ニパータ』「大吉祥経」(Sn. chap. 2, vv. 259–260,法救撰,呉維祇難等訳『法句経』(『大 正』4, no. 210, p. 575a),西晋法炬共法立訳『法句譬喩経』(『大正』4, no. 211, p. 609a)),(2) 〈長阿含経〉「十上経」(DN III, p. 276, 5–8,後秦仏陀耶舎共竺仏念訳『長阿含経』「十上
経」(『大正』1, no. 1, p. 53b)),後漢安世高訳『長阿含十報法経』(『大正』1, no. 13, p. 234a),(3)〈増一阿含経〉(AN II, p. 32, 2–15,後漢安世高訳『仏説七処三観経』(『大 正』2, no. 150A, p. 877a)),(4)〈荘厳経論〉chap. 13「随修品」vv. 7–10,注釈(無性 釈(D. no. 4029, Bi. 109b–110a, P. no. 5530, Phi. 123a–123b),安慧釈(D. no. 4034, Mi. 250b– 253a, P. no. 5531, Mi. 278b–281b))である.
矢板論文には大乗経典の用例や,〈荘厳経論〉(注釈含む)以外の論書の用例は出 ない.今回の考察では新たに部派論書の用例として,『成実論』(『大正』32, no. 1646, p. 250b, 355b),大乗経典の用例として,〈華厳経〉「金剛幢菩薩十廻向品」(漢訳:東 晋仏陀跋陀羅訳『大方広仏華厳経』(『大正』9, no. 278, p. 504b),唐実叉難陀訳『大方広仏華 厳経』(『大正』10, no. 279, p. 141a),蔵訳:D. no. 44, Kha. 37b, P. no. 761, Ri. 186a)が確認 できた.なお説一切有部の論書に四輪の語は確認できないが,例えば第二輪の「依 善士」については,迦多衍尼子造,唐玄奘訳『阿毘達磨発智論』(『大正』26, no. 1544, p. 918c)「親近善士,聴聞正法,如理作意,信仏菩提法」とあり,これに類す る用例として五百大阿羅漢等造,唐玄奘訳『阿毘達磨大毘婆沙論』(『大正』27, no. 1545, p. 527b)が確認できた(信仏菩提法→法随法行).部派論書に出る,四輪の個々 の概念の精査は今後の課題である.
3.四輪を通した浄土教の理解
浄土教の基本概念である,仏国土への往生のために,例えば〈無量寿経〉では 本願への随順(念仏も含まれる),〈般舟三昧経〉では般舟三昧による見仏が説かれ る4).しかし往生は成仏の「手段」であり,往生後に成仏する点が「目的」であ る.その意味で浄土教とは,穢土から浄土へと修行環境を移した菩薩行と理解で きよう.筆者はこの立場から二つの浄土経典,即ち〈無量寿経〉(梵本代表)と〈文 殊師利仏土厳浄経〉(蔵訳代表)を,菩薩行の次第である四輪の観点から眺めてみ たい.結論をやや先取りすれば,後者のほうに整理された四輪の次第と概念が確 認できる5).先ずは〈無量寿経〉における法蔵菩薩の修道の次第を確認しよう. 法蔵菩薩は世自在王仏を訪ね,かの仏のもとで合掌,礼拝,讃歎する(§4)6).法 蔵は,かの仏に仏国土の功徳の荘厳の成就に対する教示を願い,仏はその願いに 応じて説き明かす(§5).法蔵は仏国土の成就を摂受し,誓願を立てる(§§6–8). インド浄土教の修道論の祖型(中御門) (217)インド浄土教の修道論の祖型
――四輪との関係において――
中 御 門 敬 教
1.はじめに
今回の考察は修道論との関係において,浄土教の起源問題を扱うものである. 特に仏道修行に関する「四輪」を手がかりにして,研究の一助となる観点を提示 する.先ずは『翻訳名義集』nos. 1603–1607 が挙げる四輪を紹介しよう1).1603 Catvāri deva-manuṣyāṇāṃ cakrāṇi〔蔵〕Lha dang miʼi ʼkhor lo bzhiʼi ming la. Lha dang mi
rnams kyi ʼkhor lo bzhiʼi ming la〔漢〕四眷属名目,人天四輪名目2)
1604 (1) Pratirūpa-deśa-vāsaḥ〔蔵〕ʼthun (mthun) paʼi yul na (du) gnas pa〔漢〕居順境,生中
国,〔和〕順適の国土に住居すること
1605 (2) Sat-puruṣāpāśrayam〔蔵〕Skyes bu dam pa la brten pa〔漢〕依賢士,近善人〔和〕
善人に帰依すること
1606 (3) Ātmanaḥ samyak praṇidhānam〔蔵〕Bdag nyid kyis yang dag paʼi smon lam btab pa
〔漢〕誠祝願,修正願〔和〕自己により正願を捧ぐること3)
1607 (4) a. Pūrve ca kṛta-puṇyatā b. Pūrva-kṛta-puṇyatā〔蔵〕Sngon yang bsod nams byas paʼo
〔漢〕先作論,植善論〔和〕而して過去の世に於て福をなせること 仏道者は最適な環境を選び,誓願行を行う点が四輪の要点である.その第一, 第二は「外の条件」(修行環境),第三,第四は「内の条件」(行者自身)とも解釈で きる.重要点は両者の具足である.なお中国撰述仏典では『成実論』『華厳経』, 特に前者をもとに,八難を排除する方向で四輪が議論されている(例:隋吉蔵『維 摩経義疏』「説除八難者.依成実論,四輪治之」(『大正』39, no. 1781, p. 929b)).
2.四輪に関する先行研究
詳細な「四輪」研究に矢板〔2016〕がある.そこには『スッタニパータ』に四 輪の概念が初出する点,〈阿含経〉の時点で「四輪」の語が初説される点,〈大乗 荘厳経論〉(以下〈荘厳経論〉)では四輪は止観行と関係を持ちつつ,菩薩行の次第 となる点等が指摘される.具体的には以下の経論が紹介されている.(1)『スッタ (216) 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 2 号 平成 29 年 3 月ニパータ』「大吉祥経」(Sn. chap. 2, vv. 259–260,法救撰,呉維祇難等訳『法句経』(『大 正』4, no. 210, p. 575a),西晋法炬共法立訳『法句譬喩経』(『大正』4, no. 211, p. 609a)),(2) 〈長阿含経〉「十上経」(DN III, p. 276, 5–8,後秦仏陀耶舎共竺仏念訳『長阿含経』「十上
経」(『大正』1, no. 1, p. 53b)),後漢安世高訳『長阿含十報法経』(『大正』1, no. 13, p. 234a),(3)〈増一阿含経〉(AN II, p. 32, 2–15,後漢安世高訳『仏説七処三観経』(『大 正』2, no. 150A, p. 877a)),(4)〈荘厳経論〉chap. 13「随修品」vv. 7–10,注釈(無性 釈(D. no. 4029, Bi. 109b–110a, P. no. 5530, Phi. 123a–123b),安慧釈(D. no. 4034, Mi. 250b– 253a, P. no. 5531, Mi. 278b–281b))である.
矢板論文には大乗経典の用例や,〈荘厳経論〉(注釈含む)以外の論書の用例は出 ない.今回の考察では新たに部派論書の用例として,『成実論』(『大正』32, no. 1646, p. 250b, 355b),大乗経典の用例として,〈華厳経〉「金剛幢菩薩十廻向品」(漢訳:東 晋仏陀跋陀羅訳『大方広仏華厳経』(『大正』9, no. 278, p. 504b),唐実叉難陀訳『大方広仏華 厳経』(『大正』10, no. 279, p. 141a),蔵訳:D. no. 44, Kha. 37b, P. no. 761, Ri. 186a)が確認 できた.なお説一切有部の論書に四輪の語は確認できないが,例えば第二輪の「依 善士」については,迦多衍尼子造,唐玄奘訳『阿毘達磨発智論』(『大正』26, no. 1544, p. 918c)「親近善士,聴聞正法,如理作意,信仏菩提法」とあり,これに類す る用例として五百大阿羅漢等造,唐玄奘訳『阿毘達磨大毘婆沙論』(『大正』27, no. 1545, p. 527b)が確認できた(信仏菩提法→法随法行).部派論書に出る,四輪の個々 の概念の精査は今後の課題である.
3.四輪を通した浄土教の理解
浄土教の基本概念である,仏国土への往生のために,例えば〈無量寿経〉では 本願への随順(念仏も含まれる),〈般舟三昧経〉では般舟三昧による見仏が説かれ る4).しかし往生は成仏の「手段」であり,往生後に成仏する点が「目的」であ る.その意味で浄土教とは,穢土から浄土へと修行環境を移した菩薩行と理解で きよう.筆者はこの立場から二つの浄土経典,即ち〈無量寿経〉(梵本代表)と〈文 殊師利仏土厳浄経〉(蔵訳代表)を,菩薩行の次第である四輪の観点から眺めてみ たい.結論をやや先取りすれば,後者のほうに整理された四輪の次第と概念が確 認できる5).先ずは〈無量寿経〉における法蔵菩薩の修道の次第を確認しよう. 法蔵菩薩は世自在王仏を訪ね,かの仏のもとで合掌,礼拝,讃歎する(§4)6).法 蔵は,かの仏に仏国土の功徳の荘厳の成就に対する教示を願い,仏はその願いに 応じて説き明かす(§5).法蔵は仏国土の成就を摂受し,誓願を立てる(§§6–8).インド浄土教の修道論の祖型
――四輪との関係において――
中 御 門 敬 教
1.はじめに
今回の考察は修道論との関係において,浄土教の起源問題を扱うものである. 特に仏道修行に関する「四輪」を手がかりにして,研究の一助となる観点を提示 する.先ずは『翻訳名義集』nos. 1603–1607 が挙げる四輪を紹介しよう1).1603 Catvāri deva-manuṣyāṇāṃ cakrāṇi〔蔵〕Lha dang miʼi ʼkhor lo bzhiʼi ming la. Lha dang mi
rnams kyi ʼkhor lo bzhiʼi ming la〔漢〕四眷属名目,人天四輪名目2)
1604 (1) Pratirūpa-deśa-vāsaḥ〔蔵〕ʼthun (mthun) paʼi yul na (du) gnas pa〔漢〕居順境,生中
国,〔和〕順適の国土に住居すること
1605 (2) Sat-puruṣāpāśrayam〔蔵〕Skyes bu dam pa la brten pa〔漢〕依賢士,近善人〔和〕
善人に帰依すること
1606 (3) Ātmanaḥ samyak praṇidhānam〔蔵〕Bdag nyid kyis yang dag paʼi smon lam btab pa
〔漢〕誠祝願,修正願〔和〕自己により正願を捧ぐること3)
1607 (4) a. Pūrve ca kṛta-puṇyatā b. Pūrva-kṛta-puṇyatā〔蔵〕Sngon yang bsod nams byas paʼo
〔漢〕先作論,植善論〔和〕而して過去の世に於て福をなせること 仏道者は最適な環境を選び,誓願行を行う点が四輪の要点である.その第一, 第二は「外の条件」(修行環境),第三,第四は「内の条件」(行者自身)とも解釈で きる.重要点は両者の具足である.なお中国撰述仏典では『成実論』『華厳経』, 特に前者をもとに,八難を排除する方向で四輪が議論されている(例:隋吉蔵『維 摩経義疏』「説除八難者.依成実論,四輪治之」(『大正』39, no. 1781, p. 929b)).
2.四輪に関する先行研究
詳細な「四輪」研究に矢板〔2016〕がある.そこには『スッタニパータ』に四 輪の概念が初出する点,〈阿含経〉の時点で「四輪」の語が初説される点,〈大乗 荘厳経論〉(以下〈荘厳経論〉)では四輪は止観行と関係を持ちつつ,菩薩行の次第 となる点等が指摘される.具体的には以下の経論が紹介されている.(1)『スッタ重ねられている.この点が浄土教に受容された,伝統的な四輪の展開ともいえよ う.従来,往生思想の起源については生天説や四向四果説との関係が指摘されて いるが9),そこに四輪の第一輪も加えることができよう.第三輪,第四輪の相当 個所,即ち「同様に慇懃に行う」は引用個所の末尾(破線)も参考にすると,仏 国土の摂受を教示する如来の説示内容(誓願行)が含意される.
4.大乗論書が説く四輪――止観双修の場としての極楽世界――
ここでは矢板論文が指摘した〈荘厳経論〉「随修品」の四輪の用例と,指摘の無 い新たな用例によって,浄土教を理解するための新たな観点を提示する.先ずは 四輪の第一を説く〈荘厳経論〉chap. 13, v. 7 の紹介から始めよう. 矢板訳:〔必要な物が〕容易に獲得でき,〔善人が多く住む〕良き住環境であり,良き土 地柄であり,良き朋友が〔住んでおり〕,良い修行ができる,このような高徳なる場所, こういう場所において賢者は修行する||7||10) 例えばこの v. 7 はツォンカパ『ラムリムチェンモ』(止の章)の「止の資糧」を 説く個所で引用される.同論にはこの v. 7 と,〈瑜伽論〉「声聞地」と〈修習次第〉 中篇との対応が指摘される11).同論,並びに〈修習次第〉は六つの止の資糧とし て,適した場所に住するということ,少欲,知足,多事を排すること,清浄戒, 欲などの分別の放棄を挙げる.この第一の出典(下線)が先の v. 7 である.その功 徳として先の二論は,「易於獲得」(食物衣服を容易に得る),「処所賢善」(猛獣や敵 対者が居ない),「地上賢善」(病疾患が無い),「伴友賢善」(戒と見解の共有者が居る), 「具善妙相」(修行の環境の良さ)を挙げるが,それは〈無量寿経〉が説く極楽世界 の功徳とも一致する12).極楽世界との関係については v. 7 に対応する唐波羅頗蜜 多羅訳(『大正』31, no. 1604, p. 622a)が参考になる. 易求及善護 善地亦善伴 善寂此勝土 菩薩則往生 漢訳者の波羅頗蜜多羅は四輪の第一「適した場所に住する」を “往生” と理解す る(蔵訳は対応訳語無し).この理解は〈荘厳経論〉及びその注釈類,「声聞地」,〈修 習次第〉中篇,『ラムリムチェンモ』には出ないが,四輪の第一が説く,最適な修 行環境への移動行為,並びに居住行為を「往生」とする理解を提示している.次 に四輪の第二を説く〈荘厳経論〉chap. 13, v. 8 に注目しよう. 矢板訳:博学であり,真理を覚知し,巧みに語り,慈愛あり,倦怠することない,そう いう菩薩が,偉大なる善士であると知るべきである||8||13) インド浄土教の修道論の祖型(中御門) (219) 無量劫にわたり菩薩行を実践する(§10).これらを四輪の概念と対照すれば,内 容的に不一致はない.次に行者の修道の次第を確認すると,体系的な記述は経中 に確認できない.ただし要約するならば以下のとおりである.即ち,行者は極楽 浄土へ往生し,阿弥陀仏を見仏し,彼から聞法し,修行する.そこで,前世で立 てた誓願と行とを成就する.この四輪の第三,第四に相当する誓願行については 以下の記述が参考になろう. 藤田訳:また,八十の百万・千万倍の〔生ける者たち〕は,ディーパンカラ(燃燈)如 来によって,認知(忍)を得て,無上なる正等覚より退転しない者となり,まさしくア ミターユス如来が前世で菩薩の行を実践していたときに成熟させられ,かれらは極楽世 界に生まれて,前世の誓願と行とを完成するであろう(§45)7). 次に〈無量寿経〉以外の古層の浄土経典〈文殊師利仏土厳浄経〉の用例を確認 しよう.そこには「手段」としての往生の意義が,〈無量寿経〉以上に整理されて 説かれている.この点を四輪の次第と重ねて読み説くと,浄土教の菩薩道として の位置付けが明らかになる.当該個所を示せば以下のとおりである.(P. Wi. 304a, D. Ga. 268a)拙訳:シャーリプトラよ,さらにここで,この菩薩は仏の清浄 な国土に生まれようと誓願するし,彼は戒が清浄になる.彼は戒が清浄になったことに よって,どこそこに〔生まれようと〕誓願した〔ところの,〕それぞれに生まれた(第一 輪).彼はそこに生まれてから,彼は〔自分の将来の〕仏国土の清浄について思惟し,観 察する.〔すなわちその国土での〕声聞の円満,あるいは菩薩の円満,あるいは受用と使 用との円満の相(特徴付け)を捉える.彼はそれらを相として捉えてから,尊敬を持つ. 信愛をもって合掌する.如来の方に行って,「世尊よ,菩薩はいかに行ずれば,広大な仏 国土の功徳荘厳を摂受するでしょう」と,質問すれば,かの世尊も,かの〔菩薩の〕増 上意楽を知り,何らかにより,広大な仏国土の功徳荘厳を成就するであろうそれらの 処 ことわり を教示し,正しく説明する(第二輪).か〔の菩薩〕はそれを聞いて,同様に慇懃に 行う(第三輪,第四輪).(中略)シャーリプトラよ,(中略)菩薩は誓願から衰退せず (第三輪),望むとおりの仏国土の功徳荘厳,そのとおりのものを摂受し,〔自身の仏国土 として〕浄化する8). 総体的に述べれば,固有の仏国土名や仏名を出さずに,誓願から始まり,最終 的には自身の仏国土建立にまで至る,浄土教の修道論が「定型」的に整理されて いる.例えばこの定型に法蔵菩薩と世自在王如来の関係も当てはまる.次に個々 の文章を四輪と照合すると,第一輪の相当個所には,自らの意志で修行環境を選 択し,生まれること(願生)が説かれている.そこには伝統的な四輪には見られ ない,「臨終と誕生」という視点が加えられ,単なる移動ではなく,後生の問題と (218) インド浄土教の修道論の祖型(中御門)
重ねられている.この点が浄土教に受容された,伝統的な四輪の展開ともいえよ う.従来,往生思想の起源については生天説や四向四果説との関係が指摘されて いるが9),そこに四輪の第一輪も加えることができよう.第三輪,第四輪の相当 個所,即ち「同様に慇懃に行う」は引用個所の末尾(破線)も参考にすると,仏 国土の摂受を教示する如来の説示内容(誓願行)が含意される.
4.大乗論書が説く四輪――止観双修の場としての極楽世界――
ここでは矢板論文が指摘した〈荘厳経論〉「随修品」の四輪の用例と,指摘の無 い新たな用例によって,浄土教を理解するための新たな観点を提示する.先ずは 四輪の第一を説く〈荘厳経論〉chap. 13, v. 7 の紹介から始めよう. 矢板訳:〔必要な物が〕容易に獲得でき,〔善人が多く住む〕良き住環境であり,良き土 地柄であり,良き朋友が〔住んでおり〕,良い修行ができる,このような高徳なる場所, こういう場所において賢者は修行する||7||10) 例えばこの v. 7 はツォンカパ『ラムリムチェンモ』(止の章)の「止の資糧」を 説く個所で引用される.同論にはこの v. 7 と,〈瑜伽論〉「声聞地」と〈修習次第〉 中篇との対応が指摘される11).同論,並びに〈修習次第〉は六つの止の資糧とし て,適した場所に住するということ,少欲,知足,多事を排すること,清浄戒, 欲などの分別の放棄を挙げる.この第一の出典(下線)が先の v. 7 である.その功 徳として先の二論は,「易於獲得」(食物衣服を容易に得る),「処所賢善」(猛獣や敵 対者が居ない),「地上賢善」(病疾患が無い),「伴友賢善」(戒と見解の共有者が居る), 「具善妙相」(修行の環境の良さ)を挙げるが,それは〈無量寿経〉が説く極楽世界 の功徳とも一致する12).極楽世界との関係については v. 7 に対応する唐波羅頗蜜 多羅訳(『大正』31, no. 1604, p. 622a)が参考になる. 易求及善護 善地亦善伴 善寂此勝土 菩薩則往生 漢訳者の波羅頗蜜多羅は四輪の第一「適した場所に住する」を “往生” と理解す る(蔵訳は対応訳語無し).この理解は〈荘厳経論〉及びその注釈類,「声聞地」,〈修 習次第〉中篇,『ラムリムチェンモ』には出ないが,四輪の第一が説く,最適な修 行環境への移動行為,並びに居住行為を「往生」とする理解を提示している.次 に四輪の第二を説く〈荘厳経論〉chap. 13, v. 8 に注目しよう. 矢板訳:博学であり,真理を覚知し,巧みに語り,慈愛あり,倦怠することない,そう いう菩薩が,偉大なる善士であると知るべきである||8||13) 無量劫にわたり菩薩行を実践する(§10).これらを四輪の概念と対照すれば,内 容的に不一致はない.次に行者の修道の次第を確認すると,体系的な記述は経中 に確認できない.ただし要約するならば以下のとおりである.即ち,行者は極楽 浄土へ往生し,阿弥陀仏を見仏し,彼から聞法し,修行する.そこで,前世で立 てた誓願と行とを成就する.この四輪の第三,第四に相当する誓願行については 以下の記述が参考になろう. 藤田訳:また,八十の百万・千万倍の〔生ける者たち〕は,ディーパンカラ(燃燈)如 来によって,認知(忍)を得て,無上なる正等覚より退転しない者となり,まさしくア ミターユス如来が前世で菩薩の行を実践していたときに成熟させられ,かれらは極楽世 界に生まれて,前世の誓願と行とを完成するであろう(§45)7). 次に〈無量寿経〉以外の古層の浄土経典〈文殊師利仏土厳浄経〉の用例を確認 しよう.そこには「手段」としての往生の意義が,〈無量寿経〉以上に整理されて 説かれている.この点を四輪の次第と重ねて読み説くと,浄土教の菩薩道として の位置付けが明らかになる.当該個所を示せば以下のとおりである.(P. Wi. 304a, D. Ga. 268a)拙訳:シャーリプトラよ,さらにここで,この菩薩は仏の清浄 な国土に生まれようと誓願するし,彼は戒が清浄になる.彼は戒が清浄になったことに よって,どこそこに〔生まれようと〕誓願した〔ところの,〕それぞれに生まれた(第一 輪).彼はそこに生まれてから,彼は〔自分の将来の〕仏国土の清浄について思惟し,観 察する.〔すなわちその国土での〕声聞の円満,あるいは菩薩の円満,あるいは受用と使 用との円満の相(特徴付け)を捉える.彼はそれらを相として捉えてから,尊敬を持つ. 信愛をもって合掌する.如来の方に行って,「世尊よ,菩薩はいかに行ずれば,広大な仏 国土の功徳荘厳を摂受するでしょう」と,質問すれば,かの世尊も,かの〔菩薩の〕増 上意楽を知り,何らかにより,広大な仏国土の功徳荘厳を成就するであろうそれらの 処 ことわり を教示し,正しく説明する(第二輪).か〔の菩薩〕はそれを聞いて,同様に慇懃に 行う(第三輪,第四輪).(中略)シャーリプトラよ,(中略)菩薩は誓願から衰退せず (第三輪),望むとおりの仏国土の功徳荘厳,そのとおりのものを摂受し,〔自身の仏国土 として〕浄化する8). 総体的に述べれば,固有の仏国土名や仏名を出さずに,誓願から始まり,最終 的には自身の仏国土建立にまで至る,浄土教の修道論が「定型」的に整理されて いる.例えばこの定型に法蔵菩薩と世自在王如来の関係も当てはまる.次に個々 の文章を四輪と照合すると,第一輪の相当個所には,自らの意志で修行環境を選 択し,生まれること(願生)が説かれている.そこには伝統的な四輪には見られ ない,「臨終と誕生」という視点が加えられ,単なる移動ではなく,後生の問題と
唐玄奘訳『瑜伽師地論』(『大正』30, no. 1579, p. 402a10ff.)である. 12)易於獲得→梵本 Vow. 25,処所賢善→未定(変化の鳥はいる),地上賢善→梵本 §32, 伴友賢善→梵本 §38,具善妙相→梵本 §32, 38, 40 等々. 13)矢板 2016, p. 58. 14)一郷 2011, pp. 71–72. 15)親近と聞法→梵本 §30, 36, 41 等々,如理思惟(禅定に繫がる状態)→例えば〈無量 寿経〉では,極楽世界を神通成就の場とする.『修習次第』中篇では,疑いなく修行に 専心すること(一郷 2011, p. 72),〈荘厳経論〉世親釈では,四輪の第三の「正願を立て ること」に関係するという(矢板 2016, p. 51). 〈略号〉
Sn Sutta-Nipāta. Ed. Dines Andersen and Helmer Smith. Oxford: The Pali Text Society, 1990. DN The Dīgha Nikāya. Ed. J. Estlin Carpenter. London: The Pali Text Society, 1976. AN Aṅguttara-Nikāya. Ed. and rev. Richard Morris. London: The Pali Text Society, 1976. 〈一次文献〉
Goshima, Kiyotaka. 1983. The Tibetan Text of The Second Bhāvanākrama. Shiga. 〈二次文献〉 一郷正道(研究代表者)2011『瑜伽行中観派の修道論の解明――『修習次第』 の研究 ――』平成 20–22 年度科学研究費補助金研究成果報告書. 香川孝雄 1984『無量寿経の諸本対照研究』永田文昌堂. ケサン,ツルティム・小谷信千代 1991『仏教瑜伽行思想の研究』文栄堂. 榊亮三郎編 1981『梵蔵漢和四訳対校翻訳名義大集』国書刊行会. 長尾文庫・長尾重輝編 2007『『大乗荘厳経論』 和訳と註解――長尾雅人研究ノート―― (2)』私家版. 中御門敬教 2014「文殊菩薩の浄土経典」『仏教文化研究』58: 23–45. 平岡聡 1986「Attasammāpaṇidhi 考」『印度学仏教学研究』35 (1): 94–96. 平川彰 1989「浄土思想の成立」『講座大乗仏教 5 浄土思想』春秋社,1–54. 藤田宏達 1970『原始浄土思想の研究』岩波書店. ――― 2015『梵文和訳 無量寿経・阿弥陀経』法蔵館. 矢板秀臣 2016「四輪の教え――仏道修行生活の一基盤――」『成田山仏教研究所紀要』 39: 35–63. (平成 28 年度東海学園大学共生文化研究所における研究テーマ「大乗経典『大宝積経』に おける死生観」の研究成果の一部) 〈キーワード〉 インド浄土教,往生,四輪,環境論 (知恩院浄土宗学研究所研究員) インド浄土教の修道論の祖型(中御門) (221) この v. 8 は例えば〈修習次第〉中篇によると「観の資糧」の出典とされる14). つまり vv. 7–8 によって止観資糧が示されている.ツォンカパ『ラムリムチェン モ』(観の章)は v. 8 が説く「勝れた人への親近,彼からの聞法,如理思惟」を「三 つの観の資糧」とする.この「三つの観の資糧」も,先の止の資糧の場合と同様 に,〈無量寿経〉が説く極楽世界の功徳と一致する15).vv. 7–8 が止観資糧を説く 偈頌とされ,極楽世界がその功徳を具備した点を勘案すると,一つの見方として, 極楽世界とは止観双修に適した修行環境であることが確認できよう.
5.終わりに
四輪という観点から浄土教を眺めると,初期仏教に始まる四輪の概念と,後の 浄土教の修道の次第には類似性が確認できる.その意味で浄土教の修道論の祖型 は,初期仏典にまで辿れるといえよう.また四輪の受容と展開については小乗部 派の仏典との照合も課題として残るが,現時点では少なくとも四輪の第一の概念 が後の瑜伽行派の典籍の中で,往生の概念として再構築されていった可能性が指 摘できる.さらに,極楽世界が止観双修に適した修行環境である点も指摘できる. 1)榊 1981, p. 12. 2)成仏を志向する人天が四輪の主体者であるので,四輪とは仏道修行の次第である. 3)四輪の第三相当の原意は「正しく方向付ける」である.それが,後に浄土教の影響 も受けて「誓願」と一般化される点については,平岡 1986, pp. 94–96 を参照.同論で は,北伝漢訳資料において第三を「誓願」と解釈する例が紹介されている. 4)平川 1989, p. 30. 5)現存する〈文殊師利仏土厳浄経〉の諸本は以下のとおり.梵本:現存せず.寂天著 〈集学論〉chap. 1 に逸文有り.蔵訳:P no. 760-15, Wi. 282b5–339a4, D no. 59, Ga. 248b1– 297a3, ’Phags pa ’Jam dpal gyi sangs rgyas kyi zhing gi yon tan bkod pa zhes bya ba theg pa chen po’i mdo,漢訳:西晋竺法護訳『文殊師利仏土厳浄経』(『大正』11, no. 318),唐実 叉難陀訳『大宝積経』「文殊師利授記会」(『大正』11, no. 310-15),唐不空訳『大聖文 殊師利菩薩仏刹功徳荘厳経』(『大正』11, no. 319). 6)藤田 2015 が出す段落記号(§)を利用した. 7)藤田 2015, p. 170.漢訳でいえば,伝康僧鎧訳『無量寿経』以降の諸本に誓願行が説 かれる.諸本の対応については,香川 1984, pp. 376–377 を参照のこと. 8)中御門 2014, pp. 34–35. 9)藤田 1970, pp. 519–536. 10)矢板 2016, p. 49. 11) ツルティム・小谷 1991, pp. 149–151.対応する『修習次第』中篇の個所は Goshima 1983, p. 21 であり,〈瑜伽論〉「声聞地」の個所は蔵訳:D no. 4036, Dzi. 15b4ff.,漢訳: (220) インド浄土教の修道論の祖型(中御門)唐玄奘訳『瑜伽師地論』(『大正』30, no. 1579, p. 402a10ff.)である. 12)易於獲得→梵本 Vow. 25,処所賢善→未定(変化の鳥はいる),地上賢善→梵本 §32, 伴友賢善→梵本 §38,具善妙相→梵本 §32, 38, 40 等々. 13)矢板 2016, p. 58. 14)一郷 2011, pp. 71–72. 15)親近と聞法→梵本 §30, 36, 41 等々,如理思惟(禅定に繫がる状態)→例えば〈無量 寿経〉では,極楽世界を神通成就の場とする.『修習次第』中篇では,疑いなく修行に 専心すること(一郷 2011, p. 72),〈荘厳経論〉世親釈では,四輪の第三の「正願を立て ること」に関係するという(矢板 2016, p. 51). 〈略号〉
Sn Sutta-Nipāta. Ed. Dines Andersen and Helmer Smith. Oxford: The Pali Text Society, 1990. DN The Dīgha Nikāya. Ed. J. Estlin Carpenter. London: The Pali Text Society, 1976. AN Aṅguttara-Nikāya. Ed. and rev. Richard Morris. London: The Pali Text Society, 1976. 〈一次文献〉
Goshima, Kiyotaka. 1983. The Tibetan Text of The Second Bhāvanākrama. Shiga. 〈二次文献〉 一郷正道(研究代表者)2011『瑜伽行中観派の修道論の解明――『修習次第』 の研究 ――』平成 20–22 年度科学研究費補助金研究成果報告書. 香川孝雄 1984『無量寿経の諸本対照研究』永田文昌堂. ケサン,ツルティム・小谷信千代 1991『仏教瑜伽行思想の研究』文栄堂. 榊亮三郎編 1981『梵蔵漢和四訳対校翻訳名義大集』国書刊行会. 長尾文庫・長尾重輝編 2007『『大乗荘厳経論』 和訳と註解――長尾雅人研究ノート―― (2)』私家版. 中御門敬教 2014「文殊菩薩の浄土経典」『仏教文化研究』58: 23–45. 平岡聡 1986「Attasammāpaṇidhi 考」『印度学仏教学研究』35 (1): 94–96. 平川彰 1989「浄土思想の成立」『講座大乗仏教 5 浄土思想』春秋社,1–54. 藤田宏達 1970『原始浄土思想の研究』岩波書店. ――― 2015『梵文和訳 無量寿経・阿弥陀経』法蔵館. 矢板秀臣 2016「四輪の教え――仏道修行生活の一基盤――」『成田山仏教研究所紀要』 39: 35–63. (平成 28 年度東海学園大学共生文化研究所における研究テーマ「大乗経典『大宝積経』に おける死生観」の研究成果の一部) 〈キーワード〉 インド浄土教,往生,四輪,環境論 (知恩院浄土宗学研究所研究員) この v. 8 は例えば〈修習次第〉中篇によると「観の資糧」の出典とされる14). つまり vv. 7–8 によって止観資糧が示されている.ツォンカパ『ラムリムチェン モ』(観の章)は v. 8 が説く「勝れた人への親近,彼からの聞法,如理思惟」を「三 つの観の資糧」とする.この「三つの観の資糧」も,先の止の資糧の場合と同様 に,〈無量寿経〉が説く極楽世界の功徳と一致する15).vv. 7–8 が止観資糧を説く 偈頌とされ,極楽世界がその功徳を具備した点を勘案すると,一つの見方として, 極楽世界とは止観双修に適した修行環境であることが確認できよう.