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多文化主義社会とマイノリティー文学 ― ヘレン・ デミデンコ事件の場合

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多文化主義社会とマイノリティー文学 ― ヘレン・

デミデンコ事件の場合

著者 有満 保江

雑誌名 言語文化

巻 4

号 1

ページ 57‑88

発行年 2001‑08‑20

権利 同志社大学言語文化学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004359

(2)

多文化主義社会とマイノリティー文学

――ヘレン・デミデンコ事件の場合

有 満 保 江

はじめに

現代のオーストラリア社会を語るには、「多文化主義」を抜きにして語る ことはできないだろう。かつてオーストラリアは「白豪主義」という有色人 移住者・難民の移住を排除する差別的な移民政策を掲げていたが、そのオー ストラリアが、「白豪主義国家」とはまったく正反対の「多民族・多文化国 家」へと変貌を遂げることになったのは第二次世界大戦以後のことである。

第二次世界大戦後、オーストラリアは大量移民政策を実施した。大量移民政 策を実施することになった主な理由としては、第二次大戦中に本土が日本軍 によって攻撃されたために大陸防衛強化作戦を計画したこと、そして戦後の 経済復興と経済成長を促進するために大量労働力を必要としたことなどがあ げられよう。つまり戦後のオーストラリアは、軍事力と経済力を強化するた めに人口を増やすことが必要だったのである。

大量移民受け入れの対象となったのは英国系移民のほかに、非英語系ヨー ロッパ人の移民や難民である。1950年代60年代にはギリシアやイタリアなど 南ヨーロッパから、さらには旧ユーゴスラビアなど東ヨーロッパからの移民 の受け入れが認められた。その後、60年代後半からはトルコ、レバノンなど 中近東から移民を受け入れるようになるが、このとき実質的に「白豪主義」

は解体したと考えられる。その後、ベトナム戦争終了後の70年代後半からは インドシナ難民が大量に受け入れられるようになり、オーストラリアにおけ る「白豪主義」はもはや過去のものとなる。しかし、「白豪主義」の解体へ と向かわせたもうひとつの要因としては、戦後のオーストラリアにとって当

「言語文化」4-1:57−88ページ 2001.

同志社大学言語文化学会©有満保江

(3)

初の軍事力強化というよりも、極東アジアや東南アジアとの経済関係の強化 が次第に重要となり、アジア人排斥をにらんだ「白豪主義」がその障害にな ったこともあげられよう。そして1975年の「人種差別禁止法」によって「白 豪主義」が解体し、70年代に移民相によって唱えられた「多文化主義 (マル チカルチュラリズム)」が1980年代になって実社会に浸透し、オーストラリ アが名実ともに「多文化主義社会」として誕生することになるのである。

「多文化主義」とは、そもそも多様な文化が共存する社会でにおいて、主 流派がマイノリティーを吸収する「同化主義」はもはや効果的ではないとし、

多様なグループがそれぞれの伝統文化や言語や、宗教を維持するという「統 合主義」を唱えるものである。つまりは「政治的、社会的、経済的、文化・

言語的不平等をなくして国民社会の統合を維持しようとするイデオロギーで あり、具体的な一群の政策の指導原理」である(1)

そして「多文化主義」の政策として、さまざまな地域からの移民の伝統的 な文化や言語、生活習慣を保護し維持するために、中央政府が積極的に多文 化教育、多言語教育、さらには多言語・多文化放送などの公共援助を行った り、行政における通訳や多言語出版物の配布などのサービスなどを実施して いる。しかも「人種差別禁止法」、「アファーマティブ・アクション(積極的 差別是正措置)」の導入によって、マイノリィティーの教育や職業による社 会参加を促進し、非英語圏からの移民がオーストラリア社会においてできる だけ文化的摩擦のない生活ができるようにさまざまな配慮がなされているの である。つまり、「多文化主義社会」では国の政策としてマイノリティーの 権利を保護するために積極的な援助、補助が実施されているのである。

このような「多文化主義」政策を実施しているオーストラリア社会の状況 を踏まえたうえで、以下にオーストラリアにおける文学の現状について述べ てみることにする。

* * * * * * * *

オーストラリアにおける文学は、1788年の入植以後、植民地時代、ポスト 植民地時代、そしてふたつの世界大戦を経て、1970年代の「多文化主義」政 策を導入するまでさまざまな変化を遂げてきた。かつてオーストラリアの作

(4)

家たちは、オーストラリア人としての統一したアイデンティティーを追求す ることに専念し、とくにイギリスの伝統から切り離されたオーストラリア文 学の独自性を確立ことに心を傾けた。しかし、「多文化社会」を迎えて以後、

「主流」としてのアングロ・ケルティック系に加えて、「非主流」であるヨー ロッパやアジア、そして中近東などを含めた世界各地からの移民、それにオ ーストラリアの先住民アボリジニが、個々の歴史や文化を反映させた個性あ ふれる文学作品を生みだすようになってきている。オーストラリア文学に

「多文化文学 (multicultural writing)」という新しいジャンルの出現である。

「多文化文学」の出現は、ポストモダンの時代と呼ばれる現在(2)、世界的 規模で進行している民族、情報、経済などのグローバル化の動きと並行する ものである。多文化文学そのものは、「ポストコロニアリズム」(3)の文学理論 でも説明されるように、従来の一極中心型、あるいは欧米中心型の価値観に 囚われるものではなく、多極化/細分化され、価値の多様化への流れを反映 するものである。すなわち、多文化社会においては、「主流」「非主流」とい うかつての二元的な文化の構図が崩壊し、「非主流」であった複数の文化が 同一社会のなかで「主流」と同等にその存在を主張し、その結果、多元的な 文化状況が生みだされているというわけである。

つまり、現在のオーストラリアでは、アングロ・ケルティックの文化が

「中心」に位置するのではなく、マイノリィティーの文化が「主流」と同等 の 位 置 に お か れ 、 そ れ ぞ れ の 文 化 が 中 心 を 持 つ 多 様 な 文 化 の 「 混 合 体 (hybridity)」がオーストラリア文化を形成しているということになる。した がって、オーストラリアにおける文化的アイデンティティーは、かつてのよ うにアングロ・ケルティックを中心に「統一的」に捉えられるのではなく、

「ポストコロニアリズム」の文学理論が説く、「混合体」における「差異 (difference)」によって捉えられるようになっている。すなわち、オーストラ リアにおける文化的アイデンティティーは、個々の文化にそなわっている

「本質(essence)」によって決定づけられるのではなく、「他者(other)」とのあ

いだに示される「差異」によって決定づけられるものであり、理論的には

「反本質主義(anti-essentialism)」あるいは「唯名論(nominalism)」と呼ばれる ものである(4)

(5)

オーストラリアにおいて、移民や先住民アボリジニが作品を書き、注目さ れるようになったのはここ10年のことある。彼らはそれ以前にもむろん作品 を書いていたが、オーストラリア社会の彼らの作品に対する注目度は、非常 に低かった。レバノン系の父親とイギリス系の母親を持つ作家ディヴィド・

マルーフ(David Malouf)は、最近の小説『夢のこと (Dream Stuff) 』(2000)を 出版した際の対談のなかで、オーストラリアが「多文化主義政策」を掲げる 以前は、自分の「エスニシィティー」(5)をそれほど意識することはなかった が、多文化社会となって自分がレバノン系であることをより意識するように なったと語っているが(6)、「多文化主義政策」によって移民作家が、自分自 身の属する「エスニシティー」に目覚めさせられたということであろう。

そして最近では批評家たちの多くは多文化主義を反映すべく、マイノリテ ィー作家の作品に描写される文化的「差異」や「符号」に強い関心を寄せる ようになり(7)、それゆえに、文化的「差異」あるいは「符号」を持たないア ングロ・ケルティック系作家の作品にはあまり関心を示すことがなくなって きている。

このような状況のなかで、オーストラリア文学にはかつては考えられなか った問題が起きている。作家によるアイデンティティーの偽称である。アン グロ・ケルティック系作家が、たとえばアボリジニなどのマイノリティー作 家を装ったり、またマイノリティー作家が異なるマイノリティーを装うなど のケースがひんぱんに起きているのである(8)

1995年 に オ ー ス ト ラ リ ア 社 会 を 騒 が せ た 「 デ ミ デ ン コ 事 件 (The Demidenko Affair)」は、アイデンティティーの偽称の代表的な例であろう。

この事件は、ヘレン・デミデンコ(Helen Demidenko) というウクライナ名を 持つ作家が、ウクライナの歴史を扱った小説『署名した手 (The Hand that Signed the Paper)  』(1994)を書き、国内における重要な文学賞のほとんどを 受賞したというものである。しかし実際、この作品を書いたのはウクライナ 系移民ではなく、アングロ・ケルティック系の移民の娘であることが判明、

アイデンティティー偽称として社会問題にまで発展したのである。当論では この「デミデンコ事件」に注目し、この作品とアイデンティティー偽称によ って明らかにされたオーストラリアにおける多文化文学の現状、そして多文

(6)

化社会におけるマイノリティー文学の問題について論じてみたい。

1 ヘレン・デミデンコ事件

ヘレン・デミデンコは1994年に最初の小説『署名した手』を発表した。こ の小説は原稿の段階で新人の作家に与えられる「オーストラリアン/ヴォー ゲル文学賞(the Australian-Vogel Literary Award)」を受賞し、1994年にはじ めて単行本として出版された。さらにこの国で最も権威のある文学賞「マイ ルズ・フランクリン賞 (Miles Franklin Award)」(1994年度)を、1995年には

「オーストラリア文学会ゴールド・メダル(Australian Literature Society-Gold

Medal) 」を受賞し、作家として最高のデビューを果たした。しかしこれら

の賞を受賞したのち、この作品は内容がユダヤ人差別であるとして問題視さ れ、また作品に描かれたウクライナの歴史の信憑性が問われることになった のである。加えて、彼女が文学賞を受賞したときのインタヴューの際に、自 らをその名前が示すようにウクライナ人であると公言していたが、のちに彼 女はウクライナ人ではなく、アングロ・ケルティック系の移民の娘、ヘレ ン・ダーヴィル(Helen Darville)であることが判明したのである。その後、

この作家のアイデンティティと作品の評価をめぐってさまざまな議論が展開 されることになったのである。

『署名した手』という作品は、現代のオーストラリアの都市ブリスベーン

(Brisbane) と、第二次世界大戦中、ポーランドとウクライナがドイツの占領

下にあった東ヨーロッパが舞台となっている。物語はブリスベーンに住む語 り手、フィオナ・コヴァレンコ(Fiona Kovalenko)によって展開され、中心 となる登場人物はウクライナ人家族、すなわち語り手フィオナの父親とその 兄ヴィタリー (Vitaly) である。フィオナは、父親と叔父ヴィタリーのたどっ た過去の歴史について語るが、とくに小説の前半では1930年代のウクライナ 地方で起きた食糧飢饉で、ウクライナ人が強いられた苛酷な体験が詳細に描 写されている。そしてこの飢饉は、実はスターリンとユダヤ人によって人為 的にひき起こされたものであるとされ、1941年にドイツのナチがウクライナ を占領したとき、二人の兄弟はナチスの親衛隊に入り、ゲットーやキャンプ にいるユダヤ人たちの殺戮に加わる。ウクライナ人によるユダヤ人、そして

(7)

共産主義者に対する報復である。やがて兄弟の妹は、ナチスの親衛隊将校の 愛人となり結婚、フィオナの父親とその兄はオーストラリアへ移住すること になる。しかし、今や年老いてしまった叔父ヴィタリーが戦争犯罪人として オーストラリア政府から告訴されている、という筋書きになっている。小説 は残虐な暴力シーンの連続で綴られている。

作品の語り手フィオナ・コヴァレンコは、ウクライナ名をもつ作家本人と 解釈されてもなんら不思議のない人物として描かれている。作家自身も公の 場で、小説は幼い頃から自分の家族や友人から聞いた話をベースに書いたも のであると語り、この作品は「半分は事実に基づくものであり、半分はフィ クション」であると語っている(9)。そしてヘレン・デミデンコはウクライナ 人作家としてさまざまなメディアを通じて知らされたのである。

デミデンコのアイデンティティ偽称が明るみにでて、オーストラリアのメ ディアは、1993年から95年にかけてほとんど毎日のようにこの話題をとりあ げ、その記事が『デミデンコ・ファイル(The Demidenko File)』(10)として出 版されたほどである。『デミデンコ・ファイル』に掲載された記事は、国内 外から寄せられた一般読者を含め、批評家やジャーナリストなどの膨大な数 の意見が含まれ、この問題がいかにオーストラリア人の関心を引いたかを物 語っている。たとえば、この事件を単に「作家に裏切られた」として怒りを 表わす一般読者、作品のなかに描写されている内容について歴史的信憑性を 問う歴史学者、また作品の内容が反ユダヤ的傾向を帯びているとしてこの作 家を人種差別主義者であるとするユダヤ系移民などが、それぞれの立場で発 言をし、この作家と作品をめぐっての議論は止まるところがなかった。しか もそれに加えて、作家の剽窃問題もでてくるなど、この作家のひき起こした 騒動は前代未聞のスキャンダルに発展していったのである(11)

しかしながらこの騒動は単なるスキャンダルではなく、多文化社会におけ る文学のさまざまな問題を提起していると思われる。たとえば、小説/フィ クションのなかで歴史的描写がどのように扱われるべきであるか、小説/フ ィクションのなかで語られる人種差別的な発言は糾弾されるべきか、さらに は作家のアイデンティティーが作品の価値にはたして影響するのかどうかと いう問題が問われたのである。そして、多文化社会におけるマイノリティー

(8)

文学の評価についても重要な問いかけがなされたのである。次章においては まず、『署名した手』をめぐる審査員や批評家たちの評価の経過を追ってみ ることにする。

2 『署名した手』をめぐる評価

『署名した手』をめぐる評価は審査員のなかでもはじめから賛否両論があ った。評価した審査員のひとりでシドニー大学学長レオニー・クラマー

(Leonie  Kramer)は、『署名した手』は「非常によく書かれた本である」と したうえで、「この小説は人間の悲劇を扱ったものであり、また戦争中にい やおうなしに巻き込まれるに至った事件について書かれたものである。こう した経験を強いられた人々は非常につらい思いをしなければならなかっただ ろうし、その罪の意識も大きいものであったと考える」(12)というコメントを 残している。また彼女は「マイルズ・フランクリン賞」の審査にも携わり、

審査員全員の評価として次のようなコメントを発表している。

オーストラリアの退屈きわまりない生活について語る小説とは対照的 に、移民の経験について語る小説は、現在のオーストラリアのフィク ションにおいて高い位置を占めているように思われる。とりわけ、そ うした作品には20世紀に起きた重要な歴史的事件を直接経験した人た ちの文化の記憶が綴られている点において興味深いものである(13)

クラマーを含める「マイルズ・フランクリン賞」というオーストラリアで 最も権威ある文学賞の審査員たちは、『署名した手』を「移民の経験につい て語る小説」としてアングロ・ケルティック系作家の平凡な作品よりも高く 評価し、しかも作者を「20世紀に起きた重要な歴史的事件を直接経験した人」

であるとして重要視しているのである。つまり、これらのコメントから、こ の作品に対する審査員たちの関心が、「移民作家」とその「文化的背景」、

「歴史的体験」にあることが窺えるのである。

一方、原稿の段階で新人の作家に与えられる「オーストラリアン/ヴォーゲ ル文学賞」の審査員のなかには、この作品の出版を拒否する編集者もいた(14)

(9)

彼らが出版を拒否した理由は、主としてこの作品が反ユダヤ的人種差別の色 彩の濃い作品であるということに基づくものだが、ブライアン・カストロ

(Brian Castro) のようにはじめからこの作品の文学的質に疑問を抱く者もいた(15)

しかし、こうした反対の声があがっているにもかかわらず、結局この作品は 1993年9月に新人の未出版の作品に与えられるオーストラリアン/ヴォーゲル 文学賞を受賞、1994年には単行本として出版され、そして1995年の7月には

「マイルズ・フランクリン賞」を受賞したのである。

「マイルズ・フランクリン賞」の設立者マイルズ・フランクリンは、この 賞の設立にあたり、この賞は「文学的質が高く、オーストラリアの生活のあ らゆる側面を投影している作品に捧げるものである」(16)としている。この賞 の趣旨を考慮にいれると、デミデンコの作品の文学的質が評価されたことは もちろん、ウクライナ系移民の生活や歴史を扱っていることが、現在の多文 化社会オーストラリアの文化的特質を示しているということになり、それが すなわち「オーストラリアの生活のあらゆる側面を投影している作品」とい う評価につながったと解釈できよう。

しかし、デミデンコがウクライナ人ではないことが判明して以後、彼女の 作品を評価した審査員たちの多くは口を堅く閉ざしてしまったのである。数 少ない発言のなかから窺える審査員たちの姿勢は、「重要なのはこの作品そ のものであって、作者のアイデンティティは重要ではない」(17)というもので、

審査員たちは作品が多文化的背景をそなえた作家によって書かれたという理 由で賞を与えたのではなく、作品そのものを評価したものであることを強調 している。むろん、この発言の内容は、先述の審査員たちの文学賞の受賞理 由として与えたコメントの内容と矛盾している。

一方、同じく彼女の作品を当初評価していたジャーナリストであり伝記作 家でもあるデヴィッド・マー(David Marr)は、審査に直接加わっていないも のの、新人に与える「オーストラリアン/ヴォーゲル文学賞」をデミデンコ に授与する役割を果たしており、今回の事件が発覚した際に、審査員とは異 なり自らの見解をはっきりと表明している。マーの主張は、

私は彼女の作品を読む前に、この作家の家族が経験した話に完全に魅

(10)

了されてしまったようである。彼女の作品に興奮を覚えたのは彼女の 作品がオーラル・ヒストリーとしての正統性をそなえているからであ る。…今これがまったくのナンセンスであることをがわかったので、

私は作品を読み直さなければならない……(18)

というものであり、彼は作品を「オーラル・ヒストリー」として捉え、デミ デンコ/ダーヴィルの「エスニシティー」の正統性を重要視していることを 明らかにしたのである。つまり、実際に経験をした人の話をもとに書かれて いるがゆえにこの作品には臨場感があり、作品のなかに「正統性」が読みと れるというものであって、作家のアイデンティティーと作品の価値が大いに 関係するという立場をとっているのである。したがって、作家がウクライナ 人でないことが判明すれば、作品を読んで得た感動はまがい物であるという ことになる。結局、マーのような作品の読み方をした批評家や読者は、アイ デンティティーの偽称が発覚すると、作品を書いた作家と作品に賞を与えた 審査員をきびしく批判することになるのである。つまり、作家のアイデンテ ィティーと作品の価値は多いに関係しているということである。

さらにこの作品を歴史的な視点で批判している歴史学者がかなりいる。こ の作品に描かれた第二次大戦下におけるウクライナの状況は「歴史的信憑性」

に欠ける、というものである。たとえばアメリカの歴史学者フェリックス・

グロス(Felicks Gross) は次のように述べている。

この本は、ある意味ではウクライナの過去を単純化してしまい、また 歴史的事実をねじ曲げているものである。小説自体はよくかけており、

興味をそそるものであるが、著者は自分が書いたものに道義的な責任 がある。まちがいなくこの本にはさらなる事実の調査を加えるほうが 得策だと考える。どこの国の歴史も一枚岩ではないものだ。ウクライ ナもしかりである(19)

グロスは、ダーヴィルの筆力を評価しながらも作家が作品を書く場合、事実 の調査を充分にすることの重要性を説き、歴史家としての確固たる態度を表

(11)

明し、作家の歴史的事実に対する責任を問うている。

またオーストラリアの批評家であり、ユダヤ系オーストラリア人であるロ バート・マン (Robert Manne)も、『署名した手』に描かれたユダヤ人のウク ライナ人に対する仕打ちの描写は歴史的事実に反するものであり、そこには 反ユダヤという人種差別的意図が読とれると主張、この本を評価する人々が いかに歴史に無知であり、人種差別、反ユダヤ思想やホロコーストに対して 鈍感であるかを感じざるを得ないといる語っている。さらに文化的に洗練さ れた社会でこの本は出版されるべきではなかったと、この作品そのものの出 版を否定している(20)。彼の論調は、社会の文化的、文学的環境がこのような 本を出版せしめたばかりでなく、この作品に権威ある文学賞、「オーストラ リア/ヴォーゲル賞」、「マイルズ・フランクリン賞」それから「オーストラ リア文学会賞ゴールドメダル賞」まで与えてしまったことを問題とし、文学 賞の審査員たちへ批判の目を向け、この小説に不快感さえ示している。

こうした歴史学者たちの論調はさらにエスカレートし、メルボルン大学の 歴史学科では、1930年代、40年代のソヴィエト、ドイツ地域におけるユダヤ 人虐殺の歴史に関する専門家たちを集めて『署名した手』に描かれた歴史的内 容に対してまっこうから抗議をする本、『大量虐殺、歴史とフィクション』(21) を出版している。そして、執筆者のひとりはこの作品は単なる一作家の歴史 的無知を露呈しただけではなく、歴史というものを歪曲して読者や社会へ伝 えてしまうという深刻な問題を孕んでいるとコメントしている。そして、そ のことを世間に訴えるためにもこの書物の出版は必要であると記している。

ここでもまた、執筆者たちのもっとも強い批判の対象となったのは、三つの 文学賞をこの作品に与えたオーストラリアの文化的、文学的権威者たちであ る。悪意に満ちたファシスト的なプロパガンダが明らかに読みとれる作品に、

賞を与えるようなことをしてはならないと、文学賞の審査員たちに強い抗議 の姿勢を示している。

以上のように、多くの批評家そして歴史学者たちは、『署名した手』に 数々の文学賞を与えた審査員に批判的な目を向けている。その批判の内容は、

審査員たちが作家のアイデンティティーの偽称に気づかなかったこと、歴史 的事実に関して無知であり、それゆえに作品に読みとれる人種差別的内容を

(12)

容認してしまっていることなどである。ところが、文学賞の審査員たちの発 言内容には、すでに述べたように、アイデンティティー偽称が発覚する前と 後では微妙な違いが見られる。発覚前にはエスニック的背景を重要視してい た審査員たちも、発覚後には、作品とエスニック的背景のあいだには関係が なく、作品そのものが評価の対象になっているという姿勢に変わっているので ある(22)。結局、審査員たちはこの作品における「人種差別的発言」と「歴史 的信憑性」の問題、作家の「アイデンティティーの正統性」と「作品の価値」

の問題についてきちんとした回答を与えることはなく、それを回避してしま っているのである。しかし、これらの問題は多文化主義における文学の重要 な課題を提供しており、このように回避してしまうわけにはいかないだろう。

次章においてはまず、審査員たちが置き去りにした小説/フィクションにお ける「歴史的信憑性」と、それに連動する「人種差別的内容」の問題につい て考えてみることにする。

3 小説/フィクションと「歴史的信憑性」

『署名した手』における「歴史的信憑性」についての問題は、前章で述べ たように、歴史学者の間で大きな議論を巻き起こした。そして作品のなかに 歴史的事実に反する描写がある場合は、たとえそれが小説/フィクションで あったとしても誤った情報を読者に提供することになり、そのようなことは あってはならないというのが歴史学者たちのだした結論である。しかし、小 説/フィクションは作家の「想像力」によって生みだされるものであるとい う認識にしたがうと、歴史的事実に忠実ではない描写があったとしてもそれ は許されるという議論も一方ではある。たとえば、脱構築主義者デリダは、

「小説は何を語ってもよいと権威づけられた位置にあり、そのこと自体は近 代的な民主主義の思想につながるものである」と語っており(23)、たとえ作家 たちが歴史的事実の認識に欠けていたとしても、歴史を学問として客観化す る歴史学者よりも、より意味のある、より生き生きとした経験をとおして歴 史を語りうると論じている(24)

小説や芸術は他の認識のいかなる形態よりも上位にあるもので、作品の評 価はいかなる権力や制度にも迎合するものではないという見解は、18世紀の

(13)

ヨーロッパのロマンティシズムに影響を与えた「審美的基準」として受け継 がれているものである(25)。しかし、20世紀も終わりに近づき、価値の多様化 に特徴づけられる「ポストモダン」といわれる時代に、とくに「歴史的信憑 性」と「人種差別的内容」が直結する『署名した手』という作品は、小説/

フィクションに描かれる歴史をどのように捉えるべきであるかという問題を 新たな視点で問いなおしている。

オーストラリアの批評家であるアンドリュー・リーマーは、『署名した手』

に向けられた歴史学者による批判は、ある意味でイスラム世界で起こったサ ルマン・ラシュディ(Salman Rushdie) の『悪魔の詩』(The Satanic Verses)  へ の反発、つまり一種の魔女狩りに似かよっていると述べている。オーストラ リア社会が多文化主義社会になって以来、従来の「アングロ・ケルティック」

を中心とする社会的、文化的構図は崩れ、多様な文化や宗教、エスニシティ ーが平等に容認される多元文化社会へと変貌しているが、そうした社会のな かで書かれる文学は、当然のことながら、多様な文化、宗教、イデオロギー を反映するものである。とくに20世紀も終わりになると、オーストラリア社 会は多様化がさらに進み、文化、宗教、イデオロギーについては統一のない 国家になっている。こうした状況のなかでの文学についてリーマーは次のよ うに論じている。

現在細分化された個々の文化がそれぞれの文化をいかに追求していこ うと、あるいはそういう状況に反発を示そうと、オーストラリア社会 が不寛容になる言説や意見は非常に限られている。たとえば、ひとつ 例にとっていうならば、メディアや文学をとおして無神論的な発言や、

少なくとも宗教を揶揄するような発言がたとえあったとしても、許さ れるようになってきている。理論上では、人種差別発言は控えるべき でありまた告発されるべきであるが、現実にはフィクションにはかな りの自由が与えられている(26)

つまり異なる文化、宗教、イデオロギーが共存し、さまざまな価値観が混 在しているオーストラリアでは、個人がどのような文化、宗教、イデオロギ

(14)

ーをどのような形で追求しようとも、それが阻まれるということはなく、ま た現実の生活の場面において差別的な発言は必ずしも受け入れられるもので はないが、フィクションという形式においては、かなり自由な発言が許され ているということである。リーマの説にしたがうと、むしろ特定の文化や宗 教、イデオロギーの視点に立って、ある発言を妨げるようなことがあれば、

そのこと自体が差別的な発言になりうるということになるであろう。そうし た発言は、すべての文化、宗教、イデオロギーは差別されることなく平等に 共存することを目指す多文化主義そのものの原則に反することになるからで ある。

また、「語り」の手法上から、『署名した手』に「歴史的信憑性」を求める ことに問題があるとし、歴史学者たちの挑戦を退けることも可能である。た とえば、『署名した手』で語られているウクライナの歴史は、フィオナによ って語られてはいるが、語られている内容は彼女自身が直接体験したもので はない。フィオナはオーストラリアで育った第二世代の移民の娘であり、ウ クライナでのできごとそのものは叔父ヴィタリーが彼女に語ったものであ る。しかも、ヴィタリー自身もオーストラリア移民としてオーストラリアに 住んでいるという設定になっている。したがって、ヴィタリーがフィオナに 語って聞かせたウクライナのできごとは彼の記憶のなかに残っている話であ り、たとえば、前章のディヴィド・マーがこの作品をオーラル・ヒストリー として捉え、実際に経験をした人の話をもとに書かれているがゆえにこの作 品には臨場感があり作品のなかに「正統性」が読みとれるものと解釈したよ うな(27)、歴史的な事実を伝えることを目的として語られているものではない。

つまり、この作品で語られるウクライナの「歴史」は、カイリー・オコンネ

(Kylie O'Connell)が論じる、一種の「フォークロア (民間伝承) 」的要素を

帯びたものである。オコンネルは、フォークロアについて次のような定義を している。フォークロアとはすなわち、

物語、神話、伝説などといったもので、世代ごとに語り継がれたもの であり、……フォークテール(伝承物語)はひとつの歴史であるが、

事実を語るとか、正当性があるという意味においての歴史ではなく、

(15)

文化的アイデンティティーと歴史観を維持していくことを助ける役割 を果たすものである。フォークテールは、懐古趣味や主観的に選ばれ た記憶によって誇張されることもあるし、変形されたり粉飾されるこ ともありうる(28)

オコンネルの定義にしたがうと、「フォークロア」のなかで扱われる歴史 は「語り」による「フィクション」であり、その「フィクション」に歴史学 者たちが期待するような歴史的事実は語られはしないということになろう。

したがって、ダーヴィルが叔父から聞いた話を語るという「語り」は「フォ ークロア」の形式をとった「フィクション」であり、そこに書かれたウクラ イナの歴史は間接的な情報であって、歴史的信憑性を問われれば不利である と同時に(29)、その責任から逃れることができるということである。オコンネ ル自身はフィクションと歴史的事実が一致すべきが否かの議論は避けてお り、ダーヴィルが用いた巧妙なテクニックについて論じるに止まっている(30)

しかし、「フォークロア」という形式が、「歴史」を語る初期の形式であり、

歴史的事実に想像力が加えられた「フィクション」であるとするならば、そ もそも「歴史」と「フィクション」の間に明確な線を引くことは困難であろ う。作家のニコラス・ジョーズ(Nicholas Jose) は、そもそもフィクションと ノンフィクションの間に線を引くことは困難であるとし、その違いは一般に

は「事実(fact) 」を扱うものであるか、「創作(invention)」であるかにあると

思われているが、それは単に同じものの異なる形(type)のものであるにすぎ ない述べている(31)。いい方を変えれば、ジョーズは、「歴史は一種の文学で ある」と語り次のような例を示している。

シェイクスピアの劇作は、当初は『歴史:悲劇と喜劇(Histories:

Tragedies and Comedies)』として発表されている。ギリシャ人にとっ てもまた、歴史は文学の形式をとり、叙事詩や悲劇、喜劇の形式をと っている。また、中国人も、歴史を詩、哲学と同列においている(32)

確かにジョーズが指摘するように、歴史が文学の形式から生まれたもので

(16)

あると考えれば、歴史とフィクション/小説の間に線を引くことは困難であ ろうし、歴史的事実として果たして歴史が語れるのかどうか、歴史そのもの の定義についての議論をしなければならないであろう。たとえばオーストラ リアの歴史を例にとるならば、先住民が捉えるオーストラリアの歴史と、白 人が捉えるオーストラリアの歴史が全く異なるように、視点によって全く別 の歴史が存在しうることは事実であり、歴史は創作されるといういい方もで きるであろう。したがって、小説/フィクションのなかで従来の歴史観を覆 すような歴史の捉え方をすることは充分に可能であろう。しかしその際に重 要なのは、過去のできごとをできるだけ正確に記述する必要があるというこ とであろう。つまり、先述のグロスが「著者は自分が書いたものに道義的な 責任がある」(33)と指摘したように、作家は自ら書く内容に、そして自分の歴 史観に責任を持たなければならないということである。フィクション/小説 では何を語ってもよいが、その語る内容についての裏付けはきちんとしなけ ればならない、ということになるであろう。

小説家としてのジョーズもまた、過去のできごとは作品を書くにあたって インスピレーションを与えてくれるものであるが、「歴史の意味の信憑性を 与える唯一の方法は、些細なできごとを正しく書くことである」(34)と述べて いる。すなわち、たとえフィクション/小説であっても、できごとの詳細を 明確にすることによって、創作としての作品の信頼性はより確実なものにな ると強調している。

デミデンコ/ダーヴィルの場合を思い起こすと、アイデンティティーの偽 称が発覚する以前に彼女はこの小説を「事実」に基づく「ファクション」で あると発言していた経緯がある。しかし、アイデンティティーの偽称が発覚 したのちに彼女は新聞に謝罪文を掲載し(35)、アイデンティティーの偽称に対 する謝罪を行うと同時に先の発言を覆し、この作品が「事実」に基づく「フ ァクション」ではなく、単なる「フィクション」であると語ったのである。

この発言によってダーヴィルは、歴史学者たちによる歴史的信憑性に対す る挑戦に対して謝罪という形で応えたことになる。つまり、彼女は作品の内 容に歴史的信憑性が期待できないことを、そして彼女自身が作品の内容に責 任を持てないことを自ら明らかにしたのである。

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価値の多様化の時代には、リーマーが主張するように、ひとつの価値観に よって歴史や宗教、思想を語ることはもはや不可能であり、歴史学者たちの ダーヴィルに対する批判には限界があるといわざるを得ないだろう。しかし、

彼らの批判は多文化社会で多様な価値を認められなければならないからこそ でてきた批判でもあり、結局、平等を主張することによって新たな差別が生 まれるという矛盾が、多極化、細分化された価値を受け入れる「ポストモダ ニズム」、あるいは「ポストコロニアリズム」の理論のなかに認められるこ とも否定できないだろう。しかしその矛盾を認めながら少なくともいえるこ とは、フィクション/小説において歴史を語る場合に必要なのは、自らの歴 史観に責任を持つと同時に、ジョーズが語るように、「事実」の積み重ねに よって裏打ちされた物語を「創作」することであろう。ダーヴィルの場合は、

確固たる裏づけのないできごとをあたかも現実に起こったかのように語って しまい、「創作」あるいは「想像」を「虚偽」と混同し、その「虚偽」に責 任を持てなくなったのである。しかし、歴史学者たちがこの作品に疑問を投 げかけたことによって、さまざまな視点から歴史が語られうる多文化社会の 特質が浮き彫りにされたといえよう。

4 多文化社会とマイノリティー文学

『署名した手』をめぐって歴史学者のあいだで展開された「歴史的信憑性」

の問題は、歴史学者だけの問題に止まらず、多文化社会におけるマイノリテ ィー作家の「アイデンティティーの正統性」の問題、さらには文学作品の評 価の問題にまで発展していった。

1970年代半ばから、多様な文化や言語、人種を差別することなく平等に受 け入れるという多文化主義社会、オーストラリアでは、さまざまな民族の伝 統文化や言語、生活習慣が積極的に保護されまた維持されるようになり、多 文化的背景を持つ作家の活躍が1980年代からとくに目立ってきている。文学 賞にしても非英語圏からの移民作家や先住民によって書かれた作品に与えら れることもそれほどめずらしくはない。そして最近では、マイノリティー作 家が書いた作品は単にめずらしいというだけではなく、むしろ大学や文学会 などで高く評価される傾向もある(36)。しかもこの傾向は、文学賞を審査する

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審査員や批評家にまで及んできているのである。先述の「マイルズ・フラン クリン賞」の選考委員として名を連ねるクラマー、ジル・キットスン(Jill Kitson)、エイドリアン・ミッチェル(Adrian Mitchell)は、文化的には保守的 であるとされ、本来ならば非英語圏からの移民を選考する人々ではないと思 われているにもかかわらず、「多文化社会」を反映する『署名した手』を推 薦しているのである。

それではなぜ、大学や文学会、そして保守的といわれる文学者まで、非ア ングロ・ケルティック系作家に興味を示し、彼らの作品に高い評価を与える ようになったのであろうか。マイルズ・フランクリン賞の審査員のコメント にも述べられていたように、故郷イギリスとの絆が断ち切られて久しいアン グロ・ケルティック系の作家の作品よりも、さまざまな地域出身の作家によ る「多文化」を反映させた作品、あるいは先住民の作品のほうが面白味があ るということであろう。たしかに非アングロ・ケルティック系作家の作品が しばしば従来の伝統的なオーストラリア作家の作品のテーマとは異なったも のを扱い、オーストラリア文学に幅と活気を与えていることも否定できない(37)。 そしてこれらの作家から優れた作品も多く生まれていることも事実である。

しかし、多文化社会となって、文学の評価の基準が以前とは異なってきてい ることも否定できないであろう。

『署名した手』に文学賞を与えた審査員のコメントは、この作品が「移民 の経験について語る」ものであり、作家が「20世紀の重要な歴史的事件を直 接経験した人」(38)という実際の「経験」を重要視したものであったが、この コメントには、審査員が作家に彼女の属する民族の代表として、自らが経験 した歴史的できごとを正しく伝えてもらう役割を課していることが認められ よう。つまり、マイノリティー作家たちの作品は、「文学的な価値」が問わ れるよりもむしろ「社会学的な論証」としての役割が期待されているという ことである。となると、当然のことながら、作品の内容に関わる「歴史的信 憑性」を重要視しなければならない。しかも作家に文化や歴史を正しく伝え てもらうためには、作家の「エスニシティーの正統性」も重要な要素となっ てくる。一般読者にしても、移民作家の作品を未知なる異国風の文化を紹介 してくれるもの、あるいはオーストラリアにいながらにしてさまざまな異文

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化体験をさせてくれるものとして捉えるのであるならば、作品の内容の信憑 性に疑いがあれば、歴史学者がそうしたように作品を糾弾するであろう。ま た、マーのように作品の内容が事実に基づくものであると信じていた者は、

実際そうでないとわかれば、作家に裏切られたという気持ちを抱いてしまう であろう(39)

したがって、マイノリティー作家によって書かれた作品は、「作家の想像 力」によって生みだされたものであるというよりも、スネージャ・グニュー (Sneja Gunew)が指摘するように、「作家が属する文化の情報提供者(native informant)」、あるいは「社会学的な資料(sociological data)」としての役割を 果たす作品として読まれる傾向が強いということである(40)

マイノリティー作家が過去の経験について記述することは、たとえば先住 民作家たちがオーストラリアの過去の歴史を先住民の視点に立って記述する 場合のように、その重要性はたしかに認められるが、文化の情報を提供する だけがマイノリティーの文学に課される役割ではないはずである。しかし審 査員たちは、デミデンコ/ダーヴィルのケースのように、マイノリティー文 学に情報提供という役割を課す余りに、文学的評価という側面を置き去りに してしまった可能性さえ考えられるのである。もしもダーヴィルが同じ作品 をアングロ・ケルティック系の名前で書いていた場合、作品の評価はいった いどうなっていたのであろうか。こうした質問を向けられれば、審査員たち はむろん「重要なのはこの作品そのものであって、作者のアイデンティティ ーは重要ではない」(41)と答え、作家が誰であろうと同じように評価を下した と答えるであろう。しかし、先の審査員たちのコメントに鑑みれば、この発 言はいかにも空しい。『署名した手』は、デミデンコというウクライナ人作 家によって書かれたことに意味があったことは認めざるを得ないであろう。

つまるところ、デミデンコの文学賞の受賞は、作品そのものの文学的評価 というよりも、多文化主義政策が掲げるマイノリティー文化の維持と保護と いう「政治的正当性(Political Correctness)」を考慮にいれたものである可能性 が強いということである(42)。したがって、現在のオーストラリアで作品を書 く場合は、文化的「差異」あるいは「符号」をもたないアングロ・ケルティ ック系作家は、審査員や読者たちに注目されにくいということであり、マイ

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ノリティー作家に比べて不利な状況に立たされるといえるのである。いい方 をかえるならば、多文化主義政策はアングロ・ケルティック系の作家が作品 を書くのを困難にしてしまっているということである。

多文化社会のなかで「他者」ではなく、そして文化的「差異」あるいは

「符号」をもたないアングロ・ケルティック系ヘレン・ダーヴィルは、こう して作家としてのアイデンティティー・クライシスに陥ってしまったのであ る。しかし、アングロ・ケルティック系作家として作品を書くのは不利であ ることを鋭く察知した彼女は、審査員あるいは批評家たちの注目を集めるた めにウクライナ人デミデンコを演じることになったのであろう。彼女がウク ライナという「エスニシティー」を選んだのは、ウクライナ人にはアング ロ・ケルティック系に欠けているものがすべてあったからである。父親は戦 争で引き裂かれたヨーロッパを逃れてオーストラリアに移住してきたウクラ イナ人、母親は宗教的問題を抱える北アイルランド出身の移民という設定を 彼女は創りあげた。この設定には、政治、宗教そして暴力による抑圧がそな わっており、「他者」そして文化的「差異」を示すことのできる理想的な状 況をデミデンコに提供したことになる(43)。そしてダーヴィルはデミデンコと いうウクライナ名で作品を発表したのである。

文学作品において作者はもう存在しないとして、「作者の死」という概念 を論文で発表したのはロラン・バルト (Roland Barthes)である。彼が「作者 の意図がテクストの意味の最終的決定要素であるとはいえなくなった」こと を主張して以来、彼の理論はテキストそのものを作者と切り離して解釈する 構造主義の中心をなすものとなった。そして「言語そのものには、『記号』

という点においてのみ意味が存在する」という理論を展開、「書くという行 為は著者という父親のいない孤児のようなもの」であると論じた。(44)バルト の説にしたがえば、作品を『記号』として読みとるわけであるから、『署名 した手』の作者がデミデンコであろうとダーヴィルであろうと関係はなくな る。つまり、作品を作者の存在と切り離して読むことになり、審査員たちの コメントにあるように、作家が誰であろうと作品の価値に変わりはない、と いうことになるであろう。しかし、デミデンコは死んではいなかったのであ る。デミデンコは文学賞を受賞したときにマスコミに登場し、インタビュー

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に答えるなど『署名した手』の作者としての顔をアピールしたのである。

『署名した手』の場合は作家が誰であるかということが重要であり、作家と 作品は密接な関係にあったということである。審査員のコメントは、現実と 余りに遊離しているといわざるを得ないであろう。

バルトの「作者の死」に対して、作者の役割を認めているのはミシェル・

フーコー (Michel Foucault)である。彼は『作者とはなにか』のなかで、「作

者は表現の特殊な根源」であり「多かれ少なかれ形式を完成させる役割を担 っている」と語り(45)、脱構築論者デリダと同様に(46)、作者とテキストは切り 離せないものであると論じている。しかも、小説の語りは権力、すなわち政 治と密接にかかわっているとも論じている(47)

このフーコーの説にしたがうかのごとく、オーストラリアにおいては作家 が作品を発表すると、出版社は講演会やサイン会を開催し、本の売上げを伸 ばすということは頻繁に行われている。デミデンコ/ダーヴィルの場合もし かり、多文化社会におけるマイノリティー作家として脚光を浴び、マイノリ ティー支持という政治的役割を果たしたのである。彼女はウクライナの民族 衣装に身を包んで登場し、ウクライナのダンスを踊って見せ、ウクライナ人 としての「正統性」を印象づけるための演出をできうる限り試みたのである。

すなわち、ダーヴィルはエスニック文化を反映する「作品(テクスト)」の

「文脈(コンテクスト)」の一部になってしまったのである

俳優が芸名で演じたり、作家がペンネームで作品を書いて別人を装うこと は一般には受け入れられることである。俳優は自己とは異なる「キャラクタ ー」を演じるために芸名を使い、作家は本来の自己と作品とのあいだに距離 をおくために、あるいは個人的な生活と作品を別個のものとして考えるため にペンネームを使う。つまり、作家は本来の自分を隠すという目的でペンネ ームを用いるのであるが、ダーヴィルがデミデンコという名前を使ったのは、

本来の自己を覆い隠すためではなく、「他者」そして「差異」を装うための

「符号」を創りだすためだったのである。したがって、ダーヴィルはデミデ ンコというペンネームを使ったのではなく、デミデンコそのものになってし まったのである。そして審査員たちはダーヴィルがデミデンコを装っている ことに気づくことはなく、デミデンコの作品は複数の文学賞を受賞し、作家

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として成功を収めたのである。

審査員たちがデミデンコのアイデンティティーの偽称に気づかなかったの は、デミデンコが、オーストラリア社会が、あるいは審査員たちがマイノリ ティー作家に求めるウクライナ人としてのステレオタイプにぴったり当ては まったからである。『署名した手』の審査員たちは、多文化社会のアイデン ティティーは個々の文化の「本質」に決定づけられるのではなく、「他者」

あるいは文化的「差異」や「符号」という「ラベル」によって決定づけられ るという「唯名論」(48)にしたがうべく、デミデンコを「ラベル」によってウ クライナ人であると認めてしまったのである。しかし、審査員、ジャーナリ ズム、批評家、あるいは読者一般が、そしてデミデンコ自身が陥った落とし 穴は、「唯名論」は、デミデンコがウクライナ人を装う際に示したような

「ステレオタイプ」で固定的に捉えられるものではなく、実際には多文化社 会の複雑な文化構成のなかで、他の文化と関わり合うことによって常に変化 するダイナミックなものだという認識に欠けていたということである(49)

さらに問題なのは、マイノリティー文学に「正統的な」エスニシティーを 期待したのは、その多くがマイノリティーニックに属する人々ではなく、か つての「主流」にある人々だということである。ウクライナの「文化的な記 号」としてデミデンコがまとった民族衣装や踊ったダンスは、主として、ア ングロ・ケルティック系、たとえば一般読者や審査員などに向けられた演出 であり、マイノリティーに向けられたものであるとは考えにくい。この事実 はオーストラリアにおける文学が、実際のところ、依然、「主流」対「非主 流」という二元的な構図に囚われている傾向を印象づけるものであり、マイ ノリティー文学が注目されているという状況も、実は「主流」によって「非 主流」が支配されているに過ぎないのである。すなわち、「他者」「差異」に よって示される多文化社会のアイデンティティーは、多極化、多元化された

「ポストモダン」あるいは「ポストコロニアル」のダイナミックな文脈で捉 えられるものではなく、今なお「主流」であるアングロ・ケルティックにと っての「他者」、「差異」でしかないということであろう。

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おわりに

ヘレン・ダーヴィルが創作したヘレン・デミデンコという作家は、アイデ ンティティーの偽称が発覚したのち消えてしまったが、その作品『署名した 手』は、多文化社会における文学のさまざまな問題を提起し、オーストラリ ア文学の歴史にその名を残したといえよう。

多文化社会オーストラリアでは、理論上では「ポストコロニアリズム」理 論が説くように、アングロ・ケルティックを中心とする「主流」「非主流」

という二元的な文化の構図が崩壊し、「非主流」であった複数の文化が「主 流」と同等に、その存在を主張するという多元的な文化構図が形成されてい る。したがって、オーストラリアにおける文学のアイデンティティーは、か つてのようにアングロ・ケルティックを中心に「統一的」に捉えられるので はなく、「混合体」における「差異」によって示されることになる。

また、多文化社会における文学作品は、文化的「差異」や「符号」を示す ための「情報提供」あるいは「社会学的な資料」としての役割が課される傾 向が強く、その点においてマイノリティー文学が重要視されるようになって きている。しかし一方、文化的「差異」や「符号」をもたないアングロ・ケ ルティック系作家の作品の注目度は低くなっている。つまり価値が多元化、

多極化され、マイノリティーの文化を維持し保護しようという多文化社会の 風潮のなかで、文学作品の評価も多文化主義を支持しようとする「政治的正 当性」に配慮する傾向が強くなってきていると思われる。したがって多文化 社会における文学は、従来のように作家の想像力を審美的な基準で評価する ことが困難になってきているともいえるのである。ダーヴィルのアイデンテ ィティー偽称はこのような状況のなかで行われたのである。

しかし、マイノリティー文学が多文化社会で注目されてきたとはいえ、マ イノリティー文学に注目する側は、多くの場合はかつての「主流」であった アングロ・ケルティック系の人々である。結局「デミデンコ事件」によって 明らかになったのは、オーストラリアにおける多文化文学のアイデンティテ ィーが、「ポストコロニアリズム」理論が説くように、複数の文化の相互な かかわり合いによってダイナミックに形成されているというよりも、アング

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ロ・ケルティックの存在が今なおマイノリティー文学を支配しているという ことである。したがって、マイノリティー文学のアイデンティティーは、ア ングロ・ケルティックのアイデンティティーの投影に過ぎず、かつての「主 流」「非主流」という二元構造は依然として変わっていないということであ る(50)。結局、『署名した手』は、オーストラリア文学におけるアイデンティ ティーが「ポストコロニアリズム」あるいは「ポストモダニズム」の理論に 今なお貢献するには至ってはいないことを示していることになろう。

追 記

デミデンコのアイデンティティーの偽称が発覚したのち、『署名した手』

の出版社はこの本を、「歴史書」としてではなく「フィクション」として位 置づけ、絶版にするという措置はとらなかった。むろん、この本がこうした 問題を引き起こしたことによって販売部数は相当な数にのぼったわけである から、商業的に考えても絶版にすることが得策でなかったことは容易に想像 できる。

ところが出版社は、「デミデンコ」というペンネームで出版することを避 け、「ダーヴィル」という本名に変えて作品を再版したのである。この措置 は、作家がアイデンティティを偽称したことに対する社会的な責任をとった ということでもあろうが、出版社が作家のアイデンティティの「正統性」に こだわったと同時に、マイノリティーのアイデンティティにも配慮したと考 えられる。ここにも「政治的正統性」の影響が感じられるのである。

最後に、ダーヴィルが新聞に掲載した彼女自身の今回の事件に対する謝罪 と釈明文の要約をつけ加えておく。

<ヘレン・ダーヴィルが謝罪>(51)

わたしが『署名した手』を書きたいと思ったのは、まだ大学にはいる前の ことだった。当時、戦争中に残虐行為を直接体験したウクライナ人に会った ことがあり、このときに聞かされた話が『署名した手』という作品を書くき

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っかけとなった。

わたしは戦争裁判にも興味を抱き、大学で法律を学ぼうとしたが中途で断 念した。

大学生になって、友人たちと議論をかさねるうちに、以前から暖めていた 戦争というテーマで作品を再び書きたいと思うようになった。

ウクライナの歴史についての資料を調べていくうちに、デミデンコという ウクライナ名で作品を書こうと思うようになった。その理由は、自分が創作 している人物に共感したことと、自分が作品を書くにあたって用いた資料の 信頼性を保つためである。

わたしは、自分の作品が出版され、注目されるようになるとは思っても見 なかった。ましてや数々の重要な文学賞を受賞し、批評家やメディアから注 目されることになるなどとは夢にも思わなかった。このような事態になって、

家族たちを傷つけ、脅威にさらせてしまったことに心を痛めている。この作 品は創作であって、私はウクライナ系の移民の子孫ではない。

わたし自身が創作した人物がわたしに乗り移ってしまったというのが本当 のところである。メダルを受賞したときに自分がばかげた発言をし、気づい てみればマスコミ、メディアで次第にことが大きく扱われはじめていた。

わたしの作品は文学として扱われるべきであり、作品を好むか好まないか はそれぞれの読者次第である。この作品には読者の数だけその解釈が存在す ると考える。

しかし、この作品に反ユダヤな意図があると受けとられたり、ウクライナ 系のコミュニティーの人々を貶めるような表現があるのならば、心からお詫 びを申し上げたい。

わたしは決して大虐殺を容認しているわけではなく、作品にそのような意 図をこめたつもりもない。わたしは戦争の忌まわしさを書いてみたかっただ けである。

確かにわたしは自分の作品に対して「ファクション」と表現をつかうべき ではなかった。わたしはフィクションという手段を用いて、人間が状況によ っていかに残虐になれるかについて表現したかったのである。

今回のことについては心より残念に思っている。とくに家族に対して申し

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わけなく思っている。わたしの作品は常に文学作品として評価されることを、

すなわち書かれたものによって評価されることを意図して書かれたものであ り、読者の方々にもそのように評価していただきたい。

今回、わたしの行動が引き起こした騒動に対して遺憾の意を表したい。

ヘレン・ダーヴィル

(1)    関根政美『多文化主義社会の到来』朝日選書, 2000年,  42. オーストラリアの

「多文化主義政策」についての参考文献を以下にあげるので参照されたい。関根 政美『マルチカルチュラル・オーストラリア――多文化社会とオーストラリアの 文化・社会変動』成文堂,  1989年; 関根政美「1 多文化社会――変貌する伝 統的国民アイデンティティ」『オーストラリア入門』竹田いさみ 森 健(編), 東京大学出版会,  1998年,  73-91; 竹田いさみ「多文化ミドルパワーの国家像」

『物語オーストラリアの歴史――多文化ミドルパワーの実験』中公新書,  2000年, 212-283.

(2)    「ポストモダンの時代」: 「ポストモダン(Postmodern)」は一般的な文化的現 象を意味する「ポストモダニズム(Postmodenism)」というよりも、政治、経済、

文化を含めた歴史的変容を意味する「ポストモダニティー(Postmodenity) 的状況」

を意味するものである。それはポスト構造主義をも含むものであるが、とくに一 定の理論に限定されうるものではない。「ポストモダニティー的状況」とは、「存 在の破壊によって特徴づけられる『今の時代』」のこという。Livio Dobrez,

“Introduction” in Identifying Australia in Postmodern Times, Livio Dobrez ed., (Canberra:

Bibliotech, 1994), viii-ix.

(3)    「ポストコロニアリズム」:「ポストコロニアリズム」は、かつてヨーロッパ の植民地であった地域、社会、国家が独立する前後にヨーロッパの侵入に対する さまざまな反応、そして植民地時代に帝国が残していった社会的、文化的影響に ついて研究や分析をする際に使用されるものであるが、主として旧植民地に生ま れた文化に焦点をあてる傾向がある。現在では、歴史、政治、社会、経済の分析 にも適用され、ヨーロッパ帝国主義が世界にもたらした影響について分析する際 に用いられる。したがって、歴史学者によって用いられる年代的な、第二次世界

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