憲法異議の客観的機能について
著者 武市 周作
著者別名 Takechi Shusaku
雑誌名 東洋法学
巻 56
号 3
ページ 57‑84
発行年 2013‑03
URL http://id.nii.ac.jp/1060/00004100/
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止
目次はじめに一 憲法異議手続の現状二 憲法異議の二重機能 (
1)憲法異議の主観的機能 (
2)憲法異議の客観的機能 (
3)憲法異議の受理手続
( 三憲法異議の客観的機能の根拠 4)小括 (
1)憲法裁判所の地位
( 2)基本法及び連邦憲法裁判所法上の根拠 ( 四主観的機能と客観的機能の相互関係 3)基本権の客観的内容と憲法異議の客観的機能の関係 (
1)判例 《論説》
憲法異議の客観的機能について
武 市 周 作
( おわりに 2)学説の反応
はじめに
連邦憲法裁判所は早くから、基本権について、主観的権利としての性格に加えて、客観的な内容を有することを認 (
保障あるいは制度(体)保障にも通じてお ( め、通説も基本的にはこれを支持してきた。この基本権の客観的な内容それ自体は、ヴァイマル期以降の制度的 1)
確認されたという方が相応し ( り、連邦憲法裁判所によって新たに発見されたというよりも、むしろ再 2)
い。いずれにしても、リュート判決(あるいは、その前年の夫婦合算決定)以 3)(
続保障などに及び、連邦憲法裁判所の重要判例でそれらが展開されてきた。 権の客観的内容は時代が下るにつれて豊富になっていく。照射効、第三者効力、給付・配分請求権、保護義務、手 降、基本 4)
このような基本権の内容が、同様に「主観的」「客観的」の二重機能が指摘される憲法異議の機能とどのように関わるか。これまで筆者は、基本権の客観的内容、保護義務・保護請求権論について検討してきたこともあって、これが本稿のきっかけである。
憲法異議の機能に関してはドイツにおいて議論が尽きな (
は、客観的憲法の保障を目的とすることは明白であ ( い。連邦憲法裁判所が有するそれ以外の権限について 5)
にもみえるが、連邦憲法裁判所は早い段階で憲法異議の客観的機能を認め、議論を誘う判決を下してきた。 害が求められおり、これが他の手続と異なる重要な特徴である。規定上は主観的権利保護を唯一の目的とするよう 機能がその本質であることは当然である。これに対して、憲法異議はその適法性の要件として自己の「基本権」侵 る。連邦憲法裁判所の地位から考えても、このような憲法保障 6)
憲法異議の機能論 (
は、法社会学的あるいは政治学的アプローチが必要となった 7)(
判権との関係を視野に入れたいわゆる機能法的アプローチ全体にまで議論が及んだりする ( り、立法者・専門裁判所と憲法裁 8)
くこととする。 を広げることはせず、基本権の客観的内容を念頭に置きながら、憲法異議の客観的機能に関する議論を整理してい 。本稿ではそこまで議論 9)
本稿は、川又伸彦「判決に対する憲法異議の機 (
整理・考察はできないが、基本権の客観的内容との関連性をきっかけとしているこ ( の反応にとどまらず、日本の学説による憲法異議に対する評価も整理されている。本稿ではそのようなスマートな 能」と重なるところが多い。そこではドイツの判例の動向や学説 10)
したことについて先に触れておく。 ついても少しだけ踏み込んで述べ、また川又論文では触れられていない判例やそれ以降の判例の動向にも一応言及 と、客観的機能に関する判例に 11)
一 憲法異議手続の状況 憲法異議手続が一九五一年に連邦憲法裁判所法によって導入されて以来、連邦憲法裁判所に係属した事件のうち同手続が占める割合は高い水準を保ってきた。伸び率は一九六九年に基本法上の根拠を得た前後を問わず年々増加しており、今後もこの状況は変わることがないであろう。連邦憲法裁判所の統計によれば、一九五一年から二〇一一年末までの間、連邦憲法裁判所に係属した総事件数一九万五〇一八件のうち、憲法異議手続は実に一八万八一八七件に上り全体の九六・五%を占めている。しかし成功率は低く、二〇一一年末までに四四〇一件で憲法異議全体の二・四%にとどまる。シュテルンは、このような低い成功率にもかかわらず、「憲法異議が憲法裁判所の管轄権の全体システムの中でも特別な意義を与えられる」ことを認めてい (
る。なお、従前「抽象的審査制」 12)
の典型として挙げられることが多かった抽象的規範統制手続(
abstrakte Normenkontrolle
)は、二〇一一年末までで一七二件で全体のわずか〇・一%に満たない。他方で、具体的規範統制手続(konkrete Normenkontrolle
)は、三五一一件で全体の一・九%であ (る。 13)
もちろん、係属件数だけから、連邦憲法裁判所が有する権限の機能を導くことはできないが、従来わが国でドイツの憲法裁判の象徴的な存在として紹介されてきた抽象的・具体的規範統制手続の件数に比べ、憲法異議が突出していることはその本質を考えるにあたっても見落としてはならない。憲法異議が、連邦憲法裁判所の過重負担の原因であることは指摘され、この負担を少しでも解消すべく様々な手立てが講じられてきた。その最たるものが憲法異議受理手続であり、さらにアメリカのサーシオレイライの導入に関する検討もなされ (
手続は、憲法異議の機能論と関連する。 た。後述するように、受理 14)
二 憲法異議の二重機能
( 1 )憲法異議の主観的機能
先にみたように、基本法九四条一項四a号と連邦憲法裁判所法九〇条の規定は、憲法異議を申し立てるにあたって自らの基本権侵害を要件としており、その限りで、憲法異議の第一次的な機能は、個人の主観的権利の保護にあるとされ (
る。憲法異議は、実体的基本権を実現するための手続的な要石であ 15)(
家による国民の「特別な権利救済」ともいわれ ( による個人の権利保護に着目し、通常裁判所における手続と比較して憲法異議には独自性が認められ、そこから国 の手続においても基本権保護という結果はもたらされうるが、憲法異議もその役割は果たしてきた。ただし、裁判 り、専門裁判所や憲法裁判所による他 16)
る。 17)
なお、これとの関連で、憲法異議手続は一九条四項で求められる出訴の途には含まれていないことには注意が必要である。また、基本法九三条一項四a号にいう「公権力」には―基本法一九条四項とは異なり―立法権・執行権・司法権も含まれており、憲法異議は基本法一九条四項による権利保護という枠を超えたものといえ (
とは、基本法九四条二項二文および連邦憲法裁判所法九〇条二項で求められる憲法異議の補充性にも現れてい ( る。このこ 18)
る。 19)
( 2 )憲法異議の客観的機能
憲法異議には、このような主観的機能に加えて、憲法の客観的保障機能があるとされる。まずは連邦憲法裁判所がこの二重機能を認めたリーディングケースを示してお (
く。 20)
連邦憲法裁判所は、戦禍通則法(
AKG
)の補償請求に関する規定が改正されたことに伴って新たに生じる訴訟の費用負担が申立人の基本権侵害(申立てにおいて、平等権を規定する基本法三条、公用収用の補償に関する裁判保障に関 する一四条三項四文、基本法一四条三項と結びついた一九条四項侵害が主張された)と、損害賠償請求の裁判保障に関する基本法三四条四文違反が問題となった事例において、憲法異議の二重機能について述べた。少し長くなるが、頻繁に参照される事例でもないので、該当部分を訳出することとす (る。 21)
裁判費用という付随的な決定に異議申立人の利益が限定される場合に、判決に対する憲法異議のために権利保護の必要性が認められるかどうかの問題に対する答えは、事案に応じて、「憲法異議手続の特別な性質とこの法的救済の一般的目的から導かれなければならない。」
「憲法異議は、二重の機能を有する。憲法異議は、第一には、国民に対して、基本権および基本権類似の権利
を防御することを認め、通常の一般的な訴訟よりも厳格な要件の下でのみ、市民に認められた特別の権利救済である。連邦憲法裁判所は、当初からこの要件を限定的に解釈してきた。これは憲法異議手続が、他のほとんどの手続にはみられないように、濫用や逸脱の危険にさらされているからである。連邦憲法裁判所は、数多くの判決において、特に『憲法異議の補充性の原則』を強調し発展させてきた。これによれば、憲法異議は基本権侵害を防ぐために必要なものでなければならず、基本権侵害の除去や同等の現実的な結果が連邦憲法裁判所によることなく得られる場合には妥当しないことになる。これについて法的安定性に基づいて、確定的な裁判所の判決は例外的にしか疑問視されないと考えることは重要であるが、憲法異議の機能の可能性もまた考慮されなければならない。」 「憲法異議は市民の個人としての基本権保護に尽きるわけではない。『あら探し的な破毀効果(
kasuistischen Kassationseffekt
)』に加えて、いわゆる『一般的な教育効果(generellen Edukationseffekt
)』をも有する(Zweigert, JZ 1952, S.321
)。更に、客観的な憲法を維持し、その解釈と発展に資するという機能を持つ。このことは、連邦憲法裁判所法三一条一項、同条二項二文、九〇条二項二文、九三a条四項、九五条三項に現れている。その限りで、憲法異議は同時に客観的憲法の特殊な法的手段であるとされるのである。」……民事訴訟法や行政裁判所法、財政裁判所法などの規律と比較しても、「費用の決定変更に関する利益があるからといって、少なくとも原則的には、紛争の中心の本案審査のために権利保護の必要性が基礎づけられるわけではない。訴訟の流れの中で、当事者の利益が、本案処理の結果として費用の点に限定される場合、通常、簡素な手続によって費用についてだけ適切な裁量の下で決定される。……」
このように本件では、憲法異議の二重機能を認め、第一には基本権保護のための特別の権利救済手段であるが、それに加えてさらに、客観的な憲法秩序を守り、その解釈と継続形成に資するという機能を有するとした。このような言い回しは、リュート判決以降、連邦憲法裁判所が基本権の客観的内容についての言及と構造上は類似する。その上で、連邦憲法裁判所は、本件において「継続している費用負担は、異議申立人個人の法的利益ではなく、単に財産領域に関わるものにすぎず、この領域への考えうる介入は特に強度のものではない」として主観的な基本権侵害は認めなかっ (
とならないと結論付けた。 た。そして、客観的機能に基づいてもこの規定および連邦通常裁判所による適用の合憲性は問題 22)
他方で
BVerfGE 45, 63
においては、憲法異議に関する機能について、このBVerfGE 33, 247
を引用した上で、次のように述べ、客観的機能の限界を指摘し (た。 23)
「しかし、憲法異議の二重の権利保護機能は、絶対的なものというわけではない。侵害されたとされる客観的な憲法規範と同時に―九三条一項四a号に沿って引用すると―主観的権利を保障している場合にのみ、憲法異議は認められる。主観的な憲法上の権利が侵害されているという非難が、すべての憲法異議の要件である。客観的な憲法の誤った適用だけを非難する憲法異議は、―他のすべての許容性要件とは関係なく―このような権利からも許容されることはない。基本法は、民衆訴訟を用意していないのである。」
この判決自体は、基本法一四条三項における補償規定に関する重要な決定を下した砂利採取事件(
BVerfGE 58, 300
)に繋がる事件であ (る。本判決では、二重機能を認めつつも、憲法異議の客観的機能が際限なく広がることを 24)
認めるわけではないことを示し (
た。 25)
その他にも、
BVerfGE 51, 130
において、連邦憲法裁判所は、憲法異議の補充性について厳格に解釈するにあたって、憲法異議の濫用が「憲法異議の客観的な機能を正しくすることや、異議申立人全体の利益のうち基本的な憲法上の意義を有し解決の必要な法的問題を適切な時期に決定すること」を妨げるとして批判してい (る。 26)
( 3 )憲法異議の受理手続
さて、連邦憲法裁判所判決で認められてきた憲法異議の客観的機能は、その後の連邦憲法裁判所を取り巻く環境に伴う法改正によってさらにその意味を持つようになってくる。それが憲法異議の受理手続であ (
kann
利益が発生する場合も」受理することができる()としている。 しい場合」には受理しなければならず、また、b第二文で「裁判を拒絶することにより異議申立人に特に重大な不 憲法異議に基本的な憲法上の意義がある」場合、「b第九〇条一項に列挙されている権利を実現するために望ま 度は、基本法九三a条において定められており、憲法異議は裁判のために受理を要するが、その第二項で、「a る。現行の受理制 27)受理手続は、先にみた憲法異議の「洪水」に対処するために導入され、その後繰り返し改正されてきた。導入の背景には、連邦憲法裁判所の過剰負担を軽減することの必要性があるが、それも単に各裁判官の負担を軽減するというにとどまらず、より重大で本質的な問題へ集中して取り組むための制度と捉えられてもいるのである。係属件数をみる限り、有効に機能したかは疑わしいところもあるが、いずれにしても受理手続の導入は、制度的に 0000客観的機能が強調されるきっかけとなったことは間違いな (
の不利益が基準となっており主観的な要件であるが、aおよびb第一文は明らかに客観的な機能を示している。こ い。九三a条二項の受理要件をみても、b第二文は異議申立人 28)
れによって主観的機能が排除されるわけではないが、大きく後退する可能性が生じ (
正の経過をみる限りでは、客観的機能へ重点がシフトしてい ( る。実際、受理手続導入後の改 29)
いう要件では足りず、客観法的な要件が求められ(端的には連邦憲法裁判所法九〇条の「一般的な意義」というメルク る。本案判決を受けるためには、主観的な権利保護と 30)
マールが客観的性質を表している)、ここから主観的機能は手続法上の再構成を受け、憲法異議はより客観的機能に接近する。さらに部会決定でも受理手続が認められるようになるなど、その役割は増し、それに伴って客観的機能がますます強調されるようになる。他方で、受理手続は、もはや権利保護の実現に対する単なる外からの限界付けではなく、憲法異議手続の内在的要素あるいは構成上の要素であるとも指摘され (
る。 31)
( 4 )小括
以上を踏まえると、憲法異議の客観的機能は、「連邦憲法裁判所に提示された本案の中に存在する、基本権に関する問題とは異なる基本的な憲法問題を扱う権限や、連邦憲法裁判所の処理容量(
Kapazität
)を守るために提起される異議申立てから一般的とはいえない内容を取り除く権限を連邦憲法裁判所に与え (る」ことにな 32)(
によって示しているに過ぎない」とされ ( 素を除去すること、すなわち憲法自体を侵害から保護するというコントロールを憲法異議の客観的機能という概念 的な憲法の維持と発展」であり、「単に、憲法上の問題を抽象的に解明し、それに伴って法秩序から憲法違反の要 摘では、客観的機能の核心は、「個人の―将来的に可能性のあるものであるとして―基本権侵害とは独立した客観 る。また別の指 33)
る。 34)
また、先に挙げた判決でみたように、連邦憲法裁判所は―ツヴァイゲルトの論文を引用して―「一般的な教育効果(
Effekt
)」についても言及し、憲法異議が、立法者や行政・裁判所による基本権に対する責任と尊重について《教育する》ことを認めているが、これもまた客観的能の表れである。
さらに、個人の政治参加効果についても指摘されることがある。憲法異議が、個人の主観的権利の保護にとどまらず、憲法秩序の維持や解釈といった客観的機能を持つことをもって、憲法異議を通じての国民による憲法解釈への関わりを認める立場である。これによる「憲法の実現のために市民が総動員されること」に繋がるなどともいわれ (
るとする指摘もあ ( る。このような機能については批判的な見解も少なくないが、憲法異議の一つの機能として重点を置くべきであ 35)
が強調され、「手続法上の憲法生活への国民の参加に対して、民主的手続を開くという重要な役割を負ってい ( 議手続は、他の諸手続とは異なり、国民の積極的な申し立てによって開始されるため、「国民の参加」という性格 る憲法裁判所制度とそれに関わる手続もまた広くいえば民主的機能を有することは否定できない。なかでも憲法異 る。民主制が憲法上の根本価値として把握されている限りで、ドイツ基本法の統治機構の一部た 36)
数者保護という伝統的な対立の緩和にも有益であるとすることもできる。 大きく上回る場面が少なくない。このような機能を視野に入れることは、民主制における多数決と司法における少 本権だけでなく、権限規律や手続規律などのような客観法的な憲法規範が審査基準として援用され、主観的機能を とされる。憲法異議においては、上でみた客観的機能の観点から、基本権介入に関する憲法適合性審査の際に、基 る」 37)
三 憲法異議の客観的機能の根拠
( 1 )憲法裁判所の地位
憲法異議が、主観的機能に加えて客観的機能を有することを認める根拠は何か。広くいえば、憲法裁判所の地位そのものからもその根拠は導きうる。これによれば憲法裁判所自体が基本権規定と憲法の保護を目的としているこ
とを指摘したり、「客観的な法秩序の保障のための制度が、間接的に主観的な権利の保障に有意義であること、逆に、主観的な権利の保障が、結果として、客観的な法秩序の保障に役立 (
は、その他の裁判所の付随的・補充的な役割を負っているのではなく、―組織的・人的に ( つ」ことを根拠としたりする。憲法裁判所 38)
解釈が、その他の裁判所も含めたすべての国家権力を拘束し、さらには指針的な役割を果た ( を果たすことが求められている。それはまさに「憲法」裁判所であり、新たな憲法解釈の方法を提起し、その憲法 も―独立して独自の役割 39)
す。 40)
( 2 )基本法及び連邦憲法裁判所法上の根拠
基本法や連邦憲法裁判所法の規定からも客観的機能を裏付けることができる。
まず、そもそも基本法九三条一項四a号も連邦憲法裁判所法九〇条も、客観的機能を排除する規定にはなっていな (
護を超えた客観的機能を帯びることは十分に考えられる。次に、基本法九四条二 ( い。あくまでも憲法異議の出発点として基本権侵害の主張を求めているのであって、審査の過程で主観的権利保 41)
えられ ( ていることを求めていること、また、―すでにみたように―受理手続を認めていることが客観的機能に繋がると考 項において、出訴の方法を尽くし 42)
とも、先にみた同法九〇条の「一般的な意義」と同様の根拠と考えられ ( する場合として主観的機能に適った受理手続を認めつつも―基本的な憲法上の意義という受理要件を認めているこ る。第三に、連邦憲法裁判所法九三a条二項aにおいて、―一方で、異議申立人に特に重大な不利益が発生 43)
る。 44)
さらに、判決の言い渡しに関する規定も客観的機能を根拠づけるとされ (
定が侵害されたかを」確認することを求め、同項二文が「異議を申立てられた措置の反復がいずれも基本法に違反 法異議が認められた場合、基本法のいかなる規定が侵害されたか、及びいかなる作為または不作為によって当該規 る。連邦憲法裁判所法九五条一項は「憲 45)
する旨を言い渡すことができる」と規定していることは、客観的な憲法の意味を明らかにすることを連邦憲法裁判所に対して求めており、その点で客観的機能を考慮に入れていると考えられる。さらに、同条二項が「〔裁判所及び行政庁の〕決定に対する憲法異議が認められた場合、連邦憲法裁判所は、当該決定を廃棄」するとし、さらに三項で「法律に対する憲法異議が認められた場合、当該法律を無効と宣言しなければならない。前項の憲法異議が認められた理由が、廃棄された決定が違憲の法律に基づくことにある場合も同様である。……」と規定していることも挙げられる。
その他にも、連邦憲法裁判所法三一条において、憲法異議も含めて、連邦憲法裁判所の裁判がすべての国家機関を拘束することも、個別具体的な紛争を終わらせるに止まらず、将来的な更なる紛争を避けるという客観的機能を持つことにつながると指摘するものもあ (
も、個人の権利保護という機能からは離れた一般的拘束力を伴った宣言であることも客観的機能を強化するとされ
Unvereinbarerklärung
る。また、同様に、同項における「違憲確認宣言()」 46)(
る。 47)
( 3 )基本権の客観的内容と憲法異議の客観的機能の関係
さらに、このような客観的機能が、基本権の客観的内容・客観的機能とリンクするという議論がある。グズィは次のように述べる。すなわち、基本権の客観法的内容に基づくと、「基本権保護は同時に単なる個人の権利保護を超え、あるいはそれとは異なるものとなる。それに対応して 0000000(
dementsprechend
)、連邦憲法裁判所は、『客観的憲法を維持し、同時にその解釈と発展に資する』という機能を強調す (消極的な立場を示す中で、基本権の機能志向的理解が憲法異議の客観的機能と関連することは「明白である」とし る」。また、クラインも、客観的機能に対して 48)
てい (
る。 49)
先にみたとおり、基本権の客観的内容は、連邦憲法裁判所初期の判例において認められてき (
えた機能を客観的内容としており、その点で、憲法異議の客観的機能と議論の構図としては重なるところである。 判されるところであるが―内容豊富になってきた。確かに、基本権においても個人の主観的権利・利益の保障を超 次堕胎判決において、立法者による保護義務へと展開し、連邦憲法裁判所の基本権判決は―少なからぬ学説から批 観法的内容は、初期においては、裁判所などの法適用機関への照射効を中心に展開し、その後、定数制判決や第一 た。この基本権の客 50)
しかし、両者の理論的な繋がりはそれほど明白ではないように思われる。基本権の客観的内容を前提にして考えてみた場合、憲法異議が「基本権」侵害を要件としている限りで、憲法異議にも基本権の客観的内容が影響すると考えることもできなくはない。しかし、少なくとも連邦憲法裁判所が憲法異議の客観的機能について中心的に言及した例において、基本権の客観的内容との関連性はみられない。あくまで手続上、基本権保障を超えた機能を認めているにすぎないのであって、実体的な基本権の客観的内容をリンクさせる必要性はないように思われる。
また、審査基準の問題として、憲法異議が有する主観的権利の保障の側面を強調すれば、連邦憲法裁判所は個人の権利保護に関わる範囲で審査をすることになるが、反対に客観的機能に重点を置けば、個人の主観的権利の侵害があるかどうかの審査に限定されることはなくなるということが指摘される。しかし、連邦憲法裁判所は憲法異議において、基本権規定もその他の(客観的な)基本法規定も区別せず審査基準として用いており、このことはとりわけ基本権の客観的内容から導かれるものでもな (
張について、単に個人の利益に着目して審査するだけでなく、基本法の客観的内容に関わる限りでの判断を下すこ とは指摘するが、それ以上のことは述べない。現実の連邦憲法裁判所判例をみても、異議申立人の基本権侵害の主 い。ツックもこれについては憲法異議の客観的機能がもたらすこ 51)
とは―この事態の評価はとりあえずここでは措くとしても―それほど珍しいことではな (
において、連邦憲法裁判所が、「憲法二条一項を通じて客観的憲法を異議提起可能な基本権侵害の範囲の中に含め い。これはエルフェス事件 52)
(
る」判断を下したことにも関連す 53)(
ることとな ( 内容を持たない客観的憲法原理に違反している場合にも、基本法二条一項の基本権が侵害される」ことが認められ る。これによって、「異議を申立てられた公権力の行為が、…それ自体は個人的 54)
る。 55)
さらに基本権の照射効は、通常裁判所に対する連邦憲法裁判所の審査(
Nachprüfung
)権限を拡張させる一因になっており、連邦憲法裁判所の権限の限界づけに関わる議論を生じさせるきっかけになっていることは間違いない。しかし、「客観的機能」を導く意図が「主観的機能でないもの」を認めることにあるのであれば、結果的に類似の効果をもたらすのは当然で、理論的には両者が繋がっていないということをとりあえずの結論としておきたい。四 主観的機能と客観的機能の相互関係
( 1 )判例
憲法異議の両機能はどのような関係にある (
く、一般的なケースでは客観的な法秩序の保障が主観的権利の保障に有意義であると考えられ ( か。基本権保障が客観的法秩序の維持に資することはいうまでもな 56)
が重要であるケースでは基本権保障は全うされるという事態にもなりかねな ( えられる。主観的にも客観的にも重要な事例では基本権の実現が制限され、反対に主観的または客観的のどちらか バランスが崩れ、客観的機能を強調しすぎることで、異議申立人の主観的権利・利益が制限されるような場面も考 る。しかし、両者の 57)
い。これはとりわけ異議申立人の個人 58)
の主観的利益と公共の利益が衝突するケースにおいて先鋭化す (
認めることの実践的な意味であると捉えることもできる ( る。このような場面こそ、憲法異議に客観的機能を 59)
を指摘しておかなければならない。 でみるように、客観的機能は連邦憲法裁判所の憲法裁判権の限界づけというよりも、その判断余地を広げうること が、そうであるからこそ批判されるところでもある。以下 60)
まず、客観的機能を強調することで、個人の権利侵害があったとしても、憲法異議が不適法(または不受理)とされることが考えられる。とりわけ現行の受理手続の要件は、異議申立人の利益を措いて規定されており、異議申立人が不受理とされることで特に重大な不利益がある場合でも、「受理することができる」とするにとどまっている。主観的機能を除去しないまでも、大幅に減退させる可能性があるほどまでに客観的機能が前面に押し出されている。また不適法とする際にも、憲法秩序の維持を強調すれば、個人の利益に対する制約が認められるような場面も想定しうる。
また、事件が客観的な意義を有する場合、個人の利益保護とは関係なく、憲法裁判所は当該憲法問題を解明することができるとされた事例がいくつかみられる。典型的なかたちであらわれたのが、正書法改革判決(
BVerfGE 98, 218
)であ (機能が、異議申立人の利益に反してでも前面に出る」ことにな ( ような場面では、取下げは申立人の自由にはならず、「客観的憲法を維持し、その解釈と発展に資する憲法異議の 憲法裁判所法九〇条二項二文に基づき、一般的意義のゆえに憲法異議が認められており、口頭審理が行われている 取り下げることができ、裁判所はそれに拘束されるが、例外がないわけではないとした。連邦憲法裁判所は、連邦 効として、判決を下した(憲法異議に理由はないと判断した)。本来異議申立人は根拠を挙げることもなく申立てを る。この事件では、異議申立人が申立てを取下げたにも関わらず、連邦憲法裁判所はこの取下げを無 61)
る。 62)
さらに、個人の利益保護に直接関係なく判断を下した事例として、ヴンジーデル決定(
BVerfGE 120, 300
)にも言及しておく。この事件で連邦憲法裁判所は、異議申立人が手続の途中で死亡したにもかかわらず、正書法改革判決によりながら、憲法異議手続を果たし申立てを棄却した。異議申立人が集会の主導者であり、他の多くの者の利益に関わっている点や、部によってすでに審議され、決定にまで煮詰まっていたという事情もあり、本件での法的問題が将来の多くの集会にとって重要であることから憲法上の一般的意義が認められ、「客観的機能が、異議申立人の死亡にもかかわらず手続を継続することを正当化する」とされたのであ (る。 63)
時の経過や事情の変更によって異議申立人の利益は認められないものの、客観的な意義が残されている場面では同じように考えうるが、連邦憲法裁判所は、事件に応じて異議申立人の保護の必要性を判断し、憲法異議の主観的機能を基本とした判断をしていると評価するものものあ (
る。 64)
( 2 )学説の反応
マーシュは、両機能の関係について、学説の反応を「連邦憲法裁判所を支持する見解は、両機能が実務において、具体的な事例において客観的機能の重量オーバーに行き着くまでのできる限りの発展を望むのに対して、批判的な見解は、原則として主観的な機能が客観的機能に対して優位することを出発点として、客観的機能を補完的なものとしてみる」とまとめてい (
するべきであるといえ ( 争を引き起こす。一般的にいえば、客観的機能が主観的機能を排除するものではないし、むしろ基本権の強化に資 る。確かに個人の権利保障機能が喪失するまでに客観的機能が強調されることは論 65)
れ ( る。場合によっては、「公共の利益と異議申立人の利益の衡量」が求められることも考えら 66)
るが、その利益衡量は一般的・抽象的に議論することはできず、事例に応じた個別の判断が求められる。連邦憲 67)
法裁判所も判決において触れているところであるが、学説はあくまでも憲法異議の出発点となる基本権侵害を第一次的に捉えること自体は否定しない。その上で、両機能のバランスをどのように図るかが立場の違いに繋がる。クラインも、憲法異議の客観的側面は「個人の基本権保護に対して否定的な効果を持ち」、行き過ぎた内容の拡張をもたらす客観的機能への誘惑を断ち切り、実質的な憲法の実現という主たる任務を有する憲法訴訟法の中で、憲法異議も個人の主観的な基本権から離れていくことは許されないとしているが、あくまで憲法異議の客観的機能に対する総括的な指摘ではなく、客観的機能に基づく拡張傾向に対する警告であることを指摘してい (
る。 68)
学説においてとりわけ論争的であったのが正書法改革判決である。学説の反応は二分され (
法裁判所の役割であるとも考えう ( の欠缺は立法者の意図するところで、憲法異議の取下げについて規律されていないがゆえに、欠缺の補充を連邦憲 た。連邦憲法裁判所法 69)
も指摘され ( ているような場合では妥当かもしれないが、この件はあくまでも例外的なもので一般化することは認められないと る。事件の性質によって、個人の利益が後退し、公共性のある問題が中心となっ 70)
る。やはり客観的機能が主観的機能を損なうようなものでは受け入れられにくいであろう。 71)
また、マーシュは、異議申立人が死亡したにもかかわらず、あるいは憲法異議を取下げたにもかかわらず、連邦憲法裁判所が継続して判断を下してきた諸判例に対して、権力分立の観点から、憲法裁判所の権限は無制限ではありえないしあってはならないとして、あくまで手続を裁判という形式にしたという重要な制限があるのであるから、自ら権限を拡張することを批判す (
るとし、このような制限は手続の主観的機能から正当化されるとしてい ( る。ただし、マーシュもヴンジーデル決定のように、更なる数多くの当事者が想定される場合には例外が認められ させるものであるとして、憲法の解釈、維持、発展を唯一の目的とした手続の継続は原則として許されないとす る。連邦憲法裁判所のこのような判断は、個人の権利保護という性格を変性 72)
る。 73)
このようにみると、ドイツの学説における憲法異議の機能に対する評価は、結局個別の事例に応じて、両機能のバランスを検討していくしかないという穏当なところに落ち着くことになる。
おわりに
そもそも客観的機能に肯定的な見解は、「その概念に多種多様な意味内容が与えられること」を可能にすることを認めてきた。そうであるならば権利保護機能に対して限界が引かれることは、いわば当然の論理である。これに対して、「他方で客観的要素(と思われるもの)が主観的機能を補充し強化するものであるから、客観的要素が主観的機能の一部であ (
についてはとりあえず消極的に考えられると結論づけた。 議論の構図は、基本権の客観法的内容に関するそれと類似するが、しかし上で触れたように両者の理論的な関連性 る」などとして憲法異議に客観的機能自体は認めながらも抑制的な立場もみられる。このような 74)
憲法異議の客観的機能を認めるドイツの(今日の)議論とは対照的に―そしてまたわが国における理解の傾向とも対照的 (
度の本質」であ (
Verfassungsbeschwerde
障に限定されるべきであることを強調するのが川添利幸「西ドイツにおける憲法訴願制 に―、早くから憲法異議の「本質的性格」あるいは「第一次的目的」について、申立人の主観的権利の保 75)法異議は基本法上の制度となり、憲法異議手続の継続件数や受理手続の改正など取り巻く環境は大きく変わった とされるかどうか」として、主観的機能への限定を根拠づける。この論文が最初に公表された一九六二年以降、憲 れる。その上で、両機能の区別についての「基本的なメルクマールは、自己の権利を侵害されたことが出訴の要件 るからといってただちに憲法異議の性質も客観的機能であるとする「素朴な類型的把握に危険を感じた」と指摘さ る。そこでは、たとえ連邦憲法裁判所が客観的憲法秩序の保障のためにとくに設置された機関であ 76)
が、これをもって憲法異議の本質的内容が変容したといえるかどうか。自己の基本権侵害という要件が、基本法上の制度たる受理手続の導入によって根本的にその意味が変わってしまったとするならば、今日まで「基本的なメルクマール」として捉えうるか。
入り口としての自己の基本権侵害という要件が主観的機能を裏付けることは間違いないが、そうであるからといって常に主観的機能が優先することを基礎づけることはできない。憲法裁判所の地位の理解によっては、主観的機能が第一次的であると捉えることも見直されることにな (
が首尾一貫しておらず、事例に応じた恣意的な判断をしうるという問題は含んでい ( が衝突するような事例は、それが例外的であるかは別にしても、常態というわけではない。他方で、そのこと自体 による憲法保障の側面を認めるとしても、常に基本権保障を蔑ろにするわけでも、してきたわけでもない。両機能 る。当然のことではあるが、連邦憲法裁判所が憲法異議 77)
る。 78)
川又論文が、基本法および連邦憲法裁判所法上の要件による理由づけを超えて、連邦憲法裁判所が個別の司法事実の認定と評価という事実問題にまで踏み込んで審査する例を分析し、主観的権利保障の機能を重視している点を指摘するのは重要であ (
稿では触れる余裕はな ( の限界画定の問題で展開されてきた議論にシフトすることになろう。これに関する学説の整理・検討については本 議の本質に関する理論的な根拠づけを必要とする。これは結局、憲法異議の客観的機能に限定されない憲法裁判権 する見解が、客観的機能を認めた判例やそれを裏付ける制度の指摘に止まっているとしたら不十分であり、憲法異 する憲法異議において積極的に基本権保障機能を果たしてきたか否かを評価する余裕はないが、客観的機能を重視 判して―憲法異議の客観的機能は「主観訴訟の枠内において果たされうるものである」とする。ここでは判決に対 る。そして、―わが国における憲法異議に対する評価が客観的機能重視の傾向にある点を批 79)
い。 80)
注
(
1) 基本権の客観法的内容については、石川健治「『基本的人権』の主観性と客観性―主観法と客観憲法の間」『岩波講座憲法
2
人権論の新展開』(岩波書店、二〇〇七年)七頁以下、井上典之「基本権の客観法的内容と主観的権利性―ドイツ基本権解釈学の素描」覚道古稀『現代違憲審査論』(法律文化社、一九九六年)二六九頁以下。また、拙稿「連邦憲法裁判所初期の判例における
価値秩序論について」中央学院大学法学論叢二三巻一号(二〇一〇年)一六八頁、宍戸常寿『憲法裁判権の動態』(弘文堂、
二〇〇五年)一九九頁以下、松本和彦「ドイツ基本権論の現状と課題」ジュリスト一二四四号(二〇〇三年)一八八頁以下、ユッタ・リンバッハ/青柳幸一訳「ドイツ連邦憲法裁判所の五〇年」ジュリスト一二一二号(二〇〇一年)五六頁以下、松原光宏「基
本権の多元的理解をめぐって(一)~(三)」法学新報一〇三巻六号九五頁・一〇三巻七号七五頁・一〇三巻八号六一頁(一九九七年)、Robert Alexy, Grundrechte als subjektive Rechte und als objektive Normen, Der Staat, S.49(ロベルト・アレクシー/小山 以上のように、議論はあれども、憲法異議は一般的に個人の主観的権利・利益保護という性格を超えた機能を有するものであるとされてきた。従来、―いわゆるアメリカ型と対比して―ドイツにおいては規範統制手続をはじめとする客観的な憲法秩序の保護が強調されてきたことに対して、憲法異議が主観的権利保護という性格をもつものとして対照的に示されてきたことについて、このような対比的な類型論が持つ意味は大きく減少してい (
る。 81)
わが国の最高裁判所も、近時の違憲審査の活性化が指摘されるところであるが、これまでの判例の傾向をみても、少なくとも法令審査においては個人の権利保護を達成させるためというよりも、一般的・抽象的な審査を展開して結論を下してきたように思われる。わが国における司法審査が付随的審査制度であるとしても、憲法上の権利保障のみならず、憲法保障機能を認めることは矛盾しな (
い。わが国の違憲審査との比較も今後の検討課題とする。 82)
剛訳「主観的権利及び客観規範としての基本権(一)(二・完)」名城法学四三巻四号(一九九四年)一七九頁、四四巻一号
(一九九四年)三二一頁)、青柳幸一「基本権の多次元的機能」『個人の尊重と人間の尊厳』(信山社、一九九六年)七六頁以下、戸
波江二「西ドイツにおける基本権解釈の新傾向(一)~(五・完)」自治研究五四巻七号~一一号(一九七八年)参照。(
( Deutschland, III/2, 68.§ laus Stern, in: Stern/Becker Hrsg., Grundrechte-Kommentar, Einl.38ff; Stern, Das Staatsrecht der Bundesrepublik2) ()
( Stern Fn.2 Einl.36.3) () BVerfGE 7, 1984) リュート判決()において連邦憲法裁判所が、基本権を国家に対する市民の防御権であることに加えて、「憲
法上の根本決定としてあらゆる法秩序に妥当」する客観的内容を有し、「立法・行政および裁判がそこから方向性と刺激を受ける」としたことは周知の通りであるが、その前年の夫婦合算決定において、家族保護に関する基本法六条一項について「価値決定
的な原則規範」であることを認めている。ただ、いずれにしても、リュート判決がドイツの基本権発展にとってターニングポイント(Weichenstellung)であることは間違いない。これについてはリュート判決に対する多様な考察として、Thomas Henne/ Arne Riedlinger (Hrsg.), Das Lüth-Urteil aus (rechts-) historischer Sicht, 2005がある。
(
Nikolaus Marsch, Die objektive Funktion der Verfassungsbeschwerde in der Rechtsprechung des 5) 非常に最近のものとして、
Bundesverfassungsgerichts, AöR Bd.137, 2012, S.592がある。後にも見るように連邦憲法裁判所の判決との関係で機能論について
触れられるものは多くあるが、ここでは包括的なものとして、Christoph Gusy, Die Verfassungsbeschwerde, in: Peter Badura/
Horst Dreier, FS 50Jahre Bundesverfassungsgericht, Bd.1, S.641; Eckart Klein, Zur objektiven Funktion der Verfassungsbe-schwerde, DÖV 1982, S.797.(
本稿と同時期に公刊される予定である。)。連邦憲法裁判所の権限には、「申立権者の権利・利益や権限と関係なく法律の憲法適合 6) 連邦憲法裁判所の権限については、工藤達朗編『ドイツの憲法裁判』(中央大学出版部、二〇〇〇年)(なお、同書の改訂版が
性審査が行われる」抽象的規範統制(同書三五三頁〔森保憲〕)や、「連邦およびラントの議会立法者の保護と、法的混乱及び法的不安定性の回避」を目的とする抽象的規範統制のほか(同書三三四頁〔畑尻剛〕)、連邦機関争訟、連邦国家的争訟、基本権の喪失
手続、政党の違憲確認手続、連邦大統領に対する訴追手続、選挙抗告手続などがある。このうち基本権喪失手続も、いわゆる闘う
民主主義に基づいて、憲法秩序を保護するために基本権の保護を剥奪することを意味する予防的な憲法保障である(同書四二四頁
〔山本悦夫〕)。また、選挙抗告手続の目的についても、連邦憲法裁判所は、「主観的権利の保護ではなく、連邦議会の正当な構成を保障するための客観的な選挙法の保護にある」とされる(同書四四六頁〔山本悦夫〕)。
(
的」や「本質」などとしても論じられてきた。例えば、憲法異議に関する先駆的な研究である川添利幸「西ドイツにおける憲法訴 FunktionEffekt7) 憲法異議の「機能()」論には、後にも触れるように憲法異議の「効果()」も含まれる。さらにこれまで「目 願 Verfassungsbeschwerde制度の本質」同『憲法保障の理論』(尚学社、一九八六)一七七頁(初出、公法研究二四号(一九六二
年)一五〇頁)は、憲法異議の「目的」について考察しているが、本稿の対象と変わらない。(
8) 戸松秀典『憲法訴訟〔第二版〕』(有斐閣、二〇〇八年)は、「第Ⅳ編憲法訴訟の機能論」を掲げ、「通常の法解釈論の作業に
とどまらないで、訴訟や裁判が憲法秩序の形成の場面で示す機能について」考察している。ここでの憲法訴訟の機能論は、本稿の関心に沿ってまとめるならば、さらに次のような考察に区分することができる。すなわち、①「憲法訴訟の性格」論…憲法訴訟を
憲法保障型と私権保障型とに区分し、その「目的」を整理する、②「憲法裁判の効果」論…「裁判所の憲法判断が、憲法訴訟の当
事者のみならず、政治過程や社会にもたらす法的および事実上の効果に注目する」、③「憲法裁判のインパクト」論…「ある憲法裁判が政治過程や社会に影響を与えて、それに刺激されたさまざまな反応や対応が生まれるところをとらえて分析する」、④「司
法の政策形成機能」の考察である。このうちドイツにおける憲法異議の機能論は、主に①②について言及するものが多いが、「機能論」を大きな枠組とする戸松教授の区分と同様、その考察対象は相当に広くなっている。
(
9) 機能法的アプローチについては、とりわけ宍戸(注
1)二三六頁以下、渡辺康行「概観:ドイツ連邦憲法裁判所とドイツの憲
法政治」ドイツ憲法判例研究会編『ドイツの憲法判例〔第二版〕』三頁。また、Martin Düwel, Kontrollbefugnis des Bundesver-
fassungsgerichts bei Verfassungsbeschwerden gegen gerichtliche Entscheidungen, 2004を参照。
(
二〇〇四年)五〇八頁以下。 10DAS) 川又伸彦「判決に対する憲法異議の機能」研究会編『ドイツ公法理論の受容と展開―山下威士先生還暦記念』(尚学社、
( 11) ただし川又(注
10)の注
12において、工藤(注
6)〔工藤達朗〕を引いて同様の関心が示されている。本稿の関心の第二の
きっかけはここにある。
(
山・高田編訳『ドイツ憲法Ⅰ総論・統治編』(信山社、二〇〇九年)五二七頁)。 12Klaus Stern, Das Staatsrecht der Bundesrepublik Deutschland, Bd.II, IV 44, S.1016) §(シュテルン/赤坂・片山・川又・小
(
13http://www.bundesverfassungsgericht.de/organisation/gb2011/A-I-1.) 以上の統計については、連邦憲法裁判所ウェブサイト html(二〇一三年一月一〇日確認)と、Benda/Klein, Verfassungsprozessrecht, 3.Aufl., Anhang II, S.598fを参照した。Vgl. Benda/ Klein, Verfassunsgprozerecht, 3.Aufl., Rn.439f.(
14) 受理手続については、工藤(注
て、いわゆるベンダ委員会の報告書を詳細に分析した小野寺邦広「ドイツ『連邦憲法裁判所の過重負担解消委員会』報告書 6)二七二頁以下〔小野寺邦広〕が詳しい。ドイツにおけるサーシオレイライの導入につい
(一九九八年)について―サーシオレイライの導入の試みとその挫折―」比較法雑誌四三巻三号(二〇〇九年)一九九頁参照。(
Bethge, Bundesverfassungsgerichtsgesetz, 90Rn.8ff; Umbach/Clemens/Dollinger, Bundesverfessungsgerichtsgesetz 90Rn.13;§§ 15Benda/Klein Fn.13 Rn.392ff; Lechner/Zuck, Verfassungsprozessrecht, 3.Aufl., 90 Rn.7ff; Maunz/Schmidt-Bleibtreu/Klein/) ()§ Rüdiger Zuck, Das Recht der Verfassungsbeschwerde, 3.Aufl., Rn.80ff. 川添(注
( 7)。
( 16Gusy Fn.5S.644.) ()
( 17Gusy Fn.5S.645f.) () 18Stern Fn.1244, IV, 9) ()§(シュテルン『ドイツ憲法Ⅰ』五二七頁)。
(
( 19Gusy Fn.5 S.645f. b.) ())
( 20Zuck Fn.15 Rn.75ff.) ()
( 21BVerfGE 33, 247258f..) ()
( 22Zuck Fn.15Rn.76.) () 23Zuck Fn.15Rn.77.) ()