• 検索結果がありません。

一後発移民国における外国人労働者 : 人の受入れ の「1990年レジーム」を問う

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "一後発移民国における外国人労働者 : 人の受入れ の「1990年レジーム」を問う"

Copied!
18
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

一後発移民国における外国人労働者 : 人の受入れ の「1990年レジーム」を問う

著者 宮島 喬

出版者 法政大学社会学部学会

雑誌名 社会志林

巻 66

号 4

ページ 11‑27

発行年 2020‑03

URL http://doi.org/10.15002/00023180

(2)

0.「後発移民国」の条件

 相対的な区別にすぎないが,日本について「後発移民国」という概念化が成り立つかもしれない。

「後発」とは,まず時間的な基準でいえば,外国人/移民労働者の受入れを制度的に開始するのが,

世界的に高度経済成長が終わりを告げる1970年代半ば以後であること,といえる。この点は,今 や移民受入れ大国となっているイタリアやスペインのケースに類似する。かつて長らく移民送出国 だった両国は,1980年代には後発の受入れ国に姿を変える。思い起こせば,日本もまた過去一世 紀半,どちらかといえば移民送出国をなしていた。それゆえ,国民の意識にも「外からの人の受入 れ」に戸惑いや抵抗を感じる感性は残ったといえる。

 次に,この国は1980年代に,自国経済が脱工業化,サービス経済中心へ,と移行していて,先 発移民国のフランス,ドイツが工業時代に,製造業中心に大量の労働者を国外から導入したのに対 し,その段階では国内の若年労働者の組織的なリクルートと,地方からの季節的な中高年出稼ぎ労 働力の調達,およびオートメーション化など技術革新をもって対応し,政府は数度にわたり「わが 国は外国人労働者は受け入れない」旨の声明を発してきた。前記のイタリアの場合は,やはり国内 労働移動が先行した点ではやや似ている。工業中心に経済成長が始まると,必要な労働力は,

メ ツ オ ジ オ ル ノ

イタリアからの国内移民というべき人々によって埋められ,その後,1980年代に事実上外国人 労働者が増えてくるが,主に第三次産業関連の低賃金労働者,家事労働者であることが判明する

(マルティニエッロ 1994:277)。

 日本の場合には,産業構造の推移は次のような形をとり,イミグレーション政策にも影響をおよ ぼす。脱工業化の流れに適応し,現業労働者の雇用率を大幅に下げることができたのは,主に大企 業であり,削減したこれら労働者は,一部,下請け中小企業により留保される。または,中小企業 は技術革新を十分に進められず,マニュアルワークを広い範囲で残さざるをえなかった。そして 80年代後半になると,後者が人手不足に見舞われる。一方,全体の産業構造としては,第三次産 業の比重が高まり,技術開発,国際化対応,医療,教育などの人材が求められる一方,数的には広 い範囲の一般サービス労働(運送,販売,接客,さまざまなケア労働)の担い手が求められるが,

待遇の問題も絡んで,求人難が一般化していた。

 また,労働力需要には当たらないが,関連する事態として,農業や都市的自営業の存続困難の要

一後発移民国における外国人労働者

─人の受入れの「1990年レジーム」を問う―

宮 島   喬

(3)

因として後継者難の問題が浮上しており,それへの対応として「配偶者探し」が重要視され,海外 に目が向けられる。こうして国際結婚を成立させようとする「人の需要」も80年代後半には高ま っていた(定松 2002)。ちなみに,より目立たないが,ヨーロッパでも,フランスやドイツでは 農業者やその他自営業者の配偶者として,南欧,東欧,一部アジア諸国の女性が迎えられる例は少 なくない。そこには,すでに定住した移民が母国から配偶者を呼び寄せる人の流れも混入している。

これらは,「家族形成移民」(family formation immigration)と呼ばれる(Kofman et al. 2000: 11).

 「後発移民国」は,同時並行的に,これらの課題に向き合うことになる。

 また,少子高齢化が進む国々では,介護労働従事者の確保は大きな課題の一つになっているが 1980年代末に入管政策担当者はそのことを早くも予想し,「我が国の高齢化が21世紀には世界未経 験の段階に入る」とし,介護,看護部門の人の確保が課題となるとしつつ,「どう手当てするか意 見が分かれている」としていた(山崎 1990)。ただし,1990年入管法の定める在留資格「医療」

には,介護労働は含まれなかった。

1.人の受入れの「1990年レジーム」

 1989年12月8日,出入国管理及び難民認定法の一部改正案が参議院で可決,成立した。外国人労 働者受入れの「1990年レジーム」とでも呼びうる特徴的な体制が生まれ,その後,30年間続いい ている。今,それが終わりを迎えるかのような言説が飛び交っているが,果たしてそうか。では,

そこからどこへ向かうのか。答えはまだ出ていないと思うが,しかし,これが過去30年を振り返 っての総括の時を迎えているのは確かである。ほかでもない,「1990年レジーム」とは,この年,

前年に成立した上記改正法が施行され,数年のうちにつくられた外国人労働者受け入れの一連のシ ステムを指す。それは日本のイミイグレーション(人の受入れ)の規模と様態を確かに変えた。

 この1990年の改正入管法の主な内容を,ある指摘は,次の3点にまとめている。

 「第1に,不法就労助長罪が新設されたこと,第2に定住者ビザのカテゴリーが新設され,日 系中南米人(日系三世まで)対して活動に制限のない在留資格が付与されたこと,第3に従来の 研修制度が拡充され,これが3年後の技能実習制度へと発展する余地を与えたこと,である」

(上林 2015:13)。

 第一の点については,1980年代の半ば以降,マニュアル労働における人手不足の亢進と,円高 の進行により,来日し,就労する外国人がジリジリと増加していたが,多くは「不法」な就労とさ れていた。労働省(当時)は1987年12月,「外国人労働者問題研究会」(座長・小池和男)を発足 させ,不法就労外国人問題への対応を重視しつつ,今後の外国人労働者受け入れのあり方の検討を 開始している。観光ビザで来日する外国人を企業が使用するケースが増加していたが,これを入管 法違反とし,「不法就労者」(illegal workers)と命名した政府は,当の外国人労働者のみならず,

(4)

雇用した企業へも処罰規定を導入したのである。

 なお,欧米諸国では入国管理関係の大きな法改正が行われる時,従前の非正規滞在者に正規化の 申請をさせ,これを認めることが多く,たとえば数年前,アメリカでは改正移民法(シンプソン=

マゾリ法)が成立し(1986年),当該時期までの非正規移民が合法化されていた。だが,このアム ネスティは一切行われなかった。

 第2,第3の点であるが,この出入国管理及び難民認定法(以下,「入管法」)の改正時に政府は,

高技能や専門的能力をもつ外国人を積極的に受け入れることをうたい,そのための在留資格を明示 化し,他方,特段の技能をもたない「単純労働者」は受け入れない,としている。その理由につい ての政府の説明は曖昧で,いささか歯切れが悪かったが,語られない一つの理由に,政策決定に強 い影響力をもつ大企業が,そうした外国人労働者受け入れを死活にかかわる課題とは見なかったと いう事実があったからだと思われる(宮島 2014:225)。その高い支払い能力によって日本人労 働者を確保することに不安を抱かなかったからであろう。たとえば建設業界では,「大手」やゼネ コン(総合建設会社)は,外国人労働者受け入れに慎重ないし消極的で,人手不足が深刻で外国人 を歓迎する下請け業者の姿勢とコントラストをなし,「業界の足並みの乱れ」などと報道された。

 この「単純労働者」には,国は「特別の技能,技術又は知識を必要としない,いわゆる単純労働 者」と述べるにとどめていたが,きわめて広く,製造,建設,輸送,メンテナンスなどの現場で働 くマニュアル労働者(その熟練労働者も含め),さらに販売・対人サービス,単純事務などに携わ る者なども含んでいた。しかし,それでは,求人倍率の高い現場的な職種ははずされ,人手不足を 訴える中小,下請けなどの企業の要求には改正入管法は応えないかにみえた。

 そのことは80年代後半から増えていた「不法」就労・残留者が,90年以降さらに増加しつづけ たことに示されている。観光目的などで来日した外国人が,人手不足に苦しむに国内企業の要求に 応えたことを意味するわけで,摘発されたケースから知られた産業の三大分野は,金属製造加工,

プラスティック加工,建設であり,女性の場合,数は少ないが,ホステスだった。1992年の「不 法残留者」数が約28万人に達していたというデータが雄弁に問題の所在を語っている。

 ところで,1990年入管法では,一見それとは気付かれない形で,新たに「定住者」という在留 資格が起こされており,その説明として単に「法務大臣が特別な理由を考慮し一定の在留期間を指 定して居住を認める者」と記されていた(法務省入国管理局 1988)。これは範疇的には「活動に もとづく在留資格」ではなく「身分または地位にもとづく在留資格」であるから,こんな書き方に なるが,それが,日系三世の外国人に充てられたのである。「定住者」は,就労に制限のない資格 であるから,これによって受け入れられる人々は,上に言う「単純労働」にも就くことができる。

こうして,改正入管法施行から二年を経ずして,ブラジル人,ペルー人の在留者数は7,8倍に跳 ね上がり,彼らが,自動車,電機などの下請けの部品製造や組立ての現場のラインに立つようにな った。

(5)

2.研修」の名による労働者受け入れ

 もう一つの対応は,改正入管法の直接の産物ではないが,「研修」という在留資格での外国人の 受入れの拡大をうけ,1993年に外国人技能実習制度が創設されたことにある。じっさい,改正直 後から,「研修」という資格を利用して労働者の受入れの実をとろうとする企業の動きが強まるの だが,法務省はこれを抑えるどころか,その動きに応えて,早くも90年5月に省令改正により,企 業の受入れ可能な研修生の数を引き上げ,受入れ機関も商工会議所等へと広げ,技能実習制度への 地均しを進めたとみられる(宮島 1993:102―03)。

 外国人技能実習制度は,「わが国の有する技能の移転をより効果的に行う制度」(労働省〔当時〕

の骨格案,92年4月)と銘打ったが,それは建前であることが明らかとなる。技能実習制度の成 立経緯を追った論文のなかで上林千恵子は,「企業,とりわけ外国人労働者がいなければ業務を遂 行しえない中小企業と,……不法残留者や不法就労者として滞留する単純労働者の流入に危惧の念 を抱いた政府との綱の引っ張り合いが生じ,そこから1993年に技能実習制度が発足した」と述べ た上で,制度創設にかかわった四つの省と諸団体の動き,見解がたどられているが(上林 1998:

25),それで分かることは,正面から日本からアジア諸国への技術移転の意義,重要性を説く当事 者はなかったことである。

 団体監理の形式の下,企業は外国人研修生を直接受け入れることができ,彼らが一定期間の研修 後,技能検定に合格すると雇用関係の下に実習(就労)ができる点に,従前の研修との根本的違い があった。そして企業は,座学で日本語等を学ばせ,技能,技術を学ばせるという義務を承知しな がら,実質低廉な手当で働かせることのできることにメリットをみ,競って技能実習生を受け入れ るようになる。と同時に,期間制限と移動の禁止も同制度の決定的な特徴をなす。トータルで2年 間(当初,のち3年間に,さらに5年間に延長)という期間の上限があり,受け入れ企業の労働条 件がどうであれ他企業に移ることが許されないとしており,この縛りは,若年労働者のひんぱんな 離退職に悩んでいた中小企業経営者には,願ってもないものだった。そして,次のことを確認する 必要がある。この受け入れ制度は「外国人労働者を一時的雇用という形に押し込めること,内国人 労働者には課せられない職種制限,労働移動制限を強制するものである。すなわち,国家そのもの が内国人労働者と外国人との権利の差異を承認している制度である」(上林 2015:147)。

 こうして「単純労働者は受け入れない」としていながら,二つの「サイドドア」が開かれたわけ だが,このジャーナリズムや研究者が慣用で「サイドドア」と称したものは,はたしてこの名でよ かったか。殊に技能実習生の受入れには,労働者雇用における明らかな法令違反の事案が頻出する こととなり(後述),まさに違法受入れ,すなわち「バックドア」受入れと称すべきものだったか もしれない。

 以上に加えて,いま一つ「サイドドア」の開放があった。それは,資格外活動を認められた外国 人による職種制限のない労働力提供が可能とされたことである。現在とほぼ同じだが,一日四時間 以内という制限の下,入管局の許可を得て働くことができるというもので,留学生と就学生(後年,

(6)

「留学生」に統合)がその主な担い手となり,後,「家族滞在」による在留者にも資格外就労が認め られるようになる。ただ,この入管局の許可を得ずに働く者がつねにいた。許可を得ていてもその 上限,週28時間を超えて働く者もいて,そのいずれの場合も,「入管法違反」とされ,毎年数百件 が摘発されてきた(それは氷山の一角といわれる)。

 この留学生に「資格外」就労の道を開いたことについては,さらに後述する。

 1990年体制の特徴をなす,実質就労している外国人に,それと思わせない在留資格名称を振り 当てる受け入れ方式をとらえて,西欧の移民研究者は「偽装的受け入れ形式」,「非受け入れ政策」

(non-immigration policy)だ,と書いた(トレンハルト 1994:8)。本来の労働許可を与えられて,

所定の範囲のジョブが確定され,内国人と同等以上の待遇などが定められて雇用に就くという外国 人労働者の受け入れに対比し,これを「偽装的受入れ」と評したのである。

3.滞日外国人の変化と不変と

 ここで一転して,その後30年間を通観すると,この間に来日および滞日外国人はかなり様変わ りをみせたことが分かる。

 長らく日本の外国人人口の首座にあった韓国・朝鮮人(以下,「コリアン」という)は,自身の 少子化のため,また帰化,混合婚(国際結婚)の増加のため,最多の年には70万人近くを数えた のが,ニューカマーのコリアンは減っていないものの,今では50万人を割り込んでいる。それに 対し,中国人は,増加の一途をたどり,今や最多の国籍集団であるが,,元「技術」,「人文知識・

国際業務」「日本人の配偶者等」などの在留資格だった人々が,「永住者」へと移行しており,「技 能実習生」でも中国人が長らく最多だった。

 今から10年前,リーマンショック後の経済危機で,製造業に働くブラジル人をはじめとする南 米人は失業禍に見舞われ,政府の「帰国支援」事業の作用とあいまち,帰国の途に就いた者が多か った。その数は激減し,最多だった時期の三分の二程度になっている。

 その3年前,数の上では大きくないが,質のうえでは重要な外国人受入れ政策の転換があった。

正規の就労ビザ「興行」(エンタテイナー)の下でのアジア人女性の受入れが,国際社会から「人 身取引」(human trafficking)として強い批判を浴び,2006年に政策変更を余儀なくされ,その受 け入れがほとんどストップされた(最多の年には6万人を超えた「興行」の在留者数が,2年ほど の間に五分の一に急減)。この出来事は,「1990年レジーム」下における受入れ外国人の労働者の 権利と人権の保障の等閑視,およびジェンダー差別を象徴するものの一つである1

 日本の中の外国人の全体像に目をやってみると,その総数282万人(2019年6月)という数だけ ではなく,定住外国人の比率の大きさにあらためて気付く。その数的裏付けを示すまでもないだろ うが,単純に,次の4つの在留資格の保有者の数,すなわち永住者=約110万人,永住者の配偶者 等=4万人,定住者=20万人,日本人の配偶者等=14万人,を合計すると,148万人となる。元々 有期限の滞在者である技能実習生と,留学生とを除外した,外国人総数への割合は,70%余となる。

(7)

 一時,出稼ぎ型労働者の代表格のように言われたブラジル人も,今日ではその滞日者の60%が

「永住者」となっており,ペルー人にいたっては,70%もがそうである。かつてエンタテイナーと して入国したフィリピン人女性の多くは,上の日付以降もはや「興行」資格での滞在ビザの更新は 認められなかったはずだが,だからやむなく帰国したという報はあまり聞かない。今,3,40代に なり,依然として多くが日本の中に生きていると推測される。フィリピン人女性の在留者数が,

2017年現在,30歳代が4万5000人台,40歳代で5万8000人台となっている事実がそれをうかがわ せる。20歳代が2万6000人台と,最多時に比べ半減しているのに対して,である(入管協会,

2019)。

4.働く外国人146万人,しかし資格外就労も多い

 「外国人労働者,150万人時代へ」などと,メディアが報道のキャッチフレーズにうたう昨今で あるが,その実態はどうなのか。まず,この数の内訳,中身は問題としたほうがよい。

 データとしては,厚生労働省(以下「厚労省」)の公表する「外国人雇用状況報告」(毎年度)が あり,これは外国人を雇用している事業所に,正規—非正規,フルタイム―パートタイム―アルバ イトを問わず,人数,国籍,在留資格などをハローワークを通じて報告させたものの集計結果であ る。なお,自営業をいとなむ外国人と,「特別永住者」(主に在日コリアンなど)は報告対象外とさ れる。さらに,各事業所に求められる報告はやや煩雑な書類作成作業となるため,報告漏れ率も低 くないといわれるから,外国人就労者実数との乖離は小さくないと思われる。

 さて,2018年の雇用状況の届けの集計の146万人余の在留資格別の内訳を見ると,表1のように なる(大原社会問題研究所編 2019:143)。

 ここで,まず目を止めるべきは,「資格外活動」というカテゴリーが四分の一を占めることの変 則ぶりである。資格外活動とは,この場合,就労を目的としない在留資格の保有者が入管局の許可 を得て,就労することを指す。表1に記したごとく「留学生」の資格で滞在している外国人(約 30万人)と「家族滞在」の資格のそれ(推定で約4万人)が,就労しているケースから成ると思わ れる。就労留学生数は留学生総数337,000人の89%に達する(ただし重複カウントの可能性はある)。

 次に来るのが技能実習生であるから,とすると,日本の就労外国人の数の上で1,2位で,4割 を占める留学生と技能実習生,すなわち本来の就労ビザの保有者ではない者,および滞在期限,転 職などにおいて制限の多い者が就労外国人の半数近くを占めることになる。技能実習生の名におけ

1 この「興行」による人の受入れにはすでに90年代から国内で数々の批判があり,またフィリピン国内 でもマリクリス・シオソン事件(1991年の福島県でのフィリピン人エンタテイナーの不審死)などが問 題視され,それらを機に海外労働者(特に女性)の権利保護への国の対応がなされ(小ケ谷2016:177),

にも拘らず,「興行」による人の受入れは続けられた。人権保護の措置は十分とられず,人身取引防止の 法の整備も遅れた。上記の「国際社会の強い批判」とは,アメリカ国務省の2004年『人身取引年次報告 書』で,日本のエンタテイナー受入れが言及され,人身取引要監視国に日本がランクされたことを指す。

(8)

る外国人労働者の受け入れには問題が多いことは後に触れる。

 そして次に,「身分にもとづく在留資格」であるが,就労する外国人の約半数がここ含まれる。

その活動(とくに就労)に,指定や制限がなく原則自由であり,実にさまざまな地位,条件の労働 者がここに含まれる。「永住者」資格の中国人をとってみると,「技能・人文知識・国際業務」の資 格で働いていて,「永住者」資格を得た者は,日本人のそれに劣らない待遇で雇用されているはず である。そして,「定住者」という身分ビザの下で働く日系ブラジル人やフィリピン人は,後述す るように多くが間接雇用の非正規労働に就き,より不安定な条件下にある。彼らの間には格差があ り,仕切りがある。「定住者」資格だった者が,10年以上の日本滞在という要件を満たし,申請を して「永住者」資格を獲得したとしても,雇用におけるこうした地位,条件は変わらない可能性が ある。

 もう一点,外国人雇用状況報告を行った事業所(総数216,348)の規模別の分布をみておきたい。

  30人未満    58.8%

  30~99人    38.5%

  100=499人   11.7%

  500人以上    4.0%

 小規模事業所で,外国人雇用状況報告から漏れているものは多いとみられるだけに,実際には 30人未満のそれが三分の二を超えているとみられる。外国人雇用が中小企業中心であることは,そ の労働条件を規定していると思われる。

5.外国人の定住化の意味するもの

 就労する外国人のなかに「身分に基づく在留資格」の者が三分の一を占めていること(表2)に ちなみ,定住者タイプの外国人のことに触れておきたい。それは「特別永住者」「永住者」「定住 者」「日本人の配偶者等」の資格による外国人である。

 (旧)植民地の出身者が(旧)宗主国に移動する場合,そこで無期限の滞在者,すなわち定住者 となるのは一般的である。日本でも,在日コリアンはそのような存在であり,その地位は1990年

表1 外国人雇用状況の申告数(2018年末,在留資格別)

在留資格 人数 構成比 備考

資格外活動 343,791 23.5% 内留学生が298,461人

技能実習生 308,489 21.1

専的門・技術的分野の在留資格 276,760 19.0

身分にもとづく在留資格 495,668 33.9 永住者、定住者、日本人の配偶者等など

その他・不明 35,755 2.4

合計 1,460,463 100.0

(9)

の入管法改正の影響を特に受けず,それ以前の日韓条約にもとづく「法的地位協定」(1965年)に よって定められ,永住者とされ,これは韓国籍ではない朝鮮籍のコリアンにも認められていく(在 留資格名は「協定永住者」から「特別永住者」へと変わる)。1990年にはその数は60万人台だった が,2010年代には30万人台に減少している。

 他方,「一般永住者」と括られるそれ以外の「永住者」資格保有者は,今世紀に入るころから増 加を記録し,80万人に近づいている(図1)。この理由としては,1998年の「永住者」資格申請の 条件の緩和(日本居住の「引き続き20年以上」から「10年以上」へ)があった。それだけではなく,

来日の事情(結婚,家族合流など)からして,また。帰国をしても適切な職,生活条件が確保され ないという見通しから,滞在長期化が起こっているとみられる。

 「日本人の配偶者等」と「定住者」の資格での在留者の増加は,1990年レジームを特徴づける日 系人の大量の受入れと,結婚移動としての多数のアジア人女性の入国を反映している。「定住者」

が日系三世に充てられたものであることは既述の通りだが,「日本人の配偶者等」は,日系二世の 外国人および日本人の配偶者の双方に充てられる在留資格で,両者とも滞在の更新を重ねながらト ータルの滞在年数が10年を超えると,「永住者」ビザの申請に向かうことが予想される。

 主な在留資格別の在日外国人数の推移を図2に示しておく。

1 )「技術・人文知識・国際業務」は,2013年以前は「技術」と「人文知識・国際業務」を合算した 人数を示す。

2)「技能実習」は,2010年に独立の在留資格となったので,それ以後の人数を示す。

3)「留学」は,2010年以前は「留学」と「就学」を合算した人数を示している。

(10)

6.なぜ「留学生」が労働力なのか

 外国人の就労,在留の状況を全体的に見てきて,ここで問うべきことの一つは,なぜ就労外国人 において,留学性,就学生がこれほど大きな位置を占めるのか,である。

 留学生という資格と就労許可とは相容れないという観念は一般的であり,諸外国を見ても留学生 の就労を禁じている国は多い。日本では生活費,学費が高いから,日本人学生がアルバイトをする ように彼らも一定時間内の,就労を認めるとした,とされる。この資格外活動には職種の制限がな く,単純労働に就くことも可で,使用者側からすれば時間数調整もしやすく,いわゆるアルバイト 就労に頼る企業には歓迎された。

 一方,もともと中国やベトナムでは「労務輸出」,つまり労働者を送り出すことが第一義的に重 視されてきて,しかし日本はフロントドアから労働者受け入れは高技能・専門職に限っていたから,

より開かれている二つの道,「留学」および「技能実習生」のゲートから入国し,日本の労働市場 に接近しようとした。中国の場合は,日本に正規ルートによる単純労働者の受け入れを要請したが,

日本政府は「単純労働者は不可」としたため,留学生,就学生としてアルバイトに従事するという 形が出来上がったとされる(坪谷 2008:44-45)。アルバイトで稼ぐことが一つの眼目である以 上,奨学金なしでのいわゆる私費留学生が多数やってくるのは自然である。他の先進国ではあまり 例がない。

 その彼らがもしも大学に入学し,学位取得まで行ければ,かなりの者が,それをリソースとして 日本の企業への就職を果たそうとする。法務省も,「第四次出入国管理計画」(2010年)において,

「留学生等は……我が国の経済活動を担う人材の受入れとしての意義を有するものであり,その在 留資格の変更手続の一層の円滑化を図っていくなど,留学生等の適正・円滑な受入れを推進してい く」(法務省,2010)とした。

 2010年の入管法改正で在留資格における留学生と就学生が「留学生」に一本化されることにより,

高等学校,専修学校,各種学校などの在籍生徒もここに含まれるようになる。中国,ベトナム,ネ パールなどの留学生には大学を目指さない,日本語学校に在籍しながら就労する者が含まれるよう になり,「留学生」のイメージが変わる。働き,稼ぐことが主目的となり,資格外活動の法定時間 を超えて働くなど目的―手段が転倒し,留学という在留資格の形骸化も起こっている。ある面から みれば無理もないのであり,私費留学生が多くを占める彼らは,衣食住の生活費のほか,ともに年 に50万円を優に超す大学の学費または日本語学校授業料を,週28時間の就労(ただし,教育機関 が長期休暇中には一日8時間以内で就労できる)ではまかないきれないからである。

 数年間の滞在の結果からみても,留学生の二分,二極化という傾向がうかがえる。じっさい,

2017年に「留学生」の在留資格から,日本の企業に就職し,在留資格変更許可申請を出した外国 人は約2万8000人で,このうち24000余人が許可されている(入管協会,2019)。その内の91%は,

「技術・人文知識・国際業務」に変わっているから,彼らが四年制大学学部以上の修了者であるの はまちがいない。それ以外の多くの留学生は,母国に相応の就職口を得て帰国するか,大学に進学

(11)

せずにアルバイトで稼ぐことをもっぱらにし帰国するか,または在留資格変更も認められないよう な職場に在って,残留し続けるかもしれない。「留学生」在留資格のこうした変質,さらには形骸 化はそれとして問題であるが,根本的問題は,日本が労働者受け入れの正規のルート(「フロント ドア」からの)をずっと閉じてきたことにあるともいえる。

 この資格外就労の許容は一部の業界からは歓迎されていて,周知のように飲食店やコンビニエン スストア,その他の販売・サービス職では留学生はなくてはならない労働戦力となっている。だが,

当の留学生にとり,勉学を続けるための手段としてのアルバイトと割り切れるならまだよいとして,

勉学との両立が不可能となってアルバイトに終始する滞在となれば,将来は不安に満ちたものとな ろう。

7.定住化,しかし雇用や地位は改善されるか

 「サイドドア」または「バックドア」から受け入れられ,滞在を更新しながら,「帰国の予定な し」とし,10年,15年と滞在する者が多くなっている。だからといって雇用や地位が改善されて いるわけではないようだ。いくつかの問題側面を指摘したい。

 前記のように「永住者」資格を獲得したブラジル人やペルー人には,今,東海地方の町々で持ち 家の取得に向かうケースも生まれているが,派遣・請負いの間接雇用の下に置かれている者がやは り半数はいる。派遣会社から離れ,直接雇用になっている者もいるが,時間給で働く非正規が多く,

多年念願してきた「正社員」に昇格している者は少ない。妻,時には成人に達した子どもと家族ぐ るみでそうした雇用に就き,残業をし,何とか総収入はあるレベルを確保する。帰国はもう考えな いことにし,母国への送金も,帰国に備えて貯金も必要ないと割り切り,収入の大半を投じて,住 宅にあてる,という。身体の続く限り働き続けるが,正社員でないだけに仕事がずっと保障される か,不安がないわけではない。それでも,日本での生活の基盤の一つ(住宅)は築きたいとする。

 次に,20年以上日本滞在している50歳台のあるフィリピン人女性は,「家族の将来のために,仕 事をもっとがんばること(が大事だ)」と述べている(川崎市 2016:170)。こうした定住外国人 女性の滞在歴を推測してみると,かつて「興行」(エンタテイナー)の資格で来日し,風俗店など で働いていて日本人男性と知り合い,結婚し,子どもをもうけるが,共同生活は破綻,離別して子 どもを引き取り,母子で暮らすことになる。それでも帰国を望まなかったケースが多い。帰国して も,貧しい生活が待っており,母国の親等に仕送りをするという約束,責任が果たせなくなるから だ,という。在留特別許可は認められても,生計を支えるだけの収入のある職に就くのがむずかし く,生活保護を受けながら定住者となっている者もいる。

 事実,外国人のひとり親世帯(ほんどが母子世帯)は2010年の国勢調査では2万Ⅰ530世帯に及 んでおり,近年の定住外国人のうちにこのタイプは小さからぬ位置を占めている。高谷幸によれば,

外国籍のシングルマザーの労働力率は7~8割であり,ブルーカラー職(食品工業や縫製業に働 く)が多く,失業している者も多い(高谷 2017:97)。川崎市の行った無作為抽出による外国人

(12)

市民意識実態調査でも,フィピン人について,10年以上滞在者が三分の二を占め,女性が多数を 占め,たぶんそれゆえにフィリピン人の相対的貧困率はその他の国籍者より格段に高く38.5%に及 ぶという結果が示された。この結果もなにほどか上のような滞在実態を予想させるものである(同 上)。

 四半世紀の「歴史」をもつにいたった技能実習生の受け入れ,これと定住外国人とは一見関係が なく,相反的であるようにみえるが,そうでもない。この制度の下に受け入れられた外国人からは,

つねに「失踪者」が生まれていた。低賃金の上,転職の自由がなく,来日前の約束に反して残業代 不払いが多いなど,実習生には不満をいだく者は少なくなく,よりよい就労の機会,場を求めて,

雇用主の許を去り,姿を消すのである。その失踪者の数は,2015年には3101人,2016年には3222人,

2017年7089人となっている(大原社会問題研究所編,2017年版,2018年版,2019年版)。決して小 さい数字ではなく,017年をとると,全技能実習生の40人に1人ということになる。過去10年の累 計は,2~3万人に達している。失踪者は,みつかれば,母国に強制帰国となるようだが,それを 免れた元技能実習生はどこで,どのように生きているのか。法務省発表の2017年の不法残留者(摘 発された者ではなく,法務省の電算機がはじき出した者の数)のうち,元の在留資格ではトップの

「短期滞在」に続き,「技能実習生」が来て,約6500人余人におよんでいる(入管協会 2019)。

 実はこの失踪者の多さに苦慮して,技能実習生受け入れを停止したのが韓国である。日本に倣っ て類似の制度を設けた韓国であるが,失踪者が多発し,制度として持続不可能と判断し,廃止に踏 み切ったのだ。日本もこれに学ぶべきではなかろうか。

 サイドドアからの外国人労働者受け入れの典型としての技能実習生制度は,その制度の不合理と 矛盾によって,「不法」とされる定住者を生んでいて,その点からも同制度は問われている

8.「フロントドア」からの受け入れとは

 定住外国人のこうした実態が知られるにつけ,いっそう「フロントドア」からの外国人労働者の 受け入れとは何か,どうあるべきなのかを問わなければならない。しかも,この時にあって,政府 は,急ぎ,待ったなしだとして,「人手不足に対応するため」,新たな在留資格(特定技能)を起こ し,労働者受け入れを開始しているだけに,根本にさかのぼった議論も必要になっている。

 日系人受入れ,技能実習生,留学生の資格外活動の活用,これらを称して,外国人労働者のサイ ドドアやバックドアからの受け入れと称してきたが,「フロントドア」からの受け入れを行うべき だというとき,それは何を意味するのか。

 まず第一に,高技能や専門能力のある外国人だけでなく,それ以外でも必要とする労働者を受け 入れることを公式に認め,国としてその受け入れの方針を内外に宣すべきである。この点を曖昧に し,親族であるエスニック・ジャパニーズの訪問者の受け入れであるとか,研修生や留学生の受け 入れが本旨であるとして,労働者の「ろ」の字も表に出さない日本の方式は,国際社会からは「宣 言なき労働者受入れ国」という芳しからぬ評を受けてきた。そういうわけだから,二国間の交渉,

(13)

協定による受入れなども不可能だった。そのため,外国現地での募集から導入に至るまでを斡旋業 者や半営利の機関にゆだね,公正・透明な受け入れルートもつくれなかった。

 かつて戦後の1940年代,60年代にフランス,ドイツ(当時は「西ドイツ」)がそれぞれ,外国人 労働者の受入れを開始した時,労働者送出国のイタリア,スペイン,トルコ,ユーゴスラヴィアな どとの間に二国間協定を結び,労働条件,滞在条件,社会保障の権利などを取り決め,募集から,

雇用契約の査証,自国への迎え入れまでを国の機関が独占的に行った。公正,透明な受け入れのた めである。フランスでは移民庁(ONI),ドイツでは社会労働省がこれにあたった。

 日本では,二国間の協定などなく,交渉すら行わず,送り出し国現地および日本側で民間事業者 がかなりの程度募集から導入までの過程に関わるのが一般的で,利権化や中間搾取を防げないでい る。たとえば,派遣業者による募集,出入国手続の代行,そのルート設定によって来日するブラジ ル人は,相当の借財を背負って日本の土を踏んでいる。派遣業の仲介・代行の構造のなかに組み込 まれているため,来日後も派遣業者依存から抜け出ることはむずかしく,非正規の間接雇用のなか で働く,あるいは請負労働者として働くことが多い。そういう流れで来ると,たとえ直接雇用にな っても,彼らは技能開発の対象とはされず,したがって非正規にとどまる(丹野 2007)。技能実 習生の受入れについても,二国間協定はなく,募集・事前研修・送り出しの多くが業者ベースで行 われ,日本側の業界団体(事業組合)とのマッチングのための交渉はあるが,応募者からは保証金 が徴収されるなどし,来日時には相当の負債を負ったりしている。

 そこで,具体的な課題へと議論を移すと,外国人労働者受け入れ制度としてあまりにも問題の多 い技能実習生制度は,抜本的に見直し,制度としては廃止,ただちには無理なら移行期を設けて縮 小を図るべきである。

 厚労省の発表では,2017年に労働基準監督署が監督指導した技能実習実施事業所5966の内,実 に違反事業所は4226(70.8%)におよぶ。違反の内には,割増賃金不払い945件,労働条件不明示 541件,賃金不払い526件となっている(大原社会問題研究所 2019:145-46)。同制度の廃止に ついては,すでに日本弁護士連合会が2011年に,労働者としての権利が侵害されていることを5 点にわたり指摘し,明確な提言を行っている(関東弁護士連合会,2012:319以下)。国際社会か らの技能実習制度への批判も手厳しいものがあり,外からも同制度廃止を求める声が聞かれた2。 そして,2019年に,入管法を改定しての新たな「特定技能」外国人の受入れの道(後述)が開か れることがアナンスされると,有力な経営者団体である経済同友会からも,「技能実習の廃止も視 野に……」という見解が出されるにいたった(「日本経済新聞」2019年1月22日)。

 ただ,リアリスティックな考察として,技能実習制度の廃止または縮小は,今後の不可測な条件 による,との見方も示された。すなわち,このほどスタートした「特定技能」の受入れが「単純労

2 たとえ具体的ば国際人権規約に基づく日本政府第5階定期報告書審査(2008年10月,ジュネーヴ)では,

一委員から,「奴隷類似と表現される労働条件を改善する観点から,あるいは,現行制度を廃し,外国か らの労働者を受け入れるまともな制度を志向する観点から,これを見直すべきではないのでしょうか」と いう発言があり,公式に記録されえている(日本弁護士連合会,2009:118)。

(14)

働」分野へも広げられ,適用されるなら,技能実習制度の現に果たしている機能と重なり,後者の 縮小につながると考えられるが,もし「特定技能」外国人が,政府の述べるように「一定の専門 性・技能を有し,即戦力となる」外国人ならば,技能実習制度との重なりは小さくなり,その結果,

後者の縮小にはつながらない,と(旗手 2019:80)。

 とすれば,技能実習制度への批判と抜本的な改変(=事実上の廃止)への要求が今後も続けられ ねばならない。現に特定企業の支配下に実習生として就労している者には,その意思を尊重し,強 制帰国など不利益を押し付けることのないよう配慮すべきで,継続的な就労を望むなら,一般労働 者へと身分を切り替えて再雇用させる,などの対応をとるべきだろう。技能実習生制度をそのまま で温存しての,新たな受け入れなどありえないからである。

 「フロントドアからの受け入れ」というメタフォリックな表現をしてきたが,それは三つの要件 を満たす受け入れだと考える。労働者としての権利の保障を第一とし,第二に,「人」として生き る権利を認める受け入れを意味し,第三には,不透明な中間搾取を許す第三者の仲介を排する受け 入れである。

 第三の点からいうと,政府は今回の「特定技能」外国人の受入れにおいては,「悪質なブローカ ーを排除し……」とうたうが,そもそもブローカーの介在をなくすべきで,国が主体になり二国間 協定を結び,国の機関が直接に募集・受け入れの機関となって機能すべきであろう。たとえば日本 のハローワークないしそれと同格の公的機関が,協定先の国に現地事務所を開き,その国の公的機 関(たとえばフィリピンなら海外雇用庁)とタイアップして労働者の募集をするといったシステム が考えられる,労働者は,仲介業者に高額の手数料や保証金を支払い借金漬けで来日するといった ことを免れ,日本の受入れ企業が過大なリクルート費用を吸い取られることもなくなる。こうした 二国間協定 ‐ 業者排除型の受け入れは,西欧型であり,日本式の受入れはこれとほど遠いと先に 述べた。ところが,韓国は,雇用許可制度の下でこれに近い募集・受入れ形式をほぼ実現している。

二国間協定を締結し,「産業人力公団」(政府系独立法人)が海外の当該国で募集を行い,国の募集 機関である雇用センター(日本のハローワークに相当)が,雇用主とマッチングを行うことになっ ている(日本弁護士連合会人権擁護委員会 2017)。これには日本も習うべき点がある。

 労働者の権利をきちんと認めたうえでの受け入れ,これには当然だが,「日本人が受け取る場合 の報酬と同等以上の報酬を受け取ること」をはじめ,社会保険,労災保険,雇用保険の完全な適用 など,行われていないケースは少なくない。正規雇用で,日本人と同等待遇を,というと,これま で派遣労働者の日系人や,技能実習生に頼ってきた経営者は,それは不可能だというかもしれない。

しかし,労働の価値を切り下げるそのような雇用形態を続けるなら,遠からず,進んで日本に働き に来る外国人の流れが先細るのは必定である。

 なお,日本語力も労働能力の不可欠の要素である以上,彼らが来日し,入職する際に日本語習得 の機会,期間,専門の教育スタッフが用意されなければならない。継続的に雇用し,有力な人材と していくならば,出発点での相当期間の集中的な日本語学習の機会を与える必要がある。これを,

労働者の出身国現地で行うにせよ,来日後日本国内で行うにせよ,国が責任をもつことが必要で,

(15)

日本語能力の検定は行うが日本語教育そのものは民間の語学学校等にゆだねるという現行方式は改 めるべきだろう。日本語教育推進法の成立,施行(019年6月)は,これを後押ししてくれるだろ うか。現在ドイツやフランスで行われている,国費による移民への言語教育(宮島 2019)も参 考にされるべきだろう。

9.外国人労働者の「人」としての受入れへ

 早くは島田晴雄などが論じていた「受け入れる以上は基本的人権の保障を」ということに尽きる だろうが(1993:100以下),これまでとかくネグレクトされてきた「人」としての外国人労働者 受け入れとは,まず,家族帯同,家族呼び寄せが認られ,さらには日本で働き生活しながら,家族 をつくり(結婚し),子どもをもうけ,希望すれば帰化を申請することなどの権利,一言でいえば シヴィルな(市民的,民事的な)権利が認められることである。国際人権規約B規約は第23条で,

家族を社会の自然的・基本的単位と認め,家族を社会が保護すべきことを定め,「子どもの権利条 約」もその第9条で父母の意思に反して子どもが父母から分離されないことを定めている。季節労 働者や短期滞在者は別として,中長期的に滞在し働く労働者には,家族の帯同を認めることを原則 とすべきだろう。西欧諸国では,外国人・移民の家族帯同・呼び寄せを基本的な権利とした上で,

「家族」の範囲を配偶者+未成年の子などと定め,一定額以上の所得,一定面積以上の住宅の確保

(フランスでは,4人家族の場合,地域により42-48平米以上,家族成員が一人増えるごとに10平 米が加算される)が条件とされる(GISTI 2011: 251)。ただ,そうした制限を付けることにも,家 族と共に生活する権利という基本的人権への制約だという批判がないわけではない。

 家族の受け入れのためには住宅,日本語教育,学校教育,家族手当,児童手当など,整え,措置 すべきものは多く,コストがかかるとの議論がある。たが,これらは当然に措置されるべきもので,

企業は日本人労働者の雇用に際し当然負担するコストを外国人に拒むべきではないし,多文化共生 のための諸施策は,国と地方自治体によって保障されるべきだろう。この側面での国の貢献が,外 国人労働者受け入れ国のなかで日本ほど小さい国はない

 2019年4月の入管法改正による新在留資格「特定技能」による労働者受入れ案に若干の言をつ いやしたい。その画期性が喧伝される割には,技能実習制度の踏襲部分が目に付き,早速募集が始 まっている「特定技能一号」外国人にしても,滞在の上限が5年とされ,家族帯同が認められない。

また,周知されていないが,「特定技能」外国人受け入れに関わる法務省省令(第五号)では,労 働者派遣法への言及があり,特定技能外国人も労働者派遣の対象となりうることが示されている。

派遣労働という間接雇用のシステムが外国人の労働条件を悪化させたことは,1990年レジームの 問題点の一つであり,その教訓を汲むべきである。果たしてこれでよいのだろうか。先ほどの経済 同友会は,家族帯同を不可とすることについても議論を行ったようで,「家族を含めて労働者の生 活を安定させることが生産性向上につながる」として,一定期間の就労後に家族とともに生活でき る新たな枠組みを設けるよう提言している(朝日新聞,2019年1月22日付)。

(16)

 この制限および禁止のゆえに,日本で働くことを敬遠する労働者がいるかもしれない。特に今後 より多くの受け入れを図り,短期にではなく長く働いてほしい看護,介護の従事者の場合,特に女 性の場合,自身の家族づくりも重視し,結婚のため帰国してしまうことも多いから3,家族共々の 滞在を認めることなしに,継続的な貢献を求めることはできないであろう。

結びに代えて

 もう数十年も前から,外国人労働者を労働者として,人として正面から迎え入れる必要があるこ とが各方面から言われてきたが,結果的に,日本の政府・経済界は,正面ドアは専門的・技術的労 働者にのみ開き,他の労働者には迂路による受け入れルートを穿つのをもっぱらにしてきた。そこ には,あえていえば一つの神話がはたらいていたのではないか。たとえ半開の,種々の障害物の置 かれた入口であっても,とにかく扉を開けておけば,日本で働くことの魅力に惹かれて外国人が進 んでやってくるはずだ,と。アジア諸国との間の大きな経済格差の存在とあのプラザ合意(1985 年)以降につづく円高が。そんな神話を生んだのだ。だが,その他国でも経済成長が進み,韓国は 今世紀には外国人労働者受入れ国に転じ,受入れ制度を整えており,台湾もより限られた分野でな がら受け入れ国となっている。また中国は,かつて技能実習生として多数の人を送りこんできたが,

この低賃金の不自由労働に魅力を感じなくなり,特に賃金上昇が起こっている沿海地域では技能実 習生としての来日希望は減っている(図2)。今や中国人は,彼ら自身で来日の道を選択するとい った位置に立ち始めている。

 また,今にして思えば,ある時期以降日本の産業技術への過信が空回りをはじめ,「技術移転」」

を言うだけに,かえって外国人労働者の不満を募らせたのではないか。「技術を教え,技能を身に 着けさせるのだから……」と,最低賃金ぎりぎりで,残業手当を値切ってよいと考える経営者の意 識,実際に従事する作業が縫製や農水産業など,日本の誇る産業技術とかけ離れた分野であるとい う問題,これらのことは,アジアからの労働者の期待を裏切るおそれがある。再び問うなら,日本 は今後彼らによって「働きに行きたい国」に選ばれ続けるだろうか。

 「1990年レジーム」の限界が明らかになった以上,色褪せた神話とは訣別し,これまで再三述べ てきた,「バックドア」,「サイドドア」からではなく,「フロントドア」からの受け入れを常道とし なければならない。また政府がここにきて急いでいる特定技能1号労働者の受入れも,なお問題の 多いものである。

 最後に,稿を改めて論ずべき問題が,残っていることにつき一言したい。外国人労働者受入れの

「1990年レジーム」は,将来の日本社会のデザインをポジティヴに描かせるものとなっていない。

3 女性の場合,海外で就労していても,結婚のためにこれを中断し帰国することが多いことは知られ(小 ケ谷 2016:46-48),また日本で看護師や介護福祉士の資格を取得してもそのまま,また短期の就労の 後帰国してしまうケースがあり,本人聞き取りでは,よく「結婚」が理由に挙げられる。

(17)

少子高齢化が進み,2025年には生産年齢人口7170万人へと減少をみ(2010年のそれの12%減),こ の人口構造は,納税者の減少,社会保障制度の機能不全,看護・介護などのケア労働の担い手の不 足などを結果し,社会を危機に陥れる。外国人労働者の受入れは,持続可能なかたちで進められれ ば,こうした人口危機,社会危機を緩和してくれるとなる。だが,「労働力は必要だが,移民受け 入れではない」というスタンスをとる現在の当局の態度からは,移民の受入れによって日本社会に 活力を与えていくという発想が出てこない。だが,そうした視角から外国人労働者受入れのあり方 を検討することは欠かせぬ課題となっている。

文献

大原社会問題研究所編,2017,2018,2019『日本労働年鑑』労働旬報社

小ケ谷千穂,2016,『移動を生きる―フィリピン移住女性と複数のモビリティ』有信堂 上林千恵子,1998,「技能実習制度の成立経緯とその問題」『所報』19号,東京都立労働研究所

上林千恵子,2015,『外国人労働者受け入れと日本社会―技能実習制度の展開とジレンマ』東京大学出版 会 

Kofman, E., A.Phizacklea, P.Raghuram and R.Sales, 2000, Gender and International Migration in Europe:

Employment, W elfare and Politics, Routledge

関東弁護士会連合会編,2012,『外国人の人権―外国人の直面する困難の解決をめざして』明石書店 川崎市,2016,『川崎市外国人市民意識実態調査報告書』

定松文,2002,「国際結婚にみる家族の問題」宮島喬・加納弘勝編『変容する日本社会と文化』東京大学出 版会

島田晴雄,1993,『外国人労働者問題の解決策』東洋経済新報社

高谷幸,2017,「外国籍ひとり親世帯と子ども」荒牧重人他編『外国人の子ども白書』明石書店 丹野清人,2007,『越境する雇用システムと外国人労働者』東京大学出版会,

(18)

坪谷美欧子,2008,『「永続的ソジョナー」中国人のアイデンティティ』有信堂

トレンハルト,ディートリヒ編,1993,(宮島喬他訳)『新しい移民大陸ヨーロッパ』明石書店 

日本弁護士連合会編,2010,『日本の人権保障システムの改革に向けて―ジュネーヴ2008国際人権規約第 五回日本政府報告書審査の記録』現代人文社 

日本弁護士連合会人権擁護委員会,2017,『韓国の「外国人雇用許可制度」に関する現地調査報告』

旗手明,2019,「技能実習制度からみた改定入管法―ローテーション政策の行方」『開かれた移民社会へ』

(別冊環㉔)藤原書店

法務省入国管理局,1989,『出入国管理及び難民認定法改正案』

法務省,2010,「第4次出入国管理計画」

入管協会,2019,『在留外国人統計 平成30年版』

マルティニエッロ,マルコ,1993,「イタリア―遅ればせの移民の発見」D. トレンハルト編『新しい移民 大陸ヨーロッパ』明石書店。

宮島喬,1993,『外国人労働者と日本社会』明石書店

宮島喬,2019,「移民への言語教育を重視するヨーロッパ」『開かれた移民社会へ』(別冊環㉔)藤原書店  山崎哲夫,1990,「新しい時代,新しい出入国管理」『国際人流』入管協会,6月号

参照

関連したドキュメント

青年団は,日露戦後国家経営の一環として国家指導を受け始め,大正期にかけて国家を支える社会

北区では、外国人人口の増加等を受けて、多文化共生社会の実現に向けた取組 みを体系化した「北区多文化共生指針」

明治初期には、横浜や築地に外国人居留地が でき、そこでは演奏会も開かれ、オペラ歌手の

はい、あります。 ほとんど (ESL 以外) の授業は、カナダ人の生徒と一緒に受けることになりま

HW松本の外国 人専門官と社会 保険労務士のA Dが、外国人の 雇用管理の適正 性を確認するた め、事業所を同

最愛の隣人・中国と、相互理解を深める友愛のこころ

彼らの九十パーセントが日本で生まれ育った二世三世であるということである︒このように長期間にわたって外国に

諸君には,国家の一員として,地球市民として,そして企