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唯物史観と範疇模写説 : ヘーゲル・マルクスと宇野弘蔵の方法論を繋ぐミッシング・リンク

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Academic year: 2021

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方法論的な問題については、第三節として節を 改めた上で、現象学的な認識論哲学による根拠 づけを考察していくこととする次第である。

第3節 範疇模写説の現象学的再措定

第1項 現象学的に再構成された論理的連関 何ものをも前提としないで思考しようとする とき、絶対に確実なのは「いま-ここに-あ る」という意識への現象の現れに関する感覚的 確信だけである。それは、デカルトの言ったよ うな「いま-ここに-ある」ということすらも 疑っているという反省作用に先立つ感覚的確信 であるが、疑っている「我思う、故に、我在 り」ということへの感覚的確信もそこに由来す るものである。 フッサールは、不確実なものを捨象し括弧に 入れ、意識の志向対象としての事象そのものへ 還元することを「現象学的還元」または「判断 中止」と呼んだ。とくに晩年のフッサールは、 現象学的還元はまずもって、科学の説く「即自 的で真なる世界」から「生活世界」への還元で なければならないとするようになった。「生活 世界」とは、いっさいの学に先立ち、つねにす でに、われわれの直接の経験に与えられている 世界であり、学そのものもこの「生活世界」か ら出発してはじめて、その真の意味を明らかに されうるものだとされる*14 「[268 頁]すなわち、あらゆる構成の、 結局はただ一つの機能中枢としての絶対的 自我[エゴ]への還元によって、判断中止 を意識的に改造する必要があるのである。 このことが今後は、超越論的現象学の方法 全体を規定することになる。まず前もって あるのは、世界である。すなわち、たえず 存在確信と自己確認の中であらかじめ与え られている、疑いを容れない世界が、先行 している。もしわたしがこの世界を基礎と して『前提』していないとしても、この世 界は意識作用のうちにある自我としてのわ たしにとって、たえざる自己確信によって 妥当している。しかもそれは、わたしにと ってあるがままに、つまり、個々の点では、 ときには客観的に妥当であり、ときにはそ うでないこともあろうが、それらのすべて を含んで妥当しているのである。それはさ らに、わたしにとって現実的であるような 世界たる以上、すべての学問や技術を含み、 すべての社会的、個人的諸形態や諸制度を 伴ったものとして、妥当しているわけであ る。」(Husserl, E. [1935/1936], Die Krisis der europäischen Wissenschaftlichen und die transzendentale Phänomenologie: Eine Einleitung in die phänomenologische Philoso-phie. フッサール『ヨーロッパ諸学の危機 と超越論的現象学』細谷恒夫・木田元訳、 中央公論社、1974 年。引用頁数は邦訳に よる。)

また、ハイデッガー[1927年]『存在と時間』 (Martin Heidegger, Sein und Zeit, 1927. 引用は細

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もたらしたかも、「認識論上の切断」によって もたらされた新たな諸範疇の導出が論理的にど のように根拠づけられるかも不明なままである。 *3 『ドイツ・イデオロギー』における当該箇所 の読解には、花崎皋平[1968 年 /1972 年]『増 補改訂 マルクスにおける科学と哲学』79 頁、 から示唆を受けた。ただし、全体の論旨は必ず しもその限りではない。

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もの」、初出『現代の理論』1968 年 7 月号、廣 松渉『マルクス主義の地平』勁草書房、1969年、 講談社学術文庫、1991年、『廣松渉著作集 第10 巻』岩波書店、所収。引用頁数は『廣松渉著作 集 第10巻』による。 廣松渉[1977 年]「宇野経済学方法論をめぐる問 題点」、初出『大阪市立大学新聞』1977 年 8 月 10日号・22日号。『廣松渉コレクション 第4巻』 情況出版、1995 年、『廣松渉著作集 第 13 巻』 岩波書店、1996 年、所収。引用頁数は『廣松 渉著作集第13巻』による。 廣松渉[1987年]「貨幣と信約的行為」(初出『現 代思想』1987 年 8 月号、『廣松渉コレクション 第 4 巻』情況出版、1995 年、所収。『廣松渉著 作集 第13巻』岩波書店、1996年、所収。引用 頁数は『廣松渉著作集第13巻』による。 望月清司[1973 年]『マルクスの歴史理論』岩波 書店 吉本隆明[1965 年]「自立の思想的拠点」、初出 『展望』第 75 号、1965 年 3 月号、『自立の思想 的拠点』徳間書店、1966 年、『吉本隆明全著作 集 13』、勁草書房、1969 年、所収。引用頁数は 『吉本隆明全著作集13』による。

Althusser, [1965], Pour Marx, La Decouverte/ Maspero. アルチュセール[1994 年]『マルクス のために』河野健二・田村俶・西川長夫訳、平 凡社ライブラリー。引用頁数は邦訳による。 Balibar, [1965], Sur les concepts fondamentaux du

materialisme historique, Althusser, Balibar [1965] , Lire le Capital, tome II , Francois Maspero. バリ バール「史的唯物論の根本概念について」、ア ルチュセール/ランシエール/マシュレー/バ リバール/エスタブレ[一九九七年]『資本論 を読む』今村仁司訳、ちくま学芸文庫、下巻。 引用頁数は邦訳による。

Heidegger, [1927], Sein und Zeit. ハ イ デ ッ ガ ー 『存在と時間』細谷貞雄訳、ハイデッガー選集 第 16 巻、理想社、1963 年。ちくま学芸文庫、 1994年、上巻。引用頁数は原著頁数による。 Hegel, [1821], Grundlinien der Philosophie des

Rechts. ヘーゲル『法の哲学』藤野渉・赤澤正 敏訳、岩崎武雄・責任編集『世界の名著 35 ヘ ーゲル』中央公論社、1967 年。引用頁数は邦 訳による。

Husserl, E. [1935/1936], Die Krisis der europäischen

Wissenschaftlichen und die transzendentale Phäno-menologie: Eine Einieitung in die phänomenologi-sche Philosophie. フッサール『ヨーロッパ諸学 の危機と超越論的現象学』細谷恒夫・木田元訳、 中央公論社、1974年。引用頁数は邦訳による。 Marx, Karl / Engels, Friedrich [1845-46], Die Deutche Ideologie. 花崎皋平訳『新版 ドイツ・ イデオロギー』合同新書、1966 年、マルクス /エンゲルス『新編輯版 ドイツ・イデオロギ ー』廣松渉編訳/小林昌人補訳、岩波文庫、 2002 年、新訳刊行委員会『新訳 ドイツ・イデ オロギー < マルクス主義原典ライブラリー >』 現代文化研究所、2000 年、その他多数の編集 案と邦訳がある。引用に際しては、特定の邦訳 にのみ依拠せず、また、既存の邦訳によってい ない場合もある。

Marx, Karl, [1857/58], Ökonomische Manuskripte 1857/58; Teil 1-2, KARL MARX, FRIEDRICH ENGELS: GESAMTAUSGABE(MEGA), 2. Abteilung: “Das Kapital” und Vorarbeiten, Band 1-2, Diez Verlag, Berlin, 1976.『経済学批判要綱』、 『資本論草稿集①-②』1981 年、大月書店、所

収。引用頁数は邦訳による。

Marx, Karl ,[1857-58], Grundrisse der Kritik der politischen Ökonomie, Dietz Verlag, Berlin. 1953, Berlin. マルクス『経済学批判要綱 Ⅰ』高木幸 二郎監訳、大月書店、1958年。

Marx, Karl [1859], Zur Kritik der politischen Ökonomie, MEW, Band 13, Diez Verlag, Berlin. 『経済学批判』武田隆夫・遠藤湘吉・大内力・ 加藤俊彦訳、岩波文庫、1956 年。向坂逸郎訳、 『マルクス・エンゲルス選集』第 7 巻、新潮社、 1959 年。杉本俊朗訳、『マルクス・エンゲルス 全集』第 13 巻、大月書店、1964 年。引用に際 しては、特定の邦訳にのみ依拠せず、また、既 存の邦訳によっていない場合もある。

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