大正・昭和初頭三井三池炭礦における坑夫雇用状況の推移
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(2) 大 正 ・昭 和 初 頭 三 井 三 池炭礦 に お け る 坑 夫 雇 用 状 況 の推 移. 山. 秀. 樹. (一) 雇 用 管 理概 観. 畠. 明 治 末 か ら 第 一次 大 戦 開 始 前 後 に かけ て景 気 は 沈 滞 し ︑ 三 池炭礦 にお い. 大 阪大学大学院. は. ては ︑新 規採 用 は な る べく ﹁直 入﹂ (ー1門前募集) によ って ま か な お う と し. に. 三井 三池炭礦 は︑ 明 治 中 〜 後 期 にか け てめ ざ ま し い近 代 化 を 達成 す る の. て いた ︒ そ のた め ︑ 募 集 活 動 は 消 極 化 し ︑ 明 治 末 か ら 大 正 の初 め にか け. め. で あ る が︑ し か し︑ そ れ は ︑ 排 水 お よ び 主 要 坑 道 の 機 械 化 に 限 ら れ て い. じ. た ︒ 切羽 部 門 に おけ る それ は ︑ 第 一次 大 戦 後 に始 ま る 長期 の 不 況 下 に お い. て︑ 募 集 は 一時 中 止 さ れ て い た の であ る が︑ 大 正 二年 ﹁出 役 不 良 ノ為 一月. さ て︑ 以上 の よ う な結 果 と し て︑ ほ ぼ大 正 期 を 通 じ て︑ 切 羽 作 業 は も っ. ヨリ 募 集 ヲ開始 ﹂ し な け れば なら な か った︒ 同 年 六 月 には ︑ さ ら に与 論 船. ③. て︑ そ の合 理化 策 と し て本 格 的 にと り あ げ ら れ る こと に な る ︒. 積 人夫 を 採 運 炭 夫 に 転 役採 用 す る こと を 決 定 し て︑ 坑 夫 の 充 足 を は か っ ④ た︒. は︑ な に より も 採 運 炭 夫 の募 集 と 定 着 ︑ 出 役 ( "出勤)と モ ラ ー ル ( ヨ︒邑 ). ぱ ら 単 純 な重 筋 肉 労 働 に依 存 す る こと にな った ︒ こ のた め ︑ 出 炭 量 の増 大. か ら 一般 労働 へ転 換 し た の であ る が︑ そ の際 注 意 す べき こと は ︑納 屋 制 度. と ころ で︑ 三池炭礦 で は明 治 三〇 年 代 に︑ そ の労 働 力 の主 体 を 囚 人 労 働. 井 三 池 と 三 菱 高 島 と の間 に は︑ 明 治 三〇 年 代 にす で に募 集 地 協 定 が 結 ば れ. 両炭礦 と 交 渉 を 行 な い︑ 大 牟 田 での募 集 を 中 止 さ せ る こと に成 功 し た ︒ 三. に進 出 し て募 集 を 開始 す る と いう 事件 が起 った ︒ 三池炭礦 では ︑ た だ ち に. と ころ で︑ こ の大 正 二年 に は︑ 高 島 ・崎 戸 両炭礦 の募 集 人 が 大 牟 田近 辺. を 解体 し つ つ直 傭 制 を志 向 し た こ と であ る︒ と も か く も ︑ こ の措 置 に よ っ. に対炭し 礦ても 募 集中 止 を求 あ た と い う こ と は︑ 三池 当 局 の閉 鎖 的 労 働 市. てお り ︑ 高 島 と の交 渉 は 理 解 でき る が︑ そ の よ う な協 定 が存 在 し な い崎 戸. の向 上 に か かわ る問 題 と な った ︒. て︑ 三 池炭礦 では明 治 三〇 年 代 に初 期 的 な雇 用 管 理 機 構 の創 出 が み ら れ ︑. 場 形 成 日 募 集 地 の囲 い込 み への強 い姿 勢 を 窺 う こと が でき る︒ つづ い て︑. ⑧ 閉 鎖 的 労 働市 場 の形 成 ︑ ㈲ 採 用坑 夫 の ﹁土 着 永 住 ﹂ 策 ︑ ⑥ ﹁世 慣 レザ ル. 硬 の鉱 夫 の採 用 を 厳 禁 す る 旨 を指 令 し た ︒先 に明 治 三 八年 一〇 月 には ︑ 三. 翌 三年 八 月 には ︑ 三井 系 筑 豊 三 山 (田川︑山野︑本洞炭濃) に対 し ︑ 三 池 炭. 井 系 田川 ・山 野 ・三 池 三 山 募 集 地 協 定 が結 ば れ て おり ︑ 募 集 地 を 分 割 し た. モ ノ﹂ 募 集 方針 ︑ 以 上 三点 を基 軸 とす る 三池 雇 用 ・賃 金 政 策 が 確 立 さ れ た 本 報 告 は ︑ 以 上 のよ う な 三 池 雇 用 政策 のも と に︑ 大 正 期 以 後 ど のよ う な. 上 で さら に︑ 三池 から 筑 豊 への坑 夫 移 動 を で き る だけ 遮 断 し よう と す る も. の であ る ︒. 雇 用 状 況 が 展 開 さ れ ︑ ま た戦 後 に お いて ど の よう な変 化 を 受 け た のか を 具 ②. 体 的 に観 察 し ︑ 三 池 にお け る雇 用状 況 の特 質 を 明 ら か にす る こと を 課 題 と. の であ った ︒. 大戦期 におけ る雇用 状 況. 集 は再 び中 止 さ れ る に至 った ︒ し か し ︑翌 四年 下期 頃 より 景 気 の立 直 り は. と こ ろ で︑ 第 一次 大 戦 が 始 ま る と 炭 況 は 一層悪 化 し︑ 大 正 三年 末 から 募. す るも の であ る ︒. 一.
(3) あ ざ ま し く︑ それ に つれ て炭 況 も 回 復 し 始 め た ︒ こう し て︑ よ う や く炭 鉱 労 働 市 場 にも 復 調 の兆 し が 現 わ れ ︑ 三 池 にお い ても 四年 九 月 よ り募 集 を開 始 し た ︒さ て︑ こ のよ う な 時 期 に︑ 予 想 さ れ る 経 営 秩序 の動揺 に備 え る べ く 同 年 八月 ﹁鉱 夫 取 締 規 則 ﹂ を 制 定 し た ︒ これ は ︑ 従来 三 池各 事業 場 に よ って 区 々 であ った取 締 罰 則 を 統 一 ・整 備 し たも の であ る ︒ 大 正 五年 に は い る と︑ 景 気 は大 戦 ブ ー ム の状 況 を 呈 す る に至 り︑ 激 し い 坑夫 争 奪 戦 の時 期 を 迎 え た ︒ 三池 で は︑ こ の時 期 以 降 ︑ 募 集 料 ・募 集 賞与. ズ. リ. 高 知県 人 ︑ 朝 鮮 人 ハ応 募 セラ ル ベカ ラズ ( 中略). 坑夫 須 知 記 載 以 外 ノ コト ハ無 用 ナ リ. 充 分 ノ注 意 ヲ望 ム. 一︑ ⑳ 坑夫 ヲ募 集 ス ル 二当 リ往 々甘 言 ヲ 以 テ之 ヲ誘 引 ス ル モノ アリ. 一︑ ⑳ 他 ノ坑夫 人夫 雇 人 等 ヲ引 出 シ テ応 募 セ シ ム ル コト ハ厳 禁 ナリ. (以下 略 ) ﹂. ル モ他 鉱山 工場 等 ノ付 近 二於 テ募 集 ス ル コト モ同 断 ナ リ. 甚ダ 不都 合 ナ. 又 引 出 ス ニ非. を 起 し て逃 走 す る ケ ー スが か な り あ った と 言 わ れ て い る ︒ こ れ は︑ 第 二十. と を 物 語 って いる ︒ 当 時 ︑ 新 入 の未 経 験 者 は 坑 内 を 一見 し た だ け で 恐怖 心. 第 一条 は ︑ 坑 内 労 働 であ る こと を 隠 し て募集 さ れ て く る者 が多 か った こ. と ころ で︑ 五年 六月 に は︑ 再 度 三菱 高 島 の募 集 人が 大 牟 田近 辺 の久 留 米. の 引 上 に よ って募 集 に努 め る 一方 で︑ 移 動 ・出 役 対 策 に全 力 を 注 いだ ︒ で募 集 を 開始 し 三 井 側 は た だ ち に そ の中 止を 求 め た︒ こ のよ う な ︑ 三 菱 高. 一条 と も 関 連 す る ︒. 募 集 の実 情 を 推 測 す る こと が でき る ︒ し か し ︑ 募 集 員 の質 は 募 集 坑 夫 の質. 第 二十 一条 は︑ 募 集 員 の自 覚 を 促 し た も の であ る が ︑ こ こか ら は 当時 の. で会 社 側 にあ る こと を 明 ら か にし たも の であ る ︒. 第 七 条 は︑ 募 集 員 の権 限 が 単 に募 集 に限 ら れ てお り ︑採 用 権 限 は あ く ま. 点 から ︑ 不 適 格 と 判 定 さ れ る 場 合 を 想 定 し た も の であ ろ う ︒. 第 四条 は ︑ 三 池 の ﹁人 物 ﹂ 重 視 方 針 の現 わ れ であ り ︑ 三 池雇 用 政策 の観. 島 側 の三 井 三 池 が テ リ ト リ ー と す る募 集 地 域 への度 重 な る 進 出 事 件 が ︑ 後 に大 正 八 年 五 月 ︑ 募 集 地 協 定 確 認 の 意味 を こ め て︑ 三井 三池 二 二菱 高 島 間 の募 集 地 協 定 改 訂 へと 発 展 し て い った も の と 思 わ れ る ︒ さ て︑ 坑 夫 移 動 が激 化 し た 五年 一〇 月 ︑ ﹁三 池炭 砿鉱 夫 募 集 員 及 周 旋 人 心 得 ﹂ を 制 定 し て募 集 員 の自 覚 を 促 す と と も に ︑移 動激 化 に とも なう 募 集. こ の ﹁心 得 ﹂ は ︑ 従 来 す で に出 さ れ て いた 個 々 の通 達 を ま と め たも の で. 坑 夫 の質 の低 下 を 防 こ う と し た ︒. に 結 び つ いて く る こ と は明 ら か であ るか ら ︑ こ の頃 よ り ﹁旧 来 の無責 任 な. ⑥. る 募集 方 法 は漸 次 規 則 化 し ︑ 如 何 はし き 募 集 員 も 良 質 化 ﹂ す る こと に 力 が. ⑤. あ り ︑ そ の周 知 徹 底 を は か った も の であ る ︒ つぎ に ︑ 参 考 と し て そ の抄 録. る ︒ 大 戦 ブ ー ム期 に おけ る経 営 の募 集 努 力 は︑ ま ず 募 集 地 域 お よ び 募 集 員. と ころ で︑ 第 1 表 は こ の時 期 に お け る 募 集 費 の 推 移 を 示 し た も の であ. 着 に各 種 の賞与 を 設け た点 に最 大 の特徴 があ る︒. 募 集 賞 与 が 大幅 に ア ップ され ︑ ま た新 設 さ れ た点 お よ び ︑ 坑 夫 の出 役 と 定. 大 き な 変 化 は み ら れ な い ︒ た だ︑ 激 化 し た坑 夫 不 足 を 反 映 し て︑ 募 集 料 ・. 則 の制 定 を み た ︒新 募 集 規 則 は︑ 従 来 のも のと 比 較 し て︑ 基 本 的 な 内容 に. 部 分 改 正 では この よ う な事 態 に対 処 し え な く な り ︑ 大 正 七 年 七 月 新 募 集 規. エ スカ レー ト し た ︒ こ のた め︑ 従 来 の募 集 規 則 ( 明治三八年 一一月制定) の. さ て︑ 景 気 は大 戦 の経 過 にと も な い 一層 過 熱 化 し ︑ 坑 夫 争 奪 戦 も 一段 と. 注 が れ る よ う に な った ︒. を 掲 げ て おく ︒. ﹁三池炭砿鉱夫募集員及周旋人心得 然 ル 二往 々坑 外 稼 働 ト心. 然 レド モ募 集料 ハ支 払 フ限 リ 二. 募 集 ノ当初 坑内 稼 働 ナ ル コト ヲ充 分 心 得 サ セ ラ ル ベ シ. 一︑ ①既 二坑 夫 ト言 フ必 ズ ヤ坑内 稼 働 ナ ラザ ル ベカ ラズ 得来 ルモ ノ アリ ( 中略) 一︑ ㈲其 人物 如 何 二ヨリ採 用 セザ ル コト ア ル ヘシ アラ ズ. 一︑ ⑤ 総ジ テ採 用 セザ ル者 ハ如 何 ナ ル事 情 ア ル モ募集 料 ヲ支 払 ハズ ( 中略) 一︑ ㎝ 応 募者 ヲ連 レ来 リ タ ル時 ハ採 用 調査 又 ハ健康 診断 二立 触 ル ベカ ラズ 一︑ ⑧高 島 炭 坑 各 坑 ︑ 天 草魚 貫 炭 坑︑ 別 子銅 山 ︑ 足 尾 銅山 二経 歴 ア ルモ ノ ハ採 用 セ.
(4) 採運炭夫募集費調(募 集員募集) 第1表. 二'』7。. ・募 集 賞 与 (D一 A ) が六. つい で︑ 募 集 料 (C 一 A). の増 加 と な って 現れ た ︒. 採 用標 準 ﹂ を 制 定 し て採 用 事 務 の統 一と ︑ 採 用 鉱 夫 の質 の レ ベ ル ・ア ップ. に︑ 労 務 係 に よ る 一元 的 な 雇 用 管 理 が 形 成 さ れ ︑ 同 年 八 月 に は ﹁鉱 夫 職 工. つ い て 翌 八年 に は 鉱夫 ・職 工 の 全採 用 事 務 を 鉱 夫 主 任 に 集 中 し た ︒ こ こ. を は か った ︒. た た め︑ 第 2表 に示 す よ う に︑ そ の移 動 率 は 全 国炭礦 平 均 に比 べれ ば ︑ 雇. 三池炭礦 は︑ 比 較 的 定 着 性 の良 好 な 農 村 出 身 鉱 夫 の獲 得 に力 を 注 い でき. (二) 移 動 状 況. 年以降︑急激に増加して いる ︒ 旅 費 (旦 A ) は漸 に八 ︑ 九 年 と 大 幅 な伸 び. 増 傾 向 にあ った が ︑ こ と を 示 し た ︒ これ は ︑ す で. 池 鉱 業所 沿革 史 』 第7巻,付 表,「 鉱 夫 調 査概 要 」(労 務 管 理 史料 編 纂 委 員 会編 『日本 労 務 管 理 年誌 』第1巻 (下))よ り作 成 。. 入 ・解 雇 率 とも に相 当 低 く な って い た︒. 〔出典 〕r鉱 夫 待 遇事 例 』(「九 州近 代 史 料 叢 書 」 第5輯),r三. に近 距 離 か ら の供 給 が枯. 73.1. 第 3表 は︑ 三池 炭 膿 坑 夫 の年 別 移 動 状 況 調 であ る ︒. 明 治43年. 渇 し ︑ し だ いに 遠 距 離 募 集 と な って い った こと を 示 す も の であ ろ う ︒ 以 上. 118.7. のよ う な 諸 経 費 の増 加 に. 149.5. 122.1. よ り ︑ 募 集 費 (旦 A) は う な ぎ のぼ り と な って︑ 倍六 ︑ 八 年 のそ れ は 約 一. 七年は対前年度比約二 ・ ・四 倍 と な ってお り ︑ 九 年 には 実 に 一人 当 募 集 費 は 二八 円 の高 額 を 示 す に 至 った の であ る ︒ さ て︑ 以 上 のよ う な 募 集費増加による募集努力 の 強 化 を 実 施 す る 一方 で︑ 雇 用 管 理 機 構 の整 備 も進あられた︒ ま ず ︑大 正 七 年 一 一月 ︑ 鉱 夫 主 任 に 坑 内夫 全 員 の. 152.8. 全 国炭礦. 122.4. 三 池炭礦. 出役率 雇 率 雇 入 率. 1解 募 集 権 限 が 移 管 さ れ︑ つ. lr. 三 池炭礦 (全鉱夫) 全 国炭礦 (全鉱夫) 明 治39年. 移動率 および出役率比較 第2表. 一. 一. 14.
(5) 明 治35(1902)年. 明 治36(1903)年. 明 治37(1904)年. 明 治39(1906)年. 明 治40(1907)年. 明 治43(1910)年. 明 治44(1911)年. 大 正2(1913)年. 明 治45(1912)年. 大 正3(1914)年. 大 正4(1915)年. 大 正5(1916)年. 大 正6(1917)年. 大 正7(1918)年. 大 正8(1919)年. 大 正9(1920)年. よ り作成 。. と こ ろ で︑ 三池 雇 用 政 策 は ﹁世 慣 レザ ル﹂農 村 出 身 坑夫 の獲 得 と養 成 に. 重 点 を 置 い てき た の で︑ 前 述 し た よ う に︑ 移 動 率 では 他 の炭礦 に比 し て相. 対 的 に低 位 の水 準 にあ った が ︑ そ の反 面 ︑ 先 に掲 げ た 第 2表 から も 知 ら れ. ㎝. ﹁慣 レ タ ル坑 夫 ト異 ナリ 一日勤 ム レ バ 一日其 労 ヲ. る よう に︑ 出 役 率 は 他 の炭礦 よ り も 低 く な って いた ︒ そ の理由 に つい て︑ ﹃三 池 鉱業 所 沿革 史 ﹄ は. 慰 シ 人員 ノ割 合 二出 役 上 ラズ ﹂ と 説 明 し て いる が ︑ 三 池雇 用 政策 に は︑ 苛 ︒. ︑. 不し て おく ︒. これ によ れ ば ︑ 大 正 九 年 を 除 い て常 に︑ 出 役率 は 上期 の方 が下 期 よ り も. こ. 上昇 を み た ︒ 五〜 八年 に かけ て︑ 増 員 要 請 を 満 た す べく 募 集 に 全 力 を 投 入. 高 く な って いる ︒ ま た ︑ 明 治 末 か ら 大 正 二年 の初 あ に かけ て︑ 特 に前 述 し. こ︑. 酷 な採 運 炭 労 働 と あ いま って︑ 元 来 こ のよ う な 傾 向 を 生 む 矛盾 と特 質 を有 し て い た の であ. し た の であ る が︑ 六 年 は 歩 留 率 で減 少 を 示 し た ︒ し か し︑ 戦 後 の本 格 的 な. た よう な出 役 率 の低 下 と いう 事 実 は み ら れ な い ︒ と い う こ と は︑ 出 役 率 低. 下 の ため に同 年 特 に募 集 を 再 開 し た と いう より は︑ 慢 性 的 な出 役 率 の低 位. 反動 恐 慌 が襲 来 し た大 正 九 年 の歩 留 率 マイ ナ ス 一七 ・四% は︑ む し ろ募 集. に かけ て︑ 移 動 率 はし だ い に低 下 し てき た の であ る が ︑ 翌 五年 に は 急激 な. が︑ こ の表 から も ほ ぼ そ のよ う な 傾 向 を 看 取 でき る ︒ 明 治 末 か ら大 正 四年. 一般 に︑ 移 動 率 は 好 況時 に上 昇 し︑ 不 況時 に 低 下す る傾 向 が みら れ る. 明 治34(1901)年. 努 力 の減 退 に起 因 す るも の であ る ︒. 一15‑・. 表 よ り作 成 。. 〔 出典 〕 『三 池 鉱 業所 沿 革 史 』 第7巻,付. 採運炭夫出炭能率 坑 内外 職工 日雇. 採運炭夫. 移 推 の 率 出 役 第4表. 歩留率. 響) 肇入㈲ 野 暑)酬 年末在籍 (C). 数 採用数i鴨. お よ び1234頁 『三 池 鉱 業 所 沿 革 史 』 第7巻,1230〜1231頁 〔出 典 〕. 採運炭夫年別移動状況調 第3表.
(6) 募 集 方 法別 移 動 状 況 調 第5表. との 数字 が相 違 す る理 由 は不 明 で あ る。 。(注)第3表 〔出典 〕 『 三 池 鉱 業 所 沿 革史 』 第7巻,1235頁. ろ う ︒ 縁故 募 集 は︑ 大 正中 期 に 入 ると 労 働 運 動 対 策 と し て重 視 さ れ る よ う. じ る 差 は︑ や はり 前 者 には 募 集 員 に よ る圧 力 が 相 当 加 わ って いた ため であ. い る ︒ 縁故 募 集 で歩 留 率 が高 い のは 当 然 と し ても ︑ 募 集 員 募 集 と直 入 で生. ・二% ︑ 直 入す なわ ち 門 前 募 集 が最 も 不 良 で マイ ナ ス 一〇 ・三 % と な って. であ った と考 え る. 時 期 の方 が 例外 的. に な る が︑ こ のよ う に居 付 ( "定着)良 好 な 坑 夫 獲 得 方 法 でも あ った ︒ 万. 率 は紹 介 す な わち 縁 故 募 集 が最 も 良 好 で八 ・二% ︑ つ い で募 集 員 募 集 の三. 方 が 妥 当 であ ろ. 田 坑 争 議 の翌 八年 に 紹介 坑 夫 の割 合 が激 増 し て い る が︑ これ は ︑ 経 営 の要. と移 動 の た め に︑. う ︒ と も あ れ︑ 出. 請 す る こ の両 面 を満 足 さ せ るも のと 判 断 し た から であ ろ う ︒. 募集 中 止 を行 な う. 役 率 の低 下 は大 戦. 戦 後 に お け る 雇 用 状 況 の変 化. 第 一次 大 戦 後 も︑ な お ブ ー ムは しば ら く 継 続 し た の であ るが ︑ 大 正 九 年. (一) 雇 用 管 理 概観. 二. 期 に よ り 顕著 なも のと な って︑ 五年 下期 に 六 〇 % を 割 って以 後 ︑ 五 五 %. に は 戦 後 の反 動 恐慌 が は じ まり ︑ そ の後 も 政 府 の イ ンフ レ政 策 によ る 中 間. 前後を上下し てい る ︒ これ が ︑ 当時. ヲ 一層 厳 ニセ シ為 募 集 難 ヲ緩 和 ス ル コト ヲ得 ザ リ シ﹂ と 伝 え て いる ︒ つま. 況 を ﹁失 業 鉱 夫 ノ来 ル者 殆 ント無 カ リ シ ト 且之 等 失 業 者 二就 テ ハ人 物 選 択. は あ ては ま ら な か った ︒ ﹃三池 鉱 業 所 沿 革 史 ﹄ は ︑ 大 正九 年 下 期 の雇 用 状. 力 の多 く を ま か な え る は ず で あ った が︑ 三池炭礦 の場 合 に は必 ず し も これ. と ころ で︑ 一般 に 不 況期 に は採 用希 望者 が増 加 し︑ 門 前 募 集 で必 要 労 働. の であ る ︒. 映 し て︑ 九 年 下期 頃 よ り 下降 し始め ︑ 事 業 の整 理 ・縮 小 期 に入 って い った. る の であ る ︒ この 間︑ 石 炭産 業 の景 況 は 以上 の よう な 日本 経 済 の動 き を 反. 景 気 を は さ み つ つも ︑ し だ い に 日本 経 済 は不 況 の度 を 深 め て世 界 恐 慌 に至. の移 動 率 の上 昇 と 重 な って︑ 募 集 努 力 の強 化 を よ り 一 層必要とさせた の であ り ︑ ま た ︑ 雇 用管理⁝ 機構 の整 備 を促し︑労務世話 方制度 ( 日納屋管 理) の存 続 を 意 義. こと ︑ 第 二 に採 用 を厳 選 し た こ と︑ 以上 二点 があ げ ら れ て い る︒. り ︑ 不 況 期 に お け る 募 集 難 の 理由 と し て︑ 第 一に門 前 募 集 が不 振 であ った. あ ら し め た も のと 言 え よ う ︒ つぎ に. を強く求められていたのである︒. 撹 乱 さ れ ︑ ﹁不 真 面 目 ナ ル渡 リ 鉱 夫 益 々 多 キ 傾 向 ﹂ が あ り ︑ そ の建 て直 し. ⑨. ﹁世 慣 レザ ルモ ノ﹂ 獲 得 方 針 は ︑ 大 戦 ブ ー ム 期 に おけ る坑 夫 不 足 を 通 じ て. さ て︑ 第 二 の問 題 は 三 池 雇 用 政 策 の強 化 と し て 理解 でき る︒ つま り ︑. 募 集 方 法 別 の移 動 状 況 を み る こと に し た い︒ 第 5表 か ら明 ら か な よ う に︑ 歩 留.
(7) つぎ に ︑ 第 一の 問 題 は︑ な に より も 三池 の賃 金 水 準 と 深 く か か わ る も の であ った ︒ こ の 間 の 事情 に つ いて︑ ﹃三 池 鉱 業 所 沿 革 史 ﹄ が 記 録 す る と こ. ﹁地方 ノ賃 銭 比 較 的 低 廉 ナ ラザ ル為 メ地 方 人 ノ応 募 者 一般 二. ろ を摘 記 し て み る こ と にす る ︒ 大 正 一〇年 仙函. 収困難﹂. ㈹. ﹁本 年 ハ地 方 事 業 界 好 況 ノ為 メ失 業 者 ノ帰 農 二 ヨリ坑 夫 ノ吸. 現在 人 員 ヲ 維 持 ス ルサ エ非 常 ノ困 難 ﹂. ﹁地方 民 ハ労銀 比較 的 二高 キ地 方 的 事 業 二就 キ 応 募 者 少 ナク. 勘 少﹂ 大正 = 年. 大 正 一二年. 以 上 は ︑ 長 年 に わ た る 三 池 の低 賃 金 水準 の た め に︑ 大 戦 期 の移 動 を 通 じ て賃 金 問 題 に敏 感 にな ってき た 労 働 者 の吸 収 に大 き な困 難 が生 じ てき た こ と を 示 す も の であ る ︒ と ころ が ︑ こ の問 題 は 大 正 = 二年 の全 三池 争 議 を 契 機 と し て解 決 さ れ る こと にな った ︒ こ の争 議 後 ︑ 三池 の賃 金 水 準 は上 昇 し 始 め ︑ 翌 一四 年 には 高 水 準 にあ る 北 海 道 地 方 の炭礦 賃 金 水 準 に近 付 く に 至 った の であ る ︒ こう し て︑ = 二年 の下 期 には ﹁当 鉱 ノ所得 ハ漸 騰 シ テ 人気 ヲ呼 ビ﹂︑ 募 集 難 は 解消 し た の で あ る ︒ し か し な がら ︑ 雇 用 問題 は こ の時 期 以 降 ︑ 所 定 人 員 の補 充 を 基 本 と す る よ う な 消 極 的 な も の へと大 きく 変 化 し 始 め る の であ った ︒ 昭 和 に入 る と ︑ 炭 況 は 一段 と 悪 化 し ︑ し か も そ の回復 は当 分 望 み得 なく な ってき た の で︑ 三 年 には 広 島 ・岡 山 の募 集 員 に 廃業 手 当 を 支 給 し て整 理. 宰 領費 費. 付 表 よ り作 成 。. 〔出典 〕 『 三 池 鉱 業 所 沿 革史 』 第7巻,各. 薮 萱 計 合. (C五)(D五)(E五) (F五). 地域 B. 募 集 料 C. 募集賞与 D. E. 虻 拳毒鰭 撚. 募集員. 募集 募集採 用人員 旅. す る措 置 がと ら れ た︒ さ て以 上 述 べ てき た 時 期 にお い て︑ 募 集 費 は ど の よ う な動 き を 示 し た で あ ろう か︒ 第 6表 は ︑ 採 運 炭 夫 募 集 費 調 であ る ︒ ま ず ︑ 募 集 地 域 か ら み る と ︑ 一〇 〜 一二 年 と拡 大 さ れ て おり ︑ 募 集 員 の 人数 は 一三年 にピ ーク に達 し て いる ︒ これ よ り︑ = 二年 頃 ま で は募 集 力 の 増 強 を は か って い た こと が 知 ら れ る ︒ そ し て︑ 同 = 二年 以降 ︑ そ の 必要 が し だ い に消 失 し て い った のは ︑ 前 述 し た と こ ろ で あ る ︒ つぎ に︑ 募 集 費 (旦 A) を み る と ︑ 大 正 七年 以降 上昇 し てき たも の が︑. 採運炭夫募集費調(募 集員募集) 第6表. 年 大 正10(1921). 大 正12(1923). 正11(1922). 大 正13(1924). 大 正14(1925). 昭 和2(1927). 正15(1926). 昭 和3(1928). 昭 和4(1929). 一〇 ︑ 一 一年 と頭 打 ち と. な った が︑ 一二 〜 一四年. に かけ て は 一段 と 高 原状. 態 を示 し︑ 大 正 一五年 を. 除 い て相 当 な 高 水 準 を持. 続 し て い る ︒ こ れ は︑ 多. ろ が大 であ る︒ そ の 理由. 額 の旅 費 に起 因 す る と こ. とし て は︑ 第 一に採 用を. の旅 費 負 担 が か なり の額. 厳 選す る 結 果 ︑ 不 採 用者. α⑪ でき る︒. に上 って い た こと が 指 摘. 第 二 に地 元 を 除 け ば ︑. ﹁世 慣 レ ザ ル モ ノ﹂を 求 め. て︑ 募 集 地 と し ては 鹿 児. 島︑宮崎︑大分︑ 沖縄︑. 広 島 ︑ 島 根 ︑ 愛 媛 など 比. 較 的 遠 隔 地 に募 集 努 力 を. 向 け てき た こと に よ る で. あろう◎. (二) 移 動 状 況. 移 動 状 況 は ︑ 戦 後 の反. 動 恐 慌 が 石 炭 産 業 に深 刻. な影響を及ぼし 始める大. 正 九 年 の下 期 頃 か ら 大 き. く変化し始めた︒ 第7表. に示すように︑ 解雇率が.
(8) た︒ も ち ろ ん ︑ こ のよ う な 在 籍 数 の減少 は ︑ 第 8表 に示 す よ う な 二 二年 を. し て減 少 し 始 め ︑ 昭 和 四 年 に は = 二年 の 六 割 にも 満 た なく な ってし ま っ. 年 以 降 マイ ナ スを 示 し て いる ︒ そ の た め︑ 坑 夫 在 籍 数 は = 二年 を ピ ー クと. 雇 入 率 を 上 回 る よ う に な り︑ 大 正 一二︑ 一三年 の両 年 を 除 け ば 歩 留 率 は 九. 農 村 出身 者 と考 えら れ る︒. し ても ︑ 一三 ・三% にす ぎ な い︒ そ の他 に属 す る 者 八 六 ・七 % の大 部 分 は. の存 在 があ った が︑ ﹁鉱 山 ヨリ転 来 セ ル モノ﹂ 全 員 を ﹁渡 り 鉱 夫 ﹂ と み な. 動 率 を 高 め る主 要 な 原 因 の 一つと し て︑ いわ ゆ る 浮 動 性 の高 い﹁渡 り 鉱 夫 ﹂. 第 9表 は大 正 一〇 年 にお け る 雇 入 鉱 夫 の前 稼 働 地 調 査 であ る ︒ 当時 ︑ 移. 第 10表 は解 雇 者 帰 趨 調 査 であ る が ︑ 炭 山 ・鉱 山 に転 出 し た者 の割 合 は大. 底 と し て上 昇 し 始 め た 出 役 率 お よ び 出 炭 能 率 囚 に よ って補 な わ れ て い た ︒. 正 一〇 年 七 ・二% ︑ 一五年 二 ・四 % ︑ 昭 和 九 年 二 ・ 一% と な ってお り ︑ こ. と ころ で︑ 移 動 率 は 一二年 を ピ ー ク と し て︑ 不 況 の 深 化 と とも に低 下 し て い った の であ る が ︑ と は いえ 五 〇 % を 割 る こ と は な か った ︒ こ こ で︑ 高. い︒. 大 正13(1924)年. 大 正14(1925)年. 大 正15(1926)年. 昭 和2(1927)年. 昭 和3(1928)年. 昭 和4(1929)年. 福 岡県 熊本 県 鹿児 島県 宮 崎県 長 崎県 佐賀 県 そ の他. 計. 〔出典 〕福 岡地 方 職 業 紹 介 事 務局 編 『坑 夫 雇 傭 状態 に 関す る調 査 』, 58頁 。. であ る︒ 大 正 一〇 年 一三 ・七 % ︑ 一五 年 二三 ・二% ︑ 昭 和 九 年 二 八 ・六%. と こ ろ で︑ こ の表 で意 外 に低 いと 思 わ れ る のは ﹁帰 農 セ シ モ ノ﹂ の 割合. れ ら の鉱 夫 全 員 を ﹁渡 り 鉱 夫 ﹂ と み な し ても ︑ そ の比 率 は 一割 に も満 た な. 大 正11(1922)年. 水 準 の移 動 率 を 示. 大 正10(1921)年. す 原 因 に つ い て︑. い︒. 大 正12(1923)年. 少し観察を加えた. 表 よ り作 成 。 〔 出典 〕r三 池 鉱 業所 沿革 史 』 第7巻,付. 計. 呈ソ転来1萎 鄭 墜 ヲリ「. i貌. 名. 県. 大正10年雇入鉱夫 の前稼働地. 第9表. 移 推 の 役 率 出 第8表. よ り作 成 。 お よ び1234頁 『三 池 鉱 業 所 沿 革 史 』 第7巻,1230〜1231頁 〔出 典 〕. 採運炭夫年別 移動状況調 第7表. 大 正10(1921)年. 大 正11(1922)年. 大 正12(1923)年. 大 正13(1924)年. 大 正14(1925)年. 大 正15(1926)年. 昭 和2(1927)年. 昭 和3(1928)年. 昭 和4(1929)年.
(9) 372 1,838 805. 帰 農 セ シモ ノ. 1,146. 其 他 二転 出 セ シモ ノ. 1,177. 541. 未就職者. にす ぎ な い︒ これ に 対 し ︑﹁不詳 ナ ル モ ノ﹂ は 一〇 年 ︑ 一五年 と に つ い て︑ ﹁﹃不 詳 ﹄ と あ る のは. 最 大 の割 合 を占 め て いる ︒ これ. 主 と し て逃 走者 で帰 趨 調 査 不 可 に︑ これ は ま さ に ﹁炭 鉱 労 働 の. 能 な も の﹂ と 記 さ れ て いる よ う. な い﹂ と 言 え る であ ろ う ︒ こ の. 特 異 性 を 物 語 って剰 す と ころ が. なり 含 ま れ て い る と 考 え ら れ. 逃 走 者 の中 には 帰 農 し た者 も か. る ︒ 以上 より ︑ 移 動 は 主 と し て 逃 走 に よ って生 じ て いる こと が. 正8年) 正13年) 和2年). 運炭 夫 勤 続 年 数 別 調 ﹂ よ り 作. グ ラ フ化 し たも の であ る (﹁ 採. 第 1図 は坑 夫 移 動 の時 系 列 を. 時 の労 働 関 係 の ﹁特 異 性 ﹂ が あ った ︒ そ れ ゆ え︑ 前 掲 第 10表 に示 し た よ う. が 正 常 な 解 雇 と いう 形 式 を と ら ず に 逃 走 と い う形 態 を と った と こ ろ に︑ 当. いう 文 言 は ︑ こ のよ う な 状 況 か ら 生 ま れ て き たも の であ る ︒ た だし ︑ それ. ラズ ﹂︑ ﹁坑 夫 ヲ募 集 ス ル 二当 リ 往 々甘 言 ヲ 以 テ之 ヲ誘 引 ス ルモ ノ ア リ﹂ と. 新 参 者 ノ者 共 就 業 ノ状 態 如 何 ヲ最 モ親 切 二観 察 セ. 離 職 の意 思 を 生 じ さ せる の に十 分 な 条 件 であ った ︒大 正 五年 制 定 の ﹁募 集. う ︒ 八年 に は ﹁養 成 夫 制 度 ﹂ が 設け ら れ ︑ ﹁相 当 ノ訓 練 ヲ習得 シ タ ル モノ. た世 話 方 が︑ 労 働 管 理 にも 進 出 し てき た も のと し て注 目 す べき 現象 で あ ろ. シ メ ラ レ度 ﹂ と し た こと であ る ︒ これ は ︑ 納 屋 の生 活 管 理 に 限 定 さ れ て い. 渡 シ タ ル後 続 ヒ テ入 坑. 居 付 ヲ良 ク ス ル為 メ﹂︑納 屋 世 話 方 に ﹁自 分 新 参者 ヲ 坑 ロ ニ於 テ係 ノ者 二引. 費 補 助 や賞 与 が支 給 さ れ て いた ︒ 大 正 に 入 る と ︑ 同 三年 に は ﹁新 参 鉱 夫 ノ. 明 治 期 には ﹁新 参 者 指 導 員 制 度 ﹂ が 設 け ら れ ︑ ま た ︑雇 入後 当 座 の生 活. れ る こと にな った の であ る ︒. 以 上 のよ う な 事 情 か ら ︑ 移 動 防 止 対 策 は新 入 坑夫 の居付 向 上 に力 が注 が. 成 )︒ 大 正 八年 ︑ = 二年 では採. 前 後 に な って い る︒ こ の年 を 越. に︑ 労 働 関 係 の近 代 化 が 進 む にし た が って ﹁不 詳 ナ ル モノ﹂ (逃 走 解 雇)と. 表 よ り作 成。. いう 形 態 は 減 少 し ︑ 昭 和 九 年 に は 三 ・七% と 減少 し て い る ︒. 〔出典〕 「 三 池鉱 業 所. 用後 一年 未 満 で 二〇 〜 三 〇 % に. 沿 革 史 」 第7巻,付. ま で減 少 し︑ 二年 未 満 で 一〇 %. 明 ら か であ る︒. 労働 移 動 の 時 系 列(各 年 の 採 用 数 を100と し,以 後 の在 籍 数 の変 化). 員 心 得 ﹂ に記 され て いる ︑ ﹁既 二坑夫 ト言 フ 必 ズ ヤ 坑 内稼 働 ナ ラ ザ ルベ カ. 筋 肉 労 働 を 強 いら れ る 坑 内 労 働 は ︑ そ れ だ け で新 入 の未 経 験 坑夫 に と って. であ ると みな す のは 合 理 的 であ ろ う ︒ 劣 悪 な 労 働 環 境 下 に あ って苛 酷 な重. し く高 めら れ て い る の であ る が ︑ こ の短 期 勤 続 者 を ﹁調 査 不 可 能 ﹂な逃 走者. 以上 ︑ 明 ら か にし たよ う に︑ 一年 未 満 の短 期 勤 続者 に よ って移 動 率 が著. 未 満 で四〇 % 近 く にま で減 少 す る の であ る ︒. えれ ば カ !ブ は かな り ゆ る やか にな って いく ︒ 昭 和 二年 に お い ても ︑ 一年. 他 種 鉱 山 二 転 ジ タル モ ノ. 193. 表 よ り作 成. 〔出典 〕r三 池 鉱 業 所 沿 革 史』 第7巻,付. ・…) …)13・376(・ ・…)i・. 747. 18,336(・. 計. 1919(大 1924(大 1927(昭. 125 1,264. 不 詳 ナル モ ノ. 第1図. 966 880. 4,875. ・787(1・. 15. 406. 。 〔出典 〕 『三 井 鉱 山五 十 年 史 稿 』 巻16,60頁. (1.7) (0.4) (28.6) (11.0) (54.4) (3.7) 58. (o.7) (1.7) (23.2) (19.7) (21.3) (33.4) 66. 他 炭 山二 転坑 セ シ モ ノ. 昭 和9(1934)年 大 正15(1926)年 i1 大 正10(1921)年. 25. (4.9) (2.3) (13.7) (14.1) (6.5) (58.5) 合. 解 雇者 帰 趨 調 査 第10表.
(10) ヨリ遂 次 本 番 ノ職 制 二転 入 セ シ メ主 ト シテ採 炭夫 ト シタ ﹂ の で あ る ︒ し か し︑ 移 動 原 因 が主 と し て坑 内 労 働 に内 在 す る も の であ った こと か ら︑ こ れ ら の対 策 にも か かわ ら ず 移 動 率 の低 下 は み ら れ ず ︑ そ れ は 大 正 末 〜 昭 和 の き わ め て深 刻 な不 況下 に お い て実 現 さ れ る こと にな った の であ る ︒. る ︒ 閲覧 に際 し ︑ 三 井 鉱山 株 式 会 社 お よび 三 井 文 庫 に大 変 御 世 話 に な った︒. 記 ︺ 本 稿 で利 用 し た 三 井 鉱山 関 係 の史 料 は︑ 三井 鉱 山株 式 会 社 所 蔵 のも の であ. 同 書 ︑ 六 八頁 ︒. ﹃沿 革 史﹄ 第 七 巻 ︑ 七 三 八頁 ︒. ﹃三 井鉱 山 五 十 年 史 稿﹄ 巻 一六 ︑ 七 頁︒. 福 岡 地 方職 業 紹 介 事 務 局 編 ﹃ 坑 夫 雇 傭 状態 に関 す る 調 査﹄ 一〇 頁︒. 同 書 ︑ 八 五 九頁 ︒. 同 書 ︑ 八 五 四頁 ︒. 同 書 ︑ 八 五 一頁 ︒. 同 書 ︑ 八 四 三頁 ︒. 同 書 ︑ 八 三 五頁 ︒. 同 書 ︑ 八 三六 頁 ︒. ﹃沿 革 史﹄ 第 七 巻 ︑ 七 四 五頁 ︒. ﹃三 井鉱 山 五十 年 史 稿﹄ 巻 一六 ︑ 四 頁 ︒. ﹃沿 革 史﹄ 第 七 巻 ︑ 七 九 六〜 八〇 〇 頁 ︒. り 採 運炭 夫 と し て の採 用 を開 始 し た ︒. 与 論島 出 身 者 は ︑ 従来 船 積 人 夫 と し て 採用 し てい た の であ る が︑ 明 治 四四 年 よ. ﹃三 池鉱 業 所 沿 革 史 ﹄ ( 稿 ) 第 七 巻︑ 七九 九 頁 ︒ 以 下︑ ﹃ 沿 革 史 ﹄と 略 す ︒. 所収) ︒参 照. け る 坑夫 の雇 傭 状 態 ﹂ (﹃ 宮 本 又 次 先 生 古 稀記 念 論文 集 ( 近 代 経 済 の歴 史 的 基 盤 )﹄. 明 治期 三池 炭 砿 の雇 用状 態 に つい て は︑ 田中 直樹 ﹁明 治 中 ・後 期 三池炭礦 に お. 経 済学 ﹄ <9﹄ ㎝ Zo誌 )参 照︒. 詳 しく は︑ 拙 稿 ﹁三井 三池 炭 鉱 に お け る経 営 労務 政 策 の確 立 過程 ﹂ (﹃ 大 阪 大学. ︹ 注︺. ︹ 付. 記 し て感 謝 の意 を 表 し た い︒.
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