――目次――
1,
親鸞教学の因果性と歴史性:親鸞学の新構想, 小野正康, The Problem of Causality and History on the
doctrine of Shinran, Seik
ō ONO, pp.1-27.
2,
最近の宗教心理学的研究の一二をめぐって:具体的研究方法に関する検討を主として, 野村暢清, On
Some Recent Works in Religious Psychology: a methodological investigation, Nobukiyo NOMURA,
pp.28-49.
3,
東亜伝道と清教徒精神:我国プロテスタントの主体性に関連して, 井門富二夫, The Motivation for
Missionary Work in the Far East and the Puritan Spirit, Fujio IKADO, pp.50-83.
4,
カントの宗教哲学の一考察, 三谷好憲, A Study of Kant’s Philosophy of Religion, Yoshinori MITANI,
pp.84-105.
5,
カーディナーにおけるパーソナリティ理論と宗教の問題, 渡辺郁子, Kardiner’s Personality Theory and
the Problem of Religion in it, Ikuko WATANABE, pp.106-127.
親穏 教学の因果性と 歴史性
六五四
、 、 、 へ が教教
性性が
にに杓
い 如聖格
果てて, こ、 論広
れ如
を 軸 く た な 問 に考聖
, 6 題 組 の奈穂
思に織
0 % Ⅰ 佳 し し 別後 と 厨 子 を て た の 古、題
密なの前司教
思惟 今 る と し 言 行 すぢ 道 の
設 の の て 概 で 定 ゲこ
示前
唆 と「俳の
親、
因 つ を後鸞 即果
、 教 新 観 閲
学 す 歩 そ 製 の ぢ を の の 官 道 進 因 『 主 に め 果 太 的 通 ん
性子
研 じ と と 和小野正康
定性
|
親鸞学の新構想
|
1 ( 1 )がある。 の 果を見ようとする る 過去現在未来を貫 七一般の法として因果の常識的な見方である。 また、同じ物語に ぞ 見えげる。﹂同上側佳生同上六一五頁 性 と共に傲然と応報 この間、一定法の運 ている。 ス 歴史的に自らそ すものである。 日本学的素描の考 諸本願他力と俗語 他 対象具体的に右の構想を進めたものである。 ば 、古今一す ぢ道 るものである。 二
因果性について
﹂れが広汎幽玄なる哲理に至り及ぶのである。
﹂といい、﹁因縁因果の道理﹂という。
と 歴史性﹂と 歓び 、目前の 一
ゆる﹁善因善果・ 悪
。 無
。
傷
市井。
去
繋辞
報こ
といい、﹁文夫
Ⅱ リる
名き
ロ
として、
よ
から日を見張らしめられる。
く
大きい理由ある
あるを見て、道徳の
しれ木仏教のものと
英ピ積
「篇卦
必、
有 - 余 - 慶ハ 積 - 不 - 壬 立臼 - 家、 必 有 - 余 - 殊臣 拭 - - 其 君 子 -
拭
- 其 父ヲド
朝
タ 之 故 其 所 - 由 来 者 漸 である。
縁
と
と 願 を 内 に " り れ 要の然
直 一 , 、 而 実 に 内 到 因 」 用
士 卒 の の 日
)
真 文 鼻 面得 外 父 べ 困 」
Ⅰ 4 ) 4
親憶 教学の因果性と 歴史性 すべ き 提題であるが、これ ど う 見るか、 又 それらにつ って明かに規定しているものである。 象 として、 又 後述の一階梯 抜 いて、所与の問題に触れておこう。 念の因縁果の倫の理関係ともがら 0 目的に解されるか、此岸 不思議に助げられ ま いらせ 他在的 異 標準的な善悪 観と 次第ではあるまいか。これ
この﹁者﹂は助詞で人を きいた、と。しかし、前六 ならば﹂と筆者自ら提議 理の因果関係は 、 件の無碍 次々に列挙されてある。 こ ﹁在る﹂と﹁成る﹂と﹁ 生 建 現の実存を求めるにおい あろう。 証するのは、後者の方としている。これは は 実に、日本教学の道統上、観鸞の教学の いてど う 見るべきか、を親鸞自らの文をも これに次いで、如上の因 と縁 と果の倫の として、 こュ に周知の門歎異抄 L の初めを その第一条の﹁本願を信ぜんには﹂とあ に 立つ句であるが故に、しかも前文にい う での仮定にも解するか、それとも第三に 、 て ﹂の 、 既に方向の一定した上での善悪 観 の 内外の二元的対立はは づ されて、他の因 と 同じ筆法は、同第七条の﹁念仏者は無碍 意味するものとは限らないから云々、とい 条 を受けての意味、しかも、この条項提示 し っュ 、すぐ﹁信心の行者には﹂云々 と受 の 一道なる諸現象が当の行者の上に現前 す れでもなお、 出 拠を問題とする例の解釈者 れる﹂との 対 概念の世界思想史圏を背景に ては、一層ハッキ つ して来るという 人 ぎで
﹂の場合、﹁
助 げら
る 因縁果の問題如何
のくらまさるべくも
度 経典の範囲内での
して我が親鸞教学に
信 因果、不
護 大乗﹂
は 味到しえない道理
たその因果観の記録
教養の為の通念とし
と 共に知る如く
、そ
の 引かれるものがあ
惟に
立脚した宗教で
複雑な概念であ
テレスの矛盾律に排
これらの間、縁
尊め
、その果は初より
困
く 6 Ⅰ 6親鸞教学の因果性と 歴史性 三
歴史性について
す ﹁ 浬盤経ヒ から、
頗る広汎に重々
無
あるに対して:人事
倶 なる因縁和合の関
醜名義人の如ぎか。
こ
う どは宵のうち﹂
めより媒酌人の善意
われ、子は鍵であり
に
詣に素質があり、
その不確定性に相補
に
浸らないであろう
Ⅹ カ O
過程において大きい問題であるばかりでなく、
史上の縁として、
ど
若干を前掲拙著に間
ある。
( ヴ )す し る て の 。 己 如 が が 実 " , む Ⅴ こ に 司 て わ せ 午 れ ん を ら と 閲
く 8 )
口 提婆しが
闇
。あふ弘誓
せられなば
、
莫れ。
こュ
に
﹂とを得たり。
り
。﹂
体験原理に感じ、延い
歴
その因果性と歴史性とを観じている。
二
二缶
住
ある。
とする。第二例は
、法
の 一 替 て愚かの
世 9 く 9 Ⅰ 見て、祖師により 信証二化 巻に、 身を 方便の真門を出でて って立つ時空とその 思惟をもって、総括 当 に長文の故に 、 要を拾って摘記すれば において何と観ずべきなのか。て に こ 挽 い た 実 し 場 始
終い偶の。
つの
花ぅく
"散て上
にい
" を 即今に転成元は 、﹁大乗 主 にも 値ぃが よろこ べ 。﹂と 親鸞は、かく
ま ﹂とある。
の 必然性確保
証 一等にし り
下げられて
、本来固定的に在る㎎
て 天運のめぐり来りⅢ
未来・現在の順序
即ち、﹁今日﹂とい
事 、 莫 。
不左結惚今
弟 で、過去の法 仏が
え 方である。 はより多く論理的
在サ いく千万年なり
親鸞とでは、その 立
親鸞教学の因果性と 歴史性
組は
づ そ ・ のて林者て
識而
把し、
くる
の で 性 悪 り こ が し 上 ぅ る" ヤブ 甲 一 が 遠 侍 観 し み 完 す 的 が 全 因 て め く 11 Ⅰ 11 Ⅰ
すノ
Ⅰその二重性を逓増しゆく。 こュ にも 亦、 親鸞の総 序 観を想起も 想到 し 、想到せざ るをえないのである。
あり、更に仏典に
に 表現する語を求め
史的現実において、
なる国体とその精華
というに至り、 そ
国の教主聖徳星、広
十三才の作百十四百
る 十一首の方にはそ
と 自称する仏者の作
いてか、この晩年製
始 あらしめるものと
と 相対応する彼の仏
信喝 L を代表とする三国七高僧の系譜であり、 他は、これと同じく
法統といい後者を血 脈と 称し ぅ るならば、この二種の系譜につぎ、
れをも跡付けうる。 (12)@ 12
に、 更に軽重乃至 木 の併 正対立の比論に
のか。これが利秋 を
だろうか。これに 関
子 和讃 L の形の中に 定性の問題 は、 何と
﹂などか ぅ 思惟が 、
ば 、この事実に対す
らるべきものであろ し 至って少ないとな
さねばならぬのか。
って遡源 し 且つ広く
0 間題を呼ぶ。 史 歴 果性
極に 大別して、 一は、修
こム に前者の聖道門と後仏
後者に属してその 徹
対 化して之を如来の
それ故に、これが 成
後代の第三考より 見
にかく見かく見られ
由 によって、在米所
逆 となっていたもの
とができる。これと
ぅ われら自身におい 求 に進み入らしめられざるをえないのである。
在ったものに依っ
らが何か既存の経の
って 、 我ら 仁 とって
知る。かくして彼此
なる彼自身の知見に
、この 基 出たる知見
たもの、と推定せざ
ば、 経の文面上の困
非歴史的のものか。 (14) U
事 のあるべからざる
界 において 又 真宗学
ぎ 当然の問題である
した人があったであ
の 如く答えたのであ
は 違 う 因果性に立っ
として日本人たるの
碇と しか 山脚した体験的
言 い 且 つ 言わねばな
なくて、日本人と日
諭 しておいた。しか 実践に由 撫 して 建現
とこれを主とした 歴
っていない。 史
すとする論者ありとすれ な 見方ではないか、とま
。なお 又 、その故に 、親
の 真に新な 述而 不作の組
せ考ぅべ ぎである。そし 15 (15)
行って 、 図らざる ひ
いえないであろうか。
を 提出する。
の 常なる廻向が如
を 貫くものが 彼 独自
れで、彼は、それを
の 直接する師法然の
を 伸張し 、 共に之を
国 のものなる一太子
て 共にその因果と歴
起 に対し、彼の生起
性 に適ふものという
の 樹立 建現 という 事
価されるべきであろ
いると見ない限りに
の 文献 誌に臆 して確定的であろう。
ち 、その教学が同
るとすれば如何、 と
歴史する時、 こュ に (16) 16
親騰 教学の因果性と 歴史 桂 サ て し の り
解威
す の い る い し は 更 能 う前れ
し " 2て措
えす得る
筋つもこの
"天に
で雰笘封
なかに
お。
対とと
啓とのそも又
る 0管御法
に 抽 づ 要 も と に 、 的 し ら る て 着 こ ア 我 と な り 二白虫て、
え と まⅠ 7 ( Ⅰ 7)
そ で の の 中 馴 の り 共 累 の 各 し 在 の に 受 ら
" こ も "
並べ
" あ 一 列 6 位 る 畢 と て 仏 れ に外 お ら 全 る 分 、 な る の
し貫
で ね 。 に場あ
的共 、 の 重 し 置 即 て て 合 ふ れ
以充 外在
化 て な に吉備
層 て 付 ち 明 わ な 位 に を実来
往 の 、 いし 義 神 で と 。 各 て を の 、 し が 派 」
白目
覚らの
件て
" 後 "のを
如 " ぬ る 史 学 中 て と な 学 に は 又 ほ と る で す 新 学。 、 の ィ 184 18親鸞教学の因果性と 歴史 桂
異性と歴史性の意義
れ 来らざるをえない
々の称呼の問題につ
に 依って、如上示唆
少の遅速はあれ、 日
ろ う 。 これについて、念のため、一言を添えよう。
に 広大普遍な事を
更に日本の仏教と
でなくて広いのであ
に 不可 離 にして一如
なるものである。 然
に 言わんとする餐を
るのみならず、しか
在を浅薄にするのみ
も 失わんとするもの
方 というべぎである。
しても、 亦 同じく然りである。
、親鸞自らがその
来 廻向﹂を 軸心 にし
歴史性に立って
、て達現したものがあ
和讃 し 特に﹁大子 和
ものは、親鸞以前に
の 因果性と歴史性に 作る因果性と歴史性
因果性と歴史性とを
て 二となる。その 一
二は、
右の教学に
学を通して古今一す
﹁親鸞教学﹂とする
日本学的見地に立っ 異なるべきである。 むね
は
、どうか。これ
べ ぎである。 五 親 鸞
教
学
の 性 格 の 若 干 Ⅰ ラ珪 し つ い て ( 幼 ) 20親憶 教学の因果性と 歴史 桂 だ そ 新 著 他 の む 代 た
教歴面
と を か ん て る 生上あ 以学
ぎのを
ろ水
親 な た 、 か教 そ え 一 に 学 か て 冊 ょ
るでおい
見親
こう如
分 の た 、 私 節 折 。 ポ 自伝え
鑑み所説、親
ると する お い 否、
力尽 三ロ に 判 鸞 を こ で て , ち い る 学 観 と ろ る こ の に あ と 聖 遍 」て
の 、 に 蓮 の 者 は 時 て 居 、 い 掲 こ 仁 安 口 場 の な ひこ 想
6
ォ出 来冬 的 。苦戦
こ 時 と の の
と 未 、 洲 行 て 伝 践 の 見 宗 と る
神れ
21 (21@
0 所在に関する研究
し 方から之を唯円 房
としてハ ツ 毒口や﹁耳ハ ツ
についての鑑定は 、 ろ うか 。
示教的態度を態度と
の 親鸞 学 と言いえ ょ
、宗乗構成に、こと
なのか。これにつげ
時 、はる
ム
Ⅰ命がげの 来 間者に対しての最後 のめ善言として、﹁ 詮ずた 棄てんとも、面々
は 、その後どうなの
どに対し、内外硬軟
斬 らしい。即ち 、神
これと対照的なもの
は むろん質問するこ
者として死刑に処せ
する誘引と防止の消
で、より自由な新教 (22 Ⅰ 22
0
ハカその中に無教
申下
来
のことで、今更
多
真の信教の自由のも
ぎ
なのか。日本学的
に
切実な課題でなければならない。
﹂とでなく、既に三
も
、それほ理由のあ
ることである。
一義的なるものにつ
所定教学といえば、
を
堅く閉ぢ
罷
めるばかり
面
と共に
、
持てる者には
親鸞の如く、空前絶後の
独自性と共にその因果性
23 <23 Ⅰ
ある。これは求道者
てこそ、本師源空とし
の 誠を致しっ 1 、 自
明かな事実である。
れば、﹁見、師と 斉 しきときは、師の半 徳 を減 ず 。見、師に過ぎて
解の上に、これを
表
であることであ
子 として 純 なる日本
するものである。
る 。これは見まが
るための内容的にし
ぅ までもない。学問
げ 以上に 、 真に学問
と 訓練を緊要とする
りである。
してその如き把握
には、恐らく﹁向上
質的には第一義的に (24 ) 24
親鸞教学の因果性と 歴史性 の 長 夫 る な し
に者に
で 引 て の し 徹 教 ぎ 臆 説 知 る て 、に対
あ き 7 L 消 た 到 生 麦 大 き 望 月 御 末くその
" の 太 従っっ
としり
" " 上げこ
"い息
てとこ
とす
ろ 徳 モ昔%1
り 皇 間 の 明 」 の 若 し 「 す と 蛮 声 来 五本性
"と語の件
用こ
" 心 易て姉
"来鸞
親く
一物
"如べ
い 転 精 っ、 に 転 ょ
(そ
よ 回ぶ
豪 て
と は、 " チ こ 忠 恕 ろ の や の 賜 ア 、 物 テ
日 た ハ 本 る メ 学 べ の
っ に 回 か つ と
しきこ
み " の 呼 そ 淵 に 亦 よ い に 然 に こ 一 私 を ん の 曲 円 は 質 だ 割 と 「 始 し 相 者 て 国 と の 25@ (25)この太子が我が国に仏教を容れて、物ま められた。かくの次第と見られているが、 てはどうか。これのその前の問題であると る 。後の問題は前の間 題 に比して、何かに 前者の前行基礎条件は、概言して、太子 定 されているもの、特に天照大御神との間 て 、 天 照す神の足あとを兄ん﹂とさたった 足 して、多くの角度から今日の学問をあげ かるべ き ものであろうか。知らまほしい 極 これに対し、親鸞前後のこれが問題とし 等 その他あらうが、親鸞以後の此の継承に たちにとって、どんな受け継ぎ方をしてい 更に、以上両者につき、約言して、神と 職と 僧侶の職別より起る面あると共に 、一 を 一つものに呼ぶ心情の一如 面 もある。 こ 媒 ﹂的なもの﹁ 媒辞 ﹂的なもの、更に﹁ 縁 か 。更に 又 、その歴史的なものの何かを、 相互に上述企図中に縁約諾 例 をもち ぅる で 私は、戦争時、神仏両者間の座談会など ﹂ れ をわが日本仏教たらし その前行基礎条件にっ い いるか、の後の問題があ 0 間頭である。 すれば、この始源として 想 っ もる木の葉をかぎわ け われら深く念願し広く 想 ナガリ は、どんな風に見付 みである。 間の系譜には前記の三高僧 なる列祖及び教学の継承者 るめ だ るぅか 。 藤 等の倫の関係として、 神 ﹁神仏分離﹂中なほ神仏 的なものとして、かの﹁ 触 て 擬し ぅ
るものがあろう
れらは、おぼろげながら、 あろう。 見て、その席で﹁神仏父母 (@26@)@ 26親鸞教学の因果性と 歴史性
親鸞教学内での思想
に 採り上げ言はん と
を 含めての、より 広 ぎ 一般的な学的形成についてのものである。
る ﹁和国の教主 聖 ・﹂を初め、近く﹁ 日 、奉讃するとすれば
題 に移して 以 って 、 はって、以後継承の如 各前後を連ねての
あり、しかも、以上 27 ( 幻 )
孝 頴 し
明
解 学 年 と , えの と 完 す 研 操 発 作 ダの 方 で 法 は は な
の Ⅰ
る た
及び
客間の
一し ,む 勾匹 て 理 み 学 よ 的 し 5 所
と 究 き 的 朋 佳 に 概 る 箪 す を くト る 紹 も 介 O 岸
のし
で、
あ 関 るあ そ
最
近
を
Ⅱ
圭 一』村
て
暢
清
(28)@ 28a も stract Dimension
しの
らの間は
はく
く て { る レの 事 の に
幻 ( 幻 ) { め を 一 の MA 的 学 む理 宗教, 寅 ' 8 行く。 る 。 として
訪れたが、すぐ合理 ぅ 見解である。これ っていった時、この人
維持され宣伝えはっ
年一 0
月三百とい
敗 とともに、この 運 動は急速に衰えをみせた。
に 晒された後に 、
しく前進するという 一見矛盾する事実である。 分析していこ う とする。 ておく。
制している。 又そ
は 非常に強い。しか
。一定の時が指定さ
もとで、信仰の熱情
勤 はこのような条件 とするのである。
諸点も多い。文相 /30) 30
最近の宗教心理学的研究の 一ニをめぐって
切れないのそこで 彼
克明なるし 曲 ︵のを 蒐 集 した。
る 。彼女は他の遊
生活を営み、社会で
あげるのは、一二月
予言がなされたからである。
の 前と後の集団 構
力の大部分を集中している。 先ず予言の非実現以前の日々についてみる。
するであろうし、
、信仰に導こ 3 とは
らの出来事に劇的な 形で現れている。
種 であった。そし
った 。︵この集団の多
来た。これは彼等に
よんで、多くの人々 %
の 態度は以上の如く 睡
解 詳
はか
は び 伝 ル ょ た 体 た が た で し 以 細 な え 処 以 、 え こ @ 3 。 か と 。 予 あ った 。 ﹂とが告げられ間以待 上待った 白の日の練習だっ
に 、その日、身
中人々は待っ
の 意味を理解し
た 。神はこの グ こ ヰハ 。 は 今や熱心な宣
は 新聞記者を呼
ぅ とした。人々 れた。
個々に彼等をむ の 0 の︶ リト の 痒 ちつ 0 Ⅰ︵ 人々についても な 各個調査がなされている。 に 彼の仕事を理 て 行く。 (32 Ⅰ 32
廿
Ⅰ
芭ヴ
。 臣曲
Hoq
Ⅱ
田
Ⅹ
せ浅
︶ 日
0 コ︵
程を彼は非常に重
が
多い。しかし、そこ
る
。そこでこれを
実
生活場面状況の復興
る
。これは次のよ
う
効果を観察し、測定しょ
よ
う
。
由
0 口の明確度は低下す
亡ワのトコ
の ト の
ぺ笘ふ笘ずミ
の
へ
椅せ
目ざ
匡
8
間の関係を不
究
必然的に単純化し、
又独
る
。
田 口で現象を切るのである。
日の口の
po
㏄の。臣の臣。の︵ ザ 0 。 ぺ吋 つぎ順次考察して 行 くヘ Ⅰ 0 33 [33 Ⅰ@ 、
田役
Theory卜は図一
コおたの㏄。
/ / b (Ⅰ。Test Test
Ver fication に る の 的 し な 突
具過料
つ に 屈 あ ダ ヱ ; まム ㏄ O る 関 。 連 そ な し ゴ ・ 器 し も
O Ⅰ て っ て ダ g か こ お
( 何 ) 34
最近の宗教心理学的研究の 一ニをめぐって
図 3
Dissonance@ reducing@ situation
Diasonance@ producing@ ・
Ⅰ tuation choice@ situation
Cognition@ A fo ヰ <Ced comp@lanc ビ situation communication Cognition@ B Ⅰ ltUatlon
主
0 コ
㌻
ユ
0q
︵動力因子︶として機能
するというのである。
︶という概念に対する。夫々の場
日揮
0 コのコ
R
を減じようとする方向に
の
総量が増せば、この力も増すのであ
える。②新しい
no
巳
0 口目︵
な
因子を
性を減ずる。﹂このような三方向をと
室
操作に
よ
り諸行動局面で実証されている。
め
数多くのものがあるが、彼は事象
い
う
ま日の口のざ
コ
でのみ問題として
行く。
UC
︶ 巨ぬづ
Ⅰ OCe
のの
る
源であり、その解消の為の場でも
ることはま
お
0 コ曲巳
な要素を増すこ
とみることを知ることはまのの
ヨる巨
する人の多いことは
no
コの
0 コい目
︵
な因
員
が反対する場合より
ョ
のの
0 口の
コ おの
35 く 35)の
ti@attra
ctive
強く 肋 いたことが示されている。 影 で 進められて行く。コ ce をつくっている
grou
attractive
前者の具体的操作は次の如くである。
岸 Ⅱ 0
び
山 めず
卜せ 六い
︶ O 臣
で
目下
図
4
も 高いことが予見され実証されている。
配
三のの S 三の実験をあげておく。
の 関係は
no
目の
0 コゅコ
︵
現実が否定出来ない
︵である。この場合
るが、信仰体系は信
に 生ずるり田のの
0 コ曲コ
0 の
れぅる
。
い口
︵
な 因子が多く
37
37
4
最近の宗教心理学的研究の 一ニをめぐって( 笘 ) 38 ない。諸事実を整 る 。この仕事の特徴 として、次の如き諸点があげられよ う 。 p*p を蒐集整理 叙 述 したことである。 っ たものである。 環境的諸因子などを
ま 日の コキ 0 口での切り 口は必順 条件と考えられている。
はいえ、そこで取扱われた メ シヤ運動の問題、 終末の場面の問題
こに 枕 くし冶の日︶ c の
長い困難な調査に 、
のの開明は彼等の秘 められた願いの一つであった。
はっきりたてて 具 域 では比較的欠けている諸点である。 いった ミ ・中お土のの仕事を観察する。 て
目
で最も宗教的なものの
39あり、反対するり
曲 ︵
笘
と
%
古木
員は非常に貧しいものがる
。
次のように答えて行く。
、
同じもの、上ったもの
臣 。 こ 00 由ト 0 田田 ゲ 0 。ⅠⅡ ゑび 彼の宗教の類型 分 げについて述べる。 a ヰ ㍉屈の︵Ⅰりオ。 コ丑ザ 0 。ⅠⅡ 性的な場面、病死ザ のの田のの構成が可能 ポ である。
ある。ことが つぉまユさ は 正中層よりより宗教的 を 23 としたのである。 取りあげている。 干の宗教に関する
作 としては、目の 0q Ⅱ
範囲と度合を決定し
n ぬ ㏄
姥 ㎎㏄
佃弼
enA
l
ekiy
iona
OS
m
Wefess
ro
ro
p r I,
o w pu
ば勿
el114ekiy@A
iddle
am's@ press
weM
e,
図 6 年会と宗教活動の 変化
旧 20 30 40 50 60 70 ㏄ ㏄
未婚者の方が既婚者
A
の
出
㏄
U
Ⅱ
th
s C Ga .
㏄Ⅶ
瓦
1 2 34
あることなどがある。 て 、第二次大戦の兵 つ れての来世の確信の コの c 田の宮のが多くの 宜 ののの 臣ぎ 0 コ ︶との如きがある。 人 が性的行動の少 ぃ 士 の 調 増加、 身体障 こと、 査 結果、図五の如き 又 病気に関連した家 書者を含んでいるこ (40) 如
日 Ⅱ目の計Ⅱ
笘日ト
0 コ卜
さ コ
0 Ⅰ
テスト結果に於て
実
のである。
どもこれを支持するり
曲 ︵ 曲
全的学習
仁
よって
例
をあげるまでもな
しての研究結果など
い の錘か
。
り ar
﹁曲目
トゆ印
S
ぐ
C
六し 。
コ 小田
ざ ︵︵
才 00
Ⅱ せ
め
ハ イロ
bp 田 O
︵に
甚
くとするも
Ⅱ ハ リ
とが予見される。
一つの変数が高
い
相関をも
古本
萌 することが出来る のが多 い 。 であげられているの 自殺率の高さ 、因 め セの 如 き 個人的祈りの姿などはこれを支える。 要 性を認めている。 社会心理的 ト 0 せ ム での 目っ 0
︶
0 ぬせ 老 ee enance
cs より弱く、非宗教的 る 一九 00 年 よりu838 公的 礼 老
小数集 り 多い。性的活動は低い。総ての階層を含ん でいる ms 早く ょ 9 行われ、 青 ヰとミ リⅠⅠ p 年期の回、心は少 い
。
w h 卜引 臣帥Ⅰ
0 内申 ゴ 。 コ巴ノ㏄
こ㏄㎞㎡
f は 比較的少 く 、個人の祈りは多い。 罪 と悔 改 め な人々より強い。二五 %? 五 0 膠 女子が多い。最近の宗教心理学的研究の 一ニをめぐって
めの手の 0 目及び学習の手の 0 目である。
的 傾向は強い。②
級 多く、比較的教育 程度は低い。女子が五五 % | ﹄ 00 多多い。
る士アの 0 円吋はオ目 ㏄︵ qp ヱ O 口さア の 0q せ 。罪のめる めに関する︵才の 0q 隠
コヱ の コ の 臣 Ⅰ 目 0 目Ⅰ︶
。 罪 と悔改めの考え
はいえ、神と来るべ
︶の。七匹 に 興味がも
く 、偏見も少 い 。女子が二五 % 多い。
い 0 このような 点
理 的関心は強い。
は 彼自身が云 う如
の 有効性もこの範囲
眼 内でのものにすぎ
月性と適用範囲は 、
。その結果幾つかの
の 結果が取り出され 43 ( 穏 )
るだけでなく、宗教 何
個の ︵ ヰ 00 屯によっ 岨
もより広範な宗教 規
ない。なお、著者も
く 規制している因子であると考えている。
と 手の 0 ﹁せの取扱い 0 間 題 があげられる。 a
統計的方法
研究操作が進めら れている。
式 、 X その関係の
ことが出来ろと考え ているのである。
には種々の問題が
分 には取扱い得ない
り 出すのには充分で
遣 すじで同じ現象が
ぎ 方によって取り出
しているのである。
最近の宗教心理学的研究の 一 解 へ が を 彼 の い 上 て 教 い の
合
究 つ ほ の
。ⅡⅡ
(
ザ
0
ことの 出 み 変 ら 数 を 来 ね め 使 な た 関 用 い如係
し 複 な 離 げ な れ 現の を ば 象 な で ら あ な る
い と と の ∼ コ ざ り . 実 は し 見 呂 や可 45 (45)
るのか③性的活動度
があるのかを決定することは困難である。
的な人
識
体系に墓
く
想定
この方向性を決定して行こ
う
とする。
料の補充が要求され
る
事も多い。
人々は社会の上層の人々
@
である。実験に ょ
調査などの場合には
の 教えの結果低い
内トⅢ 雛 目 沖 呂 00 ヨ仁ま np ︵ ぃ 0 コ 0 沖酬 爾温き却呂 下 Ⅰ 巾 Ⅰ Ⅱ 目 O の 鹸 吟 一 一 一 楕 な 円 お は 文 次 イヒ ヰこ 犠の の ) コ 諸 元 局 の Ⅰ㊦ 輌 吟 むざ
の場
勿論 ナは 目
使 う。 義 上 区 分 イヒ し て 図 化 し
な 説明とち qm ま 0 ︵ ぃ 0 コ 内でも数個の︵ ザの 0 ﹁Ⅱ
たものが多く含まれ って行く。 ィ 46 Ⅰ 46
てみよう。ここで ハの 指摘をなすに止める。 くて、その研究 操 ばならない。 本 ︶作業仮説の設定、事 なさるべ き ことは言 うま 狭い抽象断面で事象を切 ほめる為に必要な一つの条件である。 ヨ窩ぎ 三目と関連し 、全 難 を伴 うが 、その研究 操 純化への傾向は
、
更に、
47 (47)合チ
の 0モは
文化の諸領域をよぎ ている形である。彼の興味の中心 は い塞 ㍉コ円 ロの を ハリ 0 屯六 Ⅱりみが ン Ⅰ @ Ⅱ 六 レ ﹂れらがその予見性の強さを領域、これが宗教現象全体を分 つも の 領域は 1 ⅡⅢの領域に割り込ん るものである。そして宗教現象の領 は出来るだけ多くの領域をよぎる ような諸領域をよぎる傾向をもち、 によって異にし宗教現象の領域が四 のでないことは先述の如くである でいなければならない。
宗教現象は時空的
なされている。
て 、狭義の古木
教
を 、宗教史は宗教
誌
そ
う
簡単ではない。
で、可能なる限り広
来
らねばならない。
ぅ
ものもある。著者も
もこれらの諸口のせ
苫
と 努力している。
んとしている狭義
変数の単純化をめぐ
ある。
さと、その特殊の在
事実のみを取扱って
ての意味をもって
い
ィ 48) 48最近の宗教心理学的研究の 一ニをめぐって
臣 " ノ ロロ e Ⅰ苗色目の 田 日の目汁︶
せを立てて進めらる
して不可能ではない と 思っている。
とする。 49@ 149) 形をとる場合には、このように
して、従来屡々宗教の定義と を 加えていったが、この点は特
類型構成をなさねばならなか ︵ ゴ no モ をたてて研究を進めることも してあげられて 釆 たものを取りあげ、 に 往日を要する。しかして、現象の複 った 。このことは宗教現象の全領域に
方は宗教学の領域
確かであるが、宗教 が 必要である。この
の 現象的Ⅰの せ 匹の事
示教現象の解釈分析は不可能である。
心的意味を置いてい
をなして行くという 形 ね 、その証明が続く限
とるのである。
影響が問題にされるのか、第二には、何故、
今日かくも
力
ルヴィ
し
、著者は神学者で
コ倖りペ 。円ののの 0 Ⅰの。 片 つは、何故、我国 プ ㈹清教徒精神 一 、問題の提出 @@ 伝道の動機 円 二 、カルヴィニズムによる 護教 精神 三 、世界伝道の先駆者 ㈲伝道様式の展開過程 一 、伝道の動機㈲ 二 、現実にめきめて㈹清教徒精神
一、問題の提出
|
伝道の動機
( 一汁東亜伝道と清教徒
精
申
子
して|
富
二夫
井門
( 印 ) M東亜伝道と清教徒精神 間 に答えることによって 、
内村鑑三、新島襄等々の
倫理であり、それは後に一
前述の宣教師が疑問に感
如く、むしろ純然たる敬虔
て 、清教徒の木場である 東
国の研究者が、一部の代表
足しきれなかったのも 当
迄に 定説となった感が
学説を支持する方向に於て
る 。
伝えられるウイリアムズ
﹂こに二度と 繰 返す必要は
章 と共に始まる。
ド ヴァーの物語にかえ
0 六年のある日、集った 若
導者として、幾日も熱心に
かという具体的問題になる
さってゆくのであった。﹂ ? ︶ ・ タウ ソに於ける一群の学生の回心事情に ない。アメリカ ソ ・ボードに関する如何な る 必要がある。そして、遂には、 ゥ イリア ぃ 学生の群に目をやる必要がある。彼等は 神の目の届かぬ暗黒のアジア大陸について や 、やればかならず出来る 穴毛の ca 口 。 ヰ ある程度、第二の質間仁も答えることにな 先覚者により、米国より我国に植えられた 般 庶民に、﹁道徳では ヤソ に頭を下げる﹂︵ 1 ︶ じたよ う に、伝道開始当時は、その伝道 動 主義、乃至は基督教本来の伝道第一主義に 部 海岸地区の出身ではなかったのである。 的 指導者を類型的に把握して、我国プロテ 然 である。 あるこの清教徒精神に関する学説をくつが 、伝道開始当時の先駆者の伝道動機を解明 51 (51)
を 生み出したその
であったか。
斯様な論文の一致
発 前夜であり、西部
た 、社会 百 組織の時 代 であったということである。
ち 戦乱の記憶はさ
さに社会解体という べき時に、外国伝道運動が出発した。﹂ ハ 4 。
P
社会状況に対
し つっあり、その神
アナ p ギ ーに流されがちであった。
大に於ける 二ュ|
に 走るかを決める 時
コ ㏄ 臼 ︵ す 。Ⅱ︵ 0 のずⅠ トの 円山の戸田田 阿 。Ⅰ片コ小山色色 由円
0 の 日 o0q
ごこへと
岸の,し 0 ロ Ⅰ・ 由 0. チぎ , には一種の真空地帯の中に生きていた。0 口 憐の ︶ 由 npp ノ ミ 笘礎笘ヴ く 52) 52
東亜伝道と清教徒精神 ぎ のの一八 0 一年の正月号はこう記述する。
い た尊敬すべき 古
った 。古き世代の知
この雑誌の現在の編
死につくため学ぶの
が 至りつくために、 ︵ 6 ︶
る 直接資料でなくてなんであろうか。
神聖政治を復活さ
その希望はむしろ﹁神聖政治の終末論的形成﹂ に 変化していった。
抽象的神の国建設の
義 ﹂に対して、歴史的
っていった &? ︶
の上では、所謂
アイア ヘ 、異教徒の
する清教徒精神を異
因は 、後述する迄も
そして英国に始 っ
には、こうした展開 53 (53)
0
ヨ
Ⅰ。 弓ヨミ ・ ロ ︶の ヴ 。。 几 ロが 若人の夢をそそり、その情熱を駆りたてた。 それは﹁イェスの愛に ︵・Ⅱ︶ 学的背景は、こうした 二、カルヴィニズムによる
護教精神
実を誰も否定しな 屡々 表 われた、 カァ
ものとみるのも可能ではないか。
もあった。
にとれば﹁基督者は倫
て 、庶民から尊敬されていた 0 ﹂ 鱒 Z0 日 ズ , 之 0 日笘 0 吊り曲㌧ 曲コ @ Ⅰ ︵ ノ Ⅱの二杯ハ目のⅠ 卸 ︶ ロ ・ りべ
︵ す 。目凹Ⅹ せ曲コ ㏄︶ o 再 c ヰ
れたい。
口 opn 己 Ⅰ , P Ⅱ
づ ・ いトベ| い目 ゆ
笘ガの臣 ︶ 再 ㏄ ド 臣の 0 再 ・ 臣 ㏄ 0 ヱ 0 屈ダニつ ・ レ
曲 コロ 笘 ︵︶ 、 ︶㏄ 口 ︶・ ノ ﹁の一一・︶・ロワ・ N か ︶ 1 ㎏の。
, の す のⅠ打目 室 ク艦
代 思想史研究﹂内村鑑三の項参照の て印 ] 54
東亜伝道と清教徒精神 さ ぅ 接 も る る ほ の 音 也 の い 在 し ナ, し ノン ヴ
ン 正 統 ヤン 甲 @ そ、 む し か る 入 の の 士 且 ボ ヱ
ら ド @ の
る 主 概 要 念 人 と な か ナ, Ⅰ ナ, Ⅰ 多 ろ @ @ の
55 Ⅰ 55) ︵ 60 ノ
ホプキ ソ ジアンの 勾ト のの 0 め は、神の る欧州 宣 彼自身が ユ ー・ イ 受 げし事業 -2 ︶ 用ぬ 0
しとす
ルス ブリー われた ニ 必ずしも、ハレ | 学派にみられるよ う に欧州 的敬虔主義
る る バ で 般 に ド モ こ れ る ヴ た も 彼
たのである。
義 にも乾燥趣味に
神学的根拠を与 え
であった。 新 ディ
二ズム を適応させ
3 日。品等が名を連
が 属していたが、
。そこここに、
︶に傾いていた。
全体の大勢もまさ
な 宗教的堕落が﹄
中心はさらに健全 Ⅰ 7 ︶
|白
・ ヱヒョ吝お しは記述する。の 必要上、リバイ
強調することであ
中から生まれてく のである。
ソド ヴァー神学校 (56) 56
東亜伝道と清教徒精神
評して次のように 述 べている。
ソジァソとカルヴ
うのは困ったもの
に 、かくも邪魔立て
る ︵ H 日で岸 *pH ざ目イン 却ひ Ⅱ
出された意見の相違 Ⅰ 8 ︶ にほかならない ビ
者は、両派を合同
の 第一陣に立った ウ
教
派内存在という
しく含まれる神の意 - 騰 ︶
点を特に強調する、﹂ にすぎないという。
方向にむいていっ ︵Ⅱ -
聖書に墓ろく宗教﹂
響 というよりはむ
等の記事に ょ れば、 57 (57)
る 。しかし、ホプキ ︵ 蛇 ︶
かかわらず、伝道会 派 との﹁合同﹂、そし したのである。
機 となって 、 既に
現することになったか。
を 神聖政治にひ き
メリカ ソ ・ボードを よ う 。 ︵ 穏 ︶
となり、合同を押
告 する一方、古 い神
なず 、一日一日と 拡
としての世界神聖 政
ことを 報 と目するので
ら 生れたイデオロギ 一 とみなすべぎであろうか。 しかし私が述べた 新 らしい姿への予言の から消えさった︶。 カデミ 一 が創立され、
フン ド の外でもⅠ ( 腱 ) 58
東亜伝道と清教徒精神
新開地や、外国への
るのである。請願書
う に述べている。
功の夢を与え、
又
を 検討した上で、
彼
59 (59)
紙
に記述されて
ぃ
︵Ⅳ︶ ヰ ハこ O
一
其体案の相談にか
アメリカ
ソ
・ボードの出発であった。
直接原因として、次の三要素が浮かんでくる。
、
或は再生される
の 推進者と受取られ
力の中から、広がる
フ
心の形で表われる。
。この点では︵ホ
ブ
︵ 毬 ︶
師
養成がこの方針の
によって受継がれた
(60) 60東亜伝道と清教徒精神 が
べの
協 「 村 の て 文 帝 は ろ に いっが
事 。 船 る て 、 こ 実耳 学 メ の ら " 派
、 響 る の 倫 こ は を 伐 期
特 殊 を の 大 理 と 、 う に 宣 か 要 と ん し ヴ も さ 述 だ て な
61 (61)
導者も意識していたのではないか。
任 感にある。 又そ の プライドにある。
教徒、又フロンティ
る 新 英 州の住民は 、
音的精神が 、 若かせ 召命感 宙 ︵ 0 中ののの 曲 。 こ
りと先駆者精神は 次のような言葉になって表われる。
又 等しく、基督教
ものはまことに少な
からこれ迄の文明 や
剥奪されるとするな もは 、一体何が人間に残こされるというのか。
た 土地が、迷信 と堕
ない者がいようか。 増加傾向について 考 えてみようではないか。﹂
それなしには考え [62 Ⅰ 62
東亜伝道
Ⅰ 0 Ⅱ 0%
富ト のの ざコ 斡にのを︵ ザ円 精 、この選民感を養成した られなかった。 の他の国
て 、この 伝 荷は 、この
をもっもの れて来た。
とみたら、 ︵ れ ︶ 々を 侮 るようになるだろう。﹂
は、ァソ
皇政治のた っている。
た 世俗 主
が 、彼等の
響を与えた 々に較べ 遺 計画を 国に 掩 い である。 しかし、 人々は 我 グロ・ サ めの 斬 ら 義に対抗 誇りをつ かは云 う 63 (63)
三世界伝道の先駆者
の 、イェ ︶コト日の円お a. Ⅰ ︵ 3 ︶ンント・リント・の セく のの︵ @ 、、田内。 づ巴い の ヨぎやヨ のⅠ ざの :口 ㏄ ぃコ のロココの りヱ 。 由て ・ ,づ ・の 01 の︶ ︵ 5 ︶目ハ 0 ︶一の﹁ @ い す い &, づ ・の 曲
二曲一の オ由 Ⅰ ゎア のの︶コン目の コ ののⅠ・で つ ・㏄ づ 0 1㏄㏄︶
ヱ仁 ヨロ ア Ⅱの セ
か 目印
0 一 0 幅ぜ ︶む戸ロⅠ。せの 弓円オ 00 ︶ 0 幅 ︶の曲︵のの 日 ∼目のⅡ せ
c 幅ざ曲ド のの す 00 て, Ⅰ・の ト ーのの ︵Ⅱ︶ P. とく 00 隼の いいま隼 。 つ ・の㏄ ︵は︶﹁・メモ oop の ぃヒ汀乙 , っ ・ か ㏄
の 0 ゲく 0 一 ・︶甲のか︶ ︵ u ︶の・⑧・ プ円 Ⅰ︶㏄ 0 ︶ 、く 0 一 ・ト ロ ・めか 印 ⑬︶ ア韻 。。 年
ニま兵ゃ
駐 ︵ 托 ︶ P. メモ 00& ニぎ乙、づ ・かか目い oa 乙 , で b. ㏄ 1 ㏄
o 田 行 ︶ 家 永三郎、﹁日本近代思想史の研究﹂内村の項
目 ︵︶Ⅰ ノ巴トの ㎡ v ㌧ 口 ・ め ㍉ l ㎏の
のの︵ 0 ︵ ア のの ア Ⅱ ずユ麓コ ㌧ けヴ一 Ⅰ の ス への 愛 Ⅰ く臼 ・︶ 0. く 64) 64
東亜伝道と清教徒精神 神 地 れ た 現
彼の
時 々見業
( た 角 機する
の。
悪は
の、
造 を 希 々 よ の 々 美 里 に り 地 に 事 を 課 故 上 実俗 は 人 に お ョ 主 遂 を ひ わ ハ 義 に 葬 ら れ ネ に 来 ( が て は 応 の こ ち し ぅ 情 と る よ ち 緒 で 。 5 %
と し び 末 さ と
み 、 わ っ
こ視
と 模るに日の
こみ ヂ時
65 (65)れて来たあの神の 主なる業である。
の 究極となるもの なるものである。
、アメリカ ソ ・ ボ一
観察されるもので㏄
ぅて 、むしろその 他
る 伝道先駆者達の生
というべきものであ
ない。その意味に 於
少 期に於て 、 互に共 明かになる。例えば、 めていた。︵中略︶ @3 をみても同様なことが観察されよ う 。
たるものであった。﹂ 的 性格に於ても、 ま ﹂ 多くの宣教師の家庭 ︵中略︶教区に於て 、 清教徒であり、 ヵ 会 にしられた人物 敬 の 情 ともい うべ ︵ 仏 @@
な 人物が生まれて来たか。
東亜伝道と清教徒精神
機会に恵まれてい
むしろ、聖書字句の
、児童の心理的重荷
年齢なりの問題解決 にせ まられて、
ることを嘆いて、 自己を責めるに至るグループと、
と 、自己の経験中
迫の方法である。 し
こうして両親から 与 えられた心理的重荷は表面から隠れていても、
状況となって表れ易 ︵ 6 ︶
したぺ の コ 伍の コロ の お
ぬめ 成行であろう。
ソ 派の指導者の 一
る 。
れた。若人達は毎
らしてみ ,ぇ 、指導 条
︵中略︶ 67 (67)
だという弁明の中
度 で、自らは神に対
、 更に自己が罪深く /7 ︶
てしまうよ う になり出す。﹂
心理的圧迫から 始
のコ 由の。小曲コレ 目 ㏄ⅠⅩ
者が、﹁神の手に喜ん
づ げた。即ち 、 逆に
と 正比例するからである。 ︵ 允 Ⅰ /
ている。カルサイ
れて逃路をふさがれ
派の論陣をはって い
即ち、何等かの解放
争の間に、回心動機の
は 自己愛︵のの トめ ・︶ 0 せ %
どの影響が歴然と
成長していたとは 決
いはない。彼の伝記 (68) 68
東亜伝道と清教徒精神
通教
とよ 、 る る こ ぅ 当 超 、 の
@
土塁
ち、
千恵
ル さ 』 」 世 ・ ぃ 連 が 代 二 た の 、 のェ と ヴ ヮ 観 ル 論 イ l 食 じ 二 ズ か
G
え ズ の ら 呂 。 巌 下 放
69 (69) ほかには、捷二ミ 目
えられないと云って
まれて 釆 たような人
日朗 十 Ⅰせていたので の 完成が急がれて ぃ 異 った 斬 らしい世代 が 生れていた。
のナミ まの,はこの事情を 、 そして回心事実が、そのまま伝道 う に述べている。
役割を果すため
いは以上に、ブレイ
練を 5 けたという 事
ととなった アソドヴ
根拠を与えたのも事実である。
形で、回心に至る
、こうした場合に
例えば、ジ ャ ドソン 毎倖 。 田 S 日吉住 め 0 しの場合である。
やまなかった。 又
、この野心こそ後に -B ︶
﹂
の 為に善をなさん
幼少期のジ ャドソソ
をどうしてよいか 理
下 にあった。 ェドヮ
若いアドニラムは こ ︵Ⅱ /
ソ 大学を卒業する。
それが父祖を継ぐ
。彼の解体期の人心 - 廿 ︶
めに :・・﹂という 声
。故に偶伏の機会さ け 0) 70
しての意義があるのでないか。
たい。その意味で
危機銃
の
エネルギーの方
観察されねばならない。
清
にトつ の出でて・は㏄
・Ⅰ㌧・
1 いの
い か
1
亜
窄まⅠ
@
ツ mW ぃ
O 口モ,日
W
目
-
Ⅰ ソ ,
01
︶。
東
71 (7;1 Ⅰ伝記筆者は彼の心中
遂げる経過を述べ・
、
神学であったか論じ
。この
タノ
Ⅱリ ア
の主日
新
英
刑人としての
誇
ニューヨークに出入
タソ
は常に世界の知的開拓の先駆者であった﹂
という
コ不
チカット
Ⅹ。 し
世代が一つの
斬
らし
、拡大するアメリカ
その点に、先駆者と
ら、 ァヒ、一 Ⅴ 争が、
されたのち
盾 に関する論
全く異 る 文化 ︵ 8 ︶ レ 江口 い Ⅰ・㏄㏄
, 旨の ヨ oT o ︵の , ︶・ 目目の ・ , 。 つ ・ の ︵ 騰 ︶の・ ぽ ︵田内 ぃぎ田 ・㌧ セ ・ 01 ︶。 ︵Ⅱ︶ P. ヒぺ 00 伍の いい 江口, b. ︶の べ
0% セ 0 。 臣 二のの 旺 0 色名臣プチのの。の︶の 圧ゼ這 @ ㌧ つ ・の 印1 のの ︵㎎︶ し ・︶ 屈由の 0 口い ざ乙 、づ ・ N ︵ M ︶Ⅱ・ q6 色 の 0 口い ざ 田、づ ・︶。
︵ 巧 ︶ 口 ・︶目ロ の 0 コい い ヴ レ色・ b. 。
と 文化的優越の ︵ 托 ︶ ト叫 ・ ロ 0 名ぎり ざ日、つ っ・︶ 0. コ
㈲伝道様式の展開過程
Ⅰ伝道の動機㈲
|
動機の変化
|
徒の選民意識﹂ の拡 上か ︵ 7 ︶
せ つ ・ め田 l め ㏄
,づ b. い ー㏄
0 Ⅱの 寺
日 。