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人間機械論におけるメディアの教育的意義 : 「能動的な学習」への視点

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人間機械論におけるメディアの教育的意義

―「能動的な学習」への視点―

Educational Significance of Media in “Theory of Human Machine”

A Perspective on Active Learning-

ネットワーク情報学部

砂原由和

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がモデルとする機械という概念の変化に伴い、自然を機械 論的に理解することは、ほぼそのまま、自然を合理的に理 解することに重なるようになってきたのである。 ところで、ある現象を機械論的に理解することと機械と 見做すことの間には大きな違いがある。正常に動いている 機械も、故障した機械も、あるいは単にうち捨てられた物 体の集積も、その動きを機械論的に理解することは可能で ある。しかし、ある物を機械論的に理解できたからといっ て、それが機械であるかどうかは分からない。それがどの ような機械なのか、そもそも機械なのかどうかについては、 そのメカニズムの外部に存在する製作者、または使用者に 問い合わせてはじめて判断できるのである。

2. 人間機械論

次に、「人間機械論」という言葉についても簡単に振り 返っておこう。 「人間機械論」という表現には曖昧なところがある。人 間を機械論的に理解しようとする立場なのか、人間を機械 と見做そうとする立場なのか、この表現だけでは分からな い。字面にこだわるなら、「人間(を)機械論(で理解する)」 のか「人間(を)機械(だと見做す)論」なのかが判然としない。 このような曖昧さが含まれるのは、この言葉の成立事情 が関係していると思われる。坂本百大は、「人間機械論」と

い う 言 葉 は ラ ・ メ ト リ(Julien Offray La Mettrie,

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より良くなることなのかについては、脳の使用者に問い合 わさなくては分からないのである。

2. 能動的な学習

機械として捉えられる脳は学習メカニズムを備えてい るが、それはあくまでも受動的に使われるものであり、そ の使い方も決まっていない。脳(の学習機能)の使用目的 を定める能動的な主体は、学習メカニズムの外に存在して いる。 機械とその使用者の組み合わせは任意であるから、可能 性としては、誰でもがその使用者になり得る。したがって 脳(を含む身体)を機械と捉えるなら、誰でもがその使用 者であり得ることになる。たとえば、盲導犬や警察犬は、 人間が犬の学習メカニズムを利用して養成する。 人間の脳に備わっている学習メカニズムをうまく利用 し、望ましい人間(望ましい学習を行い、望ましい行動を とるような人間)を育てることを教育と呼ぶなら、教育者 は教育の対象となる人間(の脳)に備わる学習メカニズム の使用者だといえるだろう。 20 世紀の進歩主義教育思想を代表するデューイ(John Dewey, 1859-1952)は、子ども自身の生活経験を重視した が、彼もまたこの立場に立っているといえる。彼は『学校

と社会(The School and Society, 1899)』で、子どもの探究

本能についてこう述べている。「子どもは単に、何かをやっ てみたいのであり、その結果何が起こるのかを見たいので ある。こうした探究の本能は、これをそのおもむくがまま に放任しておくこともできるが、またこれを価値ある結果 をもたらすように利用すること(take advantage)もできる し、指導することもできるのである」(8)。デューイは、子 どもの探究本能を利用することによって、子どもを価値あ る結果へ導こうとする。この限りにおいてデューイは、子 どもの脳に備わっている本能の使用者だということになる。 しかしもちろんデューイは、子どもの活動を無視したり強 制したりしようとするのではない。それどころか彼は、子 どもの能動的な活動を重視している。 デューイは同書で、学校(シカゴ大学附属小学校)の子ど もたちに料理をさせる場面について述べている。彼は子ど もたちに単にレシピ通りの料理をさせるのではなく、その レシピがどのようにできたのかを、子どもたち自身の実験 的な作業を通して調べるように指導している。彼は、単に 料理に興味があるとか、料理が好きだからという理由で子 どもたちが料理をするなら、それは教育的なことではない という。教育的とは、「子どもが種々の事実、材料、および それらのものにふくまれる諸条件を認識することによって 自分の衝動(impulse)を実現し、そしてそのような認識によ って自身の衝動を規制する(regulate)ようになること」(9) であり、そうすることで子どもは価値ある結果へと向かう ことができるという(10)。デューイは、衝動のような人間の 生物学的なメカニズムを自分自身で意識的にコントロール すること、つまりは能動的な活動を、教育的な価値のある 活動として捉えているのである。 このことは、学習メカニズムについてもいえる。『民主

主義と教育(Democracy and Education, 1916)』でデュー

イは、人間が他の生物に比べて未熟な状態で生まれてくる ことに触れた後、「ある行動をできあいのものとして与えら れるのではなくて、それを学習するとき、人は状況の変化 に従って、その諸要素を変更したり、それらのさまざまな 組み合わせを作ったりすることを、必然的に学ぶ」(11)と述 べている。人間は自らの行動様式を学習によって学ばなく てはならないが、その行動様式はすでに決まったものとし て学ばれるのではなく、各自の状況に応じた形で学ばれる のである。当然、学習という機能もまた、その状況に応じ た機能として獲得されることになる。デューイは「より重 要なことは、人間は学習する習慣を獲得するということで ある。人間は、学習することを学習するのである」(12)と述 べている。

さらに、『経験と教育(Experience and Education,1938)』

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ていただきたい。

(2)『岩波哲学・思想辞典』(1998)の坂本百大執筆の「人

間機械論」の項目。坂本はまた、自らが執筆した『世

界大百科事典(電子版,日立デジタル平凡社,1998)』の

「人間機械論」の見出しに"theory of human machine"

という英語表現を当てている。しかしこの表現は、2016 年 現 在 、Britannica( オ ン ラ イ ン 板 ) に も 、 Google Scholar にも見当たらない。 (3)教育をそのように捉えるなら、今度は教育(の方法) それ自体をある種の機械と見做し、その改良を考える さらにその外の立場を想定できるはずなのだが、ラ・ メトリはこの点についてさほど疑問に感じなかったの か、深く追求することはなかった。詳しくは拙稿、「人 間機械論の系譜と教育概念」(「専修ネットワーク&イ ンフォメーション No.21」,2013)を参照していただき たい。

(4 ) Oxford English Dictionary Second edition on

CD-ROM Version 4.0, 2009

(5 ) Marchall McLuhan, Understanding Media: The

Extensions of Man: Critical Edition, Ginki Press, 2003,p.189 (栗原裕、河本仲聖 訳『メディア論』,み

すず書房,p.139)なお、以降の訳文は必ずしも訳書に

従っているわけではない。

(6) Ibid., p.5(訳書 p.4)

(7) 『岩波生物学事典第4版 CD-ROM 版』(1998)

(8) John Dewey, The School and Society,1943(in The

Child and the Curriculum and the School and Society , Introduction by Leonard Carmichael, The University of Chicago Press, 1956), p.44 (市村尚久 訳『学校と社会 子どもとカリキュラム』講談 社,p.108) なお、以降の訳文は必ずしも訳書に従って いるわけではない。 (9) Ibid., p.40 (訳書 p104) (10) Ibid., p.36 (訳書 p.99)「価値ある結果」について、 デューイはこう述べている。「子どもの活動は、指導に よってその活動が組織立てられて取り扱われることに よって、散漫であったり、たんなる衝動的な表現のま まに任されるようなことにはならなくて、価値ある結 果(valuable result)へと向かうのである。」

(11) John Dewey, Democracy and Education, Free Press,

1916, p.45(松野安男訳『民主主義と教育』(上)岩波書

店、p.80)

(12) Ibid., p.45(訳書 上 p.80)

(13 ) John Dewey, Experience and Education, Free

Press,1938,(ISBN 978-0-684-83828-1) p.67(市村尚

久訳『経験と教育』、講談社,p.105)

(14) John Dewey, Democracy and Education, op. cit.,

p.108(訳書 上、p.176)

※本稿は、2016(平成 28)年度専修大学長期国内研究員

参照

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