人口転換と人口論の展開
─マルサスから SDGs まで─
佐藤龍三郎
1
A brief history of demographic transition and population thought:
From Malthus to the Sustainable Development Goals
Ryuzaburo SATO
1"Demographic transition” is one of the most important concepts in understanding the modern history of population and health. The modernization of nations progressed as a drastic demographic shift occurred from a regime of high fertility and high mortality to that of low fertility and low mortality. Considering the long-term demographic changes, the paper presents a brief history of population thought from Malthusian theory at the end of the 18th century to the Sustainable Development Goals (SDGs) of the early 21st century. Malthus’ theory of population implied that living things have a prolific nature, although this idea was considered dangerous and not clearly stated at the time. It promoted the emergence of birth control movements and enabled Darwin to complete and publish his theory of evolution. Malthus, who pioneered the modern era, emphasized the contrast between population growth and food shortage. We, standing at the demise of the modern era, face new challenges, such as global resource constraints and environmental concerns, population aging to an unprecedented degree, coexistence of populations with still high and very low fertility, and new tides of international migration. The SDGs do not explicitly mention population trends, but the majority of the goals are substantially related to population and health.
Key words: demographic transition, population thought, modernization, population governance,
Malthusian theory of population, SDGs
人口転換,人口論,近代化,人口統治,マルサス人口論,持続可能な開発目標 Ⅰ.人口転換の始まりと終わり 約20万年前に地球上に出現したといわれる現生 人類(ホモ・サピエンス)の人口の歴史は 1),大 まかにいえば人口転換(demographic transition) という人口動態の革命的な転換を間に挟んで,① プレ人口転換期(人口転換が始まる前の時期),② 人口転換期(人口転換が進行中の時期),③ポスト 人口転換期(人口転換が終わった後の時期)に 3 区分される. ①では多産多死の均衡により人口は長期にわ たって停滞した.前近代の狩猟採集ないし農業社 会がこれに相当する.この時代には,人々は飢え・ 災害や病気に対しほとんど無力であり,平均寿命 1 中央大学経済研究所客員研究員
はせいぜい 30 ~ 40 年ほどに過ぎなかった 2).世 界人口は 10 億人を超えることはなかった 3). ②は概ね「近代」といわれる工業化社会に相当 する.まず死亡率が低下,遅れて出生率が低下し, その時間差により(多産少死となって)人口が著 しく増加した 4).ヒトが生存にとりあえず十分な 程度の生産力と病気をかなりの程度コントロール する力をもち,「人間らしい」暮らしができるよう になるのは,ようやくこの時代になってのことで ある.近代化と人口転換の先発国(現在の「先進 国」にあたる)では先に人口増加が起こり,植民 地やその独立後の国への大規模な移民が見られ た 5).また 20 世紀前半には二度の世界大戦で多く の人命を失った.近代化の後発国(現在の「開発 途上国」)では第二次世界大戦後,主として先進 国・国際機関からの近代医薬の導入により死亡率 が急低下し,出生率とのギャップが拡大して,「人 口爆発」と形容される急速な人口増加が起こった 6). ③は概ね,成熟した工業社会ないしポスト工業 社会(情報化社会)に対応する.歴史区分では「近 代後期」あるいは「ポストモダン」といわれるこ ともある.今日の人類は,平均寿命は 72 年(先進 諸国では 79 年)に達している 7).人口転換後には 少産少死の均衡に至ることから人口増加は終息す るはずであるが,近代化と人口転換の最後発地域 (サブサハラ・アフリカ,西アジア,南アジアな ど)ではまだ人口転換が完了しておらず(出生率 が人口置換水準を上回っており),当面人口増加が 続くことになる.世界人口は現在 78 億人に達し, 21世紀半ばに 100 億人を超える見通しである 7). 一方で多くの先進諸国と一部の新興工業国では, 出生率が持続的に人口置換水準を下回る「少子化」 の状態に陥っており,高齢者の余命も伸び続けて いることから,人口がいずれ減少へ向かう趨勢に あるとともに人口の超高齢化が進んでいる.これ は古典的な「人口転換」理論では想定していなかっ た新しい事態である 8-10). このような人口の歴史,とりわけ近代以降の大 きな変動は,人々の人口に対する関心を喚起し, 様々な社会思想や政策論が沸き起こった.その流 れをつかむことは,ポスト人口・健康転換期の健 康研究にとっても有意義なことであろう.本稿で は,近代における人口転換という長期的な人口シ ステムの変動を踏まえた上で,マルサスからSDGs (持続可能な開発目標)までの人口論の流れを概観 する. Ⅱ.近代国家と「人口統治」 本特集は人口と健康の近代史に焦点を当てる. すなわち現在に至る過去 200 ~ 300 年という時間 スケールに着目する.西欧と北米で 18 世紀頃始 まった「近代化」といわれる経済・社会システム の飛躍的な発展は,産業革命(工業化),市民革命 (憲法制定と議会開設),国民国家形成といった側 面で特徴づけられる.イデオロギーの面では「国 民」としてのアイデンティティが確立し,国家に よる国民(人口)の統治がおこなわれるようになっ た. 前近代社会では,個人が病気になったときやケ ガをしたとき心配してくれるのは,せいぜい家族 か親方であった.健康や教育水準は個人の問題で あり,国はほとんど無関心であった.しかし近代 国家はすべての国民(国家の成員)の健康や教育 水準に関心を持ち,その向上と管理を責務と信じ るようになった.このことは近代国家の人口統治 (population governance)と呼んでいいのではない だろうか."population governance"の語は,英国 マンチェスター大学の保明綾の研究 11)から示唆を 得たものである. 一般に国家の 3 要素は「主権,領土,国民」と いわれる.このうち国民は,単に国籍などの法的 地位の付与,徴税・徴兵や出入国管理の対象であ るばかりでなく,近代国家の成熟につれ,その量 と「質」が管理の対象として意識されるようになっ た.筆者は,このことを「人口統治」という特別 な言葉で一括することに意味があると考える.「人 口統治」の主要な手段は,公教育,公衆衛生,社 会福祉,社会保障,そして広義の人口政策(人口 統計制度の整備,人口研究の促進,「人口問題」の 啓発などを含む)である.本特集には近代日本の
人口政策史,優生学史,植民地人口研究などが含 まれるが,これらは近代日本の「人口統治」の様々 な断面と見ることもできるであろう. 一方で「人口」というテーマは,国家というレ ベルを超え,グローバルな視点からも論じられて きた.本稿では,以下,近代における人口に関す る思想や政策論の流れを概観し,21 世紀に生きる 私たちにとって「人口」という視点がどのような 意義をもつのか考えてみたい.近代の人口論は次 項のマルサスから始まる. Ⅲ.マルサス人口論の登場 1.マルサス人口論の概要 既存のマルサス研究によりマルサスの足跡をた どると 12-15),マルサス(Thomas Robert Malthus)
は 1766 年,英国ロンドン近郊のサリー州で出生, ケンブリッジ大学ジーザス・カレッジを卒業した のち,故郷の近くで英国教会の副牧師に就任した. 「人口論」として世に知られる『人口の原理』(An
Essay on the Principle of Population)初版を匿名で 出版したのは 1798 年のこと(このとき 32 歳)で あった 16).マルサスは『人口の原理』を第 6 版 (1826 年)まで改訂したのち,1834 年に 68 歳で没 した. マルサス人口論は,「食物は人間の生存に必要で ある」,「両性間の情欲(passion)は必然であっ て,今後も変わらない」という 2 つの公準から出 発し,①人口は食料など生存資料によって制限さ れる(規制原理),②人口は,妨げ(check)がな い限り,生存資料の増すところでは常に増加する (増殖原理),③人口と生存資料の増加率には著し い差があり,前者は妨げがなければ幾何級数的に 増加するが,後者は算術級数的に増加するという 3命題からなる 12,14).そこで両者を同一水準に保 たせるもろもろの妨げは,窮乏(misery),罪悪 (vice)および道徳的抑制(moral restraint)から なる(均衡原理).ただし道徳的抑制は第 2 版で追 加されたものである 17).増殖原理については,マ ルサスは「すべての生物がそのために用意された 養分を超えて増加しようとする不断の傾向」とも 言い表している 18). 人口を生存資料の水準まで引き下げる妨げには, 積極的妨げ(positive check)と予防的妨げ(pre-ventive check)があり,前者は死亡率を引き上げ るようなこと(戦争,不摂生,過酷な労働,劣悪 な児童保育,疫病など),後者は出生率を引き下げ ゴドウィンの主張 理性は人をたえざる進歩と完成に導く。しかし現実の政治は(旧制度)を支 持・保護し、理性の作用を妨げる。つまり、困窮と罪悪の根本原因は正義に反 する政治制度にある。私有財産に反対し、結婚制度を非とする。 人口過剰はきわめて遠い将来のこと。(人々は)官能の享楽に無関心となり、 人口の増加もこれ以上許されないというときに至るならば自然におこなわれな くなるであろう。 ゴドウィンは、人類はやがて不死となり、したがって不死の成人より成立する 人口不動の一社会の出現する可能性すら考えた。 マルサスの主張 困窮と罪悪の根本原因は人為的な諸制度ではなく、「人口の原理」である。 ゴドウィンらの唱える無限の進歩と理想社会の実現は不可能である。 『人口の原理』第2版では、ゴドウィンが指摘した「慎重」の作用を受け入れて、 「妨げ」に「道徳的抑制」を加えた。しかし、「慎重」の作用が多少でも認められ るのは家族の養育が自己の負担となる私有財産制度の社会に基づくもので あるとした。
図
1 ゴドウィンとマルサスの主張の主な論点
(出所)伊藤(1962)21)より抜粋。 図 1 ゴドウィンとマルサスの主張の主な論点 (出所)伊藤(1962) 21)より抜粋.るようなこと(乱交,避妊など)を指すと解釈さ れる 19).なお,マルサスは自身聖職者ということ もあり,産児調節に強く反対し,独身期間中の禁 欲と晩婚を奨励した 17). つまり「人口の原理」ゆえにすべての人が貧困 から脱するということはあり得ない(貧困は不可 避)と説き,フランスのコンドルセ(Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat, marquis de Condorcet) や英国のゴドウィン(William Godwin)が描くよ うな社会変革による理想社会は実現しないと断ず るものであった.これはフランス革命(1789 年) 直後で旧体制への批判と革命への期待が高まって いた時代にあってコンドルセ,ゴドウィンなどの 急進的な進歩思想に冷や水を浴びせかけるもので あり,当時の英国の地主,産業資本家など支配階 級に喝采をもって迎えられた 20). 2.マルサスとゴドウィンの論争 伊藤(1962) 21),森下(2001) 22)などを基にゴド ウィンとマルサスの主張を比較してみよう(図 1).いずれも現実に起こっている貧困問題(窮乏 と罪悪)をどう見るかという点から出発する.ゴ ドウィンは近代アナーキズムを確立した思想家と いわれる 23).ゴドウィンが貧困の根本原因を旧来 の政治制度(とりわけ私有財産と結婚制度)に帰 すのに対し,マルサスは貧困問題の原因は人為的 な諸制度ではなく「人口の原理」であるという. マルサスは人々が勤勉にして責任ある慎重な行動 をとるような社会であるために私有財産制度は必 須と主張した. マルサスが男女の情欲(性欲)の強さを普遍的 な前提としているのに対し,ゴドウィンは社会が 進歩すれば人々は官能の快楽より理知の快楽を選 ぶようになるに違いないと考えた 22).さらにゴド ウィンは,人類はやがて不死となり,死ぬ人がお らず生まれる人もいないという人口不動の一社会 の出現する可能性すら考えたという 21).すなわち, 人々は生殖することを止め,子どものいない大人 だけの世界になっているだろうと述べた 22). これには,マルサスならずとも,当時の人々は 荒唐無稽な夢想としか思えなかったことだろう. しかし 21 世紀の先進工業国では,平均寿命は 90 年に近づいており,出生率は人口を再生産できな いほど低い水準に下がっている.平均寿命が 30 年 ほどしかなく,女性が短い人生の大半を妊娠と出 産で明け暮れていた当時の人から見れば,これは 人が死なず生まれずの状態になったに等しいこと ではないだろうか.いずれにしても,今日にも通 じる論争であり,興味が尽きない.私有財産制度 にしても,現在の発達した資本主義国で維持され ているものの,高額所得者に対する累進課税や相 続に対する重い課税によって大いに制約されてい る.つまり両者の主張が半ばとり入れられている ともいえる. この論争は当時においてはマルサスに軍配が上 がったようである 21).マルサスは名声を高め,東 インド・カレッジに教授として迎えられた 24).ゴ ドウィンは著作のかたわら出版業を営んだものの 成功せず,経済的困窮の中で生を終えたといわれ る 25). 3.ゴドウィンの家族のエピソード これまで日本でおなじみの人口論の物語では, マルサスが颯爽たる主役であり,ゴドウィンは脇 役に過ぎずマルサスに論駁された哀れな夢想家と いう印象が持たれがちであった.しかし先の対比 に見るように,ゴドウィンの主張には 21 世紀のポ スト工業社会では,むしろ当を得ていると思われ る点も多い.ゴドウィンは今日再認識されるべき 思想家の一人であろう.それに劣らず興味深いの はゴドウィンの家族のエピソードである. ゴドウィンは結婚制度に反対であったが,メア リ・ウルストンクラフト(Mary Wollstonecraft) と愛しあうようになり,彼女の妊娠を機に結婚し た.ウルストンクラフトは女児を生んで間もなく 産褥熱で亡くなった.ウルストンクラフトは女子 教育の重要性と女性の権利の擁護を唱えたことで 極めて先駆的であったが,いったん忘れ去られ, 後に 1970 年代にフェミニズム運動が盛んになるに つれて再評価が盛んにおこなわれるようになった 思想家である 26). ゴドウィンとウルストンクラフトの娘(やはり
メアリと名づけられた)は,詩人のパーシー・シェ リー(Percy Bysshe Shelley)と結婚し,メアリ・ シェリー(Mary Shelley)となったが,19 歳で書 いた小説『フランケンシュタイン』(Frankenstein,
or, The Modern Prometheus, 1818) 27)はあまりにも
有名である. フランケンシュタインはモンスターの名前では なく,これを作った科学的野心に燃える男の名前 である.彼は墓場から集めてきた死体をつなぎ合 わせ,生き物を作り上げた.フランケンシュタイ ンという名は,雷雨の中で凧を揚げ稲妻は電気で あることを証 明したフランクリン(Benjamin Franklin)を想起させるといわれる 28).メアリ・ シェリーは,イタリアのガルヴァーニ(Luigi Gal-vani)がおこなったような(電流で,切り離され たカエルの脚が動く)電気を使った実験にことに 興味を持っていた 28).小説の題名が『フランケン シュタイン,あるいは現代のプロメテウス』であ ることにも注目したい.プロメテウスはゼウスに 逆らって人間に火をもたらした.火を得た人間は もはや神をおそれないほど自信に満ちた存在と なったのだった.つまり,神の支配の時代から, 人間(大衆)が主役の時代へという時代の潮流が あったわけである. 4.マルサス人口論の歴史的意義 後世に名を轟かせたマルサスであったが,人口 論(少なくとも初版)の独創性には疑問が呈され ており,タウンゼンド(Joseph Townsend),ウォー レス(Robert Wallace), ステ ュ ア ー ト(James Steuart),フランクリン(Benjamin Franklin)な ど多くの先行者の著述に類似が見出されていると いう 18).すなわち,これら先行者の記述の中には, 増殖の基本原理は生殖と食物であり人口はそこに 住む土地から生産される食物の量に比例する,生 存資料との関係で人口の波動的増減が起こる,捕 食と被食により動物の個体数が均衡するといった 考えが既に含まれている 18,29,30).それなのに,な ぜマルサスは歴史上偉大な思想家の一人であり得 るのだろうか. 筆者が思うに,むしろマルサス人口論の歴史的 意義は,(天地創造によりすべての生物が一度に造 られ,すべての種は不変であるという)旧来のキ リスト教の自然観とは相いれない「生物の多産性」 (生物には生存資料を超えて,つまり生きられる以 上の数の子を産む性質がある)というアイデアを オーソライズした(それまで危険思想であったも のを公認の認識に変えた)ことにより,ダーウィ ン進化論の完成・公表と新マルサス主義に始まる 産児調節の思想・運動に道を開いたことにあると いえないだろうか.このオーソライズは,急進的 進歩思想批判により体制側を喜ばせるというマル サス人口論の登場の仕方が伏線となって可能に なったのである.マルサスは進歩思想批判に「生 物の多産性」をロジックとして用いたが,それは 観念的理想論に対し(当時芽生えつつあった)生 態学的な真理をぶつけたものだった.聖職者のマ ルサスが(おそらく意図せずに)旧来のキリスト 教の自然観を葬り去る役割を担うことになったの は歴史の皮肉である.
ダーウィン(Charles Robert Darwin)は,1858 年にリンネ学会総会でウォーレス(Alfred Russel Wallace)とともに論文発表をおこない 31),1859 年
に『種の起源』(On the Origin of Species)を出版 したが,その 20 年も前の 1838 年にマルサスの『人 口の原理』を読んで自然選択の着想を得たことが ダーウィンの自伝に記されている 32).マルサスの 「人口の原理」つまり人口と食物の増加率の差異か ら必然的に導かれるのは「生まれたものすべてが 生存できるわけではない」という帰結であり,こ れは自然選択のアイデアにつながると見ることが できる 33). ただし生物学史研究者の間では,マルサスがダー ウィン進化論の確立において決定的な役割を演じ たわけではなく,一つのきっかけ程度を提供した に過ぎないとの見方が強いようである.ダーウィ ンも傾倒していたペイリー(William Paley)の『自 然神学』(Natural Theology, 1802)には,すべての 動物は超多産で維持可能な自然の容量を超えてお り,捕食という仕組みが不可欠なことが書かれて いた 34).つまりこのような生態学的な自然観は当
時次第に認識されつつあり,マルサスを読むまで もなかったというわけである. この時代は「自然神学」の支配下にあった.「生 物の多産性」すなわち「生まれたものすべてが生 存できるわけではない」という事実は生存のため の競争・闘争の必然性を含意しており,神が生か しておくことのできないものを生まれさせ,神の 被造物たる人間や動植物が生存のために闘うこと になるので,神のデザイン説と根本的に矛盾す る 33).しかし上に述べたようにマルサス人口論は, 結果として,「生物の多産性」というアイデアを オーソライズすることになった.ダーウィンはい わばマルサスの威を借りて自説を発表することが できたのであろう. 総じて言えば,18 世紀から 19 世紀への変わり 目に登場したマルサス人口論には「生物の多産 性」,「生産力の限界性」という 2 大前提があると 見える(図 2).「生物の多産性」も「生産力の限 界性」も,当時の人類の科学的知識の発達に伴っ て生じたアイデアであった.「生物の多産性」は, 生態学的な自然観が芽生えていたことを反映して いたと思われる.当時は産業革命の初期で生産力 は急速に高まっていたが,まだこの時代には(収 穫逓減の法則のように)マルサスはむしろ生産力 の限界性に注目したのであろう.図 2 に示したよ うに,マルサス人口論は約 200 年の時を経て,① 生殖のコントロール(その是非,可能性),②社会 経済の発展と制約(すべての人が幸福になること は可能か,それとも貧困は不可避か)という現代 に至る人口論の 2 大主題の源泉となった. 次項では,「生物の多産性」を手掛かりに,性・ 生殖に関する社会思想・運動の流れに対するマル サス人口論の影響について考えてみたい. Ⅳ.性・生殖に関する社会思想における マルサスの影響 「生物の多産性」は「生まれたものすべてが生存 できるわけではない」という強烈なメッセージで あり,これに対し 2 通りの反応が想像される.一 つは生存闘争,すなわち生き残るためには競争を 勝ち抜かねばならないというアイデアである.も う一つは,人為的に出生を調節し平和共存を目指 すというアイデアである.筆者はマルサス以降の 19世紀から 20 世紀前半までの性・生殖に関する 社会思想の流れを,仮にこの 2 つのアイデアへの 分岐という視点で整理してみたい(図 3). 図 3 の左は,「生存闘争」というアイデアの流 れであり,社会進化論,人口増強論,優生学など が含まれる.図 3 の右は「人為的調節」というア イデアの流れであり,新マルサス主義,バースコ ントロール,家族計画が含まれる.1920 年代の日 本で産児調節運動を担った山本宣冶は,産児調節 をすすめる理由として母子の健康とともに,過剰 人口によって引き起こされる貧困の予防を挙げて いる 35).山本は,一度の射精で放出される 3 億な 生物の多産性 生産力の限界性 マルサス人口論 生殖のコントロール (その是非、可能性) 社会経済の発展と制約 (人類の幸福と貧困) 図2 近代思想におけるマルサス人口論の位置(概念図) (出所)筆者作成。佐藤(2017)78)を一部改変。 人類の科学的知識の発達に 伴って生じた2つのアイデア 現代に至る人口論の2大主題 図 2 近代思想におけるマルサス人口論の位置(概念図) (出所)筆者作成.佐藤(2017) 78)を一部改変. “生物の多産性” マルサス人口論 新マルサス主義 Birth Control 家族計画 ダーウィン進化論 社会進化論 優生学 国民総動員体制 第二次世界大戦 人口増強論 図3 「生物の多産性」観念の受容と展開の2つの流れ(概念図) (出所)筆者作成。佐藤(2017)78)を一部改変。 “人為的調節” “生存闘争” “女性解放” “少なく産ん で1人1人を 大切に” 性科学 “人種改良” “意志の勝利” 図 3 「生物の多産性」観念の受容と展開の 2 つの流れ (概念図) (出所)筆者作成.佐藤(2017) 78)を一部改変.
いし 6 千万の精子がすべてヒトになったら大変な 数になると述べている 35).これは出生の人為的調 節により人類は平和共存を目指すべきであるとい う考えを示唆していると思われる. 実際はこのように明瞭に 2 つに分けられるもの ではなく,流れは複雑に絡み合っており,産児調 節運動の中に優生学の要素がとり入れられること もあった 36,37).しかし図の左の流れ(生存闘争) が第二次世界大戦終結と共に消え去ったのに対 し,図の右の流れ(人為的調節)が戦後も続き大 きく開花したことを思えば,このような 2 つの流 れという見方はあながち的外れとはいえないであ ろう. 1.生存闘争を勝ち抜くというアイデアの流れ 19 世紀後半,英国のスペンサー(Herbert Spen-cer)によって確立された社会進化論は,「社会も 生物有機体のごとく存続のために集団間や社会間 で闘争がおこなわれており,その結果社会進歩が 達成できる」という社会ダーウィニズムと結びつ く 38).この頃から,西欧諸国における出生率低下 の懸念と「人口の質」への関心,優生学,移民排 斥,人口増強論といった流れが強まり,第二次世 界大戦まで続くことになる 39,40). イングランドでは 19 世紀末から 20 世紀初頭の 世紀転換期に急激に増加する都市人口の「退化」 に関する議論が広がり,「下層諸階級の身体的な悪 化」を懸念する声の高まりもあり,この議論はボー ア戦争時(1899 ~ 1902 年)に産業都市出身者の 軍隊志願者たちに不適格者が多数出たことなどを きっかけに再燃していったという 41,42).また出生 率の低下(さらにいえば,社会・経済的な地位の 高い階層で出生率がより低いという)「新しい人口 問題」への関心が背景にあり,この議論は,英国 における優生学の発展を促すことになったとみら れている 41). 1883 年に優生学(eugenics)の語を造った英国 のゴルトン(Francis Galton)は優生学の父と呼ば れる 43).1904 年の講演で優生学を「人種の生来の 質を改良するあらゆる影響,また,それらを最大 限有利な方向へ発達させるすべての影響に関連す る科学」と定義したゴルトンは,文明化の効果と して自然選択の法則の適用力が減じる「逆選択(逆 淘汰)」を懸念していた 44).ドイツのプレッツ (Alfred Ploetz) は,1895 年に発 表した主 著で “Rassenhygiene"(人種衛生学;民族衛生学)の語 を用い 45),1907 年に自ら主宰する学会を,国際人 種衛生(民族衛生)学会と改めた 43).1912 年には 第 1 回国際優生学会議がロンドンで開かれた 43). 第 2 回国際優生学会議は 1921 年にニューヨーク で開かれたが,これに先立ち米国ではインディア ナ州で 1907 年に世界初の断種法が成立し,最終的 に 32 州で成立した 43).米国では 1924 年に南東欧 からの移民を排除し,北西欧からの移民を優遇し, アジア系移民に対しては門戸を閉ざす移民法が制 定された 46).断種法制定の動きは世界に広まり, 1933年に発足したヒトラー政権の下ではドイツ初 の断種法「遺伝病子孫予防法」が制定された 45). 日本では 1940 年に国民優生法が成立し,1941 年 1月には「人口政策確立要綱」が閣議決定された. 1930 年代から 1940 年代前半にかけて各国で国 民総動員体制が築かれ国家間の緊張が高まるとと もに,個人の自由は圧殺された.「意志の勝利」は ナチスの宣伝映画(1934 年のニュルンベルク党大 会の記録映画)の題名であるが 47),(奴隷制のよう な一見してそれとわかる専制支配構造によらず) あたかも個人が自分の自由意思で全体主義に従っ ているかのように見せる(自我を捨て,自分の「意 志」で国・民族や組織の歯車の一つとなることが 個人の自由の極致だと思わせる)ファシズムの狡 猾な特質をよく暗示している.日本軍の「特攻」 も,実態は強制だったが,建前上「志願」を装っ ていた 48-50). 優生学,人口増強論,軍事侵略,大虐殺,個人 の自由圧殺,これらは本来別の要素だったかもし れないが,ナチス・ドイツの下で一つに合わさり, ファシズムの敗北によりひとまとめに厳しく断罪 されることになった. 2.出生の人為的調節というアイデアの流れ マルサスが強く反対していた人為的出生調節は, 当時のキリスト教の教えに背くものであり,また
これを唱道することは不道徳・卑猥という非難を 免れなかった.しかし,マルサス人口論により「生 物の多産性」がオーソライズされたおかげで,人 口増加に起因する貧困を予防するという名目が得 られることとなった.この点では,産児調節運動 もまたマルサスの威を借りて,世に出ることがで きたといえる.新マルサス主義(Neo-Malthusian-ism)はその最初の波であり,マルサスの「人口 原理」を認めつつも,「道徳的抑制」は実行不可能 であり,早婚を認め結婚生活で避妊をおこなうこ とにより,社会の改善と進歩が十分可能であると 主張した社会運動である 51-53).英国のプレイス
(Francis Place),カーライル(Richard Carlile)な どが運動を担い,経済学者のミル(John Stuart Mill)も支持した.1882 年にはオランダの女性医 師ヤコブス(Aletta Jacobs)が世界最初の避妊ク リニックを開いた 52). やがて欧州諸国で出生率が低下したことから新 マルサス主義の運動は衰退したが,第一次世界大 戦と第二次世界大戦の戦間期に新たな産児調節運 動が盛り上がった.その中心人物は米国のサンガー (Margaret Sanger), 英 国のスト ー プス(Marie
Stopes)という 2 人の女性であった 54,55).ストー プスは『結婚愛』(Married Love, 1918)という著 作がベストセラーとなり,性問題の専門家として も脚光を浴びた 56).この頃の産児調節運動は,英 国のエリス(Havelock Ellis)などが中心人物で あった性科学の影響も受けていた 57). サンガーは,ニューヨークの貧民街で訪問看護 婦として働いた経験から一生を「女性の根本的な 権利」である避妊の知識の普及に捧げようと決心 し,1912 年に実践運動を開始した 54).1916 年には
アメリカ産児調節連盟(American Birth Control League)を創設した 58).「産児調節」(birth control)
は 1940 年前後に英米で「家族計画」(family plan-ning; planned parenthood)に名称が変わった 54).
サンガーは第二次世界大戦後も 2 つの大きな仕 事をした.国際家族計画連盟(International Planned Parenthood Federation: IPPF)を創設し家族計画 が開発途上地域へも広がる仕組みを作ったこと,
そして生理学者のピンカス(Gregory Pincus)を 支えて経口避妊薬(ピル)の開発をもたらしたこ とである 6,58).1999 年,米国のニュース雑誌『タ
イム』(Time)は「20 世紀で最も重要な 100 人」 (The Most Important People of the Century)の一
人にサンガーを選んだが 59),人口転換が進むこと は人類の幸福にとって望ましいという観点から見 れば当然の評価といえる.生物のすべての種の中 で,個体数が増えすぎないよう自ら調節している のはヒトだけである.サンガーには様々な批判も あるが 36,60),バースコントロールという(病気の コントロールと並ぶ)人類の偉業のアイデアと方 法の普及に最大の功のあった人物であることは間 違いない. Ⅴ.第二次世界大戦後の人口論争 1.人口危機説と国際社会の対応 第二次世界大戦後の世界では,とりわけ開発途 上地域における大幅な死亡率低下による人口急増 が「人口爆発」の危機として語られるようになり, このような議論の高まりは「マルサスの復活」と 形容された.とりわけ有名なのはアーリック(Paul R. Ehrlich)の『人口爆弾』(The Population Bomb, 1968)とロ−マクラブ報告書として知られるメド ウズ(Donella H. Meadows)らの『成長の限界』 (The Limits to Growth, 1972) 61)である.後者は,人
口,食糧生産,工業生産,環境汚染,再生不能な 天然資源の5要素によるシミュレーションにより, 100年のうちに破局が来ることを警告(人口と経 済のゼロ成長の必要性を示唆)した 6,62). 1952 年にはサンガーなどにより国際家族計画連 盟が創設され,インドで家族計画プロジェクトが 開始された.1965 年,米国政府は開発途上国への 家族計画援助を開始した.ジョンソン大統領は「人 口コントロ−ルへの 5 ドル足らずの投資は,経済 成長への 100 ドルの投資に値する」と述べたが, 「東西」陣営の厳しい対立の下,貧しい途上地域の 人口増加によって多くの若者が共産主義思想に染 まることになりかねないという政治的な思惑も あったとみられている 6).
国連は 1974 年を「世界人口年」と定め,ルーマ ニアのブカレストで世界人口会議(World Popula-tion Conference)を開催した 63,64).この頃,世界 人口の増加率がピークに達するとともに,公害や 環境汚染も関心を集め,人口増加と経済成長を問 題視する意識が高まった.日本でも 1974 年に人 口・家族計画関係の団体により「日本人口会議」 が開催され「子供は 2 人まで」という大会宣言が 採択された 65). 2.「修正主義」の登場と三つ巴の対立 しかし1980年代に米国に共和党のレーガン政権 が誕生したころから風向きが変わり,アーリック らの「悲観論」を退け,「楽観論」を唱える論調も 現れた(人口危機説に対する「修正主義」と呼ば れる) 66).同時に避妊に否定的で人工妊娠中絶を認 めない宗教的原理主義(ローマカトリック教会な ど)の動きが強まり,家父長制に反対し性と生殖 に関する自己決定権を求めるフェミニストと激し く対立した.また一部で家族計画プログラムの強 制がフェミニストの批判の的となった.フェミニ スト人口学者を自認するディクソン・ミューラー (Ruth Dixon-Mueller)は,これを人口と女性をめ ぐる"Anti-natalists"と"Pro-natalists"と"Fem-inists"の三つ巴の構図と表現している 67) ."An-ti-natalists"(「新マルサス主義」と呼ばれること もある)とは「人口危機」を唱える識者や人口学 者や有力な財団など(いわゆる「人口エスタブリッ シュメント」 68))のことで,人口問題を重視するあ まり,女性に対する抑圧的社会構造の存在,出生 コントロールのリスクや強要などの問題を軽視し ていると,フェミニストの目には映った. "Pro-na-talists"とは,女性の自己決定権に否定的な宗教団 体や保守派のことである. 3.カイロ会議と人口論のパラダイム転換 このような様々な動きが流れ込んだのが,国連 主催の 1994 年のカイロ会議(正式名称は国際人口 開発会議:International Conference on Population and Development: ICPD)であったといえよう.採 択された合 意 文 書「 行 動 計 画 」(Programme of Action)では,従来の「人口コントロール」とい う発想は一掃され,フェミニスト・アプローチ(リ プロダクティブ・ヘルス/ライツ,女性のエンパ ワ−メント)が前面に出た 6,60,69).それは「人口 論のパラダイム転換」といわれるほど画期的なこ とであった.このようなリベラル色の背景には, 前年米国で政権交代があり,民主党のクリントン 大統領に代わっていたことがある. 従来の人口論になじんでいる人口学者からは「人 口会議のはずが,女性会議に変わってしまった」 という嘆きが聞かれたといわれるが,カイロ会議 はディクソン・ミューラーのいう「三つ巴の構図」 において, “Pro-natalists"に対抗して"Anti-natal-ists"とフェミニストがひとまず共同戦線を張った ものと理解できよう.フェミニズムから生じたリ プロダクティブ・ヘルス/ライツの概念が再び出 生コントロールと女性の地位向上を結びつけ,人 口政策に取り入れられるようになったため,いわ ゆる新マルサス主義とフェミニストの間に一応の 同盟関係が再構築されたのだった 38,60). Ⅵ.21 世紀の人口論 1.「人口問題」からグローバル開発目標へ カイロ会議以降「人口問題」に関する国連の大 規模な政府間会議が開かれることはなく,グロー バルな諸課題との関わりで人口が明示的に言及さ れることは少なくなった.その背景の一つには, 世界的に人口増加率が低下し,「人口爆発」の危機 が遠のいたかのように見えるということがある. アメリカ人口学会(Population Association of Amer-ica)の 2011 年大会におけるミシガン大学教授ラ ム(David Lam)の会長講演でも人口・食料・資 源の将来に関する楽観論が語られた 70).また人権 意識の高まりもあり,「人口政策」というよりも, 開発政策,家族政策,ジェンダー政策,高齢化対 策といった観点から議論されることが多くなった. 地球規模課題(global issues)から,もはや「人 口」は名札を外されたかのようである.しかし, 2000年に合意され 2015 年までの「ミレニアム開
発目標」(Millennium Development Goals: MDGs) も,その後継にあたる 2016 年から 2030 年までの
「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals: SDGs) 71,72)も実質的には開発との関わりを 通して人口と健康が主要な要素をなしている. SDGs の達成も容易ではないが,世界的に見れ ば,開発途上地域を中心に人口はまだ「若い」.し かし日本は超少子化による持続的人口減少と超高 齢化という新たな位相に世界の先頭を切って突入 しており,SDGs のさらに先にある「持続可能な 福祉社会」の構築という重い課題に直面している. 2.マルサス人口論と 21 世紀人口論の比較 20 世紀末から 21 世紀初頭にかけての現在を生 きる私たちが,マルサス人口論に代わる「21 世紀 の人口論」を立てるとしたら,どのような人口論 になるだろうか.試みに,マルサス人口論と対比 的に,「21 世紀の人口論」を構想し,表 1 に示す. マルサス人口論は,18 世紀末から 19 世紀初頭 の世界を念頭に置いたものであった.その当時の 世界人口は約 10 億人(うち欧州は約 2 億人)に過 ぎず 3),年平均人口増加率は0.5%ほどであった 73). 出生率は国・地域によって異なるが,いずれにし ても人口置換水準をはるかに上回っていた(女性 1人当たり出生数は,およそ 4 ~ 7 人) 2).平均寿 命は世界全体でも約 30 年と短く 2),スウェーデン でも 37 年に過ぎなかった 74).人口転換の先発国で ある英米などでも,ようやく人口転換の開始期に あたり,世界のその他の地域では概ねまだ人口転 換は始まっていなかった. これに対し,21 世紀初頭に立つ現在の世界人口 は 78 億人に達している(うち欧州は 7.5 億人) 7). 世界全体の人口増加率は約 1%と現在の方が高い が,欧州諸国など先進工業国ではほとんどゼロに 近く,日本など一部の国では既に人口増加率はマ イナスである 7).出生率は世界全体でも人口置換 水準(女性 1 人当たり出生数が約 2.1 人)をやや 上回る程度にまで低下しており,欧州諸国など先 進工業国では人口置換水準をはるかに下回ってい る 7) .平均寿命は,世界全体で 72 年に達している (欧州 78 年) 7).すなわち,先進工業国と新興工業 国では人口転換が完了している.一方,サブサハ ラ・アフリカ,西アジア,南アジアなどでは,出 生率は依然人口置換水準を上回っており,人口転 換が終わっていないという状況である. 大まかにいえば,マルサスは近代(すなわち人 口転換期,健康転換期)の入口に立っていた人物 であった.マルサス人口論の初版が発行された 1798年は,ジェンナー(Edward Jenner)が種痘 表 1 マルサス人口論と「21 世紀の人口論」の比較 マルサス人口論 「21 世紀の人口論」 時代 18世紀末~ 19 世紀初頭 20世紀末~ 21 世紀初頭 世界人口(うち欧州) 約 10 億人(約 2 億人) 78億人(7.5 億人) 同:年平均人口増加率 約 0.5% 約 1%(欧州 0.1%) 同:女性 1 人当たり出生数 およそ 4 ~ 7 人 2.5人(欧州 1.6 人) 同:平均寿命 約 30 年(スウェーデン 37 年) 72 年(欧州 78 年) 人口転換の進行度 (英米など)開始期 (その他)始まっていない (先進国・新興国)完了(その他)終わっていない 問題の関心 多産と食料不足の対比 ①人間活動の総和と生態系: 資源・環境の制約 (地球規模,局所的) ②少子化・未婚化 ③長寿化とケア不足の対比 ④移民問題(地球規模) (背景)情報技術の革新 医学生物学の発達 活字による出版 (特定の主張・思想の拡散) 医学生物学の急速な発達 (個体の生理学,生態学) IT,インターネット (個人の多様な情報の交流) 医学生物学のさらなる発達 (遺伝子操作,万能細胞) (出所)筆者作成(統計数値の出典は本文に記載).佐藤(2017) 78)を一部改変.
法を論文発表した年でもある 75).マルサスは,人 類のその後の著しい死亡率低下(寿命伸長)を予 見していなかった.これに対し,現在の私たちは 近代の出口(言い換えればポスト人口転換期・ポ スト健康転換期の始まり)に立っている. マルサスと私たちでは,問題の関心は大きく異 なる.マルサス人口論の関心は,もっぱら多産と 食料不足の対比であった.現在の世界では,飛躍 的な生産力の向上により,食料不足の不安は遠の いたように見えるが,人口増加と経済発展により 人間活動の総和が生態系の限界(資源・環境の制 約)を越えつつある.既に 2013 年時点で世界全体 のエコロジカル・フットプリント(ヒトが消費す る資源を生産したり,社会経済活動から発生する 二酸化炭素を吸収したりするのに必要な生態系 サービスの需要量を地球の面積で表した指標)は 地球 1.7 個分に相当すると計算されている 76).ま た長寿化による高齢者の増加は,ケア不足の懸念 を引き起こしている.さらに移民問題も 21 世紀の 人口論の主要課題の一つである.マルサスの時代 にも,欧州から南北アメリカに移住の波があり, アフリカから多くの奴隷が送られるという大規模 な国際人口移動があったが,現在の国際人口移動 は全地球規模であり,よりよい生活を求めての経 済移民や難民が主である. さらに時代背景として,情報技術の革新と,医 学生物学の飛躍的な発展が注目される.マルサス の時代の英国では既に出版業者というものが存在 しており,新規作家が自著を世に問うことが一定 程度可能になっていた 77).活字による出版の普及 は,特定の主張・思想の拡散に寄与するものであっ た.また医学生物学が急速に発達し,個体の生理 学や生態学の発達も顕著であった. これに対し,現在の情報技術の革新では,大量 データ処理が可能になるとともにインターネット などを通じた個人間の多様な情報の交流が可能と なった.その一方で,オーウェル(George Orwell) の『1984 年』(Nineteen Eighty-Four, 1949)を彷彿 とさせるような恐るべき情報管理社会の到来も危 惧されている.21 世紀には遺伝情報管理が優生思 想と結びつくのではないかという,20 世紀半ばの オーウェルの想像を超える事態も懸念される.ま た医学生物学のさらなる発達(遺伝子操作,万能 細胞など)は,ヒトの個体(個人)を独立した存 在の単位と見る従来の人間観を打ち砕くおそれも ある.フランケンシュタインが死体の肉片をつな ぎ合わせて作ったものは,まだ 1 個の個体(1 人 のヒト)だったのである. 文 献 1) 大塚柳太郎.人類史としての人口史.日本人口学 会(編).人口学事典.東京:丸善出版,2018: 6-7.
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