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日本語の歴史と日本語方言学

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(1)

日本語の歴史と日本語方言学

著者 上村 幸雄

出版者 法政大学沖縄文化研究所

雑誌名 沖縄文化研究

巻 6

ページ 260‑302

発行年 1979‑06‑30

URL http://doi.org/10.15002/00013097

(2)

日本語の歴史と日本語方言学

2GO 

41  

4庁 ・

2

ha

︐ − − − 白 ・ 目 且 ︐ JH μ 

じつは︑沖縄にきて︑もう二年半になるんですけれども︑さっぱりまだ本格的に方一一一

一川

の研

究に

とり

くめずにおります︒したがって︑きょうは︑何もあたらしいことをもうしあげることができません︒

で︑仕方がありませんので︑これからやろうとしていること︑そしてそれをやろうとするためには一

体どういうことをかんがえなければならないかというようなことのお話になってしまうんですが︑そ

ういうことに︑つまり服部先生をはじめ︑あるいは伊波普猷以来のおおくの先輩のこれまでのいろい

ろな仕事を土台にしながら︑これから僕たちは何をどういうふうに研究したらいいんだろうかという

ふうな話にさせていただきたいのです︒

まず

日本一誌の限史ーーーこれは当然琉球方言の歴史もふくんでなんですが!ーーについて︑これまで

(3)

にいろいろなことがわかっているわけですけれども︑まだまだわからない部分の方︑がおおきいという

ことがあります︒第

一 に

︑先日の服部先生のお話にもありましたように︑日本語の系統がわかってい

白木訴というものがいつ日木列島の中でっかわれはじめるようになったのか︑と

ませ

フル

u

それ

から

いうのは︑今日のいろいろな方言︑あるいは中央的な言語の直接の組先にあたる一

一一 一円

河川

がい

つか

ら日

列島でっかわれだしたかということもわからないし︑それから︑東北から与那国にいたるまで各様な

ひろがりをしめしている日本語の方言というものが︑いったいいつの時代にどういうわけでわかれて

今日の姿をとるにいたったのかということも︑まだほとんどわかっていないといった方がいいわけな

んです︒方言研究のための資料がいろんな方而からかなりたくさんでて︑研究もたくさんあるんです

たとえば︑琉球方一

一 川 が

いつ本土の方

一 一一 一︑先日服部先生がお話になりま口からわかれたかということも

日本語の歴史と日本語方言学

けれども︑そういうことはまだわかっていません︒

したように︑大体の︑ごくおおまかな推測がいえ

るに

すぎない︒たとえば︑本土の奈良や京都の中央

的な言語との関係からいえば︑それが今から千年まえよりはあたらしくはないということはこれは一万

語学的な証拠によってはっきりいえるわけです︒あるいは今から一万年まえほどのふるいできごとで

もないともいえるでしょう︒これははっきりした証拠というよりも︑一言語学的直感なのですが︑そん

なにふるく︑旧石出時代と新石器時代のわかれ目ぐらいの時にわかれたような言語がこんなによくに

ているはずはない︒そこでこれは大体やっぱり︑弥生式の文化が本土にはいってからのことであろう

261 

(4)

というわけです︒そうして服部先生のお話の中で先生が非常に厳密な方法でほぼ確実に証明されまし

たように︑八世紀の奈良の一一一一口話が存在した奈良時代よりはもっと前であってあとではない︑これもは

っきりいっていいことなのですね口しかし︑琉球方一一一

口 と

いうものが一体いつごろどの島に定着して今

262 

日のようにひろがっていったのか

とか

あるいは琉球列島にひろが

るま

えには九州に

あっ

てそれから

沖縄にひろがったのだろうかとか︑そういうことはまだいっさいわからなくて︑これ

から

研究しなけ

ればならない︒

あるいは琉球方

一 一日

をふ

くめ

日本の

いろ いろ な方 一一 一一 日が 日本 列島 にも とお こな われ てい たか もし れな

いいろいろな行訴

から

どういう具体的な影響をうけたかということもわからないわけで︑

たと

えば大

体東北地方以北にアイヌ荒川がつかわれていたということは︑金

m

一京助そのほかの方々の地名の研究

ゃなんかでほぼ確実にいえるんですけれども︑それ以外のことはほとんど何もわかっていないといっ

た方がいいと

おも

います︒

そこで︑こういったことをあきらかにするためにいろいろな一一

一 一円話学的な手つづきがあるわけですが︑

その手つづきについては︑先日服部先生が非常にこまかくおはなしになりました︒そこで︑私はここ

では︑人聞がつくっている社会組織の発展というものと

一 一 一 一

川訴の発展というものは一休どうかかわって

いるのかということ︑つまり︑社会組織がだんだん発展していく

と︑

それ

につ

れて

一一

A日誌もはじめは非

常にちいさな

一 一 一

円話

であ

った も

のが

ド常こE

汁ヅ﹄V

仁 ト

︐ 吋

Jいま日本語は一億一千万人がはなしていることば

(5)

であるわけですけども︑そういう言語に発展していくというのは一般に社会組織の発展とどういうふ

うに関係しあっているだろうかというようなことからかんがえていって︑それならば日本列島ではど

うい

うことをかんがえなければならないか︑というふうに話をすすめていってみたいとおもいます︒

日本のような単一の︑

ほぼ

単一

とい

える

一一

一一日誌をもっていて︑そうして民族的にもかなり等質なとこ

ろでそう

いう

一 一 一 一

日活の発阪の形態と社会組織の発展の形態との関係を研究するということは︑ある意味

では非常に不利なことであって︑たとえばソビエトのように非常にたくさんの言語が存在していて︑

その

言語の相互の交流︑影響

があ

ると

︑一

一 一一口話学者もそういうことの観察の機会にめぐまれ主すし︑あ日

るいはアメリカ大防でもそうなんですが︑そういうところの一

一 一 口話学者の方がそういう研究はできるは

そこで︑社会組織の発展の形態というものをおおきくわけでみますと︑たとえば旧石訴時代の社会

日木語の歴史と日本語方言学

ずで︑私もよその同のことはよくわからな

いん

です

が︑

しか

し︑

やっぱりそういうことをちょっとか

んが

えてみる必要があるような気がしましたので︑いろんなほかの学問にまなびながら一応いろんな

﹂とをかんがえてみたわけですD

組織がありますね︒そして︑その次には新石器時代のものがきますし︑ついで金属器時代の社会組織

がくるu金属探時代になってくると︑国家といわれるようなものが発生して︑それがしまいには今日

のような非常におおきな近代的な資本主義国家︑あるいは社会主義国家というようなものに発展して

いくわけですね︒そのばあいに︑それに相応しながら言語というものがやっぱり一定の特徴をもちな

263 

(6)

がら︑これは内的な特徴というよりは︑外的な特徴なんですが︑特徴をもちながら発展していく︒

そういう発展の法則の一般性というものがやっぱりありはしないかと︑そういうことをかんがえて

264 

みるんですが︑そうしますと︑まずたとえば旧石器時代というものをどういうふうにかんがえたらい

いか

ω旧石器時代というものはもう今日はのこっていないわけで︑旧石器時代の社会組織および一一日誌

というものを直桜︑観察することはできないわけです︒今日ほとんど狩猟だけをしているような︑た

とえ

ば︑

アフリカの市の︑西南アフリカの砂漠にすんでいる人びと︑そういう人びとは︑採取狩猟を

おもにしておりますけれども︑そこの社会組織は発展の形態ではなくて︑むしろ衰退の形態とみるべ

会 ﹂ で ︑

ほかのいろんな種族に圧迫されて一番不利な場所においやられて︑もとはもっとおおきな社会

組織ともっとたかい文化をもっていたんではないかというふうに推測される︒そういうものがおおい

わけですね︒また︑オーストラリアの原住民︑これはヨーロッパ人がそこに到達するまでは大休三十

万人ぐらいいたんではないかというふうに本にかかれています︒そこでは採取狩猟経済がおこなわれ

ていて︑そこの

一 一 一 一日誌は非常にたくさんの方一

一 一

一 日にわかれているということがしられております︒オlス

トラリアの社会組織というものは︑その当時の植民者や︑それにつれだっていった人びとのいろんな

Z

A− −

3﹀︑

a仁

カ F J

ヨーロッパの学者がだいぶ以前にいろいろ研究して︑

たと

えば

フランスの有名な社会学

者デュルケムが﹃公教生活の原初形態﹄という大変な︑宗教の発展に関する名著をかいておりますけ

れども︑それもオーストラリアの土着民を対象にしておるんです︑が︑そこではもう採取狩猟経済とい

(7)

ってもおそらく︑その採取狩猟経済というのは︑人類の照史は五十万年とか百万年とかあるいは二百

万年とか︑あるいはもっとのばせばもっとながい照史がある︑そのかなりおわりの方の段階ではない

かと

つまりかなり立派な社会組織をもっておりますし︑たとえば結婚するばあいにどういう制約が

あるかとかですね︑それからはっきりとした︑lテミズムではありますけれども︑宗教の休系をも

って

いま

す︒

一一

一円前についてみても︑そんなめちゃめちゃな︑人間と動物の中間のような

一 一

一 日語をはなし

ているなんていう事実はまったくなくて︑非常に複雑な︑きちんとしたシステムをもった一日誌をもっ

ているということも確認されているんです︒

そういったことがらからおおまかに推測して︑旧石川市時代の社会組織というものは小集同のもので

そうしてそういう集同相万一のあいだで︑ からせいぜい数百人どまりの︑そういう小数の集団が︑ひとつの経済的なむすびつきをつくっていて︑防

たがいにこまかくわかれた方言

が存在している︑そしてそう防

H いう方言は非常にながい時間がたつと非常にちがった言語になってしまうんでしょうけれども︑そう あること︑非常に社会組織の規模がちいさいということがひとつの特徴といえますね︒それは数十人いう状態というものを恕像してみなければならないとおもいます︒そして︑そういう時代は地球上︑

人口が非常に稀薄で︑人間は生活のできるところをもとめてながい聞には非常にとおいところにいっ

てしまって︑そしてある集聞はその生活ができなくなるとほかの集団の中に吸収されたり︑集同の人

2G5 

聞がふえると生活ができなくなりますからまたその集団がわかれていって︑そういうふうにして地球

(8)

上の言語は非常にたくさんの言語と方一一一日に︑そういう時代に分岐していったんではないかというふう

にかんがえていいんじゃないかとおもうのです︒

266 

それで話をいそぎます関係で︑新石部時代にう

つり

すが︑この時代は大体農業︑それと牧市とい

うものがはじまる時代というふうに︑かんがえますと︑

るわけですけれども︑そういうふうにかんがえて︑ 日本の縄文時代はその点でいろいろ問題があ

一応世界史の上での新石器時代というものをかん

がえることにしますと︑農業がはじまり牧畜がはじまることによって集団はもっとおおきくなること

ができるυしたがってひとつの言語︑あるいは方言をはなす集団もおおきくなるということがいえま

す︒それでも︑旧石部時代にくらべればおおきくなるわけですけれども︑規模というものもそんなに︑

ひとつの言話︑あるいは方言をつかう集聞が何十万人というようなふうにはなかなかならないんじゃ

ないかとおもいます︒そして政治経済的な単位というものも︑ひとつの部族︑あるいはいくつかの部

族の連合といったものが単位でありますから︑やっぱりひろい地域に非常にことなった︑ながい時間

がたてば言語は変化していきますから︑非常にことなった一一一一日誌が存在しているという状態が実現する

だろうとおもわれます︒

そういう状態というのは市北アメリカ大院のアメリカインディアンの言語の状態をみてみると︑よ

くわかります︒その中にはインカ帝国をき︒ついたような︑悶家を形成しえたような︑かなりおおきく

発展した民族の

一 一 一一 門誌もありますけども︑そうでない言語がたくさんあって︑新石器時代についてはた

(9)

とえばそういう状態をかんがえてみるべきだろうとおもうわけです︒

そこで︑世界の一一川市川というものはそういうふうにして︑ながい旧石器時代︑そしてそれにくらべれ

ばずっとみじかいけれども一万年ちかい新石探時代を経過したとするならば︑これはたがいに非常に

いろんなことがおきているでしょうが︑ことなってしまう︑中にはほろびてしまったものもあるし︑

ことなってしまうのが当然であって︑したがって壮界の一一日訴をひとつの言認の系統にまとめてし支う

というような研究は︑非常に困難だということになるとおもいます︒

その次に︑金阿保時代になるというと︑かなりおおきくようすがかわってまいりますね︒ひとつの

集団の規模というものはずっとおおきくなってくる︒そうして非常にたくさんの農民を支配し管理す

るような支配階級のようなものがうまれて︑そしてついには国家の形成にいたる︒国家の形成にいた

るまえには

︑部

放問家というような妙な中間的なことばがありますけれども︑あるいは集落悶家とも

いえるかもしれませんが︑そういうような中間の段階︑が存在するんでしょうが︑その時には︑一一一

円訴

いうものはおおきな集同のものになる︒ひとつの言語あるいはひとつの方言がおおきな集問をもっと

いう︑可能性がでてくる︒そして集団がついに今度は国家を形成するにいたると︑

とがおこるか︒それは国家というものが︑古代同家というものがどういう形態をとっているか︑どう 一般にどういうこ

いう形で人びとを支配階級が支配しているかという︑その支配の形によっていろいろにちがってくる

はずですけれども︑たとえばロlマ帝国のようなばあいですと︑ラテン語という︑ローマではなされ

日本店の歴史と日本語方言学 267 

(10)

ていた言語の爆発的な拡大がおこりますね︒

Iマ人のラテン語というものが︑ つまり︑イタリア半島のごく小部分ではなされていたロ

ローマ帝国の拡大とともに︑いまのスペイン︑ポルトガル︑それか

268 

らフランス︑それからスイスの一部︑それからずっととんでルーマニアの方まで非常にひろい範囲に

ひろがっていく︒おそらくこれはロiマ人の征服と支配︑政治経済的な各都市や村落のくみたてかた︑

そういうところにそういう急速な言語の普及というものをひきおこすひとつの原因があるとおもうわ

げですが︑それとにたようなことはいろんな所で世界中で多分おこっているのでしょう︒南米のイン

カ帝国のケチュア誌もそうかもしれませんし︑かつて股からだんだんひろがっていく中国のいろんな

帝国がだんだんおおきくなって︑そうして中国語というものが中国の非常にひろい地域にひろがって

いくという過程がおこるとか︑そういうことがおこりますね︒おそらく奴隷制社会を特徴とするよう

な社会でもっとも爆発的な一一一一日誌の拡大というものがおこるんじゃないかとおもいます︒間接に異民族

を支配してみつぎ物だけをとりあげているというような︑そういう支配の形式のばあいは︑まだそう

いう言話の爆発的な膨提というものはおきないもんだとおもいます︒

今度は︑先に訴をいそぎまして封建制時代みたいな時にはどうなるのであろうかとかんがえて入ま

すと︑その前に古代国家︑があって︑そうして非常にひろいところにひとつの言語がひろ︑がると︑その

ろ一口話というものは︑またその地域ごとの方一一日に分化していくというような傾向がおこりますけれども︑

封建制時代になると︑何主闘ごとに方一一一一口︑がとりまとめられていくというような傾向がおこるのではな

(11)

いかとおもいます︒もちろん封建制時代にはもう都市もありますし︑かなり活発な商業もいとなまれ

ますから︑都市を中心とした商業などによって︑おおきな都市のJ

一一

一口

話が

まわ

りに

ひろ

がっ

て領

主圏

とに成立した方一一

一 一口

圏と

いう

のをまた一方では統一化するといったような力もはたらくとおもいます

が︑すくなくともそういう封建制の︑地方への権力の分散を特徴とするような政治経済闘が農業社会

を基礎にして形成されたばあいにそういうふうになっていくとおもいますが︑

日本

まあドイツもそ

うなんだろうとおもうんですが︑そのほかにもいろんな形態の封建制度︑あるいは古代同家以後の社

会組織の発展の様式があるんじゃないかともおもわれますので︑その時代の一一一口語の発民について一般

論を提出することは︑ここではやめておきますQ

その前にちょっと話をとばしすぎてかきことばの話をちょっとわすれていましたけれども︑文字と

同 本Jlill正史と日本品方五:挙

そしてそのあとには資本主義制がおこってくるοそのばあいには︑都市というものの機能が非常に

おおきくなってくるということがおきますね︒

いうものを︑そうしてかきことばをもっということ︑こういうことが世界の社会組織の発肢の中でお

こるのは︑大体国家が発生する段階だというふうにかんがえていいですねωそれ以前には︑かりにち

かくにほかの民族が発明した文字というものがあってもその当の民族にとっては不用ですから︑そう

いう文字はただの模様にすぎないかもしれない︒文字以前には部族では大事な記憶というのは︑特別

の才能をもったような人に記憶されて︑うたわれて民族的な叙事詩を形成したりですね︑いのりの文

269 

(12)

句が宗教的な役わりをもった人にずうっと記憶されるといったようなことがおこるわけですが︑国家

というものが形成されると︑非常におおくの人びとを支配し管理するためにどうしても文字というも

270 

のが必要になるし︑権力の確立のために文字というものは役だてられますねυ

文字というものはつぎの封建制の時代には︑たとえばヨーロッパにおいてラテン語というものがか

きことば共通語として機能していたり︑あるいは日本では漢文というものが︑あるいは候文というも

のが︑支配層の間の公用語としても︑あるいは科学の用語としても︑溶とは関係なくですね︑ずっと

共通のかきことばとして日本中に通用するといったようなことがおこるわけですが︑そのかきことば

を所有しているのは︑もちろん古代国家のばあいには非常に少数の人たち︑中世の封建制のばあいに

もすくないυ

資本主義国家になってくると文字の所有者がずっとふえてくるυそうして同時に都市︑パリとかモ

スクワとか東京とか︑そういう都市を中心としたはなしことばというものがかなりひろが

って

︑それ

を基礎にして今度は︑民族の統一的な文字言語というものが発生してくるuこういう過料がおこりま

すねυそしてその過程ではなしことばとかきことばの距離が非常にちぢまってくるというようなこと

がおきてきますο

これ

は︑

たとえばフランスをみても︑イギリスをみても︑ドイツをみても︑ロシア

をみても︑そしてまた日本をみても︑そういうことはたしかにおこりましたυで︑そうして今度はそ

の中で︑農民︑地方ごとにわかれていた農民の︑その共同体を基礎に成立していたたくさんの方言と

(13)

。 ~o

いうものが崩壊していくということが同時におこってくるんですQ

まあおおまかにひとつの言語の発展過程というものをえがいてみるとざっとこん

なことがいえるんじゃないか︑これはもうピュアlケlスとしての話で︑発展段階

の途中をとばしたりとか︑いろんな特殊事情によっていろんなケlスがう主れます

けれども︑おおまかにはこういうことがいえるんじゃないかというわけです︒

そうするとはじめはちいさい言語であったものが最後には文字言語をもっ︑そし

て方言をもっとか︑いろんな多機能的な存在形式のことなるものをもった︑そして

非常におおきな一一一口話に発展していくというケlスがみられるわけですが︑ところがその一方では︑

一般にある民族がほかの民族から文化的な影響をうけると︑あるいは政治的経済的な支配をうける

ほかの言語からさまざまな影響をうけるわけですが︑

日本必の歴史と日本誌方丘学

っているわけですねυ とつの言語がおおきくひろがっていく間に︑たくさんの言語がほろびていくということが同時におこ

と︑そういうことによってその民族の言語は︑

その影響のうけ方というのがまた︑いろんな程度があるし︑いろんなタイプがあるはずなんですね︒

それをひとつ︑典型的な場合を図示してみますと︑ここにひとつのAという集団があって︑Aという

一一

一一

口話

をは

なし

てい

UそっちにBという集団があってB

とい

う一

一一

一口

話を

はな

して

いる

とし

ます

と︑

A  の 271 

文化がBにったわったとき︑Bの言語にちょっとした変化がおきるといった︑そういう非常にかるい

(14)

程度の影響もあります︒

このばあいはA

の 一 一

一口語が直接B

にはいってこなくてもよろしいんで︑文化だけがったわればよろし

いU

BとA

との距離はちかくてもとおくてもよろしいんで︑たとえば新大陸にですね︑じ

ゃがいもと

272  かとうもろこしとかピーナッツとかそういうものがあって︑それがずっとったわってはるばる日本に

はいってくる︒日本にはいってくるとそこで今度はジャガイモとかトlモロコシとか︑そうい

ういろ

んなことばが日本一詰の中でつくられる︒もとあった日本語を基礎にしてつくられる︒こういうのは文 化の間接的な影響があって︑A

の一

一一

口語

の影

響は

B

の言語に直接にはおよばない︒そういうケ

lスもあ

uあるいは︑中米あたりからたばこなんていうものが︑タバコというこ

とばはもともとたばこの植 物の名前なんですが︑たばこが日本にったわって︑このタバコということばもいろん

なほかの言語を 媒介にしながらついに日本

一請

にま

でと

どく

︒ こういうふ

たつのケースは非常に影響が

あさいような

ースなんですね︒

ところで今度はもっとも影響のこいケ

lスはこういうケlスですu

つま

り︑

A

の壬

一円

訴が

全部

B

の 一 一 一 一 口

一泊といれかわってしまう︑A

の言語の圧倒的な勢力のまえに

Bの

言語はほ

ろびてしまう︒そ

ういうの

が今度はもっとも極端なケiスです

Q

そしてその中間のいろいろなケ

l

スがある︒その中間のいろい ろなケlスがどういうばあいにどういうふうにしておこるかということを︑いろんな

一 一 円訴の爪史の事

例の中からみていかな

ければなら

ないわけです

(15)

一般的にひとつの言語というものが他の言語をほろJほしてしまってこれを中にとりこんでしまうと

いうばあいには大体もとの︑Bの号一口話をはなしていたいろんなちいさな共同体がひとつ︑あるいはた

くさんあると︑そういうものが政治的に経済的に支配されて︑この共同体が破壊されなければならな

い︒そういう条件がおこったときにはこの言語はほろびるんだといえるでしょう︒

ところがそこまでいかないばあいには︑その中間のいろんなことがおこるわけですね︒A

の 一 一 一

一 口 語 の

たくさんの単語がBの言語の中に流入するとかですね︑それからBの言語の音韻体系や文法休系まで

がAの言語の影響をうける︑しかし︑Bの言語がついにほろびるまでにはいたらずに︑もとの音韻体

系︑文法体系をなんとかもちつマつける︑そういうばあいがあるQそれからそれほどではなくて︑単語

たとえば百なら百ぐらいA

から

Bへとりいれられたというような段階にとどまるばあいもあ

りますQ琉球王国が成立してからあと︑首里の方言におよんだ中国語からの影響というものはそうい J

J C

φipv

う段階のものだといえましょうQ

そう

いう

いろんなことが世界史の中でおこります︒

そして一般にAの言語がBという言語をすっかり吸収してしまって︑このAの言語がBの集団にひ

ろがってですね︑Bの言語がAの言語に圧倒されてしまったばあいにも︑このA︑Bの

一一パ

訴と

いう

のが非常にちがう言語であるばあいには︑なんらかの痕跡がこのA言語の中に発見されるものなんで

すねuなんらかの痕跡といっても︑まあ一番のこりうる痕跡というのは︑たとえば地名でしょう︒た

とえばそのことは東北地方でおこりましたQ北海道でもおこっていますuあるいは音韻体系︑あるい

日本語の歴史と日本日両方五学 273 

(16)

はある音韻を発音するときの調立目的な特徴︑呼気のつかいかたとか喉頭のつかいかたとか︑そういっ

たような特徴がのこったりします︒そういうばあいにはどういうものがそういう痕跡でありうるかと

274 

いうことをさがしださなければならないということになるわけなんですねυ

そこで︑じゃあ日本列島においては一体どういうことがおこりうるのか︑尖際におこったんじゃな

くて

おこりえたのかというようなことをかんがえてみることにしますu

そう

する

と︑

日本でも旧石

器時代があったということは最近ではもうまったく考古学の常識になりましたけれども︑そういう時

代というのはやっぱり非常にことなる方言ないし言語︑複数の言語が︒

ハラ

︒ハランとあって︑それが

攻防をつづけ︑そしてある言語がある言語に吸収されるとか︑そういったことがたくさんおこっ

たか

もしれないυしかしそういうことがどういうふうにおこったのかというのは共体的には何もわからな

いといった方がいいとおもいますねυおそらく︑現代のわたしたちの知説ではちょっとしりょうもな

いでしょうu

では縄文時代という時代はどうかといえば︑その縄文時代は︑これが採取狩猟の時代であるかどう

か考古学的にもいろいろと問題になっておりますね︒そして確実なこととしてもう縄文末期には九州︑

北九州では弥生式の土器をもっ前に︑稲がつくられていたというようなことも最近ではわかってきて

おります︒それから縄文文化というものに関して︑たとえば東北の青森県の亀ケ丘の士掃なんかをみ

(17)

てみても大変りっぱな土叩縦でして︑そうして住居にもかなり定住性がでてきているとか︑いろんなこ

7乙 で ︑

まあ中期ごろからもう農耕がはじまっていたんではないかなんでいう品争がおきてたりしてい

ますuありうるともっとも惣像されるのは︑いもの栽培ですね︒しかしそのいもというものは焼畑な

んかで木の体のような簡単な道共でつくられるし︑それからいもはくさってしまうから考古学的な証

拠がのこりにくいωで︑なかなか−証拠はでてこないようでありますけれども︑そういうものがおこな

われた可能性はかなりあるとおもうんですねυそうしてすくなくとも末期になってくると社会組織は

かなりな発展の段階をしめしていて︑たとえば福岡の紋付の遺跡で弥生式のすぐ下にでてくる遺跡は︑

弥生式文化のはじめの村治の構造とそんなにかわりがない構造をもっていたんではないかと想像させ

るふしがありますοしかし︑末期にこういう状態があるにしても︑この縄文時代というものが八千年

くらいもつ守ついたということをかんがえても︑またいろんな土器や出十一品がさまざまな時期的なある

いは地方的な分布をしめすことからかんがえても︑このながい期間︑言語も︑やっぱり相当多様であ

って

︑複数の言語がそこでおこなわれていてもいつこう不思議はない状況をそこに想像してもいいん

じゃないかと︑そんなふうにかんがえますU

で︑今度はいよいよ弥生式時代にはいってくるんですが︑これはも︐っ最初から金属器を︑朝鮮半島

経由で金属器をもっているし︑稲をもっているυそうして︑まあちょっとあとになりますけれども︑

三世紀の﹃貌志倭人伝﹄あたりのJ山述をみていると︑そこにははっきりとした階級的な対立があって︑

日本請の歴史とUJISJi"Ll1

~75

(18)

下の者は上の人がとおるときにおがむようにしてこう地面にうずくまって頭をさげるなんていう記述

がでできたり︑それから︑たくさんかかげてある国の︑戸数がかいであったりします︒その戸数とい

276 

うものはかならずしも信用がおけないのですけれども︑千戸︑三千戸というのから二万戸︑

五万

戸︑

七万戸なんでいうのがかいであるわけですね︒ヤマタイ国と俗にいわれている国の戸数は七万余戸と

かかれている︒そこで千人の奴稗をつかっていたというふうにかかれていて︑まあ七万戸ならば数十

万の人口があるということになりますQこの数字をうのみにすることはできませんけれども︑

まっ

くでたらめとみることもできませんωで︑遺跡の出土状況︑その時の土木技術︑そういうものからし

いや国家といってはまだ具合がわるいですね︑集落国家でしょうけども︑て︑そういう国家の発生︑

国家以前のもの︑そういうものが発生していることはまったくまちがいがないといえます︒

そうしてそこに奴稗がいたり︑階級の対立があったりしたということ︑そして武器がでるというこ

とは︑そういう︑土地と人民をあらそう闘争があって︑そうして前の社会組織が破壊されてひとつに

まとめられるということがおこったわけで︑そうだとすれば︑そこではそういう小国家ごとの言語︑

あるいはそれが同一系統の言語であるならば︑方言というものがそういうところを基礎にして成立し

ていくという過程が進展するはずですね︒そしてもしその縄文文化と弥生文化の差というものがそん

なに絶大な幅をもつものでなくて︑それに多少とも移行的な様相があるならば︑縄文時代につかわれ

ていたことばというものは弥生時代になってもなんらかの痕跡をのこすという可能性も︑これもおお

(19)

いにかんがえてみていい︒こういうようなことがいえゃしないかとかんがえるわけです︒そしてもっ

ともありうる可能性としては︑やはり北九州に渡来した人びとがはじめから日本語をもってきたのか︑

それともそこで日本語︑が成立したのか︑これは別として︑そういうところで日本語のもとが日本列島

の中で最初につかわれだした︑そういう可能性はひとつの可能性としてやっぱりかんがえてみる必要

があ

りま

す︒

それが今度は古墳時代にいたるQ大体五世紀︑そしてついに古墳時代がおわって︑七世紀︑

がくるころになると︑完全な形での古代国家というものが出現しますね︒律令制度をもった︑沖縄の 4一 コ い

− ︐ ノ

MH

o r

地割制度が問題になっていますけれども︑ああいう地割制度みたいなものを基礎にした︑そういうみ

ごとな国家が実現してくるQそして都の奈良なんでいうのは︑﹃日本の歴史﹄

の一

二巻

をみ

てい

まし

ら︑そこで人口二十万なんて推定してありましたQそれがただしいかどうかわかりませんけれども︑

そういうような都市というものがうまれ︑そして職業の分化というようなものが進行しています︒そ

ういう支配と管理の休制が非常にゆきとどいた国家は︑それ以前の︑たとえば五世紀とか︑たぶん四

世紀とか三世紀とか︑そういう時代の︑なんていうか︑みつぎ物をとりたててそしてそこの首長をそ

の地方の長官としておくというような︑そういう朝貢関係を基礎にするような︑そういう国家とはず

いぶんちがった言語のおおきな統一化の力として︑そういうものがはたらくはずでありますね︒

で︑そうして今度はそういう︑一言語を統一する中心というものは︑大和︑つまり北九州ではなくて

日本語の歴史と日本語方言学 277 

(20)

それ以前に︑北九州から大和への︑ 大和にあって︑そして大和からそれがずっとひろがっていくという過程がかんがえられるわけです

Q

lマンがたとえばホメロスの汗にでてくる物誌を基礎に︑

278  古代の小アジアの大都市を発見したようなですね︑そういうような発見が日本で神武東征伝説ででき るかどうかはこれはわかりませんけれども︑そういう武力にとんだ︑しかもそんなに経済力や文化の

たかさでは中央におよばなかった集団というものがあるいは中央の奈良盆地を征服したかもしれない︒

ヤマタイ国はどこにあるかなんでいう寸前はまあ︑ちょっと別にしても︑そういうことというのは十分

かならずしも︑たとえば近畿地方に非常にたくさん大規模な古墳があっかんがえうることであって︑

て︑北九州のものは︑いやヤマタイ国あたりが怨定されているところのものはそれよりちいさいなん てことがそういうことを否定する根拠にはならないはずなんですね

︒つまりそういう征服というもの

は歴史上きわめてしばしば軍事力に︑そして機動力にとんだ︑より文化的にはひくい民旅がひきおこ

していますから︒

で︑そういうことをひきおこしたような一証拠が方一行学的に何かでてくるかどうか︑これは問題で︑

いまのところそういうものはありませんけれども︑ひとつだけ︑たとえば安本美典という人が何です か︑﹃神武東征﹄という木をかいていまして︑それともう一冊まえにかいていますが︑その中で︑奈 良盆地のいろんな地名というものと︑それから福岡県の中部︑飯塚市の市のあたりを中心にした︑あ すこの山門郡のちかくですが︑福岡の問題の山門郡にちかいところの地名とが︑時計の針の順序にず

(21)

うっとならんでいる︑というような指摘があります︒地形︑がにていればおなじような名前がつくとい

うこともこれもかんがえられることですけれども︑先住地の人たちが︑征服した先で自分たちの

ふる

さとの名前をつけるということもたくさんおきていることですから︑そういうことが何かの証拠に将

来役だてられる可能性はあるとおもいます︒

そして古代国家が形成されるわけですが︑そのばあい︑今度は︑その古代国家の支配というのは東

北の大部分にはまだおよんでいなくて︑そうしてたびたび戦争をおこして東北を征服していくという

事実が平安時代にまでつづくわけですね︒そうして一方でハヤト︑鹿児陪にいるハヤトは︑たびたび

反乱をおこすといったようなことがあって︑ではハヤトの一一−一口 話

︑そ

うし

てエ

ゾの

一一

一一

口語

とい

うも

のは

ういうものであったかということも︑まだ確実なことはいえない︒いくつかのいろんな可能性をかん

がえてみなければならない︒これは先住していた人間の︑日本訴とはことなる言語である︑あるいは

ます

し︑

いろんなことをやっぱり一応かんがえてみる必要があります︒それからまだ平安時代にはい

ってさえも︑おそらく日木に日本語だけがつかわれていたとみなせないこともありうる︒つまり︑文

日本語の歴史と日本語方言学

弥生式時代に弥生式文化の急速なひろがりとともにひろがってたいへんに方一一一同化した︑あるいは士活

の一一一一口語の影響を非常にうけた日本語であって︑もう通じないくらいちがっていたという可能性もあり

献には︑たとえばクマソが︑クマソはもっと前ですが︑クマソがありますし︑ハヤトがありますし︑

279 

それから筑前には土グモなんていうのがいたとか︑あるいは﹃常陀風土記﹄にはサエキという︑その

(22)

何か妙な︑何だかわけのわからないのがでできたり︑それからコシの国にいる人︑それからケの国に

いる人というのも︑これはどういう言語をつかっていたのか︑このあとのふたつのばあいはたぶん日

280 

本語

をつ

かっていたんじゃないかなどというふうに︑想像するだけなんですね︒そして問題のエゾあ

るいはエミシ︑それからミシハセといわれる︑海をわたってミシハセをうったという記事があります

が︑このミシハセとは何であるか︑これはトウングl

スで

あるなんていう説がありますけれども︑ど

うい

う恨拠でそういう説がでているのかぼくにはわかりません︒けれども︑ちいさな集団になって残

まだそういう時仇でもあった可存した先住民族に属する人間が山の奥地にいたりしたということは︑

能性がありますね︒

で︑ここまでは︑こういう社会組織の発展の照史とかいろんな歴史上の記述などから一一

一 一口

語に

うい

うことがおこるかという可能性をいろいろ想定してみただけの話なのですが︑それなら琉球列島はそ

うい

う可能性

から

かんがえてみたらどういうことになるかというと︑琉球列島に国家が発生するとい

うの

は︑ずうっとのちのことになるわけですね︒琉球列島の先史をみると︑縄文時代から本土との交

流が

あっ

たということも事実ですし︑それから最近は沖縄本島

で弥

生式の土器がでてくるという︑非

常におもしろい事実がでておりますし︑それから︑奈良時代のころに︑何かおおきな変化があっ

たん

じゃないかというようなことも︑考古学上かんがえられているようであります︒

歴史の上でみてみれば︑七世紀から八世紀くらいにかけて︑いろんな︑﹃日本書紀﹄ゃあるいは﹃統

(23)

日本紀﹄の記述がでてくる︒南の島に国をもとめさせて︑武器をもたせてやったとかいう記事とか︑

どういう人がみつぎ物をもってやってきたとか︑そしてそこに徳之島に比定される岳︑あるいは久米

島に比定される品︑あるいは奄美に比定されるあ︑石垣島に比定される島︑そういう島の人たちがや

ってきたとあるんですが︑こういったことはもちろん朝鮮半島との国際的な関係からおこっただろう

とおもわれるわけで︑つまり新羅との仲が決定的にわるくなって︑遣唐使を派遣するためのあたらし

い航路が確保されなければならなかったQそのばあいの一番南のコiスが沖縄をとおるコ!スであっ

たわけで︑島じまにいったんくちた碑をふたたびたてさせたというような記事もありま寸が︑そうい

う南島に関する記事の総量は大変すくない︒それはおそらく︑九州およびそれ以南の経常というもの

のはなくなってしまいます︒

日本語の歴史と日本語方言学

は直接は太宰府がおこなっていたんであって︑中央政府がおこなっていたんじゃない

ll

太宰府なん

ていうものが九州に存在すること自身が非常におもしろいことなんですが

l

ーというようなことにも

よりましょう︒そうしてつぎに︑遣唐使が廃止されると同時に市島に関する中央権力の関心というも

しかし︑この泣店伎の時代にあらわれるこうしたいくつかの記事というものをみますと︑この時期

に南島でおおきな︑何というか政治的な変化がおこっても不思議はない︒そこに何か琉球列島の照史

の一つの転機がおこる可能性というものはやっぱりかんがえてみなければならないでしょうQそれか

281 

らまた︑遣唐使船というものが︑もちろん中国語の通訳はつれていたんですが︑奄美訳語という通訳

(24)

をつれていたということも事実であって︑その通訳が一休何誌を通訳していたのかわかりませんが︑

﹂れはすくなくとも通じないくらいちがう

一 行

請が市島につかわれていたんではないかと推測する有力

282 

な証拠にもなるわけです︒

はいるο

この

こと

は︑

そうして沖縄にはずうっとたってから国家が発生します︒そして沖縄にかな文字がはいり︑問字が

かなが先にはいってそのあとから漢字というものがはいったらしいということ

を服部先生の講演でおききして感激したんですが︑やっぱりそれは沖縄における国家の形成というも

のとまったくむすびついておこるんだとみなければなりません︒そして﹃おもろさうし﹄というもの

が編纂される過程というものは︑国家権力を維持するための宗教の統一︑宗教の最高の権威を国家が

部落からとりあげるという形の宗教政策とむすびついておりますし︑それから円覚寺をたてるとかそ

ういう事がらは︑王肢の高責性というものをしめす︑ちょうど古代国家で伊勢神宮のようなものがで

きあがるとか︑そしてそれだけではそれは土俗宗教の発展の形態ですから︑それだけではいろいろた

りないので︑仏教をもってきて間︑ちゅうに国分寺をたてるとかいうこととにていますし︑そして木士

ではそのとき際史があまれはじめて︑風土記なんかもつくられるんですが︑﹃琉球国由来記﹄がつく

られるというのは風土記がつくられてからちょうど千年後になるわけですから︑ちょうど千年後ぐら

いに︑そういう時代が沖縄にくるということになります︒

ところで琉球列島に国家が形成される以前に琉球方

一 一 一 一

日がひろがっていたのは確実で︑それがどのぐ

(25)

らいの時期にひろがったかというのは︑これはまだわかりませんけれども︑一ニ山対立時代のようなも

のがあって︑その三山対立時代の北山と中山の国境というものと︑いまの沖縄の北部方一

一 一一

日と

南部

方一

一日

の境界というものがたぶん一致するんじ

ゃな

いかということは以前から仲宗根政普先生などの関心事

でありまして︑これについて琉大の方

一 一 一 山 グ

ラブがしらべたものがありますけれども︑そういう国家統

一以前の政治的支配閤というものは︑なお今日の琉球方一一一一川のいろんな分布にあとをとどめているだろ

うとおもいます︒そういうものもよく研究すればこれからわかってくるだろうと予想されます︒

まあ︑大休こんなことをかんがえてみたわけですが︑以上のことは社会組織の発展というものと︑

言語

の発

展の

相克

関係

を︑

一一

一日訴の外的な側面からながめてみたんですが︑今度は言語の内的な側而か

そしてその中でここであっかうのは語柔でありまして︑文法というものと音韻というものは︑これ

日本語の歴史と日本語方言学

ら︑言語の中からみるとどうだろうかということについてちょっとかんがえてみたいとおもいます口

は社会組織の発展に呼応して発展するのかどうか︑そういうことはまだ言語学はあきらかにしていな

いことだとおもわれますので︑たしかに︑音戸組織というものも文法組織というものも︑文化の発展

とともに発展することがまったくないとは断

一 一 計できないんですが︑はっきりこういう発展をするんだ

ということはいえませんから︑ちょっと訴の外におかせていただきたいわけです︒そこで話葉という

283 

ものについてのべたいとおもいます︒

(26)

語集というものはやっぱり社会組織の発展と密接に関係しながらそのゆたかさというものをまして

いくというふうにみていいんじゃないかとおもわれるんですが︑それは︑たとえば︑現代の中学生や

284 

高校生のつかう国語辞典というものをみても︑大休七万一品とかそのぐらいの単語がのっていますけれ

と も ︑

たとえば︑文字をもっていないひとつの方一一一一口から七万語の単語を採集するということはまず不

可能だというようなことからもいえるでしょうQ

総量という点からも話葉はゆたかになっていくわけですが︑その語葉の中で最初に︑基本誌葉とか

基礎語集とかいわれている部分をかんがえてみたいとおもいます︒

これ

は︑

前に

アメリカのスウォデッシュが考案した言語年代学というのがあって︑それを服部先

生が紹介なさると同時に︑日本語およびその周辺のいろいろな言語について統計をおとりになったわ

けですが︑そこで調査項目としてつかわれているような話葉というのには文化の形態にかかわりなく

ずうっと存続するであろうとおもわれるような単語がえらばれているわけですね︒ですから言語年代

学というものが︑年代の測定にはどれほど有効であるか︑

スウ

ォデ

ッシ

ュが

かん

︑が

えた

よう

な一

一一

一口

語の

変化の一定の率というものは︑おそらく社会組織の発展の段階やほかの民族との闘争の度あいといっ

たもの︑がちがってしまえばあてはまらないんじゃないかとおもいますけれども︑もしその度あいが一

定であればあてはまる可能性もあるんですが︑しかしそこにあつまっているような単語というものは︑

語棄の構造をかんがえていくばあいにもじっに大切なもの︑がおおいのでして︑ですから一般に基礎語

(27)

葉の研究というものは非常に大切なものだとおもわなければなりませんυ

どういうのがそういう基礎語葉にはいるかといえば︑たとえばそうですね︑人の身体の部分のおも

な名前ですね︑目とか鼻とか口とか舌とか耳とか胸とか手とか足とか腹とか︑そういう︑どんな民族

も共通にもち︑しかも目はものをみる︑手はなにかこう道具としでっかう︑足は歩行につかうとか︑

そういうふうに機能もはっきりしている︑そういうものをあらわす単語というものは︑

旧石 川市 時代 の

人間もたぶんもっていただろうし︑ずうっと人間の生活がつづく以上もちつづけなければならない単

一請であるともいえるでしょうQあるいは親とか子のようなですね︑すくなくとも母親と子どもの関係︑

父親と子どもの関係はしばしば認識されないことがありまずから︑父親の役わりというのはわからな

ら ず 朝 ま あカ 込 な ら ず と

か ど う カ ミ

き る し 夜 ね る し あ る く し た

J

し す わ る し

日本語の歴史と日本両方五学

いというばあいがありえますから︑母親と子をあらわすような単語ですとか︑あるいはいろいろな自

然︑起とか月とか太陽とか水とか石とか土とか草とか木とか︑氷とか市とか︑ところによっては海が

なくて砂漠ばかりということで︑環境によって自然もちがうところがありますけれども︑そういうも

のですね︒それからたとえば︑人間というものはかならずうまれて︑おおきくなって︑おいて︑しぬ

わけですから︑ウマレルとかソダツとかオイルとかシヌとか︑そういうような単語とか︑人間はかな

そういう動作をあらわす単語ですね︑そういう単語というものはずうっと人聞がどのような社会でも

285  もちつづけなければならないことばでしょう︒あるいは自然に対していろいろなはたらきかけをあら

(28)

わす単語︑もしこういうものがあれば︑こういう動作をすればこれはオスであるし︑こうすればヒッ

パルであるし︑こうやればオッコトスであるし︑こうやればナゲルであるυそういったようなことは︑

286 

どんな人間もやっていることですねυそうして人聞は社会的な動物でありますから︑男性と女性が交

接したり︑結婚のような︑長期的な性的な関係をむすんだり︑それから︑ことばではなしたり︑もの

をあげたりもらったり︑どんな社会でもやっぱりそういうことはおこるでしょうυそういう行為をあ

らわす単語ですね︒あるいはイタイとかカユイとかウレシイ︑そういう感覚︑あるいは感情をあらわ

すことばとか︑あるいはぼくとか打とかそういうはなし手︑きき子をあらわすことば︑あるいはナガ

イとかミジカイとかオモイとかカルイとか︑ヤワラカイとかカタイとかいうことば︑それから夜にな

ればくらくなるし昼間はあかるい︑血の色はあかい︑雲はしろい︑そういうあらゆる社会に共通した

現象をあらわすことばというものがあるuそういうことばというものはかならず︑人聞がいればその

祖先ももっていたし︑人聞がどこかにうつっていったばあいにそのうつっていった人間ももっていな

ければならない単語でしょうから︑そういう単一請をしらべるということはやっぱり非常に大切ですねQ

そしてそういう単語がもしほかの言語の単語といれかわるというようなことがおきたしにすれば︑や

っばりそれは言語にとって大事件であると︑こうかんがえなければいけないuそこで︑琉球方

一 一 一一

口で

とえば︑空を夫︑ティンというとすれば︑ティンは中国語ですから︑なぜ中凶語というものがはいっ

ているのか︑それはいつはいったのかと︑そういうことを真剣にかんがえてみる必要がある︒太陽を

(29)

あらわすティlダというのはいろいろ説がありますけれども︑私はそれはテンドウあるいはテントウ︑

天の道ですね︑天道である可能性が非常にたかいとおもいますが︑そうするとそれも中国語であるο

なぜ太防をあらわすような︑天をあらわすような単誌がいれかわっているのかというようなことも大

切なことで︑そういうものがいれかわればやはり大事件ですから︑やっぱりそういう某本的た単語と

いうものがどれだけ話集全体の中にあるのかということや︑ひとつの官話のなかでそれがどのくらい

よそ

一品 一口話の単語といれかわってしまっているかというようなことについてわれわれはよくしらなき

ゃならないし︑それからそういうことは方言研究をするばあいにのがすことができない大切なことで

しよう

u

それから次に︑ある特定の地域に特有なものというものがありますねυ特有でなくてもそこで人間

が生活していておそらく非常にながくかかわったであろうもの︑たとえば縄文時代の人聞はおそらく

その︑東日本の大部分では︑大体天屯川からずっとむこうではサケをとっていたにちがいないとかで

すね︑それから風土記にあゆについての記事が︑この川には﹁鮎︑沢にあり﹂なんてかいてある︒そ

ういう日本人にとって大切だっただろう魚︑サケとかアユとかイワシとかサパとかクジラとか︑ある

いはカツオとかですね︑そういったようなものとか︑それからいろんな︑ながい期間食料にLたであ

ろう他物︑そういうものをあらわす単語は非常に大切だし︑それからまた︑地名というものも非常に

大切ですねυ日本語の単語の︑字びきでいえば六十%以上が漢語であるんですけれども︑つまり中国

U本語のUt::とと日本ぷブj戸学

287 

(30)

からはいった単語なんですけども︑たとえば日本中の県庁の所在地の名前はほとんど全部和市川なんで

288 

すねυなぜそういうことがおこるのか︑中国文化がはいってもそういう地名というものはのこる︒こ

うして和語︑がのこっている以上︑その和語というものもその中にどういう出来のものがあるのかわか

らないんですが︑地名というものは土地にくっついていてその土地の名前になってしまっていますが︑

最初は普通名調であったものが︑普通名詞の意味がなくなったまま︑その土地の名前としてのこるわ

けですから︑そういうものも大変大切だといわなければなりませんQ

そうしてつぎには文化の発展︑社会の発展と同時にそれと呼応してうまれるだろうところのいろい

ろな単語というものがありますυそういうものもかんがえてみなければいけないとおもいますね︒た

とえば金属器時代にはいったら︑金属の名前というものが必要になるはずですし︑それ以前には金属

の名前はいらないはずなんですねQ鉄とか銅とか銀とかいう漢語の単語と同時に鉛のような和訴があ

る︑それからおもしろいことにカネというような和語がありますね︒カネというような和語があって︑

そしてコガネ︑

クロ

ガネ

シロガネとかハガネとかですね︑そういう複合語の中にものこっています

し︑いまカネといったならば千円札とかそういう紙でできたものもヵ︑不というわけですけども︑そう

いうようなカネということば︑あるいは縄文時代には犬はいましたから︑イヌということば︑

ふる

人間が生活していく上でその地域である時代からかかわったはずのものをあらわすことば︑そういう

ことばというものは一体どこからきているのか︑イヌはどこからきているのか︑カネはどこからきて

(31)

いるのか︑やっぱりひとつひとつ問題にしていかなければならないし︑い主現在ではそういうことを

解決できる段階ではまだないわけで︑これから先の話なんで寸が︑そういう種類のものがありますu

また

たとえば︑さっきアルクとかハシルとかいろんな動討をあげましたQしかしヨムとかカクと

かいう動詞はあげなかったυそれは文字が必要になってからいまのヨムとかカクとかいうことば︑そ

れは意味つきでひとまとめにして︑ヨムというのは本をよむというぷ味のヨム︑カクというのは宇を

かくとか絵をかくとかいう怠味のカクですが︑文字が必要になってからそういうことばが必要になる

わけで︑字や絵がない間はそういう行動をあらわすことばはないわけなんですね︒けれどもそのヨム︑

カクとかいうことばは︑やはり和訴であって︑たとえばヨムというものはおそらくとなえるというも

品ではユミタとかユムタとかユミュタとか︑

つま

りヨ

ミウ

タと

いえ

ば−

一一

一日

諸問

のこ

とで

ある

し︑

ユン

タは

日本必の}世史と日本品方日じよ

との意味をもっていたのでしょうυそのとなえるウタが︑あるいはとなえる文句がヨミウタで︑

fH

日 川 介

先島の方に行くと歌謡のひとつの形態をあらわすようになりま寸が︑そういう︑ヨムというのはもと

ちがった意味をもっていたνそうして︑かぞえるときには昔の人間はみんなひとおっ︑ふたあっとこ

う︑となえましたから︑となえるという意味がかぞえるという志味に発展したんだろうとか︑あるい

はまた︑歌をヨムというのは歌を創作するという意味ですけれども︑歌をつくったと︑ぎには︑まず皆

におお声をだしてきかせるυだから歌をヨムというときには歌をつくるという意味になるんだろうと

289 

か︑そういうふうに︑ひとつの単訴がもとの意味から︑どうしてほかの意味へ変化していくのか︑道

(32)

すじをおってみるわけですむそこで︑もとの意味は︑もしそれがことばをとなえるという意味である

ひとつの単語の意味内作が変化した︑あるいは里山になっとすれば︑もとの意味に変化がおこ

って

290 

たということで︑そういう手段でも

って

あたらしい文化に対応していくということが言語の県史のな

かでたくさんおこりますねυカクにしてもおなじ︑顔をカクというのは︑こういうふうにしてカクと

か︑腕がかゆいからカクとか︑こうするどいものでこうやる動作ですねνこれを文字をカクというふ

うに転用する︑もしかく対象が人間の膚だとすればこうやればカクなんですが︑紙に字をかくばあい

には︑﹁紙をカク﹂とはいわないυ﹁紙に字をカク﹂といわなければいけないQそこにはっきりとした

文法的な格支配の上でのつかいわけが発生して︑そしてあたらしいな味が獲得されて︑そしてもとの

単語から意味が拡大していくUそういう意味でもですね︑基礎話集というのは言一請の一

発展

の荘

一礎

なの

です

ωそして中にはそういうものがいろいろに発展しつくして︑もとの必味はとりのこさ

れて

︑痕跡

的にのこっているというようなものもいろいろありますねυたとえば告をあらわすアメということば

は︑アメあるいはアマとなりますが︑それはふる雨とおなじものではないかとおもわれますけれども︑

今日では︑空のことはアメとはいわないで︑テンとはいっても︑アメとはいわなくなった︒けれども

複合語の中に現在でものこっているu沖縄ではアモiリとか︑アマウリ︵天女の天くだ

り ︶

lr

一か

いう

きのアマが︑痕跡としてのこっていますし︑現代語の中でも︑大蔵省の官僚のあまくだり人事なんて

いうときにのこっているUそういうとこにポツンとのこっている︶複合語の中にのこるというばあい

参照

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