連記録と記念物
著者
菊地 良直
雑誌名
東北大学附属図書館調査研究室年報
号
5
ページ
89-107
発行年
2018-03-22
URL
http://hdl.handle.net/10097/00122452
1 菊地良直「図書室に見る東北大学電気通信研究所史:(1)研究所資料の記録」『東北大学附属図書館調査研究室年報』,第 4 号,2017, p.69-88 2 前掲 p.85「5.執筆の経緯」 前編1では,主に電気通信研究所(以下「研究所」) の設立過程を跡づける図書室資料を紹介した。 後編にあたる本編では,研究所と図書室の建物の変 遷を整理する。そのうえで研究所の前史について,前 編で扱った工学部電気工学科時代を遡り,仙台高等工 業学校を揺籃期として位置づけてみたい。随時,電気 通信研究所図書室(以下「図書室」)に所蔵する関連品 を紹介する。 本文中,敬称は略させていただいた。引用の際は, 旧漢字・旧仮名とも現代の使用に置き換えた。
新営本館
2の工事開始時の様子(図書室北窓から撮影)
図 1 平成 25 年(2013)5 月 24 日 予定地には大きな銀杏の木が 2 本あった。 図2 平成25年 (2013) 6月3日 銀杏の伐採後。 図 3 平成 25 年(2013)7 月 25 日 図 4 平成 25 年(2013)9 月 9 日 図 5 平成 26 年(2014)に完成した 6 階建ての本館 左奥の 4 階建ての建物が通研 2 号館。図書室に見る東北大学電気通信研究所史:(2)関連記録と記念物
菊地 良直
1.研究所の建物移転の軌跡
研究所は,数度の移転を経て今の地にある。過去の 主要な建物は,転用はあるが幸い多く現存し,往時を 偲ぶことができる。研究所の建物の変遷は複雑だが, 組織としての発展を外観的にうかがえる点と,図書室 の過去の動静確認に必要な点から,あらためて整理す ることとした。 以下,『東北大学五十年史』(東北大学編,1960,以 下「五十年史」)及び『東北大学百年史』(東北大学出 版会,2003-2010,以下「百年史」)等から概略をたどる こととする。二次資料のため生ずる年代や呼称の揺れ は,ここでは精査の労を避け,おおよその標準的参考 にとどめている。 1-1. 図書室の設置以前 まず,研究所に図書室が設置される以前の,建物の 変遷を俯瞰する。 大正 13 年頃 - 15 年:片平北キャンパス工学部本館期Ⅰ 研究所の前史にあたる「電気工学科電気通信研究室」 (前編参照)は,この時期には相当数の論文を生み出 していた。 図 6 の枠囲み中 24 番の建物が,往時の工学部電気工 学科及び機械工学科教室(通称「本館」)である。こ れは仙台高等工業学校から引き継いだ木造の校舎であ る。北向かいの 19 番の枠囲みが電気工学科実験室であ る。これらの一角で,本学の電気通信研究が開始された。 図 6 配置図(『東北帝国大学一覧』(大正 14-15 年)巻末) (右が北。以降同) 矢印は,以下に続く写真の撮影位置(以降同)。 図 7 ①工学部本館(明治 42 年完成) (現在の多元物質科学研究所の南 1 号館の位置) (史料館所蔵) 図 8 ②電気工学科実験室(現在の流体科学研究所1号館の位置) (史料館所蔵) 大正 15- 昭和 4 年:工学部本館焼失・再建期 しかし間もなく不運に見舞われる。大正 15 年(1926) 6 月 24 日夕刻,木造 2 階建て工学部本館の南東部から 煙と火の手が上がり,僅か 1 時間半で全焼した。 大正 15 年 6 月 24 日火災によって工学部本館木造 1,776 坪が焼失した。事務室と機械,電気両学科の主体と である。幸に午後 3,4 時頃で,教職員学生の総力によっ て建築以外の機器図書等の被害は少なかった。(「五十 年史」p.907) この火災から再建までの期間が,その後の研究所に とって重要と考えるため,若干丁寧に追いたい。 「被害は少なかった」と「五十年史」は記録するが,「百 年史」には「昼火事ゆえ教職員・学生総出で実験機器 図書など搬出したが,多数の設備,論文原稿などが失 われた」とある(第 6 巻,p.60)。八木秀次(前編参照) の報告では,機械器具図書等の全設備のうち「4 割強」 を焼失し,復旧に要する時間のために「学部の拡張発3 「工学部の火災」『工明会誌』東北帝国大学工明会,8,p141-144,昭和元年度 4 「その後の工学部」『工明会誌』東北帝国大学工明会,11,p.1-4,昭和 4 年度 5 斎藤報恩会『事業年報』第 6,昭和 4 年度,(昭和 5 年 12 月[発行])p.198 この時点で未設置の「電気通信研究所」という言い回しが現れるが,この使用は意図的なものか,単なる誤記なのか不明である。続 く文章は「本大学附属の研究所を創設して政府の費用を以て研究を続行せんとする計画が政府の緊縮方針の為めに本年度に於て実行 するに至らなかった事は遺憾である。」とあり,研究所の創設を目指している段階であることが併記されて分かる。 展がそれだけ延期されるであろう事は実に遺憾の極み である」と記している3。 図 9 東北大時代の八木秀次先生 (中山栄子「八木秀次博士を偲びまつりて」『半導体研 究報告』第 12 巻,1976 所収) 以後さっそく,両学科の代用教室に,法文学部の移 転跡となっていた旧二高校舎を借り受け,9 月の授業開 始には間に合わせることができた。この時期にあって 積極的な意味をもった出来事をいくつか挙げる。 まず斎藤報恩会による補助研究の進行である。前編 で確認した通り,大正 15 年という年は,電気通信に関 する研究がようやく組織的なまとまりを見せ始めた時 期である。これからという時に火災で本館を失い,再 建にこぎつけたのは昭和 4 年(1929)であった。昭和 4 年は,斎藤報恩会の 5 年間の補助のすでに最終年であっ た。研究所は,この期間の多くを不十分な環境下に過 ごしながら,成果を上げていったことになる。 次に,国の予算措置の状況をみてみたい。 火災直後の八木の報告3では,火災による損害額は, 建物と付帯設備含めて「総計約 42 万円」としている。 これに対し国からの復旧予算手当ては,「機械や図書も 応急補充を要するに就ては政府は第二予備金から 17 万 円の支出を決定した」とある。この時点で,建物再建の 見積もりは「60 余万円」,「機械其他を合すれば復旧の ために総額百余万円を要する」としている。新築後の報 告4では,「建築費 60 余万円,内部設備 40 余万円,合 計総額百余万円を費やして本学第一とも称すべき新築校 舎が落成した」とあるから,両報告による経過の通りと すると,当初要求は全額手当てされたとみなされる。 参考までに,齋藤報恩会による補助金は,大正 13 年 度から昭和 6 年度までの総額が 21 万 7 千円である。 当時工学部長であった八木は,こうした背景のもと に積極的な将来計画を立てる。 本学部は未だ完成せられた一学部ではない。工学部 としては尚お土木,建築,造船,航空,採鉱,その 他の重要なる学科を欠いて居る。就ては復旧建築の 設計に当[た]っても出来るだけ土地の余裕を作り 其の生み出されたる空地に土木建築の両科を建てる ように設計し,両科開設に要する予算を提出した。 又た齋藤報恩会から 20 余万円の補助を受けて過去 5 ヵ年間に顕著なる研究業績を挙げた電気通信法共同 研究の永続を可能ならしめるために工学部附属電気 通信研究所を設置するの予算をも要求してある。4 図 6(旧校舎)と図 10(新校舎)を見比べると,旧校舎 は「ロ」の字形の 2 階建てであったのに対し,新校舎は 「L」字形の 3 階建てである。延べ面積は微減したが,木 造から鉄筋コンクリート建築への移行を実現し,かつ将 来の学科増設を見越して,八木の言葉の通り,南に大き く土地を残している。この構想は火災直後の八木の報告 3でもすでに見られ,実に 30 年後,電気通信研究所に大 きく関わって実現する。このことは後述する。 同時に八木は,復旧の目途の立った昭和 3 年(1928) に,「電気通信研究所」の設立を初めて学内に提案した。 新営後の,斎藤報恩会への報告からも,八木の意気込 みを感じることができる。 4 年前火災に罹りたる工学部本館は昨年(引用注:昭 和 4 年)9 月落成し本共同研究は 9 月以降全部新館に 於て行われる。電気通信研究所は一つの別館となり 其内部設備充実完備して今後研究を進むるに極めて 便利なるものとなった5。
研究所の独立と工学部の学科拡充を目指す八木に
対し,抜
ぬき山
やまへいいち平一(前号参照)もこの機を利用し,著
6 抜山平一「電気磁気学を世に送る言葉」昭和 30 年,1 枚 7 内田英成「抜山平一先生についての一つの思い出」『電波時報』21 巻 3 号,1966,p.45 8 「建物現在調べ(昭和 11 年 9 月 15 日現在)」『創立 25 周年記念 東北帝国大学ノ昔ト今』(東北帝国大学庶務課編,[昭和 11 年]),p.92
述活動の端緒を開いた。
40 才の頃学校の火災で研究記録や講義の原稿を焼失 したのが動機となり,研究設備の再建に要した 2 年 ばかりの空虚な時間を利用し,焼残りの原稿などを もととして電磁気学第 1 巻総論を書いた6。 学問の基礎体系を重視し,後には学生数の増加に努 めたという7抜山らしく,日ごろから授業にも力を入れ ていた様子が窺える。 以上からこの間は,本館焼失という不運に関わらず, 総じて将来への布石多い時期として注目されるのである。 昭和 4 年 - 31 年:片平北キャンパス工学部本館期Ⅱ 昭和 4 年,焼失跡地に工学部本館が再建された。図 10 の配置図の枠囲み中 27 番の建物である。 図10 配置図(『東北帝国大学一覧』(昭和14 年度)巻末) 昭和 10 年(1935)の研究所設立時は,「附属電気通 信研究所ハ工学部建物ノ一部ヲ使用ス」8とあるように, 専有建物を持つことのない幕開けとなった。もっとも 助教授以下を除き,所長も教授も,全てまだ工学部を 本籍とする兼任の状態であった。 当時の電気工学科は,実験室に図 10 の囲みの 20 番, 20-1 番,33 番を所有していた。特に 33 番の建物について, これは工学部本館と同時期に完成した,2 階建ての小ぶ りの建造物であるが,昭和 14 年度版の『東北帝国大学一 覧』巻末配置図以降,「電気通信研究所」の名称で示される。 図 11 北キャンパス南上空から (『工明会誌』 第 13 号, 昭和 6 年度, 扉) (写真上が北方向) 手前の 2 棟が火災後に再建された建築物で,今も存在している。 電気工学科実験室 ②工学部分館(実験室) ①工学部本館 図 12 ①工学部本館(昭和 4 年完成)正面 (現在は多元物質科学研究所の南 1 号館) 図 13 ②工学部分館(昭和 4 年完成) (電気工学科の実験室を転用し「電気通信研究所」 となった。現在の多元物質科学研究所事務部棟。)9 『東北大学百年史』第 7 巻,p.295 1-2. 図書室の設置以降 電気通信研究所図書室は,昭和 26 年(1951)10 月に 「専有のものが新たに開設された」とある9。これ以前, 専有の図書室は無いながら,職員名簿によると「図書 嘱託」1 名が置かれていた。 「五十年史」等による記録では,研究所が専有建物 を初めて得るのは,昭和 31 年とされる。とするとそれ までの間,研究所やその図書室はどこにあったのかと いう疑問が生じる。 手掛かりのひとつに,図書室設置から 5 年後の部屋 割り図(昭和 31 年 9 月教授会資料)がある。 図 14 は,工学部本館の西翼にあたり,専任・兼任織 り交ぜ,3 階に「永井」「眞野」「電一」「電二(談話室)」 「電三」「電四」,2 階に「図書室」「図書閲覧室」「小池」 「抜山・浜田」「眞野・大原」「福島・草刈」「髙野」「松 平」「宇田」「鳥山」「渡辺」,1 階に「宇田」「内田」「小 池」「柴山」「津屋」「X 線実験室」「電気通信事ム室」「矢 田」「二村」「六角」「菊池」の名前が見える。 図 15 は「分館」と称され,2 階に「二村」「小池」「浜 田」「防音室」,1 階に「松平」「大原」「菊池」「和田」「松 平」の名前がみえる。 両図から,本館西翼と分館が,設立後専有建物のな い時期の,電気通信研究所の居住地であったことがわ かる。さらにそれ以前,本館再建直後の居室配置が, 公刊物としては一部『宮城県の近代化遺産』(東北歴史 博物館編,2005,p.105)に収録されており,そこには 八木の名前も見える。 「図書」と「図書閲覧室」は本館の 2 階西奥に見え, 図 11 写真の工学部本館西翼の突き当りとなる。各部屋 の右下に書き込まれた数字は坪数だろうか。だとする と図書室は約 100m2,閲覧室は 80 m2となっている(現 在はそれぞれ 411 m2,86 m2)。 図 14 ①工学部本館西翼の部屋割り図 図 15 ②工学部分館の部屋割り図 図16 本館建物内部。西翼階段を上って左に回り込む。 図書室入口 閲覧室入口
10 『東北大学電気通信研究所年次要覧』1959,扉写真見出し なお,当時の教授会資料によると「昭和 27 年度校費 旅費年間配分表」では,「図書費」として 25 万円が計上 されている。校費配分の基準額が,専任教授 10 万円, 兼任教授 1 万円,助教授 5 万円,兼任教授が 8 千円とさ れており,予算規模が最も大きい研究室で32万円とある。 研究所の教授会は,抜山所長時代は開催されず,渡 邊寧(前編 p.69 参照)が第二代所長に就いた昭和 26 年 に初めて開かれた。図書室の設置が決まったとされる 同年 10 月の「通研教授会議事録(第 1 回研究に関する 教授会)」には,図書室設置といった直接的な言葉は見 られないが,「図書室に関すること」として,図書主任 の任命が行われている。 図書の主任渡邊教授研究用務多忙のため実際に奔走 する方 1 名を通信工学科より出て貰った方がよいと の意見があった。結局左記の通り決まる。 通信工学科 佐藤利三郎助教授 電気工学科 未定 通研 和田助教授 昭和 31 年 - 38 年:片平北キャンパス通研本館期 昭和 31 年(1956),南の空地に建屋の新営が成り, 研究所はこれを初めての専有建物と位置付ける。図 17 の 66 番がそれで,東翼が工学部通信工学科と精密工学 科,西翼が研究所であった。これを電気通信研究所の「本 館」と称し,既存の 67 番建物を「分館(電気工学科施設)」 と呼んだ10。 30 年前の八木の構想通り,この辺りには他にも工学 部の建物が立ち並び,そこに混じり,やはり八木が独立 を提唱した,電気通信研究所の建物が実現したのである。 図17 『東北大学一覧』(昭和24 年度-33 年度)より 図 18 ①電気通信研究所本館(昭和 31 年完成) 向かって左翼が研究所,右翼は工学部が使用 (現在は多元物質科学研究所の南 2 号館) 図 19 北側(中庭)から見た本館 右手前が同時期に完成した試作工場 なお図書室は,新営建物内の部屋割り案時点の図が 残っており(昭和 31 年 9 月教授会資料),そこでは 2 階の奥に見える。 図20 新営建物内の部屋割り案(昭和31 年)(部分) 図 21 現在の建物内部。中央階段を上って左奥が旧図書室か。
昭和 38 年 - 44 年:片平南キャンパス通研本館期 昭和 38 年(1963),片平南地区に建物を新営し,研 究所は一部そこへ移転することとなった。図 22 の 80 番の建物であり,現在の 1 号館 S 棟である。この新棟 を電気通信研究所「本館」とし,それまでの分館を引 き払い,81 番の旧本館を「分館」と呼ぶことになった。 一方,北半分の 54 番の建物は昭和 35 年に完成してお り,昭和 33 年に新設された工学部電子工学科が使用して いた。昭和 41 年,工学部の青葉山移転にともない,この 北半分も研究所が引き継ぐ。現在の 1 号館 N 棟である。 図22 配置図(『東北大学一覧』 (昭和34 年度-37 年度)) 図 23 手前:旧電子工学科(昭和 35 年完成) (現在は通研 1 号館 N 棟) ①奥:研究所本館(昭和 38 年完成)(現在は通研 1 号 館 S 棟) この間の図書室の位置については,当時の図面から 1F 中央玄関の突き当りであることが分かる。建物は新 設の電子工学科と連続しており,図書室は両翼の中間 に位置していた。 図 24 当時の建物内図(昭和 41 年度現在) 図 25 現在の建物 1 階内部。正面が図書室入口であった。 この頃,図書室に関わるある問題が生じていた。 工学部の青葉山移転に伴い,工学部の図書室と相互 共用していた図書資料が青葉山と片平に分かれることと なった。これに伴い,目録カードもそれぞれの図書室に 付随して移動することとなった。インターネットのよ うな技術インフラのない当時,図書の所蔵検索といえば カード目録に依っていた。そのカード目録が生き別れた となれば,例えば青葉山の図書室にどんな図書があるの か,片平から直接検索する術がなくなったのである。 この手当として,図書の所蔵検索に関しては,お互 いの目録カードを複製し交換することとし,両者間で 複写サービスや図書の書留郵送を行うことが検討され た。 しかし記録によると11,どちらも結局このときは実現 しなかった。特に後者に関して,「通研図書室職員の都 合により実現できなかった」とある。それ以前の記録 を遡ると,前年から研究所の職員 1 名が長期療養となっ ており,この年に死去している。 11 昭和 43 年 7 月教授会議事録
昭和 44 年 - 平成 4 年:片平南キャンパス 1, 2 号館期 本館の新営と同じ昭和 38 年,同地区内の西向いにも 新たな建物が建った。図 26 の 15 番と 16 番の建物で, 昭和 36 年に設置された工業教員養成所が南側⑯を使用 し,北側⑮を工学部の金属材料工学科が青葉山移転ま で使用した。その後,昭和 44 年(1969)の養成所の廃 止を受けて,研究所が南半分を引き継いだ。北半分を 引き継いだのが,電気通信研究所大泉研から発展した 大型計算機センターである。この時,後に図書室書庫 に転用されることになる主計算機室(マシン室)を含 む建屋が中庭に増築された。 この時点で研究所は北キャンパスを全て引き払い, 以降,これまでの本館を「1 号館」とし,新たに入手し た旧工業教員養成所建物を「2 号館」と称した。(この 過渡期に,現 1 号館と 2 号館の中間にあった小棟を「2 号館」と呼んだことがある。) 図26 配置図(『東北大学百年史』第11 巻 p.480-481) 図 27 ①電気通信研究所 2 号館(正面)(昭和 38 年完成) 右に接しているのが平成 26 年に完成した本館。 昭和 44 年 4 月 9 日の教授会における建物委員会の報 告には,この時いくつかの研究室と事務部及び図書室 が,本館から新 2 号館へ移転予定とある。 移転後の図書室は,建物内に分散することとなった。 図 28 の通り,1 階の W107 室を図書掛事務室,W108 室を書庫,3 階の W301 室を閲覧室とした。 この状況はしばらく続き,その間,例えば W109 が 製本室及び複写室とされたり,「借用書庫(旧高専 2F 書庫)」なるものが使用された形跡もあり,細かな離合 集散があったようである。 図 28 電気通信研究所 2 号館配置図(昭和 63 年頃) 図 29 2 号館南玄関を入って右手突き当りが W108 室で書庫に使用 右の部屋が W107 室で図書掛事務室 左の部屋が W109 室で複写 / 製本室 図 30 前図の手前に見える階段の上り口 3 階の上り口に W301 室があり閲覧室に使用。 閲覧室入口
平成 4 年 - 14 年(片平南キャンパス 1, 2 号館期) 昭和 63 年(1988),建物委員会から示された委員長 案を,図書委員会が受け入れる形で,図書室の一部移 動の検討が開始された。移動のきっかけは,所内の大 会議室が 2 階の W214 室から 4 階へ移ったことによる 跡地利用である。広い会議用居室であった W214 室に, 1 階と 3 階に分散していた図書掛事務室と閲覧室を統合 する計画である。この結果,W107 室は無人書庫に転用 し継続使用されることとなった。当初,入庫の際は鍵 の借り出しが必要であったが,後には時間外の開錠用 に導入されたカードキーを共用する形に変わった。検 討段階では集密書架の設置も考えられたようである。 図 32 2 階渡り廊下。東西の棟を「コ」の字形につなぐ。 右手から 2 番目のドアが W214 室で図書室。 (廊下の色が変わった先から大型計算機センターの建屋 だった。手前の天井の色が変わるところまでを,大会議 室が張り出して突き当りとなって占めており,今見えるこの 廊下は無かったようだ。) 平成 14 年 - 26 年(片平南キャンパス 1, 2 号館期) 平成 13 年(2001),北棟の大型計算機センターが閉 室となったため,その跡地を研究所と生命科学研究科 が分割し使用することとなった。 図 書 室 は W214 室及び W107 室を引きあげ,それ まで大型計算機センターの大型汎用機が置かれていた W257 室(マシン室)を書庫に転用し,隣接する W258 室を閲覧室,W270 室を事務室に充て統合した。2 号館 への転入以来,分散していた図書室が統合したのは 30 数年ぶりのことである。 図 33 図 32 の左側の窓から中庭を見た景色 両棟に挟まれて奥に見えるのが,大型計算機センターの増 築部。2階が現在の図書室書庫で,1階には生命科学研究科 図書室があった。 図34 2 号館2 階の北翼。廊下の突き当りが図書室。 以下 3 枚の写真は,移転直後の平成 14 年(2002) 7 月 15 日に撮影されたものである。 図 35 閲覧室 左側が図書室入口で,右側に続く部屋が書庫。 図 31 図書室の統合検討案 上部が旧居室で下図へ統合となっている。 (図書係事務資料)
図 36 閲覧室入口から 図書室入口から右手を見たところ。 図 37 書庫内 前方が閲覧室に続く。空間を支える太い柱と,大型計算機用 空調の性能向上のため,断熱材を貼った壁が特徴的である。 1-3. 図書室が所蔵する記念物 自筆記録や什器など,図書以外の記念物の保管を考 える際は,その意義やモニュメンタルな価値を調査し 記録しておくことが望ましい。 大学備品であれば,登録時の銘鈑やラベルから,移 管経緯や年代が分かることがある。ただし銘鈑は,組 織替えや移管により張り替えられるため,記された年 月日が購入年であるとは限らない。戦後一般に「東北 帝国大学」の銘鈑は「東北大学」に付け替えが行われ ており,両期を接続する登録簿が無いと,古い什器の 年代特定は難しい。 資料 ガラス棚(昭和 10 年代) 図39 電気通信研究所設立期のガラス棚 「東北帝国大学附属電気通信研究所」の銘鈑が残る。 「附属」としての研究所設立が昭和 10 年(1935),「附置」 に官制替えがなされたのが昭和 19 年 (1944) 1月7日で あることから,本品の登録年代はおよそ昭和 10 年∼ 19 年の範囲となる。 図 40 所長時代の抜山平一先生(左端) (昭和 16 年 (1941))(史料館所蔵)部分 図 38 図書室の階下 生命科学研究科図書室が写真右奥にあった。農学研究 所に始まり,遺伝生態研究センターを経て生命科学研究 科へ引き継がれた図書室は,平成 27 年 3 月に閉室した。
資料 宇田新太郎先生のタイプライター(昭和 7 年 頃か) 図 41 宇田新太郎先生の記念として事務部が保管していた アメリカの Royal 社製「Royal 10」(1932 年前後販売) である。宇田は学生時代から退官するまで,断続的に 長い期間を本学に在籍し,電気通信研究所の研究や学 生の教育に尽力した。 宇田の「短波長ビーム」の研究業績は,昭和7年度 の帝国学士院賞(東宮御成婚記念賞)を受賞し,同年 の帝国発明協会恩賜発明奨励金も受賞した。本品はそ の製作年代から受賞の頃のものであり,後年まで残さ れたところをみると,関連する記念なのかもしれない。 資料 東北帝国大学時代の丸椅子(昭和 20 年以前) 図42 「東北帝国大学工学部電気工学科」の銘鈑が残る 研究所が設立された当初,専用の建物を持たなかっ たことから,研究室や図書室,実験室などは,工学部 電気工学科と共用していた(「五十年史」p.1936)。 本品は研究所図書室に残るものであるが,図書室の 設置は戦後であり,銘鈑の示す旧制時代には存在して いなかった。従って現在の所蔵経緯は不明である。こ の椅子は量産品であり,黒い焦げ跡が残っている。 資料 大型ガラス棚 3 台(昭和 39 年以前) 図43 当時の書棚。脚部に引き出しが付属している。 備品ラベルには「東北大学通研」として,取得年月 日が「昭和 39 年 12 月 12 日」,供用先が「(総)図書 W108」とある。W108 室は,昭和 44 年以降,図書室の 書庫として使用されていたことが分かっている。 資料 「通研」焼きゴテと,焼き印のある代本板(昭 和 40 年頃) 図 44 焼きゴテとともに残る代本板 図書館システムが機械化される以前は,どのように 図書の貸出し管理を行っていたのだろうか。電気通信 研究所図書室規定(昭和 42 年(1967))には,「図書貸出」 の項に以下とある。 図書閲覧証あるいは他部局借用証の持参者は,帯出 簿及び代用板に記入し,図書を借受けて図書室外に 帯出することができる。 研究所の場合,帯出簿と「代用板」を使用していた。 書架から図書を借り出す際,借り出した本の代わりに 木の板を挟んでおく方法で,この板を代本板(代用板) という。代本板の手前側面には,細長い貸出票が複数 枚あらかじめ綴じ重ねてあり,借り出し者はその一番
上の貸出票に,書名,氏名,借り出し日などを記録する。 返却時には代本板を抜き取り,記入済の貸出票は除き 去り,保管もしくは廃棄する。平成 26 年度時点で 1,000 本ほどと思われる代本板が残っていた。焼き印の「通 研」文字が,大量に焼かれ押されていく間に,鋭角か ら鈍って潰れていく様子が窺える。 近年多くは段ボール詰めとなっていたが,返却がな されずに書架に残る代本板も多くあった。分類見出し に転用されていたものも多かった。 中には「40.1.14」と日付印が押された板が存在して いる。今も残る最も古い貸出票は昭和 45 年 (1970) 3 月 18 日であり,最も新しいものでは平成 8 年 (1996) 6 月 25 日であった。本学図書館システムは平成 8 年が第 3 次更新にあたり,図書室の貸し出しもこの時点で機械化 されたと考えられる。図 44 の代本板の運用期間は,昭 和40年代から平成8年にわたる約30年間と考えられる。 資料 大机(年代不明) 図 45 装飾等から大正期以前のものと考えられる。 「卓子 [ 不明 ] 号」といった古い管理番号が貼付 され,さらに「川内分校」など計 6 つの銘鈑が 残っている。川内分校分館は,包括校(旧制第 二高等学校,仙台高等工業学校,宮城県女子専 門学校)の図書室を統合したもの(「百年史」4, p.165-167)。 資料 『東北帝国大学共用備品監守簿』(大正 6 - 昭和 3 年) 資料 『東北帝国大学共用備品監守簿』(昭和 3 年 -) 図 46 附属図書館が片平にあった時代のもの 大正 6 年(1917)から昭和初め頃の,附属図書館の 物品監守簿である。昭和 3 年(1928)に一方からもう 一方へ記録が引き継がれ再転記されている。附属図書 館が設置された明治 44 年(1911)以降の図書館物品の 購入状況が分かる。 二種の帳簿の違いは,収録年代と備品番号の種類であ る。どちらも明治 44 年が最も古い購入記録だが,資料 には本部の備品番号しかない。資料 は,本部の備品 番号を引き継ぎながら,図書館独自の番号も併記されて いる。「本部」番号には,同一「物品細目」内で重複が みられるが,「図書館」番号は連番で一意であることが わかる。「備考」記述の違いも情報として有用である。 例えば川内の附属図書館に,旧制大学時代の銘鈑が残 るカードボックスが存在する。試しに確認を行ってみる。 銘鈑は「東北帝大図書館」所管で,「名称」は「カー ド箱」,3 連並んで各 6 番,7 番,9 番である。 図 47 図書館の「番号」が付された銘鈑 この番号で資料 の監守簿を確認した結果が以下で ある。 表 1 登録番号と登録日 番号の種類 登録日 図書館 本部 資料 6 番 11 番 大正 14.4.20 7 番 12 番 大正 14.4.20 9 番 14 番 大正 12.3.28 ここで気になるのは,番号が小さい方が登録日が後 になっている点である。そこで本部番号 11 番,12 番の カード箱を資料 40 の帳簿を確認すると,登録が二度行 われており,それぞれの備考に以下の経緯がある。
12 『東北大学五十年史』p.233 13 『東北大学百年史』第 1 巻,p.20,p.220 大正 10.9.12 登録時の行の「備考」欄のメモ →「大正 11 年 8 月 29 日 / 第二部ニ引継」 大正 14.4.20 再登録時の行の「備考」欄のメモ →「第二部ヨリ引継転記」 つ ま り こ の 2 つ の カ ー ド ボ ッ ク ス は, 大 正 10 年 (1921)9 月 12 日に登録され,その後大正 11 年(1922) 8 月 29 日に「第二部」へ移管された。その後再び「第 二部」から戻されて再登録したのが,大正 14 年(1925) 4 月 20 日だったのである。 これと同日の移管の動きは,カードボックス以外の 什器類にも履歴が残っている。移管日付に近い出来事 は,大正 11 年 8 月 28 日の法文学部開設である。この 機に何らかの動向があったのだろうか。法文学部設置 後,「全学の図書を第一部法文,第二部理・工,第三部 医学部とわけてきた」12との記録があることから,「第 二部」とは理工系の図書群もしくは管理を指すものだ ろう。新しく転記した帳簿には,再登録日しか記載が ないため,番号と登録日が前後すると見えたのである。 以上,同監守簿を利用することで,6 番,7 番のカー ドボックスは大正 10 年以前の購入,9 番のカードボッ クスは大正 12 年以前の購入とみなすことができる。 当時の物品管理についてさらに詳細を調査しないと 断定はできないが,それぞれのカードボックスに付さ れた名称ラベルから,カードの内容は理工系のものと 分かる。このことは,上記経緯を裏付ける可能性がある。 (カードボックス上部に付された名称ラベル) 6 番「理系[←追記]和漢書(古典)分類目録」 7 番「理工農洋書分類」 9 番「理工系和漢書分類目録」 資料 『図書原簿』電気通信研究所(昭和 26 - 52 年) 図 48 図書原簿の製本背表紙 図書室設置が設置された昭和 26(1951)年の, 11 月 20 日に設置後初めての図書登録が行わ れている。資料自体は破損や紛失により徐々 に失われるが,原簿には当時の総体が残され ており貴重である。
2.仙台高等工業学校(SKK)と電気通信研究所
前編は,研究所の前史をいくつかの記録資料から追っ た。本編前半部では,前編で扱った時期を起点にした, 研究所の全年代にわたる建物と立地の変遷を概観した。 これらの作業を踏まえて,今度は仙台高等工業学校(以 下「SKK」)について,研究所の視点で記録を試みたい。 研究所の前史として位置づけられる東北帝国大学工 学部(前編参照)の設立は,SKK の存在が布石となった。 一方で,逆に SKK 自体が,将来の帝国大学創設の期待 や議論のなかで誕生した面が指摘される13。 このような背景もあり,SKK と電気通信研究所は,東 北大工学部の存在を間に挟みながら,ある連続した線上 に見ることができる。研究所と SKK のつながりを,人 的側面と,跡地利用の面,及び研究成果の点からみてい く。そのうえで図書室所蔵の記念物をいくつか紹介する。 2-1. 電気通信研究所と SKK の人的な連続性について 東北帝国大学の設置が明治 40 年(1907),SKK は先 行する明治 39 年(1906)に設置をみた。その後紆余曲14 各年の職員録が『創立三十周年記念誌』(仙台高等工業学校編.1939)に掲載されている。 折を経るが,以下に簡略に沿革のみ記す。 表 2 SKK 沿革 明治 39 年(1906) 仙台高等工業学校設置 明治 40 年(1907) 土木,機械,電気,採鉱冶金の 4 学科で開校。翌年,片平地区に校 舎新築(図 7)。 明治 45 年(1912) 東北帝国大学の直轄となり,附属 工学専門部に改称。 大正 8 年(1919) 東北帝国大学に工学部設置。工学 専門部維持。校舎を工学部に明け 渡し,片平南キャンパスへ移転。 大正 10 年(1921) 仙台高等工業学校に名称を復して 再び大学から独立。 昭和 19 年(1944) 仙台工業専門学校に改称。 昭和 24 年(1949) 廃止。東北大学に包 。校舎を同 工学部に引き継ぐ。 SKK の電気工学科には,後に電気通信研究所の設置 を推進する八木秀次と抜山平一が在職していた。東京 帝国大学電気工学科を卒業した二人であったが,特に 八木は,東北大直轄となる以前の SKK の教員(明治 43 年に講師,翌年に教授)である。抜山は,工学専門部 時代の SKK の教員(大正 2 年に専任講師)であるが, いずれも東北大に工学部が設置される以前のことであ る14。 図 49 SKK で行われた無線実験と八木秀次先生(中央) (大正 6 年(1917))(写真は史料館所蔵)部分 図50 SKK 教官室の抜山平一先生 (左端)(大正 3年(1914)頃) (写真は史料館所蔵)部分 この頃 SKK の電気工学科の教育科目には,電気通信 を想起させる名称として,明治 43 年から「電信・電話」 という科目が生じてくるが,大正 10 年の教育科目をみ てもなお「電信及電話」とあるのみで,昭和 8 年によ うやく「高周波工学」「有線通信工学」なる名称がみら れる。 大正 8 年,東北帝国大学に工学部が設置されると, 二人は同大の専任教授に就き,SKK は兼任となった。 その後八木は第 4 代及び第 6 代の工学部長に,ついで 抜山も第 8 代の工学部長を経て,電気通信研究所の設 立に尽力する。 この間,逓信省や専門学校において行われるものと見 なされていた通信工学分野の研究を,学府で行うに至ら しめた黎明期の歩みは,SKK から東北帝国大学電気工 学科へ,そして電気通信研究所へと,彼らが辿った組織 の変遷に重なる。そのキャリアのスタートが SKK であっ たことは,研究所の記憶にとどめ得る事柄であろう。 SKK では他にも,東北帝国大学から兼任の形ではあ るが,千葉茂太郎,宇田新太郎,渡邊寧ら,やはり後に 電気通信研究所の創世期に関わる教員陣も教鞭をとっ ていた。 2-2. 電気通信研究所と SKK の敷地・建物の引き継ぎ 現在,電気通信研究所が位置する片平南キャンパス は,SKK の跡地である。今も当時の建物を一部引き継 いでおり,敷地内に同校の記念碑が建てられている。 さらに遡ると,SKK の誕生地は今の片平北キャンパ スの南東である。東北帝国大学工学部は,新設と同時 に SKK から建物を引き継ぎ(1-1 参照),SKK は押し出 されるかたちで今の南キャンパスに移った。
15 『仙台高等工業学校創立百周年記念誌:青雲の遠きを仰ぎて』(SKK 同窓会仙台高等工業学校創立百周年記念誌編集委員会編,東北大 学出版会,2006),p.20,34-35.『扶搖万里の風待ちし』(作道好男,江藤武人編.財界評論新社.1971) p.145 16 『仙台一高六十年史』宮城県仙台第一高等学校同窓会,1956,p.58 17 『創立 30 周年記念誌』p.20 図 51 明治 42 年の SKK 配置図(右が北) (『創立三十周年記念誌』(1939)) 図 52 大正 10 年前後の SKK 配置図 (『東北帝国大学一覧』大正 8 年 -9 年) 前図と比較すると,明治 42 年に SKK が使用していた北 の「ロ」形の建物を工学部が使用している。新たに南に「工 学専門部」の建物(SKK 新校舎)が見える。 図 53 SKK 新校舎(右が南)[ 昭和 7 年 ] (『創立三十周年記念誌』扉) 南東(写真右上)の敷地は八木邸(八木秀次とは別)であっ たが,SKK 創立 30周年記念事業の際に買収し,テニスコー ト等を設置した(昭和 17 年頃)15。 図 54 SKK 雨天体操場(明治 30 年完成16) 現在は本学の学生ホール(東北大学生協本部)として使 用されている。宮城県立仙台第一中学校(現・宮城県 仙台第一高等学校)から引き継いだ建物で,明治 40 年 (1907)の SKK 開校時は,電気工学科・機械工学科の 実習工場に充てられていた17。片平南キャンパスで最も古 い建築物と考えられる。 図 55 SKK 新校舎(中央)と建築学科建物(右端) (『仙台高等工業学校一覽』自昭和 6 年至昭和 7 年) 戦後,東北大への SKK 包括により同校舎を再び工学部 が引き継いだが,昭和 33 年に焼失した。 図 56 SKK 建築学科の建物(正面)(昭和 5 年完成) 現在は附属 21 世紀情報通信研究開発センターとして残 る。正面アーチを直進した先が正門であった。アーチ上部 には「SKK」の文字が見える。
18 前掲 p.242 19 『仙台高等工業学校創立百周年記念誌:青雲の遠きを仰ぎて』p.36,『扶搖万里の風待ちし』p.145 20 『扶搖万里の風待ちし』に各号の内容紹介(p.298-304)がある。 図 57 SKK 正門(昭和 3 年完成18) SKK の正門は,昭和 15 年には,校舎を正面とする写真 の位置に移設されている19。(写真は『東北大学 50 年史』 p.1791 より) 図 58 今も残る SKK 正門 現在の南キャンパス西門。左に見える建物が通研 2 号館。 図 59 SKK 記念碑 片平南キャンパス西門付近に残る「仙台高等工業学校跡」 記念碑(手前)と校歌碑(奥) 2-3. 電気通信研究所と SKK の研究成果のつながり 本学の電気通信研究の初期成果を集約した「電気通 信研究目録」には,八木が SKK 電気工学科教授時代に 発表した論文を含んでいた(前編 p.71-73)。その数はわ ずかであり,「八木リスト」100 編を提示するにあたっ て,政治的な数合わせの意図も感じられないではない。 ただ結果としてこの目録は,本学の電気通信研究の 源流が,SKK に遡ることを表すこととなった。八木の 苦心をうかがわせる 1 編1編の積み上げの土台に,SKK の存在を垣間見ることができる。 2-4. 図書室が所蔵する SKK 記念物 SKK 関連物は,学内では例えば以下の箇所に残る。 ・史料館 :総務関連文書ほか ・片平南キャンパス :記念碑,記念建造物 ・ 附属図書館本館,農学分館共用書庫, 工学分館学科旧蔵書 :蔵書 ・青葉記念会館 :SKK 関係記念資料展示室 図書室では,SKK を研究所の前史に関わる存在と位 置付けつつ,他所でも各種保管がなされている状況か ら,断片的な収集にとどめている。以下いくつか紹介 する。 資料 『 仙 台 高 等 工 業 学 校 一 覽 』 大 正 10-15 年, 昭和 3-18 年 資料 『仙台高等工業学校規則:附入学案内』 資料 『開校 25 周年記念絵葉書』3 枚入り.仙台高等 工業学校校友会.昭和 17 年 資料 『北匠』仙台高等工業学校建築学科北匠会. 第 3 号.昭和 10 年 12 月 資料 『萩の友』第 29 号.昭和 11 年 3 月 SKK の校友会誌である。明治 42 年に創刊された20。 資料 『尽忠』仙台高等工業学校報国団.第 2 号 (昭和 17 年 2 月),第 4 号(昭和 18 年 12 月) 時局がら校友会は解散し,新たに報国団が結成された。これ に合わせ前掲の『萩の友』が改題したのが『尽忠』である。 昭和 16 年に第 1 号が発行され,昭和 17 年の第 2 号までが, 『扶搖万里の風待ちし』(前掲)に引き続き紹介されている。 この頃「「尽忠」も絶え」(同)と解説があるが,図書室には 第 4 号を所蔵しており,ここまでは刊行が続いていたことが 分かる。
図60 『萩の友』第29 号 図61 『尽忠』第4 号 資料 『同窓会雑誌』仙台高等工業学校同窓会. 第 16 号.昭和 2 年 3 月 資料 『[ 物品監守簿 ]』 SKK 設立後,最初の購入品は,明治 40 年 1 月 23 日の「印章」 であった。「校印」「校長印」「主任収入管理印」が作成され たことがわかる。 資料 『物品監守簿 寄宿舎』仙台高等工業学校 SKK の寄宿舎「日就寮」は,同校の学生たちにとって愛着の 深いものであった。購入品からは,当時の生活の様子が偲ば れる。日就寮は現在の通研2号館の位置にあった(図 51, 52)。昭和 16 年(1941)に八木山へ移転し,今は東北大学日 就寮となっている。
3.その他の記念物
3-1. 工業教員養成所 昭和 36 年,工業教員養成所が全国 9 つの大学に設置 された。本学に設置された養成所は,現在の通研 2 号 館の南棟を校舎としていた(1-2 参照)。 図 62 「工業教員養成所」記念石碑(正面が南キャンパス西門) 資料 52 工業教員養成所教卓 図63 教卓(左)と銘鈑(昭和46 年6 月に研究所へ移管) 3-2. 東日本大震災関連 図 64 東日本大震災特集コーナー 図書室には,小規模であるが,東日本大震災関連の 特集コーナーを設けている。2011 年 3 月の震災直後に 設置したもので,震災関連の刊行物を収集していた。 合わせて図書室の被害状況記録や,天井落下破片も保 管する。21 前編 p.71「1.3 胎動期の成果について」参照 22 前編 p.74「1.5 4 種リストのまとめ」参照 23 前編 p.73-「1.4 斎藤報恩会の補助成果について」参照
4.前編の補足資料
前編で紹介した資料を補足する。 4-1. 「通信学別刷」の最古巻について 前編で紹介した資料⑤について,図書室には所蔵しな い巻が,早稲田大学図書館に確認できたため紹介する。 資料(参考)『東北帝国大学電気通信学研究論文別刷 集』昭和 5 年(1930)(早稲田大学図書館蔵) 図 65 「通信学別刷」の最古巻と思われるもの 「昭和五年八月」発行で,昭和 4 年度の成果を収録。 見開きには「昭和 5 年 11 月 10 日東北帝国大学電気 工学科教室寄贈」との印がある。 [昭和 4 年度](昭和 5 年発行)183-261 番(38 編)(順不同) 前編では,「八木リスト」「斎藤リスト」が作成され た背景を確認した21。一方「別刷リスト」がなぜ作成さ れたのかは触れなかった。 以下に,「通信学別刷」昭和 5 年発行分を加えた整理 表を再掲する22。 表 3 4 種リストの収録範囲(修正再掲) 刊行年 収録年度 番号 並び 八木 大 15 大 5-15 1-100 順 斎藤 大 14- 昭 2 大 13-15 [24,52-131] 順不同 (昭3学術) 大 15- 昭 3 100-197 順 昭 3- 昭 10 昭 2- 昭 9 133-487 順 彙報 昭 11-18 昭 10-17 488-939 順 昭 12 累積 大 5- 昭 10 1-520 順 別刷 昭 5-10 昭 4-9 212-489 順不同 昭 11-19 昭 10-18 488-989 順 表で分かるように「斎藤リスト」と「別刷リスト」は, 昭和 10 年まで並存して同内容を掲載している。この状 況が起きた理由は,「別刷リスト」の作成開始が昭和 5 年であるとすれば理解しやすい。 すなわち,本来「別刷リスト」は,「斎藤リスト」の 終結を予想し,作成されたのではないか。言い換えれ ば,「別刷リスト」を収録する「通信学別刷」自体が, この理由を含めて発刊されたのではないかと考えるこ とができる。 斎藤報恩会の補助は,大正 13 年 10 月に始まり,大 正 14 年(1925)からは昭和 4 年(1929)までの 5 年間 を約束された。昭和 5 年(1930)年は補助がなく,再 び昭和 6 年(1931)に最後の補助を得ている。「通信学 別刷」の発刊が昭和 5 年とすると,ちょうど斎藤報恩 会の補助を失った年にあたる。今後の研究費を他に求 めながら,「斎藤リスト」として成果をまとめていく乖 離を意識していたであろうことは想像に難くない23。こ の役割を自機関刊行物へ移行させていった結果が,「別 刷リスト」の系統であったとみることができる。 4-2. 前編紹介資料の整理図 前編第 1 章及び第 2 章で紹介した資料についてやや錯 綜したきらいがあるため,以下に整理した図を載せる。 資料番号を付したので,前編資料に対する索引として も利用されたい。座標軸は,下から上に向かって資料 の生成順序とし,左から右に向かって年の進行とした。 このように整理してみると,自然科学分野に特徴的24 アメリカでウィリアム・バローによる調査結果が酸性紙問題提起の嚆矢とされ,日本では『本を残す:用紙の酸性問題資料集』(か なやひろたか編訳,1982)などにより同問題が紹介された。 な研究成果の生成過程が,図書室資料の中に,再現可 能な程度に秩序だって保存されていることが分かる。 すなわち,研究ノート(⑨⑩⑪)→レジュメ報告→(⑦) →公表論文(④⑤)といった風にである。 表 4 前編紹介資料の整理