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自己形成のプロセス 一弟の死を通して一一
重 ≧ 襲 童 倉
:2度:『 曇 岡 田 知 瑛 里
自己 形 成 の プ ロ セ ス ー ー 弟 の 死 を 通 して 一 一
学籍番 号 12032080番 岡 田
知 瑛 里
1
研究 の背景 (2頁)2
方法 (3頁)2.1 調査概要 (1)調査対象者
(2)インタ ビュー形式
3
ライ フヒス トリー (4頁)3。 1 弟の死後一‑1年か ら2年一一 (1)弟が死 んだ朝の出来事 (2)病院か らの電話 (3)通夜
(4)火葬 (5)葬式
(6)日常生活 に戻 つて一一筆者以外 の家族 の場合一―
(7)日常生活 に戻 って一一筆者 の場合―
(8)ク ラスメイ トのMの存在
(9)ク ラスメイ トのMのお母 さんの存在 (10)家庭教師の先生の存在
3。
2
弟の死後一‑3年か ら6年一一 (1)高校 1年の時(2)高校 2年・3年の時
3。
3
弟の死後‑6年か ら10年一(1)大学生 1年
(2)大学2年生・3年生
4
考察 (16頁)4。 1 悲観 のプロセスか ら見た考察 (1)精神的打撃 と麻痺状態
(2)否認
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(3)パニ ック
(4)怒りと不 当感・ 敵意 とルサ ンチマ ン (う らみ)
(5)罪意識
(6)空想形式、幻想
(7)孤独感 と抑 うつ・ 精神的混乱 とアパ シー (8)あき らめ
(受
容)・ 新 しい希望(9)立ち直 りの段階一新 しいアイデ ンテ ィテ ィの誕生
4。
2
役割意識が及 ぼす影響 (1)役割意識(2)母親の存在 まとめ (22頁)
さい ごに (23頁)
1
研究の背景私 には2歳離れた弟がお り、私 は弟 と2人姉弟であった。だが、1996年の7月
(当
時 の私 は中学 1年生であった)に弟は亡 くな った。死亡原 因は小脳 の内出血 とい うもので、夜 中の寝て いる間 に小脳で内出血 を起 こしたために突然亡 くなって しまったのだ。
この弟の突然死 は当時の私 に非常 に大きな衝撃 を与えることになった。なぜな らば、今 まで私 自身、「人の死」 というものをそれ まで経験 した ことのなかったか らである。「死」
というものは当時の私 にとっては非常 に受 け入れ難 いものであった。だが、残 された人間 はいやが うえにも 「死」 というものを受 け入れな けれ ばな らない状況 に陥ることになる。
なぜな らば生き残 った 自分 自身の 「生きる意味」 を考 え、「生きる こととは何か、死ぬ こ ととは何か」 ということを一度、自分 の頭で整理 しなければ 「死」 というものを消化でき ず、前 に進めな い状況 に陥る ことにな るか らである。それゆえに、私 自身にとって 「弟の 死」 というものは 自分 の人生の中にお いて大きな存在であると私は思 っていた。
そ して私 にとって 「弟の死」の存在が大 きいということに改めて気がつ くことになった きっかけは去年の就職活動であった。私 は就職活動 をす る中で、自分 の今 までの人生を振 り返 る機会 を得 る ことになった。そ こで私が気づいた ことは、私 という人間は 「弟の死」
というものを中心 において 自己 というものを語 り、また 「弟の死」を軸 として過去 を組み
立てて語 って いた ということである。私 という人間にとって 「弟の死」 というものの存在 は大き く、自分 という人間の ことを語 る上で も、これ までの 自分の過去 を語 る上で もな く てはな らない存在であることは確かである。だが しか し、そ もそ も自分 という人間は 「弟 の死」だけではな く、様々な出来事 の影響 を受 けて これ まで形成 されてきたはずである。
それなのになぜ、私は 自分の歩んできた過去や 自己を語 る上での軸 として 「弟の死」を選 んでいたのだ ろうか。それはただ単 に「弟の死」の影響の方が他の出来事が私 に与えた影 響 よ りも強 いとい うことを意味す るだ けなのだ ろうか、また私がまだ 「弟の死」を受 け入 れ られて いな いことで 「弟の死」 の視点か らしか物事 を見 られないか らなのだろうか。
そ こで 自らの記憶 を取捨選択す る軸 とい うのは どのよ うに して決定 され るのだ ろ うと 私 は考 えるよ うになったのである。私は 自分 自身で 自己 というものや 自らの過去 を語 る上 で、なぜ 「弟の死」 というものを数ある自分 に起 きた出来事の中か ら選び出 し、それ を軸 として語 るのか、つ ま り自己を物語 る中心 の軸 を決定す る要因は一体何なのだろうと考え るよ うになったのである。
そ こで私 は、 自己を物語 る中心の軸 を 「弟の死」 に決定 している原 因が 自分 自身が 「弟 の死」 をまだ受け入れ られていな いか らではな く、 自分 自身の過去 の体験が何か しら自己 を物語 る中心 の軸 を決定す る要因になって いるのではないだろうか と仮説を立てる ことに した。そ こで本稿では、筆者が 「弟の死」 を受け入れ られている段階であることを筆者 自 身ヘイ ンタ ビュー調査 を行 うことでまずは証明 し、イ ンタ ビューのデータをさ らに分析す る ことで真 因について考察 していきた いと思 う。
2
方法2。
1
調査概要(1) 調査対象者
筆者 自身を調査対象 としてイ ンタ ビューを行 った。調査対象者 は 1983年生 まれで、
現在 は23歳の大学4年生である。
(2)イ ンタ ビュー形式
本 書 で は、具体 的な手続 き と して筆 者 の弟 が死 んだ 日か ら現在 に至 るまで の ライ フ ヒ ス トリー を時 系列 に沿 って紹介 す る。時 系列 に沿 って記述 して いるのは年代 ごとに 自己
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が どういう段階を経て形成 されて いっているのか、何が 自己 に影響 を与えているのかを 分析 しやす くす るためである。 またイ ンタ ビューの具体 的な方法 としては、身近な人に イ ンタ ビュー を依頼 し、筆者 の記憶が特 に印象 に残 っている場面 を時系列 に思 いつ くま まに話す ことで行 って いる。 したがって ここでは、枚数 に合せた取捨、読みやす さのた めの順序の変更、背景の補足説明、最小限の解釈 のほかは、なるべ く手を加えていな い。
語 りには「
」をつ け、語 りの中で補足の必要が あった場合 には、( )を使用 して いる。
説明等 は 「
」 をつ けない部分で行 って いる。
3
ライ フ ヒス トリー3.1
弟の死後 ―‑1年
か ら2年一一 (1)弟が死 んだ朝の出来事「毎朝、うちの母親は私 と弟を起 こしにくるのが 日課だったんです。私の家は2階建てで、
私 と弟の部屋はその2階にあって、向かい合 った隣同士 の部屋だったんですね。最初 に私の 部屋 にお母 さんは来て私 を起 こした後、
(母
親は)弟の部屋 に向か ったんです。私が寝 ぼけな が ら起 きよ うとしていた時、今 まで聞いた ことのないお母 さんの『お父 さん来て 』と叫ぶ悲 鳴が急 に弟の部屋か ら聞 こえてきて、母親は父親 を呼び に部屋 を飛び出 していったんです。その悲鳴は今 まで聞いた ことのないよ うな人の声で した。だか ら私 は寝起 きなが らも大変な ことが起 きたんだ とす ぐに感 じ取 る ことができたんです。で も何が起きたのかは全 くわか ら な い。だか ら勇気 を出 して恐 る恐 る弟の部屋に入 っていったんです。そ うするとそ こにはベ
ッ ドか ら落ちている、一見寝たままのよ うな弟がいたんですね。で もよ く見た ら唇 が紫色 に 変わ って いて、何度呼びかけて もび くともしなか ったんです」。
「その後 にお母 さんが救急車を呼んで、父親 と母親は弟を救急車に乗せて一緒 に病院に行 って しまいま した。残 された私 は何が何だかわか らな くて、一人で家庭の医学の本 を取 り出 して何が起 きたのか必死 に調べていま した。何が何だかわか らな くて頭が真 っ白だ った こと は覚 えて います。涙が 自然 と出てきて、 自分の感情 もよ くわか らなか ったですね」。
(2)病院か らの電話
「それか ら何時 間か経 って、病 院 に行 った父親か ら電話 がかか ってき ま した。そ の電話 を 受 けた の は私 だ った のですが 、父親 は震 えた声で私 に『 も うだ めか も しれな い 』とだ け私 に
告 げま した。そ の時、私 は急 に泣 き出 した ことを覚えています。頭では何がなんだかわか ら ない し、理解できていない状況だ った と思 うんですが、涙だけは 自然 と流れてきて止 ま らな か ったのは覚えています」。
「それか ら弟の死亡が確定 した と
(病
院か ら)連絡が入 りま した。けれ ども死亡原因がわ か らな いとい うことで した。そ こで死体 を解剖することにな り、そのために父親は弟の着替 えを持 って いくためにいったん家 に帰 ってきま した。それか ら弟の着替えを準備 し、父 と一 緒 に病院の霊安室 に来 るよ うに言われたので私 も行きま した。 この時は何が何だかわか らな い状況で した。 自分が している行動 を客観的に見ている人がいるよ うな感覚で した。病院に 着 いて、病院の裏か ら霊安室 に向か いました。初めて行 った霊安室はす ごく異質な空間で し た。何 とも言えない重 さがあって、不気味な感 じが して いま した。霊安室 の中に入 ると、私 の母親は疲れきった顔 をしていました。祖母 は泣いていま したね。私は昨 日まで生きていた 人間が霊安室 に横たわ っているとい うことが、頭ではわか って いて もどうして も理解できな いといった感 じで した。悲 しいとかそ ういった感情ではな く、客観的に自分が置かれている 状況 を見 ているもう一人の 自分がいるよ うな感 じで した。だか ら涙 も出ませんで した。今、話 を して いて思 い浮かぶ映像 は 自分 の姿が映っているんです。 自分の 目で見ている映像では な くて、 自分 を外か らみている映像が私 には見えています。あとは霊安室 に集 まった家族の 重い表情がす ごく印象 に残 っています」。
(3)通夜
「それか らは流れるよ うに時間が過ぎていきました。父親 と母親はあま り泣いていなかっ た と思 います。お通夜や葬儀 の準備 に追われ、またそれ によって現実 を見ないよ うにしてい たよ うにも私 には見 えま した。私 は何 をして いいかわか らず、何 もせず にただ じっとしてい ま した。ただ私 は一人でいる ことが怖 くて、祖母 のそばにず っといま した」。
「弟の遺体が病院か ら戻ってきてか らはずっと
(弟
の)隣にいま した。 日の前に弟の遺体 がある ことはわか ってはいて も、 どうして も現実が理解できませんで した。放心状態 に近か った と思 います。死亡診断書 を見て もピンとこな い。お通夜 にはいろんな人が来て、悲 しん で泣 いて くれ ま した。だか ら私 はそ の泣 いた人 を励ま していま した、『大丈夫です 』って。なんだか逆な気が しますけど。あと辛か った ことはお通夜 に来 る人たちが私 に『あなたが し っか りしな い とダ メよ』とか、『お父 さん とお母 さんを支 えてあげてね 』という言葉 をかけ る ことで した。だか ら私は 自分が頑張 らなければいけないと思 いました し、 自分は両親 を支
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える存在なんだ と自分 を追い込んでいきま した。だか ら私 は このときは泣 けなか ったんだ と 思 います。 この時は泣 いた記憶があま りな いんです。弟の ことを考えるよ り、周 りの家族 を 見て 自分が何 とか支えなけれ ばな らないと思 って必死だ った気が します。だか らお通夜 に来 て くだ さった人が帰 った後は何だか少 しほっとしました」。
(4)火葬
「私が一番辛いと感 じて思い切 り泣いた と思 うのは火葬の 日です。
(火
葬の)前日の夜は ず っと眠れな くて、弟の遺体 の前 にず っといま した。私 は どこかで生き返 るん じゃないか って思 っていたんですよね。 もちろん不可能な ことだって ことぐらいわか ってはいるんで す けど、それで もそ う思 って いた 自分がいま した。だけ ど火葬 を して体がな くな って しま った らもう無理なんだ と思 って、それがす ごく怖か った ことを今で も覚 えています。 これ で もう諦めなきゃいけな くな る ことをどこかで気づいていたんだ と思 います。弟が死 んだ 事実は遺体 を見れ ばわかるはずなのですが、受 け入れた くない事実 を『生き返 るか もしれ な い』と自分 に言 い聞かせ る ことで見な いよ うに していたんだ と思 います。だけど、体が な くなるとい うことは もう現実 を受 け入れな けれ ばな らないと思 い、本 当に辛か ったんだ と思 います。火葬の当 日の朝、お棺 にいれ られた弟の姿 を見 る ことほ どせつないものはあ りませんで した。『お棺 に入れ る』という行為が どうして も嫌で、初めて声 を上げて『嫌だ』と声をあげて泣 いて拒否 をしま した。初めて 自分の感情 をむき出 しに したのは この時です
ね 」。
「火葬場に着 くと、一人一人が最後の挨拶を弟にするんです。私は絶対 に弟の ことを忘 れた くなかったので この胸 に焼き付 けてお こうと、弟の顔 を心 に刻み込むよ うに じっと見 ま した。私は 『お前の ことをず っと忘れず に これか ら生きるか ら』と弟に誓 ったのを覚え て います。 この場面は弟が亡 くな って 10年経 った今で も鮮明に覚えている場面の一つで 脳裏 に焼 きついているところですね。あ と両親は弟を火葬する際、火葬のボタンを押 さな くてはな らなか ったんです。その光 景や、後 ろか ら見て いた両親のボタンを押 して いる後 姿は焼きついて いて、す ごくせつなか ったのを覚えています。それか ら骨 にな った弟を見 た ときは『終わ ったんだな 』と思 いま した。骨は私が持 って帰 りま した。骨だけになると 人間って小さくな るんだ とつ くづ く思 いま したね」。
(5)葬式
「お葬式で一番印象 に残 っている ことは当時のクラスの担任の先生が来て くださった こ
とで した。みんな私 に励ま しの言葉 をか けるんです、頑張れ って。だけ ど先生だけは違 っ ていたんですよね。何 も言わず に抱き じめて くれたんです。私ね、その時 に初めて心か ら 泣 けたんです。何 も考えず、ただ素直 になれた と思 います。先生 には『辛 いです 』って言 えたんです。その時 に初めて体 と心が楽 にな るのを感 じま した。もしあの出来事がなか っ た ら、きっと私 は どこかでバ ンク していた と思 いますね。それ ぐらい この出来事 は私 にと って大きな出来事で した。就職活動 をして いる時、ある面接官 に『今 まで生きてきて人か ら受け入れ られたな と感 じた出来事 はなんですか 』と聞かれた ことがあるんですけ ど、私 は この出来事が真 っ先 に頭 に浮かび ました もん」。
(6)日常生活 に戻 つて一一筆者以外 の家族 の場合――
「お葬式 も終わ って 日常生活 にだんだんと戻っていったんですけど、 うちは 自営業で酒 屋 を して いた こともあってお店 を休むわけにはいかず、母親 はお葬式が終わ ってか らまた いつ ものよ うに働きは じめま した。で も私はその姿 を見 るのがす ごく辛か ったんです。な ぜか とい うと、接客業の仕事なので本当は笑いた くもな いのに笑わな いといけないか らな んです。母親は 『人 に会いた くない』とこの頃はよ く言 っていま したね。 まだ 自分の中で 整理がついていな くて、ゆっくり考 えて いたい時期 に 日常生活 に戻 ってい くことは本当に 辛か ったんだ と思 います」。
「母親はず っと『自分のせいでK(弟の名前)は死 んだんだ』と自分 を責め続 けて いま したね。弟が亡 くな る前の夜 に母親はハ ンバーグを作 っていたんです け ど、弟が死 んで以 来 は辛 い 日の ことを思 い出 した くな いためかハ ンバー グを作 る ことがで きな くな った り もしま した。 もう今では大丈夫なんですけ ど、そんな こともあ りま したね。あ とは私が寝 て いる時 に息 を しているか を確かめにくる ことがよ くあ りま した。弟は朝起きてみた ら死 んでいたので寝ていて も死んでいるん じゃないか と不安だ ったんだ と思 います。あ と、父 親 と母親 のケ ンカ もあ りま した。誰のせ いで もないのに父親が母親 に対 して『お前のせ い でK(弟の名前)は死 んだんだ 』と言 って母親 を泣かせた こともあ りま した。きっと誰 も が悲 しみ を誰か にぶつけたか ったんだ と思 います」。
(7)日常生活 に戻 つて一一筆者 の場合一一
「私 自身はそんな家にいるのがきつか ったですね。家は暗 くなる し、人が死ぬ ことを初 めて経験 して何だか怖 くな って いま した。だか らな るべ く家 にはいた くなか ったんです。
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だか ら本 当は弟が死 んでか ら体 の調子 が悪か ったんですが学校 にはちゃん と行 って いま した、な るべ く弟の ことを考 えず にすむ環境 にいきた くて。で も体 の調子が優れな くてあ の頃はいつ も保健室で休 んで いま した。家 にいるのが嫌で一人で外 に出かけていくことも 多か ったですね。あ と、 この頃は生きる ことに虚 しさを感 じた時期で もあ りま した。『人 は こんな に簡単 に死ぬんだな 』と思 うと虚 しくな ったんです。いい加減な人で も生きてい るのになんであんな いい子が死 んだのだ と思 うと、人が嫌 にな って冷めた 目で見て しまう ことがあったんです」。
「あとは中学の頃は部活にす ごく打ち込んでいま した。当時は合唱部 に所属 していて副 部長 をしていたんですが、後輩が可愛 くて仕方がなか ったですね。弟 と同 じ年 の子たちだ と思 うとつい重ねて感傷 にひた っていた部分があった と思 います。私 は弟 に何 もしてあげ られなか った とい う後悔 もあったので、弟 と後輩 を重ねて後輩 を可愛がることで弟に対 し てできなか った ことを償 って いたつ も りだ ったか もしれ ません。あとは何か に打ち込む こ とで 自分 は一生懸命生きているとい う実感がほ しか ったんです。自分の生きる意味がほ し か ったんです。弟が死 んでか ら、私 は 自分が死 んだほ うがよか ったん じゃないか、私が死 んだほうが家族 は もっと悲 しまずにすんだん じゃないか とず っと思 っていま した。姉弟の 一人が亡 くな った ことで、自分のほ うが生き残 っている ことに対 して罪の意識があ りまし た。 どうして も比べて しまう自分がいて、それは大学の頃までず っと思 っていま した。だ か らこそ、自分 の存在意義が どうして もほ しか ったんです。弟に対 して も頑張 って生きて いないと申し訳ない気持ちで一杯だ ったので、それが部活 に打ち込む ことで解消されてい たよ うな気が します。」。
「あとは自分の両親が私のために生きることで 自分達の生きがいを見出 していることを 知 って いたので 自分 が頑張 らな けれ ばいけな い とい う気持 ちにはな ってそれ が重 いな と 感 じることはあ りま した」。
「弟に対 してはきっとそばにいて くれているんだ と信 じていましたね。部屋で一人、弟 の写真 に話 しか ける ことも多かったです し、この頃はまだ弟の誕生 日にケーキを買 って祝 った りもしていま した」。
(8)ク ラスメイ トの
Mの
存在「
(私
が中学 1年生の夏 に)弟が亡 くな って以来、私 に大きな影響 を与えて くれたの はクラスメイ トのMで
した。Mは
中学1年生(13歳)の
時のクラスメイ トで した。Mと
は もともと仲がよか ったのですが、彼女が葬儀 の時 に担任の先生に託けて くれた手紙 を きっかけに私 と
Mは
もっと親 しい関係 にな りま した。葬儀 の時、担任の先生は私が特 に 仲 のいいクラス メイ トの友達 に預か った手紙 を渡 して くれ ま した。 どの手紙 も温か いも ので嬉 しかったのですが、一番嬉 しか ったのはクラスメイ トのMか
らの手紙で した。Mの
手紙 には『自分 も幼 い頃、父親 を亡 くした ことがあってそ の時 に父親 を亡 くした こ とがあるクラスメイ トの子か ら手紙 をもらって励まされて嬉 しか ったか ら自分 も同 じよ うに手紙 を送る』といったよ うな ことが書 いてあ りま した。私 はMの
お父 さんが亡 くな っていた ことをその手紙 を読むまで知 らなか ったのですが、 自分 と同 じ立場である こと が正直嬉 しか ったです。自分 の ことをわか って くれ る存在のよ うな気が して、Mに
は何 で も話せ ま した」。「
Mは
私が話す ことに共感 して くれ る、唯一の存在で した。当時の私 は『なんで うち の家が こんな 目に会わなけれ ばな らないのだろ う』と、そんな ことばか り考えていまし た。というの も、母親 に『K(弟の名前)会いたいよ。私は何 も贅沢 も望んでいな い し、ただ普通の温か い家庭がほ しか っただけなのに どうしてそれ まで も奪われなければいけ な いの』と毎 日のよ うに泣きなが ら言われていたか らです。私 は弟が死んだ悲 しみよ り も、弟が死んだ ことによって家庭が暗 くな った ことや、 自分の両親が泣いている姿 を見 るほうがす ごく辛か ったんです。だか ら、何で うちの家だけが こんな 目に会わなければ な らな いだろ うと思 っていま した。それ に家庭が暗 くな っていた分、 自分がなんとか頑 張 らな くてはいけな いとい う気持ちでいっぱいだ ったので精神的にも吐き出 し口がな く て苦 しか ったんです」。
(9)ク ラスメイ トの
Mの
お母 さんの存在「Mと同 じくらいに私 を励ま して くれたのは
Mの
お母 さんで した。Mの
お母 さんが 私 に『一緒 に頑張 ってい こうね 』と言 って くれた ことを今で も覚えて います。私はそれ が本当に嬉 しか ったんです。Mの
お母 さんはMの
お父 さんが亡 くな って以来、一人で 子供たちを育てていた り、あ とMの
お母 さんの妹 さん も早 くに亡 くな った ことがあっ て私 にとっては同 じ境遇で した。だか ら自分 と同 じ境遇の人が頑張 っていた り、そ んな 人か ら笑 って『一緒 に頑張 ろ う』と言われ ることはす ごく嬉 しいことだったんだ と思 い ます」。bld2080
(10)家庭教師の先生の存在
「当時、私は親に弟が亡 くなった ことで心配されていた こともあって家庭教師 をつけ られていま した。その先生の存在 も大きか ったです。そ の先生は当時 19歳で私 と年が
近か った ことや、そ の先生 自身 も母親 を早 くに亡 くした こともあ り共感 して もらえる こ とが何よ りも嬉 しか ったんです。私 は弟の話 を本当はた くさん したか ったんです。だけ ど家では『両親 を支 える強い私 』でいないといけないと思 って いたか ら素直に自分 を出 せ る部分がなか ったんだ と思 います。弱音が吐けなか ったんです。だか らこそ 自分の素 直な気持ちをあ りのままに話せ る人の存在 は とて も大きか った し、求めて いたんだ と思 います。 当時、クラスの担任 の先生に毎 日提出 していた連絡帳 には毎 日、弟の ことばか りを書 いていま した。弟が亡 くな って時が経つにつれて世間か ら忘れ られていく虚 しさ に耐え られなか ったんですよね」。
3。
2
弟の死後 ―‑3年
か ら6年一一 (1)高校 1年の時「私は高校 に入学 してか ら家にいる時間が減ってす ごく楽にな りました。新 しい人間関 係ができた ことも新鮮で、 自分 を少 しリセ ッ トできた部分は大 きか った と思 いますね。
ただ、弟が死 んだ ことはあま り友達 には話せなか ったですね。反応が怖いっていうのも あ りま した し。だか ら『何人き ょうだい?』 と聞かれ る ことが一番 困 りま した。一人 と 言 って しまうとなんだか弟の存在 を消 して しまっている気が しま した し、か といって初 対面で 『弟は亡 くな ったんだ 』とはなかなか言 い辛か ったんです。だか ら結局は弟 に悪 いと思 いなが らも一人だ と言 っていました。ただ、担任の先生には話 を していましたね。
1年か ら3年の担任 の先生全員 には率直な気持ちを言 っていま した。 というのも担任の 先生 とは進路相談 をする中で 自分が どうい う道 を歩んで いきた いか を話 しているとどう して も弟が死 んだ ことが出て くるんです。 自分の生き方 を考える中では どうして も弟の 死 を無駄 に した くな いとい う気持ちが強か ったです」。
「3年生で将来 について考 えた とき も弟の ことが影響 していた と思 います。 うちの母 親 は子供 を亡 くして以来、本 当に辛そ うで した。それなのに世の中には子供 を虐待する 親 もいて矛盾 を感 じていたんです。だか ら当時は児童福祉 に関心があ りま したね」。
(2)高校2年・3年の時
10
「この頃、私 には付き合っていた人がいました。 この頃、両親はよ くケンカをしていま した。弟が死 んで以来、両親 は私 を育てる ことに生きがいをかん じて いま した。その中で、
私 に対す る教育方針 には父親 も母親 も思 いれが強か ったため、ぶつか る ことも多か ったん です。そ ういった中で、私 は 自分が生き残 った ことに強 い罪悪感 を抱 いて いま した。弟で はな く、 自分が死 んでいた ら家族が こんな にぶつか りあ うことはなか ったん じゃな いか と 思 っていましたね。だか らす ごく辛かったですね。そ うや って家庭が うま くいっていなか った こともあって、家族 には言えな いことを彼 に話 を していま した。彼 も幼い頃に父親 を 亡 くした ことがあったので、私 の中では弟の ことを安心 して何で も話せ る存在で した。私 は この頃 も弟の話 を誰か に したいという気持ちがす ごく強か ったのだ と思 います。だか ら そ うい う点で彼の存在 は本 当に大きか ったですね。家族 にはいつ も強 い私 を見せな けれ ば いけな いな とず っと思 っていたので、 自分が素直でいれ る場所があったのは本当に大きか ったです」。
3。
3
弟 の死後一‑6年
か ら10年一―(1)大学生1年
「私が大学 に入学 した ときに一番心に残っている出来事は、入学式に来た母親が泣 いた ことです。 これは入学式が終わ った後 に叔母か ら聞かされた話なので私は直接知 らないで す し、 うちの母親 も私 がその ことを知 って いることは知 らないと思 います。田舎か ら私 の 入学式 に参加 した母親 は『こんな立派な大学 に片方の子供は入学できるのに片方の子供は 大学 も行 けな いなんて 同 じ私 の子供 として生まれてきたのに可愛そ うだ 』と言 って泣 いた そ うです。私 はそれがす ごくシ ョックで した。確かにそ の通 りです し、弟の ことを考える と自分は生きていていいのだ ろ うか と私 はず っと罪悪感 を持 って生きてきましたか ら。『や っぱ り母親はそ うい う風 に自分 と弟 を比べてみているんだな 』と思 ってす ごく辛か ったで すね」。
(2)大学2年生・3年生
「それ以来、私は大学時代 を無駄 にせずにいきたいという気持ちがす ごく高ま りました ね。生きていくうえでの、 自分の使命感 とい うものを再確認 したのは この時だった と思 い ます。 この時、弟の死 を忘れ る ことな く、弟のために頑張 っていきてい こうと心 に決めま した。それ に当時は神学部 にいた こともあって、勉強 をする上で も『人の死 』とい うもの
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がす ごく身近 に感 じられたのでそ の意識は持続できた と思 います。それ に私 と同じよ うな 境遇の友達 も比較的多か ったですね」。
「大学 に入 る前の私はあま り外 に出て行 くタイプではな く、内向的で した。で もその こ とがあってか らはた くさんの人 に会 って い こうと思 って外 に出て行 くことが増えま した。
生きて いる以上は時間 を大切 に しない といけないな と思 ったんです。生きていることを意 識 しは じめた ら、人 と人 との時間が どれだけ貴重な ものなんだろ うと気づいたんですよね。
だか ら大学時代 にな るべ くた くさんの人 と出会 って、人 との出会 いを大切 にしよ うと思 っ たんです。 自分でサー クル を作 った り、転部 もした りと、アクティブにどん どんな ってい きました」。
4
考察さて、筆者 の弟が亡 くなってか ら現在 にいた るまでのライ フヒス トリーを聞き終 えた。
本章ではライ フヒス トリーか ら得たデータか ら筆者が 「弟の死」を受 け入れ られて いる段 階である ことを悲観 のプロセスか ら証明 し、そ のデータをさ らに分析す ることで何が根本 の原因なのか につ いて考察 していきたいと思 う。
4。 1 悲観の プロセスか らの考察
アル フォンス・デーゲ ンは、死別 によって残 された人間には 「悲観 のプロセス」 といっ た一連の情緒反応があ り、 こうした 「悲観 のプロセス」の行為は、喪失体験 に耐えて、 こ れ を受け入れ、現実 に対す る健全な適応力を回復す るために必要な反応だ と述べている。
またアル フォンス・デーゲ ンは このプロセスを段階に分 けて分析 している
(ア
ル フォンス0 デーゲ ン 1996:34)。そ こでまずは この 「悲観のプロセス」 と筆者が歩んできたプロセス とを比較・検討 して いき、筆者が どのよ うに 「死」 を受け入れていってお り、現在 はどういった段階に達 して いるのかを証明 していきたいと思 う。
(1)精神的打撃 と麻痺状態
アル フォンス 0デーゲ ンによると、心身のショックを和 らげようと、一時的に現実感 覚が麻痺状態 に陥 り、頭 の中が真空になったよ うで何 もわか らな くなる防衛機制が働 く
12
のだ とい う
(ア
ル フ ォ ンス・ デー ゲ ン 1996:37)。「私は昨 日まで生きていた人間が霊安室に横たわつているとい うことが、頭ではわかつ て いて もどうして も理解できないといった感 じで した。悲 しいとかそ ういった感情ではな く、客観 的 に 自分が置かれて いる状況 を見て いるもう一人の 自分 が いるよ うな感 じで し た」。
筆 者 の場合 、 これ は霊安室 の場面 が これ に値す る と考 え られ る。 この記述 の部分 か ら霊安室 にい る場面 で は まだ麻痺 状態 で あ る ことがわ か る。
(2)否認
これ は信 じた くな いがた め に、「死」とい う事 実 を否 定す る反応 の ことをい う
(ア
ル フ ォンス・ デーゲ ン 1996:38)。 この ことは火 葬 の前 の段 階 に現れ て いる と考 え る ことが で き る。「私は どこかで生き返るん じゃないかって思 っていたんですよね。もちろん不可能な こ とだ って ことぐらいわか ってはいるんですけ ど、それで もそ う思 っていた 自分がいました。
だ け ど火葬をして体がな くな って しまった らもう無理なんだ と思 って、それがす ごく怖か った ことを今で も覚えています。これで もう諦めなきゃいけな くな る ことをどこかで気づ いて いたんだ と思 います。弟が死んだ事実は遺体 を見れ ばわかるはずなのですが、受け入 れた くな い事実 を『生き返 るか もしれない』と自分 に言 い聞かせ る ことで見ないよ うにし ていたんだ と思 います」。
(3)パニ ック
これ は初期 に見 られ る反応 で ある とい う
(ア
ル フォ ンス・デーゲ ン 1996:38)。 これ は 弟が死 んだ朝 に この反応 が見 られ た ことがわか る。「その後 にお母 さんが救急車 を呼んで、父親 と母親は弟を救急車 に乗せて一緒 に病院に 行 って しまいま した。残された私は何が何だかわか らな くて、一人で家庭の医学の本 を取 り出 して何が起 きたのか必死 に調べていま した。何が何だかわか らな くて頭が真 っ白だっ
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た ことは覚えて います。涙が 自然 と出てきて、自分の感情 もよ くわか らなか ったですね」。
筆 者 の場 合 、 この反応 は早 い段 階で抜 け出せ てお り、 このパ ニ ックがお さえ るた め に 否認 が起 きて いた と考 え られ る。
(4)怒 りと不 当感 0敵意 とルサ ンチマ ン (う らみ)
これ は シ ョックが収 まる と、悲 しみ と同時 に、不 当な苦 しみ を負 わ され た とい う激 しい怒 りが湧 き起 こる反応 だ とい う
(ア
ル フ ォンス 0デー ゲ ン 1996:38)。「当時の私は『なんで うちの家が こんな 目に会わなければな らないのだろう』と、そん な ことばか り考 えて いま した。 とい うの も、母親 に『K(弟の名前)会いたいよ。私 は何 も贅沢 も望んで いない し、ただ普通 の温か い家庭がほ しか っただけなのにどうしてそれま で も奪われなけれ ばいけないの』と毎 日のよ うに泣 きなが ら言われて いたか らです。私は 弟が死 んだ悲 しみよ りも、弟が死 んだ ことによって家庭が暗 くな った ことや、自分 の両親 が泣 いて いる姿 を見 るほうがす ごく辛か ったんです。だか ら、何で うちの家だけが こんな 目に会わなけれ ばな らないだ ろうと思 って いま した」。
これ は葬式が終 わ り、日常 生活 に戻 った筆 者 の様子 な のだが 、「自分 が どう して この よ うな 目にあわ な けれ ばな らな いだ ろ う」 といった誰 か に責任 を押 しつ け、 自分 の置 かれ た状況 を恨 んで いる ことが こ こか らうかが える。
(5)罪意識
悲観 の行 為 を代表す る反応 で あ り、過去 の行 いを悔や み 自分 を責 め るのだ とい う
(ア
ル フ ォンス 0デーゲ ン 1996:42)。「あ とは中学の頃は部活 にす ごく打ち込んでいました。当時は合唱部 に所属 していて 副部長 をしていたんですが、後輩が可愛 くて仕方がなか ったですね。弟 と同 じ年の子たち だ と思 うとつい重ねて感傷 にひた っていた部分があった と思 います。私 は弟に何 もしてあ げ られなか った という後悔 もあったので、弟 と後輩 を重ねて後輩 を可愛がる ことで弟に対
してできなか った ことを償 っていたつ も りだ ったか もしれ ません」。
「弟が死んでか ら、私は自分が死んだほうがよかったん じゃないか、私が死んだほうが
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家族はもっと悲 しまずにすんだんじゃないかとずっと思 っていました。姉弟の一人が亡 く なった ことで、自分のほうが生き残っていることに対 して罪の意識があ りました。どうし ても比べて しまう自分がいて、それは大学の頃までずっと思っていました」。
(6)空想形式、幻想
空想 のなかで、亡 くな った人が まだ生きて いるかのよ うに思 い込み、実生活で もそ のよ うに振舞 う反応の ことである
(ア
ル フォンス・ デーゲ ン 1996:43)。「弟に対 してはきっとそばにいてくれているんだと信 じていましたね。部屋で一人、
弟の写真に話 しかけることも多かったです し、この頃はまだ弟の誕生 日にケーキを買っ て祝った りもしていましたね」。
筆者 の場合、弟が亡 くなったのにもかかわ らず、 どこかに弟の存在 を求め、 日に見 えな いだ けでそ ばにはいるのだ と思 い込んでいる部分が このプロセスに値す る。
(7)孤独感 と抑 うつ・精神的混乱 とアパシ‐
人によっては人間嫌 いに気分が沈 んで 自室 に引き こもることが増えるという
(ア
ル フォンス・デーゲ ン 1996:44)。 筆者 の場合、それが 中学時代 に起 きていることがわ か る。「あと、この頃は生きることに虚 しさを感 じた時期でもありました。『人はこんなに 簡単に死ぬんだな』と思 うと虚 しくなったんです。いい加減な人でも生きているのにな んであんないい子が死んだのだと思 うと、人が嫌になって冷めた日で見て しまうことが あったんです」。
(8)あき らめ
(受
容)・ 新 しい希望本来、 日本語 の 「あき らめる」 とい う言葉 には、「明 らか にす る」 とい う意味が あ り、 この段階に達すると、愛す る人は もうこの世 にいないというつ らい 「現実」
を 「あき らか」 にみつめて、相手の死 を受 け入れよ うとす る努 力が始 まるのだ とい う。受容 というのは、ただ運命 に押 し流 されて、投 げや りにな るのではな く、事実
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を積極的に受け入れていこうとする行為だという。また次の新 しい生活への第一歩 を踏み出そ うという希望の生まれた しるしでもあるという
(ア
ルフォンス・デーゲ ン 1996:45)。「それ以来、私は大学時代 を無駄 にせずにいきたいという気持ちがす ごく高ま りまし た。生きてい くうえでの、自分の使命感 とい うものを再確認 したのは この時だ った と思 います。 この時、弟の死 を忘れ ることな く、弟のために頑張 っていきてい こうと心 に決 めま した」。
これ は大学 1年生 の頃の記述 で あ る。 しか し、 この頃 の受容 は再確認 した もので あ り、 この よ うな あき らめ の気持 ちは 中学 時代 か らしだ い にで きて いた と考 え られ る。
(9)立ち直りの段階一新しいアイデンティティの誕生
悲観のプロセスを乗 り越えるということは、愛する人を失 う以前の自分に戻るこ とではな く、苦 しい経験を通 じて、新 しいアイデンティティを獲得 した人は、よ り 成熟 した人格へ と成長す る ことができるのだ という
(ア
ル フォンス・ デーゲ ン 1996:46)。筆 者 の場 合 、「悲 観 の プ ロセ ス」 か ら考 察 を行 う と、「立 ち 直 りの段 階 」 に現 在 は 達 して いると考 え られ る。プロセスか らみ るとよ うや く「新たな アイデ ンテ イティ」
を確立す る段階にまで行 き着 いたのだ と考 え られ るのだ。つ ま り筆者は、「弟の死」
を受 け入れ られて いる段階であることは この時点で証明す ることができる。 ここか ら、 自己の中心 を決定 している原因が 「弟 の死 をまだ受け入れ られていない こと」
ではない ことが言 えるのである。
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役割意識が及 ぼす影響 (1)役割意識の形成ここで ログの中か ら筆者が周 りか らの影響 を受け、それ によって 自分の役割 を自ら で定め、その ことが筆者の行動 まで変えて いるという部分 に注 目してみたいと思 う。
この ログの部分か ら、自己の中心の軸を決定す る上で大きく影響 を与えているのは「役
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割 意識」で はな いか と仮説 を立 て てみ る ことにす る。「弟 の死」そ の ものが筆 者 の 自己 の軸 の選択 に影 響 を与 えて い るので はな く、「弟 の死 」とい う出来事 か ら影 響 を受 けて 生 まれ た 「役割 意識」 とい うものが筆 者 の 自己 の 中心 を決定す る要 因 にな って いる と 言 え るので はな いか と考 え る。
「あと辛かった ことはお通夜 に来る人たちが私 に『あなたが しっか りしないとダメよ』
とか、『お父 さん とお母 さんを支 えてあげてね 』とい う言葉 をか ける ことで した。だか ら 私 は 自分が頑張 らなけれ ばいけないと思 いま した し、自分は両親 を支 える存在なんだ と自 分 を追 い込んで いきま した。だか ら私は この ときは泣 けなか ったんだ と思 います。 この時 は泣 いた記憶があま りないんです。弟の ことを考えるよ り、周 りの家族 を見て 自分が何 と か支えなけれ ばな らな いと思 って必死だ った気が します。だか らお通夜 に来て くだ さった 人が帰 った後は何だか少 しほっとしま した」。
この ログは筆者 の弟が死 んだ直後 の ことが書かれ た ログな のだが 、周 りの人 間が筆 者 にか けた言葉 が筆者 の行 動 に影 響 を与 えて いる とい うことが ここか らわか る。つ ま り、筆 者 は周 りか らの影 響 を受 け、 自 らで役割 を認識 し、 自覚す る ことで行 動 を定 め て いるので あ る。
「お葬式で一番印象に残 っていることは当時のクラスの担任の先生が来て くださった こ とで した。みんな私 に励ま しの言葉 をかけるんです、頑張れ って。だけ ど先生だけは違 っ ていたんですよね。何 も言わず に抱き じめて くれたんです。私ね、その時 に初めて心か ら 泣 けたんです。何 も考えず、ただ素直 になれた と思 います。先生 には『辛 いです 』つて言 えたんです。そ の時 に初めて体 と心が楽 にな るのを感 じま した」。
「それ に家庭が暗 くなっていた分、自分がなんとか頑張 らな くてはいけないという気持 ちでいっぱいだ ったので精神的にも吐き出 し口がな くて苦 しか ったんです」。
周 りの人間か ら 「家族 を支 え る存在」 だ と言 われ た ことで 自分 の 「役割」 を認識 し て行 動 しよ うと して いるのだが 、そ の一方 、「役割 」を果 たそ うとす る中で 自分 の悲 し み を吐 き出せ る場所 を探 して いる ことが この ログか らわ か る。 つ ま り筆者 は、本来 の 自分 の感 情 とは別 に求 め られ て い る役割 を認識 し、そ の役割 を必死 に果たそ うと して
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い る と考 え られ るので ある。 また 、筆 者 は 自 らに とって受 け入 れ が た い 「弟 の死」 と い うもの を認識 し、 自分 の頭 の 中で整理 を して消化 させ るた め の手段 と して 「役割 」 を設 定 して いる ことも考 え られ る。
片桐雅 隆は 「自己 と役割 」 につ いて次 の よ うに述 べて いる
(片
桐雅 隆 2000:51)。役割 は状況 を認知 し、組織化 す るた め の視 座
(パ
ースペ クテ ィブ)である と考 えられて いる。逆 に言 えば、人々は、かな らず しも明確 に言語化 しうるとは限 らない に して も、役割 に基づいて状況 を組織だった もの として認知 して いる。教師や学生、
医者 と患者な どの役割 は、そ のよ うな状況 の認知や組織化 のためのカテゴ リーであ り、それ らのカテゴ リー に基づ いて、人々は、 自己 と他者 との関係 を認知 し、また 自己 と他者 との行為の地図を描 くことができる。
つ ま り弟が亡 くな り、「家族 を支える存在」 として 自分 の置かれている状況 を認知 す る ことで、置かれて いる組織・状況 といつた ものを理解 しよ うとして いたのではな いだろうか。つ ま り、弟の死 を受 け入れ られないという混沌 とした状況の中で、 自己 と他者 との関係 を理解 し、 自らの行動 を自らで規定す ることで組織化 しているのであ る。 自分 に他者 との関係の中で 「自らの役割」 を定め、持たせ ることで弟が亡 くなっ た という理解 し難 い状況 を理解 しようとし、周 りの人間 との関係の変化 にも対応 しよ うとして いたのだ と考 え られ る。 このよ うな 「役割意識」 は周 りの状況や他者 との関 係か ら生 まれ、 自らで 「役割意識」 を持 ち、認識す る ことが 自らの行動 に大 きな影響 を与える ことになる。そ してその影響 を受 けてか ら生み出された行動 によって さ らに
「役割意識」が認識 され、強 くなっていくのではないだろうか。
この場合、筆者 自身が 「自分がなん とか頑張 らな くてはいけない存在」 と意識す る ことが 「弱音 を吐けない」 という行為 につながって いる。
つ ま り、「役割意識」が 自らの行動 に影響 を与える。そ してそ の 「役割意識」の強 さ が、 自己 を物語 る中心の軸 を決定する要因に大きな影響 を与える ことになるのではな いだろうか。なぜな らば、その意識が行動 を変えるか らであ り、行動 こそが 自己に刺 激 を与えるか らである。
そ して この 「役割意識」 を強 くさせた原 因には、筆者 とその周 りの人間 との関係が 大 き く関わって いるのではな いだ ろうか。筆者の周囲の人 に対す る記述 の部分か ら言
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え る ことは、周 囲の人た ち との関係 を 「弟 の死」 とい う視 点で構 築 して い る とい う こ とで ある。 これ は、 自 らが認識 して い る 「役割 意識」 と自 らの精 神状態 にギ ャ ップが 生 じた場合 、そ のギ ャ ップ を埋 め、 自 らで定 めた 「役割 意識」 を定着 させ るた め に 自 らを 「役割 意識」 が定着す るよ うな関係 の もとに置 こうと して いるか らで はな いだ ろ うか。だか らこそ 、「弟 の死」と関連 づ けて 関係 を築 いて いた ので はな いだ ろ うか。つ ま り自己 と他 者 を 「弟 の死」 とい うものでつ な ぎ合 わせ 、意 図的 に関係 を作 り出 して いたがた め に、「弟 の死」の影 響 か ら逃れ られ な い環 境 を 自 ら作 り出 し、そ の結 果 、「役 割 意識」 を強 めて い く こととな った ので はな いだ ろ うか。
(2)母親 の存在
また、 この筆 者 の 「役割 認識」 が根 づ いた のは筆 者 の母 親 の影 響 も大 きか った と考 え られ る。筆 者 の記 憶 の 中 には他 の家族 の記述 は あ ま り見 られ な いのだが 、母 親 の記 述 は頻 繁 にみ られ て いる ことか らそ の ことが推測 され る。筆者 の弟 の死後 の母 親 の記 憶 が多 い ことか ら、筆 者 の母 親 が筆者 に与 えて いる影 響 は大 き い と考 え られ る。つ ま り、母 親 が筆 者 に何 か し らの影 響 を与 え、それが筆 者 の 「役割 意識」 に も影 響 を与 え て いた ので はな いか と考 え られ る。
「あ とは 自分 の両親が私 のため に生きる ことで 自分達 の生きが いを見 出 して いる こと を知 って いたので 自分が頑張 らな けれ ばいけな いとい う気持ちにはな ってそれが重 いな と感 じる ことはあ りま した。」。
「お葬式 も終わって 日常生活 にだんだんと戻っていつたんですけど、うちは 自営業で酒 屋 をしていた こともあってお店 を休むわ けにはいかず、母親はお葬式が終わ ってか らまた いつ ものよ うに働 きは じめま した。で も私 はその姿 を見 るのがす ごく辛か つたんです。な ぜか とい うと、接客業の仕事なので本当は笑いた くもな いのに笑わないといけないか らな んです。母親は『人に会 いた くない』とこの頃はよ く言 っていま したね。まだ 自分 の中で 整理がついていな くて、ゆっくり考 えていたい時期 に 日常生活 に戻 ってい くことは本 当に 辛か つたんだ と思 います」。
「母親はず っと『自分のせいでK(弟の名前)は死 んだんだ』と自分 を責め続 けて いま したね。弟が亡 くな る前の夜 に母親 はハ ンバーグを作 っていたんですけど、弟が死 んで以 来 は辛 い 日の ことを思 い出 した くな いためかハ ンバー グを作 る ことがで きな くな った り
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もしました。 もう今では大丈夫なんですけ ど、そんな こともあ りましたね。あとは私が寝 ている時 に息 を しているか を確かめにくる ことがよ くあ りま した。弟は朝起きてみた ら死 んでいたので寝ていて も死 んでいるん じゃないか と不安だ ったんだ と思 います」。
この部分 を見 て もわ か るよ うに、母 親 に対 す る記述 が多 い ことか ら筆者 の記 憶 の 中 心 に母親 の存在 が大 き く関わ って いる ことが伺 え る。 つ ま り、筆者 の母親 の行 動が筆 者 に大 きな影 響 を与 えて い る ことを意 味す るので はな いだ ろ うか。 で は、 この母 親 の 影 響 が筆 者 の 「役割 意識」 に具体 的 に どういった影 響 を与 えて いた のだ ろ うか。
片桐 は、役割 取得 とは、 自己 のある行 動 にお いて 、そ の行 動 に対す る他者 の反応 を 前 もって予期 しうる こと、 また、そ の予期 に基 づ いて は じめ に企画 され た 自己 の行 動 を調節 しうる ことを意 味 して いる と述 べて いる
(片
桐 2000:51)のだが、つ ま りこの ことか ら考 え る と、筆 者 の行 動 に対す る母 親 の反応 を前 もって予期 す る ことで筆者 は 自 らの行 動 を調節 して いた ので あ る。つ ま りここで は、母 親 の行 動や言 動 か ら 「母 親 を支 えな けれ ばな らな い」とい う ことを予期 し、そ れ によ って 自分 の行 動 を調 節 して 、 そ の行 動 自体 を 「自 らの役割 」、「自 らの使 命」 に定 めて い るので あ る。筆 者 に とって母 親 とは一番 身近 で 「弟 の死 」 の影 響 を受 け、変化 して いる存在 で あ り、そ ういった人 間が筆者 の行 動 に与 え る影 響 は大 き く、そ の ことで 自 らの行 動 を調 節 し、そ の行 動が さ らに 「役割 意識」 に影 響 を与 え る といったサ イ クルが生 まれ て い るので はな いだ ろ うか。
そ して ここで注 目す べ き と ころは、そ んな 役割 意識 を さ らに再確 認 させ る出来事 が 筆者 の大学 1年生 の頃 に起 きて いる ことで ある。 この部分 は筆者 が ライ フ ヒス トリー
を語 る上 で特 に鮮 明 に記憶 され て いた とい う部分 で あ る。
「私が大学に入学 した ときに一番心に残 っている出来事は、入学式に来た母親が泣いた ことです。これは入学式が終わ った後 に叔母か ら聞か された話なので私 は直接知 らないで す し、 うちの母親 も私がその ことを知 って いる ことは知 らないと思 います。田舎か ら私 の 入学式 に参加 した母親 は『こんな立派な大学 に片方の子供は入学できるのに片方 の子供は 大学 も行 けないなんて 同じ私 の子供 として生 まれてきたのに可愛そ うだ 』と言 って泣 いた そ うです。私はそれがす ごくシ ョックで した。確か にそ の通 りです し、弟の ことを考える と自分 は生 きて いて いいのだ ろ うか と私 はず っ と罪悪感 を持 って生 きて きま したか ら。
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『や っぱ り母親はそ ういう風 に自分 と弟を比べてみているんだな 』と思 ってす ごく辛かつ たですね」。
「それ以来、私は大学時代 を無駄にせずにいきたいという気持ちがす ごく高ま りました ね。生きて いくうえでの、自分の使命感 とい うものを再確認 したのは この時だった と思 い ます。 この時、弟の死 を忘れ る ことな く、弟のために頑張 って いきて い こうと心 に決めま した」。
筆 者 は弟が亡 くな って以来 、罪悪感 を抱 えて生 きて きて いた。そ のた め母親 に弟 と 比 べ られ た とい う出来事 は筆 者 に大 きな影 響 を与 え る ことにな る。 また、そ れ 以上 に
「母親 を支 えな けれ ばな らな い」 とい う 「役割意識」 を持 って いた のにも関わ らず、
母 親 を悲 しませ て しまった とい う ことが さ らに筆者 に 「役割 意識」 を根 づかせ る原 因 にな った と考 え る ことがで き る。
筆 者 は弟 の死 後 、「役割 意識」 とい うものが周 りの人 間や 状 況 の影 響 によ って形 成 され て きた。そ してそ れ を意識 して行 動す る ことで さ らにそ の 「役割 意識」 を 自 らで 再確 認 し、そ の ことで よ り「役割 意識」が強 まった ので あ る。また、そ の 「役割 意識」
を持 ち、 自 らに課 す ことでそ れ を意識 で き る環境 を 自 ら選 んで いった結果 、偏 つた 関 係 の 中で しか 自己 を見 出す ことが で きなか った ので はな いだ ろ うか。 また筆者 の場合 は弟 の死後 か ら時 間が経過 した後 でそ の役割 を再確 認 す る出来事 が あつたが た め に、
さ らに 自分 の役割 の認識度 が 高 ま り、それ が 自己 を 「弟 の死」 とい う軸 で語 るよ うに な った本 当の原 因 といえるので はな いだ ろ うか。つ ま り、 人間 は過去 の出来事 の影 響 の強 さか らだ けで はな く、「役割意識」の強 さによって 自己 を表す軸 を決定す る といえ る と考 え られ る。
浅野智彦 は次 のよ うに述 べ て い る。
常識 的 には、「自己」 とい うの は 自 らの様 々な行 為 と体 験 が 帰属 させ られ るあ る 中心 のよ うな もの と考 え られ て いるだ ろ う。す なわ ち人 は 日々、他者 と交渉 し、周 りの世界 に働 きか け、そ してそ れ らを体 験 して もい るわ けだが 、 自己 とい うの は、
そ ういった無数 の行為 と体 験 の 中心 にある もの と信 じ られ 、感 じ られ て いる。で は、
なぜそれ は 「中心」 な のだ ろ うか。それ は、そ こを中心 と見 る ことによ って は じめ
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