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教育の「発見的」領域−相対的に尊重される個性から自己創造的実存へ− [ PDF

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Academic year: 2021

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(1)教育の「 発見的」 領域 − 相対的に尊重される個性から自己創造的実存へー 自明化、暗黙知、発見、個人的知識、共知的関係、1個性 発達・ 社会システム専攻 府川 馨子 本論文の目的. を引き出すのにふさわしい、文化的・ 社会的環境が備わってい. 本論文は「 教育」 が教育者・ 被教育者から孤立している現象. るかどうか、具体的には「 完全に健全な人間の機能というもの. に注目し、その原因の1端として、「 教育」 の概念が、国際化に. についてのある表徴」 ( フロム 1976) をもち、「 教育」 がその達成. ともなう概念の共有に加えて、高い教育的関心のため1般化さ. にむけて組織されているかどうかにある。次にミクロのレヴェル. れ、更にマス・ メディア等においては、あたかも実体として扱わ. においては、個人の「 経験」 ( 森有正 1972) が、個人を事実( 真. れていることをとりあげた。「 教育」 がこのように1般化され、実. 実) の「 発見( 再発見) 」 に導く可能性についてである。. 体化されることによって生じる問題現象の1つとして自明化があ. 以上の考察は、「 教育」 がどのような人間の育成をめざすか. げられる。自明化が問題現象となるのは、主体が「 教育」 を自. にも、おのずと関わる。本論文では、自分で自らの可能性を切. 分よりも権威ある第3者とみなすことによって、「教育」を意識. り拓ける個人の育成に焦点をあてて考察する。その際にバッ. 的・ 無意識的に自らの社会的自我を形成する有機的作用因と. ク・ ボーンとなるのが、進化論に基づく人間の潜在能力の十全. して取り込み、積極的・ 合理的に自らを「 教育」 化するように努. な発揮が、心理学により検証された「完全に健康な人間の機. 力させることに起因している。その結果、自明化は自己疎外を. 能」 の発達によって可能になるというフロム、フランクル(Viktor. 自らの選択として促すことを容易にし、周囲への同調をモラル. Frankl)、神谷美恵子らの論証である。. として強調する事態をまねいている。個性を尊重し、自律性を. 第 1 章. 教育問題としての自明化現象. 養うためにも、こうした自明化にいかに対処すべきかを検討す. 本章ではまず、フェニックスの「 教育」 の定義をとりあげ、その. ることは、教育の希求の課題である。その1つの打開策として、. 定義に含まれている5つの前提条件から、「 教育」 の自明化がど. 実体化された「 教育」 を、その概念を構成する前提条件から、. のようにして促進されているかを考察した。まず①[「 教育」 とは. 自明性を問う過程をとおして正常化する試みをあげた。. 学校教育で終わるものではなく、人間は死ぬまで学習を続け. 自明性とは、それが自明であることにそれ以外のいかなる根. ていく存在であるゆえに「過程」であること]の自明化は、「教. 拠も必要としない性質をいい、自明であるとされている原理や. 育」 が「 生きていく」 ことと必然的な関係をもつことに起因する。. 通念が自明であるかないかが問題になることはない。原理や. つまり「 教育」 が人生に意味を与える作用になり、生命活動とし. 通念がある個人に自明であると認識されるその根拠は、マイケ. て把握されると、生命活動の随意的現象としての意味を帯びる. ル・ ポラニー(Michael Polanyi)が「 暗黙知」 と名づけた「 非言語. ようになり、自然的な現象として自明化される。②[「 教育」 とは. 的知性」 にある。エーリッヒ・ フロム(Erich Fromm)も「 無意識の知. 能力を引き出す営みであること]の自明化は、「 教育」 が教師−. 識」 という表現を用いて同じことを定義しているが、彼は特に個. 生徒の人間関係を離れて、実体としてとらえられると、教師−. の社会化に注目し、無意識が社会適応の過程で抑圧された意. 生徒の関係が、そこにおいて成り立っている「 組織」 という別名. 識であることに注意を喚起し、無意識を「 真実に対する知識の. にとって変わられることに起因する。「 教育」 が「 組織」 として把. ほとんどすべてである」 と指摘している。. 握されると、明確な上下関係の秩序をもつものとなり、秩序への. 「 暗黙知」 が非常に重要な知性であることを証明するのが「 発. 適応によって自明化が促進される。③[人格的存在( 精神的実. 見」 である。「 発見」 とは事実( 真実) に対する気づきである。こ. 存)としての人間を前提にした営みであること]の自明化は、. の気づきは、「 暗黙知」 に支えられてその事実を探求しつづけ. 「 教育」 が目標とする「 個」 が、被教育者との間になんらの関係. てきた「 個人的知識」 によって可能になるのである。「 発見」 は. も打ち立てることができず、単なる理想になってしまった時、そ. 科学の分野に限らず、「 教育( education) 」 という個人の潜在的. の「 理想」 を「 学校」 の価値観として孤立させてしまうことに起因. 能力を引き出す営みもまた「 発見」 である( フェニックス Philip. する。ことに守るべき価値観がない現代においては、「 学校」 の. Phenix) 。. 価値観を自らの価値観に同化させなければならない動機もなく、. 自明化そのものは人間にとって健全な現象である。問題は. 「 理想」 は「 教育目的」 という名目の下に自明化される。④[「 教. 何が自明とされているかにある。本論文の関心は、主に以下の. 育」には、導く・ 導かれるの相互関係があること]の自明化は、. 点にある。まずマクロなレヴェルにおいては、個人の潜在能力. 「 教育」 が第3者の「 教育的意図」 を媒介にした依存関係である.

(2) ことが教師・ 生徒に自覚されていることに起因する。例えば、教. け」 が問題になるのは、次の3点による。まず第1に抽象的理念. 師が文科省が[望ましい」 とする価値観を受け入れない、あるい. であり、具体的な個人と現実的な接点をもちにくいこと、第2に. は生徒が教師に反抗したり、無視したりする場合には、「 隠され. 自分の価値観にとらわれず、しかも自律的に価値観を選択で. た教育的意図」が権威をともなって浮上し、「価値観のおしつ. きるようになるには、訓練が必要であること、第3にインターネッ. け」 が行われる。この「 権威主義」 的な応答は、適応を強制する. トや雑誌によって容易に情報が入手できる環境が整備されて. ことにより、価値観の自明化を促進する。この時に留意されて. いる状況にある1方で、得た情報を精選し活用できる能力が未. いなければならないのは、「 権威主義」 という批判は、「 普遍妥. 熟で客観的相対主義に陥ってしまったり、多様な「 個性」 の尊重. 当」 的であるとされている価値観に対しても向けられうることで. とか多元的な価値観にたいする理解を推進することが、対人. ある。なぜなら個人の価値観に関する限り、まず個人が自分の. 関係による軋轢を避けようとする傾向に拍車をかけ、相手と分. 欲求を意志できるようにしなければならず、その欲求がその個. かち合ったり価値観を共有しあったりする対人関係のスキルや、. 人にとって周辺的なものであるのか、本質的なものであるのか. 人間性に関する理解を、育てにくくする1原因となっていること、. を自分で客観的に判断できるようにしなければならないからで. である。. ある。⑤[「 教育」 とは、目的を設定しそれを達成する、という「 過. 第 2 章. 教育の「 発見的」 領域. 程」 を繰り返すことにより、「 人」 としての発達を促す営みである]. これまでの考察を概要すると自明化の原因は、以下の3点に. の自明化は、「 教育」 が教師−生徒の相互主観的な「 共知」 的. なる。まず①「 共知」 的関係の欠如。これに起因する自明化の. 関係を期待せず、多元的な学術研究に裏付けられ組織化され. 問題点は、「 教育」 が個人の自律的・ 自己投入的な参加によっ. た学習内容にもっぱら依拠するようになることに起因する。そう. て、「 現実に関するより深い知識」 を「 発見」 する営みになってお. なると「 教育」 は単なる操作に堕落するが、学歴社会において. らず、「 学校という組織」 または「 第3者によって課せられた価値. は、知識の獲得は将来を左右するものとして充分に通用する。. 観や義務の総体」 や「 単なる操作」 として自明化を促進すること. それどころか、単なる操作にすぎない「 教育」 は、確実に役立つ. にある。次に②「 直接的な人間関係によらない価値観の客観的. 知識を効率的に教える作業になることで、将来を確かなものに. な相対化。この自明化の問題点は、個人の価値観が知覚野の. できる力としての信頼を獲得し、「 お受験」 ・ 「 受験競争」 ・ 「 教育. 構成とこれに対する反応の構成に関わり、個人の選択を支配. ママ」 を生み出してきた。こうした現象がおこること事態が、操. することに由来する。人間は、常に自分を生成している有機的. 作としての「 教育」 が自明とされている証拠である。操作として. 存在であり、その生存の方向付けは随意的で、情報によって操. の「 教育」 は、統計的により確実で効率的な成果を産出した結. 作されるものではない。問題は、関係する対象の応答能力であ. 果であるといえるかもしれないが、それは反面、複雑で高度に. る。無機物との「 共知」 的関係には、受け取る側のレディネスが. 発達した脳をもつ有機的存在である人間を、単調でオートマテ. 重要な要因となる。また個人が自分自身の存在( 潜在的可能. ィックな存在に狭小化してしまっているということであり、また十. 性) に敏感でなければ情報にふくまれる宣伝・ 産業・ 固定観念・. 全な人間性を「 教育」 することが難しくなってきているということ. 大衆化と、自分の生命に意味を与える知識とを見分けることは. でもある。. 難しい。それに対して「 共知」 的関係は、常に呼応関係にあるこ. 以上の考察は、「 教育」 が教育者・ 被教育者にとって個人的な. とにより相互のレディネスの形成を促し、態度や身振りなどの非. 意味をもたず、そのため相互の間に「 共知」 的な関係が成立し. 論証的な象徴形式によっても知識の伝達を補償するので、そ. ない場合にもっとも孤立しやすく、自明化を促進することを示唆. の知識をより包括的に「 経験」 することを可能にする。最後に③. している。また、今日の「 教育」 が個人の潜在的な可能性を発. 個人の中心性に対する信頼の欠如。この自明化の問題点は、. 揮するという人間の根本的な欲求を充足し、「 健全な」 人格の. 個人の知識が概して主観的で不確実であるとして退けられ、. 形成を促す基礎的な環境としての機能から乖離して自明化さ. 知的中心としての個人を排除した知識が、真に客観的であり. れていることも示唆している。. 事実であるとされる「 客観性の理想」 の根強い認識論が、個人. 特に、多様な価値観が「 共有を期待される価値観」 にそぐわ. の潜在的な可能性に対する信頼を失わせてきたことにある。し. ない場合に、「 権力」 による自明化が促進されることは注目に値. かし実際には、個人は価値と現実の接点であり、そこから世界. する。そうした事態は、生徒のもつ価値観の素材が大量で、. を切り拓いていく「 自己形成的焦点」 (西田幾多郎)である。. 個々の傾向性によって価値判断が異なっているにもかかわら. 本論文では以上の問題点を克服するために、孤立した「教. ず、「 共有を期待される価値観」 は自明的に許容されていること. 育」 の自明性を問うことによって、「 教育」 とは本来どのような営. に起因している。「 共有を期待されている価値観」 が「 普遍妥当. みであり、またどのような人間の育成を目指すのかを考察した。. 的」 であるとされる価値観に基づき、人間性の十全な発達を配. その考察の結果、本論文では「 発見的」 教育と自己創造的実存. 慮して定められているのに、「 権威主義的」 な「 価値観のおしつ. の育成を提示した。以下、この2つについて簡単に説明する。.

(3) まず、なぜ「 教育」 が「 発見」 でなければならないのかについ. ものとの「 出会い」 が必要である。「 教育」 が個人にとって「 出会. て簡単に論証する。進化論は、人間が他の生命と比べて高度. い」 となるためには、「 教育」 によって得た価値観・ 知識が、個人. に発達した脳をもっていることから、人間を進化の歴史の頂点. にとって意味があるだけでなく、生きたものでなければならな. においている。人間の脳は、その構造において最も人間に近い. い。なぜなら、自分の中で有機的要因として作用する、内在化. とされるオランウータンと比べても、大脳新皮質が非常に発達. された「 現実に関するより深い知識」 を得ることが、個人の動機. しており、「 分節言語能力の離れ技」 による「 抽象的思考の能力. づけを強化し、「 教育」 への自己投入的な参加を促進する契機. と、世代間の情報蓄積」 が可能であるために、本能による命令. となるからである。本論文では、自明性を問うという方法を用. に支配されることから開放されている。本能による命令から開. いて、既成の知識や価値観への参加を促し、それに個人的な. 放されているということは、人間は生命維持を目的として生き. 意味を与える契機を作ることを提唱した。. ているのではなく、生命をいかに生きるかに方向付けられて生. 「 発見的」 教育とは、生徒個々人が「 学校」 ないし「 学級」 といっ. きていることを示唆している。人間は何かに専心し、自分の生. た自己形成に関わる集団と「 共知」的関係を結び、この集団が. 命が他の人間との関係において(社会的に)意味をもつ時に、充. 妥当とする知識や価値観に「 棲み込む」 ことにより、それと自分. 実感や達成感、満足感や充実感を感じる。人間はこの自分の. の知識や価値観との相違を、同1の基盤に基づいて統合する. 生命に意味を充足させたいという「 意味への意志」 を根本的な. 運動を繰り返す過程で、より妥当性の高い知識や価値観を「 個. 動機づけとしてもっている。. 人的知識」 によって「 発見(再発見)」 する「 教育」 である。教師の. 進化論は人間生命の動機づけだけではなくその方向性も与. 側に立てば、知識の伝達に関しては、夢中になって取り組める. えている。人間がその潜在的可能性の発揮によってヒトとして. 教材を工夫し、価値観の伝達に関しては、教師が自分の中心. 「 創発」 された事実は、人間もその生物学的構造によって「 境界. から生きたものを「 指し向ける」 ことである。教師が知識や価値. 条件」 であることを証している。人間は、DNA による「 2重制御. 観を、生徒にとって「 発見」 にするためには、生徒との間に「 共. の原理」 に支配されており、その構造内の秩序において最も生. 知」的関係が成立しており、生徒の潜在的可能性への信頼、. きる意味を豊かにもつのである。こうした包括的な存在である. 「 出会い」 を共感できる直感とその「 出会い」 を形にする想像力、. 人間は、その知覚作用においても包括的で統合的な意味の把. 生徒の潜在的な可能性が発揮できるよう献身する愛があること. 握へと導かれる。「 意味への意志」 という動機づけは、より包括. が望ましい。. 的で統合的な意味の探求へと導かれ、それを他者と共有する ことによって充足されるのである。. 以上に述べた「 発見的」 教育が目指す人間像は、自己創造的 実存である。. 以上の進化論から導きだされ、心理学によって裏づけられた. 「 発見」 された知識や価値観は「 事実(真実)」 として、「 個人的. 結論は、「 人間学的な統1性」 を指摘している。つまり、存在論. 知識」 に組み込まれ、「 世界の自己形成的焦点」 としての個人. 的には多様な差異をもつ個々人に共通の基盤を指摘している。 の形成を促す。このような個人は、自分を他の人々や環境に自 「 教育( education) 」 が潜在的な可能性を引き出す営みである. 律的・ 自己投入的に関わらせる(専心する)ことにより、自分で自. ならば、人間としての潜在能力の発揮と個々人によって異なる. 分の可能性を切り拓くことができる知識や人格を身につけてい. 潜在能力の発揮が目指されていることになる。個人の潜在能. く、自己創造的な生き方をする。こうした生き方は、既成の価値. 力は、人間がその身体的・ 知的能力や特性に見合ったように創. 観を自明に受容するのではなく、個人的にそれに関わることを. りあげ、長い時間をかけて本性を開放するように発達させてき. 通じて、自分の決断が「 1個性」 を発揮するように、「 現実のより. た文化・ 社会への適応をとおして育まれる。よって、個人の潜. 深い知識」 の獲得へ向けて、常に自分を動機づけることによっ. 在能力が発揮されるには、その文化・ 社会環境が人間生命の. て可能になる。. 動機づけと方向性にかなったものになっていることが望ましい。. 「教育」が潜在的な可能性を引き出す営みであるならば、. しかし、人間が環境に左右される1方で、環境を創りだす主体. 「 教育」が目指す人間像は、人間の根本的な動機づけである. であることを考慮すれば、まず自分で自分の潜在的な可能性. 「 意味への意志」 を配慮したものになっていなければならない。. を発揮できる人格や生きた知識をもった個人を育成することが. そしてなによりも、自分の意志をもち、それに従って決断する勇. 優先される。. 気と自由と責任をもつ、自律性と自主性をもった個人を育成し. 「 教育」 がそうした人格や「 個人的知識」 を育成するものにな. なければならない。誰に対してもどんな状況に対しても、それ. れば、個人は自分で自分の可能性を発揮できるように決断す. を「 出会い」 にできる自己創造的実存の育成は、「 1個性」 の発. る力を養うことになり、「 教育」 が個人にとって意味あるものとな. 揮にとって極めて重要である。. る。個人の潜在能力とはその存在の「 1個性」 であるから、その. 第 3 章. 「 発見的」 教育の展望. 「 1個性」 を発揮するには、それに自らを捧げ尽すことができる. これまで、自明性を問うという方法は、何が自明とされている.

(4) のかを検証し見直しを可能にしたり、「 良識や慣習の安易な正. る。. 当化では不充分であるような、道徳的ジレンマ」 の誘因となっ. 高度に発達した脳をもち、本能の命令を欠く存在である人間. たり、現実の知識や価値観への参加を促し、個人的な意味を. は、1方で高い倫理的秩序を形成したが、他方でその秩序を. 与える契機をつくるなど、積極的な手段として用いられてきた。. 崩壊している。人は自己超越によって「 意味への意志」 を充たし. しかし、この方法は万能ではなく、大きな問題もかかえている。. てゆく存在であるがゆえに、何か制約を必要とし求める1方で、. 本章は、自明性を問う「 発見的」 教育が留意しなければなら. 常に制約−自分自身の身体をふくむ−の外に向かって「 自己. ない問題点を3つ指摘し、その対応を検討することにある。. を指し向ける」 ことによって、自己実現・ 自己形成を果たす存在. ①自明とされている価値観の根拠をどこまで問うことができる. なのである。よって人間はその高い知性による探求を徹底する. か。この問題点は、「 普遍妥当的な価値観」 や「 共通善」 が、何. ことによってしか、その2律背反を超えて外に立つことはできな. に基づいて「 普遍妥当」 とされ、「 善」 とされているのかを問う問. い。「徹底する」とは、日常の生活に専心することによって「な. 題である。簡潔に答えると、ポラニーの「 普遍妥当的な価値観」. ぜ」 (意味・ 価値)を「 脱落する」 こと−忘れ去り捨て去ること−で. の根拠は人間の生体システムの構造であり、デューイの「 共通. ある。つまり、探求した意味に働いている分別になりきることに. 善」 のあくまで「 導き」 である根拠は、人間性・ 人間の知性を含. よって、現実はどうなっているかを悟ることである。悟ってみれ. む「 自然」 である。双方とも価値と事実に相当する概念をもち、. ば、分別も事実となるが、それは事実(真実)とはありのままだか. 個人によってこの2つに連続性をもたせている。ポラニーは「 棲. らである。. み込み」 という言葉により、知識や価値観を「 実存化」 している. ③「 愛」 ・ 「 信頼」 ・ 「 素直さ」 といった自分にとって大きな自信とな. が、デューイも「 共通善」 を「 状態」 として定義している。. る「 能力」 は、積極的な「 経験」 や実践、信念、自分にとらわれな. 問題の所在は、根拠を探求する際の限界の認識にある。つま り、ポラニーの依拠する生体システムそのものを疑問に付した. い心のあり方によって身につけることができる。 課題と展望. り、デューイの依拠する「 自然」 そのものを疑うことは、その論が. ・ 第3章で明らかにされた、自明性を問うという方法にまつわ. 現実と異なる時には有益であるが、そうでない時には、疑問者. る問題点を、「 発見的」 教育においていかに補うか。. 自信の「 無意識の動機、即ち人間的なるものを貶め、その価値. ・ 現実の社会環境についての分析・ 研究。. を引き下げたいという、彼自身にとっても無意識である欲求を 暴露」 することになる。 よって自明性を問う時には、何が事実で何がそうでないかを. Ex. 『 教育基本法』 が掲げている人間像の検証 主要引用文献 リチャード・ ゲルウィック/ 長尾史郎 訳、『 マイケル・ ポラニーの. 知ることによって、懐疑主義に陥らないようにしなければならな. 世界』 、多賀出版、1982. い。他者との「 共知」 的な関係は、これを防ぐ基盤を提供する。. エーリッヒ・ フロム/佐野哲郎 訳、『 生きるということ』 、紀伊國屋. ②志向性を目的ととりちがえないこと。この問題点は、潜在的. 書店、1977. な可能性の追求はそれ自体が目的になると、潜在的な可能性. 〃. / 懸田克躬 訳、『 愛するということ』 、紀伊國. を失ってしまうことにある。なぜなら潜在的な可能性の追求と. 屋書店、1959. は、自己実現を目指すことであるが、自己実現とは仕事や愛. P.H.フェニックス/ 佐野安仁 吉田謙二 沢田充夫 訳、『 意味. する人に、自分を「 捧げつくす(打ち込む)ことによって、真に自. の領域』 、晃洋書房. 分自身になることだからである。. 神谷美恵子コレクション、『 生きがいについて』 、みすず書房、. よって、「 教育」 において潜在的な可能性を発揮させるという. 2004. 時には、「 潜在的な可能性の発揮」 そのことを追求するのでは. 森有正、『 木々は光を浴びて』 、筑摩書房、1972. なく、「 教育」 を個人が「 棲み込める」 「 経験」 にする必要がある。. フランクルセレクション3 「 人格についての十の命題」 ( 『 識ら. 見出した知識・ 価値観にとらわれないことも、見出した知識や. れざる神』 ) 、みすず書房、2002. 価値観に執着した結果、自己形成が妨げられることにある。. E.V.フランクル/山田邦男[監訳]、『 意味への意志』 、春秋社、. 「 発見的」教育が、より深い現実に関する知識を探求するのは、. 2002. 根本的には「 意味への意志」 −自分の生命を意味で充たそうと. 山田邦男、『 生きる意味への問い−E.V.フランクルをめぐって』 、. する欲望−に動機づけられ、方向性を与えられているからで. (株)佼成出版社、1999. ある。生命を意味で充たすとは、自分の可能性を発揮できる. 主要参考文献. 決断を可能にする、自己を形成することによって実現される状. マイケル・ポラニー/ 長尾史郎 訳、『 個人的知識−脱批判哲. 態であり、「 私は意味を持つゆえに私である」 状態ではない。. 学をめざして−』 、ハーベスト社、1985. 生命の意味も自分を何かに「 捧げつくす」 ことによって充たされ. 〃 /高橋勇夫 訳、『 暗黙知の次元』 、筑摩書房、2003.

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