第三章で見る医療 保険制度改革の政治過程を見る際に、分析の有益な視座を与えてくれる。以下、これを 参考にしながら、改革までの政治過程を、とりわけオバマ大統領の役割という観点から 分析していく。

第三章 Barak Hussein Obama と医療制度改革法案20

2009 年 1 月に第 44 代のアメリカ大統領に就任したバラク・フセイン・オバマ(Barack Hussein Obama)は、既に大統領予備選挙の段階から医療制度改革に着手することを表明 していた。しかし、金融規制法案や自動車業界再編の問題の対応などに追われて、就任 した最初の五か月の間は、医療制度改革が大きな政治上のアジェンダとなることはなか った。オバマ大統領が本格的に医療制度改革への取り組みの姿勢をようやく示すことが できたのは、2009 年の 6 月のことである21 オバマ大統領は、上院・下院共に民主党が議席数で多数派となる政治情勢の下に就任 した22。だが、医療保険制度改革へ向けて、オバマ大統領が直面した困難は大きかった。 本稿の第一章で説明したように、民主党内では相変わらず改革路線の政治的立場の違い が目立っていたし、また、オバマ大統領に対して、アメリカ病院協会(American Hospital Association)やアメリカ医師会(American Medical Association)、米商工会議所(United State Chamber of Commerce)、その他の利益団体もそれぞれ各論の賛成・反対をつけていた23。 しかし、なんにせよ、オバマ大統領の表明を受けて、まず下院が、そして次に上院が それぞれの法案を検討し始め、医療保険制度改革は動き始めたのである。しかし、当初、 オバマ大統領は全くと言っていいほど議会での医療保険制度改革法案の政治過程へ介 入しなかった。そして、この姿勢は 2009 年末まで続くのである。 第三章一節 Leadership を発揮しない leadership?――受動的な大統領 オバマ大統領が医療保険制度改革法案に署名するのにはおよそ 10 か月かかることに なるのであるが、法案可決前の 2 か月間と比較すると、最初の 8 か月間、オバマ大統領 の基本的立場は上院・下院への介入は控える消極的姿勢であったといえよう。 オバマは予備選挙の時点から、「党派を超えた政治的コンセンサスをつくること」の

19 Amy Gutmann and Dennis Thompson, 2010. ただこの論文が惜しいのは、オバマ大統領が政 治的妥協をどのように成し遂げたかについての実証分析をほとんどしていないことであり、 そのために論文としての信頼性に欠くということである。セミナーペーパーの第三章三節 ではこの点を考えたい。

20 実際の政治過程についての情報は The New York Times にすべて拠る。 21

The New York Times, June 19, 2009. 22

『アメリカ政治』第 7 章によると、上院では民主党(58):共和党(40):無所属(2)であり、 下院では民主党(257):共和党(178)。

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230 重要性を訴えていたが、実際に医療保険制度改革に着手した後も、繰り返し超党派のア プローチを主張する以外に、何か際立った動きは見せなかった24。上院民主党議員の Max Baucus 氏に議会運営のほとんどを一任し、自らの医療保険制度改革案を提示しな かった。6 月の半ばにさしかかって、法案成立に向けて多数決を勝ち取らなければなら ない、5 つの委員会のうちの 3 つの委員会からは医療制度改革法案の支持をとりつけつ つあったが、改革を進めるにあたって反対議員の考えを汲み取るような対話の姿勢では なく、他の何よりもスピードを重視したスタイルについては、共和党員からの反対はお ろか、一部の若手民主党員からも不安や不満の声があがっていた25。また、上院におい ては多数派リーダーのハリー・リード(Harry Reid)が、そして下院においては民主党内の 保守派 (Blue Dog Coalition)が強硬に反対の姿勢を示した。ホワイトハウスはこれらに対 応しようとしたものの後手に回ってしまい、結局、5 月にスタートを切った医療保険制 度改革の審議は、議会の夏季休会後に持ち越されることになった26 議会の夏季休会中は、オバマ大統領は推し進めている医療保険制度改革で、現在の保 険加入者が不利益を被るという噂をかき消すための対応に追われた。また、休会前とは 変わって、「大切なのはアメリカ国民のためになる法案を可決すること」、そしてそれを 果たすためには、超党派のアプローチにこだわらずに、民主党議員の議席だけで法案を 可決する可能性もあるという発表をしている27。民主党単独で法案を可決するためには 何よりもフィリバスター阻止のために上院において 60 議席を確保することが必要とな り、それは、58 の民主党上院議員と 2 の無所属上院議員から支持を取り付けることを 意味する。 休会が明けたあとも、オバマ大統領の上院・下院への介入の消極的姿勢は相変わらず であったが、上院・下院それぞれの民主党員との交渉の末、10 月中旪には一層の審議 のために必要な五つの委員会での合意をとりつけた28。依然として上院で支持を集めつ 24

The New York Times, July 16, 2009. もっとも、「超党派」の定義は、単に共和党から一定の 議席を確保することではなくて、共和党員の医療制度改革へのアイデアを民主党が提出す る法案に組み込むことであると、ホワイトハウス高官は含みを持たせた発言をしており、 オバマ大統領もこの考えに同意している。

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The New York Times, July 18, 2009. 議会の委員会は多くの場合、ベテラン議員から構成され ており、若手の議員の意見が通らないことはアメリカ政治においてしばしば見られる。詳 しくは『アメリカ政治』第七章参照。

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The New York Times, July 24, 2009. 27

The New York Times, August 12, 2009 や The New York Times, August 18, 2009.ここでも、大枠 としての発表にとどまっており、何か具体的なアプローチをオバマ大統領は打ち出してい ない。五つの委員会での合意形成の分析については、委員会で主導権を発揮した人物と、 下院・上院の多数派のリーダーについて仔細に分析することが望ましいが、本稿の的から は外れるため、ここでは省略する。

28

委員会は、多数決された順に、Senate Health Education, Labor and Pensions Committee(6 月), House Ways and Means Committee(6 月), House Education committee(6 月), House Committee on energy and Commerce(7 月末), Senate Finance Committee(10 月).

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231 つあった法案と、下院で支持を集めつつあった法案の内容には差異があったものの、オ バマ政権の民主党はその 100 年にもわたる医療保険制度改革への民主党の試みの中、最 も成立に近づいたといえよう29 11 月に入ると共和党は医療保険制度改革の対案を打ち出したが、共和党が尐数派を 占める下院議会において、この法案が通る見込みはなく、それゆえ共和党の民主党案へ の反対の意見表明にすぎず、民主党の医療保険制度改革への勢いをそぐ効果はなかった 30。実際、11 月 8 日には三つの委員会で承認を受けた民主党の法案を下院が 220―215 で可決した31。一方、上院においては多数派のリーダーであるハリー・リード上院議員 が 60 議席の確保のために妥協と交渉を続けていた。調整は 11 月半ばから始まっていた が、上院のリベラル派と穏健派の間で「広汎な合意」に至ったと発表されたのは、12 月 9 日のことである32。そして、その後の交渉も経て、フィリバスターの阻止のために必要 な 60 議席を確保した後のクリスマスの日に、60-39 で上院の医療保険制度改革案は可決 したのである33 以上が 2009 年 5 月から 12 月にかけての、医療保険制度改革法案の上院・下院におけ る推移である。もともと医療保険制度に関しては、共和党と民主党の対立のみならず、 民主党内の保守・穏健派・リベラル派の対立もあるのだが、上院・下院において、ここ まで様々な党派の意見が主張されたのは、オバマ大統領が特定の政策を支持しなかった という要因が大きい。オバマ大統領に対しては、具体的な立場や案を表明すべきだとい う主張が、幾度となく民主党内では起きていたものの、これをすることをオバマ大統領 は避け続けたのである34 しかし、オバマ大統領の姿勢を肯定的に評価する研究もある。つまり、1993-1994 年 のクリントン政権が医療保険制度改革についてはゆっくりと、そしてやや排他的にホワ イトハウス内で政策の計画を練ったのに対して、オバマ政権は迅速かつ議会主導の下に 法案を推し進めたという論旨である35。この論文では、オバマ大統領の消極的な役割を、 肯定的に評価している。実際に、オバマ大統領はクリントン大統領の失敗から学んだの であろう。政権発足後、医療保険制度改革に取り組んだのは同じ 10 か月であるが、ク リントン政権の場合は国民医療保険改革に関するタスクフォースが中心となって 24 万 語もの改革試案をつくりあげ、結果、これが民主党内の対立の激化を招いた。クリント 29

この時点における上院、下院それぞれの法案の差異については、The New York Times, October 27, 2009 と The New York Times, October 30, 2009 を参照。

30

The New York Times, November 4, 2009. 31

The New York Times, November 8, 2009. 32

The New York Times, December 9, 2009. しかしその後も、Joseph I. Lieberman の非妥協的な 姿勢や、それを許容しようとするリードに反感を持つリベラル派などの間で溝が深まった。 詳しくは、The New York Times, December 15 と December 18, 2009 を参照。

33

The New York Times, December 25, 2009. 34

The New York Times, July 23, 2009. 35

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232 ン大統領は穏健派に位置付けられるが、穏健派でもリベラル派でもない、どっちつかず の試案をつくったが故に、穏健派からの支持も得られず、より穏健派らしい改革案を支 持基盤であるはずの穏健派議員から提出される事態をも招いた36 これと比べて、オバマ大統領の 10 か月間は、自らの改革案を提示せず、上院・下院 の議会運営にも介入しなかったのは、事態を見極めていたという見方ができる。また、 自らの考えを押し出さないことは、決定的瞬間に「政治的妥協」をするための前提であ ろう37。このアプローチ――リーダーシップを委任するという意味で、リーダーシップ を発揮しないリーダーシップという――はたしかに、民主党内の党派対立の最中では賢 明なアプローチであったといえよう。民主党内の派閥対立は、尐なくとも 2009 年にお いては、オバマ大統領とホワイトハウスが介入することで解消される問題ではなく、逆 に介入によって、対立が一層鮮明化するおそれもあったのである。それゆえ、民主党議 員の票獲得への交渉、医療保険制度改革案の議論の方向性については、およそその殆ど を上院・下院のリーダーに一任したのである38 このような見方を支持するのは、法案可決の最後の 2 か月にオバマ大統領が見せた、 大統領としての権限と影響力を最大限活用して、改革成立に不利に傾いていた状態から 巻き返しを図り、これに成功したからである。オバマ大統領のリーダーシップは、上院・ 下院の両院の本会議で医療保険制度改革法案が通った後に、大きな課題として浮上して くる法案の内容のすり合わせの際に発揮されることになる。

第三章二節 Super Majority の消失から成立まで――能動的な大統領の leadership 上院と下院でそれぞれ通った法案の違いを調整するための両院協議会が開かれるのが 本筋であるが、2010 年の 1 月 14 日にはそれに先行して、オバマ大統領は両院の影響力 のある民主党議員を招いて八時間超のミーティングを行なった。この会合では、実質的 な合意形成には至らなかったものの、参加者からは一定の評価を受けるものではあった といえよう39。この段階で、既に健康保険制度の収入源の問題といった、上院・下院の 法律案で差異がある部分について、踏み込んだ議論が行われていることからもわかるよ うに、2009 年に見せたオバマ大統領の消極的な役割から、両院の調整役としての積極 的な役割へと転じていることがわかる。 しかし、逝去したテッド・ケネディー上院議員(Ted Kennedy)――彼は熱心な医療保険 制度改革推進主義者であった――の代わりを決める、マサチューセッツ州の補欠選挙で、 36 天野、2009 年.

37 Amy Gutmann and Dennis Thompson, 2010. 38

上記論文はオバマ大統領のリーダーシップとひとくくりに語っているが、オバマ大統領 のリーダーシップが効果的に発揮しうる時期と、発揮し得なかった時期があるというのが、 本稿の主旨である。

39

“[Obama] is choosing the right moment to be engaged. His effectiveness will be higher because he waited until the last moment. ” The New York Times, Jan. 14, 2010.

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およそ無名であった共和党の新人候補であるスコット・ブラウン(Scott Brown)が当選し たことから、医療保険制度改革に陰りが見え始めた。これが意味することは、上院の反 対派によるフィリバスターを阻止するための絶対議席数である 60 席の 1 議席減である (Super Majority の消失)。The New York Times は民主党にとって医療保険制度改革は一 層困難になったと報じ、オバマ大統領自身もそれを認めざるを得なかった40。民主党議 員の中ではもはや医療保険制度改革はオバマ政権の最重要優先事項ではない、という見 方が広まりつつあった。それまで勢いがありすぎると批判されてきた医療保険制度改革 は、一転して緩慢なものとなったのである41 しかし、オバマ大統領はそのような中、この政治状況を打破するために、2 月に入る と民主党と共和党の公開討論大会を開くことを決断した42。オバマ大統領が得意とする ディベートを通じて、不透明と批判されてきた医療保険制度改革のプロセスを国民に明 らかにする、という名目の下に行われると発表されたが、その実質は、国民への「説得」 ではなく、民主党議員への「説得」であろう。そして、2010 年 1 月の一般教書演説で は、あらためて医療保険制度改革を遂行することへの意欲を示し、そのための具体的な 施策として、予算調整(Budget Reconciliation)43を検討することを表明したと同時に、オ バマ大統領自身の医療保険制度改革の具体的な案を初めて提示したのである44 オバマ大統領の案は彼の意図した通り、共和党に圧力をかけ、選択を迫るものとなっ た。つまり、医療保険制度に対して漸進的な改革のアプローチを好む共和党員らが、未 だ対案を出していないことを浮き彫りにし、対案を出さないままただ民主党の改革案を 批判する共和党という構図を、テレビを通じた公開討論大会の中で明らかにしたのであ る45。加えて、予算調整は反民主主義的手法ではないか、という一部民主党議員の懸念 を払拭するため、そして、再び医療保険制度改革について民主党議員の中で建設的な議 論を促すための効果としては、公開討論大会はオバマ大統領の期待通りに進んだといえ よう46。予算調整という手段を選択した以上、以前のような超党派アプローチを、オバ マ大統領はもはや求めることはなかったのである。 40

The New York Times, January20, 2010 や The New York Times, January 21, 2010.

41医療保険制度改革は一時、オバマ政権の最優先事項から外れたのであるという報道がある が、しかしこれは、一般教書演説を見る限り、演説の要旨からは外れているといえる。新 聞報道は、The New York Times, January28, 2010.一般教書演説の全文については、

http://www.whitehouse.gov/the-press-office/remarks-president-state-union-address 42

The New York Times, February 8, 2010. 43

予算調整(Budget Reconciliation)で、上院で単純過半数(51 票)で法案を成立させられる。 44

The New York Times, February 18, 2010. オバマ大統領の案については、The President Proposal, February 22, 2010 を参照。 45 改革を求める民主党と、漸進的アプローチあるいは現状維持的アプローチを好む共和党 という構図は、1980 年代前半までの医療保険制度をめぐる民主党と共和党という構図にや や類似している。1980 年代前半までの医療保険制度をめぐる対立については、Paul Starr を 参照。なぜ共和党が 1980 年代の様相に戻ったかについては興味深いが、本稿では論じない。 46 The New York Times, February 25, 2010.

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234 三月に入ってからもオバマ大統領は改革案の成立に向けて、民主党議員の賛成をとり つけるために精力的な活動を続けた。まず昨年に下院で可決された医療制度法案に反対 した民主党議員の地元を訪問し、説得を続けた。次に、現行の医療保険制度で犠牲にな っている人々の生活をレトリックに用いて「説得」を続けながら、昨年の 12 月に下院 で可決された法案に大幅な改定を加えた予算調整の法案を、上院の委員会で通し、これ により可決の見通しを立てた47。そして、オバマ大統領にとって追い風となったのは、 中立的な立場から法案を分析しその成果を発表する議会予算局(Congressional Budget Office)が、オバマ大統領の医療保険制度改革に対して、医療費を抑制する効果があると いうお墨付きを与えたことである。医療費の抑制は、多くの穏健派の民主党議員の懸案 していた事項であり、これにより、オバマ大統領はリベラル派の支持のみならず、穏健 派の支持を獲得するに至った48。また、昨年 12 月に可決された下院の案を下地に作成さ れたオバマの医療保険制度改革案は、中絶行為について十分な規制を行っていないとし て、ローマ教会を支持基盤とする民主党議員らから批判を受けていたものの、この点を 補う行政命令をオバマ大統領が出すことを条件に、これらの議員はオバマ大統領に賛成 することを表明した49 第三章三節 オバマ大統領の役割の分析――「政治的妥協」についての考察 ここでは、オバマ大統領が成した「政治的妥協」を、第二章で紹介したグットマンら の議論を元に分析していきたい。グットマンらの論文の課題であった「政治的妥協」につ いての実証分析を行うことで、先行研究の(A)と(B)をつなぐような、「たしかに 経済・社会・政治の構造的な変化が今回の医療保険制度改革の成立に追い風となったが、 オバマ大統領という存在も成功の大きな要因であった」という結論を導くことができる と考えるからである。 そもそも、「政治的妥協」とはどのような状況において成立し得るのか。どの状況に も適切にあてはまる普遍的な答えはないものの、グットマンらは、イデオロギーがます ます分極化し様々な利益集団が取り巻く政治情勢であっても、当事者の間に一定の心的 態度(mindset)があれば「政治的妥協」は実現できるという。これらの心的態度とは、自 身の主義と同時に大局的利益のためにはそれを柔軟に変える思慮深さを併せ持つこと (Principle prudence)と相互に分かりあおうと努めること(mutual respect)である50。

47 The New York Times, March 15, 2010. 48 The New York Times, March 17, 2010.

49 行政命令とは、大統領が管轄機関へ発令する法的強制力のある規制である。The New York Times, March 20, 2010.

50 Amy Gutmann and Dennis Thompson, 2010.この論文は、政治家は妥協の余地のない心的態 度で選挙に臨むべきであるが、統治の側に回ったとき、妥協の余地のある心的態度を持つ べきであることを主張しており、オバマ大統領はこの転換に成功したとしている。

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235 医療保険制度改革をめぐっての、2010 年 2 月の状況はいかなるものであっただろう か。第一に言えるのが、民主党の改革案に賛成を示す共和党議員はおらず、そのため、 当事者が民主党の議員に限られていたことである。オバマ大統領の選択肢にあったのは、 共和党の支持をとりつけるために妥協的な改革案を提出し、民主党の議員や有権者から ひんしゅくをかう超党派アプローチではなく、いかにして分裂化している民主党をまと めあげ、法案を一本化することでリーダーシップを示すかということであった。前述し た通り、オバマ大統領は 2010 年に入るまで改革の大統領案を提出していない。とすれ ば、自身の主義は持っていたものの、それを柔軟に変える準備はあった。また、「政治 的妥協」の第二の心的態度である相互に分かりあおうと努めることも、民主党内のこと であったから、民主党と共和党との歩み寄りよりも、比較的容易であったといえよう。 医療保険制度改革をめぐっての 2010 年 2 月の状況について第二に言えることは、前 の段落で指摘したことと密接に結びついている。確かに、民主党の中には医療保険制度 改革の方向性をめぐっては、二つないし三つの立場があり、それぞれの主張は異なって いる。だが言えることは、1990 年代後半から激化した共和党と民主党のイデオロギー 対立ほど、民主党内のイデオロギー対立は激しくないということである。民主党の党是 は医療保険制度改革であり、異なるのは主義や原理ではなく、そのアプローチである。 上院、下院のそれぞれで一応のコンセンサスがとれた状態であるために、歩み寄りの余 地はさらに広がったのである。 では、オバマ大統領はどのようにして民主党内の歩み寄りを促したのだろうか。医療 保険制度改革案が可決するには、医療費の抑制を懸念するリベラル派と、中絶行為につ いての規制強化を求める民主党議員によって構成されたグループの支持をとりつける ことが不可欠であった。医療費の抑制を懸案するリベラル派の不安を和らげるためには、 議会予算局からそのような評価を得る必要であった。そのため、オバマ大統領は自身が 2008 年の選挙の公約として掲げた案を撤回してまでも、加入のための個人の条件を高 くし、さらには高支出が予想される保険プランには高い課税を導入する案を改革案に盛 り込んだのである51。そして、オバマ大統領は目論見通り、議会予算局から医療費削減 の効果があるというお墨付きを得たのである。これにより、リベラル派の多くが支持を 表明することとなった。また、中絶規制を求める民主党議員らに対しては、改革案それ 自体が内包する弱い規制を、行政命令という形で補うことにより切り抜けることができ た。大統領の地位を用いた説得と、それ以外の説得を柔軟に使い分けるオバマ大統領の 指導の在り方がそこには見てとれるであろう。 第二章で紹介した先行研究が示すように、確かに、2009-10 年の医療保険制度改革で は、1993-4 年にはなかった政治・社会・経済状況があった。それがオバマ大統領の試み を後押ししたのは間違いない。しかし、同時に言えるのは、オバマ大統領には「政治的 妥協」を達成するだけの心的態度があったということである。また、2009 年 06 月から 51 Jacob Hacker, 2010.

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236 およそ半年間のオバマ大統領の下院・上院に対する介入への消極的姿勢が、結果的には オバマ大統領の医療保険制度改革についてのスタンスを明らかにしなかったために、 2010 年 2 月の「政治的妥協」のために有利に働いたことも指摘できる。医療保険制度 改革のような大きな制度的変更が成されるとき、その原動力を特定することは極めて困 難ではあるものの、オバマ大統領のリーダーシップもそこにはあったことが結論として 述べることができるであろう。 このような妥協を重ねながら、オバマ大統領は着実に支持を取り付けていった。2010 年 1 月にはマサチューッセツ州で共和党が上院議員の議席を確保して以来、一時は成立 が危ぶまれた医療制度改革法案の成立への巻き返しが成功したのは、ナンシー・ペロシ ー下院議長やハリー・リード上院議員との協力はあったものの、オバマ大統領の積極的 役割が大きい。かくして、3 月 21 日には下院でオバマ大統領の法案は 219-212 で可決さ れ、ここに、100 年来の民主党の医療保険制度改革の見通しが立ったのである52 おわりに このセミナーペーパーでは、「たしかに経済・社会・政治の構造的な変化が今回の医 療保険制度改革の成立に追い風となったが、オバマ大統領という存在も成功の大きな要 因であった」という仮説の下に議論を組み立て、「なぜオバマ大統領の医療保険制度改 革は成功したのか」という問いかけに答えること心がけた。その論証の主要部分は第三 章三節にあり、ここでは、2010 年の医療保険制度改革を可決するにあたって、オバマ 大統領が重要なファクターであったことを論証することができた。 ただ、「なぜオバマ政権は医療保険制度改革を通すことができたのか」という問いか けに対しては、本来は民主党内の合意形成のプロセスを見るだけではなく、もっと広い 視野から検討すべきなのであろうが、今回の論文では時間の制約からそれが叶わなかっ た。また、医療保険制度改革の法案をめぐる政治過程を、New York Times の記事だけに 頼り、本来見るべきであった議事録等を用いなかったことは、課題であろう。

これらを今後の課題とし、筆を置きたいと思う。

以上

52 The New York Times, March 21, 2010.

(14)

237 主要参考文献 本・論文 天野拓「クリントン政権の国民皆保険改革をめぐる政治過程:共和党および利益団体の 反対運動を中心に」『法学政治学論究』67 号、2005 年. 天野拓『現代アメリカの医療改革と政党政治』(ミネルヴァ書房、2009 年) 久保文明「米国民主党の変容:「ニュー・デモクラット・ネットワーク」を中心に」『選 挙研究』17 号、2002 年 久保文明編『アメリカ政治』(有斐閣アルマ)

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