第三十六回 東洋大学公法研究会報告 名誉保護に関
する大審院判例の傾向
著者
始澤 真純
雑誌名
東洋法学
巻
59
号
1
ページ
141-169
発行年
2015-07
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00007327/
《 第三十六回 東洋大学公法研究会報告 》
名誉保護に関する大審院判例の傾向
始 澤 真 純 報告者 始澤真純(東洋大学博士後期課程) 報告題 「名誉保護に関する大審院判例の傾向」 日 時 平成 27年 1月 26日 18時― 19時 30分 場 所 東洋大学 2号館 14階学習室 参加者 名雪健二(東洋大学) 、宮原均(東洋大学) 、武市周 作(東洋大学) 、徐瑞静(東洋大学) 、佐藤宏(青山 学院大学) 、鈴木陽子(武蔵野学院大学) 、荒邦啓介 (東洋大学) 、鈴木崇之(東洋大学博士前期課程) 【目次】 Ⅰ.報告の概要 Ⅱ.報告 1.問題の所在 2.事例紹介①――讒謗律による名誉権保障 3.事例紹介②――名誉概念の形成とその推移 ( 1) 侮辱罪と名誉侵害との相違 ( 2) 名誉概念の基礎となる判決 ( 3) 名誉毀損とならなかった事例 ( 4) 名誉保護に関する「身分」の考慮 ( 5) プライバシー保護 ( 6) 文書による名誉毀損 4.まとめ Ⅲ.質疑応答 Ⅰ.報告の概要 本報告の中心は名誉保護に関する大審院事例の紹介と検討 である。日本法の大きな転換期の一つである明治期の名誉権 保障の在り方を大審院の事例を紹介しながら、名誉の形成と その概念の変化を探ることを眼目とした。本報告で紹介した 事例はいずれも大審院と当時の世相を象徴するものであり、 現在に大きな影響を残すものである。明治期から変化を見せ る法解釈や国民の倫理感の変化が大審院時期の判例に現れ、 明治期からの名誉の概念の形成と発展は、現代の名誉権の原 型となっている。なお、各事例についての見解の対立及び現 代の名誉権に関する事例の検討については次回の報告に譲る こととする。 Ⅱ.報告 1.問題の所在 前回の報告では、近世前の名誉の概念の形成と、その保障 の在り方を論じた。現代に残るそれらの影響と問題点について 言 及 し た 際 に、 現 代 日 本 の 名 誉 権 保 障 の 問 題 点 を 提 示 し た。世界の潮流や第二次大戦期における表現の自由弾圧の反 省から、日本では殊に表現の自由に重点がおかれているが、 元来日本は名誉権保護に傾斜した法体系を有していた。その 中で日本独特の「名誉観念」と言うべきものが保護されてい た。それゆえに、現代の英米色の強い法体系の中で、日本人 が古来から有していた名誉といわれるものが十分に保障され 得るのか、という問題がある。 現代の名誉権に関する事例について、英米法色の強い法体 系の中で、日本人の考える名誉が十分に保障されず、また名 誉権侵害と共に傷付けられた自尊心が十分に保護されないの である。 表現の自由の研究に比べて、名誉権を中心とした研究、殊 に大審院の名誉保護についての研究は少ないといえる。これ らを検討するに当たり、現代の最高裁判例だけでなく、大審 院期の事例にも注目し、問題点や近世以前と比較しての変化 を探ることとする。 今回の報告では大審院の名誉侵害に関する事例の紹介を中 心に行い、大審院期の名誉に関する考え方を類型化するとと もに推移の様子をまとめ、それぞれの判決に至った共通項を 探る。旧時代の名誉保護の共通点と、いかにして名誉侵害が 認められたのか、名誉侵害とみなされない場合の理由は何で あ る の か に つ い て の 検 討 行 う も の と す る。 今 回 の 報 告 は 民 事・刑事と区別せず事例を紹介させていただいた。 2. 事例紹介①――讒謗律による名誉権保障 急速に西洋式の法理論や制度を取り入れたことにより、こ れまでの保護法益や法倫理などは大きく変容した。しかしな がら、明治の始まりと共にすべてが西洋法に倣ったわけでは なく、暫定的にではあるが旧制度の在り方を踏襲してい た 。 大審院事例紹介の前に、ごく簡単ではあるが、明治期の裁判 制 度 や 江 戸 期 と の 変 化 を 紹 介 さ せ て 頂 い た。 明 治 期 か ら の 法・ 裁 判 の 特 徴 は、 ① 初 の 全 国 的 に 統 一 化 さ れ た 法 典 の 採 用、②平等主義・個人主義の採用、③制定法による判決、で あ る 。現在では当然のことであるものの、これまでは各領主 の分国法による支配であり、犯罪を裁く法も慣習法が主であ り、各地域や身分によっても差が存在した。後に近代的な法 の援用がなされ、西洋型の裁判制度が取り入れられ、権力機 構の導入がなされる。この時期に、三権分立制度の原型が始 まり、裁判における公開主義・直接主義・対等主義など西洋 の裁判制度が用いられるようになった。それに伴い裁判記録 の精密化が進み、裁判資料に関しても、これまでとは異なり 非常に詳細になり、事件の概要だけでなく、関係者の名前と 裁判官の名前も記録される等、情報が端的に明確に記され、 裁断されていることがみてとれる。このような裁判制度の変 化も徐々に一般国民にも浸透することとなった。
明治期は慣習法から制定法・西洋法を用いることになる時 代の過渡期であり、名誉に対する概念を形成していく時期で もある。江戸期までの名誉に関する罪については前回報告さ せて頂いた。江戸期までの名誉保護とは個人の人権保障より も社会秩序維持が目的とされ、名誉侵害を処罰する規律も間 接的に名誉を保護するというものだった。名誉を侵害した発 言が原因となった闘争で殺傷になった場合の刑の減免や、公 共の場で相手方の名誉を侵害する発言をした場合はその者の 領地を没収したりすること等が主であり、名誉侵害を行った 者に名誉侵害をされた者を慮って罰則を加えた、という事例 はごくまれにしかない。後述するが、日本の特殊な事情や国 民性により、名誉侵害訴訟を直接扱うことは避けられてきた ためである。 明治期初頭、 名誉に関する事件処理は讒謗律 (明治 8年) ・ 罵言律(明治 3 ( 1) 年 )で行われた。罵言律とは新律綱領内に存 在する名誉保護のための立法である。これらは刑法典の前身 で あ り、 こ れ が 近 代 の 名 誉 毀 損 を 処 罰 す る 原 型 と な る の だ が、その内容は律令に酷 ( 2) 似 している。明・清等の法と、養老 律令・公事方御定書を取り入れているためである。中世・近 世においても調停や不法行為の金銭賠償に似た制度をもつほ どに名誉保護のための制度や藩法も各地にみられ、判例法も ある程度整っていたのだが、明治近代化のこの時期において 時代を逆行してしまっている。その内容を註釈すると、勅任 官・奏任官・判任官・戸長・邏卒等、その地位に従って名誉 侵害は重く処罰され、奴婢と家長、卑幼と尊長・子・孫と父 母・祖父母、妻・妾と夫の父母・祖父母まで細かく刑の差が ついている。 罵言律は旧刑法施行により、明治 15年に廃止となるが、讒 謗律は効力をもっていた。これにより、新聞や雑誌を主な対 象として名誉侵害の処罰が明確化し ( 3) た 。これまで名誉保護の ためには、表現の自由規制は事前抑制で為されることが主で あったが、讒謗律は事後規制を定めたものである。なお、毀 損・誹謗した者にその相手方の身分によって刑罰が加えられ ることとされることは継続していた。以下、讒謗律に関する 事例を紹介する。 Ⅰ― 1 大 審 院 判 決 明 治 9年 1月 25日 皇 朝 律 例 彙 纂 第 6巻 80丁 東京で発行されていた曙新聞に県令M氏が「明月踊ノ節」 に芸妓に 10円の心付けを遣ったとされ、その帰路に妓楼に上 り、 「徹 夜 ノ 興 ヲ 催」 し、 そ れ と は 別 の 機 会 に「芸 妓 ヲ 召 シ、愉快」という記事が掲載されたが、それは事実無根のも のであった。これが讒謗律 1条 7・同 4 条 8に違反するとさ れ、その記事を書いたXは禁獄 1ヶ月、罰金 200 円の判決 を受けた。これに対し、Xは明治 9年 1 月 13日に大審院に上 告 し た。 大 審 院 は、 「東 京 裁 判 所 ノ 処 分 ハ、 讒 謗 律 ニ 適 当 セ
ル裁判ナルニ因リ、取消ス可キノ理由無キヲ以テ、上告状下 戻者也…大審院ニ於テ法律ニ照シ弁明ヲ為スヿ左ノ如シ」と 判 示 し た。 「県 令 ハ 一 県 無 上 ノ 高 官」 で あ り、 そ の 一 挙 手 一 投 足 が 県 民 か ら 見 ら れ て い る。 そ の 県 令 に つ い て、 「淫 ヲ 売 ルノ醜業」である芸妓と関わったとの記事を掲載していなが ら、 職 務 と 関 係 が な い と 言 う 事 は で き な い。 「X ノ 上 告」 は 「其 当 ヲ 失」 し て い る。 X の 主 張 は「栄 誉 ヲ 害 ス」 の「栄 誉」概念を、 「道徳上」のものと、 「刑法上」のものとに区別 し、 「青 楼 花 街 ノ 遊 嬉」 は 道 徳 上 の 栄 誉 を 害 す る だ け で あ る とするものであり、娼妓の公許等からそれを立証できるとす るものである。讒謗律第七条第一項 13と第二項 14を比較すれ ば、 「栄 誉 ヲ 害 ス」 る と き と は 道 徳 上 の 栄 誉 を 害 す る と い う 事だと解釈せざるを得ない。そして、本件では刑法に触れる 事実を摘示することで讒毀した場合には当たらず、本法で罰 するべきである。原審は正当であり、Xの主張は理由がない と し た。 本 法 第 一 条・ 第 七 条 第 一 項・ 同 第 二 項 を 参 照 す る に、第一条に言う「事実ノ有無ヲ論セス」と言うのは、事実 の有無により罪に問う問わないが変わるのではなく、事実が 実際に有ろうと無かろうと罪に問うと言うものであり、それ は第七条で刑法に触れる場合も触れない場合もどちらも罰し ているということからも確認される。本件のように、XがM の道徳上の栄誉を侵害した場合には、それは罪とならないの だから、告発したという意味は持ちようもなく、必ずXは讒 毀の罪を被ることとなる。また、Xは曙新聞がそれにより損 害を被ったこと、及び事実であったことを保障する者を立て る旨を述べているが、それは独自の見解に過ぎないものであ り、本判決の取り消しの理由とはならないとした。 Ⅰ― 2 大審院判明治 13年 8月 9日 神社にて聴衆を集め「地方ノ概況」と題する演説を行った ことが、讒謗律に触れるとされた事例である。その演説の中 で沼津区の裁判所の勘解を攻撃したことで、演説を行った者 は 臨 検 の 警 察 官 に よ り 告 発 さ れ た。 静 岡 裁 判 所 は 讒 謗 律 一 条・四条違反にて 10円の罰金を宣告したが、検事代行が讒謗 律は演説を裁くものではないとして大審院へ上告した。大審 院はこの上告を受け入れ、静岡裁判所の裁判を「平翻」し、 「雑 犯 律 不 応 為 条 ニ 依 リ 不 応 為 重 二 問 七 懲 役 七 十 目 贖 手 聴」 して「贖罪金五円弐拾五銭」とする判決を下している。その 理由は「裁判官吏ノ職務ニ関シ誹謗讒毀ノ演説ヲ為シタルハ 讒謗律ニ依テ処断スへキモノニ非ズ何トナレハ演舌ヲ以テ人 ノ栄誉ヲ害シ又ハ官吏ノ職務ニ関シ讒毀スル者ヲ罰スル明文 ハナキヲ以テナリ」とするためである。 Ⅰ― 3 大審院判例明治 15年 3月 17日 自 由 民 権 運 動 家 の 前 島 豊 太 郎 氏 が 静 岡 小 早 川 座 に お い て 「事物変遷論」とい演説をした際に、 「乗輿」を毀損する言葉
があったとして臨検の警官に告発された。静岡裁判所は讒謗 律 2条違反として禁獄 3年・罰金 900 円を言い渡した。前 島氏は、乗輿の毀損をしてはおらずそのことは警官のねつ造 であり、仮に神武天皇を批判したとしてもそれは乗輿の毀損 にはならないと訴えた。乗輿とは現代の天皇を指し、歴代の 天皇は含まれない、という主張である。讒謗律は演説を罰す る明文規定を欠くとして上告した。大審院はその上告を棄却 している。その理由は、監理の証言は反対の確証がなければ 覆せず、皇祖は乗輿に含まれないのは法解釈の誤りであると した。讒謗律は演説を処罰することはできないという主張に 対 し て は、 「法 律 ノ 見 解 ヲ 誤 ル モ ノ」 と し て い ( 4) る 。 後 に 前 田 氏は再審の請求をするが大審院は明治 15年 9月 19日に請求を 棄却している。 明治の初頭の法制は江戸から残る法制度の延長として存在 し、次第に裁判制度などの近代化がなされていくため大審院 の判例にも明治初期のころには封建的色彩がうかがえる。こ のように、江戸期までの方を構築した精神的基盤は明治期の 判例理論の中にも残されることとなる。明治期の表現の自由 と名誉権についての判例は、従来のような立場を踏襲し固定 しているが時代を経ることにより、判旨の在り方にも変化が みられるようになる。 Ⅰ ― 1は 讒 謗 律 の 適 用 の な さ れ た 典 型 的 な ケ ー ス で あ る。 この当時は日刊紙が大量に創刊・廃刊を繰り返していた時期 であり、また、当時の新聞においては、特定人物や政府を非 常 に 酷 評 す る よ う な、 人 格 攻 撃 の よ う で あ る 記 事 も 多 か っ た。政府批判にその筆が及ぶことも決して珍しくはなく、政 府としても何らかの対応が必要であると考えたといえる。 Ⅰ ― 2は、 讒 謗 律 は 文 書 に 関 す る 名 誉 侵 害 防 止 が 主 と さ れ ており、演説による讒謗は讒謗律を適用するべきではないと した事例である。上告をしたのは被告人ではなく検察側だっ たことも注目すべき点である。讒謗律の条文を厳格に解する と、 検 察 側 の 判 断 は 正 当 で あ る と 思 わ れ る。 一 方、 Ⅰ ― 3 は、本来讒謗律は演説には適用されることはなく、演説にも 用いるという判例変更をしたともいえるが、これまで前例の ない天皇に対する批判だったがゆえに、あえて讒謗律を適用 する方法をとったとされる。当時旧刑法は施行されていたが 讒謗律も依然として効力をもっていた。明治中期からは刑法 に よ る 名 誉 毀 損 罪 で 処 罰 さ れ る も の の、 当 時 の 新 聞 記 事 は 「… 氏 は 讒 謗 律 に 触 れ …」 と 記 載 す る な ど、 当 時 の 名 誉 毀 損 罪は一般には讒謗律と呼ばれてい た 。また、当時は、政府批 判・天皇批判を国事 ( 5) 犯 として処理する事 ( 6) 例 も多かった。 3.事例紹介②――名誉概念の形成とその推移 ( 1) 侮辱罪と名誉侵害との相違 Ⅱ― 1 大 審 院 判 決 大 正 15年 7月 5日 大 審 院 刑 事 判 例 集 5巻
303 頁 被告人は盛岡市内丸岩手日報社の新聞記者であり、その新 聞社は岩手県等に多数の購読者をもっていた。大正 14年 7月 12日から同月 17日迄記事に同市新聞記者の言論・動作に不快 感 を 抱 き、 「無 造 作 に 無 遠 慮 に オ レ は 先 輩 だ と 云 ふ ツ ラ し て 宴會などでは不肖ながら記者團を代表してなどとテーブルス ピーチの一つもやつで大きくなつて居る」 ・「君の郷里の八戸 あたりなら格別二十萬石の御城下の此盛岡で講談クラブのシ ツポにあるやうな事を知つたか振したつて本街の五郎でさへ わらつて居るよ」 ・「田舍廻りのドウケ演説などをして一人前 の新聞記者ツラされては大慈墓畔の估券に關する」 ・「ドブ板 の下の鼠のやうな眼孔を以てゐる君から見れは」云云「然り 君は世に稀なる低級宣傳の天才である」 ・「大正十四年更始一 新の世の中に低級モグラの如く愚劣ヤシの如き言論を恣にし て歴史ある岩手毎日新聞主筆の重位を汚がす」等の記事を掲 載した。原告はこれらのことが自己の名誉を侵害すると訴え た。大審院は「侮辱罪ハ事實ヲ摘示セスシテ他人ノ社會的地 位ヲ輕蔑スル犯人自己ノ抽象的判斷ヲ公然發表スルニヨリテ 成立スルモノナルニ反シ同法第二百三十條第一項所定ノ名譽 毀損罪ハ他人ノ社會的地位ヲ害スルニ足ルヘキ具體的事實ヲ 公 然 告 知 ス ル ニ 依 リ テ 成 立 ス ル モ ノ」 と し、 「單 ニ 他 人 ノ 社 會的地位ヲ輕蔑スル抽象的言辭ヲ弄シタルニ過キサルトキハ 侮辱罪ヲ構成スヘキモ名譽毀損罪ヲ構成スヘキモノニアラサ ル」として、名誉毀損ではなく、侮辱罪の成立を認めた。 Ⅱ― 2 大 審 院 判 決 大 正 15年 10月 7日 法 律 新 聞 2633 号 13 頁 Xは岩手毎日新聞面において、岩手の銀行の重役であり盛 岡 商 業 会 議 所 会 の 頭 取 で あ る A 氏 に つ い て、 「市 民 は 忘 る る な か れ 売 国 奴 の 存 在 を」 と い う 題 目 で、 「私 憤 の 爲 祖 国 を 敵 に売りたる陋劣醜穢吾人は其肉を啖ふたも慊らさる感なくば あらさる」等、A氏を批判する記事を掲載した。大審院は、 侮辱罪・名誉毀損罪共に人の「社会的地位ヲ侵害スル罪」と し た が、 「辱 罪 ハ 公 然 人 ノ 社 会 的 地 位 ヲ 軽 蔑 ス ル 自 己 ノ 判 断 ヲ発表すルニヨリテ成立スルモノ」とし、名誉毀損罪は「公 然人ノ社会的地位ヲ貶スルニ足リルヘキ具体的事実ヲ主張シ 之ニヨリテ第三者ヲシテ被害者ノ名誉ニ対シ不利益ノ判断ヲ 為スモノナリトス」 ・「公然具体的ナル一定ノ事項ヲ指摘シ人 ノ社会上ノ地位又ハ価値ニ侵害ヲ加フルニヨリ成立スル」と して、Xには侮辱罪が成立するとした。人の名誉を毀損する に足りる具体的事実を指摘しないで単に抽象的な軽蔑の言辞 を弄するに過ぎない場合には侮辱罪が成立し、名誉毀損罪は 成立しないと判示している。
「名 誉 毀 損 罪」 と「侮 辱 罪」 の 両 罪 に つ い て は 連 続 性・ 複 合性が存在している。そのためこれまでは両者を別罪として とらえるという視点がなかった。名誉毀損罪と侮辱罪に明確 な線引きは存在せず、両者ともに「人を悪様に言って体面を 傷付ける罪」と認識されていた。しかし明治期になると、明 確に両罪の分類がなされ、どのような行為が名誉毀損罪を構 成し、どのような行為が侮辱罪となるかということが分化さ れ る。 侮 辱 罪 は、 「公 然 人 の 社 会 的 地 位 を 軽 蔑 す る 自 己 の 判 断 を 発 表 す る こ と」 に よ り 成 立 し、 名 誉 毀 損 罪 は、 「公 然 人 の社会的地位を貶するに足りる具体的事実を主張してこれに よって第三者に被害者の名誉に対する不利益な判断をさせる こと」により成立するとされた。そのため、Ⅱ― 1 やⅡ― 2 の ように、人の名誉を毀損するに足りる具体的事実を指摘しな いで単に抽象的な軽蔑の言辞を弄するにすぎない場合には侮 辱罪が成立し、名誉毀損罪は成立しないのである。同様に、 他人の名誉を毀損する具体的事実を公然と告知したのではな く、単にその社会的地位を軽蔑する自己の抽象的判断を公然 発 表 し た の に 過 ぎ な い 場 合 に は、 侮 辱 罪 が 成 立 す る と し た (大 審 院 判 決 昭 和 8年 2月 22日 大 審 院 刑 事 判 例 集 12巻 1 5 4 頁) 。 ま た、 公 然 性 に つ い て、 公 然 の 侮 辱 罪 と は、 不 定 多 数 の見聞しうる場所で人の名誉を毀損する意見を発表する行為 をいうのであって、被害者がその当時その場所にいたかどう かを問わないとした(大審院判決大正 4年 6月 8日法律新聞 1024 号 31頁) 。 ( 2) 名誉概念の基礎となる判決 前項では讒謗律に関する事例を紹介したが、本項では旧刑 法制定法後の名誉権に関する事例を紹介しつつ検討する。明 治期は名誉に関する事例として、刑事事件だけでなく、民事 の事件も増加を見せたためにあわせて紹介させていただく。 Ⅲ― 1 大 審 院 判 決 明 治 38年 12月 8日 大 審 院 民 事 判 決 録 11輯 1665 頁 本件は債権者が債務者に対する債権を執行するに当たり、 誤って第三者の住所において第三者の所有物を差押さえたと いう事例である。上告人は訴外人青木房次郎に対する債権執 行 の 際 に、 第 三 者(神 官) の 住 所 に お い て、 第 三 者(神 官) の所有物を差し押さえてしまった。そのことについて名誉侵 害 が 争 わ れ た 際 に、 「名 誉 ト ハ 各 人 カ 社 会 ニ 於 テ 有 ス ル 位 置 即チ品格名声信用等ヲ指スモノニシテ畢竟各人カ其性質行状 信用等ニ付キ世人ヨリ相当ニ受クヘキ評価ヲ標準トスルモノ ニ 外 ナ ラ ス」 と 名 誉 を 定 義 し た 後、 「名 誉 ハ 人 ノ 品 位 身 分 職 業等ニ依リ其標準ヲ異ニスルコトアルハ当然ノ事理ナルヲ以 テ同一ノ行為ニシテ或人ニ対シテハ其名誉ヲ毀損スルニ至ル ヘキモノモ他ノ人ニ対シテハ斯ノ如キ危害ヲ生スル恐レナキ コト少カラス是ヲ以テ或行為カ他人ノ名誉ヲ毀損スヘキモノ
ナルヤ否ヤヲ決スルニハ単ニ其行為カ性質上一般ニ人ノ名誉 ヲ毀損スヘキモノナルヤ否ヤヲ定ムルヲ以テ足レリトセス尚 ホ名誉ヲ毀損セラレタリト主張スル人ノ地位ヲ観察シ殊ニ其 品位身分職業ノ如キ現ニ其人ノ社会ニ於ケル位置状況等ヲ参 酌 シ …」 と し て、 神 官 の 名 誉 を 重 ん じ る こ と を 示 し た。 「当 時神社ノ祠掌ヲ職トシ最モ名誉ヲ重ンスヘキ境遇ニ在ルヲ以 テ差押ノ為メ大ニ名誉ヲ害セラレタル旨ヲ主張シタルコトハ 原判文ノ明示スル所ナリ故ニ若シ果シテ上告人カ最モ名誉ヲ 重ンスヘキ地位ニ在リテ右差押ノ為メニ其品格ヲ貶シ信用ヲ 失スルニ至ルカ如キ事情ヲ認メ」ることができると述べ、神 官 の 社 会 的 地 位 を 考 慮 す べ き と し て い る。 「其 人 ノ 地 位 ニ 関 スル状況ヲ斟酌シテ判断スル所ナカリシハ違法タルヲ免レス 此瑕瑾ハ原判決全部ヲ破毀スルノ原由ト為ス」として、神官 の 地 位 を 斟 酌 す る こ と な く 請 求 を 棄 却 し た 原 審 は 違 法 と し て、宮城控訴院に差し戻しを命じている。 Ⅲ― 2 大審院判決明治 39年 2月 19日民録 12輯 226 頁 債権者が債務者の動産に対する仮差し押さえ命令を得て、 この命令に基づく仮差し押さえを行ったが、本件仮差押えの 対象となった動産の中には、債務者とは無関係の人物Aの物 が含まれていた。Aは自己の所有物を差押えられたことが名 誉を侵害すると主張した。大審院ははじめに「名誉トハ各人 カ其品性徳行名声信用等ニ付キ世人ヨリ相当ニ受クヘキ声価 ヲ 云 ウ モ ノ ナ リ」 と 述 べ、 「人 ノ 人 格 ヲ 不 当 ニ 悪 評 シ 以 テ 其 人ノ社会ニ於テ相当ニ得タル位置ヲ失ワシムルカ如キハ其人 ノ名誉権ヲ侵害シタルモノナルコトハ勿論人ノ信用ニ関シ不 当ニ虚無ノ事実ヲ社会ニ表白シ以テ其信用ヲ害スルカ如キモ 亦 其 人 ノ 名 誉 権 ヲ 侵 害 シ タ ル モ ノ ト 云 ハ サ ル ヲ 得 ス」 と し て、Aに対する名誉侵害を認めた。加えて、悪事醜行ヲ摘発 シ以テ人格ヲ攻撃シタル場合ニアラサレハ人ノ名誉権ヲ侵害 シタルモノト云ウヲ得サルカ如ク判定シタルハ名誉権ヲ誤解 シタルモノニシテ是亦不法ノ判決タルヲ免レス」として請求 棄却した原審が名誉侵害を誤解したとして原判決を破毀・移 送している。 Ⅲ― 3 大 審 院 判 決 大 正 5年 6月 1日 大 審 院 刑 事 判 決 抄 録 65 巻 8682 頁 本件は新聞紙上に巨万の負債があることを記載されたこと が名誉侵害となるかが争われた事例である。大分新聞の記者 が、被上告人について「久原鋼業ヨリ巨万ノ負債アル旨」や 「稲 葉 子 爵 ニ 対 ス ル 二 十 万 円 ノ 債 務 ヲ 辦 済 ス ル ノ 運 ニ 至 ラ サ ス」などの記事を執筆をして掲載したことが名誉を毀損した として告訴された。大審院は「単純ニ成清ニ負債アリト云フ カ如キハ今日吾人ノ社会生活ヨリ観テ他人ノ名誉ヲ毀損スヘ キ事実ト論スルニ能ワス…名誉毀損罪ハ事実ノ有無ヲ問ハス 総テ公然之ヲ摘示シテ人ノ社会上ノ地位又ハ価値ニ侵害ヲ加
フルニ因リテ成立シ同法第二百三十三条ノ信用毀損罪ハ虚偽 ノ風説ヲ流布シ又ハ偽計ヲ用ヰテ人ノ支払資力又ハ支払意思 ヲ有スルコトニ対スル他人ノ信頼ニ危害ヲ加フルニ因リテ成 立スヘキモノトス」として、虚偽の事実を流布する行為は、 信用毀損および名誉毀損の二罪名に触れることがあり、また 単に信用毀損もしくは名誉毀損の一罪名に触れることがある と 判 示 し た。 本 件 で は、 「他 人 カ 借 財 ヲ 為 師 タ ル 事 実 ヲ 公 然 摘示シタリスルトモ現代ノ社会通念ニ照ラシ直チニ之ヲ人ノ 社会上ノ地位マタハ価値ニ侵害ヲ加フルモノト断スルヲ得ス …」として、本件においては「巨万ノ借財ヲ為シタルコトヲ 意味スルモ尚ホ未タ破産ニ瀕スルコトヲ意味スル程度ニ達セ サルモノニシテ名誉毀損罪ヲ構成スルモノト謂府へカラス」 として、本件記事を執筆した記者には信用毀損罪が成立する とした。 Ⅲ― 4 大 審 院 判 決 明 治 44年 1月 26日 大 審 院 民 判 決 録 17輯 16 頁 Xは結婚する意思がないのにも関わらず結婚する意思があ るように装い、Aと結婚式を行った。数ヶ月同棲した後、正 当な理由なくAと離別した。これに対して大審院は、婚姻届 けを出していない同棲であっても一定の法的保護を認めると 共 に、 「正 式 ノ 儀 典 ヲ 行 イ タ ル ト 否 ト ヲ 問 ワ ス 届 出 ナ ク シ テ 同棲スルノ事実ハ一種ノ野合ニシテ法律上之レヲ保護スヘキ 理由存スルコトナシ而シテ被上告人ハ自ラ甘ンシテ法律ノ保 護セサル行為ヲ為シタルモノナルヲ以テ後日届出ヲ為スノ意 思上告人ニ存セシヤ否ヤヲ論セス之レヲ以テ名誉ヲ毀損セラ レタリト云ウヲ得サルヘシ若シ之レヲ以テ名誉毀損ノ事実ト スレハ婚姻ノ予約ハ無効ナルニ拘ワラス其予約ヲ履行セサル コトヲ理由トシテ名誉毀損ナリト諭スルコトヲ得ヘシ」と述 べ、 「被 上 告 人 ノ 名 誉 ノ 毀 損 セ ラ レ シ コ ト 勿 論 ニ シ テ 即 チ 上 告人ハ故意ヲ以テ被上告人ノ権利ヲ侵害シタルモノニ外ナラ ス」と判示し、Aに対する名誉侵害を認めている。 Ⅲ― 5 大 審 院 判 決 昭 和 9年 3月 5日 大 審 院 刑 事 判 例 集 13巻 213 頁 本事例は村八分についての事例である。 「『村八分』ノ決議 ヲ為スハ人ノ人格ヲ蔑視シ共同生活ニ適セサル一種ノ劣等者 ヲ以テ待遇セントスルモノニシテ其ノ名誉ヲ毀損シ右決議ヲ 通告スルハ将来引続キ相手方ニ対シ不名誉ノ待遇ヲ為サント スル害悪ノ告知ニ外ナラスシテ脅迫罪ヲ構成ス」とあり、い わゆる「村八分」の決議をすることは、その人の人格を蔑視 し共同生活に適しない一種の劣等者として待遇しようとする ものであるため、その人事の名誉を毀損し、その決議を通告 することは、将来引続き相手方に対し不名誉な待遇をしよう と す る 害 悪 の 告 知 と な り、 名 誉 侵 害 と 共 に 脅 迫 罪 を 構 成 す
る、と判示した。 近 世 以 前 の「名 誉」 と は、 「名 誉 感 情」 を 意 味 し、 こ れ こ そが最も保護されるべきものであった。しかしながら明治期 に な る と 西 洋 法 の 継 受 等 に よ り、 「名 誉」 と は「内 部 的 名 誉」 ・「名誉感情」から「社会的地位」 ・「評判」 ・「名声」等に 移 行 す る。 こ れ は、 現 在 の「外 部 的 名 誉」 と 類 似 す る 見 解 で、当時の学説もおおむねこの見解で一 ( 7) 致 している。 Ⅲ ― 1に お い て 大 審 院 は、 名 誉 と は、 各 人 が そ の 性 質・ 行 状・信用等について世間から相当に受けるべき評価を標準と するものであると述べ、ある行為が名誉毀損となるかどうか を決めるには、その行為の性質上一般に人の名誉を毀損すべ きものであるかどうかを定めるというものと判示している。 この事例は現代の名誉侵害の判例にも多く引用され、以降の 名誉侵害の存否を判断する際の基準となっている。また、本 件では、差し押さえられた物の所有者が神官であったことも 大きく関係している。この事例については法と身分の関係の ところで後述するが、名誉侵害の程度の判断について、その 「神 官 の 地 位」 を 考 慮 し た 判 断 を 行 わ な か っ た こ と が 問 題 で あるとしており、本判決は明治期の重要な問題でもある身分 と名誉に関する事例でもある。 名誉とは、その人が有する社会的価値以外にも、人が不利 益 な 批 判 を 受 け な い 権 利 で あ る と 考 え ら れ る よ う に な っ た (大審院判決大正 4年 6月 4日法律新聞 1024 号 31頁) 。Ⅲ ― 2の よ う に、 悪 事 醜 行 を 摘 発 し て 人 格 を 攻 撃 し た の で な く ても、その人物が借財をしたかのように、人の信用に関し不 当に虚無の事実を社会に表白してその信用を害すれば、名誉 権の侵害となるとした。これらのように、名誉毀損罪はこの 時代においては、間接的にも当該人物の社会的立場を守るた めの法であったともいえる。ある人の品位・信用等に関する 社会的声価を毀損する行為であれば、その方法が社会的に広 く公表されるものであるかどうかを問わず、名誉毀損となる (大 審 院 判 決 昭 和 4年 9月 25日 大 審 院 裁 判 例 3巻 民 1 1 2 ( 8) 頁 )。 ま ず、 大 審 院 の 判 例 で 述 べ ら れ る「名 誉」 と は、 人 の 社会上の地位または価値であるとされた(大審院判決大正 5 年 5月 25日 大 審 院 刑 事 判 決 録 22輯 8 1 6 ( 9) 頁 )。 加 え て、 こ れ までの内面的な価値の重視から、社会的価値に重きを置く方 向 へ と 移 行 し て い る。 名 誉 毀 損 罪 と は、 「当 該 人 物 の 社 会 的 価値をおとしめるもの」とされるようになった。前述したよ う に 名 誉 と は、 「名 誉 ト ハ 各 人 カ 社 会 ニ 於 テ 有 ス ル 位 置 即 チ 品格名声信用等ヲ指スモノニシテ畢竟各人カ其性質行状信用 等ニ付キ世人ヨリ相当ニ受クヘキ評価ヲ標準トスルモノニ外 ナラ ( 10) ス 」と、社会的信用や体面とされたことで、客観的なも の と 考 え ら れ る よ う に な っ た。 そ し て こ れ ま で 切 り 離 せ な か っ た「身 分」 ・「秩 序 維 持」 と い う 概 念 が 重 視 さ れ な く な
り、公然性やその問題とされた行為を行った際の悪意が重視 さ れ る よ う に な る。 後 に 名 誉 毀 損 罪 は、 「人 の 名 誉 を 毀 損 す べ き こ と を 認 識 し な が ら、 公 然 私 行 事 実 を 摘 示 す る こ と に よ っ て 成 立 す る」 (大 審 院 判 決 昭 和 13年 6月 6日 法 律 新 聞 4303 号 7頁)という非常に今日の概念に近い論理が用い られるようになったといえる。これら判例によれば、一般人 の 思 う「名 誉」 と は 完 全 に 一 致 し て い な い が、 「名 誉 = 人 が 世間から受ける評価または名声」としている。ここに、先程 例 と し て 挙 げ た 二 つ の 判 例 の 共 通 点 も 存 在 す る。 Ⅲ ― 3は、 当該人物が巨万の借財をしたという事実を公然摘示すること は、事件当時の社会観念に照し、直ちに人の社会上の地位ま たは価値に侵害を加えるものといえず、場合により信用毀損 罪を構成することはあっても、名誉毀損罪を構成しないとし ている。記事で指摘された内容はやや抽象的で具体性を欠い ており、借財をすることが人の社会的評価を下げる程度も軽 微であったといえる。しかし、個人の社会的信用を軽微であ るが傷付けたために違法であると判断されている。公然性・ 公益性については、ここで、どのような事柄が名誉毀損罪と なるのか一例を挙げれば、うわさであっても人の名誉を害す べき事実を公然と摘示した場 ( 11) 合 などである。 名誉毀損罪とされなかった例には、他人の登録商標に類似 する商標を同種の商品に使用して広く世間に販売したこ ( 12) と ・ 地主が小作人から小作料を請求して余裕のある生活をしてい るということに憤慨し、小作人数名が共謀して土地賃借料減 額 要 求 の 目 的 で 地 主 方 に 押 寄 せ、 「こ も ご も 悪 地 主 を 葬 れ、 鍬も鎌もある云々覚悟せよ」等と叫んだ行 ( 13) 為 ・他人の名誉を 毀損する具体的事実を公然告知したのではなく、単にその社 会的地位を軽蔑する自己の抽象的判断を公然発表したのにす ぎない場 ( 14) 合 、等が挙げられる。 Ⅲ ― 4で は、 女 性 に 対 す る 名 誉 侵 害 が 認 め ら れ て い る。 こ れは、女性の貞操に関する問題でもある。 これは婚姻につい ての当時の考え方が大きく影響している。江戸期までは結婚 は政略・同盟の意味合いが強く、結婚離婚は頻繁に行われて おり、一方的な婚姻の解消が女性の名誉を侵害することはな かった。しかし明治期になると一夫一妻制が主流となり、社 会通念上女性は一般的に婚姻し、初婚の相手と一生添い遂げ るという考え方が一般に浸透していた。法により妻の地位が 一定程度認められるようになったことや内縁関係に一定の保 護が与えられたことも背景となり、婚約破棄や離婚は女性に とって恥ずべきこととみなされ、女性の体面を傷つけること と考えられるようになった。同様の事例で、婚姻の約束をし ていて同棲していたが、正式に婚姻せず別れた場合、女性の 名誉を侵害するかについて争われた事例がある。事実上夫婦 同様の生活をすることが数年に及んでも、その関係を断つこ とは双方の自由であるから、婚姻履行の拒絶が女子の品格・ 名 誉 を 毀 損 す る こ と が あ っ て も、 「不 法 行 為 を も つ て 論 ず る
ことはできない」 、としたものであ ( 15) る 。 これまで紹介した名誉に関する訴訟の特徴であるが、様々 な 法 律 が 未 整 備 で あ っ た こ と も あ り、 現 代 で い う と こ ろ の 「名 誉 毀 損 罪」 が カ バ ー す る 範 囲 は 非 常 に 広 か っ た と い え る。現代でいうところの人格権の侵害・プライバシーの侵害 等 が 名 誉 侵 害 と 関 連 付 け ら れ て い る と 考 え ら れ る。 Ⅲ ― 5の よ う に、 「村 八 分」 が 名 誉 を 侵 害 し た と し た と さ れ る 事 例 は 多い(大審院判決明治 44年 9 月 5 日大審院刑事判決抄録 50巻 5261 項 等) 。 明 治 期 は 現 在 で は 考 え ら れ な い ほ ど 地 縁 が 強く、生活スタイルやルールにも地域的結びつきが大きかっ た。そのため、地域から疎外されることは非常に不利益にな る。それが不法行為だけでなく、疎外された者の名誉を毀損 し、脅迫罪を構成することもあった。これらの事例は、極め て濃厚な社会関係の中で形成された判例理論が軸になってい る。 こ れ ら の 判 例 か ら み る と、 見 解 は 完 全 に 一 致 し て い な い が、 大 審 院 が 示 す 名 誉 と は、 「人 に 対 す る 社 会 的 な 評 価」 と いうことができる。なお、大審院の事件ではないが、現代で はおおよそ名誉権に関わらないような事例も名誉侵害とされ ている事例も存在するため、当時の時代を象徴する事例や現 代とはかなり異なり特に目をひくものをいくつか紹介させて いただいた。①小学校の教師が生徒を殴って傷 ( 16) 害 したことに より、両親の社会的声誉を傷つけた事実のある場合には、両 親に対する名誉権侵害となる、とされた事例(大審院判決昭 和 4年 4月 18日 大 審 院 民 事 判 例 集 8巻 2 8 6 ( 17) 頁 )・ ② 火 葬 場 に半焼の遺体を遺棄された場合(金沢地判明治 43・ 9・ 28法 律 新 聞 637 ・ 15)・ ③ 女 性 が 衆 人 の 前 で 性 的 に 辱 め を 受 け た 場 合(宮 崎 地 判 大 正 4年 月 日 不 明 法 律 新 聞 1046 ・ 28)・ ④ 婚 姻 中 の 夫 が 他 の 女 性 と 不 倫 関 係 に な り 帰 宅 し な く な っ た こ と(広 島 地 判 昭 和 11・ 4・ 30日 評 論 25・ 570 )・ ⑤理由のない訴の取下げに遅滞が存する場合(大審院判決昭 和 6年 2月 16日法律新聞 3237 号 16頁)等である。 以上のように、名誉侵害についての訴訟での検討は、これ までの名誉感情を考慮せず、当該人物の社会的評価がどの程 度侵害されたか、という点に終始している。これは現代と同 様であるのだが、当該人物の内心に踏み込んでの考慮をして いない。本来名誉とは社会的価値を有する者であり、また、 内部的名誉や名誉感情がどの程度傷つけられたのかを法的に 判断することは困難であるためである。明治前も名誉侵害で 問題になることの多くは職業や身分に関する事柄や世間的評 価・体面等社会性の強いものであり、大審院が名誉を「社会 的価値」としたことには合理性もあり、これは西洋法導入と いうだけでなく日本の名誉保護の法理論の発展と言えよう。 しかしながら、ここにおいても、名誉感情や本人の自尊心を どの程度評価するのか、という問題が生じる。これは現代に お い て も 慰 謝 料 の 増 減 に 影 響 す る こ と も あ る。 当 該 人 物 か
「社会的信用を損なった」 ・「体面を傷付けられた」 、という理 由で相当のショックを受けたとしても、裁判所が「社会的信 用を害するほどではない」と結論付けてしまうとその人物の 人格的権利や尊厳は回復されないし、裁判が絶対的に正しく ないという前提を考えれば、社会的評価だけを考慮すれば当 事者が納得する判決に至ることは非常に困難となる。そのた め、名誉侵害に関する事例においては、社会的評価を中心に 考えつつも、わずかながらでも本人を取り巻く環境の変化や 社会的地位も考慮に入れた判決も必要となる。 ( 3) 名誉毀損とならなかった事例 Ⅳ― 1 大 審 院 判 決 昭 和 14年 5月 16日 法 律 新 聞 4429 号 5 頁 弁護士会備付の「非弁護士名簿」に登載されたことが直ち に被登載者の名誉が毀損されたとはいえないとされた事例。 原告が「旧法律事務取扱ノ取締ニ関スル法律」の違反者でな いことの確認を求める訴は、事実関係の確認を求めるもので 許されないものであり、弁護士会に備え付けられている、法 律の違反者である弁護士の氏名を記載した非弁護士名簿は弁 護士会内において執務の便宜上作成された一種の覚書にすぎ ず、会員外の広く一般に公開されるものでないから、当該名 簿に氏名が記載されているからといって直ちに名誉を毀損す るものとは認めらないとされた。 Ⅳ― 2 大 審 院 判 決 昭 和 5年 9月 1日 大 審 院 刑 事 判 例 集 9巻 640 頁 府県会議員であるXが、警察署長の職にある者が市会議員 選挙に際して、ある政党の公認した各候補者に対して運動費 を寄付すべき旨の書状と共に金 10円宛を贈ったとの事実があ ると信じ、Xが警察事務に関し知事の監督を促すためにした 議場の発言は、その職責に属する行為であり、刑法 35条によ り罰すべきものではないためであり、警察事務の公平を失わ ないように知事の監督を促すために議場においてこれを摘示 して論議することはXの名誉毀損罪とならないとされた。 Ⅳ― 1では、 「該名簿ハ被上告弁護士会内ニ於ケル執務ノ便 宜上作成セラレタル一種ノ覚書ニ過キスシテ会員外ニ広ク一 般ニ公開セラルルモノニ非サル」ということで、本人の自尊 心は傷付けたとしても、多くの人物の目に触れる可能性が少 ないためである。ここで検討すべき点が、公然性の問題であ る。これは表現の自由とも大きく関わる問題である。どの程 度の人数に名誉を侵害する、もしくはどれほど個人が秘匿し ておきたい情報を公開してしまったか、ということが問題と される。明治前、名誉毀損罪の公然性はほとんど問題とされ なかった。これは非常にまれな現象であるのだが、日本にお いては中世から江戸期にかけては、人への伝播という点は名 誉侵害について問題とならなかった。人の名誉感情を害した
かどうかが重要な問題となっていたため、名誉侵害する発言 した際や文書を目にしたものがたとえ 1 人であったとしても 有罪となることが多かったからである。しかし、明治期にな ると、名誉侵害は社会的評価とみなされてきたために、どの くらい多くの人間にその情報が伝わってしまったのか、とい う点も考慮されるようになった。いかほどの人数に公表した 場合に名誉毀損となるのかについて、ある者の品位信用を害 すべき無根の事項を第三者に告白した以上、不特定多数人に 公表しなくても名誉毀損となる。これは正確に何人以上とい う線引きは困難であるが、大審院事例を概観すると、他者に 伝播の可能性があれば有罪となることが多かったといえる。 なお、文書に関する名誉侵害の事例については後述するが、 文書で相手の悪評を述べたとしても、現代と異なり表現媒体 は少なく、一度に大勢の人間に情報を伝搬することは不可能 である。しかし旧時代において、少数人数の前においても名 誉 毀 損 が 重 く 罰 せ ら れ て い た 理 由 は、 名 誉 感 情 保 護 以 外 に も、一度公表されてしまった情報は事実であるか否かを問わ ず、悪く伝染してしまう可能性があること、狭い村社会であ るためその分体面が重視される、ということであろ ( 18) う 。その ためか、明治期においてもごく少数人数に対しての悪評判の 公表も名誉毀損罪とされていた。現代においては、およそ名 誉毀損罪と離されない事例であるといえる。 Ⅳ ― 2で は 現 在 で い う と こ ろ の 正 当 業 務 性 が 問 題 と な る 事 例であろう。個人の社会的評価を下げることになったことに は 違 い な い が、 警 察 の 不 正 を 糾 弾 す る と い う 公 的 な 目 的 が あったことからも違法性は阻却されたと思われる。これは現 代での公人に関する事例でもある。現在でも同様の判決がみ られることからも、表現の自由と名誉権の対立調整の理論も このころに原型が形成されていたとみられる。 ( 4) 名誉保護に関する「身分」の考慮 Ⅴ― 1 大 審 院 判 決 明 治 41年 3月 30日 大 審 院 刑 事 判 決 録 14輯 331 頁 人妻と姦通した者はその夫の夫権を侵害したもので、これ によって夫の名誉を毀損し、精神上悲痛を感じさせるに至っ たときは、慰謝料支払義務がある、とした事例がある。大審 院は「人ノ妻ヲ姦シタル者ハ本夫ノ夫権ヲ侵害シタルモノニ シテ之ニ因リ本夫カ名誉ヲ殷損セラレ精神上悲痛ヲ感スルニ 至リタルトキハ姦夫ニ於テ慰藉料ヲ支払フヘキ義務ヲ有ス何 トナレハ是レ不法行為ニ因ル損害賠償ニ外ナラサレハナリ」 と判示した。 Ⅴ― 2 大審院判決明治 44年 6月 8日刑録 17・ 1102 妻の名誉を毀損した行為に対して、その夫が、自己および その一家の名誉を毀損したものとして告訴をしても、妻の名 誉毀損に対する告訴の効力を生じないとした。大審院は「書
面を流布シテ人ノ妻加他人ト姦通シタル事実ヲ世ニ公ニスル は直接に本夫ノ名誉ヲ毀損スルニ非ラサル…姦通ノ汚名ヲ蒙 リタルモノノAニ対シテモ名誉毀損罪ヲ構成スルモノト認メ テ之ヲ処罰シタルハ違法」として、書面を流布してAの妻が 他人と姦通した事実を公表しても、その夫に対する名誉毀損 罪を構成しないと判示した。 Ⅴ― 3 大 審 院 判 決 大 正 5年 10月 12日 大 審 院 民 事 判 決 録 22輯 1879 頁 Aは普通平民であるが、BがAの息子の妻の実父に「Aハ 新 平 民 ニ シ テ 其 以 前 皮 細 工 職 ナ リ シ 旨」 と い う 書 面 を 送 っ た。Aは新平民であるといったBの行為により、その書面で 述 べ ら れ た 事 柄 が そ れ が 広 く 社 会 に 流 布 す る に 至 ら な く て も、BはAの名誉を毀損したことになるとした。名誉を「各 人カ世人(社会)ヨリ受ク可キ社会上ノ地位ナル」と述べ、 「各 人 ニ 対 ス ル 社 会 上 ノ 批 判 ノ 善 ナ ル モ ノ ハ 其 人 ノ 名 誉 ト ナ リ悪ナルモノハ其人ノ不名誉トナリ第三者カ他人ヨリ聴キタ ル或批判ヲ他ニ流布スル状態ニアラサル場合ニ於テハ他人ノ 批判カ単ニ其第三者ノミニ止マリ社会的ニ批判ノ存在ナキカ 故ニ従テ又社会上ノ地位ナルモノ存在セス名誉不名誉ナルモ ノナシ要之名誉不名誉ナルモノハ必然的ニ批判ノ社会的ナル コトヲ要件トナスカ故ニ名誉ノ毀損アリト云ハンニハ又必ス 名誉ヲ下卑セシムル批判カ社会的ナルコトヲ要スルヲ以テ第 三者一人ニ止リ其者カ他ニ之ヲ流布セサル状態ナルニ於テハ 該批判ハ社会的ニ何等ノ影響ヲ生セサルニ依リ被批判者ノ社 会上ノ地位即チ名誉ヲ下卑セシムルモノニアラサルナリ」と したことが公然事実に当たると解されている。 Ⅴ― 4 大 審 院 判 明 治 34年 12月 20日 大 審 院 刑 事 判 決 録 7輯 11 巻 105 頁 Xらは巡査部長であるA氏について、新聞に「巡査部長カ 妓楼ニ登リ淫酒ヲ買フタリ」等の記事を掲載した。これにつ い て 大 審 院 は、 「一 私 人 ノ 行 為 ト シ テ 悪 事 ニ ア タ ラ ス 又 醜 行 ニアラス只巡査部長タル身分アルに不拘此為アリタルハ警察 ノ威厳ヲ害スルト云フ…一私人ニ対スル犯罪ニアラスシテ特 殊ノ身分ニ対スル犯罪ナル」として、警察官の身分の特殊性 から名誉侵害を認めている。新聞紙上に掲載した記事が、常 人としては醜行にならないが、被害者に特殊の身分があるた め誹毀罪を構成するとされた。 明治期の大審院に期待されたものは、これまでと同様に、 当事者の争いに決着をつけることだけではない。新しい判例 の在り方を示すことで、国民一般に新たに形成された法理論 を浸透させることも重要であったといえる。 これまでの日本では統治者が交代し、時代が大きく変わっ たとしても、裁判・法の在り方は、前時代を踏襲し、改良を
加えたものであった。それが国民のもつ倫理観とそれほど乖 離 し た も の で も な い。 し か し な が ら、 明 治 期 は こ れ ま で に あった統治者の交代とは異なり、これまでの国家体制が変革 し、それと共に急激な西洋化がすすんだ。そのため、法や裁 判制度はこれまでのものが一新され、法を支える倫理は西洋 型のものとなった。そのため、これまで用いられていた先例 が明治期からは用いることができない場合も多い。そして、 先例の拘束性も及ばなくなる。裁判所の判断は、変革がなさ れ た 法 に 柔 軟 に 対 応 し な け れ ば な ら な か っ た。 江 戸 期 ま で は、名誉に関する事例に関しても、先例拘束の伝統といえる ものがあった。先例拘束の原則が続けば、社会と法秩序安定 が図られる。裁判を利用する国民に、安全性や予測可能性を 示すことができた。しかし、明治期からは西洋法の導入やこ れまでの法体系の変革が行われたため、裁判官はこれまでの 前例に基づいた判決を出すことはできない。ただし、裁判に もちこまれる問題はこれまで継続していた倫理観に基づくも のであるが、それを裁く法律は西洋色の強い近代的なもので あるため、一般国民と裁判所の間に少なからず齟齬が生じて いた。その中で大きな問題は、法を司り判決を下す裁判官は 当時最先端の西洋的な教育を受けた人間だが、一般の国民の 多くは、まだ西洋的な思考になじみが少ないことである。そ れゆえに、西洋型の法・裁判制度と、国民の思考との間に隔 たりが生じる。国民の意思に近代化のスピードが追い付かな かったために、これまでとは大きく異なった判決に戸惑いを 覚えた国民は少なくはないだろう。そのため、裁判所には名 誉保護以外の分野においても、積極的に新たなる法の適用及 び新たに制定された法の解釈を示し、それらの構築が求めら れたといえる。そのため、裁判所求められる役割とその果た す べ き 責 任 は、 現 在 と 比 較 し て も は る か に 大 き い と い え よ う。これらは先行研究でもあまり触れられることのなかった 側面である。 これまでの判例が踏襲できないということで、明治期前の 法制度や倫理観へ国民がもつ期待や信頼が、新たに取り入れ られた明治期の西洋色の強い法によって裏切られることはで きるだけ防がなければならない。そのため、判決を出す裁判 所は長期にわたる日本の伝統的な法解釈と社会の劇的な変化 を考慮していたと考えられる。 前述したように、刑法が定められるまで、讒謗律が名誉権 保 護 の 役 割 を 担 っ て い た。 民 法 に も 不 法 行 為 の 規 定 は あ る が、名誉権そのものについては明治憲法も明文規定はないた め、刑法による名誉毀損に着目するが、旧刑 ( 19) 法 と改正刑 ( 20) 法 を 比較すると興味深い事実がうかがえる。 旧 刑 法 に は 名 誉 を 毀 損 す る 言 論 を「悪 事 醜」 ( 385 条) としている。つまり、その人物の社会的評価を低下させる行 為であるとしている。しかし改正刑法においては「公然ト事 実ヲ摘示シ人ノ名誉ヲ毀損」した場合が名誉侵害となるとさ
れている。この条文の変化は、かつての歴史観欧米の法制度 の流入、そして近代までの名誉権保障の名残である。近代ま での日本では名誉を毀損する言論というのは、その人物の悪 評だけでなく、良い評判なども含むその人物に関する全ての 報道が名誉を毀損するものとして禁止され慎まれていた。こ の点において、日本の名誉権保障は他国と比較しても異質で ある。諸外国は表現の自由を規制することで為政者への批判 を抑えていたが、日本はそれだけではなく、日本は名誉毀損 訴訟そのものを禁じ、悪い評判でなくとも当該人物の事柄を 表すだけでもそれが名誉毀損となるという、名誉権保障にプ ライバシー侵害も含めることで、統治者や身分の高い者につ いての評価そのものを禁止し ( 21) た 。非常に名誉権保障に重点を 置き、それに傾斜した法体系ともいえる。厳密にいえば名誉 権とプライバシー権は異なるものだが、この時代の名誉毀損 罪はプライバシー権侵害からの保護も兼ねており、自己の秘 しておきたいことを公開されない権利を間接的に保障するも のでもあった。 後の法制度の欧米化・近代化に伴い、新たに制定された法 では「名誉毀損=特定の人物の悪評の公開」ということにな り、時を経て外国の思想が流入した改正刑法では、欧米化が 浸透し、条文が変化し、一般の国民にも意識変化があったと 考えられる。しかしながら、当時の最新の法教育を受けた裁 判官と、一般の国民では法意識に当然に差がある。それを象 徴 す る 裁 判 事 例 も 多 い。 「被 告 人 が 原 告 の 悪 評 を 述 べ て 原 告 の 名 誉 を 毀 損 し た」 、 と い う 事 例 が 現 在 の 名 誉 毀 損 裁 判 の 典 型であるが、明治期はこのようなものばかりではなかった。 例えば、明治期の表現の自由の判例・大審院の判決の特徴に は、名誉権保護を悪評の公開のみとは考えない一般の国民の 考え方が見られた。この時代の一つ目の特徴の、外形的には 欧州の法制度・考え方を取り入れているが、裁判の中身や判 決の内容はこれまでの名誉観を踏襲している、というもので ある。これまでの封建制度や社会構造は残っていたため、完 全に法制度を西洋化してしまうことは社会の反発が生じ、こ れまでの国民の倫理観との間に軋轢が生じる可能性があった ためではないかと考えられる。また、国民の全ては英米法の 倫理観になれておらず、旧時代の名誉権の在り方に添った訴 えを起こしていたと考える。明治期は西洋法の影響を強く受 けるのだが、明治初期には幕藩法の理念が続き、王政復古が 叫ばれた時代にはやはり律令を基礎とする等中国法の影響が 強い。明治中期からは獨逸法・仏蘭西法の影響が強まるが、 やはり明治初期は中国式の法制であっ ( 22) た 。 理念が欧米化された中においても、国民の全ての伝統や倫 理観が変化したわけではない。そのため、公的な身分・体面 を重視するような判決も出されることもある。悪評を公表さ れ た 人 物 が 公 的 な 身 分 を も つ 場 合、 前 述 し た Ⅲ ― 1の よ う に、当時の神官は非常に名誉を重んじるものであったが、こ
の事例はそれほど例外なものとはいえないだろう。実際に、 名について、その価値は「人ノ社会上ノ地位ニ関スル価値」 と あ る が、 「人 ノ 社 会 上 ノ 地 位 ニ 対 ス ル 価 値 ト ハ 人 ノ 門 地、 血統、学術、技芸、徳行ノ凡テノ方向ニ於ケル価値ヲイフ。 」 ともあ ( 23) る 。名誉は各人がその性質・行状・信用等について世 間から相当に受けるべき評価を標準とするものであるから、 ある行為が名誉毀損となるかどうかを決めるには、その行為 の性質上一般に人の名誉を毀損すべきものであるかどうかを 定めるだけではなく、その人の社会における位置・状況等を 参酌して審査しなければならない。現代における、当該人物 が公人であるか否か、という問題ではなく、その人物の公的 に信頼が必要な程度も斟酌されていたのであろう。それを象 徴 す る 事 例 が、 Ⅴ ― 4の 警 官 に 対 す る 名 誉 侵 害 の 事 例 で あ り、これは明確に警察官としての立場が強調されている。警 察官の巡査部長という社会的立場を重んじ、市民に対する威 厳を揺るがせないようにするためであろう。 同 様 に、 家 庭 内 の 秩 序 維 持 と い う 目 的 達 成 の た め に、 う がった見方をすれば、男尊女卑や家長絶対主義の思想も名誉 毀 損 裁 判 に 見 ら れ る。 Ⅴ ― 1の よ う に、 不 倫 な ど 民 法 上 の 不 法行為について、人の妻と関係をもった者はその夫の夫権を 侵害したものであるとされていた。これによって夫の名誉を 毀損し、精神上悲痛を感じさせるに至ったときは、慰謝料支 払義務がある。現代でも不倫による慰謝料支払いの事例は多 く存在するが、明治期の慰謝料発生の理由というのは「不法 行 為」 だ け で な く、 「夫 の 名 誉 を 毀 損 し た 故」 な の で あ る。 同様に、妻の姦通に関する一切の事実を公表する旨通告した 場合は、夫の名誉を害すべき事項の通告ではなく、妻の名誉 に対し害を加えることで夫を脅迫したもので、刑法 222 条 2項 に 該 当 す る(大 審 院 判 決 昭 和 5年 7月 11日 法 律 新 聞 3192 号 7頁) 、 と い う 事 例 も あ る。 し か し そ の 一 方 で、 妻の名誉を毀損した行為に対して、夫が、自己およびその一 家の名誉を毀損したものとして告訴をしても、妻の名誉毀損 に 対 す る 告 訴 の 効 力 を 生 じ さ せ る こ と は な く、 「書 面 ヲ 流 布 シテ人ノ妻カ他人ト姦通シタル事実ヲ公表スルハ直接ニ本夫 ノ名誉ヲ毀損スルモノニ非サルヲ以テ之ニ対スル名誉毀損罪 ヲ構成スルコトナシ」書面を流布して人の妻が他人と姦通し た事実を公表しても、その夫に対する名誉毀損罪を構成しな い、とされ ( 24) た (Ⅴ― 2)。前者は人妻と関係をもった際に、そ の夫の名誉を侵害したということになるが、後者は妻の不義 を世間に公表した、ということで事情が異なる。ここで注目 す べ き こ と は、 「夫」 と「妻」 の 名 誉 が 侵 害 さ れ た 際、 同 様 に考えるのか、という性別及び家庭内の身分である。女性の 権利を重んじなかった法や歴史を背景とするため、女性より も男性の立場を重んじる判決もみられる。加えて、武家政権 で な く な っ た こ と に よ り、 「家 督 相 続」 が 以 前 よ り 重 視 さ れ な く な っ た こ と か ら、 「家」 の 名 に 付 随 す る 名 誉 の 概 念 が 喪
失し、名誉権は個人のものとされたのである。近代前は夫婦 は法的にも倫理的にも一心同体として考えることが一般的で あるとされていたので、配偶者への不法行為は自己のものと 同様とされていたが、明治期の近代法によっては明らかに、 女性の権利性を認めてはいなくとも、夫婦は別の人格と法の 共有性主体であるということを明示していると言える。例え ば新聞紙上に人の妻が万引の癖がある旨の事実を執筆掲載し ても、直接その夫の名誉を毀損するものではない(大審院判 決昭和 8年 8月 1日大審院刑事判例集 12巻 1 4 0 3 ( 25) 頁 )とい う事例も存在していた。 これまで名誉権保障が重視されていた理由とは、体面・主 観の重視に他ならない。そのため、仮に情報発信者や被告人 に悪意がなくても、著しく相手の自尊心を傷付けたとされれ ば名誉毀損罪となることもあった。それを象徴する事例の一 つが、前述した小学校の教師が生徒を殴って傷 ( 26) 害 したことに より、両親の社会的声誉を傷つけたとされた事例である。こ れは、両親に対する名誉権侵害となるとされた。本件の教員 は「市町村立小学校長及教員職務上ノ義務ニ違背シ云々体面 ヲ 汚 辱 ス ル ノ 行 為」 で あ り、 「上 告 人 庄 之 助 同 ヱ イ ハ 清 ノ 父 母トシテ名誉権ヲ毀損」してものとされた。現代であれば、 児童に対する不法行為として処理される事例であるが、民事 判決であるとはいえ、児童を傷害したことが両親の名誉を毀 損したことが述べられ、児童と共に両親に対する慰謝料も認 め ら れ ( 27) た 。 こ の こ と は、 「子 が 親 に 従 属 し て い る」 と い う こ とよりも、この時代に社会的地位の高い教員という職業の人 間 か ら 子 息 が 手 を 上 げ ら れ た と い う こ と は 当 時 は 大 き な ニュースであり、それが悪い方向へうわさとして流れれば両 親の体面を傷付ける理由が十分であったと想像もできる。他 に も 身 分 に 関 す る も の で、 Ⅴ ― 3の よ う に、 A は 普 通 平 民 で あるのに、BがAの息子の妻の実父に書面を送ってAは新平 民であるといった場合、それが広く社会に流布するに至らな くても、BはAの名誉を毀損したことになるとした。明治期 に 形 式 的 に は 四 民 平 等 で あ っ た と は い え、 「平 民」 ・「新 平 民」という差別は残っていた。差別対象であったものである ということを他者に公表することは本人の体面を傷付けたと いえるだろう。 ( 5) プライバシー保護 Ⅵ― 1 大 審 院 判 決 明 治 27年 2月 14日 明 治 前 期 大 審 院 民 事 判 決録 64頁 他人の祖先が名主役であった旨を書物に記載したのが家格 と相違するとしても、その一家のことを記したにとどまり、 そ の 家 人 の 名 誉 ま た は 権 利 を 侵 害 す る も の で は な い と さ れ た 。 日本は明治期以前においては、名誉侵害に関わる訴訟その ものがタブーとされていたことに留意せねばならない。殊に
高い身分の者について名誉権訴訟が少ないのは、名誉権に関 わる裁判を行うと、裁判中に秘匿しておきたい情報が漏れて 多くの人に伝わってしまい、また、記録にも残ってしまうた めである。日本人は権威を保つために存在を秘匿するという 伝統があった。公人や権力者は私事を公開することは避け、 公に姿を見せないことで権威を保っていた。しかし名誉侵害 で訴訟となればその人物や事件に関することが公開されてし まうため、公人や権力者について言及するだけで処罰の対象 となった。為政者の名誉を傷付けることを防止するための措 置も多く、表現の自由でいえば事前抑制のような規定も江戸 期までは多く見られた。 明治期になると、現在でいうところのプライバシー侵害に 当たるような事例がみられる。内容は社会的に口外すると体 面 や 人 間 の 尊 厳 が 傷 つ け ら れ る 場 合 に 当 た ら な い こ と が 多 い。主に、自分の身の回りの私事を公にされたくない、とい う程度のものだった。 名誉権とプライバシー権について、この二者を厳密に区分 けすることは今日でも多少の困難が伴うが、大審院時代にお い て も 名 誉 と プ ラ イ バ シ ー は 厳 密 な 区 分 け は 存 在 し て い な かったようである。現代では、名誉の侵害とは、社会的評価 を 低 下 さ せ る こ と で あ り、 プ ラ イ バ シ ー 侵 害 と は、 「宴 の あ と」の事例で示されたように、当該人物が公開を欲しないで あろう私事であるとされている。大審院時期のプライバシー 権とは、社会的名誉を低下させることはないが、当該個人が 公開を欲しないであろう事柄であり、この点は現代でも類似 している。 前述したように、少数人数への公開が名誉毀損罪として処 断されるのは、体面を重視と、プライバシー保護も担ってい たせいであろう。ここにも、かつての名誉保護の名残が見て 取 れ る と い え る。 Ⅵ ― 1に お い て 名 誉 侵 害 と 主 張 が な さ れ た ことについては、名主とは名誉ある役柄であるのだが、公開 を欲していなかったことに加えて、家柄を重視しているので あれば、自己の家柄について、少しでも自らの思う事と相違 したものが公表されれば、それは高かろうと低かろうとも体 面を傷付けられたと感じるところは十分に慮ることができよ う。しかし、客観的には表現者に悪意はなく、当時は法的な 面においてはかつての家柄がそれほど重視されていなかった ことを考えれば、名誉毀損罪が適用されるほどではないと考 えられる。このように、その人物の悪評の公表だけでなく、 その人物についての報道すべてを名誉侵害と考える日本独特 の考え方も注目される。社会的な評価を低下させたというだ けでなく、平穏な生活を送ることを侵害されたために名誉侵 害を主張したⅢ― 2 の事例と同様の要素がみられる。 ( 6) 文書による名誉毀損 Ⅶ― 1 大 審 院 判 決 大 正 15年 10月 30日 法 律 新 聞 2642 号 9
頁 XはAの名誉を毀損することを認識しながら、新聞紙にA の私行にわたる事実を掲載して頒布した。そのことでAの名 誉を毀損した以上、名誉毀損罪が成立し、必ずしもそれがA の名誉を毀損しようという目的意思に出たものであることを 必要としないとされた。 Ⅶ― 2大審院判決昭和 3年 9月 14日法律新聞 2929 号 11頁 被告人は帝国通信社からの電話通信を真実と信じて新聞に Aの私行に属する記事を掲載し、Aの名誉を毀損した。新聞 紙法 45条には「悪意ニイ出テス専ラ公益ノ為ニスルモノト認 ムルトキハ被告人ニ事実ヲ証明スルコトヲ許スコトヲ得」と あるが、私行に関するものについては悪意はなく公益目的で あ っ て も 適 用 さ れ ず、 摘 示 し た 事 実 が 虚 偽 で あ る か ど う か は、名誉毀損罪の構成に影響がないとされた。 Ⅶ― 3 大 審 院 判 決 昭 和 6年 2月 16日 法 律 新 聞 3237 号 16 頁 新聞紙上で名誉毀損の記事を掲げるのは、正当業務行為と はいえず、新聞記事による名誉毀損罪においては、名誉を毀 損する事項の摘示は、その読者全部がその趣旨を了解しうる ものであることを要せず、いやしくも不特定多数の者がその 趣旨を了知しうるものであれば、公然事実を摘示して人の名 誉を毀損したものということができるとした。 Ⅶ― 4 大 審 院 判 決 昭 和 8年 11月 22日 大 審 院 刑 事 判 例 集 12巻 2082 頁 X は 新 聞 上 に「伊 藤 子 爵 ノ 証 明 書 偽 造 シ テ 出 願 ス」 と し て、温泉発掘の願書に怪しむ点があるとして、その調印に疑 問があったこと及び、申請書を出願したA・Bの態度に疑問 があり、子爵の調印にも怪しむ点があると掲載した。A・B の名誉が毀損されたことと共に、新聞上に大臣の私行を述べ たことは名誉を毀損するとされた。本件では新聞の社会的重 要性と表現の自由に対する一定の制限が述べられている。た とえ漫画または漫文であっても、人の私行にわたり名誉を毀 損するものである場合には、刑法 230 条 1項の名誉毀損罪 が成立するとした。 明治期からの名誉権に関する裁判の中心となるものは文書 による名誉毀損である。ここでの問題は、表現の自由との調 整である。少々名誉保護の問題からは外れるが、明治期から の表現の自由において、とくに国民の国家による干渉を受け ない権利を主張する事柄に関しては、憲法の表現の自由では なく、出版法や集会条例、治安維持法など別個の法令で規制 されている。そのために現代のように事前抑制や事後抑制に 異議を唱える訴訟はそれほど見られない。これは為政者や皇