京都の伝統産業と道具類 : 道具類調査結果にもと づく考察
著者 柿野 欽吾
雑誌名 同志社商学
巻 60
号 5‑6
ページ 1‑16
発行年 2009‑03‑15
権利 同志社大学商学会
ドウシシャ ダイガク ショウガッカイ
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000007397
京都の伝統産業と道具類
──道具類調査結果にもとづく考
1
察──
柿 野 欽 吾
はじめに
蠢 京都の伝統産業とその動向 1.全国の伝統産業の動向
2.京都における伝統産業の最近の動向 蠡 道具類類調査の結果
1.染色分野に関する結果 2.工芸分野に関する結果 蠱 道具類確保難の背景と影響
1.道具類確保難の背景 2.道具類確保難の影響 おわりに
は じ め に
京都には伝統的な地場産業(=伝統産業)が多数,集積している。その代表的な産業 の一つが京友禅業である。約
30
年前,中村宏治教授は,論文「和装染色業の特質と構 造(1)2
(2)」のなかで「…地場産業研究は,…「地域性」や「地場性」の視点が不可欠 であると同様に,その「産業性」の視角も欠くべきではあるま
3
い」として,1970年代
〜1980年代前半の「…和装染色業を対象として…全体的な検討を加
4
え」られた。その 結果,「需要の長期低落とその激しさは和装染色業と産地を根底において揺すぶらずに はおかなら
5
…」ず,「…京染・友禅産地,…加賀産地,…十日町産地を除いて,これ以 外の産地は存続の岐路に立たされ…産地それ自体が淘汰される時期を迎えつつあ
6
る」と 述べられている。
だが,その京染・友禅産地(京友禅業)を含めて京都の伝統産業が今,存続の危機に
────────────
1 本論文は,筆者が京都府から委託を受け京都の伝統産業対象の「道具類等に関する調査」を実施・作成 した,京都産業大学[1][2][3]をベースに大幅に加筆・削除・修正したものである。その詳細は,
染色分野については[1]を,工芸分野については[2][3]をそれぞれ参照されたい。
2 中村宏治[4][5]。 3 中村宏治[4]p. 4。
4 中村宏治[4]p. 5。
5 中村宏治[5]p. 102。
6 中村宏治[5]p. 107。
(193)1
立たされているのである。本稿は,最近における京都の伝統産業の危機的状況を需要面 ではなく,技術面,それも道具類確保の観点から考察を試みるものである。
中村宏治教授は,前掲論文で「京友禅や江戸小紋などの代表される和装…染色…業 は,…依然として手描染色や型紙染色が中心であり,…手描友禅は,…高度の手工的熟 練と技能を必要とし…,型友禅…は,…量産を可能とした染色方法であるが,質的には 手工的な域を越えるものではな
7
い」とされている。このように,伝統産業における職人 の技術は手工的な技法が用いられ,そのほとんどが道具を通して発揮される。職人の技 は「手仕事」といわれるが,手と一体化した道具なくして技術・技能の伝承・発展は不 可能である。その究極の道具が西陣で「爪掻本綴織」を織る際に使われる織工のギザギ ザの指の爪である。まさに,指の爪が道具となっているのである。
しかしながら,そうした道具類が一部とはいえ,伝統産業各分野の生産量の減少にと もない,確保が困難になりつつある。今後の経済・社会状況を考えると,伝統産業の生 産に必要とされる道具類の入手環境は,より一層厳しくなることが予想される。
また,一度喪失した技術・技法およびそれを支える道具の復活は困難をきわめる。西 陣機業では,昭和
42(1967)年に西陣五百年祭が挙行された折,その記念の一環とし
て空引機の復活がおこなわれた。紋織物を織る際,経糸を操作するのに明治末期にジャ カードが導入・普及するまで使用されていたのが空引機であった。大正初期でもみら れ,消失してからも50
年しか経過していなかったが,この技術・技法の復活は簡単で はなかっ8
たと聞く。
これとは逆に,早い時点で対応すれば,技術・技法および道具類は容易に伝承・確保 される。実際には,次の事例が参考になるであろう。京友禅業においては,糊置きなど 染職人が使用し,戦後一貫して三重県の道具職人により作られてきた先金は,その職人 の死去にともない入手困難に陥っていたが,京都の染職人の手によって復活・再生され ている。
また,西陣機業においても唯一の竹筬職人が亡くなり,その確保が心配されたが,京 都南部の竹細工職人がその技を受け継いで,竹筬の供給が再開されるようになってい る。
いずれも,その道具づくり再興に賭けた人の努力もさることながら,道具類に関する 情報が重要なことを見逃してはならない。すなわち,個人の努力と情報の確保,この
2
つの条件が揃ってはじめて道具類の確保が可能となる。そのためには,当該業種が減退・消滅する前に,代替品も勘案した上で,その道具,さらにはそれを作るための素材・
用具そのものの必要度および道具類作製のための正確な情報を調査しておくことはきわ
────────────
7 中村宏治[4]pp. 6〜7。
8 西陣五百年記念事業協議会編[29]貼付の「新聞記事」および説明文「空引機について」を参照。
同志社商学 第60巻 第5・6号(2009年3月)
2(194)
めて重要である。
京都の伝統産業は,北部の丹後機業から南部城陽の金銀糸業まで幅広く分布している が,近年,どの伝統産業も不振を強いられている。伝統的工芸品に対する生産が低迷す るのにともない,その製造に欠かすことができない道具類等への需要の減少や,道具を 製造する職人の高齢化が進むなどして,伝統産業の技術継承に欠かすことができない道 具類の確保が困難になりつつあるといわれてきたが,正確な状況およびその背景は明ら かにされてはこなかった。この論文は,現在,各伝統産業で使用されてきた道具類の入 手の難易度およびその理由について,京都府と京都産業大学によって平成
18・19
両年 度に実施された「道具類の実態調査」の結果にもとづき考察するものである。この調査は,平成
18(2006)年度には京都の伝統産業として,西陣織分野とともに
産業規模の大きい染色分野を対象に,後に詳述するように計4
品目・11業種を対象に 各1
事業所に訪問調査を行った。なお,同じ染織部門の西陣織分野を調査対象から外し たのは,先行調査が行われ,確保に問題がある竹筬・杼などの道具類や力織機部品につ いて確保に向けた対応策がとられつつあったからである。また,平成
19(2007)年度には京都の伝統産業として染織分野を除く,いわゆる工
芸分野を対象に道具類の調査を実施した。具体的には,工芸分野でも同じく後に詳述す るように,計6
品目・11業種を対象に各1
事業所のみ訪問調査が行われた。なお,すべての品目・業種についての全数調査は困難であからることから,必然的に
1
業種1
事業所という抽出調査がなされている。したがって,この調査結果にもとづ く,京都の伝統産業における道具類の実態についての考察には限界があることに留意さ れたい。Ⅰ 京都の伝統産業とその動向
中小企業庁の『全国の産地−平成
17
年度産地概況調査−』によると,わが国には年 生産額5
億円以上の産地が600
弱存続してい9
るという。これらの地場産業と呼ばれるも ののほとんどは,明治期前に始まった伝統的工芸品産業(以下,伝統産業という)であ る。
1.全国の伝統産業の動向
第二次大戦後におけるわが国伝統産業の歩みを概観すると,高度経済成長期までは,
国内的には所得水準の上昇による消費ブームを追い風に,また産地によっては
1
ドル=360
円の固定為替レートの恩恵による輸出拡大も加わって,生産・出荷は急拡大してい────────────
9 全国中小企業団体中央会[7]p. 3を参照。
京都の伝統産業と道具類(柿野) (195)3
った。だが,高度成長がほぼ終息する昭和
40
年代後半のドルショック・石油ショック を契機に内需・輸出とも不振に陥り,全国の伝統産業は転換点を迎えることになる。わ が国政府は,こうした事態に対して,昭和49(1974)年に『伝統的工芸品産業の振興
に関する法律』を施行して,各地の工芸品を指定し,その生産にかかわる産業の振興を 図ることとした。国である経済産業省から伝統的工芸品として指定を受けるには,
漓主として日常生活の用に供されるものであること 滷製造過程の主要部分が手工業的であること
澆伝統的技術または技法によって製造されるものであること 潺伝統的に使用されてきた原材料であること
潸一定の地域で産地を形成していること の
5
つの要件を備える必要があ10
る。すなわち,経済産業省に,これらの要件を備えてい ることを詳細に記した申出書を提出し,指定を受けることになっている。
その後,申出書を提出し,この指定を受ける伝統産業は,年々増加の一途を辿り,昭 和
51(1976)年に 99
であったものが,平成17(2005)年には 207
にほぼ倍増してい る。しかし,それら指定された伝統産業の年生産額をはじめ企業数や従業者数は,指定 数が増えたにもかかわらず,昭和50
年(1975〜1985)代をピークに,バブル景気の時 期を除いて傾向としてみれば,逆に5〜6
割もの大幅減を余儀なくされてい11
る。
その要因として,漓一層の和風の生活離れ,滷安定成長・低成長にともなう所得の伸 び悩み,澆中国など海外からの競合製品の流入,潺産地の意識・構造改革の遅れなどが 指摘できる。
2.京都における伝統産業の最近の動向
現在,京都府内には,経済産業省から指定を受けた伝統産業は,第
1
表のように,西 陣織,京友禅,京仏壇,京焼・清水焼など17
品目にのぼり,全国屈指の集積状況にあ る。────────────
10 (財)伝統的工芸品産業振興協会[8]pp. 1〜3を参照。
11 拙稿[30]pp. 29〜30を参照。
第1表 京都府内の国指定の伝統工芸品
染織品 西陣織,京友禅,京鹿の子絞,京小紋,京黒紋付染,京くみひも,京繍
諸工芸品 京仏壇,京仏具,京漆器,京指物,京焼・清水焼,京扇子,京うちわ,京石工芸品,
京人形,京表具
資料:『全国伝統的工芸品総覧 平成18年度版』((財)伝統的工芸品産業振興協会)より作成。
同志社商学 第60巻 第5・6号(2009年3月)
4(196)
この京都の伝統産業も,中国が市場経済化し始めた
1980
年代以降,とくに市場経済 化が本格化する1990
年代前半以降は,競合する中国製品の輸入とあいまって,第2
表 に示されるように,その不振は一層顕著となっていった。そして,企業数,従事者数の 減少だけでなく,従事者の高齢化まで招いている。つい最近まで,わが国の製造業において,広く「2007年問題=団塊の世代一斉退職 にともなう熟練技術の喪失」が叫ばれていたが,伝統産業では早くから,伝統的な技術
・技法の維持・継承が問題化していたのである。それは,伝統産業にあっては,定年退 職で表面化したのではなく,生産・出荷の不振を背景に,若手従事者の採用が途切れる とともに,年金を受給しながらも
70
歳でも働くケースもあって従事者の高齢化が進ん でいったのである。こうした従事者,職人の高齢化は,技術・技法の若手への継承難をもたらし,伝統的 な技術・技法の継承が危機にあることを示している。伝統産業は,「製造過程の主要部 分が手工業的であること」「伝統的技術または技法によって製造されるものであること」
を指定の要件としているだけに,伝統的な技術・技法が喪失することは,その製品が
「伝統的工芸品」でなくなることにつながる。
もとより,伝統的な技術・技法の継承は容易ではない。伝統産業,とくに京都のそれ は,一つの伝統産業内部でも,製品別・工程別に社会的な分業のもとに製品作りが行わ れており,技術・技法の継承は
1
企業内部の問題ではなく,産地全体の共通問題だから である。それに加えて,技術・技法の継承問題を複雑にする,いま一つの要因がある。それ は,道具類の入手難である。伝統的な手工技術・技法は,ものづくり職人,すなわち長 年の経験と勘に裏打ちされた技能者の手を通して発揮される。しかし,これまでの長年 の先人達の努力と工夫の結晶である,精緻な技術・技法は,職人の腕だけで発揮される のではなく,その技術・技法に最適な道具類を使いこなすことで達成される。すなわ
第2表 京都府内の国指定の伝統工芸品産業の推移
単位:社・人・百万円 昭和61
(1986)年
昭和63
(1988)年
平成6
(1994)年
平成10
(1998)年
平成13
(2001)年
平成17
(2005)年
企業数 6,787
(100.0)
6,679
(98.4)
4,335
(63.9)
3,624
(53.4)
3,038
(44.8)
2,715
(40.0)
従事者数 53,622
(100.0)
51,604
(96.2)
42,654
(79.5)
30,570
(57.0)
23,188
(43.2)
16,867
(31.5)
年生産額 238,122
(100.0)
237,710
(99.8)
190,062
(79.8)
126,578
(53.2)
98,098
(41.2)
74,063
(31.1)
資料:『全国伝統的工芸品総覧各年度版』((財)伝統的工芸品産業振興協会)より作成。
京都の伝統産業と道具類(柿野) (197)5
ち,職人の高度な技と最適の道具が一体となって最高級品が生産されるのである。先人 達は,ものづくりにあたってその技術・技法に心血を注ぐとともに,その技術・技法を 最大限に発揮できる最適の道具にも工夫を凝らしてきたのである。また,産地の規模が 大きくなると,その道具を作る専門家が登場して,ものづくり職人と一体となって最適 な道具づくりに携わったはずである。まさに,最適な道具は手工生産に不可欠なものな のである。
だが,近年,その道具類の一部が「確保困難」に陥ってきた。その典型が西陣機業に おける竹筬である。それは,生産・出荷の不振から綴織職人の仕事量は激減するが,そ れに比例して竹筬の使用・注文も減少する。すなわち,道具づくりも,他の業種と同じ く一定量の仕事が確保されてはじめて成り立つものの,道具に耐久性があることから,
それが成り立つためには,発注側である伝統産業の規模が一定以上大きくなくてはなら ない。しかし,近年における伝統産業の生産・出荷不振により,道具職人を維持・継続 するだけの規模を割り込みつつあるのである。
Ⅱ 道具類調査の結果
平成
18・19
両年度の実態調査は道具類を中心に原材料等についても実施されたが,本章では道具類に焦点をあてながらその入手の難易度,代替品の有無・状況について,
染色分野と工芸分野に分けて論じてみたい。
1.染色分野に関する結果
平成
18
年度調査として,染色分野の4
品目・11業種を対象に道具類を中心に,さら には原材料等についての聴き取り調査を実施されたが,ここでは,そのうち道具類に限 定してその調査結果を考察する。なお,具体的な調査対象は,染色分野でも手描友禅関係の下絵業,糊置業,挿し彩色 業,引染業,蒸し・水洗業,金彩業(以上
6
業種),型友禅関係の型彫業,型染業(2 業種),京黒紋付染関係の紋章上絵業(1業種),京鹿の子絞関係の染め分け業(桶絞と 帽子絞)(1業種),京繍関係の刺繍業(1業種),計4
品目・11業種であり,各1
事業 所に訪問調査が行われた。当然のことながら,調査対象となった染色分野の
4
品目・11業種では,それぞれ業 種ごとにいくつかの工程があり,各工程ごとに複数の道具が使用されている。手描友禅における下絵業では
6
工程で14
種類の道具,糊置業(糸目糊置)では5
工 程で16
種類の道具,糊置業(伏糊置)では6
工程で7
種類の道具,挿し彩色業では3
工程で23
種類の道具,引染業では5
工程で14
種類の道具,蒸し・水洗業では7
工程で同志社商学 第60巻 第5・6号(2009年3月)
6(198)
19
種類の道具,金彩業では16
工程(技法)で33
種類の道具,型友禅における型彫業 では5
工程で12
種類の道具,型染業では3
工程で16
種類の道具,京黒紋付染における 紋章上絵業では6
工程で20
種類の道具,京鹿の子絞における染め分け業(桶絞)では5
工程で16
種類の道具,染め分け業(帽子絞)では3
工程で6
種類の道具,京繍にお ける刺繍業では9
工程で36
種類の道具がそれぞれ使用されていることが確認できた。それぞれの業種で
10
種類以上の道具が使用され,多い場合には30
種類を越えることが わかる。調査の結果,これらの道具類のうち「入手の困難」と判明した道具およびその代替品 については,第
3
表のようになった。これによれば,染色分野において道具類の一部について「確保が困難」なことがわか る。例えば,糊置業の先金・筒紙,引染業の張り木・竹製伸子,蒸し・水洗業の蒸し枠 用針,型彫業の道具彫刀・砥石桶,刺繍業の繍針である。しかし,これらについては比 較的に若い道具職人・後継者が存在するか,または代替品を活用するなどしており,当 面,問題は深刻な状況にまでは至っていないことが判明した。
また,同じ染色分野でも挿し彩色業・引染業・金彩業・紋章上絵業で多用される筆・
刷毛類についても「確保が困難」なことが指摘されている。たしかに,金彩業・型染業
第3表 染色分野各業種における入手困難な道具類の状況
工程 入手困難な状況にある道具類 代替品等
京友禅(手描友禅)
糊置業 先金,筒紙 ビニール筒
挿し彩色業 挿し刷毛用の平刷毛,片羽刷毛,彩色筆
引染業 張り木,竹製伸子,平刷毛,丸刷毛 グラスファイバー製の伸子 蒸し・水洗業 蒸し枠用針(蒸し枠掛け)
金彩業 山馬筆(秋毛)
箔切台(鹿皮)
山馬筆(夏・冬毛)
箔切台(牛皮)
京友禅(型友禅)
型彫業 道具彫刀 砥石桶(たらい)
工作用刀 各種たらい 型染業 友禅板
各種摺り刷毛
ベニヤ板 国産鹿毛 京黒紋付染
紋章上絵業 上絵筆 京鹿の子絞
染め分け業 桶(桶絞) ビニール
京繍
刺繍業 繍針
出所:京都産業大学『道具類等に係る研究事業報告書(京都府委託調査事業)』平成20 年より転載。
京都の伝統産業と道具類(柿野) (199)7
の筆・刷毛類にみられるように,他の動物の毛を原材料にした筆・刷毛で代替できると いうケースもあるが,「確保が困難」な筆・刷毛類の多くは「道具職人が高齢」であっ たり,筆・刷毛類の使い勝手を大きく左右する「動物の毛」の確保が課題であることが 明らかになった。
その背後には,漓京都をはじめ全国的な和装染色業の生産量の減少にともない,とく に使用頻度の少ない筆・刷毛に対する注文が激減して,当該道具職人の減少,高齢化・
後継者難が進展したこと,滷絶滅のおそれのある野生動物・植物など国際間取引を規制 する「ワシントン条約」の採択以降,世界的な自然保護,環境保護等に向けた各種規制 の実施により,筆・刷毛類の原材料の確保が国際的にも国内的にも制限されたことが指 摘されていた。
2.工芸分野に関する結果
平成
19
年度調査として,平成18
年度の染色分野の調査結果を受けて,工芸分野を調 査した。平成18
年度調査では道具類のなかでもとくに利用度の高い筆・刷毛類の確保 が難しいことが判明した。そこで,工芸分野の聴き取り調査は,6品目・11業種を対象 に筆・刷毛類を中心に行なった。なお,その調査対象は,具体的には京仏壇・京仏具関係の漆塗業(漆師),箔押業,
彩色業,蒔絵業(4業種),京漆器関係の漆塗業,蒔絵・螺鈿業(2業種),京焼・清水 焼関係の陶磁器全般業,絵付業(2業種),京扇子・京うちわ関係の扇面上絵業(1業 種),京人形関係の頭師業(1業種),京表具関係の表具業(1業種),計
6
品目・11業 種であり,染色分野と同じく各1
事業所に訪問調査が行われた。調査対象となった工芸分野の
6
品目・11業種について,筆・刷毛類に焦点をあてて 調査されたため,各業種で使用されている全体の道具類の種類は判明していない。ただ し,後述するように,筆・刷毛以外の道具類についても「入手の困難」な道具に限定し て調査されている。以下,そのことを留意しながら,筆・刷毛類とそれ以外の道具類に分けてその調査結 果をやや詳しく考察する。
(1)筆・刷毛類
当然のことながら,調査対象となった工芸分野の
6
品目・11業種では,それぞれ業 種ごとにいくつかの工程があり,そのうち主要な工程には必ずといってよいほど,筆・刷毛類が使用されている。
全工程数と使用されている筆・刷毛類の種類数を摘記すると,京仏壇・京仏具におけ る漆塗業では
14
工程で3
種類の筆・刷毛類,箔押業では7
工程で14
種類の筆・刷毛同志社商学 第60巻 第5・6号(2009年3月)
8(200)
類,彩色業では
9
工程で10
種類の筆・刷毛類,蒔絵業では9
工程で7
種類の筆・刷毛 類,京漆器における漆塗業では4
技法・22工程で1
種類の筆・刷毛類,蒔絵・螺鈿業 では2
技法・25工程で4
種類の筆・刷毛類,京焼・清水焼における陶磁器業(全般)では
12
工程で4
種類の筆・刷毛類,絵付業では10
工程で8
種類の筆・刷毛類,京扇子・京うちわにおける扇面上絵業では
11
技法で7
種類の筆・刷毛類,京人形における頭 師業では15
工程で4
種類の筆・刷毛類,京表具における表具業では12
工程で4
種類の 筆・刷毛類がそれぞれ使われていることが明らかとなった。このように,1業種を除き
3
種類以上の筆・刷毛類が使用され,多い場合には14
種 類に達していることがわかる。これらの筆・刷毛類の調査の結果,「入手の困難」な筆・刷毛類道具およびその代替 品の状況は,第
4
表に示されている。第4表 工芸分野における「入手困難」な筆・刷毛類の状況 業種 入手困難な筆・刷毛名
(工程) その理由 製造業者の状況 代替品の状況
京仏壇・京仏具
漆塗業 1.5−3寸 下 地 刷 毛(刷 毛地引,色引き)
使い勝手の良い刷毛を 作る職人が死亡
不明だが,他に職人が いる
他 の 職 人 に よ る 代 替 品。ただし,扱いにくい 漆刷毛(布・紙着せ,
中塗り,上塗り)
使用に耐えうる刷毛は 少ない
国内で1軒のみ。後継 者不明
同じレベルの代替品な し
箔押業 特になし 彩色業 特になし 蒔絵業 特になし 京漆器
漆塗業 特になし 蒔絵・
螺鈿業
特になし 京焼・清水焼 陶磁器 全般業
面相(骨描き)筆(下 絵付け,上絵付け)
最適なのが狸毛。傷み が早いため,高価な筆 は不可。イタチ毛は扱 いにくい
府内の1軒を除き不明 日本画用・ロウケツ用 染筆。ただし,扱いに くい。組合で品質・価 格両面をクリアできる 筆を開発中。
絵付業 茶 軸,巻 軸(下 絵 付 け,上絵付け)
府 内 の1軒 が 原 材 料
(イタチの毛)不足と 事業主の高齢化
府内の1軒を除き不明 組合で開発中
京扇子・京うちわ 扇面上
絵業
しけ刷毛(山馬刷毛) 原材料の山馬の毛入手 難に伴い品質が低下の
府内の1軒を除き不明 代替品なし 京人形
頭師業 細 筆(面 相 筆)(置 上 げ,開眼)
最適の細筆が入手不可 目かき用・毛がき用細 筆の製造業者は不明
一 般 の 筆・中 国 製 の 筆。ただし,最は少ない 京表具
表具業 特になし 出所:第3表と同じ。
京都の伝統産業と道具類(柿野) (201)9
注目されるのは,工芸分野においては「入手困難」な筆・刷毛類が意外に少なかった ことである。筆・刷毛類で「入手困難」と回答したのは,京仏壇・京仏具の漆塗業,京 焼・清水焼の陶磁器(全般)業,絵付業,京扇子・京うちわの扇面上絵業,京人形の頭 師業の
4
品目の5
業種に過ぎなかった。まず,京仏壇・京仏具の漆塗業(漆師)では下地刷毛・漆刷毛が「入手困難」と指摘 している。1.5寸〜3寸の中国産の鹿毛の下地刷毛について「製造していた職人が死亡 したため,現在は大切に使用していて問題ないが,将来的にその調達が難しく…なるの ではないか」と不安視している。ただし,「扱いにくい」という欠点があるものの,代 替品として他の職人製作の刷毛があるという。また,漆刷毛も「製造業者は国内で
1
軒 しかなく,後継者も未定と聞いている」とともに,「使用に耐えうる刷毛は少ない」と している。なお,京漆器の漆塗業では同じく漆刷毛を使用しているが,「品質の良い先 代製作の漆刷毛をかなり所有しており」,現時点では確保に「問題なし」という。京焼・清水焼では下絵付・上絵付の工程を中心に筆を使用するが,陶磁器全般業,絵 付業とも筆の「入手困難」が指摘されていた。とくに,絵付業でも盛り上げに最適な
「茶軸」,主に骨描きに用いる「巻軸」の筆が「入手困難」という。それは,これらの筆 を作ってきた筆職人が「原材料(中国産イタチの毛)不足と事業主の高齢化」から「製 作できなくなった」ためという。代替品があるものの,使い勝手は「茶軸」「巻軸」に 及ばないとのことであった。
京扇子・京うちわの扇面上絵業でも「しけ刷毛」が原材料である「山馬の毛が入らな くなり,他の毛が増えて使い勝手が悪くなった」としている。また,「製造業者も高齢 で,かつ
1
軒しかなく,後継者もいない」ことが不安という。なお,この山馬の「しけ 刷毛」に代わる良質な代替品は「ない」とのことであった。京人形の頭師業ではまゆ毛や眼を描くのに最適の細筆(面相筆)は「入手困難」にな ったという。現在は,一般の筆・中国製の筆など代替品を使用しているが,「当たり外 れ」があるという。
以上,筆・刷毛類について調査結果をやや詳しく紹介してきたが,刷毛については,
とくに,漆刷毛,しけ刷毛(山馬刷毛)は,漓道具職人が少なく高齢化しており「後継 者がいない」こと,滷原材料の品質が低下し,原材料の入手が困難になっていること,
澆有力な「代替品がない」こと,から「入手の困難」な状況が深刻であるといえよう。
また,「確保困難」な筆としては,面相(骨描き)筆(陶磁器全般業,頭師業),「茶 軸」・「巻軸」の筆(絵付業)が確認された。同じ筆でもそれぞれその種類が異なるもの の,いずれも細筆である点が共通している。ものづくり職人にとって,同じ線でも細い 線を描くことが最も難しく,最高の技と細心の精神とともに,最高の道具が求められる のであろう。ただし,いずれも使い勝手などで「扱いにくい」という問題があるもの
同志社商学 第60巻 第5・6号(2009年3月)
10(202)
の,代替品は存在しているという。
(2)筆・刷毛類以外の道具類
今回は,筆・刷毛類を中心に調査した。だが,同時に筆・刷毛類以外の道具類につい ても,「入手が困難」な道具とその代替品に限定して調査を行った。その結果を抽出し たのが第
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表である。これによれば,工芸分野において,筆・刷毛類以外で「確保の困難」な道具類を指摘 した業種は少なかった。京仏壇・京仏具の漆塗業,箔押業,蒔絵業と京焼・清水焼の絵 付業の僅か
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品目・4業種であった。京仏壇・京仏具では,漆塗業の駿河炭,箔押業の古綿,蒔絵業の真綿と角粉が「入手
第5表 工芸分野における「入手困難」な筆・刷毛類以外の道具類の状況 業種 入手困難な道具名
(工程名) その理由 製造業者の状況 代替品の状況 京仏壇・京仏具
漆塗業 駿河炭(下塗り研ぎ,
中塗り研ぎ)
原木の切り手がいない 国内に1軒 クリスタル砥石。ただ し,輝きが違う 箔押業 古綿(漆拭き) 将来の入手不安 製造業者が国内に1軒
のみ
漆ワイパー。扱いにく い
彩色業 特になし
蒔絵業 真綿(粉蒔き) 製造業者が不明 製造業者が不明 代替品なし 角粉(粉磨き) 製造業者が不明 不明 呂色粉。問題なし 京漆器
漆塗業 特になし 蒔絵・
螺鈿業
特になし 京焼・清水焼 陶磁器 全般業
特になし
絵付業 鉄筆(上絵付け) 製造業者なし 製造業者なし 骨筆。問題なし ロッカ(みがき棒)
(磨き)
買置きがなくなった後 が心配
製造業者なし 「め の う」や ペ ー パ ー。ただし,鈍い光沢 になる
金猪口(上絵付け) 最適な口径3 cmが な い
九谷で別サイズを製造 別サイズの金猪口。問 題なし
京扇子・京うちわ 扇面上
絵業
特になし 京人形
頭師業 特になし 京表具
表具業 特になし 出所:第3表と同じ。
京都の伝統産業と道具類(柿野) (203)11
困難」であるという。まず,漆塗業を営むこの事業所は,駿河炭について「現在,大量 の在庫を持っている」ものの,全て使用した後「炭職人は存在するものの,原木(あぶ ら桐)を切る人がいない」として,その将来の確保を懸念している。なお,代替品とし てクリスタル砥石があるが,研ぎの「輝きが違う」とのことであった。
箔押業でも古綿は,「現在,かなり買い置きがある」ものの,買い置きがなくなった 時「国内では古綿業者
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軒のみ」で,代替品として「市販の漆ワイパー,クロスワイパ ー(ガーゼ)があるものの,1〜2回しか使えないなど扱いにくい」という。蒔絵業では,鹿の骨を粉末にした角粉は,「在庫がある」ことから当分は間に合うも のの,その生産に「手間がかかるため作る人がいない」ことから,「新規購入が難しい」
とのことであった。ただし,代替品としての呂色粉は「問題なく使用できる」という。
京焼・清水焼においては絵付業で「確保が困難」な道具類として鉄筆と金猪口,ロッ カの
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点が指摘された。だが,いずれも「十分使用できる」代替品があるという。このように,工芸分野における筆・刷毛以外の道具類について「入手困難」なケース をみてきたが,漓それを指摘した業種は少ないこと,滷その道具も駿河炭,古綿,真 綿,角粉,ロッカといった「研ぎ」「磨き」の工程に使用する道具や,金猪口という副 次的な道具が多ったこと,澆角粉→呂色粉,鉄筆→骨筆,3 cm金猪口→6 cm金猪口の ように代替品で「問題ない」ケースや,駿河炭,古綿,真綿,ロッカについては使い勝 手・仕上がりの点で完全ではないにしても,一応の代替品が存在していること,などが 明らかになった。
Ⅲ 道具類確保難の背景と影響
京都の伝統産業における道具類に絞ってその入手の難易について考察してきた結果,
道具類の一部について,確保の困難なケースや代替品が不可能なケースなどがあった。
1.道具類確保難の背景
道具類確保難の原因として,大きく次の
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点が指摘される。第一は,京都の伝統産業における生産量の減少にともなう道具類に対する需要減であ る。その結果,道具職人やメーカーの仕事量が減り,事業所の減少,職人の高齢化,後 継者の確保難が生じる場合である。その典型事例として,引染業の竹製伸子,染め分け 業(桶絞り)の桶,京繍の刺繍業の繍針,京仏壇・仏具の漆塗業の下地刷毛・漆刷毛,
駿河炭,蒔絵業の角粉,京焼・清水焼の絵付業のロッカ,京扇子・京うちわの扇面上絵 業のしけ刷毛(山馬刷毛)などが指摘できよう。
第二は,世界的な自然保護・環境保護に向けた政策・規制の実施である。もちろん,
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この原因が単独で引き起きるのではなくて,他の要因と複合して生じるケースもある。
道具職人の高齢化・後継者の確保難とともに,ワシントン条約・BSE問題に対する規 制の実施により,とくに動物・植物を直接の素材とする道具類は,これらの複合的な要 因から「入手が困難」となる。その典型例は,染色分野における手描友禅の挿し彩色業
・引染業・金彩業,京黒紋付染の紋章上絵業および,工芸分野における京仏壇・京仏具 の漆塗業,京焼・清水焼の陶磁器全般業・絵付業,京扇子・京うちわの扇面上絵業,京 人形の頭師業などで使用される筆・刷毛類である。
いずれにしても京都の伝統産業においては少なからぬ道具類確保問題が惹起してお り,このまま推移すれば,その技術・技法すら失いかねず,これまでの高度,かつ精緻 な製品づくりに支障をきたす恐れが十分にある。すなわち,今回の調査結果からは,実 際の京都の伝統産業の技術・技法の伝承難以上に,とくに道具類の伝承・確保は困難で あると推察される。
今,若者の間に「職人ブーム」がある。京都伝統工芸大学校には全国から多くの応募 者が集まると聞く。また,各種伝統産業関係の事業所に直接に「弟子入り」を頼み込む 者が後を絶たないという。なかでも作家志望の若者は,非常に多い。感性を生かして最 終製品を製作する仕事には相変わらず志望者が多いだけでなく,親から子息・子女へと 技術・技法が受け継がれるケースも比較的に多い。それも,最近の傾向であるが,他の 簡単な仕事をアルバイト・パートという雇用形態で兼業・兼職しながら修練に励んでい るのが今日的な特徴である。第二次大戦前は,小学校卒業後,丁稚奉公しながら技術・
技法を学んだ。戦後は,中学・高校卒で寮などでの共同生活の中でベテラン職人・先輩 職人に学び,技術を磨いていった。賃金支払の有無の違いはあるものの,いずれの場合 も専業であった。今は,こうした時代と対照的となった。
これに対して,完成品生産に必要不可欠の関連工程分野になると,携わりたいという 若者は大きく減る。ましてや「道具職人になりたい」という若者は皆無に近い。また,
現事業主自体が子息に事業の継承を勧めないし,「勧めなくて良かった」という。その 結果,一部の道具を除いて道具作りに今関わっている職人はごく少数で,高齢化してお り,後継者もきわめて少ないのである。
京友禅や京焼・清水焼,京扇子において,その最終的な加工はほぼ京都市内で行なわ れている。だが,その最終的な加工に必要な道具類だけでなく原材料等となると,他地 域との関連が強まる。例えば,原材料等については周知のように,京友禅の素材の白生 地は京都府北部丹後や滋賀県湖北長浜から,本青花は滋賀県草津から,京焼・清水焼の 原料土は滋賀県の信楽から,京扇子の扇骨は滋賀県安曇川からそれぞれ供給されてき た。道具類についても今回の調査により,竹製伸子は奈良県から,各業種で多用される 筆や刷毛の素材,すなわち動物の毛は北米・中国からも調達されるなど,京都の伝統産
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業のコントロールの及ばない地域的な広がりをみせていることが明らかとなった。
2.道具類確保難の影響
こうした道具類確保難について,次のようなケースも散見された。
まず,第一は,その道具類が供給されなくても,代替品によって十分に機能が維持さ れることの多いことが判明した。例えば,染色分野では下絵など使う本青花は化学青花 で代用されている。また,型彫の砥石桶はプラスチックたらいで,帽子絞りで使う竹の 皮は塩化ビニールでそれぞれ代替できるし,工芸分野でも蒔絵で使用する角粉は呂色粉 で,京焼・清水焼の絵付け後のはみ出た部分を削る鉄筆は骨筆で,金銀彩絵具の艶を出 すのに使うロッカ棒はめのうやペーパーで,それぞれ代替が可能という。
それ以外に,代替品がなくても他の技法を使えばクリアできるケースもある。例え ば,議論のあるところであるが,型染の型置一般で丸刷毛およびその代替品がなくても スプレーガンで微妙なぼかしは無理としても可能とのことであった。
ただし,そうした意識・考え方は,かっては職人であったが,現在はどちらかっとい うと経営者に近い立場の人々がそうであった。逆に,現在でも最前線で職人として高度 の技術・技法に取り組む人々は,やはり道具類へのこだわりが強かった。
第二は,併せて伝統産業に直接に携わるの事業所以外に,関連業者についても調査し たが,道具店や各種道具製造業者の中には京都の伝統産業に限定せずに,全国の産地・
職人を相手にしていることである。また,用具店や各種道具製造業者の中には,さらに プロの職人からの注文減に対して,意外と素人のホビー(趣味人)の方々からの需要が あって売上をカバーしているところもある。場合によっては,全国に散在するホビー向 けに通信販売用カタログを作成して積極的に需要を開拓している業者もいる。いずれに しても,こうした経営安定を目指した取扱店の取組みは道具類確保のあり方のヒントと なる。
このように,一部であるが,道具類を需要する側および供給する側,いずれも道具類 の確保の先行きにやや明るい見通しを持ち,積極的に対応しているのである。
しかしながら,他方で,とくに道具類の伝承・確保が喫緊の課題であるケースもみら れる。具体的には,各種の筆・刷毛類については,伝統産業の多くの品目・業種で使用 されており,かつ単に道具に対する注文減や道具職人の高齢化だけでなく,世界的な環 境保護の高まりの中で,素材としての動物の毛の確保が困難になりつつあることも重な って,その維持・確保が最重要課題となっているといえよう。
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お わ り に
本稿は,京都府と京都産業大学によって平成
18・19
両年度に実施された「道具類の 実態調査」の結果にもとづき考察したものである。平成
18(2006)年度は,京都の伝統産業のうち,染色分野について広くその道具類
を対象に調査を実施した。その結果,「入手が困難」だけれども,比較的に若い道具職 人・後継者が存在するか,または代替品を活用するなどで,「特に問題がない」道具類 があった。しかし,他方では,筆・刷毛類のように,漓染色業界の生産量の減少に伴な い,使用頻度の少ない筆・刷毛に対する需要が激減して,当該道具職人が減少するとと もに,高齢化・後継者難が進んだこと,滷ワシントン条約の採択以降における世界的な 自然保護,環境保護等に向けた各種規制の実施に伴ない,筆・刷毛類の原材料の供給が 制限されたことから,その確保が将来に向けての課題であることが明らかになった。
平成
19(2007)年度は,染織以外の工芸分野の伝統産業を対象に,主にこの筆・刷
毛類に絞って聴き取り調査を実施した。その結果,筆・刷毛類で何種類かが「確保困 難」な状況が明らかとなった。すなわち,刷毛では下地刷毛・漆刷毛(漆塗業),しけ 刷毛(山馬刷毛)(扇面上絵業)が,筆についてはいずれも細筆である面相(骨描き)
筆(陶磁器全般業,頭師業),「茶軸」・「巻軸」の筆(絵付業)が「入手が困難」と確認 された。このうち,漆刷毛としけ刷毛(山馬刷毛)については,漓需要の激減を背景に した道具職人の激減・高齢化と後継者難,滷原材料となる毛の品質低下・入手難,澆有 力な代替品がないことなどから,その対応が求められていることが判明した。
ただし,こうした筆・刷毛類をはじめ最適な道具類の「入手が困難」な状況に対し て,是非とも「確保すべきであり,そのための施策を採るべきである」という意見ある 一方,他方では,異論のあることにも留意しなければならない。その第一は,代替品が ある場合,「新たな道具類は使いこなせば,従来の道具の代替品に十分なりうる」とい う意見である。「従来からの最適の道具がなければ,製品の品質が低下する」と危惧す るベテランの伝統産業職人に対して,若手のものづくり職人や現場の一線から退いた経 営主などに代表される意見である。極端な場合には,その「代替となるものが道具では なく,機械や装置であっても良いのではないか」とする意見すらあった。
第二は,伝統産業に最適の道具類の確保の重要性を認識しつつも,むしろ伝統産業に 対する需要拡大が最優先課題であり,道具類の確保問題はその結果であるという考え方 である。すなわち,伝統産業に対する需要を活発にして伝統産業の仕事量が増えれば,
それに必要な道具類や原材料等も自ずと確保されることから,何よりも需要拡大に力を 注ぐべきであるという意見である。
京都の伝統産業と道具類(柿野) (207)15
ただし,現行の「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」にもとづいて「伝統工芸品」
の指定や「伝統工芸士」の資格を得るには,やはり伝統的な技術・技法にもとづき定め られた道具類を使用することが義務づけられている。このこうした制度に沿って伝統産 業の振興・再生を図るのであれば,やはりこれまで使用してきた伝統的な道具類だけで なく,さらに伝統的な原材料等を確保しなければならないことも忘れてはならない。
引用・参考文献
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