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九州大学大学院比較社会文化学府

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

The Stage Versions of Literag Works of Zhang Yimos's Film

馬, 小立

九州大学大学院比較社会文化学府

https://doi.org/10.15017/4494485

出版情報:比較社会文化研究. 7, pp.57-75, 2000-03. Graduate School of Social and Cultural Studies, Kyushu University

バージョン:

権利関係:

(2)

『比較社会文化研究』第7 (2000)57 75 Social and Cultural Studies 

No.7 (2000),  pp.57 75 

張芸謀の文学映像化研究

『紅いコーリャン』と『羅生 門』の比較を 中心 に 一

馬 小 立

はじめに

張芸謀が中国映画監督の「第五世代」の一員としてずば 抜けて優れた成果を収めた。1999年まで彼の作品は合計13 本である。その中の『一人と八人』 (1983年 張軍判)は 張芸謀の映画活動の第一作品としての意味だけではなく,

第五世代映画の処女作にもなった。その後,張芸謀の参加 した映画はほとんどの映画祭で受賞した。従って張芸謀の 成功の原因が映画評論家の興味を持つ話題になったのである。

張芸謀映画の研究は次の理論傾向が存在している。中国 の評論家はおおかた彼の作品の映像技巧と文化内包を分析 し,研究は感想・概説のレベルに止まっているか,又は西 洋の理論思潮の影響によってあまりにも抽象的,難解であ る。海外の評論界において張芸謀は「中国第五世代の革新 派映画人の中心人物」だと呼ばれている。その理由として まず第一に,彼の映画は基本的に製作の技巧を重視する。 次に彼の作品には政治を反逆する気持ちが現われていると 言われる。特に二番目の理由に対して海外の映画評論家た ちはあまりにも関心を持っている。張芸謀の映画に対する 評価のもう一つの傾向とは善し悪しを論評するという評価 も両極に分化するということである。中国の映画評論家で ある陳墨が指摘したように「適切に張芸謀の映画の価値を 論じるのは難しい。 全体的に,かつ正確に張芸謀の映画を 理解することは今の状態でできることではない。」1995年, 陳墨の執筆した『張芸謀電影論(張芸謀映画論)』は出版 され,割に全体的に張芸謀映画について論じられている。 その中で陳墨は次のような観点を述べている。「沢山の人々 が張芸謀映画に対して言うべき言葉がない,またはどう評 価したらいいのがわからない。 その原因参照できる物がな いからだと考えられる。」(I)続いて作者は,特に張芸謀映 画と原作の関係についてこう論じている「張芸謀と張芸謀 映画を研究しようとすれば,彼の映画に関連している小説,

及び張芸謀と映画の原作の作家との関係を研究しなければ

ならない。いまだに張芸謀の監督した成功の映画はみんな 現代の小説を映画化したものだからである。」「一番いい方 法は張芸謀の映画と原作を比較することである。原作は研 究のいい座標軸になれる。」と結論をくだした。しかし,

これは本当に有効な方法なのであろうか。ジョージ ・ブル ストは『小説から映画まで』 (2)で「映画と小説はそれぞ れ独立性を持ち,それぞれの独特の本性を持っているので,

ある映画は小説より良く,或いは悪と語ることは映画の研 究にとって何の意味もない。」と指摘している。単純に張 芸謀の映画と原作を比較することは,なかなか結論を出せ ないである。芸術形式において,映画と小説は別々のもの である。前者は視聴造型芸術であり,後者は言語言叙事芸 術である。そのためいくら比較しても,いずれが高いの低 いのか論ずることが難しい。そのため中国映画界において 張芸謀の映画とその原作のいずれがレベルが高いのかとい う問題についての論争がやまないのである。張芸謀の映画 は国際映画祭で何度も受賞しており,世論としては張芸謀 の映画によって,作家たちの評価も高まり,原作のレベル も高くなったと評論する。こうした論調に対して,ある評 論家は張芸謀が原作に平面的な改編を行ったと批判する。

「彼が気に入るのは原作の立体世界の中のプロット,原作 の中の深い内容を避けているのである。」(3)以上の現状か ら見れば,張芸謀の文学映像化研究に, 一つの問題が存在 していることが分かる。即ち,適切な「座標軸」が設定で きずに,張芸謀の文学映像化の特徴,方法及び深度を正確 に認識できないということである。

そこで本稿においては,張芸謀の文学映像化の価値,特 徴を更に正確に判断,分析するために, 一つの「座標軸」

を設定してみたい。そのために張芸謀の文学映像化作品と 黒澤明による文学映像化作品を比較,考察してみたい。

黒澤明の『羅生門』 (1950年)は文学映像化の作品とし て技術的にも内容的にも世界映画の発展に多大な影響を与 えた。Stanley

J . 

Solomon(スタンレー].ソロモン)の

(1)陳墨『張芸謀電影論』(中国電影出 版社 19956 p41 

(2)ジョ・プルスト(アメリカ) 『小説から映画まで』(高織千 訳 中 国 電 影出 版 社1981 (3)陳墨『張芸謀電影論』(中国 電 影出 版 社 19956 p43

(3)

『電影的観念(映画の観念)』(中国電影出版社 1983年) や,MarcelMartin(マーシャル・マーティン)の『電影 語言(映画の言語)』(中国電影出版社 1982年)などを初 め,『羅生門』を典範作品として論じている。また,注目 すべきは,『羅生門』は張芸謀を含める中国「第五世代」

に影響を及ぼした作品である。

1988年,張芸謀の『紅いコーリャン』が日本に公開され た際,, 『紅いコーリ「 ャン』は日本映画における『羅生門』

に匹敵する中国映画だ。 一それは神話と美の世界を開く」

ものであると映画評論家の ドナルド ・リチーは賛辞を贈っ た。(4)このように,張芸謀の『紅いコーリャン』と黒澤明 の『羅生門』は,芸術性,歴史的意義など,様々な面にお いて,共通性や類似性があると考えられる。そこで本稿で は文学映像化における『紅いコーリャン』と『羅生門』の 比較,さらに張芸謀の文学映像化の価値,特徴を考察する。

‑.張芸謀映画の文学映像化の概観

1.張芸謀と「第五世代」映画

張芸謀及び張芸謀映画を研究する場合,まず中国映画の

「第五世代」について触れなければならない。張芸謀は北 京電影学院を卒業した後,張芸謀はカメラマンとして他の 第五世代の監督たちと協力し合って,何作の映画を撮った。

その時の経験と教訓は彼の後の監督生活にとって重要な意 義を持っている。

陳凱歌の監督した『黄色い大地』 (1984年)は1985年の 香港映画祭で上映され,『黄色い大地』を「中国大陸〈第 五世代映画〉の衝撃波」(5)と評価した。その後,「第五世 代」という用語は新聞,雑誌を初め,研究論文,研究書等 広く用いられてきた。

今は「第五世代」の映画人たちは既に練れてきて,それ ぞれの風格は形成するのである意味で探索意義を持つ集団 形式の「第五世代」の思潮と運動は既に終わった。しかし,

「第五世代」における早期創作活動は,以後の「第五世代」

の芸術創作活動をみても大変大きな影響を与えていると考 えられる。

1982年,張芸謀は北京電影学院の撮影科を卒業後,監督 科の張軍判,撮影科の肖風, 美術科の何群らとともに広西 電影制片殿に就職した。1983年,張芸謀はカメラマンとし て『一人と八人』に参加。他にも監督に,張軍判,撮影介 風, 美術に何群が参加し,『一人と八人』は1982年の北京 電影学院の卒業生が中心となって製作した第一作,また,

「第五世代」の第一作の映画でもある。

つづいて張芸謀は, 1984年に陳凱歌監督の『黄色い大地』

Il , 

の撮影として参加, 1985年にはおなじく陳凱歌監督の『大 閲兵』に撮影として参加した。

この1980年代の初頭に,田壮壮,呉子牛,李少紅,顧長 衛候眺,高峰ら「第五世代」の映画人は次々とデビュー

し,新たな映画思潮を生んだ。

こうした「第五世代」の誕生は映画評論界の注目をあっ め。「第五世代」の「新映画」には強い反偶像,反迷信,

反伝統意識と憂患意識が入っていると評価された。この「第 五世代」の衝撃によって中国映画の伝統的思惟は打ち破ら れ,様々な論争を巻き起こした。

2.張芸謀の文学映像化観念

『一人と八人』,『黄色い大地』は「第五世代」の処女作 であり代表作品でもある。張芸謀はこれら二作の映画のカ メラマンであった。張軍判の『一人と八人』は郭小川の著 した同名長編叙事詩を原作としている。陳凱歌の『黄色い 大地』は利藍の著した『空谷回声』という, 三千字ほどの エッセイを原作としている。小説ではなく,詩とエッセイ を原作とするということは彼らがまず映画形式,映画言語 の面で反伝統,新路を探索しようと決意を示している。彼 らは伝統映画の物語を語り,ストーリーに拘るという古臭 い伝統的なやり方に不満を抱き,カメラで詩,散文のよう な深みや味わいを作り出そうとし,更に映像で豊かな情緒 を表現しようとした。

1987年,張芸謀はカメラマンから,映画監督に挑戦した。

『紅いコーリャン』は彼の初監督作品である。この作品は,

それ以前の「第五世代」の作品と異なり,詩やエッセイで はなく, 莫言の小説『紅高梁』と『裔梁酒』を原作にした のである。その後の張芸謀作品は全て小説を原作としたも のである。『紅いコーリャン』は「第五世代」で初めて小 説を映画化した作品である。『一人と八人』,『黄色い大地』

の切符の売れゆきはよくなかった。また当時の中国映画評 論界も第五世代に対して叙事ができない,生き生きとした 主人公が描けていないと批判した。張芸謀が小説を原作と したことはある程度,伝統映画と妥協していると言える。 つまり映画のストーリー,と人物像に気を配り,第五世代 の風格と民族審美伝統を結び付けるのである。その後,「第 五世代」の監督たちは次々と小説を映画化し始めた。張芸 謀は文学映像化において「第五世代」の映画観念と実践に ある程度の修正を加えた。

張芸謀は小説に頼っている。このことを張芸謀は認めて いる。「中国に素晴らしい映画があるのはまず中国の文学 作家に感謝しなければならない。私ははやくからこの点を 認識していた。(中略)私は小説を離れるべきではないと

(4) ドナルド ・リチー 1988年に H本 で 発 売 さ れ た 『 紅 い コ ー リ ャ ン 』 の ビ デ オ の ポ ス タ ー に よ る (5)「香港:黄 土地〉衝 撃 波(『当代電影』 1985年 第 4期

(4)

張芸謀の文学映像化研究

おもいます。」(6)彼はいかなる中国の映画監督より文学映 像化を重視している。

張 芸 謀 が 映 画 監 督 に な り , 独 立 し て 映 画 を 撮 り 始 め た 1987年 頃 は , ち ょ う ど 中 国 文 学 界 の 変 革 時 期 一 新 時 期 文 学時期でもあった。それ以前の新中国の文学はただの 「批 判の武器」にすぎず,その後「独立の新文学」が現れてき た。 1985年,文学理論批評界は福建で「文学理論批評新方 法研討会」を行った。その研討会は中国文芸理論界の意識 形態の変革のしるしであり,文学の自立及び新文学の誕生 に重要な役割になった。そして小説家の韓少功などが「尋 根文学」の主張を掲げ,理論及び創作における大胆な探索 を行った。「尋根文学」はそれ以前の三度の文学思潮と本 質的な異なりを持っている。以上の文学界の変革の勢いは 中国の作家たち,特に青年作家たちに大きな影響を与えた。

このように彼らの創作観念,審美態度,及び創作方法はそ れ以前の作家らとは大きく異なった。そのために評論界は 彼らを「新潮作家」或いは 「前衛作家」と称した。

張芸謀が選んだ小説作品は全てそれらの青年作家達の作 品である。

二.張芸謀の黒澤明への接触

「第五世代」監督がデビューした1980年 代 の 初 め に デ ビューした初頭の中国は,改革開放の真ったな中であり,

特殊な政治的環境と社会的文化的な背景は,この世代が生 まれる外部条件だと考えられる。

中国の政治情勢が転換を始めたのは1978年12月中国共産 党第11期3中全会が開かれた後のことである。郊小平が3

中全会で「解放思想,実事求頁,団結一致向前看」と発言 し, 「全党の仕事の重点と全国国民の関心とを社会主義現 代化建設に移さなければならない。」を主張した。これに より「階級闘争を重視した」時代が終ったのである。以後,

様々な改革政策が行われた。改革開放政策の進展に伴って,

文芸政策も大きく変化していた。情勢の変化に左右されや すい映画製作の分野にも,おおきな変化をもたらした。同 時に映画評論界もいままで中国映画史上なかった理論討議 を行った。張暖新や李陀が,「演劇の杖をなくす」,「映画 言語の現代化」の論争を発起したのである。映画製作者,

理論家の想像領域と空間はもはや教条主義に束縛されるこ とがなく,創作から理論至るまで,「全方位の躍動」を見 せた, このような情勢の下においては映画の刷新,及び第 五世代の監督の出現は不思議な事ではない。

(6)李 而 蔵 張 どihti見』(春凩文と 出 版 社 199810 p9

1.大学時代の張芸謀の黒澤明映画への接触

改革開放政策により,同時代のさまざまな外国からの思 想や文化の流れが入ってきた。それらは,これまで以上に つねに新しいものを求めつづけてきた中国新世代の監督た ちに理解され,吸収されるようになった。従来の伝統的な ものに不満を持つこの世代の監督たちは,これまでまった く知らなかった外国映画の思潮や発想と表現手段を把握す ることによって,中国の伝統的な映画の発想と表現方法を 見直そうとした。

北京電影学院の学生が授業中見ることができる外国映画 のほとんどが世界の巨匠たちの作品である。その外国人監 督たちの名前をあげると:西ドイツのファスビンダー,フ ランスのゴダール,イタリアのフェリーニと日本の黒澤明,

大島渚などである。黒澤明の映画は日本映画の授業だけで はなく,映画造型の授業で最高水準の作品として学生たち に見せている,担当教師は

1

兒震であった。 また,映画劇 作概論授業は共通科目であり,即ち,全学校の学生が受け なければならない授業であった。担当教師は映画評論家の 注流。 1978‑1985年に,

i

王流が授業中に使ったテキストは 1985年5月に映画芸術基本理論シリーズの一冊として出版 され,題名は『電影劇作概論』。この本の第七章「文学映 像化 :芸術の再創造」には文学映像化について論じられて いる。その中の第三節「映画の方式の再創造」に黒澤明の 映画の文学映像化を挙げられている。また,特筆すべきこ とは上に挙げた外国人映画監督の中で黒澤明だけが北京電 影学院の文学映像化のテキストの中に挙げられた唯一の監 督である。(7)

2.『紅いコーリャン』と『羅生門』の比較の先行研究 たくさんいる世界中の映画監督の中で黒澤明は,中国映 画監督の心の中に特別な地位を占めている。それは黒澤明 が世界に認められたアジアの映画監督の第一人者目からで ある。中国と同じく日本にとって映画は外国からの舶来品 である。これ以来,映画は西洋の芸術と見なされ,束洋映 画 は 世 界 の 映 画 界 に お い て ほ と ん ど 注 目 さ れ て い な か っ た。黒澤明の『羅生門』は1951年にベニス映画祭でグラン プリを受賞し,日本映画の高いレベルを世界に知らしめた。

これをきっかけに世界の眼が黒澤作品に,そして日本映画 に注がれることになる。こうして黒澤は「世界のクロサワ」

になったのである。中国映画監督,特に張芸謀のような第 五世代の監督にとって黒澤明が彼らの心の中の民族的英雄 であり,偶像でもある。 37年後,黒澤明がベニス映画祭で 受賞してからついに中国人映画監督の夢は実現した。張芸 謀の『紅いコーリャン』はベルリン映画祭でグランプリを

(7)狂流 『 電 影 劇 作 概 論 』 ( 中 国 電 影 出 版 社 1985 p230‑231を参 考

(5)

受賞したのである。

その後『紅いコーリャン』の受賞した原因についての 論争が巻き起こった。ある評論家はこの論争を「『紅いコー リャン』現象」と称し「この現象が束方と西方の衝突を屈 折する」(8)と述べた。羅芸軍の論文「論『紅高梁』現象」

は『紅いコーリャン』と『羅生門』を比較することを通じ て『紅いコーリャン』の受賞した原因を見つけることを図る。

1987年12月『電影芸術』雑誌は『紅いコーリャン』につ いての討論会を開いた。北京電影学院の監督科の教授鄭洞 天は『紅いコーリャン』には日本映画を模倣する痕跡があ ると語った。「例えば,高梁の撮り方は新藤兼人の『鬼婆』

のヨシの撮り方と似ており,誘拐のシーンは黒澤明式の手 持ちカメラをそのまま使っている。技巧の面では何も新し

く突破していない」とした。(9)

文学映像化における『紅いコーリャン』と『羅 生門』の比較

1.原作の共通点について

張芸謀が第五世代の前の二作と違って,詩と散文ではな く,小説を映画の原作としたが,原作についての選択は従 来の旧世代の中国人映画監督と根本的な異なっている。第

=,四世代が映画化した小説には二種類がある。 一つは中 国の名作,もう一つは中国の現実を表現する現実主義小説 である。張芸謀が選択した小説『紅高槃』と『高梨酒』は 創作観念,創作技法などの面では上に挙げた小説と大きく 異なる。黒澤明の『羅生門』の原作者芥川龍之介の小説『羅 生門』と『藪の中』とを比較してみれば,原作の共通点は いくつか見られる。

A.反伝統的な第一人称

莫言の『紅高梁』,『高梁酒』と芥川の『藪の中』ともに 第一人称で叙述するばかりではなく,双方とも普通の第一 人称小説とは異なっている。普通の第一人称小説は特定の 人物の角度から題材を構成して,叙述者の熟知することし か描かず,そうすると取捨選択しやすい上に,読者に真実 感,親しみを感じさせる。しかし『藪の中』ではそうでは なく,数人で同じ事件を語らせるばかりか当事者たちが 語った事件の真相はそれぞれであるように描かれている。

その上,亡霊を巫女の身にとりつかせ,叙述に参与させる ことによって幻覚の世界に入るようにした。そうすると,

叙述形式そのものを表意の芸術手段に変えたことによって 語ったことは信じられないようになってしまい,普通の第 一人称の効果と正反対になってしまう。『紅裔梁』,『高梁 酒』の叙述者は一人であるが,慣例を打ち破り,語ったこ

とは主人公が理解しにくい,又は了解するすべがない祖先 の経験で,そのうえ常に他人の内心的感銘を描いている。

この主観憶断的な第一人称の叙述は作者が伝統的な叙述に 対する大胆な挑戦なのである。この作品が認められ,非難 されない理由は, この小説が主観表意の作品なので,写実 小説の現実的法則に従わなくてもよいということであり,

つまり,第一人称の叙述も主観表意の手段の一つにすぎな いとしているためである。その面から見ると,『紅高梁』,

『高梁酒』は芥川の『藪の中』と同エ異曲の妙を得ており,

双方が使った第一人称とは反伝統的な表意手段なのである。 B. 写義形態類型

小説形態学は小説を写実,表意するという二つ形態に分 けている。表意小説は写意,寓意という二つ類型がある。

『羅生門』,『藪の中』と『紅高梁』,『高梁酒』とも写意類 型であり,即ち,変態誇張,又は幻意形式によって人間と 人生の本質的な特徴を明らかに示しているのである。『羅 生門』では人間が危険にさらされている時の恐ろしい状態 を描いている :死者は死ぬ前に偽魚を売って人を騎す。老 婆は死者の髪を抜いてカツラを作る。下人は老婆の服を 奪って盗人になる。そのことによって人間の利己的な本質 を表現している。しかし,この恐ろしい状態を描く方法は 写実ではなく,写義であることははっきり している。それ は,誇張性と幻意性を持っているためである。『藪の中』

の中の多襄丸と真砂とも自分が武弦を殺したことを認める が武弦の亡霊は自分が自殺したと語っている。そして武弦 の死因は謎のままになってしまう。芥川が言いたいことは 人間はいつも言葉で自分を美化し,面子と尊厳を守り,死 んだら本当の自分を語ることができない。『藪の中』は超 現実的な作品であり写義の表現は深刻である。『紅高梁』

と『高梁酒』には幻意の描写はないが,奇異なプロッ,ト 誇張な描写で主人公の生命状態を超現実的な世界のように 表現している。「彼女は造物主であり,その言葉は絶対だっ た。彼女がキリギリスは籍の外と言えばキリギリスは籠の 外の出たし,鹿の背に木よはえろと言えば鹿の背に木がは えた。」という描写はただの「私」の祖母に対する讃美で はなく,祖母と祖父のイメージを作る方法だと言える。つ まり作者自身は造物主であり,彼は主人公に奇跡を創造 させる。「銃弾に撃ちぬかれた祖母の乳房は傲然とつっ立 ち,人の世の道徳とご立派な説教を蔑み,人の力と人の自 由,生の偉大さと愛の輝かしさを示していた。祖母よ永遠 なれ」。 ここに描かれた祖母は人間の生命力,自由精神の 化身であり,多くの沢山の主観表意の描写は主人公のイ メージをロマン精神に富ませるものである。

(8) 羅芸軍「論紅 高 梁〉現 象」(『電影芸術』1988年 第 10期p2944を参考 (9) 「注目紅 高 梁」〉 (『電影芸術』19884p4) 

(6)

張芸謀の文学映像化研究

C.人間性を尋ねる主題

『藪の中』は殺人事件を描いた小説であるが,事件のそ のものは小説の主題にはなれず,事件を借りて人間の弱点 を表現する。『紅高槃』,『高梁酒』は強姦,殺人と抗日を 描く小説であるが,強姦,殺人と抗日は小説の主題にはな れず,その内容を借りて人間の生命力と反抗精神を表現す る。このように両者はともに人間のある本性をあきらかに 示すことを目的にしているのである。さらに,『羅生門』

と『藪の中』の素材は全て日本の11世紀の 『今昔物語集』

から用いられており,日本の平安時代 (794‑1192)の物 語であるので,写意的な作品ではあるが,その登場人物た ち(下人,武士,盗人)の思想,観念及び背景,環境には 地域,時代の特色がある。莫言の『紅高梁家族』は古代の 題材ではないが,背景は約60何年前の中国の山束省高密束 北郷であり。人物, プロット,風俗などは全てその歴史時 代と山束高密の特色がある。このように歴史の中に人間性 を尋ねることは『紅高槃家族』と『羅生門』と『藪の中』

の共通した題材だと考えられる。

2.文学映像化の技巧について

小説を映画化する観念において,中国映画は長い間「原 作を忠実に」という原則を遵奉していた。文学映像化の現 状に対して1980年代の中国映画理論界は文学映像化の問題 に関して論争が起こった。その論争を通じて新しい観点が 指摘されたが文学映像化についての基本観念は「原作を忠 実に」という範疇にこだわった。当時中国映画の文学映像 化の「原作を忠実に」という原則か内包していたことは小 説を映画化する時,原作の主題,かなめを忠実するだけで はなく,原作の設けた主要人物,プロットに至るまで手を 加えない。そうすれば原作の思想,芸術的な完全性を保つ ことができるのであるとした。1980年代に評価された中国 映画の大部分は以上の原則に従っているのである。

張芸謀は『紅いコーリャン』から全く違う文学映像化方 式を使った。彼は原作に大胆な「再創造」を行った。しか しその 「再創造」の方法とは張芸謀が独自発明したもので はなく, 1950年に黒澤明が『羅生門』において用いた製作 方法と類似した方法を使ったのである。次は,文学映像化 の技法において『紅いコーリャン』と『羅生門』を比較し てみよう。

A. 構成について

映画の『羅生門』の素材は芥川龍之介の小説の二編 一

『羅生門』と『藪の中』である。『紅いコーリャン』の素材 は莫言の小説の二編 ー 『紅高梁』と 『高梁酒』である。 小説 『羅生門』と『藪の中』は内容において全く関係の無 い二編の小説であるが, 小説『紅高槃』と『高梁酒』は姉 妹編である。この二編の中編小説と莫言の他の三編の中編

小説『狗道』,『高梁族』,『奇死』は全て余占 を主人公と して物語を描いている。 1987年にその五編の中編小説をま とめられシリーズとなって出版された。題名は『紅高梁家 族』であり,一冊の長編小説となった。

小説の『羅生門』は雨の中に始まる。仕事を解雇された 下人が羅生門の軒下で雨宿りしている。彼は屋根裏へ登っ て雨のやむのを待とうとするが,そこでは老婆が死人の髪 を盗んでいた。死人の髪でカツラを作り,それを売る。し かし老婆は活きるために盗むだけだとうそぶく。その瞬間,

下人は盗賊に身を落とすことを決心し,老婆をなぐってそ の衣を奪う。老婆と同じ理由で,自分も盗みをしてもあた りまえだと彼は言い,走り去る。物語はこれだげである。

『藪の中』は何の前屑きもなしに,検非違使に対するそま 売の証言で始まる。そしてそれに雑多な人々の身勝手な証 言が続く 一旅法師,放免,山賊に強姦された女の母であ ることがあとでわかる老女。 山賊自身,強姦された女自身。

巫 女 の 口 を 通 じ て 語 る , あ の 女 の 夫 で 殺 さ れ た 男 。 一 そ して,何の結論もない。 小説『羅生門』は映画の題名のも とにはなっているが,その内容を黒澤はほとんど使ってい ない。ただ,廃虚と化した羅生門の描写,うち続く戦乱と 京都の破壊についての会話, まったく荒廃した雰囲気が全 体として採用されているにすぎない。多くの映画『羅生門』

に関する論文は,映画が『藪の中』を原作としたことだけ を論じており, 小説『羅生門』についてほとんど言及して いない。しかし, 小説 『羅生門』の内容は採用されてはい ないのであるが,映画も小説『羅生門』と同じく雨の中に 始まる。旅法師,下人とそま売が羅生門の下で雨宿りして いるうちに『藪の中』の殺人事件の話をする。そして映画 の内容は彼らの話しによって進んでいく。それによって原 作の骨組みを徹底的に変えたのである。

羅生門の下での三人の会話はすべて黒澤が構成したもの で,映画の枠組みになり,小説『藪の中』の事件は映画の 中に旅法師,そま売の追憶として再現される。そして映画 の骨組みは『藪の中』の平行叙述を時間,空間交錯の構成 に変わってしまう。映画は又『藪の中』の人物たちの述べ たことを映像で再現し,何度も繰り返し替えられた事件の 内容は語る人の追憶としてスクリーンに再現される。それ によって,映画の構成は単純な時間,空間交錯の骨組みか ら追憶の中に追憶を含めるという更に複雑な構成になって いる。

映画 『羅生門』と比較してみれば,映画の骨格において

『紅いコーリャン』はその逆である。小説の『紅高梁』,『高 梁酒』は中国の伝統小説と異なっており,形式においてマ ルケスとフォークナーから影響されており,叙事の構成は 非常に随意であり,まったく常規に従っていない。小説の

『紅高梁』,『高梨酒』の構成は時間,空間交錯の構成であ

(7)

る。余占贅が隊列を率いり,抗日に行くことで始まる。そ の間に追憶を入れ,余占整と戴夙蓮の物語を引き出す。映 画の『紅いコーリャン』は女主人公戴夙蓮が嫁入りする所 から始まる。映画のファーストシーンは祖母の顔で,ナレー ション: 「この話はうちの祖父と祖母の話だ。うちでは今 でも話の草になるが,なにしろ昔のことだから当にはなら ない。うちの祖母だ。その年の 7月 9月に嫁入りをした」。 そして,映画は時間順に進み,小説の複雑な骨格は単純な 構成になってしまう。『羅生門』,『紅いコーリャン』とも に原作の骨格に手を加えた。『羅生門』は原作より複雑で,

『紅いコーリャン』は原作より単純である。 一見,双方は 全く相反しているようであるが,小説を映画化する技巧の 原則は一致している。

『藪の中』は七人の証言で構成しているので読者は七つ の証言を与えられているが,その証言からどんな結論を出 すべきかは暗示さえされない。読者は小説を読みながら誰 の証言が嘘であり,誰の証言を信じるかを考えるはずだ。

しかし,観客は映画を見る時そうすることができないので ある。それは,観客が映画の時間流れをコントロールする ことができないため,深く考える時間がないからである。

もし小説の構成をそのまま映画に移すのなら,観客の思惟 を混乱させ,映画の内容を理解できなくなってしまうはず である。黒澤明は小説『羅生門』の中の下人を映画に入れ た。彼は事件には何も関係ない唯一の人物である。彼は映 画が始まった時の門の軒下で一緒に雨宿りをしていた旅法 師とそま売と,両方へ問いをかける。彼自身には何の証言 もないが,映画が進行するのは彼の問いによって,なので ある。そして,観客は誰の証言が真実であるかを考える必 要がなくなり,観客の興味は誰が嘘をついたのかというこ とから,なぜ彼らが嘘をついたのかということに移るので ある。映画の中ではは三人が羅生門の下で事件について討 論し,それぞれ自分の意見に固執することによって,観客 の思惟は彼らの話に随って,はっきりしてくる。黒澤明は この問題についてこう述べている。「登場人物は八人だけ,

ストーリーは内容こそ複雑で深いものであるが,シナリオ の構成も出来るだけ直戟端的なものにして短かいものに なったから,それを映像化する時には,存分に映画として のイメージーをふくらませる事ができる筈であった」。(10)

張芸謀が小説の複雑な構成を単純にした目的も黒澤明の

『羅生門』と同様に,観客の思惟と視覚を混乱させないよ うにしたのである。張芸謀は『紅いコーリャン』の構成に ついてこう述べている。「映画は一回限りの芸術なので,

一般的に観客は一本の映画を一回だけ見るわけで,時間,

空間があまり複雑になると観客の視覚を混乱させてしま

l L .  

う。」(II)つまり,映画は小説と異なり,映画の時間流動の 特徴に基づきなるべく観客が分かりやすく理解できる映 画を撮ろうとするのである。映画『紅いコーリャン』の構 成はばっとしないと批評されもしたが,張芸謀の構成は映 画の表現形式に相応していると考える。『羅生門』が上映 された時,理解できないとした観客もいたが。実際芥川 龍之介の小説『藪の中』と比較してみれば,映画の方が分 かりやすいのではないか。

B.内容について

優秀な芸術作品にとって,形式と内容は切り離すことが できない要素である。映画監督が原作の構成を変えること とは,その内容も変えることだということを意味している。

黒澤明は小説『藪の中』の山賊,女,夫の語った事件の 真相について第四の真相を付け加えている。第四の真相を そま売に語らせているのである。一強姦のあと,山賊は 膝をついて, 一緒に逃げてほしいと女に頼む。女はそれは 自分でなく,男だけが決められることだと答える。彼女が 言い張るので,気が進まないが山賊と夫は決闘し,山賊が 勝つ。だがその時女の姿は既になく,山賊もまたその場を 去る一。 そま売が語ったこの真相の本当らしさは下人に よって言い破られる。彼はそま売こそ実は夫を殺した短刀 を盗んだことを見破るのである。土におちていたのか,夫 の胸から引き抜いたのかは知らないが。震えながらそま元 はこう語る一「わからねえ……さつばり分からねえ」。

人は答える一「どうもこうもね……人間のすることとな んざ全く訳がわからねえッて話さ,ハハハハ」。

映画『羅生門』と比較してみれば,張芸謀は小説『紅高 梁』,『高梨酒』の内容に更に手を加えている。最も明らか であることは二つの点である。 一つは,張芸謀が小説の主 人公の像を変えたということである。具体的に映画は原作 の主人公の盗賊の経歴と,女性の気ままに振る舞う性格を 表現してない。余占贅は盗賊であった。彼は十何歳の時,

母親と姦通していた坊主を殺し,それによって母親が自殺 した。これがきっかけで裔密東北郷に来て籠かきになった。

その後,戴夙蓮の前夫と義理の父の単扁郎親子を殺した。

(映画には単扁郎親子は50歳ぐらいの李大頭の一人に変り,

李大頭の死ははっきり表現されていない。)その後,余占 贅は盗賊になって, 前の盗賊のトップである花膵子を殺し た。(映画には花膵子が禿三抱に変る。)これらは映画に全 く表現されていない。張芸謀はわざと余占贅を盗賊から農 民に変え,映画の中の戴夙蓮の性格も小説と大きく変えた。 小説の『高梁酒』には戴夙蓮が,義理の父と夫が殺された 後,夫の財産を独占するために,高密県県長が自分の父親 だと嘘をつき,本物の父親を家から迫い出した。こうした

(10)黒 澤 明 『 蝦 墓 の 油』(岩波書店 19846 p387

(11)周有朝「張芸謀談『紅高梁』」(『大西北電影』 1988年 第 4期p11)  62 

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張芸謀の文学映像化研究

彼女の悪賢く,残酷の性格を表現した。また,戴夙蓮は羅 漢大爺と曖昧な関係を持っているが,このプロットも映画 には表現されてない。さらに抗日について内容を減らして いる。しかし,小説『紅高梁』において抗日は,大きなス トーリーの軸として描かれており,戦闘シーンの規模も割 りに大きい。軍隊の人数は百人であり,機関銃を使い, 6, 7台の日本軍の自動車を壊し,日本軍の軍曹が銃殺されて いるが,映画『紅いコーリャン』で戦闘に参加していた人 数は7, 8人であり,使用された武器はただの手作りの砲,

矛である。壊された日本軍の自動車もわずか一台であり,

殺された日本軍兵士も 5, 6人であった。

原作に対してそのように大きな修正が加えられたのは中 国映画史上初めてのことである。陳墨の『張芸謀電影論』

では,『紅いコーリャン』の文学映像化における問題につ いてこう述べられている,「原作はただ彼(張芸謀)の再 創造の素材であるにすぎない。彼は勝手に原作を使い,勝 手に削除し,勝手に付け加える。この方法は 〈張芸謀の小 説を映画化する方法〉だと言える。」(12)しかい,『羅生門』

と 比 較 し て み れ ば こ の い わ ゆ る 〈張芸謀の小説を映画化 する方法〉の発明者が張芸謀ではなく, 黒澤明にその例が あると分かる。ようになる。

内容においては,『羅生門』は原作を基づき,プロット を付け加えた。『紅いコーリャン』はある原作の内容を削 除した。直接的な要因は前者の原作が短編小説であり,後 者の原作は二編 の 中 編 小 説 で あ る た め で あ る と 考 え ら れ る。通常の映画の長さは90分ー180分の間に制限されてい るのがほとんどであるため,映画の内容は映画の長さに合 わせ,増減せざるを得ない。もう一つの重要な要因として は文学の内容を映像の言語で表現することがたいへん難し く,不可能でさえであることがあげられる。小説家は文字 で描くが,映画監督は画面上でものを表現する,この二つ の芸術形式上の大きな相違点はここにある。小説家は文字 を使うので,思想,感情を描き,いろんな感覚を区別する ことなど抽象的なことを処理する面でとりわけ恵まれてい る。ある理論家は文字と画面を類比する。単語はシーンに 等しく,センテンスは場面に等しく,文法は編集に等しい など。小説と映画の間には確かにある程度の対応的なもの が存在しているが,両者の間の違いは極めて大きい。映画 の本当の言語はシーンの変換,表現力を持った撮影の角度,

運動及び照明である。映画の本性によって,小説は映画よ り視点の問題を解決しやすい。もちろん映画も主観領域を 表現し,一つの行動に対していくつかの見方で表現するこ とができるが,やはり限界性がある。例えば,もし映画『羅 生門』が小説の通り, 三人の証言をそのまま映像で表現し

(12)陳墨『張芸謀電影論』(中国電影出版社 1995 p36

たならば,芥川龍之介の伝えたい深い哲学的思想を正確的 に伝えられるだろうか。映画にとって事件は直接スクリー ンに発生する永遠の現在式である。現在を表現するシーン と同じく直接性を持っている。小説は昔の事を表現する時,

映画より簡単で深い。想像することを表現する時にも映画 は小説より難しい。小説『藪の中』の三人の証言には嘘が 入っているため想像する追憶だといえる。しかし,もし画 面でスクリーンに再現されたならば,観客は思わず彼らの 証言を事実と勘違いして,嘘の部分があることを忘れてし まう可能性があるのではないか。映画はただ謎を作り,観 客に誰が真犯人であるか分からせることに失敗するはずで ある。最後に語ったのは死者の武弦であり,その上に彼の 証言は巫女によって語られるので映画の内容は殺人事件を 審判することになってしまう。それでは,原作の思想が喪 失してしまう可能性がある。黒澤明は唯一の証人であるそ ま売を付き加えた,そま売は最初死体を見つけたことだけ を認めるが,後に事件の過程を全部見たことを認めぜさる を得ないようにした。われわれ観客が他の三名 一 夫 と 妻 と山賊の証言を聞くのは尋問にいあわせた旅法師とそま売 の口を通じてでしかできないのである。つまり,直接三人 に会うことはできない。すべては伝聞であり,それも旅法 師とそま売が下人に話してやるものにすぎないのだ。その うえ,三人ずつの二組一夫,妻,山賊と旅法師,そま売,

下人とをつなぐ存在はそま売自身ただ一人なのだ。後はわ れ わ れ は 彼 が 凶 器 の 短刀を盗んだ可能性があることを知 る。彼は凶器は短刀ではなく,太刀だと言った。彼の証言 も嘘が入っているかもしれない。黒澤明は小説から啓発さ れ,そま売の証言を作ったのだと考える。小説の武弦の証 言 「その時誰か忍び足に,おれの側へ来たものがある。お れ は そ ち ら を 見 よ う と し た 。 が , お れ の まわりには何時 か 薄闇が立ち込めている。誰か,ーその誰かは見えない 手に,そっと胸の小刀を抜いた。同時におれの口の中には,

もう一度血潮が溢れてくる。おれはそれぎり永久に,中有 の闇へ沈んでしまった。……」小説はここで終わり, 一つ の謎が残った。黒澤明は小刀を盗んだものをそま売にする。

そしてそま売の証言を引き出した。そま売の証言とは二つ の役割がある。一つは,そま売の証言によって観客は夫,

妻 山賊の証言の仮定性について更に意識するようになる。

もう一つは,そま売の証言にも嘘が入っている可能性があ る。そのため芥川龍之介が伝えたい複雑な思想は映画に再 現することができ,観客に誤解させないことができる。

小説『藪の中』と比較してみれば,小説『紅高梁』,『高 梁酒』が内包していることはもっと複雑である。 小説『紅 高梁家族』の筋が込み入って,主人公も生き生きとしてお

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馬 小 L 

り,映画化に適合する素材のようであるが,実はそうでも ないと考える。なぜならば,作品の主題が複雑すぎるから である。「最も才能を持っている映画監督でもフォークナー の小説を映画化する時,原作の思想を全部伝えることがで きない」(13)ように,小説『紅高槃家族』もそうである。そ のため小説『紅高槃家族』が映画『紅いコーリャン』より

レベル高いと考える映画評論家は多い。しかし,もし映画

『紅いコーリャン』が小説の内容を削除せず,そのまま全 部表現していたのなら,小説の深さを再現することができ たのであろうか。

小説の中の余占贅の性格は複雑である。彼は抗日の英雄 であるが沢山の人を殺した。彼の殺人の心境と動機が小説 にははっきりと説明されている。彼が坊主を殺す目的は家 の潔白を守るためであり,坊主の死ぬ前の苫しんだ可哀相 な目つきを見ていると,少し後悔してきた。単氏親子を殺 す目的は戴夙蓮を愛し,彼女に新しい生活を作りたいから であり。

戴夙蓮の性格も複雑である。彼女は「買探春のようなオ 能を持っている,王熙夙のように腹が黒くて手口は悪辣,

溜金蓮のように気が狂う」(14)村のある老婆はこう語った。

「羅漢,あんたんとこの年とた作男さね••…•あの男とあ んたのばあちゃんは怪しかったよ」この噂に対して作者は こう述べる。「祖母は彼を愛したかどうか,彼が祖母のオ ンドルで寝たかどうか,それはモラルとはかかわりない。 愛があっても,かまわないではないか。やろうと思えば,

祖母はどんなことでも平気でやった,とわたしは心から信 じている。あの人は抗日の英雄だっただけだはない。個性 解放の先駆け,自立した女性のモデルでもあったのだ。」

戴夙蓮は死ぬ前に心の中でこう語った。「神様,あたしは 罪人なのでしょうか。…••神様,貞節とは,正義とは,善 良とは,邪悪とはなんでしょうか。あなたは,とうとうお しえてくださらなかった。あたしは自分なりにやるしかあ りませんでした。あたしは幸せを,力を,美しさを愛しま した。あたしの身体はあたしのもの,自分で決めました。

罪も罰も,あたしは怖くない。地獄の底へ落とされても平 気です。やるべきことと,やらなければならないことを,

あたしはみんなやりました。あたしは,なにも怖くない。」 これは作者が戴夙蓮の一生に対する説明と判断だと言える。 以上のように小説家は表現力を持っている文字言語に 頼って二人の主人公の複雑な性格を描き出した。文字言語 は自由に人物の内心世界を描くことができ,理性的な分析 もできる。したがって,人間性の深さ,思想の複雑さをさ らけ出すことができる。小説 『紅高梁家族』の作者は主人 公にして理性的に批判すると同時に,彼らに肯定し,激賞

している。もしこれらの映画画面に転換できない文学言語 を削除したのなら,われわれは莫言の小説を理解できなく なり,誤解するさえ可能性もでてくる。スク リーンで現れ たものは,形像にすぎない,俳優は直接に観客に内心の感 情を述べ表すことができなく,監督も他の手段で主人公の 行動に対して説明することができず。観客が主人公の行為 を判断する規準は「直接スクリーンで発生した」形像だけ なのである。普通の観客には人間のある行為に対して決 まった伝統的心理が存在しているので,なにも説明せず,

直接表現すれば,観客に受け入れられないはずであり,小 説の中の「人間の法則を蔑視する英雄」を大逆無道の妓女,

悪漢に見なして,嫌悪する気持ちがでてくる。したがって 正確に小説が内包しているを伝えられないばかりか,小説 を歪曲する効果になってしまう。

以上,文学映像化の内容における『羅生門』と『紅いコー リャン』を比較,分析することによって,両者とも原作の 内容を大きく修正していたことがわかった。前者は新しい 内容を加えた,後者は重要な内容を削除した。しかし両者 とも映画と小説の表現形式の違い,即ち,小説は文学言語 でものを描き,映画は映像で世界を再現するので,割に複 雑 , 深 刻 な 内 容 思 想 を表現する時, 映画は小説に比べて 限界性が存在している。この芸術形式の間の主な区別に適 応するために,映画監督は内容において補充したり削除し たりする。そのことによって観客に映画の意味を正しく理 解させ,誤解させないようにするである。ある意味で映画 の表現形式において不足を補い,静態,無味乾燥,或いは 混乱な非映画を撮らないように用いた方法だと考えられる。

3.製作について

映画は小説より比較的複雑な素材を表現する能力に衰っ ているが,映画より小説のほうが「高級」な叙事手段であ ることを意味していない。画面は映画の基本的な要素であ り,小説の風格というのは文字の配列を意味している。映 画の風格というのはほとんど非言語的なものである。(台 詞は映画の一部である)映画監督の風格は彼の映画技巧に 対しての独特な運用方式で表現される。映画監督は撮影の 角度, レンズ,ロケ地,形像と象徴を選択する時に行うエ 夫は,文学家が単語,句,段落, 比喩を選択する時に行う 工夫に負けない。画面の特性を利用して,価値,意味があ る画面を撮り,高度に 「映画化」した作品を製作すること が文学映像化作品を評価する基準だと考えられる。黒澤明 の『羅生門』は出色にカメラの役割を発揮する典範だと世 界の映画界に認められている。アメリカの映画評論家のス タンレー J・ソロモンが1972年に著した『電影的観念(映

(13) Edward Mw‑ray(アメリカ)『電影化的想像ー作家和電影』(中国電影出版社 1989年7月p164  (14)宙 達歴史的霊魂与霊魂的歴史」(『昆替』昆替雑 誌 出 版 社 1987p245) 

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張芸謀の文学映像化研究

画の観念)』(15)の第14章の「撮影運動と非運動」では『羅 生門』を取り上げて「カメラの運動で意味を表現する」と 分析している。このことは,『紅いコーリャン』の製作を

『羅生門』と比較することにより,『紅いコーリャン』を正 しく評価することに有益だと考える。

画面は映画の基本的な表現手段であるので映画の突出な 優越性は正確に,客観的に目の前の現実を再現することが できる。文字に対して映画画面の優越性は客観的に現実を 再現する価値を持っていることだけではない。映画監督は 芸術創作をするのに,彼は撮られる対象に対して決定的な 影響を与えているのである。選択,総合,加工された現実 はスクリーンで現れ,その現実は監督が世界を観察した結 果になる。映画がわれわれに提供する現実は芸術形像であ る。この芸術形像は監督の感性と理性の表現意図によって 創造するものである。映画の映像美を追求することが黒澤 明の『羅生門』を製作する最初の目的であった。黒澤明は こう述べている。「当時,私は,映画がトーキーになって,

無声映画の好さを,その独特の映画美を何処かへ置き忘れ てきてしまったように思われて,何が焦燥感のようなもの に悩まされていた。もう一度,無声映画に帰って,映画の 原点をさぐる必要がある。特に,フランスのアウァンギャ ルド映画精神から,何か学び直すものがある筈だ,と考え ていた。当時は,フィルム・ライブラリイも無かったので アウァンギャンドの映画の文献をあさり,昔見たその映画 の構造を思い出しては,その独特な映画美を反籾していた のである。『羅生門』は,その私の考えや意欲を実験する 恰好の素材であった。」(16)まさに『羅生門』は映像美を追 求しようとする意味から始まった映画なのである。そのた めに黒澤明,カメラマン宮川一夫コンビは,さまざまな大 胆な試みを行ったのである。

A.黒と白の強い画調

黒澤明はリハーサルの合間にアフリカの探検映画などを スタッフに見せ,藪の向うからライオンがこっちを見てい るショットがあると,「おい三船君,多襄丸はあれだぜ。」

(51)と人間を動物として描こうとした。森の中の殺人と姦 通という事件を人間の本源的な欲望として,ダイナミック な映像としてとらえようとしたのである。人物の野性的な イメージを作り,強烈なエネルギーを出そうとした。宮川 一夫は黒澤明の意思を理解しもっとコントラストの強い,

ザラザラした銅板のような画調でいきたいと考えた。つま り黒と白を基調として灰色の部分を極力避けるといったハ ィキー・トーンを大胆に採用したのである。

B.光と影

黒澤明がこの作品で追求したもう一つのこととは真砂,

武弦,多襄丸の三人の心の葛藤と生死の格闘を光と影を用 いて描くということである。そこで,黒澤明は大きな森の 舞台に,奈良の奥山の厚生森と京都近郊の光明寺の森をロ ケ地として選んだ。森の中の撮影で一番難しいのは昼であ り,暗い森の中にいかに太陽光を持ってくるかが問題で あった。適当な撮影のための空間は作ったが,太陽は刻々 と,容赦なく移動してしまう。その動く太陽を追いかけな がら,つねに安定した光量を得るために,撮影の宮川一夫 は「ミラー照明」という新手を考え出したのである。彼は 4フィート四方の大きな鏡 8枚をライスタンドや木の上 に括り付けたりしてミラー板にした。こうして森の中で太 陽光をリレーして強い光を得ることに成功した。ベニスで キャメラが初めて森の中へ入ったと言われた。

世界の映画史上初めて逆光撮影の技術を用いたのは『羅 生門』である。日の丸のような太陽をバックにして,三船 と京が接吻するところを撮りたいと黒澤明は宮川一夫に要 求した。当時,太陽にレンズを向けるということは,タブー であった。レンズを通った太陽の光線がフィルムを焼くと 考えられていたためである。もう一つの問題は2000ミリ以 上の望遠レンズがなければ,日の丸のような太陽は撮れな いということである。太陽を背に演技することと二人を入 れ込むこととは物理的に不可能だった。現在では簡単に合 成という方法もあるが,当時そのような技術はなかった。

そこで宮川一夫は,それでそのイメージをどう再現するか を私なりに考え,木の葉の間を洩れるギラギラした太陽光 線,ハレーションをヒントに撮ろうと考え, 2メートルの 高さの撮影台を作り,そこに三船敏郎と京マチ子を乗せ,

二人の接吻のアップこしに太陽を撮ろうとした。しかし,

狭い台の上では二人が動けないことがわかり,今度は地面 に穴を掘り,宮川がカメラごと入ってしまい,地中から地 面に横になった二人ごしに太腸を撮ることにした。ただし,

太陽は日の丸のような太陽ではなく,枝葉越しの二人の アップの右スミにキラキラと太陽を入れたのである。

木の枝葉の影で人物の心理活動を描くことは黒澤の映像 に対するもう一つの追求するテーマである。真砂の証言は 最も出色に使われた。一黒澤はこの真砂の証言のパート を『羅生門』中,最も成功したシーンと自負している。真 砂 の 証 言 は 辱 め を 受 け た と き 「一思いに私を殺してくた さい」と短刀を渡そうとするが,夫の目は冷た<光ってい た。絶望した私は夫の胸に倒れ,そのまま気絶した……気 がついて見回すと,既にこと切れた夫の胸に短刀が光って いた, と涙ながらに告白する••••••。 このシーンのポイント は武弦の表情にある。眼の前で盗人に妻が辱められた武弦 の心が彼の顔に落ちる枝葉の影の動きで表現されていた。

(15) Stanley 

J .  

Solomon(アメリカ)「電影的観念 (映画の観念」国電影 出 版 社 1983 p287 (16)黒澤 明 『 蝦 墓の油』(岩波書店 19846 p386

(11)

馬 C.移動撮影

Il

映画が文学および他の芸術に対して,最も大きな特徴と は運動を描く能力を持っているということである。運動は 映画画面の最も独特,最も重要な特徴である。

移動撮影で出色に運動を描くことは『羅生門』.がベニス 国際映画祭で評価された重要な要素である。黒澤明の『羅 生門』は始めから終わりまで変幻で不安定な撮影方法を採 用し,かつこの撮影方法の発展に大きく影響を与えた映画 である。森を通り抜けるシーンは『羅生門』の最も素晴ら し驚くべき業績である。こうしたカメラワークは「今まで カ メ ラ は 迅 速 か つ 巧 妙 に 移 動 し た こ と が な い。映画の固 有な観念である運動において, 『羅生門』の撮影は,卓越 な技巧の模範的事例の一つである。レベルが裔い映画の巨 匠でないと,この技巧を把握することはできない。黒澤明 は完全に一つ一つの段落の美学的目的を実現することがで きるのである。」(17)と評価されている。

『日本映画の黄金時代』によると,宮川はまた七メート ルの移動レールを三本繋ぎ,志村喬を蔦ごしに横移動,徐々 に後退しながら近づいてくる志村をバストまで追い,大胆 にレールをまたがせ,そのまま背ごしにフォローして横移 動に移ったという。多襄丸の豹のようなスピート感を出す ために,宮川が考えたのはカメラの回りを等距離で三船を グルグル回すことだった。カメラを中心に 5, 6メートル 程ロープを延ばし,その端を三船の体にくくりつけ,彼を 思いっきり走らせる。レンズは75ミリや100ミリの望遠で,

宮川一夫はファインダーを覗き,自分もグルグル回りなが ら, 三船敏郎のバストを画面の中央に入れることにした。 それだけではない,カメラ助手が枝報葉を持って, レンズ 前をパッパッと通過させることにより手前や背景の木や 枝葉がグングン流れ,突き進んでいく多襄丸の躍動感を見 事に描き出したのである。

これから37年後,張芸謀は映画の映像美に対して何を追 求したのか。前述したように早期の第五世代の監督たちは 従来の伝統映画の叙事形式に不満を持ち,新しい映画言語 の規範形式と風格を追求していた。そのために,第五世代 の監督たちは「中国の先鋒派」と呼ばれ, これらの作品は

「探索映画」と称されている。『紅いコーリャン』 はこれま での第五世代の「探索映画」につづいたと同時に,「探索 映画の終止符」でもある。もともとカメラマンであった張 芸謀は映画の映像を他の映画監督より強く把握することが できる。『紅いコーリャン』 は 『一人と八人』,『黄色い大 地』より映画言語の運用において更に練れるようになった。

張芸謀は『紅いコーリャン』の映画形態についてこう述べ

(17) 「黒澤明ドキュメント(『キネマ旬』増刊 57p43) 

(18)周有朝「張芸謀談『紅高梁』(『大西北電影』 1988年 第4期 p12  (19)顧 長 衛 「紅 高 梁〉後 話」(『大西北電影』 1988年第4期p14) 

た。「今の中国映画界には主に二つのやり方があります,

一つは画面の造型に拘り, 主観的な考えが強すぎるという こと。もう一つはストーリーと人物の性格を大事にすると いうことです。私は両者を融和してみたかった。面白いス トーリーと特徴がある人物を作る上に私自身の考えを表現 して,価値のある画面を撮ろうと思います。」(18)映画美は 張芸謀が追求した一つだと言える。

A. 光の運用

張芸謀も撮影の顧張衛も『紅いコーリャン』の光の使い 方及び撮影方法において『羅生門』を模倣したと語ったこ とはない,しかし,『紅いコーリャン』の光の使い方は『羅 生門』と非常に似通っていると考えられる。まず光の運用 に対する顧長衛の態度は宮川一夫と一致する。「私の原則 は光で雰囲気を作り,人物を描き出すことである。」(19)当 時,顧長衛は陳凱歌と協力し『子供の王様』 (1987年)を 完成したばかりであった。『紅いコーリャン』の主題は人 問性及び生命の欲望を表現することであり,伝奇的な情調 が強い。『子供の王様』のような無為 ・有為であり,天道 運行の虚しい感覚とは全く違う。この二つの主題をどのよ うにはっきり使い分けて,『紅いコーリャン』に相応しい 造型風格を作り出すのかが顧長衛にとって大きいな問題で あった。これは張芸謀も心配していたことである。二人は 一緒に両者の異なりを考えていた: 『子供の王様』は静か で柔らかく対称的で薄くて潤いがある。この風格に対して

『紅いコーリ ャン』は動いて硬くて均衡ではなく濃密で強 烈なものにしようとした。『子供の王様』の視覚造型の精 神は霧にある。『紅いコーリャン』の精神は太陽の光にあ る。全体の太陽光感覚の基礎の上に, 主題のテンポによっ て光を変化する。『紅いコーリャン』において顧長衛は逆 光多用した。そのため画面に活力と生命力があふれている のである。特に姦通のシーンでキラキラ光る太陽をカット インさせたことより,生命力のテンポが強化されたことは 注目されるべき点である。

B.強烈な赤い色調

『羅生門』と違い,『紅いコーリ ャン』 はテクニカラー・

フィルムである。映画の色彩は赤色を基調にしており,映 画は強烈な雰囲気に満ちている。

祖母が嫁入りする時,頭に飾った紅い花, ゆっくり下ろ さ れ た 紅 い 絹 , 紅 い 籠 紅い刺繍をした婦人靴,紅い上着, 紅い高梁酒••••••特に映画の背景と精神的象徴と しての紅い 高 梁 ー 全 て 赤色である。

莫言が描いた紅い高梁は小説の魂であり,莫言の想像す る世界である。紅い高梁はもう存在していない。紅い高梁

参照

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