研究ノート
日 本 の 対 外 経 済 協 力 の ﹁ 経 済 学 ﹂ に つ い て
清 水 嘉 治
71
一問題の所在
一一日本の対外経済協力の﹁経済学﹂とは
ω南北問題の現状の経済学とは
ω日本の経済協力の﹁経済学﹂
㈹﹁経済協力﹂の政策問題
ω経済協力の﹁経済学﹂とはなにか
三経済協力の﹁総合政策﹂の三つの型について
ω産油国援助型ーイランの場合
②中進国援助型ーブラジルの場合
偶最貧国援助型iーモザソピーク(アフリカ)の場合
四世界経済における市民型経済発展の論理‑世界市民の経済
学の構築にむけてf
一問題の所在
世界経済の危機といっても︑かなり莫然とした表現である︒
危機の内容を明らかにしないかぎり︑危機は祉会科学者のフィ ーリソグな炎現に終ってしまうおそれがある︒
世界経済の危機の内容については︑再三︑他の機会に言及し
てきた︒いまそのひとつの大きな問題は︑南北問題であろう︒
しうまでもなく南北間題は︑先進国と発展途上国の経済格差を
どのように解消するかにあった︒すでに一九八C年代に入って︑
日本の通産省は﹃経済協力の現状と聞題点﹄において︑アメリカなどが経済協力において消極的姿勢を示す中で︑﹁わが国にと
ってなぜ経済協力が必要なのか﹂という援助の思想を問い直し︑
"資源小国〃"通商国家μとしての発展途上国への依存度の高い日本として︑途上国への経済協力は必要不可欠であるという立
場を示したL一九八一年版の﹃経済協力白書﹄において︑日本
が行うべき経済協力重点分野として途上国の中小企業の振興︑
製品輸働の開発.拡大︑農村︑農業開発などの五分野であると提
案した︒もちろんこうした五分野の背景︑関連性についてはふ
商 経 論 叢 第20巻 第2号 72
れていない︒ただ一九八一年版の﹃経済協力白書﹄にみられる
特徴は︑﹁南北問題﹂の反省から経済協力の重要性を強調したこ
と︑経済協力のあり方︑経済協力の評価︑主要国の経済協力政
策などを抽象的に示した点にあろう︒この点は︑八二年︑八三
年の﹃経済協力白書﹄の理念にも貫らぬかれている︒ではこう
した﹁経済協力﹂の﹁経済学﹂は︑改めて︑いかなる本質的意
味をもっているのかについて︑検討してみたいとおもう︒
というのは︑世界経済の再編成にあたって︑先進国の﹁経済
協力﹂方式が︑途上国の経済自立と発展に役立っているのかど
うなのか︒この点の視点なしに︑経済協力の問題は主体的意味
をもたないであろう︒八〇年代になって︑従来の南北問題への
反省とその主体的解決のために開かれたのが﹁南々会議﹂で
あった︒一九八二年二月二十二日から四日間にわたって︑非同
盟主義の旗手といわれるイソドが主催し︑参加国はアルジェリ
ア︑バソグラデシェ︑ユーゴ︑中国︑キューバ︑エジプト︑イソ
ドネシア︑イラク︑クウェート︑ブラジル︑アルゼソチソ︑アラブ
首長国連邦など三十四か国が参加した︒この会議で地域的経済
協力をどうするか︒先進国での﹁南北問題﹂へのアプローチは
本物かどうか︑﹁南南﹂の連帯をどうするかなどが議論された︒
とくに途上国の地域的経済協力の問題︑とくに東南アジア諸
国連合(ASEAN)間の石油︑食糧の緊急融通制度や共同プロ
ジェクト建設︑債務累積問題の解決のための地域協力︑地域的
南北協力を通じての途上国経済の救済を図っていくという﹁南
南問題﹂の相互協力関係の中での南北問題を解決するという問 題意識に貫ぬかれていたのである︒この問題意識は︑今日でも
依然として南北問題解決へのひとつの有力なアプローチである︒
この﹁南南﹂問題の理念を踏まえた南北問題の解決へのアブ
ローチこそ︑先進国と途上国との﹁相互依存﹂の﹁経済学﹂の
新しい方向であると考えなければならない︒そうだとすれば︑
従来の日本の経済協力の﹁経済哲学﹂を見直す必要があるので
はないかと考える︒
本稿では︑以上の視点から︑まず︑この数年間において︑日
本の政府︑通産省の南北問題︑とくに日本の対外経済協力関係
に関する考え方を検討してみたい︒次に︑現実に︑日本の対外
経済協力の主要な動態を通じて︑日本の対外経済協力の理念︑
経済学は︑どうなっているのかを論じてみたい︒もちろん︑そ
のことは︑最近︑通産省ならびに外務省が︑国家戦略危⁝機のな
かで︑なぜ︑﹁経済協力関係﹂支出拡大策をはかっているのか︑
その本質と動向もあわせて検討してみたい︒のみならず︑今後
日本の対外経済協力関係は︑どのようにあるべきかの哲学を踏
えた経済学の論理を示してみたいとおもう︒
以下︑本研究ノートで試論的に検討してみよう︒
二日本の対外経済協力の﹁経済学﹂とは
ω南北問題の現状の経済学とは
﹁南北問題﹂が依然として現代世界経済における主要なテー
マであることには誰れもが異存ないであろう︒
﹃世界年次報告﹄(一九八二年)によると︑﹁一九七〇年から八
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○年の国民総生産の実質成長率は先進国五・八%に対して︑発
展途上国三・三%であり︑八一年には︑二・二%対一・二%で
あり︑さらに途上国の経常収支の悪字も深刻化し︑非産油発展
途上国の赤字幅は︑八二年には七四〇億ドルへと拡大した︒と
くに発展途上国の債務累積高は︑八一年には四︑四五〇億ドル
であり債務返済額の現状をみると︑一︑九三〇億ドルで︑その
うち元本が六〇八億ドル︑利子が四八五億ドルであり︑この時
点の発展途上国は︑成長の鈍化︑貿易構造の低迷︑経常収支の
悪化︑債務累積の恒常的拡大に直面している﹂という︒
もちろん先進国も世界不況の中で︑財政赤字︑成長率鈍化︑
貿易の縮小︑失業率増大︑所得格差の拡大などに直面している︒
だが全体としてみると︑世界経済は︑景気回復過程の中で︑
低迷状態にあるといえるであろう︒
したがって︑世界経済の変革をどうすぺきかは︑今後の世界
経済学の研究にとってエンドレスな課題となるであろう︒もち
ろんIMF(国際通貨基金)・世界銀行の年次総会(一九八四年九
月二+四日)でも︑例・兄ば︑先進国の高金利が債務国の負担を重
くし︑相対的に金利の低い国の金融政策を制約する︒したがっ
て先進国の金利水準の引き下げ︑金利差を縮小していくべきで
あろうと指摘している︒これは︑西欧︑日本の立場から︑アメリ
カの高金利政策への批判でもある︒さらに世界経済発展の障壁
になっている保護主義を撤廃するための新ラゥソド(多角的貿
易交渉)についての早期合意を期待しているというのである︒
この犠牲を最大限に蒙ったのは︑発展途上国である︒この途上 国の経済自立の視点なしに世界経済の改革は不可能であろう︒
またIMFと世界銀行の合同年次総会(一九八四年)では︑累積
債務問題については︑即効的万能の解決策をもたず︑今後とも
個別的にケース・パイ・ケースで対応していく必要があるとい
う︒その際重要なことは︑﹁債務国の調整努力や先進園の持続的
成長︑金利の低下︑市場開放︑債務繰り延べなどによる当面の
債務負担の軽減であろう﹂とのべ︑また︑﹁サハラ砂漠以南の
アフリカは十年来の干ばつで︑食糧援助を含めた緊急支援︑根
本的な経済再建のための長期的︑多面的戦略が不可欠である﹂
(﹃日本経済新聞﹄一九八四・九・二五)というのである︒
サハラ砂漠以南のアフリカへの援助は︑いまこそ先進国共通
の課題である︒この点は︑いずれアフリカ問題とはなにかで展
開したい︒ところで︑経済協力の﹁経済学﹂は︑先進国の資本
と権力の論理で構成されてはならない︒先進国は﹁累積債務問
題﹂については︑﹁即効的解決策﹂がないという形で︑﹁逃げ﹂
の姿勢である︒どのように具体的に解決するかの経済学をもつ
べきではないか︒
OECDは︑七〇年代の初めに九〇〇億ドル︑七五年には}︑
八〇〇億ドル.八〇年には四︑六五〇憶ドル︑八二年未には︑
六︑二六〇億ドルと増大している︒まえにふれたように︑非産
油発展途上国にとって︑当面の重い負担は︑債務返済額であり︑
まるでサラ金に金をかりているようなものである︒この返済額
は︑債務残高の増加ペースより早いテンポである︒一九八〇年
から八二年までの債務残高増加率は︑年一六%であるが︑その
商 経 論 叢 第20巻 第2号 74
返済額は︑約二三%増であり︑すでに八二年度で︑一︑四〇〇億
ドルに達している︒こうした原因は多様性をもっているが︑な
んといっても第一次石油危機以降深刻化した︒というのは﹁産
油国は例外として︑先進国のみならず︑発展途上国は︑おしな
べて国際収支赤字を計上した︒とくに︑先進国から工業開発の
ために借金したOPEC加盟国であるベネズェラ︑アルジェリ
ア︑イラン︑サウジアラビア︑インドネシア︑ナイジェリアの
六か国︑それにメキシコ︑エジプト︑ペルーの石油の純輸出国︑
そのほかにブラジル︑スペイソ︑ユーゴスラビア︑韓国︑アル
ゼソチン︑ギリシャといった中進国も含んでいる︒
これら二十国の合計返済額は︑一九八二年で︑発展途上国全
体の七四%を占める︒現在の累積債務問題の第一の特色は︑特
定国に集中している点である︒しかも︑最近の傾向は︑石油輸
出国という有利な条件を備えており︑工業化に基づく経済の成
長率が高く︑国際金融市場から資金を集める能力をもっている
国である(金森久雄・和田純編﹃国際経済国家日本﹄日本経済新聞社
・一九八二年︑一〇四ページ)︒
こうした国は︑一九六〇年代後半から七〇年代前半にかけて︑
アメリカを中心とする先進国の政府資金と民間資金を貸りるこ
とによって︑積極的に国内経済開発に力を集中した︒いつれの
国も︑相対的には︑借金経済を通じて︑工業生産性を上昇する
ことができた︒したがって一人当りの国民所得も︑伸びた︒そ
れだけでなく︑先進国に対して︑国内の低賃金労働力で対応す
ることによって︑生産性を向上することができた︒このことは︑ 最貧国が︑先進国のODA(政府開発援助)などに依存した結果︑
金利コストが低いため︑﹁中進国﹂のように債務累積に薩面せず
に済むが︑しかし絶対額でみれば︑最貧国の方が厳しい︒とこ
ろが中進国にとっては︑政府開発援助は︑﹁中進国﹂になった
がために︑相対的に︑その援助額が少なく︑先進国の民間資金
に依存することになる︒したがって︑先進国の民間資金に依存
することによって︑工業化を進め︑それが円滑に進まないとす
れば︑利子の返済額は高くなる︒だから累積債務は大きくなる
という構造が成立する︒
金森久雄・和田純の両氏は︑累積債務問題に対して︑﹁必要な
国際協調による救済﹂を提起している︒彼らは︑累積債務問題
を深刻にうけとめており︑それは︑﹁世界経済の回復にとって︑
重大な阻害要因﹂とみている︒第一に︑多額の累積債務を抱え
た国では流入する資金を債務返済︑特に利払いに振り向けるこ
とになり︑自国の経済開発︑プロジェクトに資金を回すことが
不可能になり︑その結果︑途上国の成長を阻害し︑世界経済の
発展の足を引っぱることになるという︒
第二に︑途上国が債務の借り替えなどを通じて資金需要を高
めていけば︑世界的な高金利を持続させる要因となるという︒
第三に︑問題が一層深刻になると︑国際的信用不安に拡大し︑
世界経済に大きなインパクトをもたらす(金森・和田︑前掲書︑
一〇六ぺージ)という︒まさにその通りである︒ではなぜこうし
た問題を生みだしたのか︒わたくしは︑かつて︑﹁南北問題﹂の
根元を︑歴史的︑構造的な性格にあるとかいた(拙著﹃世界経済
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の新構図﹄新評論︑一九八三年第二部参照のこと)︒
そこでは︑今目の発展途上国の共通した性格は︑戦前途上国
が︑イギリス︑アメリカ︑ドイッ︑フランス︑日本の﹁帝国主
義﹂的支配下にあったからであり︑当時の帝国主義列強は︑今
日の途上国をみずからの権益と隷属化におき︑その国の原料資
源と労働の独占を志向し︑実現したこと︑なによりも先づこの
歴史的事実を自覚しなければならないことを書いた︒こうした
帝国主義的支配を強制してきた構造的要因を自覚せずに︑途上
ヘへ国の基本問題を解明することはできない︒﹁経済協力﹂の﹁経
済学﹂の基本性格は︑途上国のおかれている歴史的︑構造的要
因を踏えて展開されなければならない︒途上国の自立の経済学
は︑資本の搾取・収奪からの解放であり︑市民の自立と連帯の
社会科学でなければならない︒さきの問題に対して︑﹃国際経
済国家にっぼん﹄は︑きわめて便宜的にこう対応する︒﹁基本
的には︑先進工業国の経済の立ち直りを中心にした世界経済の
回復がカギを握る︒累積債務問題が現在のように深刻化した主
因は︑先進国向け輸出の低迷であり︑長期的にはこの根本原因
を取り除く以外にはない﹂と︒では︑こうした﹁深刻化した主
因﹂を招いたのはなぜか︒発展途上国の一次産品を不安定にし
た主因をだれが作ったかである︒それだけではない︒﹁基本的
には︑先進工業国の経済の立ち直りを中心とした世界経済の回
復がカギを握る﹂という︒この言葉はまさに一方的独断ではな
いか︒産油国が︑なぜ石油価格を上昇せざるをえないか︒先進
国の成長が︑産油国や途上国の安い燃・原料価格に依存してき たことをどうして軽視するのか︒問題は︑先進国が途上国に対
して︑原・燃料の低価格構造に依存した構造に︑最大の要因が
あると考えざるをえない︒
にもかかわらず︑金森・和田両氏がこう指摘する点を評価し
たい︒﹁発展途上国の金利負担を軽るくすることである︒金利
支払いの急増が事態を深刻にしていることを考えれば︑金利低
下の効果は大きな力を発揮する︒援助など金利水準の低い公的
援助への肩代わり︑あるいは国際金融市場での金利水準の低下
が求められる︒⁝⁝最後に︑当面の深刻な專態を乗り切るため
に︑民間金融機関︑中央銀行およびIMFや世銀など公的国際
機関の内の協調と連携が必要である﹂と︒(金森・和田共編︑前掲
審⁝︑一〇六ページ)︒
公的国際機関が︑こうした途上国の債務間題の解決を図るこ
とは当然であるが︑同時に同じテーブルで︑被累積債務をかか
えている途上国と真剣に討議すべきである︒そうでない限り︑
問題は平行線をたどるばかりである︒累積債務問題を誘因にし
た主要因は︑先進国の途上国への低燃・原料依存の構造にある
と考える︒そうだとすれば︑改めて︑途上国に対する経済協力
の哲学の実践を示すべきである︒
世界経済の政策も︑どうやら︑この点を解明するところから
始める必要がある︒
②日本の経済協力の﹁経済学﹂
では︑日本の世界経済の再建に対して︑ひとつの指標を示す
ものはなにか︒それは︑一九七〇年代から主体的に展開されて
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ぎた︑日本の﹁経済協力﹂のあり方︑または﹁経済哲学﹂の中
味がなにかを検討することから始めるのがよいとおもう︒
通産省は︑﹃八〇年代の通産政策ビジョン﹄(一九八〇年)の第
四章で﹁相互依存の対外政策﹂を展開し︑その行動に当たって
の基本理念を次の三点に求めている︒その第一点は﹁協調的経
済運営﹂である︒すなわち﹁世界経済での日本の影響力︑責務
の大きさを十分認識し︑マクロ経済運営において︑世界の最適
成長に資することを目指す︒特に先進国との間にあっては︑各
国と協調して経済運営を行い︑あるいは︑発展途上国の経済開
発に協力するなど連携を密にする﹂と︒つまり︑一九八〇年代
は︑日本の紺外経済協力を深化する時代であり︑先進国のみな
らず発展途上国との協力関係を深めていくという﹁相互依存の
国際経済学﹂の重要性を主張した点にある︒
第二点は︑﹁主体的行動の展開﹂を打ちだした点にあろう︒
その説明はこうである︒﹁相互依存の深まりは︑各国間の対立︑
摩擦を発生しやすくする︒その場合に︑各国は︑相互主張︑相
互理解というプロセスを経て合意を形成していくことが必要で
ある﹂と︒ここでは︑各国間の対立・矛盾を調整するための力
量を発揮し︑﹁合意形成﹂のための主体的行動をすべきである
という主張である︒
第三点は﹁適正なコスト負担﹂を主張した点にあろう︒つま
り世界経済の安定的拡大を図るためには﹁適正な国際分業の形
成や経済協力の充実など﹂を必要とする︒このために発生する
﹁産業調整や経済協力のための負担の増大は決して小さいもの ではないが︑先進諸国が共同で担っていく必要がある﹂と︑こ
こでは︑国際経済の矛盾を調整するためには︑適正なコストを
負担していく必要があるという発想である︒世界経済の資本主
義的運営に当たって︑わが国は︑その国際的負担をすることに
よって︑先進国中心の﹁協調的経済運営﹂をしていこうという
ものである︒それは次の指摘に明確に表現されている︒﹁わが
国も︑負担能力及び世界経済の安定拡大から受ける利益の両面
からみて︑地位にふさわしいコストを負担する﹂と︒世界経済
の光と影を認識し︑利益と費用負担のバランスをとっていかな
ければならないという発想である︒こうした基本理念︑すなわ
ち﹁協調的経済運営﹂︑﹁主体的行動の展闘﹂﹁適正なコスト負
担﹂の三本柱を中心に︑﹁相互依存﹂の経済学を構想している︒
こうした﹁相互依存時代の対外政策﹂の基本理念に基づい
て﹁総合的経済協力の推進﹂を積極的に示す︒それは﹁経済協
力の理念と目標﹂の中に表現されている︒﹁経済協力の目的は︑
まず発展途上国の開発に貢献することであり︑これを通じて世
界の平和と経済の安定的発展に寄与することである﹂と︒一方︑
﹁経済協力は︑直接間接にわが国の経済安全保障に資するもの
である︒発展途上国が経済的に離陸し︑発展を遂げていくう︑兄
で︑その自助努力を側面から支援する政府開発援助や民間経済
主体の海外投資︑貿易活動の果たす役割りは極めて大きい︒と
りわけ︑発展途上国の産業が自律的に発展するためには︑製品
市場の拡大が不可欠である﹂と︒
ここでは︑日本の経済協力の目的を︑途上国の開発に貢献す
日本 の対 外 経済 協 力 の 「経 済 学」 に つ い て 77
ることだという点にある︒﹁途上国の開発﹂を︑どのようにす
すめるかを不問にしたまま﹁開発﹂の問題を優先している点に
特徴がある︒問題は︑途上国の自立と連帯の思想のもとでの︑
相互平等︑互恵の論理で︑途上国の二ーズに対応した﹁開発﹂
の理念を模索すぺきではないか︒
通産省編︑﹃八〇年代の通産政策ビジョン﹄(一九八〇年・以下
﹃ビジ芸ン﹄)はこう述べている︒
﹁このため︑八〇年代の経済協力目標の設定に当たっては︑
既存の経済協力指標(政府開発援助︑輸出信用・薦接投資等)に︑
発展途上国からの製品輸入を加えた﹁総合経済協力指標﹂を用
いることとし︑八〇年代末には︑新指標による経済協力費を六
倍程度(名目値)の水準に拡大する︒GNP対比でみると︑七
八年の一.六%から八〇年代未には三%に高めることとなる︒
このなかで︑政府開発援助については︑最終的には︑国際目
標である対GNP比○・七%を目指すが︑八〇年代は︑世銀シ
ナリオ(一九七九年)の八〇年代末目標である○・四五%の達成
を期する︒また援助条件については︑グラソトエレメントにつ
いての国際目標である八六%を目指すことにする︒
この場合︑経済協力に要する費用は︑国民生活の安全を守る
という経済安全保障のための費用とみなし︑負担していくのが
適切と考︑兄る︒この点に関し広く国民的合意を得ていく﹂とい
う︒
あ︑兄て︑長く引用したが︑ここで主張している点は︑こうで
ある︒舶貫して発展途上国の自助努力を前提にした︑﹁宮民両方 の援助方式﹂を確立しようとするものである︒ここでは︑発展
途上国の自立のために﹁経済協力指標﹂を示した点にある︒も
ちろん︑一方で︑そのr万式を評価してよいが︑他方で︑なにを
指標とした方式なのかが不明である︒基本問題は︑発展途上国
の二ーズを︑真面目に受けとめていないのではないか︒七〇年
代後半から︑発展途上国は︑一貫して︑資源の恒久主権の確立︑
一次産品の安定化︑交易条件の悪化の防止︑先進国の市場開放︑
政府開発資金の主体的援助︑多国籍企業の規制などを求めてい
る︒こうした発展途上国のニーズに応える経済協力の哲学をも
たない限り︑日本の海外経済協力の﹁経済学﹂は﹁自己満足﹂
になりかねない︒﹁相互依存﹂の﹁経済学﹂は︑﹁支配と依存﹂
の﹁経済学﹂を求めることになるであろう︒そうだとすれば︑
発展途上国の真の経済自立に役立たないのではなかろうか︒通
産省が主張する﹁総合経済協力指標﹂は︑日本の指導権をもっ
て示す限りは︑余り意味をもたないであろう︒発展途上国の住
民の福祉に対応する政策をもたない限り︑﹁総合経済協力﹂は︑
日本の政府資金による援助を通じた日本の企業への援助を前提
とした﹁相互協力﹂になりかねない︒とくに﹁総合経済協力指標﹂
で取上げている政府開発援助と輸出信用と民間薩接投資を︑ど
のように連動して途上国の開発を進めるのか︑きわめて不明確
であるといわざるをえない︒政府開発援助の文脈は︑国内の企
業の商品輸出を誘導する方式と考えざるをえない︒つまり政府
開発援助と直接投資の相乗効果を考えた経済協力を推進すると
いうのであれば︑それは途上国から批判を招くであろう︒発展
商 経 論 叢 第20巻 第2号 7s
途上国の主体性を軽視した援助方式は︑途上国の﹁︑自助努力﹂
ではなく︑先進国の企業援助になりかねない︒いや現実にそう
なっているから問題がおこっているのである︒問題は︑政府の
援助方式を︑あくまで︑被援助国の自立と連帯の基本理念に立
って︑公的に位置づける必要があろう︒政府開発援助は一貫し
て発展途上国の開発と福祉に貢献するものでなければならな
い︒もちろん通産省が︑政府開発援助について対GNP比○.
七%を目指す考えを実践する﹁努力﹂を評価したい︒だが最終
的目標として考えるのではなく︑○・七%実現に向けて最大限
の努力をすることにある︒この点の量と質を明示すべきであろ
う︒
㈲﹁経済協力﹂の政策問題
さらに通産省のいう﹁経済協力政策の行動基準﹂と﹁相手国
に即した政策展開﹂を検討したい︒
まず経済協力の立案︑実施に当たっては︑ω相手国の要請を
待つのみでなく︑わが国も参加してプロジェクトを発掘する積
極性︑②国内手続きの簡素化・合理化の一層の推進により迅速
に実行する機動性︑③相手国の主体性を尊重し︑多様なニーズ
に的確にこたえての弾力性︑働相手国の経済.社会開発計画と
密接に連携を行うための計画性と継続性を重視して推進する︒
特に相手国が自国の経済・社会開発計画のなかでわが国の経
済協力プロジェクトを位置づけていくためには経済協力の計画
性︑継続性が不可欠であることを認識しなければならないとい
う︒ この点︑基本的に同感である︒では︑なぜ従来の経済協力政
策の行動がどの点で積極性がなく機動性に欠けていたのか︑ま
た弾力性に乏しかったのか︑計画性と継続性をもたずに行動し
てきたのか︑について厳しい具体的反省を示すべきではないか︒
外務省︑通産省︑厚生省︑農林水産省が︑相手のプロジェクトに
対してバラバラに対応している限り︑政策の行動基準を守るこ
とができないのではないか︒西ドイッのように︑対外経済協力
政策を一本化して︑相手の二ーズと計画性に対応する政策姿勢
をもつべきなのである︒
﹁経済協力政策の行動基準しで取り上げた問題点を具体化す
るためには︑そのパヅクボーソになる対外経済協力の哲学と新
しい行動基準をもつべきなのである︒
この点は︑一九七五年に︑ヨーロッパ共同体(EC)がアフ
リカ.カリブ海・太平洋諸国(ACP)と結んだロメ協定の理
念と行動基準を学ぶべきではないか︒
通産省のいう﹁経済協力政策の目的は︑発展途上国の開発に
貞献することにある﹂という内容を明確にすべきなのである︒
それには︑戦後の世界経済の発展過程のなかで︑先進国と発展
途上国とがどのような﹁協力関係﹂の﹁経済学﹂を形成してき
たかを明らかにすべきであるとおもう︒この点について︑とく
に一九七〇年代後半における発展途上国の諸要求を踏ま・兄ずし
て︑どうして﹁発展途上国のニーズ﹂に応じた協力関係を示す
ことができるであろうか︒
わが国が理念とする経済協力の﹁経済学﹂は︑一貫して﹁大
日本 の 対外 経 済 協 力 の 「経済 学 」 に つ い て
?9
国主義﹂的発想におちいっていないであろうか︒わが国の工業
発展のために︑途上国の資源を必要とする︒そのために途上国
の開発に貢献するという開発中心の経済学に終始してはいない
であろうか︒
㈲経済協力の﹁経済学﹂とはなにか︒
ここで改めていう︒通産省のいう﹁発展途上国のニーズ﹂に対応した内容はきわめてあいまいであり︑問題の性格を認識し
ていないと︒そうだとすれば︑一九七四年に︑国連決議で示し
た﹃新国際経済秩序に関する宣言﹄を想起して問題を立てなけ
ればならないのではないか︒経済協力の﹁経済学﹂は︑この点
を出発点としなげればならない︒
そこでは︑こう宣言している︒﹁すべての人民の経済発展と
社会進歩を促進しようとする国連憲章の精神︑目的及び原則に
留意し︑その経済的及び社会的体制にかかわりなく︑すべての
国の間に衡平︑主権平等︑相互依存︑共通利益及び協力に基礎を
おき︑不平等を是正し︑現存する不正義を無くし︑先進国と開
発途上国間の拡大しつつある格差を除去し︑並びに︑現在の及
び将来にわたる世代のために経済社会発展及び平和と正義を着
実に促進することを確保し得る新国際経済秩序の樹立のための
作業を緊急に行う﹂ことを表明した︒ここで明らかなことは︑
体制を問わず主権平等︑相互依存︑共通利益及び協力に基礎を
おいて先進国と途上国との格差を是正していくことを目的とし
ている点である︒つまり先進国之途上国との対等関係の中で︑
経済協力︑相互依存を打ちだしている︒ この宣言はこうした問題認識から経済協力の﹁経済学﹂を明
らかにすることを迫っている︒
﹁外国の植民地支配の残津︑外国の占領︑人種差別︑アパル
トヘイト及び新植民地主義﹂は︑途上国の発展にとって﹁障害﹂であると主張している︒つまり︑現代帝国主義支配の作用を厳
しく批判し︑新しい世界経済秩序の論理を追及している発想を
重視すべきであろう︒したがって対等互恵︑相互繁栄の経済学
を樹立するためには︑先進国の一方的利益を追及する時代は終
ったことを認識すべきなのである︒通産省は﹃八〇年代の通産
政策ビジョン﹄(昭和五五年)はいう︒﹁途上国が経済的に離陸し︑
発展を遂げていくうえで︑その自助努力を側面から支援する政
府開発援助や民間経済主体の海外投資︑貿易活動の果たす役割
は大きい︒とりわけ発展途上国の産業が自律的に発展するため
には︑製品市場の拡大が不可欠である﹂と︒こうした発想では︑
﹁新国際経済秩序﹂の理念とはかなり離れている︒つまり開,自
助努力﹂の前提で︑政府援助と民間資本︑貿易活動を結びつけ
て︑﹁市場﹂を確保していくという論理である︒
先進国の毘間資本の市場として途上国を位置づけているので
ある︒﹁自助努力﹂といつても︑﹁自助﹂をできない社会経済的
基盤をどう考えているのか理解に苦しむ︒
したがって︑改めて︑途上国のニーズに対応した先進国の経
済発展を︑新しい国際経済秩序づくりのなかで解明すべきなの
である︒
﹃宣言﹄でもいっているように︑﹁現在進行している事柄は・
商 経 論 叢 第20巻 第2号 so
先進国の繁栄と開発途上国の利益がもはや相互に分離できなく
なっている﹂そして﹁開発のための国際協力は︑すべての国が
分かち合うべきことが目的であり︑義務である﹂と︑きわめて
明確である︒﹁現在及び将来にわたる世代の政治的︑経済的及
び社会的福祉は︑主権の平等及び現存する不均衡の除去に基づ
く国際社会のすべての構成員間の協力に以前よりも大きく依存
する﹂という認識を途上国は共通にもっている︒
ここで明確な点は︑日本と発展途上国との﹁相互依存﹂﹁相
互協力﹂﹁相互共存共栄﹂の経済を構築する点において共通し
ているというべきであろう︒つまり日本の場合は﹃宣言﹄の基
本理念抜きの途上国との﹁相互協力﹂関係の経済学を求めてい
るのではないか︒
三経済協力の﹁総合政策﹂の三つの型について
ω産油国援助型1ー‑イラソの場合‑
前述の﹃ビジョン﹄は︑発展途上国との経済協力に当たって
は︑﹁相手国に即した政策﹂展開をすべきであるという発想をし
ている︒
つまり﹁政府開発援助︑貿易︑直接投資の三つの経済協力形
態を有機的に結びつけ︑総合的な経済協力を推進する︒今後は︑
政府間開発援助を引き続き拡大していくことに加︑兄て︑貿易や
直接投資による経済協力の役割を従来より重視していく﹂と︒
ここで明確なことは︑政府と企業が一体化して途上国の経済
開発をめざしている点にある︒地域に根ざした経済協力を行う ことを主張する︒この点は︑原理的には問題性をもっている︒
だが︑この原理は︑平和を前提にして可能なのである︒﹃ビジ
ョソ﹄が﹁途上国のニーズ︑発展段階に即し︑次のような総含
的対応を行う﹂という︒
﹁産油国については︑自国における加工度などの産業開発志
向に配慮しつつ︑民間直接投資や技術者及び技能者育成のため
の技術協力を重視する﹂この点も新しい視点であり︑評価した
い︒だが問題は︑こうした方式について︑従来︑民間の直接投
資を通して︑産油国との合弁会社方式を通じて︑途上国の経済
開発を意図した結果︑成功した企業と︑戦争によって打撃をう
けた企業もある︒成功した企業も︑その利益の一部をたえず途
上国の福祉へ還元することを主眼とすべきであろう︒ここでは︑
相手国に即した政策展開が︑問題点を投げかけた企業について
例示しておく︒
例えば︑イラン・ジャパン石油化学(1・J・P・C)の場合
である︒一九七一年一〇月︑三井グループ(三井物産︑三井石油
化学︑三井東圧︑東洋曹達︑日本合成ゴム)が︑イラン政府と協定
して︑イラン南部のパンダルホメイニに石油化学コンビナート
を建設した合併会社である︒実質的には︑七三年四月に設立さ
れた︒エチレン換算で︑年産三〇万トンの石油化学コンビナー
トをめざし︑安い石油を当てにし︑安い製品をめざし︑現地工
業開発の指標として︑勇ましく出発した︒ところが︑七三年末
石油危⁝機によって︑当初の建設費コニ○○億円が七四〇〇億円
にはねあがった︒こうして建設費負担は︑三井グループにとつ
日本 の 対外 経 済 協 力 の 「経済 学 」 に つ い て 81
て脅威であった︒安い石油は建設費の急上昇によって︑高い石
油にかわった︒三井グループは︑イラン政府に撤退を申し入
れた︒だが︑それは円滑にすすまなかった︒この事情について
北沢洋子氏は︑こう書いている︒﹁日本政府は︑七六年河本通
産相がイランを訪問し︑日本輸出入銀行を確約し︑これを﹁ナ
ショナル・プロジェクト﹂にすることを提案した︒同時に︑日
本.イラン間の交渉で︑建設費を︑五五〇〇億円に圧縮するこ
とがぎまった︒この場合の値下げの根拠は︑なにもなく︑一率
に五〇%の建設費削減ということだったL(北沢洋子﹃日本企業の
海外進出﹄一九八三年︑日本評論社︑一七三ぺージ)と︒
その後︑一九七九年のイラン革命によって︑パーレビ国王か
らホメイニに代わった︒もうこの革命時点で︑石油化学コンビ
ナートは八五%の工事を完了した︒だが︑七九年三月工事中断
となった︒同年一〇月三井グループによる政府への働きかけに
よって︑IJPCを︑国家事業へと格上げし︑政府に︑二〇〇
億円を出資させたことは記憶に新しい︒
ところが︑七九年十一月に︑アメリカ大使館人質事件がおこ
った︒日本政府は︑危険を予測して工事中断をIJPCに伝え
た︑八〇年九月に︑イラン・イラク戦争は︑IJPC問題を深
刻化した︒八一年四月に︑三井グループは︑IJPCの事業を
中断せざるを・兄なかった︒当然のことである︒一九八三年五月︑
イラン政府は︑現行予算約七︑三〇〇億円を負担するという申
し入れによって工事を再開したが順長に進まないのが現状であ
る︒イラン・イラク戦争が終わらない限り︑安定した工事はで ぎないであろう︒とにかく戦争を中止し︑IJPCの再開を期
待すべきであろう︒問題は︑イランの市民のニーズに対応した
経済協力関係を樹立すべきである︒
こうしてみると︑日本の途上国援助は︑現地のニーズに対応
しているかどうか︑政府と民間との経済協力関係を︑改めて︑
再検討すべきであろう︒
こうした反省に立って改めて︑地域の二iズに対応できると
考・兄る︒現地の市民の二ーズと展望をもたずに﹁合弁会社﹂を
作ることは避けるべきである︒いまこそ平和外交こそがなによ
りも重要な課題である︒日本政府はイラン・イラク戦争を終結
させる外交を︑米・ソ・ECその他の諸国の協力をえて実現す
ることにあろう︒この場合︑問題の本質はどこにあるかを︑た・兄ずみきわめることである︒そうでない限り︑前進はないとお
もう︒安易な国家資本と巨大資本の合体をしてはならない︒
今後︑﹁合弁企業﹂の実態を公開し︑できれば︑合弁企業の
﹁利益﹂の一部を︑現地の福祉と医療施設をつくるために還元
すべきであろう︒とくに日本企業の海外進出に当っては︑現地
の住民のニーズに応えるべきであって︑現地市場の支配は止め
るべきである︒現地での寡占化による価格の硬直性も止めるぺ
きであろう︒この点を猛省し︑例えば︑日本と中国との合弁方
式の原理を学ぶべきではないであろうか︒
②﹁中進国﹂援助型fブラジルの場合ーi
前述した﹃八〇年代の通産政策ビジョン﹄(いわゆる﹃ビジョ
ヘヘヘヘヘン﹄)において︑中進工業国については︑﹁製品輸入の拡大︑民