日本における背任罪の成り立ち
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(2) 早稲田法学会誌第五十︷巻︵二〇〇一︶. ︵一︶権限濫用説と背信説との対立. 三 背任罪の本質 1 予備的考察 ︵二︶議論のための指針. ︵一︶事務処理者の権限に着目する見解. 2 学説の状況 ︵二︶本人との信頼関係を限定する見解. はじめに. 3 検討 四 むす び に か え て. 一. 〇四. 近代的な刑法典における財産犯の構成は︑おおよそ窃盗︑詐欺︑横領︑強盗︑恐喝︑殿棄︑隠匿︑盗品関与などの. 罪から成り立っている︒各国の刑法典が現実に有しているのは︑このような構成のヴァリエーションに過ぎないとい えよう︒. そこで︑背任罪について見てみると︑各国の刑法典では︑背任罪という犯罪類型を設けていないものもあるし︑設. けているものもある︒しかし︑設けられていても国によってその構成要件が異なっている︒例えば︑フランスやイタ. リアの刑法典では︑背任罪を設けていないのに対して︑他方︑日本やドイツの刑法典ではこれを設けている︒しかし. ながら︑日本の背任罪が単一の構成要件から成り立っているのに対して︵刑法二四七条︶︑ドイツの背任罪は濫用構. 成要件と背信構成要件という異なった二つの構成要件から成り立っているのである︵ドイツ刑法二六六条一項前段お.
(3) よび後段︶︒. このような現状の中で︑背任罪の本質を追求していくことは非常に困難なものがある︒そこで︑本稿は︑この間題. に関して︑日本における背任罪の成立過程を考察した上で︑一つの方向性を示すことを目的とする︒. ここで最も重要なことは︑財産犯の体系において︑背任罪をどこに位置付けるべきかということである︒すなわ ︵1︶ ち︑背任罪固有の領域を考察していかなければならない︒. これを探る上で手がかりとなるのは︑背任罪の規定の仕方であり︑とりわけどのようにその主体を規定しているの. かということである︒その主体を制限列挙しているのか︑それとも包括的に規定しているのか︑包括的に規定されて. いるなら︑他の要件によってどのように限定されているのか︑こういったことが重要になるのである︒. 第一に︑日本における背任罪の成立過程を考察したい︒旧刑法から現行刑法への転換の中で︑背任罪はどのような. 経過をたどって導入されたのかを見てみることにする︒そこでは︑フランス法からドイツ法へという狭い視点による. ことなく︑当時の起草者たちが立法にあたって何を基本方針としたのか︑またいかなる立法例ないし草案例を注視し. ていたのか︑また在野の法律家たちは日本の刑法改正についてどのように考えていたのかを広く見てみたい︒. 次に背任罪の成立過程に関する考察を基礎にして︑背任罪の本質について検討してみることにする︒そこでは︑背. 信説と権限濫用説という大きな対立を踏まえた上で︑最近の注目すべき学説も検討の対象にする︒最後には︑背任罪 の固有の領域に関して自分なりに一つの試論を出すことを目標にしたい︒. 二 日本における背任罪の成り立ち. ﹃〇五. 背任罪は︑日本にとって比較的新しい犯罪類型である︒ 財産犯における窃盗︑詐欺︑ 横領といった基本的枠組み 背任罪の系譜︑およびその本質︵内田幸隆︶.
(4) 早稲田法学会誌第五十一巻︵二〇〇一︶. 一〇六. は︑すでに一八八O年︵明治二二年︶の旧刑法の段階で成立していたのに対して︑背任罪がようやくその姿を現した のは︑一九〇一年︵明治三四年︶の刑法改正案においてであった︒ ︵2V. 背任罪の研究においてはドイツにおけるその沿革を扱うものはあるものの︑日本における背任罪の成立過程を詳細. に考察したものはほとんどないといってよい︒しかし︑日本にとって背任罪は比較的新しい犯罪類型なのであり︑旧. 刑法から現行刑法へと向かう改正案の段階において背任罪が登場したのが比較的遅かったこと︑またその規定の仕方 ︵3︶ が一九三三年のドイツにおける背任罪の改正を先取りするものであったことからすると︑日本におけるその沿革を丹. 念にさかのぼる必要があると思われる︒すなわち︑日本における背任罪の成立過程を法制史的に︑あるいは比較法的に. 旧刑法の成立と﹁受寄財物二関スル罪﹂. たどっていけば︑そこにおのずから解釈論にとっても一つの方向性が明らかになってくるものと考えられるのである︒. 1. ︵一︶旧刑法編纂過程における背信罪︵フランス法︶の継受. 一八八O年︵明治二二年︶の旧刑法は︑日本におけるはじめての西欧型近代刑法典である︒しかし︑その中に背任. 罪は置かれていない︒ただし︑旧刑法の編纂過程において︑一八一〇年フランス旧刑法における背信罪の導入が検討. されている︒フランス刑法典における背信罪とは委託物横領を中心とする犯罪類型であるが︑旧刑法の編纂過程にお いてそれをそのまま継受したというわけではない︒. 旧刑法の編纂作業は︑一八七五年︵明治八年︶九月から司法省において始められたが︑一八七六年︵明治九年︶に. ボアソナードがその作業の主導的地位につき︑﹁日本刑法草案第一稿﹂︑同﹁第二稿﹂を経て︑翌一八七七年︵明治一 ︵4︶ O年︶二月に﹁日本刑法草案﹂︵確定稿︶の脱稿をみるに至った︒この問に︑フランス旧刑法四〇六条の幼者に対.
(5) する背信罪は︑﹁日本刑法草案第一稿﹂四七五条において︑幼者の思慮浅薄または人の精神錯乱したことに乗じて︑ ︵6︶. その動産物品またはその害となるべき証書を付与させる行為を﹁詐欺取財ノ罪﹂と同様の刑で処罰することに改めら ︑5︶. れ︑さらにこれは同﹁第二稿﹂四三九条で︑﹁詐欺取財ノ罪﹂の節に編入されてしまった︒また︑フランス旧刑法四 ︵7︶ 〇七条の白紙委任状の濫用にかかわる背信罪は︑﹁日本刑法草案第二稿﹂成立以後に削除され︑﹁日本刑法草案﹂の確. 定稿では姿を消してしまった︒結局残ったのは︑フランス旧刑法四〇八条の委託物横領にかかわる背信罪だけであ. る︒しかし︑同法四〇八条で﹁借受︑附托︑質入︑借用ノ爲メ或ハ雇賃ノ有無ヲ論セス人ノ用ヲ達スル爲メ人ヨリ動. 産︑金銀︑商品︑手形︑算還ノ謹書又ハ其他借受或ハ算還ノ謹書類ヲ受取リ後二之ヲ還シ又ハ示シ又ハ定マリタル用 ︵8︶. 法二之ヲ用フ可キノ約ヲ爲シ其約二背キ此等ノ緒件ヲ絹取シ又ハ消費シテ其所有者ノ損害ヲ爲セシ者﹂が背信罪で処. 罰されたのに対して︑日本の旧刑法の編纂過程においては︑ボアソナードの指導による﹁日本刑法草案﹂の﹁第一 ︵9︶. 稿﹂︑﹁第二稿﹂︑﹁確定稿﹂を経て︑一八七七年︵明治一〇年︶からの刑法草案審査局での審査と進むにしたがってそ. の内容が簡略化されていった︒結局︑一八八O年︵明治=二年V三月に元老院に提出された刑法審査修正案の段階で. その罪名が﹁受寄財物二関スル罪﹂と改められ︑その内容も﹁受寄ノ財物借用物又ハ典物其他委任ヲ受ケタル金額物 ︵10︶ 件ヲ費消シタル者﹂と規定されるなど︑委託物横領にかかわる背信罪は大幅に改められてしまったのである︒. したがって︑日本の旧刑法における受寄財物に関する罪は︑フランス旧刑法のやや雑多な背信罪の類型から影響を. 受けつつも︑その内容は近代的な委託物横領罪として成立したと評価されよう︒一九九四年のフランス現行刑法が︑. 同旧刑法四〇六条を﹁未成年者・弱者に対する準詐欺﹂として﹁詐欺の周辺の犯罪﹂の節にその内容を改めた上で位. 置付けなおし︑また背信罪の類型から同旧刑法四〇七条を削除しており︑さらに同旧刑法四〇八条を大幅に簡素化し. 一〇七. た規定︵三一四−一条︶を︑第三部第一編﹁不法領得﹂第四章﹁横領﹂第一節﹁背信﹂の中に置くことにしたことか 背任罪の系譜︑およびその本質︵内田幸隆︶.
(6) 早稲田法学会誌第五十↓巻︵二〇〇一︶. ︵n︶ ら考えると︑日本の旧刑法が極めて先進的であったことを窺うことができるのである︒ ︵二︶﹁受寄財物二関スル罪﹂︵旧刑法︶に対する評価. 一〇八. しかしながら︑日本の旧刑法成立直後の段階で︑旧刑法三九五条の﹁受寄財物二関スル罪﹂が︑フランス旧刑法の. 背信罪から継受されたものであって︑当時のドイツ帝国刑法旧二六六条のいわゆる背任罪とは全く異なる犯罪類型で. あったことを自覚していた者は少なかったものと思われる︒すなわち︑旧刑法三九五条に言及しているものを具体的 2︶ ︵1. ︵13︶. に見てみると︑例えば︑他人から信用を受けて寄託された財物を費消した点を捉えて︑磯部四郎は﹁信用ヲ害スル ︵M︶. 罪﹂とし︑井上操は﹁所謂ル背信ノ罪﹂と位置付けていたのであり︑高木豊三もフランス旧刑法四〇八条を参照する. にとどまっていた︒同じく︑宮城浩蔵は︑旧刑法三九五条について︑信用上委託を受けた物を消費する点を捉えて背 ︵15︶. 信にあたるとし︑フランス旧刑法における背信罪と関連付けているが︑ドイツ帝国刑法の﹁背信罪﹂︵ご暮お莞︶につ. いては言及していないのである︒また︑旧刑法成立後の一八八六年︵明治十九年︶にボアソナードが新たに提出した. 刑法草案を見ても︑そこで述べられた﹁背信罪﹂についてはなおフランス旧刑法の﹁背信罪﹂の枠組にとどまってお ︵16︶. り︑﹁通常ノ背信罪﹂の中に委託物横領にかかわる背信と並んで旧刑法で規定しなかった秘密漏洩にかかわる背信が 置かれているのが目をひくのみである︒. これに対して︑旧刑法三九五条がフランス旧刑法の背信罪を継受したものであり︑ドイツ帝国刑法のいわゆる背任. 罪とは異なるものだということに気づいていた数少ない日本人の法律家として江木衷を挙げることができる︒江木衷. は︑旧刑法成立直後のフランス刑法理論一辺倒であった時期にあって︑フランス以外に︑ドイツ︑イギリスの刑法書. 7︶. を多数引用した自らの刑法書を公刊するなど︑ドイッ刑法理論を日本に紹介した先駆者であるだけでなく︑後に法典 ︵1 調査会第三部委員になるなど︑現行刑法の編纂作業に大きくかかわる人物であるが︑旧刑法三九五条の﹁受寄財物二.
(7) 関スル罪﹂についてこう述べている︒すなわち︑﹁或ル法典若クハ或ル学者ハ受寄財産費消罪ヲ以テ背信罪中二包含. セシメタレトモ学理上ヨリスルトキハ全ク此二罪ヲ区分﹂しなければならないのであり︑﹁所謂背信罪ナルモノハ未. タ財産ヲ費消スルノ甚シキニ至ラスシテ後見人管財人代人等故意ヲ以テ其ノ監護二委セラレタル人又ハ物件ノ損失ト ︵18︶. 爲ルヘキ庭置ヲ爲ス所爲即チ純然タル信用二背クノ所爲ヲ指示ス﹂るものであって︑﹁現行刑法︹旧刑法のこと1筆. 者注︺ハ斯ル背信ノ所爲ヲ﹂処罰していないと︒ここで述べられている﹁背信罪﹂とは︑ドイツ帝国刑法旧二六六条. のいわゆる背任罪のことに他ならない︒つまり︑江木衷は︑当時にあって︑ドイツ︑フランス︑日本の各規定におけ. る内容の違いを的確に把握していたのであり︑旧刑法に背任罪の規定がないことを初期の段階で察知していたのであ. る︒このような認識は︑江木衷が実際に現行刑法の編纂作業に加わるときに生かされたのではないかと思われるので ある︒. ︵19︶. さて︑ここで内からの目だけでなく︑外から見た旧刑法に対する評価も見てみよう︒すなわち︑明治政府は旧刑法 ︵20︶. に対する批評を西欧の刑法学者や御雇外国人に仰いでいた︒例えば︑ベルリン大学教授のA・F・ベルナーの批評. や︑アムステルダム大学教授のG・A・ファン・ハメルのそれなどが残されている︒ただし︑旧刑法にない背任罪を. 今後採用するよう述べているのは︑当時の御雇外国人O・ルードルフしか今のところ見当たらない︒すなわち︑ルー. ドルフは︑旧刑法に対する批評の中で︑﹁此節︹旧刑法第三編第二章第五節﹁詐欺取財ノ罪及ヒ受寄財物二関スル. 罪﹂のこと1筆者注︺二於テ破信ノ事設ケサルヘカラス﹂とした上で︑﹁此破信ハ信用上ノ状況︑財産支配人︑後見. 人︑管財人︑代言人等ノ爲メ訣クヘカラスシテ詐欺ノ意義︵第三百九十條︶井二受寄盗ノ意義︵第三百九十五條︶ヲ ︵21︶. 以テ之二代﹂えることはできないのであって︑﹁又破信ナルモノハ右緒輩力其被後見人︑委託者等ノ利益二封シ故意. 一〇九. ヲ以テナシタル背法ノ行爲ヲ﹂さしていると述べている︒ここで述べられている破信とは︑やはりドイツ帝国刑法旧 背任罪の系譜︑およびその本質︵内田幸隆︶.
(8) 早稲田法学会誌第五十一巻︵二〇〇一︶. 一一〇. こ六六条のいわゆる背任罪のことを指していると思われるが︑ルードルフは明治政府に対して背任罪の規定を刑法典. 2︶. の中に設けるよう意見しているわけである︒ルードルフの意見書も司法省における刑法改正作業の参考資料とされた ︵2 ものと考えられているため︑現行刑法においてはじめて背任罪が設けられたことに対して影響を与えたといえよう︒. このように内と外の目から︑少数ながらも旧刑法においていまだ背任罪の規定を欠いていたことが当初から指摘さ. れていたのである︒このような指摘があってはじめて背任罪は現行刑法の起草者たちに認識されるようになったとい わなければならないであろう︒. 2 現行刑法編纂過程における背任罪. 旧刑法の改正問題は︑早くもその施行直後から政府の内部において提起されており︑いくつかの一部または全体の. 改正案が作られた︒しかし︑背任罪がその姿を現したのはやっと一九〇一年︵明治三四年︶になってからである︒そ. れまでの旧刑法の改正作業の経過を大まかに見てみると︑一八九〇年︵明治⁝二年︶に法律取調委員会による明治二. 三年改正案が作成され︑その後︑刑法改正審査委員会での明治二八年改正案︑それをもとにして現行刑法の原型と ︵23︶. なったとされる明治三〇年改正案︑法典調査会第三部の下での明治三三年改正案がそれぞれ作成された︒そして明治 三四年改正案に至るわけである︒. ︵一︶明治三四年改正案︵二八二条︶. 明治三三年改正案は︑第一四回帝国議会への提出が見合わされていたのだが︑法典調査会第三部はこれに修正を加 ︵24︶. え整理して︑二編三〇〇条からなる刑法改正案を作成した︒翌一九〇一年︵明治三四年︶二月には︑この改正案が第. 一五回帝国議会に提出されている︒背任罪は︑この明治三四年改正案において新設の犯罪として二八二条に規定され.
(9) た︒すなわち︑﹁他人ノ爲メ其事務ヲ庭理スル者本人二損害ヲ加へ又ハ自己若クハ第三者ノ利盆ヲ圖ル目的ヲ以テ権 ︵25︶ 限外ノ行爲ヲ爲シ本人二財産上ノ損害ヲ加ヘタルトキハ十年以下ノ懲役二庭ス﹂とされたのである︒このような犯罪. が新設された理由は︑改正案と同時に帝国議会に提出された﹁刑法改正案参考書﹂によると︑﹁他人ノ爲メ其事務ヲ. 庭理スル者私利ヲ螢ミ又ハ委任若クハ代理ノ権限ヲ超越シ之力爲メ本人二損害ヲ加フルコト往往ニシテ見ル所ナリ此. 等ノ場合ニハ民事上損害賠償ノ道ナキニアラスト難モ又民事上救濟ノ目的ヲ達セサルコト少シトセス加之其行爲ノ治. 安ヲ害スルコト本節及次節︹第一四章第一節﹁賊盗ノ罪﹂及び第二節﹁占有物横領ノ罪﹂のことー筆者注︺二於テ規 ︵26︶ 定セラルル他ノ罪ト異ナルコトナシ是レ殊二本條ヲ置キテ其弊ヲ防止セントスル所以ナリ﹂とされている︒ ︵イ︶主体の包括性. この明治三四年改正案二八二条の背任罪の規定でまず目に付くのがその主体の規定の仕方である︒すなわち︑当時. のドイツ帝国刑法旧二六六条のようにその主体を列挙するのではなく︑包括的に規定しているのである︒ということ. は︑この明治三四年改正案二八二条が︑ドイツ刑法そのものからは間接的にしか影響を受けていないということにな. ると思われる︒では︑この二八二条はどこからその影響を受けたのであろうか︒また︑なぜドイツ帝国刑法旧二六六 条のようにその主体を列挙しなかったのであろうか︒. まず問題になるのは︑前述の通り︑明治三四年改正案二八二条の背任罪の規定が︑いかなる国の刑法典ないし刑法. 草案から影響を受けたかということである︒もちろん現行刑法の起草者たちは︑ドイツ帝国刑法を通じて旧刑法に背. 任罪の規定がないことを知っていたに違いない︒しかし︑この改正案二八二条の規定とドイツ帝国刑法旧二六六条の. 一一一. 規定の仕方が大きく違うところから見ると︑起草者たちはそれ以外の国の刑法典ないし刑法草案をも参照していたと 考えられるのである︒ 背任罪の系譜︑およびその本質︵内田幸隆︶.
(10) 早稲田法学会誌第五十︸巻︵一一〇〇一︶. 一一二. この問題につき︑手がかりを与えてくれるのは︑現行刑法が成立した一九〇七年︵明治四〇年︶とその翌年に刊行. された︑田中正身による﹃改正刑法繹義﹄である︒田中正身は︑現行刑法の有力な起草者の一人である倉富勇三郎の ︵27︶. 下で刑法改正作業に従事していた人物であり︑この﹃改正刑法繹義﹄では︑旧刑法の改正にあたって参照されていた. 立法例ないし草案例が網羅されている︒そこで︑背任罪についていかなる立法例ないし草案例が参照されていたのか. この﹃改正刑法繹義﹄で見てみると︑現行刑法成立当時に背任罪の規定を包括的に定めた規定を有していたのは︑現 ︵28︶. 行刑法の起草者たちが把握していた限りで︑オーストリア刑法草案二八四条とノルウェー刑法旧二七五条であること が分かる︒. まず︑オーストリア刑法草案の影響について考察してみたい︒﹃改正刑法繹義﹄で参照されたオーストリア刑法草. 案が一体いつのものなのかは︑その中で明らかにされていない︒そこで︑日本の現行刑法の成立以前における当時の. オーストリアの刑法改正作業を見てみると︑一八七一年のドイツ帝国刑法に範をとった一八七四年政府草案をはじめ. とする諸政府草案︵一八九五年に取り下げられている︶︑また一九〇二年の委員会草案︑一九〇四年にへーゲルとラ ︵29︶ マシュによって作成され司法大臣に提出された草案︑一九〇六年の委員会草案が存在する︒一八七四年からの政府草. ︵30︶. 案には︑第一から第七までの草案が存在するが︑その中には﹃改正刑法繹義﹄で挙げられた二八四条に該当する条文 ︵31︶. がない︒また︑一九〇六年の委員会草案では背信罪ではなく信用濫用罪︵くΦ辞轟5拐巨ゆぼ霊魯︶として三九三条に. 規定されたものがあるだけである︒したがって︑﹃改正刑法繹義﹄におけるオーストリア刑法草案二八四条の背任罪. の規定は︑一九〇二年の委員会草案か︑一九〇四年の草案のものであると推定できるであろう︒時系列的にみると︑. 日本の明治三四年︵一九〇一年︶改正案二八二条に対して︑このオーストリア刑法草案一天四条は直接影響を与えた わけではないと思われる︒.
(11) しかし︑オーストリアの刑法改正作業が全く日本のそれに影響を与えなかったわけではない︒日本の明治三〇年. 2︶. ︵一八九七年︶改正案では︑その理由書においてフィンランドの立法例だけでなく︑オーストリア刑法草案やイタリ ︵3 ア刑法︑オランダ刑法なども参照されたことが明言されている︒一八九七年当時で最新のオーストリア刑法草案は︑. 前述のものの中で第七政府草案であり︑これを当時の日本の起草者たちが参照していたと推定できよう︒そこで︑背. 任罪についてはというと︑第一から第七までの一連のオーストリア政府草案では︑その規定の仕方について︑その主 ︵33︶ 体をカズイスティッシュに列挙することを回避しようとしていたことが指摘されているのである︒そこで具体的に第. 七政府草案の中で背任罪を規定した三〇二条を見てみると︑財産管理が委託された最も重要な三つの場合︑すなわち. 4︶. 後見︑監護︵昏轟邑︶︑代理以外に︑一般条項として﹁その他︑財産事務︵くΦ毒鼠窪鐙鑛︒屠窪冨一け︶の処理を委託 ︵3 された者﹂が背任罪の主体として規定されていることが注目される︒おそらく︑このオーストリア第七政府草案三〇. 二条における一般条項が︑日本の明治三四年︵一九〇一年︶改正案二八二条における背任罪の規定に影響を与えたと 考えられるのである︒. 次に︑ノルウェー刑法の影響について考察してみたい︒前述したように︑ノルウェー刑法旧二七五条は︑背任罪の. 主体について包括的に定めており︑これが日本の現行刑法における背任罪の成立に影響を与えたとみることができ ︵35︶. る︒しかし︑ノルウェー刑法の成立は一九〇二年であるから︑ノルウェー刑法旧二七五条が︑直接日本の明治三四年. ︵一九〇一年︶改正案二八二条に影響を与えたわけではない︒むしろ重要なのは︑それ以前の一八八五年に国王の決. 定を通じて設置された委員会によって一八九六年の初頭まで審議され︑作成されたノルウェー刑法草案二七五条であ る︒. ︵36︶. 一二二. ノルウェー刑法旧二七五条とその草案二七五条とで異同はほとんどないが︑ノルウェー刑法草案二七五条において 背任罪の系譜︑およびその本質︵内田幸隆︶.
(12) 早稲田法学会誌 第 五 十 一 巻 ︵ 二 〇 〇 一 ︶. 一一四. 背任罪は﹁ある人に不当な利益を得させ︑もしくは損害を与える目的で︑自己の管理もしくは監督の下にある他人の ︵37︶. 事務︵>眞Φ一罐Φ嘗魯︶を塀怠し︑またはこの点に関して他人の利益に反する行動をとる者は︑罰金刑または三年以下. の自由刑に処する﹂と規定された︒このノルウェー刑法草案は︑図利加害目的をもって背任罪の構成要件要素として. いること︑またその主体を列挙する代わりに包括的な規定を設けて︑他人の﹁事務﹂を管理︑監督する者をその主体. としていることから︑同じく図利加害目的を要求し︑また﹁事務﹂処理者をその主体とする日本の明治三四年改正案 ︵38︶. 二八二条と主要な点で共通している︒さらに︑ノルウェー刑法草案は一八九八年︵明治三一年︶に独訳されており︑. これを日本の起草者たちが参照したと推定されること︑当時にあって背任罪を目的犯として構成する例が他に見当た. らないことからすると︑明治三四年改正案二八二条に対して︑ノルウェー刑法草案二七五条は相当な影響を与えたと 見ることができるのである︒. 以上のように明治三四年改正案二八二条は︑ドイツ帝国刑法旧二六六条から直接影響を受けたというよりも︑当時. にあって最も新しいオーストリアやノルウェーの刑法改正案に影響を受けていたといえるのである︒. そこで次に問題になるのは︑なぜ日本の現行刑法の起草者たちは︑背任罪について当時のドイツ帝国刑法旧二六六. 条のようにその主体を列挙する規定を作成しなかったのかということである︒これは︑言いかえると︑当時の起草者. たちがいかなる方針に基づいて旧刑法を改正しようとしたのかということに他ならない︒そこで︑次に︑当時の起草 者たちの具体的な見解を見てみよう︒ ︵39︶. まず︑明治二三年改正案の起草者の一人であり︑当時のフランスにおける折衷主義刑法理論を学んで旧刑法を理論. 的に解釈した宮城浩蔵は︑早くも一八九一年︵明治二十四年︶に旧刑法の改正論として︑旧刑法は刑期の区別や刑の. 加減について適当でないと主張している︒すなわち︑旧刑法は︑刑の区分が細かすぎて︑法定刑の幅が狭く︑千差万.
(13) ︵40︶ 別な犯情を有する犯罪に対して︑それに相応する適当な刑罰を科すことができないというのである︒. また︑一八九二年︵明治二五年︶に刑法改正審査委員を命じられて以来︑一貫として刑法改正作業に携わっていた. 古賀廉造は︑一八九八年︵明治三一年︶の講演で︑﹁新派﹂刑法理論における社会防衛の観点に拠って立ち︑同一犯. 罪であっても︑その犯情は異なるのであるから︑同一の犯罪に対して同一の刑罰を科することはできない︑したがっ ︵41︶ て各犯罪の法定刑の幅を広くして︑それぞれの犯罪者に適当な刑罰を科する必要があることを主張している︒同じく. 古賀は︑一九〇〇年︵明治三三年︶の講演で︑旧刑法において細かく類型化されていた窃盗罪を例に挙げ︑同一犯罪 ︵42︶. においてその種類を細別するよりも︑同一犯罪においてその種類を一つにまとめて︑法定刑の幅を広くすることをも 主張した︒. 以上から分かるように︑起草者たちは︑当時ヨーロッパで台頭しつつあった﹁新派﹂刑法理論に影響を受け︑それ ︵43︶. ぞれの犯罪における異なった犯情に対処するため︑旧刑法の繁雑な犯罪類型を簡素なものにし︑その法定刑の幅を広. げることを刑法改正における方針としていたのである︒このことは︑明治三四年改正案においても如実に反映されて. いる︒その改正の﹁要旨﹂を見てみると︑犯罪はその情状においてそれぞれ同じものではなく︑犯罪者もその種類を ︵44︶. それぞれ異にしているのであり︑そうだとすれば処罰する場合もその情状とその種類にしたがって厳しくしたり︑緩 ︵45︶. やかにしなければならないということが真っ先に述べられているのである︒これを受け︑第一に重罪と軽罪の区別を. 廃止して︑法定刑の幅を広げてあることが改正の重要な点として挙げられた︒具体的に見てみると︑窃盗罪は旧刑法. において三六六条から三七七条まで全部で一二条もの規定を有していたのに対して︑明治三四年改正案では︑明治二. 一一五. 八年からの改正案に引き続き︑二七三条だけでもって窃盗罪を規定しているのである︒このことからも以上のことが 理解できよう︒ 背任罪の系譜︑およびその本質︵内田幸隆︶.
(14) 早稲田法学会 誌 第 五 十 一 巻 ︵ 二 〇 〇 一 ︶. 一一六. もちろん以上の方針は背任罪の規定にあたっても貫かれたというべきである︒すなわち︑起草者たちはその主体に. ついて制限列挙するのをなるべく避けようとしたのであり︑ドイツ帝国刑法旧二六六条のようにいちいちその主体を. 列挙するということはせず︑オーストリアやノルウェーの刑法草案に倣って包括的な規定を作成しようとしたといえ. るのである︒さらに︑ドイツ帝国刑法旧二六六条やノルウェー刑法草案二七五条のように加重構成要件を設けること. なく︑窃盗罪と同様に最初からその構成要件を単一なものとして構成し︑一〇年以下の懲役というきわめて幅の広い. 法定刑を設定したことからも以上の方針が貫かれたことが窺われる︒日本の背任罪は︑その主体が包括的に規定さ. れ︑単一の構成要件と幅の広い法定刑を有していることがその独自の性格を表わしているのである︒. しかし︑背任罪は︑その主体が包括的に規定されたため︑その輪郭がはっきりとしない犯罪類型になったともいえ. る︒明治三四年改正案の背任罪は︑その主体を包括的にする代わりに︑図利加害目的や︑事務処理ないし事務処理. 者︑権限外の行為︑財産上の損害という概念を導入して︑その限定を図っているのだが︑これらの概念をあまり緩や. かに解釈するのは背任罪の適用領域を弛緩させかねないであろう︒そこで︑以下においては︑本稿の目的である背任. 罪の本質を明らかにするという観点から︑事務処理ないし事務処理者と︑権限外の行為について考察し︑日本の起草 者たちが本来的に背任罪をどのような犯罪類型として理解していたのかを検討してみたい︒. ︵ロ︶事務処理ないし事務処理者. ここでは︑先ほどの考察に従って︑オーストリア刑法草案およびノルウェー刑法草案との比較や︑日本に影響を与 えていたドイツの学説を参照することが有効であると思われる︒. まず︑問題になるのは︑オーストリア第七政府草案三〇二条の一般条項では﹁財産事務﹂という要件が要求されて. いたのに︑日本の明治三四年改正案二八二条では単に﹁事務﹂となって﹁財産﹂という要件が欠落していることであ.
(15) る︒つまり︑日本の背任罪でいうところの﹁事務処理﹂という要件について財産性を必要としているのかということ である︒. 日本の起草者たちは︑背任罪を財産犯として位置付けるため︑本人に対する﹁財産上の﹂損害を要求したのである. から︑あえて﹁事務処理﹂という概念に﹁財産﹂という要件を付加するまでもないと考えたのかもしれない︒ただい ︵46︶. ずれにせよ︑日本の起草者たちは背任罪の規定にあたってオーストリア刑法草案を参照し︑これに影響を受けていた. のであるから︑オーストリア第七政府草案三〇二条でいうところの後見︑監護︑代理といった場合︑すなわち︑他人. の財産を一般的に︑あるいは個別︑具体的に保護する場合や︑他人の財産を使用︑処分することを委ねられていた場. 合を︑﹁事務処理﹈の具体的な場合として想定していたというべきである︒ただ︑後見や代理といった場合を︑前述 ︵47︶. したような刑法改正のための方針に従って︑いちいち列挙しなかったと見るのが自然であろう︒現に帝国議会に提出 ︵48︶. された﹁刑法改正案参考書﹂では︑委任や代理の場合を例として挙げている︒また︑当時の日本の起草者たちに影響 ︵49︶. 力のあったベルナーやリストは︑背任罪の本質について︑他人の利益ないし財産上の利益を擁護する義務に違反する. こととしていたことからも︑日本の起草者たちが﹁事務処理﹂という概念について全く財産性のないものとして理解. していたとはいえないと思われる︒やはり︑﹁事務処理﹂という概念それ自体に財産性が伴っていると解すべきであ ろう︒. 次に︑問題になるのは︑ノルウェi刑法草案二七五条が︑当該事務を管理︑監督する者を背任罪の主体としている. のに対して︑日本の明治三四年改正案二八二条は単に当該事務を処理する者をその主体にしていることである︒つま ︵50︶ り︑﹁管理・監督﹂と﹁処理﹂でどう違うのかということである︒. 一一七. ノルウェー刑法草案の理由書を見てみると︑同草案二七五条について︑例えば営業主の金員を着服する集金係のよ 背任罪の系譜︑ お よ び そ の 本 質 ︵ 内 田 幸 隆 ︶.
(16) 早稲田法学会誌 第 五 十 一 巻 ︵ 二 〇 〇 一 ︶. 一一八. うに︑下位の地位にある者に対してすべて適用されるわけではないとされている︒そして︑同草案二七五条で念頭に. 置かれているのは︑後見人や遺産保護人︑会社取締役︑支配人︑訴訟代理人︑その他これに類する者のように︑他人. 1︶. の名において︑拘束力のある効果を伴う行動をすることができ︑偽りの目的をもってその他人の権利を濫用する者で ︵5 あるとされているのである︒ここからいえることは︑同草案二七五条が背任罪の主体について念頭においている典型. 的な例は代理人であって︑ある一定の財産事務を統括する立場にある者だということである︒. これに対して︑日本の明治三四年改正案二八二条は︑﹁事務﹂について単にこれを﹁処理﹂する者が背任罪の主体. とされているにすぎない︒つまり︑ノルウェー刑法草案よりもその主体を広げていると解することができる︒した. がって︑明治三四年改正案二八二条では︑ある一定の財産事務を統括する者の下にあって︑実際に当該事務を執行す. る者も︑﹁事務処理者﹂の範疇に入るということになろう︒具体的にいえば︑ある銀行の支店において支店長の指揮 の下︑実際に融資を担当する者も﹁事務処理者﹂として背任罪の主体となり得るのである︒. では︑当該事務を実際に執行していくにあたって︑補助的な立場にあるような下位の地位にある者も﹁事務処理. 者﹂といえるのか︒ノルウェー刑法草案二七五条では︑下位の地位にある者に背任罪を適用することを文言上明確に. 否定しているが︑日本の明治三四年改正案二八二条ではそれがはっきりとしない︒ただし︑同改正案二八二条は次で. 触れる﹁権限外の行為﹂という要件を要求していることから︑事務処理者とは︑当該事務を実際に執行するにあたっ. て︑ある一定の権限を有しているような地位にある者を前提としていると思われる︒とすれば︑やはり同改正案二八. 二条でも︑背任罪の主体として︑単に当該事務を補助する立場にあるような下位の地位にある者を予定していないと いうべきであろう︒. なお︑最近の注目すべき見解として︑会社の監査役や後見監督人等︑法律行為による財産処分についての意思内容.
(17) ︵52︶ を本人に代わって決定する過程を監督する者も︑背任罪の主体となり得るとするものがある︒しかし︑日本の背任罪. においては︑ノルウェー刑法のそれのように事務の﹁管理﹂︑﹁監督﹂という概念を用いていないのであるから︑事務. の﹁管理﹂の場合は別として︑その単なる﹁監督﹂の場合は排除されているといえよう︒﹁事務処理者﹂という概念. から会社の監査役や後見監督人のように当該事務を単に監督する者を引き出すことができるかどうかは疑問である︒. 以上︑要するに︑日本の明治三四年改正案二八二条における背任罪の主体は︑当該財産事務を統括する者︑または. その統括の下で実際に当該事務の執行を行う者であって︑単にその事務を監督し︑または補助するだけの地位にある. 者はその主体として予定されていないということになる︒具体的には︑代理人や後見人︑または会社の取締役や支配. 人︑あるいはその指揮の下で実際に個別的な事務を執行する者が背任罪の主体として予定されているといえる︒そし. て︑このような理解は︑以後の改正案や現行刑法の背任罪の主体についても基本的に妥当すると思われるのである︒ ︵ハ︶権限外の行為. 明治三四年改正案二八二条は︑事務処理者が﹁委任若クハ代理ノ権限ヲ超越シ﹂て本人に損害を加えることが多く. 見られるとして︑事務処理者が﹁権限外ノ行爲﹂を為したことを背任罪の要件としている︒しかし︑この要件は当時 の他国の刑法典や刑法草案に全く見ることのできない独自のものである︒. これについては︑当時の最新の学説であったビンディングの権限濫用説が影響を与えたと見るべきであろう︒すな. わち︑ビンディングは︑一八九六年に刊行した概説書︑および一九〇二年に刊行した教科書において︑背任罪を﹁自. ︵53︶. 己に法律上認められた権力的地位︵ζ 9韓2§㎝q︶の濫用により﹂他人の財産に損害を与えるものであると定義し. た︒また︑ビンディングは︑他人の財産に損害を与える背任罪特有の手段とは︑法律が被害者の利益の為に間接的ま. 一一九. たは直接的に行為者に認めたところの︑絶対的権力︵ζ8耳<︒穿︒目馨9Φεを濫用することである︑しかしその代. 背任罪の系譜︑およびその本質︵内田幸隆︶.
(18) 早稲田法学会誌第五十一巻︵二〇〇一︶ 4︶. 一一一〇. ︵5 理権︵く色暴︒εは他人の物の領得や致棄には決して及ばない︑とも述べている︒ビンディングの権限濫用説の出 へ55︶. 発点は︑新たな犯罪の概念と古い犯罪の概念が境を接することはあっても︑部分的に重なることはないというところ ︵56︶. にある︒すなわち︑窃盗︑詐欺︑横領︑背任はそれぞれ固有の領域を持っているのであって︑背任は特に横領の形態 をとることは決してないとするのである︒. 明治三四年︵一九〇一年︶改正案を作成した法典調査会第三部の委員には江木衷も名を連ねているのだが︑江木衷. ︵57︶. は︑ビンディングの著作を自分の刑法書の参考書目に挙げていることからビンディングにも影響を受けているのであ. り︑そうだとすれば︑日本の起草者たちは同改正案二八二条を規定するにあたっても︑当時出ていたビンディングの. 権限濫用説を把握していたとみることができると思われる︒したがって︑日本の起草者たちは︑背任罪の主体を包括. 的に定める一方で︑背任罪と横領罪を区別し︑背任罪を明確に限定することを目指したビンディングの権限濫用説を. 受け入れて︑同改正案二八二条における背任罪の成立の範囲を限定しようと試みたといえよう︒. ヤ. ヤ. ただし︑﹁権限外の行為﹂という文言だけでは︑権限を濫用した場合だけをさすのか︑それとも権限を逸脱するよ ︵58︶. うな場合も含むのかはっきりしない︒同改正案の参考書によれば︑背任罪とは委任または代理の権限を超越し︑これ. によって本人に損害を加える場合を念頭においているのであるから︑﹁権限外の行為﹂という要件は︑権限を逸脱す る場合も含んでおり︑権限の濫用と逸脱を区別しないものだと解されよう︒. 以上見たとおり︑明治三四年改正案二八二条で把握されることになる背任の事例とは︑財産事務を統括する者︑ま. たはその下にあって実際に当該事務を執行する者が︑代理や委任に基づく自らの権限を不正に利用して本人に対して 財産上の損害を与える場合であると考えられるのである︒ ︵二︶明治三五 年 改 正 案 ︵ 二 八 一 条 ︶.
(19) 第一五回帝国議会に提出された明治三四年改正案は︑貴族院の特別委員会での審議中に︑議会の会期が尽き閉会と. なったので︑結局成立しなかった︒司法大臣は︑この改正案を刑事訴訟法改正案と共に全国の裁判所︑検事局および. 弁護士会に送付し︑それに対する意見を求めたのだが︑これらの意見は︑﹁刑法及刑事訴訟法意見書﹂︑同﹁意見書追. 加﹂としてまとめられている︒法典調査会第三部は︑これらの意見書をも参考にして改正作業を進め︑一九〇一年. ︵明治三四年︶一一月に﹁刑法再整理案﹂を作成した︒そして︑この﹁刑法再整理案﹂をもとにさらに修正を加え︑ ︵59︶. 整理して二編二九九条からなる刑法改正案が作成されたのである︒政府は︑この改正案を一九〇二年︵明治三五年︶ 一月に第一六回帝国議会に提出した︒. 背任罪は︑この明治三五年改正案の二八一条で規定されており︑法定刑の幅をのぞいては︑ほぼ一九〇七年︵明治. 四〇年︶に成立した当時の法文になっている︒すなわち︑﹁他人ノ爲メ其事務ヲ庭理スル者本人二損害ヲ加へ又ハ自 ︵60︶. 己若クハ第三者ノ利盆ヲ圖ル目的ヲ以テ其任務二背キタル行爲ヲ爲シ本人二財産上ノ損害ヲ加ヘタルトキハ十年以下. ノ懲役二庭ス﹂とされた︒重要なのは︑背任罪の実行行為が︑﹁権限外の行為﹂を為すことから﹁任務に背く行為﹂. を為すことに変更されたことである︒さらに︑この変更に合わせて︑この改正案とともに帝国議会に提出されたその. 理由書においても︑﹁委任若クハ代理ノ権限ヲ超越シ﹂という文言が削られ︑﹁其任務二背キタル行爲ヲ爲シ﹂という ︵61︶ 文言が加えられた︒. それではなぜ明治三四年改正案二八二条から明治三五年改正案二八一条に移り変わる際に︑背任罪の実行行為につ. 2︶. いて﹁権限外の行為﹂から﹁任務に背く行為﹂に修正されたのであろうか︒このような変更は︑すでに一九〇一年 ︵6 ︵明治三四年︶一一月に作成された﹁刑法再整理案﹂において確認することができる︒明治三四年改正案に対する全. 一二一. 国の裁判所︑検事局および弁護士会の意見をまとめた﹁刑法及刑事訴訟法意見書﹂︑同﹁意見書追加﹂は︑この﹁刑 背任罪の系譜︑およびその本質︵内田幸隆︶.
(20) 早稲田法学会 誌 第 五 十 一 巻 ︵ 二 〇 〇 一 ︶. 3︶. 一二二. 法再整理案﹂が作成される際に︑起草者たちによって参照されているのだが︑これらの﹁意見書﹂を確認しても︑明 ︵6 治三四年改正案二八二条に対する格別の意見は掲載されていない︒. ここで注目されるのは︑明治三四年改正案が第一五回帝国議会に提出された直後に公刊された岡松参太郎の﹃刑法. 改正案批評刑法ノ私法観﹄である︒岡松は︑当時京都帝国大学教授の地位にあった民法学者であり︑後の一九〇六年. ︵明治三九年︶には法律取調委員会の設置とともにその委員に任命され︑刑法改正作業にも従事する人物である︒こ. の﹃刑法ノ私法観﹄の自序で岡松は︑﹁刑法改正案二対シ余輩ノ私法的観察ヲ述ヘントス﹂とした上で︑その本文で. 明治三四年改正案二八二条について次のように批判した︒すなわち︑他人のために事務を処理する者とは︑代理権が. ある場合に限られない︑しかし︑﹁権限外の行為﹂という場合に︑この﹁権限﹂とは︑民法一〇三条の意義に照らせ ︵64︶. ば代理権の範囲を意味している︑したがって︑代理権がない場合には権限がなく︑﹁権限外の行為﹂が存在する理が. ないというのである︒そして︑﹁権限外の行為﹂を認める前提になるのは代理権がある場合︑しかも有権代理の場合. だけだが︑無権代理や事務管理の場合︑委任もしくは雇用︑請負︑組合など契約により他人の事務を管理する場合︑. 子の財産を管理する場合などには二八二条は適用されないことになる︑しかしこのような結論では二八二条の適用が ︵65︶ はなはだ狭くなって︑被管理者の利益を保護するのに十分とはいえないのではないか︑と批判しているのである︒. 結局のところ岡松は︑明治三四年改正案二八二条について︑﹁権限外の行為﹂という要件は再考されるべきだと主. 張している︒同改正案二八二条について︑これ以外の根本的な批判は見当たらないことから︑起草者たちは︑以上の ヤ. ヤ. ような岡松の批判を受け入れて︑﹁権限﹂とは裏腹の関係にある﹁任務﹂という側面から明治三五年改正案二八一条. を作成したといえるであろう︒ここに日本における背任罪の独自の特徴が現れているのである︒. 興味深いのは︑岡松の明治三四年改正案二八二条に対する批判が︑背任罪の本質について︑権限濫用説のうちその.
(21) ︵66︶. 権限を法的な代理権に限定する見解に対する批判の内容と類似しているということである︒このことは︑起草者たち. が︑背任罪の本質について︑少なくとも権限濫用説のうちその権限を法的な代理権に限定する見解を採用していな. かったことを意味している︒すなわち︑起草者たちもはじめから﹁権限﹂について﹁有効な代理権﹂の場合に限定す. ると解していたわけではないのであろう︒しかし︑岡松の批判を受けて︑﹁権限外の行為﹂という要件によっては背. 任罪の対象から漏れる事例が出てくると考えたために︑これに代えて意昧の広くなる﹁任務に背く行為﹂を背任罪の 行為態様としたといえるのである︒. では︑起草者たちは︑具体的にどのような場合を任務違背行為としていたのであろうか︒貴族院での審議を見てみ. ると︑背任罪のうち加害目的があるだけの場合を削除すべきかという議論の中ではあるが︑ある商品の買占めを図っ. ている仲買がいて︑その下に全権を有する番頭がいる︑この番頭が自分の主人以外の仲買と共謀して︑売ってはなら. 7︶. ない当該商品をその主人以外の仲買に売ってしまったという場合や︑仲買か番頭が︑買わなければならない商品を買 ︵6 わなかったとか︑商品を売らなければならなかったのに︑そのまま売らずにおいたという場合が挙げられている︒い ︵68︶. ずれの事例も︑起草者たちは︑行為者が本人の財産について何らかの権限を有している場合を前提にしているように 思われる︒. 岡松の批判の骨子は背任罪の主体︑すなわち事務処理者の概念そのものを拡張することではなくて︑その可罰的な. 背任行為を適度な範囲に広げようとしたところにあった︒そうであるならば︑起草者たちは︑背任罪の主体につい. て︑何らかの権限を有している者を念頭に置いた上で︑その権限を代理権に限らないという趣旨で﹁権限外の行為﹂. を﹁任務に背く行為﹂に変更したと解することができるのである︒したがって︑ある事務の処理に際して︑その事務. 一二三. に関する権限を全く有していない補助的な地位にある下位の者は︑背任罪の主体としてやはり予定されていなかった 背任罪の系譜︑およびその本質︵内田幸隆︶.
(22) 早稲田法学会 誌 第 五 十 一 巻 ︵ 二 〇 〇 一 ︶. 一二四. といえよう︒例えば前述の貴族院の審議で挙げられた番頭や仲買のように︑本人に代わってある程度独立した経済活 動を行うことができる者の任務違背行為のみが背任罪として問題にされているのである︒ ︵三︶明治四〇年改正案︵二四八条︶. 第一六回帝国議会に提出された明治三五年改正案は︑貴族院で可決され衆議院に送付されたものの︑そこで会期が ︵69︶. 終了し︑結局成立しなかった︒政府はこの改正案をもとにした二編二九八条からなる改正案を一九〇二年︵明治三五. 年︶二一月の第一七回帝国議会に提出したが︑議会が解散され︑議事にのぼらなかった︒翌一九〇三年︵明治三六. 年︶には法典調査会が廃止されている︒刑法改正作業は︑一九〇六年︵明治三九年︶に法律取調委員会が司法省内に ︵70︶ 設置され︑本格的に再開されることとなった︒. この法律取調委員会の下で同年一〇月に︑二編二八九条からなる刑法改正案が作成されている︒それまでの改正案. で﹁賊盗ノ罪﹂の章の中にまとめられていた財産犯の諸類型は︑この改正案において第三六章﹁窃盗及ヒ強盗ノ罪﹂ ︵71︶ と第三七章﹁詐欺ノ罪﹂に分けられ︑背任罪は第三七章﹁詐欺ノ罪﹂の中の二七二条で規定されることになった︒. 法律取調委員会は︑この明治三九年の改正案をさらに審議し︑同年一二月に二編二六五条からなる刑法改正案を作. 成した︒政府は︑この改正案を翌一九〇七年︵明治四〇年︶二月に第壬二回帝国議会に提出している︒背任罪に関し ︵72︶. ては︑一九〇六年︵明治三九年︶二一月二六日の法律取調委員会委員総会の審議で法定刑について懲役の刑期を半分. に引き下げ︑罰金を選択できるように改められ︑ここに現行法通りの背任罪の規定が誕生した︒すなわち︑背任罪. は︑明治四〇年改正案において第三七章﹁詐欺及ヒ恐喝ノ罪﹂の中の二四八条で﹁他人ノ爲メ其事務ヲ庭理スル者自. 己若クハ第三者ノ利盆ヲ圖リ又ハ本人二損害ヲ加フル目的ヲ以テ其任務二背キタル行爲ヲ爲シ本人二財産上ノ損害ヲ ︵73︶ 加ヘタルトキハ五年以下ノ懲役又ハ千圓以下ノ罰金二庭ス﹂と規定されたのである︒.
(23) 明治四〇年改正案は︑議会での修正を受けた後︑二編二六四条からなる現行刑法としてついに成立した︒背任罪も 二四七条において修正を受けることなくそのまま規定されることとなったのである︒. さて︑ここで背任罪について問題になるのは︑なぜ同改正案においてそれまでの改正案よりも懲役の刑期を引き下. げ︑罰金を選択できるようにしたのかということである︒このなぜかという問題については︑今のところはっきりと. は分からない︒ただ︑当時の各国の立法例ないし草案例を見てみると︑背任罪の法定刑をコO年以下の懲役﹂とし. て重く処罰するものはない︒当時のノルウェー刑法旧二七五条において加重背任罪が六年以下の自由刑とされたのが. せいぜいである︒一九〇六年︵明治三九年︶の法律取調委員会の審議で︑各国の立法例ないし草案例を比較した上 で︑ようやくそれまでの厳罰主義が改められたというところであろうか︒. それよりも重要なのは︑背任罪の法定刑につき懲役の上限が五年とされ︑罰金刑が選択的に付加されたことで︑委. 託物横領罪のそれより軽くなったということである︒委託物横領罪の法定刑は︑それまでの改正案を通じて﹁五年以. ︵74︶. 下の懲役﹂とされていた︒したがって︑もし背任罪の法定刑がそのまま一〇年以下の懲役とされていたら︑委託物横. 領罪と背任罪が競合する場合に︑ドイツと同様に背任罪が優先的に成立するということになったであろう︒明治四〇. 年改正案で背任罪の法定刑が引き下げられたことで︑背任罪は委託物横領罪に対して補充的な犯罪類型であるという 位置付けが可能となったのである︒. ただし︑現在では商法における特別背任罪と刑法の業務上横領罪との関係が問題になっている︒特別背任罪は︑一. 九三八年︵昭和一三年︶にはじめて商法に規定されたが︑一九九七年︵平成九年︶の法改正によりその法定刑が一〇. 年以下の懲役または一〇〇〇万円以下の罰金ということになった︒商法では四九二条により特別背任罪について懲役. 一二五. と罰金の併科が可能であるため︑法定刑について一〇年以下の懲役とする業務上横領罪よりも特別背任罪のほうが重 背任罪の系譜︑およびその本質︵内田幸隆︶.
(24) ︵75︶. 早稲田法学会誌第五十一巻︵二〇〇一︶. 一二六. いということになる︒このようなねじれ現象をどう考えたらいいのかについては紙幅の都合上別稿に譲ることにす る︒. 3 小括. これまで見てきたように︑日本では︑単にドイツに倣うというのではなく︑他のヨーロッパ諸国でも進行していた. 刑法改正作業を常に意識していたのであり︑また当時の最新の学説︑特に社会防衛の観点を導入した﹁新派﹂刑法理 論に影響を受けつつ︑旧刑法から現行刑法へと転換が図られたといえる︒. 背任罪に関しては︑明治三四年改正案二八二条では︑オーストリアやノルウェーの刑法草案︑あるいはビンディン. グの見解に影響を受けて︑その主体を包括的に規定する一方で︑目的や事務処理︑あるいは行為者の持つ権限に着目. してその成立範囲を限定しようとする立法が試みられた︒この改正案二八二条が現行刑法二四七条における背任罪の 原型を形作っているのである︒ ︵76︶. ただし︑法の継受についてヨーロッパ諸国から日本へという狭い視野にとらわれることはできない︒ノルウェー刑 ︵77︶. 法草案の編纂過程ではオーストリアの政府草案が参照されているし︑日本の明治三四年改正案二八二条は一九〇六年. にはドイツに紹介されている︒当時においては︑ヨーロッパ諸国の間で︑ないしはヨーロッパ諸国と日本との間で刑. 法改正作業は相互に影響し合っていると見ることができるのである︒さらに︑法の継受の側面以外では︑明治三五年. 改正案二八一条において︑政府関係者の他に民法学者の意見も反映されているとみられることが注目に値する︒. 次に︑背任罪の主体について見てみると︑明治三四年改正案から明治四〇年改正案までの立法過程からみて︑ある. 程度独立して本人に代わって経済活動をなす者が︑その経済活動に関して本人に財産上の損害を与える不正行為を行.
(25) う場合に背任罪として処罰することを予定していたと考えることができる︒すなわち︑ある財産事務を統括する者︑. あるいはその者の統括の下で実際に当該事務を執行する者が︑その事務に関して自らの任務に違反する場合が問題に. なっているのである︒ここで︑本人に代わって経済活動を実際に行うことができるということであれば︑そこには何 ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. らかの権限が存在することを前提にしなければならないと思われる︒ ヤ. ヤ. さて︑日本における背任罪の立法がどのようになされていったかについては明らかにできたと思われるが︑最後 に︑これがなぜ一九〇一年︵明治三四年︶になって初めて出てきたのかという疑問が残る︒. 現段階では︑この疑問について︑以下のように示唆することしかできない︒すなわち︑日本の社会︑経済構造の変 ︵78︶. 化を考慮する必要があると思われるのである︒﹁元来︑財産犯のあり方は︑経済・社会構造と密接な関連を有する﹂. ことが指摘されているのだが︑このことは背任罪についても当てはまる︒つまり︑農業を中心とした近代以前の社会. が︑商・工業を中心とする資本主義経済の浸透した社会に移り変わっていくと︑その発展段階において個人の経済活 ︵79︶. 動が大規模化していき︑自らの活動だけではその経済活動が不十分なものになって︑﹁他者﹂に対して財産の運用・. 管理を委ねざるを得なくなるのである︒ここで﹁他者﹂とは︑具体的にいうと︑会社などの組織であり︑または個人. としての代理人を指す︒背任罪は︑会社などの組織内部または代理人の不正行為について︑もはや民事的解決に委ね. ることができないものを処罰するために生まれてきたといえるのである︒はじめ背任罪は︑例えばドイツにおけるよ ︵80︶. うに︑やはり﹁他者﹂に財産の運用・管理を委託する後見人の場面において登場したが︑近代に入るとその活動範囲 を会社や代理人の場合にも拡張していったのである︒. 1︶. 一二七. では︑具体的に見て日本における社会︑経済構造はどのように変化していったのであろうか︒一言でいえば︑明治 ︵8 から大正にかけての日本は﹁産業化の時代﹂であったということである︒すなわち︑一八七二年︵明治五年︶当時の 背任罪の系譜︑およびその本質︵内田幸隆︶.
(26) 早稲田法学会 誌 第 五 十 一 巻 ︵ 二 〇 〇 一 ︶. 一二八. 有業者の七二・六%が﹁農﹂に分類され︑一八七四年︵明治七年︶の生産物の六一%が農産物であったと推計されて ︵82V いるように︑当時の日本の産業構造は圧倒的に農業の比重が高かった︒それが一九二〇年︵大正九年︶になると︑そ ︵83︶. の就業構成は︑農林業五五・二%︑鉱工業二一・五%︑サービス産業二三・三%となって︑明治前期よりもかなり産. 業化が進行しているのが窺われる︒この間に何が起こったかというと︑一八八五年︵明治一八年︶から一九一四年. ︵大正三年︶にかけての三〇年間に生産活動の規模は実質GNPでみても二・二倍︑鉱工業生産は四倍以上に達し︑. 綿業は輸出産業として定着し︑重化学工業や電力事業もようやく発展の緒についていたのであり︑またその貿易発展. を見ても︑開港とともに始まる低開発国型貿易構造から脱して加工貿易を中心とする工業国型貿易構造への転換期に ︵84︶. あったと評価されるなど︑総じてこの時期の日本はその社会︑経済構造が急激に変化していったということができる. と思われるのである︒さらに︑背任罪が明治三四年改正案にその姿をあらわす直前の時期をみてみると︑一八九五年. ︵明治二八年︶後半から︑日清戦争における莫大な戦時需要およびその勝利に伴う巨額の賠償金によって︑鉄道︑銀 ︵85︶. 行︑紡績を中心とした企業熱の勃興があり︑一九〇〇年︵明治⁝二年︶の恐慌までの五年間に会社数は四六六五社︑ ︵86︶. 払込資本金額は四・七億円の増加を示していることが注目に値する︒そして︑日本の産業構造や金融制度は︑この時. ︵87︶. 期に以後の原型が整ったとされるのである︒さらに︑これと対を成すように法制度の側面からも︑資本主義経済の発. 達を促す代理制度や会社制度などの民・商事法制度がやはり明治三〇年前後に確立している︒具体的には︑一八九三 ︵88︶. 年︵明治二六年︶に旧商法の内の会社︑手形︑破産に関する規定が施行︑一八九八年︵明治三一年︶には民法が施 行︑翌一八九九年︵明治三二年︶には商法が施行された︒. このような明治から大正にかけての資本主義経済の発展および民・商事法制度の確立が︑現行刑法において︑さら. には明治三四年改正案においてはじめて背任罪が規定された社会・経済的背景であるとみてよいと思われる︒資本主.
(27) 義経済が発展し︑それに伴う民・商事法制度が確立してはじめて近代的な意味での背任罪が出現する条件が整うと考. えられるのである︒日本における背任罪は︑資本主義経済の更なる発展を刑法の側面から支えるために規定されたと 評価できよう︒. しかし︑本来ならば私的自治の自律性の間題となるはずの場面で︑刑法がどこまで介入することができるのかとい. う問題が出てくる︒社会・経済の発展に伴うあらゆる問題に対して刑法が介入するのは︑刑法の謙抑性という点から. 妥当でないからである︒この疑問については︑一応︑もはや私的自治の自律性に委ねることができない場合があれ. ば︑そこに刑法が介入することが可能となると答えることができるであろう︒社会・経済の発展という観点からみれ. ば︑本人に代わって他人がその経済活動を行うという場面が不可避的に出てくるのであり︑その他人が不正行為を行. えば本人に対して重大な財産的損害が生じることになるのである︒また︑社会・経済の発展に対する弱者の保護とい. う観点からも︑本人に代わって他人がその経済活動を行う場面が出てくるであろう︒すなわち︑日本において背任罪. は︑私的自治の拡張ないし補充が問題になる場合に︑その経済活動を他人に委ねざるを得ない本人を一般的に保護す. るために規定されたと考えることができるのである︒具体的には︑代理人︑後見人︑または︵例えば会社の取締役︑. 財団の理事など︶ある一定の団体における機関の︑本人にとって財産上の損害となるような経済活動を規制するため に背任罪は設けられたといえよう︒. 一二九. これまで見てきたように日本における背任罪の﹁系譜﹂はきわめて複雑なものであった︒そこから読みとれたこと を踏まえた上で︑次に背任罪の本質を論じてみたいと思う︒. 背任罪の系譜︑およびその本質︵内田幸隆︶.
(28) 1. 早稲田法学会誌第五十一巻︵二〇〇一︶. 三 背任罪の本質 予備的考察. ︵一︶権限濫用説と背信説との対立. 二二〇. 背任罪の本質について︑議論の出発点となるのは︑権限濫用説と背信説との対立である︒しかしながら︑現在では. ︵89︶. 両説に対して厳しい批判があって︑法的代理権に限定する権限濫用説︑または全く限定を付さない背信説をとる論者 はほとんどいない︒. 権限濫用説のうちその権限を法的代理権に限定する見解をとっているのは滝川幸辰博士であるとされている︒すな. わち︑博士は︑背任罪について︑﹁任務に反した行為という以上は︑法に基き一定の権限のあることを前提とせねば. ならない﹂とし︑その本質は﹁法上の処分権限ある者が︑権限を濫用して事務を処理する﹂ことにあるとする︒その ︵90︶. 上で﹁背任罪以外の財産罪は︑原則として財物の侵害を本質とするが︑背任罪は︑財物に対するよりも︑権利に対す る犯罪という点に特色がある﹂とするのである︒. この滝川博士の見解に対して︑団藤重光博士から︑﹁﹃財物に対する罪﹄でない﹃権利に対する罪﹄は強盗罪・詐欺 ︵91︶. 罪・恐喝罪にも含まれている︒かならずしも背任罪に限ったことではない﹂という批判がなされている︒また︑権限 ︵92︶. 濫用説のうちその権限を法的代理権に限定する見解に対しては︑﹁法律上の代理権がなければ背任もない︑という必 ︵93︶. 要はないはず﹂であるとか︑事務処理者が法律行為を行う場合だけでなく︑単に事実行為を行って本人に財産上の損. 害を与える場合も背任行為として当罰性が大きいものがある︑といった批判が存在する︒現在において︑背任罪の処. 罰範囲を明確にするため事務処理者の権限に着目する見解も︑そのほとんどが法的代理権に限定しようとはしない︒.
(29) 4︶. これに対して︑背信説は︑背任罪の本質について︑信頼関係の侵害ないし誠実義務の違反により財産上の損害を与 ︵9 えることであるとしている︒ただし︑権限濫用説のうちその権限を法的代理権に限定する見解を批判し︑背信説を妥. 当とする論者も︑現在では背信説をそのまま無批判に受け入れているわけではない︒例えば︑背信説に対して︑信頼 ︵95︶. 関係の侵害ないし誠実義務違反という基準が必ずしも明確でないために︑背任罪の成立範囲が無限定に拡大するおそ. れがあると批判しているのである︒背任罪の本質を検討する上で︑単なる債務不履行を背任罪では処罰しないことが. まず前提となるのであるから︑このような批判は正当である︒したがって︑背信説を前提とする見解は︑すべての任. 務違背行為を背任罪として処罰するのではなく︑任務違背行為のうち処罰に値するものだけを背信説で捕捉しようと して︑何らかの限定を付すことを試みているのである︒. ︵二︶議論のための指針. 日本における背任罪については︑その成立過程において︑権限濫用説のうちその権限を法的代理権に限定する見解. は起草者たちによって否定されている︒しかし︑日本では︑背任罪の成立範囲につき︑当初は事務処理者の持つ権限. に着目した立法が試みられたことから分かるように︑全くの背信説が前提にされているともいえない︒問題は権限濫. 用説と背信説の対立から出発して︑背任罪の妥当な処罰範囲をどう画していくかにある︒この際︑議論の素材となる. のは︑前章において検討したものだけでなく︑その主体を包括的に規定することを選択しなかったフランスやアメリ カの例である︒. まず︑フランスについてであるが︑確かにその刑法典においていわゆる背任罪は存在しない︒しかしながら︑背任 ︵96︶. という観念が全く存在しないわけではなく︑例えば︑ドイツ刑法二六六条とフランス商事会社法四二五条四号︑四三. 二二一. 七条三号は︑実体刑法上の構成要件が本質的には同一であると評価されている︒すなわち︑フランス商事会社法四二 背任罪の系譜︑およびその本質︵内田幸隆︶.
(30) 早稲田法学会 誌 第 五 十 一 巻 ︵ 二 〇 〇 一 ︶. 一三二. 五条四号では︑有限会社に関する犯罪として︑﹁悪意で個人的目的のため︑または自己が直接または問接に利害関係. を有する他の会社もしくは企業を有利にするため︑会社の財産または信用について︑知りながら会社の利益に反する. 利用をなした管理者﹂が処罰され︑同法四三一条によりその主体が﹁直接または人を仲介してその法定の管理者の庇 ︵97︶ 護の下にまたはこれに代わって事実上有限会社の管理を行ったすべての者﹂にまで拡張されている︒また︑同法四三. 七条三号では︑株式会社の支配及び取締りに関する犯罪として︑﹁悪意で会社の財産または信用について個人的目的. のため︑または自己が直接または間接に利害関係者である他の会社もしくは企業を有利にするためにその利益に反す. る利用を行った株式会社の社長︑取締役︑または総支配人﹂が処罰され︑同法四六三条によりその主体が︑﹁直接ま ︵98︶. たは人を仲介して﹂それらの者の﹁庇護の下に又はこれに代わってその会社の支配︑取締り﹂を﹁事実上行ったすべ ての者﹂にまで拡張されている︒. このようにフランスにおける商事会社関係の背任罪では︑その対象が会社の財産だけではなく︑その信用にまで広. げられているものの︑その主体が法律上または事実上その会社の支配または取締り︑管理を行った者に限定されてい. るのが特徴的である︒要するにそれら以外の者がいくら会社財産を不正利用したとしても処罰されないということで. ある︒結局︑フランスにおいては︑本人に対して高度の信頼関係を有している者か︑あるいは本人に代わって実際に. 事務を執行していた者が背任罪の主体として念頭に置かれているというべきであろう︒これは︑日本における背任罪. の本質を論じる際に︑重要な示唆を与えてくれるものといわなければならない︒ ︵99︶ 次に︑アメリカでは︑日本やドイツにおけるような背任罪の規定は存在しない︒しかしながら︑いわゆる背任罪と. 類似する犯罪類型はアメリカ法律協会による一九六二年の模範刑法典の中に見出すことができる︒すなわち︑文書偽. 造及び不正取引の罪がまとめられた二二四章︵貰浮一Φ︶の中の二二四・二二条︵ωΦ往8︶で財産不正使用罪という犯.
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